したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

避難用作品投下スレ5

1管理人★:2009/05/28(木) 12:49:59 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

566想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:50:47 ID:6Ze9kqqQ0
 ――残り六時間。

 職員室の全員が作業を中断し、ようやく表に出てきた『主催者』の放送を聞き終えたとき、那須宗一がまず思ったのがそれだった。
 要は昼になれば向こう側から仕掛けてくるという寸法だ。つまり、泣いても笑ってもそれまでに体勢を整えなければならない。
 宗一自体は首輪の構造自体は既に把握しており、手持ちの荷物で解除できることも確認していた。

 首輪の仕組みは拍子抜けするほどあっさりとしたもので、お粗末なものだった。
 遠方から電波を受信し、番号をチェックした後に信管を作動させ爆発する。
 だが首輪が自爆するにはとある回路が引っ張られるのを感知したとき、という杜撰さであり、
 ここにさえ引っかからなければいくら分解しようが爆発することはない。しかもこの回路は生死判定も行っていた。
 事前に信管さえ抜いておけば爆発するどころか死亡判定も出ないという有様であり、
 ひとたびひっくり返してみれば高校生、いや中学生でもどうにかなってしまうほどの代物でしかなかった。

 そんなところまで元ネタの小説と被せなくていいだろうにと宗一は呆れながらも、
 和田透の情報がなければこんな事実も知りえなかったのも事実だった。
 無様だ、と自虐するつもりはなかった。可能性は既にこちらの手の中にある。
 後は皆の糸を結び、強固なものにしてゆくだけだ。

 もう俺は、絶望なんて感じない。守ってくれる頼もしい味方がいる。信頼できる仲間がいる。そいつらと一緒なら地獄にだって行ける。
 ゆかり。七海。皐月。エディ。夕菜姉さん。俺にもようやく、帰る家が見つかったよ……

 ある者は苦笑し、ある者は笑顔で応援し、ある者は遅すぎだと呆れ、ある者はただ見守り、ある者は静かに頷いた。
 それぞれ全く別の反応でありながら、そのどれもがやさしい。
 全員の姿が網膜の裏に溶け、消え失せた瞬間に、宗一は叩いていたキーボードの音を止めた。
 作業完了。後はリサ=ヴィクセンに伝えようかと席を立ったとき、ガクッと膝が落ちた。

 力が入らない。自分でも驚くほどに。
 よくよく思い出してみればここまで不眠不休で働いてきた結果なのかもしれなかった。
 とうとう体も限界というところか。前準備が終わって、張り詰めた糸が切れたのかもしれない。
 へらへらと笑っていると、自分の状態を察知したらしいリサが肩を叩き、手を差し出してくれた。

567想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:51:06 ID:6Ze9kqqQ0
「ちょっと休んだら?」
「そうさせてもらうか」

 手を取り、少しは活力を取り戻した体を立たせる一方、作業が完了したことも目線で伝える。
 黙って頷いたリサは完全に立ったのを確認すると「ほら行ってきなさい」と軽く背中を押し出した。
 よろめきながら後ろ目に職員室を確認してみると、高槻は椅子にもたれ掛かって寝息を立てており、
 一ノ瀬ことみも芳野祐介もその姿はない。どうやら自分が最後だったようだと判断して「ビリだったか」とおどけてみせた。

「残念。ブービーよ」

 自らを指したリサが唇の端を吊り上げる。額面にも出さないが、リサだって疲れているに違いなかった。
 そういう部分はやはりリサの方が格上かと素直に認め、宗一は「後はよろしく」と言い残して職員室を出た。

「……おお」

 一歩廊下に出ると、窓から差す朝日の光が宗一の目に飛び込んだ。
 たかが二時間ちょっとパソコンに向かっていただけとはいえ、
 疲弊していた身には命の源と言える陽光を受けるにはいささか刺激が強すぎた。
 目が細まり、くらっと体が揺れる。そのままよろめき、窓際の壁に強く体を押し付ける結果になってしまった。

 へへ、ともう一度笑って、宗一は窓から外を眺めてみる。
 薄く、青く色づいた空は、どこまでも茫漠と続く夜の闇ではなく、帰路へと続く遥かな道を指し示していた。
 今日はよく晴れそうだ。
 そんなことを思いながらふらふらと歩いてゆくと、隣の教室から小柄な影が現れた。

「あ……宗一さん」

 肩までかかる栗色のショートヘアを靡かせながら、古河渚がとてとてと走ってくる。
 心なしか強張った顔をしているのはきっと自分のせいなのだろう、と宗一は我が身の疲労ぶりに呆れた。
 渚が出てきたとき、すぐに彼女だと分からなかったのもあった。
 軽く手を上げて応じてみようとしたが、へにゃへにゃと動く自分の腕を鑑みれば、既にゾンビ状態と言っても過言ではなさそうだ。

568想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:51:22 ID:6Ze9kqqQ0
「寝ましょう」
「第一声がそれか」

 苦笑で返すと、「笑い事じゃないです」と少し怒ったような口調になって、渚が腕をとって肩に回した。
 どこかに連行されるらしい。元々宗一は渚に会いに行くのが目的だったので特に文句はなく、なすがままにされていた。
 抵抗する気力がなかったというのもある。

 腕が回されると、密着した渚の体からほんのりと懐かしい匂いが漂ってくる。
 石鹸の匂いだと気付き、そういえばやけに艶があるということに、女の子だなと意識せずにはいられなかった。
 同時に自分が風呂に入っていないことに軽く羞恥心を覚えたが、今そうしてしまえば溺れ死にそうだったので諦めることにする。
 ならばせめて渚といることを楽しもうと思いつつ、宗一は口を開いた。

「どこに連れていくのです」
「……普通に隣の、教室です」

 どうやら渚が出てきたところに連れて行かれるらしい。
 渚が言うには毛布や枕もあるらしく、床の固さを除けば安眠は得られそうだった。
 教室の扉を一緒にくぐりながら、渚が質問してくる。

「どうしてあんなところに? もう、無茶です。フラフラなのに一人で……」
「渚に会いたかったから」
「ふえっ?」

 我ながら正直すぎる回答だと思ったが、面白い反応が得られたのでよしということに宗一はしておいた。
 みるみるうちに赤面してゆく渚の正直さが可笑しく、「可愛い」と続けてみると「か、からかわないで下さい」と小声で反論してきた。

「変な声出しちゃったじゃないですか……皆さん寝てましたからいいですけど」

569想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:51:39 ID:6Ze9kqqQ0
 教室を眺めてみると、中にいる全員がすやすやと寝息を立てており、中央にはきちんと整理されたデイパックが並んでいる。
 どうやら待機していた連中がやってくれたらしい。
 ひとつ手間が省けたことに感謝しつつ、宗一は渚に連れられて教室の隅にある壁にもたれさせてもらった。
 毛布と枕を取ってきます、とデイパックとは別の、雑用品が積まれているスペースに移動する渚を横目にしつつ、
 眠りこけている連中の顔を眺めてみた。

 床で川の字になって寝ている三人組はルーシー・マリア・ミソラと朝霧麻亜子、伊吹風子だ。
 ルーシーは長い髪をくらげのように広げ、麻亜子はだらしなく口を開け、風子は何やら幸せそうな顔をしながら麻亜子に抱きついている。
 さしずめ仲のいい三姉妹といったところか。年上二人組がことごとく年下にしか見えないけれども。

 その付近で壁にもたれ掛かり、座るようにして寝ているのは川澄舞。
 物静かな彼女らしく、寝息のひとつも聞こえない。相方っぽい国崎往人はどこかに行っているようだった。

 教卓の近くで座ってうなだれるようにして寝ているのはほしのゆめみ。
 寝ているのではなく、機能を停止させているだけだとすぐに思い直したが、
 それにしても人間に酷似しているな、と近年の進化したロボット事情に感心を抱く。
 ご丁寧に頭のリボンに『Sleep Mode』と書かれているのにはロボットだなと思わざるを得なかったのだが。

 外側の窓の近くで二人身を寄せ合って寝ているのは姫百合瑠璃と藤田浩之だった。
 ぴったりと寄り添って眠る姿に若干の羨ましさと嫉妬を感じつつ、
 だが自分にも渚がいると思い直して、宗一はこれからやろうとしていることの中身を反芻した。
 やれるのかと疲れきった頭で思いながらも、ここで言わなければ機会はないと知っている理性で臆病な部分を押さえつける。
 どうやらまだまだ弱い部分はあるらしいと意外な弱点に内心溜息をつきつつ、毛布と枕を手に戻ってきた渚を迎えた。

「よく寝てるな、みんな」
「疲れてるんだと思います」
「放送があったのに」
「もう、関係ないんだと思います。そんなことは」

570想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:52:01 ID:6Ze9kqqQ0
 毅然と言い放った渚には、既に覚悟を固め、後をこちらに委ねてくれている強さがあった。
 毛布を受け取りくるくると体に巻きながら、これが仲間意識というものなのだろうかと考えを巡らせる。
 ある部分では無言のうちに気遣う思いやりがあり、ある部分では他人に背中を預けて無防備な姿を晒す。

 個人の力が全てであり、利害の一致でしか物事を見ようとしないエージェントからの常識で言えば、
 ここにいる連中は馬鹿げているの一語で括られるのだろう。
 しかしそれは所詮理屈で見た物の見方に過ぎない。理屈を超え、お互いを信頼し合えるやさしさが今の自分達にはある。
 皆本能的に感じているのだろう。理屈と暴力で屈服させようとする主催者。デイビッド・サリンジャーには負けられない。
 自分のために、自分を成す根幹のために、やさしくなれる他人のために。
 目を反らしてはいけない。断固として異議を唱え続ける必要があることを。
 人の死の上に積み重なってきた生であり、ボロボロの布切れ同然の価値しか持っていないのだとしても……

「そうだな。もう、何も関係ない」

 ふわふわとした毛布の感触を楽しみつつ、宗一は渚の意志に応えた。
 ほっとしたように笑って、しかし渚は「でも、やっぱり不安なところはあります」と付け加えた。

「わたしにもようやく、やりたい事ができました。今この瞬間だけのことじゃなくて、ずっと先まで続くような」
「いい事じゃないか」

 羨ましい、と宗一は思った。
 自分はどうだろうか?
 ここで少しでも変わって、他人に誇れるようなことをしてゆける自信があるだろうか?
 少なくともエージェント稼業を辞められる気はしなかったし、楽しめはしても意義を持てているかと言われると答えられない。
 渚は驚くほどのスピードで進んでいっている。自分には及びもつかないような速さで、遥か前に。

「ですけど……わたし、考えすぎて、焦ってるんじゃないかって。本当にこれでいいのかって、いまいち、自分じゃ信じられなくて」

571想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:52:23 ID:6Ze9kqqQ0
 たどたどしくも、渚は懸念の在り処を宗一にはっきりと伝えた。
 生き急いでいると思っているのかもしれなかった。本人が実感しているからこそ、先を進み続けることに躊躇してしまう。
 先頭に立って歩くのに慣れていないのだ。どうしても一歩、立ち止まって後ろを振り向いてしまう。
 それはそれで彼女の優しさ、謙虚さの証明でもあるし、悪いということはなかった。
 それでも渚は自分を信じられない。ひとりでいたときの過去が忘れられずに。

「少なくとも俺は応援してるさ。渚は、ひとりじゃない」

 渚は憂いを含んだ笑みを見せた。
 これだけでは足りない。言葉を交わさずとも理解できるものもあれば、
 言葉で伝えてでしか理解できないものもある。人間とは、そう不便なようにしか作られていない。
 だからこそ人の言葉、仕草、所作に至るまでを一喜一憂することだってできる。
 宗一は一拍溜めて、伝えるべき思いを伝えた。

「俺は……渚が好きだから」

 打算と思惑が錯綜する世界で、徹底して冷酷となりあらゆるものを疑い続けなければならなかった自分。
 人並みのことさえしてこれずに自分自身を信じられなくなってしまった渚。
 本来なら関わることすらなかっただろう二人の人間だ。まして、それぞれ考えていることすら違う。
 だが、自分はそんな理屈を超えて渚に好意を持った。何度転んでも立ち上がり、その度に強くなる彼女の姿に憧れた。
 彼女のためになら地獄にだって行ける。

 それほどに守りたいものであると思え、同時に安らげる存在だとも思えた。
 どこまでも一緒に未来を作り、やり直していこうとも頑張ろうとも思える。
 全てを託して身を委ねられる、魂を充足させられる場所がここにある。
 渚がその場所なんだと、宗一は己の全てを使って伝えた。

「えっ? あ、あ……」

 告白されるとは思ってもみなかったのだろう、その言葉が冗談であるのを待ち望んでいるかのように、
 渚はせわしなく目を泳がせ、意味もなく口を開閉させては途切れ途切れの言葉を吐き出すだけだった。
 可愛いなという感想が素直に浮かび上がったが、言ってしまえばまた冗談かと思われそうだったので、
 じっとして渚が落ち着くのを待った。

572想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:52:46 ID:6Ze9kqqQ0
 渚は僅かに震え、緊張のせいか表情を徐々に硬くしてゆく。
 すぐに答えてくれないことは宗一にも分かっていた。人の気持ちに対しては、特に誠実であるのが彼女だから。
 少しずつ息を整えた渚は、次には穏やかな笑みを浮かべていた。
 自分と同じ、魂の充足の場を見つけ出した者の安らかな表情だった。

「わたしも……その、好き……で、す」

 声がしぼんでゆくのがいかにも渚らしいと思い、嬉しさよりも可笑しさが込み上げてきて、笑った。
 何もかもが不器用に過ぎた。お互いの気持ちひとつ確かめ合うのにここまで緊張していることにも、
 確かめたそばから気の抜けた体が弛緩してゆくのを感じていることにも、不器用だと感じてしまっていた。
 渚も小さく照れた。控えめに笑う彼女もぽろぽろと泣いていた。多分、ただ緊張から解き放たれたせいだろう。

 全く。俺達も。格好悪い。
 川の流れ。こびりついていたものを洗い流してくれたあの時のことを思い出しながら、宗一は渚を手招きした。

「頼みがあるんだ。膝枕してくれ」
「また、変なこと言いますね」
「本気だぞ。恋人の膝枕で寝たい」

 仕方ないですね、というように目元を緩め、渚は涙を拭ってから宗一の枕元で静かに腰を下ろした。
 とても柔らかそうな膝が目の前に差し出され、宗一は一も二もなく飛びついた。
 流石に節操がないかと少し思ったが、手を頭に乗せ、ゆっくりと撫でてくれている渚を見た瞬間、その懸念は吹き飛んだ。
 ひとの暖かさと柔らかさにただ身を委ねていればいい時間をようやく自覚して、宗一はようやく意識を楽にさせることができた。
 無防備でいられる感覚。一時を一切他人に預けていられることが純粋に心地良かった。

「……寝ちゃうんですか」

573想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:03 ID:6Ze9kqqQ0
 渚も同じ気持ちなのだろうか、その声は少し間延びしているようだった。
 ああ、と応じて、最後にもう一度だけ宗一は起き上がった。起き上がって、無防備な渚に口付けをした。
 僅かに力が入る気配が伝わったがそれも一瞬のことで、徐々に力を抜いてそのまま流れに身を任せる。
 そのまま数秒ほどしてから、ようやく宗一は唇を離した。「おやすみなさい」と一言付け加えて。

「はい。……おやすみなさい、です」

 宗一は目を閉じたが、意識を閉じるまで直前の渚の顔が映ったままだった。
 薄い桃色の、作りたてのゼリーのような渚の唇の感触が幸せでならなかったのだった。
 そこで、ようやく宗一は気付いた。

 ――俺は、俺という人間は、やっと、初めて、幸せってものを手にできたのかもしれない。

     *     *     *

「大丈夫? 痛くない?」
「平気。……入りもしないうちから心配しすぎなの」

 それぞれ脇に洗面器とタオルを抱え、一ノ瀬ことみと藤林杏は風呂場へと続く廊下を歩いていた。
 古河渚が風呂から上がったということで、既に休憩時間に入っていたことみは、
 教室で風呂の順番を待っていた杏と合わせて二人で入ることにしたのだ。
 理由は単純なもので、怪我の度合いが著しいということで誰かの助けがなければならないかもしれないということからだ。
 無論、言い出したのはことみではなく杏。意外な心配性ぶりに呆れよりも寧ろ驚きの方を覚えたことみは、
 無下に断る気も持てずに同道させてもらうことにした。

 風呂場は狭いと渚は言っていたが、一人が湯船に、一人が体を洗えば何も問題はないだろう。
 そもそも、ことみは湯船に浸かれるような状態ではなかった。
 風呂に入ろうと思ったのも、爆弾の製作、及びそれまでの行程でで泥臭くなったのをどうにかしたかったという思いからで、
 最悪濡れタオルで体を拭ければ良いと考えていた。
 それはそれで女の子としてどうだろうと思わないではなかったが、頓着してこなかったのもまたことみの性分でもあった。

574想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:23 ID:6Ze9kqqQ0
「そう……? 見た目が酷いからさ、気になっちゃって」
「人のこと言えない」

 ビシッ、と全身包帯だらけの杏を指差す。ことみからしてみれば杏の方こそひどい有様だった。
 それとも、失明しているからひどいと思われたのだろうか。怪我をした面積だけなら自分の方が狭いのに。
 指摘された杏は苦笑いしながらも、納得がいかないように小首を傾けて言った。

「そりゃそうだけど……でも、顔は女の命じゃない?」

 考えてもみなかった発想が杏の口から出てきて、ことみはつかの間絶句していた。
 やがて驚きから冷めた頭は、自分が合理的なものの見方しかしていないという事実にも気付いて、ことみは失笑を浮かべたのだった。
 なるほど、確かにそうだ。女の命を失くした方が心配されるのは当然ということか。
 だから風呂に行く直前、戻ってきた渚にもやたら気にかけられていたのか。
 どうにも一ノ瀬ことみという人間は女としての自覚が薄いらしい。

「まあ、それはそれで一部の人に需要があるし」
「どんなよ」
「……傷物の女?」
「アホか」

 肩を小突かれつつ、ことみはこうして気にかけてもらえる友達がいることに感謝した。
 こうしてひとりで気付けないことにも気付かせてくれるのが友達なら、くだらない話で花を咲かせられるのも友達。
 ひとりでいるよりずっとずっと楽しいことがあり、様々なものにも触れられるというのに。
 心に刻み込んだ『手紙』の中身を反芻して、ことみは一人で時間を潰していた過去の自分に問いかけてみた。

 やりたいことひとつなく、知識で隙間を埋め合わせるしかなかった自分。
 それでもいいと目を反らし、諦めていた自分。
 どうしてもっと早くに、その現実を変えようと思わなかったのだろう。
 そうすれば、ここにもう一人、『師匠』であり、『友達』である人がいたかもしれないのに。

575想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:37 ID:6Ze9kqqQ0
 後悔を覚える一方で、焦らずに大人になれという父の言葉も蘇り、ことみはそれを埋め合わせるだけの時間があることもまた自覚した。
 焦らずに、ゆっくり。時間をかけて目的は達成していけばいい。
 今はそのための仲間だっているのだから。

「にしても、驚いたわ。渚まで医者になるとか言い出すんだもの」
「でも納得はしたの。渚ちゃんならそうするって気がした」

 まあね、と杏も頷く。風呂に行く前の少しの時間、会話を交わした中で渚は「帰ったら医者になる勉強をする」と言い出したのだ。
 ことみが医者になる心積もりはまだ渚達には話していなかったので、自身も面食らってしまった。
 曰く、「大好きな人たちに少しでも健康でいて欲しいから」とのこと。
 渚らしい考えだと納得して、ことみも医者になりたい旨を打ち明けたのだった。

 もっとも自分は尊敬している人のために、というごく個人的な理由であったのだが、渚はそんなことを構うことなく喜んでくれた。
 生きて帰ったら、一緒に勉強しようという計画まで既に織り込み済みだ。
 こうして約束一つ交わすだけで歩く道がずっと楽になったように感じられるのだから、人間は現金なものだと思う。

「杏ちゃんはどうするの?」
「あたしは……前と変わらないな。保母さんになるって決めてたから」
「保母さん……?」
「何よその疑問系は」
「なんでもないの」

 別にいいじゃない、と膨れっ面になる杏に、ことみはそれと分からない程度に唇の端を笑みの形にした。
 理由は大体見当がつく。いかにも面倒見のいい杏に向いた職業だと思い、「頑張れなの」とエールを送っておいた。

「ありがたく頂戴しておくわ。あんたこそ頑張って医者に……あーいや、別に心配しなくていいか」
「なにそれひどい」
「だって全国一位じゃない」
「うぬう、王者とは常に孤高なの」
「ま、渚と仲良く勉強しなさいよ」

576想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:53:51 ID:6Ze9kqqQ0
 いつしか会話は他愛もない話、将来の話へと移り、夢中になる余りもう風呂場を通り過ぎていたことも忘れていた。
 それに気付いたのは、ぐるぐると廊下を一週くらいしたときのことだった。

     *     *     *

 学校の屋上というものはどこも変わらないのだなという感想を抱きつつ、急場で塗りたくられたような汚いコンクリートと、
 転落防止用に張られた金網とを見ながら、芳野祐介は夜明けの空気を存分に吸った。
 今まで埃っぽい部屋でひたすら作業に没頭していたからなのか、
 澱んでいた肺が新鮮な空気を取り込んで溜まっていたものを洗い流してゆくようだった。

 もう少しで全てが終わる。じきに文字通りの生死を賭けた最後の戦いが始まる。この島の風景も見納めということだ。
 出入り口近くの壁にもたれかかるようにして座り、同時に差し込んできた曙光に目を細めた。
 存外見た目は悪くない。陸から船で何時間とかかる田舎の孤島といったところか。
 殺し合いという要素さえなければ或いは好感情を抱いていたかもしれなかった。
 既に百人からの死体がここには転がっており、過去を含めれば、そしてこの島を建造するために支払われた犠牲も合わせて、
 何百、何千という単位で人が死んだことになるのだろう。

 身震いすら感じる。そこまでして、篁という連中は何がやりたかったのか。問いかけても詮無いことだとは思いながら、
 それでも犠牲になった理由を知りたい一心が芳野に当てのない疑問を出させたのだった。
 返答があるはずはない。この先主催者に出会えたとしても、返ってくるのは身勝手な言い分だけだろう。
 結局のところ、ここの死は理不尽な死でしかない。公子も、瑞佳も、あかりも、詩子も理由なく死んだ。
 何を満足させられることもなく。

 なら生きている自分はどうだろう、と芳野は思った。生きて帰って、その後はどうなるのだろうと想像した。
 公子はもうなく、伊吹風子と二人で生活することになるのだろうが、果たして風子はそうしてくれるだろうか。
 殆ど付き合いもなかった、というより機会があるはずのなかった芳野と風子とでは壁があることには違いなく、
 そこだけが唯一の不安だった。芳野自身は風子を養って暮らしてゆくのにも不満はない。
 だが風子は拒む権利を持っている。風子にとってみれば、自分は他人同然でしかないのだから……

577想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:08 ID:6Ze9kqqQ0
 だから言い出せずにいた。目の前の作業に集中して意識的に遠ざけてきたことだった。
 自由な時間を与えられた今、浮かんでくるのはそのことばかりで、さりとて直接聞くにはまだ覚悟が足りず、
 こうして屋上でひとり寂しく悩んでいるしかないのが芳野の現状だった。

 誰かに相談すれば良かったのかもしれないが、大半は寝ていて聞けるような状態でもない。
 内心一番頼りにしていた藤林杏も姿を見つけられず、ぶらぶらと歩き回った挙句にここに辿り着いたというわけだ。
 今まで暖かい室内にいたからなのか、朝の空気は肌寒く少し鳥肌も立っている。
 いつまでここにいようかと考えを巡らせていると、唐突に開いた扉から思いも寄らぬ客が現れた。

「こんなところにいたか」
「おはよう、というべきなのか?」
「生憎だが寝たのは一時間程度だ」
「俺は寝てないが」
「こんなところで寝るな、死ぬぞ」

 軽口を叩きつつ、国崎往人の投げて寄越した缶コーヒーを受け取る。
 こんな場所に現れたのも意外なら、気の利いたものを持って現れたのも意外だった。

「どこで手に入れた?」
「置いてあった」

 思わず缶の底を見る。賞味期限は切れていないようだった。
 道端に落ちていたものを拾ったというわけではなさそうだ。
 ムッと眉根を寄せた往人を見ながら「そう怒るな。確認しただけだ」と笑って缶を開ける。

 温められてはいなかったが、冷たくもない缶コーヒーは飲むには丁度良かった。
 久しぶりに水以外の飲み物を口に入れたからか、喉が歓喜に震えているように思える。
 美味い、と素直に感じながら芳野は「どうしてここに?」と尋ねた。

578想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:23 ID:6Ze9kqqQ0
「話せてなかったからな。あの時以来だ」
「そういえば、そうだったか」
「お前がどうしていたか聞きたかった。……神岸のこともな」

 芳野とは反対の壁に背を預け、往人もポケットから缶コーヒーを取り出した。
 問い詰める口調ではないが、真実を確かめようとする口調だった。
 大事なことだったはずなのに、今まで話すのも忘れていた。人の存在は、一人だけのものではないというのに。

「守りきれなかった」
「……そうか」

 一拍置いて呟かれた往人の声は寂しそうだった。悲しむでも怒るでもなく、ただ寂しそうに。
 どういなくなったかではなく、いなくなった事実自体に対して考えているようだった。
 守りきれなかった。口にしてしまえばそれだけの、しかし重過ぎる事柄。
 逃げちゃいけない。前に進むしかない。当たり前のことを教えてくれた誠実な人間。
 芳野も寂しい、と思った。――そう感じるのは、自分が大人だからだろうか。人間だからなのだろうか。

「守るっていうのは、難しいな」

 往人の言葉に、芳野は黙って頷いた。一人で為すにはあまりにも難しすぎることだった。
 だからこそこうして集団となり、互いに守りあうものなのかもしれない。
 杏が自分に対してそう思っていたように。

「俺も守りきれなかった。守ろうとしたつもりでやっていたことが全部裏目に出て、全部失った」
「……それは、ここいる全員がそうなのかもしれない」

 肯定の代わりに、芳野はその言葉を紡いだ。
 ここにいるのは失ったものが多すぎる人間達ばかりだ。
 往人も、杏も、高槻でさえそうだ。

579想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:38 ID:6Ze9kqqQ0
 そうなってまで必死に生き延びて、また新しく生き甲斐を見つけて守ろうと必死になる。
 こうしてみるとなんと進歩のない生き物なのだろうとさえ思う。
 けれども諦めるという行為が生み出すものは、往人の言う『寂しさ』でしかないと知っているから、
 たとえどんなに愚かしい行為だとしても人は守るという行為をやめようとしないのだろう。

「だが、今はまだ生きている。生きている限り俺達は戦って、守っていかなければならない」

 自分の命しかり。人の想いしかり。守りたいと思うものしかり。
 その道を自分の意志で選択している以上、逃げてはいけない。前に進むしか、ない。
 ただそれを苦難の道と受け取るか希望を指し示す道と受け取るかは自分次第だ。
 少なくとも、今の自分は……芳野祐介という人間は、苦には感じていない。それは確かな事実だった。

「お前にだってそういうものはあるだろう、国崎」
「……そうだな。俺が選んだ道だ」

 どこかあっけらかんとした調子で言い放って、往人はコーヒーを飲み干した。
 芳野もそれに倣う。手で温めていたコーヒーは少しだけ温かく、爽快感こそないものの味わいがあった。

「なあ、国崎」
「なんだ」
「生きて帰れたらどうする?」
「あまりその話はしたくないな」

 往人も考えられないのかと思ったが、往人の口から突いて出た言葉は意外なものだった。

「このご時勢に大学どころか高校も出ていない人間が就職活動せにゃならんからな……大変ってレベルじゃない」
「……は」

 本気の口調で言うものだから、呆れを通り越して笑いが飛び出した。
 重要な問題なんだぞ、と声を張り上げたことがまた可笑しく、「傑作だ」と腹を抱えた。

580想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:54:54 ID:6Ze9kqqQ0
「何とかなるもんだよ、そういうのは。俺なんか元犯罪者だ」
「なに?」
「薬物でな。だが電気工になれたぞ」
「マジでか」
「もっとも、就職するまでに滅茶苦茶苦労したがな」
「いや、十分だ」

 往人は案外なんとかなると思っているのか、小さくガッツポーズをしていた。
 実際のところは苦労なんてものではなかったが。頭を下げ続け、日中歩き回り、ようやく掴んだに過ぎない。
 そのあたりの苦労話でもしてやろうかと思ったが、今はやめておくことにした。
 そういう話は、往人が苦労して溜息をついたころにでもしてやればいい。

 想像しているとまた笑いが込み上げ、一方で殆ど誰にも話さなかった身の上を語っていることにも内心驚いた。
 こんなにも簡単に、先のことを想像できるものなのか。
 やはり分からないものだと思った。人生も、それ以外の全ても。

「俺は……公子さんの妹と……風子と暮らしていこうと思う。本人が、受け入れてくれたらの話だが」
「そういや、伊吹がそんなことを言っていたな。すまん、忘れてた」
「忘れてたって……」
「以前に会ってたんだ。会ったらよろしくって言伝も頼まれた。ここまで遅くなって悪かったよ。
 ……まあ、んな深刻そうな顔で言わなくても、伊吹なら言う前に了承するさ。あいつなりに心配してたみたいだからな。
 あいつにとっちゃこんなのは既に決定事項で、その先をどうしたいか考えてるんだろう」
「……そうか」

 その先。自分にしろ往人にしろ、まだ子供だと思っていた風子でさえも先のことだけを考えている。
 ここで死ぬなどとは微塵も思っていない。
 いや正確には、この島が出している死の臭気などもはや些細なものでしかないということなのだろう。
 それは逃げではなく、しっかりと現実を見据えた末の結論に違いなかった。
 不意に、眩しい光が芳野の網膜を刺激した。ようやく顔を出した太陽の光に、芳野は目を細めたのだった。
 本当の夜明けだ。恐らくはこの島で見る、最後の。

581想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:08 ID:6Ze9kqqQ0
「いい朝日だ」
「ああ」

 そうしてしばらく、二人で太陽を見続けていた。
 絶海の孤島であるはずなのに、そこには外界へと通じる道があるように思えたからなのかもしれなかった。
 逃げ場はない、と言ったな。
 芳野は放送の主に言い返す。

 逃げるつもりは毛頭ない、とだけ言っておいてやる。貴様には、この朝日でさえ拝めまい。

     *     *     *

 曙光が眩しい。
 薄暗い所にずっといたからなのか、窓ガラスを通してでさえ朝日はリサを圧倒した。
 同時に、体内に蓄積していた疲労という名の澱みが瞬時に分解されてゆくのもまた感じていた。
 太陽にはそれだけの力がある。何の疑問もなくそう思い、リサは窓を開け、直に陽光を浴びてみる。

「……暖かい」

 こうしていると、それだけで不安までもが解消されてゆくような気がする。
 作戦、計画は練りに練ったつもりだったが懸念はいくらでもある。元々が分の悪すぎる賭けといって差し支えない。
 当たれば生き残り、負ければ死ぬ。加えて当たりを引き当てられる確率は五分にも満たないときている。
 果たして本当にやってみる価値はあるのだろうか――そんなつまらない疑問を、この太陽は掻き消してくれる。
 上手くいく。それだけの思いを結実させてひとつ深呼吸すると、朝の澄んだ空気が最後のしこりを洗い流してくれた。

「朝か……?」

582想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:28 ID:6Ze9kqqQ0
 重たい声に振り向くと、そこでは寝ぼけ眼の高槻が気だるげに目を擦っていた。
 頷いてみせると、高槻は大仰に体を反らして「何時だ」と尋ねる。「七時くらいかしら」と答えたところ、
 「俺にしちゃ寝てたほうだな」ととてはそうは思えない、欠伸を交えた返答が来た。
 一番早く眠りについていたとはいえ、それでも三時間にも満たないはずの睡眠時間のはずだが、元気なものだ。
 自分が言えたことでもないと思い、リサは苦笑して「いい朝よ」と話題を変えた。

「だろうよ。ここにいても溶ける気がする」
「貴方は吸血鬼?」
「ばーか。吸血鬼は灰になるんだよ」
「知ってるわ。頭は起きてるみたいね」
「心遣い、痛み入るね」

 首をコキコキと鳴らしながら、高槻は軽口を叩いてくれる。コンディションは見た目ほどは悪くなさそうだ。
 体調管理を気にしている自分はこの時間でも軍人の性分が頭をもたげているのか、それとも親切心から尋ねたのか……
 判然としないまま、「それで、今後のことなんだけど」と続けようとすると「あーやめてくれ」と高槻が腕を交差させ、罰印を作った。

「いつもの俺はティータイムなんだよ」
「安物のコーヒーでしょう?」
「甘いね。栄養ドリンクだ」
「働き者なのね」
「人間は光合成できないんだ。太陽なんぞ浴びても何の得にもならんわ」
「そうでもないかもよ? 来てみたら、もやし人間さん」
「栄養ドリンク、プリーズ」
「Sorry.当店ではこちらの商品は取り扱っておりません」
「……しけてるねぇ」

 大袈裟に嘆息してみせると、高槻は重い腰を上げてよたよたとこちらに歩いてくる。
 頭は起きているが、体は全然眠っているようだった。
 いかにも科学者らしいと考えを結びつつ、代わりにあるものを取り出してみせた。

「煙草なら、あるんだけど」
「最高の栄養をありがとう」

583想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:43 ID:6Ze9kqqQ0
 体も目覚めたようだった。軽快な動作でこちらに近づき、手を揉みながら媚びた笑いを浮かべる。
 ヘビースモーカー……とまではいかなくとも、それなりの喫煙者であることは察しがついた。
 この数日、吸う暇もなければ体も飢えていたのだろう。少しくすんだ色になった、ふやけた紙の箱から煙草の一本を取り出し、
 ライターと一緒に投げて寄越す。高槻は器用にキャッチして受け取り、早速火をつけようとしたところで、ふとリサを眺めた。

「吸わねぇのか」
「私はスモーカーじゃないのよ」

 ならなんで煙草を、と言いたげな高槻の目線に苦笑で応じてみせると、
 大体のことを察したらしい高槻がライターの火打ち石から指を離した。

「いいのか」
「使ってあげて。その方が……彼は喜ぶから」
「……コブつきかよ。つまらねえ」

 男女の関係を察知したらしい高槻が、嫌味か妬みか、それとも何か別の感情でも抱いたのか、本当につまらなさそうな口調で言い、
 それでも煙草に対する未練は捨てきれないらしく、火をつけて吸い始めた。
 吐き出した白い煙は、リサの開けた窓から外に吸い込まれ、空を目指すかのように昇りながら消えてゆく。
 煙の匂いは僅かに甘味を帯びていて、持ち主である緒方英二の人間性を表しているかのようで、彼らしい選択だとリサは思った。

 愚直なやさしさしか示せなかった、不器用に過ぎる男。ただ、はっきりと好意を持っていることはリサにも分かり、
 上手くやっていけるだろうとも思っていた。だからこそ、英二がこの場にいないことが寂しすぎた。
 辛いのでもなく、悲しいのでもなく、寂しい。ここにいないことがあまりにも惜し過ぎた。

「くそっ、美味いもん使いやがって……」
「貴方と違って、洒落た人だったのよ」
「惚気かよ。聞きたくもないからやめろ」
「寂しいの?」
「うるせえよ」

584想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:55:55 ID:6Ze9kqqQ0
 怒ったように煙を吐き出して、高槻はボリボリと頭を掻いた。分かっているのかもしれなかった。
 このように寂しく思えることの、それだけの信頼があったのだということを。
 それを惚気と表現するのなら、そうなのかもしれない。悪くないなと悪戯な気持ちを覚えながら、「もう一本どう?」と尋ねてみる。

「結構だ。砂糖吐きそうだよ。甘すぎてな」

 どうやら一本吸って欲よりもプライドの方が勝り始めたようだった。
 少しだけども、本気で残念がっている自分がいることに気付き、それだけの余裕はできたらしいと自覚することが出来た。
 煙草を服の内側にあるポケットに仕舞い、リサはそこにある存在を確かめた。

 英二とは、まだコンビを組んでいる。宗一には悪いが、英二がまだ自分にはベストのパートナーだった。
 もう一度窓から外を眺める。正確には、煙が消えていった空を眺めた。
 先に帰ったのかもしれない。自分とのディナーを予約するために。
 少し自信過剰だろうかとも思ったが、これくらいが自分らしいとも思い、「すぐ行くわ」と返事しておいた。

「ん?」
「何でもない。休憩はいつまで?」
「あー……芳野とかが戻ってくるまで」
「余った時間に煙草はいかが?」
「悪りい、俺健康主義になったんだわ」
「あら残念」

 こうしている自分は、さほど変わりはしていないのかもしれないとリサは思った。
 でも、それでいい。でしょう?
 自分らしいとはこういうことなのだろうと納得して、リサは窓辺に腰掛け、頬を撫でる風に身を預けた。

585想いのカナタ:2010/01/06(水) 16:56:16 ID:6Ze9kqqQ0
【時間:3日目午前07時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

那須宗一
【状態:怪我は回復】
【目的:渚を何が何でも守る。寝てる】 

スモーカー高槻
【状況:怪我は回復。主催者を直々にブッ潰す。煙草を吸ってご満悦?】

芳野祐介
【状態:健康】
【目的:思うように生きてみる】

一ノ瀬ことみ
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない。お風呂タイム中】

リサ=ヴィクセン
【状態:どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

川澄舞
【状態:往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている。寝てる】

朝霧麻亜子
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。寝てる】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:スペツナズナイフの柄】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で舞を笑わせてあげたいと考えている】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている】

古河渚
【状態:健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。寝てる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:まーりゃんはよく分からん。寝てる】

ほしのゆめみ
【状態:スリープモード。左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

藤林杏
【状態:軽症(ただし激しく運動すると傷口が開く可能性がある)。簡単には死ねないな。お風呂タイム】

姫百合瑠璃
【状態:死ぬまで生きる。浩之と絶対に離れない。寝てる】

藤田浩之
【状態:歩けるだけ歩いてゆこう。自分を取り戻した。寝てる】

586想いのカナタ:2010/01/06(水) 17:02:18 ID:6Ze9kqqQ0
追記。
→B-10です

587名無しさん:2010/01/08(金) 15:11:08 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「あけまして、おめでとうございますっ!」
早苗「おめでとうございます〜」
瑠璃「B-10代表の姫百合瑠璃やで。今年はうちと一緒に、新年楽しもうな」
早苗「本年もよろしくお願いします。わたしは、D-5代表の古河早苗と申します」
瑠璃「あ、先に言っておきたいんやけど、お正月スペシャルは今回が最終回や。理由は分かるやろ」
早苗「うふふ。実は私達の物語、もうすぐ無事完結するんです」
瑠璃「最後までめっちゃ頑張るから、よろしくなっ!」
聖 「そんな訳で、今年はこんなノリだ。B-4の代表としては、肩身が狭くて仕方ない」
瑠璃「自業自得やん」
聖 「辛酸だが、事実だけに反論はしない」
早苗「気を落とさないでください。どうぞ、パンです。焼きたてです。元気がでますよ」
聖 「……何だこれは」
早苗「コンセプトは、『きらきらな思い出』です」
瑠璃「トゲトゲやね」
聖 「ふむ。イメージしたのは、金平糖か何かか?」
早苗「綿飴です。縁日の思い出はいかがでしょう」
瑠璃「こういうポケモンおるよな」
聖 「ふむ。この硬度といい、鎖を合わせればいいモーニングスターになるだろう」
早苗「……(ふるふる)」
聖 「あ、後でちゃんといただくから安心しろ。そういえば、いつぞや佳乃にも買ってやったな……懐かしい……」

588名無しさん:2010/01/08(金) 15:11:38 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「丸く収まったところで、本題行くで。昨年のハカロワ3と言えばっ!」
早苗「投下作品全83話、うちD-5は41話です」
瑠璃「B-10は34話やで。集計間違ってたらごめんな」
聖 「B-4は8話だ。これに間違いはない」
早苗「お亡くなりになった方は……D-5ですと、ちょっと明記が難しいんですよねぇ」
瑠璃「うちの所は12人。思い返すだけで、何や。胸が熱なる」
聖 「私の所はゼロだゼロ、悪いか」
瑠璃「むっちゃ悪いと思うで」
早苗「そのまま過半数で脱出されれば、問題ないと思います」
聖 「その内大規模な虚殺が行われるから安心してくれたまえ。ほら、火山が噴火するとか」
瑠璃「どこまで自然災害に頼ればええんや……」
早苗「わたしのD-5は、もうすぐ可愛い赤ちゃんに会えるんですよ〜。とっても楽しみです」
瑠璃「うちも佳境や。絶対、皆で脱出する。負ける気ないでっ!」
早苗「瑠璃さんは、赤ちゃん産まないんですか?」
瑠璃「はぁ?!」
早苗「赤ちゃん可愛いですよ〜。瑠璃さんも赤ちゃん、欲しいですよね?」
瑠璃「は、はあっ?! う、うちが、あいつの、あ、あか、あが……っ?!!!」
聖 「ふっ。若いな」

589名無しさん:2010/01/08(金) 15:12:03 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「ご、ごほんっ! 気を取り直して、他の話題行くでっ!」
聖 「そうだな、他に印象深いと言えばはラジオの件か」
早苗「こんにちは〜、ルネッサンスさん見てくださってますか〜?」
聖 「惜しい。正しくはルイージだ」
瑠璃「全然ちゃうやんかっ! うちの作者さんディスってんのちゃうっ?!!」
聖 「すまない、戯れが過ぎたようだ。それにしても、ルーデル氏のまさかの乱入には驚かされたものだ」
瑠璃「D-5のおかげで、うちらもイメージアップやねっ」
聖 「イメージ……アップだと……?」
瑠璃「マジキチに定評があるってことやろ。ええことやん」
聖 「どうやら私は、君と違う感性を持っているらしい」
早苗「こんばんは〜、乾電池さん見てくださってますか〜??」
瑠璃「少し口閉じよ。なっ?」

590名無しさん:2010/01/08(金) 15:12:29 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「そんな感じやな」
早苗「そんな感じですね」
聖 「うむ」
瑠璃「長かった。ここまで、めっちゃ長かった」
早苗「そうですね」
聖 「感慨深いな」
瑠璃「……あんたはどうするん?」
早苗「そうですよね、この中で目処が立っていないのは……」
聖 「気長にやるさ。ここが駄目になったなら、他でも何処でも。……甘えられるのも今のうちか」
早苗「わたし達のルートが終われば、いよいよハカロワ4始動なんでしょうか?」
瑠璃「さあ。うちの作者さんも急がしそうやから、参加できるか分からへんけど」
早苗「そうなんですか〜」
聖 「私の中の人はやる気満々だ。あれだ、例の幼馴染の皆が力を合わせるゲーム。やり込んでたぞ」
瑠璃「ほんまかいな。ってか、そんな暇あったんかい」
聖 「鼻歌もよく口ずさんでいる。せいっやっマジマジ!ってな」
瑠璃「それ全くの別物やけどっ?!!!!!」
聖 「まぁ、とりあえずは目先ご愁傷様やな……ま、とりあえずは目先のゴールを見つめるのが大事やね」
早苗「そうですね、ちょっと先過ぎるお話を振ってしまったみたいです」
聖 「何であれ今年もお互い頑張ろうということだ」
瑠璃「そうやっ!!」
早苗「えいえいーおー、です♪」



瑠璃「ハカロワ3は永久に不滅なんやっ! うちは負けへん、皆絶対負けへん。
   うちが勝利を掴む所、目ぇ離したら嫌やからな!」

早苗「葉鍵ロワイアル3の板と住人の皆さんに、幸あれです♪ ひっひっふー」

聖 「私達はようやく登りはじめたばかりだからな。 このはてしなく遠い葉鍵坂を……」










瑠璃「ちょ、最後縁起でもあらへんっ!!!!!!!!!!!!11」





姫百合瑠璃
 【所持品:無し】
 【状態:やる気!その気!ひろゆき!!!……ってアホ言わすなっ!!!!】

古河早苗
 【所持品:トゲトゲな思い出】
 【所持品トゲパン】

霧島聖
 【所持品:真剣で私に恋しなさい!!】
 【状態:まゆっち萌え】

591>>590訂正・差替:2010/01/08(金) 15:17:41 ID:hPwFa8nY0
瑠璃「そんな感じやな」
早苗「そんな感じですね」
聖 「うむ」
瑠璃「長かった。ここまで、めっちゃ長かった」
早苗「そうですね」
聖 「感慨深いな」
瑠璃「……あんたはどうするん?」
早苗「そうですよね、この中で目処が立っていないのは……」
聖 「気長にやるさ。ここが駄目になったなら、他でも何処でも。……甘えられるのも今のうちか」
早苗「わたし達のルートが終われば、いよいよハカロワ4始動なんでしょうか?」
瑠璃「さあ。うちの作者さんも急がしそうやから、参加できるか分からへんけど」
早苗「そうなんですか〜」
聖 「私の中の人はやる気満々だ。あれだ、例の幼馴染の皆が力を合わせるゲーム。やり込んでたぞ」
瑠璃「ほんまかいな。ってか、そんな暇あったんかい」
聖 「鼻歌もよく口ずさんでいる。せいっやっマジマジ!ってな」
瑠璃「それ全くの別物やけどっ?!!!!!」
聖 「まぁ、とりあえずは目先のゴールを見つめるのが大事だろう」
早苗「そうですね、ちょっと先過ぎるお話を振ってしまったみたいです」
聖 「何であれ今年もお互い頑張ろうということだ」
瑠璃「そうやっ!!」
早苗「えいえいーおー、です♪」



瑠璃「ハカロワ3は永久に不滅なんやっ! うちは負けへん、皆絶対負けへん。
   うちが勝利を掴む所、目ぇ離したら嫌やからな!」

早苗「葉鍵ロワイアル3の板と住人の皆さんに、幸あれです♪ ひっひっふー」

聖 「私達はようやく登りはじめたばかりだからな。 このはてしなく遠い葉鍵坂を……」










瑠璃「ちょ、最後縁起でもあらへんっ!!!!!!!!!!!!11」





姫百合瑠璃
 【所持品:無し】
 【状態:やる気!その気!ひろゆき!!!……ってアホ言わすなっ!!!!】

古河早苗
 【所持品:トゲトゲな思い出】
 【所持品トゲパン】

霧島聖
 【所持品:真剣で私に恋しなさい!!】
 【状態:まゆっち萌え】



まさかのコピーミス・・・これは恥ずかしい。申し訳ないです。

昨年に続き今年も一日遅れましたが、今年もよろしくお願いします><

592Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:02 ID:q4xvWIEE0
 題名:初心者にも分かる首輪の外し方
 著:世界のNASTY BOY

 和田のレポートを見れば簡単だ。ドライバーとニッパーがあれば事は足りる。
 首輪の後背部、つまり首に当たる方に極小のネジ穴がいくつかあり、それを丁寧に外す。
 すると回線の一部が出てくるので青い回線を切る。こうすることで信管蓋を開けるときにトラップに引っかからずに済む。
 次にその右隣にあるネジを外し、信管を取り外す。左右にある線は切ってかまわない。
 尚、黄色い線は切る、引っ張るなどしないこと。最悪爆発する。
 信管を取り外した後は爆発する危険性はないので好きにしてもらって構わない。
 ただし、白い線を切ると生死判定が途切れ、管理していると思われる場所に死亡判定が出てしまうので注意。
 また、バッテリーを抜き取ろうとしても結果は同じになる。
 よって主催側の目を欺くため、生死判定は残しておいたほうが良いと推察する。
 回線そのものは手で無理矢理引き千切ることも可能ではある。
 首輪そのものの材質も材質から考慮してそれほど堅くはないようだ。多分踏みつけたらポキリと折れる。
 首輪を完全に外すまでの所要時間はおよそ一分ほどだと思われる。実践はしていないので若干ズレると考えられる。
 手元に首輪がないため実験は出来ず。だが和田の資料の信憑性は高いため罠である可能性は低い。
 万が一罠であった場合を考慮して、首輪の解除は俺が最優先で行う。

     *     *     *

593Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:15 ID:q4xvWIEE0
 爆弾の性能メモ

 大よそ半径数十メートルにわたって吹き飛ばす程度の性能になった。
 とはいえ威力は保障できない。不発する可能性もあるので過信は禁物。
 仕掛ける場所としては管制室、敵の司令室などが考えられる。
 信管を抜いてから数秒後に爆発する。ダッシュして逃げれば直接信管を抜いても間に合う……はず。
 基本的に遠くから紐等を使って引っ張る方法を推奨する。
 本の通りならば木造家屋を一瞬で吹き飛ばせる。多分コンクリも吹き飛ぶ。
 崩落に注意。
 結構重い。台車に乗せて運ぶことを勧める。その場合護衛が何人か必要である事を言っておく。
 あんまり衝撃を与えても爆発するかも。取り扱い注意。
 だからなるべく平坦な道を移動させたほうがいいかも……

     *     *     *

594Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:29 ID:q4xvWIEE0
 クソロボットのレポート

 銃弾が効かん
 生身? の部分には効くんじゃね?
 無茶苦茶早い
 神神うるさい
 装備は確か刃物、P−90、それとフラッシュバンらしきものが。俺らより装備は豪華なようだ
 学習能力があるらしく攻撃を見切られたことがあった

 とまあ、こういう特徴があったので対応策として、まず一対一にさせないことが考えられる
 悔しいがあのクソロボの実力は参加者の誰よりも強いだろう。装備も相手が勝っている以上正面からの殴り合いは死ぬ
 常に弾幕を撒きつつどうにか動力源を一発で壊せればいいんだが
 それが可能な武器はグレランかロケランくらいだろう。着ている修道服は防弾・防爆効果があると見ている
 囲んで白兵戦に持ち込むのも、危険だがありかもしれん
 逃げられないと考えた方がいい。とにかくしつこかった
 最悪でも二人、欲を言えば四人は戦う人数が欲しい。俺とゆめみじゃ全く歯が立たなかった
 ここには十五人いるから四つくらいのパーティに分けることを提案する。つか却下させない
 装備は念入りにしといたほうがいい。狙撃も考えられるかもしれん
 ロボットだから目視で数キロは届くんじゃないか? 熱感知しているかもしれない(正確に射撃してきたから)
 武器を渡すと危険かもしれない。あらゆる武器の用法を叩き込まれている可能性がある
 メインコンピュータを壊せば戦闘不能にはさせられるかもしれない。そこがどこかはわからん
 とにかく出会ったら遠慮なく叩き壊してしまうことが一番だろ
 相手は人間じゃないしな
 疲れた

     *     *     *

595Mission Log:2010/01/18(月) 22:01:50 ID:q4xvWIEE0
 侵入路について

 →これまでの情報を総合するといくつか搬出路を含む出入り口があると見られる。
  そこが本当に主催側の中枢部に繋がっているか、という疑問があるが、袋小路である可能性は低いと思われる。

 ∵地下に建造物があるとした場合、脱出路を複数確保しておかないと緊急時の脱出が困難になるため。
  またそれぞれが独立していると参加者に占拠される確率が高くなるため。
  すぐに救援に行けるように、それぞれの通路は繋がっていると判断できる。

 →入り口はどの程度の間隔であるかということについては、一ノ瀬ことみの考察より数百m間隔であると考えられる。
  入り口には警戒網もあると考えられるので、首輪を外した後に一斉に潜入という方法が望ましい。
  また、中枢部、管制室、脱出路などを確保する必要がある。

 ∵先にサリンジャーに逃げられてしまえば足がなくなる可能性があるため。
  当然向こう側としては脱出の際証拠隠滅を図ってくるため通信設備も破壊される可能性がある。
  通信部はなるべく最優先で確保したい。

 →地下設備の場合ヘリではなく潜水艦や船舶での脱出を取ることが多い。
  最下層部分に置かれているだろう。見張りもいるはずなので戦闘が予想される。
  速攻できるメンバーが望ましい。ただし中枢部を最速で確保すればその限りではないかもしれない。
  何にしろスピードが勝負だ。設備も装備も向こう側が上であるため、奇襲するしか勝負の方法がない。

 →救援を求められるならば、日本政府かアメリカ政府への連絡が望ましい。
  私か宗一の名前を出せば大抵は信じてもらえるだろう。万が一私も宗一も身動きが取れなかった場合、
  判断は各人に任せる。

 →道中にある兵器類は破壊できるならば破壊しておくことが望ましい。

 ∵もしも制圧に遅れた場合連中が持ち出してくるため。
  火力勝負になってしまえば勝ち目がない。破壊できなければ諦める。
  使えるならば使ってもいいのかもしれないが、暴発暴走の危険性があるため、
  無視すること。判断を周囲に仰ぐのがよい。素人が兵器を扱えるものではないことを心に留めておく。

 →連絡はこまめに取り合いたい。が、無線機がないような状況なので期待はしない。
  代わりにチームメンバーでの連絡を密にすること。
  はぐれたところを狙い撃ちにされる。
  敵は島にいた参加者よりも遥かに強大であることを覚えておくこと。

596Mission Log:2010/01/18(月) 22:02:51 ID:q4xvWIEE0

 追記:各種レポートを総合しての作戦立案

 四チームを編成し、爆弾運搬班、中枢部制圧班、通信設備確保班、破壊工作班に分ける。
 侵入は別々の場所から同時に行い、突入前に首輪を解除するものとする。
 メンバーは後で決める。ただし各チームの戦力がなるべく均等になるように配慮はする。
 作戦実行はサリンジャーの指定した時間の一時間前。こちらから先手を仕掛ける。
 後手に回ると圧倒的な戦力差で叩き潰されてしまうからだ。とにかく速戦即決しかない。

 最後に一つ。
 生きて、このミッションを完遂させましょう。


【時間:3日目午前07時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

→B-10

597終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:15:25 ID:AA.5FDBE0
 
「護られて、助けられて、生き延びさせられて」
「生まれさせられて、罪を負わされて」
「そこに幸福は、あったのかな」



「ねえ―――教えてよ、水瀬名雪」




***

598終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:15:50 ID:AA.5FDBE0
 
 
そこには花が、咲いている。
白い、白い花。
咲き乱れて、散ることもなく、ただ燦然とその純白を、緋色の月の下に晒している。

ざあ、と風が吹いた。
白い花の海は静かに、大きく波打ち、しかし花弁の一枚も舞い上がらせることなく、
やがて純白の海原は、久遠の時を越えてそうしてきたように、再び凪ぐ。


それが、世界の最果てだった。


純白を覆うのは、漆黒の夜空。
星一つない闇の中、見開かれた瞳のような赤い月だけが、咲き乱れる花々を見下ろしている。
ぼってりと、うすら赤い月光に照らされてなお白い花の海の只中に、二つの影が立っていた。
影の片方が、口を開く。

「ねえ―――教えてよ、水瀬名雪」

白に近い銀色の髪と、琥珀色の瞳。
少年といえる年頃の、それは人影だった。

「―――」

水瀬名雪と呼ばれた影は、答えない。
少年の真正面、ほんの数歩の距離を置いて立ちながら、目を細め、静かに息を吐く。

「私だけ……か」
「誰も辿り着けない、はずだったんだけどね」

肩をすくめる少年を、名雪は見つめている。

599終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:16:26 ID:AA.5FDBE0
「神様はいつだって余計なことばかりしてくれる。気まぐれで、身勝手で。
 実際僕らのことなんか本当のところはどうでもいいと思ってるんじゃないかな」
「お前は……そうか」

首を振って苦笑を浮かべた少年の言葉には答えず、細めた目の奥に奇妙な光を宿らせた名雪が、
口の中だけで呟く。

「お前が、そうなのか。これまでも、ずっと」
「……? ああ、なるほど」

一瞬だけ怪訝な顔をした少年が、すぐに何かに納得したように頷く。

「僕の影とは何度も会っているんだよね。お久しぶり、そしてはじめまして。
 その節はお互い……ええと、殺し合ったり助け合ったり、したのかな?」
「……」
「そう、影。僕はここから、」

と、純白の花畑と赤い月の夜空を見渡して、

「……ここから出られないからね。たくさんの影が、世界中の色んな時間の色んな場所に散らばってる。
 もちろん、キミたちをこの戦いに招くのも、それを見届け、推進するのも大事な役目だよ。
 僕は彼らではないから、実際に何をしてるのかはよく分からないこともあるんだけどね」

一息に告げて、少年は悪びれずに笑う。

「まあ、大体の役目は僕たちの思い描く未来を造るためのお仕事、ってやつかな。
 他にも、その時々で細々したこともお願いするけど―――」
「終わるのか」

長広舌を、遮って。
少年の言葉を聞くや聞かずや、ただじっとその琥珀色の瞳を見つめていた名雪が、
おもむろに口を開いていた。

600終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:16:53 ID:AA.5FDBE0
「世界は、また終わるのか」
「……」

その言葉に、今度は少年が黙り込む。
僅かに見上げた瞳が、緋の月光を受けてゆらりとその色を変える。

「この戦いは……そういうものだろう。終わり、続く世界の、ここが中心か。
 終わらせるのがお前の企みか。或いは終わり、終わる果てに何かを見出すか」

刹那の沈黙。
表情を消した少年が、小さな称賛と驚愕とを含んだ声を漏らすと同時、浮かべたのは、笑みだった。

「……へえ」

苦笑でも、嘲笑でもない。
純粋に興味深げな、まるで難問に挑む学究の徒のような笑み。

「さすがに、優勝者は違うね。積み重ねた時間は、キミたちをそこまで真実へと近づけたのか。
 亀の甲より、というやつかな」

冗談めかした少年の視線を受けても、名雪は微動だにしない。
ただ静かに、池の底に沈む藻が、水面から届く光を見上げながら佇むように、少年を見据えている。

「正解。その通りだよ。この戦いを経て、世界は終わる。この戦いが、終わりの始まり。
 あとは転がり落ちて、終わっていく。止めようもなく、救いようもなく。キミの知っているようにね。
 ……うん、そのはずだった」
「はず、だった?」

思わせぶりな少年の言葉に、名雪が眉根を寄せる。
そんな名雪の様子に肩をすくめ、ひとつ天を仰いでから少年が、ぴ、と名雪を指さす。

601終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:17:42 ID:AA.5FDBE0
「だってキミたち、生きてるじゃない」
「……」
「こんなにたくさんの大きな可能性が残ったら、世界はまだ終わらない。終われない。
 キミたちという可能性はきっと、どうにかして延命させてしまうんだ。
 本当は不治の病で手の施しようもない、この世界をね」

大きく、少年が首を振る。
気負う子供の、走って転ぶのを見るように。

「終われない世界はだから、だらだら、だらだら……ゆっくり衰えながら、死んでいくしかない。
 時間がかかるよ。ロクでもない時代が、ずっと続く。誰も幸せになれない世界だ」

深い溜息を、ひとつ。

「僕たちはそれを知ってる。どうしようもない世界が、どうしようもないまま続く時代の惨さを知ってる。
 どうやったって救えないことを、どう頑張ったって変えられないことを、嫌っていうほど、知ってるんだよ。
 だから、終わらせてきたんだ。もう一度初めから、今度は上手くいくように願って。
 誰も幸せになれない時間なら、誰も望まない未来なら、そんなものはだって、いらないじゃないか。
 僕たちが渡す引導で、世界は苦しまずに、終わっていけたんだ。これまでずっと、そうしてきた。
 今度だって、そうなるはずだった……キミたちが必要以上に頑張ったりしなければ、ね」

顔を上げ、少年の視線は眼前、名雪を射貫く。

「キミたちは生き残り、せっかく集めた呪を解き放ち、挙句に神様まで殺してしまった。
 もう世界は簡単には終われない。苦しみながら死んでいくより他にない。
 そうして終われば、もう次も、ない」

託宣のように、告げる。

602終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:18:16 ID:AA.5FDBE0
「もう、世界は繰り返さない。終わるんだ。苦しみ抜いて。誰も幸せになれないまま。
 キミたちがやってのけたのは、そういうことだよ。ひどい話だね」

言われた名雪はしかし、少年を真っ直ぐに見据えたまま揺らがない。
風に靡く少年の銀髪が琥珀色の瞳を二度、三度と隠し、四度覗いた頃、影の囁くように、口を開く。

「私たちが死ねば世界は終わる」

どろどろと、粘つくような声で。

「成程、下らない―――ならどうして、お前が直接殺さない」

吐き棄てるような言葉が、少年の足元に絡みつく。

「どこにでも、いくらでもいるのだろう、お前たちは。
 機会など狙うまでもない。生まれてすぐに殺してしまえばいい。
 そもそも生まれてこないようにするのだって簡単だろう。
 お前たちが本当に、最初から、存在しているのなら。
 ここまで大袈裟に、大掛かりに私たちを招いたところで、暇潰し以上の意味はないだろうに。
 それほどの力を持ちながらお前は、お前たちは何故、世界を裏側からしか、動かさない」

独り言じみた囁きは、それでも問いのかたちを成して、少年へと向けられていた。
ゆらゆらと、煙草の煙のように大気を満たして穢す名雪の問いを、少年は一息に吸い込んで、
舌と肺とで味わうようにほんの僅かに息を止め、それからゆっくりと吐き出す。

「……たとえば、この馬鹿馬鹿しい催しが行われなかったら、どうなると思う?」
「……」

少年の口から漏れる吐息は、答えを成さない答えを伴っていた。
じっと次の言葉を待つ名雪に苦笑して、少年が続ける。

「簡単さ。世界は滅びない」

603終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:18:56 ID:AA.5FDBE0
手の平を上に、小さく肩をすくめておどけてみせる少年の、透き通る瞳はしかし、
一欠片の愉悦も含んではいない。
そこにある色は、詠嘆や諦観や、或いは絶望と呼ばれるそれに、よく似ていた。

「今回と同じだよ。この戦いで生き残るただ一人が出なければ、世界は続くんだ。
 病んだまま、弱ったまま、生き続けさせられる」

丁度キミみたいにね、と薄暗い笑みを浮かべる少年に、名雪は沈黙と無表情を以て返答する。
小さく鼻を鳴らして少年が言葉を接いだ。

「この戦いの勝者にはね、世界の行く末を変えるだけの力が備わってるんだ。
 だってそうだろう、世界で一番大きな可能性たちの、その頂点なんだから」

一番大きな、と告げるとき、少年の手が宙に大きな円を描いていた。
翳るままの表情と、大きな身振り。
噛み合わぬそれを、少年はまるで初めから決められた動作ででもあるかのように、こなしていく。

「一番を決めて、それ以外の全部が消えて、だから世界は細く細く、尖っていく。
 そうしていつか、世界の可能性の全部を乗せたキミの重みを支えきれずに、折れるのさ」

細い棒を手折るような仕草で薄く、暗く笑って、ひらひらと軽く手を振る。

「それで、終わり。やり直し。たったひとりだけが残って、もう一度初めから、ね。
 それだけさ。それだけが、僕たちが長い時間をかけてようやく見つけた、たったひとつのやり方。
 世界を苦しめずに、どうしようもない時代を生きて苦しむ人間を出さずに、今を終わらせる方法なんだ」

言い放って、名雪を見据え、頷く。

604終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:19:20 ID:AA.5FDBE0
「うん、そうさ。その通り。
 キミの覚えている、あの最初の世界―――あの滅亡は、キミがいたから引き起こされたんだ。
 たったひとり生き残った、生き残らされたキミの持つ可能性に耐えきれずに」

名雪は、沈黙を保っている。
僅かな間を置いて、少年が薄昏い笑みを、静かに深める。

「嘆く必要なんてないさ。キミは世界を救ったんだ。あれ以上にひどくなる前に。
 それは、在り続けたいと願っただろうさ。世界も、そこに生きる命もね。それが本能だ。
 だけど、駄目なんだ。病んだまま在り続ければ、苦しむのは彼らなんだから。
 苦しんで、苦しんで、やがては在ることを、在り続けたことを、これまでに在ったことを悔み出す。
 幸せであったはずの時間も、健やかで、穏やかで、輝いていたはずの時間も、忘れてしまったみたいに。
 それは、とても不幸なことさ。とても、悲しいことさ。だから、そうなる前に終わらせなくちゃいけない。
 そうしてまた初めから、幸せな時間をやり直すんだ。ずっと、ずっとそうしてきたように」

細く、息を吐く。
視線を上げて夜空を見上げ、それから足元にどこまでも拡がる白い花の海を見下ろして、
再び名雪を見つめる。

「それを悪と、断じるかい。それを愚かと、笑うかい。水瀬名雪は、繰り返す者は、僕を」

そうして言葉を切り、少年は口を閉ざす。
沈黙が、降りた。
名雪は、動かない。
緋色の月光と、純白の海原と、琥珀色の視線に包まれて、名雪は立っている。
立って、ただ真っ直ぐに見つめる少年の瞳を見返して、水瀬名雪はそこに在った。

605終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:20:02 ID:AA.5FDBE0
「―――」

沈黙が凝集する。
月光が結晶する。
純白が昇華し久遠を封じたような琥珀がその内圧に耐えかねて微かに揺れた、その刹那。
ただ一言。

「―――どうして」

ただ一言が、放たれていた。
遥かな星霜を経て老いさらばえた少女の口から紡ぎだされたそれは、あらゆる色を閉じ込めたような、黒。
黒の一色を以てのみ表せる、一粒の言の葉。
それは追及であり疑念であり、詰問であり呵責であり、問責であり審問であり査問であり、
或いは面詰であり非難であり、指弾であり弾劾であり、嘲罵であり軽侮であり侮蔑であり、
懐疑であり猜疑であり疑義でありそのすべてでもあり、そして既に、問いですらなかった。

「……、」

反射的に何かを、どこか常には見せぬ奥深くから湧き上がった何かを言い返そうとでもしたように
口を開きかけた少年が、しかし僅かに首を振り、代わりに重く澱んだ息を吐いた。

「どうして? どうしてだって?
 ……決まってる、生まれるためさ、僕が、僕たちが」

告げた言葉に、揺らぎはなく。
しかし、そこには込められた力もまた、ない。

「幸せな世界に、病み衰えない世界に生まれて、幸せになりたいんだ、僕は。僕らは。
 それだけを願ってる。願ってきた」

ひどく掠れた、声。
とうの昔に住む者を失った廃屋の、荒れ果てた一室に忘れ去られた壁紙が、時を経て黄ばんでいくような。
触れれば脆く崩れそうなほどに乾ききった、それは声音だった。
どこか遠くを見ていた琥珀色の瞳が、

「だけど」

すう、と翳る。

「それも、もう終わりだ」

午睡の安らぎを、黄昏の朱が染めるように。
夜を告げる色が、その瞳を満たしていく。

606終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:21:37 ID:AA.5FDBE0
「足元を見てごらん。キミの周りを見てごらん」

そこには花が咲いている。
風に揺れ、しかし散ることもなく咲く、純白の花。
儚げで可憐な、白い、白い花。

「病んだ世界は、それでも望むんだ。在り続けることを。
 いつか、老いの辛さも、病みの苦しみもなくなって、ただ穏やかに在れると、信じているから。
 だから、終わる世界は夢をみる」

花は、一面に咲き誇っている。
緋色の月の下、どこまでも、どこまでも。

「終わらずに在り続ける、ただそれだけを祈るような、夢」

降り積もる雪のように。
或いは、万物に等しく眠りをもたらす、冬の灰のように。

「夢をみながら、キミたちの重みに耐えきれずに、世界は終わっていく。
 だからそれは、種を残すんだ。夢をみる種を」

白く、白く、ただ白く、大地は覆われている。

「終わりたくはなかったと、永劫を在り続けたかったと叫ぶ、純白の花を咲かせる種さ」

月下、咲くのは。

「そう、」

白い、白い花。

「この花の一輪、一輪が嘆きなのさ。終わる世界の悲しみだ。終わった世界の苦しみだ。
 その結晶が、この花だ。この地に咲く、僕の力の源だ」

さわ、と。
風に揺れて泣く、純白の群体が。
水瀬名雪を、囲んでいる。

607終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:22:16 ID:AA.5FDBE0
「キミの殺した、これが世界の詠嘆さ。受け止めてみせてよ、可能性」

さわ、さわ、さわ、と。
白の海原が泣く。
嘆きの音が、夜空を包んで揺り動かす。

「贖いを求める声を」

さわ、さわ、さわさわさわと。
花が、泣く。
泣いている、はずだった。
それは、ただの一輪であれば、微風に揺れる可憐な花でしかない。
ただ静かに、密やかに、散ることもなく赤い月を見上げるだけの花。
しかし、風に啜り泣く白い花は幾千幾万、否、幾億を超えて、見渡す限りを埋め尽くすように、
大地を純白に染め上げている。
無限をすら思わせる嘆きの重奏は、互いに重なり合い、混ざり合ってぐねぐねと捻じ曲がり、
次第に別の貌を見せていく。

「救いを求める祈りを」

さわ、さら、さわ、ざわ、ざら。さら、さわ、ざら、さら、ざら、ざらざらざら。
ざら、ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。ざらざらざら。
既に風は、やんでいる。
それでも音が、止まらない。
彼方に吹く風に揺れているのか。
或いは、嘆きの音のそのものが、隣り合う花々を揺り動かしているものか。
いずれ、音は、聲は、止まらない。
純白の水面を覆う嘆きは、今やどこか、嘲うような聲にも似て、緋色の月光をひりひりと焦がしていた。

608終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:22:34 ID:AA.5FDBE0
「安らぎを求める、切なる願いを」

月光を捻じ曲げて、花々は泣いている。
大気を磨り減らして、花々は嘲っている。
歪む。音に満ちて、夜空が歪む。
歪む。歪に満ちて、大地が歪む。
嘲う。嘆く。花が嘲う。花が嘆く。
嘲う。嘲う。嘲う。嘲う。嘲う。
歪みが歪みを生み出して、歪みに生み出された歪みが歪みを歪めていく。

「これが―――終わる世界さ」

純白の海原が荒れ狂う。
大気を歪める音は散らぬ花弁を波濤と変え、波濤は刃となり槍となり、宙を吹雪くように舞う。
漆黒の夜空が融け落ちる。
月光を歪める音は星ひとつない空を押し潰し、引き伸ばして隙間を作り、隙間から漏れた光で星を造った。
宙を舞う槍が空を刺し、吹雪く刃が天を突く。
突かれた星が魂消たように走り出し、天球を駆けて隣の星を衝き動かす。
隣の星がそのまた隣にぶつかって、星の散乱は瞬く間に夜空の全部に拡がっていく。
漆黒の空は幾つもの刃と槍とで切り裂かれ、その度に生まれたばかりの星々が犇めき合って、
そうしてその中心に、月が口を開けていた。
赤い月は、穴だった。
真黒い玉突台に空いた、大きな赤い、暗い穴。
夜空の真ん中で、蠢き犇めく星々が押し出されてくるのを、じっと口を開けて待っている、
そのうすら赤いぼんやりとした月に、次から次へと光の粒が飛び込んでいく。
星を呑んで、光を喰って、月が大きくなっていく。
血を啜る蛭の、醜く肥え太って赤く膨れるように。
赤い月が、星を啜って、夜空を齧って、膨れ上がっていく。
ぼってりと、赤く、紅く、緋く、真円を描いて、月が、空を覆っていく。

「―――」

ざらざらと音が満ちる。満ちる音が空を歪める。
歪んだ空に浮かぶ月が、ぎょろりと目を向いた。
もう、夜空は見えない。赤い、紅い、瞳だけが、
じい、と見つめている。音が、嘆き、嘲う音が、
海原と瞳と、白と赤を、歪め、撓め、拡散する。
瞳はいまや、牙だった。顎の開き、閉じる如く。
瞬きが、大地を喰らう。純白を一息に呑み込み、
月の瞳の顎に呑まれて、音が、嘲い、嘆く聲が、

―――消えた。


***

609終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:22:59 ID:AA.5FDBE0
***


月と、花と、音と、空と瞳との只中で、水瀬名雪は目を閉じていた。
恐怖の故にではない。
無論、諦観の故でにも、まして絶望の故にでも、なかった。
それは、確信の故にである。
そしてまた同時に、それはある種の恐怖と、諦観と、絶望を伴う確信でもあった。
無限に近い詠嘆の嵐の中で、名雪は己が確信の否定されるのを希求し、またそれが叶わないことを理解していた。

救われるだろう、と。
そう思う。
無限に近い有限の嘆きは、救われてしまうだろう。
それが、救われぬものという存在の、定義だ。

ただ一言を、告げさえすれば。
否、口にする必要すら、なかった。
ただ願えば。祈れば。求めれば、それは叶うのだ。

そうして、気づく。
救われぬと。
報われぬと嘆きながら、生き続けてきたのは。
水瀬名雪が、それを願わなかったからだ。
願えば、叶っただろう。
祈れば、救われただろう。
求めれば、報われただろう。

それをしなかったのは、何故だろう、と。
問いかけても、自身の内から返る答えの、あるはずもない。

きっとそれは、意地とか矜持とか、そういう風に呼ばれるものだ。
これほどに摩耗し、鈍化し、錆びついてなお、水瀬名雪の中に屹立し続けた、ただ一本の細い柱。
この世の果ての只中の、その一番の奥底でなお、水瀬名雪を阻むもの。

610終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:23:22 ID:AA.5FDBE0
だけど、と。
音の消えた世界の中で、名雪はほんの僅か、笑う。
それは、古びた鍵を手に、自らの足枷を眺める年老いた女の、力ない笑みだ。
己が手で己自身を律する恐怖と、昨日と違う明日が訪れることへの怯懦と、
幾枚かの小銭だけを蓄えた壺と、虫の涌いた埃だらけの布団を置いた寝台と、
晴れ渡った青い空の広がる小窓の向こうとを順に見つめて、なおじっと動かない奴隷の、
逡巡と悔悟と、追憶と追想と夢想とが入り交じった、笑みだ。

―――ああ、ああ。
もう、意地を張るのも、疲れた。

力なく笑んだまま、希望ではなく摩耗から、幻想ではなく鈍化から、
水瀬名雪は、己が心の中にある、細い柱を、そっと押す。
鍵穴に差し込まれた真鍮の、拍子抜けするほどあっさりとした小さな音を立てるように、
柱が、崩れた。

611終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:23:42 ID:AA.5FDBE0
「救われなかった世界と、人はいう」

それは、ただ、眠っていた。
眠っていただけだった。

「違う」

それは、消えない。
それは、滅びることもない。

「それは、その力を持つ者の前にあって、名を変える」

誰に知られることもなく。
誰に惜しまれることもなく。

「救われるべき、世界と」

ただそれが、求められるそのときを、待っている。
その名を呼ばれる、その時を。

「簡単なんだ、そんなことは」

その名を呼ばれるとき、錆は剥がれていく。
その力を求められるとき、煌きは、蘇る。

「私の好きな人なら」

それは、黴の生えた襤褸を纏った、みすぼらしい老人だ。
或いは、取り立てて見るべきところのない、凡庸な青年だ。
また或いは、教養もなく毎日の労働に追われる、無力な女でもあった。

しかしそれは、それを求める者の目には、ただ貴く、雄々しく、誇らしく映るのだ。

それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も美しく刃を捌く剣の遣い手であれた。
それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も速く空を翔ける天馬の騎手であれた。
それは、そうであらねばならぬとき、この世で最も高らかに正義を謳い上げる、最後の砦であれたのだ。

だから、告げる。
ただ一言、その名を。

「―――たすけて、祐一」

称してそれを、救世主という。



***

612終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:24:01 ID:AA.5FDBE0
***



そして彼は、蘇る。



***

613終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:24:26 ID:AA.5FDBE0
***


白銀の鎧があった。
量販店の棚に山と積まれた、安っぽいフリースのジャケットがあった。

悠久を凍りつかせたような、紫水晶と同じ色の瞳があった。
悪戯っぽい、どこか幼さの抜けぬ黒い目がぼんやりと開かれている。

冬の空の月光を紡いだような銀色の髪が風に靡いていた。
教師の目に止まらぬ程度にほんの僅かに脱色された濃茶色の、無造作な髪だ。

その背には翼が生えている。
三対六枚、磨きあげられた鏡のような銀の翼は、誰にも見えない。

美しい、それは少年だった。
青年へと移り変わる時期の奇妙な歪さを湛えた、道行く者の誰ひとりとして振り向かぬ、そんな少年だ。

それは、救済のためのシステムだ。
それは、ただそこにあるだけのものだ。

それは、相沢祐一という。
それを、相沢祐一という。

そして彼の前に、月も星も、夜空の隙間も純白の嘲う海原も、
何もかもが、沈黙した。

614終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:25:10 ID:AA.5FDBE0
相沢祐一は、大地を呑み込んだ月の瞳と、呑み込まれた花々の咲き乱れる大地とを無視して、
ただひとり、そこに立っている。

立っているから、そこには大地があった。
大地があるから、それは月に呑み込まれてはいなかった。
大地を呑み込んでいない月は、ただ天空の彼方に赤く浮かんでいる。
天空に浮かぶだけの月は、だから瞳などではなく。
そこはただ、月下の花畑でしか、ない。

何もかもが、かくあれかしと定められたままにそこにあり、故にそこには三つの影が、
緋色の月光に照らされて、立っている。

ざあ、と。
風に揺れる花々を見渡して、

「……、道化め」

と、琥珀色の瞳の少年が、吐き棄てる。
相沢祐一は黙して立ち、答えない。
水瀬名雪もまた、口を開こうとはしなかった。
ただ僅かに微笑を浮かべながら、祐一を見つめている。
優しげで、切なげで、悲しげで、誇らしげな、それは微笑だった。

「……錆び付いた剣。ノイズ混じりのロジック。
 そんなものが今更出てきて、何になるというんだい」

名雪の表情に、僅かに眉根を寄せながら少年が言う。
興を削がれたとでも言いたげな声音。

615終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:25:42 ID:AA.5FDBE0
「水瀬名雪。ねえ、今やキミは世界で一番の可能性のひとつなんだ。
 もうこんな時代遅れの張りぼてより、よほど大きな存在なんだよ。
 知っているだろう? これはもう、自分が何であるのかも分かっていない。
 自分の姿も保てない。自我だって、あるかどうかも分からない」

横目で相沢祐一を睨みながら、少年が続ける。

「これはただのシステムさ。もう駄目になったシステムでもある。
 一度限りの緊急避難くらいには使えるかも知れないけどね。それだけさ」

ぼんやりと輝き、ぼんやりとその輪郭を薄れさせ、ぼんやりと美しく、ぼんやりと凡庸に、
ただ立ち尽くしているような相沢祐一を、ひどくつまらないものを見たとでもいうように
小さく首を振り、溜息をついてから、少年は告げる。

「消えろ。お前なんか―――必要ない」

それは、崩壊の合言葉だった。
かつて完全であったもの、かつて瑕疵なく在ったものを容易く滅ぼす、ただの一言。
請願に呼応し救済を希求する、その存在意義が故の陥穽。
純粋な否定は、転移する癌細胞のように、相沢祐一を規定する要素を侵食し、破壊する。
果たして、少年の言葉が響くと同時。

「―――」

立ち尽くしていた相沢祐一の、時が止まる。
風に靡いていた銀色の、或いは濃茶色の髪までが、精緻な彫像の細工であるかのように凍り付いていた。
言霊が染み入るように、相沢祐一から色が失せていく。
紫水晶の、或いは飾らぬ黒い瞳が、白銀の鎧が、或いはありふれた上着が、誰にも見えない、
或いは誰の目にも鮮やかな三対六枚の翼が。
まるで世界から祐一を包む空間だけが彩度を失ったように、そのすべてが、薄暗い灰色へと変じていく。
ゆらり、と揺れたのは相沢祐一の身体だ。
否、祐一自身は未だ指の一本、髪の一筋すら動かしてはいない。
揺れたのは、その輪郭だった。
水に落とした飴玉の、ゆらゆらと溶けてその形を失っていくように。
相沢祐一の全身が、大気との境界線を揺るがせていた。
薄れ、揺らぎ、透き通り、混じり合い、融け合って、相沢祐一という存在の輪郭そのものが、
緋色の月光に満たされた大気の中に流れ込んでいく。
喪失と崩壊とが、止まらない。
それは紛れもなく相沢祐一がこれまでに何度も辿ってきた、消滅へと至る過程だった。

616終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:26:24 ID:AA.5FDBE0
「……さあ、邪魔者は消えるよ。続きと行こうか、水瀬名雪」
「……」

向き直った少年の、視線の先。
水瀬名雪はしかし、少年を見やりすらしない。

「……、何がおかしい?」

眉根を寄せたのは少年だった。
微動だにせず相沢祐一を見つめる、水瀬名雪の表情。
ただじっと視線を向けたその顔には、微笑だけが浮かんでいる。
相沢祐一の顕現したときと、まるで変わらない微笑。
滅びゆく姿を見つめる笑みでは、なかった。
つられるように祐一へと視線を戻した少年の表情が、険しくなる。

「……!? どういう……」
「無駄だよ」

水瀬名雪の、静かな言葉。
二対の視線の前で、相沢祐一に、変化が現れていた。
崩れゆく灰色であったはずの、その身体。
薄れかけた色彩が、夜の明けるように鮮やかに、彩りを取り戻そうとしていた。
色の戻るのと、歩調を合わせるように。
全身の崩壊もまた、止まっていた。
ゆっくりと、引いた波が寄せるように、輪郭がその境界線を取り戻していく。

「無駄なんだ」

白く長い指先の、吹き抜ける風の愛撫を受けるままに立つ相沢祐一を見つめながら、名雪が言う。
その眼前、銀色の翼が、夜空を裂くように蘇っていく。

617終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:27:15 ID:AA.5FDBE0
「祐一は、消えない。そんな言葉なんかに、負けたりしない」
「……っ!」
「だって、ここには」

気色ばむ少年を無視するように、名雪が両手を広げて周囲を見渡す。
そこには、

「祐一を必要としている世界が、こんなにも、あるんだから」

白い、白い花々が、咲き乱れている。
ざあざあと泣く、純白の海原が、相沢祐一を押し包むように、拡がっている。

「―――」

すう、と。
深紫色の瞳を虚空に向けたまま、花々のざわめきに身を任せるように立ち尽くしていた祐一が、
音もなく唐突に、その場に跪いた。
片膝をつき、屈み込んでその指を伸ばした先に、一輪の花がある。

「……つまらないことを」

呟いた少年に、笑みはない。
その瞳には蔑みと嘲りとが、ありありと暗い炎を燃やしている。

「言ったろう、その花の一輪が、終わった世界の結晶だって。
 周りを見なよ。それが幾千、幾万……どれだけあると思ってる?
 無限の世界、その命すべての嘆き、哀しみ、苦しさ、寂しさ―――。
 そんなものに、勝てるはずがない」

吐き棄てられた少年の言葉にも、名雪は錆び付いた微笑を崩さず、ただ一言を返す。

「勝つんじゃない。救うんだ」

618終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:27:40 ID:AA.5FDBE0
その声が静かな風に融けるのを、合図にしたように。
相沢祐一が、白い花に、触れる。
手折るでもなく、千切るでもなく。
微かに揺れる純白の花を、愛撫するように。
甘やかに、その手で包む。

「私は知ってる」

水瀬名雪の見つめる、その眼前。
まるで祐一の手に、その身を委ねるように。
白い花が、薄緑色の細い茎ごと、抜ける。

「本当の愛を、そんな風に呼ばれるものを見せてくれる、世界でたったひとりの人」

ずるりと抜けた薄緑色の茎には、奇妙なことに、根がなかった。
引き抜かれた大地に、根の残っているでもない。
まるで切花が一輪、大地に挿されていたように、その白い花は咲いていたのだった。

「幾千の嘆きも、幾億の悲しみも、たとえばそれが、無限にあったとして」

ぽたり、と。
垂れ落ちるものがあった。
地に埋もれていた細い茎の、切り取られたような断面。
そこから、ぽたり、ぽたり、ばたばた、と。
次第に勢いを増しながら垂れ落ちるのは、赤い、赤い汁だった。
黒みがかった赤褐色は不透明で、粘ついていて、どろり、ばたばたと。
まるで鮮血のように、止め処なく、流れていく。

「そんなものは、関係ない。関係ないんだ」

619終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:28:02 ID:AA.5FDBE0
その手から溢れ、腕に伝って白銀の鎧を染める深紅の液体を、ほんの一瞬見やって、
相沢祐一が、その白い花に、顔を寄せる。
捧げ持った花を、そっと抱きしめるように、いとおしむように。
純白の花弁に、唇を重ねた。

「祐一は、救うんだ。全部を」

赤く、紅く、血のような汁が垂れ落ちて、祐一の胸を、脚を、その身体を汚していく。
それにも構わず、相沢祐一は白い花弁へと口づけたまま、じっと花を抱きしめている。
ばたばたと、はたはたと。
流れ落ちる真っ赤な汁に、混じるように。
はたはたと、はらはらと。
一枚の花弁が、舞い落ちた。
それを、追うように。
花が、散る。
散って、舞い、緋色の月光に手を振るように、消えていく。

「―――」

祐一の唇に触れていた、最後の一枚が散るのと同時。
血のような汁も、止まる。
ただ細い葉と小さな萼だけを残した、薄緑色の茎を、祐一がそっと大地に置く。
置いて立ち上がった、その全身は深紅に染まっている。
返り血を浴びたように、或いは深い傷を負ったように、鮮血のような紅に染まって、
祐一がほんの一歩、足を踏み出す。
そこには、次の一輪が、待っていた。

620終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:28:29 ID:AA.5FDBE0
「そんな……」

少年の戸惑ったような呟きは、相沢祐一を止められない。
ゆっくりと膝を折った祐一が、純白の一輪を手にとって、抱きしめる。
やさしい愛撫とやわらかい口づけと、流れ出す血を浴びてなお翳りなく、嘆く世界を抱く姿と。
寸分の違いもなく繰り返される光景の最後に、白い花が、風に舞う。

「散っていくぞ、花が。救われていくぞ、世界が」

水瀬名雪の、謳うような声が響く。
そこに、流れる時はない。
緋色の月光に照らされた純白の花畑を、歩み、跪き、穢れに染まる救世の徒の前に、
時の流れの如きは、その意味を失う。
幾百の嘆きがただの一瞬に散り、たったひとつの純白の詠嘆は永劫を以て空に舞う。
幾千と、幾万と、ただのひとつと刹那と久遠とが、相沢祐一の歩みの前に凝集していた。

「やめろ……無理だ、無理なんだから……」

白い、白い花が舞う。
怯えたように手を伸ばす少年に背を向けるように、相沢祐一の行く先で、花が泣き、世界が嘆き、救われる。
救われて、いく。
純白の海原に舞う、白い花弁は波濤だった。
波濤は泡沫のように空へ舞い上がり、漆黒の夜空を、緋色の月光を、白く、白く侵していく。
可憐な白が、空と大気とを焦がし、その有り様を、塗り替えていく。


***

621終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:28:58 ID:AA.5FDBE0
 
「やめて……やめてよ……」

息の詰まるような白に包まれて、少年の声は力ない。
花の海原は、既に見えない。
舞い上がり、雨のように、風のように大気を押し包む純白は、果て無く続くはずの花畑の、
その果てまでが散る如く、闇を染め上げていた。
夜はもう、終わろうとしていた。
終わる夜に浮かぶ月は、夕暮れの公園に取り残された子供のように物悲しく、痛ましい。

「待ってよ……こんなのは、違うだろう……?」

ふるふると首を振って、白い闇の中、少年が両手を広げる。
眼前に立つ水瀬名雪に向かって、震える声を張り上げる。

「これは、最後の戦いなんだ……僕の、僕たちの、最後の戦いなんだから……!
 こんな風に、こんな、こんなの……だめだよ、ちゃんと、ちゃんとやらなきゃ……」

言葉にならず、それでも絞り出された声に、水瀬名雪がほんの一瞬、目を向ける。

「……、」

何かを言おうとして口を開きかけ、しかし、すぐに視線を少年から外す。
見やった先、水瀬名雪に向けて歩む、姿があった。
それきり名雪が、少年を見ることは、なかった。

「これで終わりなんだ! これが最後なんだ!」

叫ぶような声も、届かない。

「もっと、もっと遊ぼうよ! ずっと、ずっと!」

伸ばす手に、差し伸べられる指はなく。
水瀬名雪はただ一人、相沢祐一だけを、見つめていた。

「待って……待って!」

月が、赤い月が、夜を吸い上げるような純白に覆われて、欠けていく。
緋色の月光も、救われた世界の欠片に掻き消されて、少年には、届かない。


***

622終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:29:34 ID:AA.5FDBE0
 
「―――」

三歩の距離が、二歩になり。
二歩の距離が、一歩を埋めて。
そうして二人が、向かい合う。

大地に咲く花は既になく。
嘆く世界の、終わった世界のすべては、救われていた。

それで終わりなのだと、水瀬名雪は理解していた。
救世という、その一点だけが相沢祐一という概念だと、ならばそれが終わった今、
相沢祐一は存在を赦されないのだと、正しく認識していた。

だから、気付かなかった。
相沢祐一が眼前に立つのは、別れを告げに来たのだと、そう考えていた。
諦念と摩耗とが、水瀬名雪にそれを許容させていた。
それは何度も繰り返した絶望で、或いは幾度も乗り越えた終焉で、それだけでしかないと、
ただ、もう次がないと、それだけのことでしか、なかった。

だから、気付けなかった。
相沢祐一が、その手を伸ばすまで。
伸ばされたその手が、自らの胸に、そっと触れるまで。
そこに咲く、小さな白い花を、やわらかく撫でるまで。
そうして、その胸に咲いた花ごと、水瀬名雪を抱きしめるまで。

623終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:29:49 ID:AA.5FDBE0
「そう、か―――」

驚きはなく。
戸惑いもなく。
ただ、安らぎと、喜びだけが、あった。

「終わるんだね―――ようやく。
 好きな人の手で、私は、終われるんだね」

消えていく。
吐息を感じるような距離の向こうで、紫水晶の色が消えていく。
冬の月のような銀色も、輝く鎧も、煌く翼も消えていく。

そこにある。
凡庸で、悪戯っぽい黒い瞳が、そこにある。
ほんの少しだけ色を抜いた無造作な髪と、飾り気のない安っぽい服と、そうして、それから。
そこには、温もりが、あった。

「ありがとう―――祐一」

最後には、口づけを。
終わらない世界の、繰り返す時間の終わりには、ただ、愛しさだけが、あった。

小さな、白い花が。
音もなく、散る。




******

624終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:30:36 ID:AA.5FDBE0
 
 
 
咲く花は、既にない。
白く舞う花々は空に融け、漆黒を取り戻した夜が寒々と闇を湛えている。
どこまでも広がる茫漠たる大地が支えるのは、たったひとつの影だった。

「……どうして」

影が、呟く。
誰にも届かない呟きは、やがて地に落ち、染みていく。
吹く風に揺れる白の海原はなく。
嘆く声も、聞こえない。

音のない荒野で、少年が聞くのは、だから、声だ。
耳朶を震わせる音ではない。
かつて聞き、そしていつまでも少年の奥底の伽藍洞の中を響き続ける、消えない声だ。
永遠と久遠とを共に在り、これから迎える最後の時を、長い長い煉獄を、手を携えて見届けるはずだった、
幾つもの声だった。


―――余は、翼がほしい! この空を越えて、どこまでも飛べる翼が!

 ―――来てみれば、わかる……ってさ。

―――手をのばせ、こんちくしょー!

 ―――あたしの本当の名前を呼んで。そうしたら―――

―――ねえ、わたしたちは、きっと、ずっと、もっと、もっと―――


声はもう、内側にしか響かない。
去った者と、振り向かぬ者と、応えぬ者と。
繋ごうと伸ばした手の、届くところには誰もいない。

625終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:31:02 ID:AA.5FDBE0
「待ってよ」

力なく見上げて呟く声は、虚しく空に消えていく。

「そんなの、ないよ」

見上げた夜空には、星のひとつもない。
ただ取り残されたように、細い、細い、糸のように痩せ細った赤い月が、
ぼんやりと、浮かんでいる。

「僕を、置いていかないでよ……」

終わる世界の嘆きを統べた、無限の力も。
永劫を超えて辿り着いたはずの、最後の好敵手も。
誰も、いない。
何も、ない。
だから、

「―――ようやく、見つけた」

何もかもを失くした少年が、
夜明けの稜線に沈む月のように、ぼんやりと振り返って、その琥珀色の瞳に映った、
二つの影に向けて浮かべたのは。
縋るでも、疎むでもない。
薄く、薄く、ただ一欠片の失意だけを、滲ませた。
色のない、笑みだった。

626終焉憧憬(了):2010/01/23(土) 04:31:20 ID:AA.5FDBE0

【時間:すでに終わっている】
【場所:最果て】


少年
 【状態:―――】


天沢郁未
 【状態:―――】

鹿沼葉子
 【状態:―――】


相沢祐一
水瀬名雪
 【状態:消滅】

→693 924 1068 1103 1106 1110 1113 1115 ルートD-5

627/死:2010/02/06(土) 04:26:54 ID:D/ovS9dk0
 
******




血。
血だ。
生温くて、どろどろとして、ひどくいやな臭いのする、それは血だ。

止め処なく溢れ出すそれを見て、思う。
これは、僕の身体の中に、流れていたものじゃない。
だってそれはきっと、もっと綺麗なものであるはずだった。
それは命を支えてくれるものだ。
それは僕を満たしているものだ。
それがこんなに、いやなものであるはずが、なかった。

だから、それはきっと、汚れてしまったのだと思う。
僕の中に何かとても厭らしい、不潔なものが入り込んで、僕を濁らせている。

いま流れているのは、だからそういうものだ。
僕の中の汚いものが、だくだくと、だくだくと流れ出している。
痛みはない。うるさい声も、もう聞こえない。

ぼんやりとした眠気の中で、汚れてしまって、濁ってしまって、いやな臭いのするようになった
気持ちの悪い血がだくだくと、だくだくと広がっていくのを、僕は、ただじっと見つめている。




******

628/死:2010/02/06(土) 04:27:16 ID:D/ovS9dk0
 
 
 
「……ああ、天沢郁未か」

それは呟くような声だ。
目の前に立つ人影に向けているようで、しかしその実はどこにも向けていないような、
独り言じみた呟きが、少年の口からは漏れている。

「突然で、それからとても残念な話なんだけど」

掠れた声は、星のない夜空に吸い込まれるように消えていく。
暗く、重く垂れ込める空は波立つこともなく、ただ乾いて剥がれる薄皮のような声を受け止めている。

「キミが捜してるのは、僕じゃないよ」

笑みの形に歪んだ口元に、表情はない。
感情も、情念も、そこにはない。
色と温度のすべてをどこかに置き忘れてきたような顔で、少年がぼそぼそと続ける。

「彼はもう、どこにもいない」

漏れ出す言葉はだから、真実の色にも、虚構の色にも染まってはいない。
淡々と、録音された音声を繰り返す壊れた機械のような声には、ただそれだけの意味しかない。

「知ってるだろう、あの夜に死んだんだ」

あらゆる装飾を廃して意味だけを固めたような、それは言葉だった。
路傍の石の如く無価値で、牢獄の鉄格子ほどに無遠慮で、死に至る老人のように無彩色な、言葉。

629/死:2010/02/06(土) 04:27:37 ID:D/ovS9dk0
「……ああ、そうだ。何なら代わりを造ってあげようか」

触れれば砕けて粉になる、木乃伊の浮かべるのと同じ形の笑みを口元に貼りつけて、
少年が小さく頷く。

「そうだ、それがいい。キミがずっと捜していた、彼だよ」

いい考えだと呟いて、答えのないまま頷いて、不毛の大地に目を落とす。
どこまでも拡がる赤茶けた土の上には、枯れ果てた草の細い茎が無数に横たわっている。

「似たようなものなんかじゃない」

ほんの僅かに踏み出した、その足の下で枯れ草が折れて乾いた音をたてる。
かさかさと耳障りな、少年の声音と同じ音。

「寸分違わず同じものを、キミにあげよう」

枯死の音を口から漏らしながら、少年は薄く力ない視線を、眼前の影に向ける。
向けて、すぐに目を逸らした。

「だからもう、帰ってくれ」

視線を合わせぬまま、深々と息をついて、少年はようやくにそれだけを、呟く。

「疲れてるんだ」

呟いて、首を振る。

「僕をひとりにしてくれ」

俯いたまま、何度も、何度も。

「僕はもう、ここでずっと、」
「―――知ってたよ、そんなのは」

どこまでも沈み込んでいきそうな少年の言葉を遮ったのは、真っ直ぐに斬り込むような、声音だった。
天沢郁未が、口を開いていた。

630/死:2010/02/06(土) 04:27:59 ID:D/ovS9dk0
「あいつは死んだ」

微かに射す緋色の月光の中、その姿は乾いた血糊に抱かれて、どこまでも暗い。
傍らに立つ鹿沼葉子もそれは変わらず、しかし共通するのは、その瞳であった。
星もなく、浮かぶ月も細く弱々しい夜空の下、二対の瞳は闇を蹂躙して輝いている。

「死んだんだ。誰が何を言ったって、私だけは疑えない。疑っちゃいけない」

纏った襤褸も、露出した肌も赤黒く染め上げて、しかし凛と背を伸ばし、
郁未は微塵の揺らぎもなく死を口にする。

「それを、私は感じたんだから。感じられたんだから」

言って、笑む。
愉ではなく、悦でもなく。
哀を割り砕いて充足と宿望とで月光に溶いたような、笑み。
何かを求める笑みではない。
何かを味わう笑みでもない。
ただ、終わった時間を、流れ去った何かを懐かしく思い出す、そんな笑みだ。

「だから分かるよ。あんたがあいつじゃないってことくらい」

静かに、風が吹き抜ける。
空に流すように、郁未が笑みを収めた。
収めてしかし、瞳はぎらぎらと輝きながら少年へと向けられている。

「だけど、来たんだ。だから、来たんだ」

左手には長刀を、右の手は拳を握り込んで。
少年を射竦めるように見据えながら、郁未が言い放つ。

「夜をぶっ飛ばしに」

631/死:2010/02/06(土) 04:28:22 ID:D/ovS9dk0
幽かな月光を反射して光った長刀の刃が、ぐるりと回る。
緋色の弧が、大地を向いて止まった。

「私と、あいつと、私たちにとっては、もう終わった夜に」

振り向かず掲げた柄に、かつりと硬い音。
傍ら、金色の髪が靡く。
鹿沼葉子の持つ鉈が、郁未の長刀に小さく打ち合されていた。

「そんなものに、まだしがみついてるヤツがいるんなら、私が、私たちが、
 教えてやらなきゃいけないから―――」

もう一度、小さな音。
郁未からも、得物を打ち合わせて。
視線は少年に向けたまま、しかし呼吸は寸分違わぬ確信をもって、手にした刃を、振り下ろす。

「だから、来たんだ」

一対の刃が、大地を突き穿ち。
風が、声を運ぶ。

「もう一度、ここへ」

突き刺さった長刀から手を離し、郁未が深く息を吐く。
ほんの半歩踏み出して、残りの距離は十歩分。
手を伸ばしても、まだ届かない。
届かなくても、刃を離したその手には、差し伸べるだけの、空きがある。
だから更に一歩を進んで、

「―――!」

しかし踏み込んだのと同じだけ、僅かに一歩を後ずさった少年の、琥珀色の瞳がほんの一瞬、
郁未を見返して、再び弱々しく逸らされるのに、足を止めた。
溜息を一つ。
沈黙は二呼吸分。
それから大きく息を吸って、何かを言おうと見上げた空に、薄ぼんやりと細く赤い月が浮かんでいた。

632/死:2010/02/06(土) 04:28:49 ID:D/ovS9dk0
「……ああ、何だ、そっか」

それを見て、拍子抜けしたように郁未が呟く。
溜めていた言葉は、どこかに置き忘れたようだった。

「あのときの、あれも」

細い、細い、赤い月の欠片。
一つの物語が終わった夜の、その最後に見た、真実。
真実というネームプレートを下げた大根役者が、夜空にぽつりと浮いていた。

「結局、あんただったんだね」
「……それは、そうさ」

呆れたように視線を下げた郁未の眼前、少年が頷きもせずに答えていた。
力なく赤茶けた地面を見下ろしながら、ひどくつまらなそうにぼそぼそと声を漏らす少年の、
銀色の髪の先が風に揺れて薄い月光を掻き毟る。

「ただの人間が、僕をどうにかできると思ったのかい」
「まあ、頑張れば」
「……」

事もなげに言ってのける郁未に、少年が絶句する。

「……そもそも僕は、僕たちじゃない」

降りた沈黙を埋めるように言葉を継いだ少年の声音には、僅かに呆れたような響きがある。
水底に沈む船から漏れた泡沫のように儚く幽かな、それはしかし、少年が郁未たちと向きあってから
初めて見せた、感情と呼ばれるものに近い何かの萌芽でもあった。

「僕は、僕さ。ずっとここにいる僕だけさ。捕まる『種族』なんて、どこにもいやしないんだ。
 いるとしたらそれは、僕が望んで提供した人形だよ」

言葉が、言葉を引きずり出す。
そして心もまた発した言葉に手を引かれるように、琥珀色の瞳に、ほんの少しづつ光が宿っていく。

「世界は人の塊だ。人を動かせば世界は変わる。そういう意味で教団は有用だった。
 君たちという可能性を生み出したんだ。そこにいるだけで世界を変える、大きな物語を」

少年の瞳が、天沢郁未と鹿沼葉子を、映す。
映し、怯んで、しかしついに逸らすことなく、二対の視線を、見返した。

633/死:2010/02/06(土) 04:29:13 ID:D/ovS9dk0
「キミたちの力……不可視の力とキミたちの呼ぶそれは、元々は僕の力だ。
 教団はそれをキミたちに……正確には人間に、広めるために存在したんだよ」
「……だけど、FARGOはもうない」

向けられた少年の瞳をじっと見据えながら教団の名を口にする、郁未の声に揺らぎはない。
憎悪も嫌悪もなく、無感動に無感傷に、それを告げる。

「ええ。教団は私たちが壊滅させました。あなたから頂いた、この不可視の力で。
 存命の関係者は、最早片手で数えられる程度のはずです」

淡々と言葉を継いだ鹿沼葉子の声音にも、押し殺した感情は存在しない。
それが回顧をもってのみ語られる、過去の事実でしかないというように。

「力を寄越して研究させて、力でそれを潰させて。全部があんたの差金なら、与えて、奪って……。
 何がしたかったのさ、一体」

溜息混じりに首を振る郁未に、少年の表情が曇る。
答えを求める問いではなかった。
それでも、少年は口を開く。

「それは……汐から、聞いてるだろう」
「あんたからは聞いてない。それを聞いてるとは、私は言わない」

絞り出されたような少年の言葉を、郁未が言下に否定する。
強い視線と、声だった。

634/死:2010/02/06(土) 04:29:45 ID:D/ovS9dk0
「……」
「……」
「……希望を」

沈黙に押し負けたのは、少年だった。

「希望を、求めていた」

声は、掠れている。
しかしそこに、虚飾はない。
虚栄も虚構も削ぎ落とされた、それは少年という存在の結晶した、言葉であるようだった。

「僕は、生まれたかった。幸せになりたかった」

なりたかったと、口にする。
終わってしまった夢のように。

「それだけさ。それだけなんだよ」

言い放って、郁未の目を見た少年が、表情を変える。
浮かべたのは、嘲笑だった。
郁未たちに向けられたものではない。
ただ自らを蔑み蝕むような、嘲笑。

「……で、そんな僕に何を教えてくれるんだい、天沢郁未、鹿沼葉子」

嘲う少年が、両手を広げる。
その手の先では、空と大地とが、少年を包んでいる。

「生まれることすらできなかった僕に」

少年を囲む大地に、咲く花はない。
散らばった枯れ草と赤茶けた土だけがどこまでも続いている。

「求めて、終に与えられなかった僕に」

少年を見下ろす夜空に、光る星はない。
病に冒されたように痩せ細った赤い三日月だけが、ぼんやりと浮かんでいる。

「キミたちは、何を教えてくれるっていうんだい」

少年の広げた手に、触れる指はない。
そこには誰も、いなかった。
だから、天沢郁未は、一歩を踏み出して、口を開く。

「そんな、御大層なことじゃあないけどね。
 気づかない方がどうかしてるって、その程度のこと」

635/死:2010/02/06(土) 04:30:03 ID:D/ovS9dk0
少年は、下がらない。
下がらない少年に、更に一歩を近づいて、その目を真っ直ぐに見返して、言う。

「―――夜はもう、明けてるんだ」

残りの距離は、八歩分。
遠い、遠い、八歩。
しかし、ただの、八歩だ。

「私は誰だ? 私たちは誰だ? 天沢郁未だ。鹿沼葉子だ」

踏み出せば、七歩。

「それで、あんたは誰なの?」

六歩が、五歩に。

「名前もまだない。私はあんたをなんて呼べばいいのかだって分からない!」

四歩は、三歩になる。

「―――こっち、来なよ」

ほんの三歩の向こう側へ、手を伸ばす。
それが、最後の一歩分。
残りの二歩を、その向こう側に、託して。
天沢郁未が、足を止める。

「……」

差し伸べられた手を、少年はじっと見詰めていた。
ただ一歩を踏み出して、手を伸ばせば、残りの距離は、零になる。
零の向こうに、目を凝らすように、耳を澄ますように。
少年はその手を、じっと、じっと見詰めている。

「―――」

何度目かの風が、吹き抜けた。
風に背を押されるように、少年が顔を上げる。
天沢郁未を見て、その傍らの鹿沼葉子に目をやって、もう一度天沢郁未へと目を戻して、

「―――、」

そうして口を開こうとした、その瞬間。

聲が、響いた。


***

636/死:2010/02/06(土) 04:30:29 ID:D/ovS9dk0
***



『―――道は一筋にあらず』



***

637/死:2010/02/06(土) 04:31:03 ID:D/ovS9dk0
***


それは、聲だ。
姿なく、風も震わせず、しかし響き渡る、聲だった。

『青の最果てに佇む者、来し方より行く末を定める者、ただ一人、道を選ぶ者―――』

歳の頃は、少女。
しかし声音は冬の雨のように重く、冷たい。

『あなたは問い、私は答え、それでもなお、迷うなら―――』

あなた、と響いたその聲の指すのが少年であると、その場の誰もが理解していた。
指差すように、睨みつけるように、声音は響いていた。
故に、天沢郁未と鹿沼葉子は動けない。
今このとき、己は傍観者に過ぎぬと、理解していた。

『この世の価値を、命の価値を、分からぬままに惑うなら―――』

忍び寄るように。囁くように。断罪のように。神託のように。
聲が、ぐるぐると少年を取り巻いては、夜に染み入るように消えていく。

『ならば今一度、答えましょう―――』

風に融けた聲が、大気に混じってその密度を濃密にしていく。
聲が、肌にぬるりと感じられるほどに凝集した聲が、風と、夜とを練り固めて。

『示しましょう―――言葉ではなく、かたちを』

そこに、赤い光を灯す。

『―――最後の、道を』

638/死:2010/02/06(土) 04:31:31 ID:D/ovS9dk0
いまや弱々しい、緋色の月光ではない。
そこにあるのは、真紅だ。
赤という言葉の意味を形而上から引きずり出したような、真紅。
そうして浮かぶ、真紅の光の中心に、何かがあった。
震えるように、微かに痙攣する何か。
拳ほどの大きさの、ぬらぬらと蠢く肉のような質感。
それは、心臓である。
あらゆる血管と臓腑とから切り離されてなお脈を打つ、人間の心臓に他ならなかった。

「何さ、道って……。問いって……」

赤い光の中に浮かぶ心臓を見つめながら、少年がようやくに声を絞り出す。
戸惑ったような呟きだった。

「僕は……僕は、そんなこと、知らない」
『いいえ』

否定は、即座。

『いいえ、いいえ。あれはあなた。あなたの声。あなたの問い』
「そんな……」

なおも何かを言い募ろうとする少年の弁明を断ち切るように、朗々と聲が響く。
聲に震えるように、浮かぶ心臓がひくり、ひくりと蠢いた。

『あなたは確かに問うたのです。あの地の底の、神座で。赤と青との、戦の果てに』
「……」

釈明を蹂躙し、降りた沈黙の中に姿なき聲だけが谺する。

639/死:2010/02/06(土) 04:32:00 ID:D/ovS9dk0
『巡り廻る、答えの一つがその手なら―――』

とくり、と。
赤光に浮かぶ心臓が、その鼓動を大きくする。

『この世の在り様の罪咎を、肯んずるのがその手なら。赤は否やを示しましょう』

そしてまた、赤光自体も次第にその輝きを増しているように、見えた。
心臓が脈を打つたび、送り出されるべき血の代わりに、光が満たされていくようでもあった。

『続き、続く世界を、認めないと。不完全に、不手際に、片手落ちに続く世界は、幕を下ろすべきであると。
 ここが世界の最果てならば。否を以て、その選択に介入すると』

心臓が、脈を打つ。鼓動が、次第に早くなる。
光が、その密度を増していく。聲が、その圧力を増していく。

『肯んじ得ぬすべてを、終わらせる道を―――青の最果てに、示しましょう』

謳い上げるような聲と、鼓動を打つ心臓と、輝きを増す赤光と。
赤の響きが、朽ち果てた大地と夜空を、支配していく。

『ここは最果て。世界の極北。これはあなたの物語。あなたが消えれば、世界も消える』

囁くように、叫ぶように、夜空と大気とに練り込まれた聲が、ただ一人へと向けられる。
銀色の髪が、赤光に照り映えて煌めいた。

『これが最後の選択肢』

琥珀色の瞳が、どくりどくりと脈打つ肉塊に捉えられて、離れない。

『選びなさい、物語の行く末を』

時を越えて在る少年に、
すべてを失くした少年に、
何も得られずに終わろうとしていた少年に、

『あなたの描いてきた、世界という物語の結末を』

時を越えて在る少年に、
すべてを失くした少年に、
何かを得たいと望んだ少年に、

『苦界へと続く、その手を取るのか』

聲が、刃を突きつける。
それは、選択という刃だ。
未知という鋼を決断という焔で鍛えた、己が手を裂く、抜き身の刃だ。
どくり、と刃が脈を打つ。

640/死:2010/02/06(土) 04:32:22 ID:D/ovS9dk0
『或いは』

その聲を、合図にしたように。
赤光が、どろりと垂れ落ちた。
濃密な光が、ついには飽和の限界を超えて質量を得たかのように、糸を引きながら流れ出す。
流れる光の中に揺蕩っていた脈打つ肉は、しかし地に落ちることもなく、そこに浮いていた。
赤光がすっかり落ちきって、宙に残るものはもはや輝くこともない、てらてらとした粘膜の塊だった。
寒空の下に露出した、桃色と乳白色と淡黄色との混じり合った塊が、身震いするようにふるふると揺れた、
次の瞬間。
地に垂れ落ちて溜まっていた、赤光であったものが、唐突に爆ぜた。
蕾の弾けて咲くように、朽ちた大地に真紅の大輪が花開く。
月下、大地に咲く真紅と、その真上に浮かぶ桃色の心臓。
やがて実となり種を成す、それは花弁と雌蕊のようにも、見えた。

と。
ぐじゅり、と濡れた音がした。
爆ぜて散った、赤光であったものから、何かが芽を出す音だった。
ぐずぐずと、ずるずると、どろどろと伸びるそれは細い、今にも千切れそうな桃色の、肉じみた気味の悪い芽だ。
ひとつひとつが頼りなげにふるふると蠢く肉の欠片が、そこかしこに散った赤光の欠片から一斉に芽吹いていた。
肉の芽は刹那の間に肉腫となり、赤光であったものを吸い上げながら伸びていく。
ほんの数瞬の後、それは既に芽と呼べるものではなくなっていた。
桃色の茎。否、根もなく葉もなく、ふるふると揺らぎ蠢くそれは、糸である。
数千、数万を超す桃色の肉糸が、ぐずぐずと伸びていく。
無数の肉糸は伸びる内に互いに撚り合わされ、次第に太く変じながら、宙の一点を目指していくようだった。
その先に浮かぶのは、どくり、どくりと、今やはっきりと鼓動を打つ心臓である。
煉獄の亡者の蜘蛛の糸に縋り、争って手を伸ばすように、肉糸が心臓へと迫り、伸びて、
そしてとうとう桃色の糸が、その最初の一片が、心臓に触れる。
触れて、融け合った。
融けた糸が、ずるりと心臓に巻き上げられて、太い動脈に変わっていく。
次の一片は、別の血管に変わった。
変わってできた動脈に、新たな糸が融け合って、その経路を分岐させていく。
幾十の糸が、瞬く間に複雑な血管を形成し。
幾百の糸が、それを包む神経細胞と膜と脂肪とを作り上げ。
幾千、幾万の糸が、骨格を、その中に生み出していく。
筋繊維が、腱が、関節が、無数の糸によって縒り上げられ、一つのかたちを成していく。
皮が張り、指が分かれ、爪が生え、白い歯が、真っ直ぐな鼻梁が、歪んだ耳朶が、腕が、脚が、
人が、造り上げられていく。

『或いは―――』

最後の糸が、ずるりと巻き上げられて、眼窩に収まっていく。
星空を織り込んだような長い黒髪を、白くたおやかな手が、煩わしげにかき上げる。
そこに、黒い瞳があった。
ぎらぎらと輝く、瞳だった。
瞳は、笑んでいる。
牙を剥くように、笑んでいる。

『もう一つの物語に―――呑まれるのか』

美しい、それは女のかたちをしていた。
美しく、猛々しく、そしてどこまでも、どこまでも、昏い。
女の名を、来栖川綾香といった。




******

641/死:2010/02/06(土) 04:32:49 ID:D/ovS9dk0
******

 
 
 
傷。
傷だ。
閉じているべきものが割れ裂けて、そこから血が流れている。
だからそれは、傷口だ。

傷の中にはきっと、膿と汚れと、もう感じない痛みだけが、ある。
流れ出すのは、濁った血だ。
僕の身体がいやがって、膿と汚れに抗って、押し流そうと垂らす血だ。

早く、早く出てこいと願う。
気持ちの悪いものは、いやな臭いのするものは、この身体の外に出ていってしまえと思う。
その、一方で。

出てくるな、出てくるなと祈る、僕がいた。
おぞましいものが、吐き気をもよおすようなものが顔を覗かせたら、僕は耐えられない。
そんなものがこの身体の中にあったことに、そんなものにこの身体を穢されたことに、きっと耐えられない。
これから先のずっと、そんなものが汚した血が流れ続ける苦痛に、そんなものが身体のどこかに
ぶつぶつとした卵を産み付けているかもしれないという恐怖に、僕はきっと耐えられない。

だから僕は、希う。
傷口も、汚れた血も、膿にまみれたいやなものも、全部、全部なかったことになればいいのに、と。
そんなものは初めからなくって、僕は汚れてなんかいなくって。そんな夢を、希う。
だけど、それは叶わない。

僕にはわかる。
わかってしまう。
この傷口の奥には、それが確かにいるのだと。

それは僕の身体を蝕んで、僕の肉と心とを貪って、ぶくぶくと肥えた、怪物だ。
生まれてくる。
それはもうすぐ、生まれてくる。

どろりと汚れた、黒っぽい血と。
ぐずぐずといやな臭いのする、薄い黄色の粘つく膿と。
そういうものと混じり合って。

こんな、おぞましい傷口の中から生まれてくるものは、きっと、




******

642/死:2010/02/06(土) 04:33:08 ID:D/ovS9dk0
 
 
 
女の笑みに、囚われて。
ぐらり、と少年が揺れる。

「僕は……」

流れる脂汗と、蒼白な顔色。
どくり、どくりと響く音に掻き消されるような呟き。

「僕は―――」

振り返れば、そこには瞳。
手を差し伸べる、真っ直ぐな瞳。

「―――、」

どくり、どくりと世界が揺れる。
脈打つ鼓動の音が。
星のない夜空を圧し潰すように。
どくり、どくりと、響いている。

643/死:2010/02/06(土) 04:33:31 ID:D/ovS9dk0
 
 
【時間:すでに終わっている】
【場所:最果て】

少年
 【状態:最終話へ】

天沢郁未
 【状態:最終話へ】

鹿沼葉子
 【状態:最終話へ】

里村茜
 【状態:―――】

来栖川綾香
 【状態:―――】



【時間:2日目 午後6時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

春原陽平
【状態:最終話へ】


→999 1096 1113 1116 1122 ルートD-5

644インターセプト:2010/02/08(月) 23:21:38 ID:UUiEoiqU0
「っ!」
「なっ?!」

一触即発に見えた場の雰囲気を拡散したのは、突如躍り出た乱入物だった。
霧島聖に対して狙いを定めていた少年も、これには後退を余儀なくされる。
その聖はと言うと、かけられた一ノ瀬ことみの声ですかさずしゃがみこみ、宙を舞うそれ等の行く末を息を飲みながら見守っていた。
はんなりとした放物線を描く小瓶、舞っている数は計三つ。
小瓶の先、ともる炎の色はオレンジがかった赤いものである。
布だろうか。火の元となっているそれは、よくみればしっとりと塗れていた。
そんな小瓶を待ち受けているのは、保健室の固い地面。

危ない。気づき、一つの舌打ちと共に膝のバネを使って立ち上がる聖の目の前、小瓶は容赦なく砕け散った。
ガラスの割れる旋律が連続して聖達の耳に入ると同時、揺れる炎はたちまち周囲へと広がっていく。

(随分と危ないことを、してくれたものだな……っ!)

燃え上がる炎が広い範囲を陣取るのに、時間はそうかからないだろう。
古い建物であるこの鎌石村小学校、木造ではないが周囲を舞う大量の埃がここにきて最大の火付け役になっていた。
炎の規模は、ますます膨らんでいくに違いない。
まだ調べきっていない場所からおかしな薬品が出てきたら、厄介なことになる。
必要なのは、早めの脱出だ。
そのためにも聖達はまず、対峙しているこの少年を何とかしなければいけない。

(……! そうだ、あれなら)

素早く周囲を見渡した聖が目に付けたのは、先ほどまで相沢祐一が眠っていたベッドだった。
ベッドを仕切るためにかかっているカーテンには、小さな炎の花が虫食いの様になって咲いている。
その光景から一つの閃きを得た聖は、瞬間、そこに向かって一気に駆け出していた。
立てられた派手な地鳴り、聖の奇行に少年もすぐ気づく。
手にしていた機関銃の先端を、少年は躊躇することなく聖へと向け、その引き金に指をかけた。

645インターセプト:2010/02/08(月) 23:21:57 ID:UUiEoiqU0
「駄目。撃たせない」

すかさずスカートのポケットに手を突っ込んだことみが、新たな武器をその手にする。
瓶を放った後隅の方へ逃げていたことみが取り出したのは、少年も一度痛手を負っている、暗殺用十徳ナイフである。
いくらか練習でもしていたのだろう、ことみはそこそこ慣れた手つきで備え付けられている吹き矢の吸い口に唇を寄せると、間髪なくセットされていた矢を少年に向け打ち込んだ。

「おっと!」

鋭い棘は、構えていたMG3を今正に発砲しようとしていた少年へと、真っ直ぐに向かって飛んでいく。
しかし軌道が読みやすかったからか、少年が矢を避けるのは容易いことだった。

「ことみちゃん、君の相手は次だから。少しだけ我慢してて、ねっ!」
「きゃっ」

スナイパーの如く少年を遠方から狙っていたことみの真横、走る銃弾は牽制か。
敢えて致命傷を避けているかのような動き、少年は小さな悲鳴を上げ逃げ惑うことみを楽しそうに見つめている。
そんな二人を尻目に、聖はと言うとさっさと目的の場所へと辿り着いていた。
聖からすれば、ことみが少年の気を引き付けてくれたおかげで事がスムーズに行ったことになるだろう。

(すまないことみ君、もう少しだけ耐えてくれ……っ)

心の中でことみに対する謝罪を繰り返しながら、聖は少年の気がこちらに向かないうちにと行動を起こす。
ベアークローで布地を裂かないようにと、聖は気をつけながら炎のともるカーテンを掴んだ。
足に踏ん張りをかけながら聖が全身の力でそれを引っ張ると、カーテン地が固定されている鉄のバーがミシミシと上下に揺れる。
バーの上部、何箇所にも渡りしっかりと括られているカーテンがこれで外れる気配はない。
それならばと。
今度は敢えて突き刺すように手を突っ込み、聖は装着したベアークローでしっかりとした布地を引き裂いていく。
聖は瞬く間に、無残な姿と化したカーテンを自身の手に堕とした。

646インターセプト:2010/02/08(月) 23:22:17 ID:UUiEoiqU0
一箇所にまとめられたことで、炎の移りは今まで以上の速度を持って進行する。
小さな花は、やがて大きな松明のように変化していくだろう。
形が崩れないようにと、聖はまだ火のついていない残っている布地を一箇所に集め、幾重ものしっかりとした固結びを作った。
こうしてできた塊は、まるでブーケのようにも見える。
炎のともる、真っ赤な花束。狙っていた物の完成に、聖の顔にも笑みが浮かぶ。

「せんせっ、駄目っ」

聖が冷水を浴びせられることになるのは、その直後だった。
か細いのは相変わらずなものの、ことみの声には今まで以上の焦りが含まれていただろう。
はっとなる。聖の脳裏に走る予感が、警告音を打ち鳴らした。
すぐ様泳がせた聖の視線、膝をつき、身を乗り出すようにしたことみの形相が一瞬移りこむ。
その先、視線の終末点に彼はいた。
ことみを相手にしていたはずの少年と目が合い、聖はしばしの間彼と静かに見つめ合った。

燃えるカーテンの熱の影響ではない汗が、聖の額をしとどに塗らす。
少年の口元は、緩んでいた。
今ならはっきりと伝わる、その邪悪さ。

息が詰まる。
取れない身動き。
ちりちり、ちりちり。
手にしていた布地部分までついに炎が侵食してきたが、聖は固まったままだった。

少年の手にある、凶器。
矛先は聖へと、再び向けられている。
その姿勢は、既に固定された後だった。
少年がトリガーを引けば、機関銃にセットされた銃弾がたちまち聖を蜂の巣にするだろう。

「それじゃ、さようなら。君は本当につまらなかったよ」

647インターセプト:2010/02/08(月) 23:22:35 ID:UUiEoiqU0
最期の言葉、間に合わなかったということ。
その非情さに、聖は強く唇をかみ締める。
諦めることなんてできない。
できっこなかった。
聖は強く、少年を見据える。
強く強く。視線で殺せるくらい、じっと少年を刺し続ける。

少年という一つの点に注がれる、二つの線。
聖の眼差しともう一つ、それはことみが送るもの。
少年の追随で、彼女の足元には焦げた穴が複数ある。
そこでぺたんと、ことみは尻餅をついていた。
腰が抜けてしまったのか、彼女の下半身はぴくりとも動かない。
静止したままことみは頭をフルに回転させ、自分の持ち物の中で何かこの場を打開できるものがないか、必死になって考える。

先ほどことみが即興で作成した火炎弾の複製は、材料の関係でもうできない。
床に転がっていた空き瓶も、相沢祐一の手当てで使用したこともありただでさえ残り少なかった消毒用のアルコールも、ことみは全て使い切ってしまっていた。
持ち込んでいた100円ライターは残っているが、それだけでは無用の長物である。

ぎゅっと。掴んだままの十徳ナイフを、ことみはしっかり握りしめた
これでどう応戦できるか。
考える。
考える前に行動を、とも思うが、ことみの足は彼女の言うことを聞こうとしない。

言葉が出ない。
ことみの頭が、真っ白に、なる。

648インターセプト:2010/02/08(月) 23:22:51 ID:UUiEoiqU0
直後、数発鳴った銃声音。
驚きと恐怖でびくっと身構えたことみは、聞きたくないと言った風に頭を抱え込むとそのまま小さく丸くなった。
ふるふると震えることみの様子は、まるで小動物である。
今のことみに、果敢な聖をサポートしていた影はない。
切れかけた緊張の糸が、ことみを絶望の淵に追い込んでいく。

「がっ!」

低い低い呻き声。
襲われた痛みに対するものだろう。
断続的に漏れる洗い息は、ことみの元までしっかり届いている。
その痛ましいこと。
ぎゅっと目を瞑り、ことみは自身を殻の中へと逃がそうとする。
その間も、騒音はずっと続いていた。
駆ける音、逃げる足音。

「このっ!!」

銃声、銃声。
今頭を上げれば、自分にも空洞が作られるのだろうか。
自身が作り上げた想像に身を震わせることみ、しかし彼女の耳はその違和感をしっかりと捕らえていた。

(……?)

恐れる心が一端引く、それはことみの頭がしっかりと働いている証拠になるだろう。
ことみは気づく。
冷静になったところで、ことみの解答はすぐに用意された。

……発砲音は、今も尚ことみの背後から発せられている。

649インターセプト:2010/02/08(月) 23:23:13 ID:UUiEoiqU0
ことみは少年と距離を取り、広瀬真希や遠野美凪が逃走に用いた校庭に続く窓付近に位置していた。
そんなことみの後ろに、このタイミングで少年が回り込むことは現実的に考え不可能だ。

「立ちなさい! そのまま窓から逃げていいからっ!!」

誰かの叫び声、それと同時に保健室の床ががなりを立てる。
人の気配に顔を上げようとすることみだが、その前に自身の頭を抱えていた腕を強い力で引っ張り上げられた。
丸く固まっていたことみの戒めが解かれる。
開かれたことみの視界、眩しさを感じる中映りこんできたのは、鮮やかに揺れる真っ赤な炎だった。
燃える保健室とは、また別の紅。

「つつ……さすがに腕が痛いわね」

苦言を漏らしながらも、手にする拳銃を下ろそうとは決してしない。
そうしてまた駆け出した少女、向坂環。
もう一つの『赤』が、いつの間にかそこに存在していた。





開け放たれた保健室の窓にかかる白いカーテン、その隙間から見えたもの。
聖やことみが追い詰められていた様は、遠目にいた環にも容易く伝わっていた。
まだ炎が移っていない分、部屋の中とのコントラストは環からすると不気味としか表現できないだろう。

何とか保健室の窓際まで辿り付いた所で、環は迷うことなく引き金に手をかける。
しっかりと足場を固めるが、彼女も拳銃を撃つのは初めての行為だ。
せめて威嚇の意味にでもなってくれればと、環は足を止めている少年を狙い二発の銃弾を撃ち放った。

650インターセプト:2010/02/08(月) 23:23:28 ID:UUiEoiqU0
「っ!」

反動で震える体を耐えさせながら、環はそれでも見据えた視線の先で自分の功績を確かに知る。
明後日の方向に跳んでいったと思いきや、銃弾の内一発は見事少年に被弾していた。

(初めてにしては、中々のものじゃないっ!)

ボタボタと垂れていく血が、保健室の地面を違う紅に染める。
出血は、少年の肩口からだった。
掠めるといったレベル、骨までは達していないであろうが肉を抉り取られたという痛みに少年の眉は不快気に寄せられている。
これには、さすがの少年も予想をつけられなかったのだろう。

滴る血をそのままにしながら、少年はすぐ様その場を離れようとする。
保健室の中を駆け、的にならないようにする少年の身から零れていく体液を追うように、環の銃弾は開け放たれた保健室の窓から飛ばされてくる。
だが環の射撃の腕は決して、精巧なものではない。
虚をつかれた初動以外、少年が銃弾に触れることももうないだろう。

それでも環が少年のテンポを崩すことには、成功したのだ。
これで少年の目は、再び聖から外れることになる。

聖は諦めていなかった。
全く諦めていなかった。
この瞬間まで、ずっと待っていた。
少年に隙が生まれるこの時を、聖はずっと待ち続けていた。

時間にして、一分にも満たないこのどんでん。
今も尚ちりちりと自身の両手を焼き続けている布束を、聖は形を崩さないようそっと持ち上げた。
そのまま、ゆっくりと振りかぶる。

651インターセプト:2010/02/08(月) 23:23:51 ID:UUiEoiqU0
「……っ」

燃え盛る炎のブーケの熱による発汗、目の痛みが細くする視界。
耐えながら聖は、煙や墨でむせないようにとひっそりと呼吸を止める。
集中。狙いを定めたところで。
目標が足を止めようとするその瞬間、決して逃すことはなく。
聖は渾身の力で、その炎の塊を少年に向け投球した。

「あまり僕を、舐めないでくれるかな」

少年の声。そこに危機感は含まれていない。
環との応戦で疎かになっていたとも思われる少年のチェックだが、決してそんなことはないとでも言いたいのか。
迫り来る聖の炎に対しても、少年は冷静だった。

「ふっ!」

少年は炎の塊を体で受ける前に、自らの手で叩き落とした。
高速の手套は、常人で追うことができないレベルの速さを持つ。
炎の触れた場所に火が当たるが、少年がダメージを受けた様子はない。
絶望の色。ことみの表情。
苛立ちの音。環の舌打ち。
しかし聖は微笑んだ。にやりと意地悪気に口元を歪ませた。
むしろ聖の狙いは、その後だった。

「?! ごほっ、がっ、はぁ……っ」

強い力で地面に叩きつけられたカーテンの中、充満していた細かな煤はこの衝動で一気に撒き散らされることとなる。
もくもくと上がる黒い煙の中、少年は視界を覆うレベルの塵に包まれた。

652インターセプト:2010/02/08(月) 23:24:14 ID:UUiEoiqU0
「ごっ、ごほ、ごほっ!! ごはぁっ、が、がはっ!!!」

少年の堰は止まらない。
地に落ちた塵も踊り続ける、膝をついた少年の堰がかかっているのだろう。
時間がかかったからこその、絶大な効果がそこにある。
舞い上がる煤は、そのまま聖にとって勝利の紙ふぶきとなった。


          ※     ※     ※


火は、校舎の一部にも引火していた。
このままだと、老朽化した校舎を丸ごと飲み込む可能性も高いだろう。
保健室も薬品は多いが、もしあるとすれば理科関係の教室の方が幾分も危なかった。
この場から、急速に離れなければいけない。
遊具も何もない広いだけの校庭に佇みながら、聖は背後の保健室をそっと振り返った。

「せんせ……」

呼ばれる声で視線を戻そうとした聖の胸に、ボンボンのついた愛らしい二つ結びを揺らしながらことみが飛び込む。
ここに来るまで聖が何度も聞くことになった、ことみが呼ぶ聖自身への呼称。
その言葉に含まれた安心が、聖の心を軽くする。

「よく頑張ったな、ことみ君」

ふるふる。二つ結びが左右に揺れる。
ことみは顔を上げることなく、ぎゅっと白衣を握り締めながら聖にしがみついていた。
押し付けられたぬくもりの小ささに、聖は今は亡き妹の姿を連想させた。
この命を守れてよかったという実感が、聖の内にもじわじわと流れていく。

653インターセプト:2010/02/08(月) 23:24:31 ID:UUiEoiqU0
「さっさとここから離れましょう。あの男が追いついてくるかもしれないわ」
「そうだな。……君も、助かった。君がいなかったら私は生き延びていられなかったと思う。礼を言おう」

名も知らぬ猫目の少女から飛ばされた愛らしいウインク、茶目っ気溢れる環の動作に聖もようやく肩の荷が降りた気持ちになった。

「先生! ことみっ!!」

遠くから、これもまた聖にとって慣れ親しんだ少女達の声が響く。
目をやれば、必死の形相でこちらに向かってくる少女の姿がすぐさま聖の視界に入った。
走り寄って来るのは広瀬真希、それに遠野美凪といった先に聖が逃がした少女達、その後ろからは遅れながらも相沢祐一がついて来ている。
先頭を駆ける真希はそのまま真っ直ぐ聖へと駆け寄ると、ことみと同じようにしかと彼女にしがみついた。
タックルのような勢いに押されながらも、聖は倒れないようにとしっかり足を踏ん張る。
ここに来てまで疲れた体を酷使しなければいけないことに、聖は思わず苦笑いを漏らした。

「先生……先生……っ」

聖の様子に気づかないのか、真希が半分泣いてでもいるようなか弱いうめき声を零す。
恐らくこの小ささでは、聖本人や、真希の隣でまだ聖に引っ付いているだろうことみにしか聞こえていないだろう。

「……馬鹿。この期に及んで、戻ってくる奴があるか」
「だ、だって! だってだってだってっ!!!!」

呆れたような聖の言葉に、がばっと真希が顔を上げる。
そこで崩れそうになっていた真希の表情は、ぽかんと、呆けたものになった。

「大馬鹿者」

頭に置かれた聖の手の温度、そのまま優しく撫でられ真希は思わず押し黙る。
聖の手つきには、柔らかさが満ちていた。
聖の手は、火傷で爛れ痛々しいことになっている。
しかし聖はそれをあくまで真希に感じさせないよう、気づかせないよう。
細心の注意を払い、真希の髪を撫でていた。

654インターセプト:2010/02/08(月) 23:24:55 ID:UUiEoiqU0
「先生……」
「すまないな。心配をかけた」

真希の気持ちが、聖は素直に嬉しかった。
頼って貰え、その期待を反することなく終えられたことが聖は本当に嬉しく思えた。
見回せば、誰も欠けることなく今またこうして集まることができているという、その事実。
皆聖よりも年下の、幼い少年少女達。
愛くるしい聖の亡き妹と、同じ年代の少年少女達。

聖にとって、守れたというその事実こそが大切なものだった。
一番だった。

全てが微笑ましく、聖はまた苦笑いを浮かべる。
歪ませた頬には、聖にとってありったけの充足感が満ちていた。
守れなかった亡き妹、守ることができた可愛らしい仲間達。

瞳を瞑る。
聖の瞼の裏で、霧島佳乃も微笑んでいた。
聖と一緒に、微笑んでいた。





―― その時がなった発砲音を、誰が予測できただろうか。
 




放たれた機械音は断続的で、仕込まれた弾が尽きるまで終わることはなかった。
聖の白衣が塗れる。白い衣の背面が、真っ赤に染まる。

655インターセプト:2010/02/08(月) 23:25:13 ID:UUiEoiqU0
飛び散った赤は、ことみの顔面にも飛沫となって降りかかる。
聖の体を貫通した弾で怪我を負う寸前、ことみは再び強い力で腕を引かれていた。
先程と同じようにことみの手を引いた環は、そのまま小さなことみの体を抱え込むと転がるようにしてその場から距離を取る。

「真希さんっ」

駄々漏れになる体液は、ことみだけでなく真希のオフホワイトのセーターをも染めてくる。
固まる真希の体に自身を当て、美凪は彼女の体勢を崩した。
聖にしがみついていた真希の体は剥がれ、自然と地に伏せる形になる。

ことみと真希という二人の支えを失い、聖はそのまま長い黒髪を宙に舞わせながら、前のめりに崩れていく。
溢れた少女の聖の血液が、地面にどくどくと流れていく。
それが砂地に染みていく様は、まるで地が聖の生気を吸い取っていくようにも見えた。

「……っ」

何かを耐える息遣いが耳に入り、真希はまだぴくぴくと細かく震えている聖から美凪へと目線を移した。
真希の代わりというわけではないが、流れ弾の被害は美凪に向かっていったことになる。
弾は、美凪の柔らかな右頬を掠っていた。
一筋の傷は美凪の頬に、新たな血を流させる。
真希は見つめる。そんな赤い光景を、無言で見つめる。見つめるだけ。
香る生臭さに、真希の臭覚は既にいかれていた。
それと同時に麻痺する思考回路、銃声が止んでいたことが真希の命を救っていただろう。
今の真希には逃げる気力等、全くの皆無であったのだから。

「だから言ったじゃないか。舐めないでくれって、さ」

地面を弾むMG3のがちゃんという立てられた音に、面々は静かに息を呑む。
元々全身黒ずくめだった彼の相貌は、煤の汚れでさらに隙間ない闇をそこに表現していた。

656インターセプト3:2010/02/08(月) 23:26:54 ID:UUiEoiqU0
「お、前は……」

美凪に駆け寄ろうとしていた、祐一の足が止まる。
彼の正面に佇む男の手には、新たな拳銃が握られていた。
何処かに隠してでもいたのか、先程までは持っていなかったはなかったはずの屈強な盾を手に、男は再び彼等の前へと立ち塞がる。

「死ねばいいよ、全員」

少年の目は、笑っていなかった。




【時間:2日目午前8時05分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・中庭】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ(吹き矢使用済み)、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:環に抱きかかえられている】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:死亡】

少年
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、グロック19(15/15)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、予備弾丸12発】
【状況:ことみ、環、祐一、真希、美凪と対峙・効率良く参加者を皆殺しにする】

向坂環
【所持品:コルトガバメント(残弾数:15)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:ことみを抱えている】

相沢祐一
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:呆然・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

広瀬真希
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:呆然】

遠野美凪
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:呆然、右頬出血】

(関連・1095)(B−4ルート)

MG3(残り0発)は校庭に放置



タイトルですが「インターセプト3」でお願いします。
失礼しました・・・。

657エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:36:08 ID:xs23czu20
 タイムリミットの前の暇潰しも、いよいよ佳境に入っていた。

 単純に追うだけでは猪は捕まらないと判断したデイビッド・サリンジャーは、
 複数のフロアに予めアハトノイン達を置いておくことで包囲するように猪を追い詰め、
 そして今や猪は中層付近の一フロアで右往左往しているだけだ。

 手こずらせてくれた、とサリンジャーは感想を結ぶ。外からは虫一匹入れないはずの鉄壁の要塞も、
 中はまだ未完成なのだという事実を思い知らされた。改善の余地はまだまだあるということか。
 そういう視点で見ればこの謎の侵入者の存在も決して悪いことではない。
 とはいえ、篁総帥は何を考えて動物を支給品にしようと考えたのか。
 かつての主の理解の範疇を超えた奇行に辟易しつつ、サリンジャーは今後の予定を組み立てることに集中することにした。

 お遊びはここまでだ。正午まで一時間と少し。そろそろ戦闘用アハトノイン達をスタンバイさせておく必要がある。

 唯一負傷していた02も修理が完了し、問題なく戦える状態だ。サリンジャーは下層部の士官室……
 今はアハトノインのために割り当てた部屋へのモニターを眺める。

 彫像のようにじっとして動かぬアハトノイン達の数は五体。
 そのうち、護衛用としてサリンジャーの近くに控えている01を除いているので、
 ここで稼動している戦闘用は実際には六体いることになる。少ない数かもしれなかったが、元々人間以上の実力を持つ上、
 装備も万全、耐久力は比較にもならず、加えて戦闘用データを02から全員にフィードバックしているので、
 もう不覚はないと考えても良かった。たかだか十五人でしかない生き残りを殲滅することなど容易いことだ。

 この分だと『鎧』を持ち出す必要もなさそうだと断じたサリンジャーは、次に参加者達の情勢を観察する。
 数時間前まで一箇所に集まっていた参加者達は、現在バラバラに散開し、島のあちこちに分かれている。
 おそらく戦力を分散させようという試みなのだろう。降伏する意思も殺し合い従おうという意思もないらしい。
 全く反応がないのもそれはそれでつまらないものだったが、目論見どおりではあるから気にすることもなかった。
 集団戦のデータが取れないのは困り物だったが、データが取れるだけでも良しとしなければならない。
 何しろこれから本格的にアハトノイン達の生産に入らなければならないからだ。
 この島から宣戦布告をするために、世界の覇者たるための下積みももう彼女らの生産を残すのみだ。

658エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:00 ID:xs23czu20
 既にサリンジャーの手元には最強の盾も矛も要塞もある。
 どんな軍隊でさえ一蹴し、どんな兵器でさえ無効化してしまう、篁の技術を結集した発明の数々だ。
 サリンジャーは早く使いたくて仕方がなかった。これらの兵器にはサリンジャーが関わっていないものも多数ある。
 自分の論理を否定した者達が一体どんなに唖然とした顔になるかと思うとサリンジャーの愉悦は収まらなかった。

 まず手始めにタンカーの一隻でも沈めてやるか。それとも直接アメリカでも攻撃するか。
 全てが自分の掌の中という気分は悪いものではなかった。
 あるかも分からない世界を侵略するという計画よりもよほど面白いというのに。

「まあ、総帥も勝ち続けてきた人間でしたからね……私のような、負けしか知らなかった人間の気持ちなんて分からない」

 どんなに優秀でも、所詮はプログラマー。所詮は土台作りの役目しか担えない男。
 篁の傘下に入ってからも常々言われ続けた罵詈雑言に、サリンジャーはひたすら耐えてきた。
 いつか必ず足元に這い蹲らせてやる。それだけを考え、謙り、時には媚びさえして、頭を下げたくもない人間に頭を下げてきた。
 戦うことしか知らない猿頭の醍醐にも、金持ちというだけで踏ん反り返る大企業の重役達にも。

「そいつらに核の一発でも撃ちこんでみるのも面白いかもしれませんねぇ……」

 流石にこれは冗談だったが、それだけのことを易々と行えるだけの力が、サリンジャーの手の内にあった。
 野望を実現出来る。その前に、目の前の塵をさっさと払ってしまう必要があった。

 リサ=ヴィクセン。一応同僚ではあったが、職場の違いからか、それとも彼女が新参であったからか殆ど会話を交わしたこともない。
 だが彼女の所属についてはサリンジャーも聞き及んでいる。『ID13』。アメリカ軍の誇る特殊部隊、そのエース。
 彼女が参加した作戦は十割成功しているらしい。何の経緯があって篁に仕えていたかは分からなかったが、
 彼女の仕事ぶりを聞き、サリンジャーは密かに感心していたものだった。

 冷静沈着な判断と、時には味方でさえ欺く用意周到な作戦。そして、誰も寄せ付けぬ鋭い雰囲気。
 地獄の雌狐の名に相応しく、一人でかなりの数の任務を成功させている事実は、サリンジャーにさえ良い印象を抱かせたのだった。
 あれも始末しなければならないと思うと少々勿体無い気分になったが、仕方がない。
 敵であるからには速やかに排除する必要があった。ナイフの刃先を突きつけられているというのは体に悪い。
 アハトノインとどちらが上か、ということにも興味があったので、是が非でも彼女とは一戦を交えて貰わねばならなかった。
 もっとも、勝つのは自分の兵士だろうが――

659エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:18 ID:xs23czu20
 そこまでサリンジャーが思惟を巡らせた、その時だった。

「な……!?」

 サリンジャーが驚きの声を上げる。思わず立ち上がった拍子に椅子が倒れ、机の上のコーヒーカップが倒れた。
 呆気に取られるサリンジャーの視線の向こうでは、参加者の現在位置を示す光点がてんでバラバラなところに現れては消え、
 信号のような不自然な明滅を繰り返していたのだ。
 いやそれどころか、現在の生存者数、死亡者数すらも滅茶苦茶な値を示し、生存判定もおかしなことになっていた。
 不調、そんなものではない。慌てて近くにいる作業用アハトノインの肩を掴み、「何が起こった!」と怒鳴る。

「何者かに参加者管理用のコンピュータを荒らされている模様です」
「なに……?」

 ハッキング。即座にその一語が持ち上がり、横からパソコンの画面を覗き見る。
 ザ・サードマン。その文字がディスプレイ上にでかでかと浮かび上がり、
 悪魔をモデルにしたようなキャラが奇声を上げながら暴れまわっている。
 いかにも古臭い手段に呆然とする一方で、どこから侵入されたという疑問が浮かぶ。

 セキュリティに穴があるわけがない。そもそも接続できるような環境があるわけがない。
 内部の裏切り? いや物理的に裏切れるはずがないのだ。何故なら、ここにいる人間は自分ひとりしかいないのだから。
 従順なロボットが裏切れるわけがない。だが事実としてハッキングはされている。しかも趣味の悪い悪戯プログラムつきで。

「プログラマーの心当たりはある……あのガキか……だが、どうやって……!」

 歯軋りするサリンジャーの耳に、今度は甲高い警告音が響き渡った。
 侵入者の存在を知らせる、警告アラームだった。

660エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:38 ID:xs23czu20
『報告。報告。ゲート2、10、3より侵入者の模様です。数は不明』

「馬鹿な、どういうことだ!」

 監視モニターに振り返ってみたが、そこには何も映っていない。
 まさかと思う間に「監視プログラムもやられた模様です」という無遠慮な声が聞こえた。
 アハトノインの無機質な声に苛立ちを覚える一方、まずはシステムを復旧させ、
 迎撃に当たらせるべきだと指揮官の頭で考えたサリンジャーは、戦闘用アハトノインの待機している部屋にマイクで通達する。

「出撃だ! 侵入者の迎撃に当たれ! 私とアハトノイン以外皆殺しにして構わん!」

 命令を受けたアハトノイン達が一斉に立ち上がり駆け出してゆくのを目の端で捉えながら、
 続けてパソコンの前で固まっているアハトノイン達に「システムの復旧だっ! 急げノロマ共!」と怒声を飛ばす。

「ゲート2、10、3……?」

 あまりにも急すぎる事態の変転に頭が混乱しながらも、サリンジャーは分析を続ける。
 一斉に侵入されたと見て間違いない。しかも、こちらのセキュリティを何らかの手段を用いて破った上でだ。
 雌狐め。主犯の存在を即座に思い浮かべたサリンジャーは力任せにデスクを叩き付けた。

 しかもゲート2、3、10といえば参加者達が向かった方向と一致する。つまり、あの分散は最初から計算ずくというわけだ。
 こちらが準備を整えている間に奇襲を仕掛けてきたのだ。有り得ないという感想が浮かんだが、現実を否定していても仕方がない。
 戦闘用アハトノインが会敵するまでは少し時間がかかる。高天原の内部深くに潜り込まれてしまうのは恐らく確定だろう。
 要塞内部には精密機器も多いために下手に銃火器が使えない。――しかも、それはこちらの論理であり、
 破壊者たる向こう側にはそんなものは関係ない。島ごと沈められる危険性は皆無とはいえ、これでは……

「……しまった!」

661エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:37:56 ID:xs23czu20
 サリンジャーはもう誰もいなくなったアハトノインの待機室に目を回す。
 高天原を傷つけないために、銃火器の使用を禁じる命令を出したままにしておいたことを忘れていた。
 白兵戦しか挑めない状況と、好き放題撃てる相手の状況とでは、いくらアハトノインでも分が悪すぎる。
 命令の変更を伝えようと、サリンジャーはマイクの送信ボタンに手を掛けた。

「駄目です。通信も不可能な状況です。現在復旧していますが、まだ時間が」
「それじゃ遅いんだよ、この役立たずがっ!」

 割って入った声にカッとなったサリンジャーは思わずアハトノインの顔を殴りつけたが、
 アハトノインは何事もなかったかのようにムクリと起き上がり、また淡々と作業を始めた。
 何とも言えぬ不快な気分になったサリンジャーは、壁を思い切り蹴りつけた。

 世界への宣戦布告を日単位で変更される羽目になった、サリンジャーの憤りの表れだった。
 銃撃が許されているのは、上部のエレベーターからだ。
 せめてそこまで辿り着いてくれるように、サリンジャーは爪を噛んで祈るしかなかった。

「……この私が、神頼みとはね」

     *     *     *

「上手くはいったみたいだな。さぁて、この首輪ともようやくお別れってわけだ。アディオスアミーゴ」
「ぴこぴこ」

 ポテトの相も変わらず喜色の悪い踊りを横目にしつつ、俺はゆめみが首輪を外してくれるのを待った。
 藤田、姫百合の二人はどことなく緊張した面持ちで俺を見守っている。
 まあ、失敗したら爆発するかもしれないってんだからそりゃそうだわな。
 仮に失敗したとしても、このHDDの中にあるワームが敵方のコンピュータを引っ掻き回している頃合いだろうから、
 しばらくは爆破させられる心配もないんだが。

662エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:38:13 ID:xs23czu20
 全く大したプログラムだ。プログラミングの知識は聞きかじった程度でしかないんだが、こんなに自己増殖が早いとは。
 しかもそれを一日も経たずに組み上げたってんだからこいつの姉……だったか妹だったかは凄いもんだ。
 ま、和田って奴の情報がなければこうも簡単に侵入することも出来なかったんだがな。
 多分結構前のデータのはずなのに、更新してなかったのが間抜けもいいところだ。

 和田の言う通りアクセスしただけでするすると入れたんだからな。敵も想定外だったのか、見くびっていたのか。
 あんな高慢ちきな放送するような敵さんだ。きっと油断してたに違いない。ざまあみろ。
 そうこうしてる間に首輪は外れたらしく、見ていた二人も首輪を外し始める。

「ぴこ」

 首輪をくわえたポテトが俺にほれ、と差し出す。
 これのせいで散々苦労させられたし、酷い目にも遭った。
 郁乃が死ぬこともなかっただろうし、沢渡が死ぬこともなかっただろう。
 クソッタレめ。俺は乱暴に首輪を受け取ると、思いっきり窓の外へと投げ捨てた。
 思ったより軽かった首輪は軽い放物線を描いて消えていった。
 本当なら海でも投げ捨てたかったが、この際文句は言わん。

「こっちも終わったぜ」
「準備オーケイや」

 やる気まんまんらしく、装備まできっちり整えた二人が威勢のいい声をかけてくる。
 というより、俺達が一番最後だから早く合流したくて仕方がないのだろう。
 他のメンバーは既に侵入を果たしているはずだ。当然首輪も外して。ドンパチやっているかもしれない。
 破壊工作班、と銘打たれた俺達は専ら重装備で固め、しんがりとしての役目も引き受けることになった。

 ちなみに他の三つのチームはそれぞれ爆弾設置、中枢部制圧、通信施設の確保という役割を任されている。
 とは言ってもあくまで『指針』であるだけで、あくまで脱出が第一らしいが。
 またワームを送り込む過程でどうしてもネットに繋がなければならないため、ここに残っていたというわけだ。
 主な役割は敵方の兵器類の破壊。とはいってもこの装備では破壊できるかどうかも怪しいと俺は睨んでいるので、
 実際のところは小火器類を壊すくらいのものだろう。

663エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:38:32 ID:xs23czu20
「まあ慌てるな。慌てる古事記は読者が少ないって言うぞ」
「……おっさん、わざと言ってねえか?」

 おっさん言うな。折原のことを思い出して、少し言葉が詰まってしまった。
 タイミングを逃してしまったのでこれ以上ボケることは出来ないと思った俺は何事もなかったかのように話を進める。

「2、3、10の入り口から侵入できるみたいだが……どこを選ぶ?」

 ちなみに、ここから侵入できると教えてくれたのも和田の情報である。まさしく救いの神ってわけだ。
 入り口は十箇所あるとのことだったが、学校の位置関係上から最も近いこの三ルートが選ばれた。

「決まってるやろ。一番近い10や」
「ほう、その理由は」
「なんでって……そりゃ、その方が早く追いつけるから」
「悪くない答えだ。及第点だな」
「じゃ、じゃあおじさんの意見はなんやの」

 ふふん、と俺は鼻を鳴らす。まーた始まったか、とポテトが溜息をつき、ゆめみがクスッと笑ったのが目に付いたが、
 最後なんだ。大いに笑って見逃してくれ。こうやって大人面してられるのも最後なんだからな。大事なことなので二回言ったぞ。

「武器庫のIDカードには10って書いてあったそうだ。つまり、武器庫が近いってことだ」
「……なるほど。武器庫に近い分、破壊工作もしやすいってことか」
「ザッツライトだ藤田」
「なんや、結局10番ってことやん」
「……まあそうなんだが」
「意見は一致しているようですし、良いことだと思います」

 流石ゆめみ。きっちりフォローしてくれるぜ。
 ロボットにフォローされるのも悲しい話だが、この島では一番古い付き合いになってしまった間柄だからな。
 それなりの信頼ができてるってもんだ。

664エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:38:51 ID:xs23czu20
「ぴこー」

 はいはい。お前が一番の相棒ですよっと。だから服の裾引っ張んじゃねえよ。ラーメンみたいに伸びるだろうが。
 そう、郁乃も、沢渡も、ささらも七海も折原もいなくなってしまい、寺から一緒にいたメンバーも俺達二人だけだ。
 だから、ってわけじゃない。あいつらが死んだから俺は生きなきゃならないってのはこれっぽっちも思ってやしない。

 ただ――思ったのさ。好き勝手できる程度の人間にはなってやるかってな。
 生きていた頃のあいつらの期待に少しだけ応えるくらいはしてやろうって決めたんだ。
 下らないって昔なら思っただろうな。でも今は違う。違ったって、いい。そうだろ?

「行くか」
「はい」
「ああ」
「うん」
「ぴこ」

 悪くないって、本気で思えているなら。

「さぁて、恨みはらさでおくべきか。思いっきり暴れてやる!」

     *     *     *

 ごうんごうん、と低く唸る音と薄暗い廊下、そして網の目のように四方に広がるパイプは、
 古河渚に気味の悪い生物の内部に潜り込んでいる様を連想させた。
 自身を縛っていた首輪は既になく、ここまで誰にも遭遇することなく駆け抜けてくることができた。
 順調といえば順調、だが順調に行き過ぎていることがかえって渚に不安を抱かせる。
 静かなのだ。誰かが追ってくる気配も、待ち構えている気配もない。
 それは渚の前方に控えているルーシー・マリア・ミソラも那須宗一も感じているようだった。

665エルサレムⅡ [修道女]:2010/02/10(水) 18:39:08 ID:xs23czu20
「誰もいないな……」
「いいことじゃないか。リサも言ってたろ、戦わないに越したことはないって」

 ルーシーの呟きに軽い調子で答えた宗一も、警戒の度合いは強めている。
 廊下の曲がり角に差し掛かると、まず宗一が先んじて進み、
 覗き込んで安全を確認した後に自分達を進ませるという有様だ。
 渚でさえ嫌な感じがするくらいなのだから、宗一はもっと強く感じているのだろう、
 と様子を窺っている宗一の姿を見ながら思う。

 自然とグロック19を持つ手に力が入った。戦わないに越したことはない。確かにそうだ。
 しかし建物の内部に強引に侵入している以上、迎撃の手がないはずがない。
 異物が入れば、自己防衛機能で一斉に排除しにかかる。ここを人体の構造に例えればあって当然だ。
 だからこそ、いつ何が起こっても対応できるように宗一は身構えている。油断は即、死に繋がる。

「よしいいぞ、行こう」

 行けると判断した宗一が手招きしてくる。ルーシーがまず進み、宗一の背後についたところで渚も動き出した。
 三人で行動するときの基本陣形とも言うべきものだった。前衛を宗一が、中座をルーシーが、そして最後尾に渚が位置する。
 単純に戦闘力の順で並べたものだが、一番強い人間に先を任せるという発想だから悪くない。
 宗一の動作も指示も堂に入ったもので、流石にエージェントの貫禄を漂わせている。
 緊張の中にも、宗一がいれば大丈夫だと思えるのは、恋人だから……だけというわけではない、と渚は思いたかった。

「しかし、だ」

 進みながら、ルーシーが珍しく自分から雑談の口を開いてきた。

「戦うのが人間相手じゃなくて良かったというべきなのかな。ロボットなら、まだ大丈夫だ」
「……わたしもです。壊すのはちょっとかわいそうだなって思いましたけど、それでも、もう人が人を殺すのは」

 見たくないものだ。言う前に、ルーシーは頷いてくれた。
 無論人間相手でも、銃を向けなければならない時があることを渚は知っている。
 人が殺せたって何もいいことはない。そうであるからこそ、そうさせないために、
 力の使い方を知って考えるのが自分達の役目だ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板