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独占板

6614シャンソン:2016/03/05(土) 22:37:51 ID:qZOLvQN2
     秩序と無限

  修行道場というところは、およそ不自由だらけの場所である。
早朝の起床から夜中の就寝まで、なにかにつけてうるさい決まり事ばかりだ。
しかも起きて半畳、寝て一畳という狭すぎるスペースで、プライヴァシーなど全くない。
全てが公の時間といっても過言ではないのである。

 ではそうした場所で、修行者たちは何を学んでいるのか、というと、私は「自由」なのだと思う。
これ以上ないほど不自由な場所で、自由を学ぶとは、どういうことか。
修行も二年を過ぎた頃、私はふいに気づいたのである。

 基本的にはここで制限されているのは、行為だけではないか。行為の結果、どう感じるかは、まったく当方の自由なのだ....。
そう。秩序は決められた行為によってもたらされる。世の中では、上司に考え方まで押しつけられ、それを教育と呼んでいる会社も多いようだが、
それを思えば道場ほど自由な場所もない....。むろん行為が招き寄せる自然な考え方は期待されているのだろうが、
少なくとそれが言葉として強要されないのはありがたい。

 そんなことを思った背景には、間違いなく自分の中での「行為の習熟」があった。
経験を重ね、行為そのものに慣れてきていたため、ほとんど無意識にできることが多くなっていったのである。
もともと長い禅宗の歴史の中で生き残ってきた起矩(きく)(道場の決まり)だから、
当然ながら集団生活にとっては合理的な内容である。当初は外から押しつけられた決まりでも、習熟するうちに内在律化していくのだろう。

「左進右退」という動き方も、食事中音を立てないことも、しばらくするとみな必然と思えてくる。人間、こうあるのが自然じゃないか、
とまで思えてくるのである。必然と感じ、自然になったことで、不自由は自由に反転したと言えるだろう。

     『ないがままで生きる』 玄侑宗久 著


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