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Web誌友会 板/2

5200a hope:2015/03/01(日) 23:50:16 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p63 6行目〜

谷口――心霊現象とは名前は心霊現象でも、実は半物質的現象なんです。全然心霊的である場合にはわれわれの五官にそれが見えてこないのですから、心霊現象は成り立たないのです。そこで心霊現象はその実、半物質的現象であるとしますと、この現象は物質的性質を多分に有した霊魂――いいかえると、物質的執着を脱け切らないでいる霊魂と、人格の低い霊媒とは親類筋になるわけですから、「類は類を招(よ)ぶ」の心の法則により、人格の低い霊媒には物質的心霊現象を起こす霊魂がおおむね感じて来るのです。

三枝――霊魂とは実際人間にかかってくるのでしょうか。 『生命の實相』の「創世記」の解釈(頭注版・携帯版では〈十一巻〉愛蔵版では〈六巻〉のこと)によりますと、人間は万物の霊長であるからいかなる霊魂にもかかられるものではないというようなことがありますが。

谷口――それはかかるという言葉の定義いかんによります。第一義的大自覚に入れば、人間は神の子でありますから、いかなる悪霊にもかかられるということはないのです。第二義的には、悪しき霊に憑かられるという信念をもつことによって、悪しき霊の波長に合うラジオ的受信機となり悪しき霊の霊波を感じて、悪しき霊の声を出し、悪しき霊の姿を感ずるのです。それはIOBKの波長に合うラジオの受信がJOBKの声を出し、その放送者と同じ言葉を喋るのと同じです。それは放送者と同じ言葉を喋るけれども、何もJOBKのアナウンサーはここに実際この受信機の側まで来て喋っているのでありますまい。それと同じで、悪霊が憑いて狐つきのような言葉でしゃべったりしましても、悪霊は実際人間に憑いてはいないのです。ただそこには悪霊が在るという夢と、悪霊に憑かれるという夢とがあるばかりです。すべてこの世の悪しきものは神の創造の繁栄ではなく、迷いが反射した白日夢です。

5201a hope:2015/03/01(日) 23:54:06 ID:cEpBaIdo

>>5200 a hope所感)

第一義的大自覚、つまり「人間神の子」「唯神実相」の自覚に到れば、悪い波長と合うということは一切なくなりますから、
悪霊にとりつかれなくなるのは勿論ですが、悪念波を受けて病気や不幸になるということもなくなるわけですね。

この対話のあとに三枝さん御自身が、あまり程度の高くない霊(神)に繫らて、
「神懸かり」状態になった時のお話をされていて興味深いです。p67 後から6行目〜

そして、「神想観」をするために精神統一をするたびに、その霊が懸かって来て「神想観」の邪魔をする、と雅春先生にご相談されています。

このあと、雅春先生は「神想観」の精神統一と無念無想(無想観)の違いをご説明くださっています。p69 4行目〜

5202a hope:2015/03/05(木) 07:52:19 ID:cEpBaIdo
(a hopeまとめ)p69 

「無想観」と「神想観」の違い


○「無想観」・・・精神統一して無念無想になること
→自分で自己を支配する権利を放棄してしまうから、ポカンとしたり、ボンヤリし意識が朦朧となり、他からくる霊波に支配されてしまう


○「神想観」・・・ひたすら精神をあつめて神なる自己の本質を思うこと
→自己の善意識を完全に自己の支配下に置き、意識を明瞭にして一つのことに集中しているので、低級な霊にかかられることは断じてない

5203a hope:2015/03/05(木) 07:53:52 ID:cEpBaIdo

>>5202 a hope所感)

わたしは以前、何年間か、近くの禅寺の坐禅会に参加していたのですが、坐禅というのは、この「無想観」に近いのではないかと思います。

何度参加しても、足は痺れましたし、完全に無念無想の状態になるのはむずかしかったのですが、
ある日、偶然、わたしの坐る場所がその寺の高僧のすぐ近くだったことがあるのです。

その時だけはまったく足も痺れず、自分でも驚くほど意識が集中して、無念無想状態を体験できました。

あの時は、その高僧の高級な念波(氣)がわたしに影響していたのだと思います。

5204a hope:2015/03/05(木) 20:28:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p70 3行目〜

谷口――「神想観」というのは心を集めて「生命の実相(ほんとうのすがた)」を想うことですから、必ずしも静坐せねばならぬということでもないのです。 『生長の家』を読むだけでも感激に満ちて、それに書いてある神の子としての自己生命の実相がピッタリと心に自覚できればよいのです。『生命の實相』を読むだけで病気が治るなどの例があるのはそのためであります。

釈迦は菩提樹下で静座している間中、悪魔波旬(はじゅん)に襲われていた。ところが、尼連禅河(ナイランジャナーかわ)で沐浴して心がサッパリした刹那、「なんじゃ『生命』はどんな行もしないでも、このままで完全じゃないか」と自己の「生命の実相」――神性が自覚できた。すると悪魔波旬は逃げてしまった。

ここが肝腎ですね。あなたのように、静坐式のものをすると、直ぐ、常に憑(かか)りつけの霊が憑って来て「神想観」のできにくいというのは、霊がまた憑ってくるであろうという予想や恐怖があるためにそうなるのですから、そういう人は、釈迦が菩提樹下の静坐を捨てて、沐浴一番自己の「生命の実相」を自覚した例に倣(なら)うべきですなあ。

釈然と自己の「生命の実相」さえ自覚(さと)れるなら、その方法はどれでもよいわけでしょう。常に聖典『生命の實相』を読むことを怠らず、我欲を捨てて他のために働いて働いて生活全体が捧げ切ったものとなられるとき自分と全世界とが一体だという「生命の実相」がわかってきます。これが一等穏健な自己の神性の自覚の仕方ですなあ。

5205a hope:2015/03/05(木) 20:30:00 ID:cEpBaIdo

>>5204 a hope所感)

わたしは「神想観」が大好きですが、たまに、雑念ばかり浮かんできてしまい充実した神想観ができない時があります。

そのような時はだいたい、仕事で嫌な事があったり子供たちのことで問題があったりして、
感情が高ぶっていたり、または反対に精神的に疲れきっていたりしています。

わたしは今回、上の雅春先生のご指導内容を読んで目からうろこが落ちました!

これからは、気持ちが乗らない時には静坐式の「神想観」は控えて、聖典「生命の實相」の拝読をするようにしたいです。

それにしても、やはり「生長の家」の信仰には聖典『生命の實相』の拝読は欠かせないようですね!

5206トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/06(金) 20:50:54 ID:1.Hn0ILE
>>5203

 谷口雅春先生が先導をされた「神想観」に参加された方の話では、
霊的な雰囲気が素晴らしく、初参加ですら奇跡が起きたと聞いています。

 霊的な体験も続出したそうです。

 あの圧倒的な雰囲気だけは忘れられない、と話しておられました。

5207a hope:2015/03/07(土) 22:36:05 ID:cEpBaIdo

>>5206 トキさま

谷口雅春先生は真理を大悟されたお方ですから、
それはそれは素晴らしい光明の念波を放っておられたのだと思います。

ああ、一度でいいからわたしも雅春先生に直接お会いしたかったな(≧◇≦)

5208K機関諜報員:2015/03/07(土) 22:58:21 ID:???

昨日、神想観をしていたときのこと。

瞑目合掌している自分を取り囲むような形で亡くなった両親やご先祖様が合掌し、
自分を祈ってくださっている姿をありありと観じました。

理屈抜きに「生かされている!ありがたい!」と思うことができました。

5209a hope:2015/03/07(土) 23:30:22 ID:cEpBaIdo

>>5208 K機関諜報員さま

素晴らしい神想観を体験されましたね!

わたしも、神想観がうまくいくと自然と感謝の気落ちが溢れてきて、
物事をとても前向きに考えられるようになり、体中に生きる力がみなぎってきます。

「神想観」って、ほんとに素晴らしいですね!!

5210a hope:2015/03/07(土) 23:32:19 ID:brQxC10.

>>5209訂正

感謝の気落ち→感謝の気持ち(笑)

5211a hope:2015/03/08(日) 12:04:42 ID:cEpBaIdo

(a hopeまとめ)

「生命の實相」第16巻 
五 祖霊祭祀の形式 (p71 〜 p77 )


Q1【祖先はいかなる形式で祀るのが本当か?】

A1○第一義的・・・神性を自覚した霊にとっては物質でこしらえたお宮や墓やお堂は不要である

A2○第二義的・・・サトリの境地に達していない霊魂には、宮を欲するものには宮を与え、仏壇を欲するものには仏壇を与えて供養して誠をつくすのが道である


Q2【子孫が祖先のもった宗教と同じ宗教でなくなった場合はどうなるのか?】

A1○第一義的・・・自由自在なわが「生命の實相」(神性)が把握された霊であれば、「ある一定の形式で祀ってもらわねばやりきれない」というようなことはない

A2○第二義的・・・①人間は皆が皆までサトリの境地に達しているわけではなく、完全でないサトリはどこかに片寄りがある、その偏寄(かたよ)りが流派となり宗派となって現れている。
②この偏りがある限り、霊魂になっても一つの宗派をもっている。
③しかし、霊魂もわれわれと同様の一個の人格であるから、生前にもっていた宗派を死後の悟りの程度によって改宗することがある。
④子孫が切実に一つの他の宗教に改宗したい内的要求にかられた場合には、祖先の霊魂の思念が子孫に感応してきている場合が多い。
⑤そういう場合にはその内的欲求にピッタリする宗派の形式でお祀りしてあげればよい。

※しかし、宗教に好き嫌いをしているようでは、まだ信仰に偏寄りがある

5212a hope:2015/03/08(日) 12:07:42 ID:cEpBaIdo

Q3【キリスト教徒が「生長の家の大神」を祈るのに矛盾を感じるが・・・】


A1○<<生長の家の神さまを祈るのと、キリストを礼拝するのと心のうちに矛盾をお感じになるのは、神に関する考え方に偏寄りがあるからです。個人の人間霊は別として、救いの神は一つだということが本当に自覚できていないからです。>>p75 8行目〜 

A2○<<キリストの神と「生長の家の神」とが互いに相容れないようにお考えになるのは、キリストの神だとお考えにならないで、他の神と対立的に存在するような小さな神だとお考えになっている傾きがあるからです。全包容的な神ならば、自己のうちにすべての神仏を包容して少しも矛盾を感じない神でなければならぬ。】p76 6行目〜



Q4【本当の神(全包容的な神・救いの神)とはどのようなものなのか?】


A○<<神はイスラエルだけの神ではない。日本だけの神でもない、キリストが出て来られない前にも人類は救われたのである。それまでは人間を救わずに放って置くような神ならば本当の神ではない。イエスのまだ生まれない以前や、イエスの名の及ばないどんな辺鄙な世界にさえも救いの手のとどいている神であってこそ、本当の神である。>>p75 後から7行目〜



Q5【本当の神はひとつなのに、地上にはなぜたくさんの神があらわれるのか?】


A○<<神の方は一つであるけれども、地上の人間の方は、国々および時代によって習慣や風俗や思想にいろいろ変化がある。そのために、神はその各種各様な人間が救いを受け容れるために時代および国々によっていろいろちがう神となってあらわれなければならぬのです。旧約時代の神とキリストの神とは、大いに変わっている。これは神が進化したためでなく、人間が進化したために神がそれに相応(ふさわ)しい姿で顕われたのである。>p75 後から2行目〜>



Q6【「生長の家の神」の出現の理由は?】


A○<<時代が変わってきて今までの宗教では迷信臭くて入れぬという人のために同じ一つの神ではあるけれども顕現を異(こと)にしてお顕われになったのが、「生長の家の神」であります。>> p76 4行目〜

5213a hope:2015/03/08(日) 12:09:27 ID:cEpBaIdo

Q7【生長の神の特徴は?】


A1○<<生長の家の神さまは、どの神を拝んではならぬとは仰せられない。どの神も同体であるから、どの神を拝んでもよいと仰せられています。>>p76 7行目〜

A2○<<この点においてキリストの神の神髄を伝えているのは「生長の家」です。この点において仏教の本当の神髄を伝えているのは、「生長の家」です。一切包容のすべての宗教の神髄を伝えているのは「生長の家」です。一切包容のすべての宗教の神髄を伝えるために神界に顕われられた一個の天使が――言いかえると一つの救いの霊波――生長の家の大神であるとすると、キリストの聖名(みな)と一緒に生長家の大神の聖名を称えても一向矛盾を感じないのは当然ではありませんか。>>p76 後から4行目〜



Q8【排他的な神は本当の神か?】


A○<<排他的な神は、本当の神ではなくて執着をもった人間の顕現であるか、そうでなければ本当の神をば信者が勝手に人間的に解釈して、人間同様排他的に伝えるのです。>>p76 後から5行目〜



Q9【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】


A<<本当の真理はみな一体というところにあるのです。人間も形の上では個人別別に分かれているけれども、「みんな一体」という真理がわかれば争いが無くなるのです。国家も「みんな一体」という真理がわかれば戦争の必要も各国の軋轢もなく、世界一つになるのです。「みんな一体」だということがわかれば、宗教上の争いも無くなるのです。ユダヤの神、インドの神、日本の神と区別して、彼の国の神は邪神などといっているのです。全包容的な神の前には、邪神としてその神に対立しうるものがないのです。みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

5214a hope:2015/03/08(日) 12:13:05 ID:cEpBaIdo

>>5211>>5213 a hope所感)

p71〜77までの 「五 祖霊祭祀の形式」の所の文章を、Q&A式にまとめてみました。

聖典「生命の實相」の文章は座談会形式になっていたり、論文形式になっていたり、講演会形式になっていたり様々です。

この章は座談会形式になって、参加者の質問に雅春先生がお答え下さるという形でまとめられています。

今回は、わたしが自分自身の疑問を雅春先生に質問しているつもりになってこの箇所をまとめてみました。

ただ、漠然と通読するだけではあやふやだった、「祖霊祭祀に関する真理」がとてもよく理解できました。

特に、Q5の【本当の神はひとつなのに、地上にはなぜたくさんの神があらわれるのか?】と
Q6の【「生長の家の神」の出現の理由は?】いう二つの疑問への雅春先生のお答えは、「へ〜、そういうことだったのか・・・」と妙に納得できました。

世の中の状況がどんなに悪くなっているように見えても、人間の魂は進化し続けているということなのですね。

そしてQ9の【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】という質問のお答えにあたる雅春先生のご文章を拝読すると、
あらためまして全包容的な「生長の家の教え」のすごさが伝わってきます。  

感謝 合掌。

5215a hope:2015/03/09(月) 08:27:22 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p77 後から3行目〜

水田――わたしは今まで神さまというものは近づき難いほど遠いところにいられる方で、どんなに人間が努力してもなかなか神さまのところへ近づけないように思っていました。それにいろいろの宗教でいう神さまとか仏様とかいわれる方が、みんな別々のようでありまして、宗派ちがいの神様を、拝んではならないように説かれる宗教家が多い。まるで神様というものが一つの宗教に立て籠もって排他的に争っているようなんです。そこに非常に矛盾を感じて苦しんでおったのであります。

ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。

それにありがたいことには、今まで神様は遠いところにあるとばかり思っていたが、神様はわがうちにある、神さま!と一念を起こせば、そのままに通じ、神がわがうちに生きてくる。それはちょうどラジオのスイッチを一つ押せば東京の放送でもすぐ自分の内に来て響をたてると同じようなものであることを悟らせていただいて非常にありがたく、常住坐臥つねに神とともにあるありがたさを感じさせていただいてこんな結構なことはないのであります。

もとから、わたしは胃腸が常に弱くて・・・・(この後、体験談が続く)

5216a hope:2015/03/09(月) 08:30:54 ID:cEpBaIdo

>>5215 a hope 所感)

わたしが「生長の家」の信徒になろうと決心したのは、生長の家が「万教帰一の教え」だったからです。

<<ところが『生長の家』を読むと神様はもとは一つということが書いてある。そして千変万化せられて境に従い人に従うてお出でなさるためにいろいろの宗教、いろいろの神に顕われあそばされているということがわかった。それで今までのような排他的な神さまの間に挟まって苦しむということがなくなったのであります。>>

わたしも、聖典「生命の實相」を初めて拝読した時、上の水田さんとほぼ同様の感動体験をし、心が解放されたのを思い出しました。

ですが、いざ信徒になってみると、この「万教帰一の教え」や「人間神の子」を信仰しているはずの「生長の家」が内部分裂を起こし、
信徒同士が裁判で争ったり、悪口を言い合ったりしていました。

そしてわたしの求めていた、全包容的な「生長の家の大神」は雲隠れしてしまっていたのです。

5217トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/09(月) 22:45:49 ID:TIiLraUE
>>5216

 私が生高連時代はもちろん、青年会時代でも、谷口雅春先生の直弟子の方々が多数ご健在
でした。その先生方が、よく、

 「組織が大きくなったのは嬉しいが、教団の雰囲気が全然変わってしまった。」

と嘆いておられたのを思い出します。この原因はいくつかありますが、運動偏重というか、
教団内が形骸化、官僚化し、訳がわからないまま、運動を展開するような状態にあったの
は否定できません。教えへの信仰が、組織への忠誠へと変貌したと思います。「明窓浄机」
を拝読すると、谷口雅春先生ご自身も、同様のご感想を持たれていたと拝察します。

 やはり、基本に還るべきなのでしょう。

5218a hope:2015/03/09(月) 22:51:03 ID:cEpBaIdo
>>5213訂正

下の部分の{   }内の文章が抜けていました。m(__)m

Q9【生長の家の根本的お教え(本当の真理)とは?】


A<<本当の真理はみな一体というところにあるのです。人間も形の上では個人別別に分かれているけれども、「みんな一体」という真理がわかれば争いが無くなるのです。国家も「みんな一体」という真理がわかれば戦争の必要も各国の軋轢もなく、世界一つになるのです。「みんな一体」だということがわかれば、宗教上の争いも無くなるのです。ユダヤの神、インドの神、日本の神と区別して、彼の国の神は邪神などといっている{のでは、かくのごとき信仰を奉じている人がいかに迷いに捉われているかを暴露している}のです。全包容的な神の前には、邪神としてその神に対立しうるものがないのです。みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

5219a hope:2015/03/09(月) 23:15:02 ID:cEpBaIdo

>>5217 トキさま

生長の家の教えの信仰の基本っていったい何なんでしょうか?

>>5218で訂正した文章の中に、

<<みんな一体、宗教も一体、人間も一体、世界も一つ、別れているのは迷いであるというのが「生長の家」の根本的教えになっているのです。>>

とありますが、「生長の家」の根本的教えが、みんな一体、宗教も一体・・・であるのに、
その生長の家が、教団と本流復活派に分かれていること自体、この教えに反していませんか?


別れているのは迷いである・・・・ 


もしかして・・・「生長の家」が 教団や本流復活派に分かれているように見えてしまうのは、わたしの「心の迷い」ということなのでしょうか?

本当は、別れてなんていないのかもしれない・・・

別れて見えるのは、わたしの「心の迷い」なのか・・・

別れてなんかいないのかもしれない・・・

5220神の子さん:2015/03/09(月) 23:57:38 ID:???
「生長の家」の根本的教えが、みんな一体、宗教も一体・・・であるのに、その生長の家が、教団と本流復活派に分かれていること自体、この教えに反していませんか?

貴女も教団と別れているでしょう。人のことは言えないですね。『救い』とは何でしょう。救われたとはどんなことなのでしょう。
私には本流派の方たちは教にとらわれ『自由』になっていない人のように見えますが。

5221大和撫子:2015/03/10(火) 09:20:18 ID:???
現象世界において.「教団」と「本流」に別れているとスクリーンに映って見えても、魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。

5222大和撫子:2015/03/10(火) 09:26:58 ID:???
いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。

5223トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/10(火) 10:14:09 ID:7hgdBF1o
>>5219

a hope様

 「基本」というのは、私自身は、「信」ではないか、と考えています。
藤原俊之先生は、よく信仰で一番大事なのは、「信」である、と言われて
いました。

 教団が分裂しているのは寂しい事ですが、これはよくなるための一過程
ですから、その意味では心配はしていません。

5224神の子さん:2015/03/10(火) 19:13:14 ID:???
>>5221大和撫子さん
魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。


魂の底は神でありますから何も求めてはいないのでありませんか?満たされないものがあると云うことを感じるものは本来存在しない自我ではないですか?

その自我で、何かを信じるのが『信仰』なんでしょうかね。「信仰で一番大事なのは、「信」である」なんて言っている人がいますが、『全てが在ると云う実感』

の人には『不足感』はないですよね。『信』は『自覚』に至る過程でしかないと思うのですがいかがでしょうか。

『全てがある』と信ずることと『全てがある』と自覚する事とはまるで違うと思うのです。

5225大和撫子:2015/03/10(火) 22:00:21 ID:???
神の子様

私の知人に教団を辞めた方かおられました。
その方がこうおっしゃいました。
「甘露の法雨をしっかりあげたり、神想観をしているから救われるとか、願いが叶うという考えが間違えていることに気づいた。そうでないの。私たちは、みな救われ続けていて、すでに神が内在していて、私たちがその自覚に気づいてないだけ」

その知人の話と、神の子様の言われた事がダブってしまいました。
信じることの言葉の意味は、信じなくなる可能性が含まれます。
私たち自身が神であり、それを常に実感し生活していく中に自覚が生じていくのでしょうね。

私自身は、その自覚を深めるため神想観を実修します。
神様が内にあるからこそ、神様を求めてやまないのも事実だと思います。

5226レイ:2015/03/10(火) 22:13:20 ID:1ThqK4Lc
しつも〜ん(^o^)/

生長の家の神様についてどなたか良かたら教えてくらはい。
生長の家の主斎神・副斎神は何か?
神想観は生長の家の大神(住吉大神)に対して祈るって事で良いですか?

『生長の家30年史』の102P〜103Pでは…

さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神トシテ天皇)ヲ礼拝ス」と書いてありますが、

次に宇宙大生命即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明微にするところの導きの神様として心の幽斎する副斎神として生長の家の大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。
この生長の家大神とは誰方であるか、生長の家大神と云う文字の下に括弧をしまして、(『古事記』、『日本書記』に現われたる住吉大神)と申しました。

5227神の子さん:2015/03/10(火) 22:25:46 ID:???
大和撫子さん

ひとこと『神はすべてのすべて』と唱えて実相の世界に慣れて来ると入れます、と雅春先生は言われました。

「すべては一体」と云うことと「神はすべてのすべて」と云うことは同じことを言っているのですが、全てとか全てのすべてをどのように受取るか
が鍵ですね。

5228レイ:2015/03/10(火) 22:26:34 ID:1ThqK4Lc
話の流れをぶった切ってしまったようですが。

ここは博学な方が多いかと思いまして(^人^;)

私は、生長の家のご本尊は生長の家の大神(住吉大神)又は、自分の信じる宗教の神様なら何でも良し、みたいな…今一つハッキリわからないので。。

5229神の子さん:2015/03/10(火) 22:52:38 ID:???

智慧の言葉

宇宙には唯一の實在がある。それは『永遠の我』と云う実在である。

この事実の前に何の神があると云うのでしょう。

5230a hope:2015/03/10(火) 23:58:05 ID:cEpBaIdo

みなさま こんばんは

久しぶりにこのweb誌友会にわたし以外の方々の書き込みが沢山あってうれしいです。

わたし自身は、>>5221>>5225の大和撫子さまの

<<現象世界において.「教団」と「本流」に別れているとスクリーンに映って見えても、
魂の奥底の願いは誰しもが本来は真理を求めてやまないのだと感じます。>>

<<神様が内にあるからこそ、神様を求めてやまないのも事実だと思います。 >>

という、ご意見がとても心に響きました。


そして、>>5223のトキさまの

<< 「基本」というのは、私自身は、「信」ではないか、と考えています。>>

というご意見にも賛同させていただきます。

聖典「生命の實相」に書かれている真理を、素直に信じ行じ続けること、
それが「生長の家」を信仰するということなのではないかと思います。

だから、「すべては一つ」と書いてあれば「ああそうなんだ、すべては一つなんだ」と素直に受け入れることが大切なのではないかと感じています。


そして、レイさまが、「生長の家」の神さまについてご質問くださっていますが、
わたしも、そこのところはとても混乱するところです。

なぜなら、聖典「生命の實相」には、「生長の家」の主斎神・副斎神についての詳しい説明はないからです。


わたしの今現在の認識では、

『谷口雅春先生が、「生長の家」の主斎神・副斎神を決定されたのは、
「生長の家」を教化団体から宗教団体へと変更するために、便宜上、登録されたのが始まりなのではないか・・・。』

というものです。


そしてその理由としては、

『「生長の家」の創始者である谷口雅春先生が日本国に生まれた日本人であり、
当時、当然のように天皇を信仰されていたから』

というものです。


わたしも、聖典「生命の實相」にある「生長の家の大神」と「生長の家」の主斎神と副斎神との関係を、
どなたかにご指導をしていただけるとありがたいです。

5231a hope:2015/03/11(水) 00:20:50 ID:cEpBaIdo

「生長の家の本尊」についての参考資料 

>>1082 〜 復興Gさま謹写 『昭和十五年四月九日午後二時より 名古屋公会堂に於ける講演の速記』

5232レイ:2015/03/11(水) 03:28:21 ID:1ThqK4Lc
レスありがとうございます。

過去ログにあったんですね。
後で、じっくり読んで考えてみます。

主斎神・副斎神を決めたのは、宗教結社にする為の手続きで便宜上の理由で。
だから本当は生長の家では何を拝んでも良い、本尊も無いんだって言っても、じゃあ住吉大神・天皇・天之御中主神はどう位置付けてるのか?
そこらへんは正しく理解しときたいです。

簡単な言葉で書いてあるので私でも読めそうですが、出典は絶版書でしょうか。
これが絶版なら…やはり大変な事が起きていますね。
その後、文部省に変更の申し出をしていないらしいので、結びの神様を祭っている今の教団は既に…ってのは今日はやめときます。

5233大和撫子:2015/03/11(水) 06:57:55 ID:???
私の場合ですが、生長の家の神様は、生長の家は高天原ですから、宇宙創造の一切にみちみちておられる、実相を観ずる歌の歌詞そのものの方でいらっしゃり、聖経「甘露の法雨」の神の項そのものであられると感じております。その神さまの理念そのものが神の子人間であると感じております。

5234大和撫子:2015/03/11(水) 07:58:47 ID:???
神の子様
智慧の言葉をありがとうございます。
神はすべてのすべて…というと、実相を観ずる歌が思いめぐります。
歌詞のごとく、今日も生かされます。
なぜなら、私は神そのものですから。

5235a hope:2015/03/11(水) 09:22:53 ID:cEpBaIdo

>>5232 レイさま

<<主斎神・副斎神を決めたのは、宗教結社にする為の手続きで便宜上の理由で。
だから本当は生長の家では何を拝んでも良い、本尊も無いんだって言っても、じゃあ住吉大神・天皇・天之御中主神はどう位置付けてるのか?
そこらへんは正しく理解しときたいです。>>

レイさまのご意見に同感です。

ここのところのあやふやさが、教団と本流復活派の対立を引き起こす原因のひとつなのではないかとも思えます。

>>5222

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。
天皇國日本實現のために、通らなくてはならない過程かもしれません。
現象世界に別れて映って見えても、そこにとらわれ頭脳智において、何とかせねばと考えてはならないと思います。>>

という大和撫子さまの「天皇國日本實現のために・・・」というご意見を拝見すると、大和撫子さまは本流復活派の方でしょうか?

谷口雅春先生は、七つの光明宣言の冒頭に「吾らは宗派を超越し・・・」とうたっておきながら、
本当に『「生長の家」は天皇信仰でなければいけない』と他信仰を排斥するような宣言をされているとしたら、
それは明らかな矛盾だとわたしは感じてしまいます。

それとも、天皇信仰とは、本来、宗派を超越した信仰なんでしょうか?

どなたか、ご指導をよろしくお願いいたします。

5236大和撫子:2015/03/11(水) 09:47:54 ID:???
a hope様

私は生長の家の聖使命会にも入ったことなければ、どこにも所属していません。
私は、天皇信仰は生長の家の信仰そのものであって、天皇信仰でなければならないではなく、宇宙の真理であり摂理であると自覚しております。
申し訳ありませんが、私にはそれを教授できる能力はございせん。

5237大和撫子:2015/03/11(水) 09:53:34 ID:???
a hope様

参考までに。http://hikarinoshingun.giri.jp/03-aikoku/0304akk-shinomiya-masataka/01tennoushinkou-1.htm

5238レイ:2015/03/11(水) 15:28:07 ID:1ThqK4Lc
読んでみました。
先ず、主斎神をハッキリしたいです。

生長の家は本尊は無いけど、心に幽斎する神って事なら宇宙大生命すなわち天之御中主神(天照大神と一体)と、それが肉体人間として現れた現人神の天皇を祀る…だから生長の家ってのは天皇信仰て事ですかね?

副斎神は、これも本尊は無いけど、心に幽斎する神は生長の家の大神(住吉大神?)…ここもわからんけども、だから生長の家では日の丸を掲げて、その隣に光輪卍十字を掲げる…これが主斎神と副斎神を象徴してる?

難しいですね。。。

5239レイ:2015/03/11(水) 15:37:27 ID:1ThqK4Lc
私も本流復活派ですが。
とは言え天皇陛下は宇宙最高神!皇軍必勝〜!と言われたら引きますね(-.-;)

でも神道系の神、天皇…特に昭和天皇、太平洋戦争で戦った人たちを尊敬する気持ちは、やっぱり日本人として持ってます。
それが侵略戦争だったとしても…まあ、そこは他に詳しい人がいるので。

誌友会のテーマから離れてきて進行しないでもいけないので、この辺で退散します。

ありがとうございました。

5240a hope:2015/03/11(水) 22:51:00 ID:cEpBaIdo

大和撫子さま レイさま

いろいろなご意見、参考文献等をありがとうございます。 合掌。

実は、「生長の家」の天皇信仰については、自分の中ではだいぶ納得してきているのですが、
わたしの認識の仕方は、古くからの「生長の家」の信徒の方々、
特に本流復活派の先輩方には物足りなく感じられてしまうと思うので
これ以上の発言は控えさせていただきます。

>>5222で大和撫子さまが、教団と本流復活派の現象問題に関して、

<<いろんな見方考え方かあると思います。
この考え方が絶対に正しいというのはないと思います。>>

というご意見をくださいましたが、「生長の家」の天皇信仰に関しても、同じように、
<<いろんな見方考え方かあり、この考え方が絶対に正しいというのはない>>という結論にはなりませんでしょうか?

自分jが信じて信仰している「教え」が絶対的な真理であれば、
まずは、自分自身の周りから光明化が始まると信じています。

わたしは、これからも聖典「生命の實相」の真理を信じて、信仰していきたいです。

5241大和撫子:2015/03/12(木) 07:01:05 ID:???

<<いろんな見方考え方かあり、この考え方が絶対に正しいというのはない>>という結論にはなりませんでしょうか?

とのこと。真理はひとつですから。それぞれみな生かされている立場も課題も違います。
あなたがそれで良いならば、良いのではありませんか?

5242a hope:2015/03/12(木) 15:19:04 ID:cEpBaIdo

>>5241大和撫子さま

お返事をありがとうございます。

復興Gさまが、>>1278に<<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>>の続きを謹写してくださっています。

一部抜粋させていただきます。

――――――――――

日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神

でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様

であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒瀆になるとお考え

になっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども

普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙

的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであり

ます。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」

等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神

であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教

の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうす

ると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるの

であります。

―――――――――――

わたしは「天皇信仰は生長の家の信仰そのもの」であるように、「キリスト教信仰も生長の家の信仰そのもの」であり、
「仏教信仰も生長の家の信仰そのもの」であると感じています。

大和撫子さまの、

<<真理はひとつですから。それぞれみな生かされている立場も課題も違います。
あなたがそれで良いならば、良いのではありませんか?>>

というご意見に心より賛同させていただきます。

ありがとうございました。 合掌。

5243a hope:2015/03/12(木) 17:53:45 ID:cEpBaIdo

聖典「生命の實相」のお勉強に戻りたいと思います。

「生命の實相」第16巻 p90〜 の『 九 「戦いの哲学」と「戦い本来無しの哲学」』
では、
高津栄三郎という方が、雅春先生と議論をしています。
高津氏は、「鼠が猫に食われることが調和した事実」であり、戦いの世界こそ「生命」の世界の実相であると主張して一歩も引きません。

この議論好きな高津氏はなんとなく、初心者さまに似ていて拝読していて初心者さまを懐かしく思い出していました。
(そのご主張内容は似ているかどうかはわかりませんが・・・)

初心者さまはお元気でいらっしゃるでしょうか?

5244志恩:2015/03/12(木) 18:22:55 ID:.QY5jUA6
a hope様

a hope様は、お若いのにご熱心で継続力がおありになって、すごいですね。
日々、大変教えられております。

ほんとですね、初心者様は、どうなさっておられるでしょう….。
また、以前のように、さくらちゃんとコンビで出て いらっしゃるかしら?

5245ビックリ ◆KfYRXK6jJk:2015/03/12(木) 23:21:07 ID:p..UGkhA

コンビで出る=同時に出る=同一人物

5246a hope:2015/03/13(金) 07:47:17 ID:cEpBaIdo

>>5244志恩さま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

わたしはなにが本当の「生長の家の教え」なのか、なにが「真理」なのか知りたいだけなのですが、
自分ひとりで勉強していると、どうしても偏りがでてきてしまいます。

わたしはこの掲示板で、志恩さまはじめたくさんの「生長の家」の先輩方に
見守られながらお勉強できる幸せをいつも感じています。

そして、なによりも管理人のトキさまのご愛念に心より感謝しています。

5247トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/13(金) 22:03:59 ID:LUa.pzQ2
>>5246

 いえいえ、いつも粘り強いご投稿に心から感謝申し上げています。
今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5248a hope:2015/03/16(月) 08:39:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p108 後から6行目〜

高津―― 猫が鼠を食わなければ何をたべて生きるのです。

谷口―― 猫と鼠は一緒に草原に寝転んで草を食って相戯れているような状態が「実相の世界」なのです。生命は互いに奪い合い食い合わなければ生長進化できないというのは実相を知らぬ「迷い」です。その「迷い」が客観化(かたちにか)されたのが、互に食い合う生命なのです。「迷い」がなくなれば「迷い」の具象化である現象生命の「食い合い」もなくなるのです。『生長の家』誌友には心一つで鼠と猫を調和させた実例がたくさんあります。

高津―― そんなことは信じられません。仮に猫が鼠を食わず、あらゆる動物が食い合いをしなくなっても、人間の痛みや苦しみはなくならない。たとえば地震とか津浪とかいう天変はなくなりはしない。そういう苦しみに出遭っても悩まないように悟らせるのが宗教家の役目です。

谷口―― わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。あなたのおっしゃる救いは、苦しみは苦しみのままで諦めてその苦しみから解脱する救いですが、わたしが説くのは現実の苦難そのものの諸共(もろとも)に救われるのです。悟りと同時に病気が治り、境遇も環境もよくなるのです。

高津―― たとい現実に地震も起らなくなるとしても、それは幾十億劫後の世界のことでしょう。それはありうるかもしれない、無いかもしれない。そういう世界を空想して現実の苦しみを救うことはできない。現実の苦しみを救うには、現実の苦しみに突き入って、苦しみは苦しみのままでそこに生命が生きているという真理を悟らせるようにするしか仕方ないでしょう。

谷口―― 地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するのです。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。・・・(略)

5249a hope:2015/03/16(月) 08:42:08 ID:cEpBaIdo

>>5248 a hope所感)

ここのところの高津氏と雅春先生のやり取りは、とても興味深いです。
現象世界に生きて、実際に病気になったり災害にあったりしているわたしたちは、
高津氏同様に雅春先生のこのご指導内容を、すんなりと受け入れることはむずかしいのかもしれません。

しかし、雅春先生は、

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と、

つまり、人間の心が清まり「神の心」が顕れれば、地震や津波は起れなくなる。
たとえ、人類の心が清まらなくても、「一個人の心が清まれば、地震や津波はその人を害さなくなる」と、そう断言されています。


一方、現「生長の家」教団の総裁、雅宣先生は

<<生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。>> >>4657 

というとても自分勝手な、雅春先生とは全く正反対の「物質在り」の見解をされています。
ですから、雅宣先生率いる「現生長の家教団」は人間、一人一人の心を清める個人救済をおろそかにして、
ソーラーパネルだとか、電気自動車等という物質的解決方法にばかり走ってしまうのだと思われます。

それはまったく本来の「生長の家の教え」からかけ離れた運動だと感じています。

5250神の子さん:2015/03/16(月) 20:01:07 ID:???
<一人一人の心を清める個人救済をおろそかにして・・・・それはまったく本来の「生長の家の教え」からかけ離れた運動だと感じています。>

ということですのでa hopeさんにお聞きします

<つまり、人間の心が清まり「神の心」が顕れれば、地震や津波は起れなくなる。
たとえ、人類の心が清まらなくても、「一個人の心が清まれば、地震や津波はその人を害さなくなる」と、そう断言されています。>

どの程度の心になると『清まった心』といえて『神の心』が現れたと云えるのですか?

神の心の雅春先生が戦後執筆追放になったのはどうしてですか?GHQの支配下になど成るはずがないのではありませんか?

東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?

東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか?

5251トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/16(月) 20:11:19 ID:irEswSAY
>>5250

曳馬野様、ご投稿ありがとうございます。
web誌友会にご参加のおりは、ご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5252トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/16(月) 20:24:48 ID:irEswSAY
>>5250

曳馬野様

 横レス、失礼をします。

 なかなか、面白い事を言われますね。

 私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても
砂上の楼閣だという解釈をしています。生長の家の歴史を省みると、この個人救済
を軽視しての運動は行き詰まると私は感じています。それが違うというのなら、
曳馬野様が率先して見本を見せてください。他人様を批判する以上はそれなりの
覚悟はお持ちだと思います。よい見本を期待しています。

>>神の心の雅春先生が戦後執筆追放になったのはどうしてですか?

 ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由
になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。後年の信徒のなかには、
谷口雅春先生を異常に神格化し、抽象化する動きがあります。が、谷口雅春先生の
直弟子の方々はこういう事を嫌われました。

>>東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか?

 これは「神 真理を告げ給ふ」は拝読するとわかりますが、霊的な観点から、戦争
や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こうい
う戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。現に、生長の家の信徒は、
現在でも”世界平和の祈り”をしています。

5253a hope:2015/03/16(月) 22:37:05 ID:cEpBaIdo

トキさま

やはり>>5250の「神の子さん」は曳馬野さまなのですね。

わたしは、今後ハンドルネームが「神の子さん」からの質問には一切お答えするつもりはありません。
神の子さんはたくさんいらっしゃいますから、いちいち質問に答えているとこちらが混乱してしまいますからね。
まして、その「神の子さん」が曳馬野さまなのであれば、余計にお答えする必要はないと思っています。

トキさま、わたしの代わりにお答え下さりありがとうございます。
トキさまのご意見に賛同させていただきます。

5254a hope:2015/03/16(月) 23:38:40 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p112 5行目〜

谷口―― 『生命の實相』を読んでも心が真にそれに共鳴せず、実相を悟ることができない人は治らないのです。真理は種であるから、それを植えても生えない不毛の地や石地に播いては生えないけれども、それは真理という種がわるいのではない。十本の同じ種を植えて、半分も生えれば、その種は生える力がある、生えないのは土地が悪いのだと断定してもよいでしょう。

人間は心的存在ですから、酸素に水素を交えたら必ず水ができるというふうに、人間に「生命の実相」を混ぜたら必ず病気が治るというように一定の結果を生ずるわけにはゆかない。「生命の実相」を話せば話すほど、素直に受けないで、議論できるだけ反撥して来られるあなたのような人もある。だから「生命の実相」を受ける心の相異に従っていろいろの結果を生ずるのです。しかし、それを読んだ大多数の人々が病気から救われている事実を否定することはできません。

5255a hope:2015/03/16(月) 23:39:43 ID:cEpBaIdo

>>5254 a hope所感)

わたしは、「生長の家」の信徒であれば、聖典「生命の實相」に書かれてある真理には反発などせずに素直に受け入れるのが当然だと思うのです。

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と聖典に書かれているのですから、わたしたち「生長の家」の信徒は、素直にそれを信じて、
一人一人が心を清める努力をすればいいのだと思います。

そうすることが「生長の家」を信仰するということなのではないでしょうか?

5256神の子さん:2015/03/16(月) 23:58:42 ID:???

>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」

個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?

「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
   「頭注版一巻p37」

幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。

>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。

「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。

5258トンチンカン:2015/03/17(火) 00:33:11 ID:r6TJQSCM
>>5257 削除ねがいます!!

5261トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/17(火) 10:29:29 ID:BpP5RmUI
 これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。
この板は、誌友会のための板ですので、以後の議論は、別の場所でお願い
申し上げます。
a hope様、続けてください。

合掌 ありがとうございます

5262神の子さん:2015/03/17(火) 18:50:17 ID:???
>>なかなか、面白い事を言われますね。
>>これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。

面白いことをと揶揄しながら、雅春先生も自在境にはいない、と書き、反論されると「不用意なことを書いた」という。
不用意で書くかね、そんなことを。いつもそのように思っているから書くのじゃないかね。

5264トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/17(火) 21:31:12 ID:BpP5RmUI
曳馬野様
トンチンカン様

 ご投稿、ありがとうございます。
たいへん恐縮ですが、誌友会と直接関係がない話題は、
できれば、他の板でお願いします。

 勝手なお願いをして、すみません。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5267神の子さん:2015/03/18(水) 06:03:39 ID:???

5261 :トキ ◆AXzLMGIbhk :2015/03/17(火) 10:29:29 ID:BpP5RmUI
 これは私が不用意なことを書いたことが原因です。お詫びします。 この板は、誌友会のための板ですので、以後の議論は、別の場所でお願い
申し上げます。  a hope様、続けてください。 合掌 ありがとうございます


5264 :トキ ◆AXzLMGIbhk :2015/03/17(火) 21:31:12 ID:BpP5RmUI
曳馬野様 トンチンカン様
ご投稿、ありがとうございます。たいへん恐縮ですが、誌友会と直接関係がない話題は、できれば、他の板でお願いします。勝手なお願いをして、すみません。
 合掌 ありがとうございます 管理人敬白
***************************************************
このような寝言を言う暇に、ご自分のまいた種の刈り取りをしたらよいのでは。a hopeさんの誌友会版での発言が、東北大震災で苦しみにあえぐ人たちは
「こころの清くない人達だ」と云う意味の真理解釈をしたから、それに疑問を呈した。それに対しa hopeさんは答える義務はないと云い、あなたは「横レス失礼します」

と書いてある通り代理で答えたのです。その前文が「おもしろいことをいいますね」であり内容が「雅春先生も自在境にはいなかった」と述べた。
それに対し「個人救済こそ生長の家の基本」との分派、a hopeさん、トキ管理人に生命の実相より引用して生長の家の説く「救い」とは何かについて書いた。

それについて薔薇の花氏名の通りのトンチンカン氏ガトンチンカンな反応をしている。管理人になって寝言を言う前に、「トキ」と云う一人の人間が蒔いた種の後始末を
したらいかがですか。

「個人救済こそ生長の家の基本」「雅春先生も自在境にはいなかった」に対する私の反論に。是こそ誌友会版の趣旨にかなっものでしょう。

5268a hope:2015/03/18(水) 08:14:28 ID:cEpBaIdo
みなさま

上の神の子さんの

<<a hopeさんの誌友会版での発言が、東北大震災で苦しみにあえぐ人たちは
「こころの清くない人達だ」と云う意味の真理解釈をしたから、それに疑問を呈した。それに対しa hopeさんは答える義務はないと云い、>>

のご発言は事実ではありません。

曳馬野さまやさくらさまや初心者さまは他人の発言を正確に引用せず、
ご自分勝手に曲解して表現されます。

わたしは、聖典「生命の實相」のお言葉をそのまま引用して所感を述べているだけです。

嘘ばかりつく曳馬野さまのご投稿にはお返事をするつもりはありませんが、
>>5267の投稿は事実でないので反論させていただきます。

5269a hope:2015/03/18(水) 08:44:41 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p124 8行目〜

自分は完全な生き方をしていない淋しさというものを紛らわせようとしているほかない努力が飲酒喫煙壁でありますから、酒煙草をというものを止めさせる方法はどうしたらいいかというと、良人が飲酒家(さけのみ)であるとすれば、「あなた酒やめなさい、酒やめなさい」と言うだけでは良心の咎めを増すだけでなんにもならないのです。・・・

5270a hope:2015/03/18(水) 08:48:54 ID:cEpBaIdo

>>5269 a hope所感)

わたしも独身時代にはお酒をたくさん飲みましたが、やはり淋しさを紛らわすためでした。
ですが、どんなに酔っ払ってその場の淋しさや不安を紛らわすことができても、しらふにもどれば、自己嫌悪感が増すだけでした。

<<本当にこのままで完全に生きている。誰からも咎められない、ごまかしていない、良心の囁きに背いていない、という自覚ができて魂が本当に内部から喜んでくれば、良心に咎められる淋しさの感じがなくなるから、頭脳ラジオ・セットを麻痺させる酒煙草の必要がなくなってくるのであります。>>

「良心」とは、「神の心」の顕れだと思います。

平気で嘘ばかりつく曳馬野さまには、良心の咎めはないのですか?

聖典「生命の實相」の真理を勉強する誌友会を妨害する曳馬野さまたちの目的が何なのか詮索するつもりはありませんが、
少なくともわたしは真面目に「真理」の勉強をしていますので、これ以上の妨害はご遠慮願います。

5271a hope:2015/03/18(水) 08:56:13 ID:cEpBaIdo
>>5269 訂正

飲酒喫煙壁→飲酒喫煙癖

5272a hope:2015/03/19(木) 09:51:32 ID:cEpBaIdo

生命の實相 第16巻 p141〜の「第五章 国と家庭を良くする話」はとても示唆に富んだ内容です。

現在の「生長の家」は教団と本流復活に分かれて一方は家庭生活の方法を見直すことから環境保護する運動をしていますし、
一方は日本国実相顕現を目標に掲げた政治的運動をされているようです(間違いがあればご指摘ください)。

どちらの運動も「国や家庭を良くするため」の運動なのだと思うのですが、はたして、そういう外界に働きかけ、
外界から改造していこうとする運動は本当に雅春先生の御心にかなった本来の「生長の家」の運動なのでしょうか?

ここの章で、雅春先生は物質的援助をすることで貧しい家庭を救う運動をされている滝村さんという方と対談しながら、
とても重要なお話をされています。

その対話内容を少しずつ謹写していきたいと思います。

5273a hope:2015/03/19(木) 09:53:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p152 後から2行目〜

滝村―― 夫婦仲が悪くなるのは下層階級ではその貧困が非常に原因しているように思います。毎日生活問題で夫婦が罵り合っている。貧困さえ無くなれば夫婦仲がよくなると考えられる場合がたくさんあるようです。


谷口―― 滝村さんは貧民階級をよく研究していられるから貧民の夫婦喧嘩が目について、その原因が貧困だという結論を下されるのでありますが、貧民はそうして貧困を題材にして夫婦喧嘩をしますし、金持ちは金持ちで、その富貴を題材にして夫婦不仲になるようです。   ・・・(中略)・・・

どうしても人生の幸不幸というものは、心に帰すべきで、心を治さないで形だけ直しておくのでは、球根を保存しておいて芽をつむようなもので、また別の芽がでてくるのです。

5274a hope:2015/03/20(金) 09:35:02 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p155 後から4行目〜

谷口―― ・・・(略)・・・
それは貧民にも病人もある。滝村さんは貧民の方をよく眺めているから、貧民が病気になるのを、貧しいことが原因だと思われるかもしれないが、この辺の富豪地帯で金持ちばかりの家庭で病人が絶えないのを眺めていると、金があるのが原因で病気になっているものだとも思える。

実際金持ちくらい気の毒なものはいないとも言えます。金があるためにいろいろの財産上の争いや、男女間の争いが暗黙の間に起って、病気はともかく、そのために家庭地獄を現出しているのです。


滝村―― しかし、貧民の苦しみと富豪の苦しみとを比べれば、富豪は勝手に放肆(ほうし)な生活をして苦しんでいるので、止めようと思えばやめられる苦しみを、勝手にやっているのですが、貧民は他から圧迫されてやむをえず苦しんでいるので、その苦しみ方が非常にちがうと思います。


谷口―― そうでしょうか。それならあなたがその貧民という人を一人ずつ伴(つ)れて来て、過去の清潔や心の持ち方をいちいち吟味して御覧になれば、必ずや、その貧民は今の貧しい境遇位置を受けるに相応(ふさわ)しい点数の心の持ち方をしてきたに違いないことを認めうると思いますが。境遇を作るのは心であって外界の圧迫ではないということを。


滝村―― (苦笑して)はたしてそうでしょうか。

5275a hope:2015/03/20(金) 09:40:28 ID:cEpBaIdo

>>5274 a hope所感)

現在の日本では様々な医療制度や生活保護制度等が充実してきていますから、この対談が行われていた当時とは状況が随分変わってきていて、
貧民だから医者にかかれないということはほとんどないのではないでしょか?

それにしても滝村氏は雅春先生の「環境(境遇)は心の影」という話を聞いて苦笑されていますが、
ごく一般的な常識をもつ人間であればこの「生長の家の教え」はずいぶん常識外れに聞こえてしまうのでしょうね。

5276a hope:2015/03/20(金) 10:01:46 ID:cEpBaIdo
>>5274訂正 

過去の清潔→過去の生活

5277トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/03/20(金) 20:46:05 ID:6cceFPIw
>>5274

 その通りですね。世間の人が聞くと、反発する人も多いかもしれません。
貧しさをバネに成功した人もいますが、最近は、貧しさ故の不幸ばかりが強調される
ので、それを言い訳にする人も多いのでしょう。

 稲盛和夫先生のご著書を読むと、実家はものすごく貧乏で結核になり、前半生は
ものすごく不幸でしたが、生長の家に触れて人生が変わり、今日の成功者になられ
たとかかれていました。そうすると、貧乏なのも、結核になられたのも、それで
信仰に触れられたのですから、意味があったとも言えます。

 どんな境涯でも、真理を学ぶ事の大事さを痛感するのみですね。

5278答えてねトキさん:2015/03/21(土) 01:11:03 ID:tPqHKCtk

>>私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。
>>ところで、この人間の世界にいる限り、私たちは誰も現象の世界の法則から自由になる事は難しいです。これは谷口雅春先生でも同じです。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのものなる大自在の境地
…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。「頭注版一巻p23」

個人救済は言葉の響きはよろしいが、a hopeさんのような原理主義的な解釈を引用文にするのであれば、救われているはずの雅春先生は大自在境に達していなくては
ならない。然るに貴女は雅春先生でも自由になる事は難しいことであるという。「引用の真理」が正しいのか、はたまたあなたの言うことが正しいのですか?
雅春先生でさえ大自在境に達していないというのであれば、どこに個人救済などありますか?

「縦には、未来世に病気、その他の不幸の芽を出す業因を蒔かない工夫をしなければならない。すなわち罪を犯さないでもこの世に生きられる工夫をしなければならない
のであります。横には現在われわれが接触する環境を浄めて、「生命」が苦痛や病気という手段を使って自衛を講ずる必要のない天国浄土のような環境をつくるように
しなければならないのであります。ところがこの環境というものが一方においては自身の念の影なれども、同時に念はまた環境の陰であって、二つ向かい合わせた鏡の
ように環境と念とは互いに影響しあうものであります。毅然とした強い念は環境の方を征服しますが、弱い、発達の程度の低い念は環境に征服せられるのであります。」
   「頭注版一巻p37」

幼いたましいの唯物論を信じる中国のの人々は、自然破壊なんて何のそので真っ黒な煙をまき散らしています。日本人にして生命の実相を読んだにしてもろくすっぼ救わ
れない幼いたましいの人間が多いのであれば、自然破壊を防ぐことにより、過去の日本のように自然の中で自然とともに生きた故郷と云う言葉のイメージが生きている
世界を自然環境から取り戻すとは大事なことであると思います。

>>霊的な観点から、戦争や大災害が起きる意味が説明されています。ただ、魂の向上が目的ですから、こういう戦争や大災害という手段が必須ではないのは当然です。

「魂の向上が目的ですから」こういう言葉を言うから聞いているのです。心の清いものは災害に会うことはないというのが真理と云うから、災害に会った人は心が清く
ないのかと、あなた方は魂の進歩の為に災害に会ったと、腹の中では思うですかと。

5279るん吉:2015/03/21(土) 09:45:17 ID:p..UGkhA

環境は心の影 つうときね、悪い心の影、良い心の影。←(これが清い心の影か?)

というけど、悪い心というのは「清くない心。」つうよりどっちかいうと「物事を悪く考えてしまうネガティブな心」「くよくよする心」

のことじゃないですか?と言うことは、その反対に「清い心」っちゅうのは「物事をくよくよ考えないで、楽観的に考える心」「明るい心」

じゃない?

5286神の子さん:2015/03/21(土) 19:30:07 ID:tYFyomJk
「私個人は、個人救済が基本であり、この基本を無視して国家や環境を語っても砂上の楼閣だという解釈をしています。」とトキさんが云い、a hopeさんが同意したのです。

勿論a hopeさんは以前から「個人救済」止めて「環境問題に特化した点」が教団の最もおかしな点としています。

ですから「個人救済が基本」という「救い」の意味を問うているのです。

なぜこれが勉強の邪魔になるのですか?お二人の説が正しいのであれば『生命の実相』に書かれた引用文の意味はどう解釈したらよいのですか?

批判だ邪魔だとかいう前に答えるべきだと思いますが。

5287神の子さん:2015/03/21(土) 20:01:46 ID:tYFyomJk
「自分勝手に間違った前提を作り、」

どこがどう自分勝手の間違った前提なのですか?

5288a hope:2015/03/21(土) 20:22:18 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p157 後から7行目〜

滝村―― ふつうの常識では、病気になれば医者にかかれば治ると思われているのですが、そういう常識に捉われている貧民が病気になっても医者にかかることができないのは悲惨なのです。


谷口―― そういう場合、医者にかかる金を与えるのが救いになるのか、あるいは人間は医者にかからなくとも治りうる自然療能を備えているという真理を知らしてやるのが本当の救いになるかは考え物です。

医者にかかる金を与えればその時は仮に医療費にありついて救(たす)かるかもしれないが、その金がなくなれば、二度目はまた救からないが、真理を知って自然療能の尊さを知って救かったら永久に医療費が要らなくなるから、無限の医療費を貰ったということになるのです。だから「生長の家」の真理を知らしてやることは彼らに無限の医療費を供養することになるのです。

5289a hope:2015/03/21(土) 20:23:43 ID:cEpBaIdo

>>5288 a hope所感)

医者に医療費を払えない様な教養のない貧民に『「生長の家」の真理を知らせる』には、
具体的にはどうすればいいのでしょうか?
この後、滝村氏はさらに雅春先生にそのことについて質問しています。

続けて謹写していきます。

5290a hope:2015/03/21(土) 22:26:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第16巻 p158 4行目〜

滝村―― ところが、「生長の家」の真理はなかなかむずかしい。教養のない貧民にそれをしらせてやることはとうてい不可能のことだと思います。


谷口―― 決してそれは不可能ではないのです。医者の薬が病気を治すということも、貧民がそれを研究して知っているのではないのです。ただ一般にそういうから、その宣伝に乗ってそう思っているだけです。そして金がなくて医者にかかれないことを不幸なんぞのように思って苦にやむのです。

わたしに言わせれば、 医薬費を出しうる富豪の方が、医者にいい加減にゴマ化されて、軽い病気でも重く言われたり、あるいは恐ろしい病名を宣言されるだけで恐怖心を唆(そそ)られたりして、かえって病気を重くしている例の方が多いと思うのです。

その点は貧民は、病気にかかっても医者にかかる金がないと背水の陣を布いてしまっているから、罹病率が非常に少なく、自然療能に頼るしか仕方がないから、自然療能が強くて病気がはやく癒えるのです。貧民は貧乏だから病気に罹ってかわいそうだとあなたは言われるが、わたしに言わせれば金持ちは医薬費があるから病気に罹りやすくてかわいそうだとも言えるのです。

薬そのものに癒す力がないということは医薬を十分研究している医者自身の方が知っているのです。普通の人は医学を研究したことがないから宣伝だけで雷同して薬の卓効(たっこう)を信じているのですが、そんなものではないのです。

先日も・・・(中略)・・・

要するに一般人が医者の薬を効くと思っているのは、一般人が深く医学を研究してみた上で信じているのではない。この実話でもわかるとおり、研究している医者自身はかえって薬効を深く信じないで、ただ宣伝にかかっている素人だけが、信じているのです。

なんでも大衆というものは、自分で研究もしてみないで宣伝のとおりに信ずるものですから、「生長の家」の真理でも、深くそれを読みこなして、本当に真理を摑むことは至難であるにしても、「人間の病気は薬よりも自然療能を喚起すれば治る」という結論だけを信じさせることは、社会の先達の位置にある知識階級が宣伝するだけでよいのです。宣伝すれば大衆は信じて幸福を得るのです。

ところが現在では、貧民は栄養不良で、過労で、生活環境が悪いから病気に罹る、そして病気に罹れば薬がないと治らないというような宣伝ばかりが多く行われているから、貧民を恐怖さし、貧民の頼りうる唯一の医者たる自然療能を鈍らし、どんな不遇にもズンズン伸びて行ける生活力の芽を刈りとってしまって、貧しい人をいやが上にも不幸に押し込んで陰惨な状態に陥れているのです。

5291a hope:2015/03/21(土) 22:30:25 ID:cEpBaIdo

>>5290 a hope所感)

わたしは、病気になれば医者にかかり薬をもらって服用していますし、家族もみなそうしています。
現代の日本では、ほとんどの人が医者にかかることが出来ると思うので、
この対談の当時の状況とはずいぶん変わってきてしまっていると思います。

しかし、医学の進展した現代であっても、不治の病は存在しますし、
いくら薬を服用しても全く効果のない場合もあると思います。

それになによりも、「真理」を知って一生医者にかからず健康でいられるのならば、
それほど幸せなことはありませんよね!


以前、どこかで「生長の家の教え」にハマるのは、インテリが多い、と聞いたことがあります。

>>5277でトキさまご紹介の稲盛和夫氏もしかりですね!

わたしは自分にインテリジェンスがあるとは思っていませんが、勉強することは大好きですので、
「生命の實相」のような霊的波動の高い内容の本を読破していくことに魂の悦びを感じます。

「生命の實相」は拝読するだけで、魂を向上させ、「真理」を悟ることが出来る「聖典」なのですから、
「生長の家」にご縁のあったわたしたちにとっては「必読の書」ですよね!

5292a hope:2015/03/21(土) 23:14:42 ID:cEpBaIdo

>>5279るん吉さま

>>5248で、雅春先生が、

<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するのです。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。
地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することはできない。>>

と「真理」をご説明くださっていて、その文中に「心が清まる」という表現があるのですが、
どなたかが、そのことを大きく曲解されて、

<<東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?
東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達ですか? >>

と的外れな質問されているようですが、


わたしは、世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。

ここで雅春先生がおっしゃっている「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。
だから、真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。

また、どんな人間でも「実相の心(神の心)」の周りを包むツミ(迷い)を取されば、
そのままの清まった「神の心」が顕われて、悟ることができるのだとも思います。

そして、本来「悪い心」などない、「清くない心」などもない、 
『わたしは「神の子」うれしい たのしい ありがたい』というのが、
「生長の家」の実相独在の真理なのだとわたしは信じています。

5293神の子さん:2015/03/22(日) 05:49:08 ID:8wK9.k12

>>5248で、雅春先生が、
<<わたしに言わせれば三界は唯心の所現ですから、地震とか津浪とかも、われわれの心が清まれば起こらなくなるのです。>>
<<地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するので
す。しかし、一個の人の環境がよくなるのは、その人一人の心がよくなればよいのです。地震や津波があっても、心に地震や津波がなくなった人を
その天災は害することはできない。>>

と「真理」をご説明くださっていて、その文中に「心が清まる」という表現があるのですが、どなたかが、そのことを大きく曲解されて、
<<東北大震災の津波で亡くなった人達は皆さん心の清くない人達と云うのですか?東京大空襲で亡くなった10万人の人たちは心の清くない人達
ですか? >>と的外れな質問されているようですが、わたしは、世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。

**これこそ『実相』を観念で捉えている観念論です。「われわれの心が清まれば起こらなくなるのです」「清まれば」と書かれているのです。
変化していく心を問題にされています。「世の中に心の清くない人など一人も存在しないと信じています。」この言葉は『実相』の概念に自己満足
している姿です。

ここで雅春先生がおっしゃっている「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。
だから、真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。

**「地上に地震や、津波がなくなるのは地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから、その遅速は、地上全体の心の清まる遅速に関するの
です」ここに「地上全体の【生物の心】が清まらなくてはならない」と書かれています。地上全体の【人間の心】が清まらなくてはならないと書か
れてはいない。動物が、植物が悟りますか?「心が清まる」という意味は、「真理を悟る」と同義だと思うのです。とのa hopeさんの意見は
「生物の心」と書かれていることを見落とした自己解釈です。
「真理を悟っている方にとっては、たとえ現象に地震や津波が現れていても、それは影でしかないと思います。」これも同じで、
「「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、救われるということはわれわれのたましいが個性をもちながらも神または仏そのもの
なる大自在の境地…欲しいと思う事物はそこに現れ、欲せざる事物はそこから姿を消すというような大自在境にに達するということであります。」
       「頭注版一巻p23」
に反する発言です。現象だから悟れば気に掛からなくなるなんてことは言っていない。「心に地震や津波がなくなった人をその天災は害することは
できない。」との言葉にも反します。
「地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから」からこそ動物を殺して食べるのはやめよう、安いからと外材の輸入をすることで、穀物を生産
する場の確保のためとして材木の伐採をすることは止めよう、との今の教えがあるものと考えます。生命の実相か忘れましたが、屠殺の時に牛が涙を
流す場面が書かれ、食肉の為に動物を殺すことの罪悪について書かれたところがあります。杉檜の植林によってどんぐりの木椎の木などの雑木と呼ば
れる木々の伐採により、山の動物の食物を奪う結果を造り今里に猪、鹿の出現を見ています。昔はまがった松を上手に利用し棟木にしました。
人間の欲のための植林をしながら、今は外材に押され、林業の跡継ぎも減っている有様です。間伐さえままならない所もあります。

食事から食肉文化が無くならない限り「地上全体の生物の心が清まらなくてはならないから」という『生命の実相』の言葉は成就しないのです。
この言葉の成就を目指して教団は進んでいると考えます。

「そして、本来「悪い心」などない、「清くない心」などもない、 『わたしは「神の子」うれしい たのしい ありがたい』というのが、
「生長の家」の実相独在の真理なのだとわたしは信じています。」なんて浮かれながら肉食をするのですか?a hopeさん

5294神の子さん:2015/03/22(日) 06:09:51 ID:8wK9.k12
簡単に言えば食肉にされる動物の嘆きの声、樹木の伐採による食物の減少による動物の嘆きの声、人間の欲望による開発のため伐採される樹林の嘆き、


これらが無くならない限り、「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」の言葉が実現することはない。

そのための運動がなぜ『生命の実相』に反する事なのですか?ノーミートなんてと云うあなた方こそ『生命の実相』に反することをしているのです。

5296神の子さん:2015/03/22(日) 09:29:38 ID:8wK9.k12
>>5295
深海魚さん わたしはトキさんのように卑怯ではありませんので、縹さんと同じく普通に返事しますね

棚口雅敏さんは聖使命会員なんですか?そして世界の平和を願っているのですか?

であれば遺憾と申すべきですね、そうでなければ何の問題もありません。

あくまで、生長の家を信じるという人間に対していっているのですから。

こういった掲示板なりブログなりで生長の家の真理の能書きを言う人に対してのものですので、只静かに自分は信じているという立場の人が
どんな行動をしてもそれは構いません。

5299神の子さん:2015/03/22(日) 11:58:26 ID:8wK9.k12

<雅敏さんは、聖使命会員であるかどうかは、知りません。しかし、そんじょそこらの一般人でもありません。雅宣総裁のたいせつなご長男さんです。>

親鸞聖人も息子の善鸞がよからぬ教えを説いたことで勘当しています。よく兄弟がどうのこうのと云われますが、秩序を破ることをしているのではありませんか?
真理をないがしろにするもの、秩序を破るものには義絶は仕方ありません。息子ではありますが大切なと云うことはないでしょう。

<で、彼は、「世界平和」を、願っている人か、願っていない人か、どういう精神のお方か、神の子さんには、おわかりでは ないのですか?>

知る由もありません。

<雅敏さんも、ここをご覧になっておられるとおもいますが>

こんな想像での発言では以下の発言には意味がありません。

<全世界の人が、肉食をやめないかぎり、世界が清まらないという新宗教みたいな考え方は、極極狭い範囲の人間たちしか共感できないマスロビィクス的な考え方で、こんなことを
いってはわるいですけれど、そのような考え方を強要される教えでは、いづれ、近い将来、限界がくると思えております。 >

「地上全体の生物の心が清まらなくてはならない」は『生命の実相』に書かれていることで地震津波等の大規模災害の起きる原因であると神が書かせ雅春先生が筆を執ったという
聖典に書かれていることです。

私の解釈が違うというのなら、まずあなたがトキさん、a hopeさんに代わりに解釈してください。聖典の解釈の相違を論じることが誌友会の邪魔をすることとは考えません。


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