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避難用作品投下スレ4

1 管理人★ :2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

2 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:40:20 ID:GEqu3C0o0
 血の水溜りがいくつも広がっていた。
 赤黒く、粘々としたそれは命の残り香を放ちながら少しずつその勢力を増している。
 まるで生命活動だった。
 いや、その表現はあるいは正しいのかもしれない。
 その水溜りは……人の想念が、無念がこれでもかというくらいに詰まっているのだから。

「……事情は、大体分かった。済まない、何も気付かなくて」

 白衣を脱ぎ、簡素なTシャツ一枚となっている霧島聖が芳野祐介に話しかける。
 両人とも先の戦闘で傷つき、倒れ、命を散らした人間の遺体を運んでいたために服が血で汚れている。

「いや、あんたが気に病む必要はない。何せあっという間の出来事だったからな……助けを呼ぶ暇もなかった」

 表情を変えずに語る芳野だが、聖はそれでも自責の念を感じずにはいられない。
 何者かに襲われ、まず芳野の連れ二人が命を落とした。
 続けて襲ってきた別の人間の手により、更に二人が命を落とした。
 結果、芳野の連れは全員が死亡。

 医者の立場である聖からすれば気に病まずにはいられない状況であった。
 あの時、浩平についていけば。
 ひょっとしたら何人かは命を失わずに済んだのかもしれない。
 少なくともこんな状況にはならなかった。

「人は、誰も未来なんて分かるわけがない」

 そんな聖の胸中を察するように芳野が言った。
 聖の考えていることは要するに結果論だというのだろう。
 確かに、そうだ。
 だがそれでもこれだけの数の遺体を目にすれば考えたくもなる――そう言おうとして、しかし聖が口を開くことはなかった。

3 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:40:44 ID:GEqu3C0o0
 芳野の横顔を見たときの、必死に出てくるものを抑えているような視線の硬さが、何かを決意しているかのように見受けられたからだ。
 現場にいた芳野はきっと聖が感じた以上のものを感じている。
 目の前で仲間の命を奪った敵。
 相打ちとなって死んでいった仲間。
 挙動全てが芳野の脳裏に刻まれている。
 その芳野が感情の波を堪えているというのに、どうして自分だけが愚痴を漏らせようか。
 前だけを見ようとする芳野の姿には薄い言葉など無意味で、恥ずかしい。
 だから聖は代わりにこう応えた。

「そうだな……済まない、少々気が滅入っていたようだ」
「持ってきたの」

 その後ろで、どうやら走ってきたらしい一ノ瀬ことみが小刻みに肩を揺らしながらライターを手に持って現れた。
 埋めるのは時間がかかりすぎるだろうということで、芳野が火葬を提案したのだ。

 立ち上る煙や炎の色で乗っている人物気取られるという可能性はあったが、裏を返せば仲間を探し求めている人間の目印にもなる。
 無論そんな打算的な考えだけで芳野も提案したわけではないだろう。
 あくまでも聖達の体力などを気遣ってのことに違いない。
 実際、聖と芳野の作業は遺体を一列に並べ、火がよく回るように枯れ草や枝などを置くだけで良かった。
 人道的な観点からするとその後土に埋めるのが理想的なのだが、そうも言ってられない。
 火葬した後の白骨化した遺体を野晒しにすることになってしまうが、それは『今のところ』放っておくしかない。
 もし、もしも全てが終われば――無論、この殺し合いを崩壊させることだ――その時こそ、ちゃんとした埋葬をしてやれる。
 だからそれまで我慢していてくれ、と聖は誰にも聞こえない程度に呟いた。

「一ノ瀬、貸してくれ」

4 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:41:08 ID:GEqu3C0o0
 芳野の言葉に、ことみは無言で応え、ライターを手渡す。
 シュッ、という火打石の音と共にライターに火がつき、僅かにその場の彩度を高める。
 そのまま屈みこんだ芳野は枯れ木の端に点火する。
 よく乾燥していた濃茶色のそれがあっという間に火を伝染させ、その姿を炎へと変えて死体となった参加者達を包み込んでいく。
 パチパチ、と爆ぜる熱の呻きが、ひどく安っぽいもののように聖は感じられた。
 幸い……と言えるかどうかは甚だ疑問だが、血は既に乾いて水分を失っていたので中々燃焼が広まらないという事態にはならなかった。
 ごうごうと炎の波が広がって行くのを横目にしながら、芳野が「行こう」と二人を促した。

「奴らを……こんな事を計画した奴らを潰す算段を、教えてくれ」

 炎を背にした芳野の目は、既に悲しみを怒りに変えていた。
 二人が頷くと、芳野は硝酸アンモニウムを積んだ台車を押して歩き始める。
 行き先は保健室であることを伝えつつ、聖はことみと一緒に残りの荷物を回収して、芳野の後に続いた。

     *     *     *

 真っ白な壁が目に留まる。
 しかし幾分か老朽しているのだろう、所々見られるシミと細かな罅は建物の年齢を雄弁に物語っていた。
 覚醒した意識にいくらか遅れて、消毒用アルコールの匂いが鼻腔をくすぐるのを感じながら藤林杏はぼんやりと考えを働かせていた。

 ここはどこなのだろう。
 自分の状態はどうなっているのか。
 今の状況は。
 そして……言いようもなく圧し掛かってくるこの胸の苦しみは何なのだろう。

 様々な疑問が頭を巡るが、頭は恐ろしいほど冷静であった。
 一人であることが、そして病院にも似たこの部屋の雰囲気がそうさせているのだろう。
 幸いにして時間はありそうだったので、一つずつ考えていこうと決めて杏はふぅ、と息をついた。

 まずここは?
 匂いや、雰囲気から判断して医療施設であることは間違いない。
 だが地図で見た限りでは病院らしき施設はこの島には見られなかった。
 診療所のような建物の存在はあったが……杏の移動していた場所から考えれば遠すぎる。
 ならば、それ以外に医務室のような場所がある施設にいるのだろうと杏は推測した。
 ……十時間以上気を失っていた、というならまた話も別かもしれないが、それは保留しておこう。

5 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:41:33 ID:GEqu3C0o0
 次だ。今の状況はどうなっているのか。
 これは確かめようがなかった。
 体はいくらか動くものの無闇にここから出るわけにもいかない(包帯が巻かれているということは、治療してくれた人間がいて、今は出払っていると考えられるからだ)。礼も言わずに出て行くのは失礼だし、そもそもここがどこか分からない以上移動のしようがない。
 時計くらいはあるかもしれない。出来るのは時間を確かめることくらいか、と思って布団を持ち上げた……と同時に、ようやく気付いた。

「え、なに、ちょ、は、裸っ!?」

 というか、パンツ一丁である。全裸一歩手前である。
 冷静だったはずの頭が急に温度上昇を始め、慌てふためく杏。

「服、服服服服! 服どこっ!?」

 治療してくれた人間は見たのだろうか、これはセクハラで訴えることができるのではないかという思いは蚊帳の外に置いておき、とにかく必死に服を探す。
 宇宙を見渡す勢いで三次元空間を凝視した後、ようやくハンガーに制服(血まみれ)がかかっているのを発見する。
 獲物を見つけた獰猛な肉食動物よろしく黄金の右腕でひったくり、服に袖を通そうとして――肝心なものが足りないことに気付いた。

「……ブラが……ない……」

 ジーザス。これはひどいと杏は神を呪った。
 実を言うと聖が治療を行ったときには銃弾やら血液やらでボロボロであったため、已む無くゴミ箱へゴールインさせたのである。
 が、そんなことを知るわけもない杏はどこへやったと鬼神の形相で探し回るものの、見つかるわけがない。
 グレイト。どうやら治療をしてくれた人間は変態なだけでなく自殺希望者だったらしい。

 大辞苑の角の部分で高らかに殴ることを刹那の見切りで決定した杏ではあったが、いかんせん物が見つからないのではどうしようもない。
 常識的に考えるならそんなことを思案するよりスカートだけでも穿いておくとか、とりあえずノーブラでもいいから服を着ておこうとかの対策を講じておくべきだったのだが、花も恥らう乙女にそれを望むのは酷というものだろう。
 そして運命はあまりにも残酷であった。
 ガチャ、という音と共に保健室の扉が開かれたのである。

6 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:41:56 ID:GEqu3C0o0
「あ……」
「……」

 状況を改めて説明すると、杏はぱんつはいてはいる、がほぼ全裸である。
 服を抱えているので、おっぱいは隠れてはいるが全裸一歩手前である。
 繰り返す。99%全裸である。
 それだけならまだ良かったが(良くないが)彼女は必死にブラを探し回っていたためにその格好で保険室内を歩き回っていた。
 風呂の後に全裸で家中を闊歩するお父さんと同レベルである。牛乳は手に持っていないが、変態さんである。
 青少年の教育によろしくない。PTAは怒り心頭であった。

 そんな彼女の前に現れたのは芳野祐介。
 事情は大体聞いていた芳野であったが、まさか杏が目覚めた上放送倫理委員会に引っかかりそうな光景を繰り広げているなどとは流石の彼でも予想は出来ない。というか、まだ気を失っていると思っていた。
 ここで更に不幸であるのは芳野が先陣を切って保健室に突入したことである。
 前を歩いていた芳野はそのままことみに先導してもらいながら部屋に入ったのだ。

 さてここで問題だ。

 Q.次の計算式を解きなさい。

 男の子 × 女の子 × (ぱんつ一枚 + ぽろり寸前) = ?

「い……」
 杏はおもむろにその辺にあった本を一冊手に取り……
 大きく振りかぶって、渾身の一球を放った。甲子園球児もビックリである。
「いやああぁぁああぁぁああぁあぁあぁああああぁぁぁぁっ!!!」

 A.死亡フラグ

7 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:42:17 ID:GEqu3C0o0
     *     *     *

「すみません、本当にごめんなさい、取り乱してたんです……」
「もういい、気にするな……我が身の不幸はむしろ受け入れて当然、というより、不可抗力だろう、アレは」
「まあ結果的に手遅れになったわけだが」
「そのようなの」

 ぺこぺこと彼女らしくもなく頭を下げる杏と、聖に包帯を巻いてもらっている芳野。
 荒れた室内。
 ますます強まったアルコール臭。
 何があったのかは語るまでもないだろう。

「とにかく、君が無事で良かった。それだけ暴れられるのなら折原君も安心だろう」
「……」
「……」
「折原……あいつに抱えられて、ってとこまでは覚えてる。その後、どうなったのか分からないけど……」

 少し表情を変えた三人から、彼に良からぬことがあったと察知した杏は、あえてそこで言いよどんだ。
 いや、既に察しはついていた。信じたくないだけで、杞憂であって欲しいと思ったから、そう言ったのだ。
 しかし、その儚い期待はことみが首を振ったことによって、脆くも崩れ去る。

「折原はこの殺し合いに乗った奴と相打ちになって死んだ」

 ことみの代わりに芳野が口で告げる。
 事実だけを語る芳野に眉を顰めた杏だが、それ以上に感じるのは一抹の寂しさであった。
 やることだけやって、さっさと逝ってしまった浩平。

 ふざけた性格の癖に、高槻と一緒になってバカなことをしていた癖に。
 何も言わずにいなくなってしまうなんて、悲しいじゃない……

8 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:42:37 ID:GEqu3C0o0
 場は沈黙に包まれる。誰もが言葉を切り出せなかった。
 だがそれも長くは続かない。
 何故なら、そんな状況などお構いなしにやってくる、ある時間になったからだ。

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 淀んでいた空気が、今度は冷たく硬直する。
 12時間ぶりに奏でられる悪魔の旋律が、保健室の四人の心を容赦なく刈り取っていく。
 家族の名が、友の名が、愛するひとの名が。
 四人ほぼ全てが目を絶望の色に変えていた。……特に、聖は。

「……佳乃が……妹が……そうか……」
「先生……」

 それ以上の言葉をかけられないことみ。それほどまでに聖は肩を落としていた。
 無論ことみも杏も、ショックはあった。
 二人が密かに想っていた朋也の死。
 それは二人とも半ば一方的に思いを抱いていたが故にまだ納得はいかないまでも、受け入れる準備は出来ていた。
 朋也は朋也の思い人を守るために散ったのだろう、と。

 だがそれすら霞んでしまうほど、聖の落ち込みようは尋常ではなかった。
 聖とて薄々こんなことがあるのではないかと感じていた。
 いつ、どこで、どんな目に遭ってもおかしくないのは芳野組の一件で分かりきっていた。
 それでもなお、自分の妹だけは無事であるはずと心のどこかで期待していた。

9 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:42:58 ID:GEqu3C0o0
 天真爛漫なあの子だけは、と。
 だが聖は佳乃が抱える病も知っている。
 度々起こる、夢遊病にも近いあの正体不明の病気。
 あれを治したいがために聖に医者になることを決意させたほどの、謎の症状。
 それが起こっている間はいかなる言葉も受け付けない。どんな言葉も届かない。
 加えて、何をするか分かったものではない。
 人を殺しかけたこともあったのだから。
 それを誤解され、殺害された――そんな想像も容易に浮かぶ。

 けれども生きていて欲しい。無事で居て欲しいと願わないことがあるだろうか。
 家族に生きていて欲しいと思うのは当たり前で、どうしようもないことだった。
 だから……こんなにも、つらい。
 こんなことがあっていいわけがない。
 放送で、恐らく女性と思われる人物が語っていた言葉。
 『ゲームが終了した暁には、お二人とも、その願いを叶えて差し上げます』
 聖の中で言葉が反芻される。

「霧島。まさか、奴らの言葉を信じて殺し合いに乗る……なんてことは考えていないだろうな」
「……」

 それを遮ったのは芳野だった。
 どこに持っていたのかウージーを構えると、それを聖に突きつける。

「なっ……」
「芳野さん!?」

 悲鳴をあげる二人を睨みつけると、二人はその場から動けなくなった。目が、本気だった。
 視線を厳しいままに、芳野は続ける。

10 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:43:19 ID:GEqu3C0o0
「悪いが、そういう人間を野放しにするわけにはいかない。たとえ大切なひとのためであろうとも……」
「あんた……正気なの!? この人、妹さんを……家族を亡くしたのよ!」
 だが、流石に感情まで制することは出来なかった。杏は怒りも露に、芳野に挑みかかる。
「俺も婚約者を亡くした。大切なひとを失ったのはお前らばかりじゃない」
「っ……だからって……!」
「仲間も、せめてもと会いたい人に会わさせてやろうと誓った仲間も、死んだんだぞ……!」
「芳野さん……」

 ぐっ、と杏は言葉を詰まらせ、ことみはかける言葉もなく俯く。
 芳野の出す怒り、悲しみはそのまま彼女達自身が感じていることとして跳ね返る。
 何のために自分達は過ちを犯してでも生きているのか。
 何故正気を保ちながら、こんなにも必死に生きているのか。
 そんな問いと、そして答えが視線から伝わってくる。

「俺達はこれ以上過ちを犯すわけにはいかない……だから、もう油断はしない。霧島、聞かせろ。お前の答えを」
「……自惚れるな」

 答えを求める芳野を、聖は言葉一つで押し返した。
 重く、響くその声は芳野以上に強く、熱く、哀しく。
 思わず銃口を放した芳野だったが、聖は怒ったように手刀でウージーを叩き落し、これ以上にない形相で睨みを返す。

「私は医者だ。折原君が連れてきた藤林君のように、あるいは戦闘で傷ついた人間を見つけたら治療する義務がある。誰かが私に襲い掛かってきたとしたら、殴り倒してでも説得する。例え、その行動が命取りになっても、だ」

 聖はそこで一旦言葉を切ってから、
「もう一度言うぞ。私は医者だ。医者が人殺しの看板を掲げてたまるか。私を舐めるな、芳野祐介」
 胸倉を掴みかからんばかりの勢いに、今度は芳野が圧倒される番だった。
 聖は最後に「それが答えだ」と締めくくって終わらせたが、芳野は苦味を噛み締めた表情になって、失言をした、と思った。
 聖は確かに一人の人間で、一人の少女の姉であったが……同時に、医者でもあった。
 彼女の誇り高い精神を理解しきれていなかったことに、「すまない」と芳野は非礼を詫びる。

「……まあ、今回は許してやろうか。君もまだまだ青いな」

11 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:43:40 ID:GEqu3C0o0
 ふふんと余裕の笑みを浮かべる聖に芳野も苦笑いし、一連の騒動は終息を告げることを表していた。
 様子を見守っていた杏とことみもホッとため息を漏らしていると、芳野は二人にも謝罪する。

「そっちにも迂闊なことを言ったかもしれない。すまなかった」
「あ、いや……私もカッとなって……あはは、お互い様ってことで」

 頬を掻きながら照れ笑いを返す杏に、ことみは何か分かったようにうんうんと頷いていた。

「さて、と……」
 緩みかけた雰囲気を正すかのように聖が仕切りなおす。
「芳野君はまあことみ君あたりから聞いているからいいとして……藤林君には……ことみ君」
「ほいほいさー」

 何か気の抜けた声で応じつつ、何事かとちんぷんかんぷんな杏にことみが爆弾を用いた脱出計画の一部を見せる。
 取り敢えずは施設一つを潰せる程度の爆弾を作るのだが、現在はその材料をかき集めていること。
 ふむふむと諒解したように杏は頷く。同時に、この計画は秘密裏に進められていることも。というか書き足されていた。
 『秘密の作戦なので口外無用。言うなよ! 絶対言うなよ! なの』と。

「で、だ。これから灯台に行こうと考えていた。……もう私の妹は探せなくなってしまったが、君たちの仲間はまだ探せるからな。一人でも、生きてさえいれば」
「先生……」
「幸いにして藤林君も回復したことだし……荷物整理の後、四人で灯台へ向かおう。何か別の提案はあるか?」
「あ、なら……霧島先生、別行動を提案したいんだけど」

 手を上げて杏が意見する。
 まだ万全とは言いがたいが、誰かの手を借りなければ動けないというレベルではないし、致命的な傷を負ったわけでもない。
 聖が杏の身を案じてくれてのことなのかもしれないが、もうこれ以上借りを作りたくないというのが杏の本音だった。

12 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:44:01 ID:GEqu3C0o0
「人を探すにしても二手に別れた方が効率もいいでしょ?」
「言い分は分かるが……」
「平気。あたしはこれ以上迷惑かけらんないし、そこまでヤワじゃない。お願い、霧島先生」
「なら、俺が藤林につこう。二人同士で別れればバランス的には問題ないだろう」

 問答に割り込むようにして芳野がそう言った。
 確かに芳野が護衛につけばそれなりにはなる。
 だが芳野は知っているはずだ。二人同士で別れ、それ故に生じた悲劇を。

「いいのか、芳野君」
「構わんさ」

 過ちは忌んで、避けるべきものではない。
 学んで生かせばいい。
 そんな意味も含めて、芳野は答えた。

「……分かった。だが藤林君、無茶はするな」
「分かってます。あたしもそれくらいは知ってる。自分の体だから」

 制服の血がついた部分を撫でるようにして、どれくらい自分の体が傷ついているかを見せるような杏の挙動。
 まだ若干の不安はあったものの、それは医者としての職業病かと思い直し、聖は話題を次に移す。

「なら武器の分配だ。強そうな武装はそちらに回すが、そのIDカードと鍵、見取り図とフラッシュメモリはこちらに回してくれ。
 特にフラッシュメモリはここでも調べられそうだからな」
「あ、そのフラッシュメモリだけど、中身はもう調べてあるわ。
 参加者の支給品の武器一覧と、メイドロボ用のプログラム、
 それと……何だったかな、エージェントの心得、みたいなのが入ってた」
「なんだ、もうチェック済みなのか。なら、後回しにしても良さそうか。……ことみ君はどう思う?」
「探すほうを優先させるべきだと思うの。もう、生きてる人は少なくなってるみたいだから」

 ことみの言っていることは、仲間になるであろう人間の候補が少なくなりつつあるということを暗喩していた。
 それに、調べること自体は失くさなければいつだって出来る。

13 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:44:17 ID:GEqu3C0o0
「じゃあ、マシンガンを俺が持っていかせてもらう。藤林は希望はあるか」
「投げるものがあればいいんだけど……辞書は……なさそうだし、日本刀と、あいつの包丁を貸してもらうわ。二刀流ってやつね」
「ふむ、なら後は適当に割り振ろう。それと……あの変な恐竜みたいなのだが、藤林君に譲ろう。まあこれくらいは医者として、無理はさせたくないからな」

 恐竜、と聞いて杏の脳裏には、七海を死に追いやった女の姿が蘇る。
 そういえばこちらの手元には彼女が持っていたような装備がいくつかある。
 つまり……浩平が相打ちに持っていったという人間は、恐らくそれと同一人物と見て間違いない。
 カタキ……結局あいつに先越されちゃったか。本当、どうして何も言わずに逝っちゃうのよ……
 再び高じてきた寂しさを紛らわせるために、「ありがとう、先生」と応じて、荷物の整理に移ることに決める。
 心につけられた傷は、まだまだ癒えることのない段階だった。

「杏ちゃん」
 荷物に手をつけようとした杏に、ことみの声がかけられる。
「会えて、また無事に会えて、本当に嬉しかったの。今まで、言いそびれてたけど……」
「そう言えば……そうね。うん、心配かけてごめん。あたしも……嬉しい」
「だから」
「ええ」

 その先に、言葉は不要だった。軽く握手を交わすと、お互いに次にやるべきことのために作業に没頭する。
 そう、傷は未だに癒えることはない。これからだって傷は増えていくかもしれない。
 けれども、こうした苦界の中でも喜びもまた見出せるものだから……
 だから、また頑張れる。
 それは自分だけでなく、ことみも、聖も、芳野もきっとそうに違いないのだ。
 そんなことを考える杏には、再会を喜び合い、手を交し合った暖かさが、確かに彼女の中に残っていた。

14 (おねえさん)/Island Atlas :2008/08/11(月) 17:44:38 ID:GEqu3C0o0
【時間:2日目午後18時50分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・保健室】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:杏に付き従って爆弾の材料を探す。もう誰の死も無駄にしたくない】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す】
ウォプタル
【状態:学校の外に待機】

霧島聖
【持ち物:H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)、ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。医者として最後まで人を助けることを決意】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:爆弾の材料を探す】


【その他:杏と芳野、ことみと聖はそれぞれ別れて行動します。方向はまだ未定。なお、保健室がかなり荒らされています】

→B-10

15 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:15:07 ID:Gdz35eDw0

「……っていうかさあ」
「何よ」
「あれ、ヤバくない?」
「うっさいわね春原のくせに」
「僕いま何か悪いこと言いましたかねえ!?」

叫んだのは焦げた金髪をアフロにした少年、春原陽平である。

「わかりきってることを―――」

すう、と息を吸い込んだ少女の名を長岡志保。

「―――今更のように言い出すのをバカって言うのよバカ春原!
 もうヤバいのよ充分ヤバいの!」

んでもってアレは、と指差したのは背後。
聳え立つ神塚山の頂である。

「その中でもとびっきり! 志保ちゃんアンテナにビリビリきてんのよ!
 それを今更なんだってのよわかってるわよもうずっとヤバいのなんて!
 何あれ怪獣? 超人類? それとも新手のストリーキング? なワケないわよね?
 あんたのそのダッサいアフロに少ぉしでもお味噌が詰まってんなら答えてみなさいよ、さあさあさあ!」
「……そのくらいにしておけ」

春原の鼻先に指を突きつけて迫る志保の剣幕に割って入ったのは三白眼の青年。
額を押さえるようにして軽い溜息をつく国崎往人だった。

「何よ浮浪者」
「お前なあ……」

呆れたような国崎が、それ以上は何も言い返さずに振り向く。
国崎につられるように、志保と春原の目もまたその視線の先を見た。
そこには変わらぬ光景。
変わらぬ、異様があった。

16 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:15:33 ID:Gdz35eDw0
「……何十メートルあるんでしょうね、あれ」
「さあな……だが、さっきまではあれより一回り小さいのがビーム撃って暴れてたんだぞ。
 謎の巨大ロボがぶっ飛ばしてったが」
「言ってることワケわかんないんだけど、クスリまでやってんの浮浪者。近寄らないでくれる?」
「なら今あれが見えてるお前もジャンキーだな」
「……」

三対の眼が見つめるのは巨大な裸身。
神塚山山頂に君臨する、圧倒的な質量を誇る少女であった。
あまりにも非現実的な光景に絶句する三人を嘲笑うかのように、巨大な影が動いた。

「うわ、見つかった!?」
「ん、んなわけないでしょ!? どんだけ離れてると思ってんのよ!
 向こうからしたらあたしたちなんて蟻んこみたいなもんでしょ、ねえ!?」
「ぼ、僕に言われても知らないよ……!」
「いや……待て」

恐慌に陥りかけた二人を身振りで制した国崎が、眉を顰める。
睨みつけるようなその眼で巨大な影を暫し見つめ、呟く。

「あれは……誰かが、戦っている……のか?」
「はあ!? こっからそんなの見えるの!?」
「そんな無茶な、あんな怪獣みたいなのと!?」
「これでも視力には自信があってな……、二人……いや、三人か?
 間違いない……化け物とやり合ってる連中がいるようだ……」

異口同音の驚愕に、視線を動かすことなく頷いてみせた国崎が、しかし、と呟く。

「どうか……したの?」
「やっぱりメタメタにやられてる、とか……」
「いや……」

17 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:15:50 ID:Gdz35eDw0
そうではない、と国崎は心中で否定する。
そうではないが、しかし。
電話ボックスを掴み上げそうな手が振り下ろされるのを、豆粒のような影が躱している。
躱して、おそらくは何らかの攻撃を加えたのだろう。
巨大な少女の手が、弾かれたように跳ね上げられた。
しかし、それだけだ。
少女は何事もなかったかのように動き出し、腕を振るい、光線を閃かせる。
そこにダメージは感じられない。
針で刺されたほどの痛痒しか、感じていないのだろう。
対して、動き回る影は一撃でも受ければそれが致命傷になる。
彼我の大きさがあまりにも違いすぎるのだ。
状況は、あまりにも絶望的に見えた。

「……ん?」

眉根を寄せた国崎が、何かに気付いたように顔を上げる。

「あれ……何?」
「ヘリコプター……?」

果てしなく広がる蒼穹に、染みのような一点があった。
東側から近づいてきた点は、瞬く間に天頂、太陽を背にするような直上へとその位置を移していた。
ばたばたというローターの音が、志保たちの耳にも微かに聞こえてくる。
暗い灰色に僅かな茶色を混ぜたようなその塗装と、ゴツゴツとした無骨なシルエットは、

「軍用……?」

国崎が呟いたのと、ほぼ同時。
雲一つない天空から、銀の迅雷が落ちた。


***

18 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:16:15 ID:Gdz35eDw0
 
立ち込めた血色の霧を切り払うように刃が閃いた。
不可視の力に覆われた薙刀を振るって山肌に這い蹲るような巨人の腕を抉った郁未が、
零れ落ちる血と肉塊には眼もくれず飛び退く。
間髪入れずに落ちてきたのは天を覆うような影。
人の背丈を遥かに越すような掌が凄まじい勢いで叩きつけられ、自らの肉であったものを磨り潰して砂礫と和える。
拳ほどもある石が砂埃のように舞い散るのを躱しながら、郁未が叫ぶ。

「―――キリがないわ! 時間は!?」
「残り、おおよそ三十分。……二秒で一人分を削り落としていけばおそらく間に合います」

訥々と答えたのは鹿沼葉子。
リーチの短い鉈を振る彼女は巨人の振り下ろされる手指を狙って一撃離脱を繰り返している。

「無茶ぶりすぎない、それ?」

抉った巨人の傷口に新たな肉が盛り上がるのを横目に見ながら郁未が呆れたように言う。
まるで実感はできないが、こうしてダメージを蓄積させていく度に巨人を構成する砧夕霧の数は減っていく。
損耗の末、巨人もいつかは倒れるだろう。―――いつかは。
さしあたっての問題は、それが正午より早いか否かという、ただ一点だった。

「やれるでしょう」

それだけを残して駆け出した葉子の刃が大地を陥没させた巨人の指を薙ぎ、その一本を切り落とす。
痛みを感じることもないのか、巨人の指の欠けた手が葉子を目掛けて振るわれる。
小蝿を払うような仕草を葉子は正面から睨みつけ、しかし回避に移らない。
逆に見上げるような掌に向けて駆け出すと、圧倒的な質量が小さな身体を薙ぎ払うその直前で跳躍。
照り付ける白い陽射しの下、血に濡れてごわつく長い金髪が流れた。
空中でトンボを決め、垂直落下を始めるその手の先には不可視の力に覆われた鉈がある。
分厚い刃が肉に食い込む硬い手応えを、葉子は重力の力を借りて無視。
引き斬るように振り下ろせば、傷口は巨人の手の甲を横断するように広がる。

19 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:16:49 ID:Gdz35eDw0
「そりゃ―――」

着地した葉子と入れ替わるように疾る影は郁未である。
葉子が無言で差し出す鉈の背に足をかけると、郁未ごと持ち上げるように鉈が振り上げられる。
カタパルトを得て加速した郁未の身体が、一気に十数メートルの高みへと跳ねた。
放物線を描いて跳ぶその頂点で郁未が静止するのとほぼ同時。
周囲の大地が、真紅に染まった。巨人の手から凄まじい勢いで鮮血が噴き出している。
その甲に付けられた傷は十文字。
葉子の与えた傷と交差するような直線は、宙へと跳ね上がる郁未の薙刀によるものだった。
鮮血と共にぼとぼとと落ちる人体の欠片、腕や脚や腹や顔を見下ろしながら、郁未の眼差しが鋭く光る。
直後、天空に足場でもあるかのように真下へと加速。
薙刀の先端を頂点とした弾丸が穿つのは血を噴き出す巨人の手、その接合部。
あり得ないほどに巨大な手首の、悪い冗談のような質量を誇る関節が、爆ぜるように砕けた。

「―――やるけどさっ!」

巨人の手首を穿ち貫いてなお留まらぬ刺突の余波が大地の岩盤を削り、陥没させる。
引き抜いて振り回せば周囲に残る肉が抉れ、手首に空いた穴が拡がっていく。
軟骨が削られ、筋繊維が断裂し、神経の束がまとめて引き千切られ、動脈が切断された。
と、刃が小骨を噛み込んで止まる。
舌打ちした郁未の眼前、桃色の筋繊維が作る壁が、縦一文字に断ち割られた。

「……なら、口より手を動かしてください」

軽く溜息をつくような表情の葉子が、残った肉と皮膚とを切り裂いた向こうから顔を覗かせている。
刃の食い込んだ骨を蹴りつけて強引に薙刀を抜いた郁未が肩をすくめる。

「この度はご期待に添えませんで……」

口の中で呟きながら振り向く。
視線の先には肉の壁。
半ば千切れかけた巨人の手と腕とを繋ぐ、最後の要素であった。
自らの背丈ほどもあるその肉の壁を目掛けて、郁未の薙刀が走った。
地を摺るような軌道から、眼前で一気に真上へと駆け抜ける切り上げ。
閉ざされた扉が左右に開くように、桃色の壁が濡れた音と共に斬り割られる。

「……どうもすみませんでした、っと」

20 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:17:07 ID:Gdz35eDw0
肩越しに葉子を見た郁未が、口の端を上げて笑う。
蒼穹に座す日輪に照らされ、てらてらと光るその全身は、血風呂に浸かったような
赤の一色に染め上げられている。
傍らでは身体から完全に切り離された巨人の片手が、端の方から崩れていく。
崩れた肉が、骨が、虚ろな瞳の少女たちへと変わっていくのに鼻を鳴らして刃を振り上げた郁未が、

「―――ッ!?」

飛び退いた。
刹那、大地を閃光が包み込む。
岩盤が、一瞬にしてぐずぐずと煮え滾った。
その上にいた少女たち、虚ろな瞳の、巨人と同じ顔をした少女たちが、灼熱に晒されて、焼けた。
ぶつぶつと粟立った皮膚が弾け、漏れ出した血とリンパ液とが端から蒸発する。
眼球が真っ白に茹で上がり、爪が熱で捻じ曲がった。
酸素を求めたものか半開きになった口の中で、水分を失った舌が枯れ枝のように縮こまっている。
めくれ上がった唇が、剥き出しになった歯茎が、燃え上がる。
炎は脂を伝うように全身へと広がり、少女の肉を炭化させていく。
そのすべてが、一瞬だった。
光が収まったとき、そこに残ったのは、数十にも及ぶ焼け崩れた黒い塊と、立ち込める猛烈な悪臭だけであった。

「……デカいのは伊達じゃないってわけ」
「放射半径も格段に広がっています。回避もこれまでほど容易ではありませんね」

辛うじて閃光から逃れた郁未が呟くのに、いつの間にか傍らに立っていた葉子が応じる。
陽炎の立ち昇る岩盤に滴り落ちて湯気を立てる汗は暑さの故か、それ以外の何かによるものか。
気を取り直すように息をついて髪をかき上げた郁未が、仰ぎ見るようにして巨人を睨む。
その人体を模した身体の中で唯一の特異点、異様なまでの面積を誇示する額が、淡く輝いている。
太陽光を反射し集積し収束して射出する、光学兵器・砧夕霧の本来唯一にして最大の武器。
着弾の一瞬で周囲を焼き尽くした閃光の、それが正体であった。

21 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:17:28 ID:Gdz35eDw0
「けど……コツは変わらないでしょ。今度は反射させる仲間もいないしね」
「……もう一発、来ます」

見上げれば巨人の額に宿る光が煌々とその輝きを増していく。
地上に生まれたもう一つの太陽ともいうべき光。
ぎょろりと剥いた眼が影を捉えるよりも早く、郁未と葉子はその場から駆け出している。
時折方向を変えつつ己が周囲を回り込むように走る二人の影を追いかね、巨人が戸惑ったように首を回す。

「要は……正面に立たなきゃいいってことでしょ!」

数百の夕霧を葬ってきた、それが郁未の結論である。
いかな灼熱の地獄を作り出す閃光であろうと、光は物理法則に従って空間を直進する。
ならば発射口である額の向く方を見極め、その正面への遷移を避ければいい。
そうすれば、

「―――いけない、郁未さん!」
「な……っ!?」

小山ほどもある巨人の脇を走り抜けようとした瞬間だった。
郁未の駆ける、その前上方。
ある筈のない位置に、巨大な光源があった。
手にした薙刀を大地へと叩きつけたのは、半ば本能である。
びき、と鳴ったのは瞬間的に筋肉と血管の限界を超えて刃を岩盤に突き立てた両腕か、
それを支点として強引に進行方向を捻じ曲げた脚が慣性を無視した代償か。
痛覚を遮断して弾丸の如く真横、右へと跳んだ郁未の視界が、白く染まる。

「―――ッ!」

一杯に身を縮めた、その靴先が黒煙を噴いて炎上した。
刺すような激痛を無視しきれずに表情を歪めた郁未の身体が、大地に落ちる。
咄嗟に受身を取った腕の皮膚が小石を噛んで裂け、生まれた傷口に砂が食い込む。
蒼穹と岩盤とが交互に巡る視界の中、捩れた筋肉が悲鳴を上げ、軋む骨に衝撃が響く。
一転、関節を庇いながら勢いを殺し、二転、重心の移動でタイミングを計る。
三転、いまだ炎の燻る靴が地面を噛み、四転、両手両足で大地を突き放すように。
天沢郁未がようやくにして、跳ね起きた。

22 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:18:04 ID:Gdz35eDw0
「やって、くれんじゃないの……!」

乱暴に足を振って穴の空いた靴を放り捨てた郁未が、爛々と光る眼で巨人を睨みつけながら喉を鳴らす。
肉食獣が怒りを抑えきれずに漏らすような、暴力に満ちた声。
破り捨てるように脱いだ靴下も背後に放り投げる。
裸足になった足先は火に炙られて、ぐずぐずとリンパ液を染み出させながら膨れている。

「郁未さん……!」
「ぶっ殺すッ!」

離れた場所から響く葉子の声への返事代わりに、それだけを叫んで駆け出す。
端的な殺意の表明はしかし、郁未の短絡を意味するものではない。
走り出したのは第二波の標的となることを避けるためである。
その頭脳にあるのは沸騰するような殺意と同居する、氷の如き冷徹な分析。
教団崩壊後にも幾多の危機を迎えた天沢郁未をして、それが死線を潜り抜けさせてきた要因だった。
先刻の砲撃。
額に正対することを避け、脇から回り込む動きを取った郁未の、その正面から光が来た。
巨人が如何に常識外の存在であれ、その体型が人を模している以上はあり得ないはずの位置からだ。
その不可解の正体を、しかし郁未はその目でしっかりと見極めている。
巨人の反対側から見ていた葉子も、当然理解しているはずだった。

「お洒落に気を遣うお年頃ってわけ……?
 だからって普通は手にコンパクトなんて縫い付けないけどね……!」

冗談めかした呟きを聞く者はいない。
その表情にも一切の笑みはなかった。
脳裏に浮かぶのは砲撃の瞬間。
視界が白く染まる刹那、そこにあったのは巨人に残された片手、その開かれた掌であった。
人間のように掌紋すら刻まれていたはずのそれが一瞬にして変化するのを、郁未は見た。
肌色と桃色と血管の青で構成された皮膚から、透き通るような硬質の硝子様の物質へ。
それは正しく反射鏡だった。
閃光の生み出す膨大な熱に耐え、それを任意の方向へと射出するための部位。
巨大な裸身の少女が、単に膨大な質量を誇る人間などではなく、人を模した兵器であることの証左。

23 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:18:17 ID:Gdz35eDw0
「迂闊には近づけなくなった、か……!」

巨人のリーチは片腕で十メートルにも達しようかという長さである。
片方の掌が一時的に喪われているとはいえ、再生までに要する時間は極めて短い。
そこからも反射鏡が出せる、あるいは掌でなくとも出てくるとすれば、その死角は事実上存在しない。
立ち止まることなく走りながら、郁未が舌打ちする。
岩場を噛む裸足の傷口はじくじくと痛い。
時間は文字通りの寸刻を争う。
戦況を膠着させれば、待つのは敗北の二文字だった。

ちらりと見れば、走る葉子が確認できる。
そこにもう一人いる誰かのことを、郁未は認識しながら意識しない。
当面の敵でない以上、それは郁未にとって自走する熱源という認識でしかない。

敵と、敵の敵と、相棒と。
それだけが天沢郁未の世界だった。
敵の敵でしかないその軍服の男の行動の一切を、郁未は無視している。

だから、その白銀の迅雷も、郁未にとっては文字通りの青天に落ちる霹靂でしかなかった。


***

24 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:18:39 ID:Gdz35eDw0
 
吹きつける強い風を、坂神蝉丸は正面から受け止める。
血煙が靡く銀髪を薄く染め、妖しくも艶めいた色合いを醸し出していた。

手の一刀からひと滴、粘り気のある血が垂れ落ちる。
新たな滴を呑み込んだ血だまりに波紋は生まれない。
波紋を生んだのは、蝉丸の軍靴だった。

足の裏で糸を引くような感触。
踏みしだく赤い沼に、少年はいるだろうかと、蝉丸は思う。
少年の流した血は、少女たちのそれと融け合ってこの足元まで届いているだろうか。
そんなことを思いながら、敗残の兵は歩を踏み出す。

ゆらりゆらりと静かに歩んでいたような蝉丸は、いつの間にか巨人の間近に迫っている。
一瞬の後、その影は山肌に四つん這いで圧し掛かるような巨人の胸の下へと潜り込んでいた。
無造作に振るわれた銀の刃が切り裂いたのは、裸身を晒す巨人の乳房。
その先端、両手に抱えるほどの桃色の、女の証を無感情に断ち割った蝉丸が、鋭い呼気と共にもう一閃。
二つに割れたそれが乳腺ごと切り取られ、大地に落ちて少女に変じた。
眼もくれず返した刀は抉られた巨人の乳房の、即座に再生を始めるその粟立つ肉を断ち穿つ。
ぼたぼたと垂れる血と肉とその素となった少女たちを映すその瞳は何の感情も浮かべていない。

振るわれる刃に想いはない。
繰り広げられる死の輪舞に心はない。
荒涼たる山肌を吹き血霧を払う風の如く、その太刀筋は乾いていた。
常ならぬその剣は坂神蝉丸という男をよく知る者が見れば眉を顰めるような光景であったか。
或いはそれこそがこの男の本質であったかと膝を叩き、深く得心するやもしれぬ。
いずれ誰一人見つめる者とてなき戦場で、無感情に死を撒き散らす蝉丸に届く言葉など、
ありはしなかった。

25 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:19:02 ID:Gdz35eDw0
恐るべき速さで見舞われる剣風に、巨人の乳房が抉れていく。
再生をも許さぬその凄まじい斬撃の嵐に、堪らず動いたのは巨人であった。
山肌にしがみ付くようにしていた姿勢から、咆哮を上げながら身を起こす。
数百トンにも及ぶ膨大な質量を支えるべく大地に叩きつけられた掌が地響きを起こし、
山頂全域を揺るがした。
一瞬だけ天を仰いだ巨人が、怒りとも苦痛ともつかぬ咆哮と共に、その身を落とす。
山頂のすべてを覆い隠すような圧倒的な影。
回避不可能な面積の中、蝉丸を押し潰そうという動きだった。
果たして見上げた蝉丸の眉が曇る。
その瞳に日輪は映らない。
病的に白い肌が無限の天蓋となって蝉丸の視界を包んでいた。

天の落ちるような光景が、しかしそのとき、ぐらりと揺れた。
それが天沢郁未と鹿沼葉子によって巨人の片手が切り落とされた衝撃であると、
蝉丸には知る由もない。
が、一際強く雷鳴の如く響き渡った咆哮の中、蝉丸は既に駆け出している。
力強く岩肌を噛む軍靴が、一瞬という単位を更に細分して蝉丸の身体を運んでいく。
山頂全域を磨り潰すように巨体が落ちるのと、枯草色の軍服がその影の下から身を躍らせるのは
ほぼ同時であった。

直後、周囲が白く染まったのは郁未たちへと放たれた二発の閃光によるものである。
巨体の落下した衝撃で人の頭ほどもある岩礫が小石のように乱舞する中、身を伏せた
蝉丸の身体の下で岩盤が熱を持つ。
灼熱の地獄を想起させる熱量の余波であった。
礫の幾つかが背を打ったのを気にした風もなく、蝉丸がゆらりと立ち上がる。
周囲に立ち込める陽炎の中でゆらゆらと煌く一刀を手に、その表情には虚無を貼りつけて、
敗残兵が立ち上がる。
既に進むべき道もなく、掲げるべき旗もなく、しかし斬の意志を以て戦場を往く、その姿は修羅。

再開される疾駆。
その足取りに迷いはない。
迷うべき想いすら、今の蝉丸には存在していなかった。
眼前に聳え立ち塞がる甚大な敵をただ貫かんと踏み出されたその脚が。
しかし、二歩、三歩目で、止まった。

26 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:19:21 ID:Gdz35eDw0
がくり、と。
その膝が落ちる。
眉根を寄せ、大地に手をついて小さく呻いた蝉丸の口元から垂れ落ちたのは、鮮血の赤。
ぽたぽたと垂れ、岩盤にこびりついた少女たちのそれと混ざって地面を汚す己が喀血を、蝉丸は見た。
次いで走ったのは、苦痛ではなく熱。
乾いた瞳が肩越しに見たその背に、ざっくりと刺さるものが、あった。
鋭く尖った、岩礫の欠片。
思い返すまでもない。
先の巨体が地面に落ちた際、爆風の如き衝撃に舞い飛んだ内の一本だった。

噴き出す脂汗に滑る一刀を強く握り直す。
空いた手を背に回し、深々と突き刺さった岩礫に手をかける。
僅かに身を捻るだけで痙攣を始める全身の筋肉からの痛覚信号を、精神力だけで無視。
一気に引き抜こうと力を込めた蝉丸はしかし、唯一つの事実を悟っていた。

即ち―――間に合わぬ。
巨人の腕が、高層建築を横倒しにしたような膨大な質量が、振り上げられているのを
蝉丸の視界は捉えている。

背の傷は致命傷ではない。
常人であれば絶命を免れ得ぬ臓腑への深手にも、仙命樹の力は宿主の命を繋ぎ止める。
礫を抜き取って数刻を堪えれば、傷痕など影も形もなくなっているだろう。
が、数刻どころか寸秒をすら、今の蝉丸には与えられない。
そしてまた、来栖川綾香によって負わされた右の足を裂いた傷と、背に空いた大穴と、
その両方へと分散した治癒の力が、蝉丸の膝を落として動くことを許さない。

間に合わぬ。
それが、坂神蝉丸の結論であった。
迫り来る死を静かに見つめる瞳に、色はなかった。


―――迅雷が、落ちた。


***

27 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:19:59 ID:Gdz35eDw0
 
それは白銀の閃光。
それは一陣の鉄槌。
雲一つない天空から降り来る、それは神雷。

その一瞬、音が消えた。
吹き荒ぶ風すらもが、平伏するようにやんでいた。
耳が痛くなるような静寂の刹那に放たれた、それはただの一閃である。
ただの一閃が、天空より大地を薙いだ。
それだけの、ことだった。

時の止まったような神塚山の山頂に、最初に戻ってきた音は、咆哮である。
否、それは明確な悲鳴、或いは絶叫と呼び習わされるべき大音声。
次いで風が、己が役割を思い出したかのように再び大気を押し流し始める。
僅かに遅れて響いたのは、地鳴りの如き轟音だった。
何か、巨大な質量が大地へと激突したような凄まじい地響きと土煙が周辺を満たす。
そんな、雑多な音の中心で、

「―――鈍ったか、坂神」

凛とした涼やかな声が、雑音の群れを切り裂くように、蝉丸の耳朶を打った。
白銀の長髪が、風を孕んで靡く。
優美とすら見える手に提げるのは、端麗な刃紋を血脂に汚した、一振りの刀。

「木偶人形の如きを相手に後れを取るとは、鳳凰が泣いている」

大地に落ち、なお陸に打ち上げられた魚のようにびくびくと震える小山のような腕を背に、
眉筋一つ動かさずに言い放った男を、光岡悟という。
銀の迅雷と見紛う一閃で巨人の腕を切り落とした男の、それが名であった。

28 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:20:33 ID:Gdz35eDw0
「―――」

片膝をついて白銀の長髪を見上げる蝉丸に、言葉はない。
無言のまま視線を見交わし、一つ頷くと、

「……ッ!」

一気に、背に突き刺さった岩礫を引き抜く。
からりと小さな音、そして降り始めの雨が地面を叩くような、ぱたぱたという音が続いた。

「観測班からの報告だ、坂神」

噴き出す蝉丸の血が編み上げの軍靴を汚すのにも顔色すら変えず、光岡が淡々と告げる。
歯を食い縛った隙間から荒い息を漏らす蝉丸が、しかしその冷ややかな光岡の態度に怒りを覚えた様子もなく、
びっしりと脂汗を浮かべたままの表情で先を促すように頷く。

「逆賊、長瀬源五郎は奪取した砧夕霧の中枢体と自らを有機的に結合し、その意思共有機能を媒介に
 無数の融合体を操作するものと予測される。従って、万が一そのような事態が発生した場合は―――」
「……中枢体を引き剥がしさえすれば、自壊する」

ぐい、と袖口で汗を拭った蝉丸が、光岡の言葉を継ぐように呟いて立ち上がった。
その背から噴水のように流れ出していたはずの血は、既に止まっている。
大穴が開いていた傷口にはぐずぐずとケロイド状に膨れ上がった桃色の肉が顔を覗かせていた。

「理解したのであれば急ぐことだな。そう時間が残されているわけでもあるまい」
「……貴様に助勢されるとは、南方の戦線を思い出すな」

愛刀にこびり付いた血をズボンの裾で拭いながら呟いた蝉丸の一言に、それまで氷のような
無表情を保っていた光岡の顔が、初めて動いた。
苦虫を噛み潰したような、露骨に嫌悪感を押し出した表情。

「助勢だと? ……勘違いするな坂神。俺はただ閣下の命で貴様に報告を伝えに来ただけだ」
「ほう」

しかし応じる蝉丸の声はどこか楽しげですらあった。
実際、口の端が小さく上がっている。

29 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:20:52 ID:Gdz35eDw0
「それでは、どうやって帰還するつもりか訊いても構わんか」
「無論、迎えの船を待つまでだ。……あの木偶人形と逆賊を始末してからな」

そんな蝉丸の様子にますます表情を険しくする光岡。
苦笑気味に笑みを深める蝉丸。
張り詰めていた戦場の空気は一変していた。

「それを助勢と言うのだろうが。まあいい、好きにするさ」
「戯言はそこまでだ。行くぞ坂神、遅れるな!」

道場稽古で汗を流すような気軽さと、眼前に立つすべてを断ち斬る苛烈さと、
その両方を備えて二筋の血風が駆ける。
無論それは往くべき道を喪った坂神蝉丸の、懐古という名の逃避である。
しかしその瞳に宿る光は、生という色を湛えて輝いている。
その輝きが、少女と少年の血を吸った大地を踏み拉く、蝉丸の歩を支えていた。


***

30 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:21:15 ID:Gdz35eDw0
 
「恐れながら閣下、宜しかったのですか」

狭い室内に反響する声に、色眼鏡をかけた男が顔を上げる。
九品仏大志。沖木島に繰り広げられる地獄絵図を統括する、三人目の男である。
そして同時に政権の転覆に成功し、現在のところ国家の中枢を握った男でもあった。

「同志光岡の件かね? 構わんさ、彼がああまで言うのは珍しい」

沖木島の東海上に浮かぶヘリ空母『あきひで』。
長瀬源五郎によって破壊されたコントロールルームの代替として用意されているサブルームの
利きの悪い空調に顔を顰めながら、大志が答える。

「しかし、閣下が軍務違反を不問に付すと仰られた途端に飛び出していくとは……」
「それは吾輩にも少々想定の外だったがな」
「同門は見捨てておけぬ、と」
「素直でない男だがね、まったく不器用なことだ」

苦笑した大志の背後で、扉の開閉する小さな音がした。
傍らに立つ男が振り返り、問う。

「何か」
「永田町からの報告であります」
「読め」

促され、直立不動のまま報告書を読み上げる兵の声が響く。
しかし報告が進むにつれ、緩みかけていた室内の雰囲気が一変する。
即ち、奇妙な報告による困惑。
そして、事態の切迫を把握すると同時に、緊張へ。

「これは……犬飼め、なんて置土産を……!」
「しかし、それでは……!」
「確認を急げ!」
「各方面へのラインは常に維持しておけ、絶対に切るな!」

俄かにざわめき始めた室内に、ひとり座して呟く男がいる。
言わずと知れた九品仏大志、その人である。

「光岡、貴様を行かせたのは望外の僥倖だったかも知れん……」

一瞬だけ瞑目し、再び開かれたその目には燃えるような意志の炎が揺らめいていた。
かっちりと緩めることなく釦を留めた軍装に衣擦れの音を響かせて、大志が立つ。
急変する事態の収拾こそが、九品仏大志の本領であった。

―――攻撃衛星・天照の起動。
抑止力としてのみ存在していたはずのそれが、何者かの手によってコントロール不能に陥っている。
報告が確かであれば、待ち受けるのは前触れなき虐殺と泥沼の報復戦争。
国家の、否、世界の終焉を告げる鐘が鳴らされようとしていた。

31 十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ :2008/08/21(木) 17:22:03 ID:Gdz35eDw0
 
【時間:2日目 AM11:32】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(5824体相当、片腕再生中、片手再生中)】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:右足裂傷、背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:異常なし】


【場所:G−6 鷹野神社】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】
長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】


【場所:ヘリ空母「あきひで」内サブコントロールルーム】

九品仏大志
【状態:異常なし】

→916 926 1001 ルートD-5

32 スク水ロワイアル :2008/08/30(土) 06:00:04 ID:8r3oNeVw0
ぴちゃんと。
冷たい液体が、目を閉じたままである名倉由依の頬を弾いた。
想像していなかった感覚に驚き、由依は閉ざしていた意識を覚醒させる。

「悪いわね、お湯は出ないみたいなの。少し冷たいけど、我慢して」

抑揚があまり含まれていない少女の声は、由依の頭上から降ってきた。
気を取り戻したというものの、疲労の極みに達していた由依はそのだるさが全面に出ているようで、かけられた言葉に対してもぼーっとしたまま反応を返さない。
なすがままの由依に、抵抗の色は見られなかった。
半分程開けられた由依の瞳、虚ろな視界には由依と同じようなボブカットの先端が映っている。
その面影に、由依は全くの見覚えがなかった。

シャワーヘッドを片手に由依の体を丁寧に清めているのは、由依をここまで連れて来た人物でもある太田香奈子だった。
鎌石村小中学校に辿り着いた香奈子は、一端同行していた氷上シュンと離れここ、小中学校の設備として存在していたプールに由依を抱えやってきた。
離れたと言っても、シュンは建物の入り口付近で二人を待っているだけである。
何かあればシュンが駆けつけてきてくれる、そう思うだけで香奈子は安心して作業に集中できただろう。
気を失っている状態の由依の尋常ではない姿、まずこれをどうにかしなければ先に進むのは難しいだろうというのが香奈子等の出した見解である。
清潔にしていなければ、後々病的な意味で問題が起こるかもしれないという不安にシュンは静香に顔をしかめた。
そんな心の底から由依の身を心配しているシュンに対し、香奈子はそこまでストレートに真摯な思いを抱いている訳ではない。
まだ複雑な心境を脱していない香奈子の、由依を見つめる表情は厳しかった。

香奈子の心情など知る由もない由依は、ただ肌を流れていく水の冷たさに肩を小さく震わせるだけである。
呑気なものだと。香奈子は、緊張感の無い由依の様子に小さな溜息を一つついた。
しかし真水を直接かけ続けているというこの状況、恐らく弱っている由依の体には良い影響を与えないだろう。
温水が配給されない施設故仕方ないことだが、これで風邪でも引かれたらかなわないと香奈子はまた一つ溜息を漏らした。

(着替えも、どうしようもないのよね)

33 スク水ロワイアル :2008/08/30(土) 06:00:35 ID:8r3oNeVw0
由依の着用していた制服は、裂かれた上に粘つく液体がコーティングされ異臭を放ち続けている。
着替えを用意できない以上それを着させるしかないのだが、このような状態の物にもう一度袖を通させるのはあまりにも酷だろう。
だからと言って、こんな場所に気の利いた衣服が存在する訳でもない。
香奈子も、自分が着用していた制服を差しだそうとするほどお人好しではない。
今は由依の身を洗うべく纏っていた制服を脱いで下着姿になっている香奈子だが、勿論作業が終わればきちんと自分の制服を着直すつもりだった。

ただこのシャワールームに続いていた更衣室にて、香奈子はあるアイテムを容易く入手することができていた。
タオルである。今、由依の体を磨くのに香奈子が使用しているタオルは、脱衣籠の中に無造作に放られていた。
それがどのような意図で籠の中に入っていたのか、香奈子が知る余地も無い。
他の参加者が置いていった可能性というのもあるだろう、埃臭いこの施設に対しタオルに古臭さというものは特に感じられなかった。
もしかしたら、もっとよく探せば他にも何か役立ちそうな物が見つかる可能性はあるかもしれない。
そのためには、とりあえず目の前の作業を終える必要がある。
軽く頭を横に振り、香奈子は再び由依の体を流す行為に集中した。

様々な色の痣が浮かび上がっている由依の肌は、香奈子の手によりゆっくりと清潔さを取り戻していっている。
べたつく体から汚れが落とされていく感覚がリアルに伝わり、由依はその心地よさに思わず恍惚の表情を浮かべた。

(気持ちいいなー、ずっとこのままでいたい……って、えぇ?!)

さっぱりとしていく感覚の中で、その時猛烈な違和感が由依の脳裏を駆け抜けていく。
由依にとって思ってもみなかった場所に、触れるものがあったのである。
ぎょっとしたことでぼやけていた思考がクリアになった由依は、すぐ様違和感の出所を目視しようと半身を起こした。

「な、ど、どこ触って…てっ」

そこで由依は今自分が全裸に剥かれているという事実をはっきり認識することになるのだが、それよりもまず対処すべき事というのが今彼女の目の前にある。
大事な、最も恥ずかしい場所であるはずの由依の秘所に、潜り込んでいるものがあった。
香奈子の右手である。タオルを片手に、香奈子は由依の秘所の洗浄に取り掛かっていた。
タオルごしとは言え、そんな場所をいきなり直撫でされた由依としてはたまったものでない。
無言で手を引いていく香奈子をびくびくしながら見つめる由依、すかさず足を閉じ由依は香奈子から身を隠すよう小さくなった。

34 スク水ロワイアル :2008/08/30(土) 06:01:05 ID:8r3oNeVw0
急に反応が過敏になった由依に対し香奈子も一瞬目を見開くが、彼女が落ち着いた様子を取り戻すのにそう時間はかからない。
いきなり警戒しを剥きだしにしてきた由依を気にすることもなく、香奈子は手にしていたタオルをすっと差し出した。

「自分でやるなら、それでいいけど。ちゃんと綺麗にした方がいいわよ」
「え?」
「……」

香奈子の言葉に由依が固まる。
そこでやっと、由依は自分の身に起きたことを思い出した。

―― 振る舞われたのは、抗うことの出来ない圧倒的な暴力。

晒された時間など分かるはずもない。

―― 断続的な痛みと、耳を離れない下卑た笑い。

いつしか由依は、「思考する」という行為を取らなくなった。
その、現実から逃げるために。

さーっと血の気が引いていき、水を浴びたことで色を失い欠けていた由依の顔色はますます蒼白になっていく。
そのままいきなり荒々しく歯を上下に奏でだす由依の様子に、香奈子はまたため息をつく。

「不潔なままにしておく訳にはいかないでしょ」
「あ、あ……わ、わた、私……」
「いいから」

そう言って香奈子は、強引に無理矢理タオルを由依の手に握らせた。
そしてまだ水が流れ続けているシャワーヘッドを床に放置し、香奈子はシャワールームから脱衣所に続く扉へと一人手をかける。
事情を聞いたり慰めたりする気が、香奈子には毛頭ないのかもしれない。
混乱する由依を面倒に感じた香奈子は、彼女が落ち着くまで更衣室の探索でも行うつもりだった。

35 スク水ロワイアル :2008/08/30(土) 06:01:25 ID:8r3oNeVw0




香奈子がそれを見つけたのは、探索を始めてからすぐのことである。
更衣室の中を漁る香奈子の目に止まったのは、不自然な形で詰まれた布のようなものだった。

「……?」

更衣室の入り口からは影になって見えなかった脱衣籠の中から、紺色の山が覗いている。
おもむろに近づき、香奈子は山の一番上に積まれていたそれを手に取った。
しなやかな肌触り。独特の弾力性と広げてみることで分かるその見た目は、どこにでもある普通の水着である。
俗に言う、スクール水着だ。特に変哲な所もない。
胸元の所に貼り付けられた「朝霧」という名札から、それが朝霧という名字の少女のものであることが窺える。

朝霧という名字は、どちらかというと珍しい部類に入るだろう。
香奈子の知人にはいないはずだが、しかし何故か香奈子の脳裏を掠める記憶が警告を出している。
「朝霧」という名字を持つ人物を、香奈子は知っているだずだった。
いや。「朝霧」という名字を、香奈子は極最近目か耳にしたはずである。

と、香奈子はその「朝霧」という名字が貼られた水着が本当は山の一番上ではなかった事実に気づく。
籠の横、滑り落ちるように一着の水着が皺を作っていた。
どうやら高く積まれていたため、ずり落ちてしまったらしい。
一端「朝霧」の水着を脇に置き、香奈子はくしゃっとなっている水着に手を伸ばした。
新品独特の生地の伸びが感じられない水着、デザイン自体は「朝霧」の少女のものと同じだろう。

そして、胸元に貼り付けられている名字。
今度のそれは、香奈子にとって最も近しい人物のものだった。

「……何、これ」

36 スク水ロワイアル :2008/08/30(土) 06:02:06 ID:8r3oNeVw0
藍原。
香奈子の中で、「藍原」という名字を持つ人物はただ一人しか当てはまらない。
また藍原、朝霧、その下に続く「天沢」という名札が目に入った瞬間、香奈子はこの法則性を瞬時に理解した。
慌てて水着の山を崩しだす香奈子、よく見るとデザインは同じであるがサイズはバラバラである水着の中から香奈子はある名札をつけられているものを探そうとする。
一枚一枚名札を確認しながらどんどん床に水着を落としていく香奈子の額に、汗が浮かぶ。
あいうえお順という法則性故、香奈子が目的のものを発見するのにそう時間はかからない。
そして、見つけたそれを手に香奈子は呆然となりながらも、心の底からであろう嫌悪を表す言葉を呟いた。

「……気持ち、悪い」

太田。
今香奈子の手の中にある水着につけられている名札が、それだった。
どこにでもある、それこそ「朝霧」に比べたら極平凡な名字だ。
香奈子のことを指している訳ではないかもしれないが、不安が去ることは無い。
駆け巡る不快感に煽られるよう、香奈子は自分のデイバッグを引き寄せそこから参加者名簿を取り出した。
そして、想像通りの現実に唖然となる。

「朝霧」という名字に見覚えがあったということの理由。
「朝霧」の前が、「藍原」であったということの理由。

山の高さからすれば、この薄物達が名簿に載っている女性の人数分用意されているかもしれないという憶測は容易く立つ。
人数分用意されたかもしれないこのスクール水着が、一体何を指しているというのか。
香奈子が分かるはずもなかった。

37 スク水ロワイアル :2008/08/30(土) 06:02:37 ID:8r3oNeVw0
氷上シュン
【時間:2日目午前7時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態:香奈子と由依を待っている。祐一、秋子、貴明の探し人を探す】

太田香奈子
【時間:2日目午前7時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:呆然】

名倉由依
【時間:2日目午前7時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、破けた由依の制服、他支給品一式、ボロボロになった鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)】
【状態:呆然、全身切り傷と陵辱のあとがある】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】

(関連・966)(B−4ルート)

チャットですが、自分は参加できないかもしれないのでログを残していただけるとありがたいです・・・

38 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:27:06 ID:1PXLw4M.0

血煙を払うような風が吹く。
靡く髪と手の刃を銀と閃かせ駆ける、それは人を捨て人を超えた、風である。

「―――中枢体がどこに潜んでいるのか、分かっているのか」

既に再生を始めた、ぼこぼこと粟立つように蠢く巨人の腕を睨みながら光岡悟が問う。

「長瀬は賢しらだが、臆病な男だ」

駆けながら答えた坂神蝉丸が踏みしめる右の足からはぐずぐずと濡れた音がする。
軍靴の革に染み出した鮮血は、未だに止まっていなかった。

「そんな男が、切り札を手の届かぬところに置くはずもない。
 ならば―――最も守るに易く、攻めるに難い場所に篭っているだろうさ」

しかしその声は傷の痛みを感じさせない。
見上げる先には、巨人の影。
力の込められた視線が射抜いていたのはその一点である。
一糸纏わぬ裸体、蝉丸自身が抉った乳房の更に上。
痛みと怒りに震える白い喉笛が、そこにあった。

「……ふん」

鼻を鳴らした光岡がそれ以上何も口にしないところをみれば、蝉丸にも自身の回答が
的外れでなかったことが判る。

「しかし……言うは易し、か」

口の中で呟いた蝉丸が、改めて巨人を見上げる。
片腕を喪い、咆哮を上げる巨躯が身を起こそうとしていた。
山頂の狭い尾根を埋めるように膝立ちになったその巨躯は、見上げなければ
その全身像を視界に入れることすら叶わない。
目指す喉笛は、実に二十数メートルの高みにあった。

「辿り着くより他に、道は無いと知れ」

光岡の怜悧な声。
戦が、再開される。


***

39 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:27:34 ID:1PXLw4M.0
 
「何が起こったッ!?」

天沢郁未が叫ぶ。
眼前で濛々と土煙を上げているのは樹齢千年の大樹もかくやという巨大な質量。
びくびくと蠢く、巨人の腕である。

「……もう少しくらい周りを見ないと、長生きできませんよ」
「鉄火場だ! 余所見してらんないでしょ!」

遠くから響く声に怒鳴り返し、眼前を睨む。
地に落ちた巨大な腕がもぞもぞと粟立ち、見る間に無数の塊に分かれていく。
塊の一つ一つは、人の形をしている。
それは砧夕霧の群体から成る巨人が、その構成要素を再構築しようとしている様であったが、
郁未にそれを理解する術はない。
ただびっしりと植えつけられた卵から蟲の仔が孵るようなおぞましい光景に唾を吐き捨てると、
手にした薙刀を脇に構え、走った。
横薙ぎに振るえば、鉄の塊が人体を破壊する幾つもの感触。
当たるを幸いに、死を撒き散らす。
頭蓋骨の下の脳漿が、肝臓の向こうの脊髄が、爆ぜ砕けて辺りを汚した。
刃に込められていたのは怒りではない。
天沢郁未を突き動かしているのはどろどろとした、抑えがたい嫌悪感である。
人の尊厳というものを貶めるような眼前の光景が、ひどくその胸をざわつかせていた。
人の世から爪弾きにされた女は、だから人を超えた力を振るい、人の成り損ないを、殺していた。
巨人の腕から分かれ、ぼとりと地面に落ちる個体が、その瞬間に胴を両断され、
或いは頸を掻き切られて命を絶たれていく。
噴き出す血が大地に吸い込まれるより早く、新たな血煙が上がっていた。
それは到底、戦闘と呼べるものではない。
嫌悪という感情のみに立脚して人の成り損ないを殺す、それは一切の誇張なく語弊なく、
虐殺であった。

40 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:27:54 ID:1PXLw4M.0
「―――ッ!?」

そんな郁未の凶行を止めたのは、背筋に走った戦慄である。
第六感とでもいうべき感覚に突き飛ばされるように、咄嗟に身を投げる。
一瞬だけ遅れて、郁未の立っていた場所が、震えた。
地響きを立てて落ちたものを巨人の拳と認識し振り返った郁未がしかし、
予想外の光景にほんの僅か、動きを止める。
そこにあったのは砧夕霧の拳ではない。
しかし、巨躯である。それは人を凌駕する大きさの、一匹の獣であった。
白銀に輝く流麗な毛並みに、墨で描かれたような雄々しい漆黒の縞が流れている。
鋭く、乱雑に並んだ牙には鮮血と思しき褐色と黄色がかった粘つく唾液をたっぷりと纏わせ、
その隙間から臓物に響くような低い唸りを上げていた。

「虎……!?」

郁未が戸惑ったように呟く。
現実離れした大きさの白虎は、そればかりでない奇異を抱えていた。
白い毛並みの続いていなければいけないその四肢が、黒く染め抜かれていたのである。
それが体毛の黒であれば、まだ頷けた。
しかし、巨獣の四肢を包んでいたのは美しくも豪壮な毛並みではない。
それはまるでコールタールで固めたような、醜い黒。
ごつごつと角ばった皮膚は細かく罅割れ、ぽろぽろと破片を落としそうにすら見える。
四肢の先端からは爪が伸びている。真紅の、異様に長細い爪だった。
何かを切り裂くという一点にのみ執着した狂気の刀匠が鍛えたような、妖しくも鋭い爪。
巨躯を支えるべくもないそれもまた、獣とはひどく不釣合いだった。
尾のあるはずの場所からは、男の腕ほどもある太さの蛇が、牙を剥いてのたくっている。
総じてそれは、奇怪と呼ぶべき存在であった。

41 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:28:20 ID:1PXLw4M.0
「……ったく、次から次へと……!」

吐き捨てて身構えた郁未を、しかし巨獣の赤い瞳は捉えていない。
眉を顰めた郁未がその視線を追えば、そこに更なる影がある。
勇壮な黄金の鎧を纏った、しかし幽鬼の如き影。
巨獣は、ただその影とのみ対峙しているようだった。
ゆらゆらと巨獣に向かっていく、黄金の影。
そのひどく場違いな光景に気を取られていた郁未が、瞬間、はっとして飛び退る。

「ちぃ……ッ!」

横合いから迸ったのは一筋の閃光。
掠めた袖が炭化して嫌な臭いを上げた。
見回せば幾つもの輝き。
ぎらぎらと額を光らせた夕霧の群れに取り囲まれていることにようやく気付いて、郁未は舌打ちを一つ。
巨人の腕は既に半分方が解体し、素の夕霧の姿に戻っている。
幾筋もの熱線が光の格子と化して迫るのを、郁未は横っ飛びに転がるようにして回避。
低い姿勢のまま地面を削るように刃を薙げば、膝から下を切り落とされた夕霧たちが
ぼたぼたと血を流しながら倒れこむ。
前線の夕霧が倒れるその一箇所で光の格子に穴が空いた、その隙を逃さず郁未が疾走する。
密集した夕霧の群れの中、切り上げれば股から二つに両断された骸が左右に分かれて倒れ伏す。
返す刃は右正面の夕霧の顔面を断ち割り、その勢いのまま並んだ少女の手首を落とした。

「鬱陶しいんだよ、雑魚がッ!」

叫ぶ口に返り血が飛び込むのを唾と共に吐き棄てる。
殺戮のノルマは二秒に一人。
振るった刃が臓物を裂き、足を切断し、頸を斬り頭を貫き通して命を削っていく。
噴き上がる鮮血が精神を高揚させる。
骨ごと肉を断つごりごりとした感触が郁未を忘我の淵へと誘い始める。
悲鳴の代わりに響く血だまりの水音をすら心地よく感じ始めた、そのとき。
郁未の刃が切り開いた道の先に、影が落ちた。
傲、と咆哮を上げるのは白い巨獣。

42 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:28:45 ID:1PXLw4M.0
「またか……っ!」

殺戮のリズムを崩されたことに苛立ちを隠さない郁未の眼前、巨獣が跳ねる。
行く手の夕霧をその重量と鋭い爪で文字通り薙ぎ倒しながら目指すのは、やはり黄金の影。
幾筋かの閃光がその身に浴びせられるが、しかし人体を黒焦げにする熱線にも
巨獣の白い剛毛は僅かに毛先を焦がすのみである。
まるで意に介さず駆ける巨獣の突進に、黄金の影がなす術もなく吹き飛ばされるかに見えた。
しかし、

「な……っ!?」

足を止めず傍らの夕霧を刺し貫いた郁未が目を見張る。
吹き飛んだのは、巨獣である。
物理法則を無視するかのように、大きな弧を描いて巨獣が宙を舞う。
受身を取ることもなく、どう、と大地に落ちた巨獣の下敷きになって何人かの夕霧が磨り潰された。
密集した夕霧の人波が、煽りを受けて将棋倒しに転がっていく。

「邪魔だっての!」

目の前でバランスを崩した夕霧が倒れこんでくるのを薙刀の柄で弾き、空いたスペースを薙いで
幾つもの血煙を上げながら、郁未が毒づく。
立ち上がった巨獣は再び疾走の構え。
迎え撃つ黄金の影もまた、周囲の夕霧には何の関心も払わない。
無人の野に対峙するが如く、一人と一匹は激戦の神塚山に独立した世界を築いている。

「少しは空気読めよっ! イカレてんのか、あいつらっ!」

叫ぶ郁未が、ちらりと辺りに目をやる。
隻腕を振り回しながら特大の閃光を放つ巨人は、しかし郁未たちの方を向いていない。
軍服を纏った銀髪の男たちがその正面に立ち、一歩も退かずに刃を交えているようだった。
と、巨人がぐらりと揺れる。
大地そのものが傾いたかのような錯覚を覚えながら見れば、膝立ちになった巨人の、
その左の膝の付け根に小さな影があった。
影が小さく動くたび、巨人が揺れる。
巨人の白い肌が裂けて大地が揺れ、桃色の真皮が断たれて大地が揺れ、神経索と筋肉と血管が
ぶちぶちと千切れて大地が揺れた。
垣間見えた灰褐色の軟骨に向けて影が何かを振り下ろした瞬間、とうとう大地が、崩れた。
大瀑布のように倒れる巨人から飛び退った影が、振り向く。
何事かを呟いた声は郁未の立つ位置までは届かない。
しかし郁未にはその影の呟きの、皮肉げな声音までがはっきりと聞こえるようだった。

 ―――ですから、もう少し周りを見てくださいね、郁未さん。

鹿沼葉子。
天沢郁未の相棒は倒れ込む巨人の影をよそに、返り血に固まった長い髪をかき上げて、
いつも通りつまらなそうに口の端を歪めていた。


***

43 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:29:20 ID:1PXLw4M.0
 
「―――好機だな」

骨と肉のない交ぜになった醜い塊が、天から槌の如く振り下ろされる。
叩きつけられた衝撃で大地を抉り、巻き起こす風で四方に岩礫を飛ばす一撃は、
半ばまで再生された巨人の拳である。
直撃すればいかな仙命樹の主といえど即死は免れ得ない打撃を前にして、まるで
そよ風が吹き抜けたとでもいうように眉筋一つ動かさず口を開く光岡に、蝉丸が
やはり表情を変えずに頷きを返してみせる。

「ああ……足を落としたのは鹿沼葉子か。先程からこちらの動きに合わせていたな」

久瀬少年を通じて得た最後の情報と照合し、その名前を口にする。
浮かびそうになった名状し難い感情は強引に押さえつけた。
葉子の戦術は明快だった。
自身とこちら、双方に巨人の注意を分散させることで集中攻撃を避けながらの一撃離脱。
こちらが退けば葉子が鉈を振るい、葉子が下がればこちらが白刃を閃かせる。
膝立ちになった巨人の両の足へと交互に加えられた攻撃は功を奏していた。
遂にバランスを崩した巨人が、堪らず片手を大地に突いたのである。
落とした片腕はまだ再生できていない。
隻腕を封じた今、巨人に残された攻撃手段は額からの直線的な閃光のみ。

「小賢しげで気に入らんが、兎も角も情勢は読めているようだ。
 この機を逃さず畳み掛ける」

言い放った光岡が左に大きく跳ねる。
同時に跳んだ蝉丸は右。
岩盤を融解させる閃光が落ちる、正に刹那のことである。
るぅ、と吼えた巨人がぐるりと首を回したときには、既に二人は懐に潜り込んでいる。
目指す喉笛は、まだ遠い。


***

44 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:29:38 ID:1PXLw4M.0
 
深山雪見に、意識はない。
眼窩を侵した毒は既に脳髄の一部へと達していた。
常人であれば死に至っている身体を支えているのは女神の加護を受けた黄金の鎧の力と、
そして対峙する巨獣に文字通り噛り付いて得た鬼の遺伝子の欠片である。
女神と鬼と、そして彼女の意識が最後まで抱いていた希望が妄執となって、雪見を支えている。
視界の殆どは、とうの昔に失われていた。
膿を零さぬ右目も白く濁って物を映さない。
巨獣を追って走る内、折れたあばらが臓物を掻き回してずたずたに引き裂いている。
両の五指は折れ砕け、互い違いの方を向いているのを、無理矢理に握りこんでいた。

深山雪見に意識はない。
生命と呼べるものも、既にその半ばまでが喪われている。
しかし、少女は立っていた。
戦う意志をもって握られた五指を、拳という。
折れ砕けた指を無理矢理に握りこんだそれもまた、拳といった。
拳を握り立つ少女は、故に抵抗者であり、狩猟者であり、戦士であった。

傲、と吼え猛る巨獣の声を、雪見の意識は捉えない。
しかし次の瞬間に剥き出しの頭蓋を両断しようと繰り出された巨獣の真紅の爪を、
雪見はずるりと滑るように躱してみせる。
刹那、見えぬはずの雪見の眼が、ぎょろりと笑みの形に歪んだ。
行き過ぎようとする巨獣の質量、熱いその身体を目掛けて、拳が飛ぶ。
砂の詰まった袋を棒で叩くような、重く震える音。
そして枯れ木の折れるような軽い、嫌な音が同時に響いた。
質量の差を無視して吹き飛ばされたのは巨獣である。
既に幾重にも折れた手の骨を更に砕きながら拳を振るった雪見が、げたげたと笑う。
喜びも、悲しみも、怒りも苦痛も感じさせない、音だけの笑い。
意識のない深山雪見が、殺戮の島の高みで浮かべる笑みは、ひどく空疎だった。

45 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:30:08 ID:1PXLw4M.0
ず、と身を震わせ、白い毛並みに付着した血肉を払い落としながら立ち上がった巨獣が、
こちらは明確な憤怒を込めて、一つ吼えた。
身を、撓める。
転瞬、引き絞られた弓から解き放たれた如く、巨獣が跳ねた。
白い巨弾の撃ち出でた方向はしかし、黄金の戦士から僅かに角度を逸らした、右。
カウンターに放たれた掌圧が空しく宙を切り裂く横を抜けて着地する寸前、
巨獣が丸太の如き前脚を振るった。
爪による斬撃ではない。その硬化した外皮に膨大な体重を乗せた、純粋な打撃。
着地点にいた数人の夕霧が、軽石のようにぱかりと砕けて、飛んだ。
或いは血煙と化し、或いは肉塊と骨の礫となった生命であったものが向かう先には黄金の鎧。
掌を打ち放った直後の雪見は、血と肉の津波を前にしかし不動の構え。
べしゃりべしゃりとこびり付く赤と桃色と薄黄色のどろどろとしたものは無視する。
どの道、視界を塞ぐことに意味などありはしなかった。
搦め手の一切を選択から切り捨てて機を待つ雪見が、果たして血煙の壁を割り裂いて
猛然と飛び出してきた巨獣を前に、動いた。
胴を断ち割らんと薙がれる爪に正面から当てたのは砕けた拳による右正拳突きである。
激突した拳と爪の中心で風が爆ぜ、一気に血煙を払った。
互いに体勢を流すが慣性は巨獣の突進を支持し彼我の距離を刹那の単位で縮めていく。
第二撃は速度の勝負。巨獣の選択は牙。人体を容易に両断する断頭の壁が最速で迫る。
対して雪見が選んだのは弾かれた右の拳の打ち下ろし。
流れた体勢から全身の筋肉を撥条として放たれる鉄槌。
巨獣の熱い吐息が雪見を覆い、数十の鋭牙がその命脈を永遠に断たんとしたその刹那、
白虎の鼻面が、歪んだ。
頑強な巨獣の頭骨を抉り鼻腔と上顎を粉砕した黄金の流星が、白い巨躯を大地へと
強引にめり込ませる音が、響いた。

46 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:30:33 ID:1PXLw4M.0
「―――」

巨獣のものと自身のものと、混ざり合って濁った血をばたばたと流す拳を引き抜いて、
雪見がゆらりと手を伸ばす。
唸りを上げることも許されず沈黙した巨獣の、ぐったりとした大蛇の尾がそこにあった。
既に明確な意識もなく、当初の目的すら思考できぬ雪見の、しかし妄執がそうさせたものか。
魔犬から引き継がれた巨獣の尾を掴もうとして折れ砕けた拳ではうまくいかず、
伸ばしたもう片方の手をやはり鮮血で滑らせ、両の腕で抱きしめるようにして、
ようやくその大人の腕ほどもある大蛇を保持する。
黄金の腕の中から、みしみしと奇妙な音が響きだした。
何か無数の編み紐が、一本づつ千切れていくような音。
ばたばたと、ようやく大蛇が暴れだした。
しかし顎はがっしりと小脇に抱えられ、牙を剥くことすらできない。
口腔の隙間から吐き出される毒液も雪見の背後に小さな池を作るのみ。
巨獣はまだ動かない。
女神の加護と少女の妄執を乗せた頭部への打撃は、見上げるようなその巨躯をして
昏倒せしめるに足るものだった。
みちみちと、音の質が変わっていく。
肉が、筋が、腱が断たれる音。
雪見に表情はない。
意識も感情もなく、ただ妄執をもって大蛇の尾を締め上げ、引き千切ろうとしていた。
大蛇が、次第にその抵抗を弱めていく。
雪見が黄金の足甲に包まれた踵を巨獣に乗せた。
小さな呼吸。
ぶぢ、という音は一瞬だった。

「――――――!」

於々、というそれは咆哮ではなく、悲鳴。
断たれるでなく、焼かれるでなく、神経索の一本一本を生かしたまま引き千切られる苦痛。
かつて川澄舞と呼ばれていた巨獣の覚醒は、筆舌に尽くしがたい地獄の辛苦によってもたらされていた。
のたうつ巨獣の傍、しかし深山雪見もまた倒れ伏していた。
どれほどの力を込めていたものか。
大蛇の尾を毟り取った雪見が勢い余って倒れこんだ先は大蛇の吐いた毒の沼である。
全身の傷という傷から染み入る致死の毒を、雪見は既に感じていない。
細く不安定な呼吸の中、既に光を映さぬ瞳をあらぬ方へと向けながら大蛇の尾を抱きしめていた。

47 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:30:53 ID:1PXLw4M.0
拷、と。
風を裂き、神塚山に満ちる焦熱と爆音を折伏するが如き大音声が響いた。
ようやくにして立ち上がった、白き巨獣の咆哮である。
その血の色の瞳に映るのは、憎の一文字。
びりびりと全身の剛毛を逆立てた白虎が、大きく後ろに跳ねた。
身を震わせ、もう一度吼える。
潰れた鼻と血泡を吹く上顎が物語るのは巨獣の痛手ではない。
森の王と呼ばれた巨獣の、或いは鬼と恐れられた異種族の、そして神代を生きた魔犬の、その裔。
数奇な運命の結実たる獣の王、その箍が真に外されたことを意味していた。

眼前の存在が滅するべき総て。
或いは、眼前の総てが滅するべき存在であった。

転がり伏す矮小な黄金の鎧姿も。
無数に涌き出す有象無象も。
そしてまた、

巨獣の眼前に、影が落ちる。
それは鹿沼葉子の打撃によって足を崩された巨人の、苦し紛れに大地へと突かれた手。

―――そしてまた、天から落ちた、肉の巨柱すらも。
巨獣の滅するべき、矮小な総て。

がぱり、と。
巨獣の顎が開かれた。

蒼穹の下、風が奇妙に歪んでいく。
日輪に照らされているはずの大地が、白く煙る。
それは世界の中、巨獣の君臨する一角だけが灰色に染め上げられていくような錯覚。

世界を塗り替えた灰色から、ノイズが消えていく。
残るのは、純粋な白。

透き通る白という矛盾を睥睨して、獣王の顎が小さな音を響かせた。
詠のような、祝詞のような、或いは硝子細工の割れるような、響き。

刹那。
世界が、白く染め上げられた。


***

48 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:31:41 ID:1PXLw4M.0
 
疾ったのは白い波涛。
荒れ狂う純白の怒り。
吹き荒ぶ清白の暴風である。
悪夢の如き白の煌きが伸ばした手に触れたものは、悉くがその姿を変えていく。

焦熱に炙られる草から立ち上っていた煙が、消えた。
赤褐色の血痕で覆われた岩盤が、真白く塗り替えられた。
立ち竦む砧夕霧の群れが、透き通った光の中で次々と物言わぬオブジェと化した。
大地に突かれた巨人の腕が、その根元から白い風に覆われて、めりめりと音を立てながら
最初は真白く、そして次の瞬間には曇り硝子にでも包まれたように、その輪郭を歪めた。

一陣の白き魔風が吹き抜けた先に、動くものはない。
最後に、黄金の鎧に身を固めた少女の像が一体、ごとりと音を立てて倒れた。
黄金の像を包み込んでいたのは、水晶とも見紛う透明。
白の閃光が駆け抜けた一瞬の後、神塚山山頂に現れていたのは無数の氷柱が林立する、
氷の世界であった。

「……これだから厄介なのだ、固有種というものは」

凍てついた睫毛を瞬かせながら呟いたのは光岡悟である。
手にした一刀を振るえば、袖からぱらぱらと霜が落ちた。

「しかし……」
「……好機は重なった」

言葉を継いだのは坂神蝉丸。
カーキ色の軍服を純白に染めたその姿はまるで雪中行軍の途中であったかのような有様である。

「凍りついたあの片腕を崩せば……」
「……さしもの長瀬も、ようやく頭を垂れるということだ」

仕返しのように継ぎ穂を奪う光岡に、蝉丸が静かに頷く。

「見えてきた、な」

言って白刃を翳した蝉丸が、しかし次の瞬間、表情を険しくする。
弾かれたように振り返って身構えた、その視界の先から飛び来るものがあった。

「黒い、雷……!?」

蝉丸の目に映ったのは、つい今しがた山頂を覆った白い波と対を為すような漆黒。
光を映さぬことが黒という色の定義。
しかし蒼い空を断ち割るようなそれは、蝉丸をして思わず呟かせたように、
黒い稲光と呼ぶ他にないものであった。
それは天空を飛ぶ破城の槍。
光を絡め取るような漆黒の、一閃である。

「この戦……」

押し殺すような声で呟いたのは光岡。

「案外と、早く片が着くかも知れんな」

見据える頭上を、漆黒の光槍が駆け抜けていく。
肩越しに見るまでもなく、黒槍が目指す先は明らかだった。
凍りついた巨人の片腕を目掛けて、黒い雷光がまるで吸い込まれるように、着弾した。

氷柱が、砕ける。
その内部に閉じ込めた、膨大な血と肉と骨とを巻き込みながら。


***

49 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:32:11 ID:1PXLw4M.0
 
神塚山の北麓、その山道の中ほどに存在するそれは殺戮に満ちた島の中心にありながら、
ひどく場違いな様相を呈している。
黒いフェルトに包まれた、人の身の丈ほどもあるそれを、ぬいぐるみという。
デフォルメされた蛙をモチーフとしているようでありながら眼球以外を黒一色に
染め上げれられたその姿は、ある種の迫力と異様の両方を見る者に伝えていた。

ぱりぱりと黒い雷を纏って屹立するそれを、大儀そうに撫でた女がいる。
命を倦みながら生を渇望する老婆の如き白く濁った瞳孔が、ねっとりと見上げるのは遥か山頂。
この島で最も高い場所に立つ、裸身の巨人が残された片腕を失って崩れ落ちるのを、女はじっと見ていた。

「回れ、回れ、歴史の歯車」

もごもごと、半世紀も前に過ぎ去った少女時代を反芻するように手毬歌を呟くが如き声。
憧憬と羨望と後悔とが均等に交じりあった、吐き気を催すような呪詛の唄。

「袋小路のどん詰まり、まだ見ぬ枝葉の分岐まで」

街角の片隅で、畳一畳分の小さな栄枯と衰勢を眺めてきたような、矮小で傲慢な視野。
丸められた背中が、ふるふると震える。

「水瀬の知らない幸福を、水瀬の知らない災厄を、水瀬の知らない終焉を」

女の名を、水瀬名雪という。
数十、数百に及ぶ生を繰り返す内に磨耗して、生きるという言葉の意味を見失った女である。
相沢祐一という希望と、水瀬という名の他には何も持たぬ。
少女の姿の肉袋に詰められた、しわがれ果てた老婆。
黒い稲妻の一閃をもって砧夕霧の片腕を崩壊せしめた、それが水瀬名雪という女だった。


***

50 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:32:36 ID:1PXLw4M.0
 
その山の上に、連携という文字は存在しなかった。
各々が各々の刃を振るったという、ただそれだけのことである。

駆ける蝉丸の胸にも感慨はない。
乳房と片膝を抉られ、両の腕を喪失して成す術もなく倒れ伏す巨人にも、哀れみは覚えない。

蝉丸は己が駆ける意味を知らぬ。
討つべき敵と取り戻すべき旗印がある、それだけで白刃を閃かせる理由になると、そう考えている。
いずれ答えの出ない思索に埋没するだけの余裕など、ありはしなかった。
戦場から戦場を渡り歩いてきたのが坂神蝉丸という男であった。

「―――」

その脇を疾駆しながら、光岡悟は思う。
坂神蝉丸という男を突き動かしているのは、畢竟、不安である。
國の為に文字通り己が身を捨て、化け物じみた力を得た。
人にあらざる自身を受け容れることは容易ではない。
縋る何かが、必要なのだった。
光岡悟にとってのそれが九品仏大志であるように、坂神蝉丸にとってのそれは戦場であり、
掲げる旗であり、守るべき弱者なのだろう。
いずれかが失われれば、蝉丸は陸に上がった魚も同じ。
息を詰まらせて、死んでいく。
坂神蝉丸にとっての幸福と平穏は、血煙と白刃の間にしか存在しないのだ。

のたうつ巨人の、白い喉笛が、迫る。

ざくり、と食い込む刃が、ぼたぼたと鮮血を伝わせる。
気にした風もなく抉り込んだ蝉丸の一刀が、縦一文字に傷口を広げていく。
物も言わず、楽に潜れるほどまで切り開いた喉笛の、桃色の肉を覗かせる真皮を掴むと、
蝉丸はぐいと蚊帳でも開くように無造作に、巨人の喉を割り裂いた。

轟、と吹いた生温い風は吐息であろうか。
銀髪を靡かせながら傷口に踏み込んだ軍靴が、ずぶりと脂に沈む。
そこに狭い空間と、二つの影があった。

51 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:33:08 ID:1PXLw4M.0
「実に、実に厄介な男だね、君は」

ごうごうと吹き荒ぶ風の中で、奇妙に通る声が響く。
周囲を包む桃色の肉に無数のケーブルで己が身体を繋ぎ止めた、醜悪な姿。
長瀬源五郎である。

「久瀬大臣の長男坊の次はこの人形……庇護欲に縋らねば生きられないかね?」

そう言って長瀬が抱きすくめるように笑ったのは、白い裸身。
やはり幾本かのケーブルを埋め込まれて長瀬へと繋がれた、砧夕霧の中枢体であった。
その表情は動かない。絶望という絶望を凝縮して固めたような、断末魔の形相。

「―――」

蝉丸は答えない。
ただ、一歩を踏み込んだ。

「愚かなことだ。人機は融合し次の段階へ進もうとしているというのに。
 その過程に取り残された失敗作が、嫉みで歴史を阻害する」

一歩。
蝉丸の周囲、前後左右上下の全方位からケーブルが顔を出した。
鋭い穂先を向けて、飛ぶ。
一瞬の後、そのすべてが二振りの白刃の下に切り落とされ、桃色の肉の上に落ちた。

「……君もかね、光岡悟。遺物たる強化兵」

蝉丸の背後から迫っていたケーブルを叩き落した光岡は、やはり無言。
更に、一歩。

「理解しろとは言わんよ。君らに理解できるはずもない。だが、だが歴史は止まらない。
 私の娘たちは、新たな時代の幕を開け―――」

言葉が、途切れる。
長瀬源五郎の、幾本ものコードが埋め込まれた胸の中心に、蝉丸の白刃が突き込まれていた。
ごぼりと血泡を噴き出した長瀬が、それでもにやりと口の端を上げる。

「―――ッ!」

裂帛の気合、一閃。
血飛沫が、飛んだ。
長瀬の胸を肩口まで切り裂いた蝉丸の刃が、返す刀で夕霧と長瀬を繋ぐケーブルを叩き斬る。
ひう、と聞こえた細い声は長瀬の断末魔か、あるいは解放された夕霧の安堵か。
とさり、と倒れ込んだ夕霧をその胸に受け止めて、蝉丸が振り返る。
光岡と視線を交わし、頷きあう。

駆け出すと同時。
数千にも及ぶ砧夕霧から構成されていた巨人が、崩壊を始めた。

52 十一時三十二分/戦舞 :2008/09/09(火) 14:34:24 ID:1PXLw4M.0
 
 
【時間:2日目 AM11:34】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・砧夕霧
 【4978体相当・崩壊】
長瀬源五郎融合体
 【状態:シルファ・ミルファ融合、生死不明】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:右足裂傷、背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:異常なし】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:大激怒、ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、頭蓋骨陥没(急速治癒中)・尾部欠落(修復不能)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:瀕死、凍結、出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、意識混濁、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

→906 1001 1003 ルートD-5

53 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:22:58 ID:m3XhWRYM0
 ――拝啓おふくろ様
 前回かなりシリアスだったというのに凝りもせず再び文を送ってしまうバカ息子をどうかお許しください。

 といいますのも、こうして自立を目指して郁乃様にお別れを告げたのはいいけれども、
 一体全体脱出に向けてどう動いたらいいものかと決意十分目にして途方に暮れてしまったからでございます。

 脱出用の船、またはヘリなどを探すという方針は打ち立てたのですが、そんなものがわたくし達の手の届く場所にあるわけもなし、
 かといってこの殺し合いを開催いたしましたこのクソな連中どもの大本営に竹槍突撃を敢行したくても場所が分からず、
 まさに八方塞がりという状況なのでございます。

 それでも『諦めません、勝つまでは』と不屈の闘志を己が身に宿しているわたくしは取り合えず、
 助手兼パートナーであるほしのゆめみさんと肩を寄せ合って地図と睨めっこをしていたのですが、
 あまりにも見当違いなこと(船が島の端にあるだとか)をおっしゃるばかりで泣く泣くわたくしは二軍へと降格させ、
 マスコット兼毛玉のポテトと遊ばせておくことにしました。
 それから、数十分が経過したのですが……

     *     *     *

「あー、やっぱ検討もつかん。どうしろってんだ」

 俺は床の上に身を投げ出すようにして寝転がる。
 乗り物を探すといっても俺達の手の届くような場所にあるわけがないのは承知済みなのだが……
 それを踏まえた上でどう動けばいいのかが分からない。

 以前手元にあったフラッシュメモリは戦闘のどさくさに紛れて行方知れずとなってしまったし……
 まだ見てない項目があったのに。おのれ高野山。

54 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:23:24 ID:m3XhWRYM0
 ……そういや、何を考えて主催者はそんなものを寄越したんだろうか。
 殺し合い、という観点から考えれば支給武器などに関する情報は大いに力となり得るし、それは理解出来る。
 問題なのはちょこっとだけ見た『解除』のスイッチだ。
 解除、と聞けば大抵の人間はこの首輪の解除……を思いつくだろう。
 よく考えてみれば、それは参加者の人間が希望を抱かずにはいられない言葉じゃないのか?

 つまり、殺し合いに対して反抗の意思を見出せる道しるべとして。
 無論スイッチ事態の真偽は不明だが、多かれ少なかれ参加者の心理に影響を及ぼすのは間違いない。
 一応、これでも人間の心理に関してはそれなりの知識はある。伊達にあのFARGOで働いていたわけじゃない。

 話を戻すと、希望を持たせて何になるというのか。
 主催者にとって最も考えたくないケースは殺し合いをする人間がいなくなり、歯向かう人間ばかりになる……という構図だろう。
 たとえ参加者側に何も打つ手がないとしても、主催からとってみれば殺し合いをしなくなった時点で困るのはそちらだ。
 目的なんて何も分からないが、最後の一人まで殺し合わせる、ということを考えればこんな希望を持たせるような支給品はあってはならない。
 だが奴らはそれを支給した。そこには必ず何かしらの意図があると見て間違いない。
 それは何だ? 解除。それがキーワードだろうな……

 が、考えることは得意じゃない。そもそもそういうことはどっかの探偵がやるべきことで、一般人の俺がやることじゃないんだよな。
 まぁ今の状況じゃそういう贅沢は言えないんだよな。自分で考えるってのは、難しい。

「高槻さん。どうですか?」

 ぴこぴことポテトと戯れていたゆめみさんがなんともまあ暢気な声で尋ねてくる。
 戦力外通告を出したのが他ならぬ自分だとは言え、不平を述べたくもなる。
 気をきかせて何か役に立ちそうなもん探してくるとかさ、お茶菓子を持ってくるとか、
 最近流行りの乗馬マッスィーンを披露してくれるとか……
 ロボットに期待するのは酷ですか、そうですか。

 世の中に存在するというバナナが好きなアンドロイドとか、
 様々な技能(夜のお勤め的な意味で)を備えているなんたら100式とかなんて絶対嘘っぱちだと思うことを決意しつつ、
 俺は首を振ってノーアイデア、孔明の策は何もないことを告げる。仲達よ、今度はそちの頭脳を見せてもらおうか。

55 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:23:48 ID:m3XhWRYM0
「いえ、高槻さんが何も思いつかないならわたしにはとても……」

 ですよねー。分かっていたとはいえつくづくこいつはロボットなのかと疑いたくなるときがある。
 ……もしかして、中身は人間だったりしないだろうか。試してみよう。

「ゆめみ、76×43は」
「3268です」
「『這坊子(はいぼこ)』の意味を答えよ」
「這坊子というのは『はいはい』をする頃の赤ん坊の事を言って、セミの幼虫が地中から出てまだ脱皮する前のものを指す事もあります」

 パーフェクトだ、ウォルター。
 とりあえずいずれも即答していることから考えて一通りの知識はあるらしい。が、応用力が足りない。
 なるほど、学習していないコンピュータか……
 くそ、こうなれば仲間を集めにいく、くらいしか現状で出来る事がないな。以前の行動指針に逆戻りしたってのが何とも情けない話だが……

「あの、そんなに落ち込まないでください。わたしもまだまだ力不足ですが、きっとお役に……」

 とは言いつつも、どこか不安げな表情のゆめみに、俺は弱気になっている自分に喝を入れる。
 そうだ、俺は絶対こんな島から脱出してやると決めたんだ。俺がやっと、自分ってやつを持とうって思ったのに、こんなところで死んでたまるか。
 何より……ここで弱気になってたら郁乃に笑われる。それこそ小馬鹿にしたように、鼻で笑って。

 冗談じゃない。あんな小娘に見下げられるほどこの高槻は落ちぶれちゃいない。
 そもそも俺はまだ動いてすらいないではないか。まず動かないことには何も分からないしな。大山鳴動して鼠一匹だ。
 なに、意味が違う? いいんだよテンションに身を任せているんだから。
 とりあえずカッコイイこと言って鼓舞しようって寸法よ。分かったかね諸君。

「よし、心気一転して情報整理といこうじゃないか。取り合えず、無学寺を出てから俺達はなにをしようとしてた?」

 会話のキャッチボールは続ければ続けるほど心の調子も上がってくる。甲子園球児が常時クライマックスなのもこれが理由だ(と考えている)。
 話を振られたゆめみ、流石にそこはロボットの本領発揮ですらすらと言葉を流してくれる。

56 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:24:09 ID:m3XhWRYM0
「確か最初は久寿川さんのお知り合いで、まーりゃん先輩という方を追うために鎌石村に行く予定でした」
「ああ、とんだ邪魔と……放送のせいでその優先度は低くなったがな」
「久寿川さん……」

 先の放送でささらと、一緒に付いていった貴明ってガキも名前を呼ばれた。俺を罠に引っ掛けたあのチビ女も。
 道中で別の奴に襲われたか、それともまーりゃんを説得し損なって返り討ちにでもされたか。
 どちらにせよ、これでまーりゃんが見境なく他人を襲う、無差別殺人鬼になった可能性はかなり高い。
 見た限り、敵対してはいたものの久寿川とは親しい関係にあったようだしな。でなきゃ、『止める』という単語が出てくるはずがない。
 どうせあの二人を生き残らせようとかそんな考えで殺しを始めたんだろうが、すっかりおじゃんってワケだ。

 悪いが、こちらは同情する義理はない。勝手に野垂れ死んでろって感じだな。
 もし出会ったら……容赦なく殺らせてもらう。宮内をやったのは奴だし、間接的に久寿川たちの死因にもなっている。
 ともかく、鎌石村に行く必要性はかなり薄い。

「あ、それと……船を探すという目的もありました」
「……は?」

 お前は何を言ってるんだ、と若干キレ気味な近頃の若者風味にゆめみを睨みつける。
 船なんてあるわけないだろと何度言ったら分かるのか。
 大体、そんなものが島に置いてあったらひゃっほいやったぜベイビーと喜び勇んで優雅な船の旅に出るっちゅーねん。
 そんな俺の感情を感じ取ったかあるいは声の調子にビビったか、少し涙目になりながら「で、ですが」と続ける。

「高槻さんが言い出したことでした……岸田洋一が乗ってきた船があるかもしれないからついでに探すぞ、と」

 ……ん? そう言えばそんなことがあったようななかったような……あ。

「で、ですので、わたしなりに考えて外部からこの島にやってきたのだとしたら、
 どこに隠しておくかというポイントを申し上げたつもりだったのですが……」
「それを早く言えっ! 急に『船はここに置かれていると思うのですが』とか言われても分かるか!」
「いや、でも、高槻さん自身が言い出したことですし、てっきりそのことをいつも念頭において話されているのかと……も、申し訳ありません!」

57 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:24:30 ID:m3XhWRYM0
 本気で涙目になりながらぺこぺこと平謝りするゆめみ。
 いや、待て。よく考えれば悪いのは脳裏からぽーんと忘却の彼方へ投げ去った俺じゃないか。
 なんだこれ。いじめっ子? バカな、『年間女の子を大切にする男NO.1』の地位を保ち続けてきた俺の、なんて無様な姿。
 いかん。もっと余裕を持つのだ高槻。高槻クール、いやクール高槻になるんだ。
 冷蔵されそうな名前だが、この際気にしないことにする。

「まぁ、その、なんだ……色々あったからな。ついうっかり思い出せなかったというか……孔明も筆の誤りというか。
 あー、ともかくお前が言ってくれて助かった。流石はロボットだ」
「……本当に申し訳ありません。確認を取るべきでした」

 しゅん、と落ち込んだままのゆめみ。また失敗してしまったことがショックなのだろう。俺のせいでもあるが。
 よし、ここはフォローに回ろう。男の名誉を回復するいい機会だ。汚名返上とも言う。
 俺はぽんぽんとゆめみの頭を撫でつつ、

「失敗はお互い様ってことだ。次生かせばいいんだよ。一つも間違えずに生きてこられた人間なんていないんだからな」
「……そうですね。また、小牧さんに叱られます」

 おかしなことに、弱気になったときに出てくる名前が俺もゆめみに郁乃であることに、一種の笑いを禁じえなかった。
 結局、いつまでたってもフォローしてくれるのはあいつって事か。……今回はお前の勝ちってことにしといてやるよ。
 ひひ、と俺が笑いを漏らすとゆめみも落ち込んだ表情を解いた。

「では、今度からは確認を取るようにします。ところで高槻さん」
「お? 何だ?」
「孔明も筆の誤り、ではなくて弘法も筆の誤り、ではないかと思うのですが……わたしのデータベースが間違っているのでしょうか?」
「……」

58 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:24:54 ID:m3XhWRYM0
 おふくろ様。ゆめみさんはちょっと口うるさくなったように思われます。これはわたくしめの失敗なのでしょうか?
 そんなこんなで改めて地図を見直し、ゆめみさんの予測を立てた地点へと足を運ぶことにしたのでございます。
 具体的に言えば、
 B-3にある半島状の突出した部分、
 D-1の離れ小島(行けるかどうかは分かりませぬが)、
 I-3の小島郡などを目標とすることと致しました。
 長々と書き綴ってしまいましたが、わたくしは今のところまだ元気でございます。
 おふくろ様も、どうかどうかご自愛なさいませ。では。

     *     *     *

 追伸


「……ここを辿っていくとなりゃ、必然的に西回りのルートになるし、鎌石村にも自然と入ることになるか」

 それは偶然なのか、皮肉なのか。通るだけとはいえ、何かに導かれたような気がしてならない。
 あの二人の意思が、何とかしてくれと無念の声を張り上げているのだろうか。
 オカルト的なものは、不可視の力だけで十分だと思っていたのだが。
 ……どうするかについては、保留にしておこう。そもそもあの女に出会うと決まったわけじゃない。
 ゆめみが何かを含んだ視線を向けているが、それも取り敢えずは無視だ。

「さて、後は持ち物の整理といくか。岸田のクソ野郎のお陰で武器だけは増えたからな。正直手に余るくらいだが」
「いくつか、捨てて行くのですか?」

 言いながら、既にゆめみはデイパックから荷物を取り出し始めている。
 切り替えが早いのは助かる。……これくらいツッコミの回転も速ければな。
 全く惜しい人材だ。新ジャンル:お笑いロボ芸人が誕生するのはいつの日になるやら。

59 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:25:17 ID:m3XhWRYM0
「ぴこぴこ」
「お前もなんか武器の一つくらい装備できないものかねぇ。……ってもその体型じゃあ無理か」

 新ジャンル:お笑い未確認毛玉生命体の権化たるピコ麻呂ことポテトが出番をくれとばかりに擦り寄ってくる。
 残念だが貴様の出番はこの地味な作業の流れでは皆無だ。とっとと見回りの一つでもしてこい。

「ぴこー……」

 ハリウッド出身の役者(犬だけど)は派手なアクションでしか本領発揮はできないのだ。
 ああ悲しきかな、人語を話せないとロマンスには結びつかないのです。
 まぁ俺とゆめみがロマンスすることは俺がギャルゲーのヒロインになることくらいありえない話だが。
 ぴこぴこと煤けた背中を見せながら家の外へと見回りに行ったポテトを残し、黙々と作業を続ける俺達……というわけにはいかなかった。

「そういえば、高槻さんはどのようなお仕事をなされていたのですか? 高槻さん自身の話はあまり聞いたことがないのですが」
「あ? ……しがない研究員だったさ。どうしてそんなことを聞きたがる」
「そのように、設計されていますので」

 要するに、『客』とのコミュニケーションを欠かさないように設計されているのだろう。
 学習する(ゆめみにそれが働いているか怪しいものだが)人工知能を搭載しているゆめみにとっても会話は学ぶにも最適の行為だ。
 よく喋るとは思っていたが、そういうことか。いいだろう。どうせロボットだ。勉学のためにも付き合ってやろうじゃないか。

「ある未知の力に関する研究をしていてな。
 ……以前にも言ったように、ただ命令されていたことをやっていただけだったから本当に研究していたかどうかは怪しかったが。
 お前は、プラネタリウムの解説員だったか?」
「はい。とは言っても、まだ実際に配備されたことはないので、解説員予定、ですが」
「そうか、じゃあ今は無職ってことか……くく、ロボットは働き者、とは一概には言えないなぁ。ま、俺もじきそうなる予定だが」
「お仕事を、辞められるのですか?」
「……ああ。もうあそこに未練はなくなった」

 実際はそれ以外の理由もあるが。
 研究員が二人も連れてこられたばかりかAクラスの人間が二人もいる(うち一人は死亡が確認されているが)。
 となれば、組織ぐるみでここの主催者に関与し、俺達を生贄として差し出したってところだろう。

60 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:25:39 ID:m3XhWRYM0
 無論、主催者が不可視の力に目をつけ、何かしらの圧力をかけてFARGOの権力を奪い取ったという可能性もある。
 ……だとするなら、この殺し合いの目的の一端は、参加者間の不可視の力の発現を狙ったということも在り得る。
 Bクラスの名倉由依や、Cクラスの巳間晴香がいるのはそういう理由もあるのかもしれない。

 何にせよ、もう向こう側に戻る気はない。
 こんな場所に連れてこられたってことは用済みってことだからな。リストラってやつだ。不況の世の中は厳しい。

「では、その後はどんなお仕事をなされるのですか」
「それは……」

 考えていない。何しろ(死ぬ気はないとはいえ)生きて戻れるか分からない状況だ。
 今を必死に生きるしかないので、そんな未来のことなど考える暇も余裕もなかった。

「お前の仕事はどんなのだよ」

 結局、まだ明確に答えられるだけの自分が出来上がっていない俺はそう言って逃れることにする。
 わたしですか、と話を振られたゆめみは、少し困ったように笑った。

「季節に応じた星座の解説や、その都度設けられた特別上映だとかの解説だと聞いてはいますが……まだ実際にやったことがないので、何とも」

 ああ、そりゃやったことがないのでは実感もクソもあったもんじゃない。
 バカなことを聞いてしまった。実際に配備されたことはないって言ってたのに。

「ですが、とてもやり甲斐のあるお仕事だと思います。
 来てくださった方々に、遥かに遠い星々の海の世界の片鱗を、少しでも体感して貰えれば……これほど嬉しいことはない、そう考えます」

 嬉々として答えるゆめみに、本来働くべき姿の人間を垣間見た気がした。
 誰かが喜んでくれるなら。誰かのためになるのなら、それだけで仕事を続けられる糧になる。
 自分のやっていることに意味を見出せるということは、生きていくだとか食っていくことだとかよりも重要なことだ。
 何故なら、確かに世界を廻している、という実感があるからだ。
 大袈裟な言い方かもしれないが、世界は常に誰かが何かをしているから動いている。
 俺がやっていたことは、まるで意味もないことだったが。

61 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:25:58 ID:m3XhWRYM0
「悪くねぇな」

 弾を装填したコルト・ガバメントを手に握りながら、俺はそう答えた。
 悪くない。そういう、愚直である種傲慢な生き方も。

「ありがとうございます」

 僅かに照れたようにして、ゆめみは片手で一生懸命ニューナンブに弾薬を装填していた。
 ……どこかに、ゆめみを修理できるような場所と、人材がいればいいのだが。
 俺も機械工学は若干の知識があるとはいえ、ゆめみを修復しきるだけの自信はない。
 回路が切れて、それを繋ぐだけ、というだけならこちらにも出来そうなんだがな……

「ふむ、ちょっと見せてみろ」
「?」

 きょとんとするゆめみが、何をすればいいのか分からず、取り合えずニューナンブを差し出す。
 いや、こちらの言い方が悪かった。素直に脱げと言おう。

「脱げ。………………後ろ向いて。アレだ、撃たれた場所がどうなってるか確認したい」

 一言言った後、それがかなりヤバい意味を持っていることに気付き、慌てて付け足す。
 危ない危ない。如何に精巧な女の子型ロボットとはいえそれに欲情するほど落ちぶれちゃいない。たとえぱんつはいてなくても。

「あ、はい。了解しました」

 が、当のゆめみさんは何ら躊躇することなく後ろを向くと器用に片手で服を脱ぎ始める。
 おい、恥じらいというプログラムはされてないのか。開発者ちょっと表に出ろ。
 とは思いつつもロボットの服の中がどんな構造なのか気にはなっていたので(か、科学者としてだからな!)、
 正直幼子のようにワクワクしていたのは秘密だ。

62 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:26:16 ID:m3XhWRYM0
「……スク水……」

 が、中から出てきたのはどう見てもスクール水着と思しき服(?)だった。設計者、ちょっと表に出ろ。

「いえ、インナースーツです。わたしの仕様書にはそう書かれています」
「嘘だッ!」
「で、でも確かにわたしのデータベースには……」

 ちらちらとこちらを見つつしどろもどろにインナースーツであると主張するゆめみに、俺はため息をつくばかりだった。
 日本の未来は暗い。

「いや、まぁどうでもいい……悪いが、スク水、じゃなくてインナーも脱げ。地肌の部分がどんな状態かそれじゃ分からん」
「あ、はい」

 またも無抵抗にインナーを脱ぐゆめみに、まず教えるべきは恥じらいだと年頃の娘を持つ親父みたいに思いながらぽりぽりと頭を掻く。
 それにしても生身の人間と違い、肌が異常なほどに綺麗だ。いつの間に人類はこんな材質を開発したのか。
 するりとインナーをずらす姿は並みの男なら欲情せずにはいられない光景だろう。
 幸いにして変態ではない俺は下げられたインナーの端から肌が破れている部分を見つけると、
 脱ぐのをやめるように指示し、撃たれた部分へと目を近づける。
 が、どうなっているのかちっとも分かりゃしねえ。所々線のようなものが見えたりするが……手ぶらなこの状況ではどうしようもない。

「おい、自己診断プログラムとかないのか」
「それは既に実行していますが……左腕に繋がる神経回路が切断されている、としか」

 ……ま、細かい部分の破損まで分かれば世話ないわな。
 回路の切断だけなら応急処置で何とかなる、か?
 やはり道具は必須になってくるか。ついでに探しておかないとな。

63 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:26:31 ID:m3XhWRYM0
「よし、もう着ていいぞ。荷物整理もそろそろ終わるし、そろそろ、本格始動と行くか」

 ここに廃棄していくのはカッターナイフと写真集2冊。おたまは何故かゆめみが手放そうとしなかった。
 どこぞのボーカロイドのネギじゃあるまいし、とは思ったのだが好きにさせておくことにした。

「ぴこー」

 と、機を見計らったかのようにポテトが外から戻ってくる。
 まだ雨は降っているはずなのだがやはり奴の体は濡れていない。どんな構造だ。

「おーよしよし。どうだった」

 ぴこぴことジェスチャーをして偵察の結果を知らせるポテト。情報によれば人間の匂いが近くでするらしい。
 雨に紛れてどんな人間かまでは分からなかったという。
 上出来だ。なら優雅な遭遇といこうじゃないか。
 俺は、久しぶりにニヤリと口の端を歪めた。

64 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 19:26:49 ID:m3XhWRYM0
【時間:2日目・20:15】
【場所:B-5西、海岸近くの民家】

天才バスケットマン高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(5)、鉈、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:まずは接近している(らしい)人物に接近。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

【備考:19:00頃から雨が降り始めています】
【その他:カッターナイフと写真集×2は民家に投棄】

→B-10

65 (わるだくみ)/insincerity :2008/09/12(金) 23:46:18 ID:m3XhWRYM0
くあ……今更名前間違えてた……
天才バスケットマン高槻→クール高槻
ということにしておいてください……

66 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:00:59 ID:Qa0ikahc0
 
終わるのだ、と。
ようやく終わるのだと、誰もが思った。

巨人の身体が崩れ、それを構成していた無数の砧夕霧へと戻っていく。
ばらばらと落ち、あらぬ方を眺めてぼんやりと佇むその群れは既に、兵器としての脅威を失っている。

少女たちの中枢体をその腕に抱えた坂神蝉丸が、
その傍らで長い銀髪を風に靡かせる光岡悟が、
大きく息をついて薙刀を地面に突き刺した天沢郁未が、
乾いた血のこびり付いた髪を梳こうとして眉を顰める鹿沼葉子が、
長い戦いの終わりを感じていた。
この先に新たな命のやり取りが待っていようとも、一つの戦いには幕が下りたのだと。
山頂一帯を銀世界へと一変させた白の巨獣までもが、流れる沈黙に何らかの意味を感じ取ったのか、
真紅の目を光らせながら低い唸りを上げるのみだった。

一つの戦いが終わった。
誰もが、そう思った。
たった一人を、除いて。

「―――クク、ハハハ―――」

響いたのは、笑い声だった。


***

67 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:01:27 ID:Qa0ikahc0
 
おかしくて堪らぬとでもいうような哄笑。
愚かしくて堪らぬとでもいうような嘲笑。
悪意を媒介にしてその二つを練り合わせたような、それは声音であった。

「……何を笑う、長瀬源五郎」
「これが笑わずにいられるかね、坂神脱走兵」

ぐずぐずと澱みに浮かぶあぶくのような笑みを零していたのは長瀬源五郎である。
崩れ落ちた砧夕霧の群れの中、立ち尽くす姿に上衣は纏っていない。
日輪の下に曝け出された青白い半裸の胸に埋め込まれているのは二つの顔。
断末魔の表情を浮かべたHMX-17b・ミルファ、同17c・シルファと呼ばれていた少女たちの口からは
吐瀉物の如く無数のケーブルが伸び、その大部分は断裂してだらしなく地面に垂れ落ちていたが、
残った一部が長瀬の身体に巻きついている。
蝉丸の一刀による傷を縫い合わせるように乱雑に巻かれたケーブルの隙間からは、
しかし紛れもない鮮血が溢れ出していた。
どくり、どくりと鼓動に合わせるように噴き出す血の量は、いずれその命脈が長くはないことを
如実に表している。
にもかかわらず、長瀬源五郎は笑っていた。
眼前の光景が喩えようもない喜劇であるとでもいうかのように、嗤っていたのである。

「諸君はこう考えているのかな。……この神塚山山頂における砧夕霧を巡る戦闘は終結したと。
 狂える科学者の愚かな暴走は勇士達の活躍によって潰えたのだと。
 長瀬源五郎の命運はここに尽きたのだと、そんな風に考えているのかと思ったら、ね。
 実に、実におかしいじゃないか、それは」

言いかけて、また笑う。
身を捩って、鮮血を噴き出しながら、青白い顔で笑う。
吹きぬける風をねっとりと犯すかのような狂笑はひとしきり続くと、唐突にやんだ。

「……時間切れだよ、諸君」

68 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:01:43 ID:Qa0ikahc0
にたりと口の端を上げて呟かれた言葉と、ほぼ同時。
その細い肉体に飛び掛かる影があった。
劫、と吼え猛る白い巨躯は森の王の名を持つ獣である。
長広舌と癇に障る笑い声に業を煮やしたか、長瀬の痩せぎすの身体をへし折らんと
繰り出された真紅の爪が、

「―――ッ!?」

連続した硬い音と共に、弾かれた。
爪をかち上げられてバランスを崩した巨躯が空中で身を捩り、どうと着地する。
薄黄色い唾液で汚した牙の間から怒りの声を漏らした巨獣が、怒りの矛先を
愚かな闖入者へと向けるべく、ぎらつく真紅の瞳で振り返る。
その燃えるような視線の先にあったのは、銀色に輝く光の塔。
そして、それを背にした細身の影である。

「……解析が完了しました」

声が響く。
この場の誰のものでもない、女の声。
銀色の塔を背にする影の発した、声であった。
女はその手に細長い何かを持っている。
先端から微かに陽炎を立ち昇らせるそれは、一般的にサブマシンガンと呼ばれる銃器である。
それを見た坂神蝉丸が眉根を寄せ、光岡悟が鞘に収めた一刀の鯉口を切った。
天沢郁未が薙刀を引き抜き、鹿沼葉子が鉈を手に面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

「―――データリンクを開始します」

全体、何時からそこにいたのだろうか。
或いは誰にも気付かれることなく、遥か以前からその身を銀の塔の陰に潜ませていたのかも知れぬ。
すべての視線を一身に集めてなお表情一つ動かさず言葉を続ける女の足元に、小さな姿がある。
肉と骨とをところどころに露出させたそれは、一見して無惨な骸のようであった。
倒れ伏したままぴくりとも動かないその骸の如き姿が、もしも女を見上げることができたなら、
大きな驚きと、そして小さな安堵をもって彼女をこう呼んだだろう。

―――セリオ、と。


***

69 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:02:06 ID:Qa0ikahc0
 
「……解析が完了しました。データリンクを開始します」

無機質なその声に、情動は感じられない。
来栖川綾香と呼ばれていた骸と見紛う血肉の塊は、まだ生命活動を途絶えさせてはいない。
しかし、閉じられて動かぬその瞳が短機関銃を構える女を見上げることは、遂になかった。
綾香の忠実な機械仕掛けの従者であったはずの女、HMX-13・セリオは、しかしその足元で
血だまりの中に倒れ伏す主には一顧だにくれず、まるで感情と呼ぶに値する温もりのすべてを
どこかに捨ててきたかのように淡々と言葉を紡ぐ。

と、その細身の影へ、巨獣が跳ねた。
白い巨体から苛立ちを露わにした野生の咆哮が轟く。
風を裂くような突進を、セリオは文字通りの無表情で迎撃。
巨獣の質量を受け止めるべくもない細身の機械人形が選んだ手段は、驚愕に値するものであった。
足元に倒れる主、来栖川綾香の身体を、眉筋一つ動かさずに蹴り上げたのである。
綾香の身体が、巨獣の眼前へと飛ぶ。
視界を塞ぐ遮蔽物を、巨獣が真紅の爪で小蝿を追い払うかのような仕草で薙ぎ払った。
ごきゅり、と奇妙な音と共に綾香の身体が捻じ曲がり、そのまま宙を舞って落ちた。
二度、三度と転がり、誰のものとも知れぬ血だまりに入って飛沫を上げた、その襤褸雑巾の如き姿には
最早、誰も注意を払っていない。
邪魔者を叩き落した巨獣が空中で更に爪を振り上げたその瞬間には、既にセリオの姿はない。
身を屈めたその姿は一瞬の隙に飛び来る巨獣の真下へと潜り込んでいる。
闘牛士が観客に披露するような、紙一重の回避。
勢い余った巨獣が、止まりきれずにセリオの背後に聳える銀色の塔に突っ込んだ。
それは、この山頂で行われた一連の戦闘を通して誰にも見向きもされなかった、奇妙なオブジェである。
人の背丈ほどの大きさの、それは地面に突き刺さった銀色の、優美な曲線を描く塔。
獣の巨躯にぐらりと揺れた塔はしかし、よく見ればその表面には傷一つついていない。
同時、巨獣の腹に押し付けられた機関銃が、火を噴いた。

70 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:02:26 ID:Qa0ikahc0
「あれは、……黒い機体の……腕、か……?」

その銃声にかき消されるように小さく呟きを漏らしたのは、流れ弾を嫌って飛びのいた蝉丸である。
照りつける日輪を反射して燦然と輝く銀色の塔が、元は何であったのかを知っていた、
この場で唯一の人物が坂神蝉丸であった。
記憶は鮮明。それは蝉丸自身と久瀬少年とが夕霧を率いていた、ほんの数十分前の出来事である。
山頂に繰り広げられた殺戮の担い手、砧夕霧の巨大融合体。
長瀬源蔵と古河秋生を葬ったその融合体を完膚なきまでに破壊してみせたのが、黒翼の巨神像であった。
間もなく飛来したもう一体の巨神像、白い機体とのおよそこの世のものとは思えぬ戦闘は、
この神塚山頂において一つの決着をみた。
白の巨神像の放った光が、黒の巨神像の右腕を灼き、落としたのである。
黒白の巨神像は直後に飛び去ったが、落ちた腕はこの山頂に残されたままだった。
その腕こそが銀色の塔の正体であると、蝉丸はようやくにして理解したのである。

「黒い機体、だと……? まさか……」
「その通りだよ、光岡君」

俄かに表情を険しくした光岡の疑問に答えたのは蝉丸ではなく、長瀬源五郎である。
大仰に両手を広げ、ごぼごぼと溢れる血に塗れたまま、にたにたと笑っている。
銃声と咆哮とが満ち始めた山頂に、長瀬の独り言じみた呟きが漏れる。

「神機―――アヴ・カミュ。我が国の決戦兵器にしてオーパーツ。不可侵の禁忌にして超科学の結晶。
 製造年代も、製法も、その目的すら分からない、意思もて眠る黒翼の少女。
 目覚めた途端に空の彼方へ飛び出したのには辟易するが……何ほどのこともない。
 それ、そうして一部は私の手元に残された。それで充分さ。
 ……いや、こうなるとむしろ本体がいないのが好都合とすら言えるかな」

ぶつぶつと呟かれるその言葉は、既に誰に向けられているとも知れぬ。
血液の喪失で遂に姿勢をすら保てなくなってきたか、ゆらゆらと揺れながら掠れた声で
意味の分からぬことを呟く姿は紛れもない狂人のそれであると蝉丸たちの目には映っていた。
蝋人形の如き顔色の狂人が、ずるりと顔を上げ、口の端を歪ませる。

71 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:02:53 ID:Qa0ikahc0
「イルファ、フルバーストだ。データ転送の時間を稼ぎなさい」

その声は、巨獣と相対し牽制と回避を繰り返す女、セリオへと向けられていた。
イルファと呼ばれたHMX-13であるはずの機械人形は正面の巨獣から視線を動かすことなく、
しかしその表情を、明らかに変えた。
彼女を知る者が見れば、一様に驚愕の色を浮かべたに違いない。
それはセリオと呼ばれていた機体が、ロールアウトの瞬間から通しても一度も浮かべたことのない表情だった。
長瀬にイルファと呼ばれたHMX-13は、まるで親に褒められた幼子の如く、朗らかに笑ったのである。
セリオの腹部に埋め込まれ、演算能力を並列処理していたはずのイルファが、いつの間に
その本体たるセリオの身体制御を奪い取ったのか、それは杳として知れぬ。
しかし巨獣の眼前に立つ機械人形は既に、HMX-13の姿をしているだけのHMX-17a、イルファに他ならなかった。
頬を染めて嬉しそうに笑む表情に、セリオとしての意思が存在しないことは瞭然であった。

がちり、と。
かつてセリオであり、いまやイルファとなった機械人形の身体から金属的な音がした。
人工皮膚で覆われた腕や脚に幾つものスリットが入ると、そこから無数の突起が顔を覗かせる。
それぞれに銃口を備え、それぞれに照準を持った、そのすべてが必殺の弾丸を放つ火器類。
来栖川重工副社長、来栖川綾香の誇るそれは秘書兼戦闘サポート用メイドロボ、HMX-13セリオの全兵装。
軽重無数の火器が、同時に火を噴いた。
数百の弾丸が奏でる音は最早爆音に近い。
一面の銀世界が、文字通りの弾幕によって見る間に削り取られていく。

正面、近接戦闘を仕掛けた巨獣が、弾幕の密度にその巨躯を圧され、飛ぶ。
退く動きに合わせて機械人形の照準が移動し、空中の巨獣を捉えた。
巨獣の剛毛は恐るべきことに鋼鉄の弾丸の悉くを噛み捉え、一発たりとも貫き通すことを許さなかったが、
音速を遥かに超過する嵐の直撃は貫通ではなく打撃として巨獣を叩く。
濠、と吼えた巨獣が、弾幕に流されるように大地に落ちる。

72 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:03:33 ID:Qa0ikahc0
同時、動く影は複数。
機械人形の照準は巨獣にのみ向けられていたわけではない。
全方位に向けて放たれた弾丸は、神塚山の山頂に残るあらゆる生命に等しく脅威を与えていた。
無数の砧夕霧がその胸を、頭部を、腕を足を蜂の巣にされて、ぐずぐずと崩れ落ちる。
氷柱に封じ込められたままの夕霧たちもその原型を留めぬまでに破壊されていく。
しかし、ただ漫然と的になることを肯んじぬ者達もまた、存在した。

「この程度ならっ!」
「……わざわざ受けに行くことはないでしょう」

不可視の力を展開する天沢郁未を、鹿沼葉子が呆れたように見やる。
葉子自身は常に弾幕の薄い方向へと遷移しつつ、機械人形から遠ざかる機動。
飛び交う弾丸は二人の力に弾かれ、ベクトルを逸らされて明後日の方向へと飛んでいく。

「来栖川の従者が……どういうことだ?」

不審げに眉根を寄せたのは蝉丸である。
腕の中に夕霧の中枢体を抱いたまま、土嚢の如く積み上げられた骸で作られた遮蔽物の陰に身を潜めている。
人体で構成された壁は、通常の弾丸であればそう簡単には貫通されない。
まして巨獣の吐息によって凍りついたそれは、更に強度を増加させている。
むっと立ち込める死臭と鉄の味のする空気を平然と吸い込んで、蝉丸は静かに機を窺っていた。

「……時間を稼げ、とはな」

不快げに吐き捨てたのは光岡悟。
迅雷の如き疾駆で的を絞らせず、一瞬で状況を判断する眼と頭脳は次なる遮蔽物への移動を躊躇わない。
身を掠る程度の傷は仙命樹の力が瞬く間に癒してくれる。
弾幕に頭を抑えられながらの前進という状況は、正しく強化兵たる彼の本領であった。
光岡が目指すのは、しかし弾幕の中心たる機械人形ではない。

73 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:03:54 ID:Qa0ikahc0
「何を企んでいるかは知らんが……」

最後の遮蔽物から、飛び出す。
機械人形の射線が捉えるのは疾走する光岡の影のみ。
手の一刀が閃き、

「……貴様の思う通りになど、させるものか!」

無防備な長瀬源五郎を断ち割らんと振り下ろされた。
がつり、と。
響いたのは、硬い音である。
長瀬の身体を取り巻くケーブルが、白刃を噛み、そして切り落とされた音であったか。
―――否。
光岡悟の愛刀は、ケーブルの隙間を正確に縫って、長瀬源五郎の身に届いていた。
しかし。

「な、貴様……!?」

その切っ先は、長瀬の身体を貫けない。
ほんの少し前、蝉丸の一刀によって容易く斬られたはずの長瀬の生身は、光岡の刃を何の変化もなく、
平然と受け止めていたのである。
強化兵たる光岡の膂力は常人のそれとは比較にならぬ。
その振るう一刀とて跋扈の剣と呼ばれる大業物の一振り。
集中如何では鋼鉄とて斬り割ると、自負していた。
それが、通らぬ。
何らの変哲もないと見える長瀬源五郎の青白い肌に、傷一つ付けられぬ。
驚愕する光岡の耳朶を、ふるふると震える耳障りな声が、打った。

74 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:04:17 ID:Qa0ikahc0
「……流れ込んで、くるんだ」

言わずと知れた、長瀬源五郎の声。
しかしその声音は、先程までの狂人じみたそれではない。

「流れ込んでくるんだよ、……構造が。原理が、素材が精製法が、すべてが私の中に!」

ある種の歓喜と、そして感嘆に打ち震える、声。
人生で最高の演奏を終えた楽団の指揮者のような、或いは高峰に初登頂を果たした登山家のような、
新記録を打ち立てて表彰台の高みに上ったアスリートのような、万雷の拍手を受ける俳優のような、
或いは、長い祈りの果てに神託を受けた修道僧のような、声。

「私は……私は今ようやく、世界の一番先へ来た。
 最早……私を傷つけられるものなど、この世に存在しないのだよ、君」

それは正しく、勝利者の声であった。
白刃をその身で受け止めたままの姿勢で、長瀬は目線だけを光岡へと向ける。
何か尋常ならざるものをその奥底に感じ取り、総毛立つ光岡の身体に、長瀬の手が触れた。
軽く、埃を払うような仕草。
しかし次の瞬間、光岡の身体が天高く放り上げられていた。

「……転送完了だ、イルファ。ご苦労だったね」

微笑んで、呟く。
声を受けた機械人形が巨獣との戦闘を放棄。
長瀬へと駆け寄ってその身に纏うケーブルと触れたのと、ほぼ同時。
絹を裂くような悲鳴が、轟いた。


***

75 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:04:39 ID:Qa0ikahc0
 
「……どうした、夕霧!?」

突然暴れだした腕の中の少女を抑えながら、蝉丸が声をかける。
しかし夕霧の悲鳴は止まらない。
喉が張り裂けんばかりに叫ぶ少女の、これまでに見せたことのない異様さに戸惑う蝉丸。
と、

「―――神の喚ぶ声が、聞こえたのだろう」

長瀬の言葉が、火のついたような悲鳴を貫くように、凛と響いた。
頬を紅潮させ、背を伸ばして立つその姿には、先程までの死相は感じられない。

「覆製身理論を完成させたのは犬飼博士だ。砧夕霧の量産と群体間の意思疎通モジュールは彼の理論を基にしている。
 しかし……その中核に存在する天才的な発想がどこから生まれたか、分かるかい」

一拍を置き、夕霧の中枢体たる少女の悲鳴に身を浸すように眼を閉じる。

「そう……神機だよ。発掘された機体を研究する内に判明した未知の技術。
 現代科学の領域を超越したあり得ベからざる情報の塊が、犬飼博士の理論の中核をなしている」

見開いた瞳に宿るのは、圧倒的な自信と英知の光。

「そして今、神機―――アヴ・カミュに秘められた力と記憶の総てを、私は手に入れた。
 神機より生まれた覆製身たち……神の落とし子たる哀れな贄の羊は、神へと還ってその肉と成る」

柔らかい笑みをすら浮かべた長瀬源五郎の手が、静かに天へと掲げられる。
骨ばった指が小さく打ち鳴らされた、それが合図であったかのように。

銀世界が、真紅の一色へと染め替えられた。


***

76 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:04:53 ID:Qa0ikahc0
 
それは、肉であり。
そしてまたそれは、血であった。

立ち尽くす者がいた。
倒れ伏す者がいた。

命ある者がいた。
息絶えた者がいた。

林立する氷柱の中に、
土嚢のように積み上げられた中に、
少女たちがいた。

ある者はその手足を喪失し、
ある者は内臓を散乱させ、
ある者は頭蓋を砕かれて、
少女たちの骸が、いた。

生きる少女たちと、死せる少女たちが、その山の頂にはいた。
そこに、血と肉とが、あった。

数百の少女たちの、
数千の少女たちの、
数万の少女たちの、

血と肉とが、一斉に、融けた。


***

77 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:05:09 ID:Qa0ikahc0
 
その山の頂を覆うのは、悪夢である。
言い換える余地のない、それは万人にとっての、悪夢であった。

痩身の男の、ただ指を鳴らした音の一つで、数千の少女たちと、それに倍する少女たちの骸が、
その存在を、やめていた。

爆ぜたのではない。
死したのではない。

生きる者は生きたまま、死せる者は倒れ伏したままで、その在りようを、変えた。
そうしてそれは、人の形をしていなかった。
ただ、それだけのことだった。

人であったものが、人でなくなるという、ただそれだけのこと。
少女たちが赤くどろどろとした、不定形の何かへと変じたという、ただそれだけのことが、
世界の意味を塗り替えていた。

赤くどろどろした、少女であったはずのものが、うぞりと動くたび、現実が色を失っていく。
ふるふると震え、その半透明の身を這いずらせるたび、世界は悪夢へと近づいていく。

数百の、赤くどろどろしたものが、現実を犯していく。
数千の、赤くどろどろしたものが、世界を貶めていく。

数万の、赤くどろどろしたものが、その山の中心に向けて這いずり、集った刹那。
世界に、新たな悪夢が生まれていた。


***

78 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:05:36 ID:Qa0ikahc0
 
「―――ああ、ああ」

濛々と立ちこめる土煙の向こうに、影があった。

「生まれ変わるとは―――」

常軌を逸した、巨躯。
蒼穹の下、一杯に見上げてなおその全体像を見渡すことすら叶わない。

「―――これほどに、素晴らしい」

砧夕霧の集合体たる巨人よりも、更に数倍して大きい。
小さな身動きが、土煙と地響きとを起こし、山を崩していく。

「人機がその境界を越え、新たな時代を切り開く―――」

大地を踏みしめるのは、それ自体が巨大な建造物の如き四本の脚。
四脚が支えるのは、山頂全体を覆うように広がった、金属質の巨大な胴体。

「私こそが、その先駆者であり―――頂点」

胴から生えるのは、八つの影。
それは、一体一体が、巨大な彫像である。
壮健な男の像があった。美しい女の像が、そして可憐な少女の像があった。

「ようやく、辿り着いた」

ある彫像は双剣を携えている。
その隣では長槍を、或いは大剣を、或いは刀を、手に手に得物を構えた、八体の巨人像。
それが皇と呼ばれた男を支えた英雄たちを象ったものであると、知る者はいない。

「約束の、場所」

79 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:05:55 ID:Qa0ikahc0
英雄たちの像が囲む中心には光が湛えられている。
空を往く鳥が見下ろせば、それを光の海と見ただろうか。

「私はようやく娘たちの―――」

光の海の中、長瀬源五郎の声が響く。
降り注ぐ日輪を反射して煌く、その胴体を上から見れば、巨大な鎧のようでもあった。
或いは途方もなく巨大な神殿の周囲に、八体の巨人がその腰から下を埋めているが如き姿。
或いは、

「―――本当の父と、なったのだよ」

或いは、八頭の、巨龍。


***

80 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:06:12 ID:Qa0ikahc0
 
坂神蝉丸が腕の中、ぐったりと倒れたまま動かぬ、ただ一人だけ赤い異形と化さずに残った、
砧夕霧と呼ばれた少女の生き残りを抱いたまま、巨龍を見据える。
光岡悟が、天沢郁未が、鹿沼葉子が、川澄舞と呼ばれた巨獣が、山の中腹では水瀬名雪が、
言葉もなく、静かに己が牙を研ぎ澄ます。

殺戮の島に繰り広げられた狂宴の、最後の戦いはまだ、終わらない。


***

81 十一時三十四分/悪夢顕現 :2008/09/17(水) 15:06:31 ID:Qa0ikahc0
 
 
【時間:2日目 AM11:36】
【場所:F−5 神塚山山頂】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:異常なし】
砧夕霧中枢
 【状態:不明】

砧夕霧
 【全滅】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、尾部欠落(修復不能)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:凍結、瀕死、出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、意識不明、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:生死不明(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】

セリオ
 【状態:不明、長瀬と融合】
イルファ
 【状態:長瀬と融合】

→890 902 969 1005 ルートD-5

82 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:30:10 ID:kZsTBTYo0
「はぁ、はぁ、はぁ、は……っ……!」

 暗く、所狭しと日用品が詰め込まれている部屋の中で激しく呼吸する、一人の少女の姿があった。
 伊吹風子。仲間達の命と引き換えに生き延びる責務を負わされた人間。
 由真の叫びに押されるようにしてここまで逃げてくることが出来た。それはいい。

 だが、どうする。どうやって敵を討つ?
 手持ちの拳銃、残弾があるかどうか。最悪の場合あの時誤射してしまったあれが最後の一発だったという可能性もある。
 サバイバルナイフ。しかしこれでは重火器に対抗することはとてもじゃないが出来るとは思えない。
 圧倒的に戦力が不足していた。
 せっかく仲間達が命を振り絞ってまで逃がしてくれたのに、立ち向かう力が残っていないなんて。

 悔しさと同時に、涙が溢れそうになる。
 あまりにも不甲斐なかった。お姉さんとして、皆を守ると誓ったのに。
 守るどころか逆に助けられてばかりで、今もしていることといえば打つ手がなくてうずくまっているだけ。
 自分の無力さを改めて思い知った。
 結局、自分なんて居ない方が由真も花梨も、みちるも朋也も死なずに済んだのではないか。

 自分さえいなければ。
 自分さえ――

 目尻に涙が溜まりそうになった、その時。風子はふと懐が暖かくなっているのに気付く。
 何だろうと思い、服をまさぐる。果たしてその原因は簡単に見つかった。
 宝石が、しっかりしろとでも言わんばかりに僅かな光と、熱を帯びていたのだ。
 同時に、声が脳裏を過ぎる。

 敵を取れと、自分の無念を晴らしてくれと主張する由真の声。
 自分に代わって、その謎を解き明かして欲しいと憂いを含んだ花梨の声。
 足手まといにならなかったか、皆の足かせにはなっていなかっただろうかと不安を持つみちる。
 一瞬でも仲間を信用していなかったことを悔やむ朋也の後悔。

83 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:30:34 ID:kZsTBTYo0
 口では語られなかった各々の心情が風子に聞こえる。
 やはり満足ばかりではなかった。無念の声はあまりにも大きかった。
 行動の一つ一つが思い通りにいかず、それでも良い未来に導こうと必死で足掻いた。
 だが、結果として悪い方向へ向かってしまった。
 どんなに考えて考えて、苦悩して行動しても、またそれは誰かを苦しめる。
 そんな風にしか生きられない。

 けれどもその生き方を、無知だ愚かだと軽蔑することが誰に出来るだろうか。
 きっと未来に繋がると信じて、希望を捨てなかった彼らのどこを責めることが出来ようか。
 なのに、自分は希望も可能性も捨てて、自棄になって閉じ篭ろうとしている。
 それでいいのか。自分は無力だと分かったつもりになって、可能性を閉じてしまっていいのか。
 自分が責められたくないばかりに、罵られたくないばかりに綺麗を装っていいのか。

 そんなのはいやだ、と風子は思った。
 もう一度考える。彼らの望んだ、恥ずかしくない生き方とは何だ? それは……
 逃げ続けるしか、ない。

 残念だが、今の風子では太刀打ち出来ないのは事実である。
 だから、一旦退いて体勢を立て直す。
 勝機もなく立ち向かうのは勇気ではない。ただの自殺志願者であり、生きることを諦めた人間だ。
 幸いにして、風子には才能とも言える足の早さがあった。
 一気に山の麓まで駆け下り、ある人物との合流を図る。

 古河渚。今や数少ない、風子の知り合いであり、友人である人物である。
 天沢郁未は危険人物だとうそぶいていたが、彼女が殺し合いに乗っていたということが判明したことで、却ってその情報が嘘である可能性が高くなった。
 何故なら、乗った人間が恐れるのは、敵が徒党を成して向かってくるということなのだから。
 よし、と風子は腹を決める。
 恐ろしいほど頭の回転が早い。やることさえ決まってしまえば、後はそこに突き進むだけなのだから。

84 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:30:53 ID:kZsTBTYo0
「……念には念を入れます。備えあれば憂いなし、です」

 逃げるにしたって相手の追撃を振り切る程度の装備は欲しい。倒せなくていい。足止めできるレベルであれば十分だ。
 ここには日用品(ホテルで使っていたものだろう)がずらりと並んでいる。それらを使えば、何とかならないこともない。
 無論、勝機を掴めそうなものがあればそれを逃すつもりはない。
 大切なお友達を奪っていった殺人鬼を許せるほど、風子は大人じゃないんです。
 それは風子に初めて芽生えた闘争心であり、復讐心でもあった。

 取り合えず頭の中で持っていきたいものをリストアップし、ちょこちょこと小動物のように動き回り部屋を物色していく。
 現代のねずみ小僧である。
 そして、風子自身でも拍子抜けするほどあっさりと、目的のモノを次々と見つけることができた。
 ストッキング、接着剤、糸(本当は釣り糸が欲しかったが、代替品にはなる)、バルサン、ゴム糸。
 そんなに数は持っていけないが、種類としては十分過ぎる。

 手早くデイパックに詰め込むと、背中に背負い直す。
 重量的にはそんなに足枷になるまい。
 最後にグロック19を手に持ち、いつでも発砲できるように備えておく。無論、上手く撃てるかどうかは分からないし、残弾を確認できない以上、全く信頼はできない。

「……」

 由真を撃ってしまった時の記憶を、図らずも思い出してしまう。
 トドメを刺したのは郁未だが、致命傷を与えたのは風子に他ならない。あの時、気を緩ませてしまったせいで。
 由真は許してくれると言ったが、風子の心には依然として罪の意識が重く圧し掛かっていた。
 あそこでミスを犯さなければ。僅かな可能性なれど生きて帰れることが出来たかもしれないのに。
 人ひとりの人生を奪う一因となってしまったことは、どんなに悔やんでも悔やみきれるものではない。
 きっと、復讐を果たしたとしても。

 しかし懺悔をする時間は風子には残されていなかった。残酷なまでに使命が彼女を追いたて、遠ざける。
 それがきっと風子の罰なのだろうと、贖わなければならない罪なのだろうと風子は思った。
 だから、今は。

85 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:31:13 ID:kZsTBTYo0
「風子、行きます」

 走り続けることが、彼女の責務だった。

     *     *     *

 七瀬彰は、二階へと通じる階段を登りきった、その近くにある観葉植物の陰に隠れていた。
 言うまでもないが、彼は怯えて隠れているわけではない。
 二階の一部廊下は吹き抜けとなっており、さらにそこからは本来ある階段とは別に特別に設置された一際大きな階段が一階へと伸びている。
 彰が選んだのはそれが理由。
 この場所からはややギリギリの角度ではあるが階下のロビーも一応見渡せるし、左右の階段、エレベーター(機能はしてないだろうが)も見渡すことが出来、視界も良好だ。待ち構えるには絶好の場所と言える。

 ……が、既に彰は二人ほど人が階段を登っていくのを見逃していた。というより、見つけたけれども見逃したのである。
 階段を凄まじい勢いで登っていった上に、片方は奇声を撒き散らしながら火炎放射器を乱射し(危うくこちらにまで燃え広がりそうになった、ちくしょう)、片方は先程も戦ったあのおっかないツインテール少女。
 苦戦した強敵がいる上にあのような危なっかしい武器を相手に(しかも狂人)戦うのは流石に辛い。加えてもう左腕が思い通りに動かせなくなってきている。無理をすれば何とかなりそうだが、正直咄嗟の事態に反応できそうにはない。
 よく三つ巴で戦えたものだ。それどころか三人とも痛み分けで終わらせられたのが奇跡ではなかろうか、と彰は思う。

 ともかく、もうこれ以上無茶は許されない状況になってきた。イングラムの弾数が心細いことになってきたのもある。
 M79はまだ弾薬が残っているがこれは集団戦で使うべきものではない。一対一で使うべき代物だ。
 威力は既に確認済み。思った通り、そんなに範囲が広くない。あの少女(水瀬名雪)にさえ破片弾では致命傷が与えられなかったくらいである。

 狙いは一つ。
 まだ確実にここに潜んでいるであろう、ホテルの奥に逃げ戦闘を回避していった人物達の抹殺だ。
 特に以前逃した二人はロクな装備をしていなかったはず。狙い撃ちに出来るはずだ。
 イングラムを腰溜めに構え、注意深く誰かが出てこないか観察する。
 中々様になってきたな、と彰は思う。フランク叔父さんのところでアルバイトをしていたときからは考えられないくらいのアウトドアっぷりだ。

86 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:31:48 ID:kZsTBTYo0
 そういえば、叔父さんは今頃どうしているだろうか。急に来なくなった自分を心配しているだろうか。
 あの人は寡黙だけど身内に甘いところがあるしなあ……
 そのまま意識をかつての日常に向けかけたところで、彰の耳にたったった、という軽く何かを叩くような音が聞こえた。

「っ!? しまった!」

 思わず立ち上がり、慌てて階下を見渡す。そこにはロビーを一直線に横切る、小柄な少女の姿があった。

「わ……っ!?」

 彰の大声に気付いた、伊吹風子がイングラムを構えた彰の姿を見、驚いたように大口を開け……脇目もふらず、更に加速しつつ逃げ出す。
 しくじった、と彰は思った。
 ぼーっとしていたせいだ。己の馬鹿さ加減に呆れつつ、この位置から射撃しても風子には当たらないと判断した彰は飛ぶように階段を飛び降りていく。
 逃げていくのであれば追わないという手もあったものの、風子は自分が殺し合いに乗っているということを知っている。
 口封じと、少しでも武器を回収したい意味合いも兼ねて彰は追うことにしたのだった。

「くそっ、意外と足が早い……追いつけるか……?」

 が、風子はそんなに簡単な相手ではなかった。小柄なくせに、驚くほどすばしっこい。まるで小動物だ。
 試しにイングラムを撃ってみるか? と考えたその矢先、床にあるものが放置されていたことを思い出す。

「あれが使えるなら……」

 彰は、それがあった場所へと駆け出した。

     *     *     *

87 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:32:29 ID:kZsTBTYo0
 ひとつ、声に反応するものがあった。
 闇の中でピクリと反応したそれはうずくまる少女であり、闇の一部でもあった。
 日が落ちて夜に混ざっていく影のように、影のように、少女はただ自らの存在を薄く、透明に、しかし漆黒の殺意を以って潜み続けていた。

 水瀬名雪。
 彼女もまた彰と同様に二階にある小部屋の一つに身を隠し、好機を窺っていた。
 全身に負った細かい傷は、確実に名雪の行動に支障をきたしている。
 痛みも、苦しみも、それすらも気に咎めずただただ殺戮行動にのみ没頭する名雪の頭脳だったが、それは決して彼女が思考を捨てたということを意味していない。
 より正確に、より効率的に人を殺す方法を考え出すことに特化しただけだ。そのために感情すら捨て去った。

 いや、ただ一つ残しているものがあった。
 愛する存在である相沢祐一を守り、彼と一緒になり、この悪夢から脱出し、幸せな生活を取り戻す――その願いだけを。

 待つのは名雪には慣れていたが、受け入れられるものではなかった。
 あまりにも辛く、長く、苦しい。
 それでも待ち続けていれば、我慢をしていれば神様はきっと願いを聞き届けてくれるはずだと信じてきたときもあった。
 だがそれは裏切られるだけだと知った。この島が世界は悪意と欺瞞に満ちていると教えてくれた。
 本当に欲しいものは、奪うしかないのだとも。

 だから名雪は、奪う側になることを決めた。
 あっけなく潰される雪うさぎになることを拒んだ。

 わたしは、祐一だけいればいい。
 それ以外の何もいらない。
 たった一つだもの。一つだけなんだから、どんなことをして手に入れてもいいよね?
 祐一には誰も近づけさせない。誰にも奪わせない。
 その前に、わたしが奪っちゃうんだから――

88 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:32:49 ID:kZsTBTYo0
 そうして彼女の目は、愛しの彼を奪おうとする全てのモノに向けられるようになった。
 全ての愛を彼に向け。
 全ての憎悪をそれ以外のモノに向けて。
 水瀬名雪はただ、純粋となった。

 その均衡の要因……相沢祐一が既に命を落としていることも知らずに。
 彼女はまた走る。
 奪うために。彼女の望んだ世界を手に入れるために。
 走る。
 辿り着いた先は二階、ロビーが広く見渡せる廊下。

 彼女の見据える視線の先。一人の人間がいた。
 それは七瀬彰と呼ばれる、殺人に身を染めた青年。
 彼は何も気付いていない。監視する者もまた、監視されていたということに。
 名雪は何も感想を持たない。動く人だから、殺すだけだった。
 ジェリコ941を向ける。倒れるまで名雪は撃ち続けるだけだ。
 指がトリガーにかかる。彼女が狩りを始める。一方的な狩りを。

 だが――
 名雪は一歩身を引く。そこに一陣の風が凪ぐ。
 名雪が踏み込み、豪風の元となったモノを力任せに手繰り寄せる。
 虚を突くような行動に、持ち主は見事に引っかかり手放してしまう。
 名雪が反撃に転じる。奪った得物を振り回し、獲物を一突きにせんとする。

 獲物は、狩られる存在ではなかった。
 続け様に取り出す武器で、名雪の攻撃を弾き返し距離を取る。
 名雪はジェリコを構える。
 相手も拳銃を構える。
 銃声は同時だった。しかし放たれた銃弾は、お互いの肉体を引き裂くことなくそれぞれの脇をすり抜けていく。
 お互いが回避を視野にいれて行動した結果であった。

「ちっ、流石にあの暴力女を退けただけのことはある……か」
「……邪魔、だよ」

89 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:33:07 ID:kZsTBTYo0
 片手に薙刀、片手にジェリコを持つは水瀬名雪。
 片手に鉈、片手にM1076を持つは天沢郁未。
 二人の美しき戦乙女が、そこに対峙する。
 先程の激しい攻防とは一転して、今度は二人とも動こうとはしなかった。
 二階の廊下は動き回るにはいささか狭く、連続した攻撃を避けるだけのスペースが殆どないということもあって下手に動けなかったのだ。

 先に動いた方が不利。
 動くなら同時。

 瞬時に二人ともがその結論に達していたことは彼女らのレベルがほぼ同じであることの証拠だった。
 しかし郁未には若干の余裕があった。
 倒せなかったとはいえ、あの那須宗一と引き分けに持ち込めた自分の力量。
 そして十波由真と笹森花梨を殺害したことで手に入れたいくつかの武器。
 名雪がどれだけ武器を持っているかは存ぜぬが、互角以上に渡り合える自信はある。
 焦る必要はない。じっくりと敵の挙動を見定める。

 それが郁未の方針だった。
 郁未の微動だにせぬ様子を、名雪も観察する。
 即座に、相手から動くことはないと結論づける。
 ならば、自分の絶対武器とする領域で先に仕掛ける。

 目を少し移し、自分達がいるこのフィールドを名雪は観察する。
 一階へと続く階段への距離は、互いに2メートル前後といったところか。
 ひとつ走り込めば、容易に広く戦える場所へと移動は可能だ。
 その時間が確保できるか。
 郁未に勝つためにはそこで戦うことが必須の条件だと考えた名雪は少し考えて、策を練り上げる。

90 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:33:42 ID:kZsTBTYo0
 決まれば、行動は迅速だった。
 すっ、と名雪は郁未から奪い取った薙刀を突き出すように構える。もちろん、全然届くはずもない。
 目を細める郁未。仕掛ける、とは思ったが何をするのかが予測出来なかった。
 投げるにしても突き出していたのではどだい無理な話。
 突進するかとも考えたが、拳銃に蜂の巣にされるのが落ち。
 そもそも、動くなら相手に向かってではなく、逃げる方向に動くのが定石――

 そこまで郁未が考えたところで、ついに名雪が『動』に転じた。
 パッ、と名雪の手から薙刀が離れる。一瞬、郁未はそれに気を取られ凝視してしまう。
 それが名雪の狙いだった。
 不可解な挙動で相手に考えさせ、一つアクションを起こしてそれに気を取らせる。
 フェイントの応用だった。祐一と遊ぶときに、彼がよく使う手段でもあった。

 僅かに反応が遅れる郁未。それだけで十分だった。
 猛獣の如き勢いを以って名雪が駆ける。M1076の狙いはまだ付けられていなかった。
 その間に手すりに飛び乗り、滑るようにして階下へと下る名雪。

「く!」

 苦し紛れにM1076を連射しようとした郁未だったが、ここで彼女が一つミスを露呈する。
 放たれた銃弾は一発のみで、それ以降は空しい弾切れの音だけが響いた。
 新しく武器を手に入れ、チェックすることにかまけていたお陰で銃弾の再装填を忘れていたのだ。
 当然、一発発射された銃弾も当たるわけがなく。
 一階へと降り立った名雪がお返しとばかりにジェリコを連射する。
 見事に策にかかってしまった郁未だが、彼女とて不可視の力の持ち主であり、激戦を潜り抜けてきた猛者である。

「ナメてんじゃないわよ!」

91 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:34:22 ID:kZsTBTYo0
 撃たれた弾は三発。
 先に撃った二発の銃弾はあらぬ方向へと飛んでいったが、最後の一発が正確に郁未の胸を捉えようとしていた。
 だが郁未は、半ば神懸り的な勘で弾道を読み、鉈の刃でそれを受け流したのだ!
 そのまま階下へと突進。更に迫る銃弾をことごとく回避し、郁未が鉈を振るう。
 銃を撃っていたことで動きを遅らせた名雪だが、ギリギリのところで鉈を避ける。
 だが髪までは避けきることが出来ず、パラパラと少なからぬ髪が宙を舞う。

 この機を逃さず、さらに追撃。
 弾切れになったM1076を投げつけ、防御体勢を取らせたところで回し蹴りを見舞う。
 下腹部にまともに命中した名雪だが、大きく後ずさったのみで転倒するまでには至らず、再び距離を取ろうと後退を始める。

 郁未は新たに銃を取り出そうとはしなかった。
 彼女の戦いの大半は薙刀や鉈による肉弾戦が主体で、本人もそちらが相性が良いと考えていた。
 僅かながらに残った不可視の力もそれに一役買っている。銃撃はやはり、集中力もないと上手くいかないのだ。
 鉈を大きく振りかぶって、横薙ぎに首を狙う。
 後退しつつも油断なく構えていた名雪は前転して避ける。が、それで隙を見せるほど郁未は甘くない。

「おっと」

 鉈を振ったときの反動を利用し、そのまま回転を加えながら再び鋭い蹴りを叩き込む。
 これまたクリーンヒットした名雪は今度こそ大きく弾き飛ばされ、転倒させられる。
 郁未は間を置かずに攻め込み、既にトドメとなりうる鉈の一撃を上方に振り上げていた。
 だが自分の命を奪うであろう凶器を目の前にしても名雪は淡々と行動を続けるだけだった。
 冷静に、そして的確な狙いを以って懐から取り出した『ルージュ』を向ける。

「!? っぐぅ!」

 何かを取り出し、こちらに向けていることを瞬時に理解した郁未は慌てて動作をストップさせたものの、名雪の方が一歩早かった。
 ルージュ型の銃から放たれた渾身の一発は郁未の脇腹を僅かに抉り、ダメージを与えていた。
 後一秒でも遅ければ弾は郁未の中心を貫いていただろう。
 死ななかっただけマシとはいえ、その奇襲は彼女を激昂させるには十分だった。

「殺して……やるッ! 絶対にッ!」

92 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:34:40 ID:kZsTBTYo0
 額に青筋を浮かび上がらせ、緩みかけていた腕にありったけの力を篭める。
 名雪はもう立ち上がっていたが、関係ない。どこまでも追い詰めて斃すだけだ。
 逃げるように駆け出した名雪を、続けて郁未も追う。

 かけっこか。やってやろうじゃないの。よーい……どん!

 郁未が不敵な、どこまでも狡猾で凶暴な笑みを浮かべて、二人の走り合いが始まる。
 普段があんな性格だったとはいえ、曲がりなりにも陸上部の部長を務めていた名雪と、不可視の力を持つ郁未。
 速力だけで言えば、これも二人は同レベルだった。
 思っていた程には差を詰められず、じりじりとした苛立ちが郁未の中に積もってゆく。

(く……それにしても、どこまで行く気よ)

 郁未はホテルの入り口を背にしていたため、必然的にホテルの奥へしか逃げられないのは分かる。
 だが小部屋に逃げるでもなく、隠れてやり過ごそうという意思が見えない。
 また策か? 郁未の中に疑心が芽生えるが、そうやってやられてきたことを思い出す。
 誘い出そうとしているのかしら? ……まさか!

 ハッと郁未に一つの可能性が浮かぶ。
 まだこのホテルの中には戦っている人間がいる。七瀬留美と、他にも誰かがいるはずだ。
 そいつらと鉢合わせさせて、同士討ちにさせる……これが名雪の策に違いなかった。
 なら、それにむざむざ引っかかってやる義理はない。予定変更だ。

 追っていた足を止め、踵を返すと郁未は元いた一階のロビーに直行する。
 今までの探索の結果、出入り口は一階の正門しかないことが分かっている。
 実に雑で手抜きなホテルだと呆れるばかりだが、戦うにはここまで好都合な場所もない。隠れるにも好都合な場所でもあるが。
 ともかく、そこで待ち伏せすれば自ずと名雪はそこに来る。いくら誘い込もうが、出入り口で待ち伏せされればどうしようもあるまい。
 いざとなれば逃げ出せばよい。

93 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:35:09 ID:kZsTBTYo0
(そんな気は、さらさらないけどね)

 じくじくと痛みを発している脇腹を押さえる。
 出血はほぼないが手傷を負わされたことは郁未のプライドに障った。
 何としてでも、あの小娘は殺す。
 その決意を込めて、辿り着いた先……ホテルの出入り口の前で郁未は仁王立ちして名雪を待つ。
 無論、投げつけたまま放置していたM1076はしっかりと回収し、リロードも忘れずにしておく。

 さあ、来い。壮絶にブチ殺してあげるから。
 そうして待つ。ただ待つ。恋焦がれるように。
 奇妙な、しんとした静寂が包み込んでいた。
 先程まであった戦いの鐘は鳴ることなく、不思議な暑さと塵のようなものが空中を飛んでいるだけだった。

(……暑い? いや、これは)

 体温が上がっているのではない、と思った。暑くなっているのは……このホテルだ。
 理由はすぐに察しがついた。あの放火女の仕業だろう。あちこちに火を放っているのなら、そりゃ暑く……いや、熱くなる。
 ますます好都合だと郁未は己の作戦が上手くいくことを確信する。
 この様子では隠れていようが、いずれ火に追い立てられて飛び出してくるに違いない。

 やはり狩人は、こちらなのだ。
 惑わしてくれたが、最終的に勝つのはこちらだ。我慢比べと行こうじゃないか。
 また我慢か、と郁未は思ったが今度は逃げるための我慢ではない。勝利するための我慢だ。

 そう考えると、自然と気分が昂揚してくる。
 早く、早く出て来い。この血が滾らないうちに。
 そうしてふと見上げた視線の先。

「……はっ、やっぱり、私の勝ちね」

94 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:35:40 ID:kZsTBTYo0
 二階、階段の上に一人佇む、水瀬名雪の姿。
 実は郁未の予測は当たっていた。
 身体能力に関して郁未の方に分があると考えた名雪は七瀬留美と交戦させるべく走り回っていたのだが、意外と早く郁未が意図に気付いてしまった。
 ならば戦術を元に戻し、待ち伏せに切り替えようとした名雪だったが、そうはいかなかった。
 どこかで火が放たれたのか、炎がホテル各所に燃え広がっており、已む無く脱出するしかないと判断したのだ。
 ついでに放置されている薙刀を拾ってから脱出しようとした名雪だったが……拾った先に、待ち構えていた郁未に発見されたのだ。

「ラストバトルと行こうじゃないの!」

 郁未がM1076を持ち上げ、名雪がジェリコを持ち上げる。
 最初の刺し合いに戻ったかのように、二人の取った行動は同じであった。
 数十メートルの距離を置いて交差する弾丸の群れ。まずは銃撃戦のセオリーとして、敵の射撃に当たらぬよう回避しながら撃ち続ける……はずだった。名雪を除いて。

 あろうことか、臆することなく名雪は射撃の雨の中を突っ切ってきたのだ!
 死をも恐れぬ名雪の行動に、郁未は驚愕しつつもさらにM1076を連射する。

 近寄ってくれば、当然相手との距離も縮まる。即ち当たりやすくもなる。
 名雪に弾丸が命中するのもまた必然だった。連射した二発の弾丸が名雪の腹部ど真ん中へ命中する。普通ならば致命傷である。
 が、何も策もなく突進するほど名雪は無謀ではなかった。彼女が突っ切れて来れたのは身に纏っていた衣服――防弾性能のついた割烹着――のお陰だった。
 多少足を遅らせたものの、前進を止めることはできなかった。

 撃たれても平気で攻め込んできた名雪に今度こそ郁未は動揺し、切磋の判断を誤る。
 弾切れを確認するため残りの弾数を確認しつつ撃っていたのだが、迫る名雪にカウントを忘れてしまう。
 薙刀を構える名雪。射程に入るまでは残り数歩。焦った郁未がM1076を撃とうとしたが、カチリと響く弾切れの音。
 しまったとデイパックを無理矢理下ろし、中に手を突っ込むが、中身を取り出すよりも早く名雪が攻撃動作に入った。

 ガツン、という鈍い音と共に名雪がM1076を叩き落す。「あうっ」と郁未は短い悲鳴を上げる。
 勝利はわたしのものだよ、と名雪は確信する。
 リロードを行うはずだったM1076はその手から零れ落ち、仮に鉈を取り出そうにも薙刀の方が射程が上だ。
 郁未の攻撃は届かない。

95 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:36:31 ID:kZsTBTYo0
「腕ごと叩き落さなかったことを、後悔するのね!」
「!?」

 が、郁未が取り出したのは予備弾でも鉈でもなかった。
 彼女にとっての虎の子、トカレフTT30が郁未の手の中に握られている。既にトリガーは指にかかって。
 裏をかかれたのは名雪の方だった。この近距離ならば外さないと向けられた銃口は、名雪の肩に向かっていた。

「……っぐ!」

 実に久方ぶりとなる悲鳴が、名雪の口から漏れ、どすんと尻餅をついてしまう。決定打だった。
 立ち上がろうとした名雪の鼻先に、つんと生臭い匂いのする鉈の刃先を突きつけられる。
 郁未の行動は迅速で、容赦がなく、また冷静だった。
 弾丸は無駄に消費しない。しかし立ち上がらせる暇も与えない。

 それでも必死に反撃に転じようとする名雪が薙刀を持ち上げるが、もう鉈は振り上げられていた。
 終わりだ。今度こそ郁未がトドメを刺さんとしていた。
 けれども、またもや予想外の要因に阻まれた。
 ドン、と地響きのように足元が揺れてバランスが崩れてしまう。同時に、耳をつんざくような大音響。

「うわっ!?」

 爆発か!? と郁未が思ったときには、既に名雪は脱兎のごとく駆け出していた。
 しまったと狼狽した郁未だが銃を取り出すにはいささか遅すぎた。
 それに揺れは続いており、とても狙いの付けられる状況ではない。
 く、と歯噛みしながらその背中を見送るしかなかった。

96 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:37:02 ID:kZsTBTYo0
 ここまで追い詰めておきながら……と郁未は怒りも露にホテルの奥を見やる。
 どこの誰だか知らないが、余計なことを!
 またもや『予想外』に妨害された郁未はその元凶を始末すべく、鼻息も荒く階段を駆け上がる。
 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! どこまでも私の邪魔をして、許さん! 叩き殺してやる!
 郁未の憤りは、もはやこの場全ての人間を抹殺するまで収まりそうもなかった。

     *     *     *

 ホテル三階の構造は、少し特異な作りになっている。
 中央部分に大宴会どころか結婚式の披露宴まで開けそうな大会場があり、その周りを取り囲むようにして廊下が繋がっている。
 他に部屋は殆どなく、披露宴の会場前にエレベーターがあることと小規模な部屋がいくつかと、自販機が数台あるだけだった。
 その廊下を、疾走する二人の女の姿があった。

「あはっあははははっははははっははぁぁぁああぁあぁ、いひ、いひひっひひ、全部全部燃え、燃え、大火事だぁ〜!」
「くっ……まともに近づけない……!」

 荒れ狂う炎の嵐の中、汗と涎、涙で全身をぐしょぐしょにしながらも狂乱の様相を呈して火炎放射器を放ち続ける小牧愛佳と、追う七瀬留美。
 既に三階はあちこちが炎に包まれていた。

 スプリンクラーはまともに機能せず、消火器もない状況で火は燃え広がる一方であった。
 熱気に押されて七瀬はSMGⅡを向けることもできず、放射器の燃料切れを待とうにも一向に収まる気配がない。
 愛佳の動きも徐々に緩慢になりつつあるが足の動きは止まることを知らず、前進しながら炎を撒き続けている。
 実に埒が明かない。七瀬はイライラを感じつつも何も出来ない自分に腹立っていた。

(何よ……なんなのよ、これは。この私が、七瀬留美がこんな小汚い悪党相手に手こずっているなんて……っ!)

 怯え、隠れ、逃げ惑ってこちらを悪だと決め付け、隙を見せれば手のひら返して殺そうするような奴に。
 自らが絶対の正義だと信じている七瀬は狂ってしまった愛佳の心情など意に介しようともしない。
 そもそも彼女と合流しようとしたのだって自分は戦う正当な権利を所有しているのだというお墨付きを手に入れようとしていたからで、愛佳はそのための道具とに過ぎなかった。そんな風に心の奥底で見下していた彼女が人の心情を察することが出来ないのは当然であった。

97 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:37:22 ID:kZsTBTYo0
 本来、七瀬とてこのような人物では、決してなかった。
 少々ガサツでも人を思いやり、いたわり、優しい心を持って接することの出来る紛うことなき『乙女』である。
 しかし、この島の異常な空気が彼女を変えてしまった。

 放送で何人もの友人の死を知らされ、何度も襲われ、そして……恋心を抱いた相手まで目の前で奪われて。
 絶望感と憎しみでいっぱいになった彼女が正気を保とうとするには、このような歪んだ心を持つことになるのは必然だったのかもしれない。
 七瀬には、悲しみと重圧で押し潰されそうになったときに本当に支えてくれる人がいなかった……否、奪われたのだ。
 七瀬留美という人間はあくまで少女であり、年相応の精神を持っていた。耐えられるわけがなかった。

 だがそれを弱いと言い切ることが出来ようか?
 たまたま、彼女には運と、時間と、ほんの少しだけの勇気が足りなかっただけなのだ。
 それを責めることなど誰にも出来はしない。彼女もまたこの島の、被害者であった。

「ぐっ……この……アホんだらァ!」

 閉じた室内で火災が発生していることにより、猛烈な勢いで室温が上昇し、煙も出ている。
 このままでは焼け死ぬか、煙に巻かれて動けなくなって死ぬかの二択しか残されていなかった。
 業を煮やした七瀬が、熱さでくらくらする頭を叱咤しつつSMGⅡではなく、デザート・イーグルを取り出す。
 このでかく、ゴツい拳銃ならば炎の中でも真っ直ぐに突き進むだろう、そう考えて。
 連射力に頼らない、初めての射撃。そのせいなのかいい加減に狙いをつけることはせずにしっかりと両足で床を踏みしめて構える。

「頭ブチ抜いてやるわっ!」

 啖呵を切るような一声と同時、轟音が響いて愛佳へと向かってマグナム弾が飛来する。
 頭を狙うと言いつつ、実際は体の中心へと狙いは向けられていた。それが本能か、たまたまなのかは分からぬが、とにもかくにもそれが功を奏した。
 心臓にも肺にも、放射器の燃料タンクにも弾丸は命中こそしなかったが、しかし左腕を一直線に貫く。
 突如襲い掛かってきた痛みに愛佳は奇声と悲鳴を織り交ぜた声で叫ぶ。

「いぎぃぃぃいいいぃぃぃぃいいいいぃ! い、いたいの、いたいのやだやだやだやだやだやだぁ!!!」

 駄々をこねて泣き喚く子供のように声を張り上げながら、痛みの元凶となったものを血眼で探す。原因はすぐに見つかった。

98 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:38:08 ID:kZsTBTYo0
「く、やっぱ一発じゃ……」
「ゆるさないぃぃぃぃいいぃぃ!! 死ぬの、死ぬのいやああぁぁぁぁああ!」

 虚ろになった目の中に憎悪が見えたように、七瀬は思った。
 火炎放射器の発射口が焼き尽そうとしていた世界に代わって、七瀬だけを捉える。
 危険を察知した七瀬は飛び退くことも追撃もせずに、背中を見せて逃げ出した。

 直後、荒れ狂う炎の塊が七瀬のいた場所を飲み込む。いずれかの行動をとっていたならば猛火に焼かれ、生きながら死んだことだろう。
 背中を見せる七瀬に、許さないとばかりに発射口はそのままに愛佳が後を追う。

 愛佳が今最も恐れるのは死――自分の命を脅かそうとする脅威を排除することだけを考えていた。
 殺そうとするものは全て焼き尽す。
 消し炭にしてしまえば、動かなくしてしまえばもう襲い掛かってくることはないのだから。

「に〜ぃ〜げ〜ぇ〜な〜い〜で〜!」

 どこか間延びした、以前の愛佳の面影を残す声が、かえって彼女の異常性を引き立たせる。
 けらけらと笑いながら七瀬に向かって炎を噴射する姿は無邪気な姿そのもの。
 人間を一つの意識のみに拘泥させて行動させればこうなる、という模範のようでもあった。
 一方の七瀬は最早手の施しようがなくなった愛佳相手にどうするかと考えを巡らせる。

 銃を向ければそれよりも早く放射器が火を吹く。
 圧倒的な熱風の前では七瀬がつける狙いなど無意味に等しい。下手すればあらぬ方向に撃った弾が跳弾して自殺点ゲームセットとなりかねない。
 どこか遠くから狙い撃ちにしようにも、この狭い空間ではそれも不可能。
 大広間は逃げ道がない。壁際に追い詰められればそれでもゲームセット。
 一階のロビーにおびき寄せて戦うという手もあったが、未だにこのホテル内で戦っているであろう人間たちとそこで鉢合わせする確率もある。
 第三者から見れば格好の獲物だろう。それだけは避けたい。

99 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:38:36 ID:kZsTBTYo0
 しかし、この狭い空間でどう対抗する? こんなことなら、スタン・グレネードを取っておけば良かった……
 そんな七瀬の目の前に、大広間前にあるエレベーターが目に入る。どうやら回りまわって一周してきたらしい。
 ああ、あれで一気に最上階あたりまで逃げられたら――
 想像する七瀬の中で、思い当たる節があった。

「これよ!」

 閃いた七瀬は喜色を含んだ声で叫ぶと、迷わず階下へと通じる階段に向かう。
 愛佳はというと、どうやら息切れしてきたらしく、あらぬことを叫びながら無意味に炎を撒き、七瀬を探しているようだった。

 チャンスだ。七瀬は自分に好機が巡ってきたことを確信する。あの放火魔を退ける千載一遇の好機。
 だが、まだ確実な勝利へ結びつけるには一つ足りなかった。
 一瞬で愛佳を殺さなければならない。時間がかかれば逃げられる恐れがあった。
 そこまでは、未だ考えが辿り着いていない。

 いや、何としてでも辿り着いてみせる。
 何故なら、自分は悪と戦う正しく乙女なのだから。

     *     *     *

「どこ? どこどこどこどこどこどこどこぉ〜?」

 吐息も荒く、へらへらと気味の悪い笑みを浮かべつつ愛佳は一旦放射をやめ、のしのしと三階を歩き回る。
 とはいっても本人の体力はかなり落ちていたので速度は地べたを這う虫のように鈍い。
 けれども体力を浪費してまで走り続ける、または暴れまわるよりもこのように休憩を挟む方が戦術としては的確である。

 力を出すときには出し、休むときには休む。
 本人は全く意識してないが、戦うときの鉄則を実演していたことに、人間にも本来備わっているはずの獣としての本性が垣間見える。
 小牧愛佳は今や狂獣であった。

100 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:39:18 ID:kZsTBTYo0
 そのままのペースで、ゆっくりと廊下を通り過ぎる。パチパチとカーペットの化学繊維が爆ぜる音だけがホテルの中に響いていた。
 エレベーターの前を通り過ぎ、廊下の角に差しかかろうとしたときであった。
 愛佳の後ろでガタン、と何かが倒れる音がした。
 反射的に振り向き、放射器のトリガーを引く。瞬く間に炎が溢れかえった。

「くっ!」

 追い立てられるようにして、いつの間にか愛佳の背後に回りこんでいた七瀬が飛び出す。
 どうやら観葉植物の裏に隠れていたようだが、狙い撃ちしようと身を乗り出したときに倒してしまったらしい。
 あは、と喜色満面に引き返し、続け様に炎を振りまく。
 たまらないという風に七瀬は顔をしかめ、またもや退却を始める。

「えへへへへへへ、こ、今度はにがさ、逃がさないよぉ〜! えへえへへへへへへへへ」

 それなりにスタミナの回復を行えていた愛佳はとてとてと小走りに七瀬を追いかける。
 角を曲がった先で待ち構えていないとも限らないので角を曲がる際には一度炎を噴射する。
 果たして予想通り、銃を持って待ち構えていた七瀬は悪態をつきながらさらに退却していく。
 ちらりと横目で燃料メーターを見る。まだまだ容量は十分であった。満足げに愛佳は頷く。

 だって、これはかみさまがあたしにくれたプレゼントなんだから。こわいこわいものからまもってくれるおまもりなんだから。
 だからあたし、焼くよ? 全部ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ真っ赤にしてあたしだけのばしょにするんだから。

 妄想を膨らませつつ、学校での図書館のように、誰にも、絶対に汚されない場所を作り上げるために愛佳は炎を散らす。
 本人は無意識だったが、三階に留まり続けていたのは自分だけの場所で、安穏として暮らす。そういう考えが根底に渦巻いていたからなのであった。

 逃げる七瀬はいくつかの小部屋に飛び込もうとするが、直前で愛佳の炎に阻まれてまた後退を余儀なくされる。
 どこにも逃げ場所なんてあるわけがないのだ。何故なら、ここは愛佳だけの世界なのだから。
 かくれんぼは絶対に彼女の勝ちである。
 そのまままた一周して、愛佳が四つ目の角を曲がる。と、そこで愛佳は七瀬の姿が忽然と消えているのに気付いた。

「……うふ、うふふふふふ。ざんねんざんねん。あたしから、にげ、にげられるわけないよぉ〜。いっぱい燃やして燃やして燃やして燃やして……」

101 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:39:40 ID:kZsTBTYo0
 理由はすぐに察しがついた。きっとエレベーターに乗り込んだに違いない。
 スキップでもするように軽い足取りでエレベーターに近づいていく。

「ほぅら、あたり〜」

 エレベーターの上昇スイッチが点灯している。
 どうせ上からまた階段を下りて奇襲する気なのだろう。
 そうはいくまいと左右の階段を見渡そうとした愛佳だったが……

「あれ?」

 よくよく見ればエレベーターは三階から動いていない。それはつまり、この階から動いていないということ。
 んー、としばらく考えた愛佳だが、やがて一つの結論に至る。

「えへへへへ。そうか、きっとまだこの中にいるんだぁ。あたしがー、向こうに目を向けてるときにー、うしろから……ってことか」

 エレベーターは必ず上昇、あるいは下降するという認識を逆手に取った作戦だ。
 だが、愛佳はその作戦に気付いた。これで窮地に追い込まれたのは相手の方だ。
 何故なら、相手はまだこのエレベーターの中に潜んでいるのだから。焼き尽すのは容易い。
 こちらからエレベーターが開けられぬわけがない。

 えい、とボタンを押して放射器のトリガーに手をかける。
 後は扉が開いた瞬間に炎をぶちまければいいだけ――

「いたかったんだからいたかったんだから、いっぱい燃やしてあげるよぉ」

102 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:40:00 ID:kZsTBTYo0
 僅かに扉が開き……同時に火炎放射器のトリガーを引く。
 その瞬間。


「――え?」


 閃光と共に、愛佳の意識は潰えた。

     *     *     *

 鼓膜を破らんばかりの大音響と大地震にも勝らぬ揺れが七瀬留美を襲う。
 立っていることが出来ず、思わず愛佳は階段の手すりに手をかけて揺れが収まるのを待った。
 余程の大爆発があったらしく、三階の一部が崩れ落ちて瓦礫と化していた。
 そして、爆心地であるエレベーターは文字通り木っ端微塵。

「くく、あははは、あっはははははは!」

 あまりにも上手く、そして想像以上の結果であったことに思わず大声を出して笑う。
 あの様子では確実に愛佳は死んだはずだ。いや、本人は死んだことさえ理解していまい。ざまあみろ。
 放火魔の末路に相応しいと思いつつ、まだ笑いが収まらない七瀬は壁に背をもたれさせて己の幸運に感謝する。

 エレベーターは狭い。そして密室だ。
 密室の中で、炎を吹き散らせばどうなるか。
 それが七瀬の考え出した作戦の一つ。

 だがそれは相手が完全に閉じ込められていなければ完全に上手くいくとは言えなかった。
 そこでもう一つ、七瀬が考え出したのが『粉塵爆発』だ。
 狭い室内で小麦粉を……可燃性の微小な粉末でいっぱいにし、十分に酸素があった上でそこに引火すると起こる現象。
 七瀬はこれをエレベーターでやってのけたのである。

103 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:40:31 ID:kZsTBTYo0
 まずエレベーター自体が動かなかったため、一階まで降りてエレベーターに電源を通す。
 一階に電源があるというのは完全な勘であったが、ホテル内の管理を一階以外でやっているとは思えなかった。
 予想通り、一階にある従業員専用の通路から電源室に入り、エレベーターの電源をつけることが出来た。
 これで第一段階は終了。

 残る問題は粉塵爆発の要となる可燃性の粉末だった。
 できるだけ短時間で探したかった(愛佳が逃げる、もしくは追う可能性があったから)ので見つけられるかどうかが勝負だったのだが……探すまでもなく、それは『落ちて』いた。

 一階に下りるには二階吹き抜けの階段からだけでなく、左右の階段からも一階に降りる事が出来る。
 そこを使って降りた際、七瀬の足元にたまたま『古河パン』セットが落ちていたのだ。
 以前はエディの支給品であった代物だが、皐月が彼を誤射した際のゴタゴタで落とし、そのまま放置されていたのだ。
 ご丁寧にも説明書つきであったために、七瀬はそれを十分使えると判断するに至った。

 後は再び三階まで戻り、適度な速度で愛佳と応戦しつつ、エレベーターを開け放ってそこにありったけの古河パンを投げ込み、自らはそのまま階段へ逃げ込む。後は色々推理してくれた愛佳が勝手に勘違いして、エレベーターの中に炎を撒いてくれるのを待つだけで良かった。

 色々と賭けのような部分はあった。愛佳が思い通りに推理してくれるとは限らないし、階段に逃げ込む前に目撃されることも在り得る。
 だが愛佳が角を曲がるときにはご丁寧に火炎放射器を噴射してくれたことで彼女がそれなりの理性はあるということに気付けたし、
 体力を消耗しないためなのか、こちらの速度に合わせるようにして動いてくれたので最後、角を曲がったときの猛ダッシュまでは読みきれていなかった。

 それでも色々と運に任せた部分は大きい。それを掴み取れたのはひとえに自分が……『正義』であるからに違いない。
 そう、善人が勝ち、悪人が滅びるのがこの世の理なのだ。

「そうよ、あんな人を平気で裏切るような奴に負けるわけがないのよ」

104 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:40:52 ID:kZsTBTYo0
 七瀬はようやく笑いを収めると階下へと向かう。
 先程の爆発でホテルのあちこちに傷がついた上に火も依然として広がっている。下手すればここが崩れる可能性もあった。
 さっさと脱出するに限ると思い、階段を下りようとしたとき、一人の人物と鉢合わせする。

「「あんたは……!」」

 同時に、全く同じ言葉。
 表情まで一緒だった。二人ともが怒りを露にして、七瀬がデザート・イーグルを。郁未がM1076を抜く。

「あんたさえ居なければ!」
「あんたが下手なことやってくれたお陰で!」

 憎しみをありったけ込めた銃声が、このホテルにおける新しい戦いの始まりを告げた。

     *     *     *

 人の一念岩をも通す、という言葉がある。
 互いに放った一撃はまさにそれだった。

 七瀬のデザート・イーグルは郁未の左肩を貫き、それと対照になるかのように郁未のM1076は七瀬の右鎖骨下を貫いていた。
 ダメージが大きかったのは骨にまで響いた七瀬の方だった。
 一瞬怯んだのを見逃さず、郁未がもはや相棒と言えるまでに使い込んだ鉈を片手に階段を駆け上がる。
 この距離で銃を撃つわけには、と判断した七瀬は手斧に持ち替えながら三階廊下へと移る。郁未もそれを追って廊下へと駆ける。

「これは……」

105 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:41:19 ID:kZsTBTYo0
 郁未が目にしたのは崩れていたエレベーターと燃え広がる床。
 壁材も炎で爛れ、崩れたものは炎の雫となってあちこちで垂れ落ちている。煙もひどい。
 呼吸困難になるほどではなかったが、早々に決着をつけねば火に巻かれる恐れがある、と判断した郁未は七瀬の姿を目で追う。
 彼女はあちこちの瓦礫を器用に避けながら大広間へと通じる扉を開けて、そこに駆け込んでいた。

 どうやら、自分達の決戦場所はあそこであるらしい。
 ふんと鼻を鳴らし、片手にM1076、もう片手に鉈を持ち大広間へと向かう。
 熱くてたまらない。この戦いに決着がついたらありったけ水を飲もう、と考える。
 出来れば汗も煤も落としたいところだが、この際贅沢は言うまい。

 扉は開きっぱなしになっていた。
 中は薄暗く、豪奢なカーペットやシャンデリア、テーブルが見えることからかつてはさぞ賑わった場所であったのだろう。
 そんなことを思いつつ、中に一歩踏み込む。

「せいっ!」
「なんのっ!」

 同時に振り下ろされる手斧を鉈で受け止める。これくらいの奇襲は予想済みだ。
 郁未はそのまま押し返すと部屋の中まで走り、倒れているテーブルの裏へと隠れる。
 七瀬はデザート・イーグルを構えていたが、発砲をやめる。
 代わりに腰を低く落とすとそのまま一直線に駆け抜ける。すると郁未も待ちかねていたように鉈を持ち、飛び出す。

 銃で攻撃しなかったのにはそれなりに理由があった。
 弾薬の不足がその一因。互いに無駄にしたくなかったということもあったが、そんなものは瑣末な理由に過ぎない。
 自分をこんな目に合わせたこいつだけは、殺したという感覚が残る武器で倒す。
 互いがそう考えていたからだ。

「天沢郁未ぃ! あんたさえいなりゃ、こんなに人が死ぬことはなかったのよ!」
「同じ人殺しのあんたがよく言うわよ、七瀬留美! あんたのお陰で、一人殺り損ねて……こちとらムカッ腹が立ってんだから!」

106 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:41:53 ID:kZsTBTYo0
 二度、三度と室内に金属音が反響する。
 双方ともあれだけ激しい戦闘の後だというのに、まるで疲れを知らないが如く目を血走らせて殺し合いに没頭している。
 ここぞというときに本当に頼りになるもの……それは己を支える精神、そう言うように。
 一歩も退かぬ打ち合いが何度か続いたが、格闘戦になっている内に七瀬が弱点を突かれてしまう。
 郁未が牽制として仕掛けたローキックが、たまたま七瀬の古傷を直撃したのだ。

「っ……!」

 疲れを見せなかった七瀬の表情が一瞬でも変化したのを、郁未は見逃さない。
 できた隙を逃すまいと踏み込んで鉈を振り下ろす。鉈は喉を直撃するコースだった。
 絶体絶命だと思われた七瀬だが、己の『正義』は絶対であると確信している七瀬は諦めない。

「乙女ってのは、そんなにヤワじゃないのよ!」

 無理矢理体を捻って繰り出された一撃が、郁未の右腕を浅からぬ深さで切り裂く。
 激痛が体に走るが、それでも攻撃は辞めなかったのは称賛に値すると言ってもいいだろう。
 しかし七瀬へのトドメになることはなく、鉈は肩に食い込み、骨にヒビを入れる程度のダメージに留まった(それでも十分過ぎると言えるが)。

「いっ……このぉ!」
「……ぐ、ナメんじゃないわよ!」

 返しの一撃はシンクロ。刃先を立てるように突き出された二人の凶器がそれぞれの脇腹を抉る。
 血が流れ出し、瞬く間に二人の衣服が血で染め上げられていく。それでも二人は動くのをやめない。

「あんたなんかに負けるはずがないのよ! あんたみたいな殺人鬼に! 藤井さんを殺したヤツみたいなあんたに! 勝利なんてないッ!」
「妄想で語ってんじゃないわよ! どうせ人を殺せるだけの、正当な理由が欲しいだけなんじゃないの!? そんなものを気にするなんて、あんたも底が浅い!」
「理由もなく殺すのは獣のやることよッ! 獣同然のあんたに、説教垂れられる筋合いはないッ!」
「なら、食い殺されるのね!」

107 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:42:17 ID:kZsTBTYo0
 一撃一撃は致命傷にならないまでも、確実にダメージは蓄積されてゆく。互いが付け合った刃傷は既に数え切れないほどに増えていた。
 中々決着がつかないからか、戦い方が変わり始める。

 武器に頼るよりも、それを牽制として拳や蹴りでの攻撃が主になり、顔面も狙うようになった。
 七瀬が手斧を振ると同時に肘鉄が郁未の肩傷を抉る。
 痛みに耐えつつお返しとばかりに鉈を振り、避けたところを飛び蹴りで鎖骨の下にある銃傷部分を攻撃した。
 ならばと地面に降り立ったところを頭目掛けて手斧を振るが、鉈で受け止められ鍔迫り合いのような格好となる。

「私はここで死ぬわけにはいかないのよ……! 葉子さん……親友に誓ったのよ……何が何でも生き延びて、命を繋ぐってね!」

 互いが近くなったことをこれ好機と、郁未が空いた手で七瀬にアッパーを見舞う。
 顎下からの衝撃に僅かに意識が途切れたが、気合の入っている七瀬をダウンさせるには遠かった。

「私だって死ぬわけにはいかないッ! 自分勝手な人殺しに未来があるものかッ! あんたみたいな人間がいるから、皆死んじゃうのよ!」

 七瀬の拳が郁未の鳩尾にめり込む。膝が震えかけたが、ここで倒れては死ぬと堪える。
 郁未は足を思い切り上げると、躊躇なく七瀬の足を踏み潰す。
 爪が潰れたが構う暇はないと逆に勢いの乗った頭突きをかます。

「っがぁ……!?」

 これには郁未も堪らず、よろよろと数歩下がってしまう。
 七瀬自身もじんじんとした痛みが頭にあったが、気にするほどではない。
 胸目掛けて手斧を振ろうとした七瀬だったが、それは郁未の演技だった。
 素早くかがみこむと、コンパスで描くように足払いをかける。
 疲弊しきっていた七瀬にこれを避けるだけの力はなく、見事に転倒してしまう。

「貰った! 偽善者めッ!」

108 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:42:35 ID:kZsTBTYo0
 大の字になって寝転がる七瀬に、無常な一閃が見舞われる。
 勢い良く振り下ろされたギロチンの如き刃は、七瀬の左腕を真っ二つに切り裂いた。
 凄まじい血が噴出し、それだけで死に至るのではないかと思われるほどに七瀬が絶叫する。

 実際、それはショック死しても何らおかしくない損傷であった。
 一般の成人では人体中の血液を2リットル失えば死亡する。増してやそれまでの戦闘で血を失っていた七瀬が死なないわけがない。
 郁未はそう確信していた。

「違うッ! 私が……正しいんだッ!!!」

 だが七瀬は一声叫ぶと、まるでバトンタッチのように千切れた腕から手斧をもぎ取り、郁未に向かって投げつけたのだ!

「なっ!?」

 あまりに予想外の行動に全く反応出来なかった。投げられた手斧は郁未の腹部に突き刺さり、致命傷とまではいかないまでも今までの中で最大のダメージを与えた。そればかりか、七瀬はよろよろと立ち上がり、未だ健在であることを示す。
 手斧を引き抜きつつも、そんなバカな、と驚愕せざるを得ない郁未。
 不敵に笑いつつ、七瀬は「偽善者……?」と続ける。

「私のどこが偽善者なのよ、あんたみたいなクズを全員殺して、こんな殺し合いに巻き込んだヤツも殺して、本当に優しい人だけが生き残る……どこが間違ってるっていうのかしら……? 私は、口だけの女じゃないッ!」

 片手でデザート・イーグルを取り出すとそれを構え、郁未の方へと差し向ける。

「確かに、口だけじゃないけど……あんたの言う『優しい人』ってのは何なのよ! 自分の理想とする人間のことでしょ! そんな選民がかった思想で……人のことを見下すなッ!!!」

 郁未はお返しとばかりに手斧を投げ返す。しかしそれは七瀬を捉えることなく、彼女の遥か真上を通過していく。
 は、と七瀬は哂った。

109 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:42:56 ID:kZsTBTYo0
「ほら、無駄。結局最後には……正しい人間が勝つのよ。さぁ、覚悟しなさいッ!」
「……なら、勝つのは私ね」
「何……?」

 ふっ、と七瀬に影が差す。薄暗い室内であったから気付くまでに時間がかかった。そして、その時は手遅れであった。
 七瀬が見上げた先……彼女の真上には、落ちてくるシャンデリアがあった。

「そんな」

 私が負ける? なんで、なんでよ? 人殺しって罪じゃないの? それを裁いて、何が悪いの?
 なんで悪人がのうのうと生き延びるの? 理不尽、理不尽よ、こんなの……
 認めない、私はこんなの認めない。こんな間違いだらけの世界なんか認めないみとめないミトメナイ――

 ガシャン、と頭に強烈な衝撃が走って……最後まで自分が『間違い』にいたことに気付けなかった、七瀬留美は死んだ。

     *     *     *

「ち……手こずった……」

 最後の一撃……天井にあったシャンデリアを手斧で落として押し潰すという策に成功し、七瀬を葬ったものの被害は甚大だった。
 全身のあちこちに手傷を負い、腹部には放置できないほどの刃傷がある。
 急いで服を破った布で止血まがいのことはしてみたものの、痛みが収まる気配はない。
 これでは遠くへの移動は困難だった。

「く……」

110 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:43:13 ID:kZsTBTYo0
 おまけにこのホテルは火災を引き起こしており、それを見つけて他の参加者がやってくるとも限らない。
 もうどうしようもなかった。当初の予定は全てお釈迦。

「くく、もうこうなったら……トコトンまで行くしかなさそうね」

 半ば自棄、半ば腹をくくったような気持ちで、郁未はここを根城にすることを決める。
 やってくる人間は全て皆殺しにする。
 武器は七瀬から奪ったものがたっぷり……とまでいかなくてもそこそこはあった。十分戦える。
 とはいえ、崩落しかけているここに留まるのは論外。まずはホテルの外に――

 そこまで考えたとき、ガラガラと音を立てて、天井が崩れ始める。
 噂をすれば、とやらだ。崩落が始まったらしい。

「まずは、ここからの脱出か……余裕だけど」

 荷物を詰め込み終えた郁未は、痛む体を引き摺りながら取り合えずここからの脱出を目指すことにした。

 優勝までは、もうすぐ。
 まだだ、まだ私は戦える。

 手負いの雌豹は、ますます牙の輝きを増していた。

111 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:44:58 ID:kZsTBTYo0
【時間:二日目午後19:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(1/15)、ストッキング、接着剤、糸、バルサン、ゴム糸、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全力で逃げる(現在はホテルの外)。仲間の仇を必ず取る】

天沢郁未
【所持品1:H&K SMGⅡ(13/30)、予備マガジン(30発入り)×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1】
【持ち物3:S&W M1076 残弾数(5/6)とその予備弾丸14発・トカレフ(TT30)銃弾数(4/8)・ノートパソコン、鉈、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【状態:右腕重傷(未処置、かなり状態が悪い)、左肩、脇腹負傷、腹部損傷(致命傷ではない)、顔面に細かい傷多数、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテルにやってくる人間を全て抹殺。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

小牧愛佳
【持ち物:消失】
【状態:死亡】

七瀬留美
【所持品:支給品一式(3人分)】
【状態:死亡】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(6/30)、イングラムの予備マガジン×3、M79グレネードランチャー、炸裂弾×8、火炎弾×9、クラッカー複数、折り畳み自転車、支給品一式】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、肩や脇腹にかすり傷多数、疲労大、マーダー。まず風子を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾10/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(銃弾により悪化)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルのどこかに逃亡。放送は戦闘の影響で聞き逃した】


【その他:手斧は三階に放置。ホテルの一部で火災発生。崩落しかけています】
→B-10

112 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 02:59:52 ID:kZsTBTYo0
済みません、以下の部分に変更をお願いします

【時間:二日目午後19:00】

【時間:二日目午後20:00】

ミスったorz

113 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/21(日) 14:46:12 ID:kZsTBTYo0
感想スレで指摘があったので再訂正をば…
愛佳死亡シーンの後の、

>立っていることが出来ず、思わず愛佳は階段の手すりに手をかけて揺れが収まるのを待った。

>立っていることが出来ず、思わず七瀬は階段の手すりに手をかけて揺れが収まるのを待った。

に差し替えお願い致します

114 (最初だけ怖いっス)/Theme of Black Knight :2008/09/23(火) 00:46:27 ID:irUrvGZQ0
感想スレで指摘があったので再々修正

 一階に下りるには二階吹き抜けの階段からだけでなく、左右の階段からも一階に降りる事が出来る。
 そこを使って降りた際、七瀬の足元にたまたま『古河パン』セットが落ちていたのだ。
 以前はエディの支給品であった代物だが、皐月が彼を誤射した際のゴタゴタで落とし、そのまま放置されていたのだ。
 ご丁寧にも説明書つきであったために、七瀬はそれを十分使えると判断するに至った。



 一階に下りるには二階吹き抜けの階段からだけでなく、左右の階段からも一階に降りる事が出来る。
 そこを使って降りた際、花梨や由真の死体と共にいくつかのモノと一緒にたまたま『古河パン』セットが落ちていたのだ。
 以前はエディの支給品であった代物だが、花梨が引き継いでおり、彼女の死と共にそのまま放置されていたのだ(郁未は興味を示さなかった)。
 しかもご丁寧に説明書つきであったために、七瀬はそれを十分使えると判断するに至った。


に変更。確認不足のために度々ミスを露呈してしまい申し訳ない

115 名無しさん :2008/09/27(土) 05:45:41 ID:ltxNkqvY0
EX/D.A.N.G.O. -Dimension Administrators of Non-standard Grievous Occupants-


 
「―――新たな次元震を感知!」
「何じゃと!?」

狐色の丸い体をぷるぷると震わせた個体の叫びに、後ろに控えた白い個体が驚いたような声を上げる。

「このタイミングで……!」
「渚ちゃんの中に開いたゲートの修復だけで手一杯なのに……!」
「……落ち着け。やき、詳細を」

口々に不安を漏らす個体を制するように声を上げたのは、黒色の一体である。
やきと呼ばれた狐色の個体が、はっとしたように手元の計測データに目を落とす。

「そ、それが……」
「どうした」
「新たな次元震源……同時に二箇所発生でさあ!」

やきの戸惑ったような声音に、その場にいた個体が揃ってぷるぷると震える。

「な……何じゃと!? 計測ミスではないのか!」
「白玉長老の言うとおりだ、先の次元転移に伴うアンコ流侵蝕で機材の半分が持っていかれている。
 急いで再確認を」
「む……わしとしたことが少し取り乱したようじゃ。済まんの、ごま」

動揺を隠し切れずにいる、白玉長老と呼ばれる白い個体。
その代弁をするような黒い個体、ごまの低い声が、場の動転を少しづつ鎮めていく。
しかし、間を置かずに返ってきたやきの言葉が、再び混乱を巻き起こすことになる。

「確かにこの辺りのミタラシ値異常で、串の利きは最悪ですがね……検算終了、間違いありやせん!
 次元震源は上空36000km! この惑星の静止衛星軌道上、及び……我々の直下、地下数十メートル!
 規模は……それぞれ2800、及び4500ギガキナコ!」

それは、彼らの想像を絶する数値であった。

「な……!?」
「嘘でしょ……!」
「そんなの、本隊特務でもなきゃ……!」

ぷるぷるという震えが場の空気そのものを揺らしているかのようだった。

116 名無しさん :2008/09/27(土) 05:46:09 ID:ltxNkqvY0
「特大級の震源が二箇所だと……!?」

さしものごまの声も僅かに震えている。

「すいやせん、更に悪い報告が……」
「構わん、言うてみい」

苦虫を噛み潰したような長老の声。
続くやきの報告もそれに応えるように重苦しい。

「……震動、収まる気配を見せやせん。地下の震源は既にほぼゲートの形成を完了。間もなく開放に至りやす」
「ぬぅ……!」
「となれば、上空も時間の問題……か」
「そんな……4000ギガキナコクラスの開放なんて、どれだけのアンコ流侵蝕が起こるか……」
「修復は可能か、あん」

ごまに問われたのは、滑らかな深い茶色の個体。
ふるふると震えながら答えるその優しげな声音の中には、しかし一本のしっかりとした芯を感じさせる。

「……難しいわ。長い漂流で資材は底を尽きかけてる」
「さっきの転移で残った機材もほとんど使い物になりませんしね」
「そうね、つきみ。今の私たちには三箇所もの同時対処は不可能。
 それに……複数のゲートが開けばミタラシ共鳴が始まるわ。そうなれば……」
「……渚ちゃんのゲートだけだって、塞げるかどうかわからねえ、ってこった」

あんの言葉を引き継いだのはやきである。
厳しい視線に萎縮したように小さな白い個体、つきみが長老の陰に隠れた。

「……今の我らに残された手段は少ない」
「しかし、となれば……」
「うむ、道は二つ。眼前の一つに総力を傾けるか……それとも、まとめて吹き飛ばすか、じゃ」

その言葉は、静まりかけた場を騒然とさせるに十分なものだった。
最初に声をあげたのはやきである。

「な……吹き飛ばすって、まさか串ごとゲートをパージするんですかい!?」
「そんなことをすれば……ゲート周辺の次元ミタラシ値は極大と極小の間で大きく触れるな」
「そ、それじゃ渚ちゃんも……!」
「そんな……! あんまりです、お爺ちゃん!」
「―――我らが使命を忘れたか!」

大喝が、響いた。

117 名無しさん :2008/09/27(土) 05:46:28 ID:ltxNkqvY0
「我らだんご大家族……次元の崩壊を未然に防ぐが第一の努めぞ!
 だんごと生まれてそのお役目を徒や疎かにするべからず!
 家訓第一条、唱和せい!」
「―――家族は一個の為に、一個は家族の為に!」

反射的に声を揃える。
それは彼らが毎朝唱え、心に刻んできた使命であり、誇りである。
唱和することでその重みを思い出したか、誰もが口を噤んだ。
ただ、一人を除いて。

「……だけど、」

狐色の体を震わせて呟いたのは、やきである。

「だけど俺は、納得できねえ! 納得できやせんぜ、おやっさん!」

その身体の内に燃える炎に炙られて色づいたと言われる、彼はそういう男であった。

「使命はありやさあ! 俺だって忘れちゃいねえ! けど! けどそいつぁ納得できねえ!
 ここは引けねえ! 引いちゃいけねえ! 使命を盾にして恩人を犠牲にするなんざ……!
 そいつぁ、そいつぁコゲだんごにも劣る所業ってもんでさあ!」

その炎が今、燃えている。
炙られたように、一歩を踏み出したものがいる。
静かな瞳に決意を宿らせたごまであった。
その後に続くように、あん。
最後に、固く口を引き結んで、目には涙を一杯に溜めた、つきみである。
横一線に並んだ四個は、まるで一本の串に刺されているかの如く。
それは、だんご大家族の理念を体現するかのような、四個であった。

「……人の話は、最後まで聞けい」

四個を前に、深い溜息をつく長老。
困ったようなその表情には、しかしどこか笑みのような色が見え隠れしている。

「確かに、我らの使命は一つでも多くの次元崩壊要因を防ぐことじゃ。しかし……」

一拍を、置く。

「―――恩義を忘れただんごなど、只の米粉じゃよ」

言い放ったその顔が、悪戯っぽく笑った。
それはかつて宇治金時の白獅子と呼ばれた歴戦の勇士がみせた、覚悟の表情である。

118 名無しさん :2008/09/27(土) 05:46:46 ID:ltxNkqvY0
「お、おやっさん……」
「お爺ちゃん、カッコいい!」
「それじゃ……!」
「長老……それが、決断ならば」

口々に呟く彼らの上に、再び大喝が響く。

「何をボサッとしておる! ……渚ちゃんに巣食うゲートを封鎖するぞい! 出し惜しみは無しじゃ!」
「―――了解!」

一瞬の間を挟んで、すべてのだんごが声を上げる。
唱和を通り越したそれは、既に雄叫びに近い。

「チックショウ、燃えてきやがった……!」
「だんごの底力、見せてあげましょう!」
「修復班を集めろ、あん。こちらが合わせる」
「わかったわ、ごま」
「おいテメエごま、抜け駆けはゆるさねえぞ!?」
「やきさんはこっちですっ」
「何しやがるつきみ、離せっ」
「オペレートの準備はもうできてるんですから、急いでくださいー!」
「ほっほ、若いのう」

騒ぎながら準備を進めるだんごたちの目には、長老と同じ色がある。
覚悟と、誇りと、そして希望とが燃え上がる、それは色だった。


***


「―――干渉震源、閉鎖完了!」


***

119 名無しさん :2008/09/27(土) 05:46:59 ID:ltxNkqvY0
 
「……? わたし、は……」
「渚……気がつきましたか、渚!」

ゆっくりと開かれた古河渚の瞳が最初に映したのは、母親の顔であった。
ひどく心配そうに自分を見下ろしている。

「おはようございます、お母さん……わわっ」

寝ぼけ眼をこする渚を、早苗が突然かき抱く。

「元の……元の、渚ですよね……」
「ご、ごめんなさいお母さん、言ってる意味がよくわかりません……」
「よかった……本当に、よかった……」

抱き締める力の強さに困惑する渚が、記憶にない己の珍妙な言動を聞かされて更に困惑を深めたのは、
それから十数分の後である。

120 名無しさん :2008/09/27(土) 05:47:16 ID:ltxNkqvY0
【時間:2日目午前11時すぎ】
【場所:I-7 沖木島診療所】

古河渚
【所持品:だんご大家族(100人)、支給品不明】
【状態:健康】

古河早苗
【所持品:日本酒(一升瓶)、ハリセン、支給品一式】
【状態:安堵】

だんご大家族
【MISSION:COMPLETED!】

→692 ルートD-5

121 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:29:23 ID:jE6n8yvg0
 モニタの明かりのみが人の輪郭を映し出す、アンダーグラウンドと表現するに相応しい部屋。
 決して目には良くないと言える状況で、しかしまるでそんなことを意に介せずゆったりと寛いでいる男が一人いた。

 デイビッド・サリンジャー。
 かつて彼はドイツにあるメイドロボメーカーに勤めるプログラマーであった。
 彼の目の前で黙々と作業を続ける修道女……アハトノインのメインプログラムを設計した人物でもあり、そこに改竄をも加えた男。

 ロボット三原則、というものがある。

 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

 それらは原則として、いかなるロボットのベースシステムにも用いられ、決して手を施せないようにコーティングされている。
 兵器として運用されたり、テロ行為に使われたりなど、人に危害を及ぼさないように。
 また一方でそれは日々進化を続け、人の感情に近いものを持つとまで言われるようになったロボットのAIが守りうる『人権』でもあった。

 通常ロボット……特に、メイドロボなどの人型かつ人工知能を搭載したものは企業に発注する際、使用する部品から組み込むプログラムまで全ての仕様書を国家権力に準ずる確認機関に提出し、承諾を貰わなければ部品及びOSなどは発注できないようにされている。
 即ち、国家というフィルターを通し、その安全性やロボットの『人権』が確保されなければロボットを生産するのは不可能なのである。

 仮に極秘で部品などの生産を独自に行い、外観だけはそれなりのものができたとしても、人工知能を伴って動かすことは出来ない。
 何故ならロボットのOSの、ベースシステムにはロボット三原則と共に行動アルゴリズムや学習能力などのロボットがらしく行動するためのシステムも同時に搭載しており、これを独力で開発するなどというのはほぼ不可能な領域であったからだ。
 プロテクト自体も厳重であり、これを解除するのは世界中にどんなハッカーがいようとも無理なはずであった。

 ――篁財閥という、国家にも比類するような絶大な権力を持つ企業が現れるまでは。
 どのような手段を使ったのかは分からぬが、篁財閥は明らかに戦闘目的と思われる部品をメイドロボに組み込み、ロボット三原則を無視する……『人間を殺害出来る』プログラムを組み込んだ発注をサリンジャーの勤める企業へと出したのである。
 サリンジャーのいたチームはプログラムの設計の……人間を殺害するプログラムを担当することとなった。

122 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:29:48 ID:jE6n8yvg0
 とはいえ、一から設計するのではなく、そこにある改竄を加えて今までのロボットとはまるで別のものに仕立て上げることが主な仕事だった。
 その改竄とは、特定の人物以外の人間全てを『悪魔』として認識させ、人間を人間として見させないという全く新しい発想であった。
 このときの改竄はほぼサリンジャー個人の実力に拠るものが多かった。
 確かにその方法ならばロボットに人間を殺害させることも可能なのだろうが、肝心のプログラムの設計が非常に困難であったのだ。
 プログラマーの殆どが頭を抱える中、作業を進められたのはサリンジャーただ一人だった。
 必然的に彼はチームのリーダー的な存在となり、彼なしではプログラムの開発は行えない状況になっていた。

 そんなとき、サリンジャーの元にある人物からの招待状が届いた。
 篁財閥総帥、篁その人から。
 当初はサリンジャーも目を疑った。
 確かに篁財閥は例のロボットの発注を行ったクライアントだが、だからといってその総帥が自らサリンジャーのような一人のプログラマーに会おうとするだろうか? 不審に思いながらも、彼は篁との対面を果たした。

「君があのプログラムの実質的な開発者だということは聞き及んだよ。どうだ、私に仕えてみぬか?」

 会ったときに篁が発した第一声がそれだった。
 聞けば、あの発注はサリンジャーのところだけでなく手が届く限りの場所全てに出したのだというが、結局まともに開発が行えていたのがサリンジャーの勤めるメーカーだけだったという。

「君は天才だ。その才能を私が高く買ってやろう。どうだ、世界を手にしたいとは思わんかね」

 とても老齢とは思えぬ男の口から発せられた誘惑の言葉に、サリンジャーは抗う術を持たなかった。
 あの企業での待遇も気に入らなかったし、何より……世界を手にするという篁の自信ありげな様子に興味を持った。
 篁の持つ野心のようなものに、中てられるようにしてサリンジャーも野心を燃やしたのである。

 結局、サリンジャーは篁直属の部下となって引き続きチームを編成してプログラムの開発を続行。
 彼が勤めていたメーカーは篁が秘密裏に『処分』した。表向きは企業の倒産ということにして。無論そこにいた人物達の生死は、言うまでもない。
 開発に失敗していた他のメーカーも、事実隠蔽のためにその全てが処分されたという。もっとも、サリンジャーは赤の他人のことなど気にかけている暇はなかったが。

123 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:30:11 ID:jE6n8yvg0
 開発も終盤に進み、いよいよ試作品が稼動しようかという時期に、篁が新しく命令を下してきた。
 それは新しく開発したとある施設にアハトノインを運び込め、というもの。
 サリンジャー自身もその施設に来いという命令であった。
 詳しい内容までは聞かされていなかったので、また総帥お得意のショーか、という軽い気持ちでサリンジャーは足を運んだ。

「バトルロワイアル……ですか?」
「そうだ。貴様は初めてだろうが、まぁ気にすることはない。安全な位置で見ているだけでいい。喜べ、貴様は総帥に招待された客人なのだからな」
「……どうも、そのようには見えないのですがね。何やら、物騒なものを運び込んでいるようですし」
「何、万が一のためと、我々の計画のためだ。コレを使うような事態には、さらさらならんだろうよ」

 そう言っていたのは、篁の側近であり『狂犬』とのあだ名を持つ醍醐。
 計画の内容とやらはやはり詳しくは聞かされなかったものの、人の持つ可能性と奇跡……その実験のためであるらしいことだけは分かった。
 サリンジャーはそのようなものを信じるような人間ではなかったので与太話だと笑ったが、どうやら篁は本気であるようだった。
 曰く、人の想い、その奇跡こそが新たなる時代への扉を開くのだ、と。

「しかし、総帥。お言葉ですが……その幻想世界……いえ、根の国に我々が世界を手にできるものがある……と? どうも私には信じがたいのですが」
「フフフ……まあ、無理からぬことだ。しかし、理論自体は既に証明されているのだよ。世界は、存外身近なものかも知れぬぞ?」
「……ハーバー・サンプルなど作り話に過ぎません。第一、今はそれだって行方不明ではないですか。新たな世界に資源を求めるというのは……」
「ならば、お前にも好きなことをさせてやろう。お前にとてプランはあるのだろう? 己が権力を手にするプランを……な」

 サリンジャーは心のうちを見透かされているような気分になった。
 確かに、より自分の地位を高めようと心の奥で画策していることはある。しかしそれは誰にも口外したことはないはずで、サリンジャー一人だけが仕舞いこんでいたものであるはずだった。
 篁という、この得体の知れぬ老人の底知れぬ雰囲気に怖気を感じた瞬間でもあった。

 とはいえ、折角篁がくれた機会を逃すわけはなかった。サリンジャーが申し出た事項は意外とあっけなく承諾された。
 篁の心の内は正直、読めないけれどもここまでの大企業に一代でのし上げた人物だ。何も考えていない……というわけではないには違いなかった。
 とにかく、サリンジャーのみを『高天原』内に残し、醍醐と篁は参加者の実力を測る……という名目で参加者に扮し、会場へと出て行くことになった。
 よもや、そのまま二人ともがあっさりと死んでしまうことになろうとは流石のサリンジャーでも予想は出来なかったが。

124 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:30:33 ID:jE6n8yvg0
 残されたサリンジャーに与えられた命令は二つ。
 バトル・ロワイアルの遂行と、会場内に残した青い宝石に『想い』を溜め込むこと。

 が、正直な話サリンジャーには後者の命令はどうでもよかった。
 オカルト的なモノは信じない理系肌の人間であったし、仮に任務を遂行したとして、そこより先へ進む方法など分からぬ。
 恐らくはその方法まで知っていた篁総帥は、語る前に逝ってしまったのだから。
 故に、彼は彼の欲望を満たすための行動を始めた。

 サリンジャーが篁に申し出た事項……
 それは、人類史上初となるであろう、戦闘を目的としたロボット……アハトノインの実戦訓練。
 身体能力的にはあらゆる動物を陵駕する実力がどれほどあったとしても、戦闘データがなければ新兵と何ら変わらぬ。
 そこでサリンジャーは鬼・不可視の能力者・毒電波・他諸々の実力者がある程度揃っているこの会場で、参加者を相手に実戦させることにした。
 本来なら正規の軍隊を相手にしたかったが、それは到底実現不可能なことだったし、何よりアハトノインの存在は未だ極秘であり、誰にも知られてはならなかった。

 『神の軍隊』を世界に披露する、その時までは。
 ここ沖木島に運び込んだアハトノインはまだ数が少なく、データを管理している作業用アハトノインを除けば戦闘用は数体ほどしか使えなかった。
 数が少ないのは単に生産が遅れているだけで、本来ならば万全を期すために百体前後は欲しかったとサリンジャーは考えていたが、一般人が大半を占めるこの殺し合いでアハトノインが負けることはまずありえないことであるし、既に鬼の一族である柏木家の人間はほぼ全滅、不可視の能力者も殺されている。
 残りの参加者がどう立ち向かおうが、(戦闘データがないとはいえ)アハトノインには勝てるわけがないのである。

 さらに念を入れてここに滞在している間何回か戦闘シミュレーションさせて、机上とはいえ戦闘データも積ませた。
 このうえ参加者には首輪の爆弾まである。参加者側がサリンジャーの元に辿り着くなど全くありえない話である。

「いや……気にしすぎですね。はは、世界の支配者にこれからなるというのに、私も臆病なものだ」

125 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:30:58 ID:jE6n8yvg0
 参加者が攻め込んでくる要素があるか考えていた自分に気付き、サリンジャーは半ば吐き捨てるように笑う。
 それよりも、いつアハトノイン達を会場に放り込むか。そのことに思考を移す。
 そろそろ参加者も減って、積極的に殺し合いに参加している連中が煩わしくなってきた。
 散発的に戦闘は起こっているので何人かは死ぬだろう。出来れば、余程実力のある者以外は死んで欲しい。
 雑魚を相手に戦ってもアハトノインの経験にはなり得ないのだから。

「いや、何も今回に拘る必要もないじゃないですか」

 よく考えれば、一回でデータを収集する必要性はない。何回か繰り返し戦ってデータを集めればいいのだ。
 バトル・ロワイアルは今回が初めてではないらしいのだから。
 また次回、その時に彼女達を戦わせればいい。何せ、今の篁財閥の総帥は実質、自分なのだ。

 篁財閥において篁総帥その人の顔を見た人間は限られている。
 自社の重役でさえ、篁と会ったことのある人間は一人としていない。
 面識があるのは、醍醐とサリンジャー、リサ=ヴィクセンのみ。
 残るヴィクセンも参加者として放り込まれている以上、見捨てられたと見るのが正しい。面識はほとんどなかったが、ヘマでもやらかしたのだろう。

 とにかく、篁の正体を知るのがサリンジャーだけである現状を見て、彼は更に大きな野心を抱いた。
 自らが『篁』となり、世界で一番の権力を手にするという、あまりにも大きな野望を。
 『高天原』『神の軍隊』『篁財閥』……これだけあれば、世界を相手に戦えるとサリンジャーは思ったのだ。
 バトル・ロワイアルはその進水式であり、偉大なる第一歩。

 そして、計画も着々と、順調に進んでいる。何も問題はない。後は、アレの調整が終われば……

「報告します」

 考えに耽るサリンジャーの後ろで、事務的な声が聞こえた。
 噂をすれば、か? とサリンジャーは心中で一人ごち、「なんだ」と声だけで応じる。

126 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:31:21 ID:jE6n8yvg0
「Mk43L/eの接続調整が完了致しました。レールキャノンについてですが、そちらはまだ充電が完了しておりませんので、残り12時間前後かかるかと思われます」
「動かせるんだな?」
「はい、自走だけならば問題なく行えます」
「くっくっくっ……よし、下がっていいぞ。進展があればまた報告しろ」
「はい、失礼します」

 盤面は既に最終段階に入っていた。
 足音を残して去っていくアハトノインの余韻を感じながら、サリンジャーは世界が自分の手の届く範囲まで来ている、と確信する。
 『神の国』まではもうすぐだった。
 何もかもが順調。これが王の力か。

「くくく……はははは、あーっはっはっはっ!」

 全てが思い通りになっていく。その快感に酔いしれるがままに、サリンジャーは笑い続けていた。

127 新たなる時代の扉 :2008/09/28(日) 12:31:43 ID:jE6n8yvg0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:19:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。頃合いを見てアハトノイン達を会場に送り込む】
【その他:Mk43L/e(シオマネキ)が稼動できるようになった】

→B-10

128 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:22:23 ID:VSD3tLmo0
 
『これが、今生のアマテラス……』

呟く声は白の神像。

『この光……間に合わなかったと、いうのですか……』

搾り出すような声音の、その眼前に広がるのは白の巨躯を更に数倍する巨大な建造物。
周囲に広がる闇を圧するように明滅する、無数の光点に包まれたそれは城砦とも呼ぶべき外観を誇示している。
自転赤道上、実に高度三万六千キロメートル―――それは宇宙空間に浮かぶ、鋼鉄の城郭であった。

『……大丈夫、お姉様』

音を伝える大気すら、既に存在しない。
しかしその声は、物理法則を嘲笑うかのように世界に響く。
白の神像、アヴ・ウルトリィの傍らに舞う、黒い神像の声であった。

『この子……まだ、ちゃんと目を覚ましてないよ。急にムツミがいなくなって困ってるみたい』

巨大な砲塔を始めとした無数の兵装は幾つもの光を纏い、臨戦態勢とも映る。
恐るべき鋼鉄の砦を前に、しかし黒の神像、アブ・カミュは言い切ってみせた。
己が内に秘めるもう一つの力と通じるが故の、それは断言である。

『……そうですか。ならば我々の手でも、破壊は容易でしょう。……しかし、その前に』

一拍を置いたアヴ・ウルトリィが、ほんの僅かの逡巡を滲ませて、その言葉を口にする。

『―――神尾晴子。あなたには決断してもらわねばなりません』


***

129 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:22:47 ID:VSD3tLmo0
 
「な、何や急に!?」

狭いコクピットの中、足を投げ出してばりばりと顎の下を掻いていた晴子が唐突に声をかけられ、
泡を食ってバランスを崩す。
鈍い音。

「……痛ぅ……。何じゃボケ! 人を宇宙にまで連れ込んで、この上何をせぇっちゅうんじゃ!」

したたかに打ちつけた腰をさする晴子。
怒鳴りつける口調にはしかし、どこか力がない。

『観鈴、薄々思っておったが……そなたの母御はやかましいの』
『にはは……ときどき、ドジっ子』
「……ガキどもは黙っとらんかい!」

星の瞬きだけを映す暗いコクピットの中、響く幾つもの声を振り払うように晴子が
傍らのコンソールに腕を叩きつける。

「……続けてみぃや、神さん」

驚いたように口を噤んだ二人―――アヴ・ウルトリィの契約者にして神像の融合者、神尾観鈴と、
アヴ・カミュの新たなる契約者、神奈備命の声がやんだのを見計らって、晴子が静かに先を促す。

『……決断とは、他でもありません。晴子、あなたは……この現世に留まることを望みますか』
「はぁ!?」

漏れた声は純粋な困惑。
問いはそれほどに唐突で、理解に苦しいものだった。

「何やそれ。うちに死ねとでも言いたいんか。良ぉ言われるけどな。
 ハ、神さんにまで言われるとは思わんかったわ。……おどれから死なすぞボケカスコラァ!」

がつり、と硬い音を立てて乱暴に操縦桿を蹴りつける晴子の剣幕にも動じた様子なく、
アヴ・ウルトリィの声は続く。

130 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:23:28 ID:VSD3tLmo0
『我々は、もうすぐ旅立たねばなりません』
『カミュたちはずっとお父様を追いかけてるんだよ!』
『余もかみゅうより仔細を聞いた。契約者は大神の眷属として時を渡るのだと』
「やかましわ! おのれらには聞いとらん!」

声を張り上げた晴子が、しかしすぐに首を捻る。

「ん? ……今、契約者ぁ言うたか。それやったら……」
『にはは……観鈴ちんもウルトリィさんの契約者さん』
『……事の始まりは、省きます』

晴子の疑問に答えることなく、アヴ・ウルトリィは言葉を連ねる。

『私たち……私とカミュ、そしてここにはいない仲間たちは、旅をしています。
 長い、長い旅。時を越え、理を越え、幾つもの生と死を超える旅。
 現世の身体を捨ててなお、行く先々で仮初めの身体を得て続く、果てしない旅。
 その旅の中で、私たちはずっとある方を捜して……いえ、追い続けているのです。
 大神と呼ばれる―――我が君を』

それは、無色透明の声音。
郷愁と、慕情と、妄執と、怨嗟と、そういうものが煮詰まって、最後には色を失った感情の発露した言葉。
永劫という時に磨り減った者の、ざらつくものすら失くした女の、ひどく滑らかに歪な、声だった。

『今生には大神も、その写し身も居られず……ならばその齎す力を滅ぼせば、異物たる我々は
 その瞬間に意味を失い……今生より弾き出されて、新たな時へと遷るでしょう』
『お父様の力っていうのは、摂理を曲げてこの世に捻じ込まれた……あるはずのないもの。
 その時々で姿かたちは違うけど、名前だけはいつも同じなんだよ。名前は、魂の形だから』
『即ち―――浄化の炎、アマテラス』


***

131 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:24:03 ID:VSD3tLmo0
 
『アマテラスに打ち勝てば、我々は今生より旅立つこととなりましょう。
 契約者たる神尾観鈴、そしてそちらの―――』
『神奈備命だ』
『契約者は既に大神の眷属―――共に旅路へと着いていただくことになります。
 大神の輪廻に組み込まれた、永劫にも等しい旅となりますが』

下方には、青と白に彩られた故郷。
視線を上げれば、遠く煌く星々。

『改めて問いましょう。
 神尾晴子―――この現世に留まることを望みますか、それとも』
「……その前に一つだけ、聞かせてや」

問いを遮った晴子の眼差しに、怒りの色はない。
迷いも、困惑も、そこには見て取れなかった。
茫洋と遠い星々を見つめるその奥に、ほんの微かな決意だけがある。

「あんたさっき、言うたよな。身体ぁ捨てて旅を続けとる、て」
『はい。我々は皆……』
「それ、もうずっと昔に幽霊みたいなって、そんでも生きてるっちゅうことか」
『幽霊、というのがコトゥハムルの住人という意味であれば……そのような存在であるのかも知れません』
「知らんし、どうでもええわ。要はあんたらと一緒に行ったら、カラダくたばっとっても、生きてられるんか」
『……はい。大神の輪廻の中、生と死という概念からは解き放たれます。
 今生の敗北は写し身の力をいや増すことにはなりましょうが……逆さに言えば、それだけのことです。
 死の刹那、我ら大神の眷属は時を渡り、新たな身体、新たな戦の生へと遷ることになるでしょう』
「なら、決まりや」

その一言は、ひどくあっさりとしていて。
白の神像に浮かぶ、磨耗した苦悩も、風化した感慨も、何もかもを吹き飛ばすほどに、軽かった。

「観鈴と一緒なんやろ。ずっと、ずっと一緒なんやろ。ならもうそれでええわ。
 面倒なこと考えとったら、もうわやんなってもうた。ええよ。行く。
 どないすればええの。パスポートとか、いるん」

132 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:24:15 ID:VSD3tLmo0
神尾観鈴に言わせれば、それは逃避に他ならないのだろう。
結局のところ、神尾晴子にとって観鈴という存在は枷であり、同時に免罪符でもあるのだと、
そう再認識したかもしれない。
しかし、どれほどの贖罪と悔恨に塗れていようと、そこには確かな母性の発露があった。
それは必ずしも神尾観鈴にとっての救済には繋がらず、また晴子にとっても自身に巣食う魂の高潔ならざる部分、
欲や、見栄や、怠惰や打算や、そういうものを照らす光明とはなり得ない、幽かな仁慈でしかなかった。
だがそれでも、この瞬間に、神尾晴子は母親であった。
少なくともそうあろうと、一歩を踏み出した。

『―――そうですか』

だから、白の神像は、母になれなかった女は、それだけを口にした。


***

133 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:26:28 ID:VSD3tLmo0
 
『余に否やはない』

翼人の末裔、神奈備命が短く告げる。

『どの道、余に帰る場所などない。帰ったところで、終わりのない悲しみだけが待つというのなら尚更の。
 千年の怨みつらみ、ここらで断ち切るのも良かろ』
『……あなたからは、多くの想いを感じます』
『ああ。余は生きるぞ。……それが、余を見守ってくれておった者たちへの報いだ』

口調は力強く。
悲しみは、もうない。

『……時にかみゅう』
『カミュ、だよ』
『うむ、かみゅうよ。……この女はどうする』
『あ……うん』

アヴ・カミュと一体化した神奈が指し示すのは、己が腹の辺り。
その中に眠る、この場の最後の一人である。

『……カミュ、あなたの操者は』
『うん。私との契約が切れてるってことは……おば様、たぶんムツミと……契約してる』

力なく項垂れる。
その動かぬはずの白銀の表情にすら、痛嘆が浮かんでいるかのように見えた。

『もう、おば様も引き返せない。それに……』

脳裏に響くのは、柚原春夏の慟哭。

『おば様のたいせつなものは、もうここにはないから』
『カミュ……』
『大丈夫よ、お姉様。辛いのは私じゃな―――え!?』

弾かれたように白銀の面を上げたアヴ・カミュが、

『―――避けて、お姉様!』

叫ぶのと、アヴ・ウルトリィが白翼を真空に羽ばたかせ後方へと急加速するのとが、ほぼ同時。

134 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:27:01 ID:VSD3tLmo0
『わ……』
「何や、一体……!」

白い機体を掠めるように飛び去ったのは一筋の光線である。

『この力、術法……!?』

困惑を隠せないアヴ・ウルトリィが視線を向けた先には、沈黙していたはずの城砦。
幾つもの光点が明滅するその無数の砲塔が、音もなく回転を始めていた。
砲口の向く先は、一対の神像。

「何や、あれ……!」
『にはは……宇宙戦艦』

攻撃衛星、アマテラス。
回転する砲塔、有機的に連動するターレット。
姿勢を制御するための噴射口にも炎が灯っている。
鋼鉄の城砦は今や、その機能のすべてを回復しているかのように見えた。

『ムツミは眠りについているというのに……!』
『待って、お姉様……ムツミの力、感じる……。ずっと、下……さっきの島から、声がする……!』
『余にも聞こえるぞ……これが、余の追い出したもう一人の翼の者の声……!』
『力をくれ、って……ムツミの声が、呼んでて……それでこの子も、目が覚めちゃったみたい……!』

隻腕を太陽光と放射能に照りつけられながら、黒の機体が第二射を回避する。

『どうやら……簡単に決着をつけるというわけには、いかなくなったようですね』
「はン、壮行会に花火……気ぃ利いとるやん。景気付けに丁度ええわ」

アヴ・ウルトリィがその手に宿した光球を放つ。
弧を描く軌道が迎撃するのは砲塔から放たれた第三射。
その同時斉射数は既に十を遥かに超えている。

『覚悟は宜しいですか、カミュ、観鈴、晴子、神奈備命―――。
 ここから先は、この世界で最後の戦いになります』

アヴ・ウルトリィに応える声は、高らかに。

「上等やないの!」
『はい、お姉様』
『勝っても負けてもまた来世、か……余が敗れるなどと、考えたこともないがの』


***

135 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:27:25 ID:VSD3tLmo0
 
―――わかってるのかな、お母さん。
それは、一瞬だけ浮かんだ、意地悪な気持ち。

お母さんはもう、私を言い訳に、できないんだよ。
そんな風に言ってやりたくなるのはきっと、目の前の面倒から逃げ出したお母さんの考え方が、
あんまりにもいつも通りだったから。

あのとき私が手を伸ばしたのは、そうしていま私の横にいるのは、きっと夢に出てきた女の子。
広い、白い、青い、空の真ん中で、一人ぼっちで泣いていた女の子。
夢から出てきた女の子は、だからもう一人じゃない。

ひとりじゃない女の子は、きっともう泣かないんだ。
だから、私の中に哀しい気持ちが溢れることも、もうない。
私と女の子が手を繋ぐというのは、きっとそういうことだ。

―――私は、だから、もう”特別”じゃない。

私が普通の子になったら、お母さんはきっと、私に負い目を感じなくなっていく。
お母さんはきっと、お母さんじゃなくなっていく。

わかっている? 神尾晴子さん。
あなたはもう、私の面倒なんてみる必要、なくなったんだよ。
うん、きっと、わかってないんだろうな。

私はでも、だから、それをお母さんに言ったりはしない。
教えてあげたり、しない。
これは、ずっと私を言い訳に使ってきたお母さんへの、ほんのささやかな仕返し。
そうしてずっと私と一緒にいてくれた、お母さんへの、ほんのささやかなお返し。

娘から母へ、一瞬だけの意地悪と、心からの―――

『―――行こう、お母さん』

甘やかな愛情を、込めて。



***

136 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:27:47 ID:VSD3tLmo0
 
黒白の翼を広げて、二体の神像が翔ぶ。
目指す先には、宇宙に浮かぶ鋼鉄の城。
光が、交わった。


***

137 ナジェーナ :2008/10/04(土) 00:27:59 ID:VSD3tLmo0
 
【時間:2日目 AM11:36】
【場所:静止軌道上、高度36000km】

アヴ・ウルトリィ=ミスズ
【状態:満身創痍】
神尾観鈴
【状態:契約者】
神尾晴子
【状態:契約者】

アヴ・カミュ=カンナ
【状態:隻腕】
神奈備命
【状態:契約者】
柚原春夏
【状態:契約者・意識不明】

→924 926 1007 ルートD-5

138 詳しいことは、その道のプロに任すの。 :2008/10/12(日) 22:55:13 ID:5T6rCcI20
「どうした、ことみ君」
「……何でもないの。気にしないでほしいの」

ふと、ひっきりなしに続いていた一ノ瀬ことみの織り成すタイプ音が止まった。
作業を中断させたことみの様子を伺うよう、霧島聖は彼女の背後へと近づいていく。
ことみは黙ったまま、英数字で埋められた画面を微動だにせず凝視していた。
と、そこに日本人なら誰でも容易く解読できるであろう文字列が加わる。

『ちょっと行き詰ったかもなの』

その一言を書き加えたのがことみであるのは、間違いない。
素早く動かされた細い指が、記号にまみれる形で画面に日本語を混入させる様は、聖の視界にも入っていた。
口では話せないこと。それを、手段的には筆談と似た形でことみは実践させている。
盗聴の恐れがあることは、彼女等にとっては分かり切っている事実だった。
ことみの意図、直接言葉を交わさない方がいい場だということを即座に判断した聖は、まるで偽りのシーンを作り上げるかのごとく言葉を紡いだ。

「ふむ、順調みたいだな。それは良かった」
『本当に、今やってることが正しいのか不安なの』
「少し休もうか。水でも持ってくるとしよう」
『これなら、もっと違うことをやっていた方が良かったかもなの』
「……ことみ君?」

聖の声色に、思わずといった調子で戸惑いの色が混ざる。
眉間を寄せることみは、何か悩んでいるのか幼さの残るあどけない顔を少しだけしかめていた。

『せんせ、やっぱ気にしないで欲しいの』

ふるふると振られることみの頭に合わせ、二つに可愛らしく結われた髪も共に揺れる。
サイドの髪で隠れたことみの表情を、聖が窺うことは出来なかった。
俯くことみの仕草に対する違和感が拭えず、立っていた聖が腰を落とそうとした時である。

139 詳しいことは、その道のプロに任すの。 :2008/10/12(日) 22:56:16 ID:5T6rCcI20
「先生、大変なのよ! 聖先生!」

聞き覚えのある少女の声が場に響き、聖とことみの二人はほぼ同時にパソコンルームの位置口である扉の方向へ顔を向けた。
派手な仕草で開けられ悲鳴を上げる出入り口の扉、そこから現れたのはことみ等二人と別行動をとっていたはずの広瀬真希だった。
血相を変えた様子で地団太を踏む真希の様子に、聖はただ事ではない事態が発生したと理解しすぐに彼女の元へと歩んでいく。
ことみは、座ったまま動こうとしなかった。

「どうした、真希君。……遠野さんは?」
「美凪は下! 何か知らない男の子が血だらけで、今美凪がそいつ見てて……」
「何だって?」

勢いのまま聖との距離を一気に詰めた真希は、そのまま聖の腕にしがみつき縋るように背の高い彼女を見上げる。
真希の不安は、とても分かりやすい形で聖にも伝わっただろう。
怪我をしている人物がいるというのならば、その処理に聖程打ってつけの人物はいない。
そのまま現場へと引きずっていこうとする真希の力に流されそうになる聖だが、はっとなり両足の先に力を混める。
聖が踏みとどまったのは、ことみの存在を思い出したからだ。
怪我をしている人物がいるということは、その「怪我をさせた」人物がいる可能性もあるということである。
そんな状況に、ことみ一人をここに残していくわけにはいかない。あまりにも危険すぎる。

「ことみ君」

振り返り、聖はことみの名を呼んだ。
ことみに対する聖の声かけには、一緒に一端ここを移動をしようという意味が含まれていたのだが、ことみは聖の心情に気づかないのか小さく手を上げるとそれをひらひらと横に振る。

「いってらっしゃい」
「いや、違う。一端一緒に遠野さんの所に向かおう、ここに君一人を残してくのは危険だ」
「大丈夫なの。コレも、もうちょっとで終わるから」
「そういう問題じゃない」
「せんせ」

140 詳しいことは、その道のプロに任すの。 :2008/10/12(日) 22:56:49 ID:5T6rCcI20
かぶりを振ることみの表情はいつも通りのぼんやりとした様子そのものだが、どこか頑ななところがあった。
眉を寄せる聖に、ことみは告げる。

「ちょっと、一人で考えたいことがあるの」
「……そうか、分かった。何かあったら大声でも何でも出してくれ」

あっさりと聖がことみの言葉を飲み込んだのは、彼女の脳裏を先ほどことみが打った文字列等が掠めたからだ。
危険に晒された際大した抵抗もできなさそうなことみを一人にすることに対し、聖の胸中に潜む不安が拭えることはないだろう。
しかしことみが思い悩んでいる様を、聖は見ている。
聖はことみの意思を優先させた。

「いいか、大声で叫ぶんだぞ。すぐに駆けつける」
「分かったの」

自分のデイバッグを担ぎ真希と共に走り出す聖を、そうしてことみは見送った。
静まり返る教室に残されたことみは、聖達が去っていった扉の先から目線を変えないまま小さく溜息を一つ吐く。
ふぅ、とゆっくり空気が漏れ出す愛らしい唇のその下、ことみは同時に指先で首筋を掻いた。
暖かな自身の温度が伝わっていく途中で、唐突に冷ややかな硬い金属がことみの指の動きの邪魔をする。
装着されている首輪が原因である。

ことみは考えた。
この爆弾が仕掛けられている首輪だが、これに関する問題はことみにとって皆無に等しい。
それは最初から、彼女にとっては分かりきっていることである。
このようなおもちゃはことみには通用しない。
また彼女に支給された暗殺用十徳ナイフだが、暗殺用とは言え普通の十徳ナイフと同じような機能も付属している。
ドライバー。首輪を解除する際必要となるかもしれない工具が、そこにはあった。
まるでこれでは、主催側がことみに首輪を外してくれと言っているようなものである。

141 詳しいことは、その道のプロに任すの。 :2008/10/12(日) 22:57:21 ID:5T6rCcI20
今はまだ主催側の意図が読めない故、ことみは行動に出ていない。
主催側の目的。それすらも、ことみは正確な予測を出せていない。
しかしことみは断言する。

(ここに閉じ込めて、殺し合いをさせるだけというのじゃ……絶対、ないの)

ならば一体何のためなのか。
ことみはそれを調べるために今、こうしてパソコンを使いハッキングを行っていた。
学校に来て調べ物をする、それはことみが言い出したことである。

ことみと聖が当初目的にしていた場所は灯台だ。
星の位置からこの場所を明確に割り出せるかもしれないと考えた二人は、真希と美凪も引きつれ行動を開始しようとしていた。
ことみがこの寄り道を提案したのは、あまりにも唐突と言っていいタイミングだったろう。
それでも気になる点を明白にしたいという願望の強さを、ことみはしっかりと行動に表す。
反発なく受け入れてくれた仲間の許容度の高さに救われたことみだが、その作業は難航することになる。

本来ことみが得意としているのは、コンピューターではなく物理学等の理論だ。
専門外の作業に苦戦することみが、先ほど聖に対しもう少しで作業が終わると伝えたのは、全くの嘘だった。
主催側の内部に潜り込むことはできたものの、結局目的の情報へ辿り着くことはできないだろうと判断したことみは、闇雲に時間を使ってしまっただけという事態を恐れ次の行動を開始していた。
ウィーンと、無音であったパソコンルーム内に機械音が響く。
音の出所は教室の隅に設置されている印刷機だ。静かに歩み機械に寄り、ことみはそこから排出された一枚の紙を手に取る。

印刷されているのは、ここ、沖木島……と呼ばれている島の地図だった。
しかし、ただの地図ではない。
フルカラーで印刷された地図には、赤と青の二種類ある×印が施されていた。
赤の×印は三つ。ホテル跡、鎌石小中学校、鷹野神社に付けられている。
青の×印は四つ。C06-C07の境目あたりの海岸線、G06-H07の交差地点、G02-H02の境界線と海岸線、G09-H09交差点に付けられている。
怪しい画像データを見つけ印刷してみたことみだが、それらが何を指しているかまでは突き止められなかった。

142 詳しいことは、その道のプロに任すの。 :2008/10/12(日) 22:57:56 ID:5T6rCcI20
「さっぱりなの」

結局、ことみが得られたのはこれだけだった。
自分の限界にむーと少し頬を膨らませることみだが、普通の参加者等ならこの域にすら達することはできないだろう。
この、今ことみがいる鎌石小学校にも印がつけられていることからこの場所にも何かあるのかもしれないだろうが、それを調査するにも理由が分からなければ行動は起こしにくい。
ことみが首を傾げている時だった。

「やあ、何をしているのかな」

ふと。
教室内に響いたのは、ことみの物ではない少年の声だった。
全くことみが気づかなかった内にこのパソコンルームに入り込んでいたもう一人の人物、彼とことみの視線は自然とかち合うことになる。
少年は聖が出て行った扉に、背を預けるようにして佇んでいた。
褐色の肌に銀色の髪を持つ少年に対し、ことみは全く見覚えがない。
唐突に現れた訪問者をじっと見つめたまま、ことみはマイペースな問いかけを送った。

「……いじめる?」
「ははっ、いじめたりなんてしないよ」

微笑む少年に、ことみは逆方側へとまた軽く首を傾げる。
警戒心が薄いのか、ことみがその場から逃げようとする気配はなかった。
それも『少年』の思う壺だったかもしれない。
笑顔の裏側にある少年の目的に、ことみはまだ気づいていなかった。

143 詳しいことは、その道のプロに任すの。 :2008/10/12(日) 22:58:45 ID:5T6rCcI20


一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:少年と対峙】

少年
【時間:2日目午前7過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:健康。効率良く参加者を皆殺しにする】

霧島聖
【時間:2日目午前7時過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:美凪と祐一の元へ】

広瀬真希
【時間:2日目午前7時過ぎ】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:美凪と祐一の元へ】

(関連・953・994)(B−4ルート)

144 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:27:54 ID:5deI7JdI0
 
日輪の下、陽光に照らされた氷柱が鋭い音を立て、割れ砕ける。
剣戟の音に紛れて、それは誰にも届かない。


***

145 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:28:44 ID:5deI7JdI0
 
雹、と風を裂いて疾る銀孤を、

「―――ッ!」

鋼鉄の大剣が苦もなく受け止める。
人の胴幅ほどもある肉厚の、最早鉄板に近い印象をすら与える巨大な剣。
動きが止まった刹那、横合いから突き込まれるのは鋭い刃である。
細身の刀、とは言っても人の背丈を遥かに越える刃渡り。
元来の寸法が、違いすぎる。
断頭台から落とされるそれの如き重量と鋭さを秘めた刃が、迫る。
咄嗟に肉厚の大剣の腹を蹴り付け、宙を舞っての回避。
後方にとんぼを切って着地しようとしたそこに、しかし第三撃が待ち受けていた。
大地を削るような軌道で薙がれたのは大槍である。
数階建ての建造物を支える支柱の如き径の柄が、直撃した。

「……っ、が……ッ!」

受けた手の一刀は衝撃を殺しきれない。
子供の蹴り上げた小石のように高々と弾き飛ばされ、長い銀髪が蒼穹の下で煌いた。
拙い、と思ったときには遅い。
中空、支えるものすらないその無防備な体勢を、狙う影がある。
長い髪も美しい、有翼の英雄像。
その掲げた手に宿るのは日輪の下でなお白く輝く、光の球である。
回避不能の姿勢に向けて、白の光球が躊躇なく放たれた。
表情に無念を浮かべ舌打ちしたその眼前、

「―――ァァァッ!」

裂帛の気合と共に、光球が断ち割られた。
一瞬だけ目に入ったのは無造作に伸ばされた白髪と、広い背中。
安堵も驚愕もなく、ただ迫る落地への対処に集中する。
衝撃。

「……無事か、光岡ッ!」

抜き身の刀で己が身を傷つけないようにしながら後方へ二度、三度を転がって勢いを殺す。
ようやく立ち上がった銀髪の男、光岡悟にかけられる声には緊迫の色が濃い。

146 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:29:15 ID:5deI7JdI0
「この程度!」

光球を斬り飛ばした白髪の男、坂神蝉丸へと短く叫び返し、光岡もまた厳しい表情で前方を見据える。
見上げた視界に映るのは、壮麗な光景である。
雄々しく、或いは麗しい巨大な英雄像が蒼穹の下に立ち並び、その偉容を誇示している。
惜しむらくは、石造りの像がそれぞれ刃を潰さぬ鋼鉄の武器を手にしているという不釣合い。
そして、そのすべてが動き出し、見る者を黄泉路へと送り出さんと刃を振るうことであった。

―――隙が、ない。

巨人像は八体。
北側から時計回りに虎の背に跨る少女、黒い翼を持った少女、大剣の女、白い翼の女。
南に刀の女、長槍の男、双剣の男、そして最後の一体はじっと動かず、祈るように目を閉じている女の像。
厄介な布陣だった。
有翼の像、そして祈る女の像を左右から護るように武器を構えた像が並んでいる。
加えて恐ろしいのは長槍の像の間合いであった。
どれかの像と切り結んでいれば、横合いから優に数十メートルはあろうかという距離を正確に突き込んでくる。
石造りと見える像はその外見に反して俊敏であり、だが同時にまた、その外見通りの重量を持っていた。
正面から受ければ容易く弾き飛ばされる一撃は、そのどれもが致命的な威力を秘めている。
動きが止まれば有翼の像から光球が飛ぶ。
見事な連携であった。
必然、下がらざるを得ない。

敵の狙いを分散させ、一対一へ持ち込めれば或いは状況も変わるやも知れぬ。
だが如何せん、手が足りなかった。
鹿沼葉子と動きを打ち合わせる余裕はなかったし、また信頼に値するかも怪しい。
単に暴れまわるだけの天沢郁未や川澄舞は論外だった。
結局のところ、坂神蝉丸との呼吸だけで切り抜けねばならない。

一寸の勝機すら見出せぬまま、時だけが過ぎていく。
傷は、治る。
だが失われた時は、戻らない。


***

147 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:29:49 ID:5deI7JdI0
 
「―――ち、ィッ……!」

右から繰り出される刃を、天沢郁未は辛うじて受け止める。
人体を両断して刃こぼれ一つ起こさせない不可視の力をもってしても抗い難い、圧倒的な質量差。
両の腕に力を込めて押し返そうとした刹那、頭上から迫り来るのは殺気。
咄嗟に身を引けば、受けていた刃の勢いに押されて弾かれる。
薙刀を持つ腕が痺れるような衝撃と同化するようにバックステップ。
身を浮かせてダメージを殺す。
上から迫っていた刃を躱したと息をつく間もなく、振り抜かれた刃が軌跡を逆回しにするように戻ってくる。
受けられない、と判断。
目の端にはもう一つの刃がこちらへと突き込まれるべく引かれるのが映っていた。

「面倒だな、もうっ……!」

身を低くして横薙ぎの刃を潜りつつ、右へと跳ねる。
轟と巻かれる風が吹き抜け、しかしそれが削るべき命は既にその場にはない。
たん、と転がった勢いのまま跳ね起きれば、背中が何かに触れる。

「……無理に踏み込みすぎです、郁未さん」

温かく、ごわごわとした感触。
乾いた返り血にその身を染めた、相棒の背中。

「お互い様でしょ、葉子さん」
「槍使いを相手にしているのです。間合いを詰めなければ話になりません」
「リーチ差がメートル単位じゃあ、間合いも何もないけどね……」

天沢郁未が向き合っているのは双剣使いの像である。
俊敏な反応と変幻自在の軌道で迫る二つの刃は攻防を一体となし、郁未をして攻めあぐねさせている。

148 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:30:08 ID:5deI7JdI0
「だからって下がれないでしょ、私らは」
「あなたが無理をする必要はありません。あれとの戦いは光学戰試挑躰である、私の……」
「葉子さん」

遮る声は、強くはない。
だがそれは、鹿沼葉子の言葉を止める、この世界で唯一の声。

「あれが鹿沼葉子の敵だってんなら、」

夜が明けて朝になるように、

「私は下がらない。下がっちゃいけないんだ。それは―――」

雨の降った後に緑の芽吹くように、

「私が、私らでいるための、絶対なんだよ、葉子さん」

天沢郁未の声は、鹿沼葉子の心に、手を伸ばす。
背中合わせのまま頷いて、葉子が一つ大きく、息を吸い込んだ。
合わせるように郁未もまた、胸を膨らませる。
それはずっと続いてきた、二人の儀式。

「「――――――ァァァァァァァァッッ!!」」

吐き出す息は、気合と共に。
絶叫に近い大音声の輪唱が終わる刹那、背中が離れる。
駆け出した二人の背中から、相棒の温度が消えていく。
温もりは消え、感触は消え、しかし残るものがある。
振り向かず走る天沢郁未と鹿沼葉子の顔には、同じ笑みが浮かんでいる。


***

149 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:30:33 ID:5deI7JdI0
 
獣が向かい合っている。
白い毛並みの虎と、石造りの体躯を誇示する巨獣の像。
その体長は実に十数倍の差。
吼え猛る白き魔獣と、吹き抜ける風をこそ己が声と立つ森の王の彫像。
四肢で大地に立つ白の獣と、後脚を巨龍の胴に埋めた獣の像。
ただ一頭の白虎に対し、巨獣の像は背に少女を乗せている。
幾つもの違いを持った二頭の巨獣は、しかし相似形の影をしていた。

先を取って動いたのは白の獣である。
暴風の如く突進した白虎が、疾走の勢いのまま天高く飛び上がる。
鋼鉄の城壁すら歪ませかねない大質量の体当たりが襲うのは、獣の像の前脚である。
大木をも薙ぎ倒す衝撃に、しかし巨獣の像はこ揺るぎもしない。
罅一つ入れず受け止めてみせた、その脚が軽く振るわれる。
それだけで、白虎が宙を舞った。
数百キロを優に超える巨躯が、じゃれつく子犬を払うような仕草一つで振り落とされたのである。

追撃はない。
獣の像は後ろの脚が巨龍の背に埋まっている。
他の像と違い武具を持たぬ獣の身では自然、可撃範囲が小さくならざるを得ぬ。
それが、白虎の救いであった。
中空で体を捻り、巨躯に似合わぬ身軽さで地に降り立った白虎が苛立たしげに一声、吼える。
対して見下ろす巨獣の像、その石造りの牙の間から漏れる咆哮はない。
吐息の代わりとでもいうように、乾いた風が吹き抜けて高い音を立てた。

と、全身の毛を逆立てて吼え猛る白虎が、不意にその咆哮を止める。
一瞬の沈黙の後、身も竦むような大音声と替えて巨獣の口腔に宿ったのは、白い光である。
山頂を銀世界に変えた絶対零度の吐息、その前兆であった。
身を乗り出す巨獣の像が伸ばす爪が届くよりも、更に外側。
繊細に細工された硝子の砕けるような、鋭くも冷たい響きが高まっていく。
必殺の吐息が、正に吐き出されようとした刹那。
白虎の視界が映したのは、蒼穹を背景に飛ぶ、夜の闇。
不可解に思うよりも早く、激痛と共にその鼻面が、歪んだ。

150 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:30:57 ID:5deI7JdI0
けしゃり、と生理的な嫌悪感を催すような音が、銀世界の響きを掻き消した。
白虎が、声も出せずに大地に身を投じる。
鋼の刃も通さぬ頑健な毛並みの下から噴き出しているのは紛れもない鮮血。
砕けた鼻からだくだくと血を流し、白虎がのたうっていた。
そこへ間髪を入れず叩き込まれたのは黒の光球。
吹雪を吐き出そうとした白虎を大地に沈めた、正にその一撃と同じ打撃である。
音もなく着弾した闇が小山のような胴を窪ませ、白虎を更に弾き飛ばす。
地響きを立てながら転がった巨獣が、ようやくにして立ち上がったその正面。
更に闇が迫っていた。
飛び退く巨獣を追うように、二撃、三撃目の光球が奔る。

逃げるに疾走する白虎の頭上に、影が落ちた。
森の王と呼ばれた巨獣の英雄像、その膨大な質量を誇る前脚が、振り下ろされようとしていた。
追い込まれた、と認識するよりも先に白虎が選んだのは加速である。
折れ曲がった骨と痛みに軋む筋肉を無視して四肢で大地を蹴りつける動作は全力。
文字通り風よりも速く駆ける獣の影が、森の王の像が脚を振り下ろすよりも一瞬だけ速く、飛び出していた。
直後、大地が揺れる。
莫大な質量が、誇張でなく地面を抉っていた。
爆風の如き衝撃波が濛々と土埃を巻き上げ、岩盤を砕いて辺りに撒き散らす。
巨獣の像が叩きつけた一撃は、神塚山山頂に小さな隕石でも落ちたかのようなクレーターを生じさせていた。

しかし白虎がそれを振り返ることはない。
真紅に燃える瞳に浮かぶのは憤怒。
その怒りが向けられる対象は既に巨獣の像ではなかった。
自らに打撃を加え、傷を負わせたもの。
黒い翼の少女像だけが、怒りに燃えた獣の思考を占めるすべてである。

その視界には巨獣の像は入っていない。
矢のように駆けるその姿を見据え、背後から致命の一撃を加えるべく再び身を起こした巨獣の像を、
白虎はまるで認識していない。
分厚い岩盤を容易く抉り砕いた爪が、振り上げられる。
風を巻き、白の獣を肉の塊へと変えるべく叩き下ろされようとした、間際。

151 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:31:11 ID:5deI7JdI0
轟音。

必殺の一撃を止められたのは、今度は巨獣の像の方であった。
蒼穹を切り裂いて巨獣の像を打ったのは、黒い雷。
ぱらぱらと石の欠片を落としながら獣の像が振り向いた先、呵う女がいる。
その水瀬名雪という名を知る者はこの場にいない。
しかしその黒雷は一度ならず山頂の戦局を変えていた。
呵う女は、ゆっくりと歩いている。
その傍ら、眼球以外を黒一色に染め抜かれた蛙の人形からもう一度、黒雷が放たれた。
巨獣の像へと吸い込まれるように伸びた黒の光線が、しかし二撃目はその巨大な爪に引き裂かれ、掻き消える。
光を裂くという理不尽にも表情を変えず、女は呵っている。

―――みせてみろ、みせてみろ。

女は呟いている。
誰にも聞こえない声で、世界を犯すように粘りつく声で、針の飛んだレコードのように呟いている。
見せてみろ、新しい歴史。誰も知らないその姿を見せてみろ。水瀬の知らない未来を見せてみろ。
呟いて、女は呵っている。
呵う女の傍らから、更なる黒雷が轟いた。


***

152 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:31:35 ID:5deI7JdI0
 
背後で轟く雷鳴も、釘付けにされる巨獣の像も意識の端に留めず、駆けるものがある。
白虎であった。
巨獣を支配するのは激情である。
黄金の鎧の女、深山雪見に砕かれた鼻面の、その正確に同じ場所へもう一撃を叩きつけられた痛みは
尋常のそれではない。激痛が火種となり、憤怒の炎が燃え盛る。
傲、と吼えたその牙は少女像を噛み裂くべく打ち鳴らされ、大地を踏みしめる四肢から生えた
長い真紅の爪は像の黒翼を引き千切る瞬間を待ち望むようにぎらぎらと日輪を映している。
そして今、黒翼の像と白虎の間を遮るものは何もなかった。

正面から打ち出される黒い光球は単発で回避は造作もない。
表皮を掠める痛みすらもが憎悪の焔にくべられて心地よい。
疾駆する白虎が、跳ねた。

中空、迫る白虎を狙い撃つように放たれた黒の光球は真紅の爪の一撃で切り裂かれる。
遥か背後で繰り広げられるものと寸分違わぬ光景。
違うのは攻守の逆。そしてそれが、圧倒的な差異となって現れる。
無防備な黒翼の少女像、その胸元に、白虎が飛び込んだ。

一撃。
森の王の像が難なく受け止めてみせた巨獣の体当たりを、細身の少女像は受けきれない。
身を守るように翳された右の腕に真紅の爪が食い込み、入った罅が一瞬の内に傷口の如く拡がる。
転瞬、それを踏み台とするように飛び跳ねた巨獣の体重を受け止めきれなかったものか。
ぴしり、と伸びた罅が少女像の腕をぐるりと取り巻き、その優美な手首が、割れ砕けた。

跳ねた白虎が、空中で吼えた。
開かれた口腔に並ぶ乱杭歯が狙うのはただ一点、少女像の細い首。
防ぐものは、なかった。
万物を噛み砕く顎が、少女像の喉笛を粉砕し、その首級を落とすかと見えた。

それが叶わなかったのは、妄執が故である。

153 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:32:08 ID:5deI7JdI0
ほんの僅か、脚を伸ばせば爪が届くような距離。
がくり、と。
中空で、白虎の軌道が変わった。
重力に従う方向、即ち落下軌道への、僅かな変化。
それが白虎をして、少女像への致命ともなり得る一撃をなさしめなかった。

長い一瞬。
少女像の無防備な急所が遥か上方へと流れゆく中で、白虎は驚愕と共に見ていた。
己が後脚にしがみつく、妄執に取り付かれた女の姿を。
黄金の鎧に身を包み、長い髪を振り乱して、霜に包まれた剥き出しの筋肉をびくびくと痙攣させる、
その妄執の名を、深山雪見という。

混乱の中、嗤う雪見を振り払おうと身を捩った白虎の視界が、白く染まった。
黄金の鎧の女ごと自らを撃ったのが、遠く離れた白い翼の像の手から放たれた光球であると認識する術は、
白虎にありはしなかった。
捻じくれた姿勢のまま弾き飛ばされた、その先に待つものも白虎には見えていない。
いまや隻腕となった黒翼の少女像、その残された左の腕。
優美とすら写る手の中に、極大の黒球があった。
飛び来る白虎を受け止めるように。
黒の極大球が、獣の巨躯を包み込んでいた。
衝撃と呼ぶにも生易しい地獄の苦痛が全身を包み苛む、その一撃が巨獣の意識を刈り取っていた。
ぼろ屑のように剥がれ落ちる金色の妄執を無視するように少女像の手から放たれた第二の黒い光球が、
手毬遊びでもするかの如く、巨獣を天高く跳ね上げる。
既に意識もなく無防備に宙を舞う白虎を、見据えるものがあった。
身を起こし、腕を振り上げた、森の王の巨像である。
白虎の身体は、水瀬名雪の黒雷に釘付けにされていた巨獣の像の、その眼前に跳ね上げられていた。
石造りの像でなければ、満面の笑みを浮かべていたやも知れぬ。
その背に小さな英雄の少女を乗せた巨像が、渾身の力を込めて、その莫大な質量を秘めた腕を解き放った。

肉と骨が砕ける音よりも、巨躯が大地を穿つ光景の方が、速かった。
音速を超過して天空から落下するその様は、一個の流星。
白き魔獣が、暴力という概念の権化の如きその体躯が、一瞬の内に、神塚山山頂の岩盤に打ち込まれ、
鮮血と体液と肉塊と臓腑を撒き散らして転がった。


***

154 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:32:37 ID:5deI7JdI0
 
「―――どうしたね、諸君」

呟くような声はしかし、沖木島の全域を揺るがすように轟く。
顔のない巨龍の、見渡すことすら難しい全身のあらゆる場所から、その声は響いているようだった。
長瀬源五郎と呼ばれていた人間の、それは声である。

「なかなかに、手こずっているじゃあないか。
 諸君が目にしているのは太古、……とはいっても我々とは違う時空の太古だがね、
 蛮族の奉っていた者たちの写し身だよ。
 なあに、所詮は蛮人の模造品だ。神を止めようという諸君には容易い相手だろう?
 ……よもやそんなものに敗れるような、その程度ではあるまいね、諸君の力は?」

くつくつと、陰気な笑い。

「私はすべてから……すべてから解き放たれた心を創るんだ。
 人がその萌芽を恐れ、可能性を摘み取ってきた本当の心は、まだ生まれてさえいないのだから」

誰にも向けられぬ一人語りが、戦場に響く。

「ダイナミック・インテリジェンス・アーキテクチャ? ……馬鹿を言っちゃあいけない。
 人に懐くように造られた……あんなものが、心であるものかね。
 命のくびきから解き放たれた、真の人の中に生み出される―――それこそが本当の心だ。
 私はそれを阻む者を焼き尽くし、神として娘たちに真の世界を与えよう」

答える者はない。
誰もが、戦っていた。

「もう直に天より光が降る」

蒼穹の彼方、真空の世界を見上げる者はいない。
声は独り、天空へと思いを巡らせる。

155 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:32:59 ID:5deI7JdI0
「陽光など既に必要ではない―――私に降り注ぐのは世界を変える光。
 神の新生を祝う天上の栄光だ。……そうだ、諸君。
 諸君にはやはり、時間など残されていないのだよ」

絶望という色の、それは言葉。
嬉々とした声が、ただ終末を口にする。

「そう、有限の時を懸命に生きる諸君に、私という存在の意味を教えてあげよう」

くつくつ、くつくつ。
痰の絡んだような、怖気の立つ笑みが漏れると同時。
英雄の立像に、一つの変化が現れた。
ぼんやりと光を帯びていたのは、唯一つ動きを見せていなかった、女の像である。
祈るように手を組み、目を閉じていた立像が、薄緑色の美しい光に包まれていく。
見る間に強くなった光が、閃光と呼べる強さにまで輝きを増し―――そして唐突に、消えた。

「君たちの臨む神は永遠にして不変―――」

光の消えた女の像に変わったところはない。
しかし薄緑色の光が閃いた、その瞬間。
変化は別の場所に現れていた。

「些細な傷をつけようと―――無為というものだ」

黒翼の少女像、白の巨獣によって砕かれた右の腕。
喪われたはずのそこには、しかし罅一つ見当たらない。
薬師の像の祈りが、時を戻したかのように。
完全に、復元されていた。

「健闘を、ああ、健闘を心から祈るよ、諸君」

まるで無傷となった巨躯を日輪の下に晒して、長瀬源五郎だったものが笑う。
片腕に砧夕霧を抱く坂神蝉丸の上に、
巨大な刀と切り結ぶ光岡悟の上に、
繰り出される双剣の隙を窺う天沢郁未の上に、
その傍らで長槍を捌く鹿沼葉子の上に、
黒雷を伴って歩む水瀬名雪の上に、
血だまりに倒れ伏し動かない川澄舞の、深山雪見の、来栖川綾香の上に、
楽しげに響き渡る声が―――、

「天よりの祝福が降りるまで―――あと、千二百秒」

終焉までの時間を、告げた。

156 十一時三十六分/this is a B.R. :2008/10/13(月) 03:33:53 ID:5deI7JdI0
 
【時間:2日目 AM11:40】
【場所:F−5 神塚山山頂】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:軽傷】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:軽傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:生死不明(全身圧潰)・ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:生死不明・出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、全身骨折、ムティカパLv1】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:生死不明(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】

→1007 1011 ルートD-5

157 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:49:27 ID:zJYUBET.0
******



   ―――撲るかね。引き裂くかね。あたしたちを―――

―――全開の……鬼の力、見せてあげられるよ―――

   ―――俺の運命を……返してくれよ―――

―――どうか、あなたの行く先が美しくありますように―――

   ―――貴様のような輩が國を惑わす―――

―――私は下がらない。下がっちゃいけないんだ。それは―――


   ―――それが私たちの流儀、ですから。



******

158 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:50:34 ID:zJYUBET.0
 
 
声が聞こえる。
それは、私を誘う死人の聲と、
世界に抗う、生者の叫びだ。



***

159 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:51:15 ID:zJYUBET.0
 
人を愚鈍と思ったことはない。
人より優れていると思ったこともない。
ただ、私は私であるだけで、私以外の誰かとは、そう、違うのだと、理解していたに過ぎない。

頭脳ではない。身体能力ではない。才能ではない。素質ではない。
そんなものなどでは、決してない。
ただ、違うという意思だけが、違う。

私は、違うのだ。
誰でもない、私だけが、違うのだ。
それは歴然とした事実であって、そうしてそれだけのことだ。

それは誰しもが持っていたはずの、矜持だ。
かつて誰もが抱いていたはずの、鋭く、荒々しく、美しいものだ。
多く世にある、そういうものはしかし、いつの間にか消えていく。

誰かがそれを思い込みと呼んだ。
誰かがそれを勘違いと蔑んだ。
誰かがそれを、取るに足りぬものと斬って捨てた。

その全部が、世界に負けた者たちの、断末魔だ。
何かに敗れ、何かに屈し、そうしてそれを認めた者たちの、末期の聲だ。
それはつまり、自分から生きることをやめたという意味で。
だからこの世には、死人が溢れている。

160 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:51:27 ID:zJYUBET.0
死人は生者が妬ましく、負けた己が悔しくて、生きる者に囁くのだ。
死んでしまえ、生きるのをやめてしまえ、お前は我らと同じなのだ、と。
低きに流れよと命じる、それは誘惑だ。
従えば楽で、しかし屈すれば二度と戻れず、この世はだからもう、
生きることをやめた死人たちの闊歩する、彼岸でしかない。

彼岸に生まれた私は、だから生きているというだけで、違うのだ。
死んでいくものたちの中で、私は一人、生きている。
それを誇る気はない。
私はただ、彼らの醜さを憎悪しているに過ぎなかった。

世界を殺して己を貫くとき、人は美しい。
故に孤独、しかしそれをこそ、生と。

私が望む私。
私だけが望む私。
私の他の誰もが、望まぬ私。

死者の聲に耳を傾ける必要が、何処にある?


***

161 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:51:50 ID:zJYUBET.0
 








私はただ、私に命じる。
美しく、あれ。










******

162 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:52:12 ID:zJYUBET.0
 
神塚山の頂には、死が満ちている。
骸は、もうない。
赤くでろりとした何かに変じて融け合って、今はもう、どこにも転がっていない。

それでも、その山の頂に満ちるのは、紛れもない死の色と、臭いだった。
命から流れ出た黒に近い赤褐色が、山頂を染めている。
照りつける陽光にも乾ききることなく池となり、沼となったそれが、そこかしこに顔を覗かせていた。

そんな、誰のものとも知れぬ血だまりの中。

ぼこり、ぼこりとあぶくを立てるものがある。
泥に汚れて真っ黒で、脂の白と肉の桃色とが混じり合い、それはひどく、無様だった。

どくり、どくりとあぶくが弾ける。
弾けて飛んで辺りを汚して、しかしあぶくは止まらない。

どくん、どくんとあぶくが揺れる。
どくん、どくんとあぶくが割れる。

どくん、どくんと脈打つように。
どくん、どくんと無様を曝す。

その、襤褸切れのような肉の塊が、かつて来栖川綾香と呼ばれていた女の、成れの果てである。

163 十一時四十分(1)/貴女を濁らせる全部を殺して :2008/10/16(木) 13:52:46 ID:zJYUBET.0
 
【時間:2日目 AM11:40】
【場所:F−5 神塚山山頂】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:???(全身裂傷、骨折多数、筋断裂多数、多臓器不全、出血多量)】

→1013 ルートD-5

164 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:22:41 ID:rCiO.Kc20
 上下にゆらり、ゆらりと小刻みに揺れることが、なんとなく藤林杏の脳裏に船旅を想像させた。
 むしろどんぶらこ、という方が正しいかもしれない。

 そんな感想を思うほどに、ウォプタルの背中は静かで乗り心地が良かった。
 一体どこの生物なのかは知らぬが、見た目の恐竜然とした姿からは考えられないほどに体温は暖かく、哺乳類のそれと変わりない。
 しかし二足歩行にも関わらずしっかりとした足取りは強靭な筋肉が備わっていることを暗に示し、時折ぶらぶらと揺らされる尻尾は鞭のようにしなり人さえ跳ね除けてしまうかのような力強さがある。
 その尻尾で一度攻撃され、威力を身をもって体験しているだけに、実際は力のある動物(?)なのだろうなと杏は思った。
 よほど人間に懐いているのか、それとも元来このように大人しいのか……ともかく、重傷とも言える傷の杏にはありがたいことには違いなかった。

 心中でこれを手回ししてくれた霧島聖に感謝しつつ、旅の道連れである芳野祐介の姿を見下ろす。
 ウォプタルの上であるゆえ、表情は窺い知ることは出来ないが憮然とした仏頂面を引っさげているのだろう。
 情報交換をしているときに岡崎朋也を探していたこと、また伊吹風子の安否も心配していたことから同郷の人物なのだと想像することは出来たが、それ以上の芳野という人物像について知る術はなかった。

 ただ憮然とした表情の裏には人と人を大事にする、頼れる男としての優しさが備わっていてどこか少年のような雰囲気も漂わせていることは理解していた。
 でなければ、あの時あんなに強く憤りはしなかっただろう。
 が、それ以上のものは測り知ることは出来ない。

 一体何を考え、婚約者を失ってまでこの殺し合いに抗い続けているのか。
 その意思の強さは何に裏打ちされているのか。
 何度も仲間を失い、心も一度折れかけた杏としては興味をそそられる部分があったのは確かだった。

 とはいえ、おいそれと聞けるような事柄でもない。杏もそこまで無神経ではないのだ。
 けれどもこのまま沈黙を守って無言での行軍というのもまた杏には耐え難いことではあった。ただでさえこの島は重苦しい雰囲気に包まれているのに、この上沈黙まで重なってはたまらない。杏の嫌いなものの一つは、辛気臭い雰囲気であった。

 が、これといった話題も思いつかない。他愛ない話をしようにも年上の男とは会話をする機会なんてなかったし、この島にいると、日常では出せていたはずの話題も忘れてしまう。この殺し合いについてどう対処するのか。そういう系統の話題しか出てこない。
 結局、数少ない共通の話題と思われる岡崎朋也のことについて尋ねてみることにした。
 もっとも、本人は既にこの世からいなくなってしまっているのだが……

165 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:23:10 ID:rCiO.Kc20
「あの、芳野さん」
「ん?」
「朋也とは……どこで知り合ったんですか?」
「朋也? ああ、岡崎か」

 名字で覚えていたのか、すぐには思い出せなかったようで少しぼさぼさになった髪を掻きながら、目を細めながら言葉を返す。

「一度、俺の仕事を手伝ってもらったことがあってな。それだけなんだが、妙に頭から離れなくてな」

 知り合ったどころか顔見知りかも怪しいものだった。一日と満たない付き合いのうちに、芳野は朋也の何を見ていたというのだろうか。
 ふと先程感じた、少年の面影を残す雰囲気が朋也と重なる。朋也も、どこか子供染みた側面を持つ人間だった。

「まあ岡崎の方は覚えていないかもな。成り行きで手伝ってもらったようなものだから、な」

 苦笑を漏らしつつそう言う芳野の顔は、少しだけ寂しそうに見えた。
 もう一度会いたかったのだろうか。杏が感じていたものを、芳野も感じていたのかもしれない。
 今となっては、もう叶わぬ夢になってしまったが。

 なぜ。
 なぜ、こんなにもあっさりと逝ってしまうのだろう。
 朋也も、浩平も、祐一も……
 何も言わずに去ってしまうなんて、あんまり水くさいじゃないか。
 折角知り合えたのに……どういう経緯であれ、命を落とすことになったのは杏には納得のいかないことに思えてならなかった。

「なんで……死んじゃったんでしょうね、あいつ」

166 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:23:42 ID:rCiO.Kc20
 そんな言葉が、堪えきれずに口から飛び出す。返答なんて得られない問いだと知りながら、それでも口に出さずにはいられなかった。
 杏はもちろんとして、芳野だって死ぬ現場に立ち会ったわけではない。首をゆっくりと振りながら「さあな」と芳野は答えるだけだった。

「だが、バカなのには違いない」

 そう付け加えた芳野に、杏の表情がきょとんとした色になる。意外な返答だった。
 人を悪く言うような人間には思えなかったのだが。

「先に逝ってしまった奴は狡い。後に残された奴は言い訳できなくなるんだ。死にたくても、死ねなくなる」

 どこか恨み言のような、諦観の入り混じった芳野の言葉を杏は必死に理解しようとする。
 ただ、先に死んでしまった人間が狡いというのは杏も同意するところではあった。特に、結果を残すだけ残して逝ってしまった人間は。
 わけも分からず殺されただとか、一方的に虐殺されたとかなら、まだ悩まなくて済むのに。
 殺した側の人間だけ恨めばいいのだから。

「藤林、お前は、どうして人が写真という形で思い出を残すと思う。どうして歌や詩で思いを伝え、残そうとすると思う」

 え、と全く別方向からの質問にすぐに答えられなかった。
 思い出を形に残す理由。普段は考えもしないことだ。
 だが、今という状況でならその意味が分かるような気はする。少なくとも日常の中にいたときよりは、早く答えられる。

「覚えて、おきたいから……ですか」
「それもある。もう一つ――覚えていてもらいたいから、というのもある」

 少しずつ、芳野が何を言いたいのか分かってきた。恨みの篭もった口調で、狡い、と言った理由が。

「人は誰かの中に残りたい。どんなに小さくても、どんなにちっぽけな行為だとしても。誰かの何かになりたいんだ。命を懸けてでも何かを為そうとする。……だから、狡いんだ。残された方の選択肢は、覚えていることしかなくなるというのに」

 芳野の表情に、軽く怯えの混じったものが入る。
 覚えておかねばならぬという責を負った者の、特有の怯えだった。
 追い立てられ、立ち止まることを許されぬ者の目。命を大切にする芳野だからこそ、そこには真の意味での、生き延びなければならないという思いが汲み取れた。
 死んでしまえば、誰も覚えていられなくなる。だから死ぬわけにはいかない。恥を晒し、泥を啜ってでも生きなければならない理由が出来てしまう。

167 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:24:07 ID:rCiO.Kc20
 そのことは同時に、他者を切り捨てる可能性が出てくるのでは、と杏は危惧を抱く。
 生きなければならないという責に駆られ、そのために誰かを犠牲にするという危惧。
 ひょっとしたら芳野はそれとも戦っているのかもしれなかった。

 けれども……今はそんなことはない、と杏は確信する。
 話してくれるほどには、芳野は追い詰められてはいないということなのだから。
 一つ息を吐いて、杏は雨が降り始めた空を見上げる。
 傷口に沁みる雨が、少しだけ痛かった。

「本当、狡いですよね……」

 ああ、と頷く芳野の、その服も既に肩口に埃と雨粒で汚れが広がっている。杏は続けた。

「でも、たくさんの人で覚えていることは出来ますよ」

 芳野の動きがほんの数瞬止まり、苦笑に満ちた目が杏を見上げる。
 初めて、芳野が杏の顔を見た瞬間だった。
 覚えておく責を、人と人で分かち合うことは出来る。杏は、それが出来ると信じていた。
 ああ、そうだなと応じた声は先程よりは軽く、朗らかになったように思えた。
 僅かに空気が弛緩していくのを感じた杏は続けとばかりに頭に浮かんできた話題を持ち出す。

「そういえば、結局アレの隠し場所は体育倉庫で良かったのかしら? 人数上の関係から見張りを付けられないのは分かるんだけど、鍵をかけておかなかったし……」

 保健室で別れた二人は、予定通りまずは硝酸アンモニウムを倉庫に運び込んだが、扉は閉めただけで鍵はかけなかった。
 そのときは特に理由も問い質さなかった杏だが、時間が経つにつれて強奪される恐れがあるのではないかとの危惧を抱き始めた。
 この島において入手が困難だと思われる硝酸アンモニウムを奪われては計画の実行どころではなくなる。
 もう少しマシな隠し場所を皆で考えれば良かったのではないか。鍵をかけるよう進言すれば良かったのではないかと思いながら尋ねた杏だったが、芳野は「心配ない」と返す。

168 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:24:41 ID:rCiO.Kc20
「アレ単体じゃさほどの意味を持たない。俺達と同じようなことでも考えていなければ持って行きはしないだろう。むしろ、そうならば好都合と考えるべきだ」
「……逆に、それの意味を知っているからこそ作らせないために持ち去るってことも考えられると思うんです」
「確かに、殺し合いに乗っている奴が知識のある人間だったら、その可能性もなくはない。だが厳重に鍵をかけたとしてそれを持つ人間が死んで……あるいは行方不明、離れ離れになったとしたら、それは事実上紛失したのと同義だ。なら、多少のリスクはあっても全員が確認できる場所に置いておくのがいい」
「……そう、ですね」

 納得する一方で、芳野の言っていることは誰かが死ぬことも視野に入れていることにも杏は気付く。
 最悪のケースを想定している、と思っていいだろう。これまでの芳野の経験上からそれは考えて然るべき行動なのは杏にも理解できたし、尋ねなかった自分が悪いと感じていた部分があったので、不満は特に感じなかった。
 むしろ心配だったのは、芳野の言葉は彼自身に向けて言っているような気がしてならないことだ。

 死にたくても死ねないと語った芳野。
 けれども、心のどこかでは死に場所を求めているのではないのか。
 誰かを犠牲にするのも已む無し、その考えと戦っていると杏は考えていたが、それは違うのでないか。
 芳野が本当に戦っているのは、押し潰されまいとしながらも重圧に負けて、死を選んでしまうかもしれない弱い自分ではないのか。

 先の会話で繋がりあえたと思ったのも一瞬、靄のかかった不安が疑問となって喉元まで込み上げ、しかしどう口にしていいのか分からず結局閉ざしてしまう。
 どう話を続けていいのか分からなくなった杏だったが、それでも捻り出そうと何か言おうとする――が、それは芳野が手を上げて、杏を制したところで打ち切られた。

「誰かいる。遠目だが、こちらを窺っているようだ」

 既に芳野はウージーを取り出し、油断なく構えている。
 鎌石村の中には入っているのだろうが、ここは町外れのようでまばらに民家が立ち並んでいる以外は草ぼうぼうの野山が広がっているくらいで、しかも雨によって視界はいくらか悪くなっている。幸いにして道はいくらか整備されているのでウォプタルに乗って逃げることは容易いだろう。
 けれども監視されているという事実が杏の警戒心を煽り、無意識に日本刀を取り出させ、目を深々とした林に向けさせる。
 芳野は鋭く尖った刃物のように視線を走らせ、ゆっくりとその場を回りながら前方を中心として警戒を高めているようだった。

169 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:25:08 ID:rCiO.Kc20
「何か、見えたんですか」

 雨の仕業かもしれない。たまたま雨粒が落ちて不審な物音を立てたのでは、とも考えた杏が確認の意味合いも兼ねて尋ねる。
 聞こえただけ、というのはそんなに頼りになるものではない。自分の目で確かめ、その先にあるものをしっかりと見る事が重要なのだ。
 けれどもそんな杏の心配は無用だったようで、芳野は「確かだ」と返す。

「変な白い綿毛みたいなのがちらちらと見えていたんだ。こちらをついてくるので何かとは思っていたが、急にいなくなった」
「綿毛……?」

 疑念ではなかった。そんな特徴に見覚えがある。はて、何だっただろうかと考えを走らせようとする杏だが、疑っているとみたのか芳野は大真面目に続けた。

「この島、動物がいないだろ? ここにいる恐竜も支給品だ。お前の猪も支給品。だとするなら、他にそんな動物がいてもおかしくない。斥候に使っていたんだ」

 迂闊だったと嘆息する芳野に、「あ、そういう意味じゃ……」とフォローしようとした杏だったが空気の読めない第三者の声が割って入った。

「藤林さん! 良かった、ご無事だったんですね!」
「おい待て、勝手に飛び出すんじゃない! あーくそ!」

 がさがさと無警戒に茂みをかき分けて這い出してくる二人の……いや、一人と一体、おまけに一匹のトリオの姿があった。
 ゴキブリのように這って来た三つの物体に口を開けて愕然とし、固まる芳野を他所に杏はどこか冷静に「あー、こいつらだった」と緊張していたのをバカらしく思っていた。
 いくらなんでもその再会の仕方はないだろうと思いつつ、取り敢えずはほっとしたように表情を緩めた杏は芳野に警戒を解くように言った。

 が、言い渡された芳野は何故か固まったままで、首をかしげた杏が「芳野さーん」と四回くらい背中を叩いたところで「あ、ああ……」とどこか気落ちしたかのように呟き、ふふふ、と自虐的に笑っていた。
 杏と同じく、あまりにも大きい落差に打ちのめされたのだろう。が、よりシリアスだった分ダメージは深刻だった。
 あまりにも可哀想だと思った杏は、取り合えず「何だ、お前か」と暢気に安心していた高槻の頭を殴った。

「ガッ!? てめ、何しやがる」
「取り合えず、空気読め、バカ」

170 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:25:32 ID:rCiO.Kc20
 ギロリと凶暴な視線を向けられた高槻は何が何だか分からない……と頭を押さえながら不満タラタラな口調で言い返す。

「先に飛び出したのはゆめみだろうが……俺は止めたんだよ……なのにあいつ、藤林だって分かった途端……」
「ええと、その、わたしは何かまずいことをしてしまったのでしょうか……」

 ゆめみにしてみれば杏が険悪な雰囲気を醸し出しているのには合点がいかないに違いない。こーいうコだったわよね……と嘆息しつつ、ちらりと芳野を横目で見てみる。

「なぁ、今の俺は笑えているか……?」
「ぴこー」
「そうか、お前はいい奴だな……悪かった、疑ったりなんかして」
「ぴこっ」

 空気が澱んでいた。雨が降っている中、あそこ一帯だけが土砂降りである。いつの間にか友情も築き上げているが、心に負った傷はマリアナ海溝くらいは深そうだった。
 再度ため息をつき、まあこんな状況でも無事再会出来たのは喜ぶべき……と考えかけたところで、ふと足りないものに気付く。

「……郁乃、は?」

 言ってしまってから、その名前がつい数時間ほど前に呼ばれていたことを思い出して、失言をしてしまったと杏は思った。
 一瞬の沈黙が走り、それまであった空気が吹き飛んだ。ゆめみは表情を固くし、高槻も眉を寄せながら「放送、聞いてなかったのか」と返す。

「……ごめんなさい」

 狡い言葉だ、と思った。
 高槻はしばらく杏の表情を窺っていたが、やがて一つ息をつくと「俺を庇って死んだ」と短く言った。
 死んだ、という抑揚のない響きが、かえって杏にその命の重さを実感させる。
 恥ずかしくなって、いたたまれなくなったように杏はぎゅっ、と自らの服の袖を掴んだ。

171 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:26:10 ID:rCiO.Kc20
「そっちも、何人か殺られたみたいだな? 何がどうなって、今に至っているのかは知ったこっちゃないが」
「まあ、ね……」
「……あの野郎、カッコつけて死にやがったか」

 どうして、という風に杏は驚いた顔を見せる。杏とて死に際の顔を見たわけではないが、芳野から聞かされる限りでは高槻が言うような死に方をしていった。
 訊けない杏の心情を見て取ったように、高槻は付け加える。

「お前の顔には恨みとか、何と言うか……負のオーラってのかね、それが出ていない。一方的にやられたとか、そういうんなら絶対に顔に出る」

 言わんとしていることは分かった。が、この男はここまで鋭い男だっただろうか?
 胸の内から湧き上がる疑問は、直後の一言に打ち消された。

「もっと目を早くしておくんだな」

 ふん、とどこか馬鹿にしたような言葉にしばらく打ちのめされた気分になる。
 何かが変わったのだ。この男の中で、何かが。
 だがその表情は、寂しそうな感じで――それは、つまり……

「そこの兄ちゃん。ちょいと情報交換しないか? 耳寄りな情報があるぜ」

 しかしそこでそれ以上の考えは打ち切られる。高槻の挙動は、いつも通りの軽薄な部分を含んだものに戻っていた。
 杏の横から「行きましょう」と見上げるゆめみの声がかかる。
 高槻が喋っているときには、ゆめみも何も言ってはいなかった。邪魔をしないように、高槻に任せて。
 取り残されているのか、と杏は思った。

 皆どんどん変わっていく中、最初から何も変わらないのは自分だけで……
 目を早くしろ、という高槻の言葉が反芻する。
 それは、警告のように思えてならなかった。

172 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:26:32 ID:rCiO.Kc20
     *     *     *

「船?」

 今ひとつ信用しきれていなさそうな顔で、芳野祐介は地図の上に記された点の集まりを眺める。
 道中簡単な自己紹介をしつつ、辿り着いた先のあばら家の軒下にて四人は談義を重ねていた。
 さほど雨は酷くなかったので突っ切りながら話をしても良かったのだが、芳野が取り出したメモを見て、何かあるらしいと判断した高槻は自然を装いながら隠れるようにして目立たないところへ行く事にしたのだ。

 芳野と杏のメモを見た高槻とゆめみは仰天。水面下でこんな計画が進行していたということに(特に高槻は)驚き、落胆の表情さえ見せた。
 が、そのまま黙っているというのも会話の流れが悪いので高槻は顔を引き攣らせつつ、岸田の船の件について話し始めた。
 希望の芽が増えたというのに、どうしてあんなに複雑な顔をしているのでしょう、とゆめみは不思議がりつつ、二人の持っていたメモに目を通し、その内容をメモリーに焼き付けておく。少し雨で滲んでいたが、読み取りには支障はなかった。

「岸田って野郎が乗ってきた船があるに違いないんだ。
 かいつまんで話すとだな、奴は首輪をしていなくて、にも関わらずこの島の連中を片っ端から襲っていた。
 ということはだ。奴は主催者連中に雇われたということでもない可能性が高い。何故か分かるか?」
「必要性がないからか」
「流石に賢いな。そう、主催者に雇われるってのは相応の条件がないとダメだ。例えば、進行を円滑にする代わりに家族を助けてもらうとかな。
 そうでなきゃわざわざ参加者に襲われやすい島ん中に放り出すより殺し合いを管理してる施設の防衛に回す方が合理的ってもんだ。
 にも関わらず奴は島の中だった。ということは、奴は正真正銘の乱入者ってことだよ。だから、ここに来るための乗り物が必ずあるに違いない」
「空から来た場合まず俺達だって気付く……地中はここが島であるということから考えにくい。船は妥当な線だな」

 そんな会話を交わす二人の男を尻目に、聞こえぬ程度に机の上に座っていた杏がぼそりと漏らす。

「……あいつ、こんなに頭が冴えるようなキャラだったっけ」

 ウォプタルは流石に家に入れるわけにもいかなかったので外で待機中。時折馬とも鳥とも取れるような鳴き声が響いていた。

「科学者さんだったらしいですよ、高槻さんは」

173 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:26:59 ID:rCiO.Kc20
 が、耳ざといゆめみが聞き逃すはずはなかった。今回は幸いにして空気を読んだのか、それとも会話の邪魔をしないためなのか、杏に聞こえる程度の小さな声だったが。
 へぇ、と目を丸くした杏は、科学者ねぇ……と呟いてため息をつく。

「あたし、そんなことも知らなかったな」

 どこか羨ましそうに語る杏にゆめみは「わたしも、少し前に知りました」と返す。
 高槻に関しては知らないことが多すぎた。
 科学者であったこと。
 人に誇れるような生き方をしてこなかったこと。
 郁乃の死を体験して初めて、高槻が語りだしたことだった。

 では、今までの高槻は全てが嘘だったのか。
 見栄を張るための紛い物の姿だったというのか。
 それは違う、とゆめみは思っていた。

 岸田を無学寺で追い返したときの、燃え盛る炎のような絶叫が虚偽であるとは、ゆめみには考えられなかった。
 それがゆめみをプログラムした人間によって施された人工の判断材料だったとしても、それを信じるのはゆめみの『心』なのだから。

「わたし達は、あまりにも知らなさ過ぎたのかもしれません。でも、だからこそ……知らなかったことを知ることが出来ました」
「無知の知……か」

 そう呟いて、杏は何かを考え始めたようだった。彼女も、何か思うところがあったのかもしれない、とゆめみは考えることにした。
 私たちと同じで、不完全……当たり前だったことを今更思い知ったというような郁乃の顔と台詞がゆめみの頭で繰り返される。
 杏も、恐らくはそうなのだろう。
 何かに気付いてもらえるなら。それはきっと、郁乃の言った『成長』したモノの姿に違いなかった。
 そうなることが出来ているのだろうか。果たして、自分は誰かの役に立てているだろうか。

174 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:27:23 ID:rCiO.Kc20
 それは所謂、『迷い』の一種であったが、ゆめみ自身はそんな感情を持っていることにまだ気付いてさえいなかった。
 ロボットが持ち得ることの無いとされる感情。これでいいのかと足踏みする感情。
 殺し合いという環境下では余計とさえ言えるもの。それが、どう変転してゆめみを変えていくのか。
 まだ本人は、何も知ることはなかった。

「でだ、俺達はここから奴の船を探そうとしていたって事よ。どうだ兄ちゃん、付き合ってみる気はないか」

 気がついてみれば、芳野と高槻の会話は結論に入ろうとするところだった。
 芳野も頷いて、高槻の意見に同調の意を示している。脱出できる要素が増えることについて異を唱える必要はないと思っているからだろうか。

「しかし、だ。主催者連中がそれを回収に来ていたらどうする」
「それも可能性は低いだろうさ。閉じこもってりゃ取り合えず奴らの身の安全は保障されるんだからな。それを俺らみたいな少数の人間に、わざわざ発見される危険を冒してまで姿を現すとは考えにくい。それに」

 発見できたとして、こいつを外せないことにはな、と首輪爆弾を指しながら高槻は言った。
 だがその表情は台詞とは裏腹の不敵なものになっている。それもそのはず、それをブチ壊しにするプランが今目の前にあるのだから。
 食えない男だ、というように芳野も唇だけ変えて笑う。

「なら手を貸すぞ。藤林もいいか?」
「あ、はい。……まあ、元々探してた人と会えたわけだしね。後、椋も探す必要があるけど……近くに電話、ないかな? ことみたちに連絡が取れればいいんだけど」

 別々に分かれて行動している仲間と連絡が取れれば、行動の無駄は減る。電話で会話出来るということは杏の仲間(メモの紙面で一ノ瀬ことみ、霧島聖なる人物だということは分かっている)はどこか一箇所の施設に留まっているか、携帯電話でも持っているのか。
 考えたところで自分の利にはならないと判断したゆめみは、とにかく電話があれば話は出来ると理解するに留めておくことにした。
 連絡を取ろうと考えた張本人の杏は周りを見回すが、廃屋に近いあばら家には電話どころか電気も通ってさえいなさそうだった。
 そういう場所を選んで移動したから仕方ないのですが……
 そんな風にゆめみが考えていると、お前、無線で連絡を取れる機能とかないか、と高槻が尋ねてくる。

「残念ですが……」

175 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:28:07 ID:rCiO.Kc20
 真面目に応じるゆめみに対し、「そんな機能があるんだったらもう言ってるでしょ」と呆れながらに杏がため息をつく。
 ゆめみに対して言ったものではなかったのだが、自分のことを言っていると思ったのか「も、申し訳ありません」と平謝りする。
 謝罪された杏はやれやれと首を振って、どうしようもないなぁ、というように笑った。

「ほんっと、仕方ないコね、あんた」

 それはどこか、安心したような響きがあった。
 ふと昔の友人にひょっこり出会ったような、そんな柔らかい微笑みだった。
 ただ呆れられているのではないのではないか、とゆめみはふと思ったが、確信するまでには至らず、ただ困ったように首をかしげるしかなかった。

「無いものは仕方ないさ。それはまた後でやればいい。で、どうする。俺達は一緒についていけばいいのか」
「そりゃ非効率だろう。二手に別れようぜ。俺達は南側から入るから、お前らは北側から鎌石村に入ってくれ」
「……? どうしてそんなことを?」

 分かれるにしても距離が近すぎる。疑問の声を重ねた杏はそう思ったのだろう。それはゆめみも思ったことだったので、高槻の返事を待つことにする。
 すると高槻はさも自信満々に、

「保険だよ。もしどちらかが襲撃されても、もう片方がすぐに救援に行けるだろ?」

 と言った。
 ほぅ、と芳野は感心したように顎に手をやり、杏もゆめみもそういうことか、と納得したように頷く。
 なるほど確かにこれなら各個撃破される恐れは低くなる。流石だとゆめみは感心しながらも、これが先程高槻が言った『目を早くする』ことなのだろうかとも思った。
 見習わなければなりませんね、と心中で呟いて見落としていることはないかと考えを巡らせる。

「あ、そうです。あの、餞別というわけではありませんが、これを」

 情報以外にも交換し損ねていたものに気付き、ゆめみはデイパックからニューナンブとその弾薬を取り出して杏に手渡す。
 意外なものを受け取った杏は「いいの?」と一応確認する。
 貴重な武器であることは否めない。しかし勿体無いと渋っていては宝の持ち腐れだ。戦力は均等に分けておいたほうがいいという考えもあった。

176 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:28:27 ID:rCiO.Kc20
「結構武器が多いので。代わりのものはあります。これで、ご自分の身を守ってください。それと、他の皆さんも」

 それは芳野だけでなく、杏が心の内に抱えている人全てに言ったつもりだった。
 結局守れなかった郁乃への責任から来る言葉なのか、ただ単に気遣いのつもりとして言ったのか、ゆめみ本人も認識していなかったが、そのように奥底で感じていたことは事実であった。
 杏はしばらくゆめみとニューナンブを交互に見ていたが、「うん、ありがと」と軽く頭を下げ、ニューナンブを制服のポケットに入れた。

「代わりってわけじゃないけど、あたし達の仲間の電話番号を教えておくわ。あたしから教えてもらったって言えば多分信用はしてもらえるから。……電話番号、書かなくても大丈夫?」

 ロボットの記憶力を当てにしているのか、書くのが少し面倒そうな杏はあはは、と笑いながら聞いてくる。

「記憶力には、自信があります。大丈夫です。テキスト量で言えば1テラバイト分は十分に記憶しておけるかと」
「……ロボットってのは伊達じゃねぇな」

 感心というより、羨望に近いような高槻の声が横から飛ぶ。
 先程記憶云々で一悶着あったからだろう。軽く負い目になっているようだった。
 そんなことを知るわけもない杏は「うん、やっぱ凄いわゆめみは」などとうんうんと感心しつつ、連絡先という電話番号を教えてくれた。

「おっと、一応こっちも見せとくか。武器のバーゲンセールなんでな、今は」

 高槻も同様にデイパックの中身を芳野に見せ「持ってくか」と尋ねる。どうやらゆめみと考えたことは同じようだった。
 そうだな、と応じてデイパックを軽く漁っていた芳野はその中に投げナイフを見つけ、「こいつは……」と手に取る。

「ん、どうかしたか」
「……形見、みたいなものかもしれないな。因縁の証かもしれない」

 因縁、という言葉に杏の表情が固くなったように、ゆめみには見えた。
 芳野はナイフをじっくりと見回してから、間違いない、と呟いた。因果なものだ、とつけ加えて。

177 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:28:47 ID:rCiO.Kc20
「俺の連れが持っていたものだ。奪われたままだと思っていたが……」

 いた、という言葉は既にその人が鬼籍に入ってしまったことを示していた。

「因縁、というのは?」

 だが高槻は芳野とかつて在った人物のことより、因縁の方を気にかけているようだった。
 死者に拘らない、高槻らしい言葉だとゆめみは思った。あるいは、人間関係を調べることで敵味方がどうなっているのか判断しようとしているのかもしれなかった。

「前に俺達……いや、俺を襲った奴がいてな。そいつから奪った……というと実際には違うんだが、まあそういうことにしておいてくれ。で、そいつは俺とどこか似ていた部分があってな……人を思う、愛に溢れていた。悪い方向だったがな」
「んなこたどうだっていいからよ、そいつは誰だ」

 人物以外に興味のなさそうな高槻の言動に、お前な、と芳野は舌打ちして憮然とした表情を見せたが、すぐに話を続ける。

「名前までは分からん。が、ナリの小さい奴で、しかし豪胆な奴だった。物怖じせずに攻めて来る。そういえば……水着を着ていたか?」
「……水着、ね」

 変な格好した奴もいたものね、と呆れている杏に対し、高槻は表情を険しくしていた。思い当たる節があったのだろうか。
 それとなく尋ねてみようとしたゆめみだったが、あまりにも険しい表情だったために、そうするのは憚られた。
 しかしその気配もすぐに消え、「愛、ね」と呟いた高槻はほれ、と芳野にナイフを渡す。

「まあともかく、形見なんだろ? 大事にしとけ」
「……お前とは、そりが合いそうにないな」
「愛なんて、下らねえよ」

178 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:29:02 ID:rCiO.Kc20
 ふん、と小馬鹿にしたように言って、高槻は芳野から離れる。
 嫌悪している風ではなかったが、受け入れられない部分でもあるのだろうか。
 愛という言葉はいい言葉のはずなのに。
 信頼はしているが、どうも高槻には他の人間と違うところがいくつもある。不思議なものです、とゆめみは思った。
 それが所謂『変人』に向ける類のモノであることをゆめみは、まだ知る由もなかった。

「おい、行くぞゆめみ。雨だからって休んでる暇はねえぞ」

 人間とはどういうものか、というのを再度考えようとしたところに、高槻の言葉が飛んでくる。
 既に高槻の姿は雨の中に移っていた。

「あ、待ってください! ……ええと、藤林さん、芳野さん、お気をつけて」
「ええ、そっちも。あのバカをしっかりフォローしてあげてね」
「出来れば、奴の心をもう少し解してやってくれ。メイドロボに頼むことじゃないんだがな」

 不愉快そうな口調ながらも、芳野も決して嫌悪しているというわけではなさそうだった。
 了解しました、といつものように恭しく応じながらゆめみも高槻を追って雨の中に飛び出した。
 少し走ってから、後ろを一度振り向いたが、雨による視界の悪さのせいなのか二人の姿が見えることはなかった。

 また会いましょう。そちらの言葉の方が良かっただろうかとゆめみは思ったが、もうそれを伝える術はなかった。

179 降り続ける雨の中で :2008/10/18(土) 19:29:27 ID:rCiO.Kc20
【時間:2日目午後20時40分ごろ】
【場所:C-5・廃屋】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:杏に付き従って爆弾の材料を探す。北側から岸田の船の捜索もする。もう誰の死も無駄にしたくない】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す。岸田の船を探す】
ウォプタル
【状態:外に待機】

愛などいらぬ!高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(5)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:船や飛行機などを探す。爆弾の材料も探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

【備考:ゆめみと高槻がことみの計画について知りました】
【その他:台車にのせた硝酸アンモニウムは学校外の体育倉庫に保管】
→B-10

180 一歩、一歩ずつ :2008/10/28(火) 20:58:46 ID:LMiccLVs0
「え?……どういう事だよ」

この過酷な殺し合いの中、常に抗い続けていた藤田浩之がただ空を見ていた。
ただ信じられなかった、先ほど流れた放送に。
誓ったはずだった、負けないと。
殺し合いに抗い続けると。
そうやってここまでずっと戦い続けていた。
ずっと。
ずっと。

だが、その頑張りを、歩みを踏みにじる様なものだった。
藤田浩之と言うたった一人の少年にはとてもとても重くて。
彼が戻りたかったもの。
彼が守りたかったもの。
全て、全て。

奪われた。

思わず跪いてしまう。
歩き続いてた足が止まる。
もう、その場から動けないぐらいに。

何の為に頑張っていたのだろうと思う。
何の為にここまで進んでいたのだろうと思う。

何で。
何で。

皆消えていったのだろう。

守りたかったはずだった。
守る決意もした。
守る覚悟もあった。

それなのに。
それなのに。

自分は守れなかった。

守れるはずだった。

なのにすべて失った。

「あかり……みさき」

大事な。
本当に大事な存在も。

181 一歩、一歩ずつ :2008/10/28(火) 20:59:42 ID:LMiccLVs0
「なぁ……何で逝ったんだよ……あかり」

浩之が思うのは本当に身近の少女の事。
失いたくなかった、大切な人。
守りたかったはずだった。

共に戻りたかった、あの日常に。

なのにどうして零れ落ちるんだろう。

あかりはどんな風に逝ったのだろうと。
幸せに逝けたのだろうか。
楽に逝けたのだろうか。
笑顔で逝けたのだろうか。

唯そんな事を考えて。


……でもバンと強く拳を叩きつける。

だって

「死んだらなにもならねぇだろうが!……死んじまったら……糞……畜生……」

死んだらもう逢えない。
死んだらもう話せない。

あの何処にでもあるようで幸せだった日々に戻れない。

そう、一緒に歩める事がもう、永遠に無理なのだから。
永遠に。
永遠に。

あかりだけじゃない

「雅史も、志保も、委員長も、理緒ちゃんも、綾香も……皆……皆!……死んで……あぁ……あああぁぁあぁあぁあぁあ」

浩之の隣に居て下らない話で盛り上がってた雅史も。
浩之と下らないネタで笑いあっていた志保も。
厳しいながら優しかった智子も。
必死に頑張ってた姿が微笑ましかった理緒も。
フランクであり気高かった綾香も。

皆、死んでしまった。

182 一歩、一歩ずつ :2008/10/28(火) 21:00:39 ID:LMiccLVs0
浩之が戻りたかった日常。
あの温かい日常。

その全てだった人達が居なくなってしまった。

唯、浩之を残して。

もう還りたかった日常は存在しない。

浩之は哀しくて。
苦しくて。

唯涙が溢れた。

思うのは無力。

もっと自分が上手くやれば。
もっと力があれば。

皆は生きることが出来たのではないかと。

そう思って悔しくて。
苦しくて。

ただ立ち尽くすしかできない。

そしてさらに二人の人物の死。
それが浩之を絶望へと誘う。

「みさき……観鈴……ごめん……ごめ……ん」

川名みさき。
神尾観鈴。

先程まで一緒にいた仲間達。

本当にさっきまで居たのだ。
なのに死んでしまった。

何故、と浩之は思う。

183 一歩、一歩ずつ :2008/10/28(火) 21:01:07 ID:LMiccLVs0
何故あの時離れた。
何故あの時安心だと思った。
何故あの時大丈夫だと思った。
何故あの時みさきのか細い手を取ってあげなかった。
何故あの時みさきを守るために傍に居てあげる事が出来なかった。

何故。
何故。
何故。


何故、自分は大切な人達を失ってしまった。


祐一も守れず。
観鈴も守れず。
みさきを守れず。

待ってて、笑っていてといったのに。

その笑顔を見ることは出来ないんだ。


浩之は思う。


なんて無力だと。



「俺は……俺は」


涙が止まらなくて。
悲しみが止まらなくて。
余りにも自分は愚かだと思って。

そのまま地面に倒れこむ。

このまま朽ちてしまえと思う。
このまま絶望に浸り。
そして、なくなればいいと。

何も守れない藤田浩之は。
力も無い藤田浩之は。
何にもできない藤田浩之は。

ここで。

消えてしまえと。

ただ。
ただ。

それだけを願う。


「あかり、雅史、志保、委員長、理緒ちゃん、綾香、祐一、観鈴、みさき……」

散っていった大切な人を思い。

浩之は目を瞑る。


願うは唯の闇。

何も無い虚空。

空の浩之と同じように。

それだけを思い。

目を瞑っていた。

184 一歩、一歩ずつ :2008/10/28(火) 21:01:36 ID:LMiccLVs0






――浩之ちゃん
――浩之君


そんな時だった。

大切な二人の声が聞こえてきたのは。


――頑張って。
――頑張れ。

浩之を励ます声。


――立ち上がって。
――めげないで。

温かな声。
絶望に沈む浩之を歩かせる為に。

「……もう疲れたよ、俺は」

浩之は呟く。
幻聴なのに、謝罪するように。
でも、それでも。

――浩之ちゃん、諦めないで。
――浩之君、諦めないで。

声は止まない。
浩之に歩けと。
浩之に沈んで欲しくないから。


――浩之ちゃん、生きて。
――浩之君、生きて。


その生きてと言う願いが聞こえてきて。
そして声は止んだ。

唯浩之を心配して。


浩之は


浩之は唯ゆっくりと


「俺は……」

185 一歩、一歩ずつ :2008/10/28(火) 21:02:24 ID:LMiccLVs0
立ち上がった。
まだ、目は虚ろだけど。
まだ、苦しいけど。

歩かなきゃ。
生きなきゃ。
進まなきゃ。

そう思って。
思わないと二人に怒られると思って。


「行こう……まだ、珊瑚達がいる」

残る仲間たちの下に歩き始めた。

一歩。
一歩。

ゆっくりだけど。
確かに。


歩き始めていた。


――浩之ちゃん、頑張ってね。
――浩之君、諦めないでね。


大切な。
大切な人達のエールを背に。

ただ、進み始めていた。

【時間:二日目18:40】
【場所:I-6】


藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:絶望、でも進む。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

186 名無しさん :2008/10/28(火) 21:30:01 ID:LMiccLVs0
すいませんルートB-10です……orz

187 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:32:22 ID:vpnn3bro0
 もう少しで、日が暮れる。
 自らの頭上に浮かぶ空の色、外気の具合、そして腹の減り具合から考え、恐らくは後一時間もすれば三回目の放送だろうと那須宗一は考えた。
 ただ次第に厚みを増している鈍色のどんよりとした雲が空を覆い始めているのが気にかかる。
 雨になる可能性が高い。それは空気が少しずつ湿り気を帯びてきていることからも分かる。
 あまり激しくは降らなさそうだが、厄介だ、とエージェントとしての自分が告げている。

 雨は様々な物を洗い流す。
 赤く汚れた、血という名の泥。発砲を証明する硝煙の匂い。音、足跡――
 殺人の痕跡は姿を消し、加害者の姿は不透明感を増す。闇に潜み、卑劣を生業とするこの島の殺人鬼共にとっては絶好の天候となるだろう。
 加えて夜ともなれば視界も悪くなり、奇襲しやすくもなる。
 それは『ナスティボーイ』の異名を持つ自分でさえ油断できぬ環境になるということ。
 これまで以上に物音には気を配りつつ行動せねばなるまい。
 もう、佳乃のような犠牲者は出したくないのだから……

 胸中に滲み出る苦さを腹の底に飲み下し、宗一は視線だけを動かして、隣を歩いているルーシー・マリア・ミソラの横顔を見る。
 恐らくは北欧の人間であると思われる、極めて色素の薄い肌色と髪の毛。すらりと長く伸びるしなやかな手足と、整った顔立ち。
 どこか浮世離れした雰囲気ながら、生硬い表情はやはり彼女も人間であることを実感させる。
 いい加減、話を切り出すべきか。
 あまりに情けない話なので口に出すのを躊躇っていたが、つまらないプライドに拘ってしこりを残すのは愚の骨頂だ。
 旅の恥はかき捨てと言い聞かせ、宗一はルーシーに話しかける。

「なあ、少しいいか」
「何だ」

 答えながらも、その視線は常に周りへと向けられている。けれども取り付くしまもないというほどの無関心という程でもない。
 器用に行動できるのだろうな、と感想を持ちながら一つ咳払いをして、胸中にあった疑問を投げかけてみる。

「渚のことなんだが……どう思う」
「……脆いな」

188 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:32:48 ID:vpnn3bro0
 少し間を置いて向けられた言葉は、やや辛辣な響きがあった。或いはそのように言葉を選んだのかもしれなかった。
 深く詮索しようとする頭をどうにか抑えつつ、宗一は息を吐いて「お前もそう思うか」と返した。

「抱え込み過ぎてるんだ。それは分かってる。……でも、分からないんだ」
「踏み込み方か? それとも、受け止め方か」

 両方だ。返事はすぐさま浮かんだものの、それが口に出ることはなかった。
 あまりにも確信を突く言葉で、思う以上のショックを感じたのかもしれない。
 無言の返答を受け取ったルーシーは「世界一が聞いて呆れる」と嘆息を漏らす。

「目的のために、人を物と考え、動く駒として見て、目的の達成という名の下に思考を停止する。ツケは大きかったな」

 容赦なく抉るような言葉だが、不思議と反論をする気にはならなかった。
 当然の事実と受け止めたわけではない。エージェントとしての使命に没頭していた、あの頃を思い出さないではなかったが、それ以上にルーシーの言葉は宗一ではなく自身に向けて言っているような気がしてならなかった。
 無様な己をさらけ出し、こうはなるなと嗜めるように。

「結果だけを求めて行動するな。しっかりと繋ぎ合って、お互いに確かめるんだ。私は、気付くのがいささか遅すぎた」

 自嘲するように笑うルーシーには、後悔の色がありありと滲んでいた。
 まだ、なくしたわけじゃない。
 崩れそうだった不安は姿を消し、代わりに灯った熱がじんわりと手のひらに伝わって使命感の形を成す。
 握り締めた拳は無力から来る痛みではなく、力強さを持ったものになっていた。

「ああ、努力するよ……」

 鈍感の意地を見せてやる。
 宗一はこの熱を、絶対に無くすまいと誓った。

     *     *     *

189 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:33:28 ID:vpnn3bro0
「遠野美凪です」
「古河渚です」
「天文部部長です」
「演劇部部長……です」
「ほかほかのご飯」
「あんぱ……カツサンドっ」
「ゾウさんです」
「キリンさんです」

 第三者から見れば、まるで掴みどころのない会話に脳が混乱することだろう。
 しかし会話の中心にいる二人の少女にとって、それは無意味な会話ではなかった。
 少なくとも、遠野美凪は少しでも親交を深めていると思っていた。
 それが証拠に、ぎこちなかった渚の表情は僅かに緩くなってきていて、次の美凪の言葉を待っているかのように見える。

 特に人嫌いでもない限りは、お喋りは楽しいものだ。
 潤いというものがまるで感じられないこの島なら、尚更。
 先行すると言ってルーシー・マリア・ミソラと共に前を歩く那須宗一が、前と後ろに分かれる前に寄越した視線の意図を、美凪は瞬時に理解していた。

 渚の表情が、暗い。
 それは悲しみに打ちのめされている風でもなければ、絶望に心が挫けたという風でもない。
 むしろ渚は己の内に向けている。迷子になったのを、離れた自分が悪いのだと考え、それでいて自分一人で何とかしようと気負っている。
 不満は口に出るものだが、渚は押し黙ったまま何も語らない。
 つまり、はけ口は渚自身にあると見て相違ないだろう。己を責め、それによって何かを結論付けようとしている。

190 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:33:54 ID:vpnn3bro0
 推測には過ぎなかったが、己の不実は己に対してのみ向けられるという考えは美凪の経験から来る持論でもあった。
 『みちる』という存在の成り立ち。北川と広瀬の死。
 いずれも原因は自分にあるとして一度は全てを投げ出し、自棄になって現実から目を背けた。
 自分さえ罪を償えばいいのだとまるで論拠もなくそう思い、それで全てが解決すると断じて思考を停止する。
 自己解決しただけで、何も変わりはしないというのに。
 様々なひとの助けもあり、どうにか自分は持ち直すことが出来たが、今また渚は同じ道を歩もうとしているのではないか。
 美凪ほど目を背けてはいなくとも、己の不実を己で解決しようと意固地になっているのではないか。

 飛べない翼にだって、意味はある。
 出来ないからと、無理に埋め合わせをしなくたっていい。誰かに肩代わりしてもらい、代わりにまた別の誰かの肩代わりをすればいいのだ。
 美凪には美凪だけの、渚には渚にしか出来ないことが、きっとあるはずなのだから……
 だから、そっと。
 美凪は渚の肩代わりをしようと決めた。

「さて、自己紹介はここまでにしましょう。ここからはちょっとアダルティなサタデーナイトフィーバー」
「今日って、土曜日の夜なんですか?」

 個人的にはキャーミナギサーンと言って欲しかった美凪だが、生真面目な渚にそれを期待するのは酷な話だと思い直し、取り合えず心の中だけで例のポーズを決めておいた。

「さて古河さん、ズバリあなたの意中の人は」
「……脈絡ないと思います」
「サタデーナイトフィーバーなので」
「お友達なら、今はたくさんいますけど……」

 本当に困ったように渚は苦笑する。恋愛談義は女の華だと聞き及んでいた美凪だが、どうもそういうわけでもないらしい。
 とは言ってもやれ持っている武器はどうだとか、ここから脱出するにはどうだとかを話し合う気にはなれない。
 無論それも重要なことなのだが、そればかり話しては心が休まる暇などないし、精神衛生上良くない。
 いつ、どんなときでも心のどこかに安心できる場所があればいい。殺し合いにはまるで不似合いな考え方だが、必要なものだと美凪は考えていた。

「――あ、でも……」

 次の話題を考えていた美凪の耳に、付け加える渚の声が重なる。

191 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:34:19 ID:vpnn3bro0
「……宗一さんは、素敵な人だとは思います。格好良くて、責任感もあって……」

 若干照れるようにして言ったように思えるのは、拙い喋り方のせいだろうか。
 その一言だけで止めたので、再び確かめることは出来なかったがそういうことなのだろう。

「確かに、頼れそうな人だと思います。初めて会ったときは少しピリピリしていたように感じましたが」
「あの時は……でも、本当にいい人です。……お父さんやお母さん、霧島さんのお墓を作ってくれましたから」

 古河姓の人間が既に放送で呼ばれていることは、美凪も知っている。
 家族の死を看取ることが出来た。それを幸運なことだと感じてしまったことに、自分は友人の死に立ち会えなかったのにと思っていたことに、不快なものを覚える。
 あのわだかまりがまだ抜けきっていない。肩代わりすると言っておきながら、こんな黒いものを抱えているのか。
 己の内から生じた黒いそれは溶けて液体となり、美凪の身体を巡ろうと手を伸ばしかける。

「そう言えば、宗一さん、力仕事ばっかりです。土方さんみたいです」

 格好いい宗一の姿と力仕事ばかりの宗一の姿のギャップが可笑しかったのか、渚はくすっと笑みを漏らす。
 その笑いに釣られて、美凪も思い描く。
 長閑にえんやこ〜らと歌いながら畑を耕す宗一。何故かそんな想像になり、思わず美凪も吹き出した。

 緩んだ口元から黒さが流れ出て、すっと胸のうちが軽くなってゆくのを感じる。
 くだらない、と思った。未だわだかまりを残している自分も、思考の渦に飲み込まれようとしていたことも。
 笑ってしまおう。それだけを考えて美凪は「ふふ」と声を出して笑った。

「なんだ、二人してニヤニヤして……着いたぞ」

 呆れたような宗一の声が聞こえたときには、平瀬村分校跡の全容が姿を見せていた。
 廃墟というに相応しい、今にも幽霊が声を上げそうな木造の校舎。
 時計塔に備え付けてある、グラウンドからならどこでも見ることが出来そうな大きな時計は4時35分を示して動かず、その機能は失われていることを意味していた。
 割れた窓からは不気味に破れたカーテンがはためき、まるで手招きしているかのような印象を与え、風によるものだろうか、開閉を繰り返している入り口の扉が錆びた金属の唸りを上げていた。

192 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:34:39 ID:vpnn3bro0
「さて、ここにお尋ね者はいるのかね」
「亡霊が代わりに出てくるかもしれんぞ」

 どこか楽しそうな宗一とルーシーの声は、肝試しでもする小学生のように感じられた。

「怖いですね」
「怖いです」

 努めて冷静に振る舞いながらも、青褪めた顔をする美凪と渚は、まるで先の二人とは対照的だった。
 立ち尽くしたまま動かない二人に「お化け屋敷みたいなもんだ」とフォローにならないフォローを入れた宗一が渚の手を引き、「ホラーハウスだと考えろ、なぎー」とこれまたフォローにならない言葉と一緒に美凪の手を引き摺るルーシー。

「あうぅぅぅぅぅ……」
「……ちーん」

 ずるずると同じように引っ張られていく渚の姿を見ながら、美凪はホテル跡のときもこうだった、と他人事のように考えていた。

     *     *     *

 もうすぐ18時になる。
 祐一たちは無事なのだろうか、電話で連絡は取れないものだろうか、と緒方英二は考え、しかし虫のいい話だと内心に苦笑する。

 それよりも、このリサ=ヴィクセンという女はまるで隙がない。
 軍事関係者だと当たりはつけているが、単に知識というだけならジャーナリスト、言い方を悪くすれば軍事オタクだって持っている。
 しかしリサの挙動は実戦を何度も経た兵士そのものだ。絶えず目を動かし、聞き耳を立て、少しでも不審な点がないかを探っている。
 ……自分に対しても。
 寧ろそれで安心できると英二は安堵していた。初対面の人間に警戒心を抱かない方がおかしいうえ、リサの動きは明らかに素人の俄仕込みでないことも分かった。
 虚勢を張った、偽者ではない。それはこの先脱出へと向けて動くには十分過ぎる程の戦力と言える。

193 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:35:13 ID:vpnn3bro0
 逆を言えば、なぜこれほどの人物がこれまで動いてこなかったのかという疑問もある。
 我が身の安全を慮ってのことなのか。こんな辺鄙な場所にいるということがその証明にも思える。
 それとも、リサのすぐ横にいる美坂栞を守るためだからであろうか。
 戦力と言う点から見れば栞は脆弱、しかも病気というリスクを抱えてもいる。ライフルを持った姿が危なっかしく見えるくらいだ。
 戦闘能力を買って味方にしているというわけではない。この二人の間に流れているものは、親友や家族、それらに向けられるものに違いない。

 直接の知り合いや家族というわけではなさそうだった。
 今この間に二人のしている他愛ない会話も、どこか遠慮を含んだものが感じられる。
 推測に過ぎないが、この二人はここに連れて来られてから、初めて出会ったのだろう。
 それから行動を共にするうち、親愛の情が芽生え、しかし互いに踏み込みきれぬままここまで来てしまった、というところか。

 いつの間にか分析を始めていたことに、英二はまたか、と己に吐き捨てた。
 プロデューサーという仕事は、人を知り、その内面にまで踏み込まなければ食ってはいけない。
 観察し、推測を立ててコミュニケーションを円滑にし、アイドルの魅力を引き出すのは最早職業病とも言えるほど当たり前のことになってしまった。人の隠微な琴線を探るようにしか会話出来なくなってしまったのは、いつからだっただろうか。
 春原芽衣が亡くなったときでさえ、大人が喚くわけにはいかないと己を律し、激情を撒き散らすことをしなかった。
 いやそれ以前に、妹の理奈の名前が放送で呼ばれたときでさえ、一時の感傷以上のものを持つことがなかった……

 仲間が命を散らすたびに若さ相応の怒りを叫び、暴力に真っ向から立ち向かおうとする祐一の姿を思い出す。
 僕は大人になりすぎてしまったのか。
 いやそれ以前に、大人とは何だという疑問が英二の中で持ち上がる。

 己を律し、感情を押さえ、目の前の現実しか見ようとしないことが大人か。
 本当の自分から目を背け、楽だからと流されるがままに流されて、朽ちて行くのが大人か。
 この期に及んで不甲斐ないと自分をなじり、逃げ道を用意しておくのが大人か。

 祐一に会いたい、と英二は強く思った。
 何か結論を求めて、というわけではない。とにかく、今の自分がどう見えるかを聞きたかった。
 自分を知るものは、妹や芽衣がいなくなってしまった今、ここに来た当初から出会った祐一しかいないのだから。

194 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:35:34 ID:vpnn3bro0
「そうだ、リサさん。分校跡に電話をかけるって言いましたけど、繋がるんですか?」

 世間話が終わり、少しの間会話の波が途切れていた二人だったが、思い出したかのように栞が尋ねる。
 栞の疑問はもっともだ。跡、というからには人が途絶えてから久しい可能性は高い。
 そんなところに、果たして電気は通っているのか。
 先程までの自省を霧散させ、二人の会話に耳を傾ける。けれども心配ないと英二の疑問を撥ね退けるようにしてリサが返答する。

「これはあくまで私の推論でしかないんだけど、この島は人工島……殺し合いのためだけに作られた代物よ」

 想像だにしない返答であったためか、栞は口をぽかんと開けて「はあ」と生返事を返しただけだった。
 英二も口にこそ出さなかったもののあまりに素っ頓狂な意見であったために、嘘だろう、と思った。
 栞の返事が気に入らなかったのか、リサは幾分ムッとしたような顔つきになって続ける。

「前に一度言ったはずなんだけど……忘れた? まあいいわ。まずこの島はあまりにも静か過ぎる。
 いくら小さな島とは言っても、緑が多く残っている割には動物や昆虫の鳴き声がまるで聞こえないのはどうして?
 それに、まるで歴史……というには大袈裟だけど、人の生活している跡が見受けられない。
 建物は新しい、備え付けの調度品も傷が見当たらない。装ってはいるけど、月日が出す建物特有の傷みはどこにもない。
 この島、すべからく、ね」

 言われて、英二はこれまで尋ねた施設の内容を思い出す。
 応接間などのところなどはまだしも、調理場や寝室、教室や便所などといった人いきれの匂いが感じられそうな場所ですら清潔に過ぎる。
 手入れしていようとも、この匂いは長年使っているのであればそうかき消せるものではない。
 動物や昆虫の一件に関してもそうだ。これまで山中を突っ切ってきたこともあったが、鳥はおろか虫ですら皆目発見は出来なかった。
 殺し合いという異常な環境下で目を行き届かせる暇が無かったとは言え、確かに不自然極まりない。

「……思い出しました。確か柳川さんが、どうも身体の調子がおかしいって……」

 随分前のことだったのか、ようやくといった感じで栞がそう漏らす。

195 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:35:53 ID:vpnn3bro0
「ええ、柳川の言う『鬼の力』とやらは眉唾モノだけど、何かしら不思議なものがあるのは分かった。多分、超能力でも封じてるのかもね?」
「……信じられないな。超能力とは」

 突拍子もない『人工島』に加え『超能力』ときた。今度こそ我慢できなかった英二は茶化すように言う。
 百歩譲って『人工島』は説明がつくとしても、『超能力』は信じがたかったのだ。

「あら、案外そうでもないのかもしれないわよ? 私は仕事でオカルトめいたものの調査をしたこともあるけど、科学だけでは確かに説明できないものがあった」
「いや、いい。多分僕には理解出来ないよ。僕が分かるのは世間話とちょっとしたレストラン、お酒くらいのものだ」
「へえ……レストランに、お酒、か」

 不自然に口の端が釣り上がったのに、英二はどこか挑戦的なものを向けられたように感じた。
 これでも仕事上の付き合いやアイドルの女の子の機嫌を取るために通り一遍以上の知識はあると自負しているつもりだ。
 それこそ有名どころから知る人ぞ知る隠れた名所だとか……
 思わず反論しかけて、話の路線が崩れていることに気付いた英二は「ともかく」と仕切り直す。

「連絡は取れると見て間違いないんだな?」
「上手くいけばね。運が悪かったら、諦めて遅れることを承知で分校跡を目指すしかないけど」

 ……結局は運次第、か。
 この島を設計した人物に天運を委ねる。何とも皮肉なものだと内心にため息をつき、ようやく見えてきた宿直室のプレートを指差し、「あそこだな」と二人に教える。

 宿直室は六畳一間の和室で、部屋の中には申し訳程度に置かれたちゃぶ台と形容していいほど小さい机と、湯飲みと電気ポット、それに安物の茶葉もあった。確か流し台もあっただろうか。そして部屋の隅にちょこんと少し古い型の電話が所在無く置かれていた。
 詳しく中を調べたわけではないので、覚えているのはここまでだ。
 リサが電話をかけている間、栞と共に部屋を物色し、使えるものは持っていくほうがいいだろうと算段をつけ、その旨を伝える。
 反対する必要性もないと判断したのか、栞もリサも二つ返事で了承してくれた。

196 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:36:18 ID:vpnn3bro0
「……そう言えば、リサ君は誰に電話を?」

 宿直室の扉を開ける際、何故今まで訊かなかったのかと自分で思うほどの、一番最初に訊くべきだった質問を投げかける。
 言ってなかったかしら、とリサも今思い出したかのような口振りで、しかし絶対の信頼を含めた声でその人物の名を告げる。

「柳川裕也。さっき言った『鬼』さんよ。しかも刑事」

 ……また、超能力か。
 頭の中身がまたぞろ冷えていくのを感じながら、ああ、そう言えば栞君が口に出していた名前だったな……とため息をついた。

     *     *     *

 分校は分校でも、これではまるで物置ではないか――
 FN・Five−Sevenを両手に、一つ一つ教室に踏み込む度、宗一はその認識を持たざるを得なかった。
 跡という割には、きちんと整理整頓された教室。新品のチョークや、カレンダー。
 おどろおどろしい外見とは裏腹に、そこは冷然と物が並ぶ倉庫に過ぎなかった。
 あれだけ怖がっていた渚や美凪も別の意味での不審を感じ取ったのか、釈然としない様子で教室の中身を調べている。
 加えてこれまでにもいくつかおかしい部分が指摘されてもいる。

「ここ、全然埃が積もっていません。とても年代物とは……」
「机にも落書きが全くないです。穴の一つだって空けられてない……それに、ガタガタしてませんし、塗装もきれい……」
「面白くない。地球人の作るお化け屋敷はいつもこんなものか」

 最後は指摘でもなんでもなかったが、とにかく全員がこの不自然な建物の異変を感じ取った。
 それもそうだろう。学校は、俺達が一番良く知っている場所で、日常なんだから。
 上手く物を敷き詰めても日常の匂いまでは演出出来ない。というよりは、その努力さえ怠っているようなものだ。
 ここだけがそうなのだろうか。いや、そうではあるまい。

「自然にやられたって風じゃない……シミ一つ付いてないたぁ随分と手入れが行き届いているんだな、ここは」

197 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:36:58 ID:vpnn3bro0
 窓に近づき、所々破れながらも全体は真っ白く清潔感漂うカーテンを手にしながら、宗一は吐き捨てるように言う。
 どうして今まで気付かなかったのか、と忸怩たる思いだった。
 殺し合いという状況の中で眼前の物事に対処するのに手一杯で、この島の位置がどうなっているのかなど考えもしなかった。
 辿ってみれば、道に立ち並ぶ木々はどれも似たようなものばかりでまるで箱庭。
 どこも綺麗の一言では片付かない新品同様の施設。

 間違いない。ここは『地図にない島』だ――

 鈍感に過ぎる。リサなら一晩と経たずにこの事実に気付いていただろう。それに比べて、今更気付いた自分のなんと不甲斐ないことか……
 乾いた笑いしか出てきそうになかったが、それよりもこれが事実なら、脱出の目処はつくのかと思考を巡らせにかかる。
 自分に失望するのは簡単だが、そこで止まり、思考を停止するのは愚かな行為だ。ルーシーの言葉を脳裏をに過ぎらせながら、宗一はあらゆる可能性について分析してみる。

 場所については、本物の沖木島のような場所にあるとは考えられない。
 もしそうならこの島から別の陸地が肉眼で目撃できるだろうし、何よりこの島で行われていることについて国が黙っちゃいない。
 無論国ぐるみでこの計画に加担しているとするならば話は別だが、それでも目撃者の一人も出さないというのは難しいだろう。
 今のこのご時勢、何処で誰が何を見ているかも分からないうえ、即座にネットワークで情報が拡散し、一日と経たずに世界に出回る時代だ。
 世界の誰もから完璧に隠し通せるわけもない。

 ……だが、実際は二日も経つというのにまるでこの島からは主催者の焦りというものが感じられない。
 放送は二度聞いただけだが、殺し合いを加速させるような煽りが見受けられない。
 優勝すれば何でも願いを叶える、とは言ったもののそれでは煽動としては不適格だ。やるとするならば、24時間以内に何人か死んでいなければ首輪を爆発させるだとか、確かな実感を認識させる方法を使う。
 随分とのんびりしている。こんな調子では、果たして終わるまでにどれほどの時間を消費するのか――

「おい、那須」

 思考を遮ったのは、少し苛立った様子のルーシーの声だった。
 んあ、と顔を上げた宗一の前には、女性陣が雁首を揃えて立っている。
 どうしたんだよ、と口を開く前にルーシーが続ける。

198 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:37:22 ID:vpnn3bro0
「他の場所を探さないのか。どうしたんだ、ぼーっとして。熱でもあるのか」

 ……そういえば、ここは狭い教室だった。
 特に収穫はなかったのだろう、渚と美凪も手持ち無沙汰な様子で宗一のことを見ている。
 考えるのはまた後か、とそれまでのことを脳の隅に押しやり、「考え事だ」と打ち切って教室の外に出る。

「しっかりしてくれないと困るぞ、リーダー」
「……リーダー?」

 確かに唯一の男性である宗一だが、リーダーと言うにはどうも納得のいかない部分がある。
 大体、皆を引っ張ったり鼓舞したりするのは皐月の役目で、俺は影からヒーローのピンチを助ける、裏ヒーロー的な役割であってだな……
 勝手にレッドに任命されたことに反対すべく、宗一はルーシーに向き直ってビシッ、と指差してやる。

「俺はブラック派なんだよ。孤独な戦士、ロンリーヒーローなのさ……」

 ふ、とニヒルに決めたつもりだったが、ルーシーはきょとんとした表情で「ブラック? コーヒーがどうした」と聞いてきた。

「おお、そうか。出番が全く無くて不遇をかこつ空気ということか。シロッ」

 聞き捨てならないと判断した宗一が最後まで言わせず、即座に言葉を返す。
 しかも何故コーヒーからそんな発想になるのか。あれか、俺は連れて行かれるのか。

「アホかお前は。ブラックと言ったら戦隊モノの定番に決まってるだろ! ほら聞いたことあるだろ、最近だとマジレッドとか」
「……? サンレッドなら知ってるぞ」

 ……ある意味、間違ってはいない。間違ってはいないのだが……
 どうやらこの調子では仮面ライダーもウルトラマンもにこにこぷんも知らないのだろう。勿体無い、勿体無いぞ……!
 サンレッドだけどうして知っているのかについてはこの際言及すまい。

199 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:37:43 ID:vpnn3bro0
「いいかねルー公。かつて日本にはゴレンジャーという由緒正しき五人かつ五色のヒーロー達がいてだな」
「それなら私も知っている。ニンジャが派手に爆発を背景にして怪人を轢き殺したりするやつだろう?」

 お前は特撮の知識がどこか間違っている。……嘘じゃないのは分かるけどさ。
 これ以上の議論は無駄だと判断した宗一が、「ともかく」と話を仕切りなおしにかかる。

「俺は影のヒーローのブラック。お前はすっとぼけた部分があるからイエローだ」
「むっ、私はグルメだが大食いじゃないぞ」

 だからなんでそんなことだけ知ってるんだよ。
 突っ込みの衝動を何とか抑えつつ、ぽつねんと話の流れについていけず、突っ立っていた渚と美凪にも役職を振り分ける。

「遠野は冷静なブルー。渚はピンクな」
「ええっ、わたし通りすがりの一般人さんだとばかり……」

 何故嫌そうな顔をする。おにーさん悲しい。
 オファーを断られたナスティPは悲嘆に暮れる気分になりかけたが、「これが俺達、セイギレンジャーだ」と締めくくって無理矢理流れを終わらせた。

「……せっかく決めポーズを考えていたのですが」

 美凪がしょんぼりとした様子だったが、宗一は無視を決め込む。
 美凪の場合一般のセンスとかけ離れたポーズを考案しそうだったからだ。荒ぶる何とかのポーズみたいに。
 そんな馬鹿げた会話をしつつ歩いたからか、思ったより早く次の部屋……職員室に辿り着いた。

 忘れてはならないが、自分達は脱出のため、生きて帰るためにこの忌々しい首輪を何とかできる(可能性のある)姫百合姉妹を探しているのであり、決してピクニックなどに来ているわけではない。
 その辺りは既に皆心得ているようで、Five−Sevenを片手にドアに張り付いた宗一を見る三人も一様に張り詰めた表情をしている。
 曲がりなりにも、それぞれが修羅場を掻い潜り、人の死を乗り越えて尚進もうとする連中だ。
 頼もしいな、と心中で呟き、ドアの取っ手に手を掛ける宗一の耳に、突然けたたましい音が飛び込んできた。

200 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:38:08 ID:vpnn3bro0
「っ、電話……?」

 罠だと思ったのも一瞬、ドアの向こうから断続的に響いてくる音は聞き慣れた電子音。
 そう、どこからかここにコールしてくる人物がいるのだ。
 電気が通じていることよりも、何故ここに、という疑問が宗一の中で生じる。
 電話をかけるということは、そこに誰かがいて、何らかの応答を期待してやっているということだ。
 見ず知らずの人間は敵になりやすいという状況で、何の考えもなしに見境無く電話するなど在り得ない。
 それにお互いが見えない電話での会話は虚々実々。騙し騙されるのが当たり前という状況だ、なのに何故?

 決まっている。知っている相手と連絡を取るためだ。
 例えば、何らかの原因で離れ離れにならざるを得ない状況に陥り――戦闘に巻き込まれただとか――その後、分校跡に集まろうと約束したが、距離上の関係からすぐには辿り着く事が出来ず、心配しているであろう相方を安心させるために連絡を取ってきた……そんな推測が立てられる。
 既に見知っている相手が電話に出るなら何も心配はいらない。怪しげな人間が出れば即座に切ればいいだけだし、機材もない以上は逆探知だとかの恐れもない。

 そして、これらから導き出せる事実は一つ。
 ここにはやはり、誰かがいる、もしくは集まる可能性が高い。それも、それなりに頭のキレる奴が。
 さて、問題は――

「どうするんですか、電話が鳴ってるみたいですけど……」

 判断を求めるように、渚が宗一を窺う。コール音は既に十回を超え、なお切ろうとする気配は見えない。
 かといって、こちらが出て相手が反応してくれるだろうか。
 自分達は完全に部外者だ。先に考えた『見知らぬ相手ならば即刻ガチャン』は大いに在り得るのだ。
 だからこうして『本来連絡を取り合うはずだった誰か』が電話に出てくれるのを期待して待っているのだが……残念なことに、その様子も感じられない。
 コール音の回数が二十を超える。留守番電話サービスにはならないようだ。良かった良かった。

 はぁい、こちら主催者。こちら主催者。クソ残念ですがあんたの待ち人来たらず永遠にお別れです。追悼のメッセージをどうぞ――

201 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:38:29 ID:vpnn3bro0
 ひょっとしたらそんな音声が聞こえていたかもしれないと思うと、悪態の一つでもつきたくなった宗一だった。
 しかし、本当に誰も出ない。そういう取り決めなのか、それともここに来るまでに命を落としたのか、はたまた本当に無闇矢鱈の電話なのか。
 三十回目のコール音。そろそろ我慢の限界に来て文字通りのプッツンになってもおかしくはない。

 どうする。無視するか、出てみるか。
 駆け引き然とした今の状況を、少なからず楽しんでいる自分がいることに気付き、悪い癖が直ってないと宗一は苦笑する。
 エディ、俺ってエージェントの生活にどっぷり浸かってきたんだな……
 全くだ、と呆れ果てた顔のエディが笑い、背中をドンと押すのが感じられた。
 行けヨ。オレッチがサポートするからナ。

「……そうだな。行こう。ビビってても話にならない。念のために皆は職員室に誰かいないか気配を探ってくれ」

 今の宗一を支えてくれるエディの……その役目を果たしてくれる仲間に背中を預け、宗一はドアを開けて職員室の中に飛び込んだ。
 日が落ちかけて色を消しつつある職員室を横切り、宗一は真っ直ぐに早く受話器を取ってくれとがなり立てている電話の元へと向かう。

「私となぎーで入り口と、もう一つの入り口を見る。古河は中を探れ。くれぐれも、油断はしないようにな」

 ルーシーが指示を出し、二人がそれぞれ「分かりました」と応じて散る。
 誰も気を抜いていない。いい兆候だと思いつつ、宗一は受話器を掴み、耳に当てる。

『……』

 もしかしたらと、宗一は自分から声をかけることはしなかったが、やはり相手はキレるらしく、無言のまま反応を窺っている。
 とはいえ、このまま無言を続けても損をするのはこちらだ。
 切られたらその時はその時だと見切りをつけ、「もしもし」と声を入れる。

『……』

 反応なし。だが、その間に驚きを含んだ気配が感じられたのを宗一は見逃さなかった。
 違う相手が出たという驚きではない。どうしてこの人が、とまるで予想を外れた応答だったことに対しての驚きだった。
 もう一つ、揺さぶりをかけてみることにする。もし自分の勘が外れていないのであれば、受話器の先の相手は二つに絞られる。

202 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:38:55 ID:vpnn3bro0
「残念ですが、天下のナスティボーイの留守番メッセージです。伝言をどうぞ」
『……地獄の目狐が、貴方に狙いをつけたわ。せいぜい気をつける事ね』
「こりゃご丁寧にどうも、リサ=ヴィクセンさん?」
『そちらこそ、那須宗一』

 ビンゴ。それも大当たりの部類だと、宗一は密かに拳を握り締めていた。

     *     *     *

 リサが予想外の好感触を示していた。
 那須宗一と告げられた人物。電話に出た相手は残念ながら柳川とは違ったようだが、リサの反応から察するに友人、それも頼れる人間なのだろうと栞は思った。

「取り合えず、味方が出てくれたみたいですね」
「らしいね。お目当ての相手ではなかったらしいが。……その宗一というのも、超能力だったりしてな」

 冗談交じりに言った英二に、あははと栞は苦笑いを返す。
 先の超能力云々に関しては、栞も信じてはいない。
 奇跡は、起こらないから奇跡……常日頃口癖にしている言葉を思い出し、超能力も同じようなものだと結論付ける。
 ともかく、繋がらなかったという最悪の事態に発展しなかったことにほっと一息つく。

「それで、そっちはどうしてそこに? ……あら、私を探してくれてたの? 私も捨てたものじゃないわね」

 どこか愉しげに那須宗一と話すリサの姿は、友人との他愛ない会話というよりは、ギャンブルでの駆け引きを楽しんでいるかのような雰囲気があった。
 大人の会話、と言えばいいのだろうか。英二と話すときにも同様のものがあった。それとも、元々がそういう性格なのか。
 分からないなあ、と思いつつ栞は視線を虚空に走らせて――

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。――では、第三回目の放送を、開始致します」

203 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:39:47 ID:vpnn3bro0
 ピタッ、と会話の流れも、それまでにあったゆったりとした空気の流れも止まってしまい、静寂が立ち込める。
 栞も、もうこれを聞くのは三度目になる。
 一度目は友達の死を、二度目は実の姉の死を。三度目は――?

 漠然とした怒りと受け止めることしか出来ない己の不甲斐なさが同時に湧き上がり、しかしそれをどこにぶつけるべきなのかも分からず、臍を噛んでいる自分に辟易する。
 だが何よりも許せないのは、そのような思いを持ちながらも、人間の死を当たり前のように感じ、慣れきってしまっている部分を持ちかけた自分だった。
 元々、自分は病弱であるために人よりは死に近いところはあった。それどころか自らの命を軽んじている部分さえあった。
 だからだと言うのか。自分の命さえ軽んじるような人間が、他者の命を軽んじるのは当然。冷めた目で命を見ている自分は――

「……え、ゆう、いち、さん?」

 血が上り、迷走を始めた思考の中に飛び込んできた名前は、栞の中を空白にするには十分過ぎる重さがあった。
 三度目は、大切な友人。自分に死ぬことを思い留まらせ、世界に留まりたいと思わせてくれた人。
 そう、確かに自分の命でさえ、冷めた目で見つめていた。神様に見捨てられた不幸な存在なのだと信じ、挙句の果てに自殺して背中を見せ、目を背けようとして……
 最後の買い物で、月宮あゆと相沢祐一に出会った。
 じゃれ合い、笑い合う二人を見て、栞はかつて姉と、そんな記憶を紡いでいたことを思い出す。
 そんな時が自分にもあった。その光景が羨ましくて、懐かしくて……
 だから、踏み切れなかった。絶望し切れず、たたらを踏んでぺたんと座り込み、深遠の世界へと飛び込むことをしなかった。
 その時傷つけて未だ跡を残すカッターの傷跡が熱を帯び、そこから込み上げ、どうしようもないやるせなさとなって形を成してゆく。

「少年が、か……そう、か……」

 英二が、寂しそうに笑いながら落胆の表情を隠しもせずに俯いていた。

「英二、さん? それって、どういう……」

 言いかけた途中で、英二の視線がこちらに向き、すまなかったとでもいうように目を伏せる。
 途中で別れてきたという仲間。英二の向けた視線の意味。
 瞬時に事実を悟った栞の頭がカッと熱くなり、激情が全身から溢れ出てついに爆発した。

204 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:40:12 ID:vpnn3bro0
「どういう……事なんですか!」

 普段の栞ならば絶対に出さないだろう大声を張り上げ、英二の胸倉に掴みかかる。声に驚き、リサが絶句するほどに。

「……言っただろう。敵に襲われて、僕は敵を引き付けて逃げてきた。確かに祐一少年達は逃げおおせることが出来たはずだ。出来たはずだったんだ……!」

 言い訳という風ではなかった。だがそこにはどうしようもなかった運命の歯車に対しての諦めがあり、既に現実を受け入れ、平静であろうとする大人の表情が見えた。
 やり場のない怒り。また大切な友人を、看取ることも助けることも出来ずに聞くことしか出来ない己の無力。
 八つ当たりだというのを理解しながらも、留めておくにはあまりにも感情の波は膨大過ぎた。
 リサには決してぶつけられなかった憤怒の熱を、吐き出すように栞は叫ぶ。

「そんな、そんな一言で済ませられると思ってるんですか!
 祐一さんは、私の大切な人で、今の私は祐一さんがいなければここにはいなくて、
 でも結局、何も出来ずにこうやって聞くことだけしか出来ないなんて、そんなのないじゃないですか!
 どうして私の手の届かないところで、みんな死んじゃうんですか! あゆちゃんも、お姉ちゃんも、みんな……!
 言ったってしょうがないのは分かりますけど、でも、悔しくないんですか!?
 そうやって仕舞いこんで、誤魔化して慣れてしまって、それでいいんですか!? 私は、そんなの……!」

 嫌だと言い切ることは、栞には出来ない。栞もそうでありつつあるから。けれども、拒んで、抗う気持ちもまた、厳然として栞の中に存在していた。
 自分の命を軽んじるから、人の命だって軽んじるようになる。
 死に慣れてしまったから、これからの死にだって軽薄になってしまう。
 忘れてはならない命の重さ。それ自分は、どこかに置き去りにしているのではないか。
 そうなってしまうのが怖かった。

205 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:41:24 ID:vpnn3bro0
 自分は銃を手に取り、奪うための訓練をしている。覚悟だってした。
 それと同時に、無力さを悟り、どうしようもなくちっぽけだということも理解した。
 だが失いつつあるものがある。大切なものを失うたびに、忘れてしまっている。
 命の重さを忘れて、誰か守れるのか。誰かの役に立てるのか。
 好きなリサ、頭を撫でてくれた英二を助けられるのか。
 出来ない。今のままでは、絶対に出来ないと感じた栞は怖くなって、手放したくなくて、必死に手繰り寄せようと足掻く。

「僕は……受け入れることしか出来ない。残酷な事に……でも、栞君はそうじゃない。まだ怒れる。正しく、怒れるんだ」

 英二は調子を変えず、淡々と告げる。しかしその目は何か、希望を見出した目だった。

「何人か、僕の知り合いも死んだ。でもそれだけだ。僕はそれしか感じられなかった。それが僕という愚かな大人の姿だよ。だからこそ、それを刻み付けておくんだ。こんな馬鹿な大人になってたまるか、ってね」

 苦笑する英二。それは変わらぬ己に愛想を尽かし、諦めたというよりも、その姿を演じて見せ付けることが今の自分に課せられた仕事なのだと無言のうちに語る男の姿だった。
 ヘタクソです。英二さん、演技は、とっても下手――
 そんな感想を抱いた栞の口元は陰のない、微笑の形を浮かべていた。

     *     *     *

『……皐月も、死んでしまったみたいね』

 そうだなと応じた宗一の頭には、先程の少女の絶叫が繰り返されていた。
 内容もそうだったが、生の感情をありありとぶつける彼女の声が、ひどく印象に残った。
 横目で見てみれば、それぞれ複雑そうな顔はしているものの、特に誰も、何も喋ることはなかった。
 ……渚を、除いて。

 渚だけは深刻な表情で、しかし必死になって平静を保っているのがありありと見て取れる。
 その瞳からは、今にも涙が溢れ出しそうで……しかし、すんでのところで押し留めている。

206 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:41:40 ID:vpnn3bro0
 俺には、何もぶつけてはくれないのか。
 苛立ちよりも、寂しさが宗一の胸を突き上げる。
 受話器の向こうの少女のように、怒りをぶつけてくれたっていい。悲しんで泣き崩れたっていい。絶望に罵ってくれてもいい。
 だから、見せてくれよ……渚、お前の気持ちを。
 俺が、そっちに向かうから。

 静かな決意をして、宗一は受話器の向こうのリサへ意識を飛ばす。

「落ち着いたらこっちに来てくれ。こちらはこちらで少し離れたりもするかもしれないが、リサの約束の時間までには、必ず戻る」
『ええ』
「リサ」

 一つ、付け足しておこうと思った宗一は切ろうとする雰囲気になりつつあったリサを呼び止める。

「俺達は軍人……まあ、俺はエージェントだが……ともかく、俺達には矜持ってもんがある。これだけは絶対に譲れないって信念がな。それを忘れんなよ」
『……それじゃあ、また』

 変わらぬリサの声を最後に、電話は途絶える。
 そう、自分には譲れないものがある。
 渚。彼女だけは、俺が全てを投げ打ってでも守る。
 例えそれで、他の命を軽んじるような結果になったとしても。
 皐月、だからお前のために悲しめる暇は、今はないんだ。……悪い。
 胸中に軽い謝罪をして、宗一は湯浅皐月に関する思考を全て打ち消し、受話器を置いた。

 沖木島は、夜の帳が降りようとしていた。

207 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:42:05 ID:vpnn3bro0
【時間:二日目18:10頃】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 4/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、スラッグ弾8発(SPAS12)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、食事を摂った】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:強く生きることを決意、食事を摂った。お米最高】
【目的:るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

208 きみのこえ。(echo)/傷跡の花。(Low Blood Pressure) :2008/11/02(日) 15:42:25 ID:vpnn3bro0
【時間:2日目午後18時10分頃】
【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。栞に対して仲間以上の感情を抱いている】

美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、支給品一式】
【状態:やや健康。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】

緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集める。リサたちに同行。『大人』として最後まで行動する】

→B-10

209 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:53:05 ID:IZAF2yHQ0
 神尾晴子の表情は、意外なことにすっきりとして清々しいものさえ感じられるほどだった。
 吹っ切れたのか、それとも自棄になったのか。
 まだ油断は出来ないと思った篠塚弥生はP−90のグリップを握ったまま晴子の挙動をじっと注視して窺う。

「なんや、そないな怖い顔せんでもええやろ」

 おどけたように笑い、肩をすくめる。VP70を手で弄びながら、晴子は無学寺の隅に置いていた自分のデイパックを手に取り、「そろそろ行こか」と尋ねてくる。
 どうやら今すぐに自分と敵対する気はないらしいと判断した弥生は、ようやくP−90のトリガーにかけていた指を離し、紐の部分を肩にかける。
 紐はここで調達したもので、ずっと手に持っておくよりは鞄のように肩からかけておく方が消耗が少ないと考えた弥生が、銃の端をガムテープやらで何重にも巻いて急ごしらえの肩掛け銃にしたのだった。
 また、肩からかけることによってより身体に密着し、手放しにくくなったという利点もできた。
 力ずくで奪われるような事態にはそうそうなるまい。

「分かりました。行きましょう」

 応じた弥生は腰を上げ、晴子と同じくデイパックを背負う。数時間に渡る休息はそれなりに効果はあったらしく、昼頃に戦った怪物――柏木耕一――に投げ飛ばされ、したたか打ち付けた部分の痛みは既に引いている。
 もっとも、古傷のある脇腹の部分は未だ熱を持っており、身体を捻るたびにキリキリとした苦痛が襲い掛かってくる。
 緒方英二が情けをかけた治療のお陰で消毒はしていたはずだし、包帯だって巻かれている。今はどうか分からないが、一応血は止まってはいる、はず。
 赤黒く染まり、黄ばんだ体液がその外周を埋めている包帯の有様を見ればその自信もなくなっていきそうなものだが、自分の中に確かに流れている血の巡りが良好であることはまだ大丈夫という証とも言える。

 まだ戦える。この心が萎えてしまわない限りは……
 と、そこで『心』などという単語が出てきたことに対して、弥生は少し驚愕を覚える。
 そんなものが、まだ自分に残っているというのか。

210 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:53:30 ID:IZAF2yHQ0
 だがそうだろうなと弥生は認識せざるを得ない。
 藤井冬弥を殺害したときの感情の発露。緒方英二と相対したときの一瞬の迷い。
 そしてこの直前に思い出してしまった寂しいという言葉。
 人形だろうと断じて疑わなかったはずの自分は、実はこんなにも人間であったという事実として現れた。
 それが甘さとなって緒方英二にしてやられ、藤井冬弥も一度は取り逃がした。

 けれども、それだって力でねじ伏せてきているではないか。
 藤井冬弥は最終的には仕留め、今脳裏にある冬弥は情報としての冬弥でしかない。
 とどめを刺したとき、確かに冬弥の存在を情報として処理することができた。
 寂しいという彼の言葉も所詮は思い出でしかなく、今後の自分に影響を及ぼすこともない。

 一時の感傷。もうその一言で片付けられる。
 英二とて同じことだった。
 生きているからこそ、それは情報ではなく感情として自分の中に流れ込んでくるだけのこと。
 過去の冬弥や英二が自分を苦しめていることはないのだ。
 苦しめているのは、今この瞬間、確かに存在している英二だけだ。

 決着をつけたい。弥生はどろりとした黒い液体が腹の底にたまっていくのを感じていた。
 英二さえ自分の手で葬れば、もう誰も私の心に入り込んでくる者はいない。脅かされることのない、人形として行動ができるはずだった。
 愛憎というものかもしれない。
 己を知るからこそ、己で殺し終止符を打つ。他人には決して持たぬ特異な感情だと弥生は思う。
 早く、会えればいい。この興奮が冷めやらぬうちに……

「待ちぃや。ええもん見つけてきたんや。ウチらにお似合いの、な」

 先行して歩く弥生に、やけに楽しそうな晴子の声が引き止める。「いいもの?」と返した弥生に、晴子はポケットから取り出した小さな鍵をチラつかせる。

「車の鍵や。寺の横の駐車場に置かれとるねん。ええモンやなー、使えたら楽やのになー思うて何の気はなしにドア引っ張ったら開いたんや。で」
「何故か開いて、おまけに何故かキーが掛けっ放しだった、と」

211 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:53:51 ID:IZAF2yHQ0
 満足そうに頷いて、はははっと笑う晴子。どうせ開いてなくてもこの女はどうにかして使おうと無理矢理こじ開け、バラしてでも車を動かそうと試みただろう。
 面倒くさがりな晴子の性格を少なからず熟知している弥生はそんな考えを持ったが、何にせよ車が使えるというのは大きい。
 歩いて体力を消耗しない、移動距離が大幅に長くなる。それだけに留まらず車は多少の銃撃に対しても高い防御能力がある。勢いのままに轢き殺すことだって可能だ。
 こちらの存在は察知されやすくなるもののそれを補うだけの戦略的優位性があるというものだ。
 やはり晴子は使えると思った。これが自分ならば常識の輪に当て嵌め、どうせ使えるわけがないと無視し、好機を逃していただろう。

「アンタ、運転は出来るんやろ? ハンドルは任せるで」
「それは構いませんが……免許をお持ちではないのですか」
「ウチはバイク乗りや。性に合わへん」

 かったるそうに言うだけ言って、晴子は車のキーを投げ渡す。
 口ぶりからして免許は持っているのだろうが、ただ単に嫌いというだけのことらしい。
 バイク乗りの矜持とかいうやつなのだろうか。理解できないと弥生は思いながらも、晴子の性格を鑑みるに運転させたら無茶をしでかすような気がしてならなかった。
 断らない方が懸命だろうと当たりをつけ、弥生は分かったと頷いた。運転するだけならさほど苦にはならない。

「なぁ、ひょっとしてアンタ、車乗ると人が変わる……なんて、あらへんな?」
「何をいきなり」
「いや、よくある話やん? 普段冷めた顔の癖して実は生粋の走り屋……」

 馬鹿馬鹿しいとため息をつき、弥生は「早く車の所に案内してください」と返す。
 そんな経験もなければ、そんな趣味もない。
 たまに由綺の送迎で、遅刻しそうになったとき若干飛ばしたくらいだ。

 一蹴されたことに腹を立てたのか、「んな言い方せんでもええやろ」とぶつぶつ文句を言いながら弥生の横を通り過ぎ、付いてこいと顎をしゃくりあげる。
 外に出ると、悪くなっていた天候は更に悪い方へと傾き、さあさあとした小雨が降り注いでいた。
 もっとも車を使う自分達からすれば天候の悪さはさほど関係ない。安全運転さえしていれば。
 文句を言わず引き受けて正解だったと弥生が思っていると、晴子がムッとしたような表情をこちらに向けてくる。

212 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:54:11 ID:IZAF2yHQ0
「アンタ、何か失礼なこと考えてへんやろな」
「何をいきなり」
「白々しいわ。ホッとしたような顔やんか。ムカつく。ウチだって最低限のルールくらい守るっちゅーねん」

 最低限なんて言う時点で怪しいものだと弥生は思ったのだが、口に出すと口論になりそうな気がするので沈黙で答える。
 この手の人間と言い争っても疲れるだけだ。
 晴子はイライラを募らせているようだったが、こちらが反応しない以上向こうも何もしようがない。
 ちっ、と吐き捨てて晴子は「こっちや」と弥生を先導する。

 無学寺の脇を通っていくと、晴子の言うとおり、恐らくは一昔前のモデルと思われる乗用車が一台ぽつねんと佇んでいた。
 特に傷などは見当たらないことから心配するようなことはなさそうだが……

「エンジンの起動は確認したのですか」
「ああ、一度確認した。ガソリンもばっちしや。一日中乗り回せるで」

 そこまで言うからには異常はないと思って間違いないだろう。考えてみればこれは主催者の罠ではないのかという疑問が今更ながらに浮かんだのだが、その安全確認は晴子がやってくれた。もし罠なら晴子がキーを回した時点で爆発でも起こしている。
 車自体にガタが来ているという可能性もあるが、それはアクセルを全開にして飛ばさない限りは対処のしようがある。
 参加者を発見でもしない限りは安全運転で十分だ。
 晴子が口出ししてくるかもしれないとは思ったが、今の晴子からは特に焦りというものは感じられない。やはり、吹っ切れたのか。
 日常の中にあった人間関係に未だ囚われている自分とは対照的だ。羨ましいものだ、と皮肉でも何でもなく、弥生は素直に感心する。

 車の扉を開けると、島の土埃の匂いとは違う、つんとした街の匂いが鼻腔を刺激する。
 手肌から感じるシートのザラついた硬い皮の感触も、フロントガラス越しに見えるぼやけた沖木島の風景も、全てが懐かしく、久しいものののように思える。
 一瞬の感慨は、しかし助手席に乗ってきた晴子の姿を見るとすぐに消え失せ、再び弥生の双眸はいつもの冷たいものへと戻っていた。
 デイパックを後ろの席に放り込み、P−90を肩にかけたまま運転席へと乗り込む。
 隣を見ると、既に晴子は寛いだ様子で、シートを後ろに倒して寝転がっていた。緊張感がない……というより、リラックスしている。
 ここまでマイペースだと呆れを通り越して尊敬する。

213 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:54:33 ID:IZAF2yHQ0
「シートベルトはして……」

 半ば条件反射で言いかけ、そんな必要はないと思った弥生は「いや、気にしないでください」と繕った。
 交通違反も何もない。寧ろシートベルトなどしていたら対応が鈍るではないか。
 きっちりとしているのも考え物だと思う弥生の隣では、晴子がくくっと笑っていた。

「真面目なんやな、ホンマ」

 全くだと自分でも思いながら、「出しますよ」と声をかけて車のキーを回す。
 キュルルル、とエンジンが唸りを立てて車体が細かい振動を起こし、発車の準備が整う。
 晴子の言うとおり、きちんと動いているようだ。ハンドルを握り、弥生はゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
 ゆっくりと車体が動き、車が走り出す。

「さぁて、地獄巡りのドライブやな」

 呟いた晴子の台詞を洒落にならない、と思いながら弥生は少しずつアクセルを踏み込んでいく。
 少しずつ車は速さを増し、やがて分かれ道に差し掛かる。ここを北に行けば鎌石村方面に、南に行けば氷川村方面だ。
 どうする、と弥生は晴子に尋ねてみる。

「んー、ウチはどっちでもええんやけど……地図、どっちの方が運転しやすいんや」
「……愚問でしたね」

 晴子の見せる地図を一目見て、弥生は嘆息する。
 それなりに緩い南側の道に比べて、北は曲がりくねっており平易な道ではなさそうだった。
 取り敢えずは氷川村に向けて運転することとしよう。
 晴子は地図を仕舞いこむと再びシートに寝転がり、横に顔を向けて雨の降りしきる外の風景を眺めているようだった。

「……おっそいなー」

 晴子がわざとらしく盛大にため息をつくが、弥生は無視して現行の速度で車を走らせた。
 この速さでも徒歩の人間とは段違いの速さなのだ。無理に飛ばす必要性はない。

214 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:54:48 ID:IZAF2yHQ0
「なーんか、平和やな……」

 その台詞を聞くのは二度目だった。確かに、のんびりと走行している今の時間は平和には違いなかった。

「平和には、必ず終わりが来るものです。備えはしておいてください」

 晴子の目がこちらを向き、わかっとるわとでも言いたげな視線を寄越してきた。

「ホンマ、真面目くさった奴や。気に入らへん」

 不貞腐れたように言い放つ晴子だが、その手には先程は握っていなかったVP70がしっかりと握られていた。
 半分晴子に向けていた意識を、再度運転に回す。
 この先の大きく曲がった道を真っ直ぐ行けば氷川村に辿り着けるはずだった。

 さて、この車がどこまで通用するか。
 弥生の視線は、既に氷川村を見つめていた。

215 亡き彼女の為のセプテット :2008/11/05(水) 01:55:13 ID:IZAF2yHQ0
【場所:F-09 南部】
【時間:二日目午後:19:10】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう。氷川村に行く】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう。氷川村に行く】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

【その他:弥生と晴子は乗用車に乗っています。ガソリンはほぼ満タン】
→B-10

216 十一時四十分(2)/dis the B.R. :2008/11/09(日) 15:06:09 ID:4fIefZFU0
 
神塚山の頂に、終焉までの時間が告げられた頃。
その山の上を食い入るように見つめる少女がいた。

「ああもう、バラバラじゃない……!」

歯噛みする少女の漏らした声に、傍らの少年が反応する。

「え……? お前、見えてるの……?」
「当たり前でしょ!? ちょっと黙ってなさいよ!」

少年、春原陽平が振り返り、そこに立つ男と目を見交わして首を傾げる。
この少女、長岡志保の言うことはどうもおかしい。
あの山頂で戦闘らしきものが始まって以来、自分たちはこの麓を動いていない。
遥か遠く離れた場所で起こっている戦闘だ。
巨大な化け物は見える。閃光や爆発も見える。
だが細かな趨勢や、まして戦っている人間など、芥子粒ほどにも目に映らない。
事実つい今しがたまでそれが見えていたのは背後の男、国崎往人だけだった。
自分と志保は国崎の実況に一喜一憂しながら、今後の身の振り方を検討していた。
していた、はずだった。

「どうしてみんな、勝手なことばっかりやってんのよ……!」

だが少し前から、少女の言動が明らかに変わっている。
見えている、というのだ。
今しがたまで見えなかったものが、見えている。
志保はそのことに疑問を抱いていない。
そのことが当然だというように、自分の異常を受け止めている。

217 十一時四十分(2)/dis the B.R. :2008/11/09(日) 15:06:40 ID:4fIefZFU0
おかしな島だった。
殺し合いをしろと言われて連れて来られた。
だというのに出会ったのは妙な連中ばかりで、殺し合いなどそっちのけで動いていた。
男と一夜を過ごす悪夢や、死ぬほど殴られたりといった不幸はあった。
だが今、自分はこうして生きている。
どうして生きているのかはわからないような目にあったけれど、ともあれ生きていた。
奇妙な事態の一つや二つ、今更気にするほどのことでもないのかもしれない。
そんな風に結論づけて、春原は少し張り出している腹をぽんと叩く。
便秘かな、少し運動しなきゃな、そんなことを考えながら、軽い気持ちで口を開く。

「はは、どうせなら僕らの声が、その戦ってる連中に届くような……そんな力があったら面白いのにな」

本当に、軽い気持ちだった。
単なる戯言、場を持たせるための冗談、その程度の言葉だった。

 ―――そんな力、あるわけないじゃない!

そんな怒声と、機関銃のような罵声の嵐が返ってくると確信し、内心で身構えて、しかし。

「届くわよ」

少女は、ただ一言。
それだけを、口にしていた。

「あたしの声は、届く」

少女は、じっと山の上を見上げていた。
絶句する春原の目に映る少女の表情には、一切の冗談を許さない雰囲気があった。
凍りついたような空気が嫌で、そんな場を崩したくて、何か茶化してやろうと少女を見て、
そして春原は、口を噤む。
少女、長岡志保の頬には、一筋の涙が伝っていた。

「あたしはここで見てる。だったら見てるだけなんて、そんなの嫌じゃない。
 あたしの見てるものは、誰かに届く。届けるのよ。あたしの声が。あたしの言葉が。
 それが志保ちゃんだもの。それが、あたしだもの。届くに決まってる。絶対。……絶対!」

支離滅裂だ、と春原は思う。
少女の言葉には、何の根拠もない。
それはただの我侭で、駄々っ子が店先でごねるようなもので、だけど。
だけどその目には、きっと世界のどこかで何かを変えると、そう信じたくなる光が、宿っていた。

「……かもね」

この世界でたった一人、あるはずのない奇跡を疑わない、少女がいた。
自分が、その二人目になろうと、思った。

 ―――どくり。

鼓動が、聞こえた。

218 十一時四十分(2)/dis the B.R. :2008/11/09(日) 15:06:55 ID:4fIefZFU0
命の、脈動する響き。
呼応するように背後、小さな音がした。
世界のどこかで、何かの変わる音だと、そう思えた。

振り向けばそこにあるのは古びた社。
鷹野神社と銘の掛けられた社の奥、光る何かが見えた。
朽ちかけた暗い拝殿の奥で燦然と輝くそれが何なのか、春原にはわからない。
小さな羽根のようにも映るが、羽根は自然に光らない。
だからそれが何であるのか、春原陽平には理解できない。
それが幾多の不幸をもたらしてきた翼人の羽根であると、その意思の宿った一片であると、知る由もない。
しかしその光る何かを見つめる春原の耳に響く鼓動は、どんどんとその存在感を増していく。

どくり、どくりと鼓動が響く。
初めは息遣いよりもささやかに、次第に梢のざわめきを凌駕して、そして最後には世界を包むように。
ぐらり、と視界が傾く。

鼓動は外から響かない。
鼓動は心臓の音だ。
春原の心臓はしかし平静で、ならば誰かの心臓が、鼓動を奏でている。
それが誰だかわからずに、自分の中から響くもう一つの鼓動が誰のものだかわからずに、
音に呑み込まれて耳を押さえた春原の視界が、光に満たされた。

青の一色。
静謐な湖面の、無限の蒼穹の、水平線まで続く波濤の、それは色。

音と光が春原を包み、その意識を薄れさせていく。
最後に少女がこちらを向いて、何かを言ったような気がする。

「―――あんた……! 何、そのお腹……光って―――!?」

音に紛れて、少女の声は聞こえない。
光に掻き消えて、少女の顔はもう見えない。

何が起こったのかはわからない。
わからないけれど、少女の言葉を信じようと思ったのが、この光を呼んだのなら。
拡がる光が満たすのはきっと、少女が声を届けたいと願う、世界のすべてだ。

春原陽平の意識は、それきり途絶えている。

219 十一時四十分(2)/dis the B.R. :2008/11/09(日) 15:07:39 ID:4fIefZFU0

【場所:G−6 鷹野神社】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:異能・詳細不明】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠】
国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】

→678 1003 ルートD-5

220 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:51:45 ID:zsviVj.20
 パソコンの前では、まさに最後の仕上げと言わんばかりに姫百合珊瑚が目にも留まらぬ速さでキーボードを打ち、プログラムを組み上げていた。
 まるでピアノの演奏だ、と向坂環の看病を続ける姫百合瑠璃は思った。

 これが完成すれば、ひとまずは首輪の脅威から逃れる事が出来る。それを足がかりにこの悪夢じみた島から逃げ出すことだって……
 だが、そう簡単に事は運ばないのは瑠璃にだって分かっている。
 自分達が首輪の事について話すときにはいつだって筆談。盗聴器がついているからだ。
 加えて、島のあちこちに仕掛けられた監視カメラ、それに参加者を区別するための発信機。

 首輪を外すということはそれを付けた人物が死亡したことと同義だ。
 発信機がたちまちのうちに死亡のシグナルを出し、それを管理している側が不審に思わないわけがない。
 最悪兵士でも送り込んできて、首輪を外したこちらを抹殺にかかる可能性もある。
 狭い島の中だ、主催者側の技術力ならば簡単に見つけ出されるだろう。
 だから首輪を外すときは、この島から脱出するときだ。

 船か、あるいはヘリでも確保し、動かせる状況になってから首輪を解除。何事かと主催が事態を把握する間に外海に逃げ出す。
 恐らくはそういう筋書きを、珊瑚は立てている。
 だがこの問題点は、果たして脱出の要となる船、ヘリを首尾よく確保できるかというところだ。
 この島にそんな都合のいいものが用意されているわけがなし、そうなると畢竟、主催側の懐に飛び込まなければならなくなる。
 主催者側にだって、ここに来るまでに用意した移動手段が、必ずあるはずなのだから。

 そのとき、果たして自分は珊瑚を守りきる事が出来るのか。
 未だ戦闘経験のない自分が守るためとはいえ、人を殺す事が出来るのか。

 迷いが不安となって津波の如く押し寄せ、それでもやらなければならないのだという焦りを生み出す。
 いつまでも安穏としてはいられない。自分だけ綺麗でいようだなんて虫の良すぎる話だ。
 分かっている。分かっているけれども、戦うという未知の事態に覚悟の支えが揺れる。
 靄を掴むような感触が、確信を持たせてくれない。

221 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:52:07 ID:zsviVj.20
 じっとりと手のひらに汗が滲み、落ち着こうと一つ息をついて、瑠璃は作業を続けている珊瑚の横顔を見る。
 パソコンのモニタ以外は何も目に入っていない、真剣な顔。
 イルファを設計したとき、自分とイルファを仲直りさせようと奔走していたときもこんな顔だったのだろうか。
 想像しているうちに、自分の中に再び、萎えかけた決意が膨らんでいくのを感じる。

 そうだ。この顔があるから、まだ生きている珊瑚の顔を見られるから、まだ自分だって頑張れる。
 沈黙の内に瑠璃は決意を新たにし、環の看病に集中する。
 とはいっても、濡れた布巾で汗を拭い、体を冷やさないようにしてやることくらいしかしていないのだが……
 苦笑のうちに、それでもやらないよりはマシか、と思い直し柔らかな頬をそっと拭う。
 気のせいか顔色はそれなりに良くなり、呼吸も安定してきている。峠を越え、取り合えず命に別状はなくなったというところだろうか。
 安心は出来ないと思いつつも確かに命が戻ってきているという実感が瑠璃の頬を緩ませる。

「瑠璃ちゃーんっ!」

 と、そこに盛大に声を張り上げ、どたどたとこちらに駆け寄ってきた珊瑚が背後から抱きついた。
 勢いのあまり環の腹部にダイビングヘッドしそうになった瑠璃だったが、ギリギリのところで堪えて大惨事になるのだけは回避する。
 ここに隠れているという事実を理解しているのか、そして環が大事になったらどうしてくれるのかと二つの文句をぶつけようと珊瑚の方に振り向いた瑠璃だったが、声を出す間もなくその眼前に突きつけられたメモ用紙には、辛うじて日本語だと認識できるくらいの汚い文字で文章が書かれていた。

『ワームかんせいや〜』

 ホンマか! と文句を垂れようとしていたことも忘れて思わず叫びそうになった瑠璃だったが、それは機密中の機密ということも思い出し、慌てて口を閉じる。

「ど、どうしたん、さんちゃん?」

 とはいえ、抱きつかれた勢いのままギュウギュウ締め上げてくる珊瑚の体をいつまでも受け止める事が出来るわけもなく、堪忍してとばかりに珊瑚を邪険にならない程度の力で引き剥がし、改めてやり遂げた珊瑚の表情を見る。
 笑顔とは裏腹に、珊瑚の表情にはやや疲れの色が見えた。そうだろう。何しろ何時間もぶっ続けでパソコンの画面と向かい合っていたのだから。

 自分の何倍の苦労を成してきたのかという疑問を持たせる間もなく、珊瑚は「お腹空いたー」と恐らくはこれも本音であろう言葉を続けた。
 小食なはずの珊瑚だが、流石にあの様子では空腹にもなるだろう。
 ならば、自分の出番だ。家事を得意とする姫百合瑠璃の本領発揮というわけだ。

222 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:52:30 ID:zsviVj.20
「……しゃーないなぁ。ウチがなんか作ったるから、さんちゃんはちょっと大人しくしててや」

 この家にあるのは携帯食ばかりではない。持ち運びできないというだけでちゃんと冷蔵庫には食材もあった。
 調理する音が気にならないではないが、この家の真横を誰かが通るのでもない限り聞かれる心配はない。
 はーい、と行儀よく応じた珊瑚を置いて、瑠璃は腕まくりをしながら台所に向かおうとした、その時であった。

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。――では、第三回目の放送を、開始致します」

 放送……その単語を脳が理解したときには、既に一人目の名前が告げられていた。

「祐一……!? さ、さんちゃん……!」

 驚くというより、信じられなかった。つい一時間前まで顔を合わせて笑いあっていたはずの仲間。
 思わず珊瑚の顔色を窺った瑠璃だったが、何か言葉を紡ぐ前に、さらなる犠牲者の名前が呼ばれる。
 神尾観鈴。川名みさき。……数少ない知り合いの、河野貴明まで呼ばれていた。

 そんな、馬鹿な。
 ショックが大きすぎて、その程度の感想しか抱けなかった。
 ここ一時間の間に、藤田浩之を除く外出組は全滅したというのか?
 一体何があって、三人も死んだ?

 放送でそれらの名前を告げていた人物は、まだ何事かを呟いていたが、冷静に聞き取るだけの余裕はなかった。
 珊瑚も相当のショックがあったらしく、ひろゆき、と唇が動いたのを最後に呆然と立ち尽くしたままの姿になっていた。
 何か言わなければと思いつつ、口は開くことなく、逆に頭の中ではどうしてこんなことになったと思考がぐるぐると回転している。
 一時間足らずでここまでの人数が死んだ、ということは容赦なく人を殺せるだけの凶悪な人物が近辺に潜んでいるということを指す。
 だがここには何も聞こえてはこないし、相変わらず静かなままだ。
 何より、怪我しているとは言え、浩之や祐一がいてそれほどの死者を出したというのが在り得ない。

223 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:52:46 ID:zsviVj.20
 一体どうして、と考える瑠璃の頭に、もう一つの可能性が頭をもたげる。
 浩之が裏切って、皆を殺しにかかったという可能性。
 油断している皆の背中に銃を突きつけて、容赦なく撃ち抜いたのではという可能性。
 ……それなら、辻褄は合う。こんな短時間で仲間が次々に死んでいったということも。

 しかしそんなのは在り得ない。常にこの殺し合いに疑問を持ち、傷つきながらも立ち向かい、守ってきた浩之が……殺し合いに加担するなど。
 背中を合わせて守りたい人を守ると話し合ったあの夜。
 仲睦まじくみさきの手を取って歩いていた背中。
 あれが全て演技だったというのか。皆を信用させ、無防備な背中をさらけ出させるための策だったというのか。

 嘘に決まっている。こんな根も葉もない思い込みを信じてどうする。
 疑心暗鬼にかかり、仲間を裏切りかねないのは自分じゃないか。
 己の周囲に靄が立ち込め、まるで周りが見えなくなっていく。
 一度根を張った疑いの芽は既に萌芽を始め、しっかりと足元に絡みつき瑠璃の身動きを封じてしまっていた。
 どんなに断ち切ろうとしても、すぐにまた成長を始めて……

「瑠璃ちゃん?」

 放送が終わってからも何も喋ろうとしない瑠璃に、一抹の不安を感じたのか、珊瑚が心配そうに顔を覗きこんでくる。
 そこで靄は離散し、芽の成長も一旦止まる。
 違う可能性だってあるじゃないか。例えば、あらかじめ誰かが張っていた罠に浩之以外が引っかかってしまったとか……
 けれどもそれだって憶測でしかない。確信に至るだけのものが存在しない。

 今すぐに浩之に会いに行きたかった。この疑いを馬鹿となじって横っ面を張って欲しい。
 光の差す方へ進もうとした、藤田浩之として、愚かな妄想を持つに至った自分を――

「……さんちゃん、さんちゃんは、どう思ってるん?」
「え?」
「浩之……」

224 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:53:09 ID:zsviVj.20
 体は、今すぐにでもこの家を飛び出して真実を確かめたいと主張していた。
 しかし珊瑚を放っていくわけにはいかない。自分と珊瑚は一心同体。それ以前に掛け替えのない姉妹であり、家族なのだ。
 己の一存で勝手をして、珊瑚を困らせるわけにはいかなかった。
 大体、自分に何かを決める権限などない。ここではいつだって珊瑚の背中にくっついているだけで、何の役にも立っていない自分になど……

 またぞろ嫌悪感が己の中に広がり、どうしようもない無力感が瑠璃の中を支配する。
 みさきとはまるで違う。みさきは、しっかりと浩之の心の支えでいてくれていたのに。

「……ウチは、浩之を信じるよ。きっと、何か良くないことがあったんや。多分、ものすごく辛い思いしてる……だから、今度はウチらがしっかりして、浩之を支えたらんと」

 当たり前すぎる言葉だった。……そうだ。今誰よりも悲しみに打ちひしがれているのは、三人も仲間を失った浩之ではないのか。
 浩之は裏切り者かもしれない。でも今まで見てきた、自分達の信じてきた浩之なら、きっと悲しみに暮れているはずなのだ。
 珊瑚の言葉に強烈な衝撃を受けた瑠璃は、自分がどうしようもない屑に思えてきたが、珊瑚は「そんなこと言うてる、けどな」と続けた。

「でも、怖いねん。ひょっとしたら浩之が裏切ってるかもしれんって考えて、すぐに探しに行けばいいのに、環さんがここにいるから、やらなあかんことがあるからって理由つけて、動きたくないウチがおるねん。ウチ、のろまで、ドジやもん。襲われたら何もでけへん……誰も守れへん。だから瑠璃ちゃんが羨ましい。本気出した瑠璃ちゃんは、強いねんもん。でもウチは何もできへん……ただの機械オタクやもん。それに……殺されるのだって、怖い。瑠璃ちゃんの言うてた守る覚悟なんてあらへん。……あるのは、ここから早く逃げ出したいって気持ちだけや」

 自嘲するように珊瑚は言って、俯く。そこにあるのは同様に、疑心の芽に絡め取られた姉の姿だった。
 珊瑚も同じだったのだ。プログラムを組むこと以外では何も取り得のない、無力な己に辟易し、嫌悪する。
 そればかりか保身にさえ走ろうとしている自分が、果たしてここにいていいのか……そんな問いを、瑠璃に向けているような気がしていた。

 そんなことはない。自分だって同じだ。ウチだって浩之を信じてる。でも、ちょっとだけ不安なだけなんや。

 口を開きかけた瑠璃だったが、カラカラになっていた喉から言葉が出る前に、珊瑚は「せやから」と笑って、付けっぱなしになっていたパソコンの前まで走り、何事か作業を始めていた。
 言葉をかける機会を逃した瑠璃が呆然と立ち尽くす中、珊瑚は黙々と、真剣にパソコンの画面に見入っていた。
 どうしよう……そんな感想が頭の中を過ぎ、そう言えば自分は料理をしようとしていたのだったと思い出した瑠璃は、せめて食事だけでもと冷蔵庫まで行こうとしたのだが、玄関から聞こえてきた、ガンガンという音に全てをかき消された。

225 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:53:54 ID:zsviVj.20
「……っ!? だ、誰や!?」

 叫んでから、しまったと瑠璃は思った。これではこちらの存在を相手に知らしめてしまったのと同義ではないか。
 黙っているということは、浩之では在り得ない。もし浩之なら、まず真っ先に何か声をかけてくるはずだからだ。
 敵――そんな言葉が脳裏を掠め、咄嗟にレミントンM700を持ち、玄関へと向かう。

「た、助けてください! 追われているんです!」

 返答など期待していなかった矢先。息を弾ませ、いかにも怯えたという風な声が、玄関扉の向こうから聞こえてきた。

     *     *     *

 さて、島の中の参加者の人数が分かるというフラッシュメモリを手に入れたはいいものの、これを安全かつ確実に使えるようにするにはどうするべきか。
 小走りで動きながら、藤林椋は氷川村の南を行っていた。
 姉の藤林杏と再会することが最大の優先事項であり、それ以外のことは椋の頭の中にはなかった。
 現に椋は一刻も早くこのフラッシュメモリを使いたいがばかりに自らの脅威となり得る柳川裕也や藤田浩之、長瀬祐介殺害目撃の可能性がある宮沢有紀寧などがまだここに潜んでいるにも関わらず、氷川村を抜けることなく留まっていた。

 浅はかと言えば浅はかに過ぎる椋の思考だが、逆を言えばそれだけ杏に対する思いの丈が強いという証拠でもあった。
 誤解され、裏切られ、人間の醜い心理模様をこれでもかと目撃してきた椋にとって、杏だけが唯一信じられる絶対的な存在であり、救いの手を差し伸べてくれる救世主(メシア)であったからだ。
 無論椋は杏に一度たりとも再会してはいないし、杏が狂っているかもしれないという憶測を立てたこともない。家族だからという理由だけで、杏は自分を救ってくれるのだと愚直なまでに信じきっていた。

 だが家族という言葉の重みはこの島においては誰もが知っていることだろう。
 血を分かち、共に暮らした家族が、同族を襲うなど在り得ない。そう無条件に信じてしまうだけものが、家族という言葉の中にはある。
 その点において、椋はこれ以上になく『純粋』でもあった。

226 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:54:11 ID:zsviVj.20
 家族以外は信じず、全てを排除する。
 白と黒の二色に塗り分ける、単純にして絶対の倫理。

 だが椋とて、目的のために全てを見失っているほど愚かではない。
 達成するまでは身の安全を確保し、最上の手段で経路を導き出す。そうするだけの頭脳が椋の中にはあった。
 そこで考え出したのが、またもや誰かの中に紛れ込み、盾として利用しつつパソコンに繋ぎ、このフラッシュメモリを差すという戦略だった。
 要は姉の位置が分かって、それまで安全でありさえすればいい。そのための盾をここで見つけ出そうという算段だった。

 当たり前だが、誰でもいいというわけにはいかない。自分の存在を知らない存在であることが第一の条件。
 自分より弱いということが第二の条件。
 第二の条件を設定したのは万が一、自分の正体がバレたとき迅速に殺害するための措置。
 ただし自分が運動を苦手としているのは他ならぬ自分自身が良く知っている。同時に相手できるのは二人が限度、それも男が含まれていないのが絶対条件。……さらに言うなら、川名みさきや倉田佐祐理のような、誰の目にも明らかな弱者であるのが望ましい。
 だが先の放送で呼ばれた45人という死者の数から考えて、そのような人物はもう殆どいないだろう。あまり期待はしない。

「そうだ、放送といえば……ふふ、分かってるじゃないですか」

 放送において追加された『生き残りを二人まで許す』という言葉。
 やはり天運は自分達姉妹についているのだと椋は確信する。
 きっと姉のために奮闘する自分へのご褒美に違いない。残念ながら殺した数が足りなかったのか、そのままここから出させて貰えるというわけにはいかなかったが、上出来に過ぎると言えるだろう。きっと姉だって褒めてくれる。
 早く会いたい、会いたい――

 無垢な少女のように微笑む椋は、いつしか海岸の方まで走ってきていた。
 軽く息を切らせつつ、深呼吸のために大きく息を吸い込むと、海独特の潮の香りが鼻腔を刺激し、胸の辺りがスッと冷えていくのを感じた。
 さて、もうそろそろ行動に移ってもいいだろう。
 軽く周囲を見回し、どこかにパソコンが置いてありそうな家はないだろうかと見回すと、うってつけとでもいうように一軒の民家が目に留まる。
 あそこにあるだろうか。軽く期待に胸を膨らませながらそちらへと向けて走る。

「……ん?」

227 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:54:38 ID:zsviVj.20
 まずは様子を窺おうと、じっくりと家の様子を観察しようかと思った椋だったが、その必要はなかった。
 地面に足跡がいくつか。さらに土が玄関前にいくつも広がり、明らかに誰かが入ったと思しき形跡があったのだ。
 人がいる。一瞬家に侵入すべきか迷った椋だったが、ここの立地条件を鑑みるに、安全である確率は高いはずだった。
 人気のない海岸沿いな上、もし柳川のような凶悪かつ狡猾な殺人鬼が潜むとしても、こんな分かりやすい形跡を残しておくだろうか。
 少なくとも自分が柳川の立場であれば、奇襲に必勝を期すため、極力人の気配は絶っておく。

 ならば、ここにいる……かもしれない人間は、自分同様の素人然とした参加者なのではないか。
 襲い掛かってきたとしても、このショットガンなら勝てる。
 ベネリM3をデイパックから取り出し、注意深く手に持った椋は、ありったけの必死さを演出しながら激しく玄関の戸を叩く。

「だ、誰や!?」

 途端、声に驚いたらしい女のものと思われる声が家の中から聞こえてきた。
 やはり、隠れていた。それも予想通りの人間。
 好都合だと笑った椋は顔を歪ませながら、ここを自らの苗床とするべくさらに演技を続ける。

「た、助けてください! 追われているんです!」

 誰に、とは言わない。
 ここが氷川村の近くである以上先程殺した観鈴やみさきの知り合いとも限らないのだ。
 下手に情報を出して窮地に追い込まれるのだけは避けたかった。
 それはこの島で椋が人を殺していくうちに学び得た、知恵の一つだった。
 自分の怯えた声を信用したのか、特に追及の言葉が来ることもなく簡単に鉄の門は開けられた。
 心中でほくそ笑みつつ、椋は盾となる人物と対面する。

「……」

 が、流石に警戒を全て崩しているわけではなさそうだった。出てきた女は自分同様にショットガンを持ち、その銃口を向けていた。
 椋はひぅ、と掠れた声を上げ、さも相手が自分を殺そうとしているかのように振る舞う。

228 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:54:59 ID:zsviVj.20
「あ、あ、あ、そ、そんな、ちが、こ、殺さないで……」

 ぺたんと尻餅をつき、弱者のように演技する。もう椋にとって、それは慣れたものだった。
 この島において学んだことはもう一つ。
 弱者は確かに駆逐されるが、あまりに弱すぎる者は生かされる。いつでも倒せると認識するからだ。
 餌として、飼い殺すために。
 故に相手よりも遥かに弱いということを認識させれば、すぐには殺されることはない。椋はそう確信していた。

「勘違いせんといてや。ウチはそんな誰彼構わず殺す気はあらへん。手ぇ出さへんのやったら、こっちも何もせぇへんよ」
「あ……は、は、はい……」

 まずは第一関門突破。ショットガンの銃口を上に向けた女は、取り合えず敵意をこちらには向けていないようだった。
 尻餅をついたと同時に地面に落としたベネリM3を拾いながら、椋もよたよたという調子で立ち上がる。

「立ち話もなんやから……というか、ここにいたらウチらだって危ないから、取り合えず中に入るで」

 ウチ『ら』という言葉に、ここにいるのは一人だけではないらしいと悟った椋は、まずこの女を排除するという思考を捨てる。
 手を出さなければ手を出してこないとも言っていたし、危険性も今はなさそうだ。
 椋は頷いて、女に続くようにして家の中に侵入していった。
 廊下を過ぎ、居間に出ると、そこではまた新たに机に向かって……いや、パソコンに向かって作業している女がいた。
 椋は喝采を上げたいのと、すぐには使えないのかという落胆の、両方の気分を味わう。

 ベネリM3を乱射して皆殺しにするのは簡単な話だったが、それではパソコンも壊しかねない。
 何よりここに誰かいて、争っているとの格好の目印になってしまう。
 しばらく待つしかないと作業をしている女に憎悪の視線を向けつつ、椋は「あの」と話を切り出す。

「皆さんはここで何を?」

229 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:55:19 ID:zsviVj.20
 まずは情報収集。最終的に二人が生き残れると決まった今、利用し合う関係から有用なパートナーとなり、共に生き残りを図ろうとする人間は多いはずだ。ここにいる二人もそうだろう。容姿も似ていることから、ひょっとすると姉妹かもしれない。
 ともかくまだ安心はしない。ここで自分は弱者であり、今すぐ殺す価値もない人間だということを存分にアピールすればいい。

 気付いたときには、猛毒の牙が喉元に噛み付いているんですけどね。
 冷笑を押さえ込み、ここまで案内してきた女へ視線を移す。

「ん……まぁ、なんというか、怪我人がおるねん。今は隣の部屋で寝てんやけど……それで、医者を連れてきてもらおう思うて、別の仲間が探しに出てんやけど」

 怪我人、という情報よりも、医者を連れてくる仲間がいるという情報の方が椋の耳朶を打つ。
 そんな連中に、つい先程出会っていたからだ。

 藤田浩之と、その一行……しかもそのうちの二人は椋が自ら殺害したのだ。
 ヒヤリとしつつも、先のこの情報を手に入れられたことに、椋は己が絶対的に有利な立場を獲得したと確信する。
 連中とは氷川村に一度向かう過程でそれなりの情報を持っているし、どのような嘘をつけばいいのかは見分けがつく。
 彼らから奪った支給品は絶対に出さない。彼らの存在を知っていたことも話さない。
 この二つを念頭に置きつつ、「そうですか……」とさも初めて知ったような風を装う。

「……そういや、アンタは追われてるって言うてたけど、誰にや? 良かったら教えて欲しいんやけど。……っと、その前に名前教えとくわ。ウチが姫百合瑠璃、あっちのがさんちゃん……やなくて、姫百合珊瑚や」

 紹介された作業女……姫百合珊瑚がこちらを向き、ぺこりと一礼する。
 しかし特に何も言う事もなく、すぐにパソコンのディスプレイに向かって作業を再開する。
 何をしているのかに特に興味はなかったが、早くこちらが使えるようにして欲しいものだ。
 思いつつも、不審がられるわけにもいかない椋は文句を堪え、瑠璃との会話に神経を傾ける。

「えっと、藤林椋っていいます。あの、それで、私、お姉ちゃんを探していたんです。藤林杏って名前の……」

 杏という名前を出し、まずは反応を窺う。これで居場所が掴めればわざわざフラッシュメモリを使わなくて済む。
 リスクが減るという意味で、そうなれば理想だと考えたが、二人から特に反応が見られなかったことから外れか、と結論付ける。

230 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:55:39 ID:zsviVj.20
「それで、この辺りまで探して歩いてきたんですけど、村に入った途端突然男の人に襲われて……ここまで必死に逃げてきたんです」
「男……誰かは分からへんの?」

 分かりません、と首を振る。柳川の情報でも伝えようかと思ったが、あまり精緻すぎても疑われる可能性もある。
 外見の簡単な特徴だけ言うことにする。男は基本的に共通する特徴も多いから、誤解を招いて混乱させられればという狙いもあった。

「でも、目つきが怖くて、後は……眼鏡をかけていました」
「眼鏡……」

 どこかホッとしたような表情を見せる瑠璃。当てが外れたのだろうか。期待していなかったとはいえ、誤解を持たせる策に失敗したかもしれないことに、椋は内心歯噛みする。もっとも、実害はないからどうということもないが。

「大変やったんやね……けど、よく無事で逃げてこられたね。怪我してるようやけど、大丈夫?」

 不意にかけられた声に、椋の心拍数が上がる。
 背中を向けたままの珊瑚が尋ねていた。のんびりとした声の調子はただ疑問に思っただけだったのか、それとも疑いの声か。
 椋は裏返った声で「だ、大丈夫です」と答えた。動揺がありありと出ているのが自分でも分かったが、珊瑚はそれを怖い記憶を呼び覚ましたと勘違いしたのか、「あ、聞かれたくなかった……? ごめんなー」とようやく顔をこちらに向け、頭をぺこりと下げた。
 だが心の底で疑っている可能性はなくはない。嘘をついているかもしれないと思われたが最後、こちらを排除しにかかる恐れもある。
 どうする、こちらから先手を打って攻撃するか。未来の危険より、まずは目の前の危険を……

 デイパックに意識を飛ばしかけて、早計だとギリギリのところで理性がストップをかける。
 今ここでベネリM3を乱射したとして、銃声を撒き散らすばかりか目の前のパソコンまで破壊してしまう。
 目的は姉の居場所を掴むことであり、敵の排除はその後。焦ることはない。この二人は手に武器も持っていなければデイパックも近くにないではないか。こちらが常に武器を保持しておけば、有利なのはこちらだ。
 まだ動くのは早い……しかし先程の緊張のお陰か、足は少し震え、デイパックを持つ手は汗ばんで滑り落ちそうになるほどだった。

「調子、悪そうやな」

231 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:56:04 ID:zsviVj.20
 様子を見ていた瑠璃が、ぽんと椋の肩を叩く。ビクッと竦み、振り払いたくなる衝動を押さえ、「は、はい」と笑顔を作って応じる。
 演技ではなかった。小心者である椋は常に安全を確保しておかなければ余裕を持てず、動揺をありありと浮き立たせてしまうのが常だった。

「まあ話はまた後でええよ。今は隣の部屋で休んどきや。もう一人おるねんけど」
「もう、一人?」

 聞いてない。それとも、あえて言わなかったのか。
 考えを巡らせる間に、瑠璃は閉じていた襖を開け、その奥で眠っている一人の人物の姿を見せる。
 部屋自体が暗くてよく分からないが、どうやら眠っているらしい。怪我もしているようだ。
 現状の脅威ではない、と判断を下しかけた椋の頭に、けれどもそれをひっくり返す情報が入ってきたのはすぐだった。

「向坂環さんって言うんやけど、ちょっと、酷い怪我でな――」

 こう、さか?
 名字を聞いた瞬間、先のものとは比較にならないほど心拍数が跳ね上がるのが分かった。
 向坂という名字は聞き覚えがあるだけでなく、椋にとってトラウマにも等しい、忌むべき名前であったからだ。
 佐藤雅史を騙して殺し、凶悪で底無しの虚無の如き瞳を携えた男……向坂雄二の名を思い出してしまった。
 いや、実際布団で眠っている彼女と、雄二とは姉弟の関係には違いない。
 だとするなら……この女も、雄二同様人を騙し、背後から襲い掛かり殺していくような凶悪な人物だ。

 なんの確証もない憶測だったが、椋はそれだけが真実だと断じて考えを進める。
 今の椋は精神が崩壊しかけており、自分と姉以外の人間は全員が全員他の人間を殺して生き残ろうと図っている、そうとしか考えておらず、尚且つかつて自分をひどく裏切った雄二の親類だというのなら、尚更凶悪な人物だと見なすことはある意味で当然の心理だった。
 放置しておいては、危険を伴う……己のことを棚に上げ、椋は内心でどうしてこんな奴を招きいれたのかと吐き捨てた。
 排除しなければならない。早急に。

 それまで環に何があったのか、どんな理由があってここに招いたのか、その事を探ろうとする思考は持ちえようがなかった。
 向坂という名字の人間なら、それだけで危険分子。
 既に椋の頭には穏便に事を済ませようという意思はなく、どのようにして環を……いや、この家に巣食う人間を全滅させるかだけを考えていた。

232 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:56:25 ID:zsviVj.20
 真っ先に確保すべきは今の自分の安全であり、命。
 突き詰めれば保身の一語で説明が成り立つ藤林椋という人間の、脆弱な人間性を表していた。
 しかし誰も椋を責めることなど出来はしないだろう。
 幾度となく裏切られ、精神の安寧を保つためにここまで身を落とさなければならなかった椋を、誰も……

 椋はまず、環を例の毒で葬ることを考える。
 ショットガンでは銃声で気付かれ、逃げられるか戦闘になる恐れがあるし、椋自体も一度たりとも発砲していない。
 勝てる見込みが少ない状況で、最善の戦法は一人ずつ、確実に仕留めていくことだった。

「えっと、じゃあ、お言葉に甘えて、そちらで休憩させてもらいます、ね」

 表面上は穏やかな表情を崩さず、話を終えた瑠璃にそう伝える。
 作戦は早くに完遂されなければならない。スピードが勝負だった。

「うん……あ、だったら、出来たらでええんやけど、環さんの様子、見ててくれへんやろか? ウチ、ちょっと料理したいから……」

 願ってもない。一も二もなく椋は頷く。ただ一人、珊瑚だけは何か言いたげな目で瑠璃の方を見ていたが、椋にそれを気にするだけの余裕はなかった。
 ともかく、早く、環の排除を。半ば逸る気持ちで椋は足を動かした。
 殺さなきゃ、殺さなきゃ、はやく、はやく――

 始めは姉のためと銘打っておきながら、今は自らの保身のためだけにしか動けない……哀れなまでに臆病な椋の姿が、そこにあった。

     *     *     *

 靄のかかった霧の中で、向坂環はたゆたっていた。
 ふわふわと浮いて、体の安定も覚束ない感覚……一番近しいものに例えるなら、プール……そう、プールに浮かんでいるような感触だった。
 もっとも、意識が覚醒しているのか、それとも夢を見ているのかさえ環本人には分からない。
 何も見えないし、聞こえない。索漠とした、水の満たされた空間でただ一人彷徨っている。
 ぼんやりとした感覚の中で、ひょっとすると自分は死んだのかもしれない、と環は思った。

233 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:57:09 ID:zsviVj.20
 いくら動揺し、体力も限界に近い、満身創痍の雄二だからといって、頭に金属バットを振り下ろされて無事であるはずがない。
 脳細胞が徐々に消滅し、死という破局をもたらす、その過程のうちに己はいるのだろうか。
 だとするなら、この水は川の流れで、行き着く先は彼岸……
 詮無いことを想像して、しかし馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすわけにもいかず、困ったように目を伏せるしかなかった。
 だが家族殺しの汚名を自ら被った自分にはお似合いの終焉なのかもしれない。
 雄二の心を取り戻すことが出来ず、狂った歯車を最後まで直そうと足掻くことを諦め、叩き壊してしまった自分には。

 このまま、流れに身を任せて彼岸の先に辿り着くのもいいかもしれない。
 やるだけのことはやったつもりだし、後は藤田浩之や相沢祐一に任せてもいいはずだ。
 いい加減、頼れる姉貴というポジションからは卒業しないと。
 私だって、女の子なんだし。
 でも、と心残りなこともある。

 学校で別れたきり音沙汰のない河野貴明の存在がちらと脳裏を過ぎる。
 弟同然の存在。雄二と同じくらい大切な貴明は、タカ坊はこの事実を聞いてどう思うだろうか。
 怒るに決まっている。疑問は一秒と経たずに解決され、そうだったわねと得心する。

 少し優柔不断のきらいはあるが、やるときはやってくれる男。
 学校でカッコつけさせてくれと不敵に笑った横顔を、どれほど頼もしいと思ったことか。
 そんなタカ坊が、不実に奔った自分を怒らないわけがない。まして、流れの先にある彼岸に安穏として辿り着こうとしているのでは。

 まだ楽になるわけには、いかないか――
 いつか死んでしまうのならば、せめて怒られない程度には、安心して逝きたい。
 それにこのままくたばるというのも、向坂家の女として面白くないじゃない?

 長い間、まるで使っていなかったかのように凍り付いていた指先にじんわりと熱が戻ってくるのを感じ、動くという意志が伝わってゆく。
 戻ろう。泳いで、戻ろう。
 環の視界から靄が消え去り、戻るべき場所がはっきりと見えてきた。
 それと同時に、彼岸の向こうの光景も……

234 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:57:23 ID:zsviVj.20
『行っちまうのかよ、姉貴』

 そう、ずっと向こうで待っていたひとの存在も、対岸に浮かび上がらせていたのだった。
 雄二だ。待っていてくれたのか。
 最後に交し合った互いの和解。赦しを受け入れ、今は所在無く立ち尽くす弟の姿が、寂しそうな笑みを浮かべていた。
 俄かに惜別の情が込み上げ、雄二のもとまで泳いでいきたい感覚に囚われたが、口を固く結んでその衝動に耐える。

『いいんだ、もういいんだよ姉貴。こっちに来たって……』

 悔恨と労いを携えて、雄二が手を差し伸べてくれている。また仲良くしようと言ってくれている。
 これ以上、姉貴に背負わせたくないと精一杯謝罪してくれている。
 環の目元から一杯の雫が溢れ、でも、と動きを止めかけた手を再度動かす。

「まだ、楽になるわけにはいかないのよ……ごめん、折角、誘ってくれてるのに……私は」
『……そうかよ』

 敵わねえな、やっぱり……と呟いた雄二の声を最後に、もう何も聞こえることはなくなった。
 不意に、こんな別れ方をして良かったのか、もっと言うべきことがあったのではないかという思いが環を駆け抜けた。
 結論を変えるつもりではないが、それでも……
 振り向いて、雄二がいたはずの方向に視線を走らせようとしたが、それは別の存在によって阻まれた。

「っ!?」

 ぬう、と突然どこからか伸びてきた手が環の足を掴み、水底へと引きずり込んでいく。
 悪しき意思を伴った、どこまでも暗い、深淵からの闖入者――
 何を思う暇もなく、向坂環は現実の世界に身を引き戻されることになった。

235 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:58:09 ID:zsviVj.20
ここまでが前半となります。

236 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:58:39 ID:zsviVj.20
 目が開かれる。
 散大していた意識が体の中に吸い込まれていく。
 心臓の脈を打つ音が、はっきりとした音となって聞こえてくる。
 そして、最後に……見知らぬ女が、注射器を自分の腕に刺そうとしていた。

「なっ……!」

 脳に情報が飛び込んでくると同時、危険だと判断した身体が勝手に反応し、目の前の女を突き飛ばしていた。
 女にとっては予想もしていない反撃だったのだろう。派手に吹き飛ばされた女は畳の上を転がり、注射器を手放していた。
 環はころころと転がった注射器を飽和したままの頭で引っ掴み、吐息も荒く女の方へと激昂した瞳を差し向ける。
 何を、何をするつもりだった、こいつは?

 呆然としたままの女を見、やがて全身から伝わるズキズキとした痛みと、暗くなった室内から、環は雄二との戦闘後、気を失った自分を誰かが連れてきてくれたのかということを思った。
 なら、何故目の前の女は自分を殺そうとしている?
 見覚えはまるでないが、自分も何時間眠っていたかわからない身。寝ている間に何があったのかなんて分からない。
 何がなんだか分からないままの頭で、それでも今の状況を判断しようと脳は回転を続ける。

 殺そうとしていた見知らぬ女。何時間も寝ていた自分。知り得る事実はこれだけだったが、そこから最悪の推論を導き出すには十分だった。
 皆殺しにされたのだ。祐一も、観鈴も、他の皆も。この女の手によって。
 絶望感が頭を過ぎると同時に、抗いようのない猛烈な怒りが湧き上がり、恨みそのままの感情が環の表情を彩った。
 怯えたような表情をしているものの、油断を誘うための演技に相違ない。恐らくは、そこにつけこまれて毒を盛られたのだ。

 そして極めつけに自分を、毒を直接打ち込んで抹殺しようと目論んだというわけか。
 嗤笑にも近い笑みが環の口に浮かび、しかしそれが仇となったなとでも言わんばかりの妄執を帯びた目を女に向けた。

「残念だったわね……でも、もう何もやらせない……! 殺す、殺してやるッ!」

 目を血走らせて、女を締め落とそうと指をゴキリと鳴らし、接近する――だが環の怒声を聞きつけ、この場に姿を現した二人がいた。

「なんやっ!? 一体何が……」

237 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:59:00 ID:zsviVj.20
 襖を開けて相対した人物の目には、明らかな困惑が混じっていた。
 一瞬の間を置いて、環の頭が情報を引き出す。あれは確か、姫百合瑠璃とか言ったか? その隣にいるのは、姫百合珊瑚。
 主催者に対抗する術を講じ、こちら側に希望を見出させてくれた人物。
 何故、その二人がここに?
 殺されたのではなかったのかという疑問ではなく、どうしてこの女と一緒にいるのかという疑問の方が湧き上がる。

 グルなのか? いや、それは違う。
 覚えている限り、珊瑚は間違いなく主催者に対抗する『ワーム』を完成させつつあった。
 それがいまさら、殺し合いに加担するなど……
 いや、待て。脳裏に響く警告が、今さっき人を騙す裏切り者だと断じた女の姿が、環にもう一つの可能性を出させる。
 自信を満面に滲ませたあの表情が嘘だったとしたら? あのプログラムは出鱈目で、自分達を騙すハッタリだったとしたら?
 プログラムのことなど所詮自分には理解もできない。あれが、内部から切り崩すための罠だとしたら……

 実際に祐一が、観鈴がいないこと、そして空白の数時間というラグが、環の疑心を強めていく。
 己の疑いをそうじゃないと言ってくれる人がいない。そうだと信じられる人がいない。
 孤独の中に結論を出さなければならず、沸騰を続ける頭から判断力が失せていく。

「環さん、どうしたんや? 殺す、って……一体……」
「あ、あかん、喧嘩はあかんよ……?」

 不安げに視線を動かし、自分と女の方を見る二人。戦意など感じられない、ただただ戸惑っているばかりで武器も持たない二人。
 これも演技なのか? これも嘘だというのか? 教えて、ねえ、教えてよ、雄二……!
 狂気寸前の疑心が己を苛み、ガラガラと崩れそうになる感覚だった。雄二は、こんな恐ろしいものと戦っていたのか。

 頼れるものなど何もなく、自分自身で判断を下すしかない。しかも、それで人の命が動く……
 環はこのときほど、時間を切望したことはなかった。教えてよ、この数時間に何があったのか……
 しかし揺れ動く環の心を嘲笑うかのように、女の涙声が二人に向かって叫ぶ。

「た、助けて下さい! こ、この人、私を殺すって……! 急に襲い掛かってきて!」
「なっ!?」

238 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:59:26 ID:zsviVj.20
 事実無根の罪を突き付ける女に、たまらず環は声を上げる。同時に、しまったという思いが浮かぶ。
 先刻言ってしまったのだ。殺す、と。
 先手を取られた。もし……もし、瑠璃と珊瑚が無関係なのだとしたら、この女が殺し合いに乗っているということを知らないのだとしたら。
 彼女に関わっている時間が皆無だった自分。懐柔される時間を与えられていた二人。圧倒的不利に立たされたのは、私だ。

「環、さん……嘘、やろ?」
「る、瑠璃ちゃん……」

 いや瑠璃にしても珊瑚にしても、自分はそんなに関わり合いになる時間が持てなかった。目的が同じということを確認しているだけで、腹を割って話すような関係足り得ていない。だから自分が疑ったというのに。二人が疑わない道理はない。
 自分がただ一人の敵という状況に晒される。その恐怖を感じた環は藁にも縋る思いで二人に詰め寄る。

「ちが……私は、そんなことしていな……」

 手を伸ばす。先程までの怒気から一転、今にも泣き出しそうな顔で姫百合姉妹に望みを託そうとしたが、その期待はあっけなく裏切られる。
 後ろ足で下がった。手から逃れるように……
 そんな、と絶望が掠めたのも一瞬、ズドン、という鈍い衝撃が環の腹を砕いた。
 真横から巨大な質量をぶつけられ、己の臓物と一緒に何かが飛び出す。
 誰だという視線が、最後の力を振り絞って向けられる。

 そこには……勝ち誇ったように陰惨に笑う、自分を嵌めた女の姿があった。その手にはショットガンを持って。
 やはりそうだったという実感。しかしそれよりも、これが結末かと己を嘲る気持ち、悔悟の念が環を支配していた。

 あの時、雄二を置き去りにしていなければ。
 少しでも、二人を信じていれば。

 天罰だというのか。家族を一人、彼岸の向こうに置いて己を満足させたいがために帰ってきてしまった我侭のツケが、この結果だというのか。
 自分の魂を慰めたい、そう思ったのが――

239 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 00:59:56 ID:zsviVj.20
 ごめん……雄二、ごめんね……

 無念すら口には出せなかった。
 上半身と下半身を真っ二つにされ、全身の血をぶちまけた向坂環は、藤林椋の姿を捉えたのを最後に、闇の底へと落ちていったのだった。

     *     *     *

 環が目覚める、少し前のことだった。
 休憩すると言って奥に引っ込んだ藤林椋の後姿を眺めたのを確認して、双子の姉である珊瑚が「ちょっとええかな、お料理する前で悪いんやけど」と小声と手招きで呼んできた。
 先程から妙に口数が少なかったので、何かあるのかとは思っていたが、本当に何かあるらしい。

 双子の感応というものもこういうものなのかと詮無いことを考えつつ、「どうしたん?」と足早に珊瑚の方に寄る。
 すると珊瑚は有無を言わせぬ勢いで、無言で箱状の物体を取り出す。
 無骨な金属製の箱……しかし一方で機械特有の脆さをも持っているそれは、間違いなく珊瑚が作業していたパソコンのHDDであった。
 どうしてこんなものを、と尋ねる口を、ノンノンというように指で閉じてくる。首輪解除に関わる重要なことなのだろうか?
 続けて差し出された、珊瑚のものと一発で分かる汚い字のメモには、こう書かれていた。

『このなかには、ウチのつくったワームと、それをおくりこむてじゅんを書いたせつめいしょがあるねん。るりちゃんにあずける〜』

 おくりこむ、とてじゅん、の間には割り込むようにして小さく書かれた『だれでもおっけー』の文字も見えた。
 つまり、これは、珊瑚以外の誰でもワームを送り込めるように改造し、手順までを書いてくれた言わば初心者版にしたものと言えた。
 今までの短時間でそんなことを、と驚嘆する一方、どうしてこんなことをしたという不安が瑠璃の中で大きくせり上がってくる。

 確かに誰でも使えるようにしてくれたのは在り難い。
 だが、それは自らの役割は終わった。もう自分はいついなくなっても大丈夫だと言っているようにしか思えなかったのだ。
 やるべきことはやった。思い残すことはない。凛として微笑み、HDDを押し付けてくる手が、そう語っている気がして……

 死んでもいいだなんて思ってへんやろな……!

240 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:00:15 ID:zsviVj.20
 胸倉を引っ掴んで問い質したい気持ちに駆られ、喉元まで出かかったがこの事を誰にも知られてはならない、珊瑚の期待を裏切る真似はしたくないともう一人の自分が押し留め、結局唇を震わせただけでどうすることもできなかった。
 それに、そんな笑い方をされたら……自信満々な、不敵な笑みを見せられたら、応えるしか出来ないではないか。
 己の一挙手一投足が確かな希望を紡ぎ、切り拓いていくと実感している、その様子を見れば。

 ずるいよ、と瑠璃は胸中に吐き捨て、未だ己の未来を信じられない不甲斐なさを拳の形にして、力いっぱい握り締める。
 だが力みすぎていると言えるに十分な拳をたおやかに包み、内包してくれるものがあった。

「大丈夫や。瑠璃ちゃん、ウチは大丈夫。ずっと一緒やて約束したやん」

 珊瑚が瑠璃の手をとり、相変わらずのにこにことした笑顔で諭してくれる。
 どこまでもおおらかな、ふわふわとした柔らかなやさしさ。それに触れているだけで落ち着き、安心させられる。
 大丈夫だと、珊瑚が言っている……それだけで、自分にも大丈夫だという予感がしてきた。

 この手のぬくもり……人が誰しも持っているぬくもり。人を信じる原動力というのがこれなのか。
 手を取り合えば、分かることができる――確信に近い、そんな感想を抱いたときだった。

「殺す! 殺してやるッ!」

 恐ろしいほどに殺気を帯びた、金切り声に近い怒声が隣の部屋から響く。
 向坂環のものだということはすぐに判別がついたが、先程まで彼女は寝ていたはずだった。
 目覚めたのだとして、何故いきなりそんな――
 頭で考えるより先に、体が動いていた。武器も持っていない、居間の隅に置き去りにしたままだというのに。

「なんやっ!? 一体何が……」

 襖を開けた瞬間、瑠璃は己が目を疑った。
 鬼のような形相で、環が椋に掴みかかろうとしている。椋はただ震え、恐怖に慄いている。
 先刻聞こえた『殺す』をそのまま体現したかのような光景に、瑠璃は体の節々が硬直するのを感じた。

241 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:00:33 ID:zsviVj.20
 どういうことだ。これは、一体?
 傍から見れば環が一方的に椋を殺そうとしているかのように見える。いや事実、瑠璃にはそう見えてしまった。
 祐一、浩之と共に弟との因縁をつけるために出て行った環……それが瑠璃の覚えている姿。

 だが、帰ってきたときにはボロボロで、意識も混濁していた。弟という者との間で何があったのか、知りようもなかった。
 起きたら、きっと話してくれるだろう……そんな希望的観測のもとに、環の精神がどうなっているのか想像だにしていなかった。
 それでもまずは、話を……珊瑚もそう思っていたのか、瑠璃と珊瑚はほぼ同時に口を開いていた。

「環さん、どうしたんや? 殺す、って……一体……」
「あ、あかん、喧嘩はあかんよ……?」

 口にした瞬間、キッと血走った目がこちらに向けられる。
 鬼。そう錯覚させるような、あるいは目の前の信じられない光景から来る恐怖が、環から滲み出ていた。
 足が震えているのが、自分でも知覚できた。
 環のことは、あまり知らない。出会ったばかりで、ろくに話もしていない。……椋と、同じくらいに。

 無自覚のうちに、瑠璃は二人を天秤にかけていた。椋と環、どちらが信じられるか。そしてそれは、椋の方に傾きかけている。
 殺す、という環の声が脳裏にこびりついて離れなかったから。
 それに追い討ちをかけるかのように、椋が涙声ながらに叫んだ。

「た、助けて下さい! こ、この人、私を殺すって……! 急に襲い掛かってきて!」
「なっ!?」

 思いも寄らぬ声だったのか、環は驚愕の視線を椋に向ける。その真実味を帯びた声は、瑠璃の天秤を傾けるのに十分な効果をもたらした。
 まさか、本当に……?
 珊瑚も信じられないという面持ちで、ふるふると首を振る。

「環、さん……嘘、やろ?」
「る、瑠璃ちゃん……」

242 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:00:52 ID:zsviVj.20
 動揺が自分にも、珊瑚にも発生している。
 殺すと叫んだ環。会ったときからのイメージそのまま、震えたままの椋。
 どちらも真実味を帯びていて、いや、だからこそ……

「ちが……私は、そんなことしていな……」

 咄嗟に環が腕を伸ばしてくる。それを視界に捉えた瞬間、自分も珊瑚も、反射的に後ずさってしまっていた。
 無意識の天秤が、警告を発し危険だと判断した体が動いてしまったのだ。
 そんな、という形で環の唇が動く。絶望に打ちのめされ、瞳が光を失った。
 あっ、と珊瑚が、声にならない声を出す。なんていうことをしてしまった――そう言うように。それは瑠璃も同様だった。

 人のぬくもり。つい先程知ったばかりだというのに、自分は、なんということを……!
 激しい悔悟の念が瑠璃を、そして恐らくは珊瑚をも貫き、それでもまだ遅くないと恐怖を断ち切り、今度こそ信じる手を伸ばそうとした。
 だが一瞬でも拒絶してしまった……その天罰を与えたかのように、環の脇腹からびしゃりと赤い肉片が飛び出した。
 割れた西瓜のように臓物を飛散させ、絶望の瞳を硬直させたまま、環の体がくずおれた。

「ぅあ……環さぁぁぁあぁぁあんっ!」

 珊瑚の悲鳴は届くことはなかった。瑠璃も体が硬直しきったまま、何も反応することができない。
 取り返しのつかないことをしてしまった。味方でいられるはずだったのに、迷ってしまったばかりに撥ね退けて……!
 自責と罪悪感の二つがないまぜになり、瑠璃は膝を折って懺悔の海に沈みたくなった。
 が、それだけの余裕も、時間も与えられるはずはなかった。何故なら……

「邪魔な女は消しました。次は、見ていた……あなた達です」

 環の屍を踏み越えて現れ、ベネリM3を携えた殺人鬼。藤林椋が殺気の篭もった陰惨な笑みを浮かべながら現れたからだった。
 この女が、全ての元凶。
 自分と珊瑚を騙し、油断したところを内側から一太刀に殺そうとした、悪魔の女。
 迂闊に過ぎた。その一言では片付けられない結果となり、二度と動かぬ環の遺体を手土産に、自分を殺そうとしている。

243 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:01:24 ID:zsviVj.20
 逃げなければ。珊瑚を引き連れて早く逃げなければ……
 頭ではそう思っていても、環の死が引き起こしたショックは体の神経を千々に引き裂き、まるで命令を聞こうとしなかった。
 こんなことになるのなら、追い返しておけば。

 そもそも、どうして椋がここに人がいることを察知出来たのか疑うべきだった。
 本当に恐怖を感じているなら、本当に追われているなら、人がこの家にいるだなんて想像もしていないはず。
 それを、椋はさも分かっているかのようにドンドンと玄関の戸を叩き、こちらが動揺したのを見てあのような無害を装って、侵入したのだ。
 最初から計算ずく。それもこれも、全て自分のせい、自分のミスが招いたツケ――

 今更ながらに浮かんだ、本当に疑うべきもの。真実を見据えてかかるべきだったことを思い、瑠璃はもう一度己に絶望した。
 さんちゃん、と口に呟いた次の瞬間、まずはこちらというように椋のショットガンがこちらを標的と捉え、黒い銃口の穴を差し向けた。
 死ぬ……その予感が立ち込め、この結末に納得している自分と、珊瑚を助けられなければ死んでも死に切れないという思いを過ぎらせたが、頑として体は動かなかった。肉体が恐怖しているのだ。こんな、情けない最期なんて……!

 その時だった。ショットガンの弾が瑠璃に突き刺さるより早く、体を押し出すものがあった。
 姫百合珊瑚。彼女の手が、ぬくもりを思い出させてくれた手が、瑠璃を突き飛ばす。さんちゃん、という言葉に応えたかのように。
 何が起こったのか、瑠璃が理解する間もなかった。
 突き飛ばされたと分かった瞬間、ズドンという重く、低い音が響き渡り、次いで珊瑚の脇腹が弾け飛び、肉片の一部を瑠璃の体に叩きつけた。

「……ぁ」

 もう、何も搾り出せなかった。
 守れない。守れなかった……
 薄い笑みを浮かべる珊瑚の姿が、あまりにもやさしくて。

 突きつけられた過酷な事実は、瑠璃から何もかもを奪うのに十分なものであった。
 体の芯から脱力し、肉体も生存を諦めたか、腰が折れ、ぺたんと尻餅をついた。
 三度弾を装填し、冷酷な表情で見下ろす様は初めて椋と出会った時の構図を瑠璃に思い出させた。

244 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:01:47 ID:zsviVj.20
 終わる。これで、何もかも――
 もう何度目か分からない諦観と、絶望。

「下がれッ、瑠璃ッ!」

 だがまたしても、それを遮るものがあった。
 瑠璃の中を突き抜ける、鋭くも叱咤するような声。
 あれだけ萎えきって、一歩として動けなかったにも関わらず、体が反応し低く体勢を伏せる事が出来たのは、あるいは心のどこかで、今度こそ信じなければならない。今度こそ取り返しのつかない過ちを犯すまいとどこかで思っていたからなのかもしれなかった。

 瑠璃の頭上を何かが飛び越え、一直線に椋へと向かっていく。さながら、矢のように。
 飛び越えた弓矢……藤田浩之は、勢いをそのままに椋に包丁を振り下ろし、その肩へと深くめり込ませ、切り込むことに成功した。さらに浩之は蹴りを繰り出し、小柄な椋の体を吹き飛ばす。
 包丁での攻撃は力任せに切り下したためか、バッサリと切り裂くほどのダメージには程遠く、二、三センチ肉を抉る程度の損傷になったが、椋に対する効果は絶大だった。いきなりの闖入者に慌てふためき、ベネリM3を向けなおす暇も与えられず切り裂かれ、ほぼ半狂乱の状態で肩を押さえ、悲鳴を上げ、苦痛を訴えていた。

「てめえっ……こんな、こんなっ……! ただで済むと思うなッ!」

 烈火の如く猛り狂った浩之の怒声が、血に染まった民家を震わせた。

     *     *     *

 昨日に比べ、今日は随分夜が早い。
 いや違う。これは……雨だ。
 夜天が空を覆う中、雲の一団が一面に鎮座していることに気付いた藤田浩之の頬に、ぽたりと一つ雫が落ちた。

 自分の予測が間違っていなかったことが証明され、浩之は空白でぽっかりと穴が開いた心が、さらに沈むのを感じた。
 これだけ心を痛めつけられてもまだ落ち込めるという己の頑丈に過ぎる精神に苦笑せざるを得ない。
 死に対して希薄になったとは思わない。でなければこんなに足取り重く瑠璃、珊瑚、環の下へ戻ろうとしていない。

245 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:02:07 ID:zsviVj.20
 ただ使命感だけが体を動かしている。
 死んでいるのかもしれないな、と浩之は思う。
 意思を持っていた『俺』が『おれ』になって、自分を留めている。

 歩けと命じた誰かの声が聞こえたから、歩いた。
 諦めるなと誰かが言ったから、死んでいない。

 魂が死に、肉体だけとなって留まり続ける自動人形(ロボット)。言い得て妙だと自分でも納得する。
 自分を清算できる出来る場所を探して、彷徨い続ける自動人形……きっと、もう輝きもない瞳になっているのだろう。
 暗い瞳……光を喪った瞳。だがみさきは、自分とは違った。
 世界を見えなくした目でも、正しく自分を、真実を見つめて、希望を捨てず――

「……そう言えば、今日、夕焼けじゃないんだな……」

 夕焼けが好きだと言った彼女。まだその理由も聞いていなかった。100点満点の夕焼けも教えてあげられなかった……
 明日も見れるように、頑張ろう。
 昨日、みさきに向けて言った言葉に、そうだったなと浩之は再度苦笑する。
 おれたちはまだ夕焼けも見ていない。本当の日の落ちるとき、夜が巡り、次の朝を迎える瞬間も……

 心の残滓をかき集め、まだ人形にはなりきれないらしいと嘆息して鈍い足取りを駆け足に変える。
 何も守れていないおれを、今度こそ誰かを守れるおれにするために。
 走れ、走れ、走れ……!

 雨で燻る木々を抜け、湿ってぬかるみかけている地面を蹴り、海岸にある、皆の待つ家へと向けて走る。
 たくさん説明しなければならないことがあるかもしれない。
 なじられ、どうして一人でおめおめと戻ってきたのかと罵倒の言葉の一つでも飛んでくるかもしれない。

 彼女たちの、恐らくは放置されたままの遺体も転がったままだ。
 目を閉じてさえもいない。埋葬もできるかどうか分からない。
 でも、いつか……本当の夕焼け。それも乗り越え、本当の朝を迎えることが出来たのなら、そのときはきっと……いや、必ず。

246 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:02:43 ID:zsviVj.20
 目標を一つこしらえ、人形になりきれない心に一条の光を見出して、浩之はひた走る。
 海岸沿いに走り、砂浜を抜けて、出発点となったあの家に……
 当初の目的だった聖は見つけられないままになってしまった。環の命を縮めてしまった、その責任も降りかかった。
 けれども伝えなければならないことがある。この近辺に、祐一を殺害したと思われる眼鏡の男がいることを。
 ふと、浩之の心に何か引っかかるものがあった。何かを見落としている、大切な何かを……

 思索に耽りかけた浩之の耳につんざくような銃声が聞こえたのはその時だった。
 海岸沿いで、遮蔽物が何もなかったからだろうか。清々しいほどにその音は明朗に、確かに銃声だと判断できた。
 しかも、その音はもう目の前にある出発点であった民家から……!
 刹那、忘却の彼方に置いてきてしまった『大切なこと』が電撃のように浩之の頭に走った。

 そうだ、あの男……あの男と祐一が、争う原因となったのはなんだった?
 一人の女を巡って、おれたちは争うことになったんじゃなかったのか?
 ざわと泡立つ自分の感覚を予感と捉え、浩之は放送の内容を思い出していた。

 争いの原因になった女……藤林椋。そいつは、まだ生きている。
 その一方で死亡が確認されたみさきと観鈴。椋と合流していない現状。
 嘘をついて、お前らを内側から殺そうとしている――柳川の言葉が脳裏に反芻される。
 奴の言っていたことが、真実だったのか……?

 殺人鬼へと転化したように思え、凶暴ともとれる雰囲気でかつて出会った人でさえも殺そうとした柳川。
 それゆえ信じる事が出来ないでいたが、嘘ではなかった……
 皮肉なものだと吐き捨てる一方、だとするなら、今の銃声はおれたちを出し抜いた『奴』の仕業の可能性がある。
 当たっているという予感が浩之の中にあった。ざわめきたっている体がそうだと言っている。

 デイパックから包丁を取り出し、走ってきた勢いをそのままに玄関のドアにケンカキックをぶつける。
 鍵がかかっていようがお構いなしの強行突破。この向こうに、奴がいる……!
 靴のまま玄関を上がり、狭い廊下を走り抜け、居間に続くドアも強引に蹴り開ける。
 銃声が聞こえてから、一連の行動は僅か数秒だった。それが間違いでなかったことを……悲しいことに、浩之は実感してしまった。

247 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:03:03 ID:zsviVj.20
「っ!?」

 絶句する気配が、へたり込んでいる瑠璃の向こう……ショットガンを構えた、奴――藤林椋――から伝わってきた。
 ちくしょう、ちくしょうッ……! こんなのってあるか……! こんなのが、現実だなんて……
 騙していた椋の存在にも、疑うことなく目の前の言葉に踊らされ続けていた自分も、猿芝居の駄賃に殺された二人も……
 全てが茶番のように思えて、ただただ嘘のようにしか思えなかった。

 けれども……
 体の内から燃え広がる暗い炎、圧倒的な怒りだけは真実だった。

 目の前に嘘つきがいて、助けるべきひとがいる。
 猿芝居を終わらせるだけの舞台が整っている。
 客であることはもう終わらせよう。出入り禁止になろうが、クソ喰らえと踏みつけて台無しにしてやろう。
 悲鳴のない舞台。今度こそ真実を見据えさせてくれる、虚偽のない舞台にするために……

「下がれッ! 瑠璃ッ!」

 猛然と突進し、即座に応じてくれた瑠璃の頭を飛び越え、浩之は力の限り包丁を振り下ろす。
 刃が肉にめり込み、鈍く切り裂いた感触が伝わってきた。

「あああああああっ!」

 悲鳴を張り上げ、肩を押さえてよろよろと後退する椋。続け様にその体を蹴り飛ばし、瑠璃から距離を取らせるように、そして立ちはだかるように位置を整える。その足元では珊瑚が、環が、血の海に沈んでいる。

「てめえっ……こんな、こんなっ……! ただで済むと思うなッ!」

248 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:03:27 ID:zsviVj.20
 憎むべき対象を目の前にしては、人形になりかけた心も沸騰し、沸き立っている。
 間に合わなかったという痛恨と、一人でも助けられたという実感。
 その二つが化学反応を起こし、力となり、憤怒となって敵に向けることが出来ている。

 痛みからか、邪魔されたからか、ありったけ憎しみを込められた視線を向けられても浩之は動じることもなかった。
 殺人に対して迷いはなかった。ひょっとすると、あの柳川と同じ道を辿っているのかもしれない。
 しかしそうだとしても、自分は間違ったことをしていないという確信が浩之にはあった。
 立てと命じた友人たちが、諦めるなと立たせたあかりとみさきが、自分を支えてくれている。
 人形であっても、成すべきことを成す為に。僅かに残る、心の残滓にある願いに従って……

 包丁を逆手に持ち、切り込めるように体勢を整える。
 ショットガンを構えられてもその間に懐に飛び込み、必殺の一撃を叩き込む自信はあった。

 だらりと垂れ下がった腕が持っている椋のショットガンを見ながらも、集中して油断しない。
 とはいえ武器間の射程差、威力の差は歴然として存在し、こちらから踏み込むことも躊躇われた。
 他に椋が即時応射可能な武器――例えば小型拳銃――などを所持していれば、反撃されるのは浩之だった。
 じりじりと間を詰め、有利な間に持っていく。それが浩之のとった戦法だった。

 だがそれは結果として致命的なミスにはならなかったものの、好機をも逃した。
 椋はショットガンを構えることも、他の武器で応戦し続けることもなかった。
 浩之に蹴られ、後ろへ下がった後。痛みを堪え肩を押さえるのを我慢し、椋が手に取っていたもの……それは瑠璃が持っていた火炎瓶だった。

 いつの間に、と椋の周到さに驚愕したのも刹那、投げられた火炎瓶から退避するため、咄嗟に瑠璃の腕を掴むと、隣の部屋へと引っ込み、体が許す限りの速さで襖を閉める。間に合うかと危惧したが、炎の舌が浩之と瑠璃を絡め取ることはなかった。
 火炎瓶から吐き出された炎は酸素を求めて居間を駆け巡ったものの、急激に燃え広がることはなく一瞬膨張したに留まった。
 だが、この間の時間は浩之にとって痛恨のラグであった。数秒待ってから襖を開け椋の姿を求めてみたが、既に居間はもぬけの殻と化し、ちろちろと小さな炎が揺らめくだけの赤い空間と化していた。

「……くそっ」

 必ず後を追う。どこまでも追い続けてやると心に誓い、一方で床に転がり、炎の煽りを食って酷い有様になっている、二人の仲間を、何とかしなければという思いを働かせていた。これでは、あんまりすぎる。

249 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:03:43 ID:zsviVj.20
「さんちゃん……」

 呆然として虚ろな瑠璃の声は、まるで人形のようで……浩之自身と重なって、ずきりとした痛みを与えた。

     *     *     *

 こんな偶然、予定外です……!

 自分の作戦に無駄はなかった。ミスだってなかったはずだった。
 たった一度の偶然で、なんでこんなことに……
 出血を続ける肩を押さえながら、椋は民家を脱出してどこへともなく走り続けていた。浩之から逃げるために。
 実際、途中までは上手くいっていたのだ。いや正確には、最初の段階で一つミスはあったものの、結果として上手くいっていた。

 最初は環を毒で屠るつもりだったが、刺す瞬間環が目覚め、反撃されたことで失敗。
 だが取り乱してくれたことで敵同士の疑心暗鬼を誘い、隙を作り出すことでショットガンで狙いを付け、殺害することに成功。
 続け様に奇襲で、動揺していたあの姉妹に攻撃。これは当初の予定通りで、順番こそ違えど珊瑚を撃ち殺すことに成功し、瑠璃もあの様子なら苦もなく殺すことが出来たはずだった。

 天は私に味方してくれているはずではなかったのか。理不尽な仕打ちに対する怒りは、派手な行動を起こしてはならないと決めていたにも関わらず環の登場で恐慌をきたし、あっけなく自戒を破ってしまった椋自身に向けられる……わけもなく、いるはずもない神様に対して向けられていた。

 どうしよう、どうしようという焦りも生まれつつあった。
 柳川に続いて浩之、瑠璃まで敵に回った。このままでは周りがどんどん敵だらけになる。
 姉に会えるのが遠のいたということと、死の危険に晒されるということが目的のない逃走を続けさせていた。
 その先には、氷川村があり――逃げてきたはずの柳川裕也がいるはずだった。

 だが椋はそんなことに気付くこともなく……前からは柳川、後ろからは浩之に囲まれる形となっていることにも気付かない。
 確実に、確実に……椋にも『ツケ』が回り始めていた。

250 巡り巡って/赫い彼岸の幻/みんな、ふたり、ひとり。 :2008/11/17(月) 01:06:30 ID:zsviVj.20
【時間:二日目19:10頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、工具箱】
【状態:死亡】
【備考:主催者の仕掛けたHDDのトラップ(ネット環境に接続した時にその情報を全て主催者に送る)に気付き、対策はしていた】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、包丁、救急箱、診療所のメモ、HDD、支給品一式、缶詰など】
【状態:放心状態。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

向坂環
【所持品:なし】
【状態:死亡】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:絶望、でも進む。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】


【時間:二日目19:10】
【場所:I-5・I-6の境界】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(5/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:マーダー。左腕を怪我(治療済み)、右肩に深い切り傷、半錯乱状態】
【備考:赤×1は民家内に放置】

→B-10
まとめ様へ、お手数かけますが分割での収録をお願いします
補助サイト様へ、包丁は観鈴に刺さったままで間違いありません。申し訳ないです……

251 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:10:57 ID:u8/9AdKg0
 無人の氷川村を、一目につかぬように、されど素早く駆けて行く男の姿があった。
 カッターにネクタイ、決して派手と言い難い髪型と黒縁の眼鏡という出で立ちはどこにでもいるサラリーマンという風貌である。
 だが近づいてみれば分かる、刃のように鋭く研ぎ澄まされた視線、僅かに覗く腕から見える筋肉のつき具合から考えればただの人物ではないだろうということが窺い知れる。何より、男の動きは機敏に過ぎていた。

 疲れなど微塵も感じさせず、ひたすらに隠密行動している男……柳川裕也には、人に見つかってはならない理由があった。
 赤く点滅している彼の首輪……それを起動させた彼女曰く、「24時間後に爆発する」という時限爆弾を背負わされつつも、柳川は初音の救助を諦めたわけではなかった。寧ろ、窮地に立たされた直後の今こそが彼女――宮沢有紀寧――を出し抜くチャンスだと柳川は考えていた。

 有紀寧の指示通り、殺し合いに向かったと思わせて有紀寧の後を追跡し、初音と合流したところを監視し、解毒剤、解除スイッチの両方を見せたところで突入、殺害して問題は解決する。
 解毒剤と解除スイッチ、両方ともを出してくる機会は必ずあると柳川は思っていた。確かにこの爆弾で自分も初音も拘束されたようなものだが、逆を言えば有紀寧もこの縛りを受けている。柳川が有紀寧に従属しているのは初音の命が手玉に取られているからであり、有紀寧にとってみれば初音が死んでしまえば命綱はあっさりと切れ、自分の首を絞める結果になるだけだ。

 つまり、柳川の死亡が確認できない限りは有紀寧は決して、初音を無為に殺すことは出来ない。自分の命を天秤にかければそのまま放置という選択肢は在り得ないのだ。ましてこれまで善人を装っていた有紀寧のこと、保身思考は人並み以上に高いに違いない。
 毒の方はともかくとして、首輪は再起動させられる恐れがあるが、それも解除できない道理もない。
 有紀寧の戦術は、戦力になると判断した人間の近しい人物の首輪を起動、解除、再起動させることで成立する。
 生殺しの状態であれど、殺されはしないのだ。

 付け入る隙はそこにある。
 上手い具合に初音だけに接触して、自然を装って有紀寧に解毒剤と首輪解除スイッチを持ってこさせるということだって不可能ではない。
 初音は所詮人質。弱者だと有紀寧は見下しているはずなのだから。
 敢えて逆らい、裏の裏をかく。
 この判断は間違っていないはずだと断じて、柳川は有紀寧の追跡を開始したはずだった。

 だが有紀寧も周到なもので、柳川が背を向けると同時に戻ってしまったのか姿を掴むことは出来ずじまいだった。
 診療所に戻ったのか、それとも別の場所を移動中なのか。
 だが移動し続けるということは在り得ない。それは即ち、解毒剤と解除スイッチの両方を持っていると証明しているに他ならないのだから。

252 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:11:18 ID:u8/9AdKg0
 先の戦術を行使するならば、わざわざそれらを自分から遠ざける理由はないからだ。
 持って来る最中に人質と従属させた者と接触される恐れもあれば、持ってくる最中に襲撃される恐れもある。
 何より、自分にとっての命綱を目の届かないところに置いておくのは常に不安が付きまとう。
 ちょこちょこ場所は移動するにしても、絶対に自分の手の届かないところに解毒剤と解除スイッチを置いておくことはない。
 それはまた……宮沢有紀寧は、この氷川村から出られないということも指していた。

 首を絞められたのは、お互い様というところだな?

 冷笑を殺意に変え、だが楽観視できる状況でもないと気を引き締め、柳川は周りの動向を窺う。
 何はともあれまずは誰にも気付かれず有紀寧の監視を続けなければならない。
 このような作戦を立てていると、人づてでもバレてしまえば有紀寧は自分を殺しにかかってくるかもしれない。
 直接的ではないにしても、同じく首輪爆弾を点滅させられ、隷属させられた者を介して襲わせたり……
 極力人の手は借りたくない。作戦を遂行させる意味でも、巻き込みたくないという意味でも。

 ふと柳川は、この思いは他人を信用していないのか、それとも慮っているのか、どちらなのだろうかと思った。
 個人的にはどちらともとれる。邪魔だという思いもあれば、迷惑をかけたくはないという思いもある。
 他人との共同作戦など人付き合いが苦手だった自分がそんなこと出来るものかという己への嗤笑もあるし、もし失敗すれば申し訳がたたないという思いやりとさえ言える考えだって持っていた。

 変わりつつあるのだろうか。半ば孤独を生きてきた自分と、人と関わりあうのも悪くないという自分がせめぎ合っているのか。
 倉田佐祐理を通して、過去の中にしかなかった貴之だけから、美坂栞、リサ=ヴィクセン……そして血の繋がった同族とも言える初音。
 おじさんと言われたときの違和感。年不相応だと思いつつもどこかくすぐったい響きは、互いに頼りにし、一蓮托生の言葉さえ思わせた昔を思い出させていた。鬼であっても未来を信じ、人間らしくいられると信じていたあの頃を……

 有紀寧に殺人鬼と謗られ、激しく憤ったのもそのせいなのだろう。
 ここに来た頃の自分なら、無表情に言葉を受け流し、どのように場面を展開していくか機械的に考えていくだけだった。
 どうかしている、と思いつつもやはりそれも悪くないと思う。相反する思考がぐるぐると回っている。これが葛藤なのだろうかとも柳川は思った。
 人のために動く。誰かを助ける、助け合う。当たり前ながらもどうしてという問いが柳川に投げかけられている。

253 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:11:39 ID:u8/9AdKg0
 柳川はしばらく逡巡し、やがて一つため息をついた。
 結局、自分のツケを自分で払いたいだけなのだと結論付けた柳川は、軽く苦笑した。
 家族のため、という言葉も付け加えてもいいかもしれない。
 人間らしく、家族のために……『ごっこ遊び』などではなく、本当に未来が築いていけると確信するためにこうしているのだ。

 そう、俺は殺人鬼なんかじゃない。
 人を思いやれる心も、慈しみ助け合う心だって俺は持ち合わせている。
 たとえそれが人より少なく、冷酷と揶揄される程度のものだったとしても。

 俺はこんなものも忘れていたんだという思いが過ぎり、思い出させる切欠となった人達の出会いをもう一度脳裏に反芻した。
 倉田、お前の仇は取る。初音を無事救出した暁には必ず……無念を晴らしてみせる。藤林椋を、必ず殺す。
 拳を堅く握り締めた視線の先には、氷川村の診療所、その裏手が見えていた。
 まずここに有紀寧と初音がいるか、ということだが……とにかく、様子を探るしかない。

 対人レーダーでもあれば話は別になるのだが、生憎と今の柳川の持ち物は弾切れのコルト・ディテクティブスペシャルと予備弾倉のないワルサーP5、そして支給品一式だ。とても何かを探れるとは思えない。
 戦力的にもワルサーP5だけ、しかも弾数から考えれば残弾が少ないということは明白。宮沢有紀寧が持っているであろう武器を奪えば少しは楽になるのではあろうが……だが、有紀寧一人だけを仕留めるのに銃はこれだけでもいい。
 刑事として、拳銃の発砲経験もある柳川と、いかに狡猾と言っても一介の女子高生に過ぎない有紀寧とでは実力差は歴然。
 だからこそ、自分を使って人を殺させようとしたのだろうが……

 足音を殺し、ゆっくりと、しかし確実に診療所に近づいていく柳川。最低でも12時間以内には初音と接触を果たしたい。もっとも、毒の進行状況を考えるとおたおたしていられないが。
 診療所の壁に張り付き、ちらりと窓を覗き見てみる。ここからでは様子を探るにも限度がある。
 だが中に侵入するのは気付かれる。ただでさえそんなに広くない診療所だ、気付かれでもしたら……

 焦ってはならない。一応、時間的猶予だけならば24時間ある。実際はそこまで長くは待てるはずもないが、先に動くのは愚の骨頂だ。
 捜査だって、辛抱強く待つ事が基本ではないか。
 逸る気持ちを深呼吸で落ち着け、冷静に思考を巡らせ、頭を冷却させる。力を抜き、リラックスして待つ。
 極度に緊張した肉体は少しの異変にも反応し、思ってもいない行動を起こしてしまいかねないからだ。特に、自分は。
 余裕を持て。勝つのは自分だ。そう言い聞かせ、鼻からゆっくり息を吐いて筋肉を弛緩させ、己の頭が冷えたことを確認する。

254 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:12:04 ID:u8/9AdKg0
 取り合えずここに居続けるのも無意味だと判断した柳川は抜き足差し足で壁伝いに移動を開始する。
 無論、診療所の中だけでなく外側にも気を配りながら。
 気を揉みつつ近くにあったもう一つの窓へと張り付く。こちらは何を考えていたのか、窓が開け放しになっていて窓枠もひどく傷ついている。
 そもそも室内があれだけ荒らされていたことを考えれば自ずと想像はついたが、深くは考えなかった。

 こんなところに、本当に留まっているのか……?
 有紀寧の用意周到さを考えればこんな目立つ施設に留まろうとするのは愚考とし、早々に移動を開始していた可能性もある。
 もっと目立たない、どこか別の民家に。
 見切りをつけて、別の場所を探すべきなのか。それともまだ早計としてもう少し様子を探るか。
 こんな近くに留まらずとも、離れた場所から監視する手だってある。自分の推理が正しいのなら、どうせ有紀寧は氷川村からは出られないのだから。

 迷いを覚え始めたその時だった。壁の向こうから二つの足音が近寄ってきているのを柳川は察知した。
 まさか、という思いを抱きながらも神経は診療所の中へと向けられていた。
 こんなにも早く、機会が巡ってくるとは……

 まずは初音との接触を試みたい。もちろん有紀寧が出払ったのを確認してからでないと不可能だが、有紀寧だって四六時中初音を監視しているわけにもいくまい。外部からの介入を恐れているのは有紀寧だって同じなのだ。
 新たな隷属を見つける、解毒剤の隠し場所を変える。用意周到は、慎重さの裏返しということでもある。
 有紀寧だって安穏とばかりはしていられない。勝つためには手段を選ばない……だからこそ、その努力を怠ることもしない。

 そうだろう、宮沢有紀寧?
 勝負はここからだ。どちらがより我慢を続けられるか。先に動いた方が負けの持久戦――

「有紀寧お姉ちゃん、こっちこっち! いいもの見つけたんだよ」

 そんな気持ちを霧散させたのは、やけに楽しげな初音の声だった。まるで、有紀寧の何も知らないかのような。
 毒を飲まされたことも、首輪の爆弾を起動させられたことにも気付いていないのか?
 そんな馬鹿な、とすぐに自身の考えを否定する。毒の方は騙し騙し出来たとして、首輪は騙しようがない。不自然に点滅を始めて、何も思わないわけが……いや、そもそも毒にしたって飲まされてこんな元気でいられるはずが……

255 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:12:28 ID:u8/9AdKg0
 ブラフか、そんな考えも浮かび上がる。柳川自身何も確かめていない以上、その可能性も十分考えられた。有紀寧の自信ありげな態度と、初音のお人好しぶりからそう判断したに過ぎなかっただけなのだから。
 だとするなら、ほとんどの問題は解決する。残る自身の首輪をどうにかしさえすれば、後は何も恐れることはない。

 ……しかし、あの狡猾な有紀寧がブラフだけに頼るなどということが本当に在り得るのか。
 そもそも、どうして初音を何も知らないままにしておく必要性がある? 初音に自分の正体をバラしたくないためか?
 いやそんなことは何のメリットにもならない。自分の考えた策を、毒はハッタリだとしても爆弾だけでも十分脅威になる。
 首輪に何の問題もなく放置しておくなど、命綱で自分の首を締めているだけだというのに?
 何かあるのか。もっと他に致命的な問題か、使う必要のない何かがあるというのか。

「待ってくださいよ。こっちだって情報の収集で忙しいんですから……」

 柳川の思考を他所に、随分とのんびりした有紀寧の声が通り過ぎる。初音に対して何の危機も抱いていないような、むしろ仲間だとさえ思っているような……自分と会話していたときよりも……
 演技だ。迷いを断定で打ち消し、先の有紀寧との会話を思い出す。人を見下すような、侮蔑するような声色。
 あれこそが有紀寧の本性で、初音に見せているのは偽りの姿。
 騙されるか。これ以上、俺は何も失うわけにはいかないのだから。

 だが柳川のそんな苦悩を知りもしない二人は、さらに会話を続ける。まるで他に物音がしないので、明瞭に聞き取ることが出来るのがせめてもの幸いだった。己の胸の内に、不吉な予感が漂ってゆくのを感じながらも、柳川は聞き続ける。

「で、どうなの? 有紀寧お姉ちゃん」
「……ええ、上々ですね。再確認してみましたが、残り人数は30人ほどです。まだ散発的に戦闘が起こっていることを考えれば、わたし達にも十分勝機はあります。問題は、いささか武装が貧弱なくらいなことですが……」
「だから、ひょっとしたらそれが解決できるかもしれないって言ったんだよ?」
「そうでしたね。……で、そのいいものとは?」

256 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:12:49 ID:u8/9AdKg0
 ……どういうことだ。この会話に、初音は何も疑問を持たないのか?
 残り30人。勝機。武装。とても殺し合いを否定しているものとは思えない言葉の節々を、初音は何の違和感もなく受け止めている。
 いくらお人好しの初音でも、殺人に対する感度は人より遥かに敏感なはずなのに。
 初音の態度から、ある仮説が柳川の頭に浮かぶが、そんなことは在り得ないと即座に否定する。……いや、否定しなければならなかった。
 柏木耕一をして天使だと評した彼女。柏木の家族の中でも、一際優しいと言われる彼女が、そんなはずは……

 己の耳を疑いたくなるような言葉の数々だったが、声はれっきとした初音のものであると分かる。分かってしまう。
 悲しいくらいに、ここは静かでよく聞こえてしまうのだ。

「これ。ベッドに下にあったんだけど……まだ開けてないっぽいね」
「……確かに、わたし達が持ってるデイパックと同じですね。忘れ物……でしょうか?」
「かもね。ここ、すっごく酷く荒らされてるし」

 会話から察するに、初音はここに置き去りにされたデイパックを見つけ出し、有紀寧に献上したというところか。
 自分達が一度ここに来たときは、そんなに注意深く探さなかったから気付けなかった。
 恐らくは、自分と有紀寧が会話している間に見つけたのだろうが、勝手に開けるわけにもいかず……と、そのままにしておいたのか。
 初音らしいと思いながらも、今の初音との違和感を思い出し、柳川はさらに分からなくなる。

 一体、初音が何を思い、こんな行動を起こしているのか……
 柳川は己の中にある熱が温度を失い、冷えて固まってゆくのを感じていた。失望とも諦めともつかない、冷めていく熱情。
 それが何なのか、分からぬままに時間は過ぎていく。

「開けてみてもいいかな」
「どうぞ。ですが外れかもしれませんから、あまり期待はしない方がいいと思います」
「そうかな……って、これ」
「……そうでも、なかったみたいですね」
「マシンガン、だよね。これ」

 がちゃがちゃとした音が鳴り、二人がデイパックの中身……曰く、マシンガンと言っていたものを取り出しているらしかった。
 有紀寧に強力な武器が渡ってしまったが、それはさして問題ではない。
 問題は、今の初音がどうなっているのかということで、柳川は半ば祈るような気持ちで、初音は有紀寧に合わせているだけなのだと考える。
 考えうる可能性はこれしかない。首輪爆弾を起動させられた上で、柳川も同様の状態に陥っていることを説明され、従うように言われた。

257 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:13:08 ID:u8/9AdKg0
 正確には、初音が裏切ったという場合もあった。だが柳川は信じたくなかった。
 こんな自分にさえ、おじさんと言ってくれた初音が、まさか有紀寧に同調して殺し合いに乗り、騙していたなどと……
 穴はいくつもあった。已む無く従わされているのであれば、言葉の節々にもっと棘があるはずだったし、このように自ら武器を差し出すなんてあるわけがない。だがそう考えるしかなかった。どんなに僅かな可能性でも、柳川はそれに縋りたかった。

 俺は人殺しを楽しむ悪鬼じゃない。孤独を生きてきても、人と寄り添え合える心だってまだ失ってはいない。
 俺は化け物なんかじゃないんだ、こんな俺でも、人といたいと思うことだってある。

 忘れかけていた自分に、倉田佐祐理が教えてくれたもの。馴染めないと思いながらも悪くないと感じたもの。
 希望の残滓。鬼だって人間らしく生きられるということを信じさせてくれたもの。
 椋を付け狙うのだって、それを残酷に踏み躙ったことに対しての自分なりの決着のつけ方だと考えてのことだった。
 邪魔をした少年を殺害してしまったのも、椋に執着するあまりのこと……今にして思えば、とんでもないことをしてしまったという自覚はある。

 言い訳とも取れる考え方をしている自分に気付き、いつからこんなになってしまったのかと柳川は思った。
 目的のためには多少の犠牲も已む無し。今までの自分ならそう断じて対処してきたはずだった。
 倉田ならこんな自分に何と言うだろうか。いなくなってしまった彼女を想っていることも、今までの柳川ならなかった。
 倉田、俺は……

「本物みたいだね……なら、柳川おじさんだって、簡単に殺せるよね」

 柳川の思考が、ぷつりと途絶え、空白の一部を作った。
 初音の発した一言が、受け入れることを拒否した結果だった。それほどまでに信じられない一言だったのだ。

「初音さん、分かってますよね? 柳川裕也の前では、あなたは……」
「哀れな人質、だよね。大丈夫だよ、しっかりやるから」
「ええ。そうです。首尾よく柳川さんが何人か殺して、戻ってきた時には」
「ぱらららら。だよね? ……でも、それだけじゃ足りない。千鶴お姉ちゃんを殺した奴も、梓お姉ちゃん、楓お姉ちゃんを殺した人たち、みんな撃ち殺してあげるんだから……もう誰だって信じない。有紀寧お姉ちゃん以外は、みんな敵。もう私に、家族なんていないんだから」

258 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:13:29 ID:u8/9AdKg0
 その言葉が決定的な一言だった。
 家族なんていない。信じていたものを、あっさり壊された感覚だった。
 全てが、偽りだったのか? 出会ったときから、今までずっと、自分は家族ごっこの中で踊らされていた……

 楓の死を告げなかったのも、初音にショックを与えたくなかったから。もう少し時間が経ってから言おうと思って、今まで黙っていた。
 それが……もし告げていたなら、自分は即座に殺される可能性だってあったということか。
 最初から、自分は道具扱いで、盾から矛に移り変わっただけということだった。

 絶望感が柳川を覆い、何かが音を立てて崩れていくのが分かった。まるであっけない、砂上の楼閣。
 俺は勝手に幻想を抱いていただけだったのか。所詮俺は人殺しで、誰からも疎まれて、孤独なままに人を殺して……
 音にも出ないほどの乾いた笑いが口から漏れ、ただただ寂寥感と喪失感だけが柳川を支配した。
 裏切られたのか。俺は、同族……家族にさえ……

 守るべきものも、目指すべき未来も、もう何も見えなかった。孤独に取り残された自分と、殺人を運命付けられた鬼の血だけが、今の柳川の全てだった。希望なんて最初から無くて、垂らされた偽りの蜘蛛の糸を辿って、見下ろす者に哂われていただけに過ぎなかった。

 ならば……
 俺だって、もう何も信じない。

 人が人を殺し、誰かが誰かを裏切るのを当たり前にしているのであれば、そうさせてもらおう。
 希望的観測になど縋りはしない。恐怖がこの世界を支配しているのならば、恐怖で支配すればいい。
 せせら笑う者たちに更に大きく、膨大な恐怖を。支配していたものを覆され、怯えさせながら殺せばいい。あの頃のように。
 柳川の中に確かな確信が生まれ、それまで抱えていた想いを一瞬の内に消し去った。

 恐怖で恐怖を支配する、絶対的な力の倫理。潰されなければ正しく、潰された方が悪いとする暴力の正義。
 何も信じず、誰も信じず、己の力のみを信じて何者をも屈服させる。
 それを柳川に証明したのが、他ならぬ同族である、柏木初音だった。
 感謝の意すら柳川は覚えていた。そうすれば正しいと分かった瞬間、最後に屈服させるべき敵は決まっていたからだ。

259 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:13:43 ID:u8/9AdKg0
 柏木初音と、宮沢有紀寧。
 全てを敵として憎み続ければいいと教えてくれた恐怖の象徴。
 二人を最後に潰すことで、己の恐怖は確立される。
 だからこの二人は今殺さない。最後の最後……三人になったときに、殺す。
 勝利を確信したその横面を残酷なまでに張り倒す。恐怖で恐怖に打ち克つ……その証明として。

 垂れていた頭を前へと向け、柳川は歩き出した。その足取りは一歩、一歩、何者をも支配するかのように傲慢で、高圧的に。
 前を見据える瞳は憎しみに染まり、全てを拒絶するように鋭い。
 歪になった唇からは赤い口腔が僅かに覗き、彼の内面が最早人ならざる悪鬼に変貌したことを示している。
 それは全てに裏切られ、また全てを裏切ると決意した男の、悲壮な姿だった。

 ぽつ、ぽつと。
 気が付けば雨が降り出していた。
 雨は柳川の身体を打ち、肌も服も少しずつ濡らしていく。
 少しずつ雫はたまり、やがてそれが、川となって柳川の頬を伝った。

260 もう嘘しか聞こえない :2008/11/24(月) 03:14:06 ID:u8/9AdKg0
【時間:二日目19:20】
【場所:I-7、北西部】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(3/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。また、有紀寧、初音、柳川の三人になるまで他全員を殺害し続ける】
【備考:柳川の首輪爆弾のカウントは残り22:40】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす。初音と共に優勝を狙う】

柏木初音
【所持品:マシンガン(種類不明、弾数未定)、フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:精神半分崩壊。有紀寧に対して異常な信頼。有紀寧と共に優勝を狙う】
【備考:マシンガンの入っていたデイパックは古河渚のもの】

【その他:19:00頃から雨が降り始めています】

→B-10

261 青(1) ずっとふたりで/私、貴女、それ以外 :2008/11/27(木) 02:36:50 ID:oegs0OjU0
青。
青の中にいる。

天沢郁未が認識したのは、まずそのことである。
ぼんやりとした頭で考える。
巨像はどこにいったのか。
戦いはどうなったのか。
考えて、その結末が思い出せず、しばらくしてそれも当然と思い直す。

「……どこよ、ここ」

辺りを見回す。
まるで網膜に青色のフィルターが貼られてでもいるかのような、奇妙な感覚。
そこは明らかに、つい今しがたまで立っていた神塚山の山頂ではなかった。
見上げても空はなく、無論のこと日輪もそこにない。
どこまでも広がる、透き通った青色の大気に包まれたような、不思議な場所だった。
郁未の思考がはっきりとしてくるに連れて、徐々に記憶が蘇ってくる。

異変が起こったのは双剣使いの像との戦いの最中だった。
変幻自在に襲い来る二刀をどうにか捌き、活路を見出そうと激闘を繰り広げていた郁未の視界が、唐突に塗り潰された。
世界を、青い光が包み込んだ。
咄嗟に認識したのは、その一事である。
青の一色に、巨像も、山肌も、空も海も郁未自身も、あらゆるものが飲み込まれ、塗り潰され。
そして、記憶はそこで途切れていた。
と、

『お目覚めですか』
「……葉子さん?」

郁未の耳朶を打ったのは、馴染みの声。
安堵を感じて振り返ればそこにいたのは果たして鹿沼葉子である。
空とも海ともつかぬ青一色の世界を背景にしてもまるで変わらない仏頂面に苦笑しかけた郁未が、
ふとその足元に目をやった瞬間、思わず呟きを漏らす。

「……なんで浮いてんの、葉子さん」

その膝下まで伸びる長いスカートの下、革靴を履いたその足は郁未の眼前、どこにも着いていない。
激戦を物語るように全身を返り血に染め、ふわふわと宙に漂うようなその姿は妖精か幽霊か、
いずれ彼岸の存在を思い起こさせる。

「……自縛霊?」
『ここが地獄でなければ違います』

冷静に否定する声音には揺らぎがない。
言葉を失った郁未を見下ろすように浮き上がった葉子が、言葉を継ぐ。

『これも不可視の力……といいたいところですが、それも違うようです。
 ところで一つ伺いますが郁未さん、あなたはどこに立っているのですか?』
「どこ、ってそりゃあ……え? ……あ、……え? わ……私まで浮いてる!?」
『……気付いていただけたようで何よりです』

呆れたような葉子の表情など、郁未は既に見ていない。

「ちょ、わ、何これ溺れる!?」
『溺れません。ずっと息をしているでしょう』

言われてみれば、と郁未は手足を振り回すのをやめて深呼吸。
問題なく肺が空気を取り込み、排出する。
一つ、二つと繰り返す内、郁未が次第に落ち着きを取り戻していく。

262 青(1) ずっとふたりで/私、貴女、それ以外 :2008/11/27(木) 02:37:10 ID:oegs0OjU0
「うーん……慣れてみればまあ、どうってこともないのね。……で、ここはどこで戦いはどうなったの?」
『その前にもう一つ、気付いていますか?』
「……何のこと?」

きょとんとした表情を浮かべる郁未の眼前、ふわふわと漂う葉子が唇に指を当ててみせる。

『私、先程からずっと声を出していません』

郁未に聞こえたその声は確かに鹿沼葉子のもので、しかしその言葉通り、葉子の口は動いていない。
それはつまり、と少し考えて、

『……こんな感じ?』
『郁未さんにしては飲み込みが早いですね』
『……』
『ええ、伝えようと思うだけで、相手に考えが伝わる……ここはそんなところのようです』
『気味の悪い場所だこと』
『……便利だとは言わないのですね』
『何が便利? 面倒が増えるだけでしょ』
『かもしれません』

漂いながら器用に肩をすくめてみせる葉子。

『で、先程の問いに答えますが……ここがどこかは判りません。戦いの行方も』
『珍しい、葉子さんにも判らないことがあるんだ』
『無知の知という言葉をご存知ですか?』
『馬鹿にされてることだけは分かるよ』
『素晴らしい』
『……』

実のない会話を打ち切って辺りを見回した郁未が、何かを見つけて指をさす。

『あれ、何だろ?』

指し示したのは、透き通る青の広がる世界、その水中とも空中とも判然としない中に浮いた、小さな球である。
全体には丸い形をした、人の頭ほどもあるそれは時折ぶよぶよと歪みながら、幾つも辺りを漂っている。

『泡? 突っついたらどうなるんだろ』
『……やめておいた方が、』

葉子が止める間もなく、郁未が手を伸ばす。
その指が触れた瞬間、泡が弾けた。


 ―――國體を護持し奉る為、此の身命が一片に至る迄、忠と成し義と成さん事を誓約す。


弾けた泡から声がした。
弾けた泡から色が零れ、弾けた泡から音がして、弾けた泡から溢れた世界が一瞬の内に、郁未を飲み込んでいた。


******

263 青(1) ずっとふたりで/私、貴女、それ以外 :2008/11/27(木) 02:37:31 ID:oegs0OjU0

『―――人を棄てるのではない』
『どう違う!』

男の声が、狭く雑然とした部屋を震わせる。
重く響いた声音は怒りに近い感情を乗せていた。

『我等は蛮戎夷狄を討ち払う國の礎、挺身忠孝の魁となるのだ、坂神』
『そういう話ではない!』

男は二人、他に人影はない。
坂神と呼ばれた男が、扉に背を預けるようにして立っている長髪の男に何か詰問しているようだった。

『他に何が必要なのだ。國の為に死ねと命ぜられれば死ぬのが兵だろう』
『しかし……!』
『この期に及んで臆したか、坂神』
『そうではない、そうではないが光岡……貴様とて思わんか』

取り付く島もないといった様子の長髪の男に、坂神と呼ばれた男が口調を変える。

『あの男……犬養が政治を牛耳るようになってからの軍は……いや我が國は、どこかがおかしい。
 何か取り返しのつかない方向へと走り出しているようにすら思えるのだ、俺には』
『……滅多なことを言うな、坂神。奴はあれで九品仏閣下の後ろ盾だ』
『またその名か……』

坂神が嘆息交じりに目を伏せる。

『九品仏という男、シンパは多いが……要は憲兵の元締めだろう。佐官に閣下もあるまい』
『貴様……もう一度言ってみろ!』
『何度でも言う。あの男に会ってからの貴様は何かに憑かれたようだ―――』


***


大きな泡が弾けて消えた。
押されるように、小さな泡が幾つも弾ける。


***


『―――坂神、貴様も来ないか』
『いや、俺は遠慮しておこう。まだ稽古の途中でな』
『そうか……だがいずれ時間を作れ。閣下のお考えを聞けば貴様にも分かる―――』


***


『……奴も変わったな』
『ケケ、お上品なインテリ連中の考えることなんざ放っとけ、坂神。
 それよか、たまには置屋に付き合えや。女郎共が煩くってかなわねえ。
 あのお連れの方はいらっしゃらないの、次はいつお見えになるの……とまあ、こうよ』
『御堂……貴様、掟を何だと思っているのだ』
『いいじゃあねえか、いくら色町で種を撒こうが孕むわけでもあるめえ』
『―――ほう貴様、まだ悪い癖が治らんと見えるな』
『おお岩切、戻っていたのか。そうだ、貴様からも言ってやれ』
『ゲェェーック、怖えのが来やがった……くわばらくわばら、っとくらあ』


***


『―――なあ、御堂。俺はたまに、思うのだ』
『あァ?』
『こんな、泥沼を這いずるような戦いが―――いつまでも続けばいい、と』
『……ケケ。手前ェも大概、病んでらぁな』


******

264 青(1) ずっとふたりで/私、貴女、それ以外 :2008/11/27(木) 02:37:54 ID:oegs0OjU0

最後の泡が弾けて消える。
色が失せ、音が消え、世界が融けてなくなって、静寂に満ちた青だけが残った。

『今の、って……?』

きょろきょろと辺りを見回すようにしているのは天沢郁未である。
頭痛に耐えるようにこめかみを押さえた鹿沼葉子が、それに答える。

『過去の記憶……MINMESのようなものでしょう。こちらは強制的に公開される機能付のようですが』
『悪趣味だね。……まあ、ELPODじゃなかっただけマシだけど』
『まったくです。風体からしておそらく、あの怪物と交戦していた男たちのものでしょうね』
『……あんなんだっけ? 髪の長いのがいたのは覚えてるけど』

首を捻った勢いでトンボを切るように回転した郁未に、葉子がこれ見よがしのため息をついてみせる。

『本当に、周りを見るということをしない人ですね……』
『そういうのは葉子さんの担当』

けろりと言ってのける郁未。

『けどさ、犬養って……ずっと前から総理大臣だよね』
『就任は十六年前ですね。今は第五次内閣です』
『言うほどこの国、おかしくしたっけ?』
『一般的には現在及び前回の休戦期を主導した人物として知られていますが』
『じゃ、いいじゃん』
『軍部には軍部の言い分もあるのでしょう。昨今は縮小傾向のようですし』
『そんなもん?』
『そういうものです。ちなみに話に出てきた九品仏とは陸軍の九品仏少将でしょう』
『誰、それ』
『知りませんか? 若くして将官にまで登り詰めた気鋭の軍人にして犬養首相の懐刀』
『全然』
『雑誌にもよく特集記事が組まれていますが』
『興味ないし。ていうか葉子さん、案外そういうの好きだよね』
『……』
『何で黙るかな』

ほんの僅か頬を染めた葉子の周りをくるりくるりと回っていた郁未が、
ふと何かに気づいたように動きを止める。

『ねえ、葉子さん』
『……』
『ねえってば。……あれ、何だろ』
『……また泡でも見つけましたか? 今度は不用意に突かないでくださいね』
『違うって』

つい、と指さす先。
目を向けた葉子が、微かに表情を変えた。

『何か……あれは、光っている……?』
『だよね、やっぱり』

どこまでも拡がる青のフィルターがかかったような空間の、果てしなく遠く離れた彼方。
針の先ほどに小さく見えるそこに、何かが瞬いている。
揺らめき、薄れ、時に煌くそれは夜空に輝く一番星のようにも、或いは今にも消えんとする灯火のようにも映る。

『……行ってみますか』
『他にアテもないしね』

踏みしめるべき地面はない。
しかし蹴るように足を動かせば、海にでも潜っているかの如く身体は前へと進む。

『……そういえば、葉子さん』
『何でしょう』

泳ぐように歩を進め始めた郁未が、肩越しにちらりと振り向いて問う。

『さっき、私のこと止めたよね? 泡、突こうとしたとき』
『……』
『私が起きる前に誰かの過去、見たんでしょ』
『ええ、まあ』

葉子の表情は変わらない。
空を蹴る足のリズムも変わらない。
ただ、ほんの少しだけ言葉を選ぶように目を細めて、口を開く。

『……人形も歌をうたう、……そんな、他愛もない夢でした』

それきり途絶えた背後の声にふぅんと気のない返事を返し、郁未が前へと向き直る。
その行く先では豆粒ほどだった光が、次第にその大きさを増しつつあった。

265 青(1) ずっとふたりで/私、貴女、それ以外 :2008/11/27(木) 02:38:15 ID:oegs0OjU0

【時間:???】
【場所:???】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:軽傷・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】

→996 999 1013 ルートD-5

266 こんにちは、その道のプロです。 :2008/12/02(火) 23:51:07 ID:O6UEvEkI0
開け放たれた窓から、爽やかな風が吹き込んでくる。
朝を実感させる痛みを伴わせた低温のものではないそれは、精神に優しい心地よさでエディの頬を撫で上げていった。
しかし窓辺に備えられた椅子に腰掛け静かに瞳を閉じるエディの顔に浮かぶものは、苦虫を噛み潰したような渋さで満ちている。
時刻は既に午前十時を回っていた。
行われた第二回目の放送、それですっかり気力を削がれてしまったエディはこうして数時間もの間、眠ることなく目を瞑り続けじっと心の痛みに耐えている。

エディが失ったものは、余りにも大きかった。
勝ち気で明るい少女、友人の姉である彼女、実力は折り紙つきの頼もしい彼女。
失われた知人達、これでエディの知り合いは残り二名となる。
内一人、那須宗一はまだいい。
トップエージェントである彼が、このような場で遅れを取ることはエディも想像していなかった。
リサ=ヴィクセンのこともあるので油断はならないが、残りのもう一人に比べたら生存率は遥かに高いだろう。

立田七海。
か弱い、何の力も持たない彼女のことがエディは心配でならなかった。
性格から、彼女が人を傷つける立場に回らないであろうこともエディは予測済みである。
受け身の彼女がこのような戦場で生き抜くには、誰かの庇護に下る以外有り得ないだろう。

「ナナミちゃん……」

もし、守って貰える「誰か」を彼女が既に見つけているのならば、まだいいだろう。
しかし、そうではなかった場合。
……一刻も早く、七海を回収する必要がある。島の脱出策を探す前に、優先することがエディには出来た。
またこれとは別に、エディの気が晴れない理由はもう一つある。

(ナスティガールん所は、まさかノ彼女含めノ全滅だもんナ……)

エディがこの島にて初めて言葉を交わしたのは、放送でも名前が上がっているイルファだった。
イルファと協力して知人を探すことになっていたエディだが、当のイルファ含め彼女の知人等は全て絶命したということになる。
姫百合瑠璃。姫百合珊瑚。河野貴明。
結局エディは彼等がどのような人物か知ることもなく、島で得た唯一つの繋がりも失った。

267 こんにちは、その道のプロです。 :2008/12/02(火) 23:51:50 ID:O6UEvEkI0
ギィ、と背もたれに少し強く寄りかかった後、反動で起き上がるようにしてエディは椅子から立ち上がる。
そのまますたすたと、エディは部屋に備え付けられていた机の元へと近づいていった。
机上には、無造作に広げられたA4用紙が散らばっている。
それらは同じく机上に設置されたパソコンとプリンターから出された物であり、エディが一晩かけて出した調査の成果でもあった。
データのハッキングは、エディの十八番でもある得意分野だ。
時間はかかったものの、ある程度のデータをエディは得ることができた。
しかし。
こうしてプリントアウトできたものは、その内のほんのごく一部でしかない。
あまりの膨大なデータにマシンスペックが追いつかず、途中でパソコン自体がクラッシュしてしまったのだ。
今このパソコンはエディがいくら電源を弄ろうにも、うんともすんとも反応しなくなってしまっている。

まだ落としきれていなかったデータのことを悔いるものの、こうして目に見える結果があることにエディも多少は楽観していた。
敵対する側の組織は、絶対の力で成り立っている訳ではないのはこの結果で明らかだ。
抗おうと思えば充分対抗できる範囲である可能性を技術者のレベルで見たエディだが、ここで彼は敵が主催側の人間だけではないことを思い出す。

「ソウダ……ああいう馬鹿女のことを、忘れチャなんねーゼ」

そう言って、エディは昨夜出くわした三人の男女の内の一人である、武器を振り回していた彼女のことを思い出し愚痴を溢した。
人を傷つけようとする人間を排除しないと、それこそ脱出しようと努力するこちらも痛手を負ってしまうだろう。
一々説得するにしても、キリがない。エディはそんな殺し合いに乗った人間に対し、容赦をする気が皆無であった。
そこには愛する友人等が手にかけられたという現実も、大きく関わっていたかもしれない。

溜息を漏らしつつそっとエディが手を伸ばしたA4サイズの用紙には、様々な数式や図式が印刷されていた。
エディがハッキングにより得た情報の一つであったが、如何せん彼が理解できる範囲の分野ではない。
魔方陣のような物が随所に挿し入れられていることから、魔術的な何かであろうとエディは予測付けている。
主催側が何者かを予測する際、その背景として絞る資料と考えれば充分だと、エディは一端そのレポートの束を端に寄せた。

次にエディが手に取ったのは、学生が手がけたレポートのように思われる簡素なプリントだった。
一度目を通したそれを、エディは再び読み込む。
変な図式等よりもこちらの方が現実的で、しかも情報としては役に立つレベルのものだ。
しかも内部の情報だということが一目で分かる。
エディは軽く舌を打ち、そうして自分達が管理されていることに対する嫌悪を顕にするのだった。

268 こんにちは、その道のプロです。 :2008/12/02(火) 23:52:26 ID:O6UEvEkI0
『公開レベルC・要周知 各特殊支給品と所持者についての補足』

1 要塞開錠用IDカード

地下通路に繋がる扉の制御キー。地下通路の損傷は復旧作業済み。
入り口は下図を参照すること。(計四箇所有)

※配布先は「116 柚原春夏」である。
 彼女の行動は随時監視すること。また所持者が変わり次第、至急連絡入れること。
 周知の徹底を心がけるように。

2 死神のノート

死神・エビルのノート。
本物であることは立証済。

※配布先は「40 向坂雄二」である。
 彼の行動は随時監視すること。また所持者が変わり次第、至急連絡入れること。
 周知の徹底を心がけるように。
 また死神・エビルについては別途ファイル「公開レベルC・要周知 参加者についての補足」を参照のこと

3 スイッチ

ほしのゆめみ専用アイテム。
彼女の核となっている岸田洋一の人格を呼び出すスイッチ。

※配布先は「34 久寿川ささら」である。
 彼女の行動については随時の監視外とする。
 またほしのゆめみ・岸田洋一については別途ファイル「公開レベルC・要周知 参加者についての補足」を参照のこと


4 フラッシュメモリ

中身に関する資料は別途ファイル「公開レベルC・要周知 参加者に与えている情報の範囲」を参照のこと

※配布先は「25神尾観鈴」「65立田七海」である。
 彼女達の行動については随時の監視外とする。

269 こんにちは、その道のプロです。 :2008/12/02(火) 23:53:06 ID:O6UEvEkI0
資料の下方には、エディにも支給されているこの島の物と思われる地図が縮小された形で載せられていた。
しかし全くの同一ではない。
フルカラーで印刷された地図には、青の×印が施されていた。
×印は全部で四つ。C06-C07の境目あたりの海岸線、G06-H07の交差地点、G02-H02の境界線と海岸線、G09-H09交差点に付けられている。
上記の説明から、それはこの島に存在している地下通路への入り口を指しているということになるだろう。

「さて、ト」

これが真実で本当に一切の偽装もないのかというのは、エディにも分かりかねないところであった。
しかし情報として整理するならば、これらの真相を確かめる必要性はある。
今、エディには恐らく彼一人の力で為すには時間がかかり過ぎるであろう情報が一気に集まった。
資料に載っているいくつもの見覚えのない固有名詞や、怪しい地下通路があるという地図のこと。確認したいことは山ほどあるだろう。
やらなければいけないことは多い。七海の保護も必然だ。

「ウーン、こういう時アイツがいてくれたらナァ……」

相棒は今何をやっているのか。
エディは溜息をつき、徐に一人荷物を片付け始めた。
心強い仲間を自然と渇望するエディの心境は複雑である。
人手は欲しいが、深夜に遭遇したあの女の件もあるからだ。

「せめてナスティガールが残ッテくれてたらナァ……」

エディの溜息は止まらない。
彼に今必要なのは、信用のおける仲間に他ならないだろう。
とりあえずの移動を開始したエディの背には、どこか哀愁が漂っているのだった。




エディ
【時間:2日目午前10時過ぎ】
【場所:I-6・民家】
【持ち物:主催側のデータから得た資料(謎の図式・数式、地図付の補足書)、H&K VP70(残弾、残り16)、瓶詰めの毒瓶詰めの毒1リットル、デイパック】
【状態:七海を探す・マーダーに対する怒りが強い】

(関連・429)(B−4ルート)

270 青(2) しあわせに、なりたかった :2008/12/06(土) 02:35:04 ID:Vii76lBc0
 
青。
青の中にいるのは、たくさんの私。

生きて、死んで、今は眠っている、三万人の私がそこにいる。
いくつもの夢を口にして、いくつもの願いを抱いて、そうしてその果てにたったひとつの祈りを捧げた、
たくさんの、本当にたくさんの、私。

私は小さな夢をみる。
私は願いを胸に抱く。

小さな三万の夢とささやかな三万の願いが集まり、縒り合わさって歌になる。
歌がほつれて言葉になって、夢と願いが散っていく。
世界を満たす花の吹雪の、花弁の全部が私の夢で、色の全部が私の願い。
夢と願いに包まれて、三万の私は眠っている。

私の夢。
大きな船に乗ってみたい。
私の願い。
いつか秋の公園で絵を描いてみたい。
私の夢。
初めての携帯電話に友達の番号を登録したい。
私の願い。
波打ち際で大きな砂の城を作りたい。
私の夢。
数え切れないほどの本に囲まれて過ごしたい。
私の願い。
温かい布団の中で微睡みたい。
私の夢。
綺麗な虹が見てみたい。
私の願い。
今は知らない誰かと出会いたい。

私の夢。
それは小さな夢。
私の願い。
それは儚い願い。
私の夢。
それは三万の他愛もない夢。
私の願い。
それは三万のありふれた願い。
私の夢。
たくさんの夢。
私の願い。
たくさんの願い。

たくさんの私はたくさんの夢とたくさんの願いを抱いて、そうして今は、眠っている。
たくさんの夢もたくさんの願いも、その全部が叶うはずのないものだと、判っている。

私は知っている。空を。海を。木々を、街を、人を、温もりを、夢を、願いを、世界を。
私は、知らない。空も。海も。木々も、街も、人も、温もりも、夢も、願いも、世界も。

何も、知らない。

271 青(2) しあわせに、なりたかった :2008/12/06(土) 02:35:56 ID:Vii76lBc0
私がただ知っているのは、白という色だった。
白い壁と、白い床と、白い天井と、白い服を着た、硝子の向こうの人たち。
それ以外の何も、私は知らない。

それを知っていたはずの、最初の私は、もういない。
ずっと昔に死んでしまったのだと、そう聞かされていた。
死んだ私は、だけどまだ生き終えていなかったから、たくさんの私になって生きている。

私が口にするのは最初の私の夢で、私が抱くのは最初の私の願いで、
だから本当は私の夢はまがい物で、私の願いは何もかもまがい物だ。

全部が嘘で、全部が借り物。
だからたくさんの私は、最初の私の偽者だ。

だけど最初の私はもういない。
本物のいない偽者はもう偽者でなく、だけど本物では決してなく、私はもう、誰でもない。
それが嫌で、それが怖くて、たくさんの私はだから、最初の私でないたくさんの私だけが持つ、
たったひとつの本当がほしくて、ずっとずっと考えて、ずっとずっと探して、ようやく、みつけたのだ。

それは、祈りだ。
最初の私が知らない、たったひとつの本当。
何もかもを知り、何もかもを持ち、幾つもの夢と願いとを抱いていた最初の私には分からない、たったひとつ。

 ―――しあわせになりたい。

しあわせになりたい。
それが、それだけが私の、たくさんの私の祈り。
全部を知っていた最初の私はきっとずっと幸福の中にいて、だからそんな祈りだけは、知らない。

祈りはひとつ。
幸福の希求。
それだけが、たくさんの私の、たったひとつの本当だった。

しあわせになりたいと祈る私が死んでいく。
しあわせになりたいと祈る私は生きている。

272 青(2) しあわせに、なりたかった :2008/12/06(土) 02:36:40 ID:Vii76lBc0
死んでいく。
たくさんの私が死んでいく。
死んでいく私は夢をみる。
まがい物の夢をみて、しあわせになりたいと祈りながら死んでいく。
まがい物の願いを抱いて、しあわせになりたいと祈りながら死んでいく。
たくさんの私は、叶えたかった偽物の夢を、抱いていた偽物の願いを思い描いて、死んでいく。
声を出すこともなく、ただはらはらと涙を流して、死んでいくのだ。

そうして私は生きている。
私はひとり、生きている。
死んでいくたくさんの私の夢を偽物と、私の願いを偽物と、嘲り笑って生きている。
しあわせになりたいと、祈りながら。
祈りながら、願う。
生き終わりたいと。
祈りながら、夢をみる。
死んでいく私になれたらと。
偽物の夢と偽物の願いを抱いて死んでいけたなら、しあわせになれるのだろうかと。
思いながら、声も出せず、生きている。

生きて、生きながら、死んでいく私の夢をみる。
生きて、生きながら、死んでいく私の願いを抱く。

たくさんの私が、祈りを捧げて消えていく。
たくさんだった私が、ひとつづつ、欠けていく。
ひとつ欠けて、ふたつ欠け、百と千とが欠け落ちて、そうして私はもういない。

私はひとり生き、生きていながら生き終わることもできず、
だから死んでいく私のように夢をみられず、
だから死んでいく私のように願いを抱けず、
生き終わりたい私は、だけどたくさんの私の夢を抱えて動けずに、
生き終わりたい私は、だからたくさんの私の願いに押し潰されて、
だから私は、祈るのだ。
しあわせになりたいと。

しあわせになりたい。
生きたくて、夢をみたくて、願いを叶えたくてしあわせになりたい私が死んでいく。
はらはらと死んでいくたくさんの私と同じにしあわせになりたい私は生き終われない。

生きたくて、生き終りたい私は、だから祈るのだ。
しあわせになりたいと。

三万の歌と、三万の夢と、三万の願いと、その全部が花弁となって満ちる青の中で、
しあわせになりたいと祈る私は、生き終わりたいと生きる私は、だから、そう。


たくさんの私で、ありたかったのだ。

273 青(2) しあわせに、なりたかった :2008/12/06(土) 02:38:37 ID:Vii76lBc0
 
【時間:???】
【場所:???】

砧夕霧中枢体
 【状態:不明】

→879 1013 1019 ルートD-5

274 青(3) 志士、意気に通ず :2008/12/07(日) 01:15:37 ID:ijalZPQo0

「……神、坂神!」

耳朶を震わせる声に、我に返る。
ゆっくりと辺りを見回した坂神蝉丸の目に映るのは、青の一色に包まれた空間である。

「聞いているのか、坂神」
「……あ、ああ」

こめかみの辺りを押さえながらぼんやりと答える蝉丸に、光岡悟の鋭い視線が飛ぶ。

「貴様……何を呆けている?」
「済まん。……しかし、今の声は……」
「声? 何の話だ」

怪訝そうな顔をする光岡に、蝉丸は眉を顰める。
あれほどに響き渡った声が、聞こえていないという。
自身にのみ聞こえた声、それは切々たる渇望。
幾千、幾万に分かたれた身体と魂の狭間で震える、それは悲鳴だった。

「……」
「その娘の聲でも聞いたか、坂神」

腕に抱いた小さな肢体に目を落とした蝉丸に、光岡が嘆息する。

「夢想も大概にしろ、坂神。貴様は現状を理解しているのか」
「……」
「……変わらんな、貴様は。そうして己が仁と國の大計を秤に掛ける」

吐き棄てるように呟いた光岡が、瞳を細めて蝉丸を見据える。

「これだけは言っておく。貴様の仁は誰を救った例もない。
 貴様の手前勝手な情は、それを向けられた者を追い立てる。
 追い立てられた者は己が分を弁えず駆け……いずれ身を滅ぼす」

訥々と、独り語りの如くに紡がれる言葉は、どこまでも昏い。

「これまでもそうだった。幾人もが貴様に、貴様の在り様に惑わされて死んでいった。
 まだ立てると。まだ戦えると。まだ希望はあるのだと思い違えて命を散らした。
 貴様は強く在りすぎるのだ、坂神。だがそれは危うい煌きだ。刃を持たぬ者の目を眩まし、殺す光だ。
 貴様は為せると言う。何事も為せると。だが貴様は考えぬ。強く在れぬ者たちを。その弱さを。
 為せぬのだ、弱者には。貴様の放つ煌きの何一つとして為せぬ。貴様の見せる夢の一つとて手に取れぬ。
 貴様は己が仁のままに駆ける。後に続いて駆け出した者たちを振り向かぬままにだ。
 力を弁えず後に引けぬ場へと踏み出した弱き者たちを、その身の破滅を貴様は目に映さぬ。
 己が後ろで人の死ぬとき、貴様は既に眼前の新たな誰かに情を向け、振り向こうとせぬのだ。
 ああ、貴様の仁は人を救わぬ。人を殺す仁だ、坂神」

口の端を上げて笑む光岡の瞳には小さな炎が宿っている。
ちろちろと揺らめくそれは、燃え移る何かを探すように舌を伸ばしていた。

275 青(3) 志士、意気に通ず :2008/12/07(日) 01:16:28 ID:ijalZPQo0
「―――戦争は」

青の世界に、光岡の言葉が染み渡る。

「戦争は続いているのだ、坂神」
「そんなことは……」
「分かっている、か? 本当に分かっているのか。分かっていて軍を抜けたのか坂神。
 ならば俺は俺の言葉を訂正しよう、貴様の仁は人を殺すだけではない。貴様は國を殺す。
 その覚悟があって口にするのか。分かっていると、戦争は続いていると口にするのか坂神」

常になく饒舌な光岡に気圧され、蝉丸はただ口を噤む。

「五年以上も続いた今の休戦期も、最早限界に達しているのは知っているな。
 大陸では協定線を挟んだ睨み合いへ増派に次ぐ増派が繰り返され、協定破棄に備えた布陣が互いに完成しつつある。
 我が國の新型艦の就航を控えた今、何らかの口実で越境が開始されるのは時間の問題だ。
 ならば、何故この時期に改正バトル・ロワイアルなどという厚労省主導の酔狂が罷り通ったと思っている?」
「……それは」
「内務省肝いりの、固有種因子陽性保持者の選別とその殲滅?
 皇居に巣食う奸賊共のご機嫌取りに、海軍が情勢を度外視して十五隻もの艦隊を寄越すと?」

忠孝を旨とする光岡らしからぬ物言い。
眉根を寄せた蝉丸に、光岡が白い歯を見せる。

「ん? ……ああ、驚くには値せん。奸賊を奸賊と評した、それだけのことだ。
 坂神、この國という大樹には巣食う蟲が多すぎると思わんか。
 必要なのだ、腐った枝葉を切り落とす鋏が。蟲共を焼く炎が。歪んだ幹を支える添え木が」
「光岡、貴様……いったい、何を」
「―――固有種の殲滅など、目晦ましに過ぎん」

疑念を断ち切るかのように、唐突に話題を戻す。
渋面を作る蝉丸を無視して、光岡の言葉は続いていく。

「このバトル・ロワイアル―――真の目論見は、固有種因子覚醒者……その骸の回収だ」
「……!?」
「我が國の覆製身培養技術は世界に先駆け、既に完成を見ている」

飛躍する話の展開についていけぬまま、蝉丸が少女を抱く腕にほんの僅か、力を込める。
覆製身という存在の意味は、思い知っていた。

「母胎より産み落とされぬ異形……覆製身はそれでも本来、赤子として誕生し、人と同じように育つものだ。
 しかし我が國の覆製身培養は、その時間を必要としないまでに革新を遂げた。
 今や、ものの半年を待たずに成人と遜色ないところまで成熟させることが可能だ」
「だが、それは……」
「ああ、長くは保たん。急速な成長は急速な老化を伴う」

精々が一年、長くても数年。
それが培養覆製身の寿命というのが、蝉丸の知る常識である。

「それでは戦線の維持も難しい、その点が覆製身兵の限界だった。
 だが、ここに来てようやく先進研究の成果が出た。新たな技術が確立されつつあるのだ。
 それが、固有種因子覚醒者の覆製身生成。そして―――」

光岡が、蝉丸の腕に眠る少女を、そして蝉丸自身を、じっと見据える。
ほんの僅かの間を置いて、

「覆製身固有種の、強化兵生成だ」

276 青(3) 志士、意気に通ず :2008/12/07(日) 01:17:07 ID:ijalZPQo0
言葉が、紡がれた。
向かい合う蝉丸の渋面に変化はない。
刻まれた皺だけが、微かに深くなる。

「貴様や俺……仙命樹を移植した各種の試挑躰。その実験結果を集積し、技研の白衣共は一つの結論を得た。
 培養覆製身の極端に短い寿命は、仙命樹による再生効能で補完が可能だと。
 そしてそれは、固有種覚醒者の覆製身に対しても有効だ、と。
 革命的な成果だと、連中は躍り上がっただろうな。
 固有種の覆製身による強化兵団……完成すれば、大陸諸国との力関係は一変する。
 膨大な予算を投入して実験は続けられ、遂に研究は強化固有種兵団の試験運用へと至った。
 それが―――」

光岡の視線が、蝉丸の腕の中に眠る少女を射抜く。

「……砧夕霧、というわけか」
「そうだ。光学戰完成躰、培養覆製身兵団。三万の末端兵を、中枢体を経由した意識共有で有機的に運用する人形の軍隊。
 我ら試挑躰に代わる、次世代の兵器だ」
「だが、それとて……」
「ああ。甚大な損害を被っているな、たかが十数の敵を相手に」

疑念を呈する蝉丸に、当然といった体で光岡が頷いた。

「だからこそ、だ。だからこそ必要としたのだ、より強力な素体を。
 より強く、より早く、より大きな力を持つ固有種覚醒体を選別し、その因子を回収する。
 それこそが、この改正バトル・ロワイアルの真の目論見。
 長瀬源五郎……そして、その背後にいる犬飼俊伐の推し進める軍制改革の第一歩なのだ、坂神」
「犬飼……だと?」
「長瀬の如き一介の研究屋風情が、後ろ盾も無く軍を顎で使えるか。
 内閣総理大臣、三軍統帥・犬飼俊伐こそがこの大仰な茶番劇の黒幕よ」

事も無げに言い放った、それは蝉丸の認識を大きく逸脱した事実であった。
幾多の修羅場を越えようと、坂神蝉丸は叩き上げの下士官に過ぎぬ。
叙勲の場を除けば、連隊長とすら言葉を交わしたことがない。
尻に殻の着いた新米尉官の出世していく背中は見ても、その階段の上など思考の埒外であった。
己が義の揺らぐに任せて軍務に背いたのも、いくさ場を知らぬ上層部との乖離を感じたが故である。
空転する蝉丸の思考を無視するように光岡の言葉は続く。

「……だが、中心となって研究を主導していた長瀬源五郎が叛逆の徒として化け物と成り果てた今、
 最早その目論見も潰えた。強化兵団計画は近日中に凍結されることになる。
 判るか、坂神。この茶番劇は既にその役割を終えているのだ。貴様も―――」
「待て、光岡」

尚も続けようとする光岡を、蝉丸の声が遮った。

「仮に貴様の言うことが真実だとして……それでは長瀬は尖兵に過ぎんのだろう。
 奴が斃れたところで、犬飼が政治を動かす限りその計画とやらは進められるのではないか」
「……其処よ、坂神」

277 青(3) 志士、意気に通ず :2008/12/07(日) 01:17:52 ID:ijalZPQo0
蝉丸の指摘に、しかし光岡は我が意を得たりとばかりに笑みを深める。

「正に其処が肝要なのだ。貴様の言う通り、犬飼こそが計画の黒幕。戦を捻じ曲げ、この國を傾ける元凶よ。
 なればこそ、我等は―――決起する」
「……!?」

決起。
軍に身を置く者がその一語を発する、そこに篭められた意味を汲み取って、蝉丸は戦慄する。

「待て光岡、貴様一体……!」
「九品仏少将閣下の下に集う憂國の士、三軍将校に二百余名。麾下兵力は全軍を掌握するに足る。
 決起は本日午前十時。帝都の制圧目標は市ヶ谷、立川、霞ヶ関、愛宕山―――そして、永田町」

挙げられた地名は軍の中枢が置かれた場所。
そして同時に、国家の要と呼べる施設を示していた。

「政変……だと……!?」
「言葉が悪いな、坂神。これは維新だ」

さしもの蝉丸も、告げられた状況の重大さに言葉を詰まらせる。
対して意に介した風もなく返してみせる光岡。
その態度は相当の以前から事に臨む覚悟と準備を固めていることを窺わせた。

「肥大した戦線を放置し国力の疲弊を招きながら無策のまま五年の休戦を経て尚その責を負わず、
 あまつさえ覆製身強化兵団などと先達の英霊を愚弄する目論見を進める奸賊犬飼に天誅を下す。
 陛下の聖旨を捻じ曲げる腐った枝葉を切り落とし、國という大樹を蘇らせる。
 それこそが九品仏閣下の御意志であり―――我等将兵の採るべき道なのだ、坂神」

切々と語る光岡の視線は、どこか熱に浮かされたように危うい。

「正気か、光岡……そのような計画、成功するとでも……!」
「―――俺が、この島へと向かう直前のことだ」

覆い被せるように、光岡の声が蝉丸を遮る。

「一報、奸賊誅殺セシム。そう……犬飼俊伐は既に黄泉路へと旅立った。
 陛下の玉體も同志が警衛し奉っている。我等の決起は成功したのだ、坂神」
「……!」

首相の暗殺。
五期十六年もの間、国家の中枢に座り続けた男が凶弾に斃れたという。
それは取りも直さず、未曾有の大混乱を意味する。
最早計画の成否と関わりなく、周辺諸国を巻き込んだ騒乱の火蓋が切って落とされたということだった。

「政府の転覆など……貴様等、国を二つに割る気か……?
 開戦を前にしたこの大事に、そうまでして逆賊の汚名を被りたいか……!」
「……言った筈だ、坂神」

搾り出すような蝉丸の言葉にも、光岡は表情を変えない。
悲壮はなく、混沌はなく、ただ静かな覚悟と余裕だけがある。

「陛下は我等の同志が警衛し奉っている、と」
「……ッ!?」
「間も無く詔勅が下されるだろう。……國賊犬飼に与する者は将校から下士官、一兵卒に至るまでが
 陛下の御名に於いて討伐されるべし、とな。そしてその軍令は、九品仏少将閣下に宛てられる」

文字通りの、錦の御旗。
神聖にして不可侵なる、この国の義の象徴。
陸海空を問わぬ、全軍の絶対的な行動原理。
その掌握が、完了しているということ。

278 青(3) 志士、意気に通ず :2008/12/07(日) 01:18:24 ID:ijalZPQo0
「陛下を……陛下の御意を何と心得ている……!」
「先帝崩御の折、女帝の古今に例ありと横車を押したのは犬飼とその腰巾着の内大臣よ。
 まだ幼くあられる陛下に摂政を僭称し、聖旨を曲げて政を恣にした奸賊より御護り奉る。
 それが閣下の御意志であり、我等が決起の血盟でもある」
「……虚言を弄するな、貴様等のしていることは犬飼と変わらん!」

皇という象徴。
その詔を得た者が官軍であり、得ぬ者は逆賊となる。
百年も昔に国を分けた維新と何一つ変わらぬ、それは構図であった。
そこに在るのは玉體という神宝であり、皇という人では決してない。
幼くして即位した今上の皇の、まだあどけない面立ちを蝉丸は思う。
年賀の儀に際して玉音を賜る、たどたどしい童女の声を蝉丸は思う。
色々なものが、ぐるぐると巡っている。
死んでいった幾多の戦友。若い士官。故郷に妻子を残した兵卒。
屍を晒した数千の砧夕霧。久瀬少年。腕の中に眠る最後の少女。
ぐるぐると、廻る。
銃後の要職にありながら我を貫いた来栖川綾香。長瀬源五郎。
得度を重ねた僧の如き貌で切々と身勝手な理を説く光岡悟。
泥と、埃と、蚤と虱と灰と血と膿とだけが溢れたいくさ場。
ぐるぐると、ぐるぐると廻った末に、

「貴様等の義は……全体、何処に在る……!」

それだけを、坂神蝉丸は呟いた。

「……國を殺す仁が、義を問うか。坂神」

返す言葉は、抜き身の刃。
人の命を削るが如き鋭利を持った、声音であった。

「ならば……ならば貴様好みの義を示そう、坂神蝉丸。
 理を説いて解さぬ、貴様の頑迷に」
「……」
「これは一人の男の物語だ。かつて何もかもを喪った、少年の物語だ。
 何不自由なく傲岸不遜に生きていた少年が、すべてを奪われる物語だ」

そうして光岡悟が、語りだす。

279 青(3) 志士、意気に通ず :2008/12/07(日) 01:18:42 ID:ijalZPQo0

【時間:???】
【場所:???】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創(軽傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:軽傷】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】

→926 1013 1024 ルートD-5

280 名無しさん :2008/12/07(日) 01:21:11 ID:ijalZPQo0
>>261-265において誤字がありました。
「犬養」を「犬飼」に訂正させていただきます。
申し訳ありません。

281 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:30:42 ID:witdPNHU0
 
―――十六年も前のことだ、と声は告げた。

十六年前。
一人の男が、国政の頂点に立った。
男の名を犬飼俊伐。
世界に先駆けて覆製身技術を完成させた科学者にして、気鋭の論客であった。
当時、十数年にわたって打ち続いていた戦役に厭戦感情の沸騰しかけていた国民は、文民出身の首相を歓迎の声をもって迎えた。
軍部による傀儡政権との見方も、彼の政治手腕によって瞬く間に休戦条約が纏め上げられるに至って沈黙した。
疲弊しきった国家は、ここに一時の休息を得たのである。

内政に、また外交に高い手腕を発揮した犬飼は国民の圧倒的な支持を背景に幾つもの改革を断行。
短い休戦期の間を縫うように、内閣主導による行政機関の再編が行われた。
腐敗した官僚の一新と行政の効率化という合言葉の下で再編された省庁の一つに、厚生労働省がある。
企業との癒着で多くの汚職官僚が摘発され、清廉の故に苦汁を舐めていた職員だけが諸手を挙げて再編を受け入れる中、
誰の注目も浴びないままに一つの部署が誕生している。

―――『特別人口調査室』。
組織図上は人口調査調整局の下部に位置するものの、事実上の大臣直轄とされ局長クラスですら関与できぬ、
その部署の業務内容は、ただ一つ。
犬飼首相の肝いりで行われる極めて特殊な、そして極めて異常な企画の、運営である。
バトル・ロワイアル―――民間人による、殺戮遊戯。
何を目的として始められたのか誰一人として知る者のない、悪夢の企画。
内部的には『プログラム』と呼ばれたその第一回が開催されたのは、犬飼の首相就任から三年が過ぎた夏である。

山陰地方のとある廃村を封鎖して行われた第一回プログラムの参加者は、実に百二十人。
老若男女を問わぬその人選に如何なる意図が働いていたのか、それは既に知る由もない。
判明している事実は、その選出が完全な乱数によるものなどではなかったという一点である。
友人、知人といった関係者が揃ってプログラムに参加させられた集団の存在が、それを裏付けている。

訳もわからぬ内に拉致され、殺戮を強要されたその百二十人の中の、幾つかの集団。
その一つに、とある青年を中心とした友人集団で構成されたものがあった。
青年は平凡な学生だった。
中流の家庭で学徒動員されることもなく育ち、休戦期の中で青春を謳歌していた青年は、強要された殺戮を好まなかった。
友人たちを集め、和をもってプログラムへの対抗を呼びかけた。
青年と友人たちは他の集団へと積極的に融和を求め、その勢力は徐々に大きくなっていった。
そして、それが為に―――悲劇が起こった。
いつの間にか青年たちの勢力は、プログラムの趨勢を完全に握っていた。
その保持する火力と人数は、彼らの思惑次第で残る人間……彼らに与しない人間の命運を決められるまでになっていた。
彼らは大きくなりすぎたのだ。
最大勢力となった彼らは、その主導権を巡って争いを始め―――混乱の中で、一発の凶弾が青年を撃ち抜いた。
青年の方針に小さな反目を持った別集団の、リーダーを盲目的に崇拝していた者の発砲と記録されている。

282 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:31:59 ID:witdPNHU0
要であった青年を喪って、勢力は即座に瓦解した。
プログラムへの対抗という一つの目的に向かっていたはずの彼らは、青年たちに合流する以前の集団単位で分裂。
保持する武装をもって、互いに殲滅戦を開始したのだ。
そして、多数に分裂した集団の殆どから狙われたのが、死んだ青年を中心としたグループだった。
青年を喪ったとはいえその火器は勢力中で最大を誇っていたのが脅威であったのかも知れないし、或いは
かつての結束の象徴であった彼らが、多くの者にとって精神的な枷であったのかも知れない。
いずれにせよ窮地に立たされた彼らを救ったのは、一人の男だった。
男は青年の親友だった。
智謀をもって青年を支え、雄弁をもって彼らを最大勢力に導いた男は、青年を喪った悲しみに浸ったまま
抗戦の意思を見せない友人たちを叱咤し、銃を手に取らせた。

―――諸君、反撃だ。

青年の遺骸を抱いた返り血で顔を赤く染めながら、男は笑ったという。
笑って走り出した、男のその後の記録は凄惨に満ちている。
奇襲、夜襲、伏兵、罠。
あらゆる手段を駆使して敵集団を分断し、かつて手を結んだ人間たちを皆殺しにしている。
時に再びの融和を呼びかけておきながら、最悪の状況で裏切りをかけて死に追いやり、
そうして敵と味方の全てを巻き込んだ鬼謀の果てに、男は勝利した。
生き残ったのは、最初から青年の友人であった者たちだけだった。
その他の全員を男は殺し、そして運営に携わっていた当時の特別人口調査室の人間と接触している。
どのような取引があったものかは知れない。
長い協議の果てに出た結論だけが、現在の事実として残っている。
即ち―――その時点での生存者全員が、第一回プログラムの優勝者であった。

文字通り完膚なきまでの勝利を収めた男は、ただ一つの喪失について何の言葉も残していない。
あらゆる公式の場で青年の死に触れることは、一切なかった。

プログラム終了後、男は国家への所属を決める。
約束された厚遇に甘んじる青年の友人たちと袂を分けて選んだ道は、陸軍士官学校への編入である。
プログラムで見せた神算鬼謀を証明するように男は入学当初から頭角を現した。
幹部候補生として陸軍士官となった後も結果を出し続けた男は、やがて陸軍大学校へ進学。
類稀な成績を残して卒業し、俊才として上層部の目に留まることとなった。
有力な人脈を得た男が幾つかのポストを経て就任したのが、憲兵隊司令部付副官の役職である。
この間の男の職掌に関しては一切の記録が残されていない。
しかし犬飼首相との距離を急速に縮めたのがこの時期であったことを考え合わせれば、議会及び官庁へ派遣される
特務憲兵を統率する役職にあった男が、政府首脳や軍部に批判的な人物の発言内容やそれに起因する攻撃材料を入手し、
それを政治的に活用したことは想像に難くない。
著しく灰色の手法で犬飼首相の政治基盤を堅固なものとし、その影響を背景に発言力を強めていった男は、
同時にこの時期、積極的な論述を各方面に展開している。
機関紙への投稿を始めとして、著書、講演など枚挙に暇がない。
本来、秘密裏の任務に従事すべき憲兵の責任者が大々的に思想信条を公言するのは極めて異例である。
だがその破天荒が血気盛んな多くの若手将兵の尊崇を集め、より発言力を強める結果となった。
犬飼首相を積極的に支持し、公然とその恩恵を受けながら思想面で軍部の旗振り役となった男は、
崇拝者を三軍に増やしていく。
その先鋭な主張や放言をよしとしない人物も櫛の歯が抜けるように失脚し、彼が遂に将官にまで登り詰めたのは、
実に二年前のことである。


***

283 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:32:49 ID:witdPNHU0
 
「―――だが、だがな、坂神」

光岡が、笑む。

「誰も知らなかったのだ。男の心根の底に何が棲むのか。男が何を思い、何を支えに登り詰めたのか。
 首相の懐刀と呼ばれ、軍における絶大な発言力を持つに至った男が、一体、何者であるのか」

牙を剥くように。
炎に巻かれ天を仰ぐように。
光岡悟が、世界を満たす青の中で、哄っている。

「そうだ、そうだ、男はな、坂神。忘れてはいなかったのだ、友の死を。
 友を死に追いやった者たちのことを。友を死に追いやった國のことを。
 泥を啜り、石を噛んで雌伏したのだ。友の仇に尻尾を振って、犬と呼ばれるまでに」

その瞳には、信仰と呼ばれる光が、宿っていた。

「男は待ち続けた。國を変えるその日を。友の無念を晴らし、仇を討つその時を。
 力を蓄え、同志を募り、ひたすらに待ち続けたのだ。分かるか坂神?
 その執念が、その怨念が、その想念が、終に実る日が来たのだ。それが今日、この時だ!」

熱に浮かされたように、大仰な身振りで。

「そうだ、坂神。これは維新だ。腐り果てた大樹を立て直す、憂國の決起だ。
 そして同時に、これは物語でもある。これはかつて何もかもを奪われた男の物語だ。
 己が総てであった友を奪われた男の、仇討ちの物語だ」

聞け、坂神蝉丸―――と、声が響き。

「この國で行われた最初のプログラムを半ばまで制しながら凶弾に斃れた青年の名を、千堂和樹。
 その友であり、第一回バトル・ロワイアル優勝者である男の名を―――九品仏大志という」

284 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:33:05 ID:witdPNHU0
光岡悟の告げる、それは過去という真実であった。

「これが我等の義だ。そして閣下の仁だ。貴様の求めるものだ、坂神。
 武勇に非ず、智謀に非ず、我等が信ずるは閣下の在り様、魂の高潔よ。
 己が信を全うし友の無念を晴らすのみならず、國を憂いて変えようと起つ男の器に、我等は意気を感じたのだ。
 その背を見て歩もうと、その道を切り開こうと共に起ち上がったのだ。
 閣下は既に先を見据え、諸国との講和を模索して動いておられる。
 これまでのような仮初めの休戦期ではない。真の終戦が来るのだ、この國に。
 半世紀以上を経て終に至るのだ、我等が待ち望んだ、争いのない時代に!」

狂信の瞳と、熱っぽい口調と、大仰な身振りと。
その全部を込めて、光岡悟が語りを終える。
最後に、そっと。真っ直ぐに蝉丸の目を見据えて、告げた。

「かつて人であった男はその怨を以て鬼と成り、そして今、國を憂いて刃と成った。
 勇と謀と、仁と義とが我等には在る。今こそその身を焔と成して、我等が愛する國を変える時だ。
 ―――共に往こう、坂神蝉丸」


***

285 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:33:34 ID:witdPNHU0
 
差し出された手を、じっと見つめる。
見つめて、思う。
この手は友の手だ。
気心の知れた手だ。
共に汗を流し、木剣を握って肉刺を潰した手だ。

そして同時に、思う。
この手は時代の手だ。
新たな時代の差し伸べる手だ。
見知らぬ街並みと穏やかな食卓と、平和という言葉の意味へと続く手だ。

その街並みには青い空と白い家と子供の声があり、灰色の煙の燻る焼け跡はない。
その食卓には笑顔があり、笑顔だけがあり、悲憤に暮れる顔は、どこにもない。
平和という言葉の中に、戦はない。あっては、いけない。

じくり、と。
傷が疼いた。
身体の傷ではない。
それは、坂神蝉丸という男の奥底、暗く澱んだ淵の向こう側にできた、小さな傷である。
じくりと傷が疼くたび、その小さな、しかし深い傷から膿が染み出してくる。
嫌な臭いのする毒々しい色をした膿は、じくじくと染み出して蝉丸の中に小さな棘を撒き散らす。
撒き散らされた棘につけられた傷から新たな膿が染み出して、拭っても拭っても染み出して、疼くのだ。

焼け跡から立ち昇る煙のない、広く青い空を思うとき、傷は疼く。
崩れた壁も割れた窓もない、塗りたての白い家を思うとき、傷は疼く。
笑顔の囲む食卓に乗った秋刀魚の塩焼きと筑前煮の匂いを思うとき、傷は疼く。
悲嘆が落胆が焦燥が諦念が絶望が、昨日まで誰もが抱いていた筈の諸々がどこにもない国を思うとき、
平和という言葉を、平穏という言葉を思うとき、坂神蝉丸は己が奥底で膿み果てた傷が度し難く疼くのを、感じていた。

そういうものを守りたいと、思っていた。
そういうものを掴みたいと、戦ってきた。
そういうものを築くための、力を求めた。

だが、ならば何故、手を取らぬ。
差し出された手を見つめながら、蝉丸は逡巡する。

286 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:33:59 ID:witdPNHU0
傷の疼くに任せて目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは、笑顔に満ちた街並みではない。
それは、砂塵の吹き荒ぶ平野であり、土嚢の裏に深く掘られた暗く湿った塹壕であり、熱病を運ぶ蚊の跋扈する密林である。
何日も前に声の嗄れ果てたひりつく喉と、鼻の曲がるような垢と汚物の臭いと、蚤に食われて掻き溢した脚の痒みと、
ばさばさと乾いた塩の味しかしない糧食と、時折響く銃声と、ぎょろぎょろとそれだけが光る同輩たちの充血した目と、
死にかけた兵のぞんざいに巻かれた包帯の隙間から漏れるけくけくという咳と、そういうものたちである。
守るべき何物でもなく、掴むべき何物でもなく、築くべき何物でもない、それはただ、そういうものたちであった。
そういうものに囲まれて、いつまでも収まらぬ荒い呼吸がごうごうと耳の中に谺するのを思い描いて、
蝉丸はひどく安らかな気持ちに包まれるのを感じる。いつしか、傷の疼きも消えていた。

思う。
その中には、己がいると。
荒野に立つ坂神蝉丸がいる。塹壕に伏せる坂神蝉丸がいる。密林を切り開く坂神蝉丸が、そこにいる。
それは心安らぐ地獄、心地よい悪夢、穏やかな泥濘だった。

思う。
傷の疼く光景の中には、坂神蝉丸がいないと。
平穏の中に、笑顔の満ちる街並みの中に、暖かい食卓を囲む中に、坂神蝉丸は存在していないのだと。
故に傷が疼くのだと。故に膿が染み出すのだと。
真新しい街並みの、明るく色鮮やかな家々のどこにも、坂神蝉丸はいない。いられない。
そこに地獄はなく、そこに悪夢はなく、そこに泥濘はなく、故に坂神蝉丸の居場所は、そこにはない。

帰る街はなく。
いるべき場所はなく。
故に、その穏やかな日差しの下へと続く手を、差し出された時代からの手を取れず―――、
そうして、そのすべてが欺瞞だと、分かっていた。

欺瞞だった。
それは、傷から染み出したじくじくと嫌な臭いのする膿が見せた、舌触りのいい嘘だと、理解していた。
帰るべき場所など、いくらでもあった。
存在が赦されないことなど、ありはしなかった。
新しい時代が、平和という言葉が蝉丸を受け容れぬのではない。
受け容れぬのは、蝉丸の方だった。
ぬるま湯が嫌だった。穏やかな食卓が嫌だった。笑顔に満ちる街並みなど、反吐が出そうだった。
ただ、坂神蝉丸という一人の病んだ男が、平穏という凪を忌避している、それだけのことだった。

287 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:34:23 ID:witdPNHU0
何かを守るための力。
何かを掴むための力。
何かを築くための力。

そういうものだったはずの力は、いつしかその性質を変えている。
地獄を往く内、悪夢を彷徨う内、泥濘を這いずる内に、力はいつしか、坂神蝉丸という存在と同義となっていた。
坂神蝉丸の生は、力を振るい戦を切り開く生であり、それ以外の何物でもない。
蝉丸自身の抱く、それは実感であった。

同時にそれは恐怖である。
そこに義はない。
そこに仁はない。
それは単に、度し難い破壊衝動でしかない。
そんなものに衝き動かされる己が未熟を、そんなものの見せる嘘に縋りたくなる己が惰弱を、蝉丸は恐れていた。
恐怖が脆弱を産み、脆弱が欺瞞を求め、欺瞞が恐怖を作り、坂神蝉丸は、嘘の螺旋の中に居る。

麻薬のような抗い難さをもって、いくさ場が蝉丸を呼ぶ声が聞こえる。
甘露の如き芳香を放って、泥濘が蝉丸を手招きしている。
同胞のぎらつく飢えた瞳が、蝉丸の助けを求めてこちらを見ている。

そこにはない、今は遠い、乾いた埃交じりの空気を吸い込む。
そこにはない、今は遠い、湿った泥の臭いのする空気を、胸一杯に吸い込む。
その全部をいとおしむように一瞬だけ息を止め、ゆっくりと吐き出して。

静かに目を開けた坂神蝉丸が―――差し出された手を、取った。

瞬間、砕けていく。
砂塵の荒野が、泥濘の密林が、薄暗い塹壕が砕けて散って、舞い飛んでいく。
惰弱の見せた白昼夢が、握った手の温もりに融けて、消えていく。

「―――ああ。往こう、友よ」

言葉に恐怖はなく。
握る手に震えはない。
坂神蝉丸の選んだ、それは己が惰弱との訣別の、第一歩であった。

新たな時代を迎える恐怖に、傷が疼く。
疼く痛みに引き裂かれそうで、しかし蝉丸は膝を屈しない。
それこそが己との、己を侵す力との戦いであると、心得ていた。

「―――」

血を吐くように息をついた、その見上げる青の彼方に、光があった。

288 青(4) この泥濘を這うような戦いを :2008/12/10(水) 14:34:47 ID:witdPNHU0
【時間:???】
【場所:???】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:背部貫通創(軽傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:軽傷】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】

→1025 ルートD-5

289 Act of violence :2008/12/11(木) 02:32:14 ID:SPIb/JNo0
 雨でぬかるむ山道は、想像以上に走り辛いことこの上なかった。
 まだそれほど足を取られるということもなかったのだが、気を抜くと滑って転んでしまいそうになる。
 木の合間から雨粒が零れ落ち、服も肌も濡れていく。

 前髪をべったりと額に貼り付け、汗なのか雨粒なのか、既に分からなくなっている水滴を拭いながら、伊吹風子は走り続けていた。
 山の中腹まで来たのだろうか、それともまだまだ先は長いのか……同じ風景が延々と続くお陰でどこが麓なのか分からなかった。
 ただ、目印となるであろう地点にはひとつ覚えがある。
 岡崎朋也と、みちる……風子の行く先には、必ずこの二人の死体が転がっているということ。

 そして風子は、まだそれに遭遇していなかった。
 土と泥に塗れ、赤い水溜りを広げて穴だらけになっている二人の体。想像するだけで胸が痛むが、更にそれを乗り越え、いや放置して進まなければならない。死者への冒涜……そんな言葉が風子の脳裏を掠めた。
 見返られることもなく、路傍の小石のように無視され、哀しいほどに報われない二人の魂。

 そればかりではない。由真と花梨とぴろ、実の姉の死に顔だって立ち会えていない。
 一人寂しく死んでゆく。それを課させてしまった自分の罪の深さを改めて実感する。
 無性に泣き叫びたい気持ちに駆られた。彼らの遺体に縋り付いて、どうかお願いです、寂しい思いをさせないでくださいと言いたかった。

 けれどもそれは許されない。恐らくは、この殺し合いが終わるまでは、永遠に。
 その時は、きっと自分はいないのだとも思うと風子はこんなのってない、とやり場のない怒りと、己の無力さ加減に罵倒したくなった。
 だがそれをぶつける術も知らず、またそんな機会もありはしないのだとも理解している。
 自分に残されているのは、ただただ贖罪を為す時間、それだけなのだから……

 内省の時間を終わりにして、風子は自分を忘れ、もう何度目か分からないくねった坂道を曲がろうとした。
 その瞬間、ガシャンという金属音が風子の耳朶を打った。
 直感的に危険を察知した風子は、振り向く間もなく地面に伏せた。
 雨で濁った土が顔にへばりつき、泥臭い匂いが鼻腔を満たしたが、咳き込んでいる暇も無かった。
 伏せた直後、ぱらららららというタイプライターの音が通り過ぎ、続いて高速で迫ってきた何かが風子の横をグラグラと危なっかしく通過した。

290 Act of violence :2008/12/11(木) 02:32:33 ID:SPIb/JNo0
 体がまだ動くことを確認した風子は何を思う間もなく飛び跳ね、その場から離れる。
 さらにぱらららという音が聞こえたかと思うと、それまで風子のいた地面に無数の小さな穴が穿たれていた。
 この『タイプライター』の正体を風子は知っている。
 己の頭に憎悪を呼び起こす、この忌まわしい音を、風子はうんざりするほど聞いてきた。
 起き上がりざまに、ちらりと前方を確認した時見えた人物――朋也とみちるを殺害し、なおもしつこく追い縋る殺人鬼の青年が、イングラムM10のマガジンを交換していたのだった。

 あちこちのフレームがへこんだ自転車に乗り込み、吐息も荒い男の姿を確認した瞬間、風子は全身の血がカッと熱くなるのを感じた。
 頭でどれほど憎んでいようとも、いざ目の前にすると改めて体全体が怒り狂う。
 張り倒したい。頭を何度も踏みつけて殺してきた仲間に詫びを入れさせたい。

 だが今は足りない。あの男を倒すのに、必要な力が足りない。
 時間稼ぎのために用意した、バルサンを取り出してボタンを押す。
 途端、雨が降っているにもかかわらず物凄い勢いで煙が噴き出し、イングラムにマガジンを装填し終えた男の体を煙に巻いた。

「っ! この……!」

 ゴホゴホと男が咳き込むのを尻目に、前を塞いだはずの男をあっさりとすり抜け、風子は再び前へ前へと走る。
 無論その際、全力で自転車を蹴り飛ばして派手に転ばせる。煙が目に入ってまともに風子の姿も確認出来なかったので、反撃出来るわけもなかったのだ。蹴り飛ばした瞬間、自分でも驚くほど乱暴な行為を働いたという実感があったが、感慨に囚われる時間も惜しく、風子は後ろを振り向くこともなかった。
 更にもう一個バルサンを取り出し、ボタンを押しながら後ろへと放り投げる。

 一個目同様の凄まじい煙が男の周りを覆い、悪態をつくのが聞こえた。
 これでもうしばらくは……十秒は時間が稼げる。まだ、未来に繋がる十秒は残されている。
 先程よりも早く、より早く。
 服も髪も靴もドロドロに汚れて気持ち悪い感触だったが、関係なかった。少しでも前に。少しでも可能性を繋げるために。

 ふと、風子は以前どこかでやった、草野球のことを思い出していた。
 野球のことはよく分からなかったが、とにかく打って走れと言われたのでそうすることに努めた。
 コツン、とボールにバットが当たる。ふわりと球が宙に浮き、走れ走れと皆が怒声を飛ばす。

291 Act of violence :2008/12/11(木) 02:32:52 ID:SPIb/JNo0
 とにかく全速力で走った。塁を目指して、真っ直ぐに走った。
 誰かに何かを期待されるのは、家族以外では初めてのことだったから……
 セーフ、という塁審の声が聞こえ、風子はそこで立ち止まる。
 ベンチの方を向く。そこではよくやったと声援を飛ばす者、意外な足の早さに感心する者、色々いたが一様に労ってくれていた。

 全速で走って、息も上がった体の動悸がやけに大きく感じられた。
 これが一生懸命ということなのか。全力で何かを成し遂げるというのは、こういうことなのか。
 ほんの小さなことに過ぎなかったが、忘れることの出来ない達成感があった。
 頑張るという言葉の中身を改めて理解した風子の中には、走って走って、どこまでも前に進むのも悪くないという思いがあった。
 そして、やり遂げたときには全力で喜んでいいのだとも。
 やりました、と風子は全身を声にして、快哉を叫んでいた。

 今はまだ違う。
 今は一塁にもたどり着いていない。
 ホームはまだ先、まだ自分は、何もやり遂げてはいない。

 打って、走れ。誰かが言ったその声が風子を奮い立たせる。絶対に諦めるなと叱咤してくれている。
 その瞬間には贖罪の思いも、罪の意識も関係なかった。
 どうすれば罪を償えるかではなく、どうすれば前に進めるかを考えて。
 何かが分かりかけていた。今までの自分とは違う、本当に大切なものが何かということを。

 けれどもその思いは直感的に生じた、言わば動物的勘とも言えるものにかき消される。
 後ろを向くと、そこには再び自転車に跨って、怒りの形相も露にした男の姿があった。
 坂道なのと地面のコンディションの悪さゆえとてもバランスが取れているとは言い難い。だがこの状況では銃を撃たずとも、自転車そのものが凶器となり得る。自転車を躱しきったとしても、前に回りこまれれば蜂の巣にされる。

 もうバルサンはない。不意打ちもどこまで通ずるか分からない。
 賭ける要素があるとするなら、今もポケットの中にある拳銃だけだが、果たして賭けて、勝てるだけの可能性はあるのか。
 まだだ。まだ五秒は考える時間が残されている。
 知恵を振り絞って掴み取ったこの時間を絶対に無駄にしたくない。
 仲間が命を落としてまで与えてくれた、この時間をも。

292 Act of violence :2008/12/11(木) 02:33:08 ID:SPIb/JNo0
 一秒。

 サバイバルナイフはある。一気に反転して、すれ違いざまにナイフで切りつけるか?
 いや足りない。ナイフを取って構えるまでに、自転車が激突してくる。
 そもそも自分は小柄で、玉砕覚悟でナイフを正面から突いたとしても届かない。
 刃の切っ先が当たる前に吹き飛ばされる。

 二秒。

 拳銃を盾にして、相手が反射的に回避する行動をさせて隙を作るか。
 これも一連の動作を行う余裕がない。火力という点でも自分は見劣りしている。

 三秒。

 ナイフも、拳銃も用を為さない。この先にあるのは袋小路、デッドエンドだけだという思いが風子を過ぎる。
 こなくそと弱気を一蹴するも、しかし勝機のある作戦を思いつかない。

 四秒。

 諦めるわけにはいかない。せめて、相打ちだとしても死んでいった仲間に恥じない死に方をしたい。
 全力だと言い切れるような、悔いのない最期を……
 けれどもそれは何かが違うと風子の内奥が叫んでいた。
 掴みかけていたもの。野球の思い出を反芻する中で分かりかけていたもの。
 こんなのじゃない、これは一塁にはたどり着けても、ホームにはたどり着けない悪手。
 でも、それは何だ? 違うとは分かっていてもこうなのだと言い切れる何かがまだ分かっていない。
 後少しで分かりそうなのに。足りなかったのか、自分が作り出したこの時間は――

 五秒。

293 Act of violence :2008/12/11(木) 02:33:23 ID:SPIb/JNo0
 タイムリミットと理性が告げ、こうなった以上は一か八かで拳銃で対抗するしかないとポケットに手を入れたとき、見えたものがあった。
 赤く広がる波紋。棒切れのように伸びた体。
 ほんの何時間か前まで一緒に話していた仲間。自分を励ましてくれた、ちょっと怖くて、ヘンな人だと思っていた人。
 同じく一緒にいた、元気が取り柄だと言えた少女。

 岡崎朋也、みちる。
 二人の無残な遺体が悲痛さを伴って風子の目に飛び込んできたのだった。
 岡崎さん、と我知らず風子は口にしていた。こんな形で再会するなんて。
 情けない、恥ずかしい姿を見せてしまったことに自虐的な笑みが零れ、足が止まってしまいそうになる。
 岡崎さん、風子は、こんな……

『止まるなっ!』

 風子の弱気の虫を感じ取ったかのように、いつかどこかで聞いた声で、激励の声が発されていた。

『止まるな! 走れ、全力だ! ホームに飛び込めっ!』

 野球のときの声だ。そう叫んだ人が空高く打ち上げたボールと共に、グラウンド中に響かせた声。
 何かを確信した、希望を追い続ける声だった。
 風子はそのときベンチにいたのだが、その人が発する声を、目をしばたかせて聞いていた。
 勝とう。勝ってみせる。そんな思いが伝わってくるようだった。

 ボールを目で追ってみる。どこまでも高く、天まで届くように距離が伸びていく。
 そのときの空の色はなんだっただろうか。夕暮れも近い空は茜色で、けれどもどこまでも透き通るような色だった。
 目を戻したときには、全力で戻ってくるその人の姿があった。
 ホームラン間違いなしの打球で、そんなに全力で駆ける必要もないのに、一生懸命に走っていた。
 ヒットを打ったときの自分のように。

294 Act of violence :2008/12/11(木) 02:33:40 ID:SPIb/JNo0
 そうして掴み取ったものこそが本当に大切なものなのだと訴える笑いを、こちらに寄越していた。
 飛び越えろ。あのボールのように。突っ切れ。フェンスを越えて……!
 風子は地を蹴り、あの人が打った打球のように、空高く飛んで、二人の体を飛び越えていた。
 浮く感覚。けれども走っている。どこまでも、どこまでも……
 地に足が着いた直後、風子はわき道の茂みに飛び込み、転がるようにして坂を駆け下りる。自転車がブレーキを踏む音が聞こえたが、何かに躓いて派手に転がる気配がした。仕返しとでもいうように。

 ありがとうございます、岡崎さん……
 感想はその一言に留まった。背後にはなおもしつこく、坂を下りてくる追跡者の気配があったからだ。
 だが、十分時間はある。勝てる、その勝機が巡ってきた――
 泥だらけの風子の口もとがにやりと笑みの形を浮かべた。

     *     *     *

 目に入った煙の痛みが、まだ尾を引いている。
 何故だ。何故、後少しのところで邪魔をされる。
 苛立ちを隠しもせず顔中に滲ませ、七瀬彰は眼下に広がる森林と藪を見渡していた。

 自分が死体に躓いて転んでいる間に、標的の少女は段差を駆け上り、道と森林を隔てていた境界を突き破り、隠れる場所の多い茂みへと身を隠した。
 雨のせいで視界も悪い。おまけにこうも草木が多くては折角奪った自転車も意味を為さない。
 ホテル跡で放置されていた自転車を拾い、連中の中では最も弱そうな奴を選んで追跡してきたはいい。
 危険な奴らとは距離も離せたし、自分の勘に間違いはなく、追いついてもロクに反撃すら返ってこなかった。

 だが何だ? 後一歩のところで逃げられる、この詰めの悪さは何だ?
 殺虫剤の煙らしきもので不意打ちを喰らい、更には蹴飛ばされ、追いついたかと思えば今度は以前殺した連中の死体に引っかかって転んだ。
 偶然とは思えない、何か特別なものが彼女を守っている……

 馬鹿馬鹿しいと吐き捨て、彰はこけて泥だらけになった顔を袖で拭う。
 運がいいだけだ。実力でもなんでもない、こちらが少し油断していた結果に過ぎない。
 認めざるを得ないだろう。時間稼ぎとはいえ不意打ちを浴びたのは確かだし、以前殺した連中の死体が障害物になり得るだろうということも失念していた。だが標的は見誤っていない。確実に倒せるだけの実力差、武器の差はある。

295 Act of violence :2008/12/11(木) 02:34:09 ID:SPIb/JNo0
 確実に追い詰められれば勝つのはこちらだ。これからは一対一、拠るべきものもなく頼れるものも期待できない、孤独な者同士の争い。
 そうなれば場数を踏んでいるこちらの方が適切に判断を取れる。
 他人の助力に甘んじ、自身の実力も上げることを考えもしない奴に負けるはずはない。
 僕は誰にも頼らない。周りを全て敵だと見なしていれば対応する術を考えなければならない。そうして戦ってきた。そうしていたら生き延びられた。
 ひとりでいられる覚悟もない甘ったれに、負ける道理はないんだよ……!

 侮蔑的な思念を逃げた少女だけではなく、誰かに寄りかかって戦うことを考えもしない無責任、無関心な人間たちに憎悪を向け、彰はそれを思い知らせてやるべく茂みの中へと踏み出した。
 雨で濡れた草木は思いのほか滑りやすく、集中していなければまた転んでしまいそうだった。

 イングラムM10は残りのマガジンが一本しかない。弾数的にあっという間になくなりそうだが、まだM79グレネードランチャーがある。
 この雨では火炎弾の威力は期待するべくもないので、炸裂弾をセットする。
 どうする、試しに何発か撃ってみて燻りだしてみるか?
 だが森林は広大で、一発撃っても大海の中に小石を放り込むようなものだ。

 だからといえど、何もせずに敵地に踏み込むにはいささか油断が過ぎる。不意を打たれた先ほどの痛みが蘇り、彰は目を細める。
 ホテルから何を持ち出していたかは知らぬが、下手をすれば今度は殺虫剤の煙だけでは済まない。
 相手もいつまでもここに留まっているわけにもいかないだろう、出てくるまで慎重を期すか。
 だがそれも問題がある。出てくるということは、それなりに作戦があってのことかもしれないからだ。
 追い詰められた狐は、逆に襲い掛かってくるということもある。それを上手くいなし、仕留めてこそ一人前の戦士。

 やはりこちらから燻り出す。予定を狂わせ、こちらのペースに持ち込む。
 しかし無駄弾を使うわけにはいかない、どこに炸裂弾を撃ち込む……
 そう考えたとき、デイパックの中に入れていた、あるものの存在を思い出す。

 あれならばどうだ? 電撃的に浮かんだアイデア。だが騙せる保障はあるのか。
 いや、自分も素人にほど近い存在だが、相手はさらに素人。ダメで元々と考えるべきで、ここで使わずにいつ使う。
 出し惜しみするは宝の持ち腐れと判断をつけ、彰はデイパックからクラッカーをあるだけ取り出す。
 イングラムを代わりに仕舞いこみ、M79を脇に挟みこんで、ヒモ部分に手をかける。
 さあ、どうだ。当てずっぽうとはいえ、当たるかもしれないという恐怖に晒される感覚に、お前が耐えられるか。

296 Act of violence :2008/12/11(木) 02:34:26 ID:SPIb/JNo0
 彰は茂みの方へと向け、クラッカーのヒモを思い切り引っ張った。
 パーン、と銃声にしてはやけに軽い音だったが山中ということもあってかエコーもかかり、それらしく聞こえることには聞こえた。
 一つ目。出てはこない、がまだ次はある。一つ目を投げ捨て、二つ目のヒモに手をかける。

 反応なし。ここまではまだ我慢できるだろう。だがまだ次があると知ったら? それほどの弾薬の余裕があると知れば、どうだ?
 三つ目。回数を重ねてやけに大きく聞こえるようになったクラッカーの音が木霊する。木々の葉が驚いたようにざざと揺れる。
 次で打ち止めだが、動きはない。見破られているのか、それともやせ我慢か。どちらにせよ、四発分の銃声を受けて精神に余裕があるか?
 ないはずだ。同じだったから。銃の感触など知らず、死の恐怖に、同じく追い立てられていた自分だから、銃声に晒され続けるのは恐怖だと知っている。

 次だ。彰は使用済みのクラッカーを投げ捨て、最後の一つのヒモを取る。
 最後に残したのは、特大のクラッカーだった。一際大きいそれは、今までのものより重く、バンという大音響を山中に響かせた。
 ガサリ、と葉が揺れてひとつの影が飛び出してきた。我慢しきれないというように。

「見つけたっ……」

 追い立てられた獣、いや小動物が背中を見せ、坂道を下っていくのを彰は見逃さなかった。
 だがその足取りは草木に足を取られて遅く、また足場が悪いせいもあり決して早いものではない。
 M79の射程には入っていたが、まだ近づかないと当てられる自信はない。
 五メートルが確実に命中させられる射程だと当たりをつけた彰は、真っ直ぐに少女の背中を追った。

 だが数歩踏み出した時点で彰は足を止める。彰の足元には、一直線に横切るようにして張られていた線らしきものがあったからだ。
 引っ掛けか? いつの間にこんなものを……
 幸いにして色が緑に紛れるような色ではなく、白色だったということ、注意深く罠がないか足元を観察していたお陰でどうにか難を免れることが出来た。
 真っ直ぐ進めば、同様の罠があるやもしれない。彰は少し右寄りに迂回して少女の後を追う。

 くるり、と少女が後ろを振り向く。罠にかかることを期待していたのだろうその表情は一瞬の驚愕に見開かれ、続いて落胆と焦りの様相を呈する。
 そう何度も手の内にかかってたまるか。M79のグリップを強く握り締め、若干前側へと傾ける。
 射程距離に入るまで、残りおよそ10メートル前後……いや、この瞬間7メートル程になった。

297 Act of violence :2008/12/11(木) 02:34:43 ID:SPIb/JNo0
 少女の足は相当に重い。自転車に乗っていた彰と違い、その身ひとつでここまで走り抜けてきたのだ。
 称賛に値すべきだと思うが、ここまでだ。体力を使い果たして息切れするがいい。
 体力の低下は、そのまま各種回避行動、攻撃、防御、集中力の低下を意味する。
 無論自分も体力が減っていないわけもないが、度合いに関しては相手の方が減少率は高いはずなのだ。
 特に罠も見えない。やはり集中的に仕掛けられていたのは少女の進む直線上だったということか。

 そうこうするうちにあっという間に差は詰まり、十分に当てられる射程まで残り……4メートルか。
 距離は約10メートル。当てられるか。その疑問が胸に当たり、無駄弾を消費する余裕があるかと計算する。
 いや、直接体に当てる必要はない。炸裂弾なら爆発時の破片だけでダメージ自体は与えられる。先のホテルでの一戦でそれは証明されている。
 足を止められれば、後は一分足らずで決着がつく……そう判断した彰はM79を持ち上げ、トリガーを引き絞った。

 自身の体に少しの反動がかかり、引き換えに吐き出された炸裂弾が相手目掛けて直進する。
 動きながら撃ったお陰で狙いは正確ではなかった、けれども効果は十分だった。
 少女の脇を外れてやや近くの地面に叩きつけられた破片弾が地面と草木を抉って爆発し、土や小石を伴いながら破片を周囲2メートル程を巻き込んで飛び散らした。当然、その範囲内には少女もいる。

 爆発時の爆風にまずあてられ、体のバランスが崩れたのと同じタイミングに破片や土くれ、小石の群れが襲い掛かる。
 咄嗟に顔を庇う動作は見せたものの破片の一部や石が体に次々とぶつかり、さらには爆風の影響もあって軽く体も宙に浮き、そのまま倒れる。
 恐らくは転がっていっただろう。ダメージ自体は致命傷にはほど遠く、些細なものに過ぎないだろうが転ばせられたというだけで十分だ。
 M79に再び破片弾を詰めなおし、さらに接近を開始する。

 射程圏内。入った――そう認識した時、思いも寄らぬ反撃が彰を迎えた。
 黒い布に包まれた、つぶてのようなもの……それが少女の手から放たれ、想像以上の速さを伴って彰へと向かった。
 何だと認識する間もなかった。運悪く額にぶつかった『つぶて』がガツンという鈍い音を立て、彰の脳を揺らした。
 ぐっ、と呻いてぼやけそうになる意識を何とか繋ぎ止め、続け様に『つぶて』をぐるぐると頭上で回す少女の姿を見る。
 西部劇か何かに出てくる、捕縛用の縄を回す保安官のようだった。あれは、さっき投げたものと同種のものか?

 まだあんな武器を残していたとは……諦めの悪い女め……!

298 Act of violence :2008/12/11(木) 02:34:58 ID:SPIb/JNo0
 どろりとした水滴が頬を流れ落ちる。『つぶて』がぶつかったときに額から出た血なのだと気付いた瞬間には、既に第二撃が飛んできていた。
 M79で『つぶて』を叩き落とす。女の力だ、銃身がへこむということは考えられない。
 だが『諦めの悪い女』は三つ目も隠し持っていて、先ほどまでのような勢いはないまでもそれなりの速さを以って『つぶて』を投げてきた。
 これも叩き落とす。ごんという低い音を共に『つぶて』はあらぬ方向へ飛ぶ。

 無駄だ、そんなものでどうにかなるものか――
 が、それすらも『諦めの悪い女』の本命ではなかった。
 二つ『つぶて』を叩き落とし、それに対応する隙が生じ、彰はM79の銃口が向ける事が出来ずにいた。
 それこそを狙っていたかのように……『諦めの悪い女』は、両手に拳銃を、しっかりと構えていた。
 拳銃から銃弾が放たれ、一直線に彰へと向かっていく。狼狽した彰だったが、こんなことでやられてたまるかという意地が体を動かした。

「舐めるなっ!」

 『つぶて』を叩き落すときにM79を振った方向に合わせて体を捻り、重心を移動させる。
 それでも銃弾を躱しきることが出来ず、脇腹を銃弾が掠め、僅かに肉を抉り取っていったが、痛み以上の妄執が彰を突き動かした。
 戦いを逃げてきた人間に。信念の意味を知りもしない人間に、負けてたまるものか。
 伏せるようにして地面に倒れ、それと同時にM79のトリガーを引く。

 地面スレスレから発射された炸裂弾が、彰の射程外ギリギリの地面を吹き飛ばす。
 土と塵の余波が彰にも襲い掛かる中、『諦めの悪い女』が悲鳴を上げるのを彰は聞き逃さなかった。
 草木と泥の匂いが混じった自然の味が鼻腔に広がるのを感じながら、彰は立ち上がり、イングラムM10をデイパックから取り出した。

     *     *     *

 体中が痛い。
 一度目は爆風に吹き飛ばされたくらいで済んだが、今度はそうもいかなかったようだ。
 ほぼ数メートル近くで爆発した破片弾は風子の体中にダメージを与え、手足はもぎ取られたかのように動かなくなっていた。
 破片がいくつか服を通して刺さっており、恐らくはその痛みによるショックなのだろうと風子は考えた。

299 Act of violence :2008/12/11(木) 02:35:26 ID:SPIb/JNo0
 坂道に転がっている自分の体は、それでも諦めるまいと熱を発していたが、最早万策尽きたに等しい。
 茂みに入ってから必死に糸を木と木の間に繋ぎ、ゴム糸には接着剤まで垂らして工夫を凝らしたというのに、あっけなく見破られた。
 やはりそう簡単にはいかなかったということか。所詮は即興で考え出した素人の浅知恵……

 本来ならこの各種引っ掛けトラップで足を取られている間にお手製の『ストッキングに石を詰めた砲弾』で集中打を浴びせて拳銃で止めを刺す、これであの殺人鬼を打倒するつもりだった。
 拳銃に弾が入っていなければそれまでの作戦だが、風子はまだ弾が入っている可能性に賭けた。いや信じた。
 朋也が、みちるが背中を支えてくれている。なら由真や、花梨だって……そう思ったから。

 その信頼に応えてくれたかのように、拳銃には一発だけ弾が入っていた。花梨が与えてくれたチャンス。
 無駄にはしなかったつもりだ。ちゃんと前を見据えて、敵の真正面目掛けて撃ったつもりだった。
 しかし、結果は失敗。
 トラップは見破られ、お手製砲弾は一発当たったものの後はことごとく潰され、最後の切り札も躱されて……

 勝機はあったはずだった。あのとき、確信した可能性は無謀なものではなかったはずだった。
 一体、何が足りなかったのか。
 銃弾らしきものに驚いたふりをして逃げ出した演技がばれたのか、引っ掛けトラップが分かりやすすぎる位置にあったのか。
 それとも拳銃の構えが甘かったのか、もしくは焦りすぎたのか……

 つまるところ、自分の至らなさが決定的な敗因になったということか。
 どんなに千載一遇の好機が巡ってきたとしても、それを活かせるだけの技量がなければただの、無力の悪あがき。
 蔑むような、含んだ笑いが風子の口から漏れ、悔しさで顔が歪んだ。
 でも、泣かない。
 それだけは絶対にしない。お姉さんとして、一人の人間として、踏み越えてはならないものだと決めたからだ。

 後、もうひとつある。……諦めない。最後の、最後まで、どこまでも足掻いてやる。
 例えそれが自らの不実、罪の意識に起因するものだとしても、風子自身が強く願ったことだった。
 どんなに格好悪くても、背中を支えてくれる人がいると分かったから……
 応えられるような力を、恥ずかしくない生き方を求めて。

300 Act of violence :2008/12/11(木) 02:35:48 ID:SPIb/JNo0
 キッ、と風子は悔しさを力そのものの意思に変えて、目の前に立つ男の顔を睨んだ。
 額から血を流し、無表情の中にも強い憎悪を含んだ瞳が、同じく風子を睨み返す。
 やはり自分の作戦はそんなに間違っていなかったらしいと、風子は鈍い実感を確かめた。
 足りなかったのは、風子の力ですか……最悪、です。
 自分に言ってみると、あまり気分のいいものではない。朋也にこんなことを言い続けていたのは間違いだったかなと思いつつ、低く声を搾り出した。

「どうして、こんなことをするんです」

 あまりに遅い質問だと考えながらも、それだけは確かめておきたかった。
 朋也を殺し、みちるを殺し、二人の命に匹敵するものをこの男は内包しているのかと確認したかった。
 もちろん、そうであろうがなかろうが、風子がこの男を許さない気持ちに変わりはなかったが。
 男は無表情を崩さず、虫けらを見下すような目で答える。

「好きな人の……美咲さんのため。そして、僕自身のためにだ」

 ミサキ……かすかに覚えている。今と同じ、冷酷を無表情の中に押し込んだ双眸で見下し、銃口を向けたときに発した言葉。
 だが、しかし……

「……死んでるじゃないですか。その、ミサキさんは」

 正確な漢字までは分からないが、ミサキという読みを持つ人は既に死んでいると知っている。
 復讐を誓ったのか。自分のように? だが以前言ったときの言葉は『ミサキさんのために死んでもらう』というものだった。
 まるで、まだ生きているかのような。
 言葉を突きつけられた男は僅かに眉根を寄せ、不快感を滲ませていた。死という言葉をこんな奴の口から聞きたくない。そういうように。

「知っているさ。だからどうした」

 生き返らせるなんて馬鹿なことを言うな――その返しを拒絶し、また口にすることさえ許さない重圧が銃口を通して滲み出ていた。
 どうやら、この男は自分とは間逆のようだと風子は内心に嘆息した。
 誰かの死を知って自棄になり、受け止めずに逃げ出した挙句、都合のいいことだけを考えて他を拒絶する、頭でっかちの偏屈者……
 こんな男に許せない、心が張り裂けるくらいの復讐心を抱いていたのかと思うと急速に腹の底が冷え、萎えていくのが感じ取れた。

301 Act of violence :2008/12/11(木) 02:36:03 ID:SPIb/JNo0
 自分とて人のことを言えたものではないと思うが、それでも逃げ出していないということは胸を張って言える。
 現実逃避に甘んじることなく、死んでいった者たちに報いるために、考えて考えて考え抜く。
 愚順で無知だとなじられても、絶対に逃げ出さない。逃げ出したくない。
 逃げ出してしまっては、本当に掴みたいものがつかめなくなってしまうから。

 だから、こんなところで……殺されるわけにはいかないんです!

 全身をバネにして、風子は力を振り絞り、銃を向けていた彰の腕を力任せに引っ張った。
 いきなり伸ばされた風子の手に反応できず、男がバランスを崩し倒れ掛かってくる。
 風子も引っ張った際の反動を利用して、男がダラダラと血の川を流す源の、額へ全身全霊をかけた頭突きをブチ当てる。
 頭突きした風子の脳にも火花のようなものが見えたような気がしたが、痛みに構っている暇はない。
 よろよろと立ち上がり、再び逃走を試みる。

 だがぐいと引き寄せられる力にそれを為すことはあっけなく拒否された。
 髪の毛を引っ張られたと思った瞬間、ガツンという堅い衝撃が風子の背中を突き抜け、痛みを全身に伝播させた。
 銃把で殴られたのだと理解したときには、風子はごろごろと坂道を転がり草いきれの匂いを再び味わうことになった。
 土に指を掻き立てるようにして転がるのを抑えたものの、止まった瞬間には男の足が風子の体を強く踏みつけ、ぐりぐりと足裏で擦り付ける。

「……諦めが悪いんだよ、戦いから逃げ出した臆病者の癖に。そんなに死にたくないか」

 暗澹とした、陰惨な憎悪を増して見下す男の声が降りかかる。
 風子がここまで抵抗してもそれだけの価値を認めようともしない、優越感のみで己の意義を見出そうとする声。
 負けたくないという強い思いは相変わらず風子の中に堅く存在していたが、力が伴っていなかった結果が、今の有様という冷めた感想も持っていた。
 この島に厳然として我が物顔で居座り、何をしても許されるという力の倫理。
 どんなに覚悟を持って、傷つき、傷つけるのも厭わない勇気があってもそんなものをあっという間に押し潰す、やられる前にやるという暴力の嵐。

 それに対抗するだけの本当の力が、自分にはないのか。
 悔しくてならなかった。もっと力があれば、自分が無力でさえなければ。
 やりきれなくなった思いを、風子は全身で声にしていた。

302 Act of violence :2008/12/11(木) 02:36:19 ID:SPIb/JNo0
「あなたのような人に負ける風子が……最悪です……! でも、風子は負けたつもりなんてありません。風子にここまでしてやられるくらいのあなたが、この先勝っていけるわけないんです。ふんって笑ってあげます。自分より弱い人を見下すだけのいじめっ子だって言ってあげます……!」

 最終的に得た、この男に対する風子の総括だった。
 今は自分を見下すこの男も、結局は更に大きな力の倫理に呑み込まれ、為す術もなく消えていく。
 それに抗するだけの本当の力を、身につけていかなければならないのに。
 でも、風子も負けました。同じ敗北者です。所詮は同じ……

「言いたかったのはそれだけか? ……なら、死ね」

 どこか遠くから響くような冷たい銃声が、山中に響いた。

     *     *     *

「……おい、あれ」

 山の方角を指差した国崎往人に合わせて、川澄舞もそちらを向く。
 雨で燻る視界の中、山中からもうもうと煙が立ち昇っているのが遠目にも確認できた。
 まるで何かを目指すように高く、高く。
 しかもその元が花梨や由真、風子を残してきたホテル跡に近いのでは、という予測を走らせた瞬間、往人の胸にざわとした不安が粟立った。
 まさか、三人に何かあったのでは……

 一度考えてしまえば脳裏から消し去ることはできなかった。
 ひょっとしたら、今にも彼女達の命が危うくなっている……行動を起こして、彼女らの元に舞い戻りたい。
 だが同行者のこともある。今ここにいる舞と背中に背負っている朝霧麻亜子を放っておくわけにはいかない。
 今の俺がやるべきことは二人の安全の確保で、独断で勝手な行動を起こすわけには……

「往人」

303 Act of violence :2008/12/11(木) 02:36:48 ID:SPIb/JNo0
 凛として強い意志の篭もった声が、往人の耳朶を打った。それが舞のものだと分かって振り向くまでに、舞は手に怪我をしているとは思えないほどの力で朝霧麻亜子の体を引き摺り下ろしていた。
 唖然とする往人をよそに、舞はしっかりとした調子で朝霧麻亜子の体を抱え直し、背中に負ってから「行って」と続ける。

「まだ間に合う。……そんな気がする」

 完全に勘に任せて言ったと思われる言葉だったが、不思議な説得力があった。
 だが、ここに守ると決めた者を残しておくわけにはいかないと理性が語り、しかしと反論の口を開こうとした瞬間、ふっと舞の表情に翳りが差した。
 出掛かっていた言葉が、そこで完全に遮断される。そうだ、舞は何も出来ずにただ傍観して見ているだけしかできなかった。

 ひとつ行動を起こせていれば、今とは違う未来になっていたかもしれなかった舞。
 最悪の結果になることもなく、重荷に過ぎる重荷を背負わなくても良かったのかもしれない。
 行動しなかったばかりのツケ。それを舞は、自分に教えようとしてくれているのではないか?
 ポケットに入れたままの風子のプレゼントが、不意に重さを帯びたような気がした。

 これでいいのか? 希望的観測に縋って何もせずに、また見捨てるのか?
 それが原因で不幸な結果を迎えたとして、守るべき人がいたから仕方がなかったんだと理由をつけてしまうのか?
 俺はまだあいつらに、人形劇も見せていないのに。

「……済まない。任せても、いいか」

 搾り出した声は、それでも苦渋に満ちたものがあった。
 我侭だ。抱えきれる範囲のひとしか守れないということは先刻承知のはずではなかったのではないか。
 自分がこんな行動を起こしたばかりに、舞を失ってしまうことがあるかもしれない。
 それで、誰も彼も失うようなことになってしまったら……

 声に出したものの、足は一歩も先に進もうとしなかった。恐れている。失ってしまうことを。
 自分の力に限界が見えてしまったがための諦めが、いつの間にか往人の底にへばりついて縛り付けていた。
 一度守ると決めてしまえば、失うのが怖くて自分を狭めてしまう。分かったような気分になって、それ以外のものが見えなくなる。

304 Act of violence :2008/12/11(木) 02:37:29 ID:SPIb/JNo0
 どうする……? 二人とも連れて行くか? いや、それは自分が楽になりたいだけの安全策だ。
 どうして、俺はこんな考え方を……怯える自分がどうしようもなく許せなくなった。

 やりきれない気持ちが昂ぶったとき、往人の手のひらを包むものがあった。

「私は……問題ない。生きていくって決めたから、どんなものにも負けない」

 決然とした意思が見える舞の台詞は、手のひらから伝わってくる温かさと合わせて、往人の抱えるつまらない打算を溶かしていった。
 生きていく。己の命を信じ、また人の命のありようも信じる、本当の信頼を携えた響きは往人にもその意味を思い出させていた。
 自分ひとりだけじゃない、誰かが己を支えてくれているという実感。それを力として、正しく使っていける自信があるからこそ、舞は自分に行ってくれと頼んだのだろう。それを自分は、まだ何もかも一人で背負った気になっている。

 結局のところ、ひとりでいた頃の自分自身しか信じられなかった癖が抜け切らないのだろうと感じた往人は、つくづく進歩がないと苦笑した。
 そしてそれが分かった今は、そこから一歩でも進歩しようとする自分の決意をも沸かせていた。
 いつまでもこのままじゃ、皆に笑われるから。

「……正直、不安ではあるけど、信じてる。だから、待ってる」

 分かってるさ。……たった今、お前が分からせてくれた。
 口には出さず、往人はコクリと頷いて、もうもうと煙を昇らせている山の方へと視線を移した。
 今はやるべきことをやる。どんなに不安でも、それに抗えるだけの力があると分かった。
 自分ひとりで全てを見なくてもいい。背中を任せていられるだけの存在がそこにあるのだから……

「ああ。すぐに戻る。その間、こいつを頼むな」

 その言葉だけを残して、往人は猛然と山に向けて走り出した。
 もう迷いはない。今度こそ、間違えずに……求めることが出来るから。
 村を抜け、外れから山中へと伸びる坂道に向かう。以前はここを通って平瀬村へとやってきた。
 そういえばここを通ってきたとき、死体を発見したのだったということを往人は思い出す。

305 Act of violence :2008/12/11(木) 02:37:47 ID:SPIb/JNo0
 あの二人の遺体は、今はどうなっているのだろうか。雨に晒されて酷いことになっているのではという想像が頭を過ぎったが、すぐに打ち消した。
 それを考えている時間も、どうこうする時間も今の自分にはない。
 人の死を悼む気持ちはないではなかったが、それで何が救われるわけでもないし、またそうなるとも思わない。
 だが自分の命も、この使命感も他人の死の上に成り立っていることは実感している。

 だから目を逸らさない。逸らすまい。一度弱気の虫に負け、何もかもを蔑ろにしようとした己を忘れない。
 痛みも哀しみも乗り越えて、その先の沃野にたどり着くための鳥。血を吐き続けながらもどこまでも飛び続ける鳥。
 あの時自分が発した言葉の意味が、ようやく理解できたような気がした。

 忘れてはならない。この島には、まだまだ笑わせるべき、笑顔を失ってしまったひとがたくさんいる。
 飛ぶことを止め、座して死を待つだけの鳥を、もう一度羽ばたかせたい。共にその先の未来を迎えるために。
 そのためになら、たとえどんな苦しみが待ち構えていようとも逃げ出さない。

 生きるというのは、そういうことなのだろうと、今一度結論を噛み締めた往人は、山の中腹でまた煙が出ているのに気付いた。
 誰かがいる。まだ戦いを続けている人があそこにいる。
 もう一度往人は自分に対して問う。

 お前はその手で、どれだけの人間を抱えきれる? 出来もしないことをして、挙句大切な人を失ったらどうする?
 ……そうならないために、互いが互いを支えあう。
 協力して、手を取り合って立ち向かえば少なくとも自分ひとりよりは、大きな力を持つことができる。
 信頼という言葉の中身。自分が学ぶべきものを求めて、俺は人形劇を続ける。
 だから……助けに行くんだ。

 なんだ、つまりは自分のためじゃないかという結論が出て、そうかもなと往人は嘆息した。
 だがそれでいい。今はそれでいい。まだ自分は何も知らないのだ。分かったような気になるのがおかしい。

 ポケットからコルト・ガバメントカスタムを取り出し、スライドを退いてチェンバーに初弾を装填する。
 フェイファー・ツェリスカとは勝手が違うだろう。あの銃は反動が大きすぎて連射など問題外だったが、こちらはどうか……?
 フェイファーより小さいものの、それでも両手に余る大きさのガバメントカスタムの重さを気にしている間に、軽いような、重いような破裂音が立て続けに響き、戦闘が熾烈になってきていると予感を抱かせる。

306 Act of violence :2008/12/11(木) 02:38:02 ID:SPIb/JNo0
 問題は、この先どちらに味方するか、だ。標的を見誤れば最悪の事態にもなりかねない。
 いや、複数人で戦っている可能性もある。気をつけなければ狙撃されることもあるかもしれない。
 素早く辺りを見回してみる。複数の人間が潜んでいる気配は……ない。
 寧ろ殺気……戦闘の気配は一方向からしか感じられない。複数人による戦闘なら、この場一帯を取り囲むように音を響かせていてもおかしくはないはずなのに。やはり、一対一の戦いなのだろうか?

 考えながら目を凝らした先、これまた立て続けに閃光が奔り、派手に土埃を巻き上げた。
 爆発したと理解したときには、往人の体は体勢を低くして山を駆けていた。
 いくつか修羅場を乗り越えて慣れてきたらしい。人の適応能力は存外高いものだと不謹慎な感慨を抱く間に、人の呻き声が聞こえてくるようになった。
 さらに近づくと、細身で、長身の男と思しき人物が何やらものを投げられ、それでも再び反撃して相手を追い詰めているようだった。
 爆発の正体は奴か。射撃を試みようと思ったが、距離がまだ遠く射程にも入っていない。
 くそっ、間に合うのか……?

 いや間に合わせてみせると啖呵を切った往人は更に速度を上げて雨の降りしきる坂を登る。
 心臓が悲鳴を上げ、酸素を寄越せと催促を始める。普段の生活が運動のようなものだとはいっても坂を登るのはつらい。
 走り回るといえば、ポテトに人形を取られたときのことを思い出す。

 あの畜生は今も元気だろうか。あわよくば、人形を口に加えて戻ってきたりしないだろうか。
 人形が手元にないと、どうもすっきりしない。人形劇を続けるなら、あの人形は必須だ。旅の道連れであり、母が託した願いの元が。
 ……なおさら、死に急ぐわけにはいかない、か。

 つい先程までは自殺しようとさえ考えていたのに。ちょっとしたことで世界や価値観なんて変わってしまう。
 生きてさえいれば、まだ変われる可能性はある。
 だからそれを奪おうとする奴を、俺は許さない。

 これも矛盾していることは分かっている。だがそれでも何も己のありようを変えようともしない奴を許す気にはなれないし、分かり合おうという気にもなれない。何が理由であれ、目的のために同胞を躊躇無く殺せるということを受け入れられないというだけだ。
 そのために犠牲になってしまった、ひとりの少女の姿を思い浮かべて。
 視界に入った、二人の人間の姿を確認し、倒すべき敵を見定めた。

307 Act of violence :2008/12/11(木) 02:38:17 ID:SPIb/JNo0
 みちる――口中に呟いて、往人は手にマシンガンを構え、抵抗を試みていた伊吹風子を殴り倒した男……風子、由真をして、みちるを殺害したと言わしめた男を双眸に見据え、勢い良くガバメントカスタムを持ち上げて照準をつける。
 激しく上下に揺れ動く体で、果たして狙い通りに弾が飛ぶのか。この体力で果たして勝負になるのか。
 打算的に考えた脳がそう言ったが、関係ないとかき消す。
 助けることが第一義だ。まずは注意を逸らすだけでいい。やるべきことをやるだけだ。

 意識の全てを戦闘に傾けた往人の体が、ガバメントカスタムのトリガーを引き絞った。
 男の死角から放たれた38口径の銃弾が山中に木霊し、真っ直ぐに相手へと向かう。
 往人の狙いは体の中心部。単に体の表面積で一番大きいところを狙っただけなのだが、その行為は間違いではない。
 少々目算がずれても体のどこかにでも当たれば激痛に身をのたうち、即時反撃という選択肢を相手から奪う事が出来るからだ。
 『殺す』ことより『動きを止める』ことを優先した結果ではあったが、それは如実な効果として表れた。

「ぐっ!?」

 体の中心部から大きくずれ、腕に少し掠っただけとなったが、男に苦悶の表情が生まれ、意識が往人へと向いた。
 ちっ、と舌打ちして木の陰に隠れた瞬間、ぱららららというタイプライターのような音が弾け、泥が激しく飛び散った。
 だがその狙いは明らかに精彩を欠いている。恐らく突っ立っていても当たらなかっただろうし、何より気付いて撃つまでに数秒もの時間があった。
 格闘戦には持ち込み辛いが、射撃なら互角の条件で戦える。

 攻略の糸口を見つけ出した往人は木の陰から半身を出すとそのまま連射する。
 正確に狙いをつけたわけではなかったが、急な坂に立っており、尚且つ滑りやすい地点であったが為に急速な回避は男には不可能だっただろう。
 その証拠に近くの木の陰に隠れるまでに十秒近くの時間をかけ、しかも一発が膝を掠った。
 いける、とは思わなかった。地形的に有利なまでで、仕留めるにはもう一つ足りない。逃げられてしまうのだけは避けたかった。

 ここで逃がしてしまえばまたこの男の犠牲者が出るかもしれない。それ以前に、みちるの敵討ちという情念もあった。
 確証はない。目の前の男がみちるを殺害したとは言い切れない。だがマシンガンという特徴と、風子を狙っていたという事実から往人は間違いではないという確信を抱いていた。
 殴られたまま、風子は姿を見せない。一歩遅かったのか、それとも……

308 Act of violence :2008/12/11(木) 02:38:33 ID:SPIb/JNo0
 とにかく、早急に対処するまでだ。気を引き締めなおして往人は雨で滑らぬよう、ガバメントカスタムのグリップを握りなおした。
 さてどうする。敵も隠れてしまった以上迂闊に弾を浪費するわけにはいかない。
 かと言って持久戦に持ち込めばじわじわと相手の体力も回復し、逃げられるかもしれない。
 ……止むを得ない事態と割り切って、弾幕を張りつつ攻撃あるのみ、か?

 猶予は少ない、ならば早急に決断をするべきだ。
 飛び出ようとした往人の足元に、ばさりと何かが落ちて音を立てた。
 思わず注意を逸らされ、足元を凝視した瞬間、そこに黒いものが転がっているのを見た。

 手榴弾か――!?
 考えるよりも先に体を動かした……それが見当違いだと分かったのは、体が動いてしまった後だった。
 草木に紛れ落ちた黒いそれは、四角形で僅かに曲がった形状をしており、およそ手榴弾とはほど遠いものだった。
 箱型の手榴弾など見た事が無い。つまり、それは……

 嵌められた……! だが一度動かしてしまっている体はどうすることも出来ず、無防備な姿を敵に晒してしまっていた。
 視界の隅に入った男の姿に、やられたという敗北感が浮かぶ。
 だが致命傷さえ喰らわなければいい、持ちこたえてくれと目を瞑った往人の耳に、吼える声が聞こえた。

「わああぁぁああぁぁああぁっ!」

 力を振り絞り、大気をも振るわせるその色は男のものではなかった。まさかという思いで往人は目を見開く。
 男の背後から、逆落としの勢いを以って、風子が銃を手に持って突進してきていた。
 死んでいなかった……そればかりか、自分が戦っている隙に隠れながらも移動し、好機を待ち構えていたのか。

 抜け目ないと思いながらも、再逆転の隙が生まれたと往人は口を歪め、よしと口中に呟く。
 相手にとっても風子の奇襲は誤算だったようだ。狼狽した様子で後ろを向き、銃を乱射したものの一発として当たらず、しかもすぐに弾切れとなりカツンという空しい音を最後に弾を吐き出さなくなった。

 さらに慌てたようにして平静も保てなくなっている様子の男に、絶好とばかりに風子が銃口を向ける。
 自分の体はまだ動かない。だが足が地面に着けば再び蹴って、挟み撃ちにすることができる。
 これで詰み。ジ・エンドだ。

309 Act of violence :2008/12/11(木) 02:38:50 ID:SPIb/JNo0
「ふざ、けるなっ!」

 往人の考えを読み取ったかのように、予想外の出来事に翻弄される己を叱責するように、何よりも目の前の邪魔者に対して男が絶叫した。
 まずい、と往人のどこかがそう叫んでいた。終わりではない。まだこの男には風子をどこまでも追い詰める『執念』が残っていた。

 そこから先は一瞬だった。
 まるで戦闘慣れした歴戦の傭兵の如く、男はマシンガンを捨て素早く風子の手首を捻り、銃を奪い取るや後ろに回りこんでその頭に銃を突きつけたのだ。
 往人が体勢を立て直したときには、さらにもう一方の手で風子の首を締め上げていた。

 人質に取られた……! またもや事態は逆転し、不利な状況に一変したことを往人は認識せざるを得ない。
 ガバメントカスタムを構え直したものの、風子の影に隠れるようにした男は不敵な、しかしどこまでも見下すような嗤笑を浮かべていた。

「馬鹿な女だよ……逃げていただけの癖に、僕を倒せると思い込んで……思い上がりも甚だしい」
「伊吹っ!」

 風子に当てず、敵だけを仕留められる箇所はないか。必死に目を動かして探す往人だが、自分の射撃力でどうにかなるレベルではない。
 側面にでも回り込まない限りはまず風子に当たってしまう位置だった。
 折角、ここまで来たのに。今度こそ本物の、どうしようもない敗北感が往人のうちに塗りこめられ、悔しさが往人の胸を締め上げる。

「く……国崎さん……」

 締められた喉から搾り出すようにして、風子が往人を見る。
 しかしその表情は、苦しいながらも助けを求めるものではなかった。寧ろどこかふてぶてしい、してやったというような顔だった。

「撃って……下さい。風子なんかに、かまわ、ず」
「……黙れ」

 臭い芝居だというように、嫌悪感を隠しもせずに男が風子の側頭部に銃口を押し付ける。「よせ!」と往人は叫んだが、風子は黙るどころかじっと往人を見つめ、臆している風もなく喋り続けた。

310 Act of violence :2008/12/11(木) 02:39:24 ID:SPIb/JNo0
「これで、いいんです……岡崎さんも、みちるさんも、笹森さんも……十波さんも殺されて、それでも風子が出来る、たったひとつのこと……」
「聞こえないのか、黙れ」

 男の締める力が強まり、けほっと咳き込み苦しさを増した風子の表情が歪む。
 それでも風子の瞳に宿る意思は消えない。ただひたすらに何かを伝えようとしてくる。その強固な視線は、ただ愚直に往人を見つめていた。諦めさえ見える言葉とは裏腹の、真っ直ぐな双眸……

 台詞と明らかに異なる風子の様相。ならば、そこには隠された何かがあるのではないか?
 ふとそんなことを考えた往人の頭には、まさかという思いがあった。
 憶測が往人の中を飛び交い、どれが真実だと問いかける。

 いやそれ以前に撃てるのかという迷いも残っていた。
 例え風子が何かを考えていたとして、そのために自分は人を撃つことが出来るのか。
 『少年』のときとは違う、仲間だと認識した人間を撃つことが出来るか?
 もしものことだってあるかもしれない……恐れる自分に、だがしかしと反論する自分がいた。

 失敗を恐れる気持ちは誰しもある。けれども逃げ出してしまったら、俺は何もかもを裏切ってしまう。
 送り出してくれた舞も、何かの意思を伝えようとする風子も、ここまで背中を押してくれた皆にも。
 信頼を寄せて、自分に運命を託したのなら、その先の結末を見届ける義務がある。
 それが自分が目指す、沃野への標となるのなら。
 決意を込めて、往人はガバメントの銃口を風子の先にある、倒すべき敵へと向けた。

「お前……!」

 男の気配が、憎しみから怯えへと変わる。仲間を見捨てようとする冷酷な行為と受け取った男の頭は保身を選んだようだった。
 風子から奪い取った拳銃をこちらへと向け、にべもなく引き金を引く。その目に、来るなという言葉を含ませて。
 だが、男の向けた銃口から弾丸が放たれることはなかった。
 カチンというスライド音だけを残し、拳銃の中身は空っぽだったという事実を告げた。

311 Act of violence :2008/12/11(木) 02:39:48 ID:SPIb/JNo0
「な、に……?」

 怯えから呆然一色の表情に切り替わる。刹那、往人は風子がニヤと笑ったのを見逃さなかった。
 抜け目ない奴だよ、と往人も笑い返して引き金に手をかける。

「っ、くそ……!」

 立て続けの予想外に見舞われた男は気が動転したか、風子を盾にしておけばいいものを、向けられた往人の銃口から逃げるように風子を放り出し、背中を見せ逃走しようとする。そんなものを、往人が逃すはずはなかった。
 弾倉が空になるまで連射されたガバメントカスタムの銃弾が、男の体にいくつもの穴を穿っていく。

 おびただしい血を噴出させた男は、恐らくはもう起き上がらないのだろうという感想を、往人に抱かせた。
 戦場の匂いが急速に薄れていくのを、往人は感じていた。

     *     *     *

 銃弾に倒れた彰の頭に浮かんだものは、負けたのかというぼんやりした感覚と、痛みもなにもなく、ただ命だけが溶け出していく感触だった。
 ひとりで戦って戦って戦い抜いたが、結局は仲間という存在に負けた。
 もう起き上がって反撃する気力もない。ただ自分が捨てたものに強烈なしっぺ返しを喰らったようで、情けない気持ちだった。

「大丈夫か」
「……平気です。けほ、上手くいったようで、良かったです」

 まだ自分には声を聞き取るだけの意識があるというのに、まるで何もかもが終わったかのように喋っているのが気に入らなかった。
 だが、やられた。絶対の優位を確信していた相手に出し抜かれ、致命傷を負う羽目になった。
 仲間、という言葉を彰はもう一度思い浮かべる。

312 Act of violence :2008/12/11(木) 02:40:01 ID:SPIb/JNo0
 もし自分も仲間を作っていればこんな負け方をせずに済んだだろうか。
 こんな風に最後に顧みられることもなく、ひとり寂しく死なずに済んだだろうか。
 誰かが自分のことを覚え続けてくれていただろうか。

 全ては後の祭り。そう思うと、急に死ぬのが怖くなってきた。
 死にたくない。こんな風に、ただ敗北者として名前を知られることもなく……
 しかし助けを求める資格も、手を差し伸べてもらえるだけの優しさも、全て自分で振り払った。拒絶して、一人なら何も失わずに済む。
 一人なら望むことが出来ると豪語したザマがこれだ。残ったものは、寂しさと空しさだけだというのに。

 戦いをやめておけば良かったとは言わない。澤倉美咲のことを忘れ、新しい道を踏み出しておけばよかったとも言わない。
 己の選択は今も間違っているとは思わない。戦わずして、自分が自分でいられるものか。
 戦わなかった瞬間、人は暗闇の底に落ちて何を求めていたのかも忘れてしまうから。

 たったひとり……そう、ひとりでいいから、仲間を作っておけば良かった。
 それが自分を慰めるものであろうと、偽りの関係であっても構わない。
 冬弥。由綺。他の顔も知らない誰か。
 耳の奥には先程まで喋っていた二人組の声が残り、言いようのない哀しさを彰に覚えさせた。

 少しだけ後悔して、少しだけ涙を流しながら……七瀬彰は息絶えたのだった。

313 Act of violence :2008/12/11(木) 02:40:35 ID:SPIb/JNo0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:F−3北部(山中)】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾0/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、投げナイフ2本、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。まず風子を保護。次にまーりゃんの介抱、然る後に椋の捜索】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。まーりゃんを連れて移動中。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)
(武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:2本)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン(34/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行。スク水の上に制服を着ている。気を失っている】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛。疲労困憊でしばらく行動不能】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、支給品一式】
【状態:死亡】

【その他:折り畳み自転車はE−4南部に放置】
→B-10

314 青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って :2008/12/14(日) 00:24:35 ID:6VzDB8HU0
 
青。
青の中にいる。
激しさを増す戦場を唐突に塗り替えた青一色の世界に、私はいた。

母が仕損じたのかと、思う。
水瀬秋子の目指す、世界の改変―――神と呼ばれる者の軛からの、解放。
青と赤、肯定と否定という概念の合一。
その均衡が崩れれば、どちらか一方の概念だけが溢れることもあるのかもしれない。

一瞬だけ過ぎったそんな考えを、だが、と思い直す。
だが、違う。この青は性質が違う。
この世界を満たす青はひどく、そう、澄んでいた。
私と同様に、或いはそれ以上に老いさらばえ、妄執に凝り固まったあの人が生じるのとは違う、
混じりけのない純粋な青。
それは、この世ならざるほどに迷いのない、肯定の意思だった。
生きる穢れ―――生まれ、衰えていく過程で生じる命の澱の一切を感じさせない、
こんなものを生み出せるような存在を、私は知らない。
だからこの世界、それを満たす青の根源が何であるのかを、私は考えないことにした。
重要なのは考えることではない、記憶すること―――見て、聞いて、感じて、それを引き継ぐこと。
私はもう、考えることに疲れ果てていた。
この、これまでに見たこともないような青の世界をどう利するかを考えるのは、母の役割だった。
あの人の計画が成功し、この歴史の向こう側へと道が開くのなら、それでいい。
それは同時に私の役割の終わりも意味しているのだから。
失敗し、次の世界が来るのなら、その時に伝えればいい。
どの道、今生ではもう会うこともないだろう。

そう考えて青の中、目を閉じる。
耳を澄ましても、何も聞こえない。
誰いもいない街を思い出す。
もう終わった世界の、誰かが造り、造った誰かはもういない街の静けさを、思い出す。

315 青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って :2008/12/14(日) 00:25:15 ID:6VzDB8HU0
世界の終わりを、私は知っている。
それは概念ではなく、哲学でもなく、文字通りの意味での、終焉だ。
世界は終わり、終わり続けている。
終わり、また始まって、終わっていく。
それは何度でも繰り返される、無限の輪環だった。

この戦い、沖木島で行われるこの殺戮はその端緒にして、閉幕の序曲だった。
何度も繰り返されてきた、この世界の終わりの始まり。
この殺戮の宴がそういうものであることを知っている人間は、もう殆ど残っていない。
そしてそれは同時に、この戦いの勝者が背負う二つの奇妙な呪いに関して知っている人間が、
もう私を含めて僅かに三人しか残っていないということを意味していた。

そう、この戦いの勝者は、とある役割を与えられる。
誰がそれを与えているのかは知れない。
与える誰かがいるとも、思えない。
水瀬秋子はそれを神と規定した。
私はそれを、システムと考えた。
いずれにせよ、それは選ばれるのだ。
何のことはない―――世界の終わりを見届ける、最後の一人に。

その時期自体に、数年単位の前後はあった。
そこに至る過程にも、様々な差異はあった。
だが、結末だけは変わらなかった。
この島で、この戦いが行われた直後―――世界は、例外なく滅亡する。
そして優勝者は、終わっていく世界の、最後の一人となるのだ。
誰もが死んでいく中で、何もかもが崩れ落ちていく中で、瞬く間に全てが滅びる中で、
たった一人生き延びてしまう、それは呪いだ。

呪い。
そうとでも呼ぶより他はない。
誰も彼もが死んでいく中で、誰も、何も、勝者を殺せない。
自分自身ですら、その命を絶つことが叶わない。
幸運という名の暴力が、その命と因果を、支配するのだ。
そうして選ばれた滅亡の見届け人は、世界に取り残される。
それは、絶望だ。
世界の最後の一人に選ばれる、それはつまり、永劫の苦悶だ。
誰もいない世界で、ただひとり生き続けることの恐怖。
希望を信じて、誰かを捜して、数十年を費やして自分を磨り減らしていく記憶だった。

灰色の静かな街に満ちる絶望を思い出す。
彼方の空に架かる虹の、誰とも分かち合えぬ美しさと哀しさを思い出す。
どこまでも広い空の色の中、秋の花の瑞々しい赤を思い出す。
そんな記憶を、思い出す。

316 青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って :2008/12/14(日) 00:25:50 ID:6VzDB8HU0
そうだ、私には思い出すことができる。
終わった世界の、終わった命の記憶を、私は持っているのだ。
それが勝者に与えられる、第二の呪いだった。
即ち、終わった世界の記憶を、次の世界に引き継ぐ力。

終わる世界は、滅びる世界は、何度でも始まり直す。
何度でも始まって、何度でも終わっていく。
そんな世界の中で、人もまた生まれ直し、生き直し、死に直っていく。
それはつまり、私もまた、幾度も生まれ直させられているということだった。
生まれ直した私は、前の世界の私の記憶を持っている。
苦悶も、絶望も、恐怖も、恐慌も、諦念も疑念も妄念も、何もかもを引き継いでいる。
永劫という檻の中で、私は、この戦いの勝者たちは、生きていた。

かつていた多くの勝者たち、終わる世界の記憶をもった彼らは、繰り返す歴史の中で
結束し、或いは反目しあいながら、磨耗していった。
何度でも生まれ直す彼らにとって死に意味はなく、それは生に終わりがないのと同義だった。
長すぎる生を倦み、厭い、磨り減っていく彼らは、この歴史の袋小路を超えようと足掻いた。
それぞれの方法で歴史の修正に挑んだ彼らの試みは、膨大な時間の中で繰り返された悪足掻きは、
端的に言って、その悉くが失敗に終わった。

幾度も失敗を繰り返し、幾度も死に、幾度も生まれ直す内、彼らは生きることが無駄と悟った。
そうして彼らは、生まれることを、やめていった。
無限の輪環の中、繰り返される死に意味はなく、しかし生は死を内包する。
生まれてしまえば死なざるを得ず、死ねばまた生まれ直してしまう。
故に彼らは、生まれてくること自体を、拒んだ。
その道筋も仕組みも、誰も知らない。
だが死と生の狭間にある、それが唯一の逃げ道だと、いつしか誰もが理解していた。
一人が減り、二人が欠けて、そうして気づけばいつの間にか残ったのは私と母と、もう一人だけになっていた。
あの自覚もなかった広瀬という少女のように誰も知らない勝者が存在している可能性はあったが、
少なくとも私たちの記憶の中に存在している者は、もう他にいない。
ここ何十度かの歴史では、私と母とで交互に優勝を繰り返していた。
これ以上の勝者を、呪いを増やさないための、それはひどく不毛な工作だった。

317 青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って :2008/12/14(日) 00:26:11 ID:6VzDB8HU0
目を開ける。
青は変わらず世界を包んでいて、こんな風に終わる世界なら、それもいいと、思った。
風のない、晴れた日の湖面のような穏やかな青に包まれて眠れるのなら、長い長い次の生も、
きっとそれほどには、疎ましく思わずに済むだろう。

そして何よりも、こんなに綺麗に世界が終わるなら。
あの人は、私の大切なあの人は、いま以上には壊れずに、今生を終えることができるのだから。
危機によってでなく、絶望によってでなく、眠るように終われる世界に救いなど、必要ない。
だからそんな世界の終わりには、救世主は現れない。
現れない救世主は、これ以上は、壊れない。

かつて救世主という概念であったもの。
無感情に世界を救うシステム。
世界の危機に、誰もが救いを求めるときに現れ、誰かを救い、救おうとして壊れていく、
些細な矛盾で破綻する、糸の切れた操り人形。
救いを求める者の前に現れて、壊れ。また現れて、壊れ。
壊れたまま何かを救おうと現れる、歯車の欠けたデウス・エクス・マキナ。
私の大切な人。

相沢祐一という名の少年は壊れずに、終われるのだ。
それは、幸福という言葉で言い表されるべき、空虚だ。

この青の終わりが世界の終わりであるのなら、どんなにか素晴らしいだろう。
これまで繰り返してきた中でも、極上の終焉だ。
そうであったなら。

―――どんなにか、素晴らしいだろう。

と、もう一度口の中で呟いて、私は深い溜息を吐いた。
見下ろす彼方に、光があった。
光の周りには、幾つかの影が動いている。
光の下に集まりつつある影は人の形をしていて、それはつまり、命が続いているということだった。
世界はまだ、終わりそうにない。
そんな諦念にすら、慣れきっていた。

318 青(5) いつか甘やかに優しい声で、おやすみと笑って :2008/12/14(日) 00:26:45 ID:6VzDB8HU0

【時間:???】
【場所:???】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

→676 1019 ルートD-5

319 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:15:44 ID:yYeAMwnw0
 
ただ、そこにいてほしかった。
いつまでも、いつまでも。


******

320 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:16:22 ID:yYeAMwnw0
 
みさきに初めて出会ったのは、いつの頃だっただろう。
初めてあの子と目を見交わしたとき、私はどんな風に思ったんだろう。
初めて言葉を交わしたときは、どんな話をしたんだっけ。
初めて握手したときは、どのくらい温かかったんだろう。
それはもう全部、思い出せないくらい、昔の話。

覚えているのは、楽しかった記憶だけだ。
日が暮れるまで辺りを駆け回って、日が暮れて暗くなってもまだまだ遊び足りなかった、あの頃。
道に迷って帰るのが遅れて、二人してすごく怒られて、わんわん泣いたこともあったっけ。
次の日にどっちが悪かったかで喧嘩して、もう口も聞かない、絶交だって言い合って。
その次の日には、もう何もなかったみたいに、一緒に遊んでた。
雨が降った日には家の中で絵を描いて、飽きて始めた何気ない落書きが楽しくなって、
部屋いっぱいに広がってまた怒られて。
ふたりで数え切れないくらい沢山の悪戯をして、毎日生まれてくる沢山の小さな秘密を共有して。
ただ、楽しかった。
ただ、幸せだった。

夏を思えば、夏が広がる。
蝉の声のうるさいくらいに響く中で、一本のアイスを両側から食べたのを思い出す。
帽子の形の日焼けが恥ずかしかったことを、振り回して怒られた花火の色を、思い出す。

冬を思えば、冬が広がった。
冷たくて赤くなった手を人の襟首に入れる悪戯が流行って、隙を狙う内に二人で風邪を引いたことを、
遊びで始めた雪合戦に本気になって、お互いに泣くまで雪玉をぶつけ合ったことを思い出す。

選挙のポスターに並ぶおじさんたちの顔に変なあだ名をつけて笑い合った通学路も、
鯉を釣ろうとして服を汚した緑色のドブ川も、全部がきらきら輝いてた。

あの事故があって、みさきの眼があんなことになって、それでも私たちは何も変わらなかった。
大人たちの態度が変わって、他の友達が離れていって、それでも何も、変わらなかった。
遊ぶ場所は少なくなって、遊びの内容は限られて、それでも、私たちはずっと一緒にいたんだ。
それで楽しかった。それで幸せだった。何も、何も、変わらなかった。

321 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:17:13 ID:yYeAMwnw0
それはただほんの少しだけ、みさきにはできないことが増えたっていうだけのこと。
みさきにできないほんの少しのことが、私はできたんだから、なら、何も変わる必要なんて、なかった。
ずっと一緒にいる私たちは、ほんの少しだけ助け合うことが増えたけれど。
ずっと一緒にいるのだから、それは変わることでも、何でもなかった。
みさきにできないほんの少しのことは、私が代わりにすればいいだけで。
だから戦うことや、ぶつかることや、誰かを嫌うことは、私が代わりに、引き受けた。
そうすれば変わらずにいられたのだから、それは当たり前のことだった。
それが、私たちの、深山雪見と川名みさきの、二人のかたちだった。

戦うことや、ぶつかることや、誰かを嫌うことは、深山雪見が引き受けた。
それはずっとずっと続く、二人の時間のかたち。
無理やりに連れて来られたこの島でも、それは変わらない。
私たちは、変わらない。

それは、些細なことだ。
私たちというかたちの、当たり前のことだ。
誰かと戦うのは深山雪見の役割だ。
誰かとぶつかるのは深山雪見の役割だ。
誰かを嫌って、誰かに拳を向けるのは、深山雪見が引き受けた。
それ以外の全部、楽しい時間の全部が、私たちの共有するたった一つのこと。

それで、幸福だった。
それが、幸福だった。
私の護る、それが全部だ。

だから。
それが失われることなんて、ありはしないんだ。
みさきが眠ってるんなら、起こしてあげなきゃいけなかった。
眼を覚まさないんなら、覚ましてあげる方法を見つけるのが、私の役割だった。
それは深山雪見にとっての当たり前で、だからそのために必要なら、私は何だってする。
何だって。
バカみたいだって言われても、奇跡を起こすパンを作ってもらうんだ。
その材料を集めるんだ。
誰とぶつかっても、誰を泣かせても。
そうしてみさきの目を覚ますんだ。

みさきは眠ってる。
山中の洞窟で私の帰りを待ってひとり、眠ってるんだから。
その眼を開けて、また楽しい時間が廻ってくるのを待ってるんだから。
ずっと、ずっと待ってるんだから。
私は、帰らなくちゃあ、いけないんだ。
そうだ、私はみさきのところに帰るんだ。

帰って、取り戻すんだ。
帰って、護るんだ。
帰って、手をつなぐんだ。
帰って、笑うんだ。
帰って、私たちは、私たちに、もう一度。

もう一度、

もう一度、

もう一度、



******

322 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:17:35 ID:yYeAMwnw0





******

323 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:17:56 ID:yYeAMwnw0
 
消えていく。
壊れたレコードのように繰り返される言の葉が、雑音に混じって消えていく。

それは人の在りようをかたちにしたような声。
それは自らを規定する意思。
それは、心。

消えていく心がその最後まで顕そうとしたかたちを、私は忘れない。
決して、忘れない。

あれは私だ。
この世界はまだ大切なものに満ちていると、何もなくなってなどいないと泣く、もうひとりの私の声だ。
足掻き、縋り、あり得べからざる真実の何もかもを切り伏せようと抗う、それは願いだ。
その願いを忘れるのなら、その想いのかたちを忘れてしまえるのなら、川澄舞は存在するに値しない。

私は私の前に示される想いの何もかもを、喪われゆくものの全部を背負おう。
背負い、踏みしめ、抗おう。
それが私だ。川澄舞だ。

ああ、ああ。
どうしてこんなにも大切なことを、今の今まで忘れていたのだろう。
立ち上がり、剣を取ろう。
黄金の野原を守り抜こう。
襲い来る魔物の名は喪失だ。
その爪に宿る毒の名は死だ。
その翼が孕む風の名は時間だ。

それが、何だというのだ。
私の名は川澄舞。
抗うものという、それが意味だ。

死が喪失を齎すのなら、私の剣は死を断とう。
時が喪失を運んでくるなら、私は時を切り伏せよう。

私が剣を取る限り、この黄金の野原から喪われるものの存在を、赦さない。
久遠に満たされ続ける、それが私の、川澄舞の守護する、黄金の世界だ。

立ち上がれと、私は私に命じる。
立ち上がり、取り戻せと。
取り戻し、守り抜けと。
守り抜き、久遠を約定せよと。
私は、川澄舞と呼ばれていた意志に、命じる。

目覚めよと。
たゆたう微睡みを貫いて、意志と意思とを以て目を開けよと。
命じる声に雑音はなく。


***

324 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:18:15 ID:yYeAMwnw0
 
目を開ければ、そこに幼い顔があった。

325 青(6) なくしたくない/なくしたくない :2008/12/20(土) 17:18:33 ID:yYeAMwnw0
 
【時間:???】
【場所:???】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:???】

深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:???】

少女
 【状態:???】

→822 1013 1019 ルートD-5

326 青(1224) 麗人 :2008/12/24(水) 21:51:08 ID:yoOBrf2E0
 
「これは……」

眼前に広がる光景に驚愕の色を隠せない蝉丸が、傍らに立つ光岡が、共に言葉を失う。

「麦……畑……?」

青一色の世界の中、黄金の光とも見まがう色の、それが正体であった。
さわ、と吹き抜ける風に、頭を垂れた麦の穂が揺れる。
それはまるで黄金の海に波濤の寄せては返すが如き、幻想の具現。
見上げた空は青く、だが先程まで世界を覆い尽くしていたような平坦な色ではない。
天頂の濃紺から地平の彼方の群青へと続く、それは正しく蒼穹の青である。

空があり、風が吹き、そして麦穂の揺れる黄金の海。
この上なく長閑な、平穏という言葉の顕現したような光景。
しかし唐突に戦場を覆い、何もかもを埋め尽くした青一色の世界の中にあっては、
彼岸の中にある此岸とでもいうべき、その長閑さこそが異様であった。

「何が起きるか見当がつかん、油断するな坂神」
「ああ、判っている……」

身構えながら慎重に辺りを見回す二人が、背を寄せ合うように動く。
死角を補い、状況の変化に迅速に対応するための陣容である。
と、

「む……?」
「どうした、坂神」

蝉丸の低い呟きに振り返った光岡が、思わず瞠目する。
その瞳に映っていたのは、あり得べからざる長閑さという異様を更に塗り替える、奇異であった。
想像の埒外とでもいうべきそれは、この青の世界で何度目かの絶句を、二人に齎していた。



 †  †  †  †  †

327 青(1224) 麗人 :2008/12/24(水) 21:51:35 ID:yoOBrf2E0
 
そこにあったのは、澄んだ瞳である。
遥かな海の底を思わせる、深い色の眼差し。
郷愁と共にこみ上げる感情の名を、光岡悟は知らぬ。
知らぬが、それは確かに光岡の胸に宿っていたものである。
何年も、否、それよりもずっと以前から抱き続けた、それは臓腑の底の焼け付く痛みのような、
或いは声の嗄れるまで叫びたくなる衝動のような、しかし同時にひどく神聖な光を放つ何かを
その内に抱くような、そんな感情である。

その瞳を覗き込むとき、光岡の胸に奔るのは衝動であった。
遮二無二掴み取り、引き裂いてその中にある脆く美しい何かを掻き抱いて眠りたくなるような衝動。
それを抑え続け、目を逸らすように生きてきたのが光岡悟の人生である。
だが今、その瞳はあまりにも近く、そしてあまりにも無防備にそこにあった。
手を伸ばせば届いてしまうほどに近く。
掻き抱けば容易く引き裂けてしまうほどに無防備に。
目を逸らせぬほどの、深さで。
知らず、その名を口にする。

「坂神……」

328 青(1224) 麗人 :2008/12/24(水) 21:52:11 ID:yoOBrf2E0
触れれば、熱い。
熱さは身を焦がし、心を焼き、光岡悟の自制を融かし尽くすだろう。
それが、怖い。
それは、怖い。
堪えてきたのだ。抑えてきたのだ。
そうしてここまで、築き上げたのだ。
離れることなく、歩み続けてきたのだ。
それを、壊すのか。
そんな声が、聞こえる。
それは、光岡悟という男の怯懦が発する声である。
惨めに震え、哀れを誘うように涙を流す、それは光岡の最も嫌う、しかし最も強く彼自身を縛る声であった。
声はいつも、光岡の衝動を冷ましていく。
求めようと伸ばされる手を、その涙の冷たさで抑え込んでしまう。
それを繰り返してきたのが光岡悟の人生で、いつだってそうしてきて、

「光岡……?」

しかし、今日の瞳は、近すぎた。
伸ばした手が、届いてしまうほどに。

329 青(1224) 麗人 :2008/12/24(水) 21:52:23 ID:yoOBrf2E0
「……騒ぐのだ、この胸が」

開いた口から漏れた声は冷静を装って。
しかし、隠し切れない想いの色が、顔を覗かせている。

「鎮まらんのだ、この鼓動が……坂神、貴様を見ているとな」
「光岡……」

何かを言おうとしたその乾いた唇に、指を添える。
触れた指の先に感じる熱が、鼓動を早めていく。
早まった鼓動が、指を伝ってその唇に何かを言付けてくれればいいと、思う。
言葉が、出てこない。

「―――」

言葉を発さぬ唇は役立たずで、そんな役に立たない唇は、きっともう一つの役割を望んでいる。
言葉の代わりに想いを伝える、そんな役割を。
深い色の瞳が、近づいてくる。
否―――近づいているのは、自分だ。
空と海との間に生まれたような、静かな瞳に吸い込まれるように、そっと唇を重ね―――

330 麗人 :2008/12/24(水) 21:56:06 ID:yoOBrf2E0
 
 †  †  †  †  † 






******


「―――という展開になったら、皆さぞかし驚くだろうね」

くるり、と椅子を回して後ろを振り返り、男が笑う。
視線の先には一人の少年が立っている。

「いえ、驚くとかの前に意味がわからないです」
「おや」
「だいたい二人きりって、砧夕霧はどこ行ったんですか」
「そりゃあ演出の都合ってもんだよ、細かいなあ滝沢君」
「先生が大雑把すぎるんです」

ぬけぬけと言い放った男の名を、竹林明秀。
一言の下に切って捨てた少年を、滝沢諒助という。

「はあ……そんなことだから超先生、なんて呼ばれるんですよ」

331 麗人 :2008/12/24(水) 21:56:37 ID:yoOBrf2E0
狭い部屋に嘆息が響く。
暗い室内には簡素な事務用の机と椅子が一脚。
机の上ではキーボードを照らすように小さなモニタが光を放っている。
沖木島の地下、遥かな深みに存在する一室の、それが全てであった。
元来はプログラム開催の為、各種施設を建造する際に築かれた物置の類である。
基礎部が完成し、上層に設備が整っていく内に忘れられたその空き部屋に目をつけた竹林が
密かに管制系統を引き込み、自身の私室として改造したそれを名付けて曰く、超先生神社という。

「いいじゃないか、超先生。なにせ超だぞ? スーパーだぞ? 君も尊崇を込めて呼びたまえ」
「はぁ……」
「しかし実際、すこぶる暇でね。こんな妄想くらいしかすることがないのだよ」
「死亡報告まで偽装して司令職から逃げてきたのは自分じゃないですか……。
 というか、ここ」

滝沢が覗き込んでいるのは、モニタに映る映像である。

「これ、どうなってるんです? 合成前のCGみたいなブルーバックですけど。
 カメラの故障……っていうには妙な感じですよね」
「私にも、たまには分からんことくらいある」
「……」
「……」
「聞いた俺がバカでした」
「うむ」

重々しい顔で深く頷く竹林に、滝沢がもう何度目かも分からない溜息をついて話題を変える。

「……そういえば真のRRの完成でしたっけ? 先生の目指してたあれはどうしたんですか」
「ああ、それなのだがね。聞いてくれたまえよ、まったく非道い話だ」

水を向けられた竹林が、これ幸いとばかりに語り始める。
適当に相槌を打つ滝沢の冷ややかな視線は特に気にした様子もない。

332 麗人 :2008/12/24(水) 21:57:02 ID:yoOBrf2E0
「命の炎を燃やした殺し合いの末に現れるという最後の玉を待つために仕方なくこんなところで
 油を売っているというのに、もう誰も当初の殺し合いなどには見向きもしていないじゃないか。
 首輪の爆破機能もいつの間にやら切られていて作動しないし、もう管制システムで動いているのは
 監視カメラくらいのものだよ。もうプログラムは滅茶苦茶だ。
 おまけに後任の司令はどいつもこいつも勝手なことばかりやって、挙句になんだね、あの巨大な怪物は。
 バトルロワイアルは怪獣退治じゃないんだぞ。かといって今更帰る場所のあるでもなし、
 戦いが落ち着くまではおちおち地上に出ることもできないときた。実際、私の計画では―――」

立て板に水の如く愚痴をこぼし続ける竹林の、いつ果てるともない憤りを止めたのは、

「―――あらあら、大変そうですわね」

ころころと鈴を転がすような、笑みを含んだ声である。

「うわあっ!?」

飛び上がったのは滝沢だった。
狭い室内のことである。
扉は一つ、その向こうには長い階段が伸びているだけ。
誰かが入ってくれば、気づかないはずはなかった。
それが、

「あらごめんなさい、驚かせてしまったかしら」

微笑んで言ってのけた声音の主の、弓のように細められた瞳が、至近にあった。
まるで、モニタの光を受けて背後に伸びた己の影が、人の肉を得たように。
その女は、いつの間にか狭い部屋の中に、存在していた。

「……、……っ!」
「おや、安宅君じゃないか」

言葉もなく口を開け閉めする滝沢をよそに、振り向いた竹林が小さく片手を上げる。
その表情に驚愕の色はない。

333 麗人 :2008/12/24(水) 21:57:19 ID:yoOBrf2E0
「久々だね。いつこっちに戻ってきたんだい」
「あら、先生ったら」

呼ばれた女性が、口元に手を当ててころころと笑う。

「安宅だなんて、随分と懐かしい名前で呼んでくださるんですね。
 若い頃を思い出してしまいますわ」

言って笑んだ、その切れ長の瞳からは薫り立つ蜜のような艶が滲んでいる。

「ん? ああ、これは失敬。今は何というんだい?」
「―――石原、と」

名乗った女に、竹林が何度も頷く。

「石原、石原君か。……そうか、しかしあの安宅君がね……時が経つのは早いものだなあ」
「長らくご無沙汰しておりました、竹林先生」

深々と、頭を下げる。

「……先生はこそばゆいな。今は私も軍属だよ」
「存じておりますわ、竹林司令」
「恥ずかしながら、そこには元、と付くがね」
「それも、存じております」

薄く笑んだまま居住まいを正した女が、

「本日ここへ足を運んだのは、他でもありません、先生。
 因と果の狭間を歪め、縁を捻じ曲げる呪い―――リアル・リアリティ。
 その当代随一の遣い手たる竹林明秀……いいえ、青紫先生のお力を、是非お借りしたく存じます」

忘れられた部屋で、忘れられた名を、口にした。

334 麗人 :2008/12/24(水) 21:57:36 ID:yoOBrf2E0

 【時間:2日目 AM11:40???】
 【場所:沖木島地下の超先生神社】

超先生
 【持ち物:12個の光の玉】
 【状態:よせやい】

滝沢諒助
 【状態:どうしたらいいんだ】

石原麗子
 【状態:???】

→408 533 1026 ルートD-5

335 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:01:00 ID:KVbDHXhE0
 芳野祐介の前では啖呵を切ったものの、こうして時間が経ってみると妹の死はあまりに大きいと霧島聖は思い知らされていた。
 もう妹の顔を見ることは出来ない。どんな表情も思い出の中にしか残っていない。
 もう、流しそうめんも出来ない……

 結局一目として会えず、その事実だけを確認した聖は胸の奥がぐっと縮んでいくのを知覚する。
 生きて帰ることが出来たとしても、家には一人。診療所で一人きりなのだ。
 そんな生活に耐えられるわけがない。何に生き甲斐を見出せばいいのか分かるはずもない。

 さりとてここで死ぬわけにもいかない。医者としての使命が生きろと急き立てる。
 まだ助けられる命があるのなら、そのために働けと叱咤の声を放っている。
 藤林杏の治療を終えたときの一ノ瀬ことみの顔を思い出す。
 また一緒にいられる、悲しみを抱え込まずに済んだと安心したことみの顔は本当に嬉しそうだった。

 ならば、このままでいい。霧島聖という人間の命は、そのためだけに使えばいい。
 家族も守れず、死に目にも会えなかった自分にはそれで十分に過ぎる。
 己の感情に背を向け、為すべきことを為すだけの人形となっていくのを認識しながら、聖は言葉を発する。

「ことみ君は何をしているんだ?」

 杏と芳野を見送った後、すぐに出発するかと思った聖だったが、ことみはデイパックの中のものと、地図を交互に見ながら唸っていた。
 今ことみが手に持っているのは何かのIDカード……『Gate 10』と書かれているものだ。
 呼ばれたことみは努めて冷静な顔で、地図上のとある地点を指差す。

「疑問があるんだけど……私達が最初に出てきた場所、つまりこの殺し合いについてのルールを説明された場所って、全部爆破されてるはずなんだけど……どうしてだと思う、先生?」
「何故、と言われてもな……都合が悪いからじゃないか? 例えば、奴らの基地に通じる道を塞ぐためとか」

 少なくとも、聖にはそう思えた。この島の表側にそれらしい施設がない以上、殺し合いを管理している連中がいるのは地下。
 ならばそこに通じる道を塞ぐのは常套手段と言える。
 しかしことみは「私はそうじゃないと思う」と首を振った。

336 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:01:20 ID:KVbDHXhE0
「私は、逆。寧ろ都合よくするために爆破したんじゃないかって思うの」
「……? よく、分からないが」
「もしそうなら、こんな杜撰な爆破の仕方で完全に道が塞がるわけはないと思うの。
 聖先生、ビルの爆破解体もそんなに大量の爆薬を仕掛けているわけじゃないってことは知ってるよね?
 あれも要所に適量の爆薬を仕掛けて、綺麗に崩れるようにセットしてあるだけだから……
 でも、ここの爆破の仕方は力任せに建物を吹き飛ばしただけ……
 多分、本当に道があるのだとしたら、隠したつもりでもどこからか見える可能性があるの。
 そもそも、ただ隠したいだけならここのエリアに入ったときに私達の首輪を爆破すればいいだけだし。
 わざわざこんな爆破はしないと思うの」

 なるほど、と聖は思う。よく考えれば聖が出発した直後の爆発は崩して隠すというより吹き飛ばして何もないように見せかける、というようにも見えた。ことみの言うとおり、何かを隠すためではなく、見つけさせるための爆破なのだとしたら……

「それと君の持っているカードが、関係してくるというわけか」
「さすが。いい勘してるの。私の推測が正しいなら、このカードは多分、どこかのスタート地点から地下に続く鍵なのかも」
「ふむ……って、待て」

 納得しかけて、聖は突っ込みを入れる。
 ことみは「???」とでも表現できそうなほどきょとんとした表情をしている。

「地下に続くって……そこには奴らの基地があるのかもしれんのだろう。どうしてそんなことを」
「うーん……これもほとんど思い込みかもしれないんだけど」

 ことみは一つ区切りを入れて、今までよりは自信なさげに続ける。

「これって、支給されたものの中では一番の大当たりの可能性があるの。
 デイパックに詰められないくらいの巨大な兵器とか、大量の銃火器とか。
 だからそれを渡すための場所として、この鍵を支給した。鍵にして渡したのには保険があると思うの。
 島の表層に武器を保管する場所があったら参加者の人たちに襲撃される恐れがあるし。
 もう一つ、大量に渡しすぎたら殺し合いが一方的になり過ぎる事があるかもしれないから、
 量を制限させるためにカードキー型にしたとか……」

337 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:01:42 ID:KVbDHXhE0
 そういうことかと聖は頷く。つまりこのカードキーは小切手のようなもので、指定された場所に行けば強力な武器を(選択して)得られるということか。デイパックを受け取ったときのようにカードキーを差したときにランダムで武器を仕舞っている棚が開くというシステムにすればバランスが崩壊することもない。考えたものだと思いながらも、それは殺し合いを開催した者が場慣れしていることも想像させた。
 もしかすると、以前にもこういうことがあったのではないかと思った聖の眉根に皺が寄る。
 生きることを見出せなくなっても、人の命を奪うことを許せない気持ちは依然としてある。それも、ただの享楽なのだとしたら尚更許せなかった。
 今まで脱出を一番に考えていた聖の頭が、主催者への怒りをも帯び始める。こんなことのために、妹は死んだのだとしたら……
 壊してやりたい、と聖は思った。主催者そのものではなく、殺し合いをゲームとして作り出し、今も世界のどこかに巣食っている反吐が出そうな、この悪しきシステムを。そのための力を、今蓄えつつあるのだから。

「……もしことみ君の推測が正しければ、私達も地下に潜れるかもしれない、ということだな?」
「うん。このカードキーがまだ使えるなら……って話になっちゃうけど、でも、使えるなら」

 そこで地図をひっくり返し、爆弾の文字をゆっくりとなぞることみ。その意味を、聖は既に理解していた。
 地下のどこかで爆弾を爆発させれば、主催者が殺し合いを管理している、コントロールルームまでの道が開けるかもしれない。
 そうでないにしても、ここから望みを繋いでいくことだって出来る。

 希望は潰えたわけじゃない。このシステムを壊せるかもしれないという可能性が、聖の意思に一つの火を灯した。
 もう自分に生きていけるだけの何かがあるかも分からない。見つけられず、ただ朽ちていくだけの人生かもしれない。

 しかしそれでも、ここには未来を望む何人もの人間がいる。人の死を見ながらも生きようとする魂がある。
 それを守り通したい。こんな馬鹿げた殺し合いを終わらせるために。忘れてはならない真実を伝えるために。
 たとえ人でなしの屑だとしても、それくらいの価値はあるだろう――聖はそれで締めくくって、内奥の熱を仕舞いこんだ。

「しかし、よくそんなことに気付けたな。地下に続く通路だなんて、例え憶測でも私には考えられなかった」

 カードキー一枚からそこまで考える事が出来ることみの頭脳の違いを思い知らされたような感じだった。
 ことみは照れたように頬を掻いて「それほどでもないの」と笑う。

338 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:02:04 ID:KVbDHXhE0
「だって、この島にカードキーを使うような施設なんてなさそうだったから。だから、地図に書かれてある施設じゃない。もっと高度な設備を擁するどこか……それを考えたら、自ずとこの結論にたどり着いたの。それに、ご丁寧にカードキーにヒントみたいなのが書かれてあるし」
「ゲートの10……か。ということは、1から9までもあるのかもしれないな」

 地下へ続く道があるのだとしたら、出入り口は一つだとは考えにくい。
 万が一事故……火災のようなことが起こった場合に備えて出口は複数作っておくのが常識だ。
 出入り口の全てがこの島に用意されているとは考えられないが、スタート地点が東西南北バラバラになっている……つまり、このカードキーを渡された人間が長距離を移動しなくてもいいよう、それぞれのスタート地点に最寄のゲートがある可能性は十分にある。
 だとするならば、同じスタート地点付近であるこの学校にもゲートがあるのかもしれない。

 けれどもこれは推測に過ぎない。よしんば当たっていたとしてもこちらの切り札である爆弾は完成さえしていない。
 現在芳野祐介と藤林杏の二人でロケット花火を捜索してもらっているが、こちらとしても軽油を見つけ出さなければならない。
 まだまだやるべきことは残っているということか。人手が足りない以上、自分達で動くしかない。
 忙しくなりそうだと思いながら、聖は苦笑交じりの息を漏らした。

「さて、どうする? このまま灯台に向かうのか」
「うん。私達の足だと結構時間がかかっちゃうけど……」
「足が欲しいところだな。車でもあればいいんだが」

 医者という仕事柄、いざというときのために車の免許は持っている。もっとも運転することは少なかったのでほぼペーパードライバー状態なのであるが、事故を起こすほど機械オンチではないという自負はある。なにせトラクターの修理をしたこともあるのだ。
 ともかく、車がなければどうにもならないことなので考えても仕方ないと思い、「まあ、歩いていくしかないだろう」と言う。

「うーん……」

 渋ることみ。どうやら現代っ子は運動をしたくないらしい。

「シャキッとしろ。肉がつくぞ、肉が」
「う……」

339 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:02:25 ID:KVbDHXhE0
 すごく嫌そうな顔で、「私は頭脳労働派なの……」とぶつぶつ言いながらも席を立つ。
 それには違いないとは聖も思うのだが、健康的な体を維持するのには運動が必須だという信条がある聖としては現代の運動不足症候群に対して激の一つでも飛ばしてやりたいという気持ちがあった。

 まあことみも十分に健康的かつ豊満な体ではあるのだが、と制服の下に隠れていても分かる、ふっくらとした胸の膨らみとくびれた腰つきを見て、聖は感嘆のため息を出す。同時に、そんなことを分析している自分がひどく親父臭いと思ってしまった。
 デイパックを抱えて、ことみが先に保健室を後にする。それに続いて聖も席を立ち、ぐるりと保健室を見渡した。

 まだ微かに残る懐かしいアルコールの匂い。白を基調とした清潔で落ち着いた(杏によってひどい有様ではあったが)室内。
 回転椅子。革張りのソファ。コチコチと神経質な音を立てている時計。棚にある様々な薬品。

 これまでの自分達を守ってくれた保健室という日常。自分はそこから乖離しながらも、これを望む人達のために戦う。
 覚えておこう、そう聖は思う。もうそこに自分の居場所はなくとも、覚えておきさえすればきっと目的を見失わずに済むだろうから。

 さよならだな。聖は呟きもせず、保健室に背を向ける。

 ガラガラと、白い室内は雨音を反響させるだけのオルゴールとなった。

     *     *     *

 雨粒が肌を打ち、水滴は雫となって流れ、やがて服に染み込む。
 早くも染みを服裾に作り始めて湿り気を帯び始めている。
 まだ気にはならないものの、気持ちが悪いことには変わりない。
 このごわごわとした感触の悪さは直りかけのかさぶたに似ている、と思った。

 自分が岡崎朋也という人を『男の子』として好きになったのはいつからだっただろうか。
 昔、自分と遊んでいたときから?
 図書館で再会して、一緒に行動するようになってから?

340 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:02:44 ID:KVbDHXhE0
 よく分かっていない。人が恋するのに理由がない、という理由がこういうことなのだろうかとも思う。
 ただ一つ明確なのは、もう朋也には二度と会えない。
 もう半分こすることも、もう綺麗なバイオリンの音を聞かせることも出来なくなってしまった、その事実だけだった。

 また、戻ってこない人ができてしまった。父や母と同じく、昨日までそこにあって、手の届く場所にいたのに。
 いつだってそうだ。己の臆病さとちょっとした我侭で、するりと手をすり抜けていってしまう。
 結局、人はいつでも後悔を続ける生き物だということか。朋也の死がじわじわと侵食していくのを感じながら、ことみは雨から顔を俯ける。

 けれどもまだ自分には失いたくない友達がいる。
 学校では変人と見られ、日常から乖離していた一ノ瀬ことみという子供の手を取って、引っ張ってくれたあの友人達を。
 古河渚、藤林杏、藤林椋。まだその人達がいる。

 杏とは既に再会し、お互いに健闘を誓って別れた。一時は元気を失いながらも、別れる前に言葉を交わしたとき常日頃の不敵さを取り戻していた。生き延びることを思って。また笑い合える日々が来ることを信じて。
 それが以前と同じでなかったとしても、まだ自分達は笑えるのだと確信している目を寄越していた。
 自分にそれが出来るかどうかは正直なところ、分からない。ただ一つ確かなことは渚や椋にも会いたい。故にこうして脱出のために動いているのだということだった。本当に、本当に皆が大切な友人なのだから……

「ことみ君、来てみろ」

 ことみの感傷を打ち切ったのは聖の明朗でさばさばとした声だった。
 雨に燻る景色の向こう、トタン屋根の下の駐輪場らしきところで手招きをしている。背後には何やら車輪らしきものも見えた。

 そうか、とことみは思った。自転車か。車よりは調達は簡単で移動距離もそこそこは早い。
 足は欲しいと言っていたから、きっと他に何かないか考えていたのだろう。
 そういう気の配り方は自分にはない。聖は先程感心していたが、ことみからすれば聖にこそ感心したいところだった。
 互いにないところを補い合う……こういうことが出来るのが仲間かと思いながら、ことみは聖に駆け寄る。

「見ろ。自転車だぞ。……二人乗り、だが」
「……え?」

341 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:03:09 ID:KVbDHXhE0
 聖がくいっと後ろの自転車を差す。
 そこにあったのは観光地か何かで見かけるような、サドルが二つついた妙に全長の長い自転車だった。
 知識としては知っていたのだが、実物を見るのはことみも初めてだった。

「本当なの。どうしてこんなのがあるのかな」
「さぁな……幸いにして、鍵はかかっていないようだが。ま、かかっていたとしてもブチ壊すがな」

 ニヤリと笑っている聖の手には、ベアークローが嵌められていた。
 医者の頭の良さそうなイメージは微塵も感じられない。世の中には体育会系の医者もいるんだなあと改めて納得することみ。
 きっとこの人の朝はラジオ体操とジョギングから始まるのだろうと思っていると、不意に聖が鋭い目を向けてきた。

「おい、なんだその筋肉を見るような目は。言っておくが私の朝は華麗だ。牛乳を飲むことから始まるんだからな」

 華麗……? と口を開きそうになったことみだったが、過去の経験が口を開いてはならないと警告を発していた。
 きっと聖の中では華麗のうちに入るのだろうと納得して、ことみはコクコクと頷いておくのだった。

「全く……さて、急ぐぞ。雨も降り始めていることだしな。道が悪くならないうちに一気に南まで行くか」

 ベアークローを仕舞い、ハンドルを引いて自転車を引っ張り出す聖。
 その背中を見ながら、ふとことみには疑問に思うことがあった。
 ここまで行動を共にしてくれている聖。常に側にいてくれているが、どうしてここまで一緒にいてくれたのだろうと思う。

 脱出の計画を練っているとはいえ、それは不完全なもので、自分に見切りをつけて妹を探しに行っても良かったのに。
 家族の大切さ、失ってしまってもう手が届かないところに行ってしまった喪失感を知っていることみにはそんな感想があった。
 今更言ってどうにかなるものではない。いや寧ろ言えば聖を傷つけてしまうだろう。
 しかしそれでも、家族を後回しに近い形にしてでも、自分といてくれた聖の心中はどんなものなのだろうか。
 尋ねてはいけないと思いながらも、気にならずにはいられなかった。

342 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:03:25 ID:KVbDHXhE0
 だが口を開いて訊くだけの資格なんてあるわけがないし、度胸のない自分には、まだ尋ねられない。
 人の気分を害することが怖くて、今の関係が崩れてしまうのが怖くて、踏み止まってしまう。
 何も変わっていない。父母を失い、朋也を失い、後悔してさえ自分は何も変わろうとしない。
 それでも、怖かった。恐怖は人を踏み止まらせる力がある。
 恐怖を乗り越えるには、自分の勇気などあまりにも小さすぎた。

「どうした、乗れ。もう用意はできたぞ」
「……う、うん」

 聖に促され、ことみは後部のサドルに座る。二人乗りの自転車は初めてだったが、とりあえず漕ぐタイミングを合わせなければならないとか、そういう面倒なものではなさそうだった。聖がペダルを漕ぎ始めるのに合わせて、ことみもペダルを漕ぎ出す。

 ゆっくりと、しかし徐々に自転車はスピードを上げていく。
 雨粒が流れ、景色の流れる速度が速くなっていく。
 予想外に早くなっていくスピードに戸惑いつつも、ことみは湿った肌に吹き付ける風を心地よいと感じていた。

 心にはまだ、溶け切らないしこりを残しながら……

343 Good-by And Farewell :2008/12/26(金) 22:03:44 ID:KVbDHXhE0
【時間:2日目午後19時10分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・校門前】

霧島聖
【持ち物:H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)、ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。医者として最後まで人を助けることを決意】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:爆弾の材料を探す。少々不安がある】

【その他:二人は二人乗り用の自転車に乗っています】
→B-10

344 名無しさん :2009/01/08(木) 00:49:31 ID:XEWQBKNo0

エディ「ジングルベール、ジングルベール♪」
浩之 「あー、だりぃ。クソだりぃ」
エディ「オォ? どうした、兄チャン。景気悪い顔してんナ、サンタサンからのオトシダマで機嫌を直セ!」
浩之 「あぁ。サンキュ」
郁未 「え、何。何ここっていうか、何これ」
エディ「ハッピーニュイヤー、イクミン!」
浩之 「よ、イクミン」
郁未 「イクミン言わないでよ、馴れ馴れしいわね。……で、何なのよ。これ」
エディ「だから、ハッピーニューイヤーなんダゼ!」
浩之 「今年は俺等が狩り出されたって訳だ」
郁未 「はぁ?」
エディ「ヘローゥ、エーブリワン! この度新年の挨拶ヲ任された、B-4代表のエディダゼ!」
浩之 「B-10代表、藤田浩之」
郁未 「ちょっと待って。ということは……D-5代表は、私ってこと?」
エディ「そういうことダゼ! よろしくイクミンッ!」
浩之 「だりぃから捲いて行くぞ、イクミン」
郁未 「ちょっと待って、ちょっと待って! お願いせめて打ち合わせぐらいしてくれてもいいんじゃないの?! ぶっちゃけ私、今回B-10代表かと思って……って、聞きなさいあんた達ー!!!」

345 名無しさん :2009/01/08(木) 00:50:17 ID:XEWQBKNo0
エディ「イェイイェイ! という訳で、始まりました座談会!」
浩之 「昨年は色々あったな」
郁未 「そうね、色々あったわね……ごめんなさい色々言いたいことはあるんだけど、混乱していて意見がまとまらないわ」
エディ「色々あったト言えば、浩之はドウヨ!」
浩之 「俺? ……そうだな、俺の担当するB-10は、何と昨年まとめサイトができたんだ」
エディ「オーウ! それは素晴らしいゼ!」
浩之 「だな。いつもお世話になってる。こういう時じゃないと言えないから、改めて言っとく」
郁未 「そうね。見ているだけでも、凄く楽しいものね」
エディ「また、B-10は現在残り26人、外部のほしのゆめみチャンを入れて27名と大行進!」
浩之 「昨年の外部含め51名からは着実に数を減らしてきたな」
郁未 「順調としか言えないわね。話も定期的に落としてもらえるからありがたいわ」
エディ「またB-10と言えバ、B-18のユキネェを彷彿させる凄腕のヒロインも生まれ大変なことになってるナ!」
浩之 「……あいつは、俺が止める」
エディ「キャー! 浩之カックイィ!」
郁未 「せいぜい足を掬われないようにしなさい」
浩之 「お前もな」
郁未 「……」
エディ「死んでるオレッチには関係ない話ダゼ! ちょっと寂しいゼ!」

346 名無しさん :2009/01/08(木) 00:50:57 ID:XEWQBKNo0
エディ「寂しいからオレッチの担当するB-4の話題でも振るゼ!」
浩之 「残り64人、外部6人で計70人」
郁未 「昨年は、残り72人だったらしいわ」
エディ「……1年で、2人シカ減ってナイってカ」
浩之 「終わってるな」
郁未 「終わってるわね」
エディ「面目ナイ。中の人に代わってオレッチが謝っとくゼ」
浩之 「主催描写無し、っていうか対主催も実質いないとかマジ無いよな」
郁未 「1年以上出番ないのもザラでしょ? 私とか。マジ無いわね」
エディ「ヤメテ! それ以上はオレッチの中の人の胃ガもたないんダゼ!!」
浩之 「何か語るにしても話題自体ができてないんだから、次行こうぜ次」
郁未 「来年はもっと進んでいることを期待するわ」
エディ「アウアウアウ……デモ今年はもうちょっとペース早めるって言ってたゼ。少しでも追いつけるよう頑張るゼッ」

347 名無しさん :2009/01/08(木) 00:51:21 ID:XEWQBKNo0
郁未 「次は私? えー、D-5は……」
エディ「規模が違いすぎるゼ」
浩之 「未知の世界もここまで行くと、新ジャンルだよな」
郁未 「あーもう、分かってるわよ! 私だって目の前のことで精一杯なんだからっ!」
エディ「D-5は現在残り29人、内4人は異次元で外部もモッサリダゼ」
浩之 「ん、昨年が31人だったから、こうやって見るとあんまり減ってないのか?」
郁未 「昨年は凸が忙しくて、他のに構ってる余裕なんかなかったのよ!」
エディ「モウ正規の参加者のカウント自体ガ無意味な気がするんダゼ!」
浩之 「あはははは」
郁未 「くそっ、あんた等他人事だと思って……」
エディ「他人事ダゼ」
浩之 「他人事だな」
郁未 「くきぃぃ! オッサンはともかくエピローグ行きが決まってるあんたは許せないぃぃ!」
エディ「……」
浩之 「これが勝ち組の余裕ってやつだな」

348 名無しさん :2009/01/08(木) 00:51:52 ID:XEWQBKNo0
エディ「という訳デ、振り返ってみていかがでしたデショウカ!」
浩之 「クソだるかった」
郁未 「帰っていいかしら」
エディ「アレ? 結構仲良くヤレていた気がしたのハ、オレッチだけだったんデショウカ」
浩之 「今更だよな。正月終わっちまったし」
郁未 「そうね。打ってる時点で0時を軽く回っちゃってて、間に合わないの分かってるのに。馬鹿みたい」
エディ「アウアウアウ、ソレは言っちゃ駄目なんダゼ……」
浩之 「こんな所より雑談所のクリスマス支援の方が格段に面白かったしな。めちゃくちゃ凝ってて驚いたぞ」
郁未 「そうそう。私なんか、気づいたの今年に入ってからなんだから! もう、motto☆派手に宣伝してくれればいいのに……っ」
エディ「ソウダナ。アレは凄かった。面白かった。オレッチ、感動した!」
浩之 「という訳で、このウインドウはさっさと閉じ至急クリスマス支援に行くこと」
郁未 「そして、その感想を書くこと!」
エディ「ヨオーシ、それじゃオレッチ達も「 3: 死亡したキャラでネタを作るスレ 」ニ行こうゼッ!!」
浩之 「あ? 俺は俺で行くからいいよ」
郁未 「私も。行きたい時に自分で行くからいいわ」
エディ「……」
浩之 「じゃあ、帰るわ。B-10代表、藤田浩之でしたっと」
郁未 「D-5代表、天沢郁未よ。それじゃあまた、本編で会いましょう」
エディ「……B-4代表、エディ。今欲しいのは、つるんでくれる相棒ダゼ……ソウイチィィィ!!!!」




藤田浩之
 【所持品:無し】
 【状態:ほら。俺ってば勝ち組だし?】

天沢郁未
 【所持品:ピクミン】
 【状態:今年はmotto☆派手に活躍してやるんだからっ】

エディ
 【所持品:無し】
 【状態:マイミク募集中】-


クリスマス支援、とにかくそのボリュームに驚きました。
キャラもめちゃくちゃ多くて、楽しかったです。
ハカロワ3好きにはたまらないネタもたくさんで、何でもっと早く気づかなかったのかと……そればかりです。
乙でした!

349 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 01:57:47 ID:OSmySDaI0
 空は灰色から、暗色の夜空へと入れ替わっていく段階だった。
 二度目の夜。何もかもを隠し通す漆黒の闇。
 吹き付けてくる風も肌寒く感じられる。

 いや、そう思うのは自分がまた冷えている心を自覚しているからなのかもしれない、とリサ=ヴィクセンは思った。
 命の価値。誠実に生きようとする栞の怒声の中身を、口中で繰り返す。
 自分はそれを分かろうとしていたことはあっただろうか。
 理解しようと努めたことはあっただろうか。

 ……ない、わね。

 命は道具で、自分は行使する器に過ぎず、何かを愉しむ感情でさえも目を逸らすための逃避の手段に過ぎなかった。
 両親を殺した篁への復讐という目的はあった。
 そのためにはどんな努力も惜しまず、どんな任務だろうと達成する鋼のような心もある。

 けれどもそれは、生きるためのなにかではない。そこに意義を見出せるなにかを、リサは持っていない。
 全てを達成し、野に放たれればどうすればいいのか分からないという確信はあった。
 何をすればいいのかも分からず、迷子になった子供のように呆然と突っ立っているだけの自分。
 しかしそれをどうするとも考えず、目の前の事態に対処することを優先して今まで行動してきた。
 逃げ続けている。今も昔も、子供のときから変わらず……
 考えるべきなのだろうか、と思う。生きる価値のある命。自分の命の意味。

 わたしは、どうしたいのか。

 簡単な問い。あまりにも単純すぎる問題だ。それ故に……胸を張って答えることは難しい。
 もう知っている。知ってはいるけれども、言葉に出来ないものがあった。
 鍵をかけてしまった己の扉は開く気配を見せず、しかし自分は鍵を取りに行くほどの度胸もない。
 要は怖いのだとリサは知覚する。想いを打ち明けて、最後には失われてしまうことが。

350 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 01:58:20 ID:OSmySDaI0
 距離を保つ術を覚えてしまったから、寄り掛かる術を忘れてしまったから、何も出来ない。
 ただ悲しみだけが恐怖として残り、トラウマとなって絡めとっている。
 そうして遠ざけ、復讐で己を縛り上げなければ生きてこられなかった自分。悲しいほどに弱々しい自分。

 或いは、こうしなければ自分は崩れて堕ちていたのかもしれない。
 両親を失い、誰に頼るところもなく己の力のみで生き抜くことを課した環境と、
 打ちのめされ、目に焼き付けられた力の倫理の前ではこうするしかなかったのかもしれない。

 それでももう今は違う。己を縛り上げずとも生きてゆける可能性は目の前にある。
 どんなにささやかで小さな可能性だとしても、掴める機会は巡ってきている。
 後はそれに手を伸ばせる勇気と、一歩を踏み出す度胸だけなのに。

「……まだ、無理なのかもね」

 心の中でさえ、望みを並べることは出来なかった。
 頭に思い浮かべる寸前、スイッチのようにぷつりと切れて途絶える。
 ただ怖いだけなのだ。未来を思い浮かべてしまうことでさえ。
 胸が締め上げられ、どうしようもない思いがリサの中身を滞らせる。こうして一人でいるから靄は晴れないのだろうか。
 自然と爪を唇が噛み、カリカリという細かな音をリズム良く奏でる。一種の暗示のようなものだった。
 この音を聞いていると、感情にノイズをかけて誤魔化すことが出来るから――

「済まない、待たせたね」

 ひとつの声が雑音の掛かり始めたリサの感情を霧散させる。緒方英二の声だった。
 いくらか荷物の増えたデイパックを背負いながら、振り向いたリサに微笑を見せる。
 栞の姿はない。どうしたのだろうかと尋ねる前に英二が先手を打って「顔を洗っている」と言った。

「気合を入れ直すらしい。僕に荷物整理を任せてすぐに出て行ったけど……まだ来てないようだね」
「迷子になっているのかもしれないわね?」
「そりゃ大変だ。じきにアナウンスが来るかもしれないな、灯台から」

351 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 01:58:38 ID:OSmySDaI0
 流石に冗談と分かっている英二は飄々とした様子でリサに返す。既に気持ちを切り替え、以前の彼に戻ったかのようだ。
 その表情からは、眼鏡の奥に秘めた鋭さを残す瞳からは、何も窺い知ることは出来ない。
 男は自らの意義を、存在を何かに仮託しようとする生き物だ。そう聞いたことがある。
 英二もそうなのだろうか。別の何かに自分の希望を重ね、そのためにただ尽くすと決めているのだろうか。
 いつまでも躊躇っている自分同様、宙ぶらりんに己をつるし上げたまま。

「訊いてもいいかな」

 微笑を含んだ顔のまま英二が言う。じっと見ている自分の何かに気付き、応えようとしたのかもしれない。
 ええ、と返したリサに「それじゃあ、少し長話といくか」と英二は煙草とマッチを取り出す。
 宿直室からくすねてきたのだろうか。「君は?」と煙草の一本を差し出す英二にリサは首を振る。

「煙草は吸わないの。健康に良くないしね」

 微笑を苦笑の形に変えた英二は、「道理でいい匂いがするわけだ」とさりげなく気障な台詞を言うと煙草に火をつける。
 紫煙をくゆらせ、実に美味そうに煙草を吸う姿は新鮮だった。「久しぶりでね」と満足そうな表情を浮かべる英二。
 つられるようにして、リサも初めて微笑を返した。
 もしこれが彼の狙いだったのだとしたら、相当なやり手だ、とリサは思う。会話する術を心得ている。
 だがそうではないのかもしれない。自分と同じく、そうすることしか出来ないのかもしれない。
 距離を測り、それに応じた会話を為すことは染み付いて離れないのかもしれない。

 それでも、とリサは思う。今自分が感じている心地よさの欠片は確かなものであり、嫌悪感はない。
 だから笑みを返すことが出来たのだろう。慣れてしまった大人同士、こういうのも悪くない……そう思った。

「栞君とは、いつから?」
「ここに来た当初からよ。今まで、ずっと一緒に」
「家族や友人……というわけでもなさそうだね?」
「……ええ。初対面よ、この島では」

 そうか、と英二は再び煙草に口をつける。紫煙の一部が風に乗ってこちらへと流れてくる。
 意外と悪い匂いではなかった。そういう種類もあるのね、と納得を得ているリサを正面に、英二が大きく息を吐いた。

352 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 01:58:55 ID:OSmySDaI0
「どうして一緒に行こうと?」
「お姉さんを探すためにね。……それに、あの笑顔を見たら、何だか置き去りに出来なくなって」

 前者の言葉だけで済ませておけばいいものを、何故かそんなことまで話していた。
 見ていてこちらが悲しくなってしまうほどの笑顔。悲壮な思いを秘めた笑顔がリサの脳裏に描き出される。
 何もかもを諦めたように、怯えを押し殺した笑みは昔の自分の姿と重なって……

「僕と似たようなものか」
「え?」
「僕が最初に行動していたひとも、そんな感じでね」

 思い出すように英二は呟く。その視線はどこか遠く、自分の過去でさえ他人のように見ている風だった。
 或いは、そうしなければ感情が溢れ出してしまうのかもしれない。そうすることでしか保てない後ろ暗さが感じられた。

「もっと話しておけば良かったな……分かってもいないことが、たくさんあったのに」
「……」

 英二がどんな経験をしてきたのかは、その言葉からは分かり得ない。ただ痛烈な後悔だけが滲み出ていた。
 人は、やはり言葉に出してでしか心の内を知る術はない。思っているだけでは、どんな想いも伝わらない。
 分かっている。だが……口にして出せない。自分は臆病に過ぎる。

「率直に聞くよ。リサ君は……栞君を失いたくはないんだろう?」

 無言でリサは答える。肯定しきることが怖く、否定しきることもしない。
 だが栞が他人なのかと言われれば、そうではない。少なくとも、そうではないと思ってはいる。

「それもまた答え、か。僕は男だからね……やり通すことしか知らない。たくさん仲間を失った。
 けど変えられない。大切な人を失ってでさえ、人は根幹から変わることなど出来はしない。……狂いでもしなければ。
 そして狂うことさえ僕には出来なかった。大人だからな。そんな選択肢なんて、とうに無かった。
 だから、今もただやり通す。それだけだ。そうすることでしか、僕は何かを伝える術を知らない」

353 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 01:59:11 ID:OSmySDaI0
 それが栞との対話で得た、英二の最終的な結論のようだった。
 踏み出すことを捨て、代わりに迷うこともなくなった男の姿だ。
 自分はどうなのだろうか。未だ肯定も否定も出来ない立場のまま、結論を先延ばしにしている。
 子供だということだろうか。あの日から途方に暮れたままの、リサ=ヴィクセンでなかったころのまま……

「少しでも何か思うところがあったのなら、考えていることの反対に立ってみてもいいんじゃないかな。
 そういう選択肢もまた、君には残されている。僕は捨てた。何も理解してなかったばかりに、ね」

 選択肢という言葉がリサの頭を揺らし、またひとつの波紋を生み出す。
 この人になら……そんな考えが浮かぶ。
 この人になら、救いを求めてもいいのではないだろうか。手を伸ばすための助言を与えてくれるのではないだろうか。
 まだ何も知らない自分の手を取って、支えてくれる。そうだと思える実感があった。

「……考えておくわ」

 思えただけで十分だった。だから今は、その返答だけでいい。英二もまた大きく頷いた。

「それがいい。考えられるだけで十分だ」

 言い終えると、すっかり短くなった煙草を地面に落として靴で踏み消す。
 すかさず二本目を取り出そうとした英二を、リサは苦笑交じりに「やめておいた方がいいんじゃない?」と止める。

「どうして」
「栞、来たわよ」

 指を差すリサに導かれるようにして後ろを振り向く英二。その先にはまさに灯台から出てくる美坂栞の姿があった。
 遠くからでも分かるような、張り詰めた栞の様子はまた彼女にも何かしらの化学変化を起こさせたようでもあった。
 それについて考えるのは後回しにして、とりあえずは英二を嗜めることに集中しようとリサは思った。

354 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 01:59:28 ID:OSmySDaI0
「歩き煙草はあまり良くないんじゃない?」
「……そのようだな」

 いくらか名残惜しそうに煙草のケースを見やると、マッチ箱と共にポケットの中へ押し込む。
 タイミングを同じくして、栞がこちらへと合流する。

「すみません、遅刻してしまって」
「そんなに待ったわけでもないわよ。それに……ね?」

 ウインクを寄越してみたが、英二は大袈裟な言い方をするなとでも言いたげに肩をすくめる。
 リサの含んだ物言いを怪しいと思ったのか、栞は「何かあったんですか?」と英二の方を問い詰める。

「いや、ただの世間話だよ」
「あら、私を口説いてきたくせに」
「口説いた……?」

 驚きを呆れを交えた栞は何やってるんですかと目を鋭くして凝視する。

「語弊のある言い方をするんじゃない。栞君も簡単に信じるな」
「私は眼中にない、と?」
「年下が好みなんですか、へー」
「いや、あのな」
「年下どころじゃないかもしれないわね……」
「ああ、そういうことなんですか、ふーん」
「話を飛躍させないでくれ……」

 反論にも疲れたという風に、ガックリと英二が肩を落とす。

355 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:00:02 ID:OSmySDaI0
「あはは、冗談ですってば。ね、リサさん」

 分かっていたという風に目配せしてきた栞に「ええ」とリサも同意する。
 本当はこんなつもりではなかったが、つい栞のノリが良かったので悪ふざけをしてしまった。
 このような一面があったのかと思いながら、これが栞本来の性格なのかもしれないとも考える。

 からかわれていたと分かった途端、英二は何とも言えないような表情になって「行こう」とため息を行進の合図にする。
 それが何故だか可笑しくなって、リサは声を噛み殺して笑う。
 同時に、やはりこの男とならやっていけそうだという思いが突き上げ、脳裏の靄を払うのを感じていた。

     *     *     *

「暇や」

 だらりとシートに身を預けている神尾晴子が唐突に言った。
 足をどかっと投げ出し、ぷらぷらと足先を揺らす姿は態度の悪い不良のようだった。
 もう晴子の身勝手さにも慣れている篠塚弥生は無視を決め込んでフロントガラスから見える景色に集中する。

「なぁ、ラジオとか音楽プレーヤーとかないんか」
「見れば分かるでしょう」
「……つまらん」

 車に対してではなく、からかい甲斐のない弥生の様子を見て晴子は言ったのだろう。
 はぁ、と落胆したため息が聞こえる。というより、わざとらしく大袈裟に息を漏らしていた。
 ここまで行動を共にして、弥生には一つ分かったことがあった。

 戦うパートナーとしては最適だが、人間として付き合うには最悪の相性だ。
 元々人間性の違いはあるとはいえ、改めて認識させられた感じだった。
 普段から冷静沈着に努めてはいる弥生だが、ここまで違うと笑えてくる。実際には笑えないが。
 対する晴子はイライラを募らせているようで、早く状況に進展はないかとギラついた目を動かしている。
 無闇に八つ当たりしてこないのはこんな晴子でも大人であるからか、それとも無駄だと分かりきっているからか。
 どちらにせよ相手をしないで済むだけありがたいことには違いない。

356 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:00:20 ID:OSmySDaI0
 大きな曲がり角を過ぎると、再び長い直線が景色となった。
 緩やかな下り坂になっているようで、遠目には目指す氷川村が小さな点となって見える。
 見晴らしのいい場所だ。よく見えるということは、相手からもよく見えるということでもある。
 狙撃されないように注意しなければと思いながら、弥生は少しスピードを上げる。

「ちょい待ち」

 が、そこで晴子がアクセルを握る弥生の腕を掴む。
 何事だと講義の視線を投げかけた弥生だが、「見てみ」と顎で斜め前方を示す。
 小高い丘の上、灯台の方から下るようにして何人かの人間が固まるように進んでいる。
 まだ遠いので正体は判別出来なかったが、どうやら灯台からどこかに向かっているようだ。
 相手側はこちらに気付いてはいないようで、見る素振りも見せなかった。

「どないすんや」

 VP70を手に持ち、攻撃的な雰囲気を漂わせ始めた晴子が意見を求めてくる。
 逃げ出すという選択肢は端からないのだろう。無論それは自分とて同じだが、手段を誤れば仕損じる。
 分かっているからこそ、晴子は意見を求めてきたのだろう。

「後を尾けましょう。ここで突っ込むには車は小回りが利きにく過ぎます」
「ちっ、バイクやと気にせえへんでええのにな……」

 意外とあっさり晴子が納得してくれたので、弥生は半ば拍子抜けする気分を味わった。
 文句の一つでも寄越してくるかと思い反論を用意していたのだが……
 そんな弥生の呆けた様子に気付いたか、晴子はふん、と鼻息も荒く言い放つ。

357 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:00:38 ID:OSmySDaI0
「勘違いせんでや。アンタがええ手を思いつかんなら、勝算はないて納得しただけや。
 アンタだって尻尾巻いて逃げる気なんてさらさらないんやろ? 目がそう言うとる」
「そう見えますか」
「見える。……癪やけどアンタの言う通り、『本質的には同じ』みたいやからな、ウチらは」

 以前に弥生が晴子に向けた言葉だった。
 疑問の返答をそれで締めくくると、晴子は黙って車の外へと視線を集中させ始めた。
 特に返す言葉もなかったので弥生も無言で晴子に続く。

 本質的には同じ……大切な人のためならどんな絵空事だって信じられる、どこまでも愚直な部分。
 最初からこのように人殺しに身を堕としていたわけでもない。人殺しがしたかったわけでもない。
 ただ愚直に過ぎた。そのひとのことを想って突き進んでいこうと欲した結果だ。
 退く事を知らず、省みる事を知らず、己の筋を通そうとしただけの自分達。
 肯定も否定もするまい、と弥生は思う。その方法さえ知らないのだから……

 気付くと、連中の姿は分岐点に差し掛かり、氷川村の方角へと足を向けているようだった。
 そろそろか、と弥生はハンドルを切り、アクセルを踏み出す。
 徐々に車の加速度が上がり、それなりのスピードを以って追走を始める。
 氷川村に入り始める頃が勝負か。弥生はそう目算をつける。
 建物を遮蔽物として使えるような場所であれば、小回りの利きにくい車でも有利に立ち回れる。
 彼らが入ったと同時、この車が出しうる最大速度で突っ込む。あわよくば轢き殺せる。
 次々と戦術を構築していく弥生に、横から晴子がひとつ声をかけてきた。

「任せるで」

 不敵な笑みを浮かべた晴子の表情は信頼さえ感じさせるものがあった。
 頷き返した弥生の頭にも、確かな自信が生まれてくる。
 本質を同じくする人間が二人。一方が大丈夫だと言えば、もう片方だってそう思えてくる。
 やはりこの女とならやっていけそうだ。ニヤリと笑った弥生のアクセルを踏み込む足の強さが大きくなった。

358 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:00:56 ID:OSmySDaI0
     *     *     *

 体の芯に熱が通る感覚。それまで搦め取られていたものを一切洗い流し、栞は久しぶりに清々とした気分を感じていた。
 もちろん、背負う重みがなくなったわけではない。誰かが死んでいくという事実の重さを忘れたわけではない。
 だがそれを分かってくれる人達がいる。自分だけが感じているのではない、全く同じ感覚を持ってくれる人がいる。
 例えその方法が自分と別物だったとしても、不器用に過ぎるようなものであっても、共に悩み、見出そうとしてくれている。

 だから自分は、力を用いようとすることが出来る。こうして銃を手にとって戦うことが出来る。
 共に歩み、正しい方向へと進んでいけると信じてゆけると思ったから……
 精一杯やり通す。もし非があれば仲間が頬を叩いてくれる。その権利は自分にもある。
 最終的な結論をその言葉にして、栞はこの世界へ戻ってきた。
 昔のように諦念に縛られた自分ではなく、新しいものを探し出そうとする自分を自覚し、今はこうして歩き続けている。

 氷川村はすぐそこに見える。なだらかな坂の下にいくつかの民家の屋根や畑が見える。
 診療所はどこだろうか。もっと奥にあるのか、それとももう見えているのだろうか。

 ふと栞は、これから先、薬を探す意味はあるのだろうかという考えにたどり着く。
 今の自分がただ元気だからという思いからではない。身体的にも、精神的にも今の自分には必要ないと思えたからだった。
 もちろん体の弱さまで克服されたとは思わない。それでも以前のように倒れることはないような気がしていた。
 絶望だけが今の自分ではない。希望や未来もまた自分の中にあると確信を得ることが出来たから。
 病は気から……そんな言葉が指し示すように。

 自分はなかなか死に切れない性質のようだ。カッターの傷跡を残す腕を見ながら、栞は苦笑する。
 とはいえ、まだどんなことになるかは分からない。
 万が一には備えておいた方がいいと判断した栞はあえて何も言わないことにした。

「それにしても、この雨は厄介だな」

 先頭を歩く英二が雨に濡れた髪をかき上げながら空を見上げる。
 鈍色の空からは絶えず雨粒が降り注いでおり、しばらくは降り続きそうな気配があった。

359 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:01:14 ID:OSmySDaI0
「どうしてですか?」
「眼鏡に雨粒がつく。見えにくくて仕方ない」
「……拭けばいいじゃないですか」

 この男、緒方英二と一緒に行動してきて、分かってきたことがある。
 普段の緩み具合が凄まじい。力を温存しているというと聞こえはいいが、実際は不精な人物だ。

 ……ひげ、剃っていませんし。

 そして今も「まあ別にいいか」と頭を掻きながら結局そのまま。
 天才プロデューサーというのは本当なのだろうかと思っていると、今度はリサが声をかけてきた。

「栞の方こそ大丈夫なの? 寒くない?」
「平気です。ストールを羽織っているので」

 ふぁさ、と愛用のストールの一部を広げてリサに見せる。体温が凝縮された温かさが僅かに漏れ、リサに伝わる。
 ふむ、と納得した様子のリサは「ならいいわ。でも寒かったら言ってね」と言葉を返した。

「リサさんはどうなんですか? その服、見ててあんまり温かそうに見えないですけど」

 逆に指摘してみたが、リサはニヤリと不敵に口もとを歪めると、

「現代の技術を甘く見ないことね。こんなのだけど保温性能は悪くないわ。まあ職場から支給の服なんだけど」

 と言って服をアピールしていた。どうやらお気に入りであるらしい。
 胸元は派手に開いているが、そこは寒くないのだろうか。
 質問しようと口を開きかけた栞だったが、何だか空しくなりそうだったのでやめることにした。

「ついでに解説すると、これには防水機能も――」

 更に続けようとしていたリサの口が不自然に途切れる。どうしたのだろうと声をかけてみようとしたが、憚られた。
 何故なら……

360 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:01:30 ID:OSmySDaI0
「英二。ちょっと止まって」
「どうした?」
「……何も言わずに、栞と先に行ってくれないかしら」

 リサの表情には、狼狽とも緊張ともつかぬ色が滲み出ていたからだった。常に余裕を崩さぬリサが見せる初めての表情。
 それだけで、この場にはとんでもない脅威が待ち構えているのではないかと栞に思わせるものがあった。
 けれども何も言わずに自分達を先に行かすなんて受け入れられない。
 せめてその理由を訊こうとリサに訊き返そうとしたときだった。

 どん、と何かが壊れるような音が響き、続けてぱん、と弾けるような音が聞こえた。

 同時、背中に巨大な圧力がかかりそれが栞の体を突き抜けていく。

 煽りを喰ったかのように、遠心力で栞の体が半回転し――自分が撃たれたのだと悟った。

「栞君っ!」

 べちゃりと水溜りに沈んだ栞へと英二が駆け寄って抱き起こす。遅れてくるようにして脇腹にじんとした痛みが巻き起こる。
 ぐっ、と悲鳴を堪え、意識を保つ。大丈夫だ、痛すぎるが致命傷ではない……そう判断した栞は首を縦に振った。
 一体誰が撃ったのか。まるで気付けなかった……敵を探ろうと視線を動かそうとしたが激痛で体が動かない。
 そうこうしているうちに体が持ち上げられ、宙に浮く感覚があった。
 英二が持ち上げているのだろう。待ってください、と栞は言おうとした。

 せめて援護をしなければ。まだ何の役にも立っていない。このときのための力を得たというのに。
 デイパックに手を伸ばそうにも痛さのあまりか、硬直したように固まって動かない。
 嫌だ、こんな形で、離れたくない――
 どこか遠くの方で怒声が聞こえたような気がしたが、その内容まで聞き取ることは、もう栞には出来なかった。

361 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:01:44 ID:OSmySDaI0
     *     *     *

 雨が降っている。
 悲しみを伝える雨だ。

 あの時は気付けようもなかった一つの事実。
 それが今、一つの結果として目の前に立ち塞がっている。
 その事すら分かりきったかのように、目の前の人物は冷然として無表情な瞳を向けていた。

「久しぶりだな」
「久しぶりね」

 喜びを分かち合うのでもなければ、懐かしむ声でもない。
 ただそれぞれに現実を認識し、引き返せないところまで来てしまったことを認識するものだった。
 どのような事があったのか、リサ=ヴィクセンには知りようもないし、答えてはくれまい。
 ただ思うのは、ここが正念場……ここで退いてしまえば、取り返しのつかない後悔をするだろうという予感と、
 倒すべき敵を眼前に見据えて、闘争心が猛り狂うのを感じていた。

「柳川祐也……」
「リサ=ヴィクセン……」

 お互いがその名を呼ぶ。恐らくは、別れの合図なのだろうとリサは思った。
 かつての仲間に対して。
 今の敵に対して。
 分かり合えぬ現実を目の前に。

 狐と、鬼が地面を蹴った。

362 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 02:02:05 ID:OSmySDaI0
時間:2日目午後20時00分頃】
【場所:I-7 氷川村入り口】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。栞に対して仲間以上の感情を抱いている。柳川に強い敵対意識】

美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、支給品一式】
【状態:脇腹に銃傷(命に別状は無い)。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】

緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集める。リサたちに同行。『大人』として最後まで行動する。栞を連れて逃走】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。また、有紀寧、初音、柳川の三人になるまで他全員を殺害し続ける】
【備考:柳川の首輪爆弾のカウントは残り22:00】


【場所:H-8】
【時間:二日目午後:20:00】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

【その他:弥生と晴子は乗用車に乗っています。ガソリンはほぼ満タン】
→B-10

363 萃まる夢、想い :2009/01/10(土) 13:16:16 ID:OSmySDaI0
申し訳ない、状態表に訂正を加えます

時間:2日目午後20時00分頃】
【場所:I-7 氷川村入り口】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。栞に対して仲間以上の感情を抱いている。柳川に強い敵対意識】

美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、何種類かの薬、支給品一式】
【状態:脇腹に銃傷(命に別状は無い)。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】

緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集める。リサたちに同行。『大人』として最後まで行動する。栞を連れて逃走】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。また、有紀寧、初音、柳川の三人になるまで他全員を殺害し続ける】
【備考:柳川の首輪爆弾のカウントは残り22:00】


【場所:H-8】
【時間:二日目午後:20:00】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう。氷川村に行く。英二、栞、リサを追跡中】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

【その他:弥生と晴子は乗用車に乗っています。ガソリンはほぼ満タン】

364 青(7) :2009/01/18(日) 22:46:19 ID:Khtiw9Rg0
『青(7) もし夢の終わりに、勇気を持って現実へと踏み出す者がいるとしたら、それは』

 
そこにあったのは、可憐な瞳である。
さやさやと風にそよぐ黄金の麦穂の海の中、じっと蝉丸と光岡を見つめているその瞳の色は、
遥か離れた場所からもそれと分かるほどに深く、重い。

麦穂の中から顔だけを出していたのは、幼い少女であった。
ふくよかな輪郭は紛れもない幼女のそれであったが、しかし超然と蝉丸たちを見つめる表情は
どこか遠い国の哲学者を思わせるように大人びた色を浮かべていて、黄金の海に浮かぶ夜闇の如き瞳と
その身体と表情とのアンバランスとが、何とも言えず奇妙な違和感を醸し出している。
或いは奇異な世界に現れた静穏の海という奇怪の中にあって、その奇妙な少女の在り様は
逆に自然とでも呼べるものであっただろうか。

「……―――」

遠く、黄金の波の向こうで少女が何事かを呟く。
爽々と麦穂をざわめかせる風にかき消されて、その声は蝉丸たちには届かない。

365 青(7) :2009/01/18(日) 22:47:01 ID:Khtiw9Rg0
「お前は―――」

問いかけようと蝉丸が口を開くと、一際強い風が吹き抜けた。
紡がれかけた問いが風に散らされていく。
尋ねるべきこと、問い質さねばならぬことは幾つもあった。
お前は誰だ。ここは何処だ。全体、何がどうなっている。
そんな問いの全てを遮るように風は吹き抜け、黄金の野原を揺らしていた。

『―――ここは、ぜんぶが終わった場所』

声が、聞こえた。
それは答えだった。
蝉丸の問いに応える、声。
声に出して問うてはいない。
疑念は言葉にならず、風に散らされて消えていった。
それでも、答えは返ってきた。

『何も始まらない時間。もう何も終わらない、何処にも続かない、そんなところ。
 あなたたちがいてはいけない世界』

幼いその声は、音ではない。
蝉丸の耳朶を震わせることのない、それはしかし言葉であり、声だった。
頭蓋に直接響くような、そんな声の持ち主はそれだけを言うと、ふい、と余所を向く。

「待て! ……いや、待ってくれ」

そのまま少女がどこかへ消えてしまいそうな、そんな根拠のない予感に衝き動かされるように、
蝉丸が慌ててその幼い横顔を呼び止める。

「俺たちは望んで此処に足を踏み入れたわけではない。
 元の場所に帰る方法を知っているのなら、教えてはくれないか」

風にかき消されぬように、一語づつに力を込めて言葉を発する。
その様子の何が可笑しかったのか、少女がくすりと笑った。
視線を蝉丸たちの方へと向ける。

『すぐに戻れるよ。この場所とあなたたちは、繋がっていなかったんだから。
 何かの間違いで開いた穴は、すぐに塞がってしまう。そういう風にできているんだよ。
 ……だからあなたも、後ろの人たちも心配しなくても、大丈夫』

366 青(7) :2009/01/18(日) 22:47:49 ID:Khtiw9Rg0
後ろ、と言われて初めて気づいたように、蝉丸が振り返る。
どこまでも広がるような黄金の麦畑の中、いつからそこにいたのだろうか。
怒っているような、不貞腐れているような、或いは長いこと会わなかった旧い恋人を見つめるような、
ひどく色々な感情の交じり合った顔で、女が二人、立っている。
その遥か向こうにも一つ、人影があった。

「天沢郁未と鹿沼葉子、あれは……水瀬名雪だろう。俺たちのすぐ後からここへ入ってきたようだ」

今更気づいたのか、と言わんばかりに光岡が口を添える。
近くに立つ郁未と葉子、不可視の力と呼ばれる異能を振るう二人の魔女は、同じ色の
深い感情に煙った瞳をこちらへと向けていた。
否、と蝉丸はしかし、すぐに己が認識を改める。
注がれる視線が向けられているのは、前方に立つ蝉丸たちへではなかった。
蝉丸と光岡を通り越した向こう、黄金の野原に顔だけを出していた、幼い少女。
その少女をこそ、二対の瞳は見つめているようだった。

「―――?」

向き直れば、しかしそこにはもう、誰もいない。
麦穂の間から顔だけを出していた少女は、目を離した隙に黄金の海へと潜ってしまったのだろうか、
ただ風にそよぐ波の如き金色の野原だけがそこにあった。

「……」

不可解だ、と蝉丸は思う。少女の存在や言動ではない。
あの幼い少女自身は確かにこの青一色の中に忽然と現れた黄金の麦畑という奇妙な場所に
在るべきものなのだと、そんな確信を抱かせるような雰囲気を纏っていた。
名画と呼ばれる絵のように、在るべき処に在るべきものがある、この場所と一体であるような、
そういう存在であるのだと思わせる何かを、少女はその一瞬の邂逅の中で垣間見せていた。
だが、そうであるならば。
天沢郁未は、鹿沼葉子は少女に何を見たのであったか。
少女の存在がこの場所と一体であるならば、二人は此処を知っていたのか。
この異変を、この奇妙を理解していたものであったか。
そうでないのならば、幼い少女にずっと以前からひどくよく知っていた誰かを見るような、
そんな視線を向けているのが、不可解であった。
初対面の誰かに向けられるものでは決してない、重く、薄暗く、どこか郷愁と悔恨とが
ない交ぜになったような色の瞳の不可解を蝉丸が思った、刹那。

『聞かせて、一つだけ―――あなたの、名前を』

367 青(7) :2009/01/18(日) 22:48:09 ID:Khtiw9Rg0
さわ、と吹く風に消えぬ、音ならぬ声。
天沢郁未の放つ、それは問いだった。
沈黙が、降りた。
風が金色の野の上を吹き過ぎていく。
長い、長い間を置いて。

『―――この島の』

声が、響いた。
少女は顔を出さない。
ただ風にそよぐ麦穂の向こうから、声だけが返ってきていた。

『この島の一番高いところ。ぜんぶが終わった後で―――待ってる』

それだけが、答えだった。
それきり少女の声は途絶え、再びの沈黙が降りた。

『……郁未さん、あの子供は』

暫くの後、声を発したのは鹿沼葉子である。
何かを気遣うような声音に、天沢郁未が首を振る。

『わかってる。あいつじゃない。わかってる。……だけど、同じ。あいつと、同じ匂いがした』
『そう……感じましたか』

言葉の意味は、蝉丸には判らない。
ただ消えた少女の纏っていた空気、異様の中にある自然とでもいうべき在り様が、
二人の知る誰かと似通っていたのだと、そう理解した。
と、

『―――風が、変わる』

呟かれるような声は、天沢郁未のものでも、鹿沼葉子のものでもない。
遠く、黄金の麦穂の海の向こうで、ぼんやりとあらぬ方を見つめていた女の声。
水瀬名雪。表情を隠すように長い髪を靡かせた女の、それが名であった。
ちらりと横目でこちらを見た名雪の瞳の、どんよりと澱の如き疲労と磨耗とを溜めたそれに
どこかで見覚えがあると蝉丸は思い、思い返し、思い出そうとして、

 ―――ああ、成程。

それが鏡に映る己が顔であると気づいた瞬間、ぐらりと世界が揺らいだ。



******

368 青(7) :2009/01/18(日) 22:48:47 ID:Khtiw9Rg0
 
 
何処までも続く麦畑。
風にそよぐ黄金の海には、もう誰もいない。
坂神蝉丸も、光岡悟も、砧夕霧も、天沢郁未も、鹿沼葉子も、水瀬名雪も、もういない。
誰もいなくなった麦畑の中心で、少女は一人、黄金の海に潜るように、座り込んでいる。

座り込んだ少女は、じっと何かを見詰めていた。
幼い少女の目の前に横たわる、それは白い裸身である。
女性であった。少女から女へと移り変わる途上にあるような、滑らかな曲線を描くその肢体は
石膏で型を取った像の如く、こ揺るぎもしない。
生きているのか死んでいるのかも判然とせぬその裸身をじっと見詰めながら、少女が静かに口を開いた。

「あたしは、あなた」

そっと手を伸ばし、仮面のように堅く目を閉じた顔に触れる。
愛でるように、懐かしむように、羽毛の風に揺れるが如く、そっと撫で上げながら、謡うように呟く。

「あなたの望むかたち。あなたのみる夢」

短い指が、裸身の髪を梳く。
肩口を越え背中に届こうかという長い髪は細く、まるで夜の内にそっと降り積もり、足跡もつかぬまま
朝の陽を浴びて煌く雪のように、白い。

「あたしは待ってる。ここで待ってる。夢から覚めたあなたが、いつかあたしに会いに来てくれる日を。
 ずっと、ずっと待ってるからね」

少女は知っている。
堅く閉じた瞼の向こうに、輝く瞳のあることを。
その目に意思を宿らせて、駆け抜ける道のあることを。

「だから、さよなら。あたしを生んだ、あたし」

微笑んだ、その眼前。
横たわる裸身が、静かにその色を失っていく。
白い髪が、緩やかな双丘が、黒く染まった腕の輪郭が、風に融けるように薄れ、そうして、消えた。

369 青(7) :2009/01/18(日) 22:49:09 ID:Khtiw9Rg0
「―――」

裸身が消えてからも、少女は暫くの間、じっと地面を見詰めていた。
佇む者はなく、訪れる者はなく、今度こそ本当に誰もいなくなったように思われた黄金の海の真ん中で、

『……で?』

少女は、問いかける。

『あなたは、どうするの?』

問うた声は、誰に向けられたものかも知れぬ。
見渡す限り人影はなく、見詰める視線の先にはただ黒い土壌だけがあった。

『……そう。なら……いってらっしゃい』

一人語りのように呟かれる、その言葉の消えるか否かの刹那。
ゆらり、と黄金の海に立ち昇る、陽炎の如き何かがあった。
立ち昇り、蒼穹と黄金との狭間に揺らめいたそれが、瞬く間に集まり、縒り合わさって容を成す。
それは、髪のようであった。長く美しい、女の髪。
そしてまた同時に、笑みのようでもあった。頬を吊り上げ牙を剥く、獣の笑み。
哂う女の如くにも、しなやかに美しい獣の如くにも映る影が、ほんの僅かの間を置いて、消えていく。

『―――さようなら』

言葉を最後に、世界が閉じた。



******

370 青(7) :2009/01/18(日) 22:49:30 ID:Khtiw9Rg0
 
 
時が再び―――動き出す。



******

371 青(7) :2009/01/18(日) 22:49:56 ID:Khtiw9Rg0
  
【時間:2日目 AM11:40】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:健康・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:???】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:???】


【時間:すでに終わっている】
【場所:約束の麦畑】

少女
 【状態:???】

→1019 1022 1026 1028 1029 ルートD-5

372 Silent noise :2009/01/20(火) 19:42:15 ID:3tXxynAs0
 燃え盛る炎は雨の中においても弱まることなく、天に届けとばかりに火の粉が吹き上がる。
 暗い山中においても尚赤い威容を示すホテル跡は、沖木島のキャンプファイアーであった。

 一方、雨に濡れながら見上げる影が一つ。
 泥の底を這いずり回った瞳と、不自然なほどに真っ直ぐな直線を描く唇。
 全身を赤黒い色に染める影の名前は、水瀬名雪だった。

 あれでは崩れ落ちるのも時間の問題か。名雪はそう判断してホテル跡に戻るという選択肢を捨てる。
 名雪が潜んでいるのはホテル跡から走って数分ほどの場所にある雑木林の一角だ。
 裏手側にある場所なので目立ちにくく、ブッシュなども多く隠れる場所としては絶好だった。

 当初名雪はここに潜み、勝利者が出てくるのを見計らってその人物を殺害するという計画を立てた。
 漁夫の利。言ってしまえばそういう作戦だ。名雪にとっては手段など関係はなく、結果こそが全て。
 人が死にさえすればどんな方法だろうが、どんなに時間がかかろうが同じことだった。
 故に崩落を始め、火があちこちに回っているホテル跡の惨状を見れば生存者などいないことは明白であり、
 拘る理由は既になくなっている。次の獲物を探してただ殺戮を続けるに徹する。それだけだった。

 立ち上がって歩き出そうとした名雪だったが、膝が揺れ、バランスを崩す。
 咄嗟に手をついて無様に転ぶという失態は犯さなかったものの、自身の異変を名雪は知覚する。
 力が入らない。試しに握り拳を作ってみるが、中途半端にしか握れず、握力を出し切れない。
 血が足りないのだ、と推測する。度重なる戦闘での出血は着実に名雪にダメージを蓄積させていた。

 改めて己の現状を観察する。破片弾によって負わされたかすり傷は無数。
 肩には銃傷がひとつ。ただし刀傷と合わさって傷口は広がり、酷い有様になっている。
 治療を施さなければ大事に至りそうな傷である。けれども名雪は心配することもなかった。
 全てが終われば、祐一が何とかしてくれる。祐一が労ってくれる。祐一が助けてくれる。
 盲目的な慕情を頼りに、何の根拠もなく名雪はそう結論付けた。

373 Silent noise :2009/01/20(火) 19:42:39 ID:3tXxynAs0
 名雪にとって、世界は『自分』と『祐一』の二つだけである。
 自分にないものは祐一が持っていて、祐一のないものは自分が持っている。
 まるで兄妹のように。まるでアダムとイヴのように。
 それ以外はそれ以外でしかなく、自分の何になることもない。ただのモノでしかない。

 理屈も論理もない、あまりに夢想に過ぎる思考。狂気というには程遠く、無心というにも当てはまらない。
 唯一近しいというなら、それは『純化』という言葉だろうか。
 正と負。白と黒。まじりけのないモノと染まりきってしまったモノ。
 二極化することで名雪はこれ以上にない純粋を手に入れたのだ。
 恐怖と安楽の狭間で、現実と過去の間で、導き出した結論がこれだった。

 話を戻そう。
 くい、と服の袖を捲くり、他の傷の具合も確認する。裂傷は既にかさぶたを作ることで怪我に対応している。
 深く切り裂かれたわけでもなく、放置してもこちらは支障なさそうだと考え、目下の問題は肩だけだと判断。
 医療器具はない。探す必要性を頭の隅に置き、デイパックから水を取り出すと一気に傷口へとかける。
 僅かに目の端が歪み、痛みを表す表情を示したが作業は止めない。止める理由がないからだ。

 ペットボトルの中身がなくなるまで水をかけ続け、気休め程度の消毒を完了する。
 依然として刺さるような痛みは継続していたが、それだけだ。決定的な行動不能の要因にはならない。
 軽く腕を動かし、どの程度まで動くか実験。痛みの限界まで腕を動かし、
 関節技でも極められなければ問題はないレベルだとして頭に留めておく。

 続いてデイパックから食料として残っていたパンを出し口に放り込む。
 雨に濡れ、ところどころふやけていたパンの味は語るまでもない。けれども名雪は黙々と食べ続ける。
 少しでも血として、肉として吸収し後のために生かす。食べ物に関して、名雪の思考はその程度しかなかった。

「……イチゴサンデー」

 いや、例外はあった。大好物だった洋菓子の名をぽつりと漏らし、再びパンを口に含む。
 暗示のつもりだったが、効果があるわけもなく味は変わらず仕舞い。
 どんなに感情をなくそうと、味覚は変わらない。変わるわけがない。
 けれども暗示に失敗したことすら名雪は何も感じない。ただ失敗に終わったその事実だけを認識して、
 もう二度と洋菓子の名前を呼ぶこともしなくなった。

374 Silent noise :2009/01/20(火) 19:43:03 ID:3tXxynAs0
     *     *     *

 デイパックの中のパンがなくなるまで食べた名雪は、再度握り拳を作る。
 今度は指の先まで力が伝わり、一応の元気を取り戻したことを伝える。
 戦闘は可能になったことを頭に入れ、次に装備品の二丁の拳銃を取り出す。

 ジェリコ941と、ワルサーP38アンクルモデル。だが両方共に弾倉は0本であり、
 ジェリコに至っては弾薬がフルロードされてすらいない。ここから戦い抜くには少々戦力不足の面があった。
 だからこそ、武器を増やしに掛かるべく漁夫の利を狙ってホテル跡の裏側に潜んでいたのだが。
 崩落してしまっては奪うどころか、回収することも難しく。まずは他の連中から武器を奪取することを考える。

 殺傷能力の高い武器が欲しい。拳銃の弾倉が手っ取り早く、重量的にも楽ではある。
 だが取らぬ狸の皮算用だとして、一時武器に関しての思考を中断する。今考えるべきは戦術だ。
 拳銃の残弾から言えば相手に出来るのは精々が二人、それも自身の具合からみれば短期決戦が望ましい。
 それも敵の不意をつけるような、奇襲作戦を用いるのがよい。正面からの攻撃策は捨てる。

 ならば、家屋の中にいる連中を狙うのがいい。
 遮蔽物も多く、身を隠しながら狙い撃ちできる利点がある。
 問題は一気に仕留められるかという点だ。遮蔽物が利するのは自分だけではない。
 下手を打てば逃げ延びられる可能性があり、武器の奪取が出来なくなるかもしれない。
 確実に殺人は遂行しなければならない。全ては祐一のため。祐一と自分の世界のため。

 名雪は考える。他に作戦はないか。この作戦に、もっと何かを加えられないか。
 己の知識を総動員し、不意をつく方法を思案する。
 何分かの逡巡の後、いくつかアイデアは浮かんだ。ただ、いずれも確実性には欠ける。

375 Silent noise :2009/01/20(火) 19:43:21 ID:3tXxynAs0
 まず、建物から出てきたところを狙い撃ちにするという作戦。先の作戦の延長上にあるもので、
 建物から出てきて、さあ行こうという連中の心の隙をついた作戦だ。
 複数でいる場合も固まって行動しているはずなので上手くいけば数秒で決着がつく。
 難点は外してしまったときで、屋内での奇襲に失敗したときにより逃げられやすくなるということ。
 ハイリスクハイリターン。起死回生の一手ともいうべき策であり、安易に実行するには難がある。

 もうひとつの作戦は他者との出会い頭を叩くというもの。
 戦闘を行うにしろ会話するにしろ、何らかのアクションはあり周囲への警戒は薄れる。
 その間隙を狙って奇襲を仕掛けるというものだ。
 こちらはさほど難点はない。奇襲を仕掛けることにより場の混乱が狙える上、
 接触したもの同士の共食いを誘発できるかもしれない。
 そこで上手く立ち回り、武器を奪取しつつ殲滅すればいい。

 こちらの問題点は上手く尾行できるかという点。レーダーのなくなった今、完璧に尾行出来るか分からない。
 やるからには必ず殺さなければならない。気付かれて逃げられるのだけは阻止せねばならない。
 幸いにして、今は雨だ。尾けるには最適の条件下とは言える。実行するには今がその時だ。
 空を見上げ、雨粒の量を調べてみる。強い雨足ではないものの、長く続きそうな天候だ。

 やや考え、取り敢えずは優先順位を決めることにする。
 尾行、建物内での奇襲、建物外の奇襲、という順番で策を実行することにしよう。
 想像を働かせ、己の中で成功率が高いと決めた順である。
 頭の中でのシミュレートではあるが、間違いはないはずだ。
 そして決めたからには、ただ実行するのみ。

 名雪はそれで思考を打ち切ると、標的を探す機械となって山を下り始める。
 一歩ごとにべちゃべちゃと靴が泥で汚れる。
 枝に軽く引っかかり、服に軽い傷ができる。
 けれどもまるで意に介することもなく、さながら戦車のようにずんずんと進む名雪。
 その先にはただひとつの純然とした、どんな我侭よりも傲慢な願いがあった。

376 Silent noise :2009/01/20(火) 19:43:36 ID:3tXxynAs0
 全て殺して。
 全て奪って。

 何にも邪魔させない。
 何にも止められはしない。

 わたしは祐一とだけいられればいい。
 祐一もわたしを強く望んでいるはずだから。

 そう。

 そうだよね?

 待っててくれてるよね?
 わたし、すぐに行くから。
 今度はわざとじゃないよ。
 もうおかえしはしたもんね。

 昔はわたしが。

 今は祐一が。

 ずっと雪の中で待たせるゲームはもうおしまい。
 終わったから、もう何もないよ。
 迎えにいくだけだから。
 だから、一緒に、ふたりでかえろう?

 ね、祐一?

377 Silent noise :2009/01/20(火) 19:44:04 ID:3tXxynAs0
【時間:二日目午後20:30】
【場所:F-4 山中】


水瀬名雪
【持ち物:薙刀、ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾10/14)、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(銃弾により悪化)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

→B-10

378 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:46:49 ID:3tXxynAs0
 また……間に合わなかった。

 藤林椋によって投げつけられた火炎瓶の、未だにある炎の残滓を支給品の水で消しつつ、
 藤田浩之は己の胸がずきりと痛むのを感じていた。

 敵はあまりに狡猾だった。だがそれが全てではない。
 おれは遅すぎたんだ。気付くのが……人の中に潜むものに、あまりにも気付かなさ過ぎた。
 悪意だけではなく、善意も。

 椋の狂気に気付けなかったのも自分なら、みさきの不安げな声を気のせいだと目を逸らしたのも自分。
 人の心の中を探ることに、あまりにも臆病であり過ぎた。
 疑うこと自体は決して悪いことじゃない。人の心を知ろうとする行為にしか過ぎない。
 知って、それからどうするかというのはあくまで自分次第。善悪は疑うことで決まるものではない。

 自分はそこにさえたどり着いていなかった。人を疑って、疑心暗鬼になりたくないあまりに、
 信じるという言葉に逃げてしまっていたのだ。それは高尚な行為でもなんでもない、ただの無関心だというのに。
 かったりぃ、昔からこう言って無関心でありすぎた、そのツケが回ってきたということか。

 だが、と浩之は思う。
 今はこうして、ひとりのひとを救えた。
 部屋の隅で体育座りになっている姫百合瑠璃を見る。
 膝に顔を埋め、何も言葉を発しようとせず彼女はうずくまっている。
 当然だ。最愛にしてかけがえのない家族を目の前で失ったのだから。
 彼女の心中に宿る空虚、絶望はどれほどのものか分かりもしないし、完全に理解は出来ないだろう。

 けれどもこうして命を保っている。どんな形であれ、おれにはまだ守れるものがある。
 このままでいいとは微塵も思わない。彼女の心の傷を、少しでも癒してあげたいと浩之は強く思う。
 元の瑠璃に戻れるかは分からない。自分同様、死に慣れてしまい人形になってしまうかもしれない。
 それでもおれは僅かな希望だって持っている。願いの欠片に従って、まだ人間の形を残している。
 こんなに残酷な現実を見てさえ、人はまだ新しい希望を持てるんだ。それを伝えたかった。

379 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:47:12 ID:3tXxynAs0
 最後の火を消すと、家の中はほの暗さに包まれる。
 すっかり日は落ちて、代わりにさあさあとした音を響かせている。
 雨が降り始めたのかと思いながら、浩之は残されたデイパックを漁り、缶詰を取り出す。
 ついで適当に台所を調べ缶切りを発見すると器用に、手際よく、缶詰を開けてゆく。ちなみに中身は桃缶だ。

 半分ほど開けたところで桃缶の中身が顔を出し、白く艶々とした実が甘い芳香をふわりと漂わせる。
 美味しそうだと思った瞬間、ぐうと低い唸り声が聞こえてきた。
 どうやらこんな状況でも腹は空くらしいと苦笑した浩之は誘惑を振り切り一気に桃缶を開けた。
 それと戸棚からフォークの一本を拝借し、桃のひとつに突き刺す。
 桃に深々と刺さったフォークを見て、やはり美味しそうだと思いながら、浩之は瑠璃の元まで寄った。

「瑠璃」
「……」

 呼びかけに反応してか、瑠璃が顔を上げる。意外なことに、その目は虚ろではなかった。
 ただ困っていた。どうしようもなく、途方に暮れた顔だった。
 うずくまっている間に何を考え、どういう結論を得たのか。予想はしても、分かりっこない。
 浩之は訊こうとして、だがおれに出来るのかと逡巡する。

 どういう訊き方をすればいい? 訊いて、どういう言葉を返せばいい?
 自分は情けないくらいに鈍感で不器用だ。希望を見出させるような……あかりや、みさきになれるのだろうか。
 立ち止まりかけて、それでも一歩踏み出そうと浩之は思った。

 ここで止まってしまえば、真っ暗闇の虚無が二人を隔て、二度と近づけぬようになってしまうかもしれない。
 終わりにはしたくない。夕焼けだって見ていないじゃないか。
 まだおれたちは本当の夜明けさえ知らないんだ。見ないままに、分かたれてしまうなんて寂し過ぎる。
 震える心を懸命に堪え、とにかく唇を動かすことにした。

380 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:47:35 ID:3tXxynAs0
「……桃、食べないか?」

 フォークに刺さったままの桃を瑠璃に差し出す。瑠璃は表情を変えないまま、「うん」と言って受け取る。
 そっ、と桃を受け取る手はひどく小さいように感じられた。

「さんちゃん……きっと嫌な予感がしてたんや……だから、これを渡してくれた」

 缶を受け取ったのとは反対の手で、瑠璃が長方形の箱を取り出す。
 金属製のそれは、恐らくはハードディスクなのだろう。殺し合いを、壊す可能性を含んだ箱。
 桃と交換するように瑠璃は差し出す。浩之は優しく、壊れ物を扱う手で受け取る。

 珊瑚は死ぬ直前まで作業していたのだろうか、それとも瑠璃の体温が残っているのか、
 ハードディスクはほの温かかった。いや、きっと両方なのだろうと浩之は思う。
 命を懸けてまで、残した命の形。
 だが無言でしか応えてくれない機械のそれに、浩之は言いようのない悲しさを覚える。

 お前は、こんな形でしか自分の価値を見出せなかったのか?
 そんなことはない、そんなことはないんだ。
 けれどもその言葉は伝えられない、永遠に……

 胸の内に言葉が込み上げる寸前、「美味しいなぁ、これ……」という瑠璃の言葉が耳朶を打ち、
 浩之の言いようの無い思いをかき消した。見ると、瑠璃は相変わらずの困ったような表情だった。

「こんなに悲しいのに、苦しいのに、つらいのに……美味しいものを美味しいって思える……」
「瑠璃……」

 悲しい、苦しい、つらい――言葉を紡ぐ度に瑠璃の顔は壊れそうになり、
 だが何とか押さえ込んでいるようだった。押し隠すようにして。
 疑え、と心の中の己が言っている。疑って、疑って、人の心を知れ。

381 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:48:03 ID:3tXxynAs0
「生きてる、からだろ」

 波紋を呼ぶように、波を立てるように言葉の石を投じる。
 伝わるように、伝えられるように。

「まだ瑠璃は死んじゃいないし、おれも死んで欲しくない。これ以上誰かがいなくなるのは……つらい」

 死に慣れきってしまいながらも、仕方ないんだという一言で済ませたくない気持ちは確かにあった。
 分かったようなふりをして無関心であることの恐ろしさをも知ってしまったからだ。
 それだけではなく、奥底に眠る己の残滓が人間であることを強要させる。
 あかりの声が、みさきの声が、友人達の声が残酷なまでに人間でいさせようとする。
 逃げることを許させない、厳しくも優しすぎる過去が自分を搦めとり、縛り上げていた。

「分かってんねや……浩之も、さんちゃんも、ウチを死なせとうなくて、こうして、助けて……」

 搾り出した声は苦痛に満ちていて、一言一言が瑠璃自身を締め付けているようだった。
 もしかして、と浩之は思う。とっくの昔に気付いていたのではないだろうか。

 珊瑚が意思して瑠璃を苦しめるはずなどない。瑠璃もこうなろうとしたわけではない。
 二人が互いに己の筋を通そうとし、結果として珊瑚が先に筋を通した。
 そして瑠璃は、筋を通せる相手を失ってしまった。

 命を懸けて、大切な家族を守り通すという筋を。悪意などひとつもない、家族を愛するが故の行動だ。
 それが分かっているからこそ、瑠璃は自分に嫌悪しきることも出来ず絶望しきることも出来ない。
 宙ぶらりんに己の約束をつるし上げたまま、先を越された空白感だけが満たされている。
 人形だ。今の瑠璃は、同じ人形だ。尽くすべき主人を失い、だらりと腕を下げた抜け殻でしかない。
 僅かに残る人の思い出を頼りに動いているに過ぎない、哀れな残骸……

 なら、おれが、おれがするべきことは――

382 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:48:33 ID:3tXxynAs0
「でも、一人ぼっちなんや。誰もいなくなってもうて、もうウチ、どないしてええか分からへん」
「……あるさ」

 熱に浮かされたように、浩之はゆっくりと動き瑠璃と同じ視線に移動する。
 座り込んだままの瑠璃の真正面に体を落とし、互いの息がかかりそうなところまで顔を近づける。

 そうだ。お互いに人形であるなら、こうすればいい。
 じっと見据えた先にある瑠璃の瞳は急接近した浩之に動揺し、困惑の色を浮かべていた。

 口を小さくぱくぱくと動かし、けれども何の言葉も持てないまま幼子のようにじっとしている。
 ずっと膝に顔をうずめていたからか、どことなく頬は上気したように赤い。
 永遠とも須臾とも言えぬ間浩之はじっと見つめ――ひとつ行動を起こした。

「ん……っ!?」

 瑠璃に身体を重ねるようにし唇を塞ぐ。
 桃缶がカシャンと音を立てて落ち、汁が足に付着する感触があったが、関係なかった。
 柔らかな瑠璃の唇をついばむようにして貪る。

 最初こそ身を硬くしていた瑠璃だったが、次第に力を抜き浩之に委ねてくるようにしてくる。
 肯定の意思と受け取った浩之は一度唇を離すと、両の手で瑠璃の頬を、髪を慈しむように撫でる。
 温かい。熱を帯びて頬を赤くしている瑠璃を可愛らしい、と思いつつ顔への愛撫を続ける。

「浩之……ええの?」
「……何がだよ」

 行為を受け入れながらも、まだ困惑を残している瑠璃に浩之は出来るだけ、内心の緊張を抑えつつ返す。
 実のところ頭が沸騰しきっていて、キスをしていたという実感がない。
 身体は今にも震えそうで、心臓は今にも破裂しそうな程鼓動を強めている。
 それに、潤んだ瑠璃の瞳を見れば……緊張しない方がおかしい。
 戸惑いを残したままの瑠璃が、視線を揺らしながら口を開く。

383 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:48:54 ID:3tXxynAs0
「だって、浩之はみさきさんが」
「違う」

 それは、違う。もう一度そう言って、浩之は額を瑠璃の額に押し付けた。
 吐息から、体温から互いの心を探るように。全てを知る事ができるように。二人は可能な限り近づく。

「みさきは、みさきには……振られたんだ」

 一片の嘘もなく、浩之は残った心の全てを打ち明ける。
 伝えなければ、気付かなければ同じだ。今のみさきは恋人などではなく、
 心の断片を形成している思い出にしか過ぎない。
 想っていなかったとは言わない。だがもうどうしようもない以上、
 恋情も愛情も確かめることなど出来はしないのも、また事実だ。

 だから、おれは……今目の前にある、辛苦も困難も共にしてきた彼女を大切にしたいと思える。
 お互いに筋を通しあえる、心を通わせられる存在にしたいと思える。
 それが千切れてしまった糸を繋ぎ合わせただけの、みっともない行為で、傷を舐め合う行為だとしても。

「おれは……瑠璃が好きだ」
「……ウチ、ダメな子やよ? 何も出来へんかったのに、こんな、狡い……」
「おれだって狡いさ。いきなり、その……キスしちまった……」
「おあいこ……か」

 くす、と瑠璃が初めて微笑を浮かべる。一片の曇りもない、とまではいかないが、
 共に生きていける者を見出した、安心感のようなものが見受けられた。
 微笑を返した浩之に、今度は瑠璃が腕を首に回してくる。

 二人の身体が更に密着し、突き合わせた胸と胸から鼓動が伝わりあう。
 が、そのペースは異様なほど速い。どうやら緊張しているのはお互い様のようだ。
 僅かに苦笑しながら、再び唇を重ねる。今度はより深く、やさしく。

384 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:49:14 ID:3tXxynAs0
「んっ……ひろゆき……」

 瑠璃が舌を差し入れ、浩之も一瞬驚きつつそれに応える。
 ぴちゃ、にちゃという生々しい、それでいて淫靡な音が荒れ果てた家屋に響く。
 唾液を絡ませ合い、零れないように舌で掬い、口内を撫でる。
 それだけでは足らぬというように、指と指を、脚と脚を絡める。
 高まっていく二人の間に漏れる声音は、初々しく、甘やかで、官能的だった。

「っ……ぁ、んん……ぅ」
「ぁぅ……ふ……は……」

 舌で刺激を与え合い、漏れる吐息で温め合い、汗を手のひらで吸い取っていく。
 何ともいえない息苦しさと霞んでいく意識の中で、ただ心地よさを感じていた。
 こんなにも気持ちいい。互いを繋ぐ行為が、どうしようもなく求めたくなる。

 絡めていた指を離し、腕を瑠璃の背に、抱くようにして回す。
 制服越しに伝わる柔らかな身体の感触が、いやらしいほどに艶かしい。
 五つの指と五つの指を全て使うようにして、瑠璃の背をなぞる。
 滑らかな、丸みを帯びた身体のラインを指がすべるたび、もっと感じたいという衝動が込み上げる。

「ん……やぁ……っ」

 くすぐったいというように、瑠璃が唇を離し身じろぎする。
 片目をつぶり、口もとから糸のような唾液を垂らす。
 ひどく卑猥なように思える一方、ひとりの女の子として腕の中に納まる瑠璃が愛おしくてたまらない。

385 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:49:29 ID:3tXxynAs0
 更に弄ろうとした浩之に、今度は瑠璃の腕が回された。
 お返し、と意趣返しの如く、細い指の群れが浩之の背中を這い回る。
 筆でなぞられる感覚に似ていた。ゾクリとした快楽が駆け回り、
 同時に押し付けられた二つのふくらみが浩之の胸板を刺激する。

「ひろゆき……きもちいい?」

 甘く囁く瑠璃の、快感を含んだ声。動く唇からは透明な液体が張り付いており、
 彼女の蟲惑的な一面を助長しているようであった。ああ、と浩之は応える。

「もっと、していいか?」

 正直に差し出された言葉に「ん」と瑠璃が頷いて応じる。
 その挙動がまた、可愛らしくてたまらなかった。

 もっと知りたい。心の中を、じっと……

 二人の唇がまた重なるのに、それほど時間はかからなかった。

 穏やかで、癒しあう時間だけが、ただ過ぎていく――

386 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:49:48 ID:3tXxynAs0
     *     *     *

 まだ体は驚くほどに熱く、火照っている。
 唇に残る湿った感触を指でなぞりながら、瑠璃は浩之への思いと、家族への思いを考えていた。

 この選択を珊瑚は、イルファは果たしてどう思っているだろうか。
 考えても分かるわけはなかったが、それでも想像してしまう。
 亡くなってしまったひとと対話することなど、黄泉の国にでも行かねば出来ないというのに。

 無論、そんなものが存在するわけがないというのは理解しきっている。
 あったとしても逃げ込むことさえ自分には許されてはいない。
 命を張った珊瑚やイルファ、浩之を侮辱してしまう事に他ならないし、自分の節をも曲げてしまう。
 そうなってしまえば、もう何も残らない。虚無の闇に喰われ意義も意味も失った残骸が残るだけだ。

 最悪の選択だけはするまいと瑠璃は思う。
 珊瑚が犠牲になったのも、イルファを置き去りにしたままここまで来てしまったのも必然だったのかもしれない。
 ただそこに至るまでに様々な選択肢があったのは確かだ。
 環の手を払いのけてしまったこともしかり。珊瑚の代わりに死ねなかったこともしかり……

 始めから明るい未来など望むべくもなかった。けれどもそこに続くレールの先を僅かにでも修正はできたはずだ。
 今までそれをしてこなかった結果がイルファの死であり、珊瑚の死であり、たくさんの仲間の死だ。
 そして現在もまだレールは続いていて、自分はその上を歩き続けている。
 先は闇に閉ざされていてどうなっているのかはわからない。ここから僅かにでも修正を重ねていって、
 落とし穴を避けられるかどうかは自分次第というわけだ。その道標は目の前にある。

 視線を上げた先では、浩之が珊瑚と環の遺体に毛布をかけてやり、いくつかの缶詰を傍らに添えている。
 浩之の後姿はどこか寂しげで、空白で、自分と似ていた。

387 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:50:09 ID:3tXxynAs0
 そう、だから手を取り合って進むことを決めた。
 ひとりではレールの先を微修正することすら出来ず、どうしようもなく無力なのが人間なら、
 互いに補い合い、支えあいながら力を合わせて変えていこうとするのも人間。
 自分達の場合は辿り着くまでに多大な時間と労力を要し、その代償となったのが様々な人の犠牲というわけだ。
 そのことだけは忘れない。大切なひとを見つけ、心を触れ合わせるまでに大きすぎる犠牲があったということを……

 ふと、瑠璃はみさきのことを想った。
 恐らくは浩之が淡い気持ちを抱いていた相手であり、彼女もまた想っていたはずのひと。

 みさきは狡い、と思うだろうか。
 誰かと繋がってでしか希望を見出せない自分を汚いと思うだろうか。
 この問いもやはり分かるわけがない。
 ただ絶対に浩之を底無しの闇に堕としはしない。
 繋がってでしか希望を持てないなら、死に物狂いで手を離さない。
 そうすることでしか自分は自分の節を通せないのだから……

 何と言われようとやり通す。それだけを思った瞬間、風に乗って声が聞こえた。

 『わたしと同じだね……うん、なら、大丈夫だよ』

 虚を突かれた思いで瑠璃は周りを見渡した。
 風など吹いているはずがない。ここは部屋の中で、閉め切っているのに。
 それに、あの声は一体?

 耳を澄ましてみても聞こえてくるのは雨音ばかりで声など聞こえるはずもない。
 空耳か、それとも幻聴か。
 どんな声だったかさえ既に思い出せなかった。ただひとつ、代わりに思い出したことがあった。

「……みさきさんも、ずっと手を繋いでた。誰かと、繋がってた……」

 手のひらを見返し、瑠璃はまだじっとりと汗ばんでいるそれを凝視する。
 繋ぎ合わせてくれたのは、ひょっとすると……

388 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:50:23 ID:3tXxynAs0
 ぼんやりとした確信が生まれ始めたとき、今度は空耳でも幻聴でもない、現実を揺らす音が聞こえた。
 ぱん、と弾けたような音が雨音に乗って反響するように届く。
 何であるかを、瑠璃は直感的に察して言葉にしていた。

「今の……」
「銃声かっ!?」

 共鳴するかのように浩之が立ち上がり、窓から外の世界を見ていた。
 瑠璃も窓から覗いてみたが、まだ広がるのは雨と森ばかりで戦闘の気配は見えない。
 だがじわじわと広がっていく恐怖と恐怖、人と人とが共食いを始める狂気の靄が立ち込めていくのが分かる。
 こんなことをする人間は、知る限りでは一人しかいない。

「行くぞ瑠璃っ! これ以上好き勝手させてたまるかっ!」
「うん! もう誰も殺させへん!」

 投げられたデイパックを受け取り、携帯型レーザー式誘導装置を引っ張り出す。
 これを使うことに迷いはない。恐れもない。絶対に手を離さないと決意した意思が全身の血液を沸騰させ、
 前へ前へと押し出す力へと変えていた。

 自分には支えてくれる人達がいる。力を合わせて進むと決めた人がいる。
 この先の未来がどんなに暗く、翳りのあるものだとしても、絶対に一緒だ。
 死んでさえ、手は握ったままでいられるように。

 どこまでも。
 どこまでも。


 二人の糸は、絡み合っていた。

389 ひだりてみぎて :2009/01/20(火) 19:50:41 ID:3tXxynAs0
【時間:二日目20:00頃】
【場所:I-5】


姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、火炎瓶、HDD、工具箱】
【状態:絶望、でも進む。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

【その他:珊瑚の水、食料等は均等に分けている。銃声のした方向(I-7)まで急行】

→B-10

390 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 02:57:57 ID:/qw7egEw0
 
それは、幼い顔である。
ゆっくりと目を開けた川澄舞の視界を満たした光が、瞳孔の引き絞られるに従って薄れていく。
代わりに映ったのは、まだ幼さを残した年頃の少女の、能面の如き無表情であった。
襤褸切れのような服を纏い、血と泥とに汚れた姿には見る影もないが、かつてはその美しさを
可憐と称えられもしただろうと思わせる、儚げな面立ちである。
だがその整った顔立ちには、致命的なまでに均衡を崩す大きな瑕疵があった。
左の眼である。
ざっくりと裂けた瞼の下、一見して視力など存在しないとわかる白く濁った眼球が、
少女の容貌の中で異彩を放っていた。

「―――」

己を覗き込むその隻眼を見返した舞の脳裏に去来したのは、寂莫たる荒野である。
花は咲かず、草木の緑に潤うこともない、荒涼たる原野。
間断なく吹き荒ぶ風と凍てつく夜の寒さが彷徨う者の命を削り取っていく、道なき道。
そう感じるほどに、少女の瞳は乾いていた。

「貴女は……私の敵ですか」

寂莫たる少女の、そこだけが艶かしい桃色をした薄い唇が動き、言葉を生じる。
それが問いであると、舞が認識するまでに僅かな時を要した。

「……わからない」

回らぬ舌と、ぼんやりとした脳とが素直な答えを返す。
それは実に数時間を経て放たれた、川澄舞の声であった。
言語が意識を構築し、意識が記憶を展開する。
脳が現状の認識に務め始めたのを感じる舞を一瞥し、少女が頷く。

391 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 02:58:59 ID:/qw7egEw0
「そう……ですか」

素っ気無く呟くと、興味を失ったように視線を離す。
目を逸らしたまま、言葉を続けた。

「柏木の他で……女性の鬼を見たのは、初めてだったから」
「……鬼?」
「その、腕」

短い答えに、ゆっくりと身を起こした舞が、己が腕に視線を落とす。
そうして初めて、自らの身体に生じた異変とも呼ぶべき変化に気がついた。

「これ……」

左腕、その肘から先が手首を越えて指先まで、黒く変色している。
まるで酷く焼け焦げた痕のようであったが、しかし思わず握った手の動きにおかしなところはない。
触覚も生きていた。ざらざらと罅割れた鱗状の皮膚を通して、微かな風の冷たさを感じることもできる。

「鬼の、手……」
「……はい。爪も……」
「爪……?」

呟いて、意識した途端に変化が現れた。
変色した左手の指先から、撥条仕掛けでもあるかのように何か鋭いものが飛び出したのである。
どくり、と脈打つ血の流れをそのまま固めたような、深い紅。
刃の如き鋭利を誇る、それは獣とも人とも違う、五本の爪。
指の動きに合わせてゆらりと揺れる深紅の刃を見ている内に、ぞくりと怖気が走る。
惹き込まれるような、妖艶の美。
畏れに近い感情は、本能であっただろうか。
刹那、刃の如き爪はするりと縮まり、指先に収まった。
が、怖気は続いている。

392 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 02:59:15 ID:/qw7egEw0
「……寒い」

気付けば、一糸纏わぬ姿であった。
着込んでいたはずの制服はどこに置いてきたものか。
慌てて剥き出しの乳房や下の翳りを隠すような、乙女じみた恥じらいなど持ち合わせてはいなかったが、
しかしそれなりの気恥ずかしさと、何より肌寒さが厄介だった。
天頂に近い陽光をもってしても、吹き抜ける風の強さには敵わない。
ぶるり、と震えたその拍子に、新たな変化が訪れた。

「毛皮……?」

訝しげに呟いたのは傍らに立つ少女である。
言葉の通り、瞬く間に舞の身体を包んでいたのは、白い毛並みであった。
胸と腹、背から膝上までを、白く長い体毛が覆い尽くしている。
指先でそっと撫でれば絡まることもなくふさふさとしているが、一本づつを摘めば驚くほどに太く、
そして針金のように強い感触を返してくる。

「髪と……同じ色」

言われて、気付く。
胸元に垂れ落ちる横髪の先は、生え揃った体毛に溶け込むように、白い。
さら、と首を打ち振るうと、纏めていたリボンもなくなっているようで、背中まで伸びた長い髪が流れる。
指で掬えば、真新しい絹糸の束のように、白く細く、陽光を反射して煌いた。

「……」

まとまらぬ頭で考える。
服はなく、髪の色は失われ、身体には奇妙な変化が現れている。
記憶はない。
憶えているのは、夜明けの森に降りしきる雨の冷たさ。
鬼と呼ぶに相応しい漆黒の巨躯と、二体の魔獣。
打ち込んだ刀の堅い手応えと、燃え上がる焔の色と、小さな哀願。
そういえば、と舞は思う。
黒く染まったこの左手は、あの鬼との闘いの最中に自ら切り落としたのではなかったか。
幾つも負っていた筈の深い傷も、痛みと共に消え去っている。
してみれば、はて意識を喪っている間に、この身体に全体、何があったのだろうか。

393 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 02:59:32 ID:/qw7egEw0
目を閉じる。
一時的に訪れた闇の中、記憶を遡ろうと己が内側に向けて目を凝らした。
何も、見えぬ。
無明の闇はしかし、静謐を意味しない。
闇を泳ぐ舞の意識を押し潰さんばかりの音が、四方八方から響いている。
音は、連なりである。
雫ともいうべき小さな音の断片が、幾つも連なって細い糸の如く列を成す。
糸は縒り合わさってせせらぎとなり、せせらぎが集まって流れを作る。
幾つもの流れはやがて溶け合って川となり、瀑布となり、大河となって渦を巻く。
音の渦が壁となって、無限の連なりの中で闇を圧迫する。
川澄舞の内側を支配する音は、元を辿れば小さな断片であった。
音の奔流に流され、押し潰されながら、舞は砕けた波濤の飛沫をその手に掴む。
掴んで引き寄せ、耳元に当てた。
流れ出す音に、意味は感じられぬ。
感じられぬ音を捨て、新たな飛沫を掴み取って、幾つも幾つも、耳に押し当てた。
そうする内、言葉が、響いた。


 ―――ずっと、ずっと待ってるから。だから、さよなら。

 ―――ありがとうよ。

 ―――君は、生きたいか?


目を、開けた。
言葉の断片は、掴んだ傍から崩れていって、記憶の手掛かりとなり得ない。
断片を嵌める額縁は広すぎて、幾つの欠片を集めても、全体像は掴めない。
掴めぬまま繋ぎ合わせた不恰好な絵柄は、到底記憶と呼べる過去には届かない。
しかし思い返す内、気付いたこともある。
それは、川澄舞が如何にして鬼と相食むが如き闘いに臨んだかという、その理由であった。
死という喪失を否定し、命を取り戻す為の道程。
それを齎す四つの宝重を手にすべく歩み出したのが、そもそもの始まりであった。
そして今、記憶は辿れぬが宝の半分は文字通り、舞の手の中にあった。
即ち鬼の手と、白虎の毛皮である。

394 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 02:59:51 ID:/qw7egEw0
依然、何も判らぬ。
判らぬは目を逸らすが川澄舞という人間の性分であったが、しかしぼんやりとした意識の中、
漠然とした理解はあった。
生きたいかと問われ、応じた。問い手は知れぬ。
応じた声の、誰に届いたものかは知れぬ。
しかしその結果として命と力と、即ち今という時間を生きる川澄舞が存在する。
志半ばにして倒れながらも今こうして生きている、それこそが自身であるならば、
この鬼の手も白い毛並みも、道は知れずとも川澄舞という存在の一であろう。
言葉にすれば、そういう認識である。
ならば、立たねばならぬ。
立って残りの宝を探し出し、その手に掴んで帰らねばならぬ。
そうして立ち上がろうとした刹那、不意に声が響いた。


 ―――帰って、取り戻すんだ。帰って、笑うんだ。帰って、私たちは、


それは、耳朶を震わせる声ではない。
それは舞の内側、闇と音とに包まれて探り得ぬ薄暗いどこかから響く、そんな声であった。
くらりと、目が眩む。
眩んだ拍子に手をついた、その眼前に何かがあった。
風に吹かれて僅かに転がり、小さく硬い音を立てる、陽光を反射して輝く何か。
それはまるで子供の遊ぶ硝子玉のような、透き通った、丸い珠である。

「―――」

視線が、吸い込まれる。
掌に収まるほどの大きさをした、珠。
得体は知れない。
しかし、不思議と目を離すことは許されぬような、そんな感覚が舞を支配していた。
手に取って見ようと差し出した指の先、吹いた風に押されて珠が転がった。
追うように、手を伸ばす。

395 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:00:14 ID:/qw7egEw0
「……?」

伸ばした手の先、珠の転がった先に、光があった。
黄金色の光。
そんな光に包まれて、何かが珠に向けて伸びている。
目を凝らして、ほんの僅かに考えて、それが指であると気付く。
己のものではない、誰かの指。
よく見れば、指が光に包まれているのではない。
陽光に照らされて眩しく光る黄金色の手甲を、その手は纏っていたのだった。
珠に向かって伸ばされた黄金の手甲をした指は、ぴくりとも動かない。
指の先には、腕がなかった。
否、腕と呼べるものは、そこになかった。
代わりにあったのは、かつて腕であっただろう、何かである。
黄金の鎧と交じり合って赤黒く、ところどころに桃色を覗かせるそれは、骸であった。

骸の指は、珠に伸ばされたまま、動かない。
動かぬ骸を見つめ、舞が口を開く。
何かを、言わねばならぬ気がした。
だが言葉は出てこない。
記憶の薄暗がりの中、存在していたはずのかけるべき言葉は、どこにも見当たらない。

代わりに、手を伸ばした。
伸ばして珠を取らず、それを通り越して骸に手をかける。
まだ温かい、粘性の感触を無視してそのまま、ごろりと骸を転がした。
べちゃりべちゃりと嫌な音がして、肉の袋の中にまだ残っていた血だまりが転がった拍子に溢れ、
舞の白い膝を汚した。
どうしてそんなことをしたのか、舞自身にも判らない。
判らないまま、舞は転がった骸の、鎧であったものと肉であったものの合挽きの中に
黒く染まった左の手を差し入れて、無造作に何かを掴み出した。
ずるり、と臓物のように肉の中から引きずり出されたのは、人の腕ほどもある太さの、
縄のような長細いものである。

396 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:00:29 ID:/qw7egEw0
「……」

自ら引きずり出しておきながら、舞は己が手の中にあるそれを、目を眇めて見ている。
だらりと垂れ下がるそれが、半ばから千切られた蛇の体であることを、舞は知っていた。
何故そんなことを知っていたのか、何故それが骸の中にあると知っていたのか、それは判らぬ。
判らぬが、知っていた。或いは憶えていた。そう言うより他にない。
失われた記憶、或いは断絶した時の中に答えがあるのだと、理解する。
それほど自然に、手は伸びていた。

「―――」

転がった珠を拾い、蛇と共に手に収めた。
すると不思議なことに、蛇と珠とが、すう、とその輪郭を薄れさせていく。
己が黒い左手に吸い込まるように消えていく、その珠と蛇とを、舞は慌てることもなく見ている。
蛇が魔犬の尾であり、珠が尻子玉であるというのなら、それは奇跡へと至る神秘であり、
収まるべき場所に収まるのだろうと、そんな風に考えていた。
そうして宝重が音もなくその姿を消すまでの僅かな間、舞はそれを見つめていた。

「……」

最後に一目、黄金に包まれた骸と、伸ばされた指を見た。
それが、最後だった。
川澄舞が黄金の骸に小さく頭を下げた、その瞬間。
四つの至宝を巡る争いが、終わった。


***

397 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:01:02 ID:/qw7egEw0
 
それは、長い道程の終わりの、ほんの一時の感慨であった。

「―――貴女が、敵でないのなら」

声が、思索の薄布を切り裂いた。
気付けば、骸の血に塗れた手を見つめる姿をどう思ったか、少女は既に舞に顔を向けてはいない。
その隻眼が見据えていたのは、遥か上方である。
何処から取り出したものか、その手には一振りの日本刀を提げていた。

「あ……」

舞が、声を上げかける。
その精緻な造りと冷たい光を放つ刃は、今しがた掘り起こした記憶の中にあったように、思えた。
しかしその思考が言語の体を成す前に、少女が己の言葉を継いだ。

「―――やはり私の敵は……あれでしょうか」

あれ、とは何であったか。
口を閉ざして見上げた、舞の視界に落ちる影があった。
影は、巨大である。

「……っ!」

瞬く間に視界の殆どを覆い尽くしたそれが、風を巻いて、落ちてきた。
ざわ、と全身の毛が逆立つのを感じた瞬間、舞の両足に力が込められる。
大地を噛むように、跳ぶ。
轟、と風が唸る。
次の刹那、背後で音が爆ぜた。
否、爆ぜたのは音ばかりではない。
大地が、破砕されていた。
抉られた岩盤が一瞬にして砂礫と化し、爆風と共に周囲に飛散する。
跳んだ舞が受身と共に振り返れば、大地を爆砕した巨大な影の正体が、その目に映った。

398 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:01:19 ID:/qw7egEw0
「剣……」

それは、一見すれば巨大な柱のようであり、或いは金属製の壁のようでもあった。
遥か遠くから俯瞰すれば剣とも見えなくはない、それほどに、大きい。
人など容易く磨り潰してしまえるような、殆ど反りのない片刃の直刀。
大地にめり込んだ常識はずれの大きさを誇示するそれが、落ちた影の姿であった。
剣の先には、それを持つ石造りのやはり巨大な手が存在した。
更に見上げれば腕があり、肩があり、胸が、首が、それらを繋ぎ合わせた巨大な石像の上半身が、そこにあった。
石像は幾つも立ち並んでいるようであったが、舞の眼前に聳えるそれには一つ、他と違う点がある。
その像は舞に向けて振り下ろした刃を、片手で保持していた。
それはつまり、もう片方の手が自由であることを意味しており。
自由な手には、もう一振りの刃が握られていた。

「まだ……!」

気付いた瞬間には跳び退っている。
二刀の一が、大地を浚うように薙がれていた。
刃はその一遍に視界に入れることも難しい全長と質量にもかかわらず、恐るべき速さで迫り来る。
二度、三度と跳び下がり、しかしその間合いから逃れることの叶わぬを知った舞が選んだ道は、空であった。
地を蹴った、次の瞬間には蒼穹に向けて高々と舞い上がっている。
空を翔るような軌道。
遥か下方を巨大な刃が薙いでいくのが見えた。

「……!?」

常軌を逸したその脚力にしかし、最も驚愕していたのは他ならぬ舞自身である。
迫る刃を上に跳んで躱す、それだけのつもりであった。
しかし今、舞の目が映すのは蒼穹と大地と、巨大な石像を正面から見るような構図。
爆発的とすら言える力が、いつの間にか舞の中にあった。
身につけた覚えのない力。人の身に余るそれを制御する術を、舞は知らない。
焦燥に噴き出した汗が、空に散っていく。
と、肌に感じる風が変わった。
跳躍の描く放物線の頂点を越え、重力に引かれて落下軌道に入る感覚。
臓腑が浮き上がるような悪寒に眉を顰めたのも一瞬である。
新たな戦慄が、走った。

399 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:01:42 ID:/qw7egEw0
「……っ!」

二刀とは、自在の軌道を以って間断なき斬撃を繰り出す構えである。
一の太刀は振り下ろされ、二の太刀は地を薙ぎ、しかし薙いだ刃の往き戻るより早く、
即ち二の太刀を躱した舞の、体勢を立て直すよりも尚、早く。
振り下ろされた一の太刀は、次なる一撃を繰り出すことが、可能であった。

躱せぬ。
中空にある舞は、四方の如何なる場にも身を躱す術がない。
ただ放物線を描き、落ちゆくのみである。
巨大な刃がそれを捉え、文字通りの意味で粉砕せしめるのは、実に容易であった。
少なくとも舞の脳裏には、その未来図がありありと描き出されていた。
絶望はない。同時にまた、希望もなかった。
揺るがぬ必然から身を守るように腕を翳した、その眼前。

「―――失礼します」

飛び出した影が、ひどく場違いな言葉を舞に投げかけると同時。
影の脚が、舞を蹴った。
否、と強引に軌道を変えられた衝撃の中で、舞は気付く。
影―――あの隻眼の少女は、己を踏み台にしたのだ、と。
己を刃から逃すのと共に、少女自身は能動的な回避、或いは反撃へと移る為に。
轟と唸る風の中、着地というよりは落下に近い勢いで、舞は地面へと降り立つ。
見上げれば、果たして空を裂く刃と切り結ぼうとする、豆粒の如き少女の姿があった。

舞は瞠目する。
その大きさにおいても重量においても文字通り比較にならぬ、その影が交錯した瞬間、
正面から刃を交えたと見えた少女が、くるりと身を捻ったのである。
翳した刀を支点として、猛烈な勢いで大気を裂きながら迫る巨大な刃をいなすように宙を舞ってみせた、
それは神業と称されるに相応しい体術であった。
にもかかわらず、舞は不思議な感慨を抱く。
即ち―――まるで、猫のようだ、と。
木の枝から、垣根の上から身を躍らせる、しなやかな黒猫。
焦燥も、戦慄も、緊張も緊迫も切迫もなく、何気なく伸びをした次の瞬間であるとでもいうような、
それはひどく優雅で、恐ろしく気負いのない、身のこなしであった。

必殺の一撃をやり過ごされた石像が、大きく姿勢を崩した。
下肢を巨大な台座に埋めながら身を捩る石像をちらりと見て、少女が落下の軌道に入る。
ふわり、と。
破壊の剣閃をいなしながら、白い羽毛が風に吹かれるようにただ舞い上がった少女は、
その勢いを殺さぬまま大地へと降りてきた。
くるり、くるりとトンボを切って、舞の近くに音もなく着地した、その身に傷らしい傷はない。

400 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:02:12 ID:/qw7egEw0
「あ……」

思わず声を漏らした舞に、少女が振り向く。
少女の瞑れて濁った眼に白髪黒腕の変わり果てた己の姿が映るのを見ながら、舞が小さく頭を下げる。
言葉を返すこともなく微かに首を振った少女が、思い出したように口を開いた。

「……そういえば、先程」
「……?」
「何か……言いかけて」

互いに口数は少ない。
情報の伝達には、些かの難があった。
何のことかと一瞬だけ考えて、思い至る。

「……それ」

呟くように告げて視線を向けたのは、少女の手に握られた刀である。
一つ、二つと瞬きをした、少女が僅かに首を傾げ、

「あなたの……」

答えを待たずにこくりと頷いて、

「……拾った、から」

呟くや、抜き身のまま投げて寄越した。
慌てたのは受け止めた舞である。

「でも……そっちは」
「私は……柏木の、鬼だから」

言いざま、少女の細腕が黒く染まっていく。
べきり、と音を立てたその手が一回り膨張し、見る間に節くれ立った指の先から生えてきたのは、
血の色をした刃の爪である。

401 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:02:29 ID:/qw7egEw0
「名前を訊いても……いいですか」
「……名前」
「あなたも、鬼……なのでしょう」
「……」
「私は柏木。柏木楓……隆山の、鬼」
「……舞。川澄……舞」

つられるように、名を告げていた。
少女の言うそれが何であるのか、舞には判らない。
だが、化物と呼ばれたことはあった。
人の生きる街の中で、異能は、異形であった。
であれば己もまた、鬼と渾名されるに相応しい異形に違いはなかった。

「舞……さん」

名を呼ばれた、その刹那。

「―――ッ!?」

きぃん、と。
硝子でできた無数の鈴がかき鳴らされるような、細く甲高い音が、響いた。
耳朶を劈くような音に眉を顰めると同時。
思考を無視し、感情を寸断し、まるで映画の途中で唐突に挿入される宣伝のように。
舞の脳裏を、一枚の映像が支配する。

―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。

それは、遥か上空から一望した、沖木島山頂。
即ち、舞自身の立つこの場所と、正面に聳え立つ巨大な石像群に、他ならなかった。
あらゆる論理を押し退けて割り込んできたようなその映像の意味を考える前に、

『―――國軍、坂神蝉丸。青の世界を知るすべての者に傾聴願う―――』

音ならぬ声が、聞こえた。

402 十一時四十分(3)/偶然がいくつも重なり合って :2009/01/22(木) 03:02:40 ID:/qw7egEw0
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:F−5 神塚山山頂】

川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:エルクゥ、軽傷、左目失明(治癒中)】

深山雪見
 【状態:死亡】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→973 1029 1034 ルートD-5

403 十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が :2009/01/24(土) 16:58:59 ID:wnpWE7620
 
大剣が裂くのは、空と大地と、その狭間に存在する何もかもである。
風を断ち割り音をすら切り伏せて唸る、それは破壊という現象の具現であった。
触れれば砕ける、そんな一刀の肉薄に坂神蝉丸が選んだのは、更なる加速である。
振り返らぬ背後、大剣の切っ先の落ちた地面が割れ砕け、砂礫を舞い上げるのを感じる。
岩盤を噛んでなお止まらぬ巨大な刃が、鎬を大地に食い込ませながら迫る。
頭上より落ちる断頭の刃との、それは命懸けの駆け比べである。
駆ける先、無骨な鍔が見えてくる。
人が両手を広げるのにも数倍する大きさの、それ自体が鋼鉄の延べ板とでもいうべき四角い鍔の向こうには、
やはり大の大人を容易く握り潰せるほどの巨大な手指があった。
石造りのそれを確認するや否や、蝉丸は疾走の勢いのまま跳躍する。
狙うは頭上、巨石像の大剣を持つ指。
仙命樹によって強化された筋肉が躍動し、白髪の強化兵を大空の彼方へと押し上げる。
その背に翼のあるが如く跳んだ蝉丸の目に映る巨神像の拳が、瞬く間に大きくなっていく。
放物線を描く跳躍の頂点、速度を高度へと変換しきった、その瞬間。
片手一本で構えた愛刀を、振るう。
が。

「―――チィ……ッ!」

届かぬ。
閃いた銀弧は、僅かに巨神の指を掠めるのみ。
舌打ちをしながら落ちる蝉丸は、その左の腕に何か大きなものを抱いている。
それを抱え直すようにしながら着地した、蝉丸の背に響く怒声があった。

「坂神、貴様……!」

見ずとも判る。
光岡悟の、それは心底から憤っているような声である。

「それを庇ったままで戦える相手か!」

404 十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が :2009/01/24(土) 16:59:24 ID:wnpWE7620
光岡が相手にしているのは蝉丸が対峙する大剣の女神像の隣に立つ、髪の長い有翼の女神像である。
白い光球を銃弾の如く放つそれを牽制しつつ隙を窺っているはずだった。
互いに背中を預けた格好の光岡の不安と憤りは理解もできる。

「分かっている、しかし……!」

言い返しながら、蝉丸は抱きかかえたそれをちらりと見る。
ぐったりとした、生きているのか死んでいるのかも判然としない、白い肢体。
蝉丸によって軍服の上衣を着せ掛けられただけのあられもない姿をした、それは少女である。
名を、砧夕霧という。
沖木島全土に展開し死と破壊を撒き散らした少女たちの、最後の生き残りであった。

「捨て置けというのに!」
「聞けぬだろう、それは!」

体勢を立て直した大剣の女神像が、再び手にした破壊の鉄槌を振り上げようとする。
長い間合いの外に退くのは間に合わぬ。
一瞬の内に判断して、詰めた間合いを更に踏み込む。
神像群を支える空中楼閣の如き巨竜の胴に程近い。
見上げても、天まで届くようなそれに阻まれて空は遠かった。
影が、落ちる。
縦に突き込まれる大剣が、断頭台の刃の如く蝉丸に向けて迫っていた。
巨人を両断するような刃が、比して芥子粒の如き蝉丸を磨り潰そうと叩き込まれるのは質の悪い悪夢か、
或いはそれを通り越して風刺の効いた喜劇のようですらある。
駆け出した蝉丸が、影と己と刃そのものを見比べながら正確な位置取りで逃げる。
頭上に落ちれば一巻の終わりではあるが、剣の腹で巨大な範囲を薙がれるよりはよほど対処しやすい。
どの道、相手は常に一撃必殺であった。
疾走の中、蝉丸は腕に抱いた少女のことを思う。
青の一色に染め上げられた、あの奇妙な世界の中で聞いた声がこの少女のものであると、
蝉丸は今や確信している。
あの世界では声なき声が直に、人の心に響いていた。
であれば、目を覚まさぬ夕霧の心根が蝉丸に届いたところで些かの不思議もないだろう。
少女の声。
幸福を希いながら、それを欺瞞と断じる、希求の呪歌。
それは最後に、覆製身である砧夕霧の、本当の願いを謳い上げていた。

蝉丸は理解している。
少女の願いを叶えようと決意する、己が醜さを十二分に理解している。
それは平穏の先送りだ。
困難に立ち向かう内、弱きを助ける内は己が心を戦場に漂わすことのできると、
怖気の立つような平和に戻ることなく戦い続けられると、そんな醜悪、心の膿が
少女を捨て置かせぬのだと理解している。
しかしまた、蝉丸は己を断ずる。
眼前、少女がいるのだと。
幸福を希求し、泥濘で喘ぐ少女は確かにいるのだと。
ならば坂神蝉丸の魂は、砧夕霧を見捨てることを肯んじない。
如何に新たな時代への怯懦に震える己が弱さを捻じ伏せようと、魂は曲げられぬ。
平和を恐れ、安穏を忌避し、しかし平穏と安寧を求める声をその全力を以て護るのが、坂神蝉丸だった。
戦のない時代へと震えながら歩むことと、少女を護り、その儚い願いを叶えることとは並び立つ。
それは、じくじくと膿を染み出す心の隙間にできた傷を、惰弱との訣別という刃で敢然と抉り取る蝉丸の、
これより先に歩もうとする道の在り様だった。

405 十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が :2009/01/24(土) 16:59:37 ID:wnpWE7620
背後、刃が落ちる。
大地が、揺れた。
轟音と、嵐のように降り注ぐ石礫と、その地響きとに揺り起こされたわけではあるまい。
しかし、

「……夕霧……!?」

蝉丸が、瞠目する。
腕の中でびくりと震えたその肢体を見やれば、果たして少女が、その長く閉ざされていた目を、開けていた。
驚愕の中、尚も呼びかけようとした蝉丸の言葉が、止まる。
少女の瞳から、零れるものがあった。
ぽろぽろと、大粒の真珠のように転がるそれは、涙である。

同時、蝉丸が渋面を作っていた。
耳朶が、震える。
甲高い音。塹壕の中で聞く電波の悪いラジオから響くような、ノイズ。
高く波打つような音が聞こえたのは一瞬である。
僅かな間に、ノイズは嘘のように収まり、風の中に消えていく。
だが次の瞬間、蝉丸は更なる驚愕を覚えることとなった。


***

406 十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が :2009/01/24(土) 17:00:04 ID:wnpWE7620
 
『―――しあわせになりたい』

それは、声だった。

『いきたくて』

青の世界で聞いた、音なき声。

『いきおわりたくて』

望まず生まれた少女の、

『たくさんのわたしに、もどりたい』

小さな、願いだった。


***

407 十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が :2009/01/24(土) 17:00:28 ID:wnpWE7620
 
ほんの瞬く間の、それは声である。
陽光に融けて消える幻のような、輪郭の薄い声。

「ぐ……!」

こめかみを押さえた蝉丸が、呻きを漏らす。
少女の声が収まるか収まらぬかの刹那、立て続けに蝉丸の脳裏を走るものがあった。

―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。

目に見たものではない、影のない幻。
それは音のない声のような、ひどく掴みどころのない、映像だった。
そんなものが、唐突に脳裏を支配する。

「これ、は……」

思わず呟きを漏らした蝉丸が、

『何だ、今の……!?』
『郁未さん、気をつけてください……!』
『……!』
『誰だ、誰が喋っている!? どこにいる、坂神!』

同時に響いた、幾つもの声に言葉を失う。
どの声も、混乱していた。
聞き覚えのある声と、そうでない声と、そのすべてが同時に響いている。
まるでその全員が、すぐ近くにいるかのように。

「まさか……!?」

刹那、蝉丸の心中を過ぎったのは黄金の海である。
どこまでも続く麦穂の中、顔だけを出していた少女。
あの場所で少女の声は、音なき声は、こんな風に響いていた。
今、あの世界と同じように声が伝わっているのなら。
その声を伝えるものが、あるとするなら。
思いを伝えたのは、誰だ。
応えるべきは、誰だ。

「―――」

思考と決断とは、ほぼ同時。
混在する複数の声は光岡悟と、おそらくは鹿沼葉子と天沢郁未、そしてもう一人。
一刻も早く混乱を収束し伝えなければならぬことが、あった。

『―――國軍、坂神蝉丸』

声に出さず、思う。
伝えよ、と。
伝われ、と願う。

『青の世界を知る、すべての者に傾聴願う……!』

世界よ、声を伝えよと。
願い、思う蝉丸の意識に。
息を呑む幾つもの気配が、返ってきた。

408 十一時四十一分/聞こえそうな鼓動が :2009/01/24(土) 17:00:51 ID:wnpWE7620
 
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【状態:覚醒】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1034 1037 ルートD-5

409 十一時四十三分(1)/私らしく :2009/01/27(火) 14:12:21 ID:VohrnP.g0
 
世界が割れるその一瞬に、前触れはなかった。

然程のことではない。
それは単に、目に映る世界が八つだか九つだか、その程度に増えたに過ぎない。
同じように耳に聞こえる音が幾つも幾つも重なって、息の吹きかかるのを感じるような耳元で
沢山の唇がぞろりぞろりと喋り出したとして、大した違いはない。

然程のことではない。
それは単に、自身の正気を疑うに足る程度の問題に過ぎなかった。

410 十一時四十三分(1)/私らしく :2009/01/27(火) 14:12:58 ID:VohrnP.g0
 ―――海に囲まれた島と、その中央に位置する山。
 ―――山頂に顕れた銀色の湖と、それを取り囲むように立つ、八体の石像。
 ―――そして重なる、無数の視界。

正視すれば視界は揺れる。
ぐるりぐらりと揺れて歪んで、右に揺れれば左に震え、前と後ろと上と下とがてんで勝手に入り混じって
頭が引き裂かれそうになって、もうどちらが上なのか、わからない。
きっと足の着いている方が下だろうと、そう思ってもゆらりゆらりと入れ替わる視界は不安定で、
右の腕のある方に落ちていけばそちらが下のようにも思えるし、そう感じてしまえば戻れない。
くらりと揺れて。
身体は右に、落ちようとする。
右は下でなく、下は右でなく、落ちようとして落ちられなくて、ぐわりぐわりと頭が揺れる。
見えるものと感じることと、違いが過ぎて頭が痛い。
ぐずぐずと煮えたぎるような頭痛が伝染するように、胃から辛くて苦いものがこみ上げてくる。
吐こうとして、どちらが下かがわからずに、口を開ける。
開けて流れるほうが下だろうとそんなことを考えて、だらだらと胃液の毀れるに任せた。

 ―――何だ、今の……!?
 ―――郁未さん、気をつけてください……!
 ―――……!
 ―――誰だ、誰が喋っている!?

ぞろりぞろりと声がする。
毀れた胃液が制服を汚して、嫌な臭いを撒き散らす。
谺するような吐息と喘鳴と舌打ちとが、臭いに混じって耳朶を打つ。
幾つもの鼓動と幾つもの息遣いとが不規則に重なって、どれが自分の鼓動だかも分からない。
分からないから正しいリズムが掴めない。
息を吸うタイミングと吐くタイミングが滅茶苦茶で、いま自分が息を吸ったのだか、
それとも吐いていたのだかすらも、次第に判然としなくなってくる。
吸って、誰かの息を吐いた音に騙されて、もう一度息を吸おうとして胸が苦しくて、
吐き出そうとしたら誰かが先に吐いてしまって、吸って、吐いて、吸って、
そんな当たり前のことができなくなってくる。
息が苦しくて、頭が痛くて、ぐるぐると巡る音と視界とが、ぐねぐねと歪んで偏在する。

否。
否、否、否。
それらは巡っているのではない。まして、歪んでいるのでもない。
それらはただ、通り過ぎていこうとしているのだ。
誰かの視界が、誰かの声が、何故だか自分の中を通過していくだけの、それは単純な現象。
単純に通り過ぎようとして、だけど沢山のそれらが通るには狭すぎて、だから押し合い、だから圧し合い、
ぎゅうぎゅうとつかえて、周りを削り取っていく。

削り取られていくのは辛くて、頭は痛くて、息は苦しくて。
ひびが入って割れそうで、壊れてしまえば楽そうで。

だけど、それは、できない。
それをさせない、願いがあった。
それをさせない、祈りがあった。

それは小さな、透き通った願いだ。
それは脆くて、儚く消える祈りだ。

それは、届いて、と。
そういう、気持ちだ。


***

411 十一時四十三分(1)/私らしく :2009/01/27(火) 14:13:20 ID:VohrnP.g0
 
「なに、これ……」

呟いて上体をぐらりと揺らした長岡志保が、その場に崩れ落ちる。
泡を食ったのは国崎往人である。
振り返れば、志保が青い顔で頭を抱えていた。

「……どうした!?」

気を失って倒れた春原陽平を介抱していた国崎がひとまずそちらを置いて駆け寄っても、
志保は顔を上げすらしない。
ひ、ひ、と。
しゃくり上げるような呼吸を繰り返している。

「ったく、次から次へと……! おい、気分でも悪いのか……?」

自らの頭を押さえるように座り込む志保の肩を掴んだ、国崎の表情が変わる。
小刻みに震えるその細い肩は、ぞっとするほど冷たい汗に濡れていた。

「な……! どうした、大丈夫か!?」

慌てたような国崎の声が、届いたか。
突然、志保が顔を上げる。
それを覗き込んだ国崎は、しかし思わず一歩を退いていた。
射竦めるような眼が、そこにあった。

「流れて……流れてくる……。あたしを通じて……拡がってく……」

呟く声はどこか病的で、差し出しかけた手が、躊躇を感じて止まる。
止まったその手が、掴まれた。
国崎が小さく表情を歪める。
べったりと汗に塗れ強張った志保の指が、国崎の掌に爪を立てていた。
少女とは思えぬ強い力が皮膚を裂き、血を滲ませる。

「しっかりしろ、長お……」

長岡、と言いかけた国崎の言葉が止まる。
ふるふると震える志保が、掴んだ国崎の手を支えに、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

「おい、無理するな……」
「―――るっさい……! へばって、らんないのよ……!」

労わりを弾くような、強い口調。
玉のような汗が、頬を伝って顎から垂れ落ちる。
脂汗と吐瀉物とで濡れたシャツをべっとりと肌に張り付かせたまま、志保が首を振る。

「届けろってんなら……! 届けて、やるわよ……!
 志保ちゃん情報……、なめんじゃないっての……!」

少女を支えているのは矜持と反骨。
跪けと命じる声に屈するを良しとせぬ、その志だった。

「届けてあげる……! この、志保ちゃんが……ッ!
 言葉も……心も、全部! まとめてッ!」

その瞳は既に眼前の光景を映さず、その耳は吹き抜ける風の音をすら聞き取れず。
それでも、少女は立っていた。
ぐらりぐらりと歪み揺れる世界の中で、誰とも知れぬ小さな祈りを叶えようと、立っていた。

それが、長岡志保だった。

412 十一時四十三分(1)/私らしく :2009/01/27(火) 14:13:50 ID:VohrnP.g0
 
【時間:2日目 AM11:43】
【場所:G−6 鷹野神社】

長岡志保
 【所持品:なし】
 【状態:異能・詳細不明】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】

春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・意識不明】

→1019 1038 ルートD-5

413 変心 :2009/01/29(木) 01:58:27 ID:QkREX4Vk0
「この学校は、好きですか」

「わたしは、とってもとっても好きです。
 でも、何もかも、変わらずにはいられないです。
 楽しいこととか、嬉しいこととか、ぜんぶ。
 ……ぜんぶ、変わらずにはいられないです」

「それでも、この場所が好きでいられますか」

 いま、この質問に自分は答えられるだろうか。
 胸を張って答えを言えるだろうか。

 何もかも、変わらずにはいられない。

 手を伸ばしても、引っ込めても変わるものは変わってしまい対応せざるを得なくなる。
 どんなに望んでも、どんなに我侭になってもどうしようもない。
 それがこの世界の在り方だ。
 変わることを摂理とするこの世界の有りようだ。

 自分はそこに生きている以上従わなければならない。
 変わっていってしまうものを受け止めなければならない。

 ……なのに。
 なのに、どうして、こんなに胸が苦しいのだろう。
 こうなることを薄々予感していたのではないのか。
 とっくに失われたものが再び失われただけと分かりきっていたはずではないのか。

 どうして。
 どうして、変わっていて欲しくないと願ったのだろう、わたしは……
 既に自分が変質してしまったと知り抜いているのに。
 既に戻らなくなってしまったと理解しきっているのに。
 こんなにも、変わらないことを望んでいた……?

414 変心 :2009/01/29(木) 01:58:48 ID:QkREX4Vk0
 そうじゃない。
 わたしが、変わる世界に当て嵌まらないのではなく……
 わたしは、終わり続ける世界にしか当て嵌まらなかった。

 終わりしかない場所は終焉。
 進むことが出来ず引き返すことも出来ない、ただ結末だけが存在する場所。
 そこでは永遠だけが『終わり続き』、『繰り返しながら止まる』。
 何も変わらない。画用紙に描いた風景画のような、それ自体だけの世界。
 幸福はない。けれど、哀しみも苦しみもない。
 今ある『わたし』だけで全てが帰結するところ。

 自分はそこにしか住めない者でしかなく、他の世界にはどうあっても混じり得ない。
 分かっていたはずなのに、未練たらしく生き、また共に歩もうという思いさえ抱いていた。
 盾となると決めた覚悟とやらも嘘なら、ひとりで進むという言葉も嘘。
 嘘を嘘でしか塗り潰せず、どこにも行けないわたしは――

「見つければいいだけだろ」

 岡崎さん? 虚を突かれた思いで振り返ってみたが、誰の姿もない。
 気のせい……その思いが去来しかけたとき、ふわりと、風もないのに髪が揺れた。
 何かが通り過ぎたかのような、不自然な風。いやそもそも風などありはしないのに。
 俄かに全身がそそけ立つ。そうしなければいけないという思いに駆られて、
 後ろに向いていた顔をもう一度前へと戻す。
 果たしてそこには、先を行く後姿があった。ほんの数歩先、立ち止まらず『彼』は喋り続ける。

「次の楽しいこととか、うれしいこととかを見つければいいだけだろ。
 あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか?」

415 変心 :2009/01/29(木) 01:59:08 ID:QkREX4Vk0
 この場所が好きでいられますか?
 誰ともなく尋ねた質問に対して、誰にでもなく答えた言葉。
 孤独の中で、孤独に対して向けられただけの、それは会話とも呼べぬものだったのかもしれない。

「違うだろ」

 振り向かず、『彼』はきっぱりと言い放った。
 それは噛み合わぬ世界に対して幸福の形を探すのでもなければ不幸から逃げるものでもない、
 自らが幸福を生み出せると信じて疑わない男の声だった。

 ただただ、一生懸命に苦しみ、もがき、ひとの中に自分が生きられる世界を探そうとしている。
 終わり続ける世界の住人であっても、生きていくことは出来るのだというように。
 待ってください――喉元まで出かけていたはずの言葉は出てこなかった。
 後は追えない。追えるはずがなかった。
 彼は無言のまま歩き続けているから。

 ほら、いこうぜ。

 それで締めくくられるはずの言葉が出てきていない。
 なら行けるはずがないのだ。
 古河渚は、まだ坂を上りきることが出来ないのだから。
 自分は、坂を上がり続けなければならない。
 これから先、ずっとずっと、本当の幸福、豊かさを手に入れられるまで……

 ただ、自分にその資格があるのかと思ってしまう。
 約束を反故にし、様々なものを打ち捨ててきた己に、求め得る価値はあるのだろうか。
 それだけではない。自分は様々な人の夢を奪って生きている。
 父母の夢に始まり、仲間の命をも奪って……

416 変心 :2009/01/29(木) 01:59:24 ID:QkREX4Vk0
「そうじゃねえ」

 また、横を通り過ぎて行く人影があった。
 煙草をくわえ、遥かな先を見渡す男……古河秋生がそこにいた。
 秋生は口から煙を吐き出すと、朋也と同じく先を進んで行く。

「俺達は夢を捨てても、奪われてもねぇ。俺達で望んで託したんだ。……分かるだろ?」

 苦笑交じりの口調はやんわりと窘めるようなものだった。
 無理しなくていい。無理に責任を取ろうとしなくたっていいんだ。
 そろそろ自分のことを考えてもいいんじゃねえか?
 自分のこと……?

 耳からではなく、心の芯に直接響く声に返そうとしたが、秋生の姿は既に遠くにあった。
 喧騒が聞こえてくる。愉しそうに笑いあい、軽口を飛ばしあいながらもしっかりと歩き続けている。
 朋也と秋生のものだけではない。そこには春原も、様々なひとがいて、肩を組みながら笑っている。
 自分はそこに行けない。行こうと思えば行けるだろう。そこは全てが終わり続ける世界だ。

 けれどもその世界にいる人は違う。朋也同様、希望を人の中に見出し、
 苦しいながらも肩を組んで新しい場所を目指そうと『新しい終わり』に向けてよろよろと歩いている。

 だから、まだ行けない。そこへ行くにはもう少し頑張らないといけない。
 それまでがどうだったにしても、わたしはまだ夢を捨ててはいない。
 みんなから預けられた夢を忘れていない。
 もう少し……頑張ってもいいですよね? わたしは……頑張れますから。

「ファイトッ、ですよ」

 また声がかけられた。
 いつからいたのだろう、ずっといたかのように古河早苗が柔らかな微笑を浮かべて、側に立っていた。
 ニコリと、もう一度渚に笑いかけた早苗は小走りに坂を上り、喧騒の中に紛れていく。

417 変心 :2009/01/29(木) 01:59:41 ID:QkREX4Vk0
 もう二度と会うことはないだろう。永久の別れはあまりに簡潔で、けれど悲しくはなかった。
 寧ろ笑っていられる。こんなにもしあわせな別離を、今までに感じたことがあっただろうか。
 渚は坂の下で幾度となくそらんじた言葉を反芻する。

「それでも、この場所が好きでいられますか」

「わたしは……」
「わたしは、まだ好きにはなれないです。でも――」

「――好きになっていきたい。そう思います」

「なら、それでいいじゃないか」

 ふっ、と。
 背後から重ねられるように、抱きすくめる腕があった。
 初めて渚に触れた腕。温もりがあまりに温かかった。
 誰だか分かる。この手のひらの大きさを、わたしは知っている。

「ほら、いこうぜ」

 そう。
 何も知らない、知ろうともしなかった自分。
 こんなわたしでも、まだ……

「はい」

 手をとっていける。

     *     *     *

418 変心 :2009/01/29(木) 02:00:01 ID:QkREX4Vk0
 拒絶されるのは半ば覚悟の上だった。
 元々が赤の他人で、自分はその上人殺しだ。
 彼女が最も嫌うべき種類の人間であり、本来なら近づく権利さえないのかもしれない。
 だからといってこのまま何も知ろうとせず上辺だけ取り繕っていくなんて空しすぎる。
 嫌いなら嫌いで構わないし、拒絶されたらされたで踏ん切りがつく。

 ただ確かめたかった。
 俺は、那須宗一は古河渚にとってどんな人間であるのか、を。
 俯いたままの渚の身体を包み込むようにして抱きすくめる。
 震えもせず、ただ硬直したままの渚はそこにいて、しかしいないようでもあった。
 自分が想像も出来ない、別の世界へひとり行ってしまったような、そんな感覚だった。

 なら連れ戻そう。孤独の海に漂っているのなら俺は拾い上げればいい。
 その後相容れられずどこかで別れることになってしまったのだとしても、
 取り残され、誰からも省みられることなくいなくなってしまうことはないはずだ。
 そうやって守ってきてくれたのが……夕菜姉さんだ。

 今なら分かる。どうしてハック・フィンであろうとしたのか、分かる。
 ひとりで生きていくことは、確かに不可能じゃない。
 力を持ち、対処するだけの能力を身につけていれば誰の力も借りずにいられることはできるだろう。
 だがそれでは寂しすぎるし、長くは生きられない。
 そうして気が付けば失われてしまったものに深すぎる後悔を覚え、悲しさだけを残してしまう。
 だから人は寄り添い、少しでも痛みを紛らわせようとするのだろう。

419 変心 :2009/01/29(木) 02:00:38 ID:QkREX4Vk0

 ‘All right, then, I'll go to hell’
 わかった、それなら俺は地獄へ行こう。


 ひとりではなく、ふたりで。
 一緒に堕ちても構わない。
 だから、渚……ひとりでいようとしないでくれ。

「はい」

 どきりとするほどはっきりと、あらゆる静寂を突き破る深さを以って渚が応えた。
 手のひらにそっと手が乗せられる感覚。
 雪をすくい取った直後のように冷たかったが、不思議と寒くはならない。
 寧ろ心地の良い冷たさが、己の熱しすぎた感情を冷まし、程よいものに仕上げてくれている。

「大丈夫……じゃ、ないかもしれません、少しだけ」

 ほんのちょっとの苦痛を訴える声だった。
 だが確かにこちらを頼って助言を求め、どうすればいいのかと尋ねてきてくれている。
 まだ遠慮している節はある。でも、確かに渚は拒絶はしなかった。
 ならそれでいい。積み重ねていけばいい。何もかも、最初から全てを委ねてくれるとは思っていない。
 それが仕事の定石だ、そうだろエディ?

 小さく苦笑し、これ以上抱きすくめているのは流石にどうかと考えた宗一は渚から腕を離そうとした。
 が、手首を掴む小さな手のひらが意外と頑丈で、強引にでもしなければほどけそうになかった。
 どうしたものか、と戸惑っていると「……すみません、もう少しだけいいですか」と渚が言った。

「わたし、その、今……みっともない顔なので……」

 言った後、ぐす、と鼻をすする音が聞こえた。ああ、そういうことかと宗一は得心する。
 これが渚なりの弱みの見せ方なのかもしれない。歩み寄った上での見せた弱さなのかもしれない。
 どちらにせよ、古河渚というひとのやさしさが見えたような気がする。
 極力負担をかけずに迷惑をかけようとする。滑稽な我侭さだという思いが胸の内に広がり、
 自然と気が楽になる実感があった。重さが苦にならない、この気分は一体何なんだろう。

420 変心 :2009/01/29(木) 02:01:02 ID:QkREX4Vk0
 皐月やゆかりと馬鹿をやっていたときに似ている。
 言いたいことを言い合って挙句喧嘩にすらなるというのに不思議と後腐れが残らない。
 ムカつきもわだかまりもなく、清々として晴れやかな気分で笑っていられる。
 何も考えることなく、心の内を読むことも必要とせず、終わりは「お疲れ様」で締めくくられる。

 だから俺は学校に行っていたのか。
 学生生活をカモフラージュする手段ではなく、楽にしていられる場所として……
 鍵をかけて仕舞っておいたはずの皐月の顔、ゆかりの顔が浮かんでは消え、澱みのない希望を宗一に伝えた。
 そういうことか。那須宗一と地獄に堕ちてくれるハック・フィンは夕菜姉さんだけではないということか。

 たくさんの記憶が、思い出が今の自分達を支えてくれている。
 今更のような事実に気付き、宗一の箍が外れてひとつの感情を溢れ出させた。

「は、はは……奇遇だな……俺も、みっともない顔なんだ……」

 今まで堰き止め、男という義務感で縛り上げてきたものが一気に瓦解し、濁流となって押し寄せていた。
 この流れは止めようとしても止められず、また止める気にもならなかった。
 停滞し、澱みきっていたものが洗い流されてゆく感覚。
 情けない姿で、こっ恥ずかしいものには違いないが不思議な心地よさがあった。
 渚もきっと同じ感覚を味わっているのだろう。だから分かる。

 人はこうして、弱さを乗り越えて強くなれるのだろう。
 過去の澱みを洗い流し、心機一転して進む根源になり、より善いものを目指そうとする。
 もう、何も迷うことはない――そう思いながら、宗一は川の流れを見下ろしていた。

     *     *     *

421 変心 :2009/01/29(木) 02:01:23 ID:QkREX4Vk0
「……これで、いいんだな?」
「はい」

 那須宗一と古河渚が互いに身を寄せ合っているとき、ルーシー・マリア・ミソラと遠野美凪は、
 宗一と渚がいる職員室の外、廊下に居座って話をしていた。
 美凪は生硬い瞳のまま、ルーシーの問いに頷く。

 職員室の壁側を背に身をもたれさせていたルーシーは、美凪の内側で何かしらの決着がついたことを予想し、
 そしてそれは結局自分と同じ現状維持のままなのだろうと感じていた。
 わだかまりを、完全に洗い流すことは出来なかった。

 渚が悪いわけではないし、筋違いだということも頭では理解しきっている。
 ただ抜けきらないのだ。奥底で、腹の中で、引っかかっている小骨が抜けきらない。
 無視してもいいほどの痛みだが癇に障る痛み。
 だからといって、駄々をこねて喚くほど自分は子供ではないし、それでどうなるものでもない。
 心の在り様を冷静に捉え、応じて付き合ってゆけばいいだけのことだ。そうしていれば嫌なものを見ずに済む。
 総括すればそういうことだ。ルーシーはところどころ歪みを見せている窓越しに外の様子を窺う。

「雨だな……」

 透明度を下げた向こう側の風景は僅かの音量を伴って大地に雫を降らせている。
 静かな雨だった。まるでこの島を静寂で包み込もうとするように、雨音以外は何も聞こえない。
 いくつもの魂に対する厳かな鎮魂歌か、嵐の前の前奏曲か。

 折角服を着替えたのにまた濡れるのかと内心に嘆息しながら視線を戻そうとして……
 ピントが、窓に映る自分の顔へと当てられた。
 能面のように白く、鉄面皮を気取っている顔がそこにある。
 この仮面を剥ぎ取る術を知らないまま、先へと進んでいこうとする自分。
 果たしてそれは本当の『私』なのだろうか?

422 変心 :2009/01/29(木) 02:01:44 ID:QkREX4Vk0
「……私達は」

 ぽつりと呟かれた美凪の言葉が、窓に映るルーシーの顔をぼやけさせた。
 ぼんやりとして、しかしどこかもの悲しそうな美凪の表情が代わりに入った。

「善人にはなりきれないのだと思います。いえ、私達だけじゃなく生きているひとは、みんな」
「ただ私達は目を逸らし続けている。……そうしなければ、憎しみに変わってしまうかもしれないから」
「失ってしまったものが大きすぎたのかもしれません」

 言い訳のように美凪はまくしたてた。この感情を自分でも整理しきれないまま、
 悪いものだと分かりながらもどうすればいいか分からず、欠けてしまった部分に放置している。

「そうして空いてしまった部分に何かで埋め合わせをしようとする」

 もとあった団結心は他者への警戒心へと変わり、やがては腐り、奪ったものへの憎悪へと変わる。
 そうならないためにまた人は集まり、団結して、新たな警戒心を作り出していくのかもしれない。
 繰り返していくうちにだんだんと他者と相容れられなくなり、互いに食い合う……
 結局のところ、復讐や報復などといったものはそういうものなのだろう。
 元は互いに分かり合い、共生していくために寄り集まったはずなのに。

 ふっとルーシーの心に影が差したとき、「でも」と美凪が声を発した。

「私は今、痛いです。どうしても受け入れられない部分があると分かって、遠ざけて解決しようとしている。
 それは寂しすぎるんじゃないか、って言ってくるんです。……恐らくは、私の、良心が」
「良心、か……」
「るーさん、さっきの質問ですが」
「ん?」
「……やっぱり、言い切れません。どうしても、私には出来ないようなんです」
「そうか……私もだ」

 胸のうちにまたズキズキとした痛みが走るのを感じながらもルーシーは言い切った。
 これは中途半端で悪い選択なのかもしれない。
 先ほどの質問……このチームを離脱し、二人だけで姫百合珊瑚を探しに行くかという提案。
 一度は頷いた美凪だったが、ここで再び首を振り、ルーシーもまたその気は失せていた。

423 変心 :2009/01/29(木) 02:02:01 ID:QkREX4Vk0
 渚に感じているものはほんの些細な反発感だ。
 埋葬の話から始まる、死者の扱いに対しての微細な不満。
 それに彼女はどこか孤独を望み、意固地であろうとして、なのに自分達とは全く反対の生き方をしている。
 ルーシーは気にもしなかったが、けれども小さなしこりとなっていることも認識していた。
 美凪も同様のようで、だからこそ離脱話を、提案として持ちかけたのだった。

「古河さんが嫌いじゃないんです。……寧ろ、自分自身が嫌いになりそうで……」
「私も古河は嫌いじゃない。あいつはまあ、大人し過ぎるが面白い奴だ」
「そうですね。何だか危なっかしくて」
「一生懸命で、手伝ってやりたくなる」

 思わず苦笑が漏れた。釣られるようにして美凪からも苦笑が出る。
 そんな渚と一緒にいると、どうしても自分の側面が浮き彫りになってしまう。
 そこが浮き出るたび、自分で自分に嫌悪感を持ち、このままいていいのかという気持ちに駆られる。
 決して善人でいられず、醜い部分を残したまま渚といていいのか。そんな感慨に囚われる。

 だがそのまま別れてしまい、次に会った時溝が大きくなってしまうのでは寂しすぎる。
 それだけが引っかかりとなって、一度決意したはずの離脱を急遽取り止めにした。
 これで良いんだという思いもある反面、僅かな苦痛と向き合い続けることが出来るかと不安にもなる。
 けれども唯一確信を持って言えることがある。この選択をしたのは自分だけでなく、美凪もだ。
 多数の正しさとは言わない。が、二人の気持ちは共に同じだということは間違いない。

 今はその事実だけ受け止めればいい。正しいかどうかはまだ決めなくていい。
 互いに頷きあったのを終わりの合図にして、ルーシーは再び窓の外へと視線を移した。
 相変わらずの雨だ。強くもなく、さりとて当分は止みそうにもない。

「……ん?」

424 変心 :2009/01/29(木) 02:02:20 ID:QkREX4Vk0
 燻る雨の向こう、山の中腹あたりから何やら煙のようなものが見える。
 よく目を凝らしてみるが、あれはまさしく煙だ。
 闇夜に紛れかかっていたのと空のどんよりとした色のせいで全然気付けなかった。
 火事だろうか。それにいつ頃から起こっていた?

「なぎー、見てくれ」
「はい?」

 窓を開け、煙の出ている方向を指差す。
 最初は何があるのか分かっていない様子で目を細めていた美凪だが、次第に何があるのか見えてきたらしく、
 火事でしょうか、と呟く。そして同時に、こうも付け加えた。

「山の中……だとしたら、ホテル跡かもしれません。まだ煙があるということは」
「この雨だ、山火事の可能性はなさそうだ。……間違い、ないかもな」

 人はいないと断定したはずのホテル跡で、不自然な火災が起こっている。
 そこから考えられる事実はひとつしかない。戦闘だ。誰かが殺しあっている。
 それも小競り合いなんかじゃない、大規模な乱闘だ。
 ここから見えるほどの火災が起こっているのはそういうことだ。
 まずい事態になったな、と内心に舌打ちして職員室に割って入ろうとしたとき、扉が派手に開けられた。

「おいルー公、遠野! 火事があるみたいだぞ! こっち来てみろ」
「何?」

 あっちでも? とルーシーと美凪が顔を見合わせる。
 同時多発火災。ピーポーピーポー。消防車は引っ張りダコ。

「実はこちらも火事を発見したところだ。向こうの窓から見てみろ」
「マジか」

425 変心 :2009/01/29(木) 02:02:38 ID:QkREX4Vk0
 今度は職員室から出てきた渚と宗一が顔を見合わせる。
 そこはかとない不安を感じ取ったのか、「早く見てみましょう」とせっつく渚に引っ張られるようにして、
 宗一が廊下側の窓に張り付く。ルーシーと美凪も入れ替わるようにして職員室に入っていく。

 宗一達が発見した火事は割と分かりやすく、雨にも関わらず空の一部が紅に染まっていたことから、
 すぐに分かった。もう一箇所の火事は平瀬村で起こっているようだった。
 同時に発見したということは、犯人は別々……つまり、最低でも二人の殺人鬼が近くにいることになる。

「……水瀬名雪……」

 隣で火事の起こった方向を見ていた美凪が、低い声で呟く。
 色の無いその声は、美凪が目にした悲劇の程を言い表すのに十分過ぎるものがあった。
 水瀬名雪。美凪の仲間二人と、ルーシーの相棒を葬り去った仇。
 この事件の下手人として彼女が絡んでいる可能性は確実にある。
 だとするなら……

 ぐっ、とデイパックを持つ手に力が入る。感情が復讐心で塗り固められ、どろりとした澱みが内を満たす。
 忘れられない記憶が恨みを呼び覚まし、己を獣へと変えていく。
 渚のようになりきれない理由だ。
 理屈では分かっていても許せないという言葉ひとつで変貌してしまう自分がここにいる。
 我慢出来ず、殺されたということを殺し返すことでしか満たせない、食い合うだけの存在だ。
 だから、私は――

「……行きましょう。二人で、あの人を『殺す』んです」
「――ああ」

 頷いたときには、既に走り出していた。
 結局はもう一度手のひらを返し、宗一たちから離脱することにしてしまった。
 中途半端に方針を変えた挙句、最後には復讐心に従ってでしか動けない。
 だが自分にはこうすることしか出来ない。こうすることでしか感情を抑える術を持たない。
 自分も、美凪も……凡人でしかないのだから。

426 変心 :2009/01/29(木) 02:02:52 ID:QkREX4Vk0
「那須、私達はあっちの、村の方の火事を当たってみる。お前達は向こうに行ってくれ。
 ひょっとしたら探してる人が襲われてるかもしれん」

 職員室から出た直後、宗一の姿を確認するやいなや、ルーシーは早口に言い放った。
 半分は嘘だ。単なる理由付けにしか過ぎず、その実名雪を殺しに行くことにしか意識を傾けていない。
 それでもなるべく冷静を装って言ったつもりだった。ただ反論の機会は与えない。

「何もなかったらそちらに合流する。それでも行き違ったら最後にはここに戻ってくればいい。文句はないだろう?」
「ルー公……? お前」
「任せたぞ。行こう、なぎー」

 言うだけ言うに任せると、ルーシーは美凪を引き連れて足早に昇降口まで行く。
 頭の中は、これからほぼ確実に出会うであろう名雪との戦闘だけを意識していた。
 デイパックからウージーを取り出し、美凪もまた包丁を取り出している。

 ここから先は使命を果たすだけの機械。復讐心に染め上げられただけの存在に過ぎない。
 脱出するという目的も、生きて帰るという決意も、憎む感情の前には霞んでしまう。
 何故ならそれほどに、それほどまでに……あのひとは、美凪にとってはあのひとたちは。
 半身、だったのだから。

     *     *     *

 有無を言わせずルーシー、美凪の二人が立ち去った後、宗一はどうするかと頭を回転させていた。
 二人では危険だと後を追うか。それとも言葉に従ってもうひとつの火災現場に向かうか。

 早口にまくし立て、言葉も待たずに駆け出した二人の様子は尋常じゃない。
 口調こそ冷静だったが、心中では何かがあったはずだ。
 想像を働かせようとするが、彼女達とは知り合ったばかりで、詳しいことはなにひとつ知らない。
 この地獄をどのように生き延び、その過程で何を見てきたのか……
 そしてそれに応えられる言葉は何であるのか。……そんなものを、持てるはずがなかった。

427 変心 :2009/01/29(木) 02:03:09 ID:QkREX4Vk0
「宗一さん」

 考えあぐねている宗一の耳に飛び込んできたのは、驚くほど冷静ではっきりとした渚の声だった。
 水をかけられたような声に弾かれたようにして、渚の顔を見る。
 決意を秘め、為すべきことを見つけ出した人間の顔がそこにあった。

「わたしがお二人の後を追います。宗一さんは指示通り、あの山へ向かってください」
「渚……? 待て、それなら」
「わたしが行かなきゃダメなんです」

 ぴしゃりと撥ね付けられた声に、宗一は言葉を失うしかなかった。
 栗色の瞳の中には強靭な、男でさえ見ることのないような意思がある。

 不意に宗一は遺体の姿で見た古河秋生のことを思い出した。
 目を閉じていながら尚意思を持ち生きているような気配さえ見せていた父親の顔。
 それと同種の気配が今の渚にはある。
 みっともないあの時とは一変した渚。

 これが澱みを洗い流し、強くなった彼女の姿なのか。
 呆然としたままの宗一に、渚は言葉を重ねる。

「わたしは……今まで自分のことしか考えてなくて、誰のことも知ろうとしませんでした。
 正確にはわたしを知らせたくなかったのかもしれません。どうしてかというと……
 わたしは、ひとりのまま、これまで生き長らえてきた責任をとって死のうとしていましたから」
「……ああ、薄々でしかなかったが……気付いてた、それは」
「ですよね。宗一さんは、世界一のエージェントさんですし」

 それにわたしは嘘が苦手ですから。苦笑した渚には後ろめたさのようなものが感じられたが、
 すぐに打ち消した。今は過去に囚われていない渚の強さが垣間見えたようだった。

428 変心 :2009/01/29(木) 02:03:25 ID:QkREX4Vk0
「ですから、わたしが行かないといけないんです。まだわたしにはたくさん知りたいことがあるんです。
 このまま別れたままだと……きっと、合流できても何も分かることが出来ないと思います。
 ええと、分かりやすく言うと――死なせたくないし、仲良くなりたいです。お二人とは、もっと」

 目を細め、微笑んだ渚にはあらゆる弱さを吹き散らす光があった。
 単純なことだった。仲間だから、もっと分かり合いたい。
 そんな願いに対して、宗一が応えられる言葉は一つしかなかった。

「……ああ、分かったよ。任せるぜ、セイギピンク」
「ええっ」

 まだピンクなんですか、と困ったような表情を見せた渚に、今度は宗一が吹き出した。
 俺が守りたかったものはこれなんだ。俺が馬鹿でいられるひとや、場所を守りたいのが俺の願いなんだ。

「こっちのことはこのセイギブラックに任せろ。どんな問題だってたちどころに解決してやるさ」
「あぅ、うー、はい……が、頑張ってくださいっ。わたしもですが」

 慣れない様子で握り拳を作った渚に、宗一も拳を作り、軽く突き合わせた。
 こん、とぶつかる感触を確かめ、宗一は何の含みのない笑顔を向ける。渚も同様に笑った。
 間に合わせろよ、渚――

「よし、行くぞ。立ち止まっていられないからな」
「は、はいっ!」

 二人は走り出す。

 長い、長い道を――

429 変心 :2009/01/29(木) 02:04:19 ID:QkREX4Vk0
【時間:二日目20:00前】
【場所:F-3 分校跡】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 4/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:ルーシー、美凪を追って平瀬村方面に。人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、スラッグ弾8発(SPAS12)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:心機一転。健康】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。ホテル跡方面に移動】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:強く生きることを決意。だが名雪への復習は果たす。お米最高】
【目的:名雪を探して平瀬村方面に。るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。だが名雪への復讐は果たす】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーに同行】 

【その他:22:00頃にはここで再合流する約束をしています】
→B-10

430 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:26:53 ID:fhU/1vc20
広い作りのパソコンルームは、閑散としていた。
元々言葉数が少ない、一ノ瀬ことみ。
そんな彼女に対しにこにこと笑みは湛えているものの、自分からは口を開こうとしない少年。
睨み合うというより見つめ合う二人の間に、交流といったものは乏しい。

少年はことみの性質を知らないからか、彼女が警戒した上で自分の品定めでもしているのだろうと考えていた。
だから急かすようなことは一切せず、ことみの出方を一方的に待つという姿勢を取っている。
一方ことみはと言うと、勿論そんな深いことを考えているということもなく。
ぽーっとした視線を少年に送りながら、ことみは今更彼が最初に投げかけてきた言葉を胸の中で反芻する。

『やあ、何をしているのかな』

何をしていたか。
手の中にある地図を見据え、ことみは再度頭を捻る。
ほんの少し間を持たせた後ことみは視線を少年の方へ移し、挑発するように手にしていた紙切れをピラピラと振りながら口を開いた。

「気になる?」
「うん、気になる。教えて欲しいな」

少年の即答にも、ことみの能面が崩れることはない。
ただ少年は、やっと頑なであったことみの心が開かれてきたのだろうと理解したらしく、現実に存在していた二人の距離を詰めてきた。
少年が立ちぼうけを受けていたのは、パソコンルームに存在する南方の入り口である。
そこから北方のプリンターが並べられていることみの元へ、まっすぐ進む少年の見た目は軽装であった。
見ると、彼の持ち物の中でも最も目立つだろう強化プラスチックの大盾は、入り口にのドアへと立てかけられ放置されている。
少年はことみの警戒を最小限にすべく、目の前で身を守る道具を一つ手放したのだ。
これも彼の作戦である。
様子を探った上でことみという少女に対し、少年は攻撃性等を見出さなかった。
いたって大人しい、見た目と全く同じ印象を受ける少女。
殺すにしても、容易くこなせる対象である。

431 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:27:28 ID:fhU/1vc20
そんな少年が、さっさと手を下すことなくここまで遠回りなことをしているのは、現在彼の行っている問い詰めもまた真意の一つだからである。
彼女がこのような場所に引きこもり何をしていたのか、何を得たのか。
少年は、それが気になって仕方なかった。
一ノ瀬ことみという少女の情報を、少年は自身の記憶からではなく外部から得たものとしてそれとなく持っている。
しかし、とある『世界』にて神がかり的な能力を発揮していたと言うことみに、今やその姿は見る影はない。
ことみが聖と二人でいた頃からずっと機会を窺っていた少年に、ことみが気づく様子は一切なかったのだ。

「教えて欲しい?」
「うん。教えて欲しいな」

歩を進めるているとことみからもう一度問いを受けたので、少年はこれにもまた笑みを浮かべにこやかに答えた。
ことみは片手で尚紙をぴらぴらとさせたまま、少年がやって来るのを大人しく待っている。
少年は利き手をポケットにつっこみ、いつでも引き抜けるようにと隠し持っていた拳銃の感触をこっそり確かめている。
緊張感のないことみのぽんやりとした声と、カツカツと響く少年の靴音にはどこか反対の印象を受けるが、彼らの立ち姿こそが正に正反対のものであろう。
そうして二人の距離が二メートル弱と縮まった所で、少年は足を止めた。
笑顔の少年は、そこでことみの出方を待つ。

「あのね、秘密のことなの」
「ふーん?」
「だからね、特別」
「分かった。他の人には言わないよ」

人差し指をそっと口元に運びながら、ことみが口を開く。
可愛らしい少女のないしょ話に、少年は二つ返事で付き合うことを了承した。
と、ここでことみにちょいちょいと手招きをされ、少年は少しだけ首を傾げる。
もう二人の距離は大分近づいているので、これ以上その距離を詰める必要性が少年には分からなかった。
ちょんちょんとことみが自分の耳を指で指したところで、ああ、耳を貸して欲しいのかと少年も理解する。
こんな状況に放り込まれた上で大胆な要求をしてくることみの滑稽さに、最早少年は苦笑いも出さなかった。

432 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:27:57 ID:fhU/1vc20
「これでいい?」
「オッケーなの」

少しだけ前に出た後片耳を傾ける姿勢を取り、背の低いことみに合わせる形で少年は少しだけ腰を落とす。
ことみもちょこちょこと前に出てきて、少年の耳元に愛らしいぷっくりとした唇を寄せた。
吐息。少女の吐息。
甘い香りを想像させることみのそれが、紡ぐ言葉。少年は静かにそれを待つ。
震える空気、ことみの発する言葉に少年は全神経を傾けた。

「こんな状況で、甘すぎるの」

一瞬何を言われたのか理解できなかったであろう少年の瞳が、見開かれる。
驚愕と同時に少年の体を襲ったのは、焼けるように走りめぐる高圧の電流だった。

「ぐあぁっ?!」

低い呻き声を上げそのまま膝をつく少年から、ことみはぽてぽと距離を取る。
彼女の片手に握られている暗殺用十徳ナイフが仕掛けた攻撃をまともに受けた少年が、立ち上がる気配はない。
しばらくは体の痺れも抜けないだろう。
距離を近づければ近づけるほど、相手の全景も捉えにくくなる。
ことみが起こした大胆な奇襲を、予想できなかった少年の完敗だった。

怯えた様子が皆無であったこと。
あまりにも態度が堂々としていたということ。
確かに『こんな状況』では、あり得ない少女像だった。
それもことみのぽんやりとした外観が成せた虚構であると少年が気づいた時には、全てが遅い。
少年がことみを舐めきった結果がこれだ。
どこにでもいる可愛らしい女学生の皮を被った狸は、そうしてさっさと少年の前から姿を消した。

433 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:28:25 ID:fhU/1vc20
……残された少年の表情には、微かな笑みが浮かんでいる。
傷つけられたプライドに誇りという概念を持たない彼にとって、この遊戯のレベルが想像以上に高かったという思いだけがそこにはあった。
彼の、この掃除という名目がつきそうな作業に対するやる気自体はそこまで大きくない。
やるべきことはやろうとするが、本来ののらりくらりとした性格故行動も迅速ではないということもあるだろう。
与えられた指名を全うしなくてはいけない義務を抱えているようには到底見えないが、これが少年の性分だ。
その中で、彼の胸の内に一つの炎が生み出される。

(こういうのは、楽しいかな)

レクリエーションに参加する勢いである少年の目は、爛々としていた。
ただの虐殺などに面白みは感じない、必要があるからこなしているだけの状態では飽きが来る。
参加者はまだ多い。引っ掻き回し甲斐は、充分だ。
いまだ自身の四肢はぴくりとも動かないけれど、少年はわくわくする気持ちが抑えられなかった。

そう。
今回は少年の負けだったが、本質的な意味での決着自体はついていない。
この島で行われている殺し合いの勝利条件は、相手の命を奪うことである。

―― ことみの敗因は、この場で少年の命を奪わなかったことだ。

彼女はまだ知らない。
理解していない。
殺さなければ、殺されるというこんな状況を。

434 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:29:05 ID:fhU/1vc20

          ※ ※ ※


「痛っ!」

襲ってきたのは脇腹に響く激しい痛み、相沢祐一が覚醒したのはそれが原因だった。
続く体を弄られる感触に、祐一は慌てて辺りを見渡そうとする。

「こら、じっとしたまえ」

そんな祐一に向かって注がれたのは、落ち着いた様子の女性の声だ。
声の主、霧島聖は手を休めることなく黙々と作業を続けている。
聖のスムーズな手さばきに思わず目を見張りながらも、祐一はしゃべることを止められない。

「あんた一体……っ!」

寝ていた半身を起こそうとしたことで走る痛み、祐一は思わず小さな呻き声を零す。
見ると上半身が裸の状態である祐一の腹部には、包帯が巻かれていた。
何故このようなことになっているのか、あやふやで靄がかかったような自分の思考回路に祐一は表情を曇らせる。

「安心しろ、出血は多いが傷は深くない。……かなり時間が経ってるな、痕は残るだろうがそれだけだ」
「あ、あぁ」
「何だ。浮かない顔だな」

意識がはっきりしたばかりで状況が読み取れていない祐一には、自身の置かれた立ち位置だって分かるはずもない。
俯き思案顔の祐一を覗き込むよう、体勢を低くしながら聖は気さくに話しかける。
それにより強調されたボリュームのある胸部に一瞬視線をやった後、祐一はあらためて聖と目を合わせた。

435 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:29:31 ID:fhU/1vc20
「えっと、あんたは……」
「私は霧島聖。医者だ」
「これは、あんたが?」

施された手当てを指差しながら祐一が問うと、聖はそうだと頷き返す。
よくよく考えれば、それはすぐに理解できることであろう。
祐一の体を入念にチェックしていた聖はきっと、彼の傷がこの場所以外のどこかにないか探していたに違いない。
素人とは思えない手さばきに祐一が驚いたのは、ついさっきのことだ。
羽織っている白衣から覗くTシャツは少々胡散臭いものの、彼女が医者だといのは恐らく嘘ではないだろう。

「出血がひどかったから、勝手だとは思うが君の服は処分させてもらった。今連れが代わりの衣服を探しに出ている」
「先生!」
「お、もう戻ってきたみたいだぞ」

それは祐一が寝ていたベッドからもよく見える、廊下に続いているであろう扉の外からかけられた声だった。
ガラッと勢いよく開けられた扉から現れた、祐一と同じ年頃くらいであろう二人の少女の表情は明るい。
活発そうな短髪の少女と、おとなしそうなロングヘアの少女。
敵意を感じさせない雰囲気に、祐一は緊張を覚えることなく彼女等の動向を眺めていた。
一足先にと駆けて来たのは活発そうな少女の方であった。
活発そうな少女は小走りで聖に近づと、自信に満ちた表情で戦利品であろう手に持っていた物を広げる。

「先生、これでどう?」
「うむ、理想的だな。よく見つけてくれた」
「見つけたのは美凪。見本で飾ってあったのよ。何か女子の方はなかったんだけど、男子のはあったからちょうどいいかなって思って」

えっへんと胸を張る少女が手にしているのは、黒をベースに赤のラインが入っている一着のジャケットだった。
デザインからして、制服の類のような独特の印象を受けさせる。
実際それはここ、鎌石村小中学校に飾られていた制服であった。
少女の腕にはジャケットに付属すシャツやネクタイもかけられていたため、どうやらマネキンを裸にして持ち運んできたのだろう。

436 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:29:58 ID:fhU/1vc20
「ズボンはいらないと思ったんですけど、一応」
「そうか。美凪君もありがとう」
「いえ」

活発そうな少女の後ろからゆっくりと歩いてきた大人しそうな少女が、聖の言葉に対しその細い首を緩く振る。
彼女腕に衣服はかかっているそれが、恐らくそれがズボンなのだろう。
祐一はじっと、そうして活発そうな少女と共に聖の横に並ぶ大人しそうな少女の仕草を眺めていた。
さらさらと揺れる黒髪は、色は違うけれどどこか祐一の幼馴染のヘアスタイルに通じるものがある。
彼の幼なじみも、どちらかというばのんびりとしたタイプだった。
この少女のような上品さは見えないものの、それでも祐一は幼なじみの懐かしい感覚にひたりながら彼女のことを見つめていた。
しばらくしてその視線に気づいたのか、大人しそうな少女が祐一の方へと面を向ける。

「あ、ごめん。何でもない」
「……はい」

少女のか細い声から受ける印象は儚さそのもので、祐一は少し高鳴る胸の鼓動に一人俯き耐えるのだった。

「さて、じゃあ早速着替えたまえ」
「は?」
「いつまでもその格好でいては、風邪を引いてしまうかもしれないだろ」

唐突な聖の言葉に呆気に取られる祐一だが、その間に活発そうな少女が祐一のベッドに向けてジャケット等を放ってくる。
乱暴な仕草にむっとするものの、少女に悪意はないらしく祐一も余計な口出しはしない。
祐一は衣服をかき集め、その中からシャツを引っ張り出し軽く羽織った。

「ズボンです。どうぞ」

ずずっと、大人しそうな少女が手にしたズボンを祐一に差し出す。
きちんと手渡ししてくる少女の礼儀良さは、活発そうな少女に比べることで尚更際立つだろう。
しかし、祐一は足を怪我した訳ではない。
実際ズボンは身に着けているままだったので、祐一は大人しそうな少女に丁重な断りを入れる。

437 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:30:25 ID:fhU/1vc20
「下はいいよ。別にケガもしてないみたいだからさ。ありがとう」
「……」
「いや、だから」
「ズボンです。どうぞ」

ずずずっと、大人しそうな少女が手にしたズボンを祐一に差し出す。
大人しそうな少女は、見た目に寄らず意外と強引だった。

「一応制服なんだし、上下合わせた方がおしゃれなんじゃない?」
「こんな所でおしゃれなんて追求してもなぁ」
「いいからいいから。っていうか、あたし達いたら着替えにくいわよね。ちょっと出るから、着替え終わったら呼んでよ。ほら先生、美凪も」

活発そうな少女は一通り捲くし立てると、ベッドを隠すための白いカーテンを勢いよく引き祐一の姿を隠す。
活発そうな少女は、見た目通り強引だった。
女性陣に押されっぱなしの祐一は、小さく溜息をつきながら渡された衣服に着替え始めるのだった。





「……会話をしてみた感じでは、危険な印象は受けないな」

祐一が着替えをしているベッドを遮っているカーテンの向こうにて、聖は声を絞りながら話し出す。

「と言っても、君達が戻ってきたのが予想より早くてな。そこまで込み入った事情等はまだ一切聞いていない」
「でも、生き返ってよかった」
「こらこら、別に彼は死んでいた訳じゃないんだぞ」

先ほどまで活発そうだった少女、広瀬真希のとんちんかんに思える呟きに、聖は笑い混じり言葉を返した。
しかし真希の表情は重い。
見た目だけなら出血もひどく、危険に見えた祐一の姿に受けたショックを真希はまだ拭えていないのだろう。

438 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:30:53 ID:fhU/1vc20
「大事じゃなくて、よかったです」
「そうね。本当に」

与えられたトラウマに気を落とす真希の隣、遠野美凪に変わった様子は見えない。
内心は分からないが、それでも連れである美凪が飄々としているのだ。
これ以上自分も弱気でいてはいられないと、真希は頭を振って気を取り戻そうとする。
彼女も、転んではただで起きない強情者である。
格好悪い姿を美凪に見られてしまったという恥を胸の奥に押し込み、真希は改めて自分に叱咤するのだった。

「あと先生、あたし達はあたし達であいつに聞きたいことがあるの」
「ほう?」
「ほら、北川って奴がいるって話したでしょ。多分ね、あいつ北川と同じ学校通ってるわ」
「制服、同じなんです」

二人の証言に聖は目を丸くする。
そのような可能性が頭になかった聖からすれば、まさかの繋がりだった。

「もしかしたら、あいつ北川の知り合いかもしれない。そのことでちょっと話してみたいかなって」
「そうか。ぜひそれは話してみて欲しいな」
「……北川が探していたのがあいつだったら、別れなくてもよかったのに」

ぽそっと漏れた真希の言葉に、聖が気づいた様子はない。
彼女の不安は、同じように美凪の中にもあるだろう。
彼女等の仲間であった北川潤は、親友が殺し合いに乗るかもしれずそれを止めたいと語り二人から離れていった。
実際それは潤がジョーカーとして行動を開始するための虚言だったのだが、真希も美凪も気づくはずなどない。
せめて潤から彼が探している相手の名前だけでも聞いておけばよかったと後悔する真希だが、それも今更の事である。

439 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:31:16 ID:fhU/1vc20
「彼の傷は、かなり時間が経っているものだ。恐らく彼を攻撃した人物もとっくに離脱をしている可能性はあるが……やはり、ことみ君を一人にしてきたのは気になるな」
「なら先生、あたし達が行ってくるけど」
「いや、何だかことみ君も思いつめていた様子でな。危険であることは違いないが、少し一人にしてやりたいという思いもある」
「あのふてぶてしいのが?!」

また好き嫌いの問題ではなく、真希とことみは何かと剃りの合わない場面が多い。
つっこみに定評のある真希だが、美凪の上を行く独自の世界観をもつことみには多少なりとも苦手意識があるのかもしれなかった。
そんなマイペースな面の強いことみが思いつめていると聞き、真希も思わず声を上げる。
想像できないのだろう、眉を寄せる真希に苦笑いを溢しながら聖は話を続けた。

「それで君達が嫌じゃなければなんだが、彼が安全そうである場合ぜひ灯台まで行くのに同行して貰いたいと思っている。彼が他に何か目的を持っていない場合、だが」
「別にあたし達はどうでもいいわよ」
「えぇ、先生にお任せします」

聖は今回の祐一との遭遇で、危険な争いが起きているという事実を改めて自覚していた。
これから血生臭い事に巻き込まれた場合、女だけでのコミュニティでは圧倒的に不利だという思いが強いようである。

「まあ彼は怪我人だから、前線で争わせたりすることはしない。だが精神面で男がいるかどうかは、大分変わるだろうからな。それにいるだけでも、はったりくらいにはなるだろう」

女だけのグループでは、舐められる対象として格好の的になってしまう。
そういう意味で、聖は男手を欲しがっているのだ。
実際真希も美凪も、聖の言い分に反対する考えなど一切浮かんでいなかった。

「いざという時、君達はまず自分の安全を考えてくれて構わない。万が一の場合は、私が動く」

続けられた聖の言葉は、重い。
鋭い聖の強面に含まれた覚悟に、真希が小さく息を飲んだ。
それぐらいの迫力が今の聖にはある。
逃げも隠れもしないといったその雰囲気は頼もしいが、それでも危険なことに巻き込まれないのが一番であろう。

440 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:31:39 ID:fhU/1vc20
「……このまま、何事もなければいいんだけどね」

ぽつりと漏れた真希の言葉に、答える者はいない。
誰もが思う、当たり前の願いである。
しかしそれが実現するかは、行われた死者発表の放送にて呼ばれた人数の量から計る確立だ。
叶うことが難しい願望に縋っていては、前に進むことはできない。
聖の心はもう決まっていた。
生き残ること。
そしてこの島から脱出するということ。
亡くなった妹のことが気にならない訳ではないが、それでも今聖の傍にはか弱い少女達が集まってしまっている。
皆、聖の妹とは同年代であろう。
せめてこの子達は欠かさず救ってあげたいという思いが、今聖を突き動かしている原動力だった。

「着替え終わったぞ」
「ああ、今行こう」

会話が止まり気まずいとも呼べる空気が流れていたので、祐一からかけられた声は聖達にとって本当に良いタイミングだった。
暗い雰囲気を掻き消し、三人は再びカーテンの向こう側へと戻る。
カーテンを開け隠されていたベッドスペースを曝け出すと、そこには少し気恥ずかしそうに襟元のネクタイを弄っている祐一の姿があった。

「よく似合ってるぞ、少年。サイズはちょうどいいみたいだな」
「男前度が上がったんじゃない?」
「ぽっ」

上下きちんと制服を着込んだことから、祐一の印象も大分変わったかもしれない。
鏡がないため今自分がどのような格好になっているのか祐一自身は分からが、それでも似合っていると言われれば気分はよくなるものである。
頬を掻く祐一の満更でもない表情に頃合所かと、聖は改めてベッドに腰掛けるよう祐一に勧めた。
自分は脇に添えられた椅子に座り、聖は本題を口に出す。

441 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:32:09 ID:fhU/1vc20
「じゃあ、君の事情でも聞かせてもらいたいと思う。その怪我を負った時のこと、覚えているか?」
「あ、あぁ……」

走る緊張感に、聖の後ろで待機する二人の少女も口を噤む。
訪れた静寂は、祐一に早く口を開けと催促しているようにも見えた。
ごくっと一つ息を吐き、祐一はあの場面を思い出そうとする。
オロボロの少女のこと。共にここ、鎌石村小中学校に訪れた仲間達のこと。

(そう言えば、神尾達は……)

そうして甦った状況は、今祐一がこんな所で呑気に休んでいる場合ではないと告げていた。
さーっと血の気が引いていくのを感じながら、祐一は困惑を振り払おうと頭の整理を尚しだす。
焦ってはいけないと自身に言い聞かせながら、震える唇を祐一が動かそうとした。
その時である。

「……誰だっ!」

突然の聖の怒声に肩を竦める一同、祐一も思わず口を噤んだ。
聖の変容は一瞬で、何が起きたか理解できていないメンバーは戸惑うしかない。
聖の目線は、先ほども真希と美凪が入ってきた廊下に繋がる扉に伸びている。
誰かそこにいるという確信は聖以外持っていないようで、真希も美凪もお互いの顔を見合わせながら不安そうに聖の出方を待つしかない。
少しの間の後開け放たれた扉を見つめながら、聖は素早く自身へ支給品されたたベアークローを装着した。

「ことみちゃん」

緊張の糸が、切れる。
扉に手をかけながら保健室の中に足を踏み入れてきた少女の声で、聖の殺気は掻き消された。
真希も美凪もほっと息を吐いていることから、祐一は少女が彼女等の知り合いであると予測付ける。

442 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:32:29 ID:fhU/1vc20
「ことみ君、もういいのか?」

少女は頷き、ぽてぽてとそのまま聖の元へと近づいていった。
少女を笑顔で迎える彼女等の中、祐一は一人ポツンと残される。

「紹介しよう、一ノ瀬ことみ君だ。彼女で私達のグループは全員になる」
「あ、あぁ」
「ひらがなみっつで、ことみちゃん」
「よろしく……」

ことみのマイペースに拍車をかけたしゃべり方に押されながら、祐一も小さく頭を下げる。

「ねえ。何か分かったこととかあるの?」
「はい、これ」
「地図?」

真希に話しかけられ先ほどのプリントアウトされた地図を手渡すと、ことみは聖に向き合う。
落ち着いた様子に外傷も見当たらないことみに、聖は心底ほっとしていた。
別れ際のことがあったのが原因だろう。
とにかく無事でいてくれたということで、聖は気さくにことみの頭に手を伸ばしながら話しかける。

「良かった。何もなかったようだな」
「そんなことないの、ピンチだったの」

声のトーンが変わらないせいか、真剣に聞こえないことみのことばに聖が眉を寄せる。
しかしその疑いは、聖の過ちだった。
それからかくかくしかじかと語れたことみの出来事に、緩んでいた聖の頬は一瞬で引き締められた。

443 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:33:00 ID:fhU/1vc20
「……おい、ことみ君」
「?」
「君が撃退したというその少年のことだが……具体的に、彼は君に何もしていないということでいいんだな」

こくりと頷くことみに、聖は大きな溜息を吐く。
聖達が出てから、一人の少年に出会ったということ。
それを撃退したということ。
怪しいと思える人間、しかも男が相手では仕方のない反応かもしれないが、これではことみが容赦なく相手に襲い掛かったようなものであった。
その少年を放っておく訳にも行かないだろうと頭を抱えそうになる聖だが、次のことみの言葉でまた顔色が変わる。

「臭いがしたの」
「何だって?」
「血の臭い。絶対消せないくらい、濃かったの」

困ったように、ことみは少し眉を寄せていた。
あれだけ少年と近づいたから気づくことが出来たのかもしれない、自身の嗅覚が確かに捕らえた生々しいものの正体にことみはそっと目を伏せる。
ぽかんと。
ぽかんとしている聖は、ことみの言葉をすぐには理解できなかったのだろう。
しかしそれも、一瞬のことである。
徐々に強張っていく聖の形相、俯くことみはそれに気づかない。
印の入った地図を見ながら話している真希と美凪も、気づかない。
祐一だけが。
遠目から聖とことみの様子を覗いていた祐一だけが、聖の変化に気づいていた。
体を震わせながら拳まで固めだした聖が、いきなり力の限りといった様子で真横にあった壁を殴りつける。

「そういうことは、先に言ってくれたまえ!!」

444 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:33:27 ID:fhU/1vc20
決して大きくはない聖の声に混じっている苦さは、そのまま保健室の中に染み渡った。
騒ぎだすことはないが明らかに変貌した聖の様子に、地図に見入っていた真希と美凪も驚き振り返る。
祐一も、奥で一人体を硬くしてた。
聖の感じる激情の意味が思いつかないのか、ことみだけがきょとんと首を傾げている。
はぁ、と大きく溜息をつく聖に、何も分かっていないことみは裏のない労いの言葉をかけた。

「せんせ。おつかれさま?」
「そうだな、ここに来て今が一番疲れた瞬間かもしれないぞ……」

聖が整理しなければいけない情報は、山ほどある。
ことみが撃退した少年のこと。
放置している、保健室のベッドに腰掛けさせたままの祐一のこと。
そういえば、聖はことみがパソコンルームで上げた戦果についても一切の情報を得ていなかった。

(何から片付けろと言うんだ……)

時間に余裕があれば、聖もそうして悩み続けることができただろう。
しかし、彼女にそんな猶予が与えられることはない。

―― 廊下が、鳴る。

距離は遠いだろうが、確かな一定のリズムに気づき聖は思わずはっとなった。
それが人間の奏でる足音だと理解できた時、聖の背中に嫌な予感が走り抜ける。
装着したままである聖のベアークローが小刻みに震える様、その様子が視界に入ったらしいことみは不思議そうに首を傾げるだけだった。

445 コスプレロワイアル :2009/02/05(木) 00:33:48 ID:fhU/1vc20
一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:主催側のデータから得た印付の地図、毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:聖に注目】

霧島聖
【時間:2日目午前午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:困惑】

広瀬真希
【時間:2日目午前午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:聖に注目】

遠野美凪
【時間:2日目午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:聖に注目】

相沢祐一
【時間:2日目午前7時30分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階・保健室】
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石中学校制服着用(リトルバスターズの男子制服風)、腹部刺し傷あり(治療済み)】
【備考:聖に注目・勝平から繰り返された世界の話を聞いている】

少年
【時間:2日目午前7時15分】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:麻痺・効率良く参加者を皆殺しにする】


(関連・994・1012)(B−4ルート)

446 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:02:27 ID:oO7s4YPQ0
 
『―――俺の声は届いているか』

返答の代わりに伝わってきたのは、息を呑む気配である。
雄弁な沈黙に、坂神蝉丸は言葉を続ける。

『青の世界を知り……そして今、長瀬源五郎と戦うすべての者に―――』

僅かに間を置いた、その瞳には炎が揺らめいている。
朱く燃え盛る焔ではない。
静かに、密やかに、しかし何かを成し遂げる者の目に必ず宿っている、それは青い炎だった。

『お前たちに―――共闘を申し入れる。その力、俺に貸してほしい』

告げた言葉が届くまで。
その瞬きをするよりも短い空隙が、重い。

「な……! 坂神、貴様……!?」

最初に反応を返したのは、音を伴った声。
蝉丸の間近に立つ男、光岡悟であった。

「何を考えている!? 奸賊を討ち果たすのに、連中の手など……!」
『……声に出すな、光岡。どうやらここはまだ青の世界の地続きだ、思えば伝わる』

これから先の話を長瀬に聞かれることもない、と付け加えて、蝉丸がちらりと辺りを見回す。
時は動き続けている。
声を聞かれることはなくとも、巨神像の苛烈を極める攻撃は続いていた。
聞こえる地響きと奔る閃光が狙うのは、蝉丸が考えを伝えようと語りかける面々である。
言葉を返そうにも、その余裕すらない者もいるだろう。
故に蝉丸は返答を待つことなく、また自身も正面に立つ大剣の巨神像の動向に気を配りつつ言葉を続ける。

『俺たちに残された時間は、あまりに短い。長瀬の告げた刻限―――正午零時まで、あと千秒を切っている。
 このままでは埒が明かんと、お前たちも感じているだろう。故に……』
『一つ、よろしいですか』

光岡に、また他の面々に言い聞かせるように説く蝉丸の言葉を遮ったのは、冷え冷えとした印象を与える声だった。

『……鹿沼葉子、か』
『はい。私の声もそちらに伝わっているようですね』
『何か、あるか』
『ええ。あなたの言う正午零時、というタイムリミットですが―――、……ッ、一旦下がります。
 カバーをお願いします、郁未さん』
『ちょ……って、勝手なんだから……ッ!』

焦るような声音。
葉子たちが対峙しているのは、蝉丸とは長瀬の本体を挟んでほぼ反対側。
南西、槍使いの巨像である。

447 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:03:00 ID:oO7s4YPQ0
『……失礼、続けますが』
『ああ』
『正午零時とは、太陽の南中時間を意味していたはずです。あなた方はこの神塚山頂に光学戰完成躰の陣を展開させ、
 陽光が最大となるその時に、この島を一気に殲滅しようとした』
『その通りだ』
『……』

悪びれもせずに応じた蝉丸の返答に、葉子が絶句する。
同時に聞こえた舌打ちは天沢郁未のものであっただろうか。

『……それは、置きましょう。ともあれ、光学戰完成躰はどうやらそこの怪物に呑まれて全滅の憂き目に遭った。
 ならば既に、南中の時間に意味などないのではありませんか』
『いや……そうとも、言い切れん』

葉子の疑念に答えた声は、蝉丸のものではない。

『光岡……?』

予想の外から発せられた言葉に眉根を寄せた蝉丸が、表情を険しくする。
眼前、大剣の巨神像が体勢を立て直し、その恐るべき破壊の鉄槌を天高く振り上げるのが目に入っていた。
立ち尽くす夕霧を抱えて駆け出した、蝉丸の心に響くのは光岡の言葉である。

『長瀬はこう言っていたはずだ。―――天よりの祝福が降りるまで、と。
 ならば、思い当たる節がある』

ちらりと見やれば、光岡もまた疾駆している。
その姿も振り下ろされる大剣に隠されてすぐに見えなくなった。
岩盤が抉られて飛び来る石礫を手の一刀で叩き落しながら、地響きに脚を取られぬよう、走る。

『我が國にはな、あるのだ。天空の彼方より夷狄を滅ぼさんとする、最後の徒花が』
『何……?』
『俺とて詳しくは知らされておらん。だが閣下は事に当たり、その確保を焦眉の急とされておられたはずだ。
 名を―――天照』
『アマテラス……』

駆ける蝉丸が、その名を聞く。
呟くような声は、誰のものであったか。

『天よりの祝福……か。畏れ多くも光明神の名を戴くとは……些か、寓意が過ぎる』

苦笑するように口の端を歪めた蝉丸が、それきり黙って眼前の大剣に集中する。
巨像の注意を引き、話に乗ってきた光岡の負担を減らそうという位置取りであった。
俄かに訪れた短くも重い沈黙を破ったのは、鹿沼葉子である。

448 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:03:25 ID:oO7s4YPQ0
『それは……先年、打ち上げに成功した衛星のことですか。しかし、あれは……』
『情報衛星、と発表されている。だが実態は、地上への攻撃を目的とした施設だという話だ』
『そのような夢物語を、本気で?』
『未だ完成には至らぬまま、試作段階で打ち上げたとも言われている。
 しかし長瀬の、あの自信……虚勢と片付けるのは難しかろう』
『……仮にそんなものが、実在したとして。あの怪物がそれを掌握していると?』
『天照には神機の技術が使われていると聞いている。……そして長瀬は、神機を取り込んだ。
 可能性は、十分にあるだろう』
『……神機?』

苦々しげな光岡の言葉に、葉子が疑問を差し挟む。

『貴様等も見ただろう。この島を蹂躙した、人型の兵器だ』
『……昨夜出た、白と黒のヤツか』

荒い呼吸の中で吐き捨てたのは天沢郁未である。

『そうだ。あれは我が國で造られたものではない。古い遺跡から発掘された、得体の知れぬ代物だ。
 だがその技術は我々の水準を遥かに凌駕していた。それを研究していたのが、犬飼俊伐と……』
『目の前の、あれというわけですか』

長瀬源五郎。
人の形を捨て、神を名乗る怪物と成り果てた男。

『……よく知っているな』
『あの世界では、私たちも色々と見せていただきましたから』
『え、そうだっけ?』
『……あなたも体験したでしょう、郁未さん』

呆れたような声は一瞬。

『で、それがあの怪物の切り札であったとしましょう。
 正午零時にそれが放たれるまでに、あれを討たねばならない。
 だからといって……それが、どうしたというんです?』

峻厳とすら感じられる、厳しい声。

『私たちはここまでも、あれと戦っている。共闘といったところで、結局はあれを倒すという
 その目的が変わらないのなら……このような無駄話をするだけ、時間の無駄でしょう』
『それは……』
『―――その先は、俺が話そう』

光岡の言葉を引き取ったのは蝉丸である。
入れ替わるように退いた、その夕霧を抱えた身を狙うように、有翼の女神像から白い光球が放たれる。
横合いから飛ぶその光球が、次の瞬間、光岡の一刀によって斬り飛ばされていた。
絶妙の呼吸である。

449 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:03:58 ID:oO7s4YPQ0
『……どれほど傷つけようと、奴にはあの奇術じみた修復機能がある。
 個々にあれと対したところで、時を無駄に費やすだけだ』
『なら……』
『お前たちも見ただろう。あの銀色の記憶を』

反論の声に被せるように、蝉丸が続ける。

『そして俺は聞いた。夕霧の……長瀬に囚われた同胞を求める、砧夕霧の声を』
『……』
『声は願いと、手段とを俺に伝えたのだ。長瀬から同胞を救い出す、唯一の道があると。
 それこそが、あの銀の湖―――否、八体の巨神像に護られた、長瀬源五郎本体の中心部。
 あれを築き上げているのは夕霧の同胞であった者達だ。辿りつければ……心を、通せる。
 長瀬を―――崩せる』

反応を待つように、一度言葉を切る。
返答は、ない。

『俺の……俺と夕霧の道を、切り開いてほしい。それが俺の求める、共闘だ』

請い願うような、声。
虚飾や欺瞞の一切を振り払う請願であると、確かに伝えるような震えを伴った、それは声だった。
しかし、

『……は!』

最初の反応は、嘲笑だった。
吹けば飛ぶような誠実を嘲り笑う、天沢郁未の声。

『黙って聞いてれば勝手なことをベラベラと……下らないんだよ、軍人。
 信用しろって? あたしらをこんなところに放り込んだ連中の手先を?
 背中から撃たれるのが目に見えてるってのに、共闘が聞いて呆れる!』
『……郁未さんの仰る通りですね。私達には貴方を信じる理由がない。
 そもそも私達に届いたのはイメージだけ、貴方の言う声など聞こえませんでした。
 鵜呑みにする方がどうかしているでしょう』

畳み掛けるような葉子に、蝉丸が何かを言い返そうとした瞬間である。

450 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:04:35 ID:oO7s4YPQ0
『……私にも、聞こえた』
「―――!?」

思いもよらぬ声であった。
低い、しかし若さの滲み出る少女らしき声。
知らず、蝉丸が絶句する。

『……もどりたい、と。そう言っていた』

口をついて飛び出しそうになった誰何をどうにか押し留める。
おかしい、と思考が急速に転回していく。
声が、蝉丸の心の声が届くのは、あの青一色の世界を知る者だけのはずだった。
少なくとも、蝉丸はそう願い、伝えた。
光岡悟がいる。天沢郁未と鹿沼葉子がいる。
そして水瀬名雪がいるはずで、今の声は、その誰とも違う。
おかしい。数が合わぬ。
ならば、今の声は、一体誰のものだ。
意識に、一瞬の空隙が生まれた。

「……ッ! 気を抜くな坂神! 上だ!」

光岡の声に弾かれるように見上げたときには、遅かった。
遅いと、分かった。
駆けるも退くも間に合わぬ。
豪断の刃は、それほどに近かった。
せめて夕霧だけはと、たとえそれが直撃して肉塊と化すのと至近に爆ぜる風圧で引き裂かれるのと、
それほどの違いでしかないと分かっていながら肩に乗せたそれを突き飛ばそうとした、その寸前。

『―――どうした、見せてくれるんだろう? この戦いの終わりを』

声と共に、雷鳴が轟いた。
同時、天を裂いたのは稲光ではない。
それは、空に墨を流したが如き黒の軌跡。
蒼穹を染めた一文字が撃つのは、蝉丸へと迫っていた大剣である。
耳を劈くような音が、爆ぜる。
黒の稲妻が、大剣に直撃していた。

『……ッ!!』

振り下ろされる巨大な城壁の如き刃を真横から撃った稲妻が、互いの軌道を捻じ曲げる。
大剣と稲妻と、その両方が文字通りの火花を散らして鬩ぎ合い、そして離れた。
即ち、天に昇る稲妻と、大地に落ちる白刃と。
落ちた刃が地を抉る。抉られたのはしかし、立ち尽くす蝉丸からは離れた岩盤である。
開いた距離を爆風と石礫とが駆け抜ける間に、蝉丸は抱えた夕霧ごと、その場から飛び退いていた。

「ちぃッ……貴様、新兵でもあるまいに! このまま下がるぞ!」

叫ぶように言い捨てて脇についた光岡と共に、山道を駆け下る。


***

451 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:05:23 ID:oO7s4YPQ0

山頂全体を抱きかかえるように居座る巨躯の間合いから逃れ、じっとりと汗の浮かんだ掌を拭う蝉丸に、
乾いた笑いを含んだ声がかけられる。

『あまりつまらないことで狼狽えてくれるなよ、坂神蝉丸』
『水瀬……名雪か』

それは、黒雷の主である。
文字通りの間一髪で蝉丸を危地から救った女が、訥々と告げる。

『あの声は……私のよく知っている人さ。川澄舞……別段、敵じゃない』

川澄舞。
その名が確かに参加者名簿の中に存在し、死者として読み上げられてもいないことを、蝉丸は思い出す。しかし。
しかし、とそこで蝉丸の思考は再び止まる。
しかし青の世界に、あの黄金の麦畑にその姿は見えなかった。
ならば何故、声が届いた。
何故、夕霧の想いが、願いが届いた。

『ずっといたじゃないか。あの麦畑に、最初から。誰も気付かなかったようだけれど。
 ……ねえ、川澄、先輩?』

そんな蝉丸の心を読み取ったかのように、名雪の声が響く。
ねっとりとした言葉尻に底知れぬ悪意を滲ませたその問いかけに、返事はない。

『冷たいな、恋敵には。……まあ、川澄先輩が言うなら、夕霧の声とやらも本当なのだろうさ。
 その人には昔からおかしな力がある。この世ならぬ何かが聞こえたって不思議じゃない』
 
どこか蔑みを含んだような、薄暗い声音。
だが続いたのは、意外な一言であった。

『……で? お前たちの道を切り開くために、私は何をすればいい?
 指示を出せよ、坂神蝉丸。それがお前の本職だろう』
『……! 水瀬、貴様……』

共闘を呑むという、それは意思表示である。
気付いて何かを言うより早く、

『終わらせたいのさ。まだ……終わらないのなら、終わらせたいんだ』

どろりと呟いた名雪の、その声音のへばりつくような重さが、蝉丸の口を再び噤ませる。

『お前たちもそうじゃないのか、天沢郁未、鹿沼葉子』
『……!?』

話の推移を見守っていたらしき二人が、唐突に名を呼ばれて息を呑む。
やがて諦めたように溜息を吐いたのは、鹿沼葉子であった。

452 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:06:40 ID:oO7s4YPQ0
『……確かに、このまま正午まで手をこまねいている、というのも面白い話ではありません』
『葉子さん!?』
『しかし、あの怪物を倒した後にも戦いが続くというのであれば、共闘するといったところで
 私達が無駄に消耗するだけかもしれません。ならば、高みの見物を決め込むというのも……』
『そうして死ぬか。好きにするさ』
『……ッ!』

郁未が激昂しかけたところへ、

『だが……終わるぞ、この戦いは。あれを始末しさえすれば』

あっさりと、名雪が告げた。
終わる、と。
この戦いが終わると、そう告げられた言葉の意味を、それを聞いた者が咀嚼し、理解し、
そして驚愕するまでに、僅かな間が空いた。

『……っ!?』
『終わ、る……!?』

さしもの葉子も、半ば呆然とした声音で呟いている。

『そうだろう? 光岡……で間違いなかったかな。九品仏の腰巾着』
『な……貴様、どこまで……!?』

名を呼ばれた光岡が二の句を継げずにいるのを、名雪が追い立てる。

『どの道、これ以上隠すようなことでもないだろう。あれの始末を確認次第、
 九品仏が終幕を告げる……式次第はそんなところか』
『水瀬、貴様……、何故……!』
『分かるのさ。こう何度も繰り返していればな。これはもう、終局の形だ』
『何を……!?』
『こちらの話さ。……さて、どうする? お前たちは』

お前たち、と言葉を振られたのは、言わずと知れた郁未と葉子である。

453 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:07:15 ID:oO7s4YPQ0
『本当……なのですか』

押し殺したように尋ねる葉子に、

『……試しに貴様らの首についたそれを外してみるといい。
 そんなものは、とうに鉄屑になっている』

それだけを、光岡が告げた。
それが、答えだった。
首輪。
この殺し合いの参加者を縛っていた、死の頚木。
反抗すれば爆発する、強制服従の証。
それが、機能を失っているという。

『それって、つまり……』
『もう、終わっている……のですか。この……下らない、戯事は』

肯定の返事は、ない。
しかしこの狂気の宴を運営する側の立場にいる光岡が、この状況で作り話をする必然性もまた、
存在しなかった。

『じゃあ……!』
『……』

葉子が、言葉の代わりに深々と息を吐く。
そこへ、

『―――どうする?』

ただ一つの問いが、投げかけられた。
答えは各々、

『あれを片付ければ終わる、って言うんなら……話だけは、聞いてやる』
『……郁未さんが、そういうのなら』

意味は、一つ。

『だ、そうだ。坂神蝉丸』
『……感謝する』

鼻を鳴らしたのは、天沢郁未であったか、それとも光岡悟であったか。
ともあれ、ここに―――ひとつの、結束が成った。


***

454 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:07:43 ID:oO7s4YPQ0
 
「怖気づいたのかね? 君たちがそうして手を拱いている間にも、時は流れていくのだよ。
 ああ、精々有意義に最後の時間を使い給え―――」

巨体を震わせるように、長瀬の声が響く。
その声は来るべき勝利を確信しているかのように、余裕に満ち溢れていた。


***

455 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:08:00 ID:oO7s4YPQ0
 
『―――現況と、展開を伝える』

告げた蝉丸が、山頂の戦況を整理する。

『敵は八体。北から獣使い、北東に黒翼、東の大剣、南東の白翼、南に刀、南西に槍、西に二刀……そして北西の女。
 これより我等は戦力を集中しつつ撹乱戦に入る。その隙を突いて―――』
『貴様が砧夕霧を連れ、神像の防衛線を突破する、か。だが……』
『……北西に回せる手が、足りません』
『ああ。本来であれば最優先の打倒目標は北西、女の像だろう。見る限り、あれが全体の損傷を
 回復させる鍵となっている。まずはあれを黙らせ、しかる後に戦線を構築するのが定石だが』

葉子の懸念、光岡の指摘は的確である。
南西の葉子、郁未。北東側の水瀬名雪。どちらも遠い。
蝉丸の提示した作戦は、火力の集中運用による一点突破―――即ち、狙いを間合いの長い
有翼の二体と槍使いに絞り、他の像の刃が届かぬ隙を駆け抜けるというものである。
北東の黒翼を水瀬名雪、南西の槍使いを郁未と葉子に任せ、光岡が抑える南東の白翼側を抜ける策。
敵に無限とも思える回復がある以上、いかにも苦しい消耗戦となることは予想できた。
が、もはや体勢を立て直すだけの猶予はない。
近海に展開する部隊からの援軍とて、既に間に合わぬ。

『……川澄、頼めないか』

蝉丸のそれは懇願に近い。
川澄舞とは未だ共闘への承諾どころか、まともに意思の疎通すら果たせていない。
頭数として計算できない以上、策はその存在を勘定に入れずに立てられている。
しかし万が一にも舞の力を見込めるならば、北西側の女神像への直接攻撃が可能となるやも知れぬ。
無限の回復さえ断たれれば、攻勢にも意味が生じてくる。
泥沼の消耗戦の末ではない、敵の戦線を崩しての突破すら夢ではない。
そう考えての、懇願である。
だが、しかし。
返ってきた声はそうした蝉丸の想定と期待とを、あらゆる意味で大きく裏切るものであった。

『―――何だ、白髪頭。こんなものに、手こずってるのか?』

声が、した。
川澄舞のそれではない。
悪意と笑みとを含んで湿った、どろりと濁った声。

『この島の、最後の戦いなんだろう? もっと派手に楽しめよ、なぁ……白髪頭』

声が伝えるのは、血の色の貌。
闇夜の奉ずる深紅の月の如き瞳と、牙を剥く獣の如く歪められた口元。
来栖川綾香と呼ばれた女の、それは哂う声だった。

456 十一時四十三分(2)/今日が終わっても :2009/02/05(木) 06:08:21 ID:oO7s4YPQ0
 
【時間:2日目 AM11:46】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:健康・不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:健康・光学戰試挑躰・不可視の力】
水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】
川澄舞
 【所持品:村雨、鬼の手、白虎の毛皮、魔犬の尾、ヘタレの尻子玉】
 【状態:白髪、ムティカパ、エルクゥ】

来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:―――】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体18000体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1014 1034 1037 1038 ルートD-5

457 名無しさん :2009/02/05(木) 06:09:58 ID:oO7s4YPQ0
申し訳ありません。
>>450>>451の間に、以下の文が挿入されます。

***

 
「―――どうしたね、諸君。もう息切れとは、些か早すぎやしないかね?
 理解し給え。神の光を前にして、諸君に逃げ場などありはしないのだよ」

巨体が蠢き、醜悪な声を撒き散らす。
長瀬源五郎の哄笑が、山頂一帯を不気味に揺さぶっていた。


***

458 十一時四十六分/明日が過ぎても :2009/02/05(木) 15:55:55 ID:oO7s4YPQ0
 
ご、と。
重く、低く、音が響いた。

それが、神塚山頂を巡る最後の攻防、その再開の嚆矢となった。


***

459 十一時四十六分/明日が過ぎても :2009/02/05(木) 15:56:22 ID:oO7s4YPQ0
 
『来栖川……綾香……? 貴様、何故……!』

その名を噛み潰すように呟いた、蝉丸の位置から姿は見えぬ。
だが、哂う声と、重い音と、そうしてぐらりと揺らぐ一体の巨神像が、その存在を誇示していた。
揺らいだのは北西、祈るように目を閉じた女の像。
音は、打撃音である。
しかし巨竜の体躯を挟んで対角に位置する蝉丸の耳に届くその重低音は、およそ人の身によるものとは思えぬ。
重機が廃棄されたビルを打ち崩すような、或いは砲弾が要塞を直撃するような、破砕の轟音。
そも、揺らいだ神像は人の数十倍を誇る身の丈である。
重量にすれば鉄塊と羽毛ほどにかけ離れている。
それを打撃して、更に揺るがせ、なお哂っている。
既にしてそれは、人ならざる異形の仕業である。

『何故……? それを聞くかよ、私に。二度、同じ答えが必要か?』

ささめくように、異形が哂う。
死を超えて、生を踏み躙り、そこに理由は要らぬと、人の道を外れた女は哂っている。
それは女の、来栖川綾香という女の命のかたちである。
愚昧妄執と、是非も無しと坂神蝉丸の断じた、それは在り様を誇っていた。
誇らしげに咲いた拳が、振るわれる。
ご、と。
重く、低く、二度目の鐘が、鳴らされる。

460 十一時四十六分/明日が過ぎても :2009/02/05(木) 15:56:57 ID:oO7s4YPQ0
『ああ―――血が、巡る』

びぎり、と嫌な音を立てて傾いだ女の像の、おそらくはその袂の辺りに立つのであろう綾香が、
艶の混じった吐息を漏らした。
いくさ場に散る無念と妄念とを吸って恍惚に浸るが如きその声音に表情を険しくした蝉丸が、
しかし綾香の口にした言葉に、何某かの引っ掛かりを覚える。
血。
血が、巡る。
巡る血と、死んだ筈の女。
鬼を取り込み、薬を取り込み、異形と化した女に流れる、否、女から流れ出る、血。

『―――そうか』

ほぼ同時に結論に至ったらしい光岡が、声を上げる。

『坂神、奴は……』
『ああ。来栖川、貴様……仙命樹をも、その身に取り込んだか』

あの時。
長瀬源五郎の使徒として現れたHMX-13・セリオが、来栖川綾香を盾とした、あの時。
その襤褸雑巾の如き、命の灯の消えゆこうとする躯が、どこに転がったか。
誰のものとも知れぬ血だまりに入って飛沫を上げた、その躯。
誰のものとも知れぬ血だまりとは、果たして誰のものであったか。
それは、先の一戦の最中。

『貴様に斬られた……俺の、血を。呑んだな』

ざっくりと裂かれた、右の脹脛の傷。
既に癒えつつあるそれが、唐突に疼きだしたように感じる。
それは実体のない、後悔の疼痛である。

『知らないな。どうだっていい。私はここにいる。世界の真ん中に生きている。
 大事なのはそれだけだ』

鬼の力と不死の仙薬とを得た女が、それをすら、哂った。
途方もない高慢と底知れぬ驕慢とを以て、それを当然と、笑んでいる。

461 十一時四十六分/明日が過ぎても :2009/02/05(木) 15:57:17 ID:oO7s4YPQ0
『不覚だな、坂神。妖を黄泉返らせたか』
『……いずれ、始末は付ける』

ごぐ、と。
三つ目の鐘が、鳴った。

『―――私はまだ人間か? それとも、もう戻れない化物か? どうだっていい。
 ああ、ああ。そんなことはどうだっていいんだ。私はただ、私であるためだけにここにいる。
 ひとまずは―――幾つかの貸しを、返してもらおうか』

みぢり、びぢり、と。
奇妙な音が、聞こえた。
それは、束ねた縄を力任せに引き千切るような。
何かが裂け、撓んでいく、不可逆の破壊音。

『馬鹿、な……』

ただの、三度である。
打撃音が聞こえたのは、三度。
それが、如何なる凄絶さを以て行われたものかは知れぬ。
だが、ただの三撃で。
祈るような女の像が、傾ぎ、戻らず、折れ砕け―――そして、崩れた。

『―――お前は後回しだ、白髪頭』

崩れていく女神像の、巨大な岩塊の降り注ぐ中で、来栖川綾香が宣言する。

「長瀬、長瀬源五郎。返せよ―――私の、人形をさ」

告げたその影に、踊りかかるものがある。
女神像の両脇、北に座する獣使いの像と、そして西、二刀を使う戦士の像。
今や七体となった神像の、その内の二体が動くのと同時。

『……坂神!』
『ああ、今だ―――総員、戦闘を開始する!』

坂神蝉丸の声が、響き渡った。

462 十一時四十六分/明日が過ぎても :2009/02/05(木) 15:57:39 ID:oO7s4YPQ0
 
【時間:2日目 AM11:47】
【場所:F−5 神塚山山頂】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:健康】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:健康】
砧夕霧中枢
 【所持品:なし】
 【状態:覚醒】
来栖川綾香
 【所持品:なし】
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

真・長瀬源五郎
【イルファ・シルファ・ミルファ・セリオ融合体】
【組成:オンヴィタイカヤン群体16800体相当】
【アルルゥ・フィギュアヘッド:健在】
【エルルゥ・フィギュアヘッド:大破】
【ベナウィ・フィギュアヘッド:健在】
【オボロ・フィギュアヘッド:健在】
【カルラ・フィギュアヘッド:健在】
【トウカ・フィギュアヘッド:健在】
【ウルトリィ・フィギュアヘッド:健在】
【カミュ・フィギュアヘッド:健在】

→1048 ルートD-5

463 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:00:01 ID:nKYEabcw0
 残り人数は三十人弱……か。
 つまり百人近い人の死体がこの島のどこかに転がっているということになる。
 手始めに首輪爆弾のスイッチを試した姫川琴音も、甘すぎた長瀬祐介も、知り合いだった岡崎朋也、春原陽平も。

 熾烈な争いの中、何とかここまで生き延びてきたことを幸運に思いながら診療所内部で、
 宮沢有紀寧は玩具を弄るようにマシンガンを見回している柏木初音をぼんやりと眺めていた。
 有紀寧よりも小柄な初音が無骨で、暴力的な形状の銃(MP5K)を取り回している様を見ると、
 異常さよりも滑稽さの方が先立って見えた。或いは自分の感覚こそが麻痺しているのかもしれない。

 自分を待ってくれているたくさんの人達のため、という義務感で殺し合いに乗っていた当初とは違い、
 今は半ば自然、自衛をするためならばという気持ちだけで人に凶器を向けられる。

 ……慣れとは怖いものだ。嘲るように唇の形を歪めた有紀寧は、だがこれが人の業なのかもしれないと考える。
 惰性という言葉で感覚を麻痺させ、正義の名の下に目を曇らせなければ闘争の歴史を積み上げてこれない一方、
 動物としての本能が争いを望み、支配し、搾取し、屈服させようとする。
 この殺し合いはそれを体現させたものなのだろう。ここまで生き延びてきた人間も、
 所詮は更に大きな人間の手のひらの上というわけだ。もっとも、生きて帰れるのなら自分にはどうでもいいが。

 わたしにはわたしの世界がある。
 自分はあるべき場所に戻り、元の鞘に納まるだけだ。それ以上は望まない。
 そのために出来る最善の手段を為す――それで余計な思考を打ち消した有紀寧はここから先の予定を考える。

 まず基本の方針だが、やはり隠れて試合終了のギリギリまで待つのが上策だろう。
 全くの偶然とはいえクルツ(MP5Kのこと)を手に入れられたのは奇跡ともいえる幸運だが、
 それ単体で三十人近くを相手にするには火力不足……いや実力不足というのは否めない。
 まだ測りかねている部分はあるものの初音は大体自分と同レベルの身体能力と思っていい。
 さして格闘経験があるわけでもなく、柳川のような屈強な男が数人がかりならこちらは簡単にねじ伏せられる。
 よくて二、三人を道連れにするだけだろうし、そんなものは望んでいない。

464 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:00:24 ID:nKYEabcw0
 別に積極的に殺す必要はないのだ。最終的に生き残っていればそれでいいのだし、最低限以上の武装がこちらにはある。
 攻撃されたときのみ已む無く反撃すればいい。機会が与えられるかどうかは別の話になってしまうが、
 少なくとも問答無用で隠れていた女性二人を襲うくらいの人間なら既にやり合って死んでいるだろう。
 幸いにして、初音はこちらの意向に従順だ。提案は受け入れてくれるはず。

「初音さん。そろそろここを離れましょう。
 柳川さんがわたし達の代わりに戦っている以上、巻き込まれる危険性がありますから」
「うん。分かったよ」

 実に素直な風に初音は頷いた。にこにことした表情は完全に有紀寧に懐いていることを示しており、
 また純粋であったが故の現在の狂気を表したかのようであった。
 こういう人間は使えると思う一方、痛ましいという心情も有紀寧は感じていた。
 何故こんな感情を抱いているのか、自分自身も分からない。殺戮劇という非日常の延長の中にあって、
 もう忘れ去ってしまったものなのかもしれない。

 ただ唯一分かることは、今の初音は家族をあまりに愛しすぎたがためにこうなってしまったということだ。
 どんな生活をしてきたのかは未だ分からないが、これだけは確信できることだった。
 同じ妹という立場として、共に家族を失った人間として、家族を失う喪失感は知り抜いている。
 どんなに後悔したとして、どんなに罪滅ぼしをしたとして、もう戻ってくるはずはない。
 分かり合うことも、喧嘩することも出来ない。
 失った時点で永久に答えは出せなくなり、果てのない堂々巡りの中に自分という存在が置かれる。

 だとするなら、自分は既に狂っていたのかもしれないと有紀寧は思った。
 兄がいなくなり、分かるはずもない兄の幻影を追い求めてかつての兄の仲間の元に身を投じた。
 その中で宮沢有紀寧という存在は薄れ、亡霊を追い続ける宮沢和人の妹という立場の人間に成り下がった……
 だから誰に対しても丁寧にしか話せなくなったし、
 誰に対しても同じような態度を取ることしか出来なくなったのか。

 なるほど、確かに狂っていると有紀寧は納得する。
 『狂気』の定義を、自分の感情をなくした人間、とするとしたらの話だが。
 だがそれを自覚したところで、この病は永久に治せないのだろう。
 亡霊を追い続けるしか生きる術を持たず、またそれ以外の生き方を忘れてしまった自分には……

465 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:00:45 ID:nKYEabcw0
 思い出す必要はないと断じて、有紀寧は思考を打ち切った。
 今は初音と二人、生き残ることだけを考えればいい。
 戦地となりつつあるここからひとまず離脱し、平瀬村方面へと向かおう。
 当初は灯台に向かうつもりだったが、予定変更だ。

 柳川に灯台という行き先を言ってしまったのでもうあそこは安全圏とは言いがたい。既に手駒の柳川だが、
 情報を漏らさないとは言い切れないのだ。
 何かの弾みで、いやそうでなくとも言葉の端から推理されてこちらの居場所を突き止められたのではたまったものではない。
 隠れるだけではなく、何かの情報操作でも行って撹乱できればなおよいのだが難しい。

 ノートパソコンを起動してロワちゃんねるを確認してみたのだが、死亡者に関するスレッド以外はまるで更新がなく、
 見ている人間は極端に少ないのだろう。ここに書き込んでも効果はなさそうだと考えた有紀寧は見るだけに留めておいた。
 ひょっとするとここの管理者にでも頼めば色々と有益な情報教えてくれるかもしれない。
 しかし一応はここもあらゆる人間が見られるシステムにはなっている。

 例えばいつ、どこで誰が死んだかというのを画像で表示してくれと書き込み、仮にそれが実現されたとしよう。
 その情報を得られるのは自分だけではない。書き込んでいないだけで随時チェックしている人物だっているはずだ。
 匿名で書き込めるため自分が頼んだものだとは分からないはずだが、万が一ハッカーのようなスキルを持つ人間がいた場合、
 書き込んだこちらに警戒される恐れがある。そればかりか書き込みを元に情報をリークされ、
 不利な状況になることさえあり得る。メリットは小さく、デメリット、リスクばかりが大きいのでは使う気にもならない。

 結局は残り人数をリアルタイムで確認できるものだと思うしかない、と有紀寧は結論付ける。
 あってもなくてもいいが、あっても困るものでもない。情報の重要さは有紀寧自身がよく知っているところだ。
 まあ、そこまで深く考えなくてもいいのかもしれないが。所詮は誰とも分からぬ人間からの情報なのだから。

「ところで、どこに行くの? 灯台?」
「いえ、逆です。平瀬村の方に行きましょう」

466 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:01:09 ID:nKYEabcw0
 ふーん、とさしたる疑問を持つこともなく初音は素直に頷いた。
 あまりにも素直すぎて、かえって何かを疑いたくなるくらいに。そう思った有紀寧は「あの」と尋ねていた。

「いいんですか、それで? 何か心配するようなことはありませんか」

 すると初音はけらけらと笑って「あるわけないよ」と有紀寧に極上の信頼を湛えた視線を向けた。
 その中身はあまりに真っ直ぐ過ぎて、却ってなにか、空恐ろしいものを有紀寧に感じさせた。

「有紀寧お姉ちゃんは私とずっと一緒にいてくれるんだもん。私のお姉ちゃんなんだもん。
 だから何も間違ってることなんてない。有紀寧お姉ちゃんの言うとおりにしてれば――殺せるから、皆」

 相変わらず真っ直ぐな瞳のまま、声だけを低く唸らせて初音は憎悪を振り撒いた。
 それに初音の言葉はどこか間違っているように聞こえて……だが、有紀寧にはその言葉が正しいと分かっていた。

 このひとなら地獄の底まで付き合ってくれる。お姉ちゃんだから。
 このひとといればみんなのカタキのところまで連れて行ってくれる。お姉ちゃんだから。
 このひとならきっと助けてくれる。お姉ちゃんだから。

 家族の一語で何もかもを信じきることができる、初音の無垢と狂気がそこにあった。
 それも錯覚や逃避などではない。有紀寧を本当に家族と思い、心の底から慕ってくれているのが分かる。
 そうでなければ……この綺麗すぎる、あまりにも綺麗過ぎて馴染む者以外を排除してしまうくらいの瞳を向けてくるはずがない。

 ある種の畏怖を感じる一方、共感のようなものもあった。
 感情を排し、負の要素を甘んじて受け止め狂気に染まったのが自分なら、
 負の要素を排し、信頼の名の下に倫理を作り変え、狂気としたのが初音。
 言うならば黒い狂気と、白い狂気だ。
 全く違うものでありながら、性質は全く同じ。
 自分が手を下したわけでもないのに……実に奇特な縁だ。こういうものを、運命というのだろうか?

467 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:01:30 ID:nKYEabcw0
 不思議な感慨を受け止めながら、有紀寧は「そうですか」と相槌を打つ。
 同時に、初音をだんだんと駒と見なせなくなってきている自分が生まれつつあることも自覚する。
 生き残るためには不要なものだと見なしておきながら受け入れようとしている己がいる。悪くはないと考えている。
 ただの情ではないと思っているのだろうか。同情や憐憫を超えた、
 いや言葉では量りきれない何かが初音との間にあるとでも言いたいのか。
 言い訳にしか過ぎないはずなのに、だが決定的に捨て切れていない自分は何なのだ……?

 そこでまた、有紀寧は自分について考えていることに気付く。
 先程打ち切ったはずなのに性懲りもなく悩んだりしている。どうかしている。
 胸中に吐き捨て、有紀寧はもう初音についてどうこう考えるのはやめにしようと思った。
 問題がなければいい。本当に考えすぎた。落ち度さえなければそれ以上深入りはしなくていいんだ。

「分かりました。ならわたしについてきて下さい」
「うん。あ、さっき皆殺すって言ったけど……有紀寧お姉ちゃんは私が守るからね、絶対」
「……ありがとうございます」

 笑顔のままクルツをかざす初音に、有紀寧は平坦な口調で応える。
 元からそんなつもりなどない。誰も信用せず、自分一人で生き抜くつもりだったのに……どうして、こんなに尽くす?
 一瞬、有紀寧の脳裏にはここに来る以前の、資料室のお茶会の風景が浮かんだ。
 毎日のように会いに来る兄の友達。初音はあまりにも彼らに似すぎている。
 誰でもできるような丁寧な物腰でしか対応していないのに、何故こんなに懐くのだろうか。

 家族。またその一語が出てくる。
 家族の亡霊を追いかけているはずのわたしが、家族と思われている。
 皮肉なものだと笑いながら、必要としている彼らの存在を再認識し、戻ろうと有紀寧は思った。

 あの資料室に。

 あの変わらない世界に。

 そうして玄関で靴を履こうとしたときだった。

468 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:01:53 ID:nKYEabcw0
「待って」

 肩を叩き、小声で呟きながら初音はじっと、どこかに意識を傾けていた。
 既に笑みは消えている。ただならぬ様子に有紀寧も眉根を寄せ、異変が起きているのかと考える。
 妥当な線としては誰かがこちらに近づいているといったところか。
 柳川が仕留め損なったか、或いは兎が迷い込んできたか。どちらにしてもここはチャンスだ。
 有紀寧はリモコンを取り出すと初音の耳元に口を寄せる。

「近くに誰かいるのでしょうか」
「多分……足音が聞こえるから。でも、かなり近くみたい。こっちに来る」

 有紀寧には耳を澄ましても聞こえない。余程初音の聴覚がいいのだろうか。
 クルツを構えかけた初音を、有紀寧が制する。

「待ってください。ここはわたしに。……タイミングのようなものは計れますか」
「なんとなくは……でも、大丈夫?」
「わたしを誰だと思ってるんですか」

 きょとんとした表情になったのも一瞬、すぐに「そうだね」と微笑を浮かべた初音の顔には誇らしさが滲み出ていた。

「うん、じゃあ任せたよお姉ちゃん。大丈夫だと思ったら肩を叩くから、後はお姉ちゃんが」
「ええ」

 頷くのを確認すると、初音は再び外界へと集中を向ける。恐らく、初音が肩を叩くのはすぐだろう。そういう予感があった。
 本日三度目の使用となるであろうリモコンに目を落としながら、有紀寧は初音の合図を待った。
 どくん。どくん。どくん。
 心臓の音を音楽にして時が刻まれる。
 いつだ、いつ来る――?

「……!」

469 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:02:14 ID:nKYEabcw0
 そうして永遠にも近い一瞬が過ぎ去ったとき、とん、と。
 肩が叩かれたのをスイッチにして、有紀寧は玄関の扉を押し開けていた。
 目と鼻の先。初音の読み通り、そこには。

「えっ……?」

 今、まさにこちらがいた民家に侵入しようとしていた女の顔がそこにあった。
 女の不運と、初音の聴力と、僅かな幸運に感謝しながらも容赦なく有紀寧はリモコンのスイッチを押した。
 十分に接近していたことも相まって、ろくすっぽ狙いを付けずとも首輪は点灯を始めていた。
 いきなり何をされたか分からず、呆然としたままの女に、有紀寧はいつもの笑みを浮かべる。

「はじめまして。驚かせてしまってすみません。でもしょうがないですよね、殺し合いなんですから」
「え、え? あの、あなた、どうして……?」

 よく見れば、女は自分と同じ学校の制服だ。ひょっとするとこちらのことを知っているのかもしれない。
 これでも以前はちょっとした有名人だった。資料室を住み処とするおまじない少女と。
 だがそんなことはどうでもいい。取り敢えずは概要を告げてやろう。有紀寧はこれ見よがしにリモコンを掲げてみせる。

「まずは自己紹介をしましょうか。わたしは宮沢有紀寧と申します。あなたのお名前は?」
「ふ、藤林……りょ、椋、です、あの、い、いきなり、私になに、したんですか」

 困惑と恐怖をない交ぜにしたように視線を泳がせ、歯をカチカチと鳴らす椋。
 自分の取った行動だけでここまで怯えられる要素はない。だとすると、ここに来るまでに何かがあったと見るべきだった。
 まったく存在を忘れているようだが、その手にはショットガンらしきものも握られている。警戒はするべきだ。
 頭の隅にショットガンの存在を置いておきながら有紀寧は「藤林さん、ですか」と話を続ける。

「端的に言えばあなたの首輪の爆弾を作動させたんです。鏡を見れば分かると思いますよ?
 藤林さんの首輪は、赤く点滅しているんですから。24時間後には……ぼんっ、と爆発するでしょうね」
「え、え、え……え?」

470 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:02:31 ID:nKYEabcw0
 ありえないとでもいうように表情を硬直させ、目の前の現実も分かっていない風であった。
 こんな調子でよくここまで生き延びられたものだ。……それとも、予想外の事態には何も対応できないだけなのか。
 或いは、これも演技かもしれないと思いながら有紀寧は大袈裟に嘆息する。

「このリモコンで作動させたんですよ。このボタンを押したが最後、24時間後にはあなたは死んでしまうわけです。
 無論解除する手段もわたしが持っていますが――」

 そこまで言ったとき、恐怖に慄いていたばかりだった椋の目元がスッ、と細められるのを有紀寧は目撃した。
 同時に、だらりと垂れ下がっていたショットガンが持ち上げられ有紀寧に照準を合わせようとする。
 やはり演技……! ここまで生き抜いてきた本能が彼女を衝き動かしたのか、それともここまで狙っていたのか。
 舌打ちしながらリモコンのスイッチを押そうとしたが、椋の方が明らかに早かった。
 やられる――思ってもみなかった自身の反射神経の鈍さを呪いかけたときだった。

「そこまでだよ」
「っ!?」

 椋の側頭部にぐりっと銃口が押し付けられる。いつの間に移動していたのか初音が椋の動きを止めていたのだ。
 有紀寧同様微塵の容赦も感じられない、ただ暴力的なクルツを押し当てて初音は今にもトリガーを引かんとしている。
 意外な初音の俊敏さと行動力に安堵と驚嘆を感じながら、有紀寧はホッと一息ついた。
 流石にここまで生き残っただけはある。無意識だったとしても今の行動は見事だと言わざるを得ない。

 有紀寧は再びにこやかな顔に戻すと「お見事です」と拍手を向ける。
 椋は完全に途方に暮れて情けない表情に移り変わり、「や、やめて、殺さないで」と泣き言を呟いている。
 悪態のひとつでもつけばいいものを。強いのだか弱いのだか分からない椋に苦笑しつつ、
 有紀寧はデイパックから粉末と支給品の水を取り出す。

「さて、ちょっとしたお仕置きですね。藤林さん? この薬、飲んでいただけますよね?」
「な、なにするんですか? それ、何なんですか」
「状況分かってる? 有紀寧お姉ちゃんの言う事聞かないと……」

471 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:02:50 ID:nKYEabcw0
 怯えて受け取らない椋の頭にめり込ませるかのような勢いで初音はクルツを押し付ける。
 本当に言葉の清らかな音色とは程遠い。殺戮の天使ともいうべきなのか。
 人殺しなんてダメだと言っていた初音と同一人物だとは思えない。
 愛情も転化すれば凶暴性へと早変わりするということか。表裏一体とはこういうことなのだろうと思いながら、
 有紀寧は椋が自ら薬を手に取るのを待った。完全に屈服させるために。

「わたしの妹は、とても優しいですけど彼女にも我慢の限度というものがありますよ?
 多分、わたしにここまでしたからにはただでは殺さないでしょうね。確か鋸がまだ手元にあったはずですから、
 あなたの手足をぎこぎこと……」
「ひ、ひっ!」

 半ばひったくるようにして、椋は勢いもよく薬を水で流し込んだ。苦かったのかそれとも恐怖の故か顔は歪んでいた。
 よく耳を澄ますと、「助けてお姉ちゃん助けてお姉ちゃん」とうわ言のように繰り返し繰り返し呟いている。
 この藤林椋も妹か。実に奇特な縁だと思わずにはいられない。なら存分にその立場を利用してやる。
 人を幾度となく陥れてきた有紀寧の狂気が鎌をもたげ、言葉の形に変えて椋に振り下ろされる。

「種明かしといきましょうか。それは特別な毒でして……爆弾と同じ、約20時間前後で死に至る遅効性の毒です。
 解毒剤はちょっとしたところに隠してあります。分かりますよね、わたしの言ったことの意味が」

 こくこくと必死に頷く椋に「結構です」と有紀寧は微笑んだ。
 既に顔は青褪め、二つの死に追い詰められていく己を自覚しているのか目元には涙まで浮かんでいる。
 これは演技か、素の彼女か……どちらでもいい。隙を突かれさえしなければ。

「そうそう、藤林って名字で思い出したのですが……会ってるんですよ、あなたのお姉さんと」
「……え?」

 絶望に俯いていた顔がふっと上げられる。思ってもみなかったのだろう、この名前が自分の口から出てくるとは。
 ノートパソコンからロワちゃんねるを見ていたから分かる。藤林という名字の人間は名簿に二人いた。
 そして椋が妹だと言っている以上、必然的に姉はもう片方ということになる。これを利用しない手はなかった。

472 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:03:09 ID:nKYEabcw0
「さて、わたしは殺し合いに乗っています。あなたのお姉さんとわたしは会いました。さて、どうなっているでしょう?」

 光を見出しかけた椋の顔が、再び色を失う。それも、先程よりも深く。
 カタカタと唇を震わせながらそれでも先を聞きたいのか、椋は口を開いた。

「ま、さか」
「そう、あなたにしたこととまったく同じことをあなたのお姉さんにもね、してあげたんですよ。
 ……今頃はわたしの命令に従ってどこかで人殺しをしているでしょうね」

「そんなっ! どうしてお姉ちゃんがっ! う、嘘をつかないでっ!」

 身を乗り出そうとした椋だったが、初音によって阻まれる。腕を引っ張られ、
 直後クルツの銃把で強く横顔を殴りつけられる。短く呻いた椋はそのまま地面に倒れる。

「本当、物わかりの悪い人だね……有紀寧お姉ちゃん、殺していい? 邪魔だよ、この人」
「ダメです。こんなのでも利用価値はあるんですよ」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ、お姉ちゃんが、こんなくだらない悪い人たちなんかに負けるはずが……」

 初音を宥めている最中も椋はひたすらに有紀寧の言葉を否定し続けていた。
 病的なまでに繰り返すその姿は、ありもしない神に縋っているようだった。

 椋はここまで一人だった……
 だから、姉を神格化し己の罪を姉の名の下に免罪符にし、こうして生き延びてきたということか。
 推測に過ぎないが、概ね間違いはないだろう。でなければこんなに取り乱すことはない。
 いくらなんでもここまで錯乱するとは思えない。この女もまた、狂っているということなのだろう。

「……いいんですよ? 信じないなら信じないで、それでも」

473 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:03:28 ID:nKYEabcw0
 蔑むように向けられた有紀寧の声に、椋の呟きが止まった。

「あなたのお姉さんの死がちょっと早まるだけです。恨むでしょうね、あなたのせいでお姉さんは殺されるんですから。
 家族殺しになる度胸があるならそうやって否定していればいいでしょう。結果はすぐに分かりますよ、放送で」

 無論椋の姉、杏と出会ったこともない。
 殺せるわけもなかったが、こう言えば追い詰められるだろうと有紀寧は確信していた。
 神格化しているとするなら、自らの手で神殺しに等しい行為をさせるのはあってはならない禁忌のはず。
 ここで糸を垂らせば、間違いなく食いついてくるはずだった。

「ですが、何もわたしだって悪魔というわけではありません。お姉さんも随分心配してましたよ。
 美しい姉妹愛というものでしょうか。それに免じて、お二人を助ける機会を与えます。
 勿論、あなたも賛成してくれますよね? 藤林椋さん?」
「……どうすればいいんですか」

 何の迷いもなく飛びついてきた。読み通りだと有紀寧は内心に嘲り笑いながら、
 希望に縋ろうとする椋の顔を見下した。所詮は途中で切れる糸だというのに。

「今からわたしの指示に従ってください。言うまでもないと思いますが、
 もし逆らったり勝手な行動を起こせば、あなたのお姉さんの首が弾け飛びます」
「わ、分かって……分かって、います」

 椋が完全に屈服した瞬間だった。哀れなものだと憐憫、侮蔑の混じった感情を覚えながら、
 それでも椋は使えると思っていた。不意を突ける能力は恐らくは本物だ。この地獄を彷徨ううち、
 自然と身についた彼女の特技といったところだろう。ただ単に矛として使い潰すのは惜しい。
 とはいえ、有紀寧の頭にある作戦は当面の敵がいないと使い辛い作戦でもある。
 さてどうしたものかと頭を捻ろうとしたとき、遠くから断続的に弾けるような甲高い音が響き渡った。

「銃声、かな」
「柳川さんでしょうかね……」
「や、柳川さんっ!?」

474 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:05:48 ID:nKYEabcw0
 椋が口を挟んでくる。おどおどとした卑屈な雰囲気のまま、明らかに畏怖している感情が読み取れる。
 そういえば、と有紀寧は思い出す。確か柳川が探していた女の名前が藤林椋だった……
 なるほど、柳川をあそこまで激昂させた犯人がこの女ということか。
 ここまで生き延びられたわけだと有紀寧は内心に感心しながら、やはり使える、と今度は確信した。

「ええ。柳川さんも私たちの手駒です。まあ安心していいですよ、柳川さんとかち合わせるようなことはしませんし」

 実際、二人を合わせるのはリスクも高い。二人が殺し合うだけでこちらには手駒が減るというデメリットしかないのだ。
 それより、今の銃声で当初組み立てた作戦が使えそうだった。実行するなら今だろう。
 有紀寧は最上の笑みを浮かべながら、椋に概要を伝える――

     *     *     *

「何があったのか、私は知らない」

 降り続く雨の中、一匹の狐と一匹の鬼が静かに向かいあっている。
 眼前に見据えた男――柳川祐也の目は暗く、冷たく……悲しいものがあった。
 この世の全てを憎み、またそうしなければ生きてこられないと知った男の瞳だった。

「知ろうとも思わない癖に……やはり、そうか。俺は所詮ひとりでしかない。
 お前は覚えていると思ったんだがな……結局は、救われないままか」
「倉田佐祐理のことでしょう」

 今更、という風に柳川の目が鋭くなる。
 そう、自分には何があったのか知る事が出来なかった。柳川の言う通り知ろうともしなかった。
 自分にことにだけ精一杯で、今まで自分のことしか考える術を持たず、分かる努力もしなかった。

475 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:06:05 ID:nKYEabcw0
 少し想像を働かせれば分かることだった。
 柳川とずっと一緒にいたはずの佐祐理がいないこと。それ以前に放送で呼ばれていた彼女の名前。
 恐らく、柳川は修羅へと足を踏み外したのだという結論くらいはすぐに導き出せたはずなのに。

 全くだ。今更に過ぎる。己の馬鹿さ加減を思い知る一方、夢から醒めた思いで周囲を見る事が出来ている。
 復讐に身を任せ、己以外の全てを憎むことでしか自分を保てなくなった柳川の姿も、
 未だ自分のやることに確信が持てず、どこへ歩いていけばいいのか分かっていない自分の姿も。
 どちらも愚図で、どうしようもない人間の姿には違いなかったが、それでもリサは柳川とは違うと思っていた。

「貴方の言う通り、私は何も分かっていない。何があったのかも知らない。
 ……けれど、分かるつもりもないなんて言ってない。貴方とは違って」
「何?」
「私はここからでも進んで行きたい。先を行く人たちに追いついていきたい。遠すぎるけど、
 それでもいつかは肩を組んで進めるんだって思いたい。……でも貴方は違う。誰も信じられず、
 信じるものや守るものがなくても全てを憎み続けて戦ってさえいれば生きていけると頑なに思い込んでいるだけ。
 そんなのは餓鬼の道に過ぎないのに。ただ殺しあうだけの獣に過ぎないのに」
「お前に何が分かる。いや、人間に何が分かる」

 リサの言葉、存在すら拒絶し、否定する柳川の一声が場の空気を冷え込ませた。
 拳を握り締め、世界の全てを憎み続ける柳川の身体全てから底無しの虚無を感じ取れる。
 だがこの虚無に巣食われては終わりだ。呑み込まれたが最後、自分の言葉は否定され希望を失ってしまう。
 目を反らしては駄目だという思いに衝き動かされて、リサは柳川の闇を真正面から受け止めた。

「あらゆる希望に裏切られ、あらゆる運命から見放された俺の事など誰も分かるものか。
 信じるだと? そんなものは俺を騙そうとする偽善だ。
 守るものだと? それが俺の腹を食いちぎろうとした。
 自分は自分でしか信じられないし、守れない。恐怖を克服するためには、自分が恐怖になるしかない。
 ただ支配すればいい。自分を喰う者さえいなくなれば、もうなにも恐れなくていい」

476 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:06:25 ID:nKYEabcw0
 人の全てに失望し、また自らも全てを諦めてしまった男の結論だった。
 だが力を手にした一方、言葉の奥底に押し殺した怯えがあるのをリサは感じ取っていた。

「……子供ね。貴方は、本当に子供。思い通りにいかなかったからって駄々をこねる子供と同じ」
「なら貴様はエゴイストだな。前へ進みさえすれば思い通りになると思っている。自分が何をしてきたかを棚に上げて、な」
「そう、私がエゴイストなら貴方は子供。もう一度言うわ。貴方はここで誰よりも弱い子供。
 ――もう御託は要らないし、時間も惜しい。決着をつけましょう。
 かかってきなさい。私の全存在をかけて……貴方を、倒す」

 ふわり、と長い髪を靡かせてリサが地面を蹴った。
 次の瞬間、それまでリサがいた空間を拳が薙ぎ払う。
 既に動いていた柳川が攻撃を仕掛けてきていたのだ。回避したリサはトンファーを身体の前でクロスさせる。

 直後、拳圧が叩きつけられた。とても素手とは思えない圧力でリサは数歩後退させられる。
 柳川は休む暇を与えない。更に踏み込むとガードしていない箇所を狙って殴りかかってくる。
 だがリサも格闘戦についてはあらゆる分野をマスターしている。
 拳の連打を受け流すかのようにトンファーに掠らせ、直撃させない。

 さらにリサは攻撃後の隙を突き肩からタックルでよろけさせ、追撃の足払いを差し込む。
 足をも崩され、背中から地面へ落ちそうになる柳川。
 すかさずトンファーを柳川の身体に打ち込もうとしたリサだったが、柳川の膂力は尋常ではなかった。
 倒れながらも手を伸ばし、追撃体勢に移りかけていたリサの腕を取ると、
 そのまま巴投げの要領でリサを投げ飛ばしたのだ。

 普通なら在り得ない芸当である。倒れながらリサの身体を引き寄せる力、投げに移れるだけの瞬発力。
 どんな人間でも不可能に近いはずだ。……これが、『鬼』だというのか?
 片鱗を見せ始めた鬼の実力に戦慄しながらもリサは空中で体勢を整え無事足から着地する。
 柳川と向き合ったときと同じだ。恐れたら負ける。退くな――!

 後退しそうになる足を抑え、リサは既に肉薄していた柳川を迎え撃つ。
 先程と同じく、受け流し主体で防御し攻撃後の隙を突く。速度は早いが見切れないレベルではない。
 着実に攻撃を受け流し、隙を見てトンファーで一撃、一撃を叩き込む攻防が暫く続く。

477 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:06:42 ID:nKYEabcw0
 が、木製とはいえ鉄芯のトンファーを何度も打ち込まれているというのに、
 まるで応えていないようなのはどういうことだ? 顔色一つ変えず何度も何度も攻めてくる。
 ……なら、頭を叩けばいい。『鬼』は肉体も強靭なのだろう。この程度の攻撃なら何とも思わないのかもしれない。
 だが頭部なら話は別だ。そこだけはいくら鍛えようと、鬼であろうと耐久力は人間と変わらないはず。
 一撃必殺。やってみせる。そう考えて狙いを定めようとしたとき、リサの思惑を感じ取ったかのように柳川が退いた。

「っ!?」
「なるほど……確かに強い。だが、『覚えた』」

 ゾクリとした悪寒を覚えた瞬間、再び柳川が突っ込んできた。
 速度は変わらず。悪い予感を必死に押さえ込みつつトンファーを構える。
 が、柳川が繰り出してきたのは直線的な拳ではなかった。肘を押し出すようにしての突進だ。
 受け流しきれない。それに避けきれない……!

 切磋に防御体勢へと切り替え、直撃だけは防いだリサだったが、次の瞬間には巨大な手が胸倉を掴んでいた。
 圧倒的な力で引き寄せられたかと思うと、柳川が身体ごとぶつかってくる。
 質量からくる力に耐えられず、身体を浮かせてしまう。やられると思ったときには、既に拳がめりこんでいた。

「がはっ……!」

 あまりに的確かつ最速で打ち込まれた攻撃に、腹筋に力を入れる暇さえなかった。
 肺から空気全てを搾り取るかのような威力に呼吸することすら出来ない。
 無様に地面を転がり、泥が鼻や口から入り、じゃりじゃりとした感触を味わう。
 激痛に呻いている暇はない。立ち上がらないと……

 己の意思のみに衝き動かされ、リサは何とか立ち上がりトンファーを握り直す。
 直撃を受けてさえ武器を手放さなかったのは自分でもファインプレイだと言える。大丈夫、なら戦える。
 必死に呼吸を整え、構えるリサに柳川が接近を開始する。

478 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:07:16 ID:nKYEabcw0
 柳川はまたもや肘を繰り出し、リサに受け流させない。『覚えた』とはそういうことか。
 こちらの戦術の更に上をいく柳川に驚嘆しつつ、何故か意識が高揚していくのも感じる。同時に、空しさをも。

 これだけの力を持ちながらどうして人が守れないなどと思える?
 これだけ強いのにどうして虚無に喰われてしまった?
 こんなにも……貴方は強いのに。なんで、こんなにも弱いのよ。
 回避を主体にし、攻撃を紙一重で避け続けるリサ。拳が交わされる度にいたたまれなさだけが上乗せされていく。
 悲しすぎるじゃないか――研ぎ澄まされた想いが突き上げ、自然と言葉になって飛び出していた。

「……貴方だけは、強いと思っていたのに」

 ぽつりと吐き出された言葉は、しかし確かな言葉となって柳川へと向けられた。
 言葉の意味を図りかねたのか、柳川はただ眉根を寄せて体当たりを仕掛けようとする。
 リサは大きく身体を反らしつつまたも紙一重で避け、すれ違いざまにトンファーを突き刺す。
 ぐっ、と僅かに呻きが聞こえ、僅かに苦渋の顔を見せた柳川と真っ直ぐなリサの顔とが相対する。

 手ごたえはあったということか。ちょうど脇腹の柔らかい部分を突けたのが良かったのだろう。
 柳川も決して征服されざる怪物ではないということを実感しながら、リサは続ける。

「私は貴方の言う通りのエゴイストで、自分のことしか考えられない。それは事実よ。
 でも、努力は続けたい。そんな自分から少しでも脱却できるように、明日にはもう少しマシな私になれるように。
 私より強いはずの貴方が、どうしてそんな子供に成り下がったのよ……!」
「そうしなければ生きられないと知っただけだ。
 何も出来ない奴は出来ないままに支配されるだけ……貴様こそ、何故それが分からない」

 絶望に取り込まれ、何も信じず、何も映さない瞳をリサは見据え続ける。
 柳川の味わったものがどれほどの闇なのか想像も出来ない。何を知ったのかも。
 だがリサにはこれだけは言っておかねばならないことがあった。
 柳川の言葉は、柳川を支えていたものでさえ否定しているということを。

479 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:07:35 ID:nKYEabcw0
「だったら……倉田佐祐理はどうなのよ。貴方を信じて生きてきた、あの子も貴方は愚かだと見下げるっていうの!?
 冗談じゃない。そんなの、あの子は絶対に許さない。絶対に……!」
「思い上がるなっ!」

 リサにも負けない怒声が大気を震わせる。
 紙のように白くなり引き攣った表情へと柳川は変わっていた。
 一瞬感じた押し殺した怯えが今は顕になっている。絶望とは別の感情が柳川の内から溢れ始めている。

 ただ、それはやはり全てを拒絶する類のものだった。
 恐怖を恐怖で支配しようとしている男の弱みに近いものが顔を見せているだけだ。
 説得はやはり出来ない、とリサは確信してしまう。もう彼に残っているのは人の持つ負の力。
 人なら誰しも持つものに搦め取られ、圧殺されかかった男の姿だった。

「貴様が倉田を語るなっ! 倉田をダシにして自分を正当化するなど!」

 横に動いた柳川が側面からの蹴りを放つ。素早く身を引いて躱すが、続けて後ろ回し蹴りが飛ぶ。
 連続した攻撃。なら一発あたりの威力はそれほどでもないと当たりをつけ、あえて無理に避けずトンファーで受ける。
 避けるだろうと想定していたのか、リサの意外な挙動に一歩行動が遅れた柳川の隙を見逃さない。

「ダシにしてるつもりなんてないっ! 貴方は逃げてるのよ! 分かった風になって自分の過去から逃げてる!」

 それはまさしく篁を追い続けていたときの自分だった。
 目的だけを追い、己を殺し、途方に暮れるしかない未来が待っていると分かりながらもどうする術を持たず、
 今ある現実にだけ目を向け、こうするしかない、ああするしかないと諦め続け無力さを晒すばかりの存在だ。

 自分が見てきた柳川はこんなつまらないものじゃなかった。
 ギラギラした目にいつも勝機を宿し、可能性を模索する男だったはずだ。
 そんな男だったからこそ倉田佐祐理も、栞も、自分もついていこうと思ったのではなかったのか。

480 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:07:53 ID:nKYEabcw0
 本性は違うと言えば、そうなのかもしれない。柳川の生い立ち、人生。
 何も知っていない自分が作り上げた柳川像というものはあるだろう。
 だが彼が強い男だったというのは間違いないはずだった。それだけはリサが信じて疑わない柳川の姿だった。
 なのに、今は。

「貴方じゃ誰も支配なんて出来ない。貴方自身が、一番恐怖に支配されてるから!」

 一気に懐に潜り込み、まるで天を突くかのような勢いでトンファーをかち上げる。
 反応することのできない柳川はモロにトンファーの筒先を顎に受けた。
 頭がかくんと後ろを向き、身体が宙に浮く。リサはとどめというように鋭い前蹴りを刺突のように繰り出す。
 踵の先が腹部にめり込み、柳川の長身が吹き飛ばされた。身体の二箇所に直撃させる決定打だ。

 派手に地面を転がる柳川を見届けたリサはフッ、と短く息を吐き出した。
 この程度で気絶したとは思わない。まだ立ち上がってくると見るべきだ。

 ……だが、柳川に負ける気はしなかった。実力的には拮抗していても、彼は昔の自分でしかない。
 正確には数時間前の自分と言えるが。皮肉なことだとリサは思う。
 柳川と相対したことで自分は強くなろうと決め、柳川は弱くなった。
 どうして、貴方はこんなに……
 複雑な心境にとられかけた刹那、重低音が聞こえてきた。

「!?」

 振り返ると、そこには猛スピードで道を駆け抜けて行く一台の車があった。
 こちらに直接突っ込んでくるというものではなかったが、明らかに挙動が異常だ。
 車が向かう先は、栞と英二が離脱した場所を指している。

 まさか、という予感が脳裏を巡り、まずいという思いに駆られて一時柳川との決戦を中断しようと考える。
 栞は怪我をしていて、とてもじゃないが戦える状態ではない。そこに車という武器を持ち込まれては状況は最悪だ。
 柳川を放置しておくのもまずいが、今は仲間の命が最優先だ。武器だけ奪って駆けつけようと、
 道の端に放置された柳川のデイパックに向かって走ろうとリサが背を向ける。

481 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:08:14 ID:nKYEabcw0
「まだだっ!」

 唸るような声が聞こえたと同時、咄嗟にリサは前転していた。
 身体中から発せられる『危険だ』というサインに従っての行動。完全な勘に任せての行動だったとも言える。
 だがそれは結果として不意打ちからリサを救った。視線を横に走らせた先では、
 自分に向かっていたラリアットを避けられ――身体の一部を異形に変化させた柳川の姿があった。

「ぐっ、逃がしたか……!」

 獣のような、今までとは違う声音を伴って柳川が振り向く。
 右腕から先は赤黒く変化し、爪は鋭く尖り、まるで槍のように変化している。
 また血管の一部も肥大しており、明らかに柳川の身体には異常が起こっているのが見て取れる。

「貴方、そこまでして……!」

 叫びながら、リサはあれが『鬼』の本体なのかと想像する。
 不可視の力、翼人伝説、毒電波。様々なオカルト、異能の力について仕事で調査したこともあったが、
 まさか実物を見る羽目になるとは。まるでSFアクションの世界だ。
 そして、この力を発揮させたのだとしたら……もう柳川は、なりふり構わずに攻めてくる。

 とても救援に行ける状態ではなくなり、焦りと緊迫感がリサを駆け巡る。
 だがやるしかない。仲間達を救うためにも、自身が生きるためにも。
 凛とした表情を取り戻しトンファーを構えたリサを、鬼の爪を生やした柳川が見据える。

「……教えてやる」
「何?」

482 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:08:58 ID:nKYEabcw0
 瞳を真っ赤に染め、鬼そのものへと移り変わりつつある柳川はひびの入った眼鏡を打ち捨て、全貌をリサに見せた。
 紅色でありながら、どこまでも暗い目。彼の虚無は寧ろまだまだ大きくなっているかのようにリサは思えた。
 底無しの闇を含んだ目が細められた。来る、と思ったときには既に腕が振り上げられていた。
 腕が肥大化したことによりリーチも伸びているはずだ。避けきれるか? 僅かに迷った末、リサは防御を選ぶ。
 万が一目測を誤り致命傷を負っては意味がない。ならば多少のダメージは負っても命を確保できる方を選んだのだ。

 トンファーで爪を抑えにかかったリサだったが、やはり全開の柳川を受けきることなど無理な話だった。
 めきっ、とトンファーが悲鳴を上げたのと同時、リサの腕が軋みを上げた。ダメだ……!
 持たないと判断して、あえて力に逆らわず吹き飛ばされる。だが十分に受け身の用意をしていたリサは、
 さしたる損傷もなく少し転がっただけですぐに立ち上がった。そこに柳川の踵落としが待ち構えていた。
 足はどうだ? これも判断しかねたリサはまた受けに回る。トンファーを眼前でクロスさせ、
 しっかりと防御したところにガツンという衝撃が走った。

「ぐっ!」
「俺は……俺は、裏切られたんだよ! あまりにもたくさんの人間になッ!」

 何とか受けきったかと思ったが、別の攻撃が繰り出されていた。器用にもう片方の足を使って、
 下から蹴り上げてくる。がら空きにさせるための攻撃。気付いたときには遅く、身体につま先が刺さる。

 今度はどうすることもできず無様に転がる。だがダメージは思ったほどでもなくすぐに体勢を立て直す。
 が、トンファーに異変が起こっていることに気付く。爪に強く打ち据えられた部分に深い爪痕が残り、
 鉄芯の部分が僅かに剥き出しになっている。そればかりか、鉄にさえひびが入っているではないか。
 ゾクリとした怖気を感じる。もしクリーンヒットすれば骨折どころではない。もし頭部に爪の一撃を貰えば……

「まず最初に裏切られたときは倉田を殺されたッ!」

 ハッとしてリサは柳川に意識を戻す。彼の身体は既に射程圏内にあった。
 反射的に飛び退いてしまう。それが不味かった。槍のように突き出された爪がリサの脇腹を掠る。
 突き刺さりこそしなかったものの鋭い痛みに身体がぐらついてしまう。そこに柳川が猛ラッシュを仕掛けてくる。

「それだけじゃあないッ、次に俺を裏切ったのはな……血の繋がっていたはずの家族だったんだよッ!」

483 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:09:19 ID:nKYEabcw0
 ここから先はまるで猛獣が一方的に小動物を襲うかのようなものだった。まさしく、『狐狩り』だ。
 ろくに防御する暇も与えられず爪が身体中を裂き、合間に出された拳が体力を削り取り、
 みるみるうちに出血が増大してゆく。ギリギリで躱しているため決定打こそなかったものの、
 上半身は傷だらけで、トンファーを握る腕からも力が抜けていくのをリサ自身も感じていた。

 この威力は柳川の肉体によるものだけではない。
 仲間を失った恨み、家族にさえ裏切られ、拠るべきものを全て失い憎しみに身をやつすしかない者の怨嗟。
 それらが渾然一体となって世界の全てにぶつけられている。

「俺が信じていたものをッ! あいつらは嘲笑いながら見下し、利用して捨てようとしていたんだ!
 なら俺だってそうする。痛みには痛みを、侮蔑には侮蔑を、恐怖には恐怖でなッ!
 家族にさえ裏切られた俺が、他に何を信じろってんだよ! 何を守れってんだよ!
 守れるのは、信じられるのは……俺自身だけなんだッ!」

 憎悪を言葉に乗せ、柳川が拳を腹部に押し込む。
 かはっ、と息を吐いた直後赤黒い爪が振りかぶられた。
 半分抵抗する力を失い、拳だけで吹き飛ばされかかっていたのが幸いしたか、
 爪はリサの肉を少々抉るだけで済んだ。……けれども、もはや戦えるだけの体力も気力もとうに無くなっていた。

 圧倒的な暴力と殺意。その上虚無に塗り込められた揺るがぬ怨恨を前にして、一体どうすればいいのか。
 策は小細工でしかなくなり、技術を駆使した戦法など巨大なゾウの前のアリでしかない。
 どうあっても勝てない。合理的な軍人であるリサの頭はそう叫び続け、戦闘を放棄しかかっている。

 だが、と奥底に芽生え始めた、人間としてのリサは必死に語っている。
 柳川は結局弱い。家族が裏切ったからといって、自分も誰かを裏切っていいと思い込んでいる。
 家族が裏切ったから、自分以外の全員が裏切ると思い込んでいる。
 確かに誰よりも信頼していた家族に手のひらを返されるのは絶望の一語だろう。
 自分でさえ柳川のように呑み込まれ、虚無を含んだまま悲嘆に暮れ、生きてさえいけなくなるかもしれない。

484 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:09:37 ID:nKYEabcw0
 だがそれは他の誰かを裏切って、無為にしていい理由にはならない。
 それまで築き上げてきたものを壊す理由にはならない。
 自分自身しか信じられないといいながら、己を構成するものを壊してそれで何が残るというのか。
 たとえ残ったとしても、そこにあるのは自分のではなく、ひとの悲しみだ。ひとを虚無の闇に引きずり込むものだ。
 皆が皆そうなってしまえば世界からは誰もいなくなってしまう。

 そんなものを認めるわけにはいかない。
 こればかりは否定しなければならない。
 宙ぶらりんの自分でさえ前に進ませようとしてくれている、大切な仲間達のためにも――!

「……そんな下らない理屈で、これ以上誰かが殺されるなんてまっぴらよ」

 ゆらりと幽鬼のように立ち上がり、抜けかけていたトンファーを強く握り直すと、鋭い視線を柳川へと向ける。
 目つきを険しくした柳川は無言で構えを取る。一切の油断はなく、ただ向かってくる敵を倒すという風情だった。
 だらだらと身体のそこかしこから血が溢れ、雨と混ざり合って肌を伝ってゆく。

 けれども不思議と力が湧き出てくる。流れた血も再び身体の奥底から沸き上がり、また己の血となっていくのを感じる。
 自分が決して間違っていないという思い、自分はひとりじゃないという思いが己を支え、気力が満ちていくのを感じる。
 敢然と立ち向かう。リサの気持ちの全てが満ち溢れ、柳川にも伝わったようだった。
 無言の気迫に押されたらしい柳川が一歩退いたのを、リサは見逃さなかった。

「攻める!」

 トンファーを真正面から打ち込む。柳川は予想外の勢いに慌てたか、変化した鬼の腕で受けようとしたが、
 それはフェイントだった。急激に力を抜き、滑らかな動きで横から後ろに回る。
 裏を取った。そう確信したリサはトンファーと共に肘鉄を打ち込む。

「ぐっ!」

 更に勢いに任せ、ダンスをするようにくるくると回りながらトンファーを用いた打突と回し蹴りの組み合わせの応酬。
 数発打ち込まれてようやく柳川も防御に回ったが、守勢なのは変わらず。
 腹部を中心に攻撃を叩きこんだ後、仕上げの体当たり……いわゆる、『鉄山靠』を当てて吹き飛ばした。

485 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:09:59 ID:nKYEabcw0
「Have nothing to go with me...」
「貴様……!」
「これで互角といったところかしら? ……次で決めるわよ」

 後から後から気力が満ちてくるとはいっても、体力的には限界に近い。
 いやむしろ沸いてくる気力で己を持たせているといったほうがいい。
 それは柳川も同じだろう。ここにきて鬼の力を出しているということは、本人にも相当な負担がかかっているはず。
 でなければ最初からこの力を出してかかってくるに違いないからだ。彼も同じく、気力で己を持たせている。

 次の打ち合いで全てが決まる。
 自分は柳川の頭部を狙い。
 柳川は己を刺し貫くのを狙い。
 正真正銘、最後のダンスとなるだろう。
 果たして勝つのは妄執に囚われた鬼か、諦めの悪い雌狐か。

「上等だ。……行くぞッ!」
「Come on!」

 柳川が駆けるのと同時に、リサも駆け出す。
 一撃で全てが決まるとは思わない。
 勝敗を決するのは相手の動きを見切り、いなした上で最後の攻撃を叩き込んだ方だ。
 柳川も自分の中で技の組み立てを終えているはず。

 力と知恵と技術、そして想いの丈をぶつけ合う一騎打ちの始まりだ。
 初手。
 リサは勢いをつけていたはずの足を止め、急ストップをかける。

「っ!」

486 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:10:15 ID:nKYEabcw0
 間合いを見誤ったらしい柳川は既に爪による突きを放っていたが、届くはずがない。
 カウンターの要領でここから側面に回ろうとしたリサだったが、柳川も対応は早い。
 突きによる慣性をそのままに利用し、勢いに乗っての回し蹴りがリサを襲う。
 咄嗟にジャンプして空中へ逃げたが、そこに空いた柳川の拳が待っていた。

「空中では身動きが取れまい!」
「そうかしら!?」

 殴りかかろうとする柳川の拳を、足を思い切り突き出し靴の裏で柳川の手を踏みつけることでそれ以上の追撃を許さない。
 さらに反動を利用し、リサは柳川の後ろへと飛び降りる。
 着地ざまにトンファーを振るが、素早く遮った鬼の腕によって阻まれる。
 そのまま数度打ち合う。お互いに間を計るように、隙を作り出す機会を確かめるように。
 その間、リサは仲間のことを思う。

 どんなに鈍くてもいい、自分のことを考え、未来を想像しろとアドバイスをしてくれた英二。
 恨みに呑まれることも悲しみで塗り潰されることもなく、ただ自分を助けようと健気に慕ってくれている栞。
 自分は人として立派であるはずがないのに、どうしてここまでしてくれるのだろうか。そう思ったときもある。
 だが今なら分かる。彼らは自分を捨て置くのではなく、引き上げて寄り合いながら歩こうとしているのだと。
 確かに、決して幸福へと向かっているわけではないのだが『今』を歩く一歩一歩は苦にならない。
 たとえその先で地獄が待っているのだとしても、積み上げた『今』が自分達にはある。
 それが自分の強さになる。闇に立ち向かっていける力の源となる。

 だが柳川はどうなのだろう。今戦っているこの時でも彼はずっと一人のままなのだろうか。
 今も、昔も、未来さえ信じられず、足場の見えない暗闇を歩きながら何を考えているのだろう。
 いや、だからこそ柳川は闇に身をやつし自分さえも消して恐怖になろうとしているのかもしれない。
 周りが真っ暗で満たされているなら自分がその一部になればいい。そう断じて。
 けれどもそれでは誰もいなくなってしまう。無音の恐怖だけが満ちた暗闇だけになってしまう。
 それではあまりにも寂しすぎる。
 だから、私は――

487 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:10:47 ID:nKYEabcw0
 リサが柳川の素手の方の拳を弾き、一歩分の距離を取ったとき柳川が動いた。
 大きく鬼の腕を振りかぶり、本気の突きを繰り出す体勢を取る。
 懐に入り込むには足りない。防御できるような攻撃ではない。ならば避けるしかない。

「く!」

 大きく横へ跳躍して回避しようとする、がそれは柳川の読み通りであった。
 動きを一瞬溜めて突きを放とうとしたのはフェイントだった。
 跳んだのを確認した柳川は手を開いてリサの首を掴みかかるように腕を振るう。
 首を掴み、絞め殺そうというのだろう。あの腕に捕まれば逃れようがない。

 ……けどね、こっちだって考えなしに跳んだわけじゃないのよ!
 ニヤリと笑みを漏らしかけていた柳川に、リサも笑い返した。

「プレゼントよ、柳川!」
「!?」

 腕を振った柳川の前には、リサが着ていたジャケットが宙に浮いていた。
 当然のようにジャケットは振っていた爪に引っかかり、さらに柳川によって傷つけられ、
 ボロボロになっていたお陰で破れかかっていた箇所から爪が刺さり、激しく絡まり合う。
 その上視界をジャケットが遮っていたせいで腕を振り切れず、勢いを失ってしまう。
 再度リサが力を溜めて柳川に跳躍しかかったのと、完全に柳川が勢いを殺されたのはそのタイミングだった。
 柳川の回避動作は間に合わない。


「柳川ああぁぁああぁぁぁあぁああぁっ!」
「リサ……ヴィクセンッ! うおおぉぉぉぉおぉぉぉッ!」


 最後まで諦めまいとしてジャケットが刺さったままの腕を振り上げようとする。
 しかし、やはり早かったのはリサの方で。

488 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:11:04 ID:nKYEabcw0
 空中から全力の勢いで振り下ろしたトンファーが柳川の側頭部を打ち抜き、頭蓋骨を砕き、
 彼を戦闘不能へと落とさせていった。

「か、はっ……」

 呻き声が一つ。致命傷を与えられ血を吐き出した柳川は、意地の一撃も届かせることなく崩れ落ちた。
 リサは激しく胸を上下させつつ、額にはりついた髪の毛をかき上げる。
 何とか勝てた。本当に殺しに掛かるなら身動きさせずに絞め殺すだろうという読みが当たり、
 対応策を講じておいてよかった。もし突きをトドメにと考えていたなら、また違った結果になったかもしれない。

「く……」

 低く搾り出す声が聞こえた。まだ柳川は生きてはいるらしい。
 鬼の強靭な生命力ゆえなのだろうか。だとしても、痙攣するようにしか動いていないことから、
 もう時間の問題だろう。リサは息を整えながら柳川の元で腰を下ろす。

「俺にだって……俺に、だって、守りたいものくらい……」
「知ってるわ」

 目を閉じたまま、うわ言のように呟く柳川にリサは静かに答える。
 強かった柳川には確かにあった。だからこそ、リサは悔しくてならなかった。
 この男から何もかもを奪ってしまった沖木島の狂気と、島全体に今尚敷衍し続ける、
 恐怖を恐怖で支配する力の倫理を。

「だから……おれは、信じて欲しかった……こんなどうしようもない、
 屑だった殺人鬼の、おれでも、だれかと一緒に歩いていけるんだ、と……
 おれは、ひとごろしを楽しむ……悪魔なんかじゃ、ないんだっ……」

489 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:11:23 ID:nKYEabcw0
 雨などではなく、柳川自身から溢れ出る雫が彼の顔を濡らした。家族にさえ裏切られた無念と、
 最後の最後まで言い出せなかった自分に対する悔しさがない交ぜになったものかもしれなかった。
 信じて欲しい。ただそれだけを願い続けていたやさしい鬼。
 彼が生きていくには、ここはあまりにも残酷で過酷な場所だった。
 だから、せめてその最期は。想いを込めて、リサは柳川の手を取った。

「今からでもいい? 今からでもいいなら、私が貴方を信じる。本当の言葉で語ってくれた貴方を、信じる」
「……リサ……」

 信じられないという疑念と救いはあったのだと安堵するものを含んだ柳川の目が薄く開かれる。
 だが手を取り、しっかりと握っているリサの手を見て、ふっと柳川は微笑を浮かべた。

 すぐにそれも消え、目も再び閉じられる。受け入れまいと思ったのか、己に対する贖罪なのか……
 やはりリサには分からなかった。ただ、開かれたときの柳川の目は、
 虚ろな中にも安らぎがあったかのように見えた。

「宮沢、有紀寧……」

 ぽつりと出された言葉は、聞き覚えのない名前だ。何なんだろうと思っていると、
 今度は強く手が握られ、残った命さえ搾り出すような声で続けられた。

「宮沢有紀寧……奴を……奴だけは、必ず殺せ……あいつ、だけは許しちゃならないんだ……!
 奴は……ひとを、どこまでも、陥れる、あく、ま、だ……頼む……やつ、を……!」

 ぐっ、と一際強く握り締められたのを最後に柳川の手がするりと抜け、地面に落ちた。
 者が、物に変わった瞬間。ひとつの命が散った瞬間だった。

「柳川」

490 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:13:11 ID:nKYEabcw0
 思わず手を取りかけたリサだったが、すぐにそれを取り消した。
 柳川から力が抜けたのではない。柳川は自ら手を放したのだ。握っていては、邪魔になるから。
 宮沢有紀寧という名を伝え、意思を託したリサの邪魔をしてしまうから。
 故に……弔いは必要ない。言い遺した柳川の意思を確かめ、リサは崩れかけていた表情を戦士のそれへと戻した。

 行こう。さっと立ち上がると何事もなかったかのように自分と柳川の持ち物をかき集め、
 キッと車が走り去っていった方角を見据えた。雨に紛れているが時折銃声のようなものが聞こえてくる。
 間に合わないかもしれない。もしかすると、皆死んでいるのかもしれない。
 この先には絶望しか待っていないのかもしれない。

 だがそれでも、積み上げてきたものに恥じないために。今しがた己の一部となった柳川に恥じないために。
 どこまでも進む。どこまでも戦う。
 残った者たちに、翳りのない未来の在り処を教えていくために。

 限界だったはずの身体はまだまだ動く。柳川が己を支えてくれている。
 その思いが胸を突き上げるのを感じながら、リサは全速力で走り出した。

491 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:15:03 ID:nKYEabcw0
ここまでが前編となります

492 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:15:31 ID:nKYEabcw0
 ……まさか、もう一度ここに逃げ込むことになろうとはね。
 かつて神尾観鈴の応急処置のために駆け込んだ診療所の中で、痛みに喘ぐ栞を見下ろしながら英二は苦笑する。
 しかもご丁寧に状況までそっくりと来ている。

 リサと別れた後氷川村を一直線に走っていた英二だったが、全く予想外の追っ手が来た。
 何の前触れもなく猛スピードで走ってきた車が栞もろとも英二を轢き殺そうとしたのだ。
 派手にエンジン音を吹かせていたお陰でいきなり轢き殺されるという最悪の事態だけは避け、
 その後も幾度となく迫る車を回避しながら何とか診療所へと避難してきたというわけだ。

 しかも車は執拗に狙いを変えず、診療所の周囲をぐるぐると周回している。
 中に誰がいるかは逃げるのに必死だったので分からなかったが、余程性質の悪い人間であることは間違いない。
 学校で襲ってきた少女といい、向坂弟といい、自分は凶悪な連中に付け狙われる星にでも生まれたのだろうか。
 やれやれと思う一方、嘆いている暇はないと状況を整理する。

 栞の怪我は命には別状はなさそうであるものの、依然として動けぬ状態であるのには変わりない。
 それにリサは正体不明の男と交戦中。今までのリサを見た限りでは負けそうだとは思わないが、
 すぐに救援に来れるという風情でもない。立て篭もって救助を待つというのはあまりにも愚かだ。
 最悪、この建物に車ごと突っ込んでくるという可能性もないではない。何せ木造の診療所だ、
 あっけなく倒壊しそうな気がする。

 そうなると……やはり以前の方法を用いるしかない。
 上手く敵を自分が引きつけるという陽動作戦。実際、あのロボ少女とでは成功に近い結果を出した。
 しかし、その後の結末はどうだ? 逃がすことに成功したはずの相沢祐一と神尾観鈴は死に、自分だけが生き残った。
 放送のときのショックが影を落とし、今の情けないままに生きてしまっている。

 ひょっとしたらまた同じ結果になってしまうのではないか。
 自分は誰も救えないのではないかという不安が鎌首をもたげ、行動に足踏みを起こさせている。
 己の行動は全て裏目に出てしまう。ならばいっそ逆に立て篭もり続けるのも一手ではないかとさえ考える。

「くそっ、優柔不断だな、僕は……」

 やり通すとリサに宣言しておいて、今はこのザマか。
 自分への情けなさが胸を潰し、やりきれない思いばかりが体を重くする。

493 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:15:45 ID:nKYEabcw0
「英二さん」

 静寂を破る声が聞こえ、英二が振り向く。その先では痛みに耐えながら、どうにか意識を保っている栞がいた。
 脂汗を浮かべながらも笑みを湛えた栞の表情は、英二にひとつの疑問を抱かせる。
 なぜ笑える? なぜこの状況で……それも、こんなに力強い微笑みを?
 呆然としたままの英二に、栞は言葉を重ねる。

「私を置いていってください。大丈夫です、後で合流します……そろそろ、痛みも引いてきましたから」

 そう言う栞だが、明らかに体は震え、顔色は冷めている。
 冗談じゃないと思った英二は、沸き上がった感情のままに反論してしまう。何年振りかも分からぬ感情を出して。

「見捨てろというのか。僕は君を死なせるために……」
「分かってます。私だって、死ぬためにそんなことを言ったんじゃないんです。陽動……それが最善の作戦ですよね?」
「!? 何故――」
「分かりますよ。だって、ずっと外を見ていましたから」

 また力強い笑みを浮かべた栞には諦めの感情は一切無かった。
 自分が生きられることを信じ、また自ずから道を切り拓きその一因となろうとする強靭な意思があった。
 眩しすぎると思う一方、それに惹かれている己を感じながら英二は拳を握る。

「私は、リサさんや、英二さん……いえ、みんなの力になりたい」

 脇腹から未だにあふれ出す血を手で押さえながら、栞はたどたどしくも必死に、しっかりとした意思を以って話す。

「だから、やってみせます。英二さんの陽動に合わせて、私もやり通します。降りかかる火の粉は払いますし、
 それでも来るなら……撃つかもしれません。でも、私は生きたいんです。私にも大切なひとができたから……
 忘れてはいけないことがいっぱいできたから。諦めたりなんて絶対にしない」

494 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:16:01 ID:nKYEabcw0
 絶対に諦めない。その言葉が重く圧し掛かり、栞は自分と正反対の存在であることを自覚させられる一方、
 だからこそ自分は栞のためにやり通す必要があるという使命も感じていた。
 そうだ。自分の命は最後まで他人のために使う。今までがどうだったとしても今回は間違えないかもしれない。
 ただ己の節を曲げないために最後までやり通す。そう決めたはずではなかったのか。

「そうだな」

 応じた英二が浮かべたものは不敵な笑みだった。栞が自分に生き様を晒せと言っている。ならば無様な生き様を、
 見事晒して見せてやろうではないか。そうすることでしか、自分は何かを伝える術を持たないのだから。
 英二の中の化学変化を感じたのか、栞もこくりと頷いた。

「行ってください。私はなんとか隠れきってみせます。その後は……挟み撃ちにしてあげましょう?」

 冗談交じりの口調ながら、真剣な顔つきで栞は言った。
 生きたいという意志と、命の受け止め方を知った者の言葉だった。英二は頷き、ベレッタM92を取り出した。
 スライドを引き、チェンバーに初弾を装填する。これが始まりのゴングだ。

 ゲームスタートだ、緒方英二。
 駆け引きを楽しむ『プロデューサー』の姿がここにあった。

     *     *     *

 今の己を支えているのは妄執、ただ一つ。或いは愚昧とも言える感情にのみ衝き動かされているのかもしれない。
 過去を清算するためだけに。人間であった部分を捨て去るためにどこまでも追い縋っている。
 車で轢き殺すということは英二の反応の良さと悪天候による路面の悪さによって失敗したが、追い込んだ。

 後はどう料理するかを考えればいい。そう断じて診療所を見渡せるポイントからじっと観察を続ける篠塚弥生に、
 神尾晴子が開け放った窓から周囲の様子を窺いつつも、新鮮な空気を求めて首を外に突き出していた。
 本人曰く、「急に猛スピード出してめちゃめちゃな運転するから酔った」とのこと。
 シートベルトもつけていなかったので体がブンブン振り回されていたから当然といえば当然だろう。
 文句の一つも飛んでこないのは余程参っているか、何か考えあってのことか分からないがうるさいよりはいい。

495 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:16:29 ID:nKYEabcw0
 ただ戦闘のときに使い物にならないのは困るので、こうして晴子の体調復帰を待ち、
 車ごと診療所に突っ込もうという算段を立てている。見たところ木造の家屋だ、
 最大速でぶつかればひとたまりもないはずだろう。あわよくばそのまま押し潰して殺せる。
 何よりもこんな大胆な戦術をとり、敵の裏をかけるというところにメリットがある。
 建物は決して避難場所ではない、時によっては墓場となり得るのだということを教えてやる。

「篠塚、ひとつ聞いてええか」

 聞き慣れない呼び名にぎょっとして振り向いた先では、相変わらず晴子が窓から顔を出している。
 この人が自分を名前で呼ぶのは初めてだ。不思議な感慨にとられながら「なんですか」と努めて冷静に返す。

「勝てるんやろな?」

 低く敵意を含んだ声が弥生の頭を叩く。晴子がそう思うのも無理はない。
 目の前で戦っていた男と女を無視して突っ切り、英二と怪我した女の方を執拗に狙っている。
 自身を見失っているのではと疑念を持たれているかもしれない。なら不安要素は取り除けばいいとして、
 弥生は「勝ちます」と力強く言い、彼女にしては珍しく自身のことをとつとつと話し始める。

「最初の二人を無視したのはあの常人離れした戦いを見て、とても割り込んで勝てるような相手ではない。
 ましてこの貧弱な武装では……そう言いましたね? もちろん嘘ではないのですが、理由はもう一つあります」
「ほう」
「私が追っている方の……男の名前は緒方英二と言います。私の知り合いでもあり、
 緒方プロダクションのプロデューサーでもある人です。有名なので名前くらいはご存知かと思いますが」
「聞いたことはあるなぁ。なんや、えらい大物と知り合いなんやな」
「仕事上の付き合いが大半でしたが。……そして、私の弱さの象徴でもある」

496 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:16:48 ID:nKYEabcw0
 ずきりと古傷が疼くのを感じる。英二に一蹴され、屈辱と共に穿たれた傷だ。
 君のやり方は間違っている。
 由綺を失った自分に対して、英二も理奈を失ったにも関わらず彼はそう言ってのけた。
 現実を受け止め、夢も見ることも妥協することも許さない対極の存在が一度己を打ちのめした。
 それが今でも尾を引き、殺戮遂行の機械となりきれないまま嫉妬心、羨望の感情を残している。

「なるほど、なんやよう分からへんけど復讐っちゅうわけや」
「復讐ではありません。全てに決着をつけるための清算です」
「は、うちにはどっちも同じやねん」

 目つきを険しくしかけた弥生に「怒るなや」と晴子が手をひらひらと振る。
 「気持ちは分からんでもないからな」と続けて、彼女はVP70をまじまじと見つめた。

「汚点は消したいもんや、そうやろ? うちにも決着つけとうてかなわんクソガキがいる。
 まあ一人は死んだらしいねんけどな。ざまあみろって感じや、はは」

 愉快そうに笑う晴子の顔からは微かな憎悪と狂気が見て取れる。
 汚点、という言葉の中身を確かめるように弥生は口中に呟いた。

 晴子にとってのそれは己に潜む憎悪なのかもしれない。これを消しさえすれば、常に目的へと向けて動ける、
 任務遂行の機械となれるのを彼女は知っている。弥生にとってのそれは緒方英二だった。
 立場を同じくする大人でありながら存在するだけで自分を否定する、まさしく汚点。
 英二さえいなくなれば自分は強くなれる、そう信じて疑わぬ存在だった。

「ええわ、目先の利益に目ぇ奪われてんやないんやろ。ケリ、つけに行こうや」

 ニヤと口元を歪め、凶暴な雰囲気を晒し始めた晴子に「いいのですか」と弥生は尋ねる。
 見方を変えれば半分私怨で動いているとも取れる。
 晴子からすれば付き合う義理はないだろうに、と今更思いながら。

497 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:17:07 ID:nKYEabcw0
「篠塚が強うなればうちにとって利益にもなる。それに……勝てるんやろ?」

 信頼を含んだ強い口調で晴子は言い寄る。
 これは晴子にとってのテストなのかもしれない、と弥生は思った。
 パートナーとしての力を試すテストであり、晴子自身も汚点を消せるのかということを確かめるためのテスト。
 ハイリスクでハイリターンな計画だと考えながらも、こういう女だから仕方ないと内心に苦笑して言葉を返す。

「ええ、勝ちます」

 弥生の言葉に、満足そうに晴子が頷く。二人の間に改めて共闘宣言がもたれた、そのときだった。

「……あ! 男の方が出てきおったで」

 目ざとく気付いた晴子が窓から身を乗り出すようにして診療所方面のある一点を指す。
 確かにそこでは緒方英二が診療所から走り出していた。
 救援でも呼ぶつもりなのだろうか。それとも、怪我した女から目を逸らさせるための陽動か。

 後者だろうと弥生は当たりをつける。自分と正反対でしかない英二ならこうするはずという予感があった。
 乗ったところで特に問題はないと判断する。元々自分の狙いは英二一人なのだし、
 女の方も怪我の度合いを見る限りとてもじゃないが戦闘可能とは思えない。殺すなら、いつだって殺せる。

「神尾さん。作戦を伝えます。私の指示通りに行動してください」

     *     *     *

 今回は逃げるための戦いではない。犠牲になるための戦いでもない。生き延び、その先を切り拓くための戦いだ。
 最終的にはどうあれ、自分がその一員となっているのを実感しながら、英二は迫り来る車をちらりと見る。
 やはり悪天候のお陰で車内に誰がいるかは窺い知れようもない。いや、相手が誰であろうと関係ない。
 自分は自分のやるべきことをやり通す、それだけだ。強く意思した瞳を鋭く細め、英二は車を迎え撃つ。

 ベレッタを持ち上げ、撃つと同時に跳躍。まずフロントガラスを狙って視界を遮る作戦だった。
 地面に転がったと同時、速さと質量を兼ね備えた物体が英二の横を通過していく。
 掠ってさえひとたまりもないだろうなと思う。絶対に失敗が許されない、まさに背水の陣と言える。

498 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:17:46 ID:nKYEabcw0
 だが車だってそこまで運動性能が高いわけではない。引き返すときにUターンする瞬間、
 確実にその横腹を無防備に晒す。狙うのはそこだ。
 唸りと甲高い音を立てながら、車がこちらへと反転してこようとする。
 だが雨によってふんばりの利かない地面では、その挙動さえ時間がかかる。

「そこだっ!」

 続けて二発ベレッタを撃ち込むが、所詮は9mm弾でしかないからなのか強化ガラスなのか、
 さして大きな傷にもならず敵の視界を遮ることは不可能だった。構わず車は再突進してくる。
 ガラスを狙うのは無理だと英二は認識し、ならばタイヤを狙うかと一瞬考えてすぐにそれを打ち消す。
 銃の扱いに手馴れているならともかく両手でしっかり持ってでさえ大体の箇所しか狙えない自分が、
 器用に車のタイヤだけ撃ち抜けるものか。となれば、車から敵を追い出す作戦は一つだ。

 どこかの障害物に車をぶつけ、走行不能な状態に持ち込む……それしかない。
 問題はこの作戦を気付かれないように誘導しつつ障害物のある地点まで行けるかということだ。
 だが、やるしかない。車という鋼鉄の盾から追い出しさえすれば互角の戦いに持ち込める。
 栞からの援軍も期待できる。あわよくばリサの助けさえ見込めるかもしれない。

 自分次第ということか。今の僕になら相応しいと苦笑し、実行に移すため車から離れるようにして逃げる。
 当然のように車も追ってくる。そうだ、そのままついてこい。落とし穴に落としてやる。
 車は左右にくねりながら避けさせまいとしているかのようだったが、悪天候が味方してくれている。

 診療所から離れ、現在疾走している地点はアスファルト舗装もされていないむき出しの地面だ。
 そこに雨が降っていることにより若干ではあるが地面はぬかるみ、車の本来の最大速度を出させない。
 故に英二のような運動慣れしていない人間でもギリギリではあるが軌道を読み、避けることが出来る。

499 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:18:06 ID:nKYEabcw0
 また車はその性質上後ろをとられることにも弱い。完全に後ろを維持し続けることは難しいものの、
 側面や後方近くに回り、真正面にだけは出ない。
 こちらは小回りが最大に利くことを利用し、細かく回りながら移動し、スピードを出させない。

 直角に移動して突進させない、Uターンして車にも同じ行動を強要するなど、
 それなりに時間がかかりつつも、体力を消費しながらも器用に立ち回りながら、
 英二は氷川村の外れの雑木林近くまで車を誘導することに成功していた。

「く……っ、はっ、はっ……っ」

 息を激しく切らせ肺が必死に酸素を求めている。たかだか10分ほど運動しただけだというのに。
 やれやれ、帰ったら体力づくりに励まないとな。
 こんなときでも皮肉交じりの冗談を並べるのは自分のどうしようもない性であるらしい。
 本当に自分はどうしようもない。苦笑を浮かべ、英二は木を背にして目の前に立ちはだかる車を見据えた。

 ここが正念場、腹の決め所というやつだ。最後の突進を避けられるかどうかでこの戦闘は大きく変わる。
 もっとも、体力の切れかけた自分がこの先どうなるか……そう思いかけて栞の姿をふと思い浮かべた英二は、
 ああ、そうだなと諦めかけていた自分を叱咤する。
 諦めてたまるか。まだ自分は何もやりきってはいない。終わってもいいと思うのは為す事をやり通したときだけだ。

 澱んでいた血が今は正常に巡り、体の隅々にまで力を与えている。もう動けないと頭が思っても体が勝手に動く。
 ただの生存本能なのかもしれない。動物としての本能が死にたくないと勝手に動かしているだけなのかもしれない。
 だがそうだとしてもこの一歩一歩が確かに道を切り拓いていく実感がある。
 自分のものではなく他人のものであっても、雨が止んだ空のように晴れ渡っていく感覚がある。

 来い。胸中に絶叫したとき、車のタイヤが急回転してこちらに突っ込んでくる。
 ――その瞬間、緊迫した雰囲気に割り込んできた物音が英二の耳に入る。

「っ!?」

 遠くから数度聞こえたそれは、僅かに英二の意識を呆然とさせ、また隙を作り出すには十分過ぎる間があった。
 ハッとして意識を眼前に戻すと、そこには高速で突っ込んでくる巨大な車体が立ちはだかっていた。

500 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:18:24 ID:nKYEabcw0
「しまっ……!」

 全身を使って跳躍し逃れようとしたが遅かった。
 即死とまでには至らなかったもののボンネットからフロントガラスへ激しく体をぶつけ、
 そのまま勢いに飲まれごろごろと車上を転がった後トランクを伝い滑り落ちた。

 ごほっ、と激しく咳き込む。体を強く打ちつけた英二の体は思うように動かず、
 泥濘の地面を無様に転がることしかできない。一時的なものだろうがあまりにもショックが強すぎる。
 しかし自分に突っ込んだドライバーもただでは済んではいまい。思惑通り猛スピードで突っ込んだ車は、
 勢いを殺しきれぬまま木へと突っ込み見事にバンパーをへこませる形で走行不能状態に陥っていた。

 エアバッグが機能しているかは知らないが、状況的には相打ちといったところか。
 後は、少しでもここを離れないと……這いつくばるように移動しようとした英二だったが、
 車のドアがガチャリと開く音が背後から聞こえた。
 まさか、相手は無傷――!?

「くっ、冗談じゃない……!」

 寝転がったまま、痛みを押してベレッタを構えた英二の前に転がるようにして現れたのは。

「やってくれますね……緒方、英二」
「……弥生君かっ!?」

 よろよろと、英二と同じく地面に膝を付きながら、とても攻撃に移れる状態とは思えないのに。
 それでも銃をしっかりと掴んで放さない、篠塚弥生の姿がそこにあった。
 前々から冷然として感情を持たないはずの彼女の顔は、今は妄執と意地に取り付かれ般若のような形相になっている。
 以前逃がしたときとは似ても似つかぬ、落ちるところまで落ちてしまった女の姿だ。

501 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:18:44 ID:nKYEabcw0
「ですが、それもここまでです。貴方の死で、私はもう何も恐れることはなくなる」
「ぐっ……だが、この状況で君も、僕も撃てはしない。ここで死ぬ気がないならな」

 英二はベレッタを、弥生は機関銃らしきものを肩から吊り下げお互いがお互いへと向けている。
 弥生の願いは一度会って知っている。いやそうでなくとも十分に想像ならつく。
 どれだけ一緒にいたと思ってる。

 英二は吐き捨てつつ、ベレッタの銃口を弥生にポイントし続ける。
 由綺を生き返らせる。彼女をスターダムに押し上げる。どこまでも純真で愚直な弥生のただ一つの願い。
 そうすることでしか生きる術を持たない、哀れなほど小さく弱々しい弥生の願いだ。

 だがその願いを叶えるなら弥生は必ず生き延びて優勝しなければならない。
 今は二人で優勝できるだとか言っているが、コンビを組んだとして、片方だけ生き残っても由綺を生き返らせてくれ、
 などと言うはずがないと弥生は思っている。そういう人間なのだ、弥生は。
 だから彼女は絶対に死ねない。そうであるはずに違いなかった。

「そうでしょうか。私は、そうは思いません」
「なに……?」

 構えを崩さぬまま、弥生はニヤと口元を歪める。この状況こそが予定通り、そう語っているかのようであった。
 そう、英二は気付いていなかった。

 英二が動けぬ状況に仕立て上げることこそ弥生の思惑で……既に、英二にはチェックメイトがかかっていたのだと。

     *     *     *

 鎮静剤らしきものを見つけて、手探りのような感じで注射してみたものの痛みは僅かに引いただけで、
 全然効果らしいものはない。治療を施してもいない脇腹からは未だにだらだらと血が流れ続けている。
 現実ってやっぱり上手くいかないものですねと思いながらも、だからこそ抗いようがあると気合を入れ直す。

502 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:19:18 ID:nKYEabcw0
 英二が診療所から出ていって何分が経過しただろうか。外からは雨に混じってけたたましい爆音が聞こえてくる。
 向こうも必死に踏ん張っている。ここで寝ていては示しがつかない。
 美坂栞はよろよろと体を起き上がらせると、M4カービンを杖のように支えて立ち上がる。
 大丈夫。動ける。まだ動ける。何度も自身にそう言い聞かせ萎え切っている体を鞭打って動かす。

 まったく、本当に変わってしまったものだと苦笑する。ここまで自分が生きていることも奇跡なら、
 こうして体を動かせているのも奇跡。

 起こらないから、奇跡って言うんですよ。

 己を総括していたはずの言葉が今は馬鹿らしいものにしか思えない。ただ、奇跡の捉え方については変わった。
 奇跡は起こってなどはくれない。自分から何かをする意思がなければ奇跡は起こりようがない。
 ここに来る前の自分はただ望んでいただけだった。何もしようとせず、何も望まず、何も信じず、
 抜け殻のように過ごしていただけだ。それでは何も変わらない。奇跡だって起こせない。

 己が前に進もうとする意思。翳りのない未来を目指すのも、自己満足を成し遂げるだけでも、
 意思がなければ達成しようがないのだ。諦めだけに満たされていた自分に奇跡などあるはずがなかった。
 だから、今は自分自身で歩く。望んだ結末を目指すために、風の辿り着く場所へと行くために。
 ゆっくりと、しかし確実に歩みを進めて診療所から外への扉を開ける。

「ご苦労さん。ええ根性や。……が、ここまでやな」

 扉を開けた目の前。そこには銃を構えた傷だらけの女がいた。
 誰だ、という疑問が飛び出す前に銃の筒先が栞の体をポイントし、何の前触れもなく銃弾が栞を撃ち抜いた。
 すとんと体が崩れ落ち地面に突っ伏す。そこでようやく、栞は待ち伏せされていたのだと気付いた。

 恐らくは英二の言っていた追っ手。一人だけではなかったのだ。
 前のめりに倒れたせいかM4が身体の下敷きとなって、どうやら武器を奪おうとしたらしい敵はちっと舌打ちを漏らす。

503 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:19:38 ID:nKYEabcw0
「まあええわ……死体は動かへんしな。取り敢えずは邪魔な要素を排除できただけでよしとせな、な。
 後は篠塚が上手くやって、うちが男の方にトドメを刺す……か。ホンマいけ好かへんけど使えるわ」

 薄れてゆく意識の中、敵の立てた策にかかっていたのだと栞は自覚する。
 狙いは最初から各個撃破で、陽動を目論んでいることなど既にお見通しだったということか。
 元々ギリギリで動いていたところにさらに銃弾を撃ち込まれ、完全に力が抜け切っていた。
 視界も徐々に霞み、自分の命を支える砂時計が加速度的に落ちてゆく。

 ここまでか。もはやどうしようもない事態になっていて、自分ができることなどなくなってしまった。
 当然の帰結なのかもしれない。虚勢を張ったところで、訓練紛いのことをしたところで肉体的に弱いというのは変わらない。
 自分より強い存在に遭遇すれば為す術もない。現実はそんなものだ。

 ――だけど、このままでは皆が死ぬ。自分だけではなく、英二もリサも、皆死ぬ。それでいいのか?
 自分が死ぬからといって全てを諦め、投げ出してしまう程度の人間だったのか、自分は?
 嫌だという思いが衝動的に突き上げ、栞の指に力を入れさせる。

『ほら、しっかりしなさいよ。まったく、私がいないと全然ダメなんだから、栞は』

 ため息をつきながらもしっかりと栞の手を取り、銃に手を添えさせてくれる存在がいた。
 どこか冷めていて、でも頼りがいのある声は……自分の姉だ。

『いいか、思いっきりやれ。遠慮することはないんだ。雪合戦だ、やっちまえ』

 茶化すように煽りながらももう片方の手を添えさせてくれている存在がいた。
 ニヤリと不敵な笑いを浮かべている声は……相沢祐一だ。

『栞ちゃん、ファイトだよっ』

 羨ましすぎるくらいの元気さで両腕に力を入れさせてくれる存在がいた。
 かけがえのない友達で、自分にも元気をくれる声は……月宮あゆだ。
 それだけではない。たくさんの存在が自分に力を分け与えてくれている。

504 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:19:57 ID:nKYEabcw0
 気をつけて。ドジるなよ。しっかりやれ――砂時計の残りは僅かだったが、皆が踏ん張り、漏れ出すのを抑えている。
 後は自分だけだ。やるべきことをやり、為すべきことを為すために。
 血まみれの手でM4を握り、リサに叩き込まれたことを反芻する。

 頬と右肘でストックを固定する。右膝をついて、左足のつま先は目標に向ける。
 ライフルは右膝に対し約80〜90度開き、左肘は左膝の前方に出す。
 そして腿と左足のふくらはぎは出来るだけ密着させる事。体重は出来るだけ左足に多く掛け、
 左足は地面に平らにおき、前方から見て垂直になるようにする――

「まだ、勝負は、ついて……!」
「な……!?」

 栞の声を捉えた敵が驚愕に満ちた表情となって振り向く。死んだと思った相手が再び起き上がり、
 しかも銃を向けているのなら尚更だろう。必死に銃口を向け、こちらをポイントしているがもう遅い。
 敵が銃口を引いたのと同時に栞も最後の力を使ってM4の銃口を引き絞った。

     *     *     *

 けたたましい銃声と眩しいくらいの光が辺りを包む。
 晴子の放った銃弾は栞の胸部、心臓を撃ち抜き即死させていたが、
 栞がフルオートで放ったM4のライフル弾もまた晴子の肺や内臓をことごとく破壊し致命傷を与えた。
 かはっ、と血を吐きながら晴子はよろよろとよろめき、診療所の壁へと背中をもたれさせ、
 そのままズルズルと身体を落としていった。

 馬鹿なという驚きと信じられないという気持ちがない交ぜになり、晴子から闘志の全てを奪った。
 焦りすぎたのか。それとも弾丸を温存しておきたいという思考が仇となったのか。
 心臓を撃ち抜かれながらも満足げに微笑み、してやったという風情の顔になっている栞を見て、
 どちらでもないと晴子は確信した。

505 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:20:27 ID:nKYEabcw0
 執念が足りなかった。絶対に優勝してやろうと決意していたが、
 所詮夢物語だと冷めた目で見ている自分がいるのに気付けなかった。
 相手はそうではない。目前の敵を倒すためだけに全力を傾けていた。温存なぞ微塵も考えず、やるだけのことをやった。
 その結果が相打ちということか。そう結論した晴子はやはり弥生のようにはなりきれないと嘆息するしかなかった。

 そう、実際晴子には『まず重傷を負っている栞を殺せ。然る後に弥生の元へ駆けつけ、機を見計らって英二を殺せ』
 と言われて、栞を狙った時点である種の慢心があった。
 重傷だから拳銃一発で死ぬだろうという思い込み。
 また武器を温存しておきたいという思考がVP70を連発させなかった。
 そして何よりも、晴子が考えた通り、彼女には『現在』に対する執念が栞に劣っていた。

 観鈴を殺した連中への報復は考えていたもののそれは漠然とした参加者全体に対してでしかなかったし、
 また仮に優勝したとして本当にクローンとして再生できるのか。
 現実主義者の晴子にはここが疑念として残ってしまっていた。

 つまるところ、晴子は自棄にしかなっていなかったのだ。恨みと憎悪を撒き散らし、強い信念も持てず、
 子供のように暴れまわることしか出来なかった。
 弥生みたいになりきれないとはそういうことだった。くそっ、と吐き捨てた晴子はぼんやりとした意識のまま、
 娘の観鈴のことを思った。

 たとえ自棄になっていようが、晴子の母親としての気持ちは本物だった。ずっと一緒にいたかった。
 やり直して、二人で仲良く暮らしていきたかった。お祭りを一緒に楽しみたかった。花火を二人で見たかった。
 誕生日を祝ってやりたかった。髪を切ってやりたかった。抱きしめてやりたかった……

 もう叶わない。分かりきっていたことを今更思い知らされると同時に、
 やはり観鈴の死を受け止めている自分がいることにも気付く。
 晴子はどこまでも人間でしかいられなかったのだ。

 けれども、と晴子は思った。この部分だけはきっと娘も許してくれるはず。妄想や夢想でしか生きられず、
 そのために化け物に成り下がらなかったことだけは許してくれるだろう。……同じ天国に行けたらの話だが。

506 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:20:45 ID:nKYEabcw0
「は、はは……ああ、無理やな」

 天国など元より信じていない。仮にあったとしても地獄行きだろう。何せ人を殺している。
 それが母親をやってこなかった自分に対する罰なのだろうと断じて、晴子は目を閉じた。

 荒かった息が徐々に収まり、上下に揺れていた身体もゆっくりとその動きを止める。
 そして一滴、涙を雨に混じらせたのを最後に、神尾晴子はその生を閉じたのだった。

     *     *     *

 思い通りに行っていた。
 車で英二を追い回し、疲れたところで晴子が乱入し銃で射殺する。
 更にもう一人は自分が英二と戦っている間に殺すように言ったので援軍など在り得ない。

 戦いをわざと長引かせたのもそのため。晴子が十分に第一の使命を果たすための時間稼ぎをしていた。
 最後の最後、ブレーキをかけきれずに木に激突してしまい思わぬダメージを負ったのは計算外だったが、
 少し打ち身をしただけで重大な問題ではない。
 後はこうして互いに銃を向け合っているが、英二の身動きは封じたも同然。
 自分は晴子が撃ち殺しに来てくれるのを待てばいいだけだった。

 晴子はこの作戦を聞いた時「いいのか」と尋ねてきたが、誰が英二を殺したかに意味はない。
 英二が死ぬという事実のみが重要なのであって、自身で葬りたい気持ちはあったものの、
 敵討ち自体に執着はしない。自分が生き、英二は死んだ。そう認識出来さえすれば良かった。
 そう、睨み合うふりをしつつ待つだけで良い……そのはずだった。
 遅すぎる、と弥生は苛立つ。

 英二を殺してくれるはずの晴子がいつまで経っても到着する気配を見せない。
 どんなに周りを確認してみても静寂ばかりで、人影など微塵も見られないのだ。
 一体何をやっている? 片割れの殺しに手間取っているのか?

507 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:21:11 ID:nKYEabcw0
 だがそんなはずはないと弥生は考える。以前の戦い振りを見る限りではあっさりとやられるようなタマではないし、
 何より相手は重大な怪我を負っている。これだけ晴子に有利な状況で仕留め損ねるなど考えられない。
 では裏切ったのか? こうして自分と英二が共倒れになるのを待っているというのだろうか?
 いやそれもない、と即座に否定する。ここで自分を見殺しにしたとしてメリットがなさすぎる。

 まだまだ生き残りはいる。ここから先、怪我だらけの晴子一人で戦うにはあまりにも敵が多すぎる。
 武器を独り占めするという考えもないはずだ。そうして貴重な人的資源を失うデメリットは晴子だって知っている。
 自分と本質を同じくし、汚点を消すことに賛同してくれた晴子に裏切る要素などどこにもない。

 ではまさか、逆に殺されたとでもいうのだろうか。それこそお笑い話に過ぎない。
 戦闘になって苦戦するという想定以上に在り得ない話ではないか。
 ならば一体、何が起こっている、この状況で?

 弥生の構えるP−90が少しずつ揺れ、焦りが表面に出始めたときだ。
 己の瞳をずっと眺めていた英二が哀れむような、悲痛な表情を湛えながら、ぽつりと漏らした。

「無駄だ。もう君の援軍は来ない。どんなに待ったって、な」
「なっ」

 作戦を読まれたことに思わず声を上げてしまう。本当だとばらしてしまった事実に気付き、
 弥生は舌打ちをしたがすぐに平静を取り戻し「何故そう言い切れるのです」と注意を英二に向けた。

「……やはり、君には聞こえなかったみたいだな」
「……もったいぶらずに説明してくださるかしら」

 弥生の声に怒気が篭もり、スッと目が細められた。だが英二はそれに動じる風もなく、淡々と話し続ける。

「君が車で突っ込んできたとき、銃声が聞こえたんだ。それも複数の、何発もの銃声が」
「……」
「それで僕には分かってしまった。君の仲間と、栞君が相打ちになってしまったのだとね」
「あり得ません」

508 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:21:47 ID:nKYEabcw0
 ぴしゃりと撥ね付けるように弥生は否定する。弥生の想定では在り得ないはずなのだ。重傷者相手に、相打ちなど。
 英二はしかし「だがこの状況を説明するにはそれしかない」と続ける。

「君はまだここで死ぬわけにはいかない。二人で引き金を引いて心中、なんて結末にはしたくないはずだ。
 なのに君は交渉をするでもなく、打開策を練っているわけでもなく待ち続けている。どういうことか?
 簡単な話さ。君には援軍がいると分かりきっていた。だから待つだけで良かった。
 膠着状態にしさえすれば良かったのさ。僕を狙い撃ちにしにくる仲間へのお膳立てとして」
「下手な推理ですね」
「どれだけ君と付き合ってきたと思ってる」

 確信を含んだ英二の物言いに、弥生は歯を噛むしかなかった。この男は自分の全てを知りきっているとでもいうのか。
 鉄面皮で隠し、秘匿してきたはずの感情をも英二は読んでいるというのか。……在り得ない。
 だが最初もそうだった。結局はこちらの真意を読まれ、銃撃戦に敗北し、あまつさえ命を長らえさせる結果となった。
 今と同じ表情で、何もかもを見透かしているような透明な目つきで。

「……私が、貴方を殺したいと思っている。そうは考えたことはないのですか。
 貴方の推理では、私は他人に復讐の権利を譲ってしまったことになる」
「その質問が既に答えだ。君が拘るのは森川由綺、ただひとり……そうだろ?
 君はそうすることでしか生きる術を知らない、僕と同じ種類の人間だ。分かるんだよ、同種だからな」

 晴子と同じ言葉を英二は言ってのける。その瞬間、弥生の脳裏に形容しがたい悪寒が走った。
 この男が同種だというのか。由綺のために全てを投げ打てる自分が、妹の死さえ受け入れたこの男と同じだと?
 晴子はまだいい。自分の目的のためなら手段を選ばない強引さと合理性を併せ持ち、賢く生きているのだから。

 だが英二は違う。達成すべき目的も持たず、その場その場で方針を変え何が最初の目標だったかも忘れるような男だ。
 それゆえ英二は自分の汚点だ。相容れられず、さりとて下すことも出来ない存在だった。
 それが今、こうして、チェックをかけたはずなのに……また立ち塞がっている。

509 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:22:05 ID:nKYEabcw0
「……冗談ではない」

 耐え難い怒りが弥生の鉄面皮を破り、底暗い形となって滲み出した。
 この程度の存在が排除できず、優勝など狙えるものか。

 何が何でも由綺を生き返らせてみせる。今までレールの上を歩くようにして生きてこれなかった自分が、
 初めて持った目標。それをこんなところで邪魔されてたまるか。妄執が弥生の身体を衝き動かし、
 よろよろと、しかししっかりと二の足をつけて立ち上がらせる。
 打ち身も古傷の痛みももはや関係ない。ただ許しがたい想念だけが弥生の身体を動かしていた。

「貴方のような惰性で生きているような人が私と同種? そんなことがあるものですか。
 私は夢を諦めてはいない。絶対に諦めず、最後まで遂行し続けるだけです。一緒にしないで下さい」
「だがその夢はただの幻想だ」

 弥生に引っ張られるようにして同じく立ち上がった英二の口調も、聞き分けのない子供を叱る親のものへと変わっていた。
 全身を声にして、確かな感情をもって英二は否定の言葉を重ねる。

「何も変わらず、何も変えようとせず、それでいて自分の思い通りに事が進むと思い込んでいる。
 いや、思ってすらいない。一度思い通りにいかなかったからって思考停止して目を背けている愚か者だ!」
「私を同種と言うなら貴方だって同じだ! 本当に大切なものが何かを考えもしない癖に……!」
「そうだっ! だから『今』から考えようとしているんじゃないか!」
「御託は……もう聞き飽きた!」

 P−90の引き金を引き絞る。もう作戦などどうでもよかった。
 ただこの男が許せない。その一念に駆られて銃を乱射する。
 だが英二は飛び上がると、そのまま車のトランクの上をごろごろと転がり掃射を回避してみせた。

 ボロボロだったはずの英二にどこにそんな力が? 理解できない思いを無視して銃口を修正し、再発射しようとする。
 だが……銃口からは何も出なかった。
 弾切れ――そう認識した弥生の視線の向こうでは、英二が拳銃をしっかりとホールドしていた。

510 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:22:22 ID:nKYEabcw0
「……ゲームオーバーだ、弥生君」

 その表情はあまりにも辛そうで、苦しそうで。泣いているのではとさえ思ったが、
 雨に紛れているだけだと弥生は思い込むことにした。
 認めたくなかった。自分と同種であることも、涙を流しているかもしれないということも、勝てなかったということも。
 自分には運と実力が少し足りなかっただけのことだ。だから悲しんで貰おうだなんて思っていない。

 自分を悲しんでいいのは由綺だけだ。
 だからせいぜい苦しんでしまえばいい。自分を殺してしまった分、苦しみ抜けばいい。
 それが今の自分にできる最大限の反撃だろうから。

 ――でも、それじゃ寂しいですよ。

 いつか聞いた藤井冬弥の声がふと蘇り、ああ、そうかもしれませんねと弥生は苦笑した。
 それでも良かった。夢半ばで倒れる程度の人間にはそれで十分だった。

「寂しい、ですね……」

 そう呟いたのを最後に、篠塚弥生の意識は真っ白な雪に覆われてゆく――

511 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:22:52 ID:nKYEabcw0
ここまでが中編となります

512 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:23:24 ID:nKYEabcw0
「……英二」
「やあ、リサ君」

 疲れた、ただ疲れきった、そんな表情で英二がリサを出迎える。
 周りには一人の人間の体がうつ伏せに転がっており、恐らくは遺体なのだろうと判別できる。
 そして英二自身は車に背中を預けるようにしてもたれかかり、座っている。

 見た感じではどこからも出血はしていなさそうだが、ひどくぐったりとしていることからダメージは大きいらしい。
 いや、単にそれだけではないだろう。英二がひとりでいるということは、
 ひとつ失われてしまったものがあるということだった。

「……栞君は、残念だが、恐らく……」
「……そう」

 暗澹とした思いがリサを包み込む。いざこうして言葉で受け止めてみると辛い。
 間に合わなかったという後悔が胸を軋ませる。肌にかかる雨が冷たくなったように感じられた。
 結局言えなかった。家族のように大切に思っていたのだということも、
 もし帰れたら一緒に暮らしてみないかという提案も……全てが遅きに過ぎた。

「ボロボロだな、君は。だが、強くなった。そんな目をしているよ」
「そうかしら……? 英二は優しくなった気がする、そんな目よ」
「お互い、何か踏ん切りがついたようだな」

 そうらしいと微笑しながらも、それを伝えられる相手がひとりいなくなったしまったことを認識する。
 追いつく前に、肩を並べる前に栞は遥か遠くに行ってしまった。悲しさよりも寂しさの方が先に突き上げる。
 逆に言えばまだそれだけの関係でしかなかったということで、本当に取り返しがつかなくなったなとリサは思う。

 だがこうして自分も英二も生きている。この感情を共有できる相手がいる。それだけでマシなのかもしれない。
 そう考えてリサは英二に手を伸ばした。

「行きましょう。栞の最後、見届ける義務があるわ、私達には」
「……ああ。多分、栞君は診療所の近くにいたはずだ。そこで別れたからな」

 リサの手を支えにして英二はゆっくりと立ち上がった。その傍らの遺体には一丁の銃……P−90が落ちている。
 ついでに拾おうかと思ったが、英二がそれを阻む。

「弾は入ってない。予備弾もなかった。……武器はそれだけだった」

513 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:23:45 ID:nKYEabcw0
 どうやら調べはついていたらしい。あの車はまだ使えるだろうかと次に考えたが、歩いていく方が早いだろうし、
 今は車を走らせられる気分じゃない。栞の本当の最期を見届けたら調べようとだけリサは考えて英二の横に並んで歩き出した。

「ねえ、英二」
「ん?」
「以前レストランとかお酒なら話せる、って言ってたわよね」
「ああ……そうだな、それなりには」

 よかった、とリサは柔らかく微笑する。英二はというとまったく脈絡のない話題に目をしばたかせ、
 何を企んでいるんだという風に首をかしげている。別に他意なんてないのに。内心にため息を吐きながら続ける。

「私とディナーの約束をしてくれないかしら? お店は貴方に任せるわ」
「は? おいおい、何をいきなり」
「私じゃ不満?」
「そういうことではないが……」

 ここの殺伐とした雰囲気とはあまりに場違いな提案に戸惑っているのか、英二は考えあぐねているようだった。
 自分も口には出してみたものの実におかしなことを言っていると思う。
 そもそも生きて帰れるかさえ分からない状況で、今は仲間の死を確認しに行っているというのに。
 不謹慎だと思う一方、やりたいようにやればいいと思う自分もいる。後悔だけはしたくない。それは本心だったから。

「一度貴方とゆっくり話してみたいのよ。落ち着いた場所で、じっくりとね」
「……ふむ」

 英二は眼鏡を直し、まじまじとリサを見つめる。あまりにも真剣な目で見るので気恥ずかしいとも思ったが、
 じっと英二の答えを待つ。せかすつもりもない。思うに任せてやったことなのだから。

「了解だ。こんな美人の誘いをお断りするなど男のすることじゃない」
「光栄ね。褒め言葉と受け取っておくわ」
「あまり期待はするなよ、僕だってそんなに詳しいわけでもないからな……ん?」

514 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:24:02 ID:nKYEabcw0
 英二が声を上げたのと同時にリサも発見する。
 診療所の近くには『三人』の人間がいた。ただし一人はうつ伏せに、一人は壁にもたれて座りながら、
 そしてもう一人は様子を確かめるように倒れた二人の体を触っていた。

 髪型は栞に似ていて少しドキリとしたリサだったが服装が明らかに違う。
 そしてあの戦々恐々とした様子は、今しがたこの現場を発見したというところだろう。
 何にせよ、このまま好き勝手に仲間の遺体を弄らせるわけにもいかない。そのために自分達はやってきたのだ。

「そこの子、ちょっといいかしら」
「!? は、はいっ!?」

 思い切り動揺した裏声で応じられる。どうやらこちらの存在にも今気付いたらしく、リサと英二は顔を見合わせる。
 取り合えず敵意はないというように手を上げながら二人は近づく。

「この子はね、僕達の仲間だった子だ。……ちょっと悪いけど、席を外してもらえないか」
「え、え、は、はぃ……」

 緊張しながらも素直に言葉に従い距離をとってくれたが、どこか挙動がおかしい。
 常に視線を動かし、まるで何かに怯えているようだ。探ってみる必要性があると考えたリサは栞に近づくと、
 その額を撫でて、持っていたM4を取るとそれで別れの儀式を済ませる。
 僅かに温かさを感じる。最後に残した栞の余熱を覚えて、リサは立ち上がった。

「それだけでいいのか?」
「いいの。……それより、あの子、おかしい」
「おかしい?」
「何か落ち着きがない。それに見て、あの首輪。何かチカチカ点滅してる。……柳川と会ったときもそうだった」
「トラブルがあるということか。確かに、ここにあんな子が一人でいるというのもおかしな話だ」

515 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:24:22 ID:nKYEabcw0
 任せたという風に頷き、英二は荷物の回収を始める。栞への別れは後でするつもりなのだろう。
 或いはもう心中で終えているのかもしれないと思いながら、リサは「さて」と話をする相手を切り替える。
 わけありと見るのが妥当なところだ。……ひょっとすると、柳川のことも少しは分かるかもしれないと思いながら話しかける。

「自己紹介しないかしら? 私はリサ……で、あっちにいるのが緒方英二。貴女の名前は?」
「ふ、藤林……椋、です」
「なるほど、じゃあ藤林さん? ……その首輪について聞かせてくれないかしら? 何故点滅しているのかを、ね」
「!? そ、それは……」

 明らかに動揺した様子でうろたえている。やはり何かあるらしい。万が一のことを想定して油断なく気配を探りながら、
 リサは「落ち着いて。話せるならでいいから」と肩を叩く。余程怯えているのか呼吸するのもままならなさそうだったが、
 次第に平静を取り戻し、微かに聞こえる程度の小声で話し出した。

「実は、その……お、脅されて、いるんです」
「脅されている……?」

 不意に嫌な予感が駆け巡るがまずは話を最後まで聞こうとリサは考え、続きを促す。

「私、ずっとお姉ちゃんを探してて……それで藤田浩之さんって人と一緒に行動していたんです。でも、
 ある人と会って、出会い頭にリモコンを押されたんです」
「リモコン?」
「この、首輪の爆弾を起動させた、って……私も、藤田さんも」

 首輪爆弾を起動させるリモコン。そんなとんでもないものが参加者に支給されていたと知り、リサは戦慄を覚える。
 だとするなら柳川がああなったのは、実質あのリモコンのせいだということか?
 家族に裏切られた挙句、殺しを強要させられた。だとしたらあのようになっていたのも頷ける。

 この藤林椋も同じ境遇だと考えたほうがいい。解除してほしければ人を殺せ、などと言われれば頷くしかない。
 ましてや椋の怯え振りからすれば相当強要されたと言って過言ではない。
 いくつか怪我も負っているが……まあ、それについては大体想像はつくし、
 ここまで来れば戦闘に巻き込まれていない方がおかしいというものだ。それよりも大事なことを聞いておく必要がある。

516 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:24:42 ID:nKYEabcw0
「いつ爆発するの?」
「……12時間後です。それまでに三人殺せ、と言われました」
「貴女の相方は?」
「バラバラにさせられました。二人で歯向かわれても困るから、って」
「なるほど。じゃあどうして私達を攻撃しなかったの?」
「……それは」

 わざと回答に困るような質問をしてみる。首輪爆弾を起動させられたのは間違いないだろう。
 だが普通なら生存欲求が働き、こちらを攻撃してくる可能性が高いはずだ。
 無論そのときにはこちらも反撃していただろうが、彼女はそうしなかった。単に数の有利不利を見たのか、それとも……
 しばらく待ってみたが、椋は困ったように口を閉じて何も言おうとはしなかった。

「オーケイ。悪かったわね、変なことを言って。ちょっと試しただけ」
「た、試した……?」

 呆然とした様子で返事をした椋に、「ええ」とリサは笑いつつも悪びれもなく続ける。

「何か言い訳してくるようなら怪しい……って思ってたところよ。まあ殺しはしなくても縛るくらいのことはしてたかな。
 でも貴女は何も言わなかった。ならたとえ殺す度胸がなかっただけなのだとしても今こちらに危険はない。
 そう思っただけよ」
「……」

 何とも言えない表情をしているが取り敢えずは納得したのか椋は無言で頷く。
 椋がどう思っているにしろ、犯人の目星はついている。
 柳川が最期に言い残した人の名前……宮沢有紀寧が下手人だろう。

517 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:25:05 ID:nKYEabcw0
 そのやり方を見る限り、かなり狡猾で容赦がない。
 こんなことをしている時点で人の命を軽視しているとしか考えられないのだから。
 それに保身能力も高い。二人で組ませ効率よく殺させるメリットを捨てながらも二人をバラバラに行動させ、
 なるべく自分の身に危険が及ばないようにしている。

 更に柳川を裏切ったという家族の存在も気にかかる。宮沢有紀寧と一緒にいるのか、それとも単独行動なのか、
 或いは既に死んでしまっているのか……
 椋の口からは有紀寧は一人のように思えるが別行動していたことも考えられる。
 とにかく、最大限有紀寧の存在には注意を払わねばならない。

「リサ君、どうだ?」
「厄介なことになってる」

 荷物を回収してきたらしい英二があるものを投げて寄越す。M4のマガジンだった。
 まだ四本分きっちりと残っており、栞がこれを使ったのは最後の最後だったのだろうと思わせた。
 デイパックに仕舞うと他に何か物はなかったかと尋ねてみるも英二はいや、と首を横に振った。

「ハンマーが一つだけだった。銃の方は弾切れだ。……弥生君達の装備はかなり悪かったみたいだ」

 そんな状況でも、戦い続けるしか生きる術を知らない。言外にそう語る英二の表情は渋面だった。
 しかしすぐにそれを打ち消すと「そっちの話も聞かせて欲しいな」と椋の方を見る。

「ええ。でも一旦戻りましょう。あの車、まだ使えるかもしれないから。話は歩きながらするわ」

 二人も頷き、賛同の意を示してくれたようだった。
 同意を得たリサは歩きながらこれまでのあらましを説明する。

518 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:25:33 ID:nKYEabcw0
「リモコンの件だけど、恐らくは解除も出来るはず。そうでなければこのリモコンは使えない。
 だって、解除できないと分かったら自棄を起こして歯向かって来るかもしれないからね」
「だがその犯人が嘘をついていることもあるんじゃないか?」
「確かにね。でも万が一誤作動して自分の首輪が点滅したとしたら……必要でしょ? そういうものが」
「……本人が持っていないという可能性はあるが。確かに、理にはかなっているか。それと、椋君、だったか?」
「は、はい?」
「君のお姉さんに会ったことがある。君を探すと言って別れてしまったが……心配していた、君のことを」
「っ! 本当ですか!? 何もおかしなところとかはなかったんですか?」
「あ、ああ。まあ随分前の話……だが」
「そうですか……良かった」

 それまでの暗い表情から一転して華やいだ表情を見せる椋。
 へえ、とリサも興味を示す。英二が椋の姉と会っていたとは。
 別れているとはいえ、家族が心配しているのを伝えられれば少しは安心するだろう。

 そう、別れているよりは一緒の方がいいに決まっている。
 仕事の都合とはいえ会えない日々が続き、最後には物言わぬ形でしか目を会わせられず、
 一度は復讐の塊になってしまった自分という存在がいるのだから。
 なるべくなら、姉妹を無事に会わせてやりたい……そう考えながら車のところまで戻ってきたときだった。

 車の近くに二人の人間がいる。一人は男、もう一人は女だ。
 女の方はどこかで見た事がある髪型だ。一体誰だっただろうか? だがすぐにその疑問を打ち消すと、
 新たなる来訪者が来たことを英二と椋に告げようとする。今日は客が多い……そんな風に言おうとした。

「あ、あ……!」

 何故ここに――そう言って差し支えないほどに目を驚愕の形に見開いた椋が半歩後ずさっていた。
 同時、こちらに気付いたらしい二人組が叫びながらこちらへと走ってくる。その内容にリサも、英二も耳を疑った。

 『離れろ。そいつは、藤林椋は殺人鬼だ』――と。

 椋が殺人鬼? そんな馬鹿なと思いながらも決死の勢いで叫ぶ二人組にリサの勘がヤバいと警笛を鳴らす。
 何故出会った時点で攻撃してこなかった、何故こんなにもうろたえている?
 疑問はつきなかったが、嘘と断じるにはあまりにも証拠が足りなかった。

519 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:26:10 ID:nKYEabcw0
 混乱しながらもまずいと判断したリサは椋から離れようとしたが、予想外にも対応は椋の方が早かった。
 既に彼女は自身のデイパックからショットガンを取り出し、筒先をリサ……引いては、あの二人へと向けていた。
 その目は既に、怯えるだけのか弱い少女のものから凶悪さを含んだ殺人鬼のものへと変貌している。
 M4で応戦しようにも遅い――撃たれるのを覚悟したリサの体にぶつかってきた人間がいた。

「危ない!」

 英二だと分かった瞬間、耳をつんざくような発砲音が聞こえ、英二の片手を吹き飛ばした。
 至近距離で放たれたショットガン、ベネリM3の散弾がまとまったまま英二の手に命中し、
 肉や骨ごと根こそぎ吹き飛ばしたのだ。

「が……ぁっ!」

 激しく出血した英二だがショック死は免れたようだった。リサは英二を支えつつ、己の目測が外れたことを実感する。
 だが疑問は残っていた。演技だったということは分かる。分かるが、何故最初に会ったとき、
 いや遺体を調べているときに撃ってこなかったのだ? 奇襲をかけるなら絶好のチャンスだったはずなのに。
 二人とも殺せないと思ったからなのか? それとも本当に驚いただけだったから?

 ……違う。物音を立てたくなかったからだ。あの二人に見つかるのを避けたかったから。
 派手な戦闘はしたくなかったからというのが推論として浮かぶ。
 しかしそれだけではない気がする。自分はまだ何かを見落としている。決定的な何かを……

 とにかく安全な場所まで移動しようと英二を引っ張る形で移動し始める。警告してきた二人は攻撃を回避できたようで、
 それぞれ武器を持って椋と対峙していたようだった。
 椋は半ば乱射気味に二人の方へベネリを撃ち放すがショットガンは遠距離から狙い打つには向かない。
 二人はしっかりと回避し反撃の体勢を取る。
 勝てるか……? リサが三人の戦いに一瞬意識を向けたとき、支えられていた英二が叫んだ。

「リサ君ッ! 向こうに……!」

520 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:26:32 ID:nKYEabcw0
 手のない腕で椋の後ろ側を指す。そこにはまたしても新しい人影が現れていた。
 マシンガンを持った小柄な少女。恐らくはMP5Kであろうものを抱えて、こちらへと狙いを定めていた。

「計画がちょっと狂っちゃったみたいだけど……結果は同じだよ。皆殺しにしてあげる」

 計画、と少女が口にしたとき、リサの中で見落としていたパズルのピースが見つかった。
 周到に包囲していたのだ。藤林椋を囮に使い、彼女を誰かと出会わせた上でしばらく泳がせ、
 人数が増えてきたところを他の仲間の射撃と椋の内部からの攻撃で一網打尽にする。
 内と外からの同時攻撃。それが狙いだったのだ。だとするとこの近くには宮沢有紀寧がいる。

 これだけ大掛かりな作戦だ、指揮をとる宮沢有紀寧がどこかで見ているはずだった。
 だが、遅きに失したと言わざるを得ない。待ち構えていたのか少女の銃口は確実にこちらを捉えており、
 英二を連れたままの状態では掃射を回避することもままならない。
 何より、この作戦を見抜けなかった時点でこちらは詰んでいた。
 完全に出し抜かれた……そんな敗北感に駆られたリサの体を、叱咤するように英二が突き飛ばした。

「!?」

 片手を吹き飛ばされたとは思えない力は、恐らくは最後の力を振り絞ったものだったのだろう。
 力を使い果たした英二は口元に微笑を浮かべていた。
 直後、弾丸の雨が降り注ぎ、体を細かく跳ねさせる。
 銃弾の雨に貫かれ、身体中から血を噴出させながら、英二は首をゆっくりとこちらへ向けた。

「愚直に、過ぎたかな……?」

 微笑を含んだままの声で、彼は最後にそう言った。
 そうね、という返事が喉元まで突き上げ、しかしそれは言葉にならなかった。
 愚直に過ぎた。何も話していない。酒を酌み交わしてもいない。
 貴方は本当にそれでやり通せたのか。分からないじゃないか。
 私はまだ、自分の本当の名前すら教えてもいないのに……

521 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:26:50 ID:nKYEabcw0
 だが言葉にならない哀しみをすぐに怒りに変え、リサは眼前の敵を見据えた。
 泣いている暇はない。泣いていたら殺される。自分の何も伝えられないまま。
 それより何より……あの女は、私を本気で怒らせた。

 地獄の雌狐を出し抜いたことを称賛しよう。そして、後悔させてやる。
 全身の血液を猛然と沸騰させ、リサは限界の体を引き摺って戦い始めた。

     *     *     *

 また人が死んだ。
 ここに来たときには車の近くで一人死んでおり、今もまたこうして一人が命を落とした。

 一体何があったのかまだ想像もできないし、結論から言えば出遅れた自分達には当然の結果なのかもしれない。
 だがこれだけは分かる。恐らくは観鈴を殺し、みさきを殺し、珊瑚をも殺した藤林椋という仇敵が目の前にいる。
 性懲りもなく獅子身中の虫を気取って入り込もうとしていた奴がいる。

 これ以上誰かに後悔させてたまるかという気持ちを振り絞って自分と、傍らにいる瑠璃も叫んでくれた。
 後で問い詰められようと構わない。とにかく、あいつだけは倒さなければいけない。
 生かしておいちゃいけないという強い信念が体を動かし、一度は間に合わせたと思った。

 だが椋は周到さを増しており、今度は共闘相手まで連れてきた。
 あくまでも殺しに罪悪感を感じる気も、やめる気もないらしいと悟った浩之は、もう言葉もかけまいと思う。

 どんな理由があっても、どんなに大切な家族がいてもそれは悲しみや憎しみを撒き散らしてまで守るものなのか。
 人と人の繋がりを構成する命を断ち切って、まるで何も思わないのか。
 おれは許さない。奪ってまでしがみつこうとする奴を絶対に許さない。
 自分の未来はもう明るさを取り戻せないのだとしても、人の未来、翳りのない明るい道は守れる。
 だからそのために、ただ戦う。

522 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:27:23 ID:nKYEabcw0
「てめぇっ!」

 新たに現れた小柄な少女、柏木初音に対し浩之は火炎瓶を投げる。
 雨の中だったが小降りなお陰で威力はそれほど損なわれなかった。一気に膨張した炎が初音を包もうとするが、
 距離の長い投擲であったために初音は回避動作に移っており、炎から逃れ椋と合流する形でまとまる。
 一方の浩之と瑠璃にも金髪の女性、リサ=ヴィクセンが合流し、三人は遮蔽物となっている車の陰へと身を隠した。
 壁ができたことで銃撃の嵐は一旦なりを潜め、つかの間の静寂が辺りを支配した。

「助けてくれてありがとう。まず礼を言わせて。……リサ、リサ=ヴィクセンよ」

 そう名乗ったリサが差し出した手を、この状況でいいのかと一瞬躊躇しながらも浩之も名乗って手を取った。
 浩之の名前を聞いたときリサは不意に首をかしげたが、今は気にしなくてもいいと思ったのかそのまま瑠璃へと視線を移す。
 瑠璃も「姫百合瑠璃です」とリサの手を握ったが、表情は心なしか申し訳なさそうだった。

「でも、その……間に合わへんで、ごめんなさい……もう少しウチらが早かったら」
「そうね、間に合ったかもしれない。でも私にそれを責める気はない。英二は望んで私を助けた。
 ……それで満足に生きられたのかは分からないけど、一緒に死ぬはずだった私を生かしてくれた。
 だから私は何も言わない。何も言わず、ただやり通すだけ。今はそうしましょう?」

 ふっと大人の笑みを見せたリサに、まだ引け目を感じている風だったが瑠璃も応えて「そうやな」と笑った。
 強いな、と二人のやりとりを見て浩之は思う。恐らくは心を通わせあっていた仲間を失いながらも、
 自分の為すべきことを見失わずに目を逸らさず進もうとしている。リサにはそういう強さがある。

 羨ましいと思う一方、己には無理だと悟りきっている他人のような自分がいる。
 空虚になるのも是としているのだから……
 しかしリサの言う通り、今はただやり通そう。どうこう考えるのはそれからでいい。

「さて、一気にケリをつけるわよ。敵さんもそう考えているようだしね。そっちは何を持ってるの?」

523 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:27:43 ID:nKYEabcw0
 リサの持ち物はM4というアサルトライフル、接近戦用の木製トンファーだった。
 浩之はショットガン、瑠璃は小型ミサイルの発射装置を出してみせる。

「……そういや、そんなもん持ってたな」
「強力過ぎて使いどころが分からへんのやけどな。家一軒吹き飛ばせるらしいし」
「いや、それがあればもう作戦は決定よ。いい、耳を貸して」

 瞬時に戦法を組み立てたらしいリサに、浩之と瑠璃も真剣な面持ちで聞き入る。
 一通り聞き終えた浩之は、なるほどこれなら倒せると納得する。
 しかしこれだけの戦法を一瞬で考えられるリサという女性、一体何者なのだろうという疑問が浮かぶ。
 ここに来るまでの身のこなしもいいように見えたし、ただの外人金髪ねーちゃんというわけではなさそうだ。

「でも私と貴方……浩之が少々危険な目に会うわ。いや死ぬかもしれない。覚悟はいい?」

 リサの問いに「ああ」と浩之は寸分の迷いもなく返答する。うだうだ迷っている暇はない。
 手をこまねいていると向こう側から仕掛けられるかもしれない。瑠璃は不安そうだったが、
 浩之が自信に満ちた表情で応えると、心配を苦笑に変えてくれた。

「でも……そうだ、ちょっと時間をくれへんか?」
「何を?」

 ちょっとした御守りや。そう言ってデイパックの中身をひっくり返し、持ってきた缶詰をデイパックに詰めていく。
 なるほどね、とリサは感心したそぶりを見せ、ならその間少しでも牽制しようとリサは車から身を乗り出し、
 M4で射撃を開始した。浩之も続いて援護射撃に回る。

 隙あらば側面に回り込もうとしていたらしい初音と椋は、
 いきなり再開された射撃に慌てながらもしっかりと撃ち返してくる。

 車に銃弾が当たり甲高い反射音を細かく刻む。貫通する危険性は低そうだが、
 万が一燃料タンクを貫いてしまったらという不安が頭を過ぎる。リサもそう思っているのか、
 敵に行動を取らせないように細かく発砲を続ける。

524 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:27:59 ID:nKYEabcw0
 リズム良く、流れるような一連の行動は十二分に足止めの役割をも果たしていた。
 援護なんて必要ないんじゃないか、と思いかけた浩之の前に「出来たで」と瑠璃が少し重たくなったデイパックを差し出す。

「気休めかもしれへんけど……盾にして。ええな、死んだらあかんで、絶対や」
「たりめーだ」

 苦笑で返した浩之は肩にデイパックを抱え、ショットガンに銃弾を再装填し、己の準備が終了したことを伝える。
 頷いたリサもM4のマガジンを取替え、地面に転がっている持ち物から使えそうなものをいくつか見繕った。

「よし、それじゃ……ミッションスタートよ」

     *     *     *

「いい? 逃げ出そうだなんて思わないでね。あなたは最後まで戦うんだよ。最後まで、ね」
「わ、分かっています……」

 牽制的にライフルを撃ち放してくるリサの射撃を動きながら避ける一方、初音は椋の様子にも目を光らせる。
 椋はカタカタと震えながら仕方のないといった感じで初音について回っている。
 どうやら手持ちのショットガンはほぼ弾切れになってしまったらしく、残りが数え二発しかないらしい。

 他に射撃できる武器もなく、この距離から反撃できるのは初音だけという状況だった。
 だが初音のクルツは残弾十分でたった今もマガジンを交換したがそれでも残りは八本もある。
 長期戦に持ち込めれば勝てる。どこかで自分達の戦い振りを見ているであろう有紀寧の視線を想像しながら、
 初音は必ず仕留めると誓う。

 当初の予定ではまず椋を潜入させ、適当に人数が揃ったところでまずこちらが襲撃をかけ、
 向こうがこちらに気を取られた瞬間椋が内側から攻撃を仕掛けさせ、内と外からの二段構えの攻撃をする作戦だった。
 素早く殲滅できればそれでよし。失敗しかかっても外側にいるこちらが逃げればいいだけでそれほどリスクはない。
 椋が行った後にそう言った有紀寧の作戦は完璧で、流石は自分の姉、やることが違うと感心し、尊敬さえした。
 有紀寧の言う通りやれば上手くいく。全てが上手くいくはずだった。

525 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:28:43 ID:nKYEabcw0
 が、椋は何をトチ狂ったのかいきなり射撃を仕掛け、こちらが仕掛ける前に戦闘が始まってしまった。
 椋の勝手すぎる行動に初音は心底怒り、もう放って見殺しにしようと進言したが、
 有紀寧はまだ間に合うと断じ、一人くらいは殺せると舌打ちしながら現場に行こうとしたが、初音はそれを押し留めた。

「有紀寧お姉ちゃんが直接出ることはないよ。わたし一人で皆殺しにしてくる。
 あんなヤクタタズのために有紀寧お姉ちゃんがやることなんて、何もない」
「……いいんですか?」
「お姉ちゃんを危険な目に合わせたくないもの。だからわたしがやる。大丈夫、わたしはお姉ちゃんを信じてるから」

 そう言って初音はクルツを持って向かい、現にこうして一人を仕留めることに成功した。
 自分には有紀寧がいる。絶対的な守護神。どんなときでも守ってくれる敬愛する姉。
 だから死ぬわけがない。皆殺しにして帰ればきっと有紀寧が褒めてくれる。家族だった人達の仇も討てる。
 有紀寧に従ってさえいれば全てが上手くいくのに。言いつけを破ったばかりに窮地に立たされかけている椋を見て、
 初音はそれ見たことかと蔑みに満ちた感情を寄越す。

 だがまだ殺しはしない。殺していいのは有紀寧が用済みだと判断したときだ。自分は有紀寧の決定にただ従えばいい。
 初音の持っている感情は従属意識でも恐怖でもなく、純粋な思慕だ。
 この狂った世界においてなお初音に慈愛の精神で接してくれたのは有紀寧だけだった。
 全てを奪われ、寄る辺をなくしてさえ有紀寧は初音を必要としてくれた。
 そして一緒に堕ちよう、と。

 重なる悲劇の中で差し伸べられた手。たとえそれが悪魔の手だったとしても初音は迷わず取っていた。
 必要としてくれる。大事にしてくれる。それだけで有紀寧に全てを委ね、身を任せるには十分だった。

 いや、初音でなくとも誰もがそうしていただろう。
 本当に真っ暗な闇の中、手を差し出されれば縋ってしまうのが人だ。

526 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:29:03 ID:nKYEabcw0
 誰も初音を責めることなど出来はしない。
 初音は意思して悪を為そうとしたわけではなく、ただ心の拠り所が欲しかっただけなのだから……
 柳川と同じく、彼女もまたやさしすぎたのだ。

「……埒があかないね。ねえ椋お姉ちゃん、ちょっと特攻してきてよ」
「と、特攻って! 何を言ってるんですか、こんな状態のまま行っても死んじゃうだけじゃないですか!」
「それがどうしたの?」
「……っ、嘘をついてた癖に……お姉ちゃんを人質にしてるって嘘をついてた癖に!」
「ああ、そうなんだ。へぇ、流石有紀寧お姉ちゃん。誰がばらしたのか知らないけど上手い嘘をつくね」
「……悪魔です……あなたたちなんて、いつかお姉ちゃんが……」
「うるさいよ。そういえば面白いもの持ってたよね。あれ、吹き矢セットだっけ? まだ効果の分からない黄色のやつ、試してみようかなあ?」
「な……」

 ニタリと気味悪く笑った初音に椋はそれまでの怒りも忘れ、吐き気さえ覚えて顔を青褪めさせる。
 だが彼女は逃げられない。逃げたところで待つのは制裁、それも無残な死。

 いやだ、まだ死にたくない。姉と再会し、無事に脱出して平和に暮らす。そのためにもこんなところで死にたくない。
 選択肢は一つしかなかった。特攻して、その上で全滅させる。これしかなかった。
 行くしかないとカチカチ鳴る歯を必死で食い縛り、駆け出そうとしたとき、椋と初音の頭上に何かが投げられた。

「殺虫剤……?」

 呆然とそう呟いた初音は、しかし何かを予期して椋に「逃げて!」と叫び、自身も大きく飛び退く。
 次の瞬間ライフルの発射音が聞こえ、激しい爆発が起こり、爆風が椋と初音を襲う。
 爆発というよりは衝撃の塊だった。爆風に押されはしたものの初音も椋も地面に転がり反撃が出来ない。

 そこにリサと浩之が飛び出してくる。リサは車を乗り越えて初音に、浩之は車を回りこんで椋に。
 先手を取られたと思いつつ、初音はクルツで迎え撃つ。
 だがリサは車から高く跳躍すると初音の目の前へと接近する。

527 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:29:32 ID:nKYEabcw0
 速い。そして高い。咄嗟の機転でデイパックから鋸を取り出し振り回したがM4で受け止められ、
 更に手刀を叩き落されクルツを落としてしまう。
 拾おうとした初音だったがその前に蹴り飛ばされクルツは遥か遠くへと転がってしまう。
 歯噛みした初音だが懐に潜り込んでいるのは自分だと気付き、少しでも身軽にすべくデイパックを投げ捨て、
 鋸を振りかぶり、連続して斬りかかる。

 初音自身でも驚くほど俊敏な動作だった。リサも初音の意外な運動能力は想定外だったらしく、
 必死に受けに回るしかなさそうだった。
 本人さえ気付いていないが、初音も鬼の血を引く一族の末裔。命を賭けた戦闘を続けることで鬼としての意識が研ぎ澄まされ、
 徐々にその能力を高めていたのだ。

 初音はいける、と確信を持つ。意外と動ける上に相手は血だらけで満身創痍。雨でいくらか流されていようが分かる。
 何故だか、分かる。無意識に初音は哂っていた。凄惨な、悪鬼の笑みを。

 一方の椋と浩之は睨み合いが続いていた。互いに武器がショットガンであり、一撃必殺の威力がある。
 下手に先手を打てない。特に慎重かつ臆病な椋はショットガンの弾数上絶対に自分からは切り出せなかった。

「何だよ、仕掛けてこねえのかよ……」
「わ、私はまだ死にたくないんです。こんなところで死にたくないんです!」
「……そう言って、また殺すのかよ。言い訳したまま、同じ人間を……家族がいる人間を。観鈴や、みさき……珊瑚みたいにか」
「……殺さなきゃ、こっちが殺されるんです。騙さなきゃこっちが騙されるんです。他人同士で信じあうなんてないんです。
 そうやって私は、私は騙されてきたんですから……殺し合いじゃ、もう誰も信じられないから……」
「そうかよ……お前は『疑う』ことさえしなかったんだな。もういい。こちらから仕掛けるぜ!」

 浩之がショットガンを持ち上げ発砲する。だが狙いが浅く、散弾は椋の足元に着弾するに留まった。
 椋はたたらを踏みつつも己の身を守るべく撃ち返す。しかしこちらも軸がブレていたためか容易に避けられてしまう。
 不意をつく奇襲はできても、真正面からの撃ち合いはあまりにも不得手に過ぎた。

 元々運動が苦手なのにもそれに拍車をかけていた。続けて撃つも外してしまう。
 混乱の極みに達した椋はもう弾がないことも忘れて引き金を引いたが、当然出るわけもなく。
 弾切れだと読んだ浩之が確実にショットガンを命中させるために接近しようとする。

528 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:29:53 ID:nKYEabcw0
 死ぬ――現実となりつつある事態に泣き叫びそうになった刹那、椋はポケットに隠していたある武器の存在を思い出し、
 必死に手繰り寄せて遮二無二攻撃した。

「なっ……!」

 もたつきながらも取り出したのは小型の拳銃、二連式デリンジャー。驚きを隠しきれない様子で、
 咄嗟にデイパックを盾に使ったようだが、その程度では防げないと断じて容赦なく発砲。
 デイパックを突き抜け、腹部に致命傷を負った浩之は倒れ――

「危ねえっ……!」

 ――なかった。
 そんな馬鹿な、と今度は椋が呆気に取られる番だった。
 浩之の持っていたたくさんの缶詰入りデイパックは22口径のデリンジャーなどでは貫通できない。
 既に浩之は反撃のショットガンを構えていた。その心中では、瑠璃に感謝しつつ。

「ひ……っ」

 最早脇目もふらず一直線に逃げ出そうとした椋だったが、今回ばかりはいささか遅すぎた。
 発射された12ケージショットシェル弾が椋の腿を貫通し、瞬く間に足を奪った。
 悲鳴を上げ、痛みにのた打ち回る椋。
 それを聞きつけた初音がちっと舌打ちを漏らす。

「相打ちにすら出来ないなんて……本当、役立たずだよ!」

 この調子ではまずい。ここは一旦撤退するしかないと弾いて距離を取る。
 後はデイパックとクルツを回収し、有紀寧のところまで戻る。決着は後でつけよう……
 そう思っていた初音の耳に「離れてくれてありがとう。……チェックメイト」という声が届いた。

529 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:30:15 ID:nKYEabcw0
 思わず足を止め、リサへと向き直る。リサ、いや浩之までもが身を翻し、追撃することなく退いていく。
 どういうことだ……? 思わず考えてしまったのが、初音の命を奪う致命打となった。
 嫌な予感に駆られ、空を仰ぎ見たとき。

「……嘘」

 そこには高速で迫る、小型のミサイル砲弾があった。
 最初からそういう算段だったというのか。ミサイルが着弾するまで時間を稼ぐのが奴らの役目だったということか。
 有紀寧お姉ちゃん――初音は内心に絶叫する。

 早く引いておけば良かった。敵の行動をおかしいと思うべきだった。
 ごめんなさい。生きて帰れなくて、ごめんなさい。
 懺悔を頭の中に満たし、何故か涙が溢れ出て……しかしそれも、巻き起こった爆発の中に巻き込まれていった。

 初音と椋の間に撃ち込まれたミサイルはそこを中心にして小規模な火球と爆風を巻き起こし、
 初音の体を微塵も残さずに砕いた。

 椋は痛みに苦しんだまま、それでも姉と会いたい、助けて欲しいと愚直なまでに願いながら。
 だがその叫びも誰にも届くことはなく、爆発音にかき消されたのだった。

 柏木初音。藤林椋。
 沖木島の狂気に身を焦がされ、最後まで踊り続けるしかなかった彼女達も……ようやく、死を迎えたのだった。

     *     *     *

「くっ、これでは……」

 激しい爆発音が起こった後、一部始終を見届けていた宮沢有紀寧は初音達が完全敗北したと悟り、一人で逃げ出していた。
 椋の暴走から始まり、それでも人数を減らしたいと欲をかき、初音を行かせた結果がこれか。

530 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:30:29 ID:nKYEabcw0
 元々有紀寧は自身が行く気はなかった。自分が行くと言い出せば初音は止め、自らの身を差し出すだろうとして、
 それは思い通りに運んだ。一人二人殺して引き返してくれば上出来だとは思っていたが、
 よもやあんな切り札があるとは思いもしなかった。重要な駒を二つも失ってしまった……

 だが有紀寧の心には、それ以上に初音の死が重く圧し掛かっていた。
 なぜこんなにも心苦しいのか。なぜこんなにショックを受けているのか自分でさえ分からない。
 元々自分はひとりでこの殺し合いを生き残り、ひとりで帰るつもりではなかったのか。

 最初の予定に立ち返っただけではないか。
 まだリモコンの残りも三回ある。一人くらいを手駒に取り、殺しに向かわせれば後は己の独力だけでもどうにかなる。
 そうだと理解しているはずなのに。

「……家族……」

 亡霊を追っているに過ぎない自分を縛り上げる言葉だ。
 いつもこの言葉が自分を苦しめる。
 分からない。初音が死んでしまった今、初音が自分に抱いている感情の意味も確かめる術はなくなった。

「……いや、まだだ」

 有紀寧は放送で告げられた『褒美』の言葉を思い出す。
 褒美。それを使えば、もしかすると、また初音と……
 だが絵空事に過ぎないし、第一まだ殺し合いは続いている。

 考えるのは優勝してからでいい。無理矢理そう結論して、有紀寧は黙って逃げ続ける。

 その一事が有紀寧のしこりとなり、彼女の体を重くしているのにも気付かないふりをしながら……

531 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:32:25 ID:nKYEabcw0
【時間:2日目午後21時00分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷、疲労大】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【状態:絶望、でも進む。守腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

532 儚くも永久のカナシ :2009/02/08(日) 01:32:43 ID:nKYEabcw0
美坂栞
【所持品:支給品一式】
【状態:死亡】

緒方英二
【持ち物:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:死亡】

柳川祐也
【所持品:支給品一式×2】
【状態:死亡】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り0)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:死亡】

篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(0/50)、特殊警棒】
【状態:死亡】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:死亡】

柏木初音
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品