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避難用作品投下スレ4

1管理人★:2008/08/01(金) 02:07:08 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

2(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:40:20 ID:GEqu3C0o0
 血の水溜りがいくつも広がっていた。
 赤黒く、粘々としたそれは命の残り香を放ちながら少しずつその勢力を増している。
 まるで生命活動だった。
 いや、その表現はあるいは正しいのかもしれない。
 その水溜りは……人の想念が、無念がこれでもかというくらいに詰まっているのだから。

「……事情は、大体分かった。済まない、何も気付かなくて」

 白衣を脱ぎ、簡素なTシャツ一枚となっている霧島聖が芳野祐介に話しかける。
 両人とも先の戦闘で傷つき、倒れ、命を散らした人間の遺体を運んでいたために服が血で汚れている。

「いや、あんたが気に病む必要はない。何せあっという間の出来事だったからな……助けを呼ぶ暇もなかった」

 表情を変えずに語る芳野だが、聖はそれでも自責の念を感じずにはいられない。
 何者かに襲われ、まず芳野の連れ二人が命を落とした。
 続けて襲ってきた別の人間の手により、更に二人が命を落とした。
 結果、芳野の連れは全員が死亡。

 医者の立場である聖からすれば気に病まずにはいられない状況であった。
 あの時、浩平についていけば。
 ひょっとしたら何人かは命を失わずに済んだのかもしれない。
 少なくともこんな状況にはならなかった。

「人は、誰も未来なんて分かるわけがない」

 そんな聖の胸中を察するように芳野が言った。
 聖の考えていることは要するに結果論だというのだろう。
 確かに、そうだ。
 だがそれでもこれだけの数の遺体を目にすれば考えたくもなる――そう言おうとして、しかし聖が口を開くことはなかった。

3(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:40:44 ID:GEqu3C0o0
 芳野の横顔を見たときの、必死に出てくるものを抑えているような視線の硬さが、何かを決意しているかのように見受けられたからだ。
 現場にいた芳野はきっと聖が感じた以上のものを感じている。
 目の前で仲間の命を奪った敵。
 相打ちとなって死んでいった仲間。
 挙動全てが芳野の脳裏に刻まれている。
 その芳野が感情の波を堪えているというのに、どうして自分だけが愚痴を漏らせようか。
 前だけを見ようとする芳野の姿には薄い言葉など無意味で、恥ずかしい。
 だから聖は代わりにこう応えた。

「そうだな……済まない、少々気が滅入っていたようだ」
「持ってきたの」

 その後ろで、どうやら走ってきたらしい一ノ瀬ことみが小刻みに肩を揺らしながらライターを手に持って現れた。
 埋めるのは時間がかかりすぎるだろうということで、芳野が火葬を提案したのだ。

 立ち上る煙や炎の色で乗っている人物気取られるという可能性はあったが、裏を返せば仲間を探し求めている人間の目印にもなる。
 無論そんな打算的な考えだけで芳野も提案したわけではないだろう。
 あくまでも聖達の体力などを気遣ってのことに違いない。
 実際、聖と芳野の作業は遺体を一列に並べ、火がよく回るように枯れ草や枝などを置くだけで良かった。
 人道的な観点からするとその後土に埋めるのが理想的なのだが、そうも言ってられない。
 火葬した後の白骨化した遺体を野晒しにすることになってしまうが、それは『今のところ』放っておくしかない。
 もし、もしも全てが終われば――無論、この殺し合いを崩壊させることだ――その時こそ、ちゃんとした埋葬をしてやれる。
 だからそれまで我慢していてくれ、と聖は誰にも聞こえない程度に呟いた。

「一ノ瀬、貸してくれ」

4(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:41:08 ID:GEqu3C0o0
 芳野の言葉に、ことみは無言で応え、ライターを手渡す。
 シュッ、という火打石の音と共にライターに火がつき、僅かにその場の彩度を高める。
 そのまま屈みこんだ芳野は枯れ木の端に点火する。
 よく乾燥していた濃茶色のそれがあっという間に火を伝染させ、その姿を炎へと変えて死体となった参加者達を包み込んでいく。
 パチパチ、と爆ぜる熱の呻きが、ひどく安っぽいもののように聖は感じられた。
 幸い……と言えるかどうかは甚だ疑問だが、血は既に乾いて水分を失っていたので中々燃焼が広まらないという事態にはならなかった。
 ごうごうと炎の波が広がって行くのを横目にしながら、芳野が「行こう」と二人を促した。

「奴らを……こんな事を計画した奴らを潰す算段を、教えてくれ」

 炎を背にした芳野の目は、既に悲しみを怒りに変えていた。
 二人が頷くと、芳野は硝酸アンモニウムを積んだ台車を押して歩き始める。
 行き先は保健室であることを伝えつつ、聖はことみと一緒に残りの荷物を回収して、芳野の後に続いた。

     *     *     *

 真っ白な壁が目に留まる。
 しかし幾分か老朽しているのだろう、所々見られるシミと細かな罅は建物の年齢を雄弁に物語っていた。
 覚醒した意識にいくらか遅れて、消毒用アルコールの匂いが鼻腔をくすぐるのを感じながら藤林杏はぼんやりと考えを働かせていた。

 ここはどこなのだろう。
 自分の状態はどうなっているのか。
 今の状況は。
 そして……言いようもなく圧し掛かってくるこの胸の苦しみは何なのだろう。

 様々な疑問が頭を巡るが、頭は恐ろしいほど冷静であった。
 一人であることが、そして病院にも似たこの部屋の雰囲気がそうさせているのだろう。
 幸いにして時間はありそうだったので、一つずつ考えていこうと決めて杏はふぅ、と息をついた。

 まずここは?
 匂いや、雰囲気から判断して医療施設であることは間違いない。
 だが地図で見た限りでは病院らしき施設はこの島には見られなかった。
 診療所のような建物の存在はあったが……杏の移動していた場所から考えれば遠すぎる。
 ならば、それ以外に医務室のような場所がある施設にいるのだろうと杏は推測した。
 ……十時間以上気を失っていた、というならまた話も別かもしれないが、それは保留しておこう。

5(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:41:33 ID:GEqu3C0o0
 次だ。今の状況はどうなっているのか。
 これは確かめようがなかった。
 体はいくらか動くものの無闇にここから出るわけにもいかない(包帯が巻かれているということは、治療してくれた人間がいて、今は出払っていると考えられるからだ)。礼も言わずに出て行くのは失礼だし、そもそもここがどこか分からない以上移動のしようがない。
 時計くらいはあるかもしれない。出来るのは時間を確かめることくらいか、と思って布団を持ち上げた……と同時に、ようやく気付いた。

「え、なに、ちょ、は、裸っ!?」

 というか、パンツ一丁である。全裸一歩手前である。
 冷静だったはずの頭が急に温度上昇を始め、慌てふためく杏。

「服、服服服服! 服どこっ!?」

 治療してくれた人間は見たのだろうか、これはセクハラで訴えることができるのではないかという思いは蚊帳の外に置いておき、とにかく必死に服を探す。
 宇宙を見渡す勢いで三次元空間を凝視した後、ようやくハンガーに制服(血まみれ)がかかっているのを発見する。
 獲物を見つけた獰猛な肉食動物よろしく黄金の右腕でひったくり、服に袖を通そうとして――肝心なものが足りないことに気付いた。

「……ブラが……ない……」

 ジーザス。これはひどいと杏は神を呪った。
 実を言うと聖が治療を行ったときには銃弾やら血液やらでボロボロであったため、已む無くゴミ箱へゴールインさせたのである。
 が、そんなことを知るわけもない杏はどこへやったと鬼神の形相で探し回るものの、見つかるわけがない。
 グレイト。どうやら治療をしてくれた人間は変態なだけでなく自殺希望者だったらしい。

 大辞苑の角の部分で高らかに殴ることを刹那の見切りで決定した杏ではあったが、いかんせん物が見つからないのではどうしようもない。
 常識的に考えるならそんなことを思案するよりスカートだけでも穿いておくとか、とりあえずノーブラでもいいから服を着ておこうとかの対策を講じておくべきだったのだが、花も恥らう乙女にそれを望むのは酷というものだろう。
 そして運命はあまりにも残酷であった。
 ガチャ、という音と共に保健室の扉が開かれたのである。

6(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:41:56 ID:GEqu3C0o0
「あ……」
「……」

 状況を改めて説明すると、杏はぱんつはいてはいる、がほぼ全裸である。
 服を抱えているので、おっぱいは隠れてはいるが全裸一歩手前である。
 繰り返す。99%全裸である。
 それだけならまだ良かったが(良くないが)彼女は必死にブラを探し回っていたためにその格好で保険室内を歩き回っていた。
 風呂の後に全裸で家中を闊歩するお父さんと同レベルである。牛乳は手に持っていないが、変態さんである。
 青少年の教育によろしくない。PTAは怒り心頭であった。

 そんな彼女の前に現れたのは芳野祐介。
 事情は大体聞いていた芳野であったが、まさか杏が目覚めた上放送倫理委員会に引っかかりそうな光景を繰り広げているなどとは流石の彼でも予想は出来ない。というか、まだ気を失っていると思っていた。
 ここで更に不幸であるのは芳野が先陣を切って保健室に突入したことである。
 前を歩いていた芳野はそのままことみに先導してもらいながら部屋に入ったのだ。

 さてここで問題だ。

 Q.次の計算式を解きなさい。

 男の子 × 女の子 × (ぱんつ一枚 + ぽろり寸前) = ?

「い……」
 杏はおもむろにその辺にあった本を一冊手に取り……
 大きく振りかぶって、渾身の一球を放った。甲子園球児もビックリである。
「いやああぁぁああぁぁああぁあぁあぁああああぁぁぁぁっ!!!」

 A.死亡フラグ

7(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:42:17 ID:GEqu3C0o0
     *     *     *

「すみません、本当にごめんなさい、取り乱してたんです……」
「もういい、気にするな……我が身の不幸はむしろ受け入れて当然、というより、不可抗力だろう、アレは」
「まあ結果的に手遅れになったわけだが」
「そのようなの」

 ぺこぺこと彼女らしくもなく頭を下げる杏と、聖に包帯を巻いてもらっている芳野。
 荒れた室内。
 ますます強まったアルコール臭。
 何があったのかは語るまでもないだろう。

「とにかく、君が無事で良かった。それだけ暴れられるのなら折原君も安心だろう」
「……」
「……」
「折原……あいつに抱えられて、ってとこまでは覚えてる。その後、どうなったのか分からないけど……」

 少し表情を変えた三人から、彼に良からぬことがあったと察知した杏は、あえてそこで言いよどんだ。
 いや、既に察しはついていた。信じたくないだけで、杞憂であって欲しいと思ったから、そう言ったのだ。
 しかし、その儚い期待はことみが首を振ったことによって、脆くも崩れ去る。

「折原はこの殺し合いに乗った奴と相打ちになって死んだ」

 ことみの代わりに芳野が口で告げる。
 事実だけを語る芳野に眉を顰めた杏だが、それ以上に感じるのは一抹の寂しさであった。
 やることだけやって、さっさと逝ってしまった浩平。

 ふざけた性格の癖に、高槻と一緒になってバカなことをしていた癖に。
 何も言わずにいなくなってしまうなんて、悲しいじゃない……

8(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:42:37 ID:GEqu3C0o0
 場は沈黙に包まれる。誰もが言葉を切り出せなかった。
 だがそれも長くは続かない。
 何故なら、そんな状況などお構いなしにやってくる、ある時間になったからだ。

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 淀んでいた空気が、今度は冷たく硬直する。
 12時間ぶりに奏でられる悪魔の旋律が、保健室の四人の心を容赦なく刈り取っていく。
 家族の名が、友の名が、愛するひとの名が。
 四人ほぼ全てが目を絶望の色に変えていた。……特に、聖は。

「……佳乃が……妹が……そうか……」
「先生……」

 それ以上の言葉をかけられないことみ。それほどまでに聖は肩を落としていた。
 無論ことみも杏も、ショックはあった。
 二人が密かに想っていた朋也の死。
 それは二人とも半ば一方的に思いを抱いていたが故にまだ納得はいかないまでも、受け入れる準備は出来ていた。
 朋也は朋也の思い人を守るために散ったのだろう、と。

 だがそれすら霞んでしまうほど、聖の落ち込みようは尋常ではなかった。
 聖とて薄々こんなことがあるのではないかと感じていた。
 いつ、どこで、どんな目に遭ってもおかしくないのは芳野組の一件で分かりきっていた。
 それでもなお、自分の妹だけは無事であるはずと心のどこかで期待していた。

9(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:42:58 ID:GEqu3C0o0
 天真爛漫なあの子だけは、と。
 だが聖は佳乃が抱える病も知っている。
 度々起こる、夢遊病にも近いあの正体不明の病気。
 あれを治したいがために聖に医者になることを決意させたほどの、謎の症状。
 それが起こっている間はいかなる言葉も受け付けない。どんな言葉も届かない。
 加えて、何をするか分かったものではない。
 人を殺しかけたこともあったのだから。
 それを誤解され、殺害された――そんな想像も容易に浮かぶ。

 けれども生きていて欲しい。無事で居て欲しいと願わないことがあるだろうか。
 家族に生きていて欲しいと思うのは当たり前で、どうしようもないことだった。
 だから……こんなにも、つらい。
 こんなことがあっていいわけがない。
 放送で、恐らく女性と思われる人物が語っていた言葉。
 『ゲームが終了した暁には、お二人とも、その願いを叶えて差し上げます』
 聖の中で言葉が反芻される。

「霧島。まさか、奴らの言葉を信じて殺し合いに乗る……なんてことは考えていないだろうな」
「……」

 それを遮ったのは芳野だった。
 どこに持っていたのかウージーを構えると、それを聖に突きつける。

「なっ……」
「芳野さん!?」

 悲鳴をあげる二人を睨みつけると、二人はその場から動けなくなった。目が、本気だった。
 視線を厳しいままに、芳野は続ける。

10(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:43:19 ID:GEqu3C0o0
「悪いが、そういう人間を野放しにするわけにはいかない。たとえ大切なひとのためであろうとも……」
「あんた……正気なの!? この人、妹さんを……家族を亡くしたのよ!」
 だが、流石に感情まで制することは出来なかった。杏は怒りも露に、芳野に挑みかかる。
「俺も婚約者を亡くした。大切なひとを失ったのはお前らばかりじゃない」
「っ……だからって……!」
「仲間も、せめてもと会いたい人に会わさせてやろうと誓った仲間も、死んだんだぞ……!」
「芳野さん……」

 ぐっ、と杏は言葉を詰まらせ、ことみはかける言葉もなく俯く。
 芳野の出す怒り、悲しみはそのまま彼女達自身が感じていることとして跳ね返る。
 何のために自分達は過ちを犯してでも生きているのか。
 何故正気を保ちながら、こんなにも必死に生きているのか。
 そんな問いと、そして答えが視線から伝わってくる。

「俺達はこれ以上過ちを犯すわけにはいかない……だから、もう油断はしない。霧島、聞かせろ。お前の答えを」
「……自惚れるな」

 答えを求める芳野を、聖は言葉一つで押し返した。
 重く、響くその声は芳野以上に強く、熱く、哀しく。
 思わず銃口を放した芳野だったが、聖は怒ったように手刀でウージーを叩き落し、これ以上にない形相で睨みを返す。

「私は医者だ。折原君が連れてきた藤林君のように、あるいは戦闘で傷ついた人間を見つけたら治療する義務がある。誰かが私に襲い掛かってきたとしたら、殴り倒してでも説得する。例え、その行動が命取りになっても、だ」

 聖はそこで一旦言葉を切ってから、
「もう一度言うぞ。私は医者だ。医者が人殺しの看板を掲げてたまるか。私を舐めるな、芳野祐介」
 胸倉を掴みかからんばかりの勢いに、今度は芳野が圧倒される番だった。
 聖は最後に「それが答えだ」と締めくくって終わらせたが、芳野は苦味を噛み締めた表情になって、失言をした、と思った。
 聖は確かに一人の人間で、一人の少女の姉であったが……同時に、医者でもあった。
 彼女の誇り高い精神を理解しきれていなかったことに、「すまない」と芳野は非礼を詫びる。

「……まあ、今回は許してやろうか。君もまだまだ青いな」

11(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:43:40 ID:GEqu3C0o0
 ふふんと余裕の笑みを浮かべる聖に芳野も苦笑いし、一連の騒動は終息を告げることを表していた。
 様子を見守っていた杏とことみもホッとため息を漏らしていると、芳野は二人にも謝罪する。

「そっちにも迂闊なことを言ったかもしれない。すまなかった」
「あ、いや……私もカッとなって……あはは、お互い様ってことで」

 頬を掻きながら照れ笑いを返す杏に、ことみは何か分かったようにうんうんと頷いていた。

「さて、と……」
 緩みかけた雰囲気を正すかのように聖が仕切りなおす。
「芳野君はまあことみ君あたりから聞いているからいいとして……藤林君には……ことみ君」
「ほいほいさー」

 何か気の抜けた声で応じつつ、何事かとちんぷんかんぷんな杏にことみが爆弾を用いた脱出計画の一部を見せる。
 取り敢えずは施設一つを潰せる程度の爆弾を作るのだが、現在はその材料をかき集めていること。
 ふむふむと諒解したように杏は頷く。同時に、この計画は秘密裏に進められていることも。というか書き足されていた。
 『秘密の作戦なので口外無用。言うなよ! 絶対言うなよ! なの』と。

「で、だ。これから灯台に行こうと考えていた。……もう私の妹は探せなくなってしまったが、君たちの仲間はまだ探せるからな。一人でも、生きてさえいれば」
「先生……」
「幸いにして藤林君も回復したことだし……荷物整理の後、四人で灯台へ向かおう。何か別の提案はあるか?」
「あ、なら……霧島先生、別行動を提案したいんだけど」

 手を上げて杏が意見する。
 まだ万全とは言いがたいが、誰かの手を借りなければ動けないというレベルではないし、致命的な傷を負ったわけでもない。
 聖が杏の身を案じてくれてのことなのかもしれないが、もうこれ以上借りを作りたくないというのが杏の本音だった。

12(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:44:01 ID:GEqu3C0o0
「人を探すにしても二手に別れた方が効率もいいでしょ?」
「言い分は分かるが……」
「平気。あたしはこれ以上迷惑かけらんないし、そこまでヤワじゃない。お願い、霧島先生」
「なら、俺が藤林につこう。二人同士で別れればバランス的には問題ないだろう」

 問答に割り込むようにして芳野がそう言った。
 確かに芳野が護衛につけばそれなりにはなる。
 だが芳野は知っているはずだ。二人同士で別れ、それ故に生じた悲劇を。

「いいのか、芳野君」
「構わんさ」

 過ちは忌んで、避けるべきものではない。
 学んで生かせばいい。
 そんな意味も含めて、芳野は答えた。

「……分かった。だが藤林君、無茶はするな」
「分かってます。あたしもそれくらいは知ってる。自分の体だから」

 制服の血がついた部分を撫でるようにして、どれくらい自分の体が傷ついているかを見せるような杏の挙動。
 まだ若干の不安はあったものの、それは医者としての職業病かと思い直し、聖は話題を次に移す。

「なら武器の分配だ。強そうな武装はそちらに回すが、そのIDカードと鍵、見取り図とフラッシュメモリはこちらに回してくれ。
 特にフラッシュメモリはここでも調べられそうだからな」
「あ、そのフラッシュメモリだけど、中身はもう調べてあるわ。
 参加者の支給品の武器一覧と、メイドロボ用のプログラム、
 それと……何だったかな、エージェントの心得、みたいなのが入ってた」
「なんだ、もうチェック済みなのか。なら、後回しにしても良さそうか。……ことみ君はどう思う?」
「探すほうを優先させるべきだと思うの。もう、生きてる人は少なくなってるみたいだから」

 ことみの言っていることは、仲間になるであろう人間の候補が少なくなりつつあるということを暗喩していた。
 それに、調べること自体は失くさなければいつだって出来る。

13(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:44:17 ID:GEqu3C0o0
「じゃあ、マシンガンを俺が持っていかせてもらう。藤林は希望はあるか」
「投げるものがあればいいんだけど……辞書は……なさそうだし、日本刀と、あいつの包丁を貸してもらうわ。二刀流ってやつね」
「ふむ、なら後は適当に割り振ろう。それと……あの変な恐竜みたいなのだが、藤林君に譲ろう。まあこれくらいは医者として、無理はさせたくないからな」

 恐竜、と聞いて杏の脳裏には、七海を死に追いやった女の姿が蘇る。
 そういえばこちらの手元には彼女が持っていたような装備がいくつかある。
 つまり……浩平が相打ちに持っていったという人間は、恐らくそれと同一人物と見て間違いない。
 カタキ……結局あいつに先越されちゃったか。本当、どうして何も言わずに逝っちゃうのよ……
 再び高じてきた寂しさを紛らわせるために、「ありがとう、先生」と応じて、荷物の整理に移ることに決める。
 心につけられた傷は、まだまだ癒えることのない段階だった。

「杏ちゃん」
 荷物に手をつけようとした杏に、ことみの声がかけられる。
「会えて、また無事に会えて、本当に嬉しかったの。今まで、言いそびれてたけど……」
「そう言えば……そうね。うん、心配かけてごめん。あたしも……嬉しい」
「だから」
「ええ」

 その先に、言葉は不要だった。軽く握手を交わすと、お互いに次にやるべきことのために作業に没頭する。
 そう、傷は未だに癒えることはない。これからだって傷は増えていくかもしれない。
 けれども、こうした苦界の中でも喜びもまた見出せるものだから……
 だから、また頑張れる。
 それは自分だけでなく、ことみも、聖も、芳野もきっとそうに違いないのだ。
 そんなことを考える杏には、再会を喜び合い、手を交し合った暖かさが、確かに彼女の中に残っていた。

14(おねえさん)/Island Atlas:2008/08/11(月) 17:44:38 ID:GEqu3C0o0
【時間:2日目午後18時50分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・保健室】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:杏に付き従って爆弾の材料を探す。もう誰の死も無駄にしたくない】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す】
ウォプタル
【状態:学校の外に待機】

霧島聖
【持ち物:H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)、ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。医者として最後まで人を助けることを決意】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【状態:爆弾の材料を探す】


【その他:杏と芳野、ことみと聖はそれぞれ別れて行動します。方向はまだ未定。なお、保健室がかなり荒らされています】

→B-10

15十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:15:07 ID:Gdz35eDw0

「……っていうかさあ」
「何よ」
「あれ、ヤバくない?」
「うっさいわね春原のくせに」
「僕いま何か悪いこと言いましたかねえ!?」

叫んだのは焦げた金髪をアフロにした少年、春原陽平である。

「わかりきってることを―――」

すう、と息を吸い込んだ少女の名を長岡志保。

「―――今更のように言い出すのをバカって言うのよバカ春原!
 もうヤバいのよ充分ヤバいの!」

んでもってアレは、と指差したのは背後。
聳え立つ神塚山の頂である。

「その中でもとびっきり! 志保ちゃんアンテナにビリビリきてんのよ!
 それを今更なんだってのよわかってるわよもうずっとヤバいのなんて!
 何あれ怪獣? 超人類? それとも新手のストリーキング? なワケないわよね?
 あんたのそのダッサいアフロに少ぉしでもお味噌が詰まってんなら答えてみなさいよ、さあさあさあ!」
「……そのくらいにしておけ」

春原の鼻先に指を突きつけて迫る志保の剣幕に割って入ったのは三白眼の青年。
額を押さえるようにして軽い溜息をつく国崎往人だった。

「何よ浮浪者」
「お前なあ……」

呆れたような国崎が、それ以上は何も言い返さずに振り向く。
国崎につられるように、志保と春原の目もまたその視線の先を見た。
そこには変わらぬ光景。
変わらぬ、異様があった。

16十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:15:33 ID:Gdz35eDw0
「……何十メートルあるんでしょうね、あれ」
「さあな……だが、さっきまではあれより一回り小さいのがビーム撃って暴れてたんだぞ。
 謎の巨大ロボがぶっ飛ばしてったが」
「言ってることワケわかんないんだけど、クスリまでやってんの浮浪者。近寄らないでくれる?」
「なら今あれが見えてるお前もジャンキーだな」
「……」

三対の眼が見つめるのは巨大な裸身。
神塚山山頂に君臨する、圧倒的な質量を誇る少女であった。
あまりにも非現実的な光景に絶句する三人を嘲笑うかのように、巨大な影が動いた。

「うわ、見つかった!?」
「ん、んなわけないでしょ!? どんだけ離れてると思ってんのよ!
 向こうからしたらあたしたちなんて蟻んこみたいなもんでしょ、ねえ!?」
「ぼ、僕に言われても知らないよ……!」
「いや……待て」

恐慌に陥りかけた二人を身振りで制した国崎が、眉を顰める。
睨みつけるようなその眼で巨大な影を暫し見つめ、呟く。

「あれは……誰かが、戦っている……のか?」
「はあ!? こっからそんなの見えるの!?」
「そんな無茶な、あんな怪獣みたいなのと!?」
「これでも視力には自信があってな……、二人……いや、三人か?
 間違いない……化け物とやり合ってる連中がいるようだ……」

異口同音の驚愕に、視線を動かすことなく頷いてみせた国崎が、しかし、と呟く。

「どうか……したの?」
「やっぱりメタメタにやられてる、とか……」
「いや……」

17十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:15:50 ID:Gdz35eDw0
そうではない、と国崎は心中で否定する。
そうではないが、しかし。
電話ボックスを掴み上げそうな手が振り下ろされるのを、豆粒のような影が躱している。
躱して、おそらくは何らかの攻撃を加えたのだろう。
巨大な少女の手が、弾かれたように跳ね上げられた。
しかし、それだけだ。
少女は何事もなかったかのように動き出し、腕を振るい、光線を閃かせる。
そこにダメージは感じられない。
針で刺されたほどの痛痒しか、感じていないのだろう。
対して、動き回る影は一撃でも受ければそれが致命傷になる。
彼我の大きさがあまりにも違いすぎるのだ。
状況は、あまりにも絶望的に見えた。

「……ん?」

眉根を寄せた国崎が、何かに気付いたように顔を上げる。

「あれ……何?」
「ヘリコプター……?」

果てしなく広がる蒼穹に、染みのような一点があった。
東側から近づいてきた点は、瞬く間に天頂、太陽を背にするような直上へとその位置を移していた。
ばたばたというローターの音が、志保たちの耳にも微かに聞こえてくる。
暗い灰色に僅かな茶色を混ぜたようなその塗装と、ゴツゴツとした無骨なシルエットは、

「軍用……?」

国崎が呟いたのと、ほぼ同時。
雲一つない天空から、銀の迅雷が落ちた。


***

18十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:16:15 ID:Gdz35eDw0
 
立ち込めた血色の霧を切り払うように刃が閃いた。
不可視の力に覆われた薙刀を振るって山肌に這い蹲るような巨人の腕を抉った郁未が、
零れ落ちる血と肉塊には眼もくれず飛び退く。
間髪入れずに落ちてきたのは天を覆うような影。
人の背丈を遥かに越すような掌が凄まじい勢いで叩きつけられ、自らの肉であったものを磨り潰して砂礫と和える。
拳ほどもある石が砂埃のように舞い散るのを躱しながら、郁未が叫ぶ。

「―――キリがないわ! 時間は!?」
「残り、おおよそ三十分。……二秒で一人分を削り落としていけばおそらく間に合います」

訥々と答えたのは鹿沼葉子。
リーチの短い鉈を振る彼女は巨人の振り下ろされる手指を狙って一撃離脱を繰り返している。

「無茶ぶりすぎない、それ?」

抉った巨人の傷口に新たな肉が盛り上がるのを横目に見ながら郁未が呆れたように言う。
まるで実感はできないが、こうしてダメージを蓄積させていく度に巨人を構成する砧夕霧の数は減っていく。
損耗の末、巨人もいつかは倒れるだろう。―――いつかは。
さしあたっての問題は、それが正午より早いか否かという、ただ一点だった。

「やれるでしょう」

それだけを残して駆け出した葉子の刃が大地を陥没させた巨人の指を薙ぎ、その一本を切り落とす。
痛みを感じることもないのか、巨人の指の欠けた手が葉子を目掛けて振るわれる。
小蝿を払うような仕草を葉子は正面から睨みつけ、しかし回避に移らない。
逆に見上げるような掌に向けて駆け出すと、圧倒的な質量が小さな身体を薙ぎ払うその直前で跳躍。
照り付ける白い陽射しの下、血に濡れてごわつく長い金髪が流れた。
空中でトンボを決め、垂直落下を始めるその手の先には不可視の力に覆われた鉈がある。
分厚い刃が肉に食い込む硬い手応えを、葉子は重力の力を借りて無視。
引き斬るように振り下ろせば、傷口は巨人の手の甲を横断するように広がる。

19十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:16:49 ID:Gdz35eDw0
「そりゃ―――」

着地した葉子と入れ替わるように疾る影は郁未である。
葉子が無言で差し出す鉈の背に足をかけると、郁未ごと持ち上げるように鉈が振り上げられる。
カタパルトを得て加速した郁未の身体が、一気に十数メートルの高みへと跳ねた。
放物線を描いて跳ぶその頂点で郁未が静止するのとほぼ同時。
周囲の大地が、真紅に染まった。巨人の手から凄まじい勢いで鮮血が噴き出している。
その甲に付けられた傷は十文字。
葉子の与えた傷と交差するような直線は、宙へと跳ね上がる郁未の薙刀によるものだった。
鮮血と共にぼとぼとと落ちる人体の欠片、腕や脚や腹や顔を見下ろしながら、郁未の眼差しが鋭く光る。
直後、天空に足場でもあるかのように真下へと加速。
薙刀の先端を頂点とした弾丸が穿つのは血を噴き出す巨人の手、その接合部。
あり得ないほどに巨大な手首の、悪い冗談のような質量を誇る関節が、爆ぜるように砕けた。

「―――やるけどさっ!」

巨人の手首を穿ち貫いてなお留まらぬ刺突の余波が大地の岩盤を削り、陥没させる。
引き抜いて振り回せば周囲に残る肉が抉れ、手首に空いた穴が拡がっていく。
軟骨が削られ、筋繊維が断裂し、神経の束がまとめて引き千切られ、動脈が切断された。
と、刃が小骨を噛み込んで止まる。
舌打ちした郁未の眼前、桃色の筋繊維が作る壁が、縦一文字に断ち割られた。

「……なら、口より手を動かしてください」

軽く溜息をつくような表情の葉子が、残った肉と皮膚とを切り裂いた向こうから顔を覗かせている。
刃の食い込んだ骨を蹴りつけて強引に薙刀を抜いた郁未が肩をすくめる。

「この度はご期待に添えませんで……」

口の中で呟きながら振り向く。
視線の先には肉の壁。
半ば千切れかけた巨人の手と腕とを繋ぐ、最後の要素であった。
自らの背丈ほどもあるその肉の壁を目掛けて、郁未の薙刀が走った。
地を摺るような軌道から、眼前で一気に真上へと駆け抜ける切り上げ。
閉ざされた扉が左右に開くように、桃色の壁が濡れた音と共に斬り割られる。

「……どうもすみませんでした、っと」

20十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:17:07 ID:Gdz35eDw0
肩越しに葉子を見た郁未が、口の端を上げて笑う。
蒼穹に座す日輪に照らされ、てらてらと光るその全身は、血風呂に浸かったような
赤の一色に染め上げられている。
傍らでは身体から完全に切り離された巨人の片手が、端の方から崩れていく。
崩れた肉が、骨が、虚ろな瞳の少女たちへと変わっていくのに鼻を鳴らして刃を振り上げた郁未が、

「―――ッ!?」

飛び退いた。
刹那、大地を閃光が包み込む。
岩盤が、一瞬にしてぐずぐずと煮え滾った。
その上にいた少女たち、虚ろな瞳の、巨人と同じ顔をした少女たちが、灼熱に晒されて、焼けた。
ぶつぶつと粟立った皮膚が弾け、漏れ出した血とリンパ液とが端から蒸発する。
眼球が真っ白に茹で上がり、爪が熱で捻じ曲がった。
酸素を求めたものか半開きになった口の中で、水分を失った舌が枯れ枝のように縮こまっている。
めくれ上がった唇が、剥き出しになった歯茎が、燃え上がる。
炎は脂を伝うように全身へと広がり、少女の肉を炭化させていく。
そのすべてが、一瞬だった。
光が収まったとき、そこに残ったのは、数十にも及ぶ焼け崩れた黒い塊と、立ち込める猛烈な悪臭だけであった。

「……デカいのは伊達じゃないってわけ」
「放射半径も格段に広がっています。回避もこれまでほど容易ではありませんね」

辛うじて閃光から逃れた郁未が呟くのに、いつの間にか傍らに立っていた葉子が応じる。
陽炎の立ち昇る岩盤に滴り落ちて湯気を立てる汗は暑さの故か、それ以外の何かによるものか。
気を取り直すように息をついて髪をかき上げた郁未が、仰ぎ見るようにして巨人を睨む。
その人体を模した身体の中で唯一の特異点、異様なまでの面積を誇示する額が、淡く輝いている。
太陽光を反射し集積し収束して射出する、光学兵器・砧夕霧の本来唯一にして最大の武器。
着弾の一瞬で周囲を焼き尽くした閃光の、それが正体であった。

21十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:17:28 ID:Gdz35eDw0
「けど……コツは変わらないでしょ。今度は反射させる仲間もいないしね」
「……もう一発、来ます」

見上げれば巨人の額に宿る光が煌々とその輝きを増していく。
地上に生まれたもう一つの太陽ともいうべき光。
ぎょろりと剥いた眼が影を捉えるよりも早く、郁未と葉子はその場から駆け出している。
時折方向を変えつつ己が周囲を回り込むように走る二人の影を追いかね、巨人が戸惑ったように首を回す。

「要は……正面に立たなきゃいいってことでしょ!」

数百の夕霧を葬ってきた、それが郁未の結論である。
いかな灼熱の地獄を作り出す閃光であろうと、光は物理法則に従って空間を直進する。
ならば発射口である額の向く方を見極め、その正面への遷移を避ければいい。
そうすれば、

「―――いけない、郁未さん!」
「な……っ!?」

小山ほどもある巨人の脇を走り抜けようとした瞬間だった。
郁未の駆ける、その前上方。
ある筈のない位置に、巨大な光源があった。
手にした薙刀を大地へと叩きつけたのは、半ば本能である。
びき、と鳴ったのは瞬間的に筋肉と血管の限界を超えて刃を岩盤に突き立てた両腕か、
それを支点として強引に進行方向を捻じ曲げた脚が慣性を無視した代償か。
痛覚を遮断して弾丸の如く真横、右へと跳んだ郁未の視界が、白く染まる。

「―――ッ!」

一杯に身を縮めた、その靴先が黒煙を噴いて炎上した。
刺すような激痛を無視しきれずに表情を歪めた郁未の身体が、大地に落ちる。
咄嗟に受身を取った腕の皮膚が小石を噛んで裂け、生まれた傷口に砂が食い込む。
蒼穹と岩盤とが交互に巡る視界の中、捩れた筋肉が悲鳴を上げ、軋む骨に衝撃が響く。
一転、関節を庇いながら勢いを殺し、二転、重心の移動でタイミングを計る。
三転、いまだ炎の燻る靴が地面を噛み、四転、両手両足で大地を突き放すように。
天沢郁未がようやくにして、跳ね起きた。

22十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:18:04 ID:Gdz35eDw0
「やって、くれんじゃないの……!」

乱暴に足を振って穴の空いた靴を放り捨てた郁未が、爛々と光る眼で巨人を睨みつけながら喉を鳴らす。
肉食獣が怒りを抑えきれずに漏らすような、暴力に満ちた声。
破り捨てるように脱いだ靴下も背後に放り投げる。
裸足になった足先は火に炙られて、ぐずぐずとリンパ液を染み出させながら膨れている。

「郁未さん……!」
「ぶっ殺すッ!」

離れた場所から響く葉子の声への返事代わりに、それだけを叫んで駆け出す。
端的な殺意の表明はしかし、郁未の短絡を意味するものではない。
走り出したのは第二波の標的となることを避けるためである。
その頭脳にあるのは沸騰するような殺意と同居する、氷の如き冷徹な分析。
教団崩壊後にも幾多の危機を迎えた天沢郁未をして、それが死線を潜り抜けさせてきた要因だった。
先刻の砲撃。
額に正対することを避け、脇から回り込む動きを取った郁未の、その正面から光が来た。
巨人が如何に常識外の存在であれ、その体型が人を模している以上はあり得ないはずの位置からだ。
その不可解の正体を、しかし郁未はその目でしっかりと見極めている。
巨人の反対側から見ていた葉子も、当然理解しているはずだった。

「お洒落に気を遣うお年頃ってわけ……?
 だからって普通は手にコンパクトなんて縫い付けないけどね……!」

冗談めかした呟きを聞く者はいない。
その表情にも一切の笑みはなかった。
脳裏に浮かぶのは砲撃の瞬間。
視界が白く染まる刹那、そこにあったのは巨人に残された片手、その開かれた掌であった。
人間のように掌紋すら刻まれていたはずのそれが一瞬にして変化するのを、郁未は見た。
肌色と桃色と血管の青で構成された皮膚から、透き通るような硬質の硝子様の物質へ。
それは正しく反射鏡だった。
閃光の生み出す膨大な熱に耐え、それを任意の方向へと射出するための部位。
巨大な裸身の少女が、単に膨大な質量を誇る人間などではなく、人を模した兵器であることの証左。

23十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:18:17 ID:Gdz35eDw0
「迂闊には近づけなくなった、か……!」

巨人のリーチは片腕で十メートルにも達しようかという長さである。
片方の掌が一時的に喪われているとはいえ、再生までに要する時間は極めて短い。
そこからも反射鏡が出せる、あるいは掌でなくとも出てくるとすれば、その死角は事実上存在しない。
立ち止まることなく走りながら、郁未が舌打ちする。
岩場を噛む裸足の傷口はじくじくと痛い。
時間は文字通りの寸刻を争う。
戦況を膠着させれば、待つのは敗北の二文字だった。

ちらりと見れば、走る葉子が確認できる。
そこにもう一人いる誰かのことを、郁未は認識しながら意識しない。
当面の敵でない以上、それは郁未にとって自走する熱源という認識でしかない。

敵と、敵の敵と、相棒と。
それだけが天沢郁未の世界だった。
敵の敵でしかないその軍服の男の行動の一切を、郁未は無視している。

だから、その白銀の迅雷も、郁未にとっては文字通りの青天に落ちる霹靂でしかなかった。


***

24十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:18:39 ID:Gdz35eDw0
 
吹きつける強い風を、坂神蝉丸は正面から受け止める。
血煙が靡く銀髪を薄く染め、妖しくも艶めいた色合いを醸し出していた。

手の一刀からひと滴、粘り気のある血が垂れ落ちる。
新たな滴を呑み込んだ血だまりに波紋は生まれない。
波紋を生んだのは、蝉丸の軍靴だった。

足の裏で糸を引くような感触。
踏みしだく赤い沼に、少年はいるだろうかと、蝉丸は思う。
少年の流した血は、少女たちのそれと融け合ってこの足元まで届いているだろうか。
そんなことを思いながら、敗残の兵は歩を踏み出す。

ゆらりゆらりと静かに歩んでいたような蝉丸は、いつの間にか巨人の間近に迫っている。
一瞬の後、その影は山肌に四つん這いで圧し掛かるような巨人の胸の下へと潜り込んでいた。
無造作に振るわれた銀の刃が切り裂いたのは、裸身を晒す巨人の乳房。
その先端、両手に抱えるほどの桃色の、女の証を無感情に断ち割った蝉丸が、鋭い呼気と共にもう一閃。
二つに割れたそれが乳腺ごと切り取られ、大地に落ちて少女に変じた。
眼もくれず返した刀は抉られた巨人の乳房の、即座に再生を始めるその粟立つ肉を断ち穿つ。
ぼたぼたと垂れる血と肉とその素となった少女たちを映すその瞳は何の感情も浮かべていない。

振るわれる刃に想いはない。
繰り広げられる死の輪舞に心はない。
荒涼たる山肌を吹き血霧を払う風の如く、その太刀筋は乾いていた。
常ならぬその剣は坂神蝉丸という男をよく知る者が見れば眉を顰めるような光景であったか。
或いはそれこそがこの男の本質であったかと膝を叩き、深く得心するやもしれぬ。
いずれ誰一人見つめる者とてなき戦場で、無感情に死を撒き散らす蝉丸に届く言葉など、
ありはしなかった。

25十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:19:02 ID:Gdz35eDw0
恐るべき速さで見舞われる剣風に、巨人の乳房が抉れていく。
再生をも許さぬその凄まじい斬撃の嵐に、堪らず動いたのは巨人であった。
山肌にしがみ付くようにしていた姿勢から、咆哮を上げながら身を起こす。
数百トンにも及ぶ膨大な質量を支えるべく大地に叩きつけられた掌が地響きを起こし、
山頂全域を揺るがした。
一瞬だけ天を仰いだ巨人が、怒りとも苦痛ともつかぬ咆哮と共に、その身を落とす。
山頂のすべてを覆い隠すような圧倒的な影。
回避不可能な面積の中、蝉丸を押し潰そうという動きだった。
果たして見上げた蝉丸の眉が曇る。
その瞳に日輪は映らない。
病的に白い肌が無限の天蓋となって蝉丸の視界を包んでいた。

天の落ちるような光景が、しかしそのとき、ぐらりと揺れた。
それが天沢郁未と鹿沼葉子によって巨人の片手が切り落とされた衝撃であると、
蝉丸には知る由もない。
が、一際強く雷鳴の如く響き渡った咆哮の中、蝉丸は既に駆け出している。
力強く岩肌を噛む軍靴が、一瞬という単位を更に細分して蝉丸の身体を運んでいく。
山頂全域を磨り潰すように巨体が落ちるのと、枯草色の軍服がその影の下から身を躍らせるのは
ほぼ同時であった。

直後、周囲が白く染まったのは郁未たちへと放たれた二発の閃光によるものである。
巨体の落下した衝撃で人の頭ほどもある岩礫が小石のように乱舞する中、身を伏せた
蝉丸の身体の下で岩盤が熱を持つ。
灼熱の地獄を想起させる熱量の余波であった。
礫の幾つかが背を打ったのを気にした風もなく、蝉丸がゆらりと立ち上がる。
周囲に立ち込める陽炎の中でゆらゆらと煌く一刀を手に、その表情には虚無を貼りつけて、
敗残兵が立ち上がる。
既に進むべき道もなく、掲げるべき旗もなく、しかし斬の意志を以て戦場を往く、その姿は修羅。

再開される疾駆。
その足取りに迷いはない。
迷うべき想いすら、今の蝉丸には存在していなかった。
眼前に聳え立ち塞がる甚大な敵をただ貫かんと踏み出されたその脚が。
しかし、二歩、三歩目で、止まった。

26十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:19:21 ID:Gdz35eDw0
がくり、と。
その膝が落ちる。
眉根を寄せ、大地に手をついて小さく呻いた蝉丸の口元から垂れ落ちたのは、鮮血の赤。
ぽたぽたと垂れ、岩盤にこびりついた少女たちのそれと混ざって地面を汚す己が喀血を、蝉丸は見た。
次いで走ったのは、苦痛ではなく熱。
乾いた瞳が肩越しに見たその背に、ざっくりと刺さるものが、あった。
鋭く尖った、岩礫の欠片。
思い返すまでもない。
先の巨体が地面に落ちた際、爆風の如き衝撃に舞い飛んだ内の一本だった。

噴き出す脂汗に滑る一刀を強く握り直す。
空いた手を背に回し、深々と突き刺さった岩礫に手をかける。
僅かに身を捻るだけで痙攣を始める全身の筋肉からの痛覚信号を、精神力だけで無視。
一気に引き抜こうと力を込めた蝉丸はしかし、唯一つの事実を悟っていた。

即ち―――間に合わぬ。
巨人の腕が、高層建築を横倒しにしたような膨大な質量が、振り上げられているのを
蝉丸の視界は捉えている。

背の傷は致命傷ではない。
常人であれば絶命を免れ得ぬ臓腑への深手にも、仙命樹の力は宿主の命を繋ぎ止める。
礫を抜き取って数刻を堪えれば、傷痕など影も形もなくなっているだろう。
が、数刻どころか寸秒をすら、今の蝉丸には与えられない。
そしてまた、来栖川綾香によって負わされた右の足を裂いた傷と、背に空いた大穴と、
その両方へと分散した治癒の力が、蝉丸の膝を落として動くことを許さない。

間に合わぬ。
それが、坂神蝉丸の結論であった。
迫り来る死を静かに見つめる瞳に、色はなかった。


―――迅雷が、落ちた。


***

27十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:19:59 ID:Gdz35eDw0
 
それは白銀の閃光。
それは一陣の鉄槌。
雲一つない天空から降り来る、それは神雷。

その一瞬、音が消えた。
吹き荒ぶ風すらもが、平伏するようにやんでいた。
耳が痛くなるような静寂の刹那に放たれた、それはただの一閃である。
ただの一閃が、天空より大地を薙いだ。
それだけの、ことだった。

時の止まったような神塚山の山頂に、最初に戻ってきた音は、咆哮である。
否、それは明確な悲鳴、或いは絶叫と呼び習わされるべき大音声。
次いで風が、己が役割を思い出したかのように再び大気を押し流し始める。
僅かに遅れて響いたのは、地鳴りの如き轟音だった。
何か、巨大な質量が大地へと激突したような凄まじい地響きと土煙が周辺を満たす。
そんな、雑多な音の中心で、

「―――鈍ったか、坂神」

凛とした涼やかな声が、雑音の群れを切り裂くように、蝉丸の耳朶を打った。
白銀の長髪が、風を孕んで靡く。
優美とすら見える手に提げるのは、端麗な刃紋を血脂に汚した、一振りの刀。

「木偶人形の如きを相手に後れを取るとは、鳳凰が泣いている」

大地に落ち、なお陸に打ち上げられた魚のようにびくびくと震える小山のような腕を背に、
眉筋一つ動かさずに言い放った男を、光岡悟という。
銀の迅雷と見紛う一閃で巨人の腕を切り落とした男の、それが名であった。

28十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:20:33 ID:Gdz35eDw0
「―――」

片膝をついて白銀の長髪を見上げる蝉丸に、言葉はない。
無言のまま視線を見交わし、一つ頷くと、

「……ッ!」

一気に、背に突き刺さった岩礫を引き抜く。
からりと小さな音、そして降り始めの雨が地面を叩くような、ぱたぱたという音が続いた。

「観測班からの報告だ、坂神」

噴き出す蝉丸の血が編み上げの軍靴を汚すのにも顔色すら変えず、光岡が淡々と告げる。
歯を食い縛った隙間から荒い息を漏らす蝉丸が、しかしその冷ややかな光岡の態度に怒りを覚えた様子もなく、
びっしりと脂汗を浮かべたままの表情で先を促すように頷く。

「逆賊、長瀬源五郎は奪取した砧夕霧の中枢体と自らを有機的に結合し、その意思共有機能を媒介に
 無数の融合体を操作するものと予測される。従って、万が一そのような事態が発生した場合は―――」
「……中枢体を引き剥がしさえすれば、自壊する」

ぐい、と袖口で汗を拭った蝉丸が、光岡の言葉を継ぐように呟いて立ち上がった。
その背から噴水のように流れ出していたはずの血は、既に止まっている。
大穴が開いていた傷口にはぐずぐずとケロイド状に膨れ上がった桃色の肉が顔を覗かせていた。

「理解したのであれば急ぐことだな。そう時間が残されているわけでもあるまい」
「……貴様に助勢されるとは、南方の戦線を思い出すな」

愛刀にこびり付いた血をズボンの裾で拭いながら呟いた蝉丸の一言に、それまで氷のような
無表情を保っていた光岡の顔が、初めて動いた。
苦虫を噛み潰したような、露骨に嫌悪感を押し出した表情。

「助勢だと? ……勘違いするな坂神。俺はただ閣下の命で貴様に報告を伝えに来ただけだ」
「ほう」

しかし応じる蝉丸の声はどこか楽しげですらあった。
実際、口の端が小さく上がっている。

29十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:20:52 ID:Gdz35eDw0
「それでは、どうやって帰還するつもりか訊いても構わんか」
「無論、迎えの船を待つまでだ。……あの木偶人形と逆賊を始末してからな」

そんな蝉丸の様子にますます表情を険しくする光岡。
苦笑気味に笑みを深める蝉丸。
張り詰めていた戦場の空気は一変していた。

「それを助勢と言うのだろうが。まあいい、好きにするさ」
「戯言はそこまでだ。行くぞ坂神、遅れるな!」

道場稽古で汗を流すような気軽さと、眼前に立つすべてを断ち斬る苛烈さと、
その両方を備えて二筋の血風が駆ける。
無論それは往くべき道を喪った坂神蝉丸の、懐古という名の逃避である。
しかしその瞳に宿る光は、生という色を湛えて輝いている。
その輝きが、少女と少年の血を吸った大地を踏み拉く、蝉丸の歩を支えていた。


***

30十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:21:15 ID:Gdz35eDw0
 
「恐れながら閣下、宜しかったのですか」

狭い室内に反響する声に、色眼鏡をかけた男が顔を上げる。
九品仏大志。沖木島に繰り広げられる地獄絵図を統括する、三人目の男である。
そして同時に政権の転覆に成功し、現在のところ国家の中枢を握った男でもあった。

「同志光岡の件かね? 構わんさ、彼がああまで言うのは珍しい」

沖木島の東海上に浮かぶヘリ空母『あきひで』。
長瀬源五郎によって破壊されたコントロールルームの代替として用意されているサブルームの
利きの悪い空調に顔を顰めながら、大志が答える。

「しかし、閣下が軍務違反を不問に付すと仰られた途端に飛び出していくとは……」
「それは吾輩にも少々想定の外だったがな」
「同門は見捨てておけぬ、と」
「素直でない男だがね、まったく不器用なことだ」

苦笑した大志の背後で、扉の開閉する小さな音がした。
傍らに立つ男が振り返り、問う。

「何か」
「永田町からの報告であります」
「読め」

促され、直立不動のまま報告書を読み上げる兵の声が響く。
しかし報告が進むにつれ、緩みかけていた室内の雰囲気が一変する。
即ち、奇妙な報告による困惑。
そして、事態の切迫を把握すると同時に、緊張へ。

「これは……犬飼め、なんて置土産を……!」
「しかし、それでは……!」
「確認を急げ!」
「各方面へのラインは常に維持しておけ、絶対に切るな!」

俄かにざわめき始めた室内に、ひとり座して呟く男がいる。
言わずと知れた九品仏大志、その人である。

「光岡、貴様を行かせたのは望外の僥倖だったかも知れん……」

一瞬だけ瞑目し、再び開かれたその目には燃えるような意志の炎が揺らめいていた。
かっちりと緩めることなく釦を留めた軍装に衣擦れの音を響かせて、大志が立つ。
急変する事態の収拾こそが、九品仏大志の本領であった。

―――攻撃衛星・天照の起動。
抑止力としてのみ存在していたはずのそれが、何者かの手によってコントロール不能に陥っている。
報告が確かであれば、待ち受けるのは前触れなき虐殺と泥沼の報復戦争。
国家の、否、世界の終焉を告げる鐘が鳴らされようとしていた。

31十一時三十分/鳳麟、影と咲き誇れ:2008/08/21(木) 17:22:03 ID:Gdz35eDw0
 
【時間:2日目 AM11:32】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(5824体相当、片腕再生中、片手再生中)】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:右足裂傷、背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:異常なし】


【場所:G−6 鷹野神社】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】
長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】


【場所:ヘリ空母「あきひで」内サブコントロールルーム】

九品仏大志
【状態:異常なし】

→916 926 1001 ルートD-5

32スク水ロワイアル:2008/08/30(土) 06:00:04 ID:8r3oNeVw0
ぴちゃんと。
冷たい液体が、目を閉じたままである名倉由依の頬を弾いた。
想像していなかった感覚に驚き、由依は閉ざしていた意識を覚醒させる。

「悪いわね、お湯は出ないみたいなの。少し冷たいけど、我慢して」

抑揚があまり含まれていない少女の声は、由依の頭上から降ってきた。
気を取り戻したというものの、疲労の極みに達していた由依はそのだるさが全面に出ているようで、かけられた言葉に対してもぼーっとしたまま反応を返さない。
なすがままの由依に、抵抗の色は見られなかった。
半分程開けられた由依の瞳、虚ろな視界には由依と同じようなボブカットの先端が映っている。
その面影に、由依は全くの見覚えがなかった。

シャワーヘッドを片手に由依の体を丁寧に清めているのは、由依をここまで連れて来た人物でもある太田香奈子だった。
鎌石村小中学校に辿り着いた香奈子は、一端同行していた氷上シュンと離れここ、小中学校の設備として存在していたプールに由依を抱えやってきた。
離れたと言っても、シュンは建物の入り口付近で二人を待っているだけである。
何かあればシュンが駆けつけてきてくれる、そう思うだけで香奈子は安心して作業に集中できただろう。
気を失っている状態の由依の尋常ではない姿、まずこれをどうにかしなければ先に進むのは難しいだろうというのが香奈子等の出した見解である。
清潔にしていなければ、後々病的な意味で問題が起こるかもしれないという不安にシュンは静香に顔をしかめた。
そんな心の底から由依の身を心配しているシュンに対し、香奈子はそこまでストレートに真摯な思いを抱いている訳ではない。
まだ複雑な心境を脱していない香奈子の、由依を見つめる表情は厳しかった。

香奈子の心情など知る由もない由依は、ただ肌を流れていく水の冷たさに肩を小さく震わせるだけである。
呑気なものだと。香奈子は、緊張感の無い由依の様子に小さな溜息を一つついた。
しかし真水を直接かけ続けているというこの状況、恐らく弱っている由依の体には良い影響を与えないだろう。
温水が配給されない施設故仕方ないことだが、これで風邪でも引かれたらかなわないと香奈子はまた一つ溜息を漏らした。

(着替えも、どうしようもないのよね)

33スク水ロワイアル:2008/08/30(土) 06:00:35 ID:8r3oNeVw0
由依の着用していた制服は、裂かれた上に粘つく液体がコーティングされ異臭を放ち続けている。
着替えを用意できない以上それを着させるしかないのだが、このような状態の物にもう一度袖を通させるのはあまりにも酷だろう。
だからと言って、こんな場所に気の利いた衣服が存在する訳でもない。
香奈子も、自分が着用していた制服を差しだそうとするほどお人好しではない。
今は由依の身を洗うべく纏っていた制服を脱いで下着姿になっている香奈子だが、勿論作業が終わればきちんと自分の制服を着直すつもりだった。

ただこのシャワールームに続いていた更衣室にて、香奈子はあるアイテムを容易く入手することができていた。
タオルである。今、由依の体を磨くのに香奈子が使用しているタオルは、脱衣籠の中に無造作に放られていた。
それがどのような意図で籠の中に入っていたのか、香奈子が知る余地も無い。
他の参加者が置いていった可能性というのもあるだろう、埃臭いこの施設に対しタオルに古臭さというものは特に感じられなかった。
もしかしたら、もっとよく探せば他にも何か役立ちそうな物が見つかる可能性はあるかもしれない。
そのためには、とりあえず目の前の作業を終える必要がある。
軽く頭を横に振り、香奈子は再び由依の体を流す行為に集中した。

様々な色の痣が浮かび上がっている由依の肌は、香奈子の手によりゆっくりと清潔さを取り戻していっている。
べたつく体から汚れが落とされていく感覚がリアルに伝わり、由依はその心地よさに思わず恍惚の表情を浮かべた。

(気持ちいいなー、ずっとこのままでいたい……って、えぇ?!)

さっぱりとしていく感覚の中で、その時猛烈な違和感が由依の脳裏を駆け抜けていく。
由依にとって思ってもみなかった場所に、触れるものがあったのである。
ぎょっとしたことでぼやけていた思考がクリアになった由依は、すぐ様違和感の出所を目視しようと半身を起こした。

「な、ど、どこ触って…てっ」

そこで由依は今自分が全裸に剥かれているという事実をはっきり認識することになるのだが、それよりもまず対処すべき事というのが今彼女の目の前にある。
大事な、最も恥ずかしい場所であるはずの由依の秘所に、潜り込んでいるものがあった。
香奈子の右手である。タオルを片手に、香奈子は由依の秘所の洗浄に取り掛かっていた。
タオルごしとは言え、そんな場所をいきなり直撫でされた由依としてはたまったものでない。
無言で手を引いていく香奈子をびくびくしながら見つめる由依、すかさず足を閉じ由依は香奈子から身を隠すよう小さくなった。

34スク水ロワイアル:2008/08/30(土) 06:01:05 ID:8r3oNeVw0
急に反応が過敏になった由依に対し香奈子も一瞬目を見開くが、彼女が落ち着いた様子を取り戻すのにそう時間はかからない。
いきなり警戒しを剥きだしにしてきた由依を気にすることもなく、香奈子は手にしていたタオルをすっと差し出した。

「自分でやるなら、それでいいけど。ちゃんと綺麗にした方がいいわよ」
「え?」
「……」

香奈子の言葉に由依が固まる。
そこでやっと、由依は自分の身に起きたことを思い出した。

―― 振る舞われたのは、抗うことの出来ない圧倒的な暴力。

晒された時間など分かるはずもない。

―― 断続的な痛みと、耳を離れない下卑た笑い。

いつしか由依は、「思考する」という行為を取らなくなった。
その、現実から逃げるために。

さーっと血の気が引いていき、水を浴びたことで色を失い欠けていた由依の顔色はますます蒼白になっていく。
そのままいきなり荒々しく歯を上下に奏でだす由依の様子に、香奈子はまたため息をつく。

「不潔なままにしておく訳にはいかないでしょ」
「あ、あ……わ、わた、私……」
「いいから」

そう言って香奈子は、強引に無理矢理タオルを由依の手に握らせた。
そしてまだ水が流れ続けているシャワーヘッドを床に放置し、香奈子はシャワールームから脱衣所に続く扉へと一人手をかける。
事情を聞いたり慰めたりする気が、香奈子には毛頭ないのかもしれない。
混乱する由依を面倒に感じた香奈子は、彼女が落ち着くまで更衣室の探索でも行うつもりだった。

35スク水ロワイアル:2008/08/30(土) 06:01:25 ID:8r3oNeVw0




香奈子がそれを見つけたのは、探索を始めてからすぐのことである。
更衣室の中を漁る香奈子の目に止まったのは、不自然な形で詰まれた布のようなものだった。

「……?」

更衣室の入り口からは影になって見えなかった脱衣籠の中から、紺色の山が覗いている。
おもむろに近づき、香奈子は山の一番上に積まれていたそれを手に取った。
しなやかな肌触り。独特の弾力性と広げてみることで分かるその見た目は、どこにでもある普通の水着である。
俗に言う、スクール水着だ。特に変哲な所もない。
胸元の所に貼り付けられた「朝霧」という名札から、それが朝霧という名字の少女のものであることが窺える。

朝霧という名字は、どちらかというと珍しい部類に入るだろう。
香奈子の知人にはいないはずだが、しかし何故か香奈子の脳裏を掠める記憶が警告を出している。
「朝霧」という名字を持つ人物を、香奈子は知っているだずだった。
いや。「朝霧」という名字を、香奈子は極最近目か耳にしたはずである。

と、香奈子はその「朝霧」という名字が貼られた水着が本当は山の一番上ではなかった事実に気づく。
籠の横、滑り落ちるように一着の水着が皺を作っていた。
どうやら高く積まれていたため、ずり落ちてしまったらしい。
一端「朝霧」の水着を脇に置き、香奈子はくしゃっとなっている水着に手を伸ばした。
新品独特の生地の伸びが感じられない水着、デザイン自体は「朝霧」の少女のものと同じだろう。

そして、胸元に貼り付けられている名字。
今度のそれは、香奈子にとって最も近しい人物のものだった。

「……何、これ」

36スク水ロワイアル:2008/08/30(土) 06:02:06 ID:8r3oNeVw0
藍原。
香奈子の中で、「藍原」という名字を持つ人物はただ一人しか当てはまらない。
また藍原、朝霧、その下に続く「天沢」という名札が目に入った瞬間、香奈子はこの法則性を瞬時に理解した。
慌てて水着の山を崩しだす香奈子、よく見るとデザインは同じであるがサイズはバラバラである水着の中から香奈子はある名札をつけられているものを探そうとする。
一枚一枚名札を確認しながらどんどん床に水着を落としていく香奈子の額に、汗が浮かぶ。
あいうえお順という法則性故、香奈子が目的のものを発見するのにそう時間はかからない。
そして、見つけたそれを手に香奈子は呆然となりながらも、心の底からであろう嫌悪を表す言葉を呟いた。

「……気持ち、悪い」

太田。
今香奈子の手の中にある水着につけられている名札が、それだった。
どこにでもある、それこそ「朝霧」に比べたら極平凡な名字だ。
香奈子のことを指している訳ではないかもしれないが、不安が去ることは無い。
駆け巡る不快感に煽られるよう、香奈子は自分のデイバッグを引き寄せそこから参加者名簿を取り出した。
そして、想像通りの現実に唖然となる。

「朝霧」という名字に見覚えがあったということの理由。
「朝霧」の前が、「藍原」であったということの理由。

山の高さからすれば、この薄物達が名簿に載っている女性の人数分用意されているかもしれないという憶測は容易く立つ。
人数分用意されたかもしれないこのスクール水着が、一体何を指しているというのか。
香奈子が分かるはずもなかった。

37スク水ロワイアル:2008/08/30(土) 06:02:37 ID:8r3oNeVw0
氷上シュン
【時間:2日目午前7時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:ドラグノフ(残弾10/10)、救急箱、ロープ、他支給品一式】
【状態:香奈子と由依を待っている。祐一、秋子、貴明の探し人を探す】

太田香奈子
【時間:2日目午前7時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:H&K SMG Ⅱ(残弾30/30)、予備カートリッジ(30発入り)×5、懐中電灯、他支給品一式】
【状態:呆然】

名倉由依
【時間:2日目午前7時半】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【所持品:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、破けた由依の制服、他支給品一式、ボロボロになった鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)】
【状態:呆然、全身切り傷と陵辱のあとがある】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】

(関連・966)(B−4ルート)

チャットですが、自分は参加できないかもしれないのでログを残していただけるとありがたいです・・・

38十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:27:06 ID:1PXLw4M.0

血煙を払うような風が吹く。
靡く髪と手の刃を銀と閃かせ駆ける、それは人を捨て人を超えた、風である。

「―――中枢体がどこに潜んでいるのか、分かっているのか」

既に再生を始めた、ぼこぼこと粟立つように蠢く巨人の腕を睨みながら光岡悟が問う。

「長瀬は賢しらだが、臆病な男だ」

駆けながら答えた坂神蝉丸が踏みしめる右の足からはぐずぐずと濡れた音がする。
軍靴の革に染み出した鮮血は、未だに止まっていなかった。

「そんな男が、切り札を手の届かぬところに置くはずもない。
 ならば―――最も守るに易く、攻めるに難い場所に篭っているだろうさ」

しかしその声は傷の痛みを感じさせない。
見上げる先には、巨人の影。
力の込められた視線が射抜いていたのはその一点である。
一糸纏わぬ裸体、蝉丸自身が抉った乳房の更に上。
痛みと怒りに震える白い喉笛が、そこにあった。

「……ふん」

鼻を鳴らした光岡がそれ以上何も口にしないところをみれば、蝉丸にも自身の回答が
的外れでなかったことが判る。

「しかし……言うは易し、か」

口の中で呟いた蝉丸が、改めて巨人を見上げる。
片腕を喪い、咆哮を上げる巨躯が身を起こそうとしていた。
山頂の狭い尾根を埋めるように膝立ちになったその巨躯は、見上げなければ
その全身像を視界に入れることすら叶わない。
目指す喉笛は、実に二十数メートルの高みにあった。

「辿り着くより他に、道は無いと知れ」

光岡の怜悧な声。
戦が、再開される。


***

39十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:27:34 ID:1PXLw4M.0
 
「何が起こったッ!?」

天沢郁未が叫ぶ。
眼前で濛々と土煙を上げているのは樹齢千年の大樹もかくやという巨大な質量。
びくびくと蠢く、巨人の腕である。

「……もう少しくらい周りを見ないと、長生きできませんよ」
「鉄火場だ! 余所見してらんないでしょ!」

遠くから響く声に怒鳴り返し、眼前を睨む。
地に落ちた巨大な腕がもぞもぞと粟立ち、見る間に無数の塊に分かれていく。
塊の一つ一つは、人の形をしている。
それは砧夕霧の群体から成る巨人が、その構成要素を再構築しようとしている様であったが、
郁未にそれを理解する術はない。
ただびっしりと植えつけられた卵から蟲の仔が孵るようなおぞましい光景に唾を吐き捨てると、
手にした薙刀を脇に構え、走った。
横薙ぎに振るえば、鉄の塊が人体を破壊する幾つもの感触。
当たるを幸いに、死を撒き散らす。
頭蓋骨の下の脳漿が、肝臓の向こうの脊髄が、爆ぜ砕けて辺りを汚した。
刃に込められていたのは怒りではない。
天沢郁未を突き動かしているのはどろどろとした、抑えがたい嫌悪感である。
人の尊厳というものを貶めるような眼前の光景が、ひどくその胸をざわつかせていた。
人の世から爪弾きにされた女は、だから人を超えた力を振るい、人の成り損ないを、殺していた。
巨人の腕から分かれ、ぼとりと地面に落ちる個体が、その瞬間に胴を両断され、
或いは頸を掻き切られて命を絶たれていく。
噴き出す血が大地に吸い込まれるより早く、新たな血煙が上がっていた。
それは到底、戦闘と呼べるものではない。
嫌悪という感情のみに立脚して人の成り損ないを殺す、それは一切の誇張なく語弊なく、
虐殺であった。

40十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:27:54 ID:1PXLw4M.0
「―――ッ!?」

そんな郁未の凶行を止めたのは、背筋に走った戦慄である。
第六感とでもいうべき感覚に突き飛ばされるように、咄嗟に身を投げる。
一瞬だけ遅れて、郁未の立っていた場所が、震えた。
地響きを立てて落ちたものを巨人の拳と認識し振り返った郁未がしかし、
予想外の光景にほんの僅か、動きを止める。
そこにあったのは砧夕霧の拳ではない。
しかし、巨躯である。それは人を凌駕する大きさの、一匹の獣であった。
白銀に輝く流麗な毛並みに、墨で描かれたような雄々しい漆黒の縞が流れている。
鋭く、乱雑に並んだ牙には鮮血と思しき褐色と黄色がかった粘つく唾液をたっぷりと纏わせ、
その隙間から臓物に響くような低い唸りを上げていた。

「虎……!?」

郁未が戸惑ったように呟く。
現実離れした大きさの白虎は、そればかりでない奇異を抱えていた。
白い毛並みの続いていなければいけないその四肢が、黒く染め抜かれていたのである。
それが体毛の黒であれば、まだ頷けた。
しかし、巨獣の四肢を包んでいたのは美しくも豪壮な毛並みではない。
それはまるでコールタールで固めたような、醜い黒。
ごつごつと角ばった皮膚は細かく罅割れ、ぽろぽろと破片を落としそうにすら見える。
四肢の先端からは爪が伸びている。真紅の、異様に長細い爪だった。
何かを切り裂くという一点にのみ執着した狂気の刀匠が鍛えたような、妖しくも鋭い爪。
巨躯を支えるべくもないそれもまた、獣とはひどく不釣合いだった。
尾のあるはずの場所からは、男の腕ほどもある太さの蛇が、牙を剥いてのたくっている。
総じてそれは、奇怪と呼ぶべき存在であった。

41十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:28:20 ID:1PXLw4M.0
「……ったく、次から次へと……!」

吐き捨てて身構えた郁未を、しかし巨獣の赤い瞳は捉えていない。
眉を顰めた郁未がその視線を追えば、そこに更なる影がある。
勇壮な黄金の鎧を纏った、しかし幽鬼の如き影。
巨獣は、ただその影とのみ対峙しているようだった。
ゆらゆらと巨獣に向かっていく、黄金の影。
そのひどく場違いな光景に気を取られていた郁未が、瞬間、はっとして飛び退る。

「ちぃ……ッ!」

横合いから迸ったのは一筋の閃光。
掠めた袖が炭化して嫌な臭いを上げた。
見回せば幾つもの輝き。
ぎらぎらと額を光らせた夕霧の群れに取り囲まれていることにようやく気付いて、郁未は舌打ちを一つ。
巨人の腕は既に半分方が解体し、素の夕霧の姿に戻っている。
幾筋もの熱線が光の格子と化して迫るのを、郁未は横っ飛びに転がるようにして回避。
低い姿勢のまま地面を削るように刃を薙げば、膝から下を切り落とされた夕霧たちが
ぼたぼたと血を流しながら倒れこむ。
前線の夕霧が倒れるその一箇所で光の格子に穴が空いた、その隙を逃さず郁未が疾走する。
密集した夕霧の群れの中、切り上げれば股から二つに両断された骸が左右に分かれて倒れ伏す。
返す刃は右正面の夕霧の顔面を断ち割り、その勢いのまま並んだ少女の手首を落とした。

「鬱陶しいんだよ、雑魚がッ!」

叫ぶ口に返り血が飛び込むのを唾と共に吐き棄てる。
殺戮のノルマは二秒に一人。
振るった刃が臓物を裂き、足を切断し、頸を斬り頭を貫き通して命を削っていく。
噴き上がる鮮血が精神を高揚させる。
骨ごと肉を断つごりごりとした感触が郁未を忘我の淵へと誘い始める。
悲鳴の代わりに響く血だまりの水音をすら心地よく感じ始めた、そのとき。
郁未の刃が切り開いた道の先に、影が落ちた。
傲、と咆哮を上げるのは白い巨獣。

42十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:28:45 ID:1PXLw4M.0
「またか……っ!」

殺戮のリズムを崩されたことに苛立ちを隠さない郁未の眼前、巨獣が跳ねる。
行く手の夕霧をその重量と鋭い爪で文字通り薙ぎ倒しながら目指すのは、やはり黄金の影。
幾筋かの閃光がその身に浴びせられるが、しかし人体を黒焦げにする熱線にも
巨獣の白い剛毛は僅かに毛先を焦がすのみである。
まるで意に介さず駆ける巨獣の突進に、黄金の影がなす術もなく吹き飛ばされるかに見えた。
しかし、

「な……っ!?」

足を止めず傍らの夕霧を刺し貫いた郁未が目を見張る。
吹き飛んだのは、巨獣である。
物理法則を無視するかのように、大きな弧を描いて巨獣が宙を舞う。
受身を取ることもなく、どう、と大地に落ちた巨獣の下敷きになって何人かの夕霧が磨り潰された。
密集した夕霧の人波が、煽りを受けて将棋倒しに転がっていく。

「邪魔だっての!」

目の前でバランスを崩した夕霧が倒れこんでくるのを薙刀の柄で弾き、空いたスペースを薙いで
幾つもの血煙を上げながら、郁未が毒づく。
立ち上がった巨獣は再び疾走の構え。
迎え撃つ黄金の影もまた、周囲の夕霧には何の関心も払わない。
無人の野に対峙するが如く、一人と一匹は激戦の神塚山に独立した世界を築いている。

「少しは空気読めよっ! イカレてんのか、あいつらっ!」

叫ぶ郁未が、ちらりと辺りに目をやる。
隻腕を振り回しながら特大の閃光を放つ巨人は、しかし郁未たちの方を向いていない。
軍服を纏った銀髪の男たちがその正面に立ち、一歩も退かずに刃を交えているようだった。
と、巨人がぐらりと揺れる。
大地そのものが傾いたかのような錯覚を覚えながら見れば、膝立ちになった巨人の、
その左の膝の付け根に小さな影があった。
影が小さく動くたび、巨人が揺れる。
巨人の白い肌が裂けて大地が揺れ、桃色の真皮が断たれて大地が揺れ、神経索と筋肉と血管が
ぶちぶちと千切れて大地が揺れた。
垣間見えた灰褐色の軟骨に向けて影が何かを振り下ろした瞬間、とうとう大地が、崩れた。
大瀑布のように倒れる巨人から飛び退った影が、振り向く。
何事かを呟いた声は郁未の立つ位置までは届かない。
しかし郁未にはその影の呟きの、皮肉げな声音までがはっきりと聞こえるようだった。

 ―――ですから、もう少し周りを見てくださいね、郁未さん。

鹿沼葉子。
天沢郁未の相棒は倒れ込む巨人の影をよそに、返り血に固まった長い髪をかき上げて、
いつも通りつまらなそうに口の端を歪めていた。


***

43十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:29:20 ID:1PXLw4M.0
 
「―――好機だな」

骨と肉のない交ぜになった醜い塊が、天から槌の如く振り下ろされる。
叩きつけられた衝撃で大地を抉り、巻き起こす風で四方に岩礫を飛ばす一撃は、
半ばまで再生された巨人の拳である。
直撃すればいかな仙命樹の主といえど即死は免れ得ない打撃を前にして、まるで
そよ風が吹き抜けたとでもいうように眉筋一つ動かさず口を開く光岡に、蝉丸が
やはり表情を変えずに頷きを返してみせる。

「ああ……足を落としたのは鹿沼葉子か。先程からこちらの動きに合わせていたな」

久瀬少年を通じて得た最後の情報と照合し、その名前を口にする。
浮かびそうになった名状し難い感情は強引に押さえつけた。
葉子の戦術は明快だった。
自身とこちら、双方に巨人の注意を分散させることで集中攻撃を避けながらの一撃離脱。
こちらが退けば葉子が鉈を振るい、葉子が下がればこちらが白刃を閃かせる。
膝立ちになった巨人の両の足へと交互に加えられた攻撃は功を奏していた。
遂にバランスを崩した巨人が、堪らず片手を大地に突いたのである。
落とした片腕はまだ再生できていない。
隻腕を封じた今、巨人に残された攻撃手段は額からの直線的な閃光のみ。

「小賢しげで気に入らんが、兎も角も情勢は読めているようだ。
 この機を逃さず畳み掛ける」

言い放った光岡が左に大きく跳ねる。
同時に跳んだ蝉丸は右。
岩盤を融解させる閃光が落ちる、正に刹那のことである。
るぅ、と吼えた巨人がぐるりと首を回したときには、既に二人は懐に潜り込んでいる。
目指す喉笛は、まだ遠い。


***

44十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:29:38 ID:1PXLw4M.0
 
深山雪見に、意識はない。
眼窩を侵した毒は既に脳髄の一部へと達していた。
常人であれば死に至っている身体を支えているのは女神の加護を受けた黄金の鎧の力と、
そして対峙する巨獣に文字通り噛り付いて得た鬼の遺伝子の欠片である。
女神と鬼と、そして彼女の意識が最後まで抱いていた希望が妄執となって、雪見を支えている。
視界の殆どは、とうの昔に失われていた。
膿を零さぬ右目も白く濁って物を映さない。
巨獣を追って走る内、折れたあばらが臓物を掻き回してずたずたに引き裂いている。
両の五指は折れ砕け、互い違いの方を向いているのを、無理矢理に握りこんでいた。

深山雪見に意識はない。
生命と呼べるものも、既にその半ばまでが喪われている。
しかし、少女は立っていた。
戦う意志をもって握られた五指を、拳という。
折れ砕けた指を無理矢理に握りこんだそれもまた、拳といった。
拳を握り立つ少女は、故に抵抗者であり、狩猟者であり、戦士であった。

傲、と吼え猛る巨獣の声を、雪見の意識は捉えない。
しかし次の瞬間に剥き出しの頭蓋を両断しようと繰り出された巨獣の真紅の爪を、
雪見はずるりと滑るように躱してみせる。
刹那、見えぬはずの雪見の眼が、ぎょろりと笑みの形に歪んだ。
行き過ぎようとする巨獣の質量、熱いその身体を目掛けて、拳が飛ぶ。
砂の詰まった袋を棒で叩くような、重く震える音。
そして枯れ木の折れるような軽い、嫌な音が同時に響いた。
質量の差を無視して吹き飛ばされたのは巨獣である。
既に幾重にも折れた手の骨を更に砕きながら拳を振るった雪見が、げたげたと笑う。
喜びも、悲しみも、怒りも苦痛も感じさせない、音だけの笑い。
意識のない深山雪見が、殺戮の島の高みで浮かべる笑みは、ひどく空疎だった。

45十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:30:08 ID:1PXLw4M.0
ず、と身を震わせ、白い毛並みに付着した血肉を払い落としながら立ち上がった巨獣が、
こちらは明確な憤怒を込めて、一つ吼えた。
身を、撓める。
転瞬、引き絞られた弓から解き放たれた如く、巨獣が跳ねた。
白い巨弾の撃ち出でた方向はしかし、黄金の戦士から僅かに角度を逸らした、右。
カウンターに放たれた掌圧が空しく宙を切り裂く横を抜けて着地する寸前、
巨獣が丸太の如き前脚を振るった。
爪による斬撃ではない。その硬化した外皮に膨大な体重を乗せた、純粋な打撃。
着地点にいた数人の夕霧が、軽石のようにぱかりと砕けて、飛んだ。
或いは血煙と化し、或いは肉塊と骨の礫となった生命であったものが向かう先には黄金の鎧。
掌を打ち放った直後の雪見は、血と肉の津波を前にしかし不動の構え。
べしゃりべしゃりとこびり付く赤と桃色と薄黄色のどろどろとしたものは無視する。
どの道、視界を塞ぐことに意味などありはしなかった。
搦め手の一切を選択から切り捨てて機を待つ雪見が、果たして血煙の壁を割り裂いて
猛然と飛び出してきた巨獣を前に、動いた。
胴を断ち割らんと薙がれる爪に正面から当てたのは砕けた拳による右正拳突きである。
激突した拳と爪の中心で風が爆ぜ、一気に血煙を払った。
互いに体勢を流すが慣性は巨獣の突進を支持し彼我の距離を刹那の単位で縮めていく。
第二撃は速度の勝負。巨獣の選択は牙。人体を容易に両断する断頭の壁が最速で迫る。
対して雪見が選んだのは弾かれた右の拳の打ち下ろし。
流れた体勢から全身の筋肉を撥条として放たれる鉄槌。
巨獣の熱い吐息が雪見を覆い、数十の鋭牙がその命脈を永遠に断たんとしたその刹那、
白虎の鼻面が、歪んだ。
頑強な巨獣の頭骨を抉り鼻腔と上顎を粉砕した黄金の流星が、白い巨躯を大地へと
強引にめり込ませる音が、響いた。

46十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:30:33 ID:1PXLw4M.0
「―――」

巨獣のものと自身のものと、混ざり合って濁った血をばたばたと流す拳を引き抜いて、
雪見がゆらりと手を伸ばす。
唸りを上げることも許されず沈黙した巨獣の、ぐったりとした大蛇の尾がそこにあった。
既に明確な意識もなく、当初の目的すら思考できぬ雪見の、しかし妄執がそうさせたものか。
魔犬から引き継がれた巨獣の尾を掴もうとして折れ砕けた拳ではうまくいかず、
伸ばしたもう片方の手をやはり鮮血で滑らせ、両の腕で抱きしめるようにして、
ようやくその大人の腕ほどもある大蛇を保持する。
黄金の腕の中から、みしみしと奇妙な音が響きだした。
何か無数の編み紐が、一本づつ千切れていくような音。
ばたばたと、ようやく大蛇が暴れだした。
しかし顎はがっしりと小脇に抱えられ、牙を剥くことすらできない。
口腔の隙間から吐き出される毒液も雪見の背後に小さな池を作るのみ。
巨獣はまだ動かない。
女神の加護と少女の妄執を乗せた頭部への打撃は、見上げるようなその巨躯をして
昏倒せしめるに足るものだった。
みちみちと、音の質が変わっていく。
肉が、筋が、腱が断たれる音。
雪見に表情はない。
意識も感情もなく、ただ妄執をもって大蛇の尾を締め上げ、引き千切ろうとしていた。
大蛇が、次第にその抵抗を弱めていく。
雪見が黄金の足甲に包まれた踵を巨獣に乗せた。
小さな呼吸。
ぶぢ、という音は一瞬だった。

「――――――!」

於々、というそれは咆哮ではなく、悲鳴。
断たれるでなく、焼かれるでなく、神経索の一本一本を生かしたまま引き千切られる苦痛。
かつて川澄舞と呼ばれていた巨獣の覚醒は、筆舌に尽くしがたい地獄の辛苦によってもたらされていた。
のたうつ巨獣の傍、しかし深山雪見もまた倒れ伏していた。
どれほどの力を込めていたものか。
大蛇の尾を毟り取った雪見が勢い余って倒れこんだ先は大蛇の吐いた毒の沼である。
全身の傷という傷から染み入る致死の毒を、雪見は既に感じていない。
細く不安定な呼吸の中、既に光を映さぬ瞳をあらぬ方へと向けながら大蛇の尾を抱きしめていた。

47十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:30:53 ID:1PXLw4M.0
拷、と。
風を裂き、神塚山に満ちる焦熱と爆音を折伏するが如き大音声が響いた。
ようやくにして立ち上がった、白き巨獣の咆哮である。
その血の色の瞳に映るのは、憎の一文字。
びりびりと全身の剛毛を逆立てた白虎が、大きく後ろに跳ねた。
身を震わせ、もう一度吼える。
潰れた鼻と血泡を吹く上顎が物語るのは巨獣の痛手ではない。
森の王と呼ばれた巨獣の、或いは鬼と恐れられた異種族の、そして神代を生きた魔犬の、その裔。
数奇な運命の結実たる獣の王、その箍が真に外されたことを意味していた。

眼前の存在が滅するべき総て。
或いは、眼前の総てが滅するべき存在であった。

転がり伏す矮小な黄金の鎧姿も。
無数に涌き出す有象無象も。
そしてまた、

巨獣の眼前に、影が落ちる。
それは鹿沼葉子の打撃によって足を崩された巨人の、苦し紛れに大地へと突かれた手。

―――そしてまた、天から落ちた、肉の巨柱すらも。
巨獣の滅するべき、矮小な総て。

がぱり、と。
巨獣の顎が開かれた。

蒼穹の下、風が奇妙に歪んでいく。
日輪に照らされているはずの大地が、白く煙る。
それは世界の中、巨獣の君臨する一角だけが灰色に染め上げられていくような錯覚。

世界を塗り替えた灰色から、ノイズが消えていく。
残るのは、純粋な白。

透き通る白という矛盾を睥睨して、獣王の顎が小さな音を響かせた。
詠のような、祝詞のような、或いは硝子細工の割れるような、響き。

刹那。
世界が、白く染め上げられた。


***

48十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:31:41 ID:1PXLw4M.0
 
疾ったのは白い波涛。
荒れ狂う純白の怒り。
吹き荒ぶ清白の暴風である。
悪夢の如き白の煌きが伸ばした手に触れたものは、悉くがその姿を変えていく。

焦熱に炙られる草から立ち上っていた煙が、消えた。
赤褐色の血痕で覆われた岩盤が、真白く塗り替えられた。
立ち竦む砧夕霧の群れが、透き通った光の中で次々と物言わぬオブジェと化した。
大地に突かれた巨人の腕が、その根元から白い風に覆われて、めりめりと音を立てながら
最初は真白く、そして次の瞬間には曇り硝子にでも包まれたように、その輪郭を歪めた。

一陣の白き魔風が吹き抜けた先に、動くものはない。
最後に、黄金の鎧に身を固めた少女の像が一体、ごとりと音を立てて倒れた。
黄金の像を包み込んでいたのは、水晶とも見紛う透明。
白の閃光が駆け抜けた一瞬の後、神塚山山頂に現れていたのは無数の氷柱が林立する、
氷の世界であった。

「……これだから厄介なのだ、固有種というものは」

凍てついた睫毛を瞬かせながら呟いたのは光岡悟である。
手にした一刀を振るえば、袖からぱらぱらと霜が落ちた。

「しかし……」
「……好機は重なった」

言葉を継いだのは坂神蝉丸。
カーキ色の軍服を純白に染めたその姿はまるで雪中行軍の途中であったかのような有様である。

「凍りついたあの片腕を崩せば……」
「……さしもの長瀬も、ようやく頭を垂れるということだ」

仕返しのように継ぎ穂を奪う光岡に、蝉丸が静かに頷く。

「見えてきた、な」

言って白刃を翳した蝉丸が、しかし次の瞬間、表情を険しくする。
弾かれたように振り返って身構えた、その視界の先から飛び来るものがあった。

「黒い、雷……!?」

蝉丸の目に映ったのは、つい今しがた山頂を覆った白い波と対を為すような漆黒。
光を映さぬことが黒という色の定義。
しかし蒼い空を断ち割るようなそれは、蝉丸をして思わず呟かせたように、
黒い稲光と呼ぶ他にないものであった。
それは天空を飛ぶ破城の槍。
光を絡め取るような漆黒の、一閃である。

「この戦……」

押し殺すような声で呟いたのは光岡。

「案外と、早く片が着くかも知れんな」

見据える頭上を、漆黒の光槍が駆け抜けていく。
肩越しに見るまでもなく、黒槍が目指す先は明らかだった。
凍りついた巨人の片腕を目掛けて、黒い雷光がまるで吸い込まれるように、着弾した。

氷柱が、砕ける。
その内部に閉じ込めた、膨大な血と肉と骨とを巻き込みながら。


***

49十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:32:11 ID:1PXLw4M.0
 
神塚山の北麓、その山道の中ほどに存在するそれは殺戮に満ちた島の中心にありながら、
ひどく場違いな様相を呈している。
黒いフェルトに包まれた、人の身の丈ほどもあるそれを、ぬいぐるみという。
デフォルメされた蛙をモチーフとしているようでありながら眼球以外を黒一色に
染め上げれられたその姿は、ある種の迫力と異様の両方を見る者に伝えていた。

ぱりぱりと黒い雷を纏って屹立するそれを、大儀そうに撫でた女がいる。
命を倦みながら生を渇望する老婆の如き白く濁った瞳孔が、ねっとりと見上げるのは遥か山頂。
この島で最も高い場所に立つ、裸身の巨人が残された片腕を失って崩れ落ちるのを、女はじっと見ていた。

「回れ、回れ、歴史の歯車」

もごもごと、半世紀も前に過ぎ去った少女時代を反芻するように手毬歌を呟くが如き声。
憧憬と羨望と後悔とが均等に交じりあった、吐き気を催すような呪詛の唄。

「袋小路のどん詰まり、まだ見ぬ枝葉の分岐まで」

街角の片隅で、畳一畳分の小さな栄枯と衰勢を眺めてきたような、矮小で傲慢な視野。
丸められた背中が、ふるふると震える。

「水瀬の知らない幸福を、水瀬の知らない災厄を、水瀬の知らない終焉を」

女の名を、水瀬名雪という。
数十、数百に及ぶ生を繰り返す内に磨耗して、生きるという言葉の意味を見失った女である。
相沢祐一という希望と、水瀬という名の他には何も持たぬ。
少女の姿の肉袋に詰められた、しわがれ果てた老婆。
黒い稲妻の一閃をもって砧夕霧の片腕を崩壊せしめた、それが水瀬名雪という女だった。


***

50十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:32:36 ID:1PXLw4M.0
 
その山の上に、連携という文字は存在しなかった。
各々が各々の刃を振るったという、ただそれだけのことである。

駆ける蝉丸の胸にも感慨はない。
乳房と片膝を抉られ、両の腕を喪失して成す術もなく倒れ伏す巨人にも、哀れみは覚えない。

蝉丸は己が駆ける意味を知らぬ。
討つべき敵と取り戻すべき旗印がある、それだけで白刃を閃かせる理由になると、そう考えている。
いずれ答えの出ない思索に埋没するだけの余裕など、ありはしなかった。
戦場から戦場を渡り歩いてきたのが坂神蝉丸という男であった。

「―――」

その脇を疾駆しながら、光岡悟は思う。
坂神蝉丸という男を突き動かしているのは、畢竟、不安である。
國の為に文字通り己が身を捨て、化け物じみた力を得た。
人にあらざる自身を受け容れることは容易ではない。
縋る何かが、必要なのだった。
光岡悟にとってのそれが九品仏大志であるように、坂神蝉丸にとってのそれは戦場であり、
掲げる旗であり、守るべき弱者なのだろう。
いずれかが失われれば、蝉丸は陸に上がった魚も同じ。
息を詰まらせて、死んでいく。
坂神蝉丸にとっての幸福と平穏は、血煙と白刃の間にしか存在しないのだ。

のたうつ巨人の、白い喉笛が、迫る。

ざくり、と食い込む刃が、ぼたぼたと鮮血を伝わせる。
気にした風もなく抉り込んだ蝉丸の一刀が、縦一文字に傷口を広げていく。
物も言わず、楽に潜れるほどまで切り開いた喉笛の、桃色の肉を覗かせる真皮を掴むと、
蝉丸はぐいと蚊帳でも開くように無造作に、巨人の喉を割り裂いた。

轟、と吹いた生温い風は吐息であろうか。
銀髪を靡かせながら傷口に踏み込んだ軍靴が、ずぶりと脂に沈む。
そこに狭い空間と、二つの影があった。

51十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:33:08 ID:1PXLw4M.0
「実に、実に厄介な男だね、君は」

ごうごうと吹き荒ぶ風の中で、奇妙に通る声が響く。
周囲を包む桃色の肉に無数のケーブルで己が身体を繋ぎ止めた、醜悪な姿。
長瀬源五郎である。

「久瀬大臣の長男坊の次はこの人形……庇護欲に縋らねば生きられないかね?」

そう言って長瀬が抱きすくめるように笑ったのは、白い裸身。
やはり幾本かのケーブルを埋め込まれて長瀬へと繋がれた、砧夕霧の中枢体であった。
その表情は動かない。絶望という絶望を凝縮して固めたような、断末魔の形相。

「―――」

蝉丸は答えない。
ただ、一歩を踏み込んだ。

「愚かなことだ。人機は融合し次の段階へ進もうとしているというのに。
 その過程に取り残された失敗作が、嫉みで歴史を阻害する」

一歩。
蝉丸の周囲、前後左右上下の全方位からケーブルが顔を出した。
鋭い穂先を向けて、飛ぶ。
一瞬の後、そのすべてが二振りの白刃の下に切り落とされ、桃色の肉の上に落ちた。

「……君もかね、光岡悟。遺物たる強化兵」

蝉丸の背後から迫っていたケーブルを叩き落した光岡は、やはり無言。
更に、一歩。

「理解しろとは言わんよ。君らに理解できるはずもない。だが、だが歴史は止まらない。
 私の娘たちは、新たな時代の幕を開け―――」

言葉が、途切れる。
長瀬源五郎の、幾本ものコードが埋め込まれた胸の中心に、蝉丸の白刃が突き込まれていた。
ごぼりと血泡を噴き出した長瀬が、それでもにやりと口の端を上げる。

「―――ッ!」

裂帛の気合、一閃。
血飛沫が、飛んだ。
長瀬の胸を肩口まで切り裂いた蝉丸の刃が、返す刀で夕霧と長瀬を繋ぐケーブルを叩き斬る。
ひう、と聞こえた細い声は長瀬の断末魔か、あるいは解放された夕霧の安堵か。
とさり、と倒れ込んだ夕霧をその胸に受け止めて、蝉丸が振り返る。
光岡と視線を交わし、頷きあう。

駆け出すと同時。
数千にも及ぶ砧夕霧から構成されていた巨人が、崩壊を始めた。

52十一時三十二分/戦舞:2008/09/09(火) 14:34:24 ID:1PXLw4M.0
 
 
【時間:2日目 AM11:34】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・砧夕霧
 【4978体相当・崩壊】
長瀬源五郎融合体
 【状態:シルファ・ミルファ融合、生死不明】

坂神蝉丸
 【所持品:刀(銘・鳳凰)】
 【状態:右足裂傷、背部貫通創、臓器損傷(重傷・仙命樹により急速治癒中)】
光岡悟
 【所持品:刀(銘・麟)】
 【状態:異常なし】
砧夕霧中枢
 【状態:意識不明】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:大激怒、ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、頭蓋骨陥没(急速治癒中)・尾部欠落(修復不能)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣、魔犬の尾】
 【状態:瀕死、凍結、出血毒(両目失明、脳髄侵食、全身細胞融解中)、意識混濁、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】

水瀬名雪
 【所持品:くろいあくま】
 【状態:過去優勝者】

→906 1001 1003 ルートD-5

53(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:22:58 ID:m3XhWRYM0
 ――拝啓おふくろ様
 前回かなりシリアスだったというのに凝りもせず再び文を送ってしまうバカ息子をどうかお許しください。

 といいますのも、こうして自立を目指して郁乃様にお別れを告げたのはいいけれども、
 一体全体脱出に向けてどう動いたらいいものかと決意十分目にして途方に暮れてしまったからでございます。

 脱出用の船、またはヘリなどを探すという方針は打ち立てたのですが、そんなものがわたくし達の手の届く場所にあるわけもなし、
 かといってこの殺し合いを開催いたしましたこのクソな連中どもの大本営に竹槍突撃を敢行したくても場所が分からず、
 まさに八方塞がりという状況なのでございます。

 それでも『諦めません、勝つまでは』と不屈の闘志を己が身に宿しているわたくしは取り合えず、
 助手兼パートナーであるほしのゆめみさんと肩を寄せ合って地図と睨めっこをしていたのですが、
 あまりにも見当違いなこと(船が島の端にあるだとか)をおっしゃるばかりで泣く泣くわたくしは二軍へと降格させ、
 マスコット兼毛玉のポテトと遊ばせておくことにしました。
 それから、数十分が経過したのですが……

     *     *     *

「あー、やっぱ検討もつかん。どうしろってんだ」

 俺は床の上に身を投げ出すようにして寝転がる。
 乗り物を探すといっても俺達の手の届くような場所にあるわけがないのは承知済みなのだが……
 それを踏まえた上でどう動けばいいのかが分からない。

 以前手元にあったフラッシュメモリは戦闘のどさくさに紛れて行方知れずとなってしまったし……
 まだ見てない項目があったのに。おのれ高野山。

54(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:23:24 ID:m3XhWRYM0
 ……そういや、何を考えて主催者はそんなものを寄越したんだろうか。
 殺し合い、という観点から考えれば支給武器などに関する情報は大いに力となり得るし、それは理解出来る。
 問題なのはちょこっとだけ見た『解除』のスイッチだ。
 解除、と聞けば大抵の人間はこの首輪の解除……を思いつくだろう。
 よく考えてみれば、それは参加者の人間が希望を抱かずにはいられない言葉じゃないのか?

 つまり、殺し合いに対して反抗の意思を見出せる道しるべとして。
 無論スイッチ事態の真偽は不明だが、多かれ少なかれ参加者の心理に影響を及ぼすのは間違いない。
 一応、これでも人間の心理に関してはそれなりの知識はある。伊達にあのFARGOで働いていたわけじゃない。

 話を戻すと、希望を持たせて何になるというのか。
 主催者にとって最も考えたくないケースは殺し合いをする人間がいなくなり、歯向かう人間ばかりになる……という構図だろう。
 たとえ参加者側に何も打つ手がないとしても、主催からとってみれば殺し合いをしなくなった時点で困るのはそちらだ。
 目的なんて何も分からないが、最後の一人まで殺し合わせる、ということを考えればこんな希望を持たせるような支給品はあってはならない。
 だが奴らはそれを支給した。そこには必ず何かしらの意図があると見て間違いない。
 それは何だ? 解除。それがキーワードだろうな……

 が、考えることは得意じゃない。そもそもそういうことはどっかの探偵がやるべきことで、一般人の俺がやることじゃないんだよな。
 まぁ今の状況じゃそういう贅沢は言えないんだよな。自分で考えるってのは、難しい。

「高槻さん。どうですか?」

 ぴこぴことポテトと戯れていたゆめみさんがなんともまあ暢気な声で尋ねてくる。
 戦力外通告を出したのが他ならぬ自分だとは言え、不平を述べたくもなる。
 気をきかせて何か役に立ちそうなもん探してくるとかさ、お茶菓子を持ってくるとか、
 最近流行りの乗馬マッスィーンを披露してくれるとか……
 ロボットに期待するのは酷ですか、そうですか。

 世の中に存在するというバナナが好きなアンドロイドとか、
 様々な技能(夜のお勤め的な意味で)を備えているなんたら100式とかなんて絶対嘘っぱちだと思うことを決意しつつ、
 俺は首を振ってノーアイデア、孔明の策は何もないことを告げる。仲達よ、今度はそちの頭脳を見せてもらおうか。

55(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:23:48 ID:m3XhWRYM0
「いえ、高槻さんが何も思いつかないならわたしにはとても……」

 ですよねー。分かっていたとはいえつくづくこいつはロボットなのかと疑いたくなるときがある。
 ……もしかして、中身は人間だったりしないだろうか。試してみよう。

「ゆめみ、76×43は」
「3268です」
「『這坊子(はいぼこ)』の意味を答えよ」
「這坊子というのは『はいはい』をする頃の赤ん坊の事を言って、セミの幼虫が地中から出てまだ脱皮する前のものを指す事もあります」

 パーフェクトだ、ウォルター。
 とりあえずいずれも即答していることから考えて一通りの知識はあるらしい。が、応用力が足りない。
 なるほど、学習していないコンピュータか……
 くそ、こうなれば仲間を集めにいく、くらいしか現状で出来る事がないな。以前の行動指針に逆戻りしたってのが何とも情けない話だが……

「あの、そんなに落ち込まないでください。わたしもまだまだ力不足ですが、きっとお役に……」

 とは言いつつも、どこか不安げな表情のゆめみに、俺は弱気になっている自分に喝を入れる。
 そうだ、俺は絶対こんな島から脱出してやると決めたんだ。俺がやっと、自分ってやつを持とうって思ったのに、こんなところで死んでたまるか。
 何より……ここで弱気になってたら郁乃に笑われる。それこそ小馬鹿にしたように、鼻で笑って。

 冗談じゃない。あんな小娘に見下げられるほどこの高槻は落ちぶれちゃいない。
 そもそも俺はまだ動いてすらいないではないか。まず動かないことには何も分からないしな。大山鳴動して鼠一匹だ。
 なに、意味が違う? いいんだよテンションに身を任せているんだから。
 とりあえずカッコイイこと言って鼓舞しようって寸法よ。分かったかね諸君。

「よし、心気一転して情報整理といこうじゃないか。取り合えず、無学寺を出てから俺達はなにをしようとしてた?」

 会話のキャッチボールは続ければ続けるほど心の調子も上がってくる。甲子園球児が常時クライマックスなのもこれが理由だ(と考えている)。
 話を振られたゆめみ、流石にそこはロボットの本領発揮ですらすらと言葉を流してくれる。

56(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:24:09 ID:m3XhWRYM0
「確か最初は久寿川さんのお知り合いで、まーりゃん先輩という方を追うために鎌石村に行く予定でした」
「ああ、とんだ邪魔と……放送のせいでその優先度は低くなったがな」
「久寿川さん……」

 先の放送でささらと、一緒に付いていった貴明ってガキも名前を呼ばれた。俺を罠に引っ掛けたあのチビ女も。
 道中で別の奴に襲われたか、それともまーりゃんを説得し損なって返り討ちにでもされたか。
 どちらにせよ、これでまーりゃんが見境なく他人を襲う、無差別殺人鬼になった可能性はかなり高い。
 見た限り、敵対してはいたものの久寿川とは親しい関係にあったようだしな。でなきゃ、『止める』という単語が出てくるはずがない。
 どうせあの二人を生き残らせようとかそんな考えで殺しを始めたんだろうが、すっかりおじゃんってワケだ。

 悪いが、こちらは同情する義理はない。勝手に野垂れ死んでろって感じだな。
 もし出会ったら……容赦なく殺らせてもらう。宮内をやったのは奴だし、間接的に久寿川たちの死因にもなっている。
 ともかく、鎌石村に行く必要性はかなり薄い。

「あ、それと……船を探すという目的もありました」
「……は?」

 お前は何を言ってるんだ、と若干キレ気味な近頃の若者風味にゆめみを睨みつける。
 船なんてあるわけないだろと何度言ったら分かるのか。
 大体、そんなものが島に置いてあったらひゃっほいやったぜベイビーと喜び勇んで優雅な船の旅に出るっちゅーねん。
 そんな俺の感情を感じ取ったかあるいは声の調子にビビったか、少し涙目になりながら「で、ですが」と続ける。

「高槻さんが言い出したことでした……岸田洋一が乗ってきた船があるかもしれないからついでに探すぞ、と」

 ……ん? そう言えばそんなことがあったようななかったような……あ。

「で、ですので、わたしなりに考えて外部からこの島にやってきたのだとしたら、
 どこに隠しておくかというポイントを申し上げたつもりだったのですが……」
「それを早く言えっ! 急に『船はここに置かれていると思うのですが』とか言われても分かるか!」
「いや、でも、高槻さん自身が言い出したことですし、てっきりそのことをいつも念頭において話されているのかと……も、申し訳ありません!」

57(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:24:30 ID:m3XhWRYM0
 本気で涙目になりながらぺこぺこと平謝りするゆめみ。
 いや、待て。よく考えれば悪いのは脳裏からぽーんと忘却の彼方へ投げ去った俺じゃないか。
 なんだこれ。いじめっ子? バカな、『年間女の子を大切にする男NO.1』の地位を保ち続けてきた俺の、なんて無様な姿。
 いかん。もっと余裕を持つのだ高槻。高槻クール、いやクール高槻になるんだ。
 冷蔵されそうな名前だが、この際気にしないことにする。

「まぁ、その、なんだ……色々あったからな。ついうっかり思い出せなかったというか……孔明も筆の誤りというか。
 あー、ともかくお前が言ってくれて助かった。流石はロボットだ」
「……本当に申し訳ありません。確認を取るべきでした」

 しゅん、と落ち込んだままのゆめみ。また失敗してしまったことがショックなのだろう。俺のせいでもあるが。
 よし、ここはフォローに回ろう。男の名誉を回復するいい機会だ。汚名返上とも言う。
 俺はぽんぽんとゆめみの頭を撫でつつ、

「失敗はお互い様ってことだ。次生かせばいいんだよ。一つも間違えずに生きてこられた人間なんていないんだからな」
「……そうですね。また、小牧さんに叱られます」

 おかしなことに、弱気になったときに出てくる名前が俺もゆめみに郁乃であることに、一種の笑いを禁じえなかった。
 結局、いつまでたってもフォローしてくれるのはあいつって事か。……今回はお前の勝ちってことにしといてやるよ。
 ひひ、と俺が笑いを漏らすとゆめみも落ち込んだ表情を解いた。

「では、今度からは確認を取るようにします。ところで高槻さん」
「お? 何だ?」
「孔明も筆の誤り、ではなくて弘法も筆の誤り、ではないかと思うのですが……わたしのデータベースが間違っているのでしょうか?」
「……」

58(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:24:54 ID:m3XhWRYM0
 おふくろ様。ゆめみさんはちょっと口うるさくなったように思われます。これはわたくしめの失敗なのでしょうか?
 そんなこんなで改めて地図を見直し、ゆめみさんの予測を立てた地点へと足を運ぶことにしたのでございます。
 具体的に言えば、
 B-3にある半島状の突出した部分、
 D-1の離れ小島(行けるかどうかは分かりませぬが)、
 I-3の小島郡などを目標とすることと致しました。
 長々と書き綴ってしまいましたが、わたくしは今のところまだ元気でございます。
 おふくろ様も、どうかどうかご自愛なさいませ。では。

     *     *     *

 追伸


「……ここを辿っていくとなりゃ、必然的に西回りのルートになるし、鎌石村にも自然と入ることになるか」

 それは偶然なのか、皮肉なのか。通るだけとはいえ、何かに導かれたような気がしてならない。
 あの二人の意思が、何とかしてくれと無念の声を張り上げているのだろうか。
 オカルト的なものは、不可視の力だけで十分だと思っていたのだが。
 ……どうするかについては、保留にしておこう。そもそもあの女に出会うと決まったわけじゃない。
 ゆめみが何かを含んだ視線を向けているが、それも取り敢えずは無視だ。

「さて、後は持ち物の整理といくか。岸田のクソ野郎のお陰で武器だけは増えたからな。正直手に余るくらいだが」
「いくつか、捨てて行くのですか?」

 言いながら、既にゆめみはデイパックから荷物を取り出し始めている。
 切り替えが早いのは助かる。……これくらいツッコミの回転も速ければな。
 全く惜しい人材だ。新ジャンル:お笑いロボ芸人が誕生するのはいつの日になるやら。

59(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:25:17 ID:m3XhWRYM0
「ぴこぴこ」
「お前もなんか武器の一つくらい装備できないものかねぇ。……ってもその体型じゃあ無理か」

 新ジャンル:お笑い未確認毛玉生命体の権化たるピコ麻呂ことポテトが出番をくれとばかりに擦り寄ってくる。
 残念だが貴様の出番はこの地味な作業の流れでは皆無だ。とっとと見回りの一つでもしてこい。

「ぴこー……」

 ハリウッド出身の役者(犬だけど)は派手なアクションでしか本領発揮はできないのだ。
 ああ悲しきかな、人語を話せないとロマンスには結びつかないのです。
 まぁ俺とゆめみがロマンスすることは俺がギャルゲーのヒロインになることくらいありえない話だが。
 ぴこぴこと煤けた背中を見せながら家の外へと見回りに行ったポテトを残し、黙々と作業を続ける俺達……というわけにはいかなかった。

「そういえば、高槻さんはどのようなお仕事をなされていたのですか? 高槻さん自身の話はあまり聞いたことがないのですが」
「あ? ……しがない研究員だったさ。どうしてそんなことを聞きたがる」
「そのように、設計されていますので」

 要するに、『客』とのコミュニケーションを欠かさないように設計されているのだろう。
 学習する(ゆめみにそれが働いているか怪しいものだが)人工知能を搭載しているゆめみにとっても会話は学ぶにも最適の行為だ。
 よく喋るとは思っていたが、そういうことか。いいだろう。どうせロボットだ。勉学のためにも付き合ってやろうじゃないか。

「ある未知の力に関する研究をしていてな。
 ……以前にも言ったように、ただ命令されていたことをやっていただけだったから本当に研究していたかどうかは怪しかったが。
 お前は、プラネタリウムの解説員だったか?」
「はい。とは言っても、まだ実際に配備されたことはないので、解説員予定、ですが」
「そうか、じゃあ今は無職ってことか……くく、ロボットは働き者、とは一概には言えないなぁ。ま、俺もじきそうなる予定だが」
「お仕事を、辞められるのですか?」
「……ああ。もうあそこに未練はなくなった」

 実際はそれ以外の理由もあるが。
 研究員が二人も連れてこられたばかりかAクラスの人間が二人もいる(うち一人は死亡が確認されているが)。
 となれば、組織ぐるみでここの主催者に関与し、俺達を生贄として差し出したってところだろう。

60(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:25:39 ID:m3XhWRYM0
 無論、主催者が不可視の力に目をつけ、何かしらの圧力をかけてFARGOの権力を奪い取ったという可能性もある。
 ……だとするなら、この殺し合いの目的の一端は、参加者間の不可視の力の発現を狙ったということも在り得る。
 Bクラスの名倉由依や、Cクラスの巳間晴香がいるのはそういう理由もあるのかもしれない。

 何にせよ、もう向こう側に戻る気はない。
 こんな場所に連れてこられたってことは用済みってことだからな。リストラってやつだ。不況の世の中は厳しい。

「では、その後はどんなお仕事をなされるのですか」
「それは……」

 考えていない。何しろ(死ぬ気はないとはいえ)生きて戻れるか分からない状況だ。
 今を必死に生きるしかないので、そんな未来のことなど考える暇も余裕もなかった。

「お前の仕事はどんなのだよ」

 結局、まだ明確に答えられるだけの自分が出来上がっていない俺はそう言って逃れることにする。
 わたしですか、と話を振られたゆめみは、少し困ったように笑った。

「季節に応じた星座の解説や、その都度設けられた特別上映だとかの解説だと聞いてはいますが……まだ実際にやったことがないので、何とも」

 ああ、そりゃやったことがないのでは実感もクソもあったもんじゃない。
 バカなことを聞いてしまった。実際に配備されたことはないって言ってたのに。

「ですが、とてもやり甲斐のあるお仕事だと思います。
 来てくださった方々に、遥かに遠い星々の海の世界の片鱗を、少しでも体感して貰えれば……これほど嬉しいことはない、そう考えます」

 嬉々として答えるゆめみに、本来働くべき姿の人間を垣間見た気がした。
 誰かが喜んでくれるなら。誰かのためになるのなら、それだけで仕事を続けられる糧になる。
 自分のやっていることに意味を見出せるということは、生きていくだとか食っていくことだとかよりも重要なことだ。
 何故なら、確かに世界を廻している、という実感があるからだ。
 大袈裟な言い方かもしれないが、世界は常に誰かが何かをしているから動いている。
 俺がやっていたことは、まるで意味もないことだったが。

61(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:25:58 ID:m3XhWRYM0
「悪くねぇな」

 弾を装填したコルト・ガバメントを手に握りながら、俺はそう答えた。
 悪くない。そういう、愚直である種傲慢な生き方も。

「ありがとうございます」

 僅かに照れたようにして、ゆめみは片手で一生懸命ニューナンブに弾薬を装填していた。
 ……どこかに、ゆめみを修理できるような場所と、人材がいればいいのだが。
 俺も機械工学は若干の知識があるとはいえ、ゆめみを修復しきるだけの自信はない。
 回路が切れて、それを繋ぐだけ、というだけならこちらにも出来そうなんだがな……

「ふむ、ちょっと見せてみろ」
「?」

 きょとんとするゆめみが、何をすればいいのか分からず、取り合えずニューナンブを差し出す。
 いや、こちらの言い方が悪かった。素直に脱げと言おう。

「脱げ。………………後ろ向いて。アレだ、撃たれた場所がどうなってるか確認したい」

 一言言った後、それがかなりヤバい意味を持っていることに気付き、慌てて付け足す。
 危ない危ない。如何に精巧な女の子型ロボットとはいえそれに欲情するほど落ちぶれちゃいない。たとえぱんつはいてなくても。

「あ、はい。了解しました」

 が、当のゆめみさんは何ら躊躇することなく後ろを向くと器用に片手で服を脱ぎ始める。
 おい、恥じらいというプログラムはされてないのか。開発者ちょっと表に出ろ。
 とは思いつつもロボットの服の中がどんな構造なのか気にはなっていたので(か、科学者としてだからな!)、
 正直幼子のようにワクワクしていたのは秘密だ。

62(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:26:16 ID:m3XhWRYM0
「……スク水……」

 が、中から出てきたのはどう見てもスクール水着と思しき服(?)だった。設計者、ちょっと表に出ろ。

「いえ、インナースーツです。わたしの仕様書にはそう書かれています」
「嘘だッ!」
「で、でも確かにわたしのデータベースには……」

 ちらちらとこちらを見つつしどろもどろにインナースーツであると主張するゆめみに、俺はため息をつくばかりだった。
 日本の未来は暗い。

「いや、まぁどうでもいい……悪いが、スク水、じゃなくてインナーも脱げ。地肌の部分がどんな状態かそれじゃ分からん」
「あ、はい」

 またも無抵抗にインナーを脱ぐゆめみに、まず教えるべきは恥じらいだと年頃の娘を持つ親父みたいに思いながらぽりぽりと頭を掻く。
 それにしても生身の人間と違い、肌が異常なほどに綺麗だ。いつの間に人類はこんな材質を開発したのか。
 するりとインナーをずらす姿は並みの男なら欲情せずにはいられない光景だろう。
 幸いにして変態ではない俺は下げられたインナーの端から肌が破れている部分を見つけると、
 脱ぐのをやめるように指示し、撃たれた部分へと目を近づける。
 が、どうなっているのかちっとも分かりゃしねえ。所々線のようなものが見えたりするが……手ぶらなこの状況ではどうしようもない。

「おい、自己診断プログラムとかないのか」
「それは既に実行していますが……左腕に繋がる神経回路が切断されている、としか」

 ……ま、細かい部分の破損まで分かれば世話ないわな。
 回路の切断だけなら応急処置で何とかなる、か?
 やはり道具は必須になってくるか。ついでに探しておかないとな。

63(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:26:31 ID:m3XhWRYM0
「よし、もう着ていいぞ。荷物整理もそろそろ終わるし、そろそろ、本格始動と行くか」

 ここに廃棄していくのはカッターナイフと写真集2冊。おたまは何故かゆめみが手放そうとしなかった。
 どこぞのボーカロイドのネギじゃあるまいし、とは思ったのだが好きにさせておくことにした。

「ぴこー」

 と、機を見計らったかのようにポテトが外から戻ってくる。
 まだ雨は降っているはずなのだがやはり奴の体は濡れていない。どんな構造だ。

「おーよしよし。どうだった」

 ぴこぴことジェスチャーをして偵察の結果を知らせるポテト。情報によれば人間の匂いが近くでするらしい。
 雨に紛れてどんな人間かまでは分からなかったという。
 上出来だ。なら優雅な遭遇といこうじゃないか。
 俺は、久しぶりにニヤリと口の端を歪めた。

64(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 19:26:49 ID:m3XhWRYM0
【時間:2日目・20:15】
【場所:B-5西、海岸近くの民家】

天才バスケットマン高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(5)、鉈、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:まずは接近している(らしい)人物に接近。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ドラグノフ(0/10)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

【備考:19:00頃から雨が降り始めています】
【その他:カッターナイフと写真集×2は民家に投棄】

→B-10

65(わるだくみ)/insincerity:2008/09/12(金) 23:46:18 ID:m3XhWRYM0
くあ……今更名前間違えてた……
天才バスケットマン高槻→クール高槻
ということにしておいてください……

66十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:00:59 ID:Qa0ikahc0
 
終わるのだ、と。
ようやく終わるのだと、誰もが思った。

巨人の身体が崩れ、それを構成していた無数の砧夕霧へと戻っていく。
ばらばらと落ち、あらぬ方を眺めてぼんやりと佇むその群れは既に、兵器としての脅威を失っている。

少女たちの中枢体をその腕に抱えた坂神蝉丸が、
その傍らで長い銀髪を風に靡かせる光岡悟が、
大きく息をついて薙刀を地面に突き刺した天沢郁未が、
乾いた血のこびり付いた髪を梳こうとして眉を顰める鹿沼葉子が、
長い戦いの終わりを感じていた。
この先に新たな命のやり取りが待っていようとも、一つの戦いには幕が下りたのだと。
山頂一帯を銀世界へと一変させた白の巨獣までもが、流れる沈黙に何らかの意味を感じ取ったのか、
真紅の目を光らせながら低い唸りを上げるのみだった。

一つの戦いが終わった。
誰もが、そう思った。
たった一人を、除いて。

「―――クク、ハハハ―――」

響いたのは、笑い声だった。


***

67十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:01:27 ID:Qa0ikahc0
 
おかしくて堪らぬとでもいうような哄笑。
愚かしくて堪らぬとでもいうような嘲笑。
悪意を媒介にしてその二つを練り合わせたような、それは声音であった。

「……何を笑う、長瀬源五郎」
「これが笑わずにいられるかね、坂神脱走兵」

ぐずぐずと澱みに浮かぶあぶくのような笑みを零していたのは長瀬源五郎である。
崩れ落ちた砧夕霧の群れの中、立ち尽くす姿に上衣は纏っていない。
日輪の下に曝け出された青白い半裸の胸に埋め込まれているのは二つの顔。
断末魔の表情を浮かべたHMX-17b・ミルファ、同17c・シルファと呼ばれていた少女たちの口からは
吐瀉物の如く無数のケーブルが伸び、その大部分は断裂してだらしなく地面に垂れ落ちていたが、
残った一部が長瀬の身体に巻きついている。
蝉丸の一刀による傷を縫い合わせるように乱雑に巻かれたケーブルの隙間からは、
しかし紛れもない鮮血が溢れ出していた。
どくり、どくりと鼓動に合わせるように噴き出す血の量は、いずれその命脈が長くはないことを
如実に表している。
にもかかわらず、長瀬源五郎は笑っていた。
眼前の光景が喩えようもない喜劇であるとでもいうかのように、嗤っていたのである。

「諸君はこう考えているのかな。……この神塚山山頂における砧夕霧を巡る戦闘は終結したと。
 狂える科学者の愚かな暴走は勇士達の活躍によって潰えたのだと。
 長瀬源五郎の命運はここに尽きたのだと、そんな風に考えているのかと思ったら、ね。
 実に、実におかしいじゃないか、それは」

言いかけて、また笑う。
身を捩って、鮮血を噴き出しながら、青白い顔で笑う。
吹きぬける風をねっとりと犯すかのような狂笑はひとしきり続くと、唐突にやんだ。

「……時間切れだよ、諸君」

68十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:01:43 ID:Qa0ikahc0
にたりと口の端を上げて呟かれた言葉と、ほぼ同時。
その細い肉体に飛び掛かる影があった。
劫、と吼え猛る白い巨躯は森の王の名を持つ獣である。
長広舌と癇に障る笑い声に業を煮やしたか、長瀬の痩せぎすの身体をへし折らんと
繰り出された真紅の爪が、

「―――ッ!?」

連続した硬い音と共に、弾かれた。
爪をかち上げられてバランスを崩した巨躯が空中で身を捩り、どうと着地する。
薄黄色い唾液で汚した牙の間から怒りの声を漏らした巨獣が、怒りの矛先を
愚かな闖入者へと向けるべく、ぎらつく真紅の瞳で振り返る。
その燃えるような視線の先にあったのは、銀色に輝く光の塔。
そして、それを背にした細身の影である。

「……解析が完了しました」

声が響く。
この場の誰のものでもない、女の声。
銀色の塔を背にする影の発した、声であった。
女はその手に細長い何かを持っている。
先端から微かに陽炎を立ち昇らせるそれは、一般的にサブマシンガンと呼ばれる銃器である。
それを見た坂神蝉丸が眉根を寄せ、光岡悟が鞘に収めた一刀の鯉口を切った。
天沢郁未が薙刀を引き抜き、鹿沼葉子が鉈を手に面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

「―――データリンクを開始します」

全体、何時からそこにいたのだろうか。
或いは誰にも気付かれることなく、遥か以前からその身を銀の塔の陰に潜ませていたのかも知れぬ。
すべての視線を一身に集めてなお表情一つ動かさず言葉を続ける女の足元に、小さな姿がある。
肉と骨とをところどころに露出させたそれは、一見して無惨な骸のようであった。
倒れ伏したままぴくりとも動かないその骸の如き姿が、もしも女を見上げることができたなら、
大きな驚きと、そして小さな安堵をもって彼女をこう呼んだだろう。

―――セリオ、と。


***

69十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:02:06 ID:Qa0ikahc0
 
「……解析が完了しました。データリンクを開始します」

無機質なその声に、情動は感じられない。
来栖川綾香と呼ばれていた骸と見紛う血肉の塊は、まだ生命活動を途絶えさせてはいない。
しかし、閉じられて動かぬその瞳が短機関銃を構える女を見上げることは、遂になかった。
綾香の忠実な機械仕掛けの従者であったはずの女、HMX-13・セリオは、しかしその足元で
血だまりの中に倒れ伏す主には一顧だにくれず、まるで感情と呼ぶに値する温もりのすべてを
どこかに捨ててきたかのように淡々と言葉を紡ぐ。

と、その細身の影へ、巨獣が跳ねた。
白い巨体から苛立ちを露わにした野生の咆哮が轟く。
風を裂くような突進を、セリオは文字通りの無表情で迎撃。
巨獣の質量を受け止めるべくもない細身の機械人形が選んだ手段は、驚愕に値するものであった。
足元に倒れる主、来栖川綾香の身体を、眉筋一つ動かさずに蹴り上げたのである。
綾香の身体が、巨獣の眼前へと飛ぶ。
視界を塞ぐ遮蔽物を、巨獣が真紅の爪で小蝿を追い払うかのような仕草で薙ぎ払った。
ごきゅり、と奇妙な音と共に綾香の身体が捻じ曲がり、そのまま宙を舞って落ちた。
二度、三度と転がり、誰のものとも知れぬ血だまりに入って飛沫を上げた、その襤褸雑巾の如き姿には
最早、誰も注意を払っていない。
邪魔者を叩き落した巨獣が空中で更に爪を振り上げたその瞬間には、既にセリオの姿はない。
身を屈めたその姿は一瞬の隙に飛び来る巨獣の真下へと潜り込んでいる。
闘牛士が観客に披露するような、紙一重の回避。
勢い余った巨獣が、止まりきれずにセリオの背後に聳える銀色の塔に突っ込んだ。
それは、この山頂で行われた一連の戦闘を通して誰にも見向きもされなかった、奇妙なオブジェである。
人の背丈ほどの大きさの、それは地面に突き刺さった銀色の、優美な曲線を描く塔。
獣の巨躯にぐらりと揺れた塔はしかし、よく見ればその表面には傷一つついていない。
同時、巨獣の腹に押し付けられた機関銃が、火を噴いた。

70十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:02:26 ID:Qa0ikahc0
「あれは、……黒い機体の……腕、か……?」

その銃声にかき消されるように小さく呟きを漏らしたのは、流れ弾を嫌って飛びのいた蝉丸である。
照りつける日輪を反射して燦然と輝く銀色の塔が、元は何であったのかを知っていた、
この場で唯一の人物が坂神蝉丸であった。
記憶は鮮明。それは蝉丸自身と久瀬少年とが夕霧を率いていた、ほんの数十分前の出来事である。
山頂に繰り広げられた殺戮の担い手、砧夕霧の巨大融合体。
長瀬源蔵と古河秋生を葬ったその融合体を完膚なきまでに破壊してみせたのが、黒翼の巨神像であった。
間もなく飛来したもう一体の巨神像、白い機体とのおよそこの世のものとは思えぬ戦闘は、
この神塚山頂において一つの決着をみた。
白の巨神像の放った光が、黒の巨神像の右腕を灼き、落としたのである。
黒白の巨神像は直後に飛び去ったが、落ちた腕はこの山頂に残されたままだった。
その腕こそが銀色の塔の正体であると、蝉丸はようやくにして理解したのである。

「黒い機体、だと……? まさか……」
「その通りだよ、光岡君」

俄かに表情を険しくした光岡の疑問に答えたのは蝉丸ではなく、長瀬源五郎である。
大仰に両手を広げ、ごぼごぼと溢れる血に塗れたまま、にたにたと笑っている。
銃声と咆哮とが満ち始めた山頂に、長瀬の独り言じみた呟きが漏れる。

「神機―――アヴ・カミュ。我が国の決戦兵器にしてオーパーツ。不可侵の禁忌にして超科学の結晶。
 製造年代も、製法も、その目的すら分からない、意思もて眠る黒翼の少女。
 目覚めた途端に空の彼方へ飛び出したのには辟易するが……何ほどのこともない。
 それ、そうして一部は私の手元に残された。それで充分さ。
 ……いや、こうなるとむしろ本体がいないのが好都合とすら言えるかな」

ぶつぶつと呟かれるその言葉は、既に誰に向けられているとも知れぬ。
血液の喪失で遂に姿勢をすら保てなくなってきたか、ゆらゆらと揺れながら掠れた声で
意味の分からぬことを呟く姿は紛れもない狂人のそれであると蝉丸たちの目には映っていた。
蝋人形の如き顔色の狂人が、ずるりと顔を上げ、口の端を歪ませる。

71十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:02:53 ID:Qa0ikahc0
「イルファ、フルバーストだ。データ転送の時間を稼ぎなさい」

その声は、巨獣と相対し牽制と回避を繰り返す女、セリオへと向けられていた。
イルファと呼ばれたHMX-13であるはずの機械人形は正面の巨獣から視線を動かすことなく、
しかしその表情を、明らかに変えた。
彼女を知る者が見れば、一様に驚愕の色を浮かべたに違いない。
それはセリオと呼ばれていた機体が、ロールアウトの瞬間から通しても一度も浮かべたことのない表情だった。
長瀬にイルファと呼ばれたHMX-13は、まるで親に褒められた幼子の如く、朗らかに笑ったのである。
セリオの腹部に埋め込まれ、演算能力を並列処理していたはずのイルファが、いつの間に
その本体たるセリオの身体制御を奪い取ったのか、それは杳として知れぬ。
しかし巨獣の眼前に立つ機械人形は既に、HMX-13の姿をしているだけのHMX-17a、イルファに他ならなかった。
頬を染めて嬉しそうに笑む表情に、セリオとしての意思が存在しないことは瞭然であった。

がちり、と。
かつてセリオであり、いまやイルファとなった機械人形の身体から金属的な音がした。
人工皮膚で覆われた腕や脚に幾つものスリットが入ると、そこから無数の突起が顔を覗かせる。
それぞれに銃口を備え、それぞれに照準を持った、そのすべてが必殺の弾丸を放つ火器類。
来栖川重工副社長、来栖川綾香の誇るそれは秘書兼戦闘サポート用メイドロボ、HMX-13セリオの全兵装。
軽重無数の火器が、同時に火を噴いた。
数百の弾丸が奏でる音は最早爆音に近い。
一面の銀世界が、文字通りの弾幕によって見る間に削り取られていく。

正面、近接戦闘を仕掛けた巨獣が、弾幕の密度にその巨躯を圧され、飛ぶ。
退く動きに合わせて機械人形の照準が移動し、空中の巨獣を捉えた。
巨獣の剛毛は恐るべきことに鋼鉄の弾丸の悉くを噛み捉え、一発たりとも貫き通すことを許さなかったが、
音速を遥かに超過する嵐の直撃は貫通ではなく打撃として巨獣を叩く。
濠、と吼えた巨獣が、弾幕に流されるように大地に落ちる。

72十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:03:33 ID:Qa0ikahc0
同時、動く影は複数。
機械人形の照準は巨獣にのみ向けられていたわけではない。
全方位に向けて放たれた弾丸は、神塚山の山頂に残るあらゆる生命に等しく脅威を与えていた。
無数の砧夕霧がその胸を、頭部を、腕を足を蜂の巣にされて、ぐずぐずと崩れ落ちる。
氷柱に封じ込められたままの夕霧たちもその原型を留めぬまでに破壊されていく。
しかし、ただ漫然と的になることを肯んじぬ者達もまた、存在した。

「この程度ならっ!」
「……わざわざ受けに行くことはないでしょう」

不可視の力を展開する天沢郁未を、鹿沼葉子が呆れたように見やる。
葉子自身は常に弾幕の薄い方向へと遷移しつつ、機械人形から遠ざかる機動。
飛び交う弾丸は二人の力に弾かれ、ベクトルを逸らされて明後日の方向へと飛んでいく。

「来栖川の従者が……どういうことだ?」

不審げに眉根を寄せたのは蝉丸である。
腕の中に夕霧の中枢体を抱いたまま、土嚢の如く積み上げられた骸で作られた遮蔽物の陰に身を潜めている。
人体で構成された壁は、通常の弾丸であればそう簡単には貫通されない。
まして巨獣の吐息によって凍りついたそれは、更に強度を増加させている。
むっと立ち込める死臭と鉄の味のする空気を平然と吸い込んで、蝉丸は静かに機を窺っていた。

「……時間を稼げ、とはな」

不快げに吐き捨てたのは光岡悟。
迅雷の如き疾駆で的を絞らせず、一瞬で状況を判断する眼と頭脳は次なる遮蔽物への移動を躊躇わない。
身を掠る程度の傷は仙命樹の力が瞬く間に癒してくれる。
弾幕に頭を抑えられながらの前進という状況は、正しく強化兵たる彼の本領であった。
光岡が目指すのは、しかし弾幕の中心たる機械人形ではない。

73十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:03:54 ID:Qa0ikahc0
「何を企んでいるかは知らんが……」

最後の遮蔽物から、飛び出す。
機械人形の射線が捉えるのは疾走する光岡の影のみ。
手の一刀が閃き、

「……貴様の思う通りになど、させるものか!」

無防備な長瀬源五郎を断ち割らんと振り下ろされた。
がつり、と。
響いたのは、硬い音である。
長瀬の身体を取り巻くケーブルが、白刃を噛み、そして切り落とされた音であったか。
―――否。
光岡悟の愛刀は、ケーブルの隙間を正確に縫って、長瀬源五郎の身に届いていた。
しかし。

「な、貴様……!?」

その切っ先は、長瀬の身体を貫けない。
ほんの少し前、蝉丸の一刀によって容易く斬られたはずの長瀬の生身は、光岡の刃を何の変化もなく、
平然と受け止めていたのである。
強化兵たる光岡の膂力は常人のそれとは比較にならぬ。
その振るう一刀とて跋扈の剣と呼ばれる大業物の一振り。
集中如何では鋼鉄とて斬り割ると、自負していた。
それが、通らぬ。
何らの変哲もないと見える長瀬源五郎の青白い肌に、傷一つ付けられぬ。
驚愕する光岡の耳朶を、ふるふると震える耳障りな声が、打った。

74十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:04:17 ID:Qa0ikahc0
「……流れ込んで、くるんだ」

言わずと知れた、長瀬源五郎の声。
しかしその声音は、先程までの狂人じみたそれではない。

「流れ込んでくるんだよ、……構造が。原理が、素材が精製法が、すべてが私の中に!」

ある種の歓喜と、そして感嘆に打ち震える、声。
人生で最高の演奏を終えた楽団の指揮者のような、或いは高峰に初登頂を果たした登山家のような、
新記録を打ち立てて表彰台の高みに上ったアスリートのような、万雷の拍手を受ける俳優のような、
或いは、長い祈りの果てに神託を受けた修道僧のような、声。

「私は……私は今ようやく、世界の一番先へ来た。
 最早……私を傷つけられるものなど、この世に存在しないのだよ、君」

それは正しく、勝利者の声であった。
白刃をその身で受け止めたままの姿勢で、長瀬は目線だけを光岡へと向ける。
何か尋常ならざるものをその奥底に感じ取り、総毛立つ光岡の身体に、長瀬の手が触れた。
軽く、埃を払うような仕草。
しかし次の瞬間、光岡の身体が天高く放り上げられていた。

「……転送完了だ、イルファ。ご苦労だったね」

微笑んで、呟く。
声を受けた機械人形が巨獣との戦闘を放棄。
長瀬へと駆け寄ってその身に纏うケーブルと触れたのと、ほぼ同時。
絹を裂くような悲鳴が、轟いた。


***

75十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:04:39 ID:Qa0ikahc0
 
「……どうした、夕霧!?」

突然暴れだした腕の中の少女を抑えながら、蝉丸が声をかける。
しかし夕霧の悲鳴は止まらない。
喉が張り裂けんばかりに叫ぶ少女の、これまでに見せたことのない異様さに戸惑う蝉丸。
と、

「―――神の喚ぶ声が、聞こえたのだろう」

長瀬の言葉が、火のついたような悲鳴を貫くように、凛と響いた。
頬を紅潮させ、背を伸ばして立つその姿には、先程までの死相は感じられない。

「覆製身理論を完成させたのは犬飼博士だ。砧夕霧の量産と群体間の意思疎通モジュールは彼の理論を基にしている。
 しかし……その中核に存在する天才的な発想がどこから生まれたか、分かるかい」

一拍を置き、夕霧の中枢体たる少女の悲鳴に身を浸すように眼を閉じる。

「そう……神機だよ。発掘された機体を研究する内に判明した未知の技術。
 現代科学の領域を超越したあり得ベからざる情報の塊が、犬飼博士の理論の中核をなしている」

見開いた瞳に宿るのは、圧倒的な自信と英知の光。

「そして今、神機―――アヴ・カミュに秘められた力と記憶の総てを、私は手に入れた。
 神機より生まれた覆製身たち……神の落とし子たる哀れな贄の羊は、神へと還ってその肉と成る」

柔らかい笑みをすら浮かべた長瀬源五郎の手が、静かに天へと掲げられる。
骨ばった指が小さく打ち鳴らされた、それが合図であったかのように。

銀世界が、真紅の一色へと染め替えられた。


***

76十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:04:53 ID:Qa0ikahc0
 
それは、肉であり。
そしてまたそれは、血であった。

立ち尽くす者がいた。
倒れ伏す者がいた。

命ある者がいた。
息絶えた者がいた。

林立する氷柱の中に、
土嚢のように積み上げられた中に、
少女たちがいた。

ある者はその手足を喪失し、
ある者は内臓を散乱させ、
ある者は頭蓋を砕かれて、
少女たちの骸が、いた。

生きる少女たちと、死せる少女たちが、その山の頂にはいた。
そこに、血と肉とが、あった。

数百の少女たちの、
数千の少女たちの、
数万の少女たちの、

血と肉とが、一斉に、融けた。


***

77十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:05:09 ID:Qa0ikahc0
 
その山の頂を覆うのは、悪夢である。
言い換える余地のない、それは万人にとっての、悪夢であった。

痩身の男の、ただ指を鳴らした音の一つで、数千の少女たちと、それに倍する少女たちの骸が、
その存在を、やめていた。

爆ぜたのではない。
死したのではない。

生きる者は生きたまま、死せる者は倒れ伏したままで、その在りようを、変えた。
そうしてそれは、人の形をしていなかった。
ただ、それだけのことだった。

人であったものが、人でなくなるという、ただそれだけのこと。
少女たちが赤くどろどろとした、不定形の何かへと変じたという、ただそれだけのことが、
世界の意味を塗り替えていた。

赤くどろどろした、少女であったはずのものが、うぞりと動くたび、現実が色を失っていく。
ふるふると震え、その半透明の身を這いずらせるたび、世界は悪夢へと近づいていく。

数百の、赤くどろどろしたものが、現実を犯していく。
数千の、赤くどろどろしたものが、世界を貶めていく。

数万の、赤くどろどろしたものが、その山の中心に向けて這いずり、集った刹那。
世界に、新たな悪夢が生まれていた。


***

78十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:05:36 ID:Qa0ikahc0
 
「―――ああ、ああ」

濛々と立ちこめる土煙の向こうに、影があった。

「生まれ変わるとは―――」

常軌を逸した、巨躯。
蒼穹の下、一杯に見上げてなおその全体像を見渡すことすら叶わない。

「―――これほどに、素晴らしい」

砧夕霧の集合体たる巨人よりも、更に数倍して大きい。
小さな身動きが、土煙と地響きとを起こし、山を崩していく。

「人機がその境界を越え、新たな時代を切り開く―――」

大地を踏みしめるのは、それ自体が巨大な建造物の如き四本の脚。
四脚が支えるのは、山頂全体を覆うように広がった、金属質の巨大な胴体。

「私こそが、その先駆者であり―――頂点」

胴から生えるのは、八つの影。
それは、一体一体が、巨大な彫像である。
壮健な男の像があった。美しい女の像が、そして可憐な少女の像があった。

「ようやく、辿り着いた」

ある彫像は双剣を携えている。
その隣では長槍を、或いは大剣を、或いは刀を、手に手に得物を構えた、八体の巨人像。
それが皇と呼ばれた男を支えた英雄たちを象ったものであると、知る者はいない。

「約束の、場所」

79十一時三十四分/悪夢顕現:2008/09/17(水) 15:05:55 ID:Qa0ikahc0
英雄たちの像が囲む中心には光が湛えられている。
空を往く鳥が見下ろせば、それを光の海と見ただろうか。

「私はようやく娘たちの―――」

光の海の中、長瀬源五郎の声が響く。
降り注ぐ日輪を反射して煌く、その胴体を上から見れば、巨大な鎧のようでもあった。
或いは途方もなく巨大な神殿の周囲に、八体の巨人がその腰から下を埋めているが如き姿。
或いは、

「―――本当の父と、なったのだよ」

或いは、八頭の、巨龍。


***


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