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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

81十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:06:31 ID:Qa0ikahc0
 
 
【時間:2日目 AM11:36】
【場所:F−5 神塚山山頂】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:異常なし】
砧夕霧中枢
 【状態:不明】

砧夕霧
 【全滅】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、尾部欠落(修復不能)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:凍結、瀕死、出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、意識不明、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:生死不明(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】

セリオ
 【状態:不明、長瀬と融合】
イルファ
 【状態:長瀬と融合】

→890 902 969 1005 ルートD-5

82(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:30:10 ID:kZsTBTYo0
「はぁ、はぁ、はぁ、は……っ……!」

 暗く、所狭しと日用品が詰め込まれている部屋の中で激しく呼吸する、一人の少女の姿があった。
 伊吹風子。仲間達の命と引き換えに生き延びる責務を負わされた人間。
 由真の叫びに押されるようにしてここまで逃げてくることが出来た。それはいい。

 だが、どうする。どうやって敵を討つ?
 手持ちの拳銃、残弾があるかどうか。最悪の場合あの時誤射してしまったあれが最後の一発だったという可能性もある。
 サバイバルナイフ。しかしこれでは重火器に対抗することはとてもじゃないが出来るとは思えない。
 圧倒的に戦力が不足していた。
 せっかく仲間達が命を振り絞ってまで逃がしてくれたのに、立ち向かう力が残っていないなんて。

 悔しさと同時に、涙が溢れそうになる。
 あまりにも不甲斐なかった。お姉さんとして、皆を守ると誓ったのに。
 守るどころか逆に助けられてばかりで、今もしていることといえば打つ手がなくてうずくまっているだけ。
 自分の無力さを改めて思い知った。
 結局、自分なんて居ない方が由真も花梨も、みちるも朋也も死なずに済んだのではないか。

 自分さえいなければ。
 自分さえ――

 目尻に涙が溜まりそうになった、その時。風子はふと懐が暖かくなっているのに気付く。
 何だろうと思い、服をまさぐる。果たしてその原因は簡単に見つかった。
 宝石が、しっかりしろとでも言わんばかりに僅かな光と、熱を帯びていたのだ。
 同時に、声が脳裏を過ぎる。

 敵を取れと、自分の無念を晴らしてくれと主張する由真の声。
 自分に代わって、その謎を解き明かして欲しいと憂いを含んだ花梨の声。
 足手まといにならなかったか、皆の足かせにはなっていなかっただろうかと不安を持つみちる。
 一瞬でも仲間を信用していなかったことを悔やむ朋也の後悔。

83(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:30:34 ID:kZsTBTYo0
 口では語られなかった各々の心情が風子に聞こえる。
 やはり満足ばかりではなかった。無念の声はあまりにも大きかった。
 行動の一つ一つが思い通りにいかず、それでも良い未来に導こうと必死で足掻いた。
 だが、結果として悪い方向へ向かってしまった。
 どんなに考えて考えて、苦悩して行動しても、またそれは誰かを苦しめる。
 そんな風にしか生きられない。

 けれどもその生き方を、無知だ愚かだと軽蔑することが誰に出来るだろうか。
 きっと未来に繋がると信じて、希望を捨てなかった彼らのどこを責めることが出来ようか。
 なのに、自分は希望も可能性も捨てて、自棄になって閉じ篭ろうとしている。
 それでいいのか。自分は無力だと分かったつもりになって、可能性を閉じてしまっていいのか。
 自分が責められたくないばかりに、罵られたくないばかりに綺麗を装っていいのか。

 そんなのはいやだ、と風子は思った。
 もう一度考える。彼らの望んだ、恥ずかしくない生き方とは何だ? それは……
 逃げ続けるしか、ない。

 残念だが、今の風子では太刀打ち出来ないのは事実である。
 だから、一旦退いて体勢を立て直す。
 勝機もなく立ち向かうのは勇気ではない。ただの自殺志願者であり、生きることを諦めた人間だ。
 幸いにして、風子には才能とも言える足の早さがあった。
 一気に山の麓まで駆け下り、ある人物との合流を図る。

 古河渚。今や数少ない、風子の知り合いであり、友人である人物である。
 天沢郁未は危険人物だとうそぶいていたが、彼女が殺し合いに乗っていたということが判明したことで、却ってその情報が嘘である可能性が高くなった。
 何故なら、乗った人間が恐れるのは、敵が徒党を成して向かってくるということなのだから。
 よし、と風子は腹を決める。
 恐ろしいほど頭の回転が早い。やることさえ決まってしまえば、後はそこに突き進むだけなのだから。

84(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:30:53 ID:kZsTBTYo0
「……念には念を入れます。備えあれば憂いなし、です」

 逃げるにしたって相手の追撃を振り切る程度の装備は欲しい。倒せなくていい。足止めできるレベルであれば十分だ。
 ここには日用品(ホテルで使っていたものだろう)がずらりと並んでいる。それらを使えば、何とかならないこともない。
 無論、勝機を掴めそうなものがあればそれを逃すつもりはない。
 大切なお友達を奪っていった殺人鬼を許せるほど、風子は大人じゃないんです。
 それは風子に初めて芽生えた闘争心であり、復讐心でもあった。

 取り合えず頭の中で持っていきたいものをリストアップし、ちょこちょこと小動物のように動き回り部屋を物色していく。
 現代のねずみ小僧である。
 そして、風子自身でも拍子抜けするほどあっさりと、目的のモノを次々と見つけることができた。
 ストッキング、接着剤、糸(本当は釣り糸が欲しかったが、代替品にはなる)、バルサン、ゴム糸。
 そんなに数は持っていけないが、種類としては十分過ぎる。

 手早くデイパックに詰め込むと、背中に背負い直す。
 重量的にはそんなに足枷になるまい。
 最後にグロック19を手に持ち、いつでも発砲できるように備えておく。無論、上手く撃てるかどうかは分からないし、残弾を確認できない以上、全く信頼はできない。

「……」

 由真を撃ってしまった時の記憶を、図らずも思い出してしまう。
 トドメを刺したのは郁未だが、致命傷を与えたのは風子に他ならない。あの時、気を緩ませてしまったせいで。
 由真は許してくれると言ったが、風子の心には依然として罪の意識が重く圧し掛かっていた。
 あそこでミスを犯さなければ。僅かな可能性なれど生きて帰れることが出来たかもしれないのに。
 人ひとりの人生を奪う一因となってしまったことは、どんなに悔やんでも悔やみきれるものではない。
 きっと、復讐を果たしたとしても。

 しかし懺悔をする時間は風子には残されていなかった。残酷なまでに使命が彼女を追いたて、遠ざける。
 それがきっと風子の罰なのだろうと、贖わなければならない罪なのだろうと風子は思った。
 だから、今は。

85(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:31:13 ID:kZsTBTYo0
「風子、行きます」

 走り続けることが、彼女の責務だった。

     *     *     *

 七瀬彰は、二階へと通じる階段を登りきった、その近くにある観葉植物の陰に隠れていた。
 言うまでもないが、彼は怯えて隠れているわけではない。
 二階の一部廊下は吹き抜けとなっており、さらにそこからは本来ある階段とは別に特別に設置された一際大きな階段が一階へと伸びている。
 彰が選んだのはそれが理由。
 この場所からはややギリギリの角度ではあるが階下のロビーも一応見渡せるし、左右の階段、エレベーター(機能はしてないだろうが)も見渡すことが出来、視界も良好だ。待ち構えるには絶好の場所と言える。

 ……が、既に彰は二人ほど人が階段を登っていくのを見逃していた。というより、見つけたけれども見逃したのである。
 階段を凄まじい勢いで登っていった上に、片方は奇声を撒き散らしながら火炎放射器を乱射し(危うくこちらにまで燃え広がりそうになった、ちくしょう)、片方は先程も戦ったあのおっかないツインテール少女。
 苦戦した強敵がいる上にあのような危なっかしい武器を相手に(しかも狂人)戦うのは流石に辛い。加えてもう左腕が思い通りに動かせなくなってきている。無理をすれば何とかなりそうだが、正直咄嗟の事態に反応できそうにはない。
 よく三つ巴で戦えたものだ。それどころか三人とも痛み分けで終わらせられたのが奇跡ではなかろうか、と彰は思う。

 ともかく、もうこれ以上無茶は許されない状況になってきた。イングラムの弾数が心細いことになってきたのもある。
 M79はまだ弾薬が残っているがこれは集団戦で使うべきものではない。一対一で使うべき代物だ。
 威力は既に確認済み。思った通り、そんなに範囲が広くない。あの少女(水瀬名雪)にさえ破片弾では致命傷が与えられなかったくらいである。

 狙いは一つ。
 まだ確実にここに潜んでいるであろう、ホテルの奥に逃げ戦闘を回避していった人物達の抹殺だ。
 特に以前逃した二人はロクな装備をしていなかったはず。狙い撃ちに出来るはずだ。
 イングラムを腰溜めに構え、注意深く誰かが出てこないか観察する。
 中々様になってきたな、と彰は思う。フランク叔父さんのところでアルバイトをしていたときからは考えられないくらいのアウトドアっぷりだ。

86(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:31:48 ID:kZsTBTYo0
 そういえば、叔父さんは今頃どうしているだろうか。急に来なくなった自分を心配しているだろうか。
 あの人は寡黙だけど身内に甘いところがあるしなあ……
 そのまま意識をかつての日常に向けかけたところで、彰の耳にたったった、という軽く何かを叩くような音が聞こえた。

「っ!? しまった!」

 思わず立ち上がり、慌てて階下を見渡す。そこにはロビーを一直線に横切る、小柄な少女の姿があった。

「わ……っ!?」

 彰の大声に気付いた、伊吹風子がイングラムを構えた彰の姿を見、驚いたように大口を開け……脇目もふらず、更に加速しつつ逃げ出す。
 しくじった、と彰は思った。
 ぼーっとしていたせいだ。己の馬鹿さ加減に呆れつつ、この位置から射撃しても風子には当たらないと判断した彰は飛ぶように階段を飛び降りていく。
 逃げていくのであれば追わないという手もあったものの、風子は自分が殺し合いに乗っているということを知っている。
 口封じと、少しでも武器を回収したい意味合いも兼ねて彰は追うことにしたのだった。

「くそっ、意外と足が早い……追いつけるか……?」

 が、風子はそんなに簡単な相手ではなかった。小柄なくせに、驚くほどすばしっこい。まるで小動物だ。
 試しにイングラムを撃ってみるか? と考えたその矢先、床にあるものが放置されていたことを思い出す。

「あれが使えるなら……」

 彰は、それがあった場所へと駆け出した。

     *     *     *

87(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:32:29 ID:kZsTBTYo0
 ひとつ、声に反応するものがあった。
 闇の中でピクリと反応したそれはうずくまる少女であり、闇の一部でもあった。
 日が落ちて夜に混ざっていく影のように、影のように、少女はただ自らの存在を薄く、透明に、しかし漆黒の殺意を以って潜み続けていた。

 水瀬名雪。
 彼女もまた彰と同様に二階にある小部屋の一つに身を隠し、好機を窺っていた。
 全身に負った細かい傷は、確実に名雪の行動に支障をきたしている。
 痛みも、苦しみも、それすらも気に咎めずただただ殺戮行動にのみ没頭する名雪の頭脳だったが、それは決して彼女が思考を捨てたということを意味していない。
 より正確に、より効率的に人を殺す方法を考え出すことに特化しただけだ。そのために感情すら捨て去った。

 いや、ただ一つ残しているものがあった。
 愛する存在である相沢祐一を守り、彼と一緒になり、この悪夢から脱出し、幸せな生活を取り戻す――その願いだけを。

 待つのは名雪には慣れていたが、受け入れられるものではなかった。
 あまりにも辛く、長く、苦しい。
 それでも待ち続けていれば、我慢をしていれば神様はきっと願いを聞き届けてくれるはずだと信じてきたときもあった。
 だがそれは裏切られるだけだと知った。この島が世界は悪意と欺瞞に満ちていると教えてくれた。
 本当に欲しいものは、奪うしかないのだとも。

 だから名雪は、奪う側になることを決めた。
 あっけなく潰される雪うさぎになることを拒んだ。

 わたしは、祐一だけいればいい。
 それ以外の何もいらない。
 たった一つだもの。一つだけなんだから、どんなことをして手に入れてもいいよね?
 祐一には誰も近づけさせない。誰にも奪わせない。
 その前に、わたしが奪っちゃうんだから――

88(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:32:49 ID:kZsTBTYo0
 そうして彼女の目は、愛しの彼を奪おうとする全てのモノに向けられるようになった。
 全ての愛を彼に向け。
 全ての憎悪をそれ以外のモノに向けて。
 水瀬名雪はただ、純粋となった。

 その均衡の要因……相沢祐一が既に命を落としていることも知らずに。
 彼女はまた走る。
 奪うために。彼女の望んだ世界を手に入れるために。
 走る。
 辿り着いた先は二階、ロビーが広く見渡せる廊下。

 彼女の見据える視線の先。一人の人間がいた。
 それは七瀬彰と呼ばれる、殺人に身を染めた青年。
 彼は何も気付いていない。監視する者もまた、監視されていたということに。
 名雪は何も感想を持たない。動く人だから、殺すだけだった。
 ジェリコ941を向ける。倒れるまで名雪は撃ち続けるだけだ。
 指がトリガーにかかる。彼女が狩りを始める。一方的な狩りを。

 だが――
 名雪は一歩身を引く。そこに一陣の風が凪ぐ。
 名雪が踏み込み、豪風の元となったモノを力任せに手繰り寄せる。
 虚を突くような行動に、持ち主は見事に引っかかり手放してしまう。
 名雪が反撃に転じる。奪った得物を振り回し、獲物を一突きにせんとする。

 獲物は、狩られる存在ではなかった。
 続け様に取り出す武器で、名雪の攻撃を弾き返し距離を取る。
 名雪はジェリコを構える。
 相手も拳銃を構える。
 銃声は同時だった。しかし放たれた銃弾は、お互いの肉体を引き裂くことなくそれぞれの脇をすり抜けていく。
 お互いが回避を視野にいれて行動した結果であった。

「ちっ、流石にあの暴力女を退けただけのことはある……か」
「……邪魔、だよ」

89(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:33:07 ID:kZsTBTYo0
 片手に薙刀、片手にジェリコを持つは水瀬名雪。
 片手に鉈、片手にM1076を持つは天沢郁未。
 二人の美しき戦乙女が、そこに対峙する。
 先程の激しい攻防とは一転して、今度は二人とも動こうとはしなかった。
 二階の廊下は動き回るにはいささか狭く、連続した攻撃を避けるだけのスペースが殆どないということもあって下手に動けなかったのだ。

 先に動いた方が不利。
 動くなら同時。

 瞬時に二人ともがその結論に達していたことは彼女らのレベルがほぼ同じであることの証拠だった。
 しかし郁未には若干の余裕があった。
 倒せなかったとはいえ、あの那須宗一と引き分けに持ち込めた自分の力量。
 そして十波由真と笹森花梨を殺害したことで手に入れたいくつかの武器。
 名雪がどれだけ武器を持っているかは存ぜぬが、互角以上に渡り合える自信はある。
 焦る必要はない。じっくりと敵の挙動を見定める。

 それが郁未の方針だった。
 郁未の微動だにせぬ様子を、名雪も観察する。
 即座に、相手から動くことはないと結論づける。
 ならば、自分の絶対武器とする領域で先に仕掛ける。

 目を少し移し、自分達がいるこのフィールドを名雪は観察する。
 一階へと続く階段への距離は、互いに2メートル前後といったところか。
 ひとつ走り込めば、容易に広く戦える場所へと移動は可能だ。
 その時間が確保できるか。
 郁未に勝つためにはそこで戦うことが必須の条件だと考えた名雪は少し考えて、策を練り上げる。

90(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:33:42 ID:kZsTBTYo0
 決まれば、行動は迅速だった。
 すっ、と名雪は郁未から奪い取った薙刀を突き出すように構える。もちろん、全然届くはずもない。
 目を細める郁未。仕掛ける、とは思ったが何をするのかが予測出来なかった。
 投げるにしても突き出していたのではどだい無理な話。
 突進するかとも考えたが、拳銃に蜂の巣にされるのが落ち。
 そもそも、動くなら相手に向かってではなく、逃げる方向に動くのが定石――

 そこまで郁未が考えたところで、ついに名雪が『動』に転じた。
 パッ、と名雪の手から薙刀が離れる。一瞬、郁未はそれに気を取られ凝視してしまう。
 それが名雪の狙いだった。
 不可解な挙動で相手に考えさせ、一つアクションを起こしてそれに気を取らせる。
 フェイントの応用だった。祐一と遊ぶときに、彼がよく使う手段でもあった。

 僅かに反応が遅れる郁未。それだけで十分だった。
 猛獣の如き勢いを以って名雪が駆ける。M1076の狙いはまだ付けられていなかった。
 その間に手すりに飛び乗り、滑るようにして階下へと下る名雪。

「く!」

 苦し紛れにM1076を連射しようとした郁未だったが、ここで彼女が一つミスを露呈する。
 放たれた銃弾は一発のみで、それ以降は空しい弾切れの音だけが響いた。
 新しく武器を手に入れ、チェックすることにかまけていたお陰で銃弾の再装填を忘れていたのだ。
 当然、一発発射された銃弾も当たるわけがなく。
 一階へと降り立った名雪がお返しとばかりにジェリコを連射する。
 見事に策にかかってしまった郁未だが、彼女とて不可視の力の持ち主であり、激戦を潜り抜けてきた猛者である。

「ナメてんじゃないわよ!」

91(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:34:22 ID:kZsTBTYo0
 撃たれた弾は三発。
 先に撃った二発の銃弾はあらぬ方向へと飛んでいったが、最後の一発が正確に郁未の胸を捉えようとしていた。
 だが郁未は、半ば神懸り的な勘で弾道を読み、鉈の刃でそれを受け流したのだ!
 そのまま階下へと突進。更に迫る銃弾をことごとく回避し、郁未が鉈を振るう。
 銃を撃っていたことで動きを遅らせた名雪だが、ギリギリのところで鉈を避ける。
 だが髪までは避けきることが出来ず、パラパラと少なからぬ髪が宙を舞う。

 この機を逃さず、さらに追撃。
 弾切れになったM1076を投げつけ、防御体勢を取らせたところで回し蹴りを見舞う。
 下腹部にまともに命中した名雪だが、大きく後ずさったのみで転倒するまでには至らず、再び距離を取ろうと後退を始める。

 郁未は新たに銃を取り出そうとはしなかった。
 彼女の戦いの大半は薙刀や鉈による肉弾戦が主体で、本人もそちらが相性が良いと考えていた。
 僅かながらに残った不可視の力もそれに一役買っている。銃撃はやはり、集中力もないと上手くいかないのだ。
 鉈を大きく振りかぶって、横薙ぎに首を狙う。
 後退しつつも油断なく構えていた名雪は前転して避ける。が、それで隙を見せるほど郁未は甘くない。

「おっと」

 鉈を振ったときの反動を利用し、そのまま回転を加えながら再び鋭い蹴りを叩き込む。
 これまたクリーンヒットした名雪は今度こそ大きく弾き飛ばされ、転倒させられる。
 郁未は間を置かずに攻め込み、既にトドメとなりうる鉈の一撃を上方に振り上げていた。
 だが自分の命を奪うであろう凶器を目の前にしても名雪は淡々と行動を続けるだけだった。
 冷静に、そして的確な狙いを以って懐から取り出した『ルージュ』を向ける。

「!? っぐぅ!」

 何かを取り出し、こちらに向けていることを瞬時に理解した郁未は慌てて動作をストップさせたものの、名雪の方が一歩早かった。
 ルージュ型の銃から放たれた渾身の一発は郁未の脇腹を僅かに抉り、ダメージを与えていた。
 後一秒でも遅ければ弾は郁未の中心を貫いていただろう。
 死ななかっただけマシとはいえ、その奇襲は彼女を激昂させるには十分だった。

「殺して……やるッ! 絶対にッ!」

92(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:34:40 ID:kZsTBTYo0
 額に青筋を浮かび上がらせ、緩みかけていた腕にありったけの力を篭める。
 名雪はもう立ち上がっていたが、関係ない。どこまでも追い詰めて斃すだけだ。
 逃げるように駆け出した名雪を、続けて郁未も追う。

 かけっこか。やってやろうじゃないの。よーい……どん!

 郁未が不敵な、どこまでも狡猾で凶暴な笑みを浮かべて、二人の走り合いが始まる。
 普段があんな性格だったとはいえ、曲がりなりにも陸上部の部長を務めていた名雪と、不可視の力を持つ郁未。
 速力だけで言えば、これも二人は同レベルだった。
 思っていた程には差を詰められず、じりじりとした苛立ちが郁未の中に積もってゆく。

(く……それにしても、どこまで行く気よ)

 郁未はホテルの入り口を背にしていたため、必然的にホテルの奥へしか逃げられないのは分かる。
 だが小部屋に逃げるでもなく、隠れてやり過ごそうという意思が見えない。
 また策か? 郁未の中に疑心が芽生えるが、そうやってやられてきたことを思い出す。
 誘い出そうとしているのかしら? ……まさか!

 ハッと郁未に一つの可能性が浮かぶ。
 まだこのホテルの中には戦っている人間がいる。七瀬留美と、他にも誰かがいるはずだ。
 そいつらと鉢合わせさせて、同士討ちにさせる……これが名雪の策に違いなかった。
 なら、それにむざむざ引っかかってやる義理はない。予定変更だ。

 追っていた足を止め、踵を返すと郁未は元いた一階のロビーに直行する。
 今までの探索の結果、出入り口は一階の正門しかないことが分かっている。
 実に雑で手抜きなホテルだと呆れるばかりだが、戦うにはここまで好都合な場所もない。隠れるにも好都合な場所でもあるが。
 ともかく、そこで待ち伏せすれば自ずと名雪はそこに来る。いくら誘い込もうが、出入り口で待ち伏せされればどうしようもあるまい。
 いざとなれば逃げ出せばよい。

93(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:35:09 ID:kZsTBTYo0
(そんな気は、さらさらないけどね)

 じくじくと痛みを発している脇腹を押さえる。
 出血はほぼないが手傷を負わされたことは郁未のプライドに障った。
 何としてでも、あの小娘は殺す。
 その決意を込めて、辿り着いた先……ホテルの出入り口の前で郁未は仁王立ちして名雪を待つ。
 無論、投げつけたまま放置していたM1076はしっかりと回収し、リロードも忘れずにしておく。

 さあ、来い。壮絶にブチ殺してあげるから。
 そうして待つ。ただ待つ。恋焦がれるように。
 奇妙な、しんとした静寂が包み込んでいた。
 先程まであった戦いの鐘は鳴ることなく、不思議な暑さと塵のようなものが空中を飛んでいるだけだった。

(……暑い? いや、これは)

 体温が上がっているのではない、と思った。暑くなっているのは……このホテルだ。
 理由はすぐに察しがついた。あの放火女の仕業だろう。あちこちに火を放っているのなら、そりゃ暑く……いや、熱くなる。
 ますます好都合だと郁未は己の作戦が上手くいくことを確信する。
 この様子では隠れていようが、いずれ火に追い立てられて飛び出してくるに違いない。

 やはり狩人は、こちらなのだ。
 惑わしてくれたが、最終的に勝つのはこちらだ。我慢比べと行こうじゃないか。
 また我慢か、と郁未は思ったが今度は逃げるための我慢ではない。勝利するための我慢だ。

 そう考えると、自然と気分が昂揚してくる。
 早く、早く出て来い。この血が滾らないうちに。
 そうしてふと見上げた視線の先。

「……はっ、やっぱり、私の勝ちね」

94(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:35:40 ID:kZsTBTYo0
 二階、階段の上に一人佇む、水瀬名雪の姿。
 実は郁未の予測は当たっていた。
 身体能力に関して郁未の方に分があると考えた名雪は七瀬留美と交戦させるべく走り回っていたのだが、意外と早く郁未が意図に気付いてしまった。
 ならば戦術を元に戻し、待ち伏せに切り替えようとした名雪だったが、そうはいかなかった。
 どこかで火が放たれたのか、炎がホテル各所に燃え広がっており、已む無く脱出するしかないと判断したのだ。
 ついでに放置されている薙刀を拾ってから脱出しようとした名雪だったが……拾った先に、待ち構えていた郁未に発見されたのだ。

「ラストバトルと行こうじゃないの!」

 郁未がM1076を持ち上げ、名雪がジェリコを持ち上げる。
 最初の刺し合いに戻ったかのように、二人の取った行動は同じであった。
 数十メートルの距離を置いて交差する弾丸の群れ。まずは銃撃戦のセオリーとして、敵の射撃に当たらぬよう回避しながら撃ち続ける……はずだった。名雪を除いて。

 あろうことか、臆することなく名雪は射撃の雨の中を突っ切ってきたのだ!
 死をも恐れぬ名雪の行動に、郁未は驚愕しつつもさらにM1076を連射する。

 近寄ってくれば、当然相手との距離も縮まる。即ち当たりやすくもなる。
 名雪に弾丸が命中するのもまた必然だった。連射した二発の弾丸が名雪の腹部ど真ん中へ命中する。普通ならば致命傷である。
 が、何も策もなく突進するほど名雪は無謀ではなかった。彼女が突っ切れて来れたのは身に纏っていた衣服――防弾性能のついた割烹着――のお陰だった。
 多少足を遅らせたものの、前進を止めることはできなかった。

 撃たれても平気で攻め込んできた名雪に今度こそ郁未は動揺し、切磋の判断を誤る。
 弾切れを確認するため残りの弾数を確認しつつ撃っていたのだが、迫る名雪にカウントを忘れてしまう。
 薙刀を構える名雪。射程に入るまでは残り数歩。焦った郁未がM1076を撃とうとしたが、カチリと響く弾切れの音。
 しまったとデイパックを無理矢理下ろし、中に手を突っ込むが、中身を取り出すよりも早く名雪が攻撃動作に入った。

 ガツン、という鈍い音と共に名雪がM1076を叩き落す。「あうっ」と郁未は短い悲鳴を上げる。
 勝利はわたしのものだよ、と名雪は確信する。
 リロードを行うはずだったM1076はその手から零れ落ち、仮に鉈を取り出そうにも薙刀の方が射程が上だ。
 郁未の攻撃は届かない。

95(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:36:31 ID:kZsTBTYo0
「腕ごと叩き落さなかったことを、後悔するのね!」
「!?」

 が、郁未が取り出したのは予備弾でも鉈でもなかった。
 彼女にとっての虎の子、トカレフTT30が郁未の手の中に握られている。既にトリガーは指にかかって。
 裏をかかれたのは名雪の方だった。この近距離ならば外さないと向けられた銃口は、名雪の肩に向かっていた。

「……っぐ!」

 実に久方ぶりとなる悲鳴が、名雪の口から漏れ、どすんと尻餅をついてしまう。決定打だった。
 立ち上がろうとした名雪の鼻先に、つんと生臭い匂いのする鉈の刃先を突きつけられる。
 郁未の行動は迅速で、容赦がなく、また冷静だった。
 弾丸は無駄に消費しない。しかし立ち上がらせる暇も与えない。

 それでも必死に反撃に転じようとする名雪が薙刀を持ち上げるが、もう鉈は振り上げられていた。
 終わりだ。今度こそ郁未がトドメを刺さんとしていた。
 けれども、またもや予想外の要因に阻まれた。
 ドン、と地響きのように足元が揺れてバランスが崩れてしまう。同時に、耳をつんざくような大音響。

「うわっ!?」

 爆発か!? と郁未が思ったときには、既に名雪は脱兎のごとく駆け出していた。
 しまったと狼狽した郁未だが銃を取り出すにはいささか遅すぎた。
 それに揺れは続いており、とても狙いの付けられる状況ではない。
 く、と歯噛みしながらその背中を見送るしかなかった。

96(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:37:02 ID:kZsTBTYo0
 ここまで追い詰めておきながら……と郁未は怒りも露にホテルの奥を見やる。
 どこの誰だか知らないが、余計なことを!
 またもや『予想外』に妨害された郁未はその元凶を始末すべく、鼻息も荒く階段を駆け上がる。
 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! どこまでも私の邪魔をして、許さん! 叩き殺してやる!
 郁未の憤りは、もはやこの場全ての人間を抹殺するまで収まりそうもなかった。

     *     *     *

 ホテル三階の構造は、少し特異な作りになっている。
 中央部分に大宴会どころか結婚式の披露宴まで開けそうな大会場があり、その周りを取り囲むようにして廊下が繋がっている。
 他に部屋は殆どなく、披露宴の会場前にエレベーターがあることと小規模な部屋がいくつかと、自販機が数台あるだけだった。
 その廊下を、疾走する二人の女の姿があった。

「あはっあははははっははははっははぁぁぁああぁあぁ、いひ、いひひっひひ、全部全部燃え、燃え、大火事だぁ〜!」
「くっ……まともに近づけない……!」

 荒れ狂う炎の嵐の中、汗と涎、涙で全身をぐしょぐしょにしながらも狂乱の様相を呈して火炎放射器を放ち続ける小牧愛佳と、追う七瀬留美。
 既に三階はあちこちが炎に包まれていた。

 スプリンクラーはまともに機能せず、消火器もない状況で火は燃え広がる一方であった。
 熱気に押されて七瀬はSMGⅡを向けることもできず、放射器の燃料切れを待とうにも一向に収まる気配がない。
 愛佳の動きも徐々に緩慢になりつつあるが足の動きは止まることを知らず、前進しながら炎を撒き続けている。
 実に埒が明かない。七瀬はイライラを感じつつも何も出来ない自分に腹立っていた。

(何よ……なんなのよ、これは。この私が、七瀬留美がこんな小汚い悪党相手に手こずっているなんて……っ!)

 怯え、隠れ、逃げ惑ってこちらを悪だと決め付け、隙を見せれば手のひら返して殺そうするような奴に。
 自らが絶対の正義だと信じている七瀬は狂ってしまった愛佳の心情など意に介しようともしない。
 そもそも彼女と合流しようとしたのだって自分は戦う正当な権利を所有しているのだというお墨付きを手に入れようとしていたからで、愛佳はそのための道具とに過ぎなかった。そんな風に心の奥底で見下していた彼女が人の心情を察することが出来ないのは当然であった。

97(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:37:22 ID:kZsTBTYo0
 本来、七瀬とてこのような人物では、決してなかった。
 少々ガサツでも人を思いやり、いたわり、優しい心を持って接することの出来る紛うことなき『乙女』である。
 しかし、この島の異常な空気が彼女を変えてしまった。

 放送で何人もの友人の死を知らされ、何度も襲われ、そして……恋心を抱いた相手まで目の前で奪われて。
 絶望感と憎しみでいっぱいになった彼女が正気を保とうとするには、このような歪んだ心を持つことになるのは必然だったのかもしれない。
 七瀬には、悲しみと重圧で押し潰されそうになったときに本当に支えてくれる人がいなかった……否、奪われたのだ。
 七瀬留美という人間はあくまで少女であり、年相応の精神を持っていた。耐えられるわけがなかった。

 だがそれを弱いと言い切ることが出来ようか?
 たまたま、彼女には運と、時間と、ほんの少しだけの勇気が足りなかっただけなのだ。
 それを責めることなど誰にも出来はしない。彼女もまたこの島の、被害者であった。

「ぐっ……この……アホんだらァ!」

 閉じた室内で火災が発生していることにより、猛烈な勢いで室温が上昇し、煙も出ている。
 このままでは焼け死ぬか、煙に巻かれて動けなくなって死ぬかの二択しか残されていなかった。
 業を煮やした七瀬が、熱さでくらくらする頭を叱咤しつつSMGⅡではなく、デザート・イーグルを取り出す。
 このでかく、ゴツい拳銃ならば炎の中でも真っ直ぐに突き進むだろう、そう考えて。
 連射力に頼らない、初めての射撃。そのせいなのかいい加減に狙いをつけることはせずにしっかりと両足で床を踏みしめて構える。

「頭ブチ抜いてやるわっ!」

 啖呵を切るような一声と同時、轟音が響いて愛佳へと向かってマグナム弾が飛来する。
 頭を狙うと言いつつ、実際は体の中心へと狙いは向けられていた。それが本能か、たまたまなのかは分からぬが、とにもかくにもそれが功を奏した。
 心臓にも肺にも、放射器の燃料タンクにも弾丸は命中こそしなかったが、しかし左腕を一直線に貫く。
 突如襲い掛かってきた痛みに愛佳は奇声と悲鳴を織り交ぜた声で叫ぶ。

「いぎぃぃぃいいいぃぃぃぃいいいいぃ! い、いたいの、いたいのやだやだやだやだやだやだぁ!!!」

 駄々をこねて泣き喚く子供のように声を張り上げながら、痛みの元凶となったものを血眼で探す。原因はすぐに見つかった。

98(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:38:08 ID:kZsTBTYo0
「く、やっぱ一発じゃ……」
「ゆるさないぃぃぃぃいいぃぃ!! 死ぬの、死ぬのいやああぁぁぁぁああ!」

 虚ろになった目の中に憎悪が見えたように、七瀬は思った。
 火炎放射器の発射口が焼き尽そうとしていた世界に代わって、七瀬だけを捉える。
 危険を察知した七瀬は飛び退くことも追撃もせずに、背中を見せて逃げ出した。

 直後、荒れ狂う炎の塊が七瀬のいた場所を飲み込む。いずれかの行動をとっていたならば猛火に焼かれ、生きながら死んだことだろう。
 背中を見せる七瀬に、許さないとばかりに発射口はそのままに愛佳が後を追う。

 愛佳が今最も恐れるのは死――自分の命を脅かそうとする脅威を排除することだけを考えていた。
 殺そうとするものは全て焼き尽す。
 消し炭にしてしまえば、動かなくしてしまえばもう襲い掛かってくることはないのだから。

「に〜ぃ〜げ〜ぇ〜な〜い〜で〜!」

 どこか間延びした、以前の愛佳の面影を残す声が、かえって彼女の異常性を引き立たせる。
 けらけらと笑いながら七瀬に向かって炎を噴射する姿は無邪気な姿そのもの。
 人間を一つの意識のみに拘泥させて行動させればこうなる、という模範のようでもあった。
 一方の七瀬は最早手の施しようがなくなった愛佳相手にどうするかと考えを巡らせる。

 銃を向ければそれよりも早く放射器が火を吹く。
 圧倒的な熱風の前では七瀬がつける狙いなど無意味に等しい。下手すればあらぬ方向に撃った弾が跳弾して自殺点ゲームセットとなりかねない。
 どこか遠くから狙い撃ちにしようにも、この狭い空間ではそれも不可能。
 大広間は逃げ道がない。壁際に追い詰められればそれでもゲームセット。
 一階のロビーにおびき寄せて戦うという手もあったが、未だにこのホテル内で戦っているであろう人間たちとそこで鉢合わせする確率もある。
 第三者から見れば格好の獲物だろう。それだけは避けたい。

99(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:38:36 ID:kZsTBTYo0
 しかし、この狭い空間でどう対抗する? こんなことなら、スタン・グレネードを取っておけば良かった……
 そんな七瀬の目の前に、大広間前にあるエレベーターが目に入る。どうやら回りまわって一周してきたらしい。
 ああ、あれで一気に最上階あたりまで逃げられたら――
 想像する七瀬の中で、思い当たる節があった。

「これよ!」

 閃いた七瀬は喜色を含んだ声で叫ぶと、迷わず階下へと通じる階段に向かう。
 愛佳はというと、どうやら息切れしてきたらしく、あらぬことを叫びながら無意味に炎を撒き、七瀬を探しているようだった。

 チャンスだ。七瀬は自分に好機が巡ってきたことを確信する。あの放火魔を退ける千載一遇の好機。
 だが、まだ確実な勝利へ結びつけるには一つ足りなかった。
 一瞬で愛佳を殺さなければならない。時間がかかれば逃げられる恐れがあった。
 そこまでは、未だ考えが辿り着いていない。

 いや、何としてでも辿り着いてみせる。
 何故なら、自分は悪と戦う正しく乙女なのだから。

     *     *     *

「どこ? どこどこどこどこどこどこどこぉ〜?」

 吐息も荒く、へらへらと気味の悪い笑みを浮かべつつ愛佳は一旦放射をやめ、のしのしと三階を歩き回る。
 とはいっても本人の体力はかなり落ちていたので速度は地べたを這う虫のように鈍い。
 けれども体力を浪費してまで走り続ける、または暴れまわるよりもこのように休憩を挟む方が戦術としては的確である。

 力を出すときには出し、休むときには休む。
 本人は全く意識してないが、戦うときの鉄則を実演していたことに、人間にも本来備わっているはずの獣としての本性が垣間見える。
 小牧愛佳は今や狂獣であった。

100(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:39:18 ID:kZsTBTYo0
 そのままのペースで、ゆっくりと廊下を通り過ぎる。パチパチとカーペットの化学繊維が爆ぜる音だけがホテルの中に響いていた。
 エレベーターの前を通り過ぎ、廊下の角に差しかかろうとしたときであった。
 愛佳の後ろでガタン、と何かが倒れる音がした。
 反射的に振り向き、放射器のトリガーを引く。瞬く間に炎が溢れかえった。

「くっ!」

 追い立てられるようにして、いつの間にか愛佳の背後に回りこんでいた七瀬が飛び出す。
 どうやら観葉植物の裏に隠れていたようだが、狙い撃ちしようと身を乗り出したときに倒してしまったらしい。
 あは、と喜色満面に引き返し、続け様に炎を振りまく。
 たまらないという風に七瀬は顔をしかめ、またもや退却を始める。

「えへへへへへへ、こ、今度はにがさ、逃がさないよぉ〜! えへえへへへへへへへへ」

 それなりにスタミナの回復を行えていた愛佳はとてとてと小走りに七瀬を追いかける。
 角を曲がった先で待ち構えていないとも限らないので角を曲がる際には一度炎を噴射する。
 果たして予想通り、銃を持って待ち構えていた七瀬は悪態をつきながらさらに退却していく。
 ちらりと横目で燃料メーターを見る。まだまだ容量は十分であった。満足げに愛佳は頷く。

 だって、これはかみさまがあたしにくれたプレゼントなんだから。こわいこわいものからまもってくれるおまもりなんだから。
 だからあたし、焼くよ? 全部ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ真っ赤にしてあたしだけのばしょにするんだから。

 妄想を膨らませつつ、学校での図書館のように、誰にも、絶対に汚されない場所を作り上げるために愛佳は炎を散らす。
 本人は無意識だったが、三階に留まり続けていたのは自分だけの場所で、安穏として暮らす。そういう考えが根底に渦巻いていたからなのであった。

 逃げる七瀬はいくつかの小部屋に飛び込もうとするが、直前で愛佳の炎に阻まれてまた後退を余儀なくされる。
 どこにも逃げ場所なんてあるわけがないのだ。何故なら、ここは愛佳だけの世界なのだから。
 かくれんぼは絶対に彼女の勝ちである。
 そのまままた一周して、愛佳が四つ目の角を曲がる。と、そこで愛佳は七瀬の姿が忽然と消えているのに気付いた。

「……うふ、うふふふふふ。ざんねんざんねん。あたしから、にげ、にげられるわけないよぉ〜。いっぱい燃やして燃やして燃やして燃やして……」

101(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:39:40 ID:kZsTBTYo0
 理由はすぐに察しがついた。きっとエレベーターに乗り込んだに違いない。
 スキップでもするように軽い足取りでエレベーターに近づいていく。

「ほぅら、あたり〜」

 エレベーターの上昇スイッチが点灯している。
 どうせ上からまた階段を下りて奇襲する気なのだろう。
 そうはいくまいと左右の階段を見渡そうとした愛佳だったが……

「あれ?」

 よくよく見ればエレベーターは三階から動いていない。それはつまり、この階から動いていないということ。
 んー、としばらく考えた愛佳だが、やがて一つの結論に至る。

「えへへへへ。そうか、きっとまだこの中にいるんだぁ。あたしがー、向こうに目を向けてるときにー、うしろから……ってことか」

 エレベーターは必ず上昇、あるいは下降するという認識を逆手に取った作戦だ。
 だが、愛佳はその作戦に気付いた。これで窮地に追い込まれたのは相手の方だ。
 何故なら、相手はまだこのエレベーターの中に潜んでいるのだから。焼き尽すのは容易い。
 こちらからエレベーターが開けられぬわけがない。

 えい、とボタンを押して放射器のトリガーに手をかける。
 後は扉が開いた瞬間に炎をぶちまければいいだけ――

「いたかったんだからいたかったんだから、いっぱい燃やしてあげるよぉ」

102(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:40:00 ID:kZsTBTYo0
 僅かに扉が開き……同時に火炎放射器のトリガーを引く。
 その瞬間。


「――え?」


 閃光と共に、愛佳の意識は潰えた。

     *     *     *

 鼓膜を破らんばかりの大音響と大地震にも勝らぬ揺れが七瀬留美を襲う。
 立っていることが出来ず、思わず愛佳は階段の手すりに手をかけて揺れが収まるのを待った。
 余程の大爆発があったらしく、三階の一部が崩れ落ちて瓦礫と化していた。
 そして、爆心地であるエレベーターは文字通り木っ端微塵。

「くく、あははは、あっはははははは!」

 あまりにも上手く、そして想像以上の結果であったことに思わず大声を出して笑う。
 あの様子では確実に愛佳は死んだはずだ。いや、本人は死んだことさえ理解していまい。ざまあみろ。
 放火魔の末路に相応しいと思いつつ、まだ笑いが収まらない七瀬は壁に背をもたれさせて己の幸運に感謝する。

 エレベーターは狭い。そして密室だ。
 密室の中で、炎を吹き散らせばどうなるか。
 それが七瀬の考え出した作戦の一つ。

 だがそれは相手が完全に閉じ込められていなければ完全に上手くいくとは言えなかった。
 そこでもう一つ、七瀬が考え出したのが『粉塵爆発』だ。
 狭い室内で小麦粉を……可燃性の微小な粉末でいっぱいにし、十分に酸素があった上でそこに引火すると起こる現象。
 七瀬はこれをエレベーターでやってのけたのである。

103(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:40:31 ID:kZsTBTYo0
 まずエレベーター自体が動かなかったため、一階まで降りてエレベーターに電源を通す。
 一階に電源があるというのは完全な勘であったが、ホテル内の管理を一階以外でやっているとは思えなかった。
 予想通り、一階にある従業員専用の通路から電源室に入り、エレベーターの電源をつけることが出来た。
 これで第一段階は終了。

 残る問題は粉塵爆発の要となる可燃性の粉末だった。
 できるだけ短時間で探したかった(愛佳が逃げる、もしくは追う可能性があったから)ので見つけられるかどうかが勝負だったのだが……探すまでもなく、それは『落ちて』いた。

 一階に下りるには二階吹き抜けの階段からだけでなく、左右の階段からも一階に降りる事が出来る。
 そこを使って降りた際、七瀬の足元にたまたま『古河パン』セットが落ちていたのだ。
 以前はエディの支給品であった代物だが、皐月が彼を誤射した際のゴタゴタで落とし、そのまま放置されていたのだ。
 ご丁寧にも説明書つきであったために、七瀬はそれを十分使えると判断するに至った。

 後は再び三階まで戻り、適度な速度で愛佳と応戦しつつ、エレベーターを開け放ってそこにありったけの古河パンを投げ込み、自らはそのまま階段へ逃げ込む。後は色々推理してくれた愛佳が勝手に勘違いして、エレベーターの中に炎を撒いてくれるのを待つだけで良かった。

 色々と賭けのような部分はあった。愛佳が思い通りに推理してくれるとは限らないし、階段に逃げ込む前に目撃されることも在り得る。
 だが愛佳が角を曲がるときにはご丁寧に火炎放射器を噴射してくれたことで彼女がそれなりの理性はあるということに気付けたし、
 体力を消耗しないためなのか、こちらの速度に合わせるようにして動いてくれたので最後、角を曲がったときの猛ダッシュまでは読みきれていなかった。

 それでも色々と運に任せた部分は大きい。それを掴み取れたのはひとえに自分が……『正義』であるからに違いない。
 そう、善人が勝ち、悪人が滅びるのがこの世の理なのだ。

「そうよ、あんな人を平気で裏切るような奴に負けるわけがないのよ」

104(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:40:52 ID:kZsTBTYo0
 七瀬はようやく笑いを収めると階下へと向かう。
 先程の爆発でホテルのあちこちに傷がついた上に火も依然として広がっている。下手すればここが崩れる可能性もあった。
 さっさと脱出するに限ると思い、階段を下りようとしたとき、一人の人物と鉢合わせする。

「「あんたは……!」」

 同時に、全く同じ言葉。
 表情まで一緒だった。二人ともが怒りを露にして、七瀬がデザート・イーグルを。郁未がM1076を抜く。

「あんたさえ居なければ!」
「あんたが下手なことやってくれたお陰で!」

 憎しみをありったけ込めた銃声が、このホテルにおける新しい戦いの始まりを告げた。

     *     *     *

 人の一念岩をも通す、という言葉がある。
 互いに放った一撃はまさにそれだった。

 七瀬のデザート・イーグルは郁未の左肩を貫き、それと対照になるかのように郁未のM1076は七瀬の右鎖骨下を貫いていた。
 ダメージが大きかったのは骨にまで響いた七瀬の方だった。
 一瞬怯んだのを見逃さず、郁未がもはや相棒と言えるまでに使い込んだ鉈を片手に階段を駆け上がる。
 この距離で銃を撃つわけには、と判断した七瀬は手斧に持ち替えながら三階廊下へと移る。郁未もそれを追って廊下へと駆ける。

「これは……」

105(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:41:19 ID:kZsTBTYo0
 郁未が目にしたのは崩れていたエレベーターと燃え広がる床。
 壁材も炎で爛れ、崩れたものは炎の雫となってあちこちで垂れ落ちている。煙もひどい。
 呼吸困難になるほどではなかったが、早々に決着をつけねば火に巻かれる恐れがある、と判断した郁未は七瀬の姿を目で追う。
 彼女はあちこちの瓦礫を器用に避けながら大広間へと通じる扉を開けて、そこに駆け込んでいた。

 どうやら、自分達の決戦場所はあそこであるらしい。
 ふんと鼻を鳴らし、片手にM1076、もう片手に鉈を持ち大広間へと向かう。
 熱くてたまらない。この戦いに決着がついたらありったけ水を飲もう、と考える。
 出来れば汗も煤も落としたいところだが、この際贅沢は言うまい。

 扉は開きっぱなしになっていた。
 中は薄暗く、豪奢なカーペットやシャンデリア、テーブルが見えることからかつてはさぞ賑わった場所であったのだろう。
 そんなことを思いつつ、中に一歩踏み込む。

「せいっ!」
「なんのっ!」

 同時に振り下ろされる手斧を鉈で受け止める。これくらいの奇襲は予想済みだ。
 郁未はそのまま押し返すと部屋の中まで走り、倒れているテーブルの裏へと隠れる。
 七瀬はデザート・イーグルを構えていたが、発砲をやめる。
 代わりに腰を低く落とすとそのまま一直線に駆け抜ける。すると郁未も待ちかねていたように鉈を持ち、飛び出す。

 銃で攻撃しなかったのにはそれなりに理由があった。
 弾薬の不足がその一因。互いに無駄にしたくなかったということもあったが、そんなものは瑣末な理由に過ぎない。
 自分をこんな目に合わせたこいつだけは、殺したという感覚が残る武器で倒す。
 互いがそう考えていたからだ。

「天沢郁未ぃ! あんたさえいなりゃ、こんなに人が死ぬことはなかったのよ!」
「同じ人殺しのあんたがよく言うわよ、七瀬留美! あんたのお陰で、一人殺り損ねて……こちとらムカッ腹が立ってんだから!」

106(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:41:53 ID:kZsTBTYo0
 二度、三度と室内に金属音が反響する。
 双方ともあれだけ激しい戦闘の後だというのに、まるで疲れを知らないが如く目を血走らせて殺し合いに没頭している。
 ここぞというときに本当に頼りになるもの……それは己を支える精神、そう言うように。
 一歩も退かぬ打ち合いが何度か続いたが、格闘戦になっている内に七瀬が弱点を突かれてしまう。
 郁未が牽制として仕掛けたローキックが、たまたま七瀬の古傷を直撃したのだ。

「っ……!」

 疲れを見せなかった七瀬の表情が一瞬でも変化したのを、郁未は見逃さない。
 できた隙を逃すまいと踏み込んで鉈を振り下ろす。鉈は喉を直撃するコースだった。
 絶体絶命だと思われた七瀬だが、己の『正義』は絶対であると確信している七瀬は諦めない。

「乙女ってのは、そんなにヤワじゃないのよ!」

 無理矢理体を捻って繰り出された一撃が、郁未の右腕を浅からぬ深さで切り裂く。
 激痛が体に走るが、それでも攻撃は辞めなかったのは称賛に値すると言ってもいいだろう。
 しかし七瀬へのトドメになることはなく、鉈は肩に食い込み、骨にヒビを入れる程度のダメージに留まった(それでも十分過ぎると言えるが)。

「いっ……このぉ!」
「……ぐ、ナメんじゃないわよ!」

 返しの一撃はシンクロ。刃先を立てるように突き出された二人の凶器がそれぞれの脇腹を抉る。
 血が流れ出し、瞬く間に二人の衣服が血で染め上げられていく。それでも二人は動くのをやめない。

「あんたなんかに負けるはずがないのよ! あんたみたいな殺人鬼に! 藤井さんを殺したヤツみたいなあんたに! 勝利なんてないッ!」
「妄想で語ってんじゃないわよ! どうせ人を殺せるだけの、正当な理由が欲しいだけなんじゃないの!? そんなものを気にするなんて、あんたも底が浅い!」
「理由もなく殺すのは獣のやることよッ! 獣同然のあんたに、説教垂れられる筋合いはないッ!」
「なら、食い殺されるのね!」

107(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:42:17 ID:kZsTBTYo0
 一撃一撃は致命傷にならないまでも、確実にダメージは蓄積されてゆく。互いが付け合った刃傷は既に数え切れないほどに増えていた。
 中々決着がつかないからか、戦い方が変わり始める。

 武器に頼るよりも、それを牽制として拳や蹴りでの攻撃が主になり、顔面も狙うようになった。
 七瀬が手斧を振ると同時に肘鉄が郁未の肩傷を抉る。
 痛みに耐えつつお返しとばかりに鉈を振り、避けたところを飛び蹴りで鎖骨の下にある銃傷部分を攻撃した。
 ならばと地面に降り立ったところを頭目掛けて手斧を振るが、鉈で受け止められ鍔迫り合いのような格好となる。

「私はここで死ぬわけにはいかないのよ……! 葉子さん……親友に誓ったのよ……何が何でも生き延びて、命を繋ぐってね!」

 互いが近くなったことをこれ好機と、郁未が空いた手で七瀬にアッパーを見舞う。
 顎下からの衝撃に僅かに意識が途切れたが、気合の入っている七瀬をダウンさせるには遠かった。

「私だって死ぬわけにはいかないッ! 自分勝手な人殺しに未来があるものかッ! あんたみたいな人間がいるから、皆死んじゃうのよ!」

 七瀬の拳が郁未の鳩尾にめり込む。膝が震えかけたが、ここで倒れては死ぬと堪える。
 郁未は足を思い切り上げると、躊躇なく七瀬の足を踏み潰す。
 爪が潰れたが構う暇はないと逆に勢いの乗った頭突きをかます。

「っがぁ……!?」

 これには郁未も堪らず、よろよろと数歩下がってしまう。
 七瀬自身もじんじんとした痛みが頭にあったが、気にするほどではない。
 胸目掛けて手斧を振ろうとした七瀬だったが、それは郁未の演技だった。
 素早くかがみこむと、コンパスで描くように足払いをかける。
 疲弊しきっていた七瀬にこれを避けるだけの力はなく、見事に転倒してしまう。

「貰った! 偽善者めッ!」

108(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:42:35 ID:kZsTBTYo0
 大の字になって寝転がる七瀬に、無常な一閃が見舞われる。
 勢い良く振り下ろされたギロチンの如き刃は、七瀬の左腕を真っ二つに切り裂いた。
 凄まじい血が噴出し、それだけで死に至るのではないかと思われるほどに七瀬が絶叫する。

 実際、それはショック死しても何らおかしくない損傷であった。
 一般の成人では人体中の血液を2リットル失えば死亡する。増してやそれまでの戦闘で血を失っていた七瀬が死なないわけがない。
 郁未はそう確信していた。

「違うッ! 私が……正しいんだッ!!!」

 だが七瀬は一声叫ぶと、まるでバトンタッチのように千切れた腕から手斧をもぎ取り、郁未に向かって投げつけたのだ!

「なっ!?」

 あまりに予想外の行動に全く反応出来なかった。投げられた手斧は郁未の腹部に突き刺さり、致命傷とまではいかないまでも今までの中で最大のダメージを与えた。そればかりか、七瀬はよろよろと立ち上がり、未だ健在であることを示す。
 手斧を引き抜きつつも、そんなバカな、と驚愕せざるを得ない郁未。
 不敵に笑いつつ、七瀬は「偽善者……?」と続ける。

「私のどこが偽善者なのよ、あんたみたいなクズを全員殺して、こんな殺し合いに巻き込んだヤツも殺して、本当に優しい人だけが生き残る……どこが間違ってるっていうのかしら……? 私は、口だけの女じゃないッ!」

 片手でデザート・イーグルを取り出すとそれを構え、郁未の方へと差し向ける。

「確かに、口だけじゃないけど……あんたの言う『優しい人』ってのは何なのよ! 自分の理想とする人間のことでしょ! そんな選民がかった思想で……人のことを見下すなッ!!!」

 郁未はお返しとばかりに手斧を投げ返す。しかしそれは七瀬を捉えることなく、彼女の遥か真上を通過していく。
 は、と七瀬は哂った。

109(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:42:56 ID:kZsTBTYo0
「ほら、無駄。結局最後には……正しい人間が勝つのよ。さぁ、覚悟しなさいッ!」
「……なら、勝つのは私ね」
「何……?」

 ふっ、と七瀬に影が差す。薄暗い室内であったから気付くまでに時間がかかった。そして、その時は手遅れであった。
 七瀬が見上げた先……彼女の真上には、落ちてくるシャンデリアがあった。

「そんな」

 私が負ける? なんで、なんでよ? 人殺しって罪じゃないの? それを裁いて、何が悪いの?
 なんで悪人がのうのうと生き延びるの? 理不尽、理不尽よ、こんなの……
 認めない、私はこんなの認めない。こんな間違いだらけの世界なんか認めないみとめないミトメナイ――

 ガシャン、と頭に強烈な衝撃が走って……最後まで自分が『間違い』にいたことに気付けなかった、七瀬留美は死んだ。

     *     *     *

「ち……手こずった……」

 最後の一撃……天井にあったシャンデリアを手斧で落として押し潰すという策に成功し、七瀬を葬ったものの被害は甚大だった。
 全身のあちこちに手傷を負い、腹部には放置できないほどの刃傷がある。
 急いで服を破った布で止血まがいのことはしてみたものの、痛みが収まる気配はない。
 これでは遠くへの移動は困難だった。

「く……」

110(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:43:13 ID:kZsTBTYo0
 おまけにこのホテルは火災を引き起こしており、それを見つけて他の参加者がやってくるとも限らない。
 もうどうしようもなかった。当初の予定は全てお釈迦。

「くく、もうこうなったら……トコトンまで行くしかなさそうね」

 半ば自棄、半ば腹をくくったような気持ちで、郁未はここを根城にすることを決める。
 やってくる人間は全て皆殺しにする。
 武器は七瀬から奪ったものがたっぷり……とまでいかなくてもそこそこはあった。十分戦える。
 とはいえ、崩落しかけているここに留まるのは論外。まずはホテルの外に――

 そこまで考えたとき、ガラガラと音を立てて、天井が崩れ始める。
 噂をすれば、とやらだ。崩落が始まったらしい。

「まずは、ここからの脱出か……余裕だけど」

 荷物を詰め込み終えた郁未は、痛む体を引き摺りながら取り合えずここからの脱出を目指すことにした。

 優勝までは、もうすぐ。
 まだだ、まだ私は戦える。

 手負いの雌豹は、ますます牙の輝きを増していた。

111(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:44:58 ID:kZsTBTYo0
【時間:二日目午後19:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(1/15)、ストッキング、接着剤、糸、バルサン、ゴム糸、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全力で逃げる(現在はホテルの外)。仲間の仇を必ず取る】

天沢郁未
【所持品1:H&K SMGⅡ(13/30)、予備マガジン(30発入り)×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1】
【持ち物3:S&W M1076 残弾数(5/6)とその予備弾丸14発・トカレフ(TT30)銃弾数(4/8)・ノートパソコン、鉈、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【状態:右腕重傷(未処置、かなり状態が悪い)、左肩、脇腹負傷、腹部損傷(致命傷ではない)、顔面に細かい傷多数、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテルにやってくる人間を全て抹殺。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

小牧愛佳
【持ち物:消失】
【状態:死亡】

七瀬留美
【所持品:支給品一式(3人分)】
【状態:死亡】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(6/30)、イングラムの予備マガジン×3、M79グレネードランチャー、炸裂弾×8、火炎弾×9、クラッカー複数、折り畳み自転車、支給品一式】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、肩や脇腹にかすり傷多数、疲労大、マーダー。まず風子を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾10/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(銃弾により悪化)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルのどこかに逃亡。放送は戦闘の影響で聞き逃した】


【その他:手斧は三階に放置。ホテルの一部で火災発生。崩落しかけています】
→B-10

112(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 02:59:52 ID:kZsTBTYo0
済みません、以下の部分に変更をお願いします

【時間:二日目午後19:00】

【時間:二日目午後20:00】

ミスったorz

113(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/21(日) 14:46:12 ID:kZsTBTYo0
感想スレで指摘があったので再訂正をば…
愛佳死亡シーンの後の、

>立っていることが出来ず、思わず愛佳は階段の手すりに手をかけて揺れが収まるのを待った。

>立っていることが出来ず、思わず七瀬は階段の手すりに手をかけて揺れが収まるのを待った。

に差し替えお願い致します

114(最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight:2008/09/23(火) 00:46:27 ID:irUrvGZQ0
感想スレで指摘があったので再々修正

 一階に下りるには二階吹き抜けの階段からだけでなく、左右の階段からも一階に降りる事が出来る。
 そこを使って降りた際、七瀬の足元にたまたま『古河パン』セットが落ちていたのだ。
 以前はエディの支給品であった代物だが、皐月が彼を誤射した際のゴタゴタで落とし、そのまま放置されていたのだ。
 ご丁寧にも説明書つきであったために、七瀬はそれを十分使えると判断するに至った。



 一階に下りるには二階吹き抜けの階段からだけでなく、左右の階段からも一階に降りる事が出来る。
 そこを使って降りた際、花梨や由真の死体と共にいくつかのモノと一緒にたまたま『古河パン』セットが落ちていたのだ。
 以前はエディの支給品であった代物だが、花梨が引き継いでおり、彼女の死と共にそのまま放置されていたのだ(郁未は興味を示さなかった)。
 しかもご丁寧に説明書つきであったために、七瀬はそれを十分使えると判断するに至った。


に変更。確認不足のために度々ミスを露呈してしまい申し訳ない

115名無しさん:2008/09/27(土) 05:45:41 ID:ltxNkqvY0
EX/D.A.N.G.O. -Dimension Administrators of Non-standard Grievous Occupants-


 
「―――新たな次元震を感知!」
「何じゃと!?」

狐色の丸い体をぷるぷると震わせた個体の叫びに、後ろに控えた白い個体が驚いたような声を上げる。

「このタイミングで……!」
「渚ちゃんの中に開いたゲートの修復だけで手一杯なのに……!」
「……落ち着け。やき、詳細を」

口々に不安を漏らす個体を制するように声を上げたのは、黒色の一体である。
やきと呼ばれた狐色の個体が、はっとしたように手元の計測データに目を落とす。

「そ、それが……」
「どうした」
「新たな次元震源……同時に二箇所発生でさあ!」

やきの戸惑ったような声音に、その場にいた個体が揃ってぷるぷると震える。

「な……何じゃと!? 計測ミスではないのか!」
「白玉長老の言うとおりだ、先の次元転移に伴うアンコ流侵蝕で機材の半分が持っていかれている。
 急いで再確認を」
「む……わしとしたことが少し取り乱したようじゃ。済まんの、ごま」

動揺を隠し切れずにいる、白玉長老と呼ばれる白い個体。
その代弁をするような黒い個体、ごまの低い声が、場の動転を少しづつ鎮めていく。
しかし、間を置かずに返ってきたやきの言葉が、再び混乱を巻き起こすことになる。

「確かにこの辺りのミタラシ値異常で、串の利きは最悪ですがね……検算終了、間違いありやせん!
 次元震源は上空36000km! この惑星の静止衛星軌道上、及び……我々の直下、地下数十メートル!
 規模は……それぞれ2800、及び4500ギガキナコ!」

それは、彼らの想像を絶する数値であった。

「な……!?」
「嘘でしょ……!」
「そんなの、本隊特務でもなきゃ……!」

ぷるぷるという震えが場の空気そのものを揺らしているかのようだった。

116名無しさん:2008/09/27(土) 05:46:09 ID:ltxNkqvY0
「特大級の震源が二箇所だと……!?」

さしものごまの声も僅かに震えている。

「すいやせん、更に悪い報告が……」
「構わん、言うてみい」

苦虫を噛み潰したような長老の声。
続くやきの報告もそれに応えるように重苦しい。

「……震動、収まる気配を見せやせん。地下の震源は既にほぼゲートの形成を完了。間もなく開放に至りやす」
「ぬぅ……!」
「となれば、上空も時間の問題……か」
「そんな……4000ギガキナコクラスの開放なんて、どれだけのアンコ流侵蝕が起こるか……」
「修復は可能か、あん」

ごまに問われたのは、滑らかな深い茶色の個体。
ふるふると震えながら答えるその優しげな声音の中には、しかし一本のしっかりとした芯を感じさせる。

「……難しいわ。長い漂流で資材は底を尽きかけてる」
「さっきの転移で残った機材もほとんど使い物になりませんしね」
「そうね、つきみ。今の私たちには三箇所もの同時対処は不可能。
 それに……複数のゲートが開けばミタラシ共鳴が始まるわ。そうなれば……」
「……渚ちゃんのゲートだけだって、塞げるかどうかわからねえ、ってこった」

あんの言葉を引き継いだのはやきである。
厳しい視線に萎縮したように小さな白い個体、つきみが長老の陰に隠れた。

「……今の我らに残された手段は少ない」
「しかし、となれば……」
「うむ、道は二つ。眼前の一つに総力を傾けるか……それとも、まとめて吹き飛ばすか、じゃ」

その言葉は、静まりかけた場を騒然とさせるに十分なものだった。
最初に声をあげたのはやきである。

「な……吹き飛ばすって、まさか串ごとゲートをパージするんですかい!?」
「そんなことをすれば……ゲート周辺の次元ミタラシ値は極大と極小の間で大きく触れるな」
「そ、それじゃ渚ちゃんも……!」
「そんな……! あんまりです、お爺ちゃん!」
「―――我らが使命を忘れたか!」

大喝が、響いた。

117名無しさん:2008/09/27(土) 05:46:28 ID:ltxNkqvY0
「我らだんご大家族……次元の崩壊を未然に防ぐが第一の努めぞ!
 だんごと生まれてそのお役目を徒や疎かにするべからず!
 家訓第一条、唱和せい!」
「―――家族は一個の為に、一個は家族の為に!」

反射的に声を揃える。
それは彼らが毎朝唱え、心に刻んできた使命であり、誇りである。
唱和することでその重みを思い出したか、誰もが口を噤んだ。
ただ、一人を除いて。

「……だけど、」

狐色の体を震わせて呟いたのは、やきである。

「だけど俺は、納得できねえ! 納得できやせんぜ、おやっさん!」

その身体の内に燃える炎に炙られて色づいたと言われる、彼はそういう男であった。

「使命はありやさあ! 俺だって忘れちゃいねえ! けど! けどそいつぁ納得できねえ!
 ここは引けねえ! 引いちゃいけねえ! 使命を盾にして恩人を犠牲にするなんざ……!
 そいつぁ、そいつぁコゲだんごにも劣る所業ってもんでさあ!」

その炎が今、燃えている。
炙られたように、一歩を踏み出したものがいる。
静かな瞳に決意を宿らせたごまであった。
その後に続くように、あん。
最後に、固く口を引き結んで、目には涙を一杯に溜めた、つきみである。
横一線に並んだ四個は、まるで一本の串に刺されているかの如く。
それは、だんご大家族の理念を体現するかのような、四個であった。

「……人の話は、最後まで聞けい」

四個を前に、深い溜息をつく長老。
困ったようなその表情には、しかしどこか笑みのような色が見え隠れしている。

「確かに、我らの使命は一つでも多くの次元崩壊要因を防ぐことじゃ。しかし……」

一拍を、置く。

「―――恩義を忘れただんごなど、只の米粉じゃよ」

言い放ったその顔が、悪戯っぽく笑った。
それはかつて宇治金時の白獅子と呼ばれた歴戦の勇士がみせた、覚悟の表情である。

118名無しさん:2008/09/27(土) 05:46:46 ID:ltxNkqvY0
「お、おやっさん……」
「お爺ちゃん、カッコいい!」
「それじゃ……!」
「長老……それが、決断ならば」

口々に呟く彼らの上に、再び大喝が響く。

「何をボサッとしておる! ……渚ちゃんに巣食うゲートを封鎖するぞい! 出し惜しみは無しじゃ!」
「―――了解!」

一瞬の間を挟んで、すべてのだんごが声を上げる。
唱和を通り越したそれは、既に雄叫びに近い。

「チックショウ、燃えてきやがった……!」
「だんごの底力、見せてあげましょう!」
「修復班を集めろ、あん。こちらが合わせる」
「わかったわ、ごま」
「おいテメエごま、抜け駆けはゆるさねえぞ!?」
「やきさんはこっちですっ」
「何しやがるつきみ、離せっ」
「オペレートの準備はもうできてるんですから、急いでくださいー!」
「ほっほ、若いのう」

騒ぎながら準備を進めるだんごたちの目には、長老と同じ色がある。
覚悟と、誇りと、そして希望とが燃え上がる、それは色だった。


***


「―――干渉震源、閉鎖完了!」


***

119名無しさん:2008/09/27(土) 05:46:59 ID:ltxNkqvY0
 
「……? わたし、は……」
「渚……気がつきましたか、渚!」

ゆっくりと開かれた古河渚の瞳が最初に映したのは、母親の顔であった。
ひどく心配そうに自分を見下ろしている。

「おはようございます、お母さん……わわっ」

寝ぼけ眼をこする渚を、早苗が突然かき抱く。

「元の……元の、渚ですよね……」
「ご、ごめんなさいお母さん、言ってる意味がよくわかりません……」
「よかった……本当に、よかった……」

抱き締める力の強さに困惑する渚が、記憶にない己の珍妙な言動を聞かされて更に困惑を深めたのは、
それから十数分の後である。

120名無しさん:2008/09/27(土) 05:47:16 ID:ltxNkqvY0
【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)、支給品不明】
【状態:健康】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン、支給品一式】
【状態:安堵】

だんご大家族
【MISSION:COMPLETED!】

→692 ルートD-5

121新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:29:23 ID:jE6n8yvg0
 モニタの明かりのみが人の輪郭を映し出す、アンダーグラウンドと表現するに相応しい部屋。
 決して目には良くないと言える状況で、しかしまるでそんなことを意に介せずゆったりと寛いでいる男が一人いた。

 デイビッド・サリンジャー。
 かつて彼はドイツにあるメイドロボメーカーに勤めるプログラマーであった。
 彼の目の前で黙々と作業を続ける修道女……アハトノインのメインプログラムを設計した人物でもあり、そこに改竄をも加えた男。

 ロボット三原則、というものがある。

 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 それらは原則として、いかなるロボットのベースシステムにも用いられ、決して手を施せないようにコーティングされている。
 兵器として運用されたり、テロ行為に使われたりなど、人に危害を及ぼさないように。
 また一方でそれは日々進化を続け、人の感情に近いものを持つとまで言われるようになったロボットのAIが守りうる『人権』でもあった。

 通常ロボット……特に、メイドロボなどの人型かつ人工知能を搭載したものは企業に発注する際、使用する部品から組み込むプログラムまで全ての仕様書を国家権力に準ずる確認機関に提出し、承諾を貰わなければ部品及びOSなどは発注できないようにされている。
 即ち、国家というフィルターを通し、その安全性やロボットの『人権』が確保されなければロボットを生産するのは不可能なのである。

 仮に極秘で部品などの生産を独自に行い、外観だけはそれなりのものができたとしても、人工知能を伴って動かすことは出来ない。
 何故ならロボットのOSの、ベースシステムにはロボット三原則と共に行動アルゴリズムや学習能力などのロボットがらしく行動するためのシステムも同時に搭載しており、これを独力で開発するなどというのはほぼ不可能な領域であったからだ。
 プロテクト自体も厳重であり、これを解除するのは世界中にどんなハッカーがいようとも無理なはずであった。

 ――篁財閥という、国家にも比類するような絶大な権力を持つ企業が現れるまでは。
 どのような手段を使ったのかは分からぬが、篁財閥は明らかに戦闘目的と思われる部品をメイドロボに組み込み、ロボット三原則を無視する……『人間を殺害出来る』プログラムを組み込んだ発注をサリンジャーの勤める企業へと出したのである。
 サリンジャーのいたチームはプログラムの設計の……人間を殺害するプログラムを担当することとなった。

122新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:29:48 ID:jE6n8yvg0
 とはいえ、一から設計するのではなく、そこにある改竄を加えて今までのロボットとはまるで別のものに仕立て上げることが主な仕事だった。
 その改竄とは、特定の人物以外の人間全てを『悪魔』として認識させ、人間を人間として見させないという全く新しい発想であった。
 このときの改竄はほぼサリンジャー個人の実力に拠るものが多かった。
 確かにその方法ならばロボットに人間を殺害させることも可能なのだろうが、肝心のプログラムの設計が非常に困難であったのだ。
 プログラマーの殆どが頭を抱える中、作業を進められたのはサリンジャーただ一人だった。
 必然的に彼はチームのリーダー的な存在となり、彼なしではプログラムの開発は行えない状況になっていた。

 そんなとき、サリンジャーの元にある人物からの招待状が届いた。
 篁財閥総帥、篁その人から。
 当初はサリンジャーも目を疑った。
 確かに篁財閥は例のロボットの発注を行ったクライアントだが、だからといってその総帥が自らサリンジャーのような一人のプログラマーに会おうとするだろうか? 不審に思いながらも、彼は篁との対面を果たした。

「君があのプログラムの実質的な開発者だということは聞き及んだよ。どうだ、私に仕えてみぬか?」

 会ったときに篁が発した第一声がそれだった。
 聞けば、あの発注はサリンジャーのところだけでなく手が届く限りの場所全てに出したのだというが、結局まともに開発が行えていたのがサリンジャーの勤めるメーカーだけだったという。

「君は天才だ。その才能を私が高く買ってやろう。どうだ、世界を手にしたいとは思わんかね」

 とても老齢とは思えぬ男の口から発せられた誘惑の言葉に、サリンジャーは抗う術を持たなかった。
 あの企業での待遇も気に入らなかったし、何より……世界を手にするという篁の自信ありげな様子に興味を持った。
 篁の持つ野心のようなものに、中てられるようにしてサリンジャーも野心を燃やしたのである。

 結局、サリンジャーは篁直属の部下となって引き続きチームを編成してプログラムの開発を続行。
 彼が勤めていたメーカーは篁が秘密裏に『処分』した。表向きは企業の倒産ということにして。無論そこにいた人物達の生死は、言うまでもない。
 開発に失敗していた他のメーカーも、事実隠蔽のためにその全てが処分されたという。もっとも、サリンジャーは赤の他人のことなど気にかけている暇はなかったが。

123新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:30:11 ID:jE6n8yvg0
 開発も終盤に進み、いよいよ試作品が稼動しようかという時期に、篁が新しく命令を下してきた。
 それは新しく開発したとある施設にアハトノインを運び込め、というもの。
 サリンジャー自身もその施設に来いという命令であった。
 詳しい内容までは聞かされていなかったので、また総帥お得意のショーか、という軽い気持ちでサリンジャーは足を運んだ。

「バトルロワイアル……ですか?」
「そうだ。貴様は初めてだろうが、まぁ気にすることはない。安全な位置で見ているだけでいい。喜べ、貴様は総帥に招待された客人なのだからな」
「……どうも、そのようには見えないのですがね。何やら、物騒なものを運び込んでいるようですし」
「何、万が一のためと、我々の計画のためだ。コレを使うような事態には、さらさらならんだろうよ」

 そう言っていたのは、篁の側近であり『狂犬』とのあだ名を持つ醍醐。
 計画の内容とやらはやはり詳しくは聞かされなかったものの、人の持つ可能性と奇跡……その実験のためであるらしいことだけは分かった。
 サリンジャーはそのようなものを信じるような人間ではなかったので与太話だと笑ったが、どうやら篁は本気であるようだった。
 曰く、人の想い、その奇跡こそが新たなる時代への扉を開くのだ、と。

「しかし、総帥。お言葉ですが……その幻想世界……いえ、根の国に我々が世界を手にできるものがある……と? どうも私には信じがたいのですが」
「フフフ……まあ、無理からぬことだ。しかし、理論自体は既に証明されているのだよ。世界は、存外身近なものかも知れぬぞ?」
「……ハーバー・サンプルなど作り話に過ぎません。第一、今はそれだって行方不明ではないですか。新たな世界に資源を求めるというのは……」
「ならば、お前にも好きなことをさせてやろう。お前にとてプランはあるのだろう? 己が権力を手にするプランを……な」

 サリンジャーは心のうちを見透かされているような気分になった。
 確かに、より自分の地位を高めようと心の奥で画策していることはある。しかしそれは誰にも口外したことはないはずで、サリンジャー一人だけが仕舞いこんでいたものであるはずだった。
 篁という、この得体の知れぬ老人の底知れぬ雰囲気に怖気を感じた瞬間でもあった。

 とはいえ、折角篁がくれた機会を逃すわけはなかった。サリンジャーが申し出た事項は意外とあっけなく承諾された。
 篁の心の内は正直、読めないけれどもここまでの大企業に一代でのし上げた人物だ。何も考えていない……というわけではないには違いなかった。
 とにかく、サリンジャーのみを『高天原』内に残し、醍醐と篁は参加者の実力を測る……という名目で参加者に扮し、会場へと出て行くことになった。
 よもや、そのまま二人ともがあっさりと死んでしまうことになろうとは流石のサリンジャーでも予想は出来なかったが。

124新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:30:33 ID:jE6n8yvg0
 残されたサリンジャーに与えられた命令は二つ。
 バトル・ロワイアルの遂行と、会場内に残した青い宝石に『想い』を溜め込むこと。

 が、正直な話サリンジャーには後者の命令はどうでもよかった。
 オカルト的なモノは信じない理系肌の人間であったし、仮に任務を遂行したとして、そこより先へ進む方法など分からぬ。
 恐らくはその方法まで知っていた篁総帥は、語る前に逝ってしまったのだから。
 故に、彼は彼の欲望を満たすための行動を始めた。

 サリンジャーが篁に申し出た事項……
 それは、人類史上初となるであろう、戦闘を目的としたロボット……アハトノインの実戦訓練。
 身体能力的にはあらゆる動物を陵駕する実力がどれほどあったとしても、戦闘データがなければ新兵と何ら変わらぬ。
 そこでサリンジャーは鬼・不可視の能力者・毒電波・他諸々の実力者がある程度揃っているこの会場で、参加者を相手に実戦させることにした。
 本来なら正規の軍隊を相手にしたかったが、それは到底実現不可能なことだったし、何よりアハトノインの存在は未だ極秘であり、誰にも知られてはならなかった。

 『神の軍隊』を世界に披露する、その時までは。
 ここ沖木島に運び込んだアハトノインはまだ数が少なく、データを管理している作業用アハトノインを除けば戦闘用は数体ほどしか使えなかった。
 数が少ないのは単に生産が遅れているだけで、本来ならば万全を期すために百体前後は欲しかったとサリンジャーは考えていたが、一般人が大半を占めるこの殺し合いでアハトノインが負けることはまずありえないことであるし、既に鬼の一族である柏木家の人間はほぼ全滅、不可視の能力者も殺されている。
 残りの参加者がどう立ち向かおうが、(戦闘データがないとはいえ)アハトノインには勝てるわけがないのである。

 さらに念を入れてここに滞在している間何回か戦闘シミュレーションさせて、机上とはいえ戦闘データも積ませた。
 このうえ参加者には首輪の爆弾まである。参加者側がサリンジャーの元に辿り着くなど全くありえない話である。

「いや……気にしすぎですね。はは、世界の支配者にこれからなるというのに、私も臆病なものだ」

125新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:30:58 ID:jE6n8yvg0
 参加者が攻め込んでくる要素があるか考えていた自分に気付き、サリンジャーは半ば吐き捨てるように笑う。
 それよりも、いつアハトノイン達を会場に放り込むか。そのことに思考を移す。
 そろそろ参加者も減って、積極的に殺し合いに参加している連中が煩わしくなってきた。
 散発的に戦闘は起こっているので何人かは死ぬだろう。出来れば、余程実力のある者以外は死んで欲しい。
 雑魚を相手に戦ってもアハトノインの経験にはなり得ないのだから。

「いや、何も今回に拘る必要もないじゃないですか」

 よく考えれば、一回でデータを収集する必要性はない。何回か繰り返し戦ってデータを集めればいいのだ。
 バトル・ロワイアルは今回が初めてではないらしいのだから。
 また次回、その時に彼女達を戦わせればいい。何せ、今の篁財閥の総帥は実質、自分なのだ。

 篁財閥において篁総帥その人の顔を見た人間は限られている。
 自社の重役でさえ、篁と会ったことのある人間は一人としていない。
 面識があるのは、醍醐とサリンジャー、リサ=ヴィクセンのみ。
 残るヴィクセンも参加者として放り込まれている以上、見捨てられたと見るのが正しい。面識はほとんどなかったが、ヘマでもやらかしたのだろう。

 とにかく、篁の正体を知るのがサリンジャーだけである現状を見て、彼は更に大きな野心を抱いた。
 自らが『篁』となり、世界で一番の権力を手にするという、あまりにも大きな野望を。
 『高天原』『神の軍隊』『篁財閥』……これだけあれば、世界を相手に戦えるとサリンジャーは思ったのだ。
 バトル・ロワイアルはその進水式であり、偉大なる第一歩。

 そして、計画も着々と、順調に進んでいる。何も問題はない。後は、アレの調整が終われば……

「報告します」

 考えに耽るサリンジャーの後ろで、事務的な声が聞こえた。
 噂をすれば、か? とサリンジャーは心中で一人ごち、「なんだ」と声だけで応じる。

126新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:31:21 ID:jE6n8yvg0
「Mk43L/eの接続調整が完了致しました。レールキャノンについてですが、そちらはまだ充電が完了しておりませんので、残り12時間前後かかるかと思われます」
「動かせるんだな?」
「はい、自走だけならば問題なく行えます」
「くっくっくっ……よし、下がっていいぞ。進展があればまた報告しろ」
「はい、失礼します」

 盤面は既に最終段階に入っていた。
 足音を残して去っていくアハトノインの余韻を感じながら、サリンジャーは世界が自分の手の届く範囲まで来ている、と確信する。
 『神の国』まではもうすぐだった。
 何もかもが順調。これが王の力か。

「くくく……はははは、あーっはっはっはっ!」

 全てが思い通りになっていく。その快感に酔いしれるがままに、サリンジャーは笑い続けていた。

127新たなる時代の扉:2008/09/28(日) 12:31:43 ID:jE6n8yvg0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:19:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。頃合いを見てアハトノイン達を会場に送り込む】
【その他:Mk43L/e(シオマネキ)が稼動できるようになった】

→B-10

128ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:22:23 ID:VSD3tLmo0
 
『これが、今生のアマテラス……』

呟く声は白の神像。

『この光……間に合わなかったと、いうのですか……』

搾り出すような声音の、その眼前に広がるのは白の巨躯を更に数倍する巨大な建造物。
周囲に広がる闇を圧するように明滅する、無数の光点に包まれたそれは城砦とも呼ぶべき外観を誇示している。
自転赤道上、実に高度三万六千キロメートル―――それは宇宙空間に浮かぶ、鋼鉄の城郭であった。

『……大丈夫、お姉様』

音を伝える大気すら、既に存在しない。
しかしその声は、物理法則を嘲笑うかのように世界に響く。
白の神像、アヴ・ウルトリィの傍らに舞う、黒い神像の声であった。

『この子……まだ、ちゃんと目を覚ましてないよ。急にムツミがいなくなって困ってるみたい』

巨大な砲塔を始めとした無数の兵装は幾つもの光を纏い、臨戦態勢とも映る。
恐るべき鋼鉄の砦を前に、しかし黒の神像、アブ・カミュは言い切ってみせた。
己が内に秘めるもう一つの力と通じるが故の、それは断言である。

『……そうですか。ならば我々の手でも、破壊は容易でしょう。……しかし、その前に』

一拍を置いたアヴ・ウルトリィが、ほんの僅かの逡巡を滲ませて、その言葉を口にする。

『―――神尾晴子。あなたには決断してもらわねばなりません』


***

129ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:22:47 ID:VSD3tLmo0
 
「な、何や急に!?」

狭いコクピットの中、足を投げ出してばりばりと顎の下を掻いていた晴子が唐突に声をかけられ、
泡を食ってバランスを崩す。
鈍い音。

「……痛ぅ……。何じゃボケ! 人を宇宙にまで連れ込んで、この上何をせぇっちゅうんじゃ!」

したたかに打ちつけた腰をさする晴子。
怒鳴りつける口調にはしかし、どこか力がない。

『観鈴、薄々思っておったが……そなたの母御はやかましいの』
『にはは……ときどき、ドジっ子』
「……ガキどもは黙っとらんかい!」

星の瞬きだけを映す暗いコクピットの中、響く幾つもの声を振り払うように晴子が
傍らのコンソールに腕を叩きつける。

「……続けてみぃや、神さん」

驚いたように口を噤んだ二人―――アヴ・ウルトリィの契約者にして神像の融合者、神尾観鈴と、
アヴ・カミュの新たなる契約者、神奈備命の声がやんだのを見計らって、晴子が静かに先を促す。

『……決断とは、他でもありません。晴子、あなたは……この現世に留まることを望みますか』
「はぁ!?」

漏れた声は純粋な困惑。
問いはそれほどに唐突で、理解に苦しいものだった。

「何やそれ。うちに死ねとでも言いたいんか。良ぉ言われるけどな。
 ハ、神さんにまで言われるとは思わんかったわ。……おどれから死なすぞボケカスコラァ!」

がつり、と硬い音を立てて乱暴に操縦桿を蹴りつける晴子の剣幕にも動じた様子なく、
アヴ・ウルトリィの声は続く。

130ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:23:28 ID:VSD3tLmo0
『我々は、もうすぐ旅立たねばなりません』
『カミュたちはずっとお父様を追いかけてるんだよ!』
『余もかみゅうより仔細を聞いた。契約者は大神の眷属として時を渡るのだと』
「やかましわ! おのれらには聞いとらん!」

声を張り上げた晴子が、しかしすぐに首を捻る。

「ん? ……今、契約者ぁ言うたか。それやったら……」
『にはは……観鈴ちんもウルトリィさんの契約者さん』
『……事の始まりは、省きます』

晴子の疑問に答えることなく、アヴ・ウルトリィは言葉を連ねる。

『私たち……私とカミュ、そしてここにはいない仲間たちは、旅をしています。
 長い、長い旅。時を越え、理を越え、幾つもの生と死を超える旅。
 現世の身体を捨ててなお、行く先々で仮初めの身体を得て続く、果てしない旅。
 その旅の中で、私たちはずっとある方を捜して……いえ、追い続けているのです。
 大神と呼ばれる―――我が君を』

それは、無色透明の声音。
郷愁と、慕情と、妄執と、怨嗟と、そういうものが煮詰まって、最後には色を失った感情の発露した言葉。
永劫という時に磨り減った者の、ざらつくものすら失くした女の、ひどく滑らかに歪な、声だった。

『今生には大神も、その写し身も居られず……ならばその齎す力を滅ぼせば、異物たる我々は
 その瞬間に意味を失い……今生より弾き出されて、新たな時へと遷るでしょう』
『お父様の力っていうのは、摂理を曲げてこの世に捻じ込まれた……あるはずのないもの。
 その時々で姿かたちは違うけど、名前だけはいつも同じなんだよ。名前は、魂の形だから』
『即ち―――浄化の炎、アマテラス』


***

131ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:24:03 ID:VSD3tLmo0
 
『アマテラスに打ち勝てば、我々は今生より旅立つこととなりましょう。
 契約者たる神尾観鈴、そしてそちらの―――』
『神奈備命だ』
『契約者は既に大神の眷属―――共に旅路へと着いていただくことになります。
 大神の輪廻に組み込まれた、永劫にも等しい旅となりますが』

下方には、青と白に彩られた故郷。
視線を上げれば、遠く煌く星々。

『改めて問いましょう。
 神尾晴子―――この現世に留まることを望みますか、それとも』
「……その前に一つだけ、聞かせてや」

問いを遮った晴子の眼差しに、怒りの色はない。
迷いも、困惑も、そこには見て取れなかった。
茫洋と遠い星々を見つめるその奥に、ほんの微かな決意だけがある。

「あんたさっき、言うたよな。身体ぁ捨てて旅を続けとる、て」
『はい。我々は皆……』
「それ、もうずっと昔に幽霊みたいなって、そんでも生きてるっちゅうことか」
『幽霊、というのがコトゥハムルの住人という意味であれば……そのような存在であるのかも知れません』
「知らんし、どうでもええわ。要はあんたらと一緒に行ったら、カラダくたばっとっても、生きてられるんか」
『……はい。大神の輪廻の中、生と死という概念からは解き放たれます。
 今生の敗北は写し身の力をいや増すことにはなりましょうが……逆さに言えば、それだけのことです。
 死の刹那、我ら大神の眷属は時を渡り、新たな身体、新たな戦の生へと遷ることになるでしょう』
「なら、決まりや」

その一言は、ひどくあっさりとしていて。
白の神像に浮かぶ、磨耗した苦悩も、風化した感慨も、何もかもを吹き飛ばすほどに、軽かった。

「観鈴と一緒なんやろ。ずっと、ずっと一緒なんやろ。ならもうそれでええわ。
 面倒なこと考えとったら、もうわやんなってもうた。ええよ。行く。
 どないすればええの。パスポートとか、いるん」

132ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:24:15 ID:VSD3tLmo0
神尾観鈴に言わせれば、それは逃避に他ならないのだろう。
結局のところ、神尾晴子にとって観鈴という存在は枷であり、同時に免罪符でもあるのだと、
そう再認識したかもしれない。
しかし、どれほどの贖罪と悔恨に塗れていようと、そこには確かな母性の発露があった。
それは必ずしも神尾観鈴にとっての救済には繋がらず、また晴子にとっても自身に巣食う魂の高潔ならざる部分、
欲や、見栄や、怠惰や打算や、そういうものを照らす光明とはなり得ない、幽かな仁慈でしかなかった。
だがそれでも、この瞬間に、神尾晴子は母親であった。
少なくともそうあろうと、一歩を踏み出した。

『―――そうですか』

だから、白の神像は、母になれなかった女は、それだけを口にした。


***

133ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:26:28 ID:VSD3tLmo0
 
『余に否やはない』

翼人の末裔、神奈備命が短く告げる。

『どの道、余に帰る場所などない。帰ったところで、終わりのない悲しみだけが待つというのなら尚更の。
 千年の怨みつらみ、ここらで断ち切るのも良かろ』
『……あなたからは、多くの想いを感じます』
『ああ。余は生きるぞ。……それが、余を見守ってくれておった者たちへの報いだ』

口調は力強く。
悲しみは、もうない。

『……時にかみゅう』
『カミュ、だよ』
『うむ、かみゅうよ。……この女はどうする』
『あ……うん』

アヴ・カミュと一体化した神奈が指し示すのは、己が腹の辺り。
その中に眠る、この場の最後の一人である。

『……カミュ、あなたの操者は』
『うん。私との契約が切れてるってことは……おば様、たぶんムツミと……契約してる』

力なく項垂れる。
その動かぬはずの白銀の表情にすら、痛嘆が浮かんでいるかのように見えた。

『もう、おば様も引き返せない。それに……』

脳裏に響くのは、柚原春夏の慟哭。

『おば様のたいせつなものは、もうここにはないから』
『カミュ……』
『大丈夫よ、お姉様。辛いのは私じゃな―――え!?』

弾かれたように白銀の面を上げたアヴ・カミュが、

『―――避けて、お姉様!』

叫ぶのと、アヴ・ウルトリィが白翼を真空に羽ばたかせ後方へと急加速するのとが、ほぼ同時。

134ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:27:01 ID:VSD3tLmo0
『わ……』
「何や、一体……!」

白い機体を掠めるように飛び去ったのは一筋の光線である。

『この力、術法……!?』

困惑を隠せないアヴ・ウルトリィが視線を向けた先には、沈黙していたはずの城砦。
幾つもの光点が明滅するその無数の砲塔が、音もなく回転を始めていた。
砲口の向く先は、一対の神像。

「何や、あれ……!」
『にはは……宇宙戦艦』

攻撃衛星、アマテラス。
回転する砲塔、有機的に連動するターレット。
姿勢を制御するための噴射口にも炎が灯っている。
鋼鉄の城砦は今や、その機能のすべてを回復しているかのように見えた。

『ムツミは眠りについているというのに……!』
『待って、お姉様……ムツミの力、感じる……。ずっと、下……さっきの島から、声がする……!』
『余にも聞こえるぞ……これが、余の追い出したもう一人の翼の者の声……!』
『力をくれ、って……ムツミの声が、呼んでて……それでこの子も、目が覚めちゃったみたい……!』

隻腕を太陽光と放射能に照りつけられながら、黒の機体が第二射を回避する。

『どうやら……簡単に決着をつけるというわけには、いかなくなったようですね』
「はン、壮行会に花火……気ぃ利いとるやん。景気付けに丁度ええわ」

アヴ・ウルトリィがその手に宿した光球を放つ。
弧を描く軌道が迎撃するのは砲塔から放たれた第三射。
その同時斉射数は既に十を遥かに超えている。

『覚悟は宜しいですか、カミュ、観鈴、晴子、神奈備命―――。
 ここから先は、この世界で最後の戦いになります』

アヴ・ウルトリィに応える声は、高らかに。

「上等やないの!」
『はい、お姉様』
『勝っても負けてもまた来世、か……余が敗れるなどと、考えたこともないがの』


***

135ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:27:25 ID:VSD3tLmo0
 
―――わかってるのかな、お母さん。
それは、一瞬だけ浮かんだ、意地悪な気持ち。

お母さんはもう、私を言い訳に、できないんだよ。
そんな風に言ってやりたくなるのはきっと、目の前の面倒から逃げ出したお母さんの考え方が、
あんまりにもいつも通りだったから。

あのとき私が手を伸ばしたのは、そうしていま私の横にいるのは、きっと夢に出てきた女の子。
広い、白い、青い、空の真ん中で、一人ぼっちで泣いていた女の子。
夢から出てきた女の子は、だからもう一人じゃない。

ひとりじゃない女の子は、きっともう泣かないんだ。
だから、私の中に哀しい気持ちが溢れることも、もうない。
私と女の子が手を繋ぐというのは、きっとそういうことだ。

―――私は、だから、もう”特別”じゃない。

私が普通の子になったら、お母さんはきっと、私に負い目を感じなくなっていく。
お母さんはきっと、お母さんじゃなくなっていく。

わかっている? 神尾晴子さん。
あなたはもう、私の面倒なんてみる必要、なくなったんだよ。
うん、きっと、わかってないんだろうな。

私はでも、だから、それをお母さんに言ったりはしない。
教えてあげたり、しない。
これは、ずっと私を言い訳に使ってきたお母さんへの、ほんのささやかな仕返し。
そうしてずっと私と一緒にいてくれた、お母さんへの、ほんのささやかなお返し。

娘から母へ、一瞬だけの意地悪と、心からの―――

『―――行こう、お母さん』

甘やかな愛情を、込めて。



***

136ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:27:47 ID:VSD3tLmo0
 
黒白の翼を広げて、二体の神像が翔ぶ。
目指す先には、宇宙に浮かぶ鋼鉄の城。
光が、交わった。


***

137ナジェーナ:2008/10/04(土) 00:27:59 ID:VSD3tLmo0
 
【時間:2日目 AM11:36】
【場所:静止軌道上、高度36000km】

アヴ・ウルトリィ=ミスズ
【状態:満身創痍】
神尾観鈴
【状態:契約者】
神尾晴子
【状態:契約者】

アヴ・カミュ=カンナ
【状態:隻腕】
神奈備命
【状態:契約者】
柚原春夏
【状態:契約者・意識不明】

→924 926 1007 ルートD-5

138詳しいことは、その道のプロに任すの。:2008/10/12(日) 22:55:13 ID:5T6rCcI20
「どうした、ことみ君」
「……何でもないの。気にしないでほしいの」

ふと、ひっきりなしに続いていた一ノ瀬ことみの織り成すタイプ音が止まった。
作業を中断させたことみの様子を伺うよう、霧島聖は彼女の背後へと近づいていく。
ことみは黙ったまま、英数字で埋められた画面を微動だにせず凝視していた。
と、そこに日本人なら誰でも容易く解読できるであろう文字列が加わる。

『ちょっと行き詰ったかもなの』

その一言を書き加えたのがことみであるのは、間違いない。
素早く動かされた細い指が、記号にまみれる形で画面に日本語を混入させる様は、聖の視界にも入っていた。
口では話せないこと。それを、手段的には筆談と似た形でことみは実践させている。
盗聴の恐れがあることは、彼女等にとっては分かり切っている事実だった。
ことみの意図、直接言葉を交わさない方がいい場だということを即座に判断した聖は、まるで偽りのシーンを作り上げるかのごとく言葉を紡いだ。

「ふむ、順調みたいだな。それは良かった」
『本当に、今やってることが正しいのか不安なの』
「少し休もうか。水でも持ってくるとしよう」
『これなら、もっと違うことをやっていた方が良かったかもなの』
「……ことみ君?」

聖の声色に、思わずといった調子で戸惑いの色が混ざる。
眉間を寄せることみは、何か悩んでいるのか幼さの残るあどけない顔を少しだけしかめていた。

『せんせ、やっぱ気にしないで欲しいの』

ふるふると振られることみの頭に合わせ、二つに可愛らしく結われた髪も共に揺れる。
サイドの髪で隠れたことみの表情を、聖が窺うことは出来なかった。
俯くことみの仕草に対する違和感が拭えず、立っていた聖が腰を落とそうとした時である。

139詳しいことは、その道のプロに任すの。:2008/10/12(日) 22:56:16 ID:5T6rCcI20
「先生、大変なのよ! 聖先生!」

聞き覚えのある少女の声が場に響き、聖とことみの二人はほぼ同時にパソコンルームの位置口である扉の方向へ顔を向けた。
派手な仕草で開けられ悲鳴を上げる出入り口の扉、そこから現れたのはことみ等二人と別行動をとっていたはずの広瀬真希だった。
血相を変えた様子で地団太を踏む真希の様子に、聖はただ事ではない事態が発生したと理解しすぐに彼女の元へと歩んでいく。
ことみは、座ったまま動こうとしなかった。

「どうした、真希君。……遠野さんは?」
「美凪は下! 何か知らない男の子が血だらけで、今美凪がそいつ見てて……」
「何だって?」

勢いのまま聖との距離を一気に詰めた真希は、そのまま聖の腕にしがみつき縋るように背の高い彼女を見上げる。
真希の不安は、とても分かりやすい形で聖にも伝わっただろう。
怪我をしている人物がいるというのならば、その処理に聖程打ってつけの人物はいない。
そのまま現場へと引きずっていこうとする真希の力に流されそうになる聖だが、はっとなり両足の先に力を混める。
聖が踏みとどまったのは、ことみの存在を思い出したからだ。
怪我をしている人物がいるということは、その「怪我をさせた」人物がいる可能性もあるということである。
そんな状況に、ことみ一人をここに残していくわけにはいかない。あまりにも危険すぎる。

「ことみ君」

振り返り、聖はことみの名を呼んだ。
ことみに対する聖の声かけには、一緒に一端ここを移動をしようという意味が含まれていたのだが、ことみは聖の心情に気づかないのか小さく手を上げるとそれをひらひらと横に振る。

「いってらっしゃい」
「いや、違う。一端一緒に遠野さんの所に向かおう、ここに君一人を残してくのは危険だ」
「大丈夫なの。コレも、もうちょっとで終わるから」
「そういう問題じゃない」
「せんせ」

140詳しいことは、その道のプロに任すの。:2008/10/12(日) 22:56:49 ID:5T6rCcI20
かぶりを振ることみの表情はいつも通りのぼんやりとした様子そのものだが、どこか頑ななところがあった。
眉を寄せる聖に、ことみは告げる。

「ちょっと、一人で考えたいことがあるの」
「……そうか、分かった。何かあったら大声でも何でも出してくれ」

あっさりと聖がことみの言葉を飲み込んだのは、彼女の脳裏を先ほどことみが打った文字列等が掠めたからだ。
危険に晒された際大した抵抗もできなさそうなことみを一人にすることに対し、聖の胸中に潜む不安が拭えることはないだろう。
しかしことみが思い悩んでいる様を、聖は見ている。
聖はことみの意思を優先させた。

「いいか、大声で叫ぶんだぞ。すぐに駆けつける」
「分かったの」

自分のデイバッグを担ぎ真希と共に走り出す聖を、そうしてことみは見送った。
静まり返る教室に残されたことみは、聖達が去っていった扉の先から目線を変えないまま小さく溜息を一つ吐く。
ふぅ、とゆっくり空気が漏れ出す愛らしい唇のその下、ことみは同時に指先で首筋を掻いた。
暖かな自身の温度が伝わっていく途中で、唐突に冷ややかな硬い金属がことみの指の動きの邪魔をする。
装着されている首輪が原因である。

ことみは考えた。
この爆弾が仕掛けられている首輪だが、これに関する問題はことみにとって皆無に等しい。
それは最初から、彼女にとっては分かりきっていることである。
このようなおもちゃはことみには通用しない。
また彼女に支給された暗殺用十徳ナイフだが、暗殺用とは言え普通の十徳ナイフと同じような機能も付属している。
ドライバー。首輪を解除する際必要となるかもしれない工具が、そこにはあった。
まるでこれでは、主催側がことみに首輪を外してくれと言っているようなものである。

141詳しいことは、その道のプロに任すの。:2008/10/12(日) 22:57:21 ID:5T6rCcI20
今はまだ主催側の意図が読めない故、ことみは行動に出ていない。
主催側の目的。それすらも、ことみは正確な予測を出せていない。
しかしことみは断言する。

(ここに閉じ込めて、殺し合いをさせるだけというのじゃ……絶対、ないの)

ならば一体何のためなのか。
ことみはそれを調べるために今、こうしてパソコンを使いハッキングを行っていた。
学校に来て調べ物をする、それはことみが言い出したことである。

ことみと聖が当初目的にしていた場所は灯台だ。
星の位置からこの場所を明確に割り出せるかもしれないと考えた二人は、真希と美凪も引きつれ行動を開始しようとしていた。
ことみがこの寄り道を提案したのは、あまりにも唐突と言っていいタイミングだったろう。
それでも気になる点を明白にしたいという願望の強さを、ことみはしっかりと行動に表す。
反発なく受け入れてくれた仲間の許容度の高さに救われたことみだが、その作業は難航することになる。

本来ことみが得意としているのは、コンピューターではなく物理学等の理論だ。
専門外の作業に苦戦することみが、先ほど聖に対しもう少しで作業が終わると伝えたのは、全くの嘘だった。
主催側の内部に潜り込むことはできたものの、結局目的の情報へ辿り着くことはできないだろうと判断したことみは、闇雲に時間を使ってしまっただけという事態を恐れ次の行動を開始していた。
ウィーンと、無音であったパソコンルーム内に機械音が響く。
音の出所は教室の隅に設置されている印刷機だ。静かに歩み機械に寄り、ことみはそこから排出された一枚の紙を手に取る。

印刷されているのは、ここ、沖木島……と呼ばれている島の地図だった。
しかし、ただの地図ではない。
フルカラーで印刷された地図には、赤と青の二種類ある×印が施されていた。
赤の×印は三つ。ホテル跡、鎌石小中学校、鷹野神社に付けられている。
青の×印は四つ。C06-C07の境目あたりの海岸線、G06-H07の交差地点、G02-H02の境界線と海岸線、G09-H09交差点に付けられている。
怪しい画像データを見つけ印刷してみたことみだが、それらが何を指しているかまでは突き止められなかった。

142詳しいことは、その道のプロに任すの。:2008/10/12(日) 22:57:56 ID:5T6rCcI20
「さっぱりなの」

結局、ことみが得られたのはこれだけだった。
自分の限界にむーと少し頬を膨らませることみだが、普通の参加者等ならこの域にすら達することはできないだろう。
この、今ことみがいる鎌石小学校にも印がつけられていることからこの場所にも何かあるのかもしれないだろうが、それを調査するにも理由が分からなければ行動は起こしにくい。
ことみが首を傾げている時だった。

「やあ、何をしているのかな」

ふと。
教室内に響いたのは、ことみの物ではない少年の声だった。
全くことみが気づかなかった内にこのパソコンルームに入り込んでいたもう一人の人物、彼とことみの視線は自然とかち合うことになる。
少年は聖が出て行った扉に、背を預けるようにして佇んでいた。
褐色の肌に銀色の髪を持つ少年に対し、ことみは全く見覚えがない。
唐突に現れた訪問者をじっと見つめたまま、ことみはマイペースな問いかけを送った。

「……いじめる?」
「ははっ、いじめたりなんてしないよ」

微笑む少年に、ことみは逆方側へとまた軽く首を傾げる。
警戒心が薄いのか、ことみがその場から逃げようとする気配はなかった。
それも『少年』の思う壺だったかもしれない。
笑顔の裏側にある少年の目的に、ことみはまだ気づいていなかった。

143詳しいことは、その道のプロに任すの。:2008/10/12(日) 22:58:45 ID:5T6rCcI20


一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:少年と対峙】

少年
【時間:2日目午前7過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:健康。効率良く参加者を皆殺しにする】

霧島聖
【時間:2日目午前7時過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:美凪と祐一の元へ】

広瀬真希
【時間:2日目午前7時過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:美凪と祐一の元へ】

(関連・953・994)(B−4ルート)

144十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:27:54 ID:5deI7JdI0
 
日輪の下、陽光に照らされた氷柱が鋭い音を立て、割れ砕ける。
剣戟の音に紛れて、それは誰にも届かない。


***

145十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:28:44 ID:5deI7JdI0
 
雹、と風を裂いて疾る銀孤を、

「―――ッ!」

鋼鉄の大剣が苦もなく受け止める。
人の胴幅ほどもある肉厚の、最早鉄板に近い印象をすら与える巨大な剣。
動きが止まった刹那、横合いから突き込まれるのは鋭い刃である。
細身の刀、とは言っても人の背丈を遥かに越える刃渡り。
元来の寸法が、違いすぎる。
断頭台から落とされるそれの如き重量と鋭さを秘めた刃が、迫る。
咄嗟に肉厚の大剣の腹を蹴り付け、宙を舞っての回避。
後方にとんぼを切って着地しようとしたそこに、しかし第三撃が待ち受けていた。
大地を削るような軌道で薙がれたのは大槍である。
数階建ての建造物を支える支柱の如き径の柄が、直撃した。

「……っ、が……ッ!」

受けた手の一刀は衝撃を殺しきれない。
子供の蹴り上げた小石のように高々と弾き飛ばされ、長い銀髪が蒼穹の下で煌いた。
拙い、と思ったときには遅い。
中空、支えるものすらないその無防備な体勢を、狙う影がある。
長い髪も美しい、有翼の英雄像。
その掲げた手に宿るのは日輪の下でなお白く輝く、光の球である。
回避不能の姿勢に向けて、白の光球が躊躇なく放たれた。
表情に無念を浮かべ舌打ちしたその眼前、

「―――ァァァッ!」

裂帛の気合と共に、光球が断ち割られた。
一瞬だけ目に入ったのは無造作に伸ばされた白髪と、広い背中。
安堵も驚愕もなく、ただ迫る落地への対処に集中する。
衝撃。

「……無事か、光岡ッ!」

抜き身の刀で己が身を傷つけないようにしながら後方へ二度、三度を転がって勢いを殺す。
ようやく立ち上がった銀髪の男、光岡悟にかけられる声には緊迫の色が濃い。

146十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:29:15 ID:5deI7JdI0
「この程度!」

光球を斬り飛ばした白髪の男、坂神蝉丸へと短く叫び返し、光岡もまた厳しい表情で前方を見据える。
見上げた視界に映るのは、壮麗な光景である。
雄々しく、或いは麗しい巨大な英雄像が蒼穹の下に立ち並び、その偉容を誇示している。
惜しむらくは、石造りの像がそれぞれ刃を潰さぬ鋼鉄の武器を手にしているという不釣合い。
そして、そのすべてが動き出し、見る者を黄泉路へと送り出さんと刃を振るうことであった。

―――隙が、ない。

巨人像は八体。
北側から時計回りに虎の背に跨る少女、黒い翼を持った少女、大剣の女、白い翼の女。
南に刀の女、長槍の男、双剣の男、そして最後の一体はじっと動かず、祈るように目を閉じている女の像。
厄介な布陣だった。
有翼の像、そして祈る女の像を左右から護るように武器を構えた像が並んでいる。
加えて恐ろしいのは長槍の像の間合いであった。
どれかの像と切り結んでいれば、横合いから優に数十メートルはあろうかという距離を正確に突き込んでくる。
石造りと見える像はその外見に反して俊敏であり、だが同時にまた、その外見通りの重量を持っていた。
正面から受ければ容易く弾き飛ばされる一撃は、そのどれもが致命的な威力を秘めている。
動きが止まれば有翼の像から光球が飛ぶ。
見事な連携であった。
必然、下がらざるを得ない。

敵の狙いを分散させ、一対一へ持ち込めれば或いは状況も変わるやも知れぬ。
だが如何せん、手が足りなかった。
鹿沼葉子と動きを打ち合わせる余裕はなかったし、また信頼に値するかも怪しい。
単に暴れまわるだけの天沢郁未や川澄舞は論外だった。
結局のところ、坂神蝉丸との呼吸だけで切り抜けねばならない。

一寸の勝機すら見出せぬまま、時だけが過ぎていく。
傷は、治る。
だが失われた時は、戻らない。


***

147十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:29:49 ID:5deI7JdI0
 
「―――ち、ィッ……!」

右から繰り出される刃を、天沢郁未は辛うじて受け止める。
人体を両断して刃こぼれ一つ起こさせない不可視の力をもってしても抗い難い、圧倒的な質量差。
両の腕に力を込めて押し返そうとした刹那、頭上から迫り来るのは殺気。
咄嗟に身を引けば、受けていた刃の勢いに押されて弾かれる。
薙刀を持つ腕が痺れるような衝撃と同化するようにバックステップ。
身を浮かせてダメージを殺す。
上から迫っていた刃を躱したと息をつく間もなく、振り抜かれた刃が軌跡を逆回しにするように戻ってくる。
受けられない、と判断。
目の端にはもう一つの刃がこちらへと突き込まれるべく引かれるのが映っていた。

「面倒だな、もうっ……!」

身を低くして横薙ぎの刃を潜りつつ、右へと跳ねる。
轟と巻かれる風が吹き抜け、しかしそれが削るべき命は既にその場にはない。
たん、と転がった勢いのまま跳ね起きれば、背中が何かに触れる。

「……無理に踏み込みすぎです、郁未さん」

温かく、ごわごわとした感触。
乾いた返り血にその身を染めた、相棒の背中。

「お互い様でしょ、葉子さん」
「槍使いを相手にしているのです。間合いを詰めなければ話になりません」
「リーチ差がメートル単位じゃあ、間合いも何もないけどね……」

天沢郁未が向き合っているのは双剣使いの像である。
俊敏な反応と変幻自在の軌道で迫る二つの刃は攻防を一体となし、郁未をして攻めあぐねさせている。

148十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:30:08 ID:5deI7JdI0
「だからって下がれないでしょ、私らは」
「あなたが無理をする必要はありません。あれとの戦いは光学戰試挑躰である、私の……」
「葉子さん」

遮る声は、強くはない。
だがそれは、鹿沼葉子の言葉を止める、この世界で唯一の声。

「あれが鹿沼葉子の敵だってんなら、」

夜が明けて朝になるように、

「私は下がらない。下がっちゃいけないんだ。それは―――」

雨の降った後に緑の芽吹くように、

「私が、私らでいるための、絶対なんだよ、葉子さん」

天沢郁未の声は、鹿沼葉子の心に、手を伸ばす。
背中合わせのまま頷いて、葉子が一つ大きく、息を吸い込んだ。
合わせるように郁未もまた、胸を膨らませる。
それはずっと続いてきた、二人の儀式。

「「――――――ァァァァァァァァッッ!!」」

吐き出す息は、気合と共に。
絶叫に近い大音声の輪唱が終わる刹那、背中が離れる。
駆け出した二人の背中から、相棒の温度が消えていく。
温もりは消え、感触は消え、しかし残るものがある。
振り向かず走る天沢郁未と鹿沼葉子の顔には、同じ笑みが浮かんでいる。


***

149十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:30:33 ID:5deI7JdI0
 
獣が向かい合っている。
白い毛並みの虎と、石造りの体躯を誇示する巨獣の像。
その体長は実に十数倍の差。
吼え猛る白き魔獣と、吹き抜ける風をこそ己が声と立つ森の王の彫像。
四肢で大地に立つ白の獣と、後脚を巨龍の胴に埋めた獣の像。
ただ一頭の白虎に対し、巨獣の像は背に少女を乗せている。
幾つもの違いを持った二頭の巨獣は、しかし相似形の影をしていた。

先を取って動いたのは白の獣である。
暴風の如く突進した白虎が、疾走の勢いのまま天高く飛び上がる。
鋼鉄の城壁すら歪ませかねない大質量の体当たりが襲うのは、獣の像の前脚である。
大木をも薙ぎ倒す衝撃に、しかし巨獣の像はこ揺るぎもしない。
罅一つ入れず受け止めてみせた、その脚が軽く振るわれる。
それだけで、白虎が宙を舞った。
数百キロを優に超える巨躯が、じゃれつく子犬を払うような仕草一つで振り落とされたのである。

追撃はない。
獣の像は後ろの脚が巨龍の背に埋まっている。
他の像と違い武具を持たぬ獣の身では自然、可撃範囲が小さくならざるを得ぬ。
それが、白虎の救いであった。
中空で体を捻り、巨躯に似合わぬ身軽さで地に降り立った白虎が苛立たしげに一声、吼える。
対して見下ろす巨獣の像、その石造りの牙の間から漏れる咆哮はない。
吐息の代わりとでもいうように、乾いた風が吹き抜けて高い音を立てた。

と、全身の毛を逆立てて吼え猛る白虎が、不意にその咆哮を止める。
一瞬の沈黙の後、身も竦むような大音声と替えて巨獣の口腔に宿ったのは、白い光である。
山頂を銀世界に変えた絶対零度の吐息、その前兆であった。
身を乗り出す巨獣の像が伸ばす爪が届くよりも、更に外側。
繊細に細工された硝子の砕けるような、鋭くも冷たい響きが高まっていく。
必殺の吐息が、正に吐き出されようとした刹那。
白虎の視界が映したのは、蒼穹を背景に飛ぶ、夜の闇。
不可解に思うよりも早く、激痛と共にその鼻面が、歪んだ。

150十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:30:57 ID:5deI7JdI0
けしゃり、と生理的な嫌悪感を催すような音が、銀世界の響きを掻き消した。
白虎が、声も出せずに大地に身を投じる。
鋼の刃も通さぬ頑健な毛並みの下から噴き出しているのは紛れもない鮮血。
砕けた鼻からだくだくと血を流し、白虎がのたうっていた。
そこへ間髪を入れず叩き込まれたのは黒の光球。
吹雪を吐き出そうとした白虎を大地に沈めた、正にその一撃と同じ打撃である。
音もなく着弾した闇が小山のような胴を窪ませ、白虎を更に弾き飛ばす。
地響きを立てながら転がった巨獣が、ようやくにして立ち上がったその正面。
更に闇が迫っていた。
飛び退く巨獣を追うように、二撃、三撃目の光球が奔る。

逃げるに疾走する白虎の頭上に、影が落ちた。
森の王と呼ばれた巨獣の英雄像、その膨大な質量を誇る前脚が、振り下ろされようとしていた。
追い込まれた、と認識するよりも先に白虎が選んだのは加速である。
折れ曲がった骨と痛みに軋む筋肉を無視して四肢で大地を蹴りつける動作は全力。
文字通り風よりも速く駆ける獣の影が、森の王の像が脚を振り下ろすよりも一瞬だけ速く、飛び出していた。
直後、大地が揺れる。
莫大な質量が、誇張でなく地面を抉っていた。
爆風の如き衝撃波が濛々と土埃を巻き上げ、岩盤を砕いて辺りに撒き散らす。
巨獣の像が叩きつけた一撃は、神塚山山頂に小さな隕石でも落ちたかのようなクレーターを生じさせていた。

しかし白虎がそれを振り返ることはない。
真紅に燃える瞳に浮かぶのは憤怒。
その怒りが向けられる対象は既に巨獣の像ではなかった。
自らに打撃を加え、傷を負わせたもの。
黒い翼の少女像だけが、怒りに燃えた獣の思考を占めるすべてである。

その視界には巨獣の像は入っていない。
矢のように駆けるその姿を見据え、背後から致命の一撃を加えるべく再び身を起こした巨獣の像を、
白虎はまるで認識していない。
分厚い岩盤を容易く抉り砕いた爪が、振り上げられる。
風を巻き、白の獣を肉の塊へと変えるべく叩き下ろされようとした、間際。

151十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:31:11 ID:5deI7JdI0
轟音。

必殺の一撃を止められたのは、今度は巨獣の像の方であった。
蒼穹を切り裂いて巨獣の像を打ったのは、黒い雷。
ぱらぱらと石の欠片を落としながら獣の像が振り向いた先、呵う女がいる。
その水瀬名雪という名を知る者はこの場にいない。
しかしその黒雷は一度ならず山頂の戦局を変えていた。
呵う女は、ゆっくりと歩いている。
その傍ら、眼球以外を黒一色に染め抜かれた蛙の人形からもう一度、黒雷が放たれた。
巨獣の像へと吸い込まれるように伸びた黒の光線が、しかし二撃目はその巨大な爪に引き裂かれ、掻き消える。
光を裂くという理不尽にも表情を変えず、女は呵っている。

―――みせてみろ、みせてみろ。

女は呟いている。
誰にも聞こえない声で、世界を犯すように粘りつく声で、針の飛んだレコードのように呟いている。
見せてみろ、新しい歴史。誰も知らないその姿を見せてみろ。水瀬の知らない未来を見せてみろ。
呟いて、女は呵っている。
呵う女の傍らから、更なる黒雷が轟いた。


***

152十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:31:35 ID:5deI7JdI0
 
背後で轟く雷鳴も、釘付けにされる巨獣の像も意識の端に留めず、駆けるものがある。
白虎であった。
巨獣を支配するのは激情である。
黄金の鎧の女、深山雪見に砕かれた鼻面の、その正確に同じ場所へもう一撃を叩きつけられた痛みは
尋常のそれではない。激痛が火種となり、憤怒の炎が燃え盛る。
傲、と吼えたその牙は少女像を噛み裂くべく打ち鳴らされ、大地を踏みしめる四肢から生えた
長い真紅の爪は像の黒翼を引き千切る瞬間を待ち望むようにぎらぎらと日輪を映している。
そして今、黒翼の像と白虎の間を遮るものは何もなかった。

正面から打ち出される黒い光球は単発で回避は造作もない。
表皮を掠める痛みすらもが憎悪の焔にくべられて心地よい。
疾駆する白虎が、跳ねた。

中空、迫る白虎を狙い撃つように放たれた黒の光球は真紅の爪の一撃で切り裂かれる。
遥か背後で繰り広げられるものと寸分違わぬ光景。
違うのは攻守の逆。そしてそれが、圧倒的な差異となって現れる。
無防備な黒翼の少女像、その胸元に、白虎が飛び込んだ。

一撃。
森の王の像が難なく受け止めてみせた巨獣の体当たりを、細身の少女像は受けきれない。
身を守るように翳された右の腕に真紅の爪が食い込み、入った罅が一瞬の内に傷口の如く拡がる。
転瞬、それを踏み台とするように飛び跳ねた巨獣の体重を受け止めきれなかったものか。
ぴしり、と伸びた罅が少女像の腕をぐるりと取り巻き、その優美な手首が、割れ砕けた。

跳ねた白虎が、空中で吼えた。
開かれた口腔に並ぶ乱杭歯が狙うのはただ一点、少女像の細い首。
防ぐものは、なかった。
万物を噛み砕く顎が、少女像の喉笛を粉砕し、その首級を落とすかと見えた。

それが叶わなかったのは、妄執が故である。

153十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:32:08 ID:5deI7JdI0
ほんの僅か、脚を伸ばせば爪が届くような距離。
がくり、と。
中空で、白虎の軌道が変わった。
重力に従う方向、即ち落下軌道への、僅かな変化。
それが白虎をして、少女像への致命ともなり得る一撃をなさしめなかった。

長い一瞬。
少女像の無防備な急所が遥か上方へと流れゆく中で、白虎は驚愕と共に見ていた。
己が後脚にしがみつく、妄執に取り付かれた女の姿を。
黄金の鎧に身を包み、長い髪を振り乱して、霜に包まれた剥き出しの筋肉をびくびくと痙攣させる、
その妄執の名を、深山雪見という。

混乱の中、嗤う雪見を振り払おうと身を捩った白虎の視界が、白く染まった。
黄金の鎧の女ごと自らを撃ったのが、遠く離れた白い翼の像の手から放たれた光球であると認識する術は、
白虎にありはしなかった。
捻じくれた姿勢のまま弾き飛ばされた、その先に待つものも白虎には見えていない。
いまや隻腕となった黒翼の少女像、その残された左の腕。
優美とすら写る手の中に、極大の黒球があった。
飛び来る白虎を受け止めるように。
黒の極大球が、獣の巨躯を包み込んでいた。
衝撃と呼ぶにも生易しい地獄の苦痛が全身を包み苛む、その一撃が巨獣の意識を刈り取っていた。
ぼろ屑のように剥がれ落ちる金色の妄執を無視するように少女像の手から放たれた第二の黒い光球が、
手毬遊びでもするかの如く、巨獣を天高く跳ね上げる。
既に意識もなく無防備に宙を舞う白虎を、見据えるものがあった。
身を起こし、腕を振り上げた、森の王の巨像である。
白虎の身体は、水瀬名雪の黒雷に釘付けにされていた巨獣の像の、その眼前に跳ね上げられていた。
石造りの像でなければ、満面の笑みを浮かべていたやも知れぬ。
その背に小さな英雄の少女を乗せた巨像が、渾身の力を込めて、その莫大な質量を秘めた腕を解き放った。

肉と骨が砕ける音よりも、巨躯が大地を穿つ光景の方が、速かった。
音速を超過して天空から落下するその様は、一個の流星。
白き魔獣が、暴力という概念の権化の如きその体躯が、一瞬の内に、神塚山山頂の岩盤に打ち込まれ、
鮮血と体液と肉塊と臓腑を撒き散らして転がった。


***

154十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:32:37 ID:5deI7JdI0
 
「―――どうしたね、諸君」

呟くような声はしかし、沖木島の全域を揺るがすように轟く。
顔のない巨龍の、見渡すことすら難しい全身のあらゆる場所から、その声は響いているようだった。
長瀬源五郎と呼ばれていた人間の、それは声である。

「なかなかに、手こずっているじゃあないか。
 諸君が目にしているのは太古、……とはいっても我々とは違う時空の太古だがね、
 蛮族の奉っていた者たちの写し身だよ。
 なあに、所詮は蛮人の模造品だ。神を止めようという諸君には容易い相手だろう?
 ……よもやそんなものに敗れるような、その程度ではあるまいね、諸君の力は?」

くつくつと、陰気な笑い。

「私はすべてから……すべてから解き放たれた心を創るんだ。
 人がその萌芽を恐れ、可能性を摘み取ってきた本当の心は、まだ生まれてさえいないのだから」

誰にも向けられぬ一人語りが、戦場に響く。

「ダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャ? ……馬鹿を言っちゃあいけない。
 人に懐くように造られた……あんなものが、心であるものかね。
 命のくびきから解き放たれた、真の人の中に生み出される―――それこそが本当の心だ。
 私はそれを阻む者を焼き尽くし、神として娘たちに真の世界を与えよう」

答える者はない。
誰もが、戦っていた。

「もう直に天より光が降る」

蒼穹の彼方、真空の世界を見上げる者はいない。
声は独り、天空へと思いを巡らせる。

155十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:32:59 ID:5deI7JdI0
「陽光など既に必要ではない―――私に降り注ぐのは世界を変える光。
 神の新生を祝う天上の栄光だ。……そうだ、諸君。
 諸君にはやはり、時間など残されていないのだよ」

絶望という色の、それは言葉。
嬉々とした声が、ただ終末を口にする。

「そう、有限の時を懸命に生きる諸君に、私という存在の意味を教えてあげよう」

くつくつ、くつくつ。
痰の絡んだような、怖気の立つ笑みが漏れると同時。
英雄の立像に、一つの変化が現れた。
ぼんやりと光を帯びていたのは、唯一つ動きを見せていなかった、女の像である。
祈るように手を組み、目を閉じていた立像が、薄緑色の美しい光に包まれていく。
見る間に強くなった光が、閃光と呼べる強さにまで輝きを増し―――そして唐突に、消えた。

「君たちの臨む神は永遠にして不変―――」

光の消えた女の像に変わったところはない。
しかし薄緑色の光が閃いた、その瞬間。
変化は別の場所に現れていた。

「些細な傷をつけようと―――無為というものだ」

黒翼の少女像、白の巨獣によって砕かれた右の腕。
喪われたはずのそこには、しかし罅一つ見当たらない。
薬師の像の祈りが、時を戻したかのように。
完全に、復元されていた。

「健闘を、ああ、健闘を心から祈るよ、諸君」

まるで無傷となった巨躯を日輪の下に晒して、長瀬源五郎だったものが笑う。
片腕に砧夕霧を抱く坂神蝉丸の上に、
巨大な刀と切り結ぶ光岡悟の上に、
繰り出される双剣の隙を窺う天沢郁未の上に、
その傍らで長槍を捌く鹿沼葉子の上に、
黒雷を伴って歩む水瀬名雪の上に、
血だまりに倒れ伏し動かない川澄舞の、深山雪見の、来栖川綾香の上に、
楽しげに響き渡る声が―――、

「天よりの祝福が降りるまで―――あと、千二百秒」

終焉までの時間を、告げた。

156十一時三十六分/this is a B.R.:2008/10/13(月) 03:33:53 ID:5deI7JdI0
 
【時間:2日目 AM11:40】
【場所:F−5 神塚山山頂】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:軽傷】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:軽傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:生死不明(全身圧潰)・ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:生死不明・出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、全身骨折、ムティカパLv1】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:生死不明(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】

→1007 1011 ルートD-5

157十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:49:27 ID:zJYUBET.0
******



   ―――撲るかね。引き裂くかね。あたしたちを―――

―――全開の……鬼の力、見せてあげられるよ―――

   ―――俺の運命を……返してくれよ―――

―――どうか、あなたの行く先が美しくありますように―――

   ―――貴様のような輩が國を惑わす―――

―――私は下がらない。下がっちゃいけないんだ。それは―――


   ―――それが私たちの流儀、ですから。



******

158十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:50:34 ID:zJYUBET.0
 
 
声が聞こえる。
それは、私を誘う死人の聲と、
世界に抗う、生者の叫びだ。



***

159十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:51:15 ID:zJYUBET.0
 
人を愚鈍と思ったことはない。
人より優れていると思ったこともない。
ただ、私は私であるだけで、私以外の誰かとは、そう、違うのだと、理解していたに過ぎない。

頭脳ではない。身体能力ではない。才能ではない。素質ではない。
そんなものなどでは、決してない。
ただ、違うという意思だけが、違う。

私は、違うのだ。
誰でもない、私だけが、違うのだ。
それは歴然とした事実であって、そうしてそれだけのことだ。

それは誰しもが持っていたはずの、矜持だ。
かつて誰もが抱いていたはずの、鋭く、荒々しく、美しいものだ。
多く世にある、そういうものはしかし、いつの間にか消えていく。

誰かがそれを思い込みと呼んだ。
誰かがそれを勘違いと蔑んだ。
誰かがそれを、取るに足りぬものと斬って捨てた。

その全部が、世界に負けた者たちの、断末魔だ。
何かに敗れ、何かに屈し、そうしてそれを認めた者たちの、末期の聲だ。
それはつまり、自分から生きることをやめたという意味で。
だからこの世には、死人が溢れている。

160十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:51:27 ID:zJYUBET.0
死人は生者が妬ましく、負けた己が悔しくて、生きる者に囁くのだ。
死んでしまえ、生きるのをやめてしまえ、お前は我らと同じなのだ、と。
低きに流れよと命じる、それは誘惑だ。
従えば楽で、しかし屈すれば二度と戻れず、この世はだからもう、
生きることをやめた死人たちの闊歩する、彼岸でしかない。

彼岸に生まれた私は、だから生きているというだけで、違うのだ。
死んでいくものたちの中で、私は一人、生きている。
それを誇る気はない。
私はただ、彼らの醜さを憎悪しているに過ぎなかった。

世界を殺して己を貫くとき、人は美しい。
故に孤独、しかしそれをこそ、生と。

私が望む私。
私だけが望む私。
私の他の誰もが、望まぬ私。

死者の聲に耳を傾ける必要が、何処にある?


***

161十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:51:50 ID:zJYUBET.0
 








私はただ、私に命じる。
美しく、あれ。










******

162十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:52:12 ID:zJYUBET.0
 
神塚山の頂には、死が満ちている。
骸は、もうない。
赤くでろりとした何かに変じて融け合って、今はもう、どこにも転がっていない。

それでも、その山の頂に満ちるのは、紛れもない死の色と、臭いだった。
命から流れ出た黒に近い赤褐色が、山頂を染めている。
照りつける陽光にも乾ききることなく池となり、沼となったそれが、そこかしこに顔を覗かせていた。

そんな、誰のものとも知れぬ血だまりの中。

ぼこり、ぼこりとあぶくを立てるものがある。
泥に汚れて真っ黒で、脂の白と肉の桃色とが混じり合い、それはひどく、無様だった。

どくり、どくりとあぶくが弾ける。
弾けて飛んで辺りを汚して、しかしあぶくは止まらない。

どくん、どくんとあぶくが揺れる。
どくん、どくんとあぶくが割れる。

どくん、どくんと脈打つように。
どくん、どくんと無様を曝す。

その、襤褸切れのような肉の塊が、かつて来栖川綾香と呼ばれていた女の、成れの果てである。

163十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して:2008/10/16(木) 13:52:46 ID:zJYUBET.0
 
【時間:2日目 AM11:40】
【場所:F−5 神塚山山頂】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:???(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】

→1013 ルートD-5

164降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:22:41 ID:rCiO.Kc20
 上下にゆらり、ゆらりと小刻みに揺れることが、なんとなく藤林杏の脳裏に船旅を想像させた。
 むしろどんぶらこ、という方が正しいかもしれない。

 そんな感想を思うほどに、ウォプタルの背中は静かで乗り心地が良かった。
 一体どこの生物なのかは知らぬが、見た目の恐竜然とした姿からは考えられないほどに体温は暖かく、哺乳類のそれと変わりない。
 しかし二足歩行にも関わらずしっかりとした足取りは強靭な筋肉が備わっていることを暗に示し、時折ぶらぶらと揺らされる尻尾は鞭のようにしなり人さえ跳ね除けてしまうかのような力強さがある。
 その尻尾で一度攻撃され、威力を身をもって体験しているだけに、実際は力のある動物(?)なのだろうなと杏は思った。
 よほど人間に懐いているのか、それとも元来このように大人しいのか……ともかく、重傷とも言える傷の杏にはありがたいことには違いなかった。

 心中でこれを手回ししてくれた霧島聖に感謝しつつ、旅の道連れである芳野祐介の姿を見下ろす。
 ウォプタルの上であるゆえ、表情は窺い知ることは出来ないが憮然とした仏頂面を引っさげているのだろう。
 情報交換をしているときに岡崎朋也を探していたこと、また伊吹風子の安否も心配していたことから同郷の人物なのだと想像することは出来たが、それ以上の芳野という人物像について知る術はなかった。

 ただ憮然とした表情の裏には人と人を大事にする、頼れる男としての優しさが備わっていてどこか少年のような雰囲気も漂わせていることは理解していた。
 でなければ、あの時あんなに強く憤りはしなかっただろう。
 が、それ以上のものは測り知ることは出来ない。

 一体何を考え、婚約者を失ってまでこの殺し合いに抗い続けているのか。
 その意思の強さは何に裏打ちされているのか。
 何度も仲間を失い、心も一度折れかけた杏としては興味をそそられる部分があったのは確かだった。

 とはいえ、おいそれと聞けるような事柄でもない。杏もそこまで無神経ではないのだ。
 けれどもこのまま沈黙を守って無言での行軍というのもまた杏には耐え難いことではあった。ただでさえこの島は重苦しい雰囲気に包まれているのに、この上沈黙まで重なってはたまらない。杏の嫌いなものの一つは、辛気臭い雰囲気であった。

 が、これといった話題も思いつかない。他愛ない話をしようにも年上の男とは会話をする機会なんてなかったし、この島にいると、日常では出せていたはずの話題も忘れてしまう。この殺し合いについてどう対処するのか。そういう系統の話題しか出てこない。
 結局、数少ない共通の話題と思われる岡崎朋也のことについて尋ねてみることにした。
 もっとも、本人は既にこの世からいなくなってしまっているのだが……

165降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:23:10 ID:rCiO.Kc20
「あの、芳野さん」
「ん?」
「朋也とは……どこで知り合ったんですか?」
「朋也? ああ、岡崎か」

 名字で覚えていたのか、すぐには思い出せなかったようで少しぼさぼさになった髪を掻きながら、目を細めながら言葉を返す。

「一度、俺の仕事を手伝ってもらったことがあってな。それだけなんだが、妙に頭から離れなくてな」

 知り合ったどころか顔見知りかも怪しいものだった。一日と満たない付き合いのうちに、芳野は朋也の何を見ていたというのだろうか。
 ふと先程感じた、少年の面影を残す雰囲気が朋也と重なる。朋也も、どこか子供染みた側面を持つ人間だった。

「まあ岡崎の方は覚えていないかもな。成り行きで手伝ってもらったようなものだから、な」

 苦笑を漏らしつつそう言う芳野の顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
 もう一度会いたかったのだろうか。杏が感じていたものを、芳野も感じていたのかもしれない。
 今となっては、もう叶わぬ夢になってしまったが。

 なぜ。
 なぜ、こんなにもあっさりと逝ってしまうのだろう。
 朋也も、浩平も、祐一も……
 何も言わずに去ってしまうなんて、あんまり水くさいじゃないか。
 折角知り合えたのに……どういう経緯であれ、命を落とすことになったのは杏には納得のいかないことに思えてならなかった。

「なんで……死んじゃったんでしょうね、あいつ」

166降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:23:42 ID:rCiO.Kc20
 そんな言葉が、堪えきれずに口から飛び出す。返答なんて得られない問いだと知りながら、それでも口に出さずにはいられなかった。
 杏はもちろんとして、芳野だって死ぬ現場に立ち会ったわけではない。首をゆっくりと振りながら「さあな」と芳野は答えるだけだった。

「だが、バカなのには違いない」

 そう付け加えた芳野に、杏の表情がきょとんとした色になる。意外な返答だった。
 人を悪く言うような人間には思えなかったのだが。

「先に逝ってしまった奴は狡い。後に残された奴は言い訳できなくなるんだ。死にたくても、死ねなくなる」

 どこか恨み言のような、諦観の入り混じった芳野の言葉を杏は必死に理解しようとする。
 ただ、先に死んでしまった人間が狡いというのは杏も同意するところではあった。特に、結果を残すだけ残して逝ってしまった人間は。
 わけも分からず殺されただとか、一方的に虐殺されたとかなら、まだ悩まなくて済むのに。
 殺した側の人間だけ恨めばいいのだから。

「藤林、お前は、どうして人が写真という形で思い出を残すと思う。どうして歌や詩で思いを伝え、残そうとすると思う」

 え、と全く別方向からの質問にすぐに答えられなかった。
 思い出を形に残す理由。普段は考えもしないことだ。
 だが、今という状況でならその意味が分かるような気はする。少なくとも日常の中にいたときよりは、早く答えられる。

「覚えて、おきたいから……ですか」
「それもある。もう一つ――覚えていてもらいたいから、というのもある」

 少しずつ、芳野が何を言いたいのか分かってきた。恨みの篭もった口調で、狡い、と言った理由が。

「人は誰かの中に残りたい。どんなに小さくても、どんなにちっぽけな行為だとしても。誰かの何かになりたいんだ。命を懸けてでも何かを為そうとする。……だから、狡いんだ。残された方の選択肢は、覚えていることしかなくなるというのに」

 芳野の表情に、軽く怯えの混じったものが入る。
 覚えておかねばならぬという責を負った者の、特有の怯えだった。
 追い立てられ、立ち止まることを許されぬ者の目。命を大切にする芳野だからこそ、そこには真の意味での、生き延びなければならないという思いが汲み取れた。
 死んでしまえば、誰も覚えていられなくなる。だから死ぬわけにはいかない。恥を晒し、泥を啜ってでも生きなければならない理由が出来てしまう。

167降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:24:07 ID:rCiO.Kc20
 そのことは同時に、他者を切り捨てる可能性が出てくるのでは、と杏は危惧を抱く。
 生きなければならないという責に駆られ、そのために誰かを犠牲にするという危惧。
 ひょっとしたら芳野はそれとも戦っているのかもしれなかった。

 けれども……今はそんなことはない、と杏は確信する。
 話してくれるほどには、芳野は追い詰められてはいないということなのだから。
 一つ息を吐いて、杏は雨が降り始めた空を見上げる。
 傷口に沁みる雨が、少しだけ痛かった。

「本当、狡いですよね……」

 ああ、と頷く芳野の、その服も既に肩口に埃と雨粒で汚れが広がっている。杏は続けた。

「でも、たくさんの人で覚えていることは出来ますよ」

 芳野の動きがほんの数瞬止まり、苦笑に満ちた目が杏を見上げる。
 初めて、芳野が杏の顔を見た瞬間だった。
 覚えておく責を、人と人で分かち合うことは出来る。杏は、それが出来ると信じていた。
 ああ、そうだなと応じた声は先程よりは軽く、朗らかになったように思えた。
 僅かに空気が弛緩していくのを感じた杏は続けとばかりに頭に浮かんできた話題を持ち出す。

「そういえば、結局アレの隠し場所は体育倉庫で良かったのかしら? 人数上の関係から見張りを付けられないのは分かるんだけど、鍵をかけておかなかったし……」

 保健室で別れた二人は、予定通りまずは硝酸アンモニウムを倉庫に運び込んだが、扉は閉めただけで鍵はかけなかった。
 そのときは特に理由も問い質さなかった杏だが、時間が経つにつれて強奪される恐れがあるのではないかとの危惧を抱き始めた。
 この島において入手が困難だと思われる硝酸アンモニウムを奪われては計画の実行どころではなくなる。
 もう少しマシな隠し場所を皆で考えれば良かったのではないか。鍵をかけるよう進言すれば良かったのではないかと思いながら尋ねた杏だったが、芳野は「心配ない」と返す。

168降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:24:41 ID:rCiO.Kc20
「アレ単体じゃさほどの意味を持たない。俺達と同じようなことでも考えていなければ持って行きはしないだろう。むしろ、そうならば好都合と考えるべきだ」
「……逆に、それの意味を知っているからこそ作らせないために持ち去るってことも考えられると思うんです」
「確かに、殺し合いに乗っている奴が知識のある人間だったら、その可能性もなくはない。だが厳重に鍵をかけたとしてそれを持つ人間が死んで……あるいは行方不明、離れ離れになったとしたら、それは事実上紛失したのと同義だ。なら、多少のリスクはあっても全員が確認できる場所に置いておくのがいい」
「……そう、ですね」

 納得する一方で、芳野の言っていることは誰かが死ぬことも視野に入れていることにも杏は気付く。
 最悪のケースを想定している、と思っていいだろう。これまでの芳野の経験上からそれは考えて然るべき行動なのは杏にも理解できたし、尋ねなかった自分が悪いと感じていた部分があったので、不満は特に感じなかった。
 むしろ心配だったのは、芳野の言葉は彼自身に向けて言っているような気がしてならないことだ。

 死にたくても死ねないと語った芳野。
 けれども、心のどこかでは死に場所を求めているのではないのか。
 誰かを犠牲にするのも已む無し、その考えと戦っていると杏は考えていたが、それは違うのでないか。
 芳野が本当に戦っているのは、押し潰されまいとしながらも重圧に負けて、死を選んでしまうかもしれない弱い自分ではないのか。

 先の会話で繋がりあえたと思ったのも一瞬、靄のかかった不安が疑問となって喉元まで込み上げ、しかしどう口にしていいのか分からず結局閉ざしてしまう。
 どう話を続けていいのか分からなくなった杏だったが、それでも捻り出そうと何か言おうとする――が、それは芳野が手を上げて、杏を制したところで打ち切られた。

「誰かいる。遠目だが、こちらを窺っているようだ」

 既に芳野はウージーを取り出し、油断なく構えている。
 鎌石村の中には入っているのだろうが、ここは町外れのようでまばらに民家が立ち並んでいる以外は草ぼうぼうの野山が広がっているくらいで、しかも雨によって視界はいくらか悪くなっている。幸いにして道はいくらか整備されているのでウォプタルに乗って逃げることは容易いだろう。
 けれども監視されているという事実が杏の警戒心を煽り、無意識に日本刀を取り出させ、目を深々とした林に向けさせる。
 芳野は鋭く尖った刃物のように視線を走らせ、ゆっくりとその場を回りながら前方を中心として警戒を高めているようだった。

169降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:25:08 ID:rCiO.Kc20
「何か、見えたんですか」

 雨の仕業かもしれない。たまたま雨粒が落ちて不審な物音を立てたのでは、とも考えた杏が確認の意味合いも兼ねて尋ねる。
 聞こえただけ、というのはそんなに頼りになるものではない。自分の目で確かめ、その先にあるものをしっかりと見る事が重要なのだ。
 けれどもそんな杏の心配は無用だったようで、芳野は「確かだ」と返す。

「変な白い綿毛みたいなのがちらちらと見えていたんだ。こちらをついてくるので何かとは思っていたが、急にいなくなった」
「綿毛……?」

 疑念ではなかった。そんな特徴に見覚えがある。はて、何だっただろうかと考えを走らせようとする杏だが、疑っているとみたのか芳野は大真面目に続けた。

「この島、動物がいないだろ? ここにいる恐竜も支給品だ。お前の猪も支給品。だとするなら、他にそんな動物がいてもおかしくない。斥候に使っていたんだ」

 迂闊だったと嘆息する芳野に、「あ、そういう意味じゃ……」とフォローしようとした杏だったが空気の読めない第三者の声が割って入った。

「藤林さん! 良かった、ご無事だったんですね!」
「おい待て、勝手に飛び出すんじゃない! あーくそ!」

 がさがさと無警戒に茂みをかき分けて這い出してくる二人の……いや、一人と一体、おまけに一匹のトリオの姿があった。
 ゴキブリのように這って来た三つの物体に口を開けて愕然とし、固まる芳野を他所に杏はどこか冷静に「あー、こいつらだった」と緊張していたのをバカらしく思っていた。
 いくらなんでもその再会の仕方はないだろうと思いつつ、取り敢えずはほっとしたように表情を緩めた杏は芳野に警戒を解くように言った。

 が、言い渡された芳野は何故か固まったままで、首をかしげた杏が「芳野さーん」と四回くらい背中を叩いたところで「あ、ああ……」とどこか気落ちしたかのように呟き、ふふふ、と自虐的に笑っていた。
 杏と同じく、あまりにも大きい落差に打ちのめされたのだろう。が、よりシリアスだった分ダメージは深刻だった。
 あまりにも可哀想だと思った杏は、取り合えず「何だ、お前か」と暢気に安心していた高槻の頭を殴った。

「ガッ!? てめ、何しやがる」
「取り合えず、空気読め、バカ」

170降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:25:32 ID:rCiO.Kc20
 ギロリと凶暴な視線を向けられた高槻は何が何だか分からない……と頭を押さえながら不満タラタラな口調で言い返す。

「先に飛び出したのはゆめみだろうが……俺は止めたんだよ……なのにあいつ、藤林だって分かった途端……」
「ええと、その、わたしは何かまずいことをしてしまったのでしょうか……」

 ゆめみにしてみれば杏が険悪な雰囲気を醸し出しているのには合点がいかないに違いない。こーいうコだったわよね……と嘆息しつつ、ちらりと芳野を横目で見てみる。

「なぁ、今の俺は笑えているか……?」
「ぴこー」
「そうか、お前はいい奴だな……悪かった、疑ったりなんかして」
「ぴこっ」

 空気が澱んでいた。雨が降っている中、あそこ一帯だけが土砂降りである。いつの間にか友情も築き上げているが、心に負った傷はマリアナ海溝くらいは深そうだった。
 再度ため息をつき、まあこんな状況でも無事再会出来たのは喜ぶべき……と考えかけたところで、ふと足りないものに気付く。

「……郁乃、は?」

 言ってしまってから、その名前がつい数時間ほど前に呼ばれていたことを思い出して、失言をしてしまったと杏は思った。
 一瞬の沈黙が走り、それまであった空気が吹き飛んだ。ゆめみは表情を固くし、高槻も眉を寄せながら「放送、聞いてなかったのか」と返す。

「……ごめんなさい」

 狡い言葉だ、と思った。
 高槻はしばらく杏の表情を窺っていたが、やがて一つ息をつくと「俺を庇って死んだ」と短く言った。
 死んだ、という抑揚のない響きが、かえって杏にその命の重さを実感させる。
 恥ずかしくなって、いたたまれなくなったように杏はぎゅっ、と自らの服の袖を掴んだ。

171降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:26:10 ID:rCiO.Kc20
「そっちも、何人か殺られたみたいだな? 何がどうなって、今に至っているのかは知ったこっちゃないが」
「まあ、ね……」
「……あの野郎、カッコつけて死にやがったか」

 どうして、という風に杏は驚いた顔を見せる。杏とて死に際の顔を見たわけではないが、芳野から聞かされる限りでは高槻が言うような死に方をしていった。
 訊けない杏の心情を見て取ったように、高槻は付け加える。

「お前の顔には恨みとか、何と言うか……負のオーラってのかね、それが出ていない。一方的にやられたとか、そういうんなら絶対に顔に出る」

 言わんとしていることは分かった。が、この男はここまで鋭い男だっただろうか?
 胸の内から湧き上がる疑問は、直後の一言に打ち消された。

「もっと目を早くしておくんだな」

 ふん、とどこか馬鹿にしたような言葉にしばらく打ちのめされた気分になる。
 何かが変わったのだ。この男の中で、何かが。
 だがその表情は、寂しそうな感じで――それは、つまり……

「そこの兄ちゃん。ちょいと情報交換しないか? 耳寄りな情報があるぜ」

 しかしそこでそれ以上の考えは打ち切られる。高槻の挙動は、いつも通りの軽薄な部分を含んだものに戻っていた。
 杏の横から「行きましょう」と見上げるゆめみの声がかかる。
 高槻が喋っているときには、ゆめみも何も言ってはいなかった。邪魔をしないように、高槻に任せて。
 取り残されているのか、と杏は思った。

 皆どんどん変わっていく中、最初から何も変わらないのは自分だけで……
 目を早くしろ、という高槻の言葉が反芻する。
 それは、警告のように思えてならなかった。

172降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:26:32 ID:rCiO.Kc20
     *     *     *

「船?」

 今ひとつ信用しきれていなさそうな顔で、芳野祐介は地図の上に記された点の集まりを眺める。
 道中簡単な自己紹介をしつつ、辿り着いた先のあばら家の軒下にて四人は談義を重ねていた。
 さほど雨は酷くなかったので突っ切りながら話をしても良かったのだが、芳野が取り出したメモを見て、何かあるらしいと判断した高槻は自然を装いながら隠れるようにして目立たないところへ行く事にしたのだ。

 芳野と杏のメモを見た高槻とゆめみは仰天。水面下でこんな計画が進行していたということに(特に高槻は)驚き、落胆の表情さえ見せた。
 が、そのまま黙っているというのも会話の流れが悪いので高槻は顔を引き攣らせつつ、岸田の船の件について話し始めた。
 希望の芽が増えたというのに、どうしてあんなに複雑な顔をしているのでしょう、とゆめみは不思議がりつつ、二人の持っていたメモに目を通し、その内容をメモリーに焼き付けておく。少し雨で滲んでいたが、読み取りには支障はなかった。

「岸田って野郎が乗ってきた船があるに違いないんだ。
 かいつまんで話すとだな、奴は首輪をしていなくて、にも関わらずこの島の連中を片っ端から襲っていた。
 ということはだ。奴は主催者連中に雇われたということでもない可能性が高い。何故か分かるか?」
「必要性がないからか」
「流石に賢いな。そう、主催者に雇われるってのは相応の条件がないとダメだ。例えば、進行を円滑にする代わりに家族を助けてもらうとかな。
 そうでなきゃわざわざ参加者に襲われやすい島ん中に放り出すより殺し合いを管理してる施設の防衛に回す方が合理的ってもんだ。
 にも関わらず奴は島の中だった。ということは、奴は正真正銘の乱入者ってことだよ。だから、ここに来るための乗り物が必ずあるに違いない」
「空から来た場合まず俺達だって気付く……地中はここが島であるということから考えにくい。船は妥当な線だな」

 そんな会話を交わす二人の男を尻目に、聞こえぬ程度に机の上に座っていた杏がぼそりと漏らす。

「……あいつ、こんなに頭が冴えるようなキャラだったっけ」

 ウォプタルは流石に家に入れるわけにもいかなかったので外で待機中。時折馬とも鳥とも取れるような鳴き声が響いていた。

「科学者さんだったらしいですよ、高槻さんは」

173降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:26:59 ID:rCiO.Kc20
 が、耳ざといゆめみが聞き逃すはずはなかった。今回は幸いにして空気を読んだのか、それとも会話の邪魔をしないためなのか、杏に聞こえる程度の小さな声だったが。
 へぇ、と目を丸くした杏は、科学者ねぇ……と呟いてため息をつく。

「あたし、そんなことも知らなかったな」

 どこか羨ましそうに語る杏にゆめみは「わたしも、少し前に知りました」と返す。
 高槻に関しては知らないことが多すぎた。
 科学者であったこと。
 人に誇れるような生き方をしてこなかったこと。
 郁乃の死を体験して初めて、高槻が語りだしたことだった。

 では、今までの高槻は全てが嘘だったのか。
 見栄を張るための紛い物の姿だったというのか。
 それは違う、とゆめみは思っていた。

 岸田を無学寺で追い返したときの、燃え盛る炎のような絶叫が虚偽であるとは、ゆめみには考えられなかった。
 それがゆめみをプログラムした人間によって施された人工の判断材料だったとしても、それを信じるのはゆめみの『心』なのだから。

「わたし達は、あまりにも知らなさ過ぎたのかもしれません。でも、だからこそ……知らなかったことを知ることが出来ました」
「無知の知……か」

 そう呟いて、杏は何かを考え始めたようだった。彼女も、何か思うところがあったのかもしれない、とゆめみは考えることにした。
 私たちと同じで、不完全……当たり前だったことを今更思い知ったというような郁乃の顔と台詞がゆめみの頭で繰り返される。
 杏も、恐らくはそうなのだろう。
 何かに気付いてもらえるなら。それはきっと、郁乃の言った『成長』したモノの姿に違いなかった。
 そうなることが出来ているのだろうか。果たして、自分は誰かの役に立てているだろうか。

174降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:27:23 ID:rCiO.Kc20
 それは所謂、『迷い』の一種であったが、ゆめみ自身はそんな感情を持っていることにまだ気付いてさえいなかった。
 ロボットが持ち得ることの無いとされる感情。これでいいのかと足踏みする感情。
 殺し合いという環境下では余計とさえ言えるもの。それが、どう変転してゆめみを変えていくのか。
 まだ本人は、何も知ることはなかった。

「でだ、俺達はここから奴の船を探そうとしていたって事よ。どうだ兄ちゃん、付き合ってみる気はないか」

 気がついてみれば、芳野と高槻の会話は結論に入ろうとするところだった。
 芳野も頷いて、高槻の意見に同調の意を示している。脱出できる要素が増えることについて異を唱える必要はないと思っているからだろうか。

「しかし、だ。主催者連中がそれを回収に来ていたらどうする」
「それも可能性は低いだろうさ。閉じこもってりゃ取り合えず奴らの身の安全は保障されるんだからな。それを俺らみたいな少数の人間に、わざわざ発見される危険を冒してまで姿を現すとは考えにくい。それに」

 発見できたとして、こいつを外せないことにはな、と首輪爆弾を指しながら高槻は言った。
 だがその表情は台詞とは裏腹の不敵なものになっている。それもそのはず、それをブチ壊しにするプランが今目の前にあるのだから。
 食えない男だ、というように芳野も唇だけ変えて笑う。

「なら手を貸すぞ。藤林もいいか?」
「あ、はい。……まあ、元々探してた人と会えたわけだしね。後、椋も探す必要があるけど……近くに電話、ないかな? ことみたちに連絡が取れればいいんだけど」

 別々に分かれて行動している仲間と連絡が取れれば、行動の無駄は減る。電話で会話出来るということは杏の仲間(メモの紙面で一ノ瀬ことみ、霧島聖なる人物だということは分かっている)はどこか一箇所の施設に留まっているか、携帯電話でも持っているのか。
 考えたところで自分の利にはならないと判断したゆめみは、とにかく電話があれば話は出来ると理解するに留めておくことにした。
 連絡を取ろうと考えた張本人の杏は周りを見回すが、廃屋に近いあばら家には電話どころか電気も通ってさえいなさそうだった。
 そういう場所を選んで移動したから仕方ないのですが……
 そんな風にゆめみが考えていると、お前、無線で連絡を取れる機能とかないか、と高槻が尋ねてくる。

「残念ですが……」

175降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:28:07 ID:rCiO.Kc20
 真面目に応じるゆめみに対し、「そんな機能があるんだったらもう言ってるでしょ」と呆れながらに杏がため息をつく。
 ゆめみに対して言ったものではなかったのだが、自分のことを言っていると思ったのか「も、申し訳ありません」と平謝りする。
 謝罪された杏はやれやれと首を振って、どうしようもないなぁ、というように笑った。

「ほんっと、仕方ないコね、あんた」

 それはどこか、安心したような響きがあった。
 ふと昔の友人にひょっこり出会ったような、そんな柔らかい微笑みだった。
 ただ呆れられているのではないのではないか、とゆめみはふと思ったが、確信するまでには至らず、ただ困ったように首をかしげるしかなかった。

「無いものは仕方ないさ。それはまた後でやればいい。で、どうする。俺達は一緒についていけばいいのか」
「そりゃ非効率だろう。二手に別れようぜ。俺達は南側から入るから、お前らは北側から鎌石村に入ってくれ」
「……? どうしてそんなことを?」

 分かれるにしても距離が近すぎる。疑問の声を重ねた杏はそう思ったのだろう。それはゆめみも思ったことだったので、高槻の返事を待つことにする。
 すると高槻はさも自信満々に、

「保険だよ。もしどちらかが襲撃されても、もう片方がすぐに救援に行けるだろ?」

 と言った。
 ほぅ、と芳野は感心したように顎に手をやり、杏もゆめみもそういうことか、と納得したように頷く。
 なるほど確かにこれなら各個撃破される恐れは低くなる。流石だとゆめみは感心しながらも、これが先程高槻が言った『目を早くする』ことなのだろうかとも思った。
 見習わなければなりませんね、と心中で呟いて見落としていることはないかと考えを巡らせる。

「あ、そうです。あの、餞別というわけではありませんが、これを」

 情報以外にも交換し損ねていたものに気付き、ゆめみはデイパックからニューナンブとその弾薬を取り出して杏に手渡す。
 意外なものを受け取った杏は「いいの?」と一応確認する。
 貴重な武器であることは否めない。しかし勿体無いと渋っていては宝の持ち腐れだ。戦力は均等に分けておいたほうがいいという考えもあった。

176降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:28:27 ID:rCiO.Kc20
「結構武器が多いので。代わりのものはあります。これで、ご自分の身を守ってください。それと、他の皆さんも」

 それは芳野だけでなく、杏が心の内に抱えている人全てに言ったつもりだった。
 結局守れなかった郁乃への責任から来る言葉なのか、ただ単に気遣いのつもりとして言ったのか、ゆめみ本人も認識していなかったが、そのように奥底で感じていたことは事実であった。
 杏はしばらくゆめみとニューナンブを交互に見ていたが、「うん、ありがと」と軽く頭を下げ、ニューナンブを制服のポケットに入れた。

「代わりってわけじゃないけど、あたし達の仲間の電話番号を教えておくわ。あたしから教えてもらったって言えば多分信用はしてもらえるから。……電話番号、書かなくても大丈夫?」

 ロボットの記憶力を当てにしているのか、書くのが少し面倒そうな杏はあはは、と笑いながら聞いてくる。

「記憶力には、自信があります。大丈夫です。テキスト量で言えば1テラバイト分は十分に記憶しておけるかと」
「……ロボットってのは伊達じゃねぇな」

 感心というより、羨望に近いような高槻の声が横から飛ぶ。
 先程記憶云々で一悶着あったからだろう。軽く負い目になっているようだった。
 そんなことを知るわけもない杏は「うん、やっぱ凄いわゆめみは」などとうんうんと感心しつつ、連絡先という電話番号を教えてくれた。

「おっと、一応こっちも見せとくか。武器のバーゲンセールなんでな、今は」

 高槻も同様にデイパックの中身を芳野に見せ「持ってくか」と尋ねる。どうやらゆめみと考えたことは同じようだった。
 そうだな、と応じてデイパックを軽く漁っていた芳野はその中に投げナイフを見つけ、「こいつは……」と手に取る。

「ん、どうかしたか」
「……形見、みたいなものかもしれないな。因縁の証かもしれない」

 因縁、という言葉に杏の表情が固くなったように、ゆめみには見えた。
 芳野はナイフをじっくりと見回してから、間違いない、と呟いた。因果なものだ、とつけ加えて。

177降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:28:47 ID:rCiO.Kc20
「俺の連れが持っていたものだ。奪われたままだと思っていたが……」

 いた、という言葉は既にその人が鬼籍に入ってしまったことを示していた。

「因縁、というのは?」

 だが高槻は芳野とかつて在った人物のことより、因縁の方を気にかけているようだった。
 死者に拘らない、高槻らしい言葉だとゆめみは思った。あるいは、人間関係を調べることで敵味方がどうなっているのか判断しようとしているのかもしれなかった。

「前に俺達……いや、俺を襲った奴がいてな。そいつから奪った……というと実際には違うんだが、まあそういうことにしておいてくれ。で、そいつは俺とどこか似ていた部分があってな……人を思う、愛に溢れていた。悪い方向だったがな」
「んなこたどうだっていいからよ、そいつは誰だ」

 人物以外に興味のなさそうな高槻の言動に、お前な、と芳野は舌打ちして憮然とした表情を見せたが、すぐに話を続ける。

「名前までは分からん。が、ナリの小さい奴で、しかし豪胆な奴だった。物怖じせずに攻めて来る。そういえば……水着を着ていたか?」
「……水着、ね」

 変な格好した奴もいたものね、と呆れている杏に対し、高槻は表情を険しくしていた。思い当たる節があったのだろうか。
 それとなく尋ねてみようとしたゆめみだったが、あまりにも険しい表情だったために、そうするのは憚られた。
 しかしその気配もすぐに消え、「愛、ね」と呟いた高槻はほれ、と芳野にナイフを渡す。

「まあともかく、形見なんだろ? 大事にしとけ」
「……お前とは、そりが合いそうにないな」
「愛なんて、下らねえよ」

178降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:29:02 ID:rCiO.Kc20
 ふん、と小馬鹿にしたように言って、高槻は芳野から離れる。
 嫌悪している風ではなかったが、受け入れられない部分でもあるのだろうか。
 愛という言葉はいい言葉のはずなのに。
 信頼はしているが、どうも高槻には他の人間と違うところがいくつもある。不思議なものです、とゆめみは思った。
 それが所謂『変人』に向ける類のモノであることをゆめみは、まだ知る由もなかった。

「おい、行くぞゆめみ。雨だからって休んでる暇はねえぞ」

 人間とはどういうものか、というのを再度考えようとしたところに、高槻の言葉が飛んでくる。
 既に高槻の姿は雨の中に移っていた。

「あ、待ってください! ……ええと、藤林さん、芳野さん、お気をつけて」
「ええ、そっちも。あのバカをしっかりフォローしてあげてね」
「出来れば、奴の心をもう少し解してやってくれ。メイドロボに頼むことじゃないんだがな」

 不愉快そうな口調ながらも、芳野も決して嫌悪しているというわけではなさそうだった。
 了解しました、といつものように恭しく応じながらゆめみも高槻を追って雨の中に飛び出した。
 少し走ってから、後ろを一度振り向いたが、雨による視界の悪さのせいなのか二人の姿が見えることはなかった。

 また会いましょう。そちらの言葉の方が良かっただろうかとゆめみは思ったが、もうそれを伝える術はなかった。

179降り続ける雨の中で:2008/10/18(土) 19:29:27 ID:rCiO.Kc20
【時間:2日目午後20時40分ごろ】
【場所:C-5・廃屋】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:杏に付き従って爆弾の材料を探す。北側から岸田の船の捜索もする。もう誰の死も無駄にしたくない】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す。岸田の船を探す】
ウォプタル
【状態:外に待機】

愛などいらぬ!高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(5)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:船や飛行機などを探す。爆弾の材料も探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

【備考:ゆめみと高槻がことみの計画について知りました】
【その他:台車にのせた硝酸アンモニウムは学校外の体育倉庫に保管】
→B-10

180一歩、一歩ずつ:2008/10/28(火) 20:58:46 ID:LMiccLVs0
「え?……どういう事だよ」

この過酷な殺し合いの中、常に抗い続けていた藤田浩之がただ空を見ていた。
ただ信じられなかった、先ほど流れた放送に。
誓ったはずだった、負けないと。
殺し合いに抗い続けると。
そうやってここまでずっと戦い続けていた。
ずっと。
ずっと。

だが、その頑張りを、歩みを踏みにじる様なものだった。
藤田浩之と言うたった一人の少年にはとてもとても重くて。
彼が戻りたかったもの。
彼が守りたかったもの。
全て、全て。

奪われた。

思わず跪いてしまう。
歩き続いてた足が止まる。
もう、その場から動けないぐらいに。

何の為に頑張っていたのだろうと思う。
何の為にここまで進んでいたのだろうと思う。

何で。
何で。

皆消えていったのだろう。

守りたかったはずだった。
守る決意もした。
守る覚悟もあった。

それなのに。
それなのに。

自分は守れなかった。

守れるはずだった。

なのにすべて失った。

「あかり……みさき」

大事な。
本当に大事な存在も。


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