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【伝奇】東京ブリーチャーズ・玖【TRPG】

312那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:31:49
地上160メートル、南展望室の屋上にあるヘリポート。
そこで、最終決戦の相手は東京ブリーチャーズを待ち構えていた。

「――来たか」

トーガ状の長衣を纏い、頭上に光輪を頂き。白く輝く四対の翼を持った、この世界の新たなる神。
“終世主”アンテクリスト。
橘音に天魔アスタロトの業を背負わせ、尾弐に千年の苦患を味わわせ。
ノエルの運命を狂わせ、ポチにつがいを喪う絶望を幾度も体験させた、仇。
すべての因縁の黒幕。

「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
 愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

ゆる、とアンテクリストが両手を広げる。その全身から放たれる膨大な神力が、東京ブリーチャーズ全員に強い圧を掛ける。
ただそこに居るだけで、魂が砕け散ってしまいそうなほどの恐るべき力。神の威光。

「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
 汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
 己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
 善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
 この終世主、みずからの手で」

アンテクリストの表情からは、怒りも。焦燥も。憎しみも。何も読み取れない。
神となったことで、まっとうな生物の持つ感情というものを根こそぎ切り離してしまったということなのだろうか。

「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」

圧倒的な神気に晒されながら、尾弐の隣で橘音が呟く。
先刻はアンテクリストの姿を見るなり戦意喪失してしまっていたが、今度は苦しげではあっても何とか対峙できている。

「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
 幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
 お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
 あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
 神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

レディベアが右手を突き出し、そう高らかに告げる。
だが、そんな降伏勧告などを受け容れるアンテクリストではない。

「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
 ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
 それを、これより見せよう」

すい、と終世主が右手の人差し指を天空へと翳す。
その途端、ゴゴゴゴ……と都庁が震動を始めた。否、都庁周辺の大地そのものが、そして空気が振動しているのだ。
黄金色の空が、ふたたび極彩色に侵食されてゆく。俄かに不吉な黒雲がかき曇り、稲光が轟く。

「――いでよ。鼎の三神獣――」

荘重に告げる。その言霊に応じ、虚空が激しくうねり、のたうつ。

「これは……どうしたことだ……?」

東京ブリーチャーズとアンテクリストのいるヘリポートの遥か下方、
地上で最後の大火球を迎え撃とうとしていた安倍晴朧たち陰陽師が、空を見上げる。
七ツの大火球のうち、自分たちが受け持とうとしていた最後の火球が、手を下す前に突然ひび割れ始めたのである。
だが、ただ自壊しているのではない。それはあたかも、孵化直前の卵のような。
中から何者かが出現する、そんな予兆だった。

「ピギョオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

やがて大火球の中から姿を現したのは、紅蓮の炎に包まれた巨鳥。
ワシやタカなど猛禽類を思わせるフォルムだが、その体躯はすべて燃え盛る炎で出来ている。
翼長は30メートルはあろうか。伝説のロック鳥や不死鳥フェニックスを思い起こさせる、荘厳ささえ感じさせる神の鳥。

「――『天空を統べる者、其は大いなる翼(ジズ・ザ・アルティメット・ワン)』――」

アンテクリストがその名を囁く。鼎の三神獣が一、神の翼ジズ。
更に地面が震動する。一帯の地下に埋設されている水道管が次々と破裂し、マンホールが膨大な水に押し上げられて吹き飛ぶ。
都庁周辺に存在する水という水が、一箇所に。アンテクリストの許へと集まってゆく。
そうして出現したのは、100メートル以上の長大な蛇体と無数の鰭を持った、水で出来た海竜。

「キュワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

「――『蒼海を覇する者、其は煌々たる鱗(レビヤタン・ザ・インヴィンシブル・ワン)』――」

レビヤタン。
旧約聖書、ヨブ記にしるされた、海を統べる獣。巨大なるもの、神の鱗。
そして三度地表が鳴動すると、今度は悪魔たちの襲撃によって倒壊した家屋やビル、
壊れ打ち捨てられた自家用車やバスなどの残骸がメチャクチャに寄り集まり、何かの形を作ってゆく。
頭部に巨大な一対の角を有した、巨大な四足獣の姿を。

「ギュゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」

「――『大地を束ねる者、其は蹂躙する獣(ベヘモット・ザ・アブソリュート・ワン)』――」

ベヘモット――ベヒーモス、バハムートとも呼ばれる、天地開闢の獣。神の牡牛。
それぞれが空、海、陸を示す、其れらはまさに神の働きそのもの。
炯々と双眸を輝かせながら、神の背後に神獣たちが控えた。

313那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/01/23(土) 02:35:59
旧約聖書に記された、かつて神が世界を創る際に先ず造り上げたと言われる、三体の獣。
それらを模した怪物たちを傅かせたアンテクリストが、掲げていた手を下ろす。
そして――

「往け」

獣たちに指示を下した。

「ビョゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

炎の巨鳥ジズが翼を一打ちし、ノエルめがけて突進してくる。
灼熱の獄炎によって構成されたジズの躯体は、近付いただけでも周囲の空気を燃やし肺腑を焼く。
さらにジズは紅蓮の焔をヘリポートへと吐きつけた。すぐさま、ヘリポートが炎に包まれ地獄の様相を呈する。
ノエルが氷雪の力で仲間たちを護らなければ、待っているのは即時の全滅だ。

「ギシャアアアアア――――――――――ッ!!!!」

水が海蛇めいた竜の姿を取ったレビヤタンが空を悠然と泳ぎながら、尾弐と橘音めがけて全身から圧縮した水流を放つ。
この世界で最も鋭利な刃は、日本刀でもレーザーでもなく水である。
超高圧で噴射される水流、ウォーターカッターはダイヤモンドさえもベニヤ板のように両断する。
そんな超々圧縮された水を、全身から尾弐と橘音めがけて放っている。むろん喰らえば一撃死であろう。
また、水で構築された身体は物理攻撃の悉くを無効化する。ただ殴るだけでは無意味ということだ。

「くッ……!このッ!!」

五本の尾を現出させ、橘音は妖力をフル回転させて空を駆け回避に専念する。
最後の戦いだ、今更出し惜しみはしていられない。

「グルルルルルルルアアアアアアアアアアッ!!!!」

地表では60メートルはあろうという巨体を突進させ、ベヘモットが都庁に体当たりしている。
スーパーストラクチャー方式で耐震性に優れる都庁が、巨獣の吶喊によってギシギシと軋む。
このままでは、遠からず都庁は倒壊するだろう。高さ163.3m、延床面積139.950 m2の建物が倒壊すれば、その被害は計り知れない。

「あなた!」

シロがポチに目配せする。
大地を蹂躙する獣を制することができるのは、狼の王たるポチだけであろう。
そして――

「恐れるな。私は初めであり、終わりである。
 私に身を委ねよ、運命を委ねよ。命を委ねよ――」

周囲の熾烈な戦いをよそに、アンテクリストが祈とレディベアに朗々と告げる。
その言いざまはまさに神。衆生を救済し、進むべき道を示す全能神のように見える。
が、それは偽りである。この神が差し伸べる手を取ったが最後、待っているのは破滅だけだ。

「ゆきますわよ……祈!
 あなたとわたくしが組めば、斃せぬ敵などありません!
 それがたとえ、全知全能の神であったとしても!!」

龍脈の神子と、ブリガドーンの申し子。
共に世界を改変する力を持つ、この惑星でただふたりの少女。
そんな絆の強さを確かめるように、レディベアが言い放つ。

「――――来い」

祈の攻撃を、アンテクリストが迎え撃つ。
ターボモードとなり、龍脈の力を行使する祈の攻撃を、アンテクリストは危なげなく捌いてゆく。
そして一瞬の隙を衝き、祈の鳩尾にそっと右手を触れさせる。
次の瞬間、ドンッ!!!と神力が膨れ上がって弾ける。ゼロ距離で腹部に爆弾をお見舞いされたような衝撃が祈を襲う。
さらに、吹き飛んだ祈へ神が追撃する。金色に輝く髪を靡かせ、四対の翼を羽搏かせて、一瞬で間合いを詰める。
しかし。

「やらせませんわ!!」

レディベアの瞳術。アンテクリストの身体が一瞬だけ強張る。

「ふん」

神が身じろぎする。パキィンッ!という澄んだ音を立て、瞳術が弾かれる。
アンテクリストの動きが鈍ったのはほんの一瞬だが、祈が体勢を立て直すにはそれで充分だろう。

「わたくしの瞳術が、足止めにさえならないなんて……」

「落胆することはない。神の前には、すべてが無益。
 それをこれから教えてやろう。汝らの断末魔の叫びが、千年語られる地獄の伝説と化すそのときまで――」

祈とレディベアの前方で、アンテクリストが傲然と言い放つ。
その全身から、まばゆいばかりの光が放たれている。
ふたりの少女の心と身体を完全に破壊し尽くそうと、その酷薄な両手を緩く広げる。


決戦の火蓋は、切って落とされたばかり。

314多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:47:53
 ハルファスとマルファスが、悪魔で埋め尽くされた道をレイピアで文字通り斬り開いていく。
そうして開いた道を、祈とレディベアが押し広げながら続いた。
龍脈の神子とブリガドーンの申し子を止めるべく後方から迫る悪魔たちは、殿を務めるコトリバコたちが防いだ。
 そうしてどうにか都庁が見えるところまでやってきた。

「もうすぐ都庁だ! みんなもう少しがんば――なんだあれ!?」

 そんな折、走りながら祈は空を仰いで言う。
バックベアードの顕現で黄金色に染まった空が、
今度は夕焼けのごとく、灼熱色になっていくのが見えたのである。
天に突如として出現した、七つの火球によるものだった。
 天上に輝く赤々とした七つの火球は、徐々に大きくなり、地表へと迫ってきていた。
離れているのではっきりとはわからないが、
何十メートルもある巨大な炎の塊のようで、地上にいてもその熱をじりじりと感じる。
まるで太陽が落ちてきているかのようだった。
あんなものが一つでも落ちれば、それだけで甚大な被害が出る違いない。
視認できないが、あれがただの火球ではなく、岩石を内包する隕石であれば、
それが衝突したことによる衝撃も加わる。東京が滅んでしまってもおかしくなかった。

「アンテクリストのやつ――!!」

 こんなことができるのはアンテクリストぐらいであろう。
おそらくアンテクリストも、自身が制御していた力が奪われたことに気づいたのだ。
故の、人々をより恐怖に陥れるための次なる一手か、時間稼ぎか報復か。
 ともあれ、七つの火球はばらばらの場所に向かっている。
そのうちの一つは。

>「お父様!!」

 妖怪大統領のもとへ向かっていた。
妖怪大統領は巨大なので、遠目にもそれがわかってしまう。
それを察知したレディベアが、悲鳴にも似た声を上げる。

>「レディ、前方に注視されよ!」

 前方で悪魔を切り伏せながらハルファスが注意を飛ばすが、レディベアの気はそぞろだ。
顕現したバックベアードはレディベアにとって真実の父親だ。
火球によって焼かれはしまいかと、気が気でない様子だった。
 それを見て一瞬、祈も戻るべきかと思わされた。

「安心しろよ、モノ。だって、あそこにいるのおまえの父ちゃんなんだぜ」

 だが、祈は思い直す。
彼は東京や世界、みんなの希望を受けて顕現した妖怪大統領なのだ。
そして現在、アンテクリストによって広げられた、広大なブリガドーン空間の支配権をも有している。
 つまるところ、こんな火球ぐらいなんてことはないのだからと。
 事実、妖怪大統領が一睨みし、その瞳術を浴びせただけで火球は黒い灰となって消失してしまった。

>「お父様……!よかった……」

315多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:48:11
「次の問題はこっちの火の玉だな。たぶんあたしら狙ってんぞ、これ」

 都庁上空あたりからも火球が一つ迫っている。
おそらく祈たちを合流させまいとして放たれたものだろう。
龍脈によって能力が引き上げられている祈であっても、
さすがにあれほどの火球を受け止めたり押し返したりできるだけの力があるかどうか。
いやしかし、どうにか蹴り飛ばすしかないと祈が覚悟を決めたとき。
 フォルネウスを?み倒したヘビ助が、ぐあっと口を開け、巨体をうねらせた。
そうして、天に体を伸ばすと、火球をその巨大な口で受け止めたのである。

「ヘビ助!? やめろ、危ないぞ!!」

 都庁が近い今、巨大な火球がヘビ助の口を焦がして上がる煙はよく見えた。
口が灼ける音すらも聞こえてくるようである。

「ヘビ助!! あたしがどうにかするから! ぺってしろって!!」

 おそらく祈の言葉もヘビ助に届いているだろう。
だが、ヘビ助は火球を離さない。
火球の勢いに押されて潰れそうになっても、口内が灼熱に焼かれて痛くても。
そしてついにヘビ助は、火球を?み砕き、無力化する。
 呼吸が苦しいのだろう、焼け焦げた口を開けて、荒く呼吸を繰り返している。
 今でこそ巨大なヘビではあるが、本来は転生した小さな子蛇に過ぎない。
舌をペロリと出す姿も愛らしい、そんな子蛇なのだ。
 その口が焼かれる姿が哀れで、そんなことをさせる自分がふがいなくて。
涙が出そうになりながら、祈は都庁の敷地内へと到達する。

「ヘビ助!」

 群がってくる悪魔たちを払いのけながら、
祈がそのままの足でヘビ助のすぐ近くまでやってくると、
ヘビ助は妖力を使い果たしたように、大蛇の姿からいつもの子蛇の姿に戻った。
 祈がアスファルトの上に横たわるヘビ助を両手で掬い上げると、
その口は見てわかるぐらいに焦げ付き、火傷を負っているのがわかった。
また、疲れ果てている様子でもある。
 
「ごめんな、ヘビ助……! ありがとうな……」

 そういって祈がヘビ助を指先で撫でてやると、
ヘビ助はチロリと舌を出して、一時目を閉じた。

316多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:52:44
 ターボフォームの変身が解けながらも祈は、ヘビ助を手に持ったまま、
レディベアやハルファス、マルファス、コトリバコを伴って、都庁内の玄関前広場へと戻ってきた。
 仲間たちと再会を約束した場所。
そこでは安倍晴朧をはじめとする陰陽寮の面々、自衛隊や警察が陣を敷き、防衛に努めていた。

>「おお……!祈!戻ったか!」

「晴朧じーちゃん!」

 安倍晴朧は孫の祈を見つけると、喜色を浮かべて迎えてくれた。
いつ終わるとも知れない悪魔の侵攻を、
印章からほど近くアンテクリストの直下という最前線で食い止めていたことを考えれば、
疲労は極限に達しているであろうに。

>「天を黄金色に満たす霊気、そして悪魔めの印章の消滅。
>みなまで言わずとも分かるぞ、見事仕遂げたか!あっぱれよ、祈!」

「へへ……あたしだけががんばったんじゃないけどね。
みんなのおかげだよ。ハルとマルとコトリバコたちも手を貸してくれたし」

 祈の肩に手を置き喜んでくれる晴朧に、祈ははにかんだ。
そして、ここまで連れてきてくれた仲間を見遣って、目線で晴朧に紹介する。
そして、一呼吸おいて周囲を見渡すと、

「みんなはまだ戻ってきてない?」

 と切り出し、表情を引き締めた。
祖父もいる安全地帯に戻ってわずかに気が緩んだが、危機は終わっていないのだ。
おそらく仲間たちが対処してくれたと見えて、いくつかの火球は消えているが、
天にはまだ火球がいくつか残っている。
アンテクリストを倒すのだってこれからだ。
 仲間たちの力が必要だったし、安否が気になっていた。

>「祈ちゃん!」

「橘音!」

 そこへ姿を見せたのが橘音と尾弐である。
もし尾弐がヒーロースーツを纏っているような状態のまま現れたのであれば、
「えっ……尾弐のおっさんかこれ? なんかずるい……かっこよすぎる……」とか呟いているだろう。
そのままなら、「尾弐のおっさんもおかえり!」とでも言うだろう。
ほぼ同時にノエルやポチ、シロも戻ってきた。
おそらくは各所で壮絶な戦いがあったはずだが、五体無事で生き残っている。
仲間たち全員が無事だったことに祈は安堵を覚える。

「ポチもシロも……御幸も無事だったんだな。よかった」
 
 合流して安否を確かめ合ったブリーチャーズ。
しかし喜んでいる時間はそうなく、橘音はすぐに作戦会議を始めた。
 祈は、ローランの犠牲はありながらも、レディベアの復活に成功したこと。
そして妖怪大統領を顕現させ、その影響でハルファスやマルファス、
コトリバコやヘビ助といった援軍が得られたことなどを共有している。

>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
>もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
>そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
>ただ――」

 そういって橘音が見上げる先に、火球が二つ残っていた。
ほかの火球に比べると随分とゆっくりだが、確実に落ちてきている。
 この火球をどう対処するかが問題だった。
仲間たちと力を合わせればどうにかすることも可能だろうが、まずは時間の問題がある。
今は祈たちが優勢に見えなくはないが、相手はあのアンテクリストだ。
火球を放った狙いが時間稼ぎであれば、その対処に追われてしまうのは得策とは言えないだろう。
時間が経てばなんらかの手を打たれて、いつ劣勢に追い込まれるかはわからない。
 また、これからの戦いを考えれば、極力妖力は温存しておくべきでもあった。

317多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/27(水) 23:57:28
>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

 そこで、安倍晴朧の申し出で、陰陽寮が一つ受け持ってくれることになった。
任せきりでは立つ瀬がないといって、疲労はピークであろうに、陰陽師たちとともに意地を見せてくれるようだった。
 安倍晴空と芦屋易子たちの姿もそこにある。

「ありがと。じーちゃん。陰陽寮のみんなも」

 これで残りは一つ。

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

 それを見て、レディベアが呟くが。
その残された火球目掛けて、白く輝く光の刃が空を走っていくのが見えた。
暖かく優しく、そして邪悪を容赦なく滅ぼす恐ろしさを持つその光は。

>「……ああ……!」

 不抜にして不敗の刃(インビジブル・デュランダル)。
その聖光に違いなかった。

「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

 その光の刃が、デュランダルの突き立つ大田区方面から飛んできたことも加味すれば、
ローランであることは疑う余地がない。
 人の思いを強く反映させるブリガドーン空間の特性が、
彼の強い思いを秘めた命をこの場に呼び戻したのだろう。
ハルファスとマルファス、コトリバコやヘビ助といった援軍をよこすだけの奇跡が起こる空間なのだ。
それぐらいのことはあり得る。
 光の刃は火球に届き、火球を粉砕。あとはキラキラと輝く火の粉が散り、消えゆくのみであった。
これでもう火球の心配はしなくていい。

>「―――――行きましょう!!」

 都庁のツインタワーを見据え、橘音がいう。
最終決戦へ向かう刻がきたのである。祈は橘音に続くべく、ここまで導いてくれた者たちに向き直る。

「ハル、マル。コトリバコたちも。ヘビ助と……人間や妖怪を守ってあげて。
あたしたちはアンテクリストのやつをぶっ倒しに行ってくる」

 ハルファスにヘビ助を託すと、祈はその手を握って、軽く抱きしめた。
おそらくこんな風に気持ちを伝えられることはもうないだろうから。
 ハルファスから手を離すとマルファスにも同様に、次いでコトリバコたちを順番に抱きしめて、撫でてやった。
 時間がないために多くは語らない、静かな感謝と別れであった。
そして、天神細道を潜るにせよ、自分たちの足で都庁を駆け上るにせよ、ともかく祈は仲間に続く。
仲間たちの背中に追いつこうと走りながら、祈はふと思う。

(アンテクリストをやっつけて帰ったら、御幸の作ったかき氷食べたいな。またみんなで、今度はモノも連れたりして)

 その店主のノエルは、そういえば。

(そういえば御幸のやつ。モノと幸せにならなきゃとか結婚とか、よくわかんないこと言ってたな。
多分またなんか勘違いしてんだろうなー。御幸だし)

 仲間たちに追いついて、祈はノエルの横顔を見ながら考える。
『君もレディベアと幸せにならなきゃいけないんだからね!?』とか、
『クラスメイトが言ってたよ、もうアイツら結婚すればいいって!』とか言っていたノエル。
 そのときは、意味も分からずに「……は?」と返し、
困惑しているうちに背中を叩かれてやり取りも終わってしまったが、
天神細道を潜る前に、それとなく寂しげな顔をしていたのは祈も覚えているから。
 髪についている、ノエルが贈ってくれた髪飾りを指でそっと撫でて、
戦いが終わったら、その時の誤解をきちんと解いてやろうと祈は思った。

318多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:01:09
 一行は再び昇る。
一度はその力に恐れおののき、逃げ出したはずの都庁を。
そして向かう。
終世主アンテクリストが待ち受ける、南展望室の屋上へと。

>「――来たか」

 南展望室の屋上で、アンテクリストは静かにこちらを待っていた。
 トーガ状の白い長衣、頭上に輝く光の輪。まばゆく輝く四対の翼。
神が手掛けた美貌も合わさり、その姿には人が見入るだけの魅力がある。
ここが都庁の屋上、ヘリポートであるにも関わらず、絵画でも眺めているような錯覚を覚える。
美貌を備えた圧倒的な存在感。悪の救世主。アンテクリストがそこにいる。

「戻ってきたぜ。今度こそおまえをぶっ倒しに」

 ブリーチャーズにとって、人々にとって、許してはならない敵。
祈は宣戦布告とばかりに、そう返した。

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
>愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」
 
 アンテクリストは両手を広げる。それは緩やかな動作だった。
だがその体に満ち、溢れ出す膨大な神力が、
一見してこちらを歓迎しているようにすら見えるその動作でさえも、脅威に感じさせた。
 一挙手一投足に注意を払わざるを得ない、神といって差し支えない圧倒的な力。
魂さえも潰されて、壊されてしまいそうな感覚。これが神に作られた最高の天使の圧。
しかもまだ本気ではないことに、肌が粟立つ思いだった。

>「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
>汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
>己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
>善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
>この終世主、みずからの手で」

 神に歯向かう愚者に対し、怒りを内包していてもおかしくない物言い。
だが朗々と語るその声色や、表情からは感情を読み取れない。
今の事態を機械的に処理しようとしているような、淡々としたものだった。
己が神に成り代わって世界を終わらせ、新しい世を創る終世主であるという『そうあれかし』が、
赤マントであったときの感情豊かな悪の人格を消し去ってしまったかのようだった。

>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」

 そんなアンテクリストを見て、橘音が皮肉っぽく呟く。
アンテクリストを前に逃げ出した臆病な橘音はもういない。
すべては尾弐と、幸せな未来を描くために。
 そんな橘音の様子を見て、祈は安堵する。

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
>幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
>お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
>あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
>神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

 一度は絶望を味わわされたレディベアも同じだった。
 父が偽りであったという事実を突きつけられた絶望すら乗り越えた。
ここには、その絶対的な力を見せつけられたところで、臆する者も、絶望する者もいない。

319多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:06:54
>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
>ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
>それを、これより見せよう」

 天空を指さすアンテクリスト。
瞬間、大地や大気が鳴動し始め、黄金色の空が再び極彩色に塗り替えられる。

「何するつもりだ、てめぇ!」

 一度は火球で大地を焼き払おうとしたアンテクリストである。
地震や嵐を起こして、東京の人々を巻き込むぐらいはやってみせるだろう。
 それを制しようと飛び出し、飛び蹴りを見舞おうとする祈だが、
アンテクリストに攻撃を当てることは叶わず、弾かれてしまう。

「くっ」

>「――いでよ。鼎の三神獣――」

 そしてアンテクリストは三体の神獣を召喚する。

>「――『天空を統べる者、其は大いなる翼(ジズ・ザ・アルティメット・ワン)』――」

 それは、陰陽師たちが処理する予定の、天から落つる巨大な火球を用いて降臨させた、巨大な火の鳥だった。

>「――『蒼海を覇する者、其は煌々たる鱗(レビヤタン・ザ・インヴィンシブル・ワン)』――」

 それは、東京中の水を集めて生み出された、巨大な竜だった。

>「――『大地を束ねる者、其は蹂躙する獣(ベヘモット・ザ・アブソリュート・ワン)』――」

 それは、倒壊したビルや家屋の残骸で組み立てられた、巨大な牛であった。

 ジズ、レビヤタン、ベヘモット。
これら三体の獣は、ユダヤ系の神話や旧約聖書に登場する、天地創造の際に生み出されたとされる神獣たちである。
ジズは空を、レビヤタンは海を、ベヘモットは陸をそれぞれ統べるとされ、最強の獣や完璧な獣などとして語られる。
 巨体故のパワーや頑強さの他、何をも寄せ付けない鱗や高熱の炎、眷属を従わせる鳴き声など、
強力な特殊能力を備えていることがわかっている。
 その攻撃性能の高さは、アンテクリストがいう通り、まさに世界を終わらせることも可能な怪獣であるのだろう。
 世界の終末には食べ物として供される運命であるらしいが、こちらに食べられてくれそうな雰囲気は一切ない。
 アンテクリストの背後に控えるように並び立つ三体の神獣。
彼らに向け、

>「往け」

 アンテクリストは一言、短くそう号令をかけた。
すると。

>「ビョゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

 最初に動いたのは神鳥ジズである。
標的となったのはノエルだ。
おそらく自身の炎に対抗しうる雪妖のノエルを、一番厄介な相手と判断したのだろう。
その眼はノエルのみを標的として捉えていた。
神鳥ジズがアンテクリストの背後から躍り出て、一直線にノエル目掛けて飛んでいく。

「御幸!!」

 だがその巨体だ。しかも灼熱の炎に覆われているときている。
ノエルのみを狙っての体当たりであったとしても、それは側にいるブリーチャーズ全体への攻撃となる。
羽搏きは突風に。近づいてくるだけで炎は肌や肺を焼き、酸素を奪う。
体当たりが直撃すれば、熱に耐えられても体がその質量で粉々に砕け散るだろう。
 ジズが吐き散らかした紅蓮の炎も、
ノエルが防がなければブリーチャーズ全員が蒸発させられて死んでいたに違いない。
 ジズはどうやら自身の攻撃を防いで見せたノエルに敵意を燃やしたようであり、
引き続き攻撃を続けるつもりのようだった。

 だが、ノエルのカバーに向かうだけの余裕はない。
次いで飛んできたのは神竜レビヤタンだ。
ノエルの氷とジズの炎のぶつかり合いで生まれた水蒸気を、
空を泳いだ際に起こした風で薙ぎ払うと、全身から何本もの“線”を放って見せた。
 幾条もの線は一直線にこちらに向かい、見えた次の瞬間には、都庁のヘリポートに複数の穴を穿っている。
それは尾弐と橘音に向かって集中的に放たれた、ウォーターカッターであった。
細かな分子である水は、超高圧で放てば何よりも鋭い刃となり、万物を穿ち切り裂く。

「尾弐のおっさん! 橘音!!」

 レビヤタンはもともと雌雄一対の神獣であるが、最強の獣であったがために、
繁殖を防ぐ目的で神に雄を殺されてしまったという説がある。
 そんなレビヤタンだからか。種族すらも越えた結びつきを持った番、
尾弐と橘音を集中的に狙うことにしたようである。
 橘音は空中へと逃れ、回避に専念している。
 そして水蒸気に紛れて地表へ降り立った神牛ベヘリットは、都庁に向かって体当たりを仕掛けてきていた。
ただでさえ穴が穿たれてスカスカになりかかっている都庁がガクンと揺れる。
小突かれただけでこの有様である。
このままベヘリットを放置すれば、都庁はすぐにでも倒壊するだろう。
 ベヘリットを止めるために、ポチとシロが飛び出す。

「ポチ、シロ!!」

分断され、レディベアと残された祈。
つまり今、アンテクリストに立ち向かえるのは、この二人だけということである。

320多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:09:34
>「恐れるな。私は初めであり、終わりである。
>私に身を委ねよ、運命を委ねよ。命を委ねよ――」

 だが。二人でもやるしかない。
三体の神獣を召喚したのを見るに、この世界を三度終わらせるだけの力を残しているというのは本当だろう。
 神獣を召喚したことを“一度目の世界の終わり”として数えるのなら、
あと二度、同等かそれ以上のことを行えることになる。
 仲間の助太刀に向かえば、そんなアンテクリストを放置することになり、決定的な隙を生むことになってしまうだろう。
 仲間が神獣を倒して戻るのを信じて、
こちらはアンテクリストに“世界の終わりレベルの攻撃”を仕掛けられないくらいに畳みかける。それが今やれるベストだろう。
そもそも、この偽神を倒すためにきたのだ。自分たちだけでも倒してみせると、祈は思う。

>「ゆきますわよ……祈!
>あなたとわたくしが組めば、斃せぬ敵などありません!
>それがたとえ、全知全能の神であったとしても!!」

「ったりまえだ! いくぜモノ!」

そうとも。
アンテクリストが龍脈とブリガドーン空間の力で無双の力を得たのと同じように、
祈とレディベアが組めば同じことができる。
勝つのは自分たちだと、祈は信じて疑わなかった。
 祈はターボフォームへと変身し、風火輪の炎を噴かせ、アンテクリストに立ち向かう。

>「――――来い」

 諸手を広げ、アンテクリストがそれを迎えた。
 龍脈による強化を受け、祈の能力は極限まで高められている。
筋力、スピード、頑健さ、動体視力、妖力、技の精度、五感――、ありとあらゆる面で、一級のレベルに達している。
 その蹴りを、拳を、アンテクリストは危なげなく躱し、捌いていく。
投げや関節を決めようにも、トーガ状の服を掴ませることはしない。
大人と幼児ほどの技量差。まるで攻撃の軌道をあらかじめ知られているかのような錯覚。
 それでも動じずに慎重に攻める祈だが、僅かに大振りになった蹴りに生まれた微かな隙さえも、アンテクリストは見逃さなかった。
アンテクリストは祈の鳩尾に右手をふわりと当てた。
 それだけでまるで、爆弾でも爆ぜたかのような衝撃が腹を突き抜け、祈の体はくの字に曲がる。

「がっ!!」

 発剄、あるいは神力の爆発か。
衝撃と痛み、そして肺から空気が絞り出されたことで視界に星を散らしながら、祈は吹き飛ばされる。
 吹き飛ばされる祈に、アンテクリストは翼を羽搏かせながら追いすがってきた。
そのまま追撃を仕掛けるつもりだ。

(まずっ――)

 呼吸も整っていない、体勢も整っていない、この状態で追撃を受けるのはまずい。

>「やらせませんわ!!」

 レディベアの瞳から瞳術が放たれる。
瞬間、アンテクリストの動きが止まり、祈が距離を空け、体勢と呼吸を整えるだけの隙が生まれた。

「っ、サンキュー!」

 風火輪を噴かせ、空中で姿勢を整えながら、祈。
ヘリポートに着地し、動きが止まったなら今度はこちらから追撃だと、踏み込もうとするが。

>「ふん」

 パキン、と。アンテクリストは事も無げにレディベアの瞳術を破ってみせる。

>「わたくしの瞳術が、足止めにさえならないなんて……」

 レディベアが相手の動きを止め、祈がボコる黄金パターン。
さすがに神相手には通じないらしい。おそらく二度目は瞬間的に破られるだろう。

>「落胆することはない。神の前には、すべてが無益。
>それをこれから教えてやろう。汝らの断末魔の叫びが、千年語られる地獄の伝説と化すそのときまで――」

 眩い光を放ちながら、アンテクリストが余裕綽々とそう言い放つ。
実際に余力は残されているのだろう。なにせ神に作られた最高の天使だ。
それが何千年もの時を過ごし、経験も積んでいる。
地力も、その後に身に着けてきた実力も、半妖の祈やレディベアとは格が違う。
 だが。

321多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/01/28(木) 00:17:36
「……その伝説の、あたしらが断末魔の叫びを挙げる行の前。
なんて言葉が書かれてるかわかるか? “赤マント”」

 祈は折れてはいない。
着地と同時に風火輪に爆発的に妖力を注ぎ、ウィールに高温の炎を練り上げている。

「『東京ブリーチャーズにビビり散らかしたアンテクリストは、三神獣を召喚して仲間たちを分断することにしました。
そして――』」

 ボールをゴールへと叩き込まんとするサッカー選手のように、後方へと足を延ばして。

「『女の子二人だけになったところを卑劣に狙い、どうにかこうにか断末魔の叫びを挙げさせることに成功したのでした』
って感じだろうぜ!!」

 足を前方へと降りぬくと同時に、炎を切り離す。
祈が得意とする、風火輪の炎を相手へと放つ技、人呼んで『飛炎(ひえん)』である。
 かつてなく巨大な火球となって飛ぶ飛炎を、
アンテクリストが払うか避けるかすれば、火球の陰から祈が現れ、追撃を見舞う。
 必殺の一撃にすら思えるほどの巨大な飛炎は、単純な戦法だが、目眩ましに過ぎなかった。

「おまえ、あたしらが怖ぇーんだろ。じゃなきゃ分断なんてしねぇもんな」

 アンテクリストの眼前には、宙に舞い、既に足を振るう直前の祈。
 空中で風を掴み、軸足となる左足を安定させる。
そして風火輪の加速と体のばねを使い、足のつま先だけを、瞬間的に極限の速度へと高め、音の速度を超えさせる。
ターボババア直伝の必殺の一撃、音速の回転蹴り。『音越(おとごえ)』だ。
炎を纏ったウィールが掠めれば熱を伴う斬撃、裂いた空気が迸れば衝撃波という三重の一撃でもある。
 直撃したか防いだか、いずれにしてもアンテクリストはその蹴りで吹き飛ばされることになるだろう。
やや下方向、ヘリポートに叩きつけられ、砕けたコンクリートが粉塵となり舞う。

「ミサイルは防いでたし、あたしの攻撃も捌いてた。
モノの瞳術も解いてたよな。“攻撃を直に食らえばダメージを受けるから”だ!
それって、おまえは無敵でもなんでもなくて、倒せるってことだろ!!」

 アンテクリストが無敵の怪物であれば、防御はそもそも必要ない。
傷つかない肉体は守る必要性がないからだ。
だがアンテクリストはミサイルを防ぎ、ブリーチャーズを分断し、祈の攻撃も捌いた。
つまり、その神を模して作られた肉体は、不死身でも無敵でも何でもないということ。
不意を突いてでも、限界を超えて早く動いてでも、攻撃を当て続ければいつかは倒せる。
 祈の攻撃は一発一発がミサイルまでとはいかないが、対物ライフルぐらいの威力はある。
そこそこのダメージにはなるだろう。
 祈はさらに、その場で空を幾度も蹴った。
音速に至る蹴りと、高速回転させたウィールとが生み出す衝撃波の刃、人呼んで『風刃』。
笛の音のように甲高い音を立てながらカマイタチとなって、アンテクリストへと殺到する。

「ビビってんなら降参したらどうだ、赤マント!
じゃないと、おまえが倒れるまであたしらはいくらでもやってやんぞ!
――モノ! 畳みかけるぞ!」

 機械的で隙のないアンテクリストに隙を生じさせるべく、
言葉の暴力も用いながら、祈は空へと一直線に駆け上がる。
 そして粉塵の中に見える人影の頭を目掛け、
右足を伸ばして左足を曲げたライダーキックの体勢で、全速力で落下してくる。

――祈はアンテクリストの行動から、『倒せる敵』であると見なした。
それゆえに圧倒的な力量差を前であっても、折れることなく立ち向かうことができている。
 だが、疑似的な神と化し、終世主としての『そうあれかし』を行動原理として動くアンテクリストの思考は、
祈の想像とは異なる可能性が高い。
 三神獣を召喚したのは神らしく力を見せつけるためであるだとか。
攻撃を防御や回避するのは、人ごときに穢されるのを嫌ってのことだとか。
あるいはこちらに攻撃が通ると誤認させ、より絶望を呼ぶために防御や回避をしているだけで、
本当は攻撃を受けたところでなんのダメージもないだとか。
 そんな可能性は十分にある。
だがそんなことを考えもせずに、祈は蹴りを見舞うために、勢いをつけて落下してきていた。

【勝機が見えていないのにべらべら喋って攻撃しまくる、ある意味三下ムーブ。逆襲される準備は万端】

322御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:36:34
もうすぐ都庁へ到着するという頃、突如として天に七つの燃え盛る火球が出現する。

「あわわわわ、どうしよう……!」

が、最後まで残って御幸を送り届けていたカイとゲルダは、平然と御幸を最終決戦に送り出そうとする。

「ここまで来れば大丈夫でしょう。姫様、行ってください」

「全然大丈夫じゃないよ!?」

「この空間では大抵のことは気合で何とかなるそうです、ほら」

そう言われて空を見上げてみると、火球のうちの一つをバックベアードが消し去るのが見えた。

「それに心強い?援軍も来たようですし……ってか遅いですよ!?」

よく分からない武装をした雪女の一団がどこからともなく駆けてくる。
人間界から密輸入した様々なものに釣られて志願した者達で結成された帝都防衛部隊である。

「サーセーン! 途中で空間が歪んだりいろいろあって雪山から降りてくるのに時間がかかりました〜!」

「まあいいや、あれ止めるの手伝ってもらいますよ!」

カイとゲルダは、雪女の一団を引き連れてクリスやばけものフレンズ達の元に帰っていく。

「マジで結成されてたんだ……」

御幸は暫しの間だけカイやゲルダの背中を見送りつつ呟くと、今度こそ都庁へ駆けて行った。
予想外の一団の登場に場の空気を持っていかれて感動的に送り出される感じにはならなかったが、それでいいのだ。
当たり前のように勝利して明日からも当たり前のように日常が続いていくのだから。

323御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:37:38
.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+

>「さあ――ここが踏ん張りどころだ。負ければ滅びる、引けば死ぬ。肚を括んな、野郎ども!」

「お待たせいたしました、姉姫様。これでも姫様の従者、微力ながら力になれるはずです」

クリスの左右後方に、雪女達を引き連れたカイとゲルダが並び立つ。

「姉姫様、これを――。皆の妖力を集めるなら見た目に分かりやすい方がいい。
超でかい火の玉は超でかい氷の槍で撃ち落としましょう!」

ゲルダから差し出された世界のすべてをクリスが持ち、カイとゲルダが左右から手を添えた。

「みんな! 今からあれを氷の槍で撃ち落とします! 妖力を注ぎ込んで!」

三人が世界のすべてを掲げると、皆の妖力を力に上空に巨大な氷の槍が生成されていく。
隕石に匹敵する大きさになったところで、解き放った。

「「「『超・堅き氷は霜を履むより至る(ハイパー・ラグナロク・アンクンフト)』!!!!」」」

それは現雪の女王の究極奥義の、超巨大バージョンでの再現。
放たれた氷の槍は隕石をあやまたず穿ち、一瞬の閃光と共に対消滅した。

「やりましたね……! 東京ブリーチャーズ拠点防衛班の面目躍如!」

ガッツポーズするカイ。
尚、拠点防衛班はばけものフレンズに含まれるのかまた別の枠なのかは不明である。
そこでゲルダが首をかしげる。

「拠点防衛班といえば……ハクトはどこにいったんでしょう? さっきから見かけませんけど」

.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+.。.:*・゚+

324御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:39:21
都庁前に着いてみると、祈と橘音と尾弐が到着していた。ポチとシロもほぼ同時に到着する。

>「ポチもシロも……御幸も無事だったんだな。よかった」

そう言って仲間の無事を喜ぶ祈の隣には、レディベアがいる。

「祈ちゃん、やったね……!」

が、ローランの姿は無い。祈によると、レディベアを目覚めさすために身を捧げたとのことだった。
しかし感傷に浸っている暇はなく、すぐに作戦会議が始まる。

>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
 もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
 そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
 ただ――」

「あと二つ……か」

晴朧が率いる陰陽師たちが、そのうちの一つの破壊を申し出た。

>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」
>「なに、何もかもお主らに任せきりというのも、陰陽師の立つ瀬がないのでな。
 少しくらいは儂らも役に立たせてくれ」

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

誰もがそう思ったその時、突如として残る隕石が白い閃光に貫かれて砕け散った。
クリスの復活を目の当たりにしていた御幸は、何が起こったかすぐに理解した。

>「……ああ……!」

「……真のブリガドーン空間ではこんなことがあるみたいだよ」

>「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

>「―――――行きましょう!!」

橘音の掛け声を皮切りに、一度は逃げ出した都庁へ再び突入する。ついに最終決戦の時が来たのだ。
展望室へと向かう際中、妙に視線を感じた。祈が意味ありげに見ている。

「えっ、何!? 全然気にしてないよ!?
むしろ全部の組み合わせをくっつけるのに関与してるわけだから願ったり叶ったりっていうか。
それに君達二人が並んでると目の保養になるし!」

祈の視線の意味を“あっ、こいつだけボッチや!”とでも解釈したのだろうか。
なんかもういろいろ勘違いしていそうだった。
そのまま南展望室の屋上に到着する。勘違いしたままでも別に戦闘に支障はないので問題はないだろう。

325御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:41:28
>「――来たか」

アンテクリストは神の余裕たっぷりに一行を出迎えた。

>「戻ってきたぜ。今度こそおまえをぶっ倒しに」

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
 愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

ただ存在するだけで、並の妖怪なら消し飛んでしまいそうな恐るべき神の威光が一行を襲う。
御幸は、絶対零度の氷雪の王者―― 一切の感情を封印した、現在の世界を維持する機構としての顔になった。
これが唯一神を前にして、恐怖や絶望に呑まれないための最良の策である。

>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
 幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
 お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
 あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
 神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

レディベアが高らかに降伏勧告をするが、素直に聞き入れるアンテクリストではない。

>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
 ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
 それを、これより見せよう」

>「何するつもりだ、てめぇ!」

「――させるか!」

祈の飛び蹴りと同時に、とっさに氷柱を放つが、双方いとも簡単に弾かれた。

>「――いでよ。鼎の三神獣――」
>「――『天空を統べる者、其は大いなる翼(ジズ・ザ・アルティメット・ワン)』――」
>「――『蒼海を覇する者、其は煌々たる鱗(レビヤタン・ザ・インヴィンシブル・ワン)』――」
>「――『大地を束ねる者、其は蹂躙する獣(ベヘモット・ザ・アブソリュート・ワン)』――」

召喚されたのは、空・海・大地を統べる三体の神獣。

>「往け」

>「ビョゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」

先陣を切って突撃してきたのは、神鳥ジズ。
残った最後の大火球を元に作り出されたこの神鳥は、燃え盛る炎の巨鳥という姿をしており、空に加えて炎の属性も持っている。
炎が弱点の属性有利が取れる相手と見たのか、炎に対抗し得る厄介な相手と見たのかは分からないが、御幸に狙いを定めているようだ。

>「御幸!!」

「任せといて。輝く神の前に立つ盾《シールド・オブ・スヴェル》!」

326御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:44:20
もはや十八番となった防御妖術で氷のシールドを展開し、初撃は難なく防いだ。
が、初撃はほんの小手調べと思われる。
ジズは紅蓮の焔を吐き散らし、ヘリポートは火の海となる。

「――ダイヤモンドダスト!」

燃え盛る炎を妖力の霧氷で消火する。
ジズは御幸を明確に厄介な相手と認定したのか、勢いをつけるように先ほどよりも上空から体当たりを仕掛けてくる。
勢いを付ければ当然当たれば威力は増す。が、反面その分攻撃の予備動作は長くなるということでもある。

「隙あり! フリーズチェーン!」

ジズの全身に呪氷の鎖が絡みつき、一時動きを封じる。御幸は仲間達を振り向く。

「みんな! 今のうちに攻撃を……あれ」

レビヤタンが橘音と尾弐を襲い、都庁に体当たりをはじめたベヘモットを止めるためにポチとシロが飛び出す。
目下、アンテクリストと直接対峙できるのは祈とレディベアだけとなった。
自信満々な敵は“全員まとめてかかってこい”と言ってくれそうなものだが、
束になってかかってこられるのを避けて分断するスタンスはベリアルの時から引き続きのようだ。
邪魔な仲間達の相手を傀儡にさせ、世界の命運を握る二人を直々に絶望の底に突き落とす魂胆なのかもしれない。

「割とマジでディフェンダーにクラスチェンジしたの失敗だったかな……」

攻撃は他の人に任せる気満々だった御幸は思わずぼやく。
ディフェンダーというのはアタッカーが勢揃いしている中にいればパーティの生存率を飛躍的に向上させるが、タイマンには向かない。マジで向かない。
しかも、特殊な力の発動条件がある御幸にとって、分断の弊害はそれだけに留まらない。

「ええい、エターナルフォースブリザードっ!」

苦し紛れに適当な攻撃妖術を放つが、ジズはそよ風でも受けたような顔をしている。
それもそのはず、御幸はいつの間にやらみゆきになっていた。

「え……あ……うそ……判定厳しすぎでしょ!?」

御幸は、守る対象がその場にいないと現出できない人格。
同じ場にいながらもアンテクリストの明確に分断を狙う意図により、同一戦闘には守る対象がいない扱いになってしまったのかもしれない。
ベリアルだったアンテクリストは、一行の能力を全て把握していると考えるのが自然。
アンテクリストの立場に立ってみれば、御幸を孤立させて瞬時に消しにかかるのは当然かもしれなかった。
呪氷の拘束を難なく振り切ったジズが、再び炎のブレスを吐かんとする。完全に詰んでいた。
コカベル戦を乗り切った屁理屈(?)も今回は通用しそうにない。

「童一人倒して勝てると思うな! 童がいなくたってみんなならやってくれるんだから……!」

開き直ったみゆきは、一番最初にやられる四天王のようなことを宣っている。

――もしも童にも一番の相手が隣にいれば、こうはならなかったのかな……

紅蓮の炎が放たれ、万事休すかと思われたその時。
みゆきのポケットから白くて小さいもふもふした影が飛び出したかと思うと、人型に変化する。

327御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:46:09
「――月暈《ムーンヘイロー》!」

兎耳銀髪の少年がみゆきの前に立ち、月光のような淡い光のシールドを展開して炎を防いでいた。
見慣れた姿よりも少し外見年齢が上がっており、水兵をモチーフにしたような服のうえにみゆきとお揃いのような雪のローブを羽織っている。

「ハクト……!?」

「びっくりした? 玉兎って本当はそんなに弱い妖怪じゃないんだよ」

玉兎とは本来、金烏と対を成し世界の半分を象徴する、神獣に近い側面も持つ妖怪である。
ではなぜ今まで有象無象の弱小妖怪と同程度の力しか持たなかったのか――それは彼がまだ幼体だったからだ。
幼体、とはいっても平和な時代ではずっと幼体のままの者の方が圧倒的に多いので
玉兎になる素質を持つ化け兎、とでも言うべきかもしれない。
飢えた人間を救うために炎に飛び込んだ兎の献身の精神が称えられ、月の神獣に奉られたのが玉兎の発祥とされている。
化け兎が真の玉兎になる条件とは、その伝承のとおり、誰かのために燃え盛る炎に飛び込むこと――
とはいえ流石に本当に炎の中に飛び込んでは丸焼きになってしまうので、炎の燃え盛る戦場に飛び込む、でOK判定なのだろう。

「こんなこともあろうかと君のお姉ちゃんがポケットに押し込んでくれたんだ。
いざという時まで隠れとけって。最初から出てたらぼくも分断されてたかもしれないでしょ?」

「それもそうだ……!」

同一戦闘にパーティメンバーが現れたことで、みゆきは再び御幸の姿になる。

「分かってる。君の一番にはなれないってこと。でも…… 一番の相手じゃなくたって力になれるんだよ。
――ムーンライトシャワー!」

御幸に銀色の光が降り注ぐ。
古来より強い魔力を持つとされる月の力にあやかる、妖力増幅の妖術。

328御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/02/04(木) 00:47:27
「それってどういう……」

「だから君も一番じゃなくたって力になってあげなよ。理由はどうあれ永遠を捧げたんでしょ?
なんかやたら熱心に髪飾り作ってたしね」

「……あれは妖力制御の練習だから!」

「それなら、練習の成果今こそ見せる時なんじゃない?
大丈夫、ここは想いが力になる空間。どんな大作も想いのままさ」

「そう……だね。やってみるよ!」

御幸はもともと、雪の巨人を作り出して傀儡として戦わせる術を持っている。
思い付いた作戦は、それを、そうあれかしの力を借りられるような氷細工で行うというものだった。
御幸は傘を掲げ、空にラクガキでもするように炎の巨鳥を打ち破るためのそうあれかしを描いていく。
炎の巨鳥に対抗するのは、分かりやすく氷の巨鳥。
世界の終末に食べ物として供されるという被食者の属性を持つ者には、やはり世界の終末の時に死者を食らうとされる、捕食者の属性を持つ者を――

「――クリエイト・フレースヴェルグ!!」

作り上げたのは、吹雪をまとう巨大な氷の鷲。北欧神話に謳われる、風を統べる者。
それは精巧な氷細工そのものでありながら、まるで生命が宿ったように翼をはためかせて飛翔する。

「見たか! 雪まつりだったら優勝確実の超大作! いっけえええええええええええええ!!」

炎の鳥と氷の鳥が激突する。

329尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:00:48
天より堕つる禍星。
空を朱く焦がす強大な力の塊。その数七つ。
神々ですらも模倣出来ぬであろう御業は、帝都に散在する終世主に抗う意志を焼き払わんとする。

「こりゃまた随分と滅茶苦茶やりやがるな……腹立ち紛れに都市を滅ぼそうたぁ、まるで餓鬼の癇癪だ」

>「ははは、これは愉快痛快!
>アンテクリストめ、大技を繰り出してきおったな!今まで我らを地を這う虫と思い、見向きもせなんだものが。
>やっと正式な障礙として認識したということかよ――!」
>笑い事じゃないですよ天邪鬼さん!?
>あんなもの、一発でも喰らったらジ・エンドだ!それが七ツも……誇張じゃなく東京が滅んでしまう!」
>「だろうな」
>「だろうなって!」

実際、あの火球の一つでも落下を許せば都市は壊滅するのだろう。
腐っても終世主を名乗る者が放つ技だ。そういう業でそういう権能を有していると観て違いない。
ならば、尾弐達が取るべき選択肢は一つ。

>「確かに正論、喰らえば一切万象塵芥と帰そうよな。
>ならば喰らわねば善い。喰らう前に我が神夢想酒天流の秘奥にて彼の大陰火、膾に斬って呉れようぞ」
>「仕方ありませんね……。ではクロオさん、ハルオさん、颯さん!
>五人であの火の玉を出来るだけ何とかしましょう!」

正直な所を言えば此処での消耗は大きな痛手にはなるが、背に腹は代えられない。
力を惜しんで守るべきものが滅ぶのを座して待つなど馬鹿げている。

「随分腰にきそうな前座だが、仕方ねぇ。派手に暴れて――――」

尾弐は覚悟を決めて口を開き

>「いいや。橘音君、黒雄さん。ふたりは都庁へ。
>ここは私たちに任せて下さい。祈たちと合流し、アンテクリストを討つことに集中を」
>「そうね。橘音、黒雄君、先に行って。
>あの隕石は、こっちで何とかするから!」

しかし、吐き出しかけたその言葉は晴陽と颯の二人に遮られた。
彼等は当然の様に口にする。自分達が、何とかすると。
天邪鬼も含めて3名が語る言葉を聞いた尾弐は始めは怪訝な顔をしていたが、やがて……遅ればせながらようやく思い至る。
その言葉の意味に。

>「戯け。なんでも己のみで片付けようとするのが貴様の悪癖よな、三尾。
>おいクソ坊主、貴様からも言ってやれ。自分のできぬことは、他の者に任せてしまえとな」

「ハ!そうだな――全くだ。懐かしい連中に囲まれたせいか、つい自分達で全部やらなきゃならねぇと思っちまってたが」

苦笑を浮かべ、大きく息を吐く尾弐。
そうだ。今の尾弐は。尾弐達は、かつての東京ブリーチャーズではない。

「早く走りてぇのなら祈の嬢ちゃんに。多勢に無勢だったならノエルに。奇襲強襲が必要ならポチ助に」
「出来ねぇ事は、仲間を信じて任せりゃいいんだ――――俺も橘音も、もう一人ぼっちじゃねぇんだから」
「頼れる仲間が居るんだからよ」

迷いながら、間違えながら進んできた自分達の手を引いてくれた者達がいる。
暗い闇の中で尚、光を見せてくれた者達が居る。

「信じようぜ、橘音。俺達を光の下に引っ張り出してくれた、キレェな連中をよ」

そう言って尾弐は那須野橘音の腕を掴み、天邪鬼達に背を向ける。

>「さあ――征け!
>そして、見事帝都鎮護の役目を果たしてくるがいい!」
>「祈を頼みます、黒雄さん。
>……いいえ、祈だけじゃない……この東京を。
>それが出来るのは私たちじゃない、あなたたち現在の東京ブリーチャーズだけですから」
>「ふたりとも、頑張ってきてね!
>みんなの未来を。あなたたちの未来を、守って!」

「あんがとよ、晴陽、颯、外道丸――――此処は任せた。俺達は、世界を救ってくる」

一歩、二歩。振り返らずに足を前へ。
勝利の誓いを此処に遺し、悪鬼と妖狐がいざ決戦の地へ推して参る。

330尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:03:44
辿り着いた都庁内の玄関前広場には、多くの協力者達が集まっていた。
そしてその中に、異形の妖怪達を伴った少女が一人。

>「祈ちゃん!」
>「橘音!」

多甫祈。絶体絶命の状況を打破する鍵となった、東京ブリーチャーズが一員。
橘音の腕を放して二人の邂逅を見届けて、尾弐は安堵の息を吐いた。
幾ら頼もしい仲間達を伴っていたとはいえ、直接的にアンテクリストの障害となる祈の立ち位置は相当に危険だった筈だ。
それこそ、歯車一つ狂えばこの場に立っていない可能性すらあったに違いない。
にも関わらず無事に――それも、十全以上の結果を携えてこの場に居てくれた。
尾弐は、そんな祈の尽力に労いの言葉を掛けようとして

「祈の嬢ちゃん。よく頑張ったな」
>「えっ……尾弐のおっさんかこれ? なんかずるい……かっこよすぎる……」
「あ?あー……これか。内臓がまろび出そうだったんでやっつけで作ったんだが……そういや、祈の嬢ちゃんはこういうの好きだったな」

向けられた闘気の鎧への憧憬に、思わず視線を逸らして頬を掻く。
必要性が有って装着した外装ではあるが、少し冷静になってみるとむず痒い思いがするのもまた事実。
それでも鎧の下の傷が完治している保証がないので、落ち着いて治療出来るようになるまでは解く訳にはいかず……

「ま……まあ、その話は後だ!ほら、色男とポチ助のお帰りだぜ!」

そう言って露骨に話題を逸らしつつ視線を向けた先には、ポチとノエルの姿。

>「祈ちゃん、やったね……!」
「色男、ポチ助。お前さん達も良くやったな……無事に、生きて戻ってくれて何よりだ」

尾弐は、負傷こそあれ無事に戻ってくる事が出来た二人の肩を叩き、その労を労う。
無事である事を信じてはいたが……それでも、実際にその姿を見れば喜びの感情が沸くものだ。
しかし――喜んでばかりもいられない。何故なら

>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
>もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
>そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
>ただ――」

降り注ぐ業火の災厄は、未だ潰えていないからだ。
天に在るアンテクリストの権能を祓わねば、待ち受けるは破滅のみ。
だが――絶望する事は無い。希望は残っている。ヒーローは、正義の味方は、尾弐達だけではないのだから。

>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

まず声を上げたのは、陰陽師と自衛隊の人間達。
短き時を生きる人という種が、連綿と紡いできた国を守るという想い。人々の命を守るという想い。
束ねられたそれらの想いは、火球を跳ね返す力となる。
一人が駄目なら二人で。二人が駄目なら三人で。三人が駄目なら、全員で。
これこそが群れとしての人間という生物の力なのだろう。

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

そしてもう一つの火球であるが

>「……ああ……!」
>「……真のブリガドーン空間ではこんなことがあるみたいだよ」
>「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

「……奴さん、やりとげたのか」

これについて、多くを語る事はあるまい。
ただ、一人の男が意地と信念を貫き通し、光の奔流が災厄を討ち払った。それだけの話だ。

>「―――――行きましょう!!」
「応っ!!」

眼前の障害は仲間達の尽力によって祓われた。ならば、次は尾弐達の番だ。

331尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:04:16
>「――来たか」

眼下に帝都を見下ろすその場所。東京ブリーチャーズが一度は敗走したその場所に『其れ』はいた。

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
>愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

怪人赤マント。天魔べリアル。終世主アンテクリスト。
己が目的の為にあらゆる悪を無してきた人類の天敵にして、かつて人間だった尾弐黒雄を破滅へと導いた仇敵。
絶対の神の様に振る舞うその存在は、唯一神が如く力を放ちながら言の葉を紡ぐ。

>「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
>汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
>己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
>善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
>この終世主、みずからの手で」

尾弐達は、一度はその圧倒的な力を前にして逃げ出す事しかできなかった。
けれど――今は違う。

>「戻ってきたぜ。今度こそおまえをぶっ倒しに」
>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」
「薄っぺれぇ板だ。顔面でもぶん殴ってやりゃあ、汚ぇ悲鳴の一つも上げてくれるだろうよ」

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
>幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
>お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
>あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
>神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

拳を握り、力を込める。
終わりに刃向う準備は出来た。破滅に抗う覚悟も決めた――――未来を掴む意志は掌の中に。

>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
>ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
>それを、これより見せよう」
>「――いでよ。鼎の三神獣――」

そんな東京ブリーチャーズとレディ・ベアの宣戦布告を受けたアンテクリストは、けれど感情の色すらも見せずその敵意に対処せんとする。
アンテクリストの声と共に産み出されしは三体の獣。

炎の巨鳥ジズ
水の海竜レビヤタン
神の牡牛ベヘモット

彼の旧き神話に名を連ねる神獣達。
業火が。激流が。破砕が。
世界を創る為に作り出された伝説が、尾弐達の前に立ちはだかったのである。

332尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/02/11(木) 22:04:33
>「往け」

アンテクリストの言葉に従い、巨鳥ジズが業火を吹き放つ。
空気すらも焼き尽くす炎は、幸いにしてノエルの氷雪により防ぐ事が叶ったが

「ちっ、分断されたか!!」

尾弐の言葉の通り、戦局は分断されてしまった。
本来は戦力集中による各個撃破が理想的であったのだが、神の役割を得ても、アンテクリストの謀略の才は衰えていないのだろう。
的確に尾弐達が嫌がる戦況を作らんとしている。
現に……眼前のレビヤタンと尾弐の相性は最悪と言っていい。

「邪魔だ!くたばれ蛇公!――――偽針発勁(ギシンハッケイ)!!」

橘音が回避する事でレビヤタンに生まれた隙を狙い放つ、闘気の針である偽針と発勁の合わせ技。
刺さった針が触れている箇所を発勁の衝撃で吹き飛ばすという力技は、レビヤタンの肉体の一部を破砕するが――――しかし、水で出来た肉体は即座に修復してしまう。
そう。回復ではなく『修復』だ。どうやら彼の水竜に物理攻撃は通用しないらしい。おまけに

「っ……!?オイオイ、こっちの防御は向こうかよ。随分性格悪ぃ性能してやがんなぁ!!」

彼の獣が放つ圧縮された水流――ウォーターカッターは、石や鉄は勿論、尾弐の肉体ですらも容易く切り裂く。
それをすんでの所で回避した尾弐は、自身が纏う闘気の鎧が容易く削られたのを目にして冷や汗を流す。
こちらの攻撃は効かず、敵の攻撃は直撃すれば即死。なんともふざけた話である。

>「尾弐のおっさん! 橘音!!」
「大丈夫だ!直ぐに合流する!今はこっちに気を遣るなっ!!」

乱射される水流を戦闘経験を頼りに回避しつつ、尾弐は祈へと返事を返す。
気休め――という訳ではない。確かに眼前の敵は馬鹿げた程に強力であるが、尾弐と那須野は必死の戦線など何度も潜り抜けてきた。故に

「橘音!手札は血と、黒尾(コクビ)が一度!後は根性だけだ!策を頼むっ!!」

強敵を前にして立ちすくむ事は無い。
餅は餅屋。そして、戦略は帝都が誇る聡明なる狐面探偵・那須野橘音のホームグラウンド。
即断で。全幅の信頼を込め、尾弐黒雄は那須野橘音に『使えるかもしれない』手札を提示する。

一つ目の札は尾弐の身体を流れる悪鬼の血。
普段でさえ毒といえる程の穢れである尾弐の血は、先の闘神アラストールとの戦いの最中に竜の血を浴び、その心臓を齧り、揚句にアラストールの指すらも喰らった事でその濃度を増している。
アンテクリストが呼んだとはいえ、レビアタンは旧約の聖典を祖とするモノ。
人(尾弐)精霊(竜)神(アラストール)の三位一体の毒――――彼の水竜の身体と同じく液体のそれを混ぜてしまえば、効果は見込めるかもしれない。

二つ目の黒尾は言わずもがな。
後一度きりしか使えないが、例えダイヤモンドすら切り裂く水流であろうとそれが指向性を持った攻撃であればそのまま反射してみせる尾弐の奥義だ。
何らかの方法を以て物理攻撃さえ効く様になれば、世界を作った獣であろうと己が牙で自死させて見せる事だろう。

尾弐にはそれらのカードを最効率で用いる事は出来ない。だから託す。
最も信頼できる親愛なる者の頭脳に、生きるために尾弐黒雄は己の命を賭ける。
だから、那須野橘音にも信じて欲しい。尾弐黒雄は、信じた女の言葉を必ず成し遂げる男である事を。

333ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:18:24
不意に、空に燃え盛る七つの巨星が現れた。
それらはゆっくりと、東京へと落ちてこようとしていた。
直視し難い眩さと、遥か遠くからでも感じる灼熱。
もし、それが地表に辿り着いたら何が起こるのかは――想像に難くない。

「ああ、もう!遠くからネチネチと!」

ポチが立ち止まり、空を見上げ――振り返る。
皆と合流する前に、一つ仕事が増えてしまった――あの星を止めなくては。
正直なところ、ポチはそれを無傷で成し遂げられるとは思えなかった。
ポチとシロの戦技は、狩人の業。生物を殺める為の力だ。
降り注ぐ巨大な星を打ち砕くには――それなりに、無茶をしなくてはならないだろう。
アンテクリストとの戦いを前に、これ以上の消耗は避けたかったが――

>「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――――ン!!!!」

その時だった。背後から獣達の遠吠えが聞こえた。
ロボの、アザゼルの。そして、聞き間違えるはずのない――遠野の山奥で出逢った、あの巨狼の声。

「……なんだよ、もう。来てたなら、顔くらい見せてくれれば良かったのに」

不満げな声。だがポチの口元には微かな笑み。
東京ブリーチャーズに出会い、仲間を得て、愛を知り――今更、父の心が読み取れないポチではない。
今、父に会えば、ポチの中からほんの少しだけ、しかし確実に、負けられない理由が欠け落ちる。
ポチの中にある、物心ついた頃には父親のいなかった――両親を恋しく思う気持ちが、飢えが和らぐ。

それではいけないのだ。飢えは、獣を研ぎ澄ましてくれる。
だから会わない。父はそう決めた。
ならばその決意を、ポチが無下にしていいはずもない。

「行こう、シロ。あっちは大丈夫」

ポチは再び前を向くと、そう言った。



そうして辿り着いた都庁には、既に橘音と尾弐、それに祈が集まっていた。
皆の姿を目にしたポチは、一度すんと鼻を鳴らして、

「あっ……シロ!急いで!ほら早く!」

一瞬だけシロを振り返ると、すぐに前を向いて地を蹴った。

「ふふっ、これでドベはノエっち、だね?」

殆ど飛び跳ねるように橘音達の元に辿り着いたポチは、自分と同じく今しがた都庁に辿り着いたノエルを振り返った。
両手を頭の後ろで組んで、からかうような口調。
傷を負い、疲弊した後だからこそ余裕そうに振る舞う――ポチの癖だ。

>「ポチもシロも……御幸も無事だったんだな。よかった」
>「色男、ポチ助。お前さん達も良くやったな……無事に、生きて戻ってくれて何よりだ」

「いやぁ……実は、結構ヤバかったんだけどね、こっちは……あはは……」

ポチがバツが悪そうに笑うと、シロと手を繋いで、祈を見た。

「ちゃんとふたりとも無事で戻ってこれたのは、祈ちゃんのおかげ……ありがとね」

ポチの尻尾が小さく踊る。
本当なら、祈への感謝は言葉と尻尾の動きだけで表現出来るものではない。
出来れば今すぐ変化を解いて、祈の周りをぐるぐる走り回り、脛をこすりたいくらいだ。
だが今はまだ、駄目だ。まだ王としての自分を緩める訳にはいかない。

334ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:18:40
>「皆さんの頑張りのお陰で、ボクたちはブリガドーン空間と龍脈の奪還に成功しました。
 もう、アンテクリストは眷属を無尽蔵に召喚できない。悪魔は『今いる分だけ』です。
 そして、龍脈の力を横奪することもできなくなった。彼を斃すには、今しかない。
 ただ――」

橘音が頭上を見上げる。ポチもそれに倣う。
空を占める七つの神罰。それに迫る流星の如き光。
巨星が一つ、また一つと打ち砕かれていく――だが、それも五つで打ち止め。

「やるなら、橘音ちゃんかノエっちだけど……二人ばっかり、あんまり疲れるのも良くないよね」

この状況、正直なところポチには殆ど打つ手がない。
上空から迫る巨大な火球は、当然だが接近すればそれだけで致命的なダメージをもたらす。
『獣(ベート)』の鎧を身に纏い、重傷を負う覚悟で挑んで、やっと破壊出来るかどうか。
祈と尾弐も、ポチよりはマシにしても、無傷での破壊は困難だろう。
となると、適任は橘音とノエル――だが、そうすれば二人だけが大きく消耗する事になる。

>「ふむ。では、ひとつは儂らが受け持とう」

「……一つ丸ごと?」

懐疑的なポチの声――陰陽師達は皆、疲れ果てている。
もし仕損じれば、その被害は計り知れない。
一つ丸ごとと言わずとも、妖力の補助だけでも十分助かる。ポチはそう言おうとして、

>「なに、何もかもお主らに任せきりというのも、陰陽師の立つ瀬がないのでな。
  少しくらいは儂らも役に立たせてくれ」

しかし続く晴朧の言葉に、口を噤んだ。
彼らとて今の今まで命がけの戦いを繰り広げてきた身。
その彼らに、役に立たせてくれとまで言われて、やれるのかなどと聞けるはずがない。

>「お主ら東京ブリーチャーズの健闘、献身!決して無駄にはするまいぞ!
  今こそ、平安の時代より護国鎮撫のお役目を預かってきた我ら陰陽寮の面目を施すとき!
  総員、丹田の底より法力を絞り出せい!」

ましてや、その言葉を口にしたのは陰陽寮という群れの長なのだ。
これ以上の不安視は無礼でしかない。
陰陽寮は、引き受けた使命を必ず果たす。
そこに最早、思考の余地はない。

「……よし、これで残りは一つ」

>「残りひとつは、わたくしたちが破壊する他ありませんわね……」

「だね。橘音ちゃん、僕にも何か出来る事はある?アレに噛み付いたり、引っ掻いたりする以外で――」

不意に、地から天へと迸る閃光が、最後の神罰を貫いた。
ポチが思わず言葉を失って、口をぽかんと開けて、空を見上げる。
それから――その白光が生じた方角を見やる。

>「……ああ……!」
>「ローラン……ブリガドーン空間の力で復活したんだ……!」

「……へっ。カッコつけるタイミング、見計らってたんじゃないだろうな、アイツ」

言葉とは裏腹に、ポチの口元には軽やかな笑み。
死んだと聞かされた、愛と誠意の男が生きていた。
レディベアの目に浮かび、零れた涙からは、深い愛情と喜びのにおいがする。
笑わずにいられるはずがない。

>「―――――行きましょう!!」
>「応っ!!」

「うん、行こう。アイツのお誕生日会も、いい加減飽きちゃった」

335ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:19:20
 


一度はなりふり構わず逃げ出した都庁を、東京ブリーチャーズは今再び登っていく。
屋上へ近づくにつれて、アンテクリストのにおいは強くなっていく。
ブリガドーン空間の制御を取り戻した今もなお、身の竦むような神気のにおい。
だが――今はもう、獣の本能は逃げろとは言っていない。

>「――来たか」

そして――東京ブリーチャーズは今一度辿り着いた。
四対の翼を広げ、こちらを見下ろす終世主――アンテクリストの前に。

>「この私の。神の与えた福音を跳ね除け、反創世の障害たらんと抗う者どもよ。
  愛を。夢を。希望を標榜する者どもよ――」

迸る神気に晒されるだけで、全身の毛が逆立つ。
呼吸一つにさえ神経がすり減る。

>「汝らは無価値である。汝らは無意味である。
  汝らの蒔いた種は何物をも芽吹かせず、成し得るすべての行為は徒労に終わるであろう。
  己が行動の無為を知りつつもなお、神への従属と帰服を拒むと言うのなら。
  善い――格別の慈悲を以て、汝らに裁きを与えよう。
  この終世主、みずからの手で」

「……へっ、ほざいてろよ」

それでも、吐き捨てるようにポチは唸った。
もう二度と、気圧されてやるつもりなどなかった。

>「もう、すっかり神であることが板についたって感じですね……」
>「薄っぺれぇ板だ。顔面でもぶん殴ってやりゃあ、汚ぇ悲鳴の一つも上げてくれるだろうよ」

>「アンテクリスト……いいえ、ベリアル!
  幾ら強がりを言おうと、あなたはもうおしまいですわ!
  お父様のご降臨でブリガドーン空間の制御は取り戻しました、そして龍脈の流れも元に戻った!
  あなたを神たらしめていた力は、既にあなたの手の中には何ひとつ存在しない……!
  神妙に縛に付き、刑に服しなさい!」

「そうさ。パーティーはもうお開きだ。誰もお前の為にクラッカーを鳴らしちゃくれなかったろ?」

>「ならば取り戻そう、汝らを裁いた後で、緩々と。
  ブリガドーン空間と龍脈の力を欠くとも、まだ我が身の内には世界を三度焼き尽くせるだけの神力が宿っている。
  それを、これより見せよう」

アンテクリストの指先が天空を指す。
都庁が、大地が揺れる。大気が震える。
黄金色の空に再び極彩色が滲む。

>「――いでよ。鼎の三神獣――」

そして生み出されたのは――三体の獣。

紅蓮の炎によって形作られた巨鳥、ジズ。
東京中の水が濁流と化して描き出した竜、レビヤタン。
半壊した東京に散らばる、かつて大地だった物が集い生み出された巨獣、ベヘモット。

>「往け」

アンテクリストの号令の下、三体の獣が吼える。
巨鳥ジズはヘリポートを炎で塗り潰し、レビヤタンは水圧の刃をブリーチャーズへと放つ。
ポチもシロもその場に留まれず、大きく飛び退く。

336ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:20:34
>「ちっ、分断されたか!!」
>「尾弐のおっさん! 橘音!!」
>「大丈夫だ!直ぐに合流する!今はこっちに気を遣るなっ!!」

「シロ、アレの気を引くよ!」

全身が水で構築されたレビヤタンに物理攻撃は通じない。
となると頼みの綱は橘音の妖術と、その頭脳。
いずれにしてもこの場はほんの数秒でも時間を稼ぐべき。
まだ姿の見えないベヘモットとやらが現れる前に、片を付けなくては。
ポチはそう判断して、レビヤタンへと飛びかかる――

>「グルルルルルルルアアアアアアアアアアッ!!!!」

その直前。不意に響いた咆哮と共に、ポチの足元が激しく揺れた。
都庁そのものが激しく揺らぎ、軋みを上げていた。

「な……なんだ……?」

強い震動の中、ポチはなんとか体勢を整えて、屋上の縁へ。
そこから身を乗り出して、地上を見る。

「……なんだよ、アレ」

見えたのは、体長60メートルは下らない、瓦礫の巨獣。
地上に何かが出現した事は分かっていた。
だが――目の当たりにしたベヘモットの姿は、ポチの想像を遥かに上回っていた。

>「あなた!」

巨獣の突進を受けた都庁が再び揺れる。

「……分かってる!行くよ、シロ!アイツをぶちのめす!」

絶望的な体格差。だが、それでも挑まねば都庁が保たない。
そしてこの状況、悠長に階段を使っている暇などない。
故に――ポチは屋上から飛び降りた。
そのまま右手の爪を壁に突き立てる。
都庁外壁をがりがりと削りながら、ポチは自由落下よりはやや遅く、だが急速に地上へと近づいていく。

>「ポチ、シロ!!」

「心配しないで!すぐに戻るから!」

頭上から聞こえた呼び声に応える――そして、ポチは都庁外壁を蹴りつけた。

「ガァアアアアアアアアア――――――――――ッ!!!」

地上20メートルの高さから、自身の脚力に重力加速度を乗せて、ポチは翔ぶ。
ベヘモットの頭部が目前に達するまで、一秒とかからなかった。
瞬間、ポチは前転――渾身の踵落としをベヘモットに叩き込む。

そして――ベヘモットはまるで動じなかった。
頭頂部を足蹴にしているポチを振り落とそうとさえしない。
ポチとまったく同時に、シロもまた渾身の打撃を打ち込んでいたというのに。

「コイツ……!」

ベヘモットは――あまりにも巨大だった。
加えて、その肉体は瓦礫や自動車の残骸によって構築されている。
ポチとシロの戦技は、狩人の業。生物を殺める為の力――相性が悪すぎる。

337ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:24:25
ベヘモットが再び都庁へと体当たりすべく、体を大きく後退させる。
足場としているベヘモットの頭頂部が激しく揺れて、ポチとシロはその場から飛び降りた。

「なんだ、お前……どこ見てやがる」

奇しくもポチは都庁を背に、ベヘモットを迎え撃つ形。
ベヘモットは――今もなお、ポチを見てはいない。
ただ再び都庁へと吶喊するべく、重心を深く落としている。

状況は限りなく最悪に近かった。
狼の戦技は、瓦礫を固めて出来た獣には通じない。
単純な力比べをしようにも、体格差はあまりにも大きい。

「……ナメやがって」

それでも、ポチは怒りを燃やした。
王として、ポチは今、決して怯んではならなかった。
たかが瓦礫と廃車を固めただけの、偽物の獣に、狼の王が怯むなどあってはならない。

「お前なんか、ロボとアザゼルに比べれば……これっぽっちも怖くないんだよ」

急激な妖気の昂り。
ポチの胸部から赤黒い血が、『獣(ベート)』の血肉が溢れる。
それはポチの胸から四肢へと急速に広がって、硬化――燻る甲冑を形作る。

「……あのクソ野郎を心ゆくまでブン殴る為に、取っとくつもりだったけど」

『獣』が埋めていた滅びの傷が開く。
全身から溢れるポチ自身の血が――甲冑に燻る炎によって、妖気と混じり合いながら、宙へ踊る。
赤黒い血霧は風の流れに支配されず、正確に半球状に、周囲へ広がっていく。

「先に、お前に見せてやるよ」

「それ」は、ポチが今まで拾い集めてきた、発想の欠片の集大成。
真なるブリガドーン空間の中だからこそ。
東京中の人々に信じられ、東京中の人々を守らんとする今だからこそ叶う、己が奥義の更にその先。

かつて――姦姦蛇螺との戦いで、ポチは不在の妖術に祈を巻き込んだ。
あの時は無我夢中で試みただけだったが――あれは、要は神隠しと同じだ。
己の世界、結界を作り出し、そこに他者を招き入れる。

そして結界と言えば、酔余酒重塔での戦い。
あの時、酒呑童子と化した尾弐が展開した結界と妖術。
血に満たされ、血を媒介にしたそれらは恐ろしく強力だった。

橘音の魂の世界で、彼女と対峙した時もそうだ。
橘音はまさしくその世界の主――神の如く自由自在に力を発揮していた。
自分の世界に獲物を引きずり込む――それは妖怪としては古典的であり、また最上級の戦技と言える。
攻撃の手段としては勿論――援護の手段としても。

「シロ、作戦は――」

王は二人いてもいい。いつだったか、ノエルが己に向けた言葉。
ポチはそれを思い出して――牙を剥くように、笑った。

「――アイツがぶっ壊れるまで、ブン殴るよ」

338ポチ ◆CDuTShoToA:2021/02/18(木) 22:27:09
ポチを中心に、赤黒い夜が広がる。

「オイ、テメエも紛い物とは言え獣だろ。だったら、僕に頭を垂れやがれってんだ」

都庁を破壊せんとするベヘモットは必然、そこへ飛び込んでくる形。

「ここは――『僕らの縄張り』だぞ」

ベヘモットが夜の帳を潜ったその瞬間、ポチの、そしてシロの姿が消えた。
宵闇の中、送り狼はどこにいるのか分からない。
故に、どこにもいない。どこにもいないのだから、傷つけようがない。
故に、どこにでもいる。どこにでもいるのだから、逃げようがない。

二つの状態を自在に選択出来るが故の、一方的、完全同時、全方位からの重連撃。
ポチの奥義、僕の縄張り――それが、二匹分。
送り狼の原点――ニホンオオカミの妖怪であるシロも、この縄張りの力を十全に活用出来る。

体長60メートルの巨獣の突撃は、ポチとシロでは止められない。
だが問題はない。
それが都庁に届くよりも早く――その全身を打ち砕けば、何も問題はない。

339那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:56:56
「我がしもべ、鼎の三神獣は陸海空三界の王。
 汝ら泥より湧き出し泡沫の夢が勝つこと能わず。
 神の威光、神の権能。それを思い知るがいい――」

「くそ……、近付くこともできやしない……!」

レビヤタンの放つ誘導ミサイルじみた無数のウォーターカッターの追撃を曲芸のようなアクロバット飛行で躱しつつ、
橘音が歯噛みする。
レビヤタンは都庁周辺の水道管から噴き出る水によってその巨体を構成している。
都民が使用する水は利根川上流に存在する九つのダムから供給されており、その貯水量は約4億9297万立方メートル。
リットルに換算すると約1400億リットルにもなる。これは事実上、レビヤタンを斃す方法は絶無ということの証明でもあった。
例え今尾弐と橘音が対峙しているレビヤタンを打倒できたとしても、
すぐに水道から新たな水が供給されレビヤタンは『修復』されてしまう。
此方の攻撃は効かない。だが、相手の攻撃は必殺。
やはり、アンテクリストは――ベリアルは恐るべき相手であった。仲間たちと苦難を乗り越え、偽神の力の源を遮断し。
反撃の狼煙を上げてもなお、その強さに驚異を覚えずにはいられない。

しかし。

>橘音!手札は血と、黒尾(コクビ)が一度!後は根性だけだ!策を頼むっ!!

尾弐の鋭い声が、橘音の魂を震わせる。
自分に対して全幅の信頼を置いてくれている、誰より愛しい男の声が。
嗚呼、そうだ。
いつだって、尾弐の声は自分を奮い立たせてくれた。励ましてくれた。力を与えてくれた。
どんなに強い妖壊と対峙したときも、彼の言葉が。声が、背中を押してくれたのだ。
かけがえのない仲間。長い時間コンビを組んできた相棒。
そして――心から信じる男。

尾弐が呼んでいる。自分の力を求めている。
ならば。ならば――
其れに応えないのは、女が廃る。

「オーケイです、クロオさん!やりますよ……ボクのとっておき!
 ボクの術が完成するまで、アイツの相手をお願いします!」

レビヤタンの注意を引き付ける役を尾弐に任せると、ヘリポートに降り立ち徐に胸の前で両の手指を組む。

「霊門開放。疑似神格構築開始。
 貪狼星・開放。
 巨門星・開放。
 禄存星・開放。
 文曲星・開放。
 廉貞星・開放――」

橘音の胸の前で、恐るべき速さで印契が組まれてゆく。
指を複雑に絡め合わせて印契を組み、ひとつの霊門を解放するたび、橘音の尻尾が一本ずつ激しい光を放つ。

「武曲星・開放。
 破軍星・開放。
 左輔星・開放――」

天狐の守護星たる北斗の七星に、輔星と弼星の二星を合わせて九星。
本来五尾の妖狐であるはずの橘音の尾が、六尾。七尾。八尾――と増えてゆく。
術式によって自身の妖気を増幅し、尾を妖力で無理矢理に増やしているのだ。
妖狐は尻尾が増えれば増えるほど桁違いに強力になってゆく。海の王者たる神獣レビヤタンを撃破しようとするならば、
自らも神獣に匹敵する霊格・神格を得るしかない。
しかし。

「……が、ぁ……ぅ、ぐッ……!」

印を組みながら、橘音は苦悶した。
五尾の妖狐が強引に術で妖力をブーストしているのである、本来我が身に釣り合わない莫大な力は、
想像を絶する負荷を齎す。
あと一門、右弼星さえ開放すれば術は成る。が、その一門が開放できない。
橘音単体の妖気と実力では、八尾の妖狐にまでしか格上げが叶わない。
だから――

「クロオさん……!!」

橘音は、助けを求めた。印契を解き、愛しい男へ向けて右手を伸ばす。
ひとりでは抗いがたい苦難であっても、ふたりならば乗り越えられる。
それが、長い長い絶望と後悔の果てに巡り合った、運命の男であるのなら――尚更。
ふたりの手が繋がれる。同時、ふたりの全身から莫大な妖気が迸る。

「ギョオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

今にもふたりを攻撃しようとしていたレビヤタンが、その妖気の奔流に圧されて怯む。

「天(てん)の紫微宮、天(あめ)の北辰。
 太微垣、紫微垣、天市垣即ち天球より此岸をみそなわす、西藩七星なりし天皇大帝に希(こいねが)い奉る。
 我が身に星辰の加護を、我らが太祖の力を顕現させ賜え――
 妖狐大変化!」

豁然と双眸を見開くと、橘音はそう言い放った。
そして。

カッ!!!!!

辺り一面を包み込む、まばゆい閃光。
カメラのストロボのようなそれが瞬間、視界を真っ白に染め上げた直後。
都庁上空に、それまでは存在していなかった巨大な『何か』が忽然と出現していた。

340那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:57:26
それは、狐によく似たフォルムを持った体長20メートルほどの獣だった。
体長の倍以上もある長くふさふさとした九本の尾が筋雲のように棚引いているため、全長はもっともっと巨大に見える。
躯体から尻尾まで総体白金色に輝いているが、ただ一箇所だけ。九本の尾のうち一本だけが、まるで闇を固めたかのように黒い。
その姿、纏う妖気はまさに大妖。格の勝負では海の覇者たるレビヤタンにも決して引けを取らない、堂々たる姿である。

妖狐大変化、白面金毛九尾の術。
己の妖力を最大限まで高め、妖狐の究極の姿である白面金毛九尾の妖狐を再現するという、変化術の極致。
ただし、本来であれば仙境に籠って数千年霊気を養わなければ習得できない秘術である。
修行の期間が短かったせいか、橘音は九本の尾のうち八本までしか自前で用意することができなかった。
だから、尾弐を頼った。
『尾弐黒雄』、即ち『弐本目の黒い尾』。尾弐は橘音と並び、御前が帝都守護のために用意した“尾”の一本である。
ならば、白面顕現に尾弐を用いることは至極当然の成り行きであろう。
自前の五本の尾に、妖力で造り上げた三本の尾。それに更に尾弐を加えた、九本の尾。
橘音は己と尾弐の妖力をその肉体ごと融合することで、
この場に惑星の管理者の一柱と言っても過言でない大妖怪を降臨させた。
尾弐以外の相手とでは、この秘術は到底成し得なかった。
想い合い愛し合うふたりだからこそ実現した、それは紛れもない奇跡であった。

「ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」

自身に匹敵する力を持つ存在を認識し、レビヤタンが咆哮をあげる。
が、そんなものはなんの威嚇にも脅威にもならない。

「何とか成功したみたいですね。今、クロオさんとボクは妖術によってひとつに融け合っています。
 ひとりじゃ勝ち目のない戦いだって、ふたりなら。クロオさんとボクなら必ず勝てる!
 最後の最後だ、どうせなら――ド派手に行きましょう!」

尾弐の意識の中に、橘音の声が響く。
レビヤタンが世界の生まれた際に造られた存在なら、白面金毛九尾はその世界の均衡を司る存在。
天地陰陽の理を司る権能を有する大妖だ、海の王者たる獣にも決して位負けはしていない。

「ギュオオオオオオオオ――――――――――ッ!!!!」

レビヤタンが九尾を穿とうと、全身から無数のウォーターカッターを放つ。
が、九尾は耳まで裂けた巨大な口をがぱりと開くと、そこから猛烈な勢いで黒煙を吐いた。
那須野の殺生石伝説で有名な、九尾妖狐の毒気である。しかもただの毒気ではない。
尾弐と融合したことで、その呼気は尾弐の血液と彼の啖った竜の血、そして闘神アラストールの肉を混合した、
世界でも類を見ない高濃度の毒へと変貌した。
毒気の煙幕によって九尾の巨体が覆い隠されてゆく。
ウォーターカッターは切断性に優れる反面、摩擦による減衰性も大きい。
目標に着弾するまでの空気中に多数の粒子がある場合は、摩擦によってその威力が著しく低下してしまう。
九尾の張った高濃度の煙幕によって、レビヤタンの放った超高圧の水流は悉くが無害な飛沫へと変わった。

「と、言っても――さすがにクロオさんに獣の姿で戦えと言うのは、ちょっと無茶ですか。
 それなら……行きますよ!妖狐大変化!」

九尾の狐が光に包まれ、瞬く間にまた別の何かへと変わってゆく。
次に橘音が選んだのは、より尾弐が戦いやすいような姿。
すなわち、今しがたまで尾弐が取っていたヒーロー然とした鎧姿を象った、巨人の姿だった。
ただし、その姿は多少アレンジされている。ヒーローそのものというよりは、そのヒーローが搭乗する巨大ロボ、といった趣だ。
甲冑の腰後ろからは光り輝く八本の尾と、一本の黒い尾が生えている。そこはやはり九尾の狐ということらしい。

「これでどうです?正義のヒーローには、やっぱり巨大ロボがつきものですから!
 名付けて――対神獣用決戦大甲冑・黒尾王!!」
 
ぎん!と尾弐を模した形態に変化した九尾の双眸が、仮面めいた顔貌に造型されたスリットの奥で輝く。
レビヤタンがその水で構成された長大な躯体をうねらせ、あぎとを開いて襲い掛かってくる。
黒尾王の巨体にレビヤタンが絡みつき、ギチギチとその全身を締め上げる。
しかし――

「甘い!!」

橘音が叫び、黒尾王が絡みつく蛇体をむんずと掴む。
そう、『掴めている』。尾弐が単体で攻撃したときにはなんの効果もなく、まさしく水を掴むが如き手応えだったものが、
今度は本物の生きた蛇を握るかのように把握できている。
先の毒煙と同様に尾弐の毒血の力を両手に込め、それを以てレビヤタンの水流の身体を侵食して、
接触可能なものに作り替えている――ということらしい。
むろん、レビヤタンにとっては触れられた場所から直接毒を流し込まれているということになる。それは耐えがたい苦痛であろう。
自身から黒尾王を絞め壊すために絡みついたというのに、あべこべにレビヤタンの方が苦悶することになった。

「ギギィィィィィィィィィィィィィィ……!!!」

黒尾王が手刀を振り下ろし、まるで鰻か何かのようにレビヤタンの胴体をぶつ切りにする。
バラバラになったレビヤタンだったが、すぐに破裂した水道管から新たな水を集め、元の姿に戻って間合いを離した。

「さあ、クロオさん!
 改めて、海蛇退治と洒落込みましょう!!」

終世主の生み出した鼎の三神獣のうち、海を司る獣と真正面から対峙しながら、橘音が高らかに言い放つ。
黒尾王は尾弐の意思のままに動き、生身のときに使用できるすべての技を使うこともできるだろう。
否、願いがすべて現実のものとなる真のブリガドーン空間においては、本来自分のものでない技さえも。
今まで尾弐が闘ってきたすべての相手が使用した技すら使用できるに違いない。

341那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:57:46
「ピギァォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!」

神鳥ジズが御幸とハクトと対峙し、甲高い鳴き声を上げる。
対して御幸が造り出したのは、ジズに匹敵する大きさの氷でできた大鷲――北欧神話の伝説の猛禽、フレースヴェルグ。
二羽の巨鳥が都庁の上空で激しくぶつかり合い、そのたびに烈風が吹き荒れる。
ジズの注意がフレースヴェルグに向いたおかげで御幸は結果的に行動に余裕ができたが、
といってただ単にジズの相手をしていればいいという訳ではない。

「ノエルさん!足場お願いします!」

黒尾王の中から橘音が叫ぶ。
レビヤタンと戦うにあたって妖狐形態から人型形態へと変化した黒尾王はむろん飛行能力を有しているが、
それでも実際に神竜と戦うにはしっかりと踏みしめることのできる足場が必要不可欠である。
尾弐がその力を十全に発揮するためにも、いつまでも空中戦という訳には行かない。
身長20メートルの黒尾王が自在に立ち回るには、ヘリポートは狭すぎる。
ヘリポートと同じ高さで、黒尾王がその巨体を動かすに不自由のない足場の構築を、橘音は要請した。
御幸として覚醒を果たしたノエルなら、数百メートルの氷の足場を造ることも不可能ではないだろう。

「ギィィィィィッ!!!!」

ジズがその嘴から炎を吐き散らす。
ジズの齎す強烈な熱波から祈やレディベア、橘音と尾弐を守るのも御幸の役目だ。
もし御幸がその役目を一瞬でも放棄してしまったら、たちまちヘリポート周辺の温度は数百度にまで上昇し、
仲間たちは熱にやられて死んでしまうだろう。

「ッシャアアアアアアア―――――――ッ!!!」

レビヤタンが全身から放つ水のレーザーも、避けるべきもののひとつだ。
目下レビヤタンの意識は黒尾王に向いているが、
その100メートルを超える長大な躯体から四方八方へ放たれるウォーターカッターは完全な無差別の盲撃ちだ。
例え流れ弾であったとしても、それは喰らえば東京ブリーチャーズであろうと即死するほどの威力を持っている。
ノエルは戦場全体を俯瞰し、仲間たちに都度最適解のサポートをしなければならなかった。

「仲間はぼくひとりじゃないよ。
 そして敵はあの鳥だけじゃない……みんなを守ってあげるんだろ?
 護る力が君の力。それなら――立派に全員、護り通してみせようよ!」

ハクトが御幸に告げる。

「ほら……来るよ!」

ジズとフレースヴェルグの力は互角のように思われたが、神の力を分け与えられた神鳥の方が僅かに勝った。
氷の巨鳥が炎の巨鳥の圧倒的な熱に片翼を溶かされ、真っ逆様に墜落してゆく。
忌々しい相手を撃破したジズは、それを生み出した御幸へと怒りに燃えた双眸を向け、一気に飛来してきた。

「月暈《ムーンヘイロー》!」

ハクトがジズの猛烈な熱を防ぐ。が、元々の質量が違いすぎる。
展開した光の障壁に、瞬く間に細かなヒビが入ってゆく。

「ぅ……」

両手を突き出してジズの熱に抗うハクトの額に、球の汗が浮かぶ。その手に火ぶくれができてゆく。
我が身を挺して火炎から御幸を守るハクトの姿は、まさに御伽噺の玉兎に外なるまい。
そして――そんなハクトのことを護りたいと願う心こそ、御幸に無限の力を与えるもの。

触れるものの悉くを燃やし尽くし、灰燼に帰す神の遣いが御幸へと一直線に突っ込んでくる。
御幸の大切なものを、愛するものを、すべて奪おうとやってくる。
押し寄せるのは理不尽と不合理。神を僭称する者の揮う無慈悲に抗い、その手を跳ね除けてすべてを護る――

それが、御幸乃恵瑠の仕事だ。

342那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:58:09
>……分かってる!行くよ、シロ!アイツをぶちのめす!

「はいっ!」

偽神の創造した、最後の手駒。掛け値なしに最強のしもべ。
神話にその名を轟かせる、陸海空の獣。
それらの一角、巨獣ベヘモットにポチが狙いを定めるのに従って、シロもまた躊躇いもなく屋上から虚空へと身を躍らせた。
そして、狼と化生の身体能力を駆使して身を低く屈め、都庁の外壁を垂直に駆け下りてゆく。

>ガァアアアアアアアアア――――――――――ッ!!!」

「はああああああああああ――――――――――ッ!!!」

ポチが渾身の力でベヘモットの脳天に踵落としを叩き込むのと同時、シロもまたありったけの力で右の飛び蹴りを炸裂させる。
が、恐らく現存する大半の妖壊を一撃で昏倒させるであろうふたりの攻撃をまともに浴びても、ベヘモットは微動だにしなかった。
どころか、ふたりの存在にさえ気付いていないようである。
ベヘモットの躯体は60メートル強。150センチにも満たないポチの小柄な身体は、
陸を制する王者から見ればまさしく、小虫のようなものであろう。

>なんだ、お前……どこ見てやがる

ふたりは身軽にベヘモットの頭部から離れると、都庁を守る形で巨獣と対峙した。
ポチが不快を露に唸る。

「ポチ殿!
 陰陽頭さま、我らも――」

「その必要はない」

今ほど都庁の中を駆け上がっていったかと思えば、すぐに舞い戻ってきたポチとシロを見て、
陰陽師たちが加勢しようと動きかけたが、そんな配下たちの動きを安倍晴朧が右手を横に伸ばして制する。

「あれは、あのつがいの獲物であろう。迂闊に手出しをすれば邪魔になるだけだ。
 ならばせめて足手纏いとならぬようにするのが、我らにできる最大限の助力よ。
 まだ動ける者は引き続き周囲の悪魔どもの掃討・殲滅と、周辺住民の安全確保に努めよ!」

「承知致しました!――ポチ君、がんばって!」

「そんなガラクタに負けるな!」

「やっちゃえ、ポチ君!シロちゃん!」

ふたりの邪魔にならないよう後退しながら、巫女たちが口々にポチとシロを応援する。
真のブリガドーン空間にあって、そんな人々の心こそが。
ポチたちを信じる『そうあれかし』こそが、何よりの力となる。

>お前なんか、ロボとアザゼルに比べれば……これっぽっちも怖くないんだよ

ポチの胸元から、赤黒い血が溢れて全身へと広がってゆく。石炭のように燃え燻る甲冑が形成されてゆく。
ポチに力を、未来を、すべてを託した狼の王ロボ。
その甲冑もまた、ロボがポチに託したもののひとつ。

「……あなた……」

禍々しいとさえ形容できるその鎧姿を目の当たりにして、シロが呟く。
まだ、ベヘモットはポチとシロを認識してはいない。敵だと思っていない。いや、その存在にさえ気付いていないだろう。
己がその巨体で突進するだけで、進路上にあるすべてのものは轢断され、鏖殺されると思っている。
自分こそはこの大地を統べる獣の王者。生態系の頂点に君臨する、王の中の王――そう驕っている。
そんな過ちは、不見識は、正さねばなるまい。
ロボとアザゼル、偉大な先駆者たる獣の王たちに認められた、新たなる獣の王として。

>……あのクソ野郎を心ゆくまでブン殴る為に、取っとくつもりだったけど
>先に、お前に見せてやるよ

ポチの血が霧状に散って、周囲に拡散してゆく。
けれど、それは単なる負傷によるものではない。
血霧が覆う範囲が徐々に広がってゆき、其れはがてベヘモットの巨体さえも包み込む広範な異空間へと変貌した。
これこそは、ポチが今まで培ってきた戦闘経験の集大成。
狼王ポチの結界。新しい縄張り――その具現であった。

>シロ、作戦は――

ポチがシロへと声をかける。
作戦。それはいったいどんなものなのだろう?
自分が囮になればいいのか。それとも身を挺して彼を守り、彼に攻撃に専念してもらうのか。
いずれにしても、それに従う。シロはとうにその覚悟を決めていた。

しかし。

>――アイツがぶっ壊れるまで、ブン殴るよ

告げられた作戦、その内容はこの上もなくシンプルなものだった。

「…………はいっ!!」

だが、それでいい。相手が壊れるまで、真正面から正々堂々と叩き潰す。
それこそが獣の頂点に立つ、狼王の戦いであろう。

343那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:58:29
「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

ガツ、ガツ、と闘牛のように右前足で地面を幾度も削り、咆哮と共にベヘモットが突進を開始する。
その進路上にある車や道路標識、信号機。すべてを苧殻のように蹴散らしながら、体高60メートルの巨牛が都庁へ突進する。
だが、都庁へ至るまでのその道は、すでにポチの結界によって覆われている。即ち――
送り狼のテリトリーである、夜の闇に。

>オイ、テメエも紛い物とは言え獣だろ。だったら、僕に頭を垂れやがれってんだ

地響きを立てながら突撃してくるベヘモットを、ポチがねめつける。

>ここは――『僕らの縄張り』だぞ

ポチの姿が、すう……と闇の中に融ける。
ベヘモットはそれを一瞥さえしない。相変わらず、その視界に入っているのは自らが破壊すべき都庁だけなのだろう。
そして。
そんな巨獣の、建物の残骸やスクラップと化した消防車、トラック、捲れ上がったアスファルトなどで構成された身体の一部が、
突然爆ぜた。
結界――縄張り内に広がった宵闇と完全に同化したポチとシロが、ベヘモットに対して攻撃を加えたのだ。
ベヘモットは余りに巨大である。従って、攻撃は当て放題だ。
闇の中から、無数の狼型の闘気が尾を引きながらベヘモットの脇腹に炸裂する。シロの影狼群舞だ。
ポチとシロが攻撃を繰り出すたび、破壊の嵐が吹き荒れる。ベヘモットを構成するガラクタの一部が爆散する。
しかし、それでも。
ベヘモットは止まらない。あくまで目的は都庁の倒壊のみ、多少のダメージは痛みのうちにも入らないとばかり、
恐るべき速さで都庁への距離を詰めてゆく。

「はあああああああああッ!!!!」

バギッ!ベキッ!ガギィンッ!

ポチの妖術によって何倍にも破壊力の跳ね上がったシロの拳足が炸裂し、ベヘモットの頬の装甲が抉れる。
強靭な肩部が弾け、ビルの鉄筋が幾重にも巻き付いたような骨格が露になる。
脇腹を覆っていたアスファルトが砕け、肋骨が剥き出しになる。
ただ、止まらない。ベヘモットの突撃を留めることができない。
ならば。

「――参ります!!」

シロは一瞬だけ闇の中から姿を現すと、すぐ傍にいるであろうポチへと目配せした。
仕草はそれだけ。しかし、ポチにはそれで充分にこちらの意図は通じたであろう。
シロがベヘモットの眼前に躍り出、注意を引き付けた瞬間――ポチがその足許を狩る。
送り狼の『そうあれかし』は絶対だ。例えどんな強敵であろうと転ばせてしまえば最早、勝負は決したも同然。
実際、ポチはそうしてあの強大無比な山羊の王アザゼルにも勝利している。
無論シロはポチがいかにしてアザゼルに勝利したのかは知らない。けれど、ポチの必勝の型がどんなものであるかは理解している。
ゆえに、そこを攻める。それは当然の帰結だった。

「影狼!」

自身の周囲に十一頭の影狼たちを出現させ、突進してくるベヘモットに対して身構える。
影狼は闘気と妖力によって生成されるシロの影法師のようなものだが、単なる武器――ではない。
シロ自身気が付かなかったことではあるが、影狼の一頭一頭には意思があり、魂が宿っている。
そしてそれは、赤錆色の巨狼が率いていた群れの狼。最後のニホンオオカミたちの魂であった。
遠野の山奥で富嶽に唆され、巨狼たちと戦った際に影狼が出現しなかったのは、それが原因だったのだ。
しかし、今は違う。今、ニホンオオカミたちの魂は確かにこの場に――シロとポチの傍にいる。
新たなオオカミたちの未来を。獣たちの幸福を掴み取るために。
この世界に唯一残ったつがいに、力を貸してくれている。
だから――

その期待には、応えなければならない。

「たあああああああああああああああ――――――――ッ!!!!」

シロは狼の脚力を最大限に発揮し、一気に疾駆するとアスファルトを強く蹴って跳躍した。
そのまま、矢のようにベヘモットへと肉薄する。狙いはその眉間、ただ一点。
矢のようにベヘモットめがけて突き進むシロの周囲に、十一頭の影狼が付き従う。
大きく上体を捻り、シロが右拳を引き絞る。硬く握り込んだ拳に影狼たちが次々と吸収されてゆき、激しい光輝を放つ。

「秘奥義――――終影狼(ついかげろう)!!!!」

ガゴオオオオオオオオッ!!!!!

影狼を取り込んだシロ渾身の右拳が、狙い過たずベヘモットの眉間に炸裂する。
拳が命中した場所を中心に大気が鳴動し、攻撃のあまりの威力にリング状の衝撃波が周囲へと拡散する。
ベヘモットの眉間に亀裂が走り、その装甲が爆散する。鉄骨や廃材で構成された頭蓋骨が現れる。
そして――獣の巨体が、ほんの僅かにぶれた。
シロの秘奥義をもってしても、ベヘモットをほんの一瞬しか怯ませることができない。
しかし、その一瞬でもポチには充分であろう。
巨獣の足許は、がら空きだった。

344那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:58:50
>……その伝説の、あたしらが断末魔の叫びを挙げる行の前。
 なんて言葉が書かれてるかわかるか? “赤マント”

「…………」

>『東京ブリーチャーズにビビり散らかしたアンテクリストは、三神獣を召喚して仲間たちを分断することにしました。
 そして――』
>『女の子二人だけになったところを卑劣に狙い、どうにかこうにか断末魔の叫びを挙げさせることに成功したのでした』
 って感じだろうぜ!!

祈が身の丈以上もあろうかという巨大な火球を発生させ、アンテクリストへと蹴り飛ばす。
アンテクリストは右手を前方へ伸ばすと、火球をまるで最初からその場に存在しなかったかのように消滅させてしまった。
が、それでも祈の攻撃にはなんの支障もない。最初から、火球は目眩ましの障害物に過ぎなかった。

>おまえ、あたしらが怖ぇーんだろ。じゃなきゃ分断なんてしねぇもんな

祈の本命、必殺の『音越』がアンテクリストを狙う。
ぶぉん!と炎を纏って振り抜かれる祈の右足を、終世主は左腕を立ててガードする。
だが、祈の蹴りの威力の方が上だ。アンテクリストはそのまま強引に蹴り飛ばされ、ヘリポートに激突した。
濛々と粉塵が上がる。周囲に漂う煙の中で、アンテクリストはゆらりと立ち上がった。
どうやら、ほとんどダメージはないらしい。

>ミサイルは防いでたし、あたしの攻撃も捌いてた。
 モノの瞳術も解いてたよな。“攻撃を直に食らえばダメージを受けるから”だ!
 それって、おまえは無敵でもなんでもなくて、倒せるってことだろ!!

祈が語気も鋭く言葉を放つ。
確かに、アンテクリストは今まで自分に向けられた攻撃のすべてを無効化、あるいは防御してきた。
防御もしくは回避とは、即ち危険からの自衛行動である。自衛が必要ということは、
つまり祈たちの攻撃を脅威とみなしている――ということの、紛れもない証左であろう。

>ビビってんなら降参したらどうだ、赤マント!
 じゃないと、おまえが倒れるまであたしらはいくらでもやってやんぞ!
 ――モノ! 畳みかけるぞ!

「了解ですわ、祈!」

目にも止まらぬ音速の蹴りで無数の真空波を生み出した祈の指示に従い、レディベアが瞬間大きく両手を広げる。
そして、すかさず胸の前で両腕をクロスさせる。と、アンテクリストの周囲にたちまち無数の目が出現した。
ブリガドーン空間の中で祈と対戦した際に使った、目から放つ極細のレーザーだ。
祈の放った風刃に加え、周囲に展開した目が放つ全方位からのレーザー。
少女ふたりのコンビネーションは完璧だ。四方八方から襲い掛かってくる衝撃波とレーザーを回避することは不可能。
仮に防御したとしても、無傷では済まないだろう。
いかなる大妖さえも打ち倒す力を秘めた、必殺の連携。

しかし――

それも『相手が唯一神でなければ』の話だった。

ぶあっ!!!

突如、アンテクリストの周囲に立ち込めていた粉塵が螺旋を描いて吹き散らされる。
アンテクリストは猛烈なスピードでとどめの蹴りを繰り出す祈を一瞥すると、ぎん!!と双眸を見開いた。
レディベアの展開した目が一斉に神へとレーザーを放つ。が、当たらない。
ほんの瞬きの間に、アンテクリストは少女たちの波状攻撃をこともなげに潜り抜け、祈の背後に出現していた。

「それが汝の蹴りか。そのような脆弱な肉体で、この神に挑むというのか。
 思い上がるな、半妖――」

バギィッ!!!!

アンテクリストの放った回し蹴りが祈の右脇腹を捉える。本気の菊乃が放った蹴りよりも強烈な、神の重爆。
今度はあべこべに祈がヘリポートに叩きつけられ、盛大に粉塵を上げることとなった。

「蹴りとは、こうやる」

「祈!!」

ヘリポートに激突した祈を見下ろし、神が冷淡に言い放つ。
レディベアが祈へと駆け寄り、傍らに屈み込んでその安否を気遣う。
蹴りの一撃で肋骨が何本か折れたかもしれないが、レディベアがすぐにブリガドーン空間の力で祈の負傷を回復させる。

「祈……今、傷を癒しますわ……!」

長い金色の髪と長衣を緩やかに靡かせ、光背から眩い輝きを伴う神気を振り撒きながら、
神が傲然と少女たちを見下ろしている。
そして幾許かの沈黙ののち、神は徐に形のいい薄い唇を開くと、

「――私が怖いか、龍脈の神子」

と、言った。

345那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:59:07
「私が怖いか、龍脈の神子。
 私が恐ろしいか――怯えているのか」

先刻祈がアンテクリストを煽るために告げた言葉を、今度はアンテクリストが祈へ向けて口にする。

「饒舌は恐怖に呑まれまいとする惑乱の顕れ。矢継ぎ早の攻撃は、竦む身体を奮い立たせんとする焦燥の顕れ。
 しかし、それは当然の仕儀である。
 何故なら汝は今、正真の神前に在るのだから」

音もなくヘリポートに降り立ち、両手を広げる。――まるで聖堂にあるイコンやフレスコ画のように。
眩いばかりに輝くその姿が、一層清浄な神気を放つ。
その様子は、威容は、まさに神。この世界を創造した唯一神そのもの。
唯一神が、今。龍脈の神子を殺しに来る。

「神の愛は無限。されどそれは神に拝跪し、こうべを垂れ、その裁きと赦しを望む者にのみ与えられる。
 神の愛を拒み、済度を拒み、あくまで我欲と自愛の儘に振舞わんとする者には――
 ただ、神の雷のみが与えられるものと識れ!!」

どんっ!!!!

それまでの静かな佇まいから一転、アンテクリストが床を蹴り一気に祈とレディベアへ間合いを詰めてくる。

「く――!」

レディベアが虚空に現出させた無数の目からレーザーを放ち、弾幕を作る。
しかし、効かない。正確無比、一発必中のはずのレーザーの包囲網が、まるでアンテクリストを捉えられない。

「消えよ。地獄の弥終にさえ、汝らの居場所はない。
 完全なる消滅、それが……汝らに下す、神の裁きだ!」

ずどむっ!!!

「が、ふ……ッ」

閃光のようなアンテクリストの左拳が、無防備なレディベアの鳩尾に深々とめり込む。
臓腑を残らず捻転させるほどの衝撃。身体を滑稽なほど『く』の字に折り曲げ、レディベアは隻眼を見開いた。
レディベアは拳を喰らった衝撃もそのまま、大きく上空に吹き飛ばされた。
だが、それで終わりではない。更にアンテクリストはレディベアの吹き飛ばされた先に、圧倒的な神気を凝縮させてゆく。
空中に出現した、巨大な神気の球体。レディベアが接触した瞬間に神がぐっと拳を握り込むと、それは轟音を立てて爆発した。

「―――――――――――ッ!!!!」

レディベアは成す術もなくそれを全身に浴び、ボロ雑巾のようになって今度は逆方向へ吹き飛ばされ、
受け身を取ることさえ侭ならずどっと頭から床に墜落した。
瞬く間にレディベアを始末すると、アンテクリストはじゃり……と踵を返して祈へと向き直る。

「私が倒れるまで、幾らでもやると言ったな。
 やってみせるがいい、脆弱な半妖の身でそれが叶うと思うのならば。
 相手をしてやろう、そして汝の心を寸刻みに折ってゆこう。
 汝に許された行動とは、神の前に自らの罪の重さを悔いること。ただそれのみだということを知るがいい――」 

じゃりっ!!!

アンテクリストが、ぎりぎりでレディベアによる回復の間に合った祈へと一気呵成に攻めかかる。
掠っただけでも容易く祈の命を奪う威力の右拳、その隙を埋めるように放たれる左拳。
衝撃波を伴ってヘリポートを容易に削り取り、唸りを上げて繰り出される蹴り。
一打一打、そのすべてが必殺。そんな神の攻撃が嵐のように祈を襲う。
かつての赤マントは搦手や策謀に特化し、荒事はロボやクリス、配下の天魔たちに丸投げするというスタイルだった。
けれども、神に覚醒したアンテクリストは違う。単に剛力を無暗に振り回しているだけではなく、
きちんと戦闘理論に則った、さながら精密機械のような攻勢で祈を追い詰めてゆく。
防御行動についても同様だ。龍脈の神子の力を発揮した祈の攻撃を、アンテクリストはまるで微風のように受け流してゆく。
攻防両面に於いて完成されているとしか言いようのない、神の闘法。
祈は知る由もないが、その強さは尾弐が対峙した闘神アラストールすらも凌駕する。
むろん、実は赤マント――ベリアルが元々武道の達人だった、という訳ではない。
アンテクリストに無類の強さを与えているのも、また。『そうあれかし』の力に他ならなかった。

「世界を構成せし鼎の三神獣は見せた。
 龍脈の神子。これから汝に三つの創造の御業のうち、二つ目を見せてやろう」

ゴアッ!!!!!

アンテクリストの全身から、一層激しい神気が光を伴って迸る。
上体を前方にのめらせ、神が颶風を撒いて真正面から祈へと肉薄してゆく。
その速度は不可視。スピードに長ける祈の目をもってしても、終世主の攻撃を見切ることはできない。
迸る膨大な神気によって祈の咄嗟の防御も弾き飛ばし、終世主がその拳を振るう――

ぎゅばっ!!!!!

アンテクリストの周囲から闇が溢れる。それは祈の周囲を瞬く間覆い尽くし、すべてを暗転させた。

346那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:59:25
祈は完全に闇の中へと包み込まれた。
其処は仲間たちと一緒に戦っていた都庁屋上のヘリポートではなく、
先刻レディベアと戦ったブリガドーン空間の中のように上下も天地もない、宇宙空間のような場所だった。
祈の現在いるその空間こそは、アンテクリストの発生させた別世界。
龍脈の神子を葬り去る、ただそれだけのために終世主が編み出した絶対の結界であった。

「刮目せよ。拝跪せよ。絶望せよ!
 此れが――真なる神の御業である!!」

創造神たるアンテクリストが有する唯一無二の力、創世の御業。
神が世界を創った一週間の奇蹟。その莫大なエネルギーが、祈ただひとりへと向けられる。

一日目、神は暗闇がある中、光を生み出した。即ち――

ばぎゅっ!!

初撃。一切の視界が効かない真闇の中から発生した突如の閃光が祈の網膜を灼く中、
マッハを越える速度で繰り出されたアンテクリストの右拳が龍脈の神子の薄い腹部を痛撃する。

ニ日目、神は天を創った。即ち――

ベギィッ!!

弐撃。弾丸のように後方へ吹き飛んだ祈の身体を追撃し、
神が下方から掬い上げるように強烈な右の蹴り上げで祈の軽い身体を空高く吹き飛ばす。

三日目、神は大地を創り、海が生まれ、地に植物を茂らせた。即ち――

バゴォッ!!

参撃。遥か上空へと弾き飛ばされた祈の身体を更に追い、祈の上方へと瞬間移動すると、
神は手指を組んだ両手を大きく頭上に振り上げ、ハンマーナックルとして一気に祈へと叩きつけた。

四日目、神は太陽と月と星を創った。即ち――

ギュガガガガガガッ!!

肆撃。ハンマーナックルによって下方へと殴り飛ばした祈を見下ろし、神が右手を突き出す。
途端にその周囲に無数の神力が発生し、それらは流星雨のように祈へと降り注いではその身を穿った。

五日目、神は魚と鳥を創った。即ち――

「ピギョオオオオオオオオオオオオッ!!」

「ギシャアアアアアアア―――――ッ!!」

伍撃。ノエルと戦っていたはずのジズが束の間祈の眼前に出現する。
神の結界の中では、すべての法則が神の思う侭に働く。三神獣を再召喚することさえ容易ということらしい。
その神の鳥が祈に対して紅蓮の焔を吐きつける。かと思えばレビヤタンがその長大な身体をくねらせて現れ、
がぱりとあぎとを開いて激しい水流を噴射してきた。
しかし、ジズの焔もレビヤタンの水流も、それ自体が祈を狙ったものではない。
神鳥の猛火と神竜の水流が祈の目の前で接触した、その瞬間。

ガガァァァァァァァァァンッ!!!!

水が超高音の熱に触れたとき、そこには水蒸気爆発が生まれる。
神獣が生み出した、自然界で起きるそれとは比較にならない衝撃が祈の全身を打ちしだき、大きく吹き飛ばす。

六日目、神は獣を創った。即ち――

「ブモオオオオオオオオオオオオオッ!!」

陸撃。突如現れたベヘモットがその巨体を猛進させ、吹き飛んだ祈を狙う。
体長60メートル、重量数百トンもの質量がトラックかダンプカーのように、たかだか身長153センチ体重45キロの祈を跳ね飛ばす。

そして――七日目。

「安息せよ。此れぞ神の業。この世で唯一の神のみが成し得る奇蹟。
 即ち――――――」

三神獣によって大きく跳ね飛んだ祈に、偽神が迫る。その全身から光が、神気が溢れ出る。
終世主がとどめとばかりに神力の籠もった双掌打を撃ち放ち、祈の躯体の真芯を穿つ。




「天 地 創 造(セヴンデイズ・クリエイション)!!!!!」




ドゴゥッ!!!!

神の七つの撃拳、それこそは正にいと高き者のみが揮うことのできる至上の断罪。
いかな龍脈の神子といえど、祈を葬り去るためにその力のすべてを解き放ったアンテクリストの必殺拳をまともに喰らえば、
大怪我どころでは済まないだろう。
結界がガラス細工のように粉々に砕け散り、元のヘリポートへと戻る。アンテクリストは最初のように緩やかに両腕を広げると、
もはや勝負は決したとばかりに祈を見下ろした。

347那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/02/26(金) 00:59:57
「い……、いったい何が……?」

黒尾王として妖力のコントロールを行い、尾弐のアシストをしながら、橘音は驚愕に目を見開いた。
祈が瞬間的に姿を消したかと思えば、次の瞬間にはボロ雑巾のようになって床に倒れ伏している。
白面金毛九尾に変化し大妖の五感を得た橘音さえ、アンテクリストが祈に何をしたのか理解できなかった。
他の仲間たちにしても同様であろう。気付けば、祈がズタズタに変わり果てて床に転がっていた。それが全てである。

「ああ……!祈!祈……!!」

レディベアが祈へと駆け寄り、その身体を抱き締めて懸命に呼びかける。

「祈ちゃん!しっかり……!
 アンテクリストの攻撃に屈してはなりません!」

橘音もまた、祈へと叫ぶ。

「このブリガドーン空間では、精神の強さ――心の強靭さこそが鍵となるのです!『そうあれかし』の力が……!
 アンテクリストの強さの源も同じ!アンテクリストは自らを絶対神と信じる『そうあれかし』によって、
 無限の力を手に入れている……!
 アンテクリストを撃破するなら、その絶対の自負を!おのれを神と定義するその認識を打ち砕かなければならない!」

「……私の認識を打ち砕く、だと。
 そんなことは不可能だ。私は神、この世界を唯一思う侭にできる、選ばれし者。
 たかが泥の見る夢たる汝らごときに、私を斃すことなどできぬ……!」

アンテクリストはせせら笑った。
バックベアードの降臨によってブリガドーン空間の完全な支配権こそ喪ったとはいえ、
まだまだアンテクリストは空間に対して干渉をし続けることができる。
自身を唯一にして絶対の神と認ずる強烈な認識力によって、アンテクリストは自らの望むままの力を行使できる。
祈とレディベアの攻撃がまるで効かなかったのも、ふたりの精神力より終世主の認識力の方が強かったからであろう。

この邪悪な神を、人々の善性を忌避し世界を邪悪の色に染めようと画策する存在を斃すとしたら、
それは唯一。神の認識力を祈の精神力で凌駕する他にはない。
どんな手を尽くそうと、神の力を以てしても祈を葬り去ることができないとアンテクリストが認識し、
自身の絶対的に信ずる神の力を疑ったそのときにこそ、終世主は多くの人々を欺き貶めて手に入れた神の権能を喪失し、
本来の姿へと立ち戻ることだろう。
鼎の三神獣も、橘音や尾弐、ノエル、ポチとシロが単に戦うだけでは決して撃破することはできない。
神獣たちはアンテクリストから無尽蔵の神力の供給を受けている。獣たちを斃すには、
神からの力の供給を断ち切ることが不可欠――何れにせよ祈がアンテクリストをどうにかしなければ、
橘音たちが神獣を退けることもできないのだ。

祈が当初考えていた“アンテクリストが倒れるまでいくらでもやる”という作戦。
ただ自分のことを信じ、仲間のことを信じ。応援してくれる人々のことを信じるという行為は、誤りではなかった。
だから。

「祈……!!」

レディベアが祈を抱きながら、その顔を見つめる。

「立ち上がるんです、祈ちゃん!」

尾弐と共にレビヤタンに抗う橘音が叱咤する。

「祈さん!」

「祈!」

「祈――負けるんじゃない!」

シロが、颯が、晴陽が――そして東京都民たちが。
いや、バックベアードとレディベアの瞳を通し、ネット回線やテレビでその戦いを見守っているすべての人々が。
神へと対峙する小柄な少女へと応援を贈る。激励し、鼓舞し、その再起を願う。
『そうあれかし』が莫大な黄金の光となって、祈の身体の中へと注ぎ込まれてゆく――。

終世主アンテクリストの、世界を完全に破壊できる三種の御業のうちの二つ目、『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』。
それは今まで東京ブリーチャーズが戦ってきた妖壊たちの放つどんな攻撃よりも強く激しい必殺技であっただろう。
祈の四肢は悲鳴を上げ、臓腑は引き攣り、その激痛は魂をも打ち砕くほどであろう。
だが、それでも。
祈は幾度だって立ち上がれるはずだ。
例えアンテクリストの力がどれほど強大であっても。その拳が、蹴りが、放たれる波動が痛くとも。
きさらぎ駅で、祈が晴陽に告げた言葉。

『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』

それを、祈が強く願うなら――



其処に祈りがあるなら。

348多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:25:12
 神鳥ジズを相手取りながら、ノエルは仲間のサポートを器用にこなしている。
仲間に被害が及ばないよう、ジズが吐き散らかす炎も、
神竜レビヤタンが無差別に放つウォーターカッターも見事に防ぎ、その上で足場の構築も行っていた。
 上空では、橘音と尾弐がレビヤタンと舞う。
合体変化で肉体も呼吸も一つに合わせた橘音と尾弐の外観は、巨大化した怪人を討ち取る巨大ロボのそれだ。
強さもそれに倣うらしく、一機で互角にやりあっている。
 都庁を崩そうと迫る神牛ベヘモットには、ポチとシロの二頭が当たった。
瓦礫や鉄くずなどで構築された巨体を持つベヘモットとでは、体格差も体重差もありすぎる。
ただ脚を削るだけではその突進を止めることは難しいと思われたが、
ポチとシロは自分たちの結界へとベヘモットを引きずりこむことで、その進撃を食い止めている。
 そして祈は、レディベアとただ二人、偽神アンテクリストに立ち向かっていた。
だが、離れて戦っていたとしても、目的は一つ。心は一つ。
祈は、仲間たちと一緒に戦っている。

「だあああああああああああああッ!!」

 祈の攻撃に合わせてレディベアが放った、無数の目からの熱線。
それは、ただアンテクリストを攻撃するだけでなく、その逃げ場を奪う意味もある。
粉塵の中から動けないであろうアンテクリストの影に向けて、『これで終わらせる』と、
祈は渾身の飛び蹴りを見舞おうと上空から高速で落下するが――。
 ゴウッ、と。アンテクリストがいる場所で風が渦巻き、粉塵が晴れると。
そこにはまるで何事もなかったかのように、アンテクリストが無傷で屹立していた。

(全然効いてないってのか!?)

 驚愕と焦りが祈の顔に浮かぶ。
 先ほど祈は、アンテクリストに蹴りを見舞い、真空波の風刃(ふうじん)を叩き込んだ。
そこにレディベアのレーザー攻撃も放たれているというのに。
すべて避けたか、それとも当たってもなお、無傷だというのか。
 見開いたアンテクリストの目と、祈の目が合う。

(くっ――!)

 苦し紛れに、勢いそのままに落下して蹴りを放つが、そこにアンテクリストの姿はない。
まるで今蹴ろうとしたアンテクリストが幻だったかのように、祈は錯覚する。
だが違う。周囲に気配がある。祈の目を?い潜り、高速で避けたのだ。

>「それが汝の蹴りか。そのような脆弱な肉体で、この神に挑むというのか。
>思い上がるな、半妖――」

 声と気配を背後に感じ、祈は後ろ蹴りのモーションに入るが、
それよりもアンテクリストの方が早い。
 アンテクリストの回し蹴りが祈の右脇腹にクリーンヒットする。
ターボババア・菊乃よりも数段速く、重い、正確に相手を壊そうとする一撃。

「ぐはっ」

 軽い祈の体が、面白いほどに吹っ飛ぶ。
進行方向は斜め下。今度は祈が都庁のヘリポートへと叩きつけられる番だった。
激突したコンクリートを粉と砕き、祈は粉塵にまみれた。

>「蹴りとは、こうやる」

 アンテクリストが冷淡に言い放ち、

>「祈!!」

 レディベアが悲鳴を上げ、心配そうに祈に駆け寄る。

「げほっ、げほっ、――大丈夫、まだ」

 口の中に入り込んだ粉塵にせき込みながら、祈が立ち上がった。
そして右脇腹から右胸にかけて走る、ずきりとした痛みに顔を歪める。
 祈の服の下では、右脇腹は赤黒くはれ上がり、その内側で肋骨が何本か折れていた。

>「祈……今、傷を癒しますわ……!」

「わりぃ、頼む」

 ブリガドーン空間の力を利用して、レディベアが祈を癒す。
祈が顔を伝う汗を服の袖で拭いながらも、アンテクリストの攻撃を警戒し、
目を逸らさずにいると。

349多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:33:44
>「――私が怖いか、龍脈の神子」

 それを追撃もせず、ただ超然と見下ろしていたアンテクリストが、ふと口を開く。

「あ?」

 急な質問に、祈は特に考えもなくそう返す。

>「私が怖いか、龍脈の神子。
>私が恐ろしいか――怯えているのか」

>「饒舌は恐怖に呑まれまいとする惑乱の顕れ。矢継ぎ早の攻撃は、竦む身体を奮い立たせんとする焦燥の顕れ。
>しかし、それは当然の仕儀である。
>何故なら汝は今、正真の神前に在るのだから」

 僅かに浮いていたその体を、ゆるりとヘリポートに着地させるアンテクリスト。
そして諸手を広げ、神気の光を漲らせる。
 祈はそんなアンテクリストに警戒を強め、構え直しながら、

「……はんっ。言い返してきたってことは、さっきの意外にムカついてたのか?
わりーな、図星ってやつを突いちまって!」

 相手のペースに呑まれぬよう、その言葉に乗ることはなかった。
生意気な笑みを浮かべて、ただ挑発的に言い返す。
 唯一神に対する不敬な祈の言葉に、アンテクリストは無表情のままだが、

>「神の愛は無限。されどそれは神に拝跪し、こうべを垂れ、その裁きと赦しを望む者にのみ与えられる。
>神の愛を拒み、済度を拒み、あくまで我欲と自愛の儘に振舞わんとする者には――
>ただ、神の雷のみが与えられるものと識れ!!」

 そう吠えた。瞬間、床を蹴るアンテクリスト。
ゆるりとした先ほどまでの動きからは信じられないほど、素早く力強い踏み込み。
 
>「く――!」

 その動きを察知し、咄嗟に迎撃するレディベア。
無数の目を展開し、こちらに近づけまいと無数のレーザーで迎え撃つ。
しかし、レーザー間にある僅かな隙間を、アンテクリストは潜り抜けてくる。

「でもこれなら!」

 アンテクリストは無数のレーザーを掻い潜った。
だが、アンテクリストの進む先には、既に踏み込んで蹴りのモーションに入った祈。
レディベアの狙いを読み、レーザーによって狭められた進行方向の先に控えていたのである。
 だがアンテクリストはそれすらも読んでいたようで、祈の蹴りを事も無げに躱し、
先ほど修復を終えたばかりの右脇腹に、再び右拳を叩き込んでくる。

「ぎっ――」

>「消えよ。地獄の弥終にさえ、汝らの居場所はない。
>完全なる消滅、それが……汝らに下す、神の裁きだ!」

 殴り飛ばされながら、追撃を警戒して身構える祈。
だが、アンテクリストの狙いは祈ではなかった。
アンテクリストの狙いは。

>「が、ふ……ッ」

「モ、ノッ!!」

 レディベアだった。アンテクリストの左拳が、レディベアの鳩尾に深々とめり込んでいる。
くの字に折り曲げられたレディベアの体は、宙に浮いたかと思えば、そのまま上空へと吹き飛ばされた。
アンテクリストが天に手を翳すと、レディベアが吹き飛んでいく先に、膨大な神気が集まっていく。
 『あれはやばい』。
そう直感し、空中で風火輪を噴かし、体勢を整える祈だが、間に合うはずもない。
 球状に固められた膨大な神気に、吹き飛ばされたレディベアが衝突した刹那。
アンテクリストが翳した手を握り込んだのを合図に、神気の球体が大爆発を起こす。
 
>「―――――――――――ッ!!!!」

 声も上げることなく、その大爆発に飲まれるレディベア。
 ズタボロになり、頭から落下してくる。

「モノ――!」

350多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:36:11
 せめて落下するレディベアを受け止めようと、走り出そうとする祈だが。
 じゃりっ、と。

>「私が倒れるまで、幾らでもやると言ったな。
>やってみせるがいい、脆弱な半妖の身でそれが叶うと思うのならば。
>相手をしてやろう、そして汝の心を寸刻みに折ってゆこう。
>汝に許された行動とは、神の前に自らの罪の重さを悔いること。ただそれのみだということを知るがいい――」 

 粉塵にまみれた都庁屋上のヘリポートを踏みしめ、アンテクリストが立ち塞がる。

「邪魔だッ!!」

 右脇腹の痛みを無視して、右前蹴りを放つ祈。
それをアンテクリストは、まるで舞う落ち葉でも払いのけるかのように、左手で軽く受け流した。
 そして再び、神の猛攻。
 一撃何十トンはあろうかという致命の一撃が、精密機械のような正確さで、しかも嵐のように繰り出される。
 必殺の右拳の隙を左拳が埋め、蹴りの隙を次の蹴りで補う、攻防一体の闘法は隙がなく。
計算され尽くした連撃は間断なく、終わることない。
なんとか受け流しても避けても、祈の傷は増えていく一方だった。
その間に、レディベアはヘリポートに頭から落下してしまっている。
 それを見た祈の呼吸がわずかに乱れ、生まれたコンマ数秒の隙。
神にしてみれば決定的な隙を、アンテクリストは見逃さない。

>「世界を構成せし鼎の三神獣は見せた。
>龍脈の神子。これから汝に三つの創造の御業のうち、二つ目を見せてやろう」

 一層激しい神気がアンテクリストから放たれる。
脅威を察知して距離を取ろうとした祈へとアンテクリストが放つのは、上体を沈ませたタックルめいた突進。
 全体重を乗せた踏み込みの速度は祈の想像を超え、目で追うことも見切ることもできない。
 苦し紛れに体の前で交差させた両腕に、アンテクリストの拳がぶち当たる。
直撃を受けた左腕が折れ――同時に。
アンテクリストの体から噴き出した暗闇に、弾き飛ばされた祈は瞬間的に呑み込まれた。

351多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:43:46
――気が付けば祈は、完全な暗闇の中を漂っている。
何も見えず音もなく、天地がどこにあるのかも定かでない。
そんな無重力の暗黒空間を、祈は漂っていた。
弾き飛ばされたときの慣性が徐々に失われていく。
 都庁で迷い込んだブリガドーン空間に酷似していることや、空気の香りが異なること。
そして、一瞬、アンテクリストから暗闇が広がったように見えたこと。
それらから、アンテクリストが生み出した別空間に囚われたのだと祈は直感する。
 祈を捕らえた理由は、先ほど言っていた、
『三つの創造の御業のうち、二つ目を見せる』ために他ならないのだろう。
 その証拠に。

>「刮目せよ。拝跪せよ。絶望せよ!
>此れが――真なる神の御業である!!」

 アンテクリストの声がどこからか聞こえ、殺気と神気が膨れ上がる。
だが、この空間はアンテクリストが生み出したもの。
だからだろう、どこからでもアンテクリストの気配が漂ってきて、暗闇の中、どこにいるのかすらわからない。
 祈が折れていない右腕を構え、聴覚を研ぎ澄ませて、アンテクリストの居場所を探ろうとした刹那。

(!?)

 閃光。ビッグバンか星の誕生を思わせるような激しい光が、祈の網膜を焼く。
思わず祈が目を瞑ると、同時に、何かが腹に突き刺さるような感覚を覚えた。

――ぱんっ。

 そして祈は、胃か腸か、いずれかの内臓が、薄い腹筋の内側で破裂した音を聞く。

「ぐ――!?」

 音速の壁を超えたアンテクリストの右拳が祈の腹部に深々とめり込んでいるのであるが、
祈は閃光に惑い、何が起こったのか理解が追いつかない。
 胃から口へと逆流する血液、胃液。だが、吐く間もない。
アンテクリストは祈の腹部に深々と刺さった右拳を、勢い殺さぬままに振り抜いた。
次の瞬間には、祈は冗談のような、音速を超えた速度で弾き飛ばされている。
そしてアンテクリストはその速度に追いつき――、

――今度は祈を上空へと垂直に蹴り上げた。

ギリギリギリギリッッ!!

 蹴り上げられた腹部。
祈の体にかかっていた横向きの力を、強引に縦向きに折り曲げた加重の負荷。
内臓を全て絞られるような激痛。祈は血反吐を吐き散らした。

「げ、ぇ――」

 大気圏を瞬く間に突破しそうな速度で打ち上げられる祈を、
再び追いついたアンテクリストのハンマーナックルが迎える。
 組んだ両手を天へ掲げると、祈がその目前に達した瞬間、渾身の力で打ち下ろした。
背中に容赦なくアンテクリストの両手がめり込む。
上方向の力を、今度はそれ以上の力で下方向へ。

――ボキボキボキィッ!

 祈の体は背中側にくの字に折れ曲がり、背骨が折れ、肩甲骨が砕ける。

「ぅがあ“ッ」
 
 体を砕くかつてない衝撃にうめきながら、蹴り上げられた以上の速度で落下する祈。
 そして、受け身を取ることもできず、轟音と共に大地に叩きつけられた。
折られた肋骨が肺へと突き刺さり、打ち付けられた全身が痛んだ。
左腕の骨折、内臓破裂、背骨と肩甲骨の骨折。肺には骨が突き刺さり、全身には酷い打撲を負った。
どう軽く見積もっても致命傷であるが、祈の心の炎は消えてはいなかった。

352多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:47:45
(まだ……まだ……――!)

 うつ伏せに倒れながらも、こぶしを握り、祈は立ち上がろうと試みる。
すると祈の傷ついた肉体に妖力が満ち、みるみるうちに傷が再生していった。
これこそ、対アンテクリスト戦に備えて編み出していた切り札、『龍脈オーバーロード』であった。
 祈のターボフォームは、変身時に肉体的な損傷のほとんどを治す力がある。
龍脈は、妖怪にとっての甘露たる『そうあれかし』の源泉。
龍脈と繋がってその力を引き出すターボフォームへの変身は、
変身時に迷い家の秘湯を浴びるようなもの。故に超回復を齎すのだ。
 だがターボフォームへの変身は、半妖に過ぎない祈の肉体と精神に尋常ならざる負荷をかける。
だからこそ変身は数分しか保てず、インターバルを必要とするよう、無意識がブレーキをかけていた。
 それを“無理やりに外し、強引に変身し続けること”で、超回復能力を維持する。
それが『龍脈オーバーロード(過負荷)』なのである。
 劣勢を覆し、意表を突いて圧倒するための秘策であったが、
これほどの致命的な傷を受けてしまっては、そんなことは言ってもいられない。
 
(くそっ、立て……どこだアンテクリスト――)

 壊れた肉体が修復される痛みに耐えながらも、叩きつけられた地面から立ち上がろうとする祈。
 しかしその背に。

――ギュガガガガガガッ!!

「がああああああああッ!!!!?」

 今度は流星雨のごとく、神気の雨が降り注ぐ。
 祈はかつて、とある神社で神霊と対峙したことがある。
神霊が放つ銃弾を肩に受けた瞬間、体から力をごっそり奪われるような、
魂に攻撃を受けたような鋭い痛みを感じた。
 それと似た力。
妖怪という存在を滅する神気という力が。
雨のごとく背中を、腕を、脚を。
 穿つ。穿つ。穿つ。
穿つ。穿つ。穿つ。穿つ。穿つ。穿つ。穿ち――体組織を破壊する。魂を削る。
 龍脈の力を過剰に引き出すオーバーロードで体を修復するからこそ、
修復と破壊の痛みを、何度も味わうことになった。

「はっ、う“ぇっ……」

 感じたことのない激痛に、祈の脳が、さまざまな脳内物質を急激に分泌し、スパークする。
目の前が歪み、気持ちが悪く呼吸もままならない。だが――それでも終わりは来ない。

353多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:50:53
>「ピギョオオオオオオオオオオオオッ!!」
>「ギシャアアアアアアア―――――ッ!!」

 ノエルがひきつけていたはずの神鳥ジズと、
橘音と尾弐が相手をしているはずの神竜レビヤタンが、突如として祈の前に出現する。
 そしてその口腔を開いたかと思うと。

(嘘だろ――)

 紅蓮の炎と、高速の水流が吐き出される。
 それらは空中で、祈の眼前で交差した。両者が攻撃をミスしたのではない。
高速の水流が炎によって瞬間的に熱され、蒸発させられたことにより――。
 祈の眼前で、高温の水蒸気となりながら爆ぜた。
 水蒸気爆発。とっさに眼前で腕を組み、頭を守る祈だが、
一帯を吹き飛ばすだけの蒸気爆発を、それだけで十全に防げるはずもない。
全身を高熱で焼かれ、鼓膜は破れ、もはや焼死体同然になりながら、地面を転がりに転がる祈のもとへ。

「……ま、だ……ま、……」
 
>「ブモオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 どこかから現れたベヘモットが、咆哮を上げながら突進してくる。
その体長は何十メートルもあり、その質量に突進速度を組み合わせたなら、
祈のような存在など簡単に挽肉になるようなそれが――。
 祈を蹴り飛ばす。

ベキベキベキベキィ――!!

 その衝撃は、焼け爛れた体中の骨を丹念に砕いて、右脚を千切り飛ばした。
祈の体のほとんどを肉塊に変えて、ベヘモットは消える。
 それでも祈は、龍脈の力で自身の体を再生していく。千切れた脚をつなぐ。

「ま………………だ」

 そうしてよろよろと立ち上がった祈の眼前に、いつの間にかアンテクリストは立っていた。
このような状況でなければ、その容貌と相まって、救いの神か何かだと思っただろう。
 
>「安息せよ。此れぞ神の業。この世で唯一の神のみが成し得る奇蹟。
>即ち――――――」

 だが、アンテクリストは救いの神でも何でもない、偽神だ。
 ふらつき、もはや視界すら安定しない祈の前で、
アンテクリストはその両掌を、弓のごとく後方へ引き絞り、神気を漲らせる。
 そして放たれるのは、双掌打。

>「天 地 創 造(セヴンデイズ・クリエイション)!!!!!」

 渾身の双掌打は、祈の真芯。心臓を撃ち貫く。
そして両手に込められた神気は全身に疾る。
それは、魂を、心を、神経を、全身を。ずたずたに引き裂くような一撃。

「〜〜〜ッ!!!!! 〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!」

 言葉にならない絶叫を上げて、祈は仰向けに、どうと倒れた。
血がその背から広がり、血だまりを作る。
 ターボフォームの変身も解け、黒髪の、
なんのことはないその辺にいそうな少女が、そこに倒れていた。
 いっそ、オーバーロードを解けば楽に死ねただろう。
だが、祈は倒れる直前までオーバーロードを発動していた。
かろうじて四肢は繋がって、元の祈の形を留めているものの。
結界が砕け散り、都庁屋上へと放り出された祈は、もはやぼろ雑巾同然で。
その半開きの瞳には、もはや――何も映ってはいなかった。

354多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 21:58:25
>「ああ……!祈!祈……!!」

 同様にアンテクリストの攻撃を受け、ズタボロのレディベア。
だがどうにか肉体を治癒し、動けるようになったのだろう。
祈に駆け寄り、その血に濡れるのも構わず祈の体を抱きしめると、懸命に呼びかけた。

>「祈ちゃん!しっかり……!
>アンテクリストの攻撃に屈してはなりません!」

 橘音もまた、祈に声をかける。

>「このブリガドーン空間では、精神の強さ――心の強靭さこそが鍵となるのです!『そうあれかし』の力が……!
>アンテクリストの強さの源も同じ!アンテクリストは自らを絶対神と信じる『そうあれかし』によって、
>無限の力を手に入れている……!
>アンテクリストを撃破するなら、その絶対の自負を!おのれを神と定義するその認識を打ち砕かなければならない!」

 さらに祈にアンテクリストを撃破するための策を授けた。

>「……私の認識を打ち砕く、だと。
>そんなことは不可能だ。私は神、この世界を唯一思う侭にできる、選ばれし者。
>たかが泥の見る夢たる汝らごときに、私を斃すことなどできぬ……!」

 橘音の言葉を否定し、倒れたままの祈を一瞥して、
アンテクリストはせせら笑う。
 
>「祈……!!」
>「立ち上がるんです、祈ちゃん!」
>「祈さん!」

 レディベアや橘音、シロが祈を呼ぶ声。
その場にいない、颯や晴陽、ターボババアなども祈に呼び掛けた。
 バックベアードやレディベアの瞳を通して、
東京ブリーチャーズの戦いを見る世界中の人々もまた、祈の再起を願った。
 真実、レディベアの声も、橘音の声も、世界中の人々の声も、祈には聞こえていなかった。
だが、祈にはわかっていた。自分のすべきことが。応援してくれている声があることが。

 祈の右手がぴくりとわずかに反応を見せる。
 そして、
 
「――……………こ」

 口が僅かにわななき、言葉らしきものを発した。

「聞、こえ、なかったか……? “ザコ”……っつったんだよ。クソ神」

 祈が目を開き、アンテクリストを睨む。
不完全に治癒された左目はうつろだが、右目は完全にアンテクリストを捉えている。

「効くかよ……あんな攻撃。あたしら東京ブリーチャーズはな……世界背負ってんだ。
……ぐ、がああああああッ!!」

 神経までずたずたにされている右手に力を入れ、それを支えに、傷ついた上半身を無理やりに起こす。
生まれたての小鹿のように脚を震わせながらも、祈は自力でで立ち上がってみせた。

355多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/03/07(日) 22:04:38
 アンテクリストが放った『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』。
それは名前とは真逆の、世界を破壊に導く7つの絶技であった。
 一撃一撃が大陸を砕き、海を割り、空を裂くだけの力があっただろう。
特に最後に放った双掌打は、地面に放ったのなら地殻を貫き、地球の核までも破壊せしめたに違いない。
龍脈による強化を受けているとはいえ、およそ一人の少女が耐えられるものではない。

 だが、それでも祈は折れずに、『立ち上がった』。
それが。それだけが――絶対唯一の神への強烈な『否定』となる。
絶対唯一の神が、本気で心を折ると、肉体を葬り去ると宣言して放った必殺技。
 人間ならば、「今のは計算違いだったからもう一度」とでもいって再チャレンジできよう。
だが、宣言を行ったのは神を名乗る絶対者。
 たった一人の少女を葬るどころか、その心すら屈服させられない者が、
果たして世界を思うままにできる絶対の神たり得るか。
 アンテクリストは、その命題を突きつけられることになる。

「あたしは!! この世界を守って!! 橘音と尾弐のおっさんの結婚式に行く!
ポチとシロの子供ができたら抱っこさせてもらう!!
御幸には言いたいことがあるし、モノとはこれからも一緒に遊んで!
そんで将来は、橘音みたいな名探偵になるんだ! やりてーことがたくさんある!!
だからおまえから明日を奪い返すまで、死んでも死ねねぇんだよ!」

 祈は吠える。
その胸には、まず祈りがあった。
『みんなが幸せに向かって歩いていける世界。今の世界が、明日や明後日、ずっと続いていくこと』。
それはきさらぎ駅で父、晴陽に誓った約束でもある。
世界とそこに住む者たちを守りたいという、仲間や友や家族へ向ける温かい気持ち。
即ち――『愛』。

 愛した世界で、そこに住む人々と生き、仲間や友や家族と共に過ごすという夢。
即ち――『希望』。

 アンテクリストが祈の内面の恐怖を指摘したのは当たっている。
だがそれよりも祈がはるかに怖れたのは、この世界と愛する者を失うこと。
だからこそ、アンテクリストという強大な敵に立ち向かえる。
即ち――『勇気』。

 折れない、曲げない、屈しない。
脆弱なはずの半妖少女が貫き通した祈り、その意地が開いた可能性。
世界中から集まった『そうあれかし』が、黄金の光となって祈の体に集まっていく。
その負傷を癒し、力へと変わる。
 祈の纏う妖気が高まっていく。

「あたしを殺せるもんなら殺してみろ、赤マント!!」

 回復した右手を握りしめ眼前へ。そして再び、祈は変身する。
赤髪、黒衣、金眼。見た目はいつもと同様のターボフォーム。
だが黄金の光が、祈の力をさらなる高みへと導いている。
 偽神に立ち向かう東京ブリーチャーズの戦いを見ている何億もの人々が、
東京ブリーチャーズの勝利を願い、偽神の存在を否定するのなら。

「ブッ飛べ!!」

 その力は、きっとアンテクリストに届き始めるだろう。
アンテクリストの認識を揺らがせ始めるだろう。
 瞬間移動と見紛う速度で、祈はアンテクリストの眼前に移動し、握りしめた拳を、その顔面へと叩き込んだ。

【瀕死になったけどどうにか自力で立ち上がり、アンテクリストの認識を揺らがせようとする。
人々のそうあれかしで強化されつつ、アンテクリストの綺麗な顔面を殴りぬける】

356御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:09:06
上空では、空を統べる巨鳥同士の対決が始まった。
氷の巨鳥を維持制御するだけでも生半可なことではないが、それだけではない。
橘音の変化術だろう、九尾の狐をモチーフとした巨大ロボのようなものが姿を現し、御幸に要請する。

>「ノエルさん!足場お願いします!」

「そんな無茶な!」

橘音の妖術はともかく、尾弐の格闘系の能力を活かすなら、足場が必要不可欠。
身長20メートルの巨大ロボが縦横無尽に動き回っても割れない巨大な足場を上空約240メートルに作るなど普通は不可能に思われる。
が、もしかしたら自分よりも自分のことをよく知っている唯一無二の幼馴染にして親友が当然出来るだろうという調子で頼んでいるのなら。
帝都一の名探偵が出来ると判断したなら出来るのだ。

「橘音くんったら……こんな時まで平常運転なんだから!」

文字通りの君の天井は僕の床状態ででよく訓練された御幸にとって、橘音の無茶振りは平常運転であった。
御幸は踊るように傘の先端で足元に六華の模様を描き、中心に突き立てる。

「――銀盤の大氷原《グランドシルバーステージア》!!」

ヘリポートを中心に、雪の結晶が成長するように呪力の氷が広がっていく。
ヘリポートを同じ高さで超延長するような形で、巨大ロボが暴れ回れるほどの巨大な六角形型の氷の足場が出来上がった。

>「ギィィィィィッ!!!!」

「ダイヤモンドダスト!」

ジズが時折地面に向かって炎を吐き散らし、御幸はその度に熱波を中和する。

>「ッシャアアアアアアア―――――――ッ!!!」

気付けば、レビヤタンの放った超高圧ウォーターカッターの流れ弾が目の前に迫っていた。

「絶対零度《アブソリュート・ゼロ》!!」

絶対零度の概念で停止させられたウォーターカッターは、瞬時に凍り付いて地面に落ちて砕けた。

「こっちは分断させといて自分の側は全体攻撃ってそりゃないよ!」

直接アンテクリストと対峙している祈達は言うまでもなく、レヴィアタンと対峙している橘音達も、流れ弾にまで気を配っている余裕は無さそうだ。
幸いというべきか、三体の神獣の中でジズだけが旧約聖書に登場せず、他の二体に比べれば若干弱いと思われる。
となれば、御幸が流れ弾や全体攻撃の対処を受け持つ他はない。

「祈ちゃん達の方に水流が! ジズがまたブレス吐こうとしてるから備えて!」

霊的聴力を持つハクトがいちはやく敵の攻撃の気配を察知し御幸がそれを防ぐことで、なんとか戦線は維持できていた。
が、それはフレースヴェルグにジズの相手をさせているからこその話だ。
その均衡が崩れれば、戦線は瞬く間に崩壊するだろう。

357御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:11:30
――ピシッ

氷の巨鳥の片翼がひびわれる不吉な音が響く。相手はまがい物といえども唯一神の駆る神獣。
いくら有利に立てそうな捕食者の属性を持とうとも、
数多の神を擁する神話の中の数いる神獣魔獣のうちの一つではそもそも基礎能力的に敵わなかったということか。

「まずいな……」

御幸の顔に焦りの色が浮かぶ。
ついに片翼が溶かされ、氷の巨鳥は崩壊しながら真っ逆さまに地面に落ちていく。

>「仲間はぼくひとりじゃないよ。
 そして敵はあの鳥だけじゃない……みんなを守ってあげるんだろ?
 護る力が君の力。それなら――立派に全員、護り通してみせようよ!」

「そんなこと言ったって……」

御幸の妖力をもってすればもう一度同じ物を作ることは可能だが、
かくあれかしが力を持つこの戦いにおいて、一度破られた手と同じ手ではすぐに破られてしまうだろう。
かといって、ジズにぶつけるにあたってフレースヴェルグ以上の適任も思いつかない。

>「ほら……来るよ!」

「やっば! なんか超怒ってる! ハクト下がって!」

散々邪魔をされてバーサク状態になったのではないかと思われる勢いのジズが、御幸達目掛けて飛来してくる。
御幸は傘を身構えるが、御幸の指令とは裏腹にハクトが前に出た。

>「月暈《ムーンヘイロー》!」

「ハクト!? 何やってんの下がってって……ダイヤモンドダスト!」

祈達の方にレヴィアタンのウォーターカッターの弾幕が行きそうになって慌てて阻止する。
高濃度の霧氷に阻まれ、事なきを得た。
御幸が暫しでも敵の全体攻撃への対処を怠れば、瞬く間に全滅する。ハクトはそれを分かっているのだろう。

>「ぅ……」

「氷鎖《フリーズチェーン》! ハクト! 今のうちに……」

呪氷の鎖が絡みつき、一瞬だけジズの動きを拘束する。が、ハクトは退かない。
もう一度突撃してきたジズを尚も迎え撃つ。

「コイツの相手は僕が! 君にはみんなを守る役目がある!」

確かに、御幸が自らジズの相手をしてしまっては戦線が崩壊する。
かといって、このままではハクトが昔話のごとく丸焼きになってしまう。
究極の選択を迫られた御幸は――

358御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:13:06
「そうだね――輝く神の前に立つ盾《シールドオブスヴェル》!!」

ハクトの光のシールドに重ねるように、氷のシールドを展開する。

「駄目! 今すぐシールドを解いて!」

レヴィアタンの攻撃が激しさを増す。死の水刃が弾幕のように八方に放たれる。
御幸はシールドを展開したまま微笑んだ。

「君の言う通りだ。みんなを守るのが私の役目。その”みんな”の中に君も入ってるんだよ?
――絶対零度《アブソリュート・ゼロ》!」

放たれた水流が、一斉に細かい氷の粒となって砕け散った。
上級妖術を発動しながらの更に他の上級妖術の発動。二重詠唱とかダブルキャストと俗に言われるものだ。
御幸はスケート靴の靴底を蹴って、自ら作り出した氷のステージに躍り出た。

「さあ来いよローストチキン! お前の相手なんて片手間で十分だ!」

氷上を舞いながら大きさ可変の傘(正確には傘型盾兼槍)を自在に操り、神の鳥を翻弄する。

「乃恵瑠! ブレス来る!」

「氷弾《フリーズガトリング》!!」

傘の先から弾幕のように氷弾を放ち、ジズの口の中にぶち込む。
炎の息を放たれる前に氷をぶち込んで阻止しようという作戦である。

「全く、世話が焼けるな……」

なんとか戦線が持ち直したのを見て暫し安堵するハクトだったが、突如悲鳴のような声をあげた。

「乃恵瑠……! 腕……!」

御幸の左腕が風化するように雪の粉となって崩れてきている。
度を超えた妖術の行使に肉体が維持できなくなってきているのだ。

「あ……参ったなあ」

御幸は困ったように笑った。祈がアンテクリストを弱体化するにはまだ時間がかかるだろう。
少なくともそれまでは戦線を維持しなければならない。……だというのに。
飛んできたウォーターカッターを防ぎそこね、文字通り土手っ腹に風穴が開いた。

「マジか……!」

御幸はがっくりと膝を突いた。腹に開いた穴から、体の末端から、徐々に雪となって崩れていく。
絶体絶命の状況――だというのに、御幸は不敵に笑っていた。

359御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:16:06
――あなたはかつて、三尾を喪ったことで我を忘れ、麓の村を滅ぼした。
 幼い身に釣り合わない莫大な妖力を用いて。不本意ですが、今必要なのはその力です。

「母上の言う通りだ……。まだだ……まだ全部見せてない」

雪の女王が言った通り、ノエルが今までで真の力を解放したのは、麓の村を滅ぼした時の一回っきり。
御幸はまだ、全てを見せてはいない。

「ハクト……びっくりしないでね。肉体なんて飾りなんだ」

「何をする気!?」

あの日、橋役様に選ばれた生贄の少年が最期に見たのは――実体無き雪の精だった。
妖狐の原型は当然狐。送り狼の原型はニホンオオカミ。
では雪女の原型は何か――強いて言うなら雪山の極寒の冷気。原型からして形あるものではないのだ。
よって、普段は肉体を維持することに実はかなりのリソースを消費している。
肉体という枷から解き放たれることでのみ、真の力が解放されるのだ。
が、仮初の肉体をよすがに存在を認識されている雪女にとって、それは死と紙一重。

「みゆきはあのまま消えてもおかしくなかった。
そうならなかったのはきっと……きっちゃんが想ってくれたから。だから、今度も大丈夫」

体が全部崩れ去る寸前。

「奥義ッ! ――御幸乃恵瑠《ホワイトクリスマス》!!」

滅茶苦茶季節外れな技名を叫ぶと同時に、御幸を中心に凄まじい吹雪が渦巻いた。
辺り一帯が不思議な冷気に包まれ、粉雪が舞い始める。
御幸は忽然と姿を消し、その場には新しいそり靴と、傘型に合体したままの世界のすべてと理性の氷パズルが落ちていた。

「乃恵瑠……乃恵瑠! どこにいったの!?」

ハクトが御幸がいた場所に駆け寄り、悲痛な声をあげながら御幸の姿を探す。

「ここだよ」

声がしたのは頭上。
御幸は、ハクトにとって最も馴染みの深い乃恵瑠の姿になって、何食わぬ顔で浮かんでいた。

「もう……! びっくりさせるんだから……!」

「えへへ、ごめん。見ててね。一人残らず護り通してみせるから!」

スケート靴と傘が冷気の風で舞い上がり、乃恵瑠の手足におさまる。正確には、器用に装備しているように見えるような形で浮いている。
戦闘域全体に満ちる冷気こそが、真なる原型となり力を解放した御幸の本体。
ハクトが見ている乃恵瑠は実体ではなく、立体映像のようなものだ。
そして、乃恵瑠に見えているのは飽くまでもハクトから見た見え方だ。
見る者によってノエルに見えたりみゆきに見えたり深雪に見えたり、同じ者から見てもその時によって違って見えたりもするかもしれない。
御幸が腕を一振りすると、吹雪の竜巻とでもいうべきものがジズを包み込む。

360御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:18:44
「待たせたな焼き鳥! 仕切り直しだ!」

かつて麓の村を滅ぼし多くの人間を死に至らしめた忌まわしき力を、今度は守るために。
一人の人間を模した肉体に捕らわれている状態では、認識力や手の届く範囲に限界がある。
が、今の状態でなら戦闘域で起こっていること全てが手に取るように分かり、各所同時の味方の援護と敵の妨害が可能だ。
ハクトの持つ武器である杵が氷のウォーハンマーのようなものに進化する。
レビヤタンの放つ水流が仲間達に届く前に全て落下していく。
のみならず、致命傷になりそうな攻撃は悉く氷のシールドに阻まれるだろう。
――そのはずだったのだが。祈の受けたその攻撃の場合だけは違った。

>「い……、いったい何が……?」

祈が瞬間的に姿を消したかと思うと、次の瞬間にはズタズタになって床に転がっていた。

>「ああ……!祈!祈……!!」
>「祈ちゃん!しっかり……!
 アンテクリストの攻撃に屈してはなりません!」

「そんな……今度こそ力になれると思ったのに」

「乃恵瑠……」

いかなる攻撃にも対処できるとはいっても、それは攻撃がこの空間で行われればの話だ。
異空間に拉致されて攻撃されたのでは、対処のしようがない。

>「このブリガドーン空間では、精神の強さ――心の強靭さこそが鍵となるのです!『そうあれかし』の力が……!
 アンテクリストの強さの源も同じ!アンテクリストは自らを絶対神と信じる『そうあれかし』によって、
 無限の力を手に入れている……!
 アンテクリストを撃破するなら、その絶対の自負を!おのれを神と定義するその認識を打ち砕かなければならない!」

橘音が祈に対処方法を授けている。が、御幸は何も言わない。

「君も何か言ってあげなよ」

「……だって! 祈ちゃんもう十分過ぎるほど頑張ってるのにもっと頑張れなんて言えないよ!」

「バカ! 約束したんだろ!? 苦しい時も死の縁に瀕した時もいついかなる時も味方だって」

ハクトに叱咤され、ようやく意を決する。比類なきヘタレである。
そして、一聴すると感情を感じられないクールな声で告げる。
そうしなければ収拾がつかなくなるから敢えて感情を抑えているのかもしれない。

「さっさと起きなよ。君にこんなところでくたばってもらったら困るんだ。
君には我が一族の遠大なる計画のためにずっと役に立って貰わなきゃいけないんだから。
君は別に世界を変えたいなんて思ってないんだろうけどさ。そりゃ無理な話だ。
君は存在しているだけで少しずつ世界を変えてしまう。……生きているだけで否応なく誰かを幸せにしてしまう。
本当かって? 少なくとも……ここに一人」

361御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/03/14(日) 00:19:36
この間にも、御幸(の立体映像)は、何事もないようにジズと戦っていた。

「乃恵瑠……なんて言ったの?」

「別に。ここでくたばってもらったら困るって言っただけさ」

「もう! 君って妖怪は!」

「何で怒ってるの?」

「別に!」

>「祈……!!」
>「立ち上がるんです、祈ちゃん!」
>「祈さん!」

人々の想いからなる黄金の光が、祈の体に注ぎ込まれていく。

>「聞、こえ、なかったか……? “ザコ”……っつったんだよ。クソ神」

祈が目を覚ます気配を察した御幸は、それが当然とでもいうような態度を装いハクトに声をかける。

「……そろそろケリをつけよう。
ハクト、内と外からの挟撃だ。炎だって凍らせてしまえば砕ける。
私が内側から凍りつかせるから君がその瞬間に叩き壊すんだ。必ず守るから、信じて合わせて」

「今更何言ってるんだか」

「そう言うと思った」

ジズが炎を吐こうと口を開けた瞬間、御幸はその口の中に飛び込んだ。

「いくよ! だぁああああああああああああ!!」

「うりゃぁあああああああああああああッ!!」

ジズはそのまま構わずに炎を吐くが、ハクトは躊躇なくジズに向かって大ジャンプした。
御幸の力による氷のシールドが展開し、炎を阻む。そのまま冷気の風に乗り、自由落下以上の速度でジズに迫る。
着弾する直前、燃え盛る炎であるはずの神の鳥の体が凍り付いたように見えた。

「「万象凍結粉砕撃《インフィニティパワー・アイスストーム》!!」」

ハクトはあやまたず、ジズの心臓部めがけて絶対零度の氷のウォーハンマーを振りぬいた。

362尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/03/21(日) 18:08:11
>「オーケイです、クロオさん!やりますよ……ボクのとっておき!
>ボクの術が完成するまで、アイツの相手をお願いします!」

「――――応っ!!」

返事は一言、それで十分。
この暗く醜く穢れた美しい世界で、自分の隣を歩き続けてくれた相棒。
何よりも誰よりも愛する女。その女の為の助けになるのに、二言目など必要無い。
地を抉る水槍を前にして、尾弐黒雄は凄絶な笑みを浮かべる。

「さぁて、第2ラウンドだ蛇公!せいぜい良く狙え!テメェの敵が此処に居るぞ!!」

瓦礫だらけの道路を疾走し、僅かに射線から逃れる。
アスファルトを捲りあげて、照準を絞らせない。
蹴り上げたトラックが爆散し、僅かに水を散らす。
禹歩によって結界を作り上げ、瞬き程の間水を押し留める。
水を放たれるより前に懐に飛び込み、水の体を散らして射出を阻害する。
ビルは――盾にならず。瓦礫を貫通した水流は尾弐の首の肉を削る。

致命に至る傷こそ避けているとはいえ、息つかせぬ猛攻は尾弐の肉体を少しずつ削り取っていく。
しかし、その精神は欠片すらも削れる事は無い。
避ける。防ぐ。躱す。肉を切らせ見切る。
終わりの見えない怒涛の攻撃を、尾弐黒雄は耐え抜いていく。
任せると言ったのだ――――ならば、自分がここで折れる訳にはいかない。

「どうしたどうした!腰の悪ぃオジサン一人殺せねぇで神獣名乗るなんざ恥ずかしくねぇのか!?」
「ああそうか!あの赤マントのペットだもんなぁ!この程度で限界でも仕方ねぇよなぁ!!!」
「なあ、ミミズ野郎!!」

尾弐の挑発を受けて、赤い怒りの感情を湛えたレビヤタンが咆哮する。
強大な存在とはいえ彼の神獣は生みだされたばかり。
なまじ知性と気位が有るが故に、矮小で穢れた存在からの侮蔑を無視する事が出来ない。
本当に狙うべきは膨大な妖力を纏い始めた那須野橘音であると理性が囁いても、神獣としての矜持が尾弐を殺せと叫び狂うのだ。

生まれえて初めて抱く怒りは瞬間的にレビヤタンの力を増幅し――――とうとう水流は尾弐黒雄の黒鎧を砕き、その腹に巨大な穴を開けた。
恐らく、レビヤタンは己の勝利を確信した事だろう。
目障りな悪鬼を誅し鬱憤を晴らした事だろう。
後は妖狐を討つのみだと、そう判断したことだろう。

そして、気付くに違いない。

腹に孔を空けられ吹き飛んだ尾弐黒雄。
その吹き飛ばされた先に、那須野橘音が居る事に。

>「クロオさん……!!」
「応――――待たせたな。橘音」

本来であれば致命である筈の傷を負ったまま、しかし声は震える事すらなく。
尾弐黒雄は、伸ばされた那須野橘音の手を笑顔で掴み取る。

>「天(てん)の紫微宮、天(あめ)の北辰。
>太微垣、紫微垣、天市垣即ち天球より此岸をみそなわす、西藩七星なりし天皇大帝に希(こいねが)い奉る。
>我が身に星辰の加護を、我らが太祖の力を顕現させ賜え――
>妖狐大変化!」

レビヤタンは強い。
一神教において伝説と語り継がれるその存在は、産まれた時点で神獣としての頂点に君臨している。
この世界全てを見渡しても、彼の神獣に打ち勝てる存在はそう居ないだろう。

なればこそ――――括目せよ、神の獣。
其の眼前に居る者は、生まれながらの弱き者。
数多の因果。数多の悪意。数多の恐怖。数多の絶望。
有形無形の世界の悪に叩き伏せられ、押しつぶされて来た者の成れの果て。

そして、その深く暗い闇の中で立ち上がり、愛を手にした者達である。

363尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/03/21(日) 18:08:53
>「何とか成功したみたいですね。今、クロオさんとボクは妖術によってひとつに融け合っています。
>ひとりじゃ勝ち目のない戦いだって、ふたりなら。クロオさんとボクなら必ず勝てる!
>最後の最後だ、どうせなら――ド派手に行きましょう!」

「ハ――――そりゃあ最高だ!負ける気がしねぇな!!」

尾弐と橘音が変幻せしは九尾の妖狐。星を管理する程の格を有す伝説の妖怪。
莫大とも呼べる妖力と殺生石の伝説で知られた毒霧は、万物を穿つ水撃ですらも阻んで止めてみせた。
眼前のレビヤタンから伝わってくる感情は『動揺』。
一神教の神以外に自身の攻撃を封殺する存在がいるなど、彼の神獣にとって想像すら出来ぬ事だったのだろう。
尾弐は暖かな世界に響く最愛の声に言葉を返しつつ、己について思う。

『尾弐黒雄』。
帝都漂白が失敗した時の為に用意された、全てを殺して壊して黒く塗りつぶす弐本目の尾(セカンドプラン)。
御前の言葉遊びで付けられた、コードネームに過ぎなかったその名前。
漂白されたまま漂泊し続けたその名は、ようやくその意味を表白されたのだ。
那須野橘音のもう一つの尾。互いを支え支えられる名として。

ならば!
ならば!!
ならば!!!

「俺はその役目を!願いを!果たさねぇとなぁ!!!!」

>「これでどうです?正義のヒーローには、やっぱり巨大ロボがつきものですから!
>名付けて――対神獣用決戦大甲冑・黒尾王!!」
>「さあ、クロオさん!
>改めて、海蛇退治と洒落込みましょう!!」

「いいセンスじゃねぇか橘音!それじゃあ、年甲斐も無く……ヒーローの時間といこうぜ!!」

那須野橘音の権能により、九尾の狐がその形態を変質させる。
産み出された姿は、8の光の尾と1の黒き尾を持つ巨人。
それはまるで、少年たちが幼き頃に夢見るヒーローが来る機神の様で。

>「ギギィィィィィィィィィィィィィィ……!!!」

『弧毒殺掌』
『九鬼刃』

水源が存在する限り無限に復元し、傷すら負う事のない無敵の神獣レビヤタン。
しかし黒尾王はその無敵を打ち砕いて行く。
もはや概念を蝕む程に凶化された猛毒は、水の身体を変質させ掴み取る。
繰り出す手刀はただの一撃で九度、水の体を切り刻む。
鬼の力と妖狐の技。二つの極地を合わせたその力は、混ざり合い増幅し、究極の先へと手を伸ばしていく。

「は!腰も痛くねぇし体は思うように動くし――――何より、橘音!お前さんが側にいる!」

今の尾弐黒雄は幸福な未来を強く願う。誰にも負ける気がしない。
そして、ブリガドーン空間においてはその意志と願いこそが力となる。

364尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/03/21(日) 18:12:53
『大八百尺千手掌』
黒尾王が右手を大地に叩きつければ、瘴気を纏う無数の腕が背後から延びレビヤタンの肉体を掴み取る。
其れを嫌い、振り払おうとレビヤタンは収束した水流を撃ち出したが、その先に薄紫色の半透明な壁が現れる

『御社宮司蛇鱗盾』
巨大な蛇の鱗を模したそれは概念の防御。現代兵器ですら貫く事の出来ぬ防御が殺意もろともその攻撃を遮断した。
その光景を目にしたレビヤタンは、全身から水流を放つ事で無理やりに瘴気の腕を振り払う。
そのまま周囲全てを一掃すべく照準を帝都の町も含めた周囲一帯に定めたが

『蒼天悪鬼夜行』
黒尾王が片腕を天に翳すと、レビヤタンの上空と足元に、丑寅の方角の模様だけが描けた八卦の陣が現れる。
そして現れるのは、刀、金棒、鉄球。様々な獲物を持つ黄金色の悪鬼共。
彼らの総攻撃はレビヤタンの水の身体を破砕し、攻撃を不発に終わらせた。

黒尾王が繰り出すは、かつての対峙してきた強敵達の技。
それらを那須野橘音の技巧で昇華再現し、尾弐黒雄の戦闘経験と直感で再演していく。
それらは全てが規格外。神の獣に届き得る一撃。
しかし……それらの力を用いても尚、レビヤタンを滅ぼしきる事は出来ない。
水とは命の母。あらゆる生命の揺りかご。
帝都全ての命を支える水源が、レビヤタンの体を瞬く間に復元していく。
世界から水が無くなるまで……この世界の終わりまでレビヤタンは、神の獣は滅びない。
その事を自覚し、復元途中ながらも勝利を確信して哄笑を上げるレビヤタン。
そして、復元を終えた彼の瞳は驚愕と共にその光景を目撃する。

『超級愛鬼神装(アスラズ・アモーレ)』

黒尾王の右腕に握られしは、白と黒の紋様で彩られた巨体たる黒尾王に倍する大剣。
それは、かつて尾弐が対峙した闘神アラストールの至った武の極地の『その先』にある奇跡。
尾弐黒雄一人では決してたどり着けない、那須野橘音と共に在るからこそ成し遂げられた理外の御業。
妖力と闘気と瘴気、それに人々の願いを合一させた、高次概念の物質化。
通常の世界であれば、決して成し遂げる事の出来ない奇跡の具現。

「祈の嬢ちゃん、折れるな。信じろ。俺達は―――強い」
「それを今、証明してやるッッ!!!!」

レビヤタンから視線を逸らさず、けれど橘音の声を聴きアンテクリストの猛攻に晒されている祈に向けて言葉を放ち。
黒尾王は大剣を居合抜きの様に構える。

「――――神夢想酒天流抜刀術・天技」

想起するのは、かつて尾弐黒雄が受けた中で最も鋭く深い一撃
命そのものを断絶する『死』の具現。
その絶技に秘術である神変奇特を混ぜ合わせ、奥義『黒尾(コクビ)』を内側へと向けて使用する事で概念を深化させる。

「鬼哭啾々――『鬼殺し・天弧』!!!!」

瞬間、音が消えた。まるで雪の日の夜の様に。
次に響いたのは、役目を終えた大剣が硝子の様に砕けて消える音。
ああ、そうだ。敵が不死身の体であるのなら、不死身に死を与えればいい。



その日、尾弐と橘音の刃は不死を斬り堕とした。。

365ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:39:50
ベヘモットの巨体が、夜の帳を超えた。

「ふっ……!!」

瞬間、百を超える拳打と蹴撃が、ベヘモットの顔面に叩き込まれた。
上から下へ叩きつけるように。この獣の王に頭を垂れろ、と。

これが『僕の縄張り』の力。どこにでもいて、どこにもいない。
故に一呼吸の内に百撃でも――その気になれば千撃でも繰り出す事が出来る。

しかし――ベヘモットはまるで動じなかった。
ほんの少し頭部の位置が下がり、突進の勢いが弱りはしたが、それも一瞬。
すぐに顔を上げて、失った速力を取り戻さんと力強く地を踏みしだく。

「クソ、硬い……!」

悪態をつくポチは、しかし追撃を仕掛けない。
大きく飛び退き、一度深く息を吸い、呼吸を整える。
無論、それは必要に迫られての行為だった。

何故なら。
一瞬の間に百を超える打撃を放ったという事は、一瞬の間にその反動と疲労が訪れるという事。
しかもそれは単なる連打ではない。一つ一つが全身全霊を込めた打撃なのだ。
いかに狼のタフネスと言えど、息一つ乱さずに、とはいかない。

「っ、しゃあ!」

とは言え、深呼吸一つで呼吸は正調。
裂帛の気合と共にポチは再びベヘモットへ飛びかかる。

「しぃッ!」

狙いはベヘモットの巨体を推し進める右前足。放つは渾身の左ソバット。
全く同じ速度と軌道で、全く同じ箇所へ、一瞬間に叩き込まれる、十の蹴撃。
一瞬の間に百の打撃を放つにはそれなりの消耗が伴う。
だが、十の打撃を十回。
結果的に一呼吸の間に百の打撃を放つ事は、送り狼のタフネスなら容易い。

右肘打、左膝蹴り、右鉄槌、左フック――脚部への執拗な連撃。
重なる打撃音。砕けたコンクリートの破片が、へし折れた鉄筋が、廃車から剥離した金属片が飛び散る。
だが――浅い。こんな物はただの被毛と同じだ。
瓦礫の怪物の、その奥にまで攻撃が届いている気がしない。

>「はあああああああああッ!!!!」

シロが吼える。
拳法においてはポチを遥かに上回るセンスを持ち、修練によってそれを磨き上げてきた。
そのシロの嵐の如き連撃をもってしても、ベヘモットの芯を捉え切れない。

「クソ、デカブツめ……!」

あと十秒もしない内に、ベヘモットは都庁へと激突するだろう。
そうなれば屋上で戦う橘音達は突然、その足場を失う事になる。
この激戦の最中にそんな事が起きれば、どうなるかは明白。
なんとしてでも、止めなくては――ポチの全身から妖気が滾る。

一瞬百撃では足りなかった。ならば――千撃だったら、どうか。
たった一瞬の内に、千の打撃を叩き込めば。
いかにベヘモットと言えど、踏み留まれない――かもしれない。
その試みが成功するかどうか、確証は持てない。

366ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:41:33
だが、その試みの代償についてならば、ポチは既に確信を得ている。
千の打撃、その反動によってポチの拳は手足は砕け、呼吸もままならないほどの疲労に襲われる。
故に挑むならば、必ず為遂げなくてはならない。
出来るのか。このそびえ立つ岩山を、己が身一つで転ばせる事が。

獣の直感は――出来るとは答えてくれなかった。
ポチが、ベヘモットから目を逸らした。
それは、睨み合う獣同士の、敗北を察した方が見せる仕草――――ではない。

ポチはただ宵闇の中、己がつがいに目配せをしただけだ。
どこにでもいて、どこにもいない――それでも、彼女は必ず自分の傍にいると。

>「――参ります!!」

果たして、それはシロも同じだった。
目と目が合う。お互いが何をしようとしているのか、瞬きの間に理解した。

>「影狼!」

迫るベヘモット――赤黒い宵闇の中、十一の影狼を従えたシロが凛然と立ちはだかる。
影狼。今となっては、ポチはその正体がただの闘気と妖気の塊ではない事が分かる。
彼らからは、遠野の山奥で出逢った、あのニホンオオカミ達と同じにおいがした。

いつからなのかは分からない。だが、もしかしたら、ポチが出会うずっと前から。
彼らはシロの傍にいた。彼女に力を貸してくれた。

>「たあああああああああああああああ――――――――ッ!!!!」

シロが地を蹴る。アスファルトの後塵を残して、疾風と化す。
その姿に追従する十一の影狼。
シロが拳を振りかぶる。固く握り締めた拳に、影狼達が宿る。
そして――シロが、その拳が、一筋の純白の閃光と化した。

>「秘奥義――――終影狼(ついかげろう)!!!!」

重く轟く打撃音――凄まじい威力の余波が、突風と化して空気を揺さぶる。
ベヘモットの頭部に亀裂が生じる。その亀裂が一瞬にも満たない間に、爆発的に広がっていく。
ベヘモットの額を構築する瓦礫がひび割れ、砕け、飛び散った。

その巨体が、ほんの僅かにだが揺らいだ。

「――ありがとう、シロ」

それだけで、ポチにとっては十分だった。
獣の直感が告げていた。今なら狩れる。そいつはもう、お前の獲物だと。
そして――ポチは地を蹴った。地を蹴った。地を蹴った。

どこにでもいて、どこにもいない。
その気になれば千の打撃でも一瞬で放つ事が出来る。
だが一方で、その反動も一瞬の間に返ってくる。
つまり――この『縄張り』の中、ポチは本来の何倍でも、何十倍でも、素早く駆け出せる。

「次は、僕の番だ」

そして、どこにでもいて、どこにもいない。
故にその加速度を保ったまま、百撃でも――千撃でも、放つ事が出来る。

「一瞬千撃……なんてね」

瞬間――ぱん、と破裂音が響いた。
一瞬間に放たれた千の打撃は、そこから生じた音さえもが一つの炸裂と化した。

ならば、ならば、その打撃そのものが生み出す破壊力は――




――まるでそうなる事が当然であるかのように、徹底的に、ベヘモットの右前足を破壊していた。

367ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:42:59
脛部装甲は完全に剥がれ落ち、その奥にある骨格さえもが引き裂けている。
膝部にも大きな亀裂が刻まれて――ベヘモットの巨体が崩れ落ちる。膝を突く。
それでも――驚くべき事に、ベヘモットは踏み留まった。
砕けた膝で、しかしその山の如き巨体を支え、持ち直してさえみせた。

そして唸り声を上げた。
捩じ切れた鉄骨で出来た牙が鋭く光る。
砕けたガラスと金属片で出来た右目が、凶悪な眼光を宿してポチを睨む。

それは明確な敵対行動だった。
ベヘモットは今ようやくポチとシロが――この矮小な、たった二匹の獣が、己の敵になり得ると認識したのだ。

「遅えよ、ばぁか」

その直後。もう一度炸裂音が響いた。
一瞬。たった一瞬で、ベヘモットの牙は全てへし折れていた。
ポチを捉えようとしていた右目は粉々に打ち砕かれていた。

「――お前、もう終わってるんだよ」

ベヘモットは左目に強い衝撃を感じた。
何かがそこに飛び乗ってきたのだと、すぐに理解した。
そこには暗闇がいた。己の悪性を解き放った、夜闇への恐怖の象徴としての送り狼が。

「ゲハハ……!」

ポチの全身から邪悪な妖気が溢れている。
千撃の反動で砕けたはずの手足はその妖気によって再生していて――その姿が消える。
瞬間、炸裂音。ベヘモットの頸部に亀裂が走る――だが、浅い。

「ゲハハハハハハハ――――――!!」

ベヘモットが吼える。舐めるなと言わんばかりに。
だが、その咆哮さえも、続く炸裂音が掻き消した。
ベヘモットの左目が砕け散って、咆哮は悲鳴に変わった。

「ゲァ――――ッハハハハハハハハハァ――――――――――ッ!!!」

炸裂音。ベヘモットの右後ろ足がへし折られた。その巨体が倒れ込む。
ベヘモットはなんとか再び立ち上がろうとしている。
炸裂音。ベヘモットの左前足に無数の亀裂が走る。
損壊した前足は巨体の自重に耐え切れず、ばらばらになった。

送り狼の悪性。そこから溢れる妖力に任せた、一瞬千撃の連続使用。
これは技ではない。
暗闇というテリトリーの中、送り狼が己の獲物と定められた存在をただ、殺めようとしているだけ。
当たり前の事が、当たり前にそうなろうとしているだけ。
故に技ではない。故にこの行為に特別な名前などない。

「……そうだな。『狼獄』。『狼獄』がいい」

名前など――なかった。

368ポチ ◆CDuTShoToA:2021/03/28(日) 06:46:06
「もし、お前に知性とか、知能とか、そういうものがあって。
 僕の声が聞こえてるなら……よく覚えておけ」

ふと――倒れ伏したベヘモット、その前方にポチが姿を現した。

「『狼獄』。それがお前を殺す、僕の奥の手の名前だ。この狼王の切り札。
 そして……きっと、あのクソッタレの神様気取りにもブチ込んでやる奥義の名前だ」

アンテクリスト曰く――ベヘモットは大地を束ねる者。神の獣。
ならば、その名に相応しい終わりが訪れるべきだ。
例えそれが瓦礫で出来た、血の通わない偽物の獣だったとしても。
お前はこの狼王の秘技によって死ぬのだ。
そしてお前を葬るこの奥義は、あの偽神にも、きっと届く。
それほどの技でお前は死ぬのだ。
そう言ってやるべきだと、ポチは思った。

「……それだけだ」

そう言うとポチは深く息を吸い込んで――

「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

高らかに、吼えた。
それは今も都庁の屋上で、たった二人で偽神に立ち向かう祈への遠吠えだった。
こっちは大丈夫。すぐに戻るよ。頑張って――君なら、きっと大丈夫だろうけど。
そんな思いを込めた遠吠え。

そして、その遠吠えが終わると同時――炸裂音が響く。
宵闇が晴れる――ベヘモットの頸が、ポチの目の前に転がっていた。

369那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:54:36
スクラップ・アンド・ビルド。
新たな創造を行うためには、先ず破壊がなければならない。
終世主アンテクリストの放った『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』は、まさに創造の前に齎される破壊。
創造神の揮う奇蹟に相応しい、現在の文明を、ありとあらゆる生命を、七度絶滅させることのできる極技であった。
龍脈の力を得たとはいえ、たかが中学生の小娘ひとりに受け止められるものではない。

「祈!祈ッ……ああ、目を覚まして……!
 お願い、お願いです……祈……!!」

レディベアが自らの負傷も顧みず、祈を抱き起こして懸命に呼びかける。
しかし、祈は動かない。
ふたりの少女の悲愴な姿を見下ろし、アンテクリストが嗤う。

「無駄だ。いかな龍脈の神子とて、我が御業に抗う術なし。
 神子は死んだ。『それ』はただの肉の塊に過ぎぬ。
 これで再び龍脈の力も我が手に――汝らの抵抗など、所詮は無駄だったということだ」

「……アンテ……クリスト……!」

ギリ、と奥歯を強く噛みしめ、レディベアが神を睨みつける。
悪しき偽神には絶対に屈さないという、強い意志の籠もった瞳。
だが、そんなレディベアの必死の抵抗表明も、アンテクリストに優越を与える以外の意味を持たない。

「愚か。愚かよ、そして哀れなり……ブリガドーンの申し子。
 私が恵んでやった偽りの友誼に、尚も縋りつくというのか。
 それは言葉にできぬ愚昧なれど……同時にある種美しくもある。
 偽りの友。偽りの思慕。偽りの幸福――私の与えた偽物の情愛が、よもやこうまで見事な花を咲かせるとは。
 偽りにも、偽りなりの真実があるということか?」

「偽りなどでは……ありません……!
 祈とわたくしの友情は、愛情は、紛れもない本物ですわ!」

「否。偽りである。
 すべては汝に極上の絶望を味わわせんが為のもの。我が策謀のひとつ。
 汝は自分を独立した個人だと思い込んでいただけの、滑稽な操り人形に過ぎぬ。
 友情も、愛情も。すべてはこの私が組み込んだ歯車でしかない――」

「確かに……わたくしは人形でした。
 何も知らずにあなたの思惑に沿って踊るだけの、意思なき人形……。
 けれど!そんなわたくしに、祈は手を差し伸べてくれたのです!
 わたくしはその手を取った!それは、その選択は!紛れもなくわたくし自身の意思で行なったもの!
 例えわたくしという存在があなたの操り人形であったとしても!
 この、わたくしの胸に息衝く想いは……愛は!
 決して、あなたから与えられたものではありません!!」

アンテクリストの言葉を、レディベアは真っ向から否定した。
かつてふたりがまだ敵同士であった頃、祈は二度に渡ってレディベアを仕留められる絶好の機会を見逃した。
のっぴきならない状況がそうさせたのではない、祈は自ら望んでその好機を放棄したのだ。
そして、夜の公園でふたりの関係を友達ごっこと嘲笑った赤マントに対して、祈はこう言い放った。

『あたしとこいつのは、“ごっこ”なんかじゃねぇ!』

と。
レディベアはそれを信じる。その言葉を心から慈しむ。
何故ならば、それこそがこの世界で最も美しいもののひとつ。
極彩色の虚無に彩られた、異空の牢獄ブリガドーン空間の中には存在しなかったもの。
空間の隙間からずっと眺め遣り、憧れ、望み、焦がれ――
やっと。手に入れた宝物であったのだから。

「善い。ならば、汝も神子と共に葬り去ってくれよう。
 手に手を取って死ぬがいい。愛する神子と原型も留めぬ肉になって混ざり合えれば、本望というものであろう?」

じゃり、と足音を鳴らし、アンテクリストが今まさにふたりへとどめを刺さんと一歩を踏み出す。
ゆるりと差し伸べられた右手に、膨大な神力が凝縮してゆく。
レディベアにそれを防ぐ手段はない。もはや、進退は窮まったかに思えた。

だが。

それまで死んだようにぐったりと動かなかった祈の右手の指が、微かに動く。
祈を抱き締めた状態で、いち早くその動きに気付いたレディベアが隻眼を見開く。

「……い、祈……!!」

>――……………こ

「――なに?」

アンテクリストが眉間に皺を寄せ、怪訝な表情を浮かべる。
祈は、まだ死んではいなかった。

371那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:56:42
>聞、こえ、なかったか……? “ザコ”……っつったんだよ。クソ神

「……なん……だと?」

祈が目を開く。レディベアの腕の中でゆっくりと身じろぎし、起き上がろうとする。

>効くかよ……あんな攻撃。あたしら東京ブリーチャーズはな……世界背負ってんだ。
 ……ぐ、がああああああッ!!

「ああ……祈!」

レディベアが涙を流して歓喜する。すぐにブリガドーン空間の力を使い、祈に治癒を施してゆく。
空を埋め尽くす黄金の粒子が、祈の小さな身体の中へ吸い込まれてゆく。
破裂した臓腑が、折れた全身の骨が、疲弊しきった肉体が瞬く間に回復し、力が漲る。
すべては『そうあれかし』。人の、妖の、この世界の生きとし生ける者たちの心のエネルギー。
それが、祈の中で無限の闘志となって激しい光芒を放つ。
アンテクリストは瞠目した。

「我が……我が第二の御業『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』を受けて……即死していないだと……?
 莫迦な、こんなことがある筈がない……!」

唯一神とは、まさしく唯一の存在であるからこそ名乗ることを許される呼称である。
それは逆説的に『唯一でなければ名乗れない』ということでもある。
アンテクリストは己の取り戻した力を以てして唯一神を標榜した。
そして、その唯一神の権能を行使して龍脈の神子を葬り去ると宣言し――

失敗、した。

>あたしは!! この世界を守って!! 橘音と尾弐のおっさんの結婚式に行く!
 ポチとシロの子供ができたら抱っこさせてもらう!!
 御幸には言いたいことがあるし、モノとはこれからも一緒に遊んで!
 そんで将来は、橘音みたいな名探偵になるんだ! やりてーことがたくさんある!!
 だからおまえから明日を奪い返すまで、死んでも死ねねぇんだよ!」

「そんな下らぬ……取るに足らぬ理由で、立ち上がったというのか……?
 この神の、絶対神の、崇高なる創造神の御業に耐え切ったと……?」

レディベアの腕から離れ、立ち上がった祈が吼える。
アンテクリストは激しく動揺した。唯一の神、絶対の神。この惑星すべての存在を遥かに凌駕した、
超越者であるはずの自分が全力で放った奥義が、たかがひとりの半妖を仕留め切れなかった。
目の前に誤解のしようもなく厳然と突きつけられた事実に、戸惑っている。

>あたしを殺せるもんなら殺してみろ、赤マント!!

体内に漲る力を爆発させ、祈が再びターボフォームへと変身する。
だが、それは今までのターボフォームとは違う。黄金の光が、人々の想いが、祈の力を何百倍にも増幅させている。

「は――愚かな!
 汝の技など効かぬ!通じぬ!それは先に確と知らしめた筈!
 分からぬと言うなら、今一度実力の違いを――」

彗星のように黄金の尾を引きながら、祈が突進してくる。
アンテクリストは身構えた。彼我の実力差は圧倒的。仮に何らかの予想しえない要素によって少女が御業を防いだとしても、
その不文律が覆ることはない。
無謀な突撃などいとも容易く往なし、再度の『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』で、
今度こそ完全に引導を渡してやればいい。
そう、思ったが。

>ブッ飛べ!!

バキィッ!!!!!

「!?」

祈の繰り出した右拳が、過たずアンテクリストの左頬にクリーンヒットする。
人々の想いの籠もった渾身の殴打を浴び、偽神は錐揉みしながらヘリポートの端まで吹き飛んだ。

「が……は……!
 な、何が……何が、起こった……?」

大きく翼を広げ、からくもヘリポートからの転落を免れると、アンテクリストは驚愕に目を見開いた。
口許を押さえた右手の間から、ぽたぽたと血が零れてコンクリートの床に点々と染みを作る。

「この、痛みは……か、神が……。
 神が……殴られて、出血する……だと……?」

「やりましたわ!祈!!」

偽神が動揺する一方で、レディベアが快哉を叫ぶ。
祈が『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』を凌いだことで、
アンテクリストの中に屹立していた自己への絶対の自信という支柱に一条の亀裂が走った。
そして、今。神聖不可侵にして無敵とばかり思われていた肉体に一撃を受け、出血したことで、
精神の支柱には益々ヒビが入ることになった。
唯一神、創造神に昇華したはずの自分に届く者がいる。
絶対神を殴り、傷を負わせる存在がいる。
恐るべき認識が、脅威が、アンテクリストの『そうあれかし』を崩してゆく。

神の権能を、剥奪してゆく――。

372那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:57:03
「お、の、れェェェェェェ――――――――――ッ!!!」

ゴウッ!!!

アンテクリストが激昂し、四対の翼を広げて祈へと迫る。
その拳が唸りを上げて繰り出される。

「卑しい半妖如きが!この神の!唯一にして絶対なる神の尊顔を傷つけようとは!
 瞬く間に爆ぜて詫びよ!汝の魂、辺獄にすら存在を許さぬ!!」

ガガガガガガガガッ!!!

憤怒と共に放たれる、絶対神の攻撃。その拳と蹴りの勢いは暴風さながらだ。
無数の打撃が秒の間さえなく祈を襲う。そして、その打撃はすべてが致死級。
並の妖怪ならば、否、大妖クラスであっても一撃貰えば即死か、良くてケ枯れは避けられまい。
だが。
今の祈ならば避けられるだろう。防御し、往なし、打ち崩すことが可能なはずだ。
共に『そうあれかし』の力を受けた者同士の闘いならば、その優劣を決めるのはごくごくシンプルな要素でしかない。
即ち――『想いの量』。
アンテクリストの意志の力は、他の追随を許さぬ強さであろう。
何せ2000年に及ぶ悲願の結晶である。それだけの長い間アンテクリストは、ベリアルは力を取り戻すという、
ただひとつの目的だけをひたすら願ってきた。それは余人には想像さえできない強い想いであろう。
しかし、どれほど強い願いであっても、それはベリアル個人の願い。ただひとりの意志に過ぎない。
その一方で、祈の許には今、この地球という惑星に生きる者たちの何十億もの想いが、願いが集まっている。
で、あるのなら。
想いの総量で祈がアンテクリストに負けることはありえない。

「私は神だ!創造神だ!この世界の誰も、この私と並び立つ者はおらぬ!存在してはならぬ!
 結婚式だと?子供だと?そんな下らぬ虫けらの望みが、世界を創造し直すという私の崇高なる望みに!
 匹敵していいはずがない――!!」

ギュバッ!!!

アンテクリストが大きく左の拳を振り上げる。
その一瞬の隙が、祈には見えるだろう。絶好の攻撃ポイントだということも。
祈の攻撃が鳩尾に突き刺さると、アンテクリストはまたしても大きく双眸を見開いて身体をくの字に折り曲げた。

「ぉ、ご、ぅ……!」

たたらを踏んでよろける。さらに出血が激しくなる。

「これは……何だ……?どうして、このようなことが……?
 こんなことが……あるはずがない……何かの間違いだ……」

どれほど神の力を使おうと、全力で叩き潰しにかかろうと、祈を仕留められない。
唯一神のはずの自分が、あべこべに圧倒されている。
そんな事実は断じて認められない。否定する以外にない。
しかしそれを口にした瞬間、アンテクリストはハッと気付いた。――気付いてしまった。

「私が、この神が……間違いを犯した……だ……と……?」

真の唯一神は間違えるまい。本当の絶対神ならば誤るまい。
だというのに――

『自分は、間違えてしまった』。

「ぐああああああああああああああああ……ッ!!!」

黄金の輝きをその身に吸収してゆく祈とは対照的に、アンテクリストの肉体から黄金の光が剥離してゆく。
アンテクリストが横奪した龍脈の力とブリガドーン空間の力、『神』を構成する要素が抜けてゆく。
これまで信じてやまなかった、神の力への信頼。
それをほんの一瞬でも疑ってしまったがゆえ、偽りなのではないかと勘繰ってしまったがゆえ。
『間違ってしまった』と思ってしまったがゆえ――

終世主は今まさに万物の頂点に君臨する唯一神の玉座より転落し、その権能を喪ったのであった。

「力が……力が、抜ける……!
 莫迦な……やめろ、戻れ……私は、この私は……この世界で唯一の、真なる神……!
 この偽善にまみれた世界を浄化する……ことを……許された……者……」

がくり、とヘリポートの床に右膝をつき、アンテクリストは苦悶に呻いた。
しゅうしゅうと音を立てながら、黄金の光がその身体から抜け出てゆく。
輝く光背は消え、頭上に頂いた光輪がくすんだ色に変わる。四対の純白の翼は萎れ、うち三対が脱落した。

「私は……私は、ぐ……ぅ……ッ!」

今やアンテクリストは大勢の人々を欺き、陥れ、祈とレディベアから掠め取った力のすべてを喪失し、
父なる神によってその権能を奪われたときと同じ、無力な堕天使へと立ち戻ってしまったかのように見えた。

373那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:57:24
炎の不死鳥、空の獣ジズが都庁の上空を悠揚と飛翔している。
どれだけ御幸がありったけの妖力と妖術を叩き込んでも、一瞬しかジズを怯ませることができない。
加えて御幸はジズの相手だけでなく、戦場すべての状況を把握する必要があった。
御幸がどこか一箇所でも目を離してしまえば、戦線は崩壊する。

>マジか……!

御幸の左腕が崩壊し、加えてレビヤタンの光線めいた水撃の余波を受け胴体に風穴が開く。
誰がどう見ても御幸はもう戦闘続行不可能のように感じられた。
実際、ジズもそう判断した。あの雪妖、小癪にも神獣の一角である自分と張り合おうとした矮小な存在は、
身の丈に釣り合わない力を出したあげく、自壊しようとしている――と。
そして巨翼を一度羽搏かせ、大きく都庁上空を旋回すると、御幸にとどめを刺すべくその燃え盛る猛禽の双眸で眼下を睥睨した。
だが。

>母上の言う通りだ……。まだだ……まだ全部見せてない
>奥義ッ! ――御幸乃恵瑠《ホワイトクリスマス》!!

御幸の肉体が吹雪に変化し、周囲一帯で荒れ狂う。東京ブリーチャーズのいる戦闘フィールドに、無数の雪華が舞い散る。
季節外れの降雪、それは御幸――否、ノエルが己の姿そのものを冷気へと変質させた結果引き起こされたものだった。

「ギ、ギィィィッ……!」

猛吹雪が炎の巨鳥を包み込む。何もかもを凍らせるブリザードが、神の獣を凍結させようと荒れ狂う。
ジズは己の纏う炎の出力を上げて対抗した。
その火力は五魔神の一柱・コカベルのプロミネンス級の焔さえも上回る。
アンテクリストから無尽蔵に供給される神力が、ジズに際限のない燃焼を与えている。

>待たせたな焼き鳥! 仕切り直しだ!

「キョォォォォォォォ―――――――――――ッ!!!!」

ジズが甲高い叫び声を上げる。纏わりつく猛吹雪を、触れる端から蒸発させてゆく。
このままではジリ貧だ。無限の神力に裏打ちされた火力は、いくらノエルが自然の化身であったとしても御しきれるものではない。
ただ――それも『無限の神力のサポートがあるなら』である。

「力が……力が、抜ける……!
 莫迦な……やめろ、戻れ……私は、この私は……この世界で唯一の、真なる神……!
 この偽善にまみれた世界を浄化する……ことを……許された……者……」

祈が世界中の人々の想いによって再起し、アンテクリストを凌駕し始める。
たかが小娘ひとりを仕留め切れないことを疑問視したアンテクリストの身体から、力の源が剥離してゆく。
その結果――偽神の加護、その恩恵を受けていたジズもまた、存分に揮っていた力を剥奪される形になった。

「ギッ……ギギッ……!?」

吹き荒ぶ雪嵐すら焼き尽くす勢いで燃え盛っていたジズの炎が、まるでガス欠でも起こしたかのように火力を弱める。
いや、実際にそうなのだろう。アンテクリストからの神力の供給が途絶え、炎を全開にすることができなくなったのだ。

>……そろそろケリをつけよう。
 ハクト、内と外からの挟撃だ。炎だって凍らせてしまえば砕ける。
 私が内側から凍りつかせるから君がその瞬間に叩き壊すんだ。必ず守るから、信じて合わせて

ノエルとハクトが示し合わせ、最後の攻撃を放とうと息を合わせる。
ジズは激昂した。地面を這い蹲る虫けらが、尊貴なる三神獣の一翼たる空の獣を斃そうなどと、不遜が過ぎる。
そのように傲り高ぶった愚か者は、聖なる神の焔にて形も残らぬよう一切浄化しなければならない。

「ピギョォォォォォォォォ――――――――――――ン!!!」

あたかも鷲が獲物を狙うように、ジズはノエルとハクトの真正面に急降下してきた。
そして大きく口を開き、今までで一番烈しい火力の吐息でふたりを融解させようとする。
が――それがふたりの狙いであった。

>いくよ! だぁああああああああああああ!!
>うりゃぁあああああああああああああッ!!

ノエルが渾身の力でジズの口の中へと飛び込み、ハクトが氷の金槌を振りかぶって跳躍する。
もしもアンテクリストがなおも絶対神の権能を有していたなら。ジズが唯一神の神力供給を今も受けていたなら。
ノエルはジズの体内で荒れ狂う炎に呑み込まれ蒸発していただろう。
ハクトの一撃は体表の放出する熱によって無効化され、神の鳥に掠り傷ひとつも負わせることはできなかっただろう。
だが。

今は、そうではない。

>万象凍結粉砕撃《インフィニティパワー・アイスストーム》!!

ノエルとハクト、ジズの身体の内と外にいるふたりの叫びがひとつに重なる。

ビシッ!!!

鼎の三神獣が一角、空の獣。炎の不死鳥ジズはノエルによって凍結させられた心臓をハクトに粉砕され、
全身を一個の巨大な氷の彫像へと変えると、バラバラに砕け散った。

374那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:57:44
レビヤタンはありとあらゆる書物に於いて『最大の獣』と称された、文字通り生物の頂点である。
その鱗は現存するすべての武具を受け付けず、体躯は他の生命体を圧倒し。
ただ身じろぎするだけでも天変地異を引き起こす――と、文献にはある。
偽神アンテクリストによって召喚されたレビヤタンも、それは変わらない。
東京都の水源から確保される潤沢な水量によって、その肉体はまさに不滅。無敵。
すべての生物は自分の前に拝跪しなければならない。神の獣、海の王者たるレビヤタンに――。

だのに。

>どうしたどうした!腰の悪ぃオジサン一人殺せねぇで神獣名乗るなんざ恥ずかしくねぇのか!?
 ああそうか!あの赤マントのペットだもんなぁ!この程度で限界でも仕方ねぇよなぁ!!!
 なあ、ミミズ野郎!!

何だ。この小さな存在は。
レビヤタンは憤った。このような小さな、自分と比してはクジラとプランクトンほども差のある者が。
百獣、いやさ億獣の王たるこのレビヤタンを愚弄することなど、在っていいはずがない。

撃殺すべし。
討滅すべし。
誅戮すべし。

だが、不思議なことに。本来自分がほんの僅かに動くだけで瞬く間に死ぬはずの虫けらが、なぜか死なない。
どころかその虫けらはいつの間にか力を蓄えていたもう一匹の虫けらと結託し、自身に匹敵する力さえ披歴してみせた。

――どういうことだ?

虫けらには、虫けらに相応しい力しか宿ることはない。身の分限を遥かに超える力など、存在しない。
それが世界の定めた法であり、神の。自分たちの主が制定した掟のはず。
だのに、何故――?

>『弧毒殺掌』
>『九鬼刃』

レビヤタンの眼前に、黒甲冑の鬼神――いやさ機神が迫る。
膨大な量の水によって構成された神の獣の胴体が、まるでウナギか何かのようにぶつ切りにされる。
鬼神の毒の付与された手刀が玖撃の斬撃と化し、レビヤタンの何物にも傷つけられない筈の体躯を斬断してゆく。

>は!腰も痛くねぇし体は思うように動くし――――何より、橘音!お前さんが側にいる!

「そうですとも!クロオさんの傍にはボクがいる、ボクの傍にはクロオさんがいる!
 ボクたちふたりが力を合わせれば――こんな長虫程度に負ける道理なんて、あるはずないんだ!」

尾弐の哄笑に相槌を打つように、橘音もまた嬉しそうに叫んだ。
ふたりの意識は黒尾王の中で混ざり合い、ひとつに融け合って、一糸乱れぬ調和を生んでいる。
まるで褥の中で身を寄せ合い、抱き合い肌を重ね合っているような安堵を、幸福を、ふたりは感じていた。

>『大八百尺千手掌』
>『御社宮司蛇鱗盾』
>『蒼天悪鬼夜行』

其れは、逍遥する怪異の仄暗い淀みへといざなう手。
其れは、衛星軌道よりのレーザーさえ一顧だにせぬ大蛇神の鱗。
其れは、旧く京の都を蹂躙せし暴威の体現たる百鬼の軍勢。

黒尾王の武器は、千年に及ぶ尾弐と橘音の妖壊との闘いの歴史そのもの。
橘音がかつて戦った妖壊たちの妖術を兵装として具現化させ、尾弐がそれを膨大な戦闘経験によって使いこなす。
それはまさに一心同体の極致。

「ギッシャアアアアアアアアアアアア―――――――――――――ッ!!!」

しかし、肉体を細かに分断されながらも尚、レビヤタンに焦りはなかった。
自分は神の獣。海の王者にして絶対最大の竜。小虫がどれだけ力を振り絞ったところで、無敵のこの身を滅することなど――

>『超級愛鬼神装(アスラズ・アモーレ)』

其れは、不敗の闘神が遂に到達できなかった、本当の強さの頂。
尾弐黒雄と那須野橘音の愛が結実させた、紛れもない奇跡。
終焉に終焉を齎す剣。

>――――神夢想酒天流抜刀術・天技

黒尾王が大剣を腰だめに構える。尾弐の弟子であり友である、彼の千年に及ぶ執着の体現たる少年の絶技。
肉体を再構成したレビヤタンが咆哮をあげながら黒尾王へと突進する。何重にも鋭い牙の生え揃った巨大なあぎとを開き、
神のしもべに刃向かう大罪人を噛み殺そうと恐るべき速度で宙を泳ぐ。
だが――遅い。
既に黒尾王は準備を終えている。あとはすべてを解き放つだけ。
今まで培ってきたものを、積み重ねてきたものを――尾弐と橘音の愛を。

>鬼哭啾々――『鬼殺し・天弧』!!!!

無影、無音、無明の斬撃。その刃を避けることなど、何者にもできはしない。
レビヤタンの中で理が覆る。常識が反転する。
『不死』が『死』へとすげ変わる――。

大海獣の長大な躯体が崩れてゆく。海の王者を構成していた物質が、ただの無害な水へと戻ってゆく。
鼎の三神獣、聖書に最大かつ不敗の獣と記されたレビヤタンは、まさに今この瞬間に。
自身に死が訪れたのだということを悟った。

375那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:58:03
ベヘモットがまっしぐらに都庁めがけて突進している。
ポチの作った縄張り、夜の帳の中にあろうと、その速度は緩まない。進行方向は変わらない。
既につがいの暴風のような連撃によって巨獣を覆っていた装甲の大半は剥がれ落ちていたが、それでも状況は変わらない。
すでに巨獣と都庁との距離は残り500メートルもない。ベヘモットが都庁に到達すれば、庁舎は崩壊する。そうすればもう詰みだ。

しかし。

ポチとシロは絶望しない。諦めない。なぜなら――
もう、勝利に至る道は拓けている。

>――ありがとう、シロ

シロの秘奥義・終影狼によってベヘモットの頭部装甲が崩壊し、頭蓋骨じみたフレームが露になる。
瓦礫で出来たロボットめいた姿ではあるものの、シロ渾身の一撃を受けて脳震盪でも起こしたのだろうか、
ベヘモットの突進の勢いがほんの僅かに弱まる。
ポチが駆ける。狙うは巨獣の右前足。
ポチの攻撃、その一打一打は他の東京ブリーチャーズに比べて軽いかもしれない。ベヘモットの鋼の装甲を砕き、
その芯である骨格を崩壊に至らしめるには足りないかもしれない。
だが、それをただ一箇所に集中すれば?集中させた攻撃を、さらに千撃。一度に打ち放てば?
ポチが今まで強敵たちと戦い、学んできたもの。
そのすべてを開帳したなら――。

壊せないものなど、この世には存在しない。

>一瞬千撃……なんてね

「ブモオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ッ!!!!」

右前足が爆裂する。四肢のひとつを完全に破壊され、ベヘモットが吼える。その眼差しが怒りに燃えてポチとシロを見る。
事ここに至り、やっとベヘモットは自身の行く手を塞がんとする障害の存在に気付いた。
神より授かった使命を妨げんとする邪魔者がいる。自分はそれを排除しなければならぬ。滅ぼさねばならぬ、そう思う。
が――その認識は、些か遅すぎた。

>遅えよ、ばぁか

ぱぁん、という乾いた音と共に、ベヘモットの口吻で爆発が起こった。
否、爆発ではない。ポチが一瞬のうちに千の打撃をその顔面へと叩き込んだ際に起こった、衝撃波の立てた音であった。
ベヘモットの巨大なレンズで出来た右眼が砕け散る。

「ゴオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

ベヘモットは狂乱した。
自分よりも遥かに小さな、この『なにかよくわからないもの』が、陸の王者たる自分に傷を負わせようとは。
巨獣の躯体の各所が展開し、ガチャガチャと音を立てながら何かがせり上がってくる。
それは無数のタレット、セントリーガンの類。ベヘモットが身体を構成する瓦礫を変質させて作ったのだろう。
タレットはミニガンタイプからロケットランチャータイプのものまである。そのすべての銃口がポチとシロへ向けられる――
が、そんなものはもう、何の役にも立たない。

>――お前、もう終わってるんだよ

ポチが冷然と告げる。其れはこのフィールドに存在する頂点捕食者、狼王の下す絶対の審判。

>ゲハハ……!

夜の帳の中、ポチの哄笑が響く。

>ゲハハハハハハハ――――――!!

狼の縄張りの中では、ポチとその眷属以外の存在はすべて等しく獲物。狩られる者、被食者、餌でしかない。
そしてそれは陸の王者たるベヘモットとて例外ではないのだ。

>ゲァ――――ッハハハハハハハハハァ――――――――――ッ!!!

迸る禍々しい妖気は、まさに災厄の魔物。獣害の化身『獣(ベート)』、人々が夜闇の向こうに畏れた『大神』そのもの。
神獣の矜持を振り絞って反撃に転じようとするも、ベヘモットはポチの圧倒的な攻撃力の前に成す術がない。
結果前足を両方とも完砕され、まるで土下座でもするようにくずおれることになった。

>もし、お前に知性とか、知能とか、そういうものがあって。
 僕の声が聞こえてるなら……よく覚えておけ

蹲るベヘモットの前に、ポチが姿を現す。
ベヘモットの全身のタレットが、一斉にその照準を合わせる。
こんなちっぽけな。こんな矮小な。
ほんの僅かにと息を吹きかけただけでも死んでしまいそうな、小さき者に。神の獣たる自分が凌駕される筈がない――
ベヘモットは折れ砕けた前足の残骸へと力を込めた。

>『狼獄』。それがお前を殺す、僕の奥の手の名前だ。この狼王の切り札。
 そして……きっと、あのクソッタレの神様気取りにもブチ込んでやる奥義の名前だ

「ギ……ギ……
 ―――――ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――――――ッ!!!!」

>オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!

二頭の獣が咆哮する。
ベヘモットが最後の力を振り絞って身体を前にのめらせ、ポチを圧殺しようと迫る。
闇の中に、一際大きな炸裂音が響く。

そして、ポチの縄張りたる宵闇が徐々に薄まり、やがてすべてが元に戻ったとき。
鼎の三神獣の一角、陸の王者たるベヘモットの巨体は頭部を切断され、ただの瓦礫の山へと還っていた。

376那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:58:31
アンテクリストがヘリポートに右膝をつき、肩で荒い息を繰り返している。

「な……、何故だ……?
 この……神が……。神の僕たる、鼎の三神獣が……。
 何故、下らぬ妖怪ども風情に後れを取る……?こんなことは……計算外だ……」

自身は龍脈の神子に圧倒され、ジズは氷の彫像と化して砕け散った。レビヤタンは無害な水に戻り、ベヘモットも瓦礫の山に還った。
虫けらと、塵芥と思っていた者たちに敗れ去った。それはアンテクリストにとって到底受け入れられない事態だった。

「確かに、あなたは強大ですわ……アンテクリスト、いいえ……赤マント」

祈の傍らに寄り添いながら、レディベアが口を開く。

「あなたの力に単独で比肩する者など、この世界には存在しないのでしょう。
 まさしく唯一神、絶対神と言うに相応しい力ですわ。――でも、それはあくまであなたひとりの力。
 どれだけ優れていたとしても、ひとりの力は大勢の束ねられた力には絶対に敵わないのです」

「戯れ言を……!
 有象無象の力をかき集めたところで、ゴミは所詮ゴミでしかないのだ!
 究極の力は、ただひとりだけが持っていればいい!頂点に立つのはただひとりで……!」

「わたくしも、最初はそう思っていました。
 赤マント、他ならぬあなたにそう教えられてきました。
 君臨者たるお父様の下、万民たちは支配されて然るべきと……でも、そうではありませんでした」

祈の顔を見遣り、レディベアは淡く微笑む。
血まみれ、埃だらけの酷い顔だったけれど、その表情は晴れやかだった。

「妖怪も、人間も、すべての生物は単独では存在できません。
 手を取り合い、助け合い、想いを繋げ合い……。
 そうやって大きな輪を描いて生きてゆくのです。
 あなたは今まで他者を操り利用することばかりを考え、分かり合い力を合わせるということをしてこなかった。
 協調を蔑み、友愛から目を背けてきた。きっと差し伸べられていたであろう手を、跳ね除け続けてきた――」

レディベアが祈へ右手を伸ばす。指を絡めて、繋ぎ合う。

「……誰かとつなぐ手は、こんなにも温かいというのに」

「黙れ……私の作った人形風情が!創造主たるこの私相手に、知った風な口を利くな!」

アンテクリストが右腕を大きく横に払って声を荒らげる。
レディベアはずっと長い間偽りの認識を植え付けられ、踊らされてきた、アンテクリストの人形。
本人にとっては傷口を抉られるような罵倒だろうが、祈と手を繋いだレディベアの表情はどこまでも穏やかだ。

「ええ、ええ、その通りですわ。
 何度も言うように、わたくしはあなたに作られた人形。あなたの計画を成功させるためのパーツ。
 けれど――だからこそ、わたくしは今ここにいる。こうして立っている。
 この世界に。この場所に。祈の隣に。
 祈と手を繋ぎ、気持ちを繋ぎ、想いを繋いでいる……。
 わたくしは幸せです。先ほどわたくしは、祈の手を取ったのはわたくしの選択と言いましたが。
 そのきっかけを。出会いを与えてくれたのは、紛れもなくあなたなのでしょう。
 だから――」

そこまで言って、レディベアは繋いでいないもう片方の手を緩くアンテクリストへと伸ばした。
そして。

「ありがとうございます。わたくしの、もうひとりのお父様……」

と、言った。
それは皮肉でも煽りでもなく、心からの感謝。
もしアンテクリストが――赤マントがレディベアをどこかから攫ってこなかったら。駒として使おうと考えなければ。
レディベアはこうして祈と友情を育むことも、並んで立つこともなかっただろう。

「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」

黒尾王の中から、橘音がそうアンテクリストに言葉を投げる。

「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
 でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
 特に祈ちゃんの力を」

「……なんだと……?」
 
「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
 祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
 ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
 ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

そう。
今、この場所に集っている者たちは、多かれ少なかれ祈によってそれまでの運命を変えられてこの場にいる。
それは祈が龍脈の神子だからではない。祈が生来持ち合わせている善性によるものだ。
他にも安倍晴朧をはじめとする陰陽寮や、富嶽ら妖怪たち。
元妖壊のコトリバコ、姦姦蛇羅、果てはハルファスにマルファスといった天魔まで。
この最終決戦は、まさに祈が今まで育んできた絆の集大成と言っても過言ではない。

「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
 でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
 それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
 師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

黒尾王の右手人差し指がアンテクリストを差す。
アンテクリストはただ凝然と橘音の言葉を聞いていたが――

しばしの沈黙の後、徐に笑い始めた。

377那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/03/31(水) 10:58:49
「……フ……。
 フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」

地面に片膝をついたまま、アンテクリストが哄笑する。
ぎゅ、とレディベアが祈と繋いだ手に力を込める。

「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
 私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
 他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!
 十四年前のあの時!赤子の貴様を一番に葬っておきさえすれば!
 今になってこんなことにはならなかった……!
 ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
 この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

アンテクリストが辺り憚らずに笑い声を響かせる。その姿は或いは、敗北を悟った者の諦観のようにも見えただろう。

「ああ……、そうだな。その通りだ……お前たちの言うとおりだよ。
 私は間違えた……。神とは誤らぬ者。私は唯一神でもなければ、絶対神でもなかったな……」

「……赤マント」

俯いたまま、ゆっくりとアンテクリストが立ち上がる。自らの誤りを認める。
レディベアが戦いの決着を感じ、表情を和らげる。

だが。

「――――そう。そうだとも。
 私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
 ならば!『これから唯一神になればいい』!!
 貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
 そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

その目はまだ、諦めてはいなかった。
神の力に見限られ、自身を間違っていたと認めてなお、顔を上げたアンテクリストの瞳には邪な野望が爛々と燃えている。
黒尾王の中で、橘音が歯を食い縛る。

「往生際が悪いですよ、師匠!
 アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
 第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
 この私が、智謀の頂に君臨する私が!
 “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

バシュッ!!

砕け散ったジズの氷の破片から、只の真水に戻ったレビヤタンから、ベヘモットであった瓦礫の山から。
それぞれ赤、青、黄色に輝く光球が飛び出し、凄まじい速さでアンテクリストへと飛んでゆく。
三種の光球を自身の周囲で旋回させながら、アンテクリストは口角を歪めて嗤った。

「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」

アンテクリストの身体に光球が吸い込まれてゆく。
色褪せていた肉体が、みるみるうちに輝きを取り戻してゆく。

「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

旧約聖書には、世界の終末が訪れた際に神獣たちの血肉は終末を生き延びた生存者たちへ捧げられると記されている。
神の試練を凌ぎ切った選ばれし者に、新しい世界を生きる力を与える食物。それが三神獣の真の役割なのだ。
だが――本来選ばれし者に与えられるはずの神獣たちの力を、他ならぬ神自身が取り込んでしまったとしたら――?

「ははははははははは……ふはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

ゴウッ!!!!

三神獣の力を吸収したアンテクリストの肉体から、先刻の神の力を遥かに上回る波動が迸る。
空がぶ厚い雷雲に覆われ、轟音と共に稲光が輝く。大地が鳴動し、大気が震える。

「祈……!」

圧倒的な力の奔流が生み出す暴風の前に長い髪と衣服の裾を嬲られながら、レディベアが祈の手を強く握る。
アンテクリストの均整の取れた肉体がぶ厚い筋肉によって二回り以上も大きくなり、
頭上の光輪に変わって側頭部から一対の巨大な角が伸びてくる。形のいい唇が獣じみて裂けてゆき、
メキメキと音を立てて牙が生え揃ってゆく。手足の爪はあたかも剣のように鋭利になり、
背からは輝く翼の代わりに紅蓮の焔に包まれた翼が生まれ、一度大きく羽ばたいて空気を焦がした。
腰後ろから生えた水流で構成された長い尾が、あたかも大蛇のように鎌首を擡げる。
それは文字通りアンテクリストと三神獣が融合した、禍々しいとしか形容できない姿だった。

「見よ!!畏れよ!!
 此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
 アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

先刻までのギリシャ彫刻のようだったアンテクリストの美貌とは正反対の、醜悪な外貌である。
だが、その力は以前よりも確かに増している。

「死ね、多甫祈!
 ―――――――最終ラウンドだ!!!」

大きくあぎとを開き、上体を前にのめらせると、アンテクリストは一気に祈へと襲い掛かった。

378多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:33:55
 祈は、アンテクリストの『天地創造(セヴンデイズ・クリエイション)』を耐えきった。
それは、祈という少女の持つ、執念が為せる業。
『龍脈過負荷(オーバーロード)』は傷を瞬く間に癒すが、痛みまでは緩和できない。
友人や仲間や家族と、この愛する世界でこれからも生きていきたいという強い願い。
たったそれだけのことが、気が狂いそうな死の激痛を、拷問めいた惨苦の連撃を乗り越えさせた。
 そして立ち上がれたのは――。

>「立ち上がるんです、祈ちゃん!」

>「さっさと起きなよ。君にこんなところでくたばってもらったら困るんだ。
>君には我が一族の遠大なる計画のためにずっと役に立って貰わなきゃいけないんだから。
>君は別に世界を変えたいなんて思ってないんだろうけどさ。そりゃ無理な話だ。
>君は存在しているだけで少しずつ世界を変えてしまう。……生きているだけで否応なく誰かを幸せにしてしまう。
>本当かって? 少なくとも……ここに一人」

>「祈の嬢ちゃん、折れるな。信じろ。俺達は―――強い」

>「オオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――――――ンッ!!!」

>「祈……!!」

 仲間たちの声が聞こえたから。
愛する者たちが祈のことを呼んでくれたからだ。
レディベアの“目”を通し、東京ブリーチャーズの戦いを見ていた人々が、祈の再起を願ってくれたからだ。
 愛する世界に愛された。故の。

――黄金。

立ち上がった祈に集まる、そうあれかしという、想いの塊。
何十億という想いが祈の体に集い、黄金の光という可視化できるほどの密度となった。
光は祈の傷を癒し、力を与える――。
ぎり、と拳に力を込めて、足に力を入れて。

「あたしを殺せるもんなら殺してみろ、赤マント!!」

「――第二ラウンド開始だ!!」

 再び、アンテクリストに挑みかかる祈。
幾度でも立ち向かって見せるという、自分の言葉を曲げることなく。
その心には、恐れを凌駕するだけの愛が、勇気が、希望が満ちている。

>「は――愚かな!
>汝の技など効かぬ!通じぬ!それは先に確と知らしめた筈!
>分からぬと言うなら、今一度実力の違いを――」

 都庁屋上のコンクリートを蹴り、アンテクリストに迫る祈の勢いは、
彗星のごとく。瞬間移動したかと見紛うほどの速度。
 アンテクリストが言い終わる前に。

「ブッ飛べ!!」

 拳を振り上げて飛び掛かろうとする祈の姿が、
既にアンテクリストの目の前にいる。

>「!?」

 バキィ!! と甲高い音を立てて、祈の右拳がアンテクリストの左頬にぶち当たる。
おそらくはこの一撃が、この戦い初の“クリーンヒット”だろう。
 アンテクリストは錐もみしながら、ヘリポートの端ほどまで吹き飛んだ。

>「が……は……!
>な、何が……何が、起こった……?」

 四対の翼でその勢いを殺し、体勢を整えて再びヘリポートの上に降り立つアンテクリストだが、
そこで違和感に気づいたようである。
 都庁屋上、ヘリポートのコンクリートにできていく、点々とした赤い染み。そして頬に走る鈍い痛み。

>「この、痛みは……か、神が……。
>神が……殴られて、出血する……だと……?」

 動揺、狼狽するアンテクリスト。

「この金色の光は、あたしたちの戦いを見て、応援をしてくれてるみんながくれた輝きだ。
想いの力だ! もうやられっぱなしのあたしじゃねぇぞ!」

 黄金の光はますます強まる。
祈は握りしめた拳に、力が昂るのを感じた。

>「やりましたわ!祈!!」

「モノ。おまえが、みんなとあたしらを繋げてくれたからだよ。ありがとな」

 快哉を叫ぶレディベアに、祈はふと、表情をやわらげて笑みを向けた。
 アンテクリストに攻撃が通ったこと。
それは、祈たちの力がアンテクリストを上回り始めたことの証左だった。
 祈がアンテクリストの必殺技に耐えきったことで、アンテクリストの『自身が唯一神である』という認識にヒビが入ったのか。
単に世界中から何十億という人々の想いや願いが集った結果、アンテクリストの力を上回ったのか。
 あるいは、その両方か。
いずれにしても、神を自負するアンテクリストに傷を負わせたこと、それは快挙に他ならない。

379多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:41:22
>「お、の、れェェェェェェ――――――――――ッ!!!」

 しかし、その事実はアンテクリストにとって面白いものではないに違いない。
 アンテクリストの怒気を孕んだ咆哮に、祈はレディベアからアンテクリストへと視線を戻す。
アンテクリストは四対の翼を羽ばたかせると、憤怒の表情で祈へと迫った。

>「卑しい半妖如きが!この神の!唯一にして絶対なる神の尊顔を傷つけようとは!
>瞬く間に爆ぜて詫びよ!汝の魂、辺獄にすら存在を許さぬ!!」

 そして、これで何度目かになる連打、猛攻。
 計算し尽くされ、隙の生じない攻撃が連綿と続く。
拳や蹴りは、怒りと共に力が込められ、先程までとは比にならないほどに激しさが増している。
一撃でもまともに貰えば即死は免れない。
 先程まではやられっぱなしだったその連撃を、今の祈は――躱せていた。
そして往なせていた、防げていた。
 まるで暴風の中で踊る一枚の羽根のように、アンテクリストの攻撃が祈を捉えることはない。
 なにせ祈は、何十億という人々の想いを託されているのだ。
 黄金の光を通し、人々の感情が伝わってくる。

『死にたくない』
                       『悲しいよ、怖いよ。でも……』
    『私にだって夢がある』
                              『頼む、家族の仇を取ってくれ』
 『どうか負けないで』
                          『あんな神なんていらない』

 アンテクリストが何千年生き、想いを積み重ねてきたとしても、
願いを叶えるために必死なのは人間も同じだ。
 むしろ命が限られているからこそ、人々の感情はより切実で、一生懸命で、必死なのかもしれなかった。
黄金の光の欠片にすら感じ取れるその想いの強さは、祈にも匹敵するものがある。
 祈一人でも、アンテクリストの必殺技に耐えきるだけの強い想いがあるのだ。
それが、何十億人分もここに集結している。
 アンテクリスト一人に並べないはずがない。上回れないはずがない。
 人々の想いが祈の胸を熱くする。

「だあああああああーーーっ!!!」

 往なし、躱し、防御に精一杯だった祈が、徐々に攻勢に回っていく。
一撃一撃、そのたびに、早く、鋭く、強くなっていく。
 それは祈を通して何十億という人間が突きつける、神の否定。

>「私は神だ!創造神だ!この世界の誰も、この私と並び立つ者はおらぬ!存在してはならぬ!
>結婚式だと?子供だと?そんな下らぬ虫けらの望みが、世界を創造し直すという私の崇高なる望みに!
>匹敵していいはずがない――!!」

 ギュバッ!!
空気の壁を突き破り、長弓を引くように大きく後方へと振りかぶられた、アンテクリストの左拳。
 憤怒や現状への戸惑いからか生じた、決定的な隙。
 
「――くだらなくなんかねぇ!」

 繰り出される左拳の軌道を読み切り、祈は体を捻る。
そして突き出された左拳を掻い潜り、カウンター気味に繰り出したのは、渾身の後ろ回し蹴り。
 空気の壁を突き破り、ゴウンッ!!と鈍い音が響いた。
 アンテクリストの鳩尾に深く、祈の風火輪を履いた右足が突き刺さる。

>「ぉ、ご、ぅ……!」

 目を見開き、呼吸を乱して、後方へとよろけるアンテクリスト。
さらに出血が激しくなり、コンクリートを血で赤く染める。

「価値があんだよ……。あたしの命を賭けるだけのな」

 突き出した足を降ろし、「はーっ、はーっ」と肩で呼吸をする祈。
過ぎた力を短時間に振るい過ぎていた。

>「これは……何だ……?どうして、このようなことが……?
>こんなことが……あるはずがない……何かの間違いだ……」

 圧されていることを否応なしに理解してしまったアンテクリストが、
信じられないとばかりに呟く。
 そして、何か重大なことに気付いてしまったとばかりに、はっとした表情になる。

380多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:42:44
>「私が、この神が……間違いを犯した……だ……と……?」

 そう、神は間違えない。
全知全能たる神は未来が見えているし、未来を意のままにするだけの力があるからだ。
 だから神は賽を振らないといわれる。
 だがアンテクリストはそうではなかった。
 少女一人屠れず、自身が見下す人類という塵芥の想いに圧倒されている。
間違えてしまったと、それを無意識に認めてしまった故の――。

>「ぐああああああああああああああああ……ッ!!!」

 『そうあれかし』という力の放出。
アンテクリストの体から、黄金の光が急速に漏れ出していく。霧散していく。

「……割れたな。おまえの『そうあれかし』が」

 それは、『バックベアードなどいない』という事実を突きつけられた時の、
レディベアと似ていた。
 終世主アンテクリストを成立させていた思い込みを失い、
思い込みによって得られていた力が抜け落ちていく。

>「力が……力が、抜ける……!
>莫迦な……やめろ、戻れ……私は、この私は……この世界で唯一の、真なる神……!
>この偽善にまみれた世界を浄化する……ことを……許された……者……」

 寄る辺を失い、消耗したアンテクリストは、その場にがくりと右膝をつく。
苦悶の表情で苦し気に呻くその頭上で、光輪が光を失い、背に生えた四対の翼のいくらかが抜け落ちた。
 これ以上、戦うまでもないのは明らかだった。

>「私は……私は、ぐ……ぅ……ッ!」

 仲間たちの方も、激闘の末に、三体の神獣を倒し終えたようである。

「神獣たちもあたしの仲間が倒した。これで終わりだ」

 それを見遣って、頬の汗を袖で拭い、呼吸を整えながら、祈がそう告げる。
 『偽善に塗れた世界を浄化する』という言葉から、
少しだけアンテクリストの内面と目的を垣間見た気がしていた。

381多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:45:53
>「な……、何故だ……?
>この……神が……。神の僕たる、鼎の三神獣が……。
>何故、下らぬ妖怪ども風情に後れを取る……?こんなことは……計算外だ……」

 神鳥ジズは氷の彫像となり砕けた。
神竜レビヤタンはただの水になり、ベヘモットは瓦礫の山と成り果てた。
アンテクリストは、心底理解できないという表情でそれらを見つめていた。

>「確かに、あなたは強大ですわ……アンテクリスト、いいえ……赤マント」

 敗北を受け入れられないアンテクリストに声をかけたのは、レディベアだった。
 両ひざに手を乗せて、荒い呼吸を整える祈。
その傍らに並び、アンテクリストに、理解できないものの答えを示していく。

>「あなたの力に単独で比肩する者など、この世界には存在しないのでしょう。
>まさしく唯一神、絶対神と言うに相応しい力ですわ。――でも、それはあくまであなたひとりの力。
>どれだけ優れていたとしても、ひとりの力は大勢の束ねられた力には絶対に敵わないのです」

 アンテクリストは、神に生み出された最初の天使。
神にすら恐れられ、力を?奪されるほどに優れた者。
そして力を奪われてもなお、この執念。
力を取り戻した彼と単独で能力を比較したなら、敵うものなど世界中を探してもそういまい。

>「戯れ言を……!
>有象無象の力をかき集めたところで、ゴミは所詮ゴミでしかないのだ!
>究極の力は、ただひとりだけが持っていればいい!頂点に立つのはただひとりで……!」

 そんな優れ過ぎたアンテクリストだからこそ、自身に対する絶対のプライドが、傲慢さがあるのだろう。
 他者は自分ほど優れていない、協力などできようもない。利用する程度の価値しかない。
そんな思いがあったのかもしれなかった。
 彼がルシファーを扇動して行わせたクーデターが最終的に失敗してしまったことも、
そんな思いを強くした理由の一つだろうか。

>「わたくしも、最初はそう思っていました。
>赤マント、他ならぬあなたにそう教えられてきました。
>君臨者たるお父様の下、万民たちは支配されて然るべきと……でも、そうではありませんでした」

 だが現実として、アンテクリストは究極の力を手に入れて尚、
彼の言う有象無象の力をかき集めたゴミに敗れた。その矛盾の答えこそ――。
 レディベアが、祈と目線を合わせて微笑む。
レディベアも祈と同じく、血や埃やらに塗れてズタボロだったが、
その笑みは春の陽気のように晴れやかだった。

>「妖怪も、人間も、すべての生物は単独では存在できません。
>手を取り合い、助け合い、想いを繋げ合い……。
>そうやって大きな輪を描いて生きてゆくのです。
>あなたは今まで他者を操り利用することばかりを考え、分かり合い力を合わせるということをしてこなかった。
>協調を蔑み、友愛から目を背けてきた。きっと差し伸べられていたであろう手を、跳ね除け続けてきた――」

 妖怪は、人の想いから生まれた。
強靭な肉体を持つものが多いが、人間の想いがなければ存在し続けられない。
忘れられた時、覚えている者が一人もいなくなった時、きっと妖怪は滅ぶ。
 人間は脆く、助け合わなければ生きていけない。
他の生物も、他の誰かを助けたり、他の何かを食べたりして、支え合いながら生きている。
 誰もかれもが、その輪の中にいる。

>「……誰かとつなぐ手は、こんなにも温かいというのに」
 
 祈は差し出されたレディベアの右手を取った。
お互い傷だらけの手。そこには確かなぬくもりがある。
 アンテクリストが抱く矛盾の答え。それがこれだ。

 協力、協調、支え合い。友愛や絆という輪。他者との想いを繋ぐことでしか得られない力。
それにアンテクリストは敗北したのだと。
大きな力は一人が100持っていれば100でしかない。
だが100人が1を持ち寄れば、掛け合わせで120や200を超える力を時として生み出す。
 その奇跡にアンテクリストは負けたのだ。

382多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 22:52:26
>「黙れ……私の作った人形風情が!創造主たるこの私相手に、知った風な口を利くな!」

 しかし、敗北を認めきれないアンテクリストは、
目の前の現実を払いのけるように、右腕を振るってレディベアを罵った。
『私よりも劣っているはずのお前に何がわかるのだ』と。
 もはや反論ですらない、レディベアへの罵倒だった。

>「ええ、ええ、その通りですわ。
>何度も言うように、わたくしはあなたに作られた人形。あなたの計画を成功させるためのパーツ。
>けれど――だからこそ、わたくしは今ここにいる。こうして立っている。
>この世界に。この場所に。祈の隣に。
>祈と手を繋ぎ、気持ちを繋ぎ、想いを繋いでいる……。
>わたくしは幸せです。先ほどわたくしは、祈の手を取ったのはわたくしの選択と言いましたが。
>そのきっかけを。出会いを与えてくれたのは、紛れもなくあなたなのでしょう。
>だから――」
>「ありがとうございます。わたくしの、もうひとりのお父様……」
 
 レディベアはその言葉を、感謝を持って返した。
 目的を達成するために生まれた人形だったからこそ、得られた幸せがあると感謝され、
アンテクリストにわからないものを理解している現状を突きつけられた。
 それはどれほど、アンテクリストの心に衝撃を与えたことだろう。
 
>「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」

 レビヤタンとの決戦を終えた黒尾王の内部から、橘音がそうアンテクリストに声をかける。

>「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
>でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
>特に祈ちゃんの力を」

>「……なんだと……?」

 アンテクリストの作戦は、レディベアの持つ人間界への憧れを利用したもの。
極論をいえば、友達役は祈でなくても良かっただろう。
 だが、レディベアだけでなく、敵対勢力の祈の監視も同時に行えるのは一石二鳥。
祈をレディベアと通じる間者に仕立て上げれば、東京ブリーチャーズの分裂を招ける。
二人を引き裂けば、二人に絶望を振りまける……などなど、
祈を利用した方がアンテクリスト的には都合が良かったのだろう。
 だがアンテクリストは甘く見積もった。祈のレディベアへの想いを。
 結果として、レディベアの反逆を招き、復活を許した。
妖怪大統領の顕現で、ブリガドーン空間の制御権を奪われるに至っている。
レディベアはさらに、人間たちにリアルタイムに戦いの様子を届けて、『そうあれかし』を集める役をも担った。
想いをさらに繋がせてしまった。
これはアンテクリストの失策が招いた事態ともいえたし、
レディベアの持つ強さや想いをアンテクリストが読み違えたともいえるだろう。

>「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
>祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
>ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
>ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
>でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
>それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
>師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

(……買い被りすぎだよ、橘音。みんなに助けられたのはあたしの方だって)

 その言葉を、祈は少し照れながら聞いていた。
 胸中には複雑なものがあっただろうに、
孤独に戦っていた祈を仲間として引き入れたのは橘音だ。初めての仲間で、恩人だ。
 精神年齢が近く、共にふざけ合って、祈の心を何度も救ってきたのはノエルだ。大切な友人で、親友で。
 厳しいと見せかけて優しく、頼もしく。祈を支えてくれたのは尾弐だ。父のようにも慕っていた。
 ブリーチャーズという群れを大切にし、その一員である祈にも、優しさを分け与えてくれたのがポチだ。
無邪気な一面と、冷静で合理的な一面を持つポチを、年の離れた兄か弟のように思っていた。
 みんなが祈を助けてくれたし、みんなが祈と繋がってくれた。
 だから祈はここにいるのだと、祈はそう思う。

383多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 23:02:02
>「……フ……。
>フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」

 橘音の言葉を聞いて、暫く黙っていたアンテクリストが、急に笑い出した。
心底おかしい事柄に気付いたような、この場に似つかわしくない、笑い声。
 その声に驚いたのか、レディベアが祈の手を強く握った。

>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
>私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
>他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!
>十四年前のあの時!赤子の貴様を一番に葬っておきさえすれば!
>今になってこんなことにはならなかった……!
>ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
>この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

 アンテクリストは心底おかしいという表情で独白する。
敗北を悟り、もはや笑うしかない、そんな風にすら見えるアンテクリストの表情だが、

>「ああ……、そうだな。その通りだ……お前たちの言うとおりだよ。
>私は間違えた……。神とは誤らぬ者。私は唯一神でもなければ、絶対神でもなかったな……」

 その瞳の奥で燃えたままの火に、祈は気付いた。

>「……赤マント」

「……違う、まだだ」

 ゆるりと立ち上がるアンテクリストを見て、
安心したように手の力を弱めたレディベアに、祈が小さくそういった。

>「――――そう。そうだとも。
>私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
>ならば!『これから唯一神になればいい』!!
>貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
>そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

 自身が神でないことや過ちを認めた。だが、なお諦めていない。
この状態から逆転して見せると、アンテクリストはそう宣言する。
その目の奥に宿るのは火どころか、メラメラと燃え盛る、世界すら焼き尽くす地獄の炎である。

>「往生際が悪いですよ、師匠!
>アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
>第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

 それを聞いた橘音が、アンテクリストに叫ぶ。

>「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
>この私が、智謀の頂に君臨する私が!
> “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

 アンテクリストがそう言った瞬間、三神獣の亡骸から光球が飛び出して、アンテクリストの元へと集う。
赤の光球はジズ、青の光球はレビヤタン、黄の光球はベヘモットからそれぞれ飛び出してきたように見える。

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」

 三原色の光球は、アンテクリストの周囲を旋回しながら、瞬く間にその体へと吸い込まれていく。

>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

 三神獣は、陸海空を統べる強力な支配者であるが、本来の役割がある。
それが、供物として食べられることである。
 終末を生き残った選ばれし者が、
明日を生きるために食べる食事として提供されることこそが、三神獣本来の役割なのだ。
 新世界を生きるだけの力を、最初の天使が食したらどうなるのか。

>「ははははははははは……ふはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

 その答えが、この溢れんばかりの、力の膨張だ。
 三神獣を喰らったアンテクリストが笑う。
 三神獣を吸収して得た力は圧倒的で、天に雷雲が立ち込めて、稲妻が迸る。大地と空気が震えた。
 その体から迸るエネルギー、その余波だけでもわかってしまう。
今の祈よりも強いことが。
 アンテクリストの体は膨れ上がり、筋骨隆々の大男となる。
側頭部には鬼のような角が生えて、口は獣のように裂けて、鋭い牙と爪を備える。
ジズの持っていた炎の翼と、レビヤタンのような水棲生物を思わせる長い尻尾が生える。
先程までの、均整の取れた美しさをかなぐり捨てた、獰猛な獣か鬼かといった姿。

384多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 23:12:36
>「祈……!」

 それを見たレディベアが、恐怖からか祈の手を強く握った。
祈もまたアンテクリストから吹き付ける風に嬲られ、僅かに目を細めながら、その手を握り返す。

>「見よ!!畏れよ!!
>此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
>アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

 アンテクリスト・ベルフェクトゥス。
 その恐ろしげな姿と絶対的な力を前に、冷や汗を伝わせながらも、祈は。
あろうことか笑ってみせた。
 先程までの機械的な終世主としてのアンテクリストよりも、
今のアンテクリストが好ましく思えたからだ。
 目的のためにはなりふり構わなくて、泥臭く足掻いて、諦めが悪くて。
その姿はまるで人間のように必死で、一生懸命だった。
 だから。

「……いいぜ。付き合ってやるよ、赤マント! おまえがあたしらを繋いでくれなかったら、
みんなと会えなかったんだしな。そのお礼に、叩きのめしてやるよ!」

 受けて立つ。
 レディベアが言ったように、祈とレディベアの出会いを与えたのが赤マントなら。
より遡れば、東京ブリーチャーズの全てがそうだ。
 赤マントが橘音に、ノエルに、尾弐に、ポチに、祈に。
絶望なんてものを振りまこうとさえしなければ、この絆は紡がれなかったともいえる。
 だとすれば礼が必要だろうと。
 いわば、赤マント被害者の会を結成させてくれたその礼代わりに。
その望みに真正面から向き合って、今度こそ完膚なきまでに叩きのめしてやると祈は言うのだった。

>「死ね、多甫祈!
>―――――――最終ラウンドだ!!!」

 避けた口を大きく開き、前のめりに突進してくるアンテクリスト。

「ああ!! 終わらせてやるよ!!」

 祈はレディベアの手を離すと、振るわれるアンテクリストの右拳に、自身の右拳をぶつけて受けた。
空中で激突する拳が、空気を爆ぜさせ、轟音を奏でる。
 二回り以上も違う拳のサイズ。そしてパワー。砕けたのは祈の拳の方だった。
そうあれかしの総量で上回り、黄金の光を纏ってなお、祈が負けている。
 腕ごとひしゃげたが、黄金の光が、オーバーロードが、瞬く間に祈の右腕を再生させる。

「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

 三神獣がいない今、仲間たちの手が空いている。
何かしら特別な理由がなければ、アンテクリストとの戦いに手を貸してくれるはずだ。
そう信じて、祈は圧倒的な強さのアンテクリストと真正面からやり合い、時には掴みかかってでも動きを止めようとするだろう。
そうすることで、仲間たちが攻撃を仕掛けるだけの隙を作ろうと試みるのだった。

385多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/04/11(日) 23:47:46
 神でないことを認め、思い込みの力を放棄したアンテクリストに、
精神的な攻撃はもはや通じまい。
絶望的なまでの力の差と、東京ブリーチャーズ一行は向き合う。
 そんな最終局面で、戦局を左右しうるのは、おそらく三つの要素だと考えられた。

 一つ目は、仲間たちとの絆の力。
 三神獣を取り込んで力が増したとはいえ、アンテクリストは結局、一人で戦っている。
 考える頭は一つ、意志も一つ。
長所や利点があっても、短所や欠点があれば自身で補うことは難しい。
 多角的に物事を見て知恵を合わせ、時に欠点を補い合い、
長所を高め合えるチームワークがあれば、道を切り開ける可能性がある。

 二つ目は、人々の『そうあれかし』の力。
 これだけの人々のそうあれかしを集めてもアンテクリストに敵わないのは、
集まった想いがばらばらだからか、集まった量が足りないのだと考えられる。
 もし人々が『東京ブリーチャーズなら偽神を打倒できる』と強く頑なに信じたなら、
妖怪を一段階進化させるようなことが起こってもおかしくない。
 祈の祖母、ターボババアがそうだった。
かつては別種の妖怪だったが、
彼女を見た人々が『時速140kmを超える速度で走る婆の妖怪』と再定義したが故に、
『そういう妖怪』として進化に至ったのだ。

 そして三つ目が、ポチの言っていた案である。
 アンテクリストは、龍脈の力でブリガドーン空間を広げ、
ブリガドーン空間の力で龍脈の力を増幅するという、相乗効果で一時無敵の力を得ていた。
 龍脈にアクセスする資格を持つが、資格者としては不完全な祈と、
ブリガドーン空間の力を、おそらく完全ではないが操れるレディベア。
この二人がどうにか二つの力を融合させ、アンテクリストと同じ方法を取れたなら――。

386御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:26:32
理想的なフォルムで3点着地をキメるハクト。
その後ろで氷の彫像と化したジズが砕け散り、氷の煌きの中からノエルが現れる。

「あれ? めっちゃ絵になる光景じゃん」

と、今は戦闘域全体を認識できるノエル。完全に認識力の無駄使いだ。

「そうかもしれないけどさっきの技名、某有名即死技を全部似たような単語に入れ替えただけだよね?」

「そうだけど……一周回ってかっこよくね?」

こんな軽口を叩いているのは、他の2対の神獣もほぼ同時に無力化され、祈がアンテクリストを破った雰囲気を察したからだ。
皆が祈のもとに集まってきた。

>「な……、何故だ……?
 この……神が……。神の僕たる、鼎の三神獣が……。
 何故、下らぬ妖怪ども風情に後れを取る……?こんなことは……計算外だ……」

レディベアとアンテクリストの暫しのやり取りの後、橘音がいかにも名探偵っぽくアンテクリストを指さしながら勝利宣言をする。

>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
 でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
 それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
 師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

それを受けたアンテクリストはまるで名探偵に犯行が言い当てられた犯人のように、開き直ったように笑った。

>「……フ……。
 フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」
>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
 私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
 他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!
 十四年前のあの時!赤子の貴様を一番に葬っておきさえすれば!
 今になってこんなことにはならなかった……!
 ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
 この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

ノエルは思う。確かに直近にして最大の間違いはそうだ。そしてきっと、もっと遥か昔からずっと間違え続けていたのだろうと。
数百年前アスタロトに子狐の魂を食らわせなければ、後に龍脈の神子を導く名探偵は生まれなかっただろうし、
平安時代に一人の聡明な少年を陥れなければ名探偵を絶望から救う相棒は存在しなかった。
もっと言えばクリスを利用しなければ本拠地直上の喫茶店は生まれず、一同は事務所閉鎖時に拠点を失っていたかもしれないし、
ロボに目をつけなければ災厄の魔物を敵に回すことも無かった。
どこを間違えなくても今の状況にはなっていなかったと思われ、ここまで見事に間違え続けたのは逆に凄いのではないだろうか。
いや、そこまでくると、それは本当に単なる間違いなのだろうか。何者かの意思が介在したのではないかとすら思えてしまう。
例えば、アンテクリストの中に本人にすら気付かれずに潜む滅びを望む別人格だとか――

387御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:28:05
>「……違う、まだだ」

祈の張りつめた声に、栓無き思考を中断し、我に返る。

>「――――そう。そうだとも。
 私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
 ならば!『これから唯一神になればいい』!!
 貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
 そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

自信満々な者ほどその前提をポッキリ折られるとすぐには立ち直れないものだが、アンテクリストは人知を超えたポジティブさと切り替えの早さを発揮した。
しかし現実的にここから盛り返すのは不可能であると思われ、それを橘音が指摘する。

>「往生際が悪いですよ、師匠!
 アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
 第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

>「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
 この私が、智謀の頂に君臨する私が!
 “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」
>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

三神獣の力を取り込んだアンテクリストは、異形の怪物と化す。

>「見よ!!畏れよ!!
 此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
 アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

>「……いいぜ。付き合ってやるよ、赤マント! おまえがあたしらを繋いでくれなかったら、
みんなと会えなかったんだしな。そのお礼に、叩きのめしてやるよ!」

「こういうの、人間界ではお礼参りって言うんだって?
相手が祈ちゃんだけだと思ったら大間違いだよ? 見ての通り君にお礼したい人はたくさんいるんだから!」

>「死ね、多甫祈!
 ―――――――最終ラウンドだ!!!」

戦闘が始まると同時に、仲間達の前に様々な姿を取ったノエルが現れ、加護を施していく。
それは各々の強みを増強する方向で施され、視覚的には煌く氷の装備品として顕現するのだった。
ハクトの前には乃恵瑠が現れ、ハクトの足に新しいそり靴とよく似た氷のスケートブーツが顕現する。
ジャンプ力と素早さの強化と思われる。

「案ずるな、妾はペットを食べてしまうような輩には断じて負けぬ。
疲れておるところ悪いがもう少しだけ付き合ってくれ」

黒尾王の中の橘音と尾弐の前には、みゆきが現れた。
といっても黒尾王の中なのでイメージ映像のようなものだろう。
橘音を抱きしめてちょっと(かなり)フライングで祝辞を述べ、その肩にマントをかける。

388御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:29:16
「きっちゃん、君は童の最初のともだち。今までもこれからもずっとずっと最高のともだち。
おめでとう、幸せになってね……!」

続いて尾弐の手首を掴んで脅しのような台詞を言うが、その目は笑っている。そして掴んだ場所に氷の盾が生成された。

「クロちゃん、きっちゃんを泣かせちゃ駄目だからね! ずっと見てるんだから!
……ありがとう、きっちゃんを好きになってくれて!」

実際には、黒尾王の背に輝くオーロラのような生地と雪の結晶のファーのマントが、腕に固定式の氷の小型盾が現れる。
橘音由来の実は高い回避力と、尾弐由来の分かりやすく高い防御力の強化だろう。
ポチの前には、同じ災厄の魔物である深雪が現れる。深雪は正確には元災厄の魔物、なのだが……

「ポチ殿、若き獣の王よ。
我は思うのだ。災厄の魔物の存在意義はこの世界の存続なのではないかと。
ゆえに案ずるな。たとえ一時道を違えようとも、きっと最後は同じ場所に辿り着く――」

ポチの両手に意思に応じて出現消去自在の氷のクロー(爪)が現れる。
ポチの持ち味である、相手の隙を付き大ダメージを与える攻撃力とクリティカル率の強化。

「シロ殿、ポチ殿のことは頼んだぞ――」

シロの手に現れたは、カイザーナックル。
チャイナドレスで鉄拳を振るうシロのイメージに合わせたものだろう。
更にはレディベアの前にも、ノエルが現れる。

「感謝してる。祈ちゃんを立ち直らせてくれたのって君だよね?
でもまだ正式メンバーとは認められないなぁ。だってまだうちの店に来たことないよね?
 ……うちのかき氷を食べれば君も正式に仲間だ」

尚、別にそんな規則はない。
そしてレディベアに装着されたのは、繊細な氷細工のモノクル。効果は瞳術の強化だろうか。

>「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

小手調べとばかりにアンテクリストと一発拳を打ち合わせた祈の前に、ノエルが現れてその拳を両手で包み込む。
実体ではないので触れた感触はしないのだが、不思議な冷気が感じられることだろう。

「知ってる? ノエルって救世主の生誕をお祝いする日なんだ。僕の救世主は……君だ。
聞こえたよ、将来の夢。君ならなれるよ、名探偵!」

389御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/04/17(土) 21:30:41
祈の両の拳に、一切手の動きを阻害することのない呪氷のガントレットが生成される。
効果は分かりやすく、拳への高い霊的攻撃力と防御力の付与。
真っ向からアンテクリストと拳で語り合おうとする祈の意思を汲んだものだろう。
再びアンテクリストに向かっていく祈。
ノエルは最初に個人的感情は封印しようと決めたが、それは人の感情を利用し策を弄するベリアルが相手だったからだ。
アンテクリストは今や策をかなぐり捨て、力と力の真っ向勝負という様相を呈している。
そして今の状況では想いの強さは実際の強さに直結する。
きっちゃんとクリスを死に追いやった憎き仇敵。怒りを力に変えるには十分過ぎるはずだが……。
いざ対峙してみると、驚くほど憎しみとか怒りがわいてこない。
再会を果たした橘音は、今は長い旅路の果てに幸せを掴もうとしており、
クリスは消滅はしていないことが確かになり、数年後か数百年後かは分からないが未来での再会が約束されている。
また、ノエルは人間の味方という性質を持つので自らは人間に有益な行動をするというだけで、根本的には人間の尺度で生きてはいない。
だからこそ、小難しい理屈に縛られない。

もう大丈夫だよ、百年でも千年でも君を守り抜く

生きろ――生きてそやつと幸せになれ

シロちゃん、必ずポチ君を無事に君の元に帰すからさ……ちょっとの間、借りるね!

苦しい時も死の淵に瀕した時も――我は常にそなたの味方だ

アンテクリストを正面から迎え撃つ祈を、不意打ちで長い蛇の尾が薙ぎ払わんとする。
が、その尾に氷の鎖が絡みついた。ノエルが傘の先端から伸びた鎖をウィップのように操っている。

「好きだ……君と出会ったこの街が。みんなと出会ったこの星が」

好きだから。世界変革の野望に燃えるアンテクリストに比して、なんという単純な動機だろうか。
だからこそ、揺るぎない。

「みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!」

ノエルが手を掲げると、無数の雪女の幻影が現れ、アンテクリストに連撃を加える。
かつて姦姦蛇螺の中で深雪が似たような技を使ったことがあるが、今回はそれよりも遥かに強力だ。
彼女らは深雪、つまりノエルが内包する、かつて雪の女王に間引かれてきた雪ん娘達。
人間の文明に追いやられた者達の象徴。
それが、追いやられた者達代表ともいえるアンテクリストに、楯突く。

一方のハクトは、レディベアの前に立ち攻撃の余波を防いでいた。
氷の戦槌を振るい、紅蓮の翼から飛んできた火の粉というには大きすぎる火の玉を散らす。
今はアンテクリストは主に祈に集中しているが、いつ後衛職のレディベアが狙われないとも限らない。
レディベアは祈と共に切り札となり得る存在。
尤も、今は祈とレディベアが龍脈の力とブリガドーン空間の力を各自がバラバラに使っている状態だ。

「レディベアちゃん、君のブリガドーン空間の力と祈ちゃんの龍脈の力、一緒に使えないかな……?
例えばあんな風にさ」

ハクトはそう言って黒尾王を見遣った。橘音と尾弐が融合した黒尾王は、完全に二人の能力が融合している。
無論、合体ロボ化は変化術に長けた橘音だからこそ出来たもので、祈とレディべアに同じことが出来るとは思えないが、何らかの手掛かりにはなるかもしれない。

390尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/04/25(日) 00:58:04
荒れ狂う暴威が嘘であったかの様に、かつて神獣レビヤタンであったモノは只の水として大地に還された。
偉大なる力、不滅の命は失われたが――それでいい。巡り行くのが命だ。
どれだけ素晴らしいモノでも、一つ所に留まれば何れは淀んでしまう。
正しいものを正しい場所に。正義を語るのであれば、それは為さねばならぬ義務である。
僅かに力を込めて外装を濡らしていた水滴を蒸気と化し吹き飛ばした黒尾王は、断ち切った生命へと振り返る事をせず眼前……この場における最も熾烈な戦いへと視線を向ける。


――――唯一神。絶対神。全知全能にして至高の神。
己が知略と力のみを以て究極の座を簒奪し、己が存在を世界に謳った『アンテクリスト』。
一度は東京ブリーチャーズを歯牙にも掛けず退けてみせた存在はしかし、無惨にも膝を付き息を荒げていた。
頂点に至った彼の存在を凌駕した者、それは天与の才覚を持つ英雄ではなく
神に愛された聖者ではなく
世界の理とも称される大妖怪達ではなく
天軍を指揮する大天使ではなく
神に匹敵する力を持つ天魔ではなく
全ての悪為れと生み出された悪神共ですらもなく

少女。人間の少女だった。


>「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」
>「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
>でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
>特に祈ちゃんの力を」
>「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
>祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
>ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
>ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

アンテクリストは誰よりも賢く、そして用意周到だった。
神代の力を失って尚、その謀略は時代を操り、歴史を弄び、人間を玩具とする事も片手間にやってのけた。
強欲、嫉妬、憤怒、怠惰、色欲、傲慢、暴食。
人や妖怪の持つあらゆる負の感情は、アンテクリストの策略の中に組み入れられる数字でしかなかった。
だからこそ悪が蔓延るこの世界で、彼はあらゆる存在を出し抜き力を手にする事が出来たのだろう。

けれど、彼の完全たる数式には間違いがあった。

>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
>でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
>それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
>師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

万象を嗤う悪なる叡智は、人を愚かと見下しながら――しかし人の心が持つ輝きを。
その美しいものの価値を、何一つとして理解出来ていなかったのだ。
だからこそ、一人の少女が紡いできたモノを見誤った。
完全であった筈の謀略は、そのエラーによって破綻したのである。

「こんな俺でさえ気づけたキレェなモンに、神サマ気取ったテメェはとうとう気付こうとしなかった。
 皮肉だな。人間も妖怪もバカにしてたテメェが、一番バカだったんだからよ」

アンテクリストに侮蔑と嫌悪の視線を向けてから、尾弐は一瞬レディベアへと視線を移す。

「哀れだよ。テメェは」

目の前に伸ばされた手があったのに、それに気付こうとすらしなかった。
己が内面に未だ深く募る憎しみに一滴の憐憫を混ぜながら、尾弐はそう吐き捨てる。


―――――――

391尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/04/25(日) 00:58:31
アンテクリストから唯一神としての『そうあれかし』は失われた。
絶対性を喪失した以上、アンテクリストに勝ち目はない。
那須野橘音の言う通り、勝負は決した……その筈だった。

>「……フ……。
>フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」
「は……気でも狂ったか?」

しかし尚、アンテクリストは哄笑を上げて見せた。
その様子を見て内心で舌打ちしつつも、尾弐は警戒の度合いを一段階引き上げる。
打ちのめされ砕かれても、それでも相手はアンテクリスト……赤マント。
謀略を以て尾弐黒雄を含めた多くの存在を破滅に導いた者なのだ。
油断と慢心こそが彼の謀略家にとっての勝利の鍵。敗北さえも布石。
そして、その尾弐の懸念は現実のものとなる。

>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
>私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
>ははは……傑作だ!こんなに笑える話があるものか!?
>この私が!計略においては世界のいかなる叡智をも凌駕する私が!『最初から間違えていた』などと――!!!」

>「……違う、まだだ」

>「――――そう。そうだとも。
>私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
>ならば!『これから唯一神になればいい』!!
>貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
>そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

祈が呟いた通り、アンテクリストは何一つ諦めていなかった。
己の失態を認め、己の謀略の失敗を認め――――『それでも』と『またここから』と野望を再燃させてみせたのである。
恐るべきはその執念。恐らくは神話の時代から願ってきたのであろう野望が挫かれて尚、立ち止まらずに立ち上がる精神性。
べリアル。赤マント。アンテクリスト。
姿を変え名前を変えていく彼の存在の恐るべき点は、或いは知能でも妖力でもなく、このどす黒い心の力なのかもしれない。

>「往生際が悪いですよ、師匠!
>アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
>第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

「……警戒しろ橘音。アイツはやる。絶対にやる。知ってるだろ、アレは敗北した程度じゃ止まらねェ類のゲテモノだ」

ある意味では嘆願のように言葉を投げつける橘音に対し、尾弐は静かに言葉を掛ける。
一度の敗北で、失態で、そんなモノで潰れる精神であるのなら、とうの昔に天使だの英雄だのが討滅を成し遂げている筈だ。
己の敗北すらも要因として内包し、あらゆる可能性を模索し、想定し、対策する。
そうであるからこその怪物。終世主などという大言を名乗った者。

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」
>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

声高に宣言した次の瞬間。尾弐が止める間もなく其れは為された。

>「見よ!!畏れよ!!
>此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
>アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

眼前に立つは、雷轟を纏い、悪鬼が如く角を生やし、獣が如く牙を持つ異形。
アンテクリストは、三神獣――――世界を統べるとも言われる神獣達の核を取り込んだのだ

「チッ……往生際が悪ぃ。良い点といやぁ、さっきまでのスカし顔よりぶん殴り甲斐がありそうな事くれぇか」

橘音と尾弐が合一した黒尾王は強い。
しかし、単なる個として見た場合……その黒尾王よりもアンテクリストの力の総量は上だ。
概念ごと切り裂いたが故にレビヤタンの不死性こそ引き継がれてはいないだろうが、それでも単身で勝てる相手ではない。
けれど、警戒こそすれ尾弐は絶望など微塵もしていない。

>「死ね、多甫祈!
>―――――――最終ラウンドだ!!!」
>「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
>三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」
>「こういうの、人間界ではお礼参りって言うんだって?
>相手が祈ちゃんだけだと思ったら大間違いだよ? 見ての通り君にお礼したい人はたくさんいるんだから!」

「因果応報なんて古臭ぇ言葉だが……まあ、千年昔の決着なら丁度いいだろ」
「テメェの敵はテメェが嗤った全部の命だ。覚悟して、せいぜい一人で死んでいきやがれ!!」

皆が言った通り、アンテクリストの相手をするのは一人ではない。
紡がれた絆により集まった仲間達。東京ブリーチャーズなのだから。

―――――

392尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/04/25(日) 01:00:08
>「きっちゃん、君は童の最初のともだち。今までもこれからもずっとずっと最高のともだち。
>おめでとう、幸せになってね……!」
>「クロちゃん、きっちゃんを泣かせちゃ駄目だからね! ずっと見てるんだから!
>……ありがとう、きっちゃんを好きになってくれて!」

「ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな」

黒尾王は尾弐と橘音の合一体。開戦直後にその心象世界にノエルが干渉してきた事に対し、尾弐は僅かに驚きを見せる。
だが、考えてみればここは想いが具象化するブリガドーン空間なのである。
ノエルが祝う事を望み、尾弐と橘音がノエルという仲間の存在を拒まなければ、精霊現象に近い存在であるノエルにとってその程度は容易い事であろう。
女性の形を取っているとはいえ、橘音に抱きついた事への意趣返しと言わんばかりに天邪鬼な言葉を返した尾弐は、掴まれた手が離れてからノエルに握った自信の拳を見せる。

「――――勝つぞ、ノエル」

多くの言葉は要らない。拳と拳をぶつけ合うのは、男同士の誓いだ。

――――――

ノエルに祈への蛇尾での追撃を阻止されたアンテクリストは、しかしそれも想定内とばかりに追撃を行う。
その為の手段として用いられたのは自切――鎖を破砕する時間を省き、心理的な隙を突く為に、アンテクリストは蛇の尾を自ら切り捨てたのだ。
そもそも今のアンテクリストの力を以てすれば、祈が行ったように欠損箇所を再生するくらいの事は訳はない。
それで祈を葬れるのであれば、尾の切り離しなど些事であるのだろう。
合理的に最短で放たれる悪辣な手刀の一撃は、眼前の祈の心臓へと突き刺さり

「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」

上空から投げかれられるのは尾弐の声。
見れば、いつの間にか祈とアンテクリストの間に巨大な氷の盾――――ノエルが渡した其れが突き刺さっていた。
そう、アンテクリストの手刀は、その盾に映っていた祈の幻像を貫いたのである。

本来であれば、深遠なる謀略家であるアンテクリストがこの手の策略に掛かる筈はない。
なぜそれが成し遂げられたのかと言えば、其の理由は……この術が那須野橘音の幻術とノエルの幻惑術の合わせ技であるが故。
ノエルの力を模造。生み出された盾により光を屈折し、那須野の幻術により違和を修正すれば、そこに生まれるのは完全なる不可視の盾。
幻想だけを写す透明な鏡となる。
そして――――無論の事、この盾には尾弐の力も込められている。

「『反転・幻想発勁』」

アンテクリストの手刀。盾に突き刺さった其の一点に、黒尾王の巨体が生み出す力が集約し―――爆ぜた。
発勁――彼の狼王から見て盗み、独自に研鑽していった技術の集大成。
奥義である黒尾とは異なる、純粋な技巧のみの反撃。
その一撃は、アンテクリストを弾き飛ばし距離を取らせる事に成功した。しかし

「チッ、やっぱし足りねぇか……」

その命には到底届かず。僅かな傷も見る間に再生してしまう。

(消耗戦は不利――心はともかく、祈の嬢ちゃんの身体が持たねぇ。必要なのは火力。根こそぎ焼き尽くす程の大火力だが)

世界中から『そうあれかし』を集めて底上げを行っている現状、これ以上の劇的な強化は望めない。
そもそも『そうあれかし』は人々の想いである。
祈を想う者も居れば、ポチを応援する者、ノエルを礼賛する者も、橘音を尊敬する者も……奇特にも尾弐の勝利を願う者すらもいる。
それを無理やり捻じ曲げる事など出来はしない。ならばどうする。

「『そうあれかし』を自然に集約する方法なんざ――――」

ふと、尾弐の脳裏に複数の映像が浮かぶ。
かつて酒呑童子の心臓を暴走させ化物と化した自身。
己を憑代にしようとした先代アスタロトを取り込んだ橘音。
狼王から『獣(ベート)』を引き継ぎ宿したポチ。
雪妖として多数の人格を内包し、それぞれが独立して存在しているノエル。
原始の呪術。シャーマニズムに多くみられる――――憑依。

「――っぐっ!!?」

記憶の想起に意識を裂いていた尾弐は、不意の衝撃によって強制的に意識を引き戻される。
どうやら、アンテクリストは先ほどの防御によって黒尾王を邪魔な要素と判断し、祈への攻撃の片手間に排除する事を決めたらしい。
莫大な妖気の一部を片手に集約し、呪詛の砲弾として黒尾王へと投げつけて見せたのだ。
幸い、とっさに盾で逸らす事で防御が間に合ったが……

「流石に、直撃したら不味ぃな……橘音。どうにも消耗戦は愚策みてぇだが、一発逆転の手段なんてモンが便利に有ったりしねぇか?」
「ただ単純に俺達の妖力を分けるってのも考えたが――多分、それじゃあ勝てねぇ」
「力を束ねる何かが必要なんだが、どうにもそれが思いつか……っ!?」

アンテクリストの次弾を瘴気を纏った拳で殴りつけ相殺する。
――現状、尾弐に出来るのは時間を稼ぐ事のみ。
祈一人に攻撃が向けられないよう自身にも攻撃をさせ、負担を分散させる事が最善手。
明確な逆転の一手を思い浮かべられぬ自身の思考の鈍さに辟易としながらも、自身よりも余程優秀な仲間達を信じ、
自身の役目を果たす事に集中し始める。

393ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:52:41
目の前に転がったベヘモットの首を見上げる。
ポチは、全身の毛が逆立っていた。
とどめを刺す直前に響いた、殺意と闘志を秘めたベヘモットの咆哮。
圧倒的有利な状況にあったにもかかわらず、その咆哮にポチは戦慄した――本能的な命の危機を感じていた。

「最初からその気迫でかかってこられたら、ヤバかったよ」

最早ぴくりとも動かなくなったベヘモットの首に軽く拳をぶつけて、ポチが呟く。

「……よし、上に戻ろう、シロ」

だが、すぐに都庁へと振り返った。
同時に全身に纏った獣の甲冑が流動化して、ポチの体内へと戻っていく。
『獣(ベート)』は平常時、ポチの全身に今も残る滅びの傷をその血肉で埋めてくれている。
このまま甲冑を展開し続けていては、少なくない量の血を無駄に流す事になってしまう。

ともあれポチは都庁の外壁を蹴って、高く垂直に飛び上がる。
そうして次は右手の爪で壁を掴んで、自分の体を更に上へと投げ飛ばす。
それを何度か繰り返した後、ポチは都庁屋上の縁を掴む。
そのまま体を引き上げて、前を見る。

まず目に映ったのは、ポチが真上を見ても目を合わせられないような巨大な――ロボットのような、何か。
ちょっと何が起きてるのか理解が追いつかなかったが、尾弐と橘音、二人のにおいはそこからする。
それだけ分かれば、ひとまずポチには十分だった。

視線をヘリポートに下ろすと、祈が見えた。
彼女からは真新しい血のにおいがする。
だが――苦痛のにおいはしない。どういう訳か、無事らしい。
その、どういう訳を知る必要は、ポチにはなかった。

ノエルは、いつも通りだ。消耗した様子はない。
いつも通り上手くやってのけたのだろう。

そしてアンテクリストは――神の如き威光を失って、膝を突いていた。

「……お楽しみの時間には、乗り遅れずに済んだかな?」

ポチが鼻を鳴らす。アンテクリストからは、においがした。
今までどんな時も嘘臭さしか嗅ぎ取れなかった、あの赤マントから、においがした。
苦痛のにおいが、狼狽のにおいが。

>「アナタの目論見は見事、図に当たりましたね。師匠」

巨大ロボ――黒尾王が橘音の声を発した。

>「『祈ちゃんとレディの間に友情を芽生えさせる』というアナタの作戦、まさにお見事と言うしかない。
  でも……その先がいけなかった。アナタはふたりの友情を、絆の力を甘く見過ぎていた。低く見積もりすぎてしまった。
  特に祈ちゃんの力を」

>「レディだけじゃありません、ボクとクロオさんがこうしてここにいるのも、祈ちゃんのお陰だ。
  祈ちゃんが、ボクたちの罪を許すと言ってくれた。長い間拗らせていた悪性を取り除いてくれた。
  ノエルさんもそうです、災厄の魔物というしがらみから、祈ちゃんはノエルさんを解き放った。
  ポチさんだって……祈ちゃんがロボに啖われて瀕死のシロさんを救わなかったら、彼も今頃ここにはいなかったでしょう」

そうだ。今のポチは、祈のおかげでここにいる。シロの事だけではない。
ロボとの決着だってそうだった。
祈はあの時もっと簡単に、銀の弾丸を投げてしまってもよかった。
だけど、そうしなかった。ロボを狼の王として終わらせたいというポチの望みを汲んでくれた。

394ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:52:57
>「ボクたちの手はバラバラだった。誰も彼もが憎しみ合い、騙し合い、本当の気持ちを覆い隠して生きてきた。
 でも今は違う――離れ離れだった手は繋がれ、結ばれ、ひとつの大きな輪になってここにある!
 それをしてくれたのは祈ちゃんだ。彼女の愛や、希望や、勇気の力だ。
 師匠――アナタは!アナタが遠い昔に捨て去った、キレイな心の力によって敗れるんだ!!」

>「こんな俺でさえ気づけたキレェなモンに、神サマ気取ったテメェはとうとう気付こうとしなかった。
 皮肉だな。人間も妖怪もバカにしてたテメェが、一番バカだったんだからよ」
>「哀れだよ。テメェは」

「僕からは……特に何も言う事はないかな。ただ――」

ポチの全身から妖気が昂ぶる。
『獣(ベート)』の血肉が再びその胸部から溢れ出す。
燻る甲冑がポチの全身を包む。

「覚悟しなよ。お前は今から、自分のしてきた事のツケを払うんだ」

アンテクリスト、ベリアル、赤マント。
その在り方がどうであるかは、ポチにとって、そう重要な事ではない。
ただ――借りは返す。恨みは晴らす。ロボとの約束を果たす。
未来を掴む。
ポチにとって重要な事は、そういった事だった。

ポチの姿が消えて、アンテクリストの背後に回る。
ポチが不意を突き、その隙を皆が刺す。
或いは皆が先に仕掛け、その隙をポチが襲う。
東京ブリーチャーズ必殺の形――油断はない。
そして――

>「……フ……。
  フハハハ……、ハハハハハハハハハ……。ハハハハハッ、はははははははははははははは…………!!」

ふと、アンテクリストが笑い出した。
敗北を悟って、おかしくなったのか――

>「なるほど、そういうことか……。やっと理解できた……。
  私は最初から間違えていたのだな、私が最優先で始末しなければならなかったのは、安倍晴陽でも多甫颯でもなかった!
  他の誰を殺すよりも先に、私は――多甫祈!貴様を殺すべきだったのだ!」

違う。アンテクリストからは、においがした。

『ああ……、そうだな。その通りだ……お前たちの言うとおりだよ。
 私は間違えた……。神とは誤らぬ者。私は唯一神でもなければ、絶対神でもなかったな……』

>「……赤マント」
>「……違う、まだだ」

アンテクリストからは強い強い、決意のにおいがした。
願いを――夢を、叶えてみせる。
そんな向上心、情熱、意気込み、懸命さ――人々がそう名付けるような、希望のにおいが。

「……バケモノめ」

>「――――そう。そうだとも。
  私は唯一神ではなかった、神を名乗る偽りの存在だった。
  ならば!『これから唯一神になればいい』!!
  貴様らを完膚なきまでに叩き潰し!殺戮し!葬り去り!この都庁周辺にいる小賢しい地虫共も残らず殺し尽くせば!
  そのときこそ、私は真の神として降臨することができるだろう――!」

この状況でなおも、心に希望を燃やす事の出来る精神性。
それをにおいという形で直に認識させられた時、ポチは戦慄を禁じ得なかった。

395ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:53:34
>「往生際が悪いですよ、師匠!
  アナタは詰んでるんだ、もうとっくに敗北しているんだ!
  第一アナタにはもう龍脈の力も、ブリガドーン空間の力もない!そんなザマでいったい何ができるって言うんです!?」

「分からない。けど」

>「……警戒しろ橘音。アイツはやる。絶対にやる。知ってるだろ、アレは敗北した程度じゃ止まらねェ類のゲテモノだ」

アンテクリストからは、戸惑いや迷いのにおいはしない。
アンテクリストには確信があるのだ。
まだ、ここからでも自分は逆転の一手を打つ事が出来ると。

>「貴様はやはり不肖の弟子だな、アスタロト。
  この私が、智謀の頂に君臨する私が!
  “こういった場合”のために奥の手を用意していないとでも思ったか……?」

不意に、討ち果たされた三神獣の残骸から光球が飛び出す。
強烈な神気の塊――アンテクリストが唯一神としての力を失っても、既にそこにあったものが無くなる訳ではない。

赤マントであった頃の過ちを突けば、アンテクリストの神性を失わせる事が出来る。
ならば――アンテクリストだった頃の行いが、ベリアルに力をもたらす事だって出来る。

>「勘違いしている者が多いが、三神獣は単なる召喚獣ではない」
>「啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』なのだ―――!!!」

『啖った者の能力を爆発的に高める『供物(エサ)』。
それはつまり――『そうあれかし』。
神話という、この世界に最も深く根差した『そうあれかし』に裏付けされた、神の恩寵。

>「ははははははははは……ふはははははははははははははははははははははははは!!!!!」

それがアンテクリストにいかなる力をもたらすのかは、すぐに分かった。
生み出される力の、単なる余波さえもが暴風と化して周囲に吹き荒れる。
その中心で、アンテクリストの肉体が見る間に膨張していく。
唯一神であった頃の名残など露ほども残らない、禍々しい――醜悪な姿に。

>「見よ!!畏れよ!!
  此れが貴様ら背徳者どもを断罪する、究極の!完璧なる神の尊容!!
  アンテクリスト・ペルフェクトゥス!!!!」

「……それが、神の姿だって?冗談だろ。いよいよ見た目もバケモノになっちまってさ」

いつも通りの軽口――少し、声音が強張っている。
アンテクリストから迸る力は、先ほどまでよりも更に激しい。

>「死ね、多甫祈!
 ―――――――最終ラウンドだ!!!」
>「ああ!! 終わらせてやるよ!!」

アンテクリストが祈へと襲いかかる。祈が迫る右拳を己の拳で迎え撃つ。
ポチは――獣の甲冑を操作。全身に巣食う滅びの傷から溢れ続ける血を、右手に集める。
そしてそれを周囲へ撒き散らした。

>「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
  三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

「――そうさ。折角気味の悪い見た目になったのに、お目々を増やすのを忘れちゃったのか?」

ポチの声が、ヘリポートのあらゆるところから響く。
撒き散らした血液によって構築された、小規模な、幾つもの縄張り。
それらの中に、ポチは偏在している。

396ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:53:52
そして――不在の妖術と共に縄張りを飛び出し、アンテクリストへ接近。
『獣』の牙を連ねた手甲による、渾身のロングフック。
打撃の瞬間のみ姿を現し、直後に再消失。偏在の力によって縄張りへと戻る。
一連の動作を、一呼吸の間に二、三、四と繰り返す。
そこにシロとの連携が加われば――全方位からの、防御不能の連撃の完成。

だが――浅い。
アザゼルの角をも打ち砕いてきた『獣』の力をもってしても、その肉を切り、骨を断つ事が出来ない。
精々、ほんの小さな擦り傷を与えるだけ。それすら一瞬にも満たない間に再生されている。

「……あー、今のはほんの挨拶代わりだ。いい気になるなよ」

せめてもの強がり――しかし実際のところ、ポチの連撃はアンテクリストにほんの僅かな痛痒すら与えられていない。
どうしたものか。大規模な宵闇を展開して、偏在化の力をより強く発揮すれば、より強力な攻撃が繰り出せる。
だが縄張りを大きくすれば、陰陽寮でローランがそうしたように、結界そのものを破壊されてしまう。
ポチの結界は己の血を媒体にしている。無策に展開して破壊されては、消耗が募るばかりだ。

ポチの戦技は獣の狩り。噛みつき、切り裂けば血の流れる相手を疲弊させ、仕留める為の技。
ベヘモットの時もそうだったが――こうも相手が強大だと、相性が悪い。

勿論、ポチとシロだけでアンテクリストに致命傷を与える必要などない。
しかし――手傷の一つも負わせられないのでは、囮にすらなれない。
決して己を殺傷し得ない存在に、アンテクリストが注意を払う理由がないからだ。

どうしたものか――思いつかない。
ここは橘音に指示を乞うべきか。
ポチは、そう判断して――

>「ポチ殿、若き獣の王よ。

その時、ふと目の前にノエルが――否、深雪が現れる。

> 我は思うのだ。災厄の魔物の存在意義はこの世界の存続なのではないかと。
  ゆえに案ずるな。たとえ一時道を違えようとも、きっと最後は同じ場所に辿り着く――」

「……かもね」

ポチは一時期、災厄の魔物として、真に人類の敵だった事がある。
東京ブリーチャーズはニホンオオカミの存続の為に利用すべき存在で、いつかは敵に回す潜在的脅威。
そう考える存在になった事がある。

何故それを深雪が知っているのかは分からない。
同じ災厄の魔物だから、分かってしまうものなのか。
しかし――

「でもね、そんな事はどうでもいいんだ」

災厄の魔物の存在意義なんて今更、ポチの知った事ではない。

「僕は、僕が――僕らが幸せな未来を掴むよ。大事なのは、それだけだ」

結局のところ、アンテクリストは孤独であるが故に今、滅びへと追いやられつつある。
もしもベリアルが東京ブリーチャーズと友達だったなら、彼はとっくの昔に悲願を達成していた。
東京ブリーチャーズと、彼らが守ろうとするもの全てと――人類と共にある事さえ、
それをポチが己の幸せだと、獣の繁栄だと定義してしまえば、災厄の魔物の存在意義など何の関係もない。

ポチの答えを聞くと、深雪は姿を消した。
気がつけば、ポチの両手は氷の爪を纏っていた。

「……いいね、これ」

獣の甲冑――その右腕が『獣』の血肉に戻り、氷の爪を這い上がり、包み込む。
氷を芯にして、再び血肉が硬質化――爪が、牙と化す。
狼の、敵を殺める為の最大の武器に。

397ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 19:56:46
>「『反転・幻想発勁』」

ポチの姿が再び消える。
黒尾王の幻惑に乗じて、アンテクリストを薄く包み込む血霧。
ほんの一瞬しか持続しない、だがそれ故に消耗も最低限に抑えた『僕らの縄張り』。

「『狼獄』」

宵闇の中、どこにでもいて、どこにもいない。
ただの風切り音が炸裂と化して、アンテクリストを襲う一瞬百撃。
そして――

>「チッ、やっぱし足りねぇか……」

それでも、アンテクリストは無傷だった。
実際には、僅かな傷を負わせる事は出来ていたが、それもやはりすぐに再生された。
力が足りない。アンテクリストに深手を負わせるだけの威力が。

「……どうしたもんかな」

どうすればいい。どうすればアンテクリストの命を脅かせる。
ポチは宵闇の中に潜み、考える。そしてすぐに一つの結論に至る。
自分が頭を使ったところで、何の意味もないと。
考え、策を練るのは橘音の領分だ。
その上で――自分がすべき事は、何か。
橘音が策を閃くまで時間を稼げばいいのか――そうだ。だが、それだけでは駄目だ。

何故なら自分達が今対峙している敵は、アンテクリスト。
或いは赤マント。或いはベリアル。
或いは――橘音の師匠。

アンテクリストならば、橘音が考えつくだろう策を、同じように考えつく事が出来るだろう。
もしアンテクリストが、自身を攻略する術を橘音よりも先に考えついてしまえば、どうなるか。
当然それを妨害する術だって思いつくだろう。
或いはそれを逆手に取る事すらしてくるかもしれない。

そうならないよう、アンテクリストの思考を妨害する必要がある。

つまり――結局、ポチの思考はスタート地点に戻ってきた。
力が足りない。アンテクリストの思考を妨げるにも、やはり自分の攻撃では威力が足りないと。

だが――今度は、先ほどとは思考の前提条件が違う。
橘音には頼れない。必然、ポチの選択肢は少なくなる。
選択肢が少ないという事は――迷う必要がなくなる。

「……うん。結局、僕にはこれしかないんだ」

瞬間、再びアンテクリストの周囲を薄い血霧が包んだ。
赤黒い宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
一瞬の間に放たれる百の打撃がアンテクリストの顔面を強打する。

結界が霧散する。ポチの姿がほんの一瞬現れて――もう一度、血霧が広がる。
ポチの姿が再び消える。一瞬百撃がアンテクリストを襲う。

398ポチ ◆CDuTShoToA:2021/05/02(日) 20:06:31
大規模な宵闇を展開して、偏在化の力をより強く発揮すれば、より強力な攻撃が繰り出せる。
縄張りを大きくすれば、陰陽寮でローランがそうしたように、結界そのものを破壊されてしまう。
ポチの結界は己の血を媒体にしている。無策に展開して破壊されては、消耗が募るばかりだ。

だが――それはつまり、逆に考えれば。
消耗さえ度外視すれば、ポチは単独で自身の攻撃能力を底上げ出来る。

――結局、いつだって僕は。

それでも、アンテクリストの思考の妨げになれるかは、分からない。
もしかしたら、ポチの試みはまるで無意味で、ただ己の生命を削るだけの結果になるかもしれない。

――いつだって僕は、命を懸けるしかないんだ。

それでも、ポチはやると決めた。
使い捨ての結界を展開する度に血を失い、
結界が途切れて姿を晒したところを叩かれれば間違いなく死ぬ事になるが、それでも。
これが、ポチが今、仲間の為に取れる最善策。

――いつの間にか、僕は。

『僕らの縄張り』と、一瞬百撃。
それを絶え間なく繰り出し続けながら、ポチはふと、何となく考える。思い出す。
疲労、闘争本能、連続した運動。それらによる興奮が、ポチをほんの少しだけ感傷的にさせる。

――皆の為に命を懸けるのが、当たり前になってた。

自分がまだ、狼じゃなかった頃。狼と犬の雑種だった頃。
ポチは仲間の為に命を懸けられなかった。
皆を慕っているように振る舞いながら、真実、仲間の為に戦う事が出来なかった。

――今なら、僕も言えるよ。僕は、僕の事、嫌いじゃないって。だから……ううん、だからって訳じゃないけど。

思い出す。かつてクリスと戦った時、吹雪に晒された祈を背負って、泣き言を零していた自分を。
もう、あの時の自分はどこにもいない。

「……勝とうね、祈ちゃん」

その事を改めて自覚した時――ポチは、失血と一瞬百撃による消耗の中で、笑みを浮かべていた。

399那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:35:36
「貴様さえ!貴様さえいなければ!!
 私は既に勝っていた!私の計画を妨げる者など、どこにも存在しないはずだった!
 この絶対神に抗えるものなど、この地球上にはいないはずだったのだ!!」

ガゴォッ!!!

祈とアンテクリストの拳が真正面からぶつかり合い、炸裂する。
まるで爆発でも起きたかのように激しい衝撃が同心円状に吹き荒れ、ヘリポートが――否、都庁そのものが鳴動する。大気が震える。
それは正に、妖怪の頂上決戦。
世界に後押しされた妖と、世界を改変しようとする妖の、究極の戦い。

「なぜだ!?貴様はなぜそこにいる!!
 なぜ、私が計画を成就させる――このタイミングでこの世に生まれ落ちた!?
 あと数百年早ければ!若しくは遅ければ!
 貴様如きが我が深謀遠慮の障害となることはなかったというのに!!
 なぜだ!なぜだ――――――
 多甫祈ィィィィィィィィィィィ!!!!!!」

憎悪と憤怒、そして焦燥。
それら黒い情念を吐き出しながら、アンテクリストが吼える。
神獣と合身し、魔獣と化したその姿からは、先程までの超然とした唯一神の面影は欠片もない。
自分以外のすべてを見下し、冷笑を以て操っていた赤マントの姿も。
そこには己の目的のため、悲願のため。
感情も露にただただ突き進もうとする、紛れもない一個の人格があった。
恥も外聞も、今まで連綿と積み上げてきた計画も、総てを擲って戦おうとする、生(き)のままの魂。

>おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
 三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!

祈の右腕が拉げ、砕け散る。血の華が大輪の花弁を咲かせる。

「祈!!」

レディベアが叫ぶ。が、その砕けた腕が瞬く間に回復してゆくのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。
とはいえ、力の差は歴然。禁忌の神獣喰いによってふたたび神の権勢を取り戻したアンテクリストが、龍脈の神子を凌駕する。
が、祈は慌てない。何故なら、祈には仲間たちがいる。
これは祈ひとりの戦いではない。皆で勝利を、幸福を、未来を掴むための戦いなのだから。
祈がアンテクリストの行く手を遮る。レディベアが瞳術でそんな祈のアシストをする。
近距離物理攻撃担当の祈と、遠距離サポートタイプのレディベア。
ふたりのコンビネーションは一糸乱れぬ見事なもので、魔獣と化したアンテクリストも易々とはそれを打ち砕けない。
そしてふたりが決死の覚悟で偽神の注意を引く中、ノエルは他の仲間たちへ加護を与えていた。

>きっちゃん、君は童の最初のともだち。今までもこれからもずっとずっと最高のともだち。
 おめでとう、幸せになってね……!

「……みゆきちゃん!?」

黒尾王の中に存在する心象世界に突然闖入してきたみゆきの姿に、橘音は思わず目を瞠った。
そして、そのまま抱擁を受ける。

>クロちゃん、きっちゃんを泣かせちゃ駄目だからね! ずっと見てるんだから!
 ……ありがとう、きっちゃんを好きになってくれて!

>ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな

「最終決戦の最中にすることじゃないでしょう……ホント、みゆきちゃんは空気を読まないんですから。
 でも――ありがとうございます。
 アナタがいなかったら、今のボクはいなかった。つらいことも、悲しいこともたくさんありましたが……。
 それもすべて、今の幸せに繋がっていたものと考えれば……そう悪いものでもなかったって。そう思います」

みゆきと尾弐の遣り取りに、仮面の奥で軽く涙を滲ませながら小さく笑う。
親の顔も知らないはぐれ狐として生を受け、同族から除け者にされ、人間に疎まれ。
それでもなお世を拗ねきることがなかったのは、みゆきというともだちがいたから。
一度の死別を経て再会した後も、みゆき――乃恵瑠だけは、ただただ愚直に橘音のことを信じてくれた。
かつてクリスと戦った際、橘音はクリスを倒すためには乃恵瑠に傷ついて貰わなければならないと言ったことがある。
そのとき、乃恵瑠は迷いなく言ったのだ。

”橘音くんの言う事”全部信じてるわけじゃない。だけど……”橘音くんの事”は信じてる

と。

ともだちだから。親友だから。
利害でも、契約でもない。ただそれだけの理由で、命を懸けられる。
それが、橘音と乃恵瑠――みゆきの絆。
束の間俯き、半狐面をずらしてごしごしと右腕で涙を拭うと、橘音は仮面をつけ直して前を見た。

「当然!幸せになるに決まってるじゃないですか!
 名探偵の物語は、ハッピーエンドって相場が決まってるんだ!見事、この難事件を解決して――
 物語を締め括ってみせますよ!!」

そう。
狐面探偵・那須野橘音の物語に、バッドエンドなどありえない。
古今東西すべての探偵たちを語る話がそうであるように。
読者の胸がすくような、そんなエピローグを紡ぎあげよう。

400那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:40:14
尾弐と橘音の前に現れたみゆきは深雪に姿を変え、今度はポチとシロの前に出現した。
そして、若いつがいの両手にそれぞれ爪と鉄拳を与えてゆく。

>シロ殿、ポチ殿のことは頼んだぞ――

「……はい。必ず……。
 私の未来は、狼の王と共に」

荘重に頷くと、シロは両手に装備したカイザーナックルをガギィンッ!と一度高く打ち鳴らした。
ノエルは最後にレディベアと祈の許に現れる。

>感謝してる。祈ちゃんを立ち直らせてくれたのって君だよね?
 でもまだ正式メンバーとは認められないなぁ。だってまだうちの店に来たことないよね?
 ……うちのかき氷を食べれば君も正式に仲間だ

「……ふふ。楽しみにしておりますわ」

突然目の前に現れたノエルにレディベアは一瞬驚くものの、すぐに口角に小さな笑みを浮かべてみせた。

「ギシャアアアアアアアアアアア――――――――――――ッ!!!!」

ノエルが祈に籠手の加護を与え終わるのと同時、アンテクリストが炎の翼を広げて一気に祈へと突進してきた。
三神獣の魂を取り込んだアンテクリストの肉体には、今やその力がそっくり取り込まれている。
帝都を一瞬で灰燼に帰すジズの焔が、レビヤタンを構成していた4億9297万立方メートルもの体積の水が、
百獣の頂点に君臨するベヘモットの力が――すべて、アンテクリストの3メートルほどの身体に内包されているのだ。

ガギィッ!!

ノエルの加護を受けた祈の拳は、アンテクリストの拳と激突しても砕けることはない。
再度爆風が巻き起こり、祈の髪を激しく嬲ってゆく。
が、それでアンテクリストの攻撃は終わりではなかった。
レビヤタン由来の、水流で出来た尾。それが不意に大きくのたうち、その槍の穂先のように鋭い先端で祈を刺し穿とうと蠢く。
狙いは、胴体。祈にオーバーロードという超回復能力があるとはいえ、胴に大穴を開けられ臓器を損傷すれば、
回復には長い時間がかかるだろう。

しかし。

「……ちいい……!」

ノエルの傘から伸びた鎖が尾に巻き付き、その行動を阻害する。
アンテクリストは忌々しそうに耳まで裂けた口を歪めた。

>みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!

さらにノエルは無数の雪女たちの幻影を放ち、偽神へと差し向けた。
かつて滅んだ者、必要とされなかった者、不要と断じられた者たちの魂。
だが、本来憎悪と憤怒の中で妖壊化してもおかしくない、そんな魂たちまでもがアンテクリストに牙を剥く。
その在り方は正しくない、と言っている。

「邪魔だ――消え失せろ!!」

纏わりつく雪女たちの猛攻などものともせず、アンテクリストが吼える。
炎で構築された背の巨翼を大きく広げ、自身の周囲の温度を猛烈な勢いで上げてゆく。
さらにがぱりと大きく口を開いたかと思うと、偽神は口腔から燃え盛る紅蓮の焔を吐き出した。
その上翼から巨大な火球を生成し、雪女の幻影を蒸発させてゆく。

「く……」

あまりの火勢にレディベアが右手を顔の前に翳し、苦鳴を漏らす。
ただ余波を浴びるだけでも大火傷を負ってしまいそうなほどの、まさに地獄の業火と言うに相応しい炎。
だが、ハクトがギリギリのところでそんな猛火からレディベアを守っている。

>レディベアちゃん、君のブリガドーン空間の力と祈ちゃんの龍脈の力、一緒に使えないかな……?
 例えばあんな風にさ

ハクトが黒尾王を見る。レディベアもつられるようにして、上空に浮かぶ黒鉄のシルエットを見上げた。
いくら祈とレディベアのコンビネーションが息の合ったものであるとは言っても、
今はそれぞれが別々に龍脈の力とブリガドーン空間の力を使っているという状況だ。
そんなバラバラの力を、ひとつに融け合わせることがもし出来たなら。
それはきっと、この長い戦いに真の終止符を齎す一撃となるだろう。

「……そう言われましても……
 わたくしには、一体どうすればいいのか……」

だが、その方法がレディベアには分からない。
黒尾王――妖狐大変化・白面金毛九尾の術は、妖狐橘音の妖術の粋。
自身の妖力を最大限強化し、その上で愛情を交わし合った尾弐の助力も得、やっと顕現せしめた秘奥義なのである。
レディベアには変化の妖術など使えないし、どうすればふたつの力を束ねることが可能なのかの見当もつかない。
そして。

レディベアが懊悩している間にも、戦いは刻一刻と変化していた。

401那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:43:47
「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

ノエルの鎖によって拘束されていた尾をさながらトカゲのように自切し、
自由を取り戻したアンテクリストが祈へと迫る。
これもまたジズの力であろうか、五指の鋭利な爪が紅蓮の焔を伴い、手刀と化して祈を狙う。

ドッ!!!

祈の胸に、狙い過たずアンテクリストの手刀が深々と突き刺さる。偽神は一瞬、獣じみた顔貌に喜色を湛えた。
が、その表情がすぐに強張る。――手応えがなさすぎる。

>おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』

「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

アンテクリストの前方には、いつの間にか祈を守るようにしてノエルが黒尾王に与えた氷の盾が突き立っていた。
ノエルの生み出した盾の鏡面に映った祈の姿を、橘音の幻術によってより実物に似せる――虚像の術。
赤マントなら易々と見破ったであろうが、アンテクリストにはそれを幻と看破することはできなかった。
そして。

>『反転・幻想発勁』

バチィッ!!!

「ッ!!ぐお……」

盾に籠められていたのは、ノエルと橘音の力だけではない。言うまでもなく尾弐の力も内包されている。
反転の妖術、相手の攻撃の威力をそのまま本人へと返す妖術。
しかし、そんな三者の力の結集をもってしても、アンテクリストを一瞬怯ませるのが精一杯だった。

「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
 消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

ガオン!!!

アンテクリストが左腕を黒尾王へと突き出す。その手のひらに、みるみるうちに妖気が収束してゆく。
撃ち放たれる呪詛の砲弾。その威力は凄まじく、黒尾王とて直撃すれば大打撃は必至だ。
何とか盾を回収し角度をつけて受けることで威力を逸らすことに成功したが、何度もは持たない。

>流石に、直撃したら不味ぃな……橘音。
 どうにも消耗戦は愚策みてぇだが、一発逆転の手段なんてモンが便利に有ったりしねぇか?
 ただ単純に俺達の妖力を分けるってのも考えたが――多分、それじゃあ勝てねぇ
 力を束ねる何かが必要なんだが、どうにもそれが思いつか……っ!?

「そんな便利な策があったら、とっくに使ってますよ。
 力を束ねる……。確かに、師匠に決定的な一打を見舞うとすればそれしかありませんね……。
 でも、クロオさんの仰る通り漠然とボクたちの妖力を与えたって意味がない――」

黒尾王の心象世界の中で、橘音が思案する。
すでに世界中の人々の助力を受け、そうあれかしは極限まで得られている。
これでなお東京ブリーチャーズが敗れるというのなら、平和と幸福を願う世界の想い自体が足りなかったということなのだろう。
そんなことはありえない。今この場に存在する力で、アンテクリストは必ずや撃破できるはずなのだ。
だとしたら、どうやって――

>……どうしたもんかな

そして尾弐と橘音、レディベアが終極の一撃を模索しているのと同時に、
ポチもまたアンテクリストに有効打を見舞うべく血霧を放ち、攻撃を繰り返していた。

>『狼獄』

ポチの覚醒した究極の妖術の中では、総てが無為である。
防御も、回避も、何もかもが意味を持たない。なぜならばその血霧の中――ポチの縄張りの中は、即ちポチの顎の中も同じ。
だが――ポチのそんな絶技を以てしても、アンテクリストに致命の打撃を与えることはできない。
傷のすべては与えた傍から回復し、何事もなかったかのように治癒してしまう。

「弾け飛べ!!!!」

ぎゅばっ!!!!!

アンテクリストが全身から膨大な量の神気を放出する。それは正に核爆発にも匹敵する威力だった。
ポチの血霧を吹き飛ばし、ポチ本体もまたその爆風によって叩きのめす。

「ぅ……ぐ……ッ」

それまでポチと共に縄張りの中で攻撃を繰り返していたシロが、偽神の爆撃に大きく吹き飛ばされる。
何とかヘリポートから叩き落されることだけは免れるものの、ダメージは少なくない。がくりと片膝をつく。
ポチにも、共に全方位攻撃を繰り出すシロの動きが徐々に鈍くなっていたのが分かるだろう。
巨獣ベヘモットを仕留め、息つく暇もなくアンテクリストとの戦いに雪崩れ込んだのだ。
シロには他のブリーチャーズのような特別な力はない。いくら狼由来の持久力を有するとは言え、
この最終決戦に参戦するには力不足は否めなかった。

402那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:47:31
けれど。

「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

ぐいっと右腕で口許を拭うと、シロは息を荒げながらもゆっくり立ち上がった。
喉は渇いてひりつき、心臓はばくばくと派手な鼓動を刻んでいる。身体が鉛のように重く、意識が明滅する。
体力は残り少なく、あとどれほど動けるのかも分からない。明らかなスタミナ切れだ。
その一方でアンテクリストはと言えば、無尽蔵の回復力でろくなダメージも受けていない。
誰がどう見ても劣勢、窮地と言うしかない。このままでは、東京ブリーチャーズは決め手に欠く。
そうあれかしとて無限ではない。人々がこの神を倒すことはできないと絶望してしまえば、
祈を包んでいる黄金の光も消える。希望が潰える――

だというのに。

「私……嬉しいです。
 今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
 ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」
 
狼王ロボとの戦いの後、遠野に仮寓を定めたシロは当地での平穏と孤独に耐えかね、東京へ単身乗り込んだ。
茨木童子たち酒呑党の仲間に加わり、東京ブリーチャーズと敵対する道を選んでまで、ポチたちに自分の力を認めさせようとした。
そしてその作戦は図に当たり、シロは戦力としてブリーチャーズに迎えられたのだった。
戦いを忌避するなら、最初から遠野でポチの帰りを待っていればよかった。
だが、それをシロは良しとしなかった。どんなに傷ついても、つらくても、ポチと共に戦いたい。
それが誇り高き次代の狼王の伴侶たる自分の採るべき道だと思ったのだ。
シロは今、自らが望んだ場所にいる。この、すべての因縁を孕んだ最強の敵と決着をつける場に。
仲間たちに『ここにいてもいい』と思ってもらえたがゆえ、ここにいる――。

ならば。

例えこの身が砕けようと、シロは己の義務を果たす。

「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
 私がここにいることを、無意味と思われないように……。
 私は……私の役目を!果たします!!」

歯を食いしばり、前傾姿勢になって身構える。

「役目だと!
 笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

アンテクリストが大きく上体を逸らし、右拳を突き出してくる。ボッ!!とその腕が燃え盛り、空気が焼け付く。
シロはそれを紙一重で躱すと、身を低く地面すれすれまで屈めて疾駆した。
炎を掻い潜り、レビヤタンの水流の尾を回避し、狙うのは――それまで攻撃していたアンテクリストの顔面ではなく、下肢。

「はああああああッ!!!」

ぎゅばっ!!!

ノエルから与えられたカイザーナックルを備えたシロの拳が、偽神の右膝を痛撃する。
が、有効打には程遠い。例え骨が砕けるほどの攻撃を加えても、一瞬で回復されてしまう。
けれど、シロは諦めない。幾度でも、何度でも、アンテクリストの右膝――狙いを定めた一箇所へ愚直に攻撃を繰り返す。

「クズめ!こざかしい!!」

アンテクリストが叫ぶ。炎が、激流が、その身から迸ってシロを苛む。
直撃こそ避けていても、偽神の全身から迸る業火は放出される熱だけでシロの体力を容赦なく削り、
水流の尾は掠めただけでも鋭利な刃物のようにシロの肉体を削ってゆく。
しかし、それでもシロはただ一点へ向けて打撃を見舞い続けた。

「あなた……!!」

シロがつがいを呼ぶ。それだけできっと、ポチにはシロの考えが理解できることだろう。
ポチが今までずっとやってきた、すねこすりの戦い。かつてポチが狼王ロボを。魔神アザゼルを。
神獣ベヘモットを撃破したときのように、すねこすりの力を以てして偽神を転ばせ、その力を削ぐ。

>あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ

かつて、ロボに対して彼がそう約束したように――。
例えシロ単独の力だけでは偽神の膝を折ることができなくとも。
最愛のつがいとならば、どんなことだってできる。シロはそう信じている、だから。

「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが両手に膨大な妖力を凝縮させ、波動として撃ち放つ。
それは先ほど黒尾王に対して放った呪詛弾よりも遥かに強力な、偽神の必殺拳。
『狼獄』を発動し、宵闇に紛れたポチとシロをその結界ごと蒸発させんとする、神の鉄槌だった。

「く、あ、あ、ああああああああ……!!」

縄張りの中で、シロが苦痛に啼く。全身が、否、魂までもがバラバラになってしまいそうな痛みに悶える。
だが、攻撃はやめない。
宵闇の中で、シロは無意識に手を伸ばした。
自分が唯一と認めた、夫と、王と定めた、ただ一頭の妖へ。

403那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/05/10(月) 10:54:24
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!」

アンテクリストが波動の出力を上げる。祈やノエル、黒尾王をして恐るべしと思わせるに充分な、それは圧倒的な破壊の奔流。
けれど――

「……愛しいあなた。私の狼王。
 あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
 だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

きゅ、と。ポチとシロ、ふたりの手が繋がれる。ポチの顔を見詰めて、シロが穏やかに笑う。
触れ合った場所から、新たな力が湧き上がる。ふたりの身体に、爆発的に広がってゆく。
否、二頭だけではない。ポチは自らの身体に、彼の成長を見守ってくれていた獣の王たちの力をも感じるだろう。
この世界に棲む獣たちの平和と安寧、未来を彼に託した、偉大な王たち。
彼らがポチとシロの背中を後押ししてくれているのが――。
そして。

ガオン!!!

若い狼のつがいが力を合わせ、ひとつになってアンテクリストの右膝を穿つ。
ポチの攻撃、一瞬百撃。瞬きのうちに百の打撃を繰り出す、必滅の奥義。
宵闇は獣の領域。今や宵闇そのものと化した二頭の攻撃が、やがて偽神の持つ無限の再生能力を凌駕したとき。

「―――――!?」

アンテクリストの右膝がガクリと折れる。巨体がバランスを崩す。
膝が地面につき、思わず右手でヘリポートの床に手をつく。その意味するところはひとつしかない。

偽神は、確かに転んでいた。

「この私が、転倒しただと……?
 ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

アンテクリストはすぐに立ち上がった。足元を掬われた程度では物理的なダメージは無いに等しい。
ポチとシロが全力の攻撃を繰り出し、やっと破壊した膝が、ぶくぶくと泡立ちながらすぐに復元されてゆく。
つがいの死力を振り絞った攻撃は、まったくの無駄であったように見えた。

けれど。

「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」

黒尾王の中から、橘音が快哉を叫ぶ。

「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
 それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

今までアンテクリストは神獣を取り込むことで桁違いの力を得、圧倒的な力量差で東京ブリーチャーズを退けてきた。
格下の妖の攻撃など効きはしない。そんなアンテクリストの『そうあれかし』が、彼の無敵を支えてきたのだ。
しかし、ポチとシロがそれを覆した。格下の妖でも、全身全霊を以て当たれば――神に有効打を叩き込むことは可能だと、
見事に実証してみせたのだ。
ならば、新たに定義された『そうあれかし』によって、各々の持つ最大最強の攻撃を叩き込んでやればいい。

「何だと……?」

アンテクリストが憤怒に双眸を歪める。

「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
 作戦は――『ありません』!!
 後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」
 
先刻、初めてアンテクリストと対峙したときに告げた言葉を、橘音がもう一度繰り返す。
けれども、その意味合いは絶望と諦念しかなかった先程とはまるで異なる。
もう小細工は必要ない。各人が持ち得る力の全てでアンテクリストと対峙し、宿命に決着をつけるだけで、すべては終わる。

不意に、黒尾王の全身から光が溢れる。一瞬の間を置いて巨大な機神は消滅し、尾弐と橘音は元の姿に戻っていた。
橘音が変化の術を解除したのだ。

「……これは、クロオさんの。クロオさんだけの縁(えにし)です。
 ボクがしゃしゃり出ていいものじゃない……。であるのなら、やっぱり。黒尾王の姿じゃいけません」

橘音は緩くかぶりを振った。
そして両手を差し伸べ、尾弐の頬に触れると、半狐面の奥で目を細めて笑ってみせる。

「さあ……行ってきてください、クロオさん。
 千年間の因縁に、ケリをつけてきてください。
 新しい未来を、ボクと一緒に。創っていくために――」

「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
 この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
 世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
 舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

橘音の仲間を鼓舞する声に激昂したのか、アンテクリストが猛然と東京ブリーチャーズへ突っかけてくる。
だが、怒りに曇った目の偽神は東京ブリーチャーズの面々からすれば隙だらけに見えるだろう。
そう――今こそ。


これまで抱いたすべての想いを込めて、アンテクリスト。否、赤マントに攻撃を叩き込む時だ。

404多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/20(木) 23:54:20
>「貴様さえ!貴様さえいなければ!!
>私は既に勝っていた!私の計画を妨げる者など、どこにも存在しないはずだった!
>この絶対神に抗えるものなど、この地球上にはいないはずだったのだ!!」

 アンテクリスト、否。
神獣を喰らって完全体へと進化したアンテクリスト・ペルフェクトゥスが、怒りも露わに吠える。
 そして多大な圧を放ちながら、祈へと突進する。
――振り上げられる右拳。

>「なぜだ!?貴様はなぜそこにいる!!
>なぜ、私が計画を成就させる――このタイミングでこの世に生まれ落ちた!?
>あと数百年早ければ!若しくは遅ければ!
>貴様如きが我が深謀遠慮の障害となることはなかったというのに!!
>なぜだ!なぜだ――――――
>多甫祈ィィィィィィィィィィィ!!!!!!」

 レディベアから手を放し、風火輪の炎を噴かせて空中に飛び出しながら、
祈もまた右拳を繰り出した。
 空中で激突した二人の右拳が、
ミサイルの爆発を彷彿させる轟音を奏で、大気を震わせる。
それは、究極の強化状態にある二人にしか鳴らせない、
世界の命運を左右する最終ラウンドのゴングだった。

「そいつはあたしの知ったこっちゃねぇな!
これが偶然でもなけりゃ、地球か人類の意思だとでも思っとけよ!!」

 アンテクリストの、憎しみや怒りと共に吐き出された問い。
それに対する答えを祈は持ち合わせていない。
だが、祈が適当に述べたその答えは、あながち間違いともいえないだろう。
 なにせ、アンテクリストやベリアル、赤マントと呼ばれる、その悪逆を是とする存在は。
あまりにも人類に血を流させ過ぎている。
 闇に潜み、不幸を振り撒き、嘆きを嗤う邪悪。
その打倒を、憤怒や絶望や悲しみや無念や恐怖や虚ろの最中、多くの人が願っただろう。
 星に降り積もったその願いが結実したのであれば。
結実した『そうあれかし』が、祈を、ベリアルという病原菌を取り除くための白血球として。
即ち、『対アンテクリスト戦用の漂白者』として選出したのであれば。

 とはいえ――。
拮抗しているかに見えた、アンテクリストとの拳のぶつかり合い。
負けたのは、祈の方だった。
 祈の右拳が砕ける。衝撃の余波で腕が拉げ、宙に血の花が咲く。

(っ痛――! くそ!)

 痛みに顔をしかめる祈。
しかし、祈に後退はない。右拳を失ったなら左拳を叩き込むだけのこと。
元より、憎悪と憤怒でギラギラと燃えるアンテクリストの眼は、祈を捉えて離さない。
逃がすつもりはないとその眼が言っている。

405多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/20(木) 23:58:02
 再びヘリポートのコンクリートを蹴って、突進を仕掛けてくるアンテクリスト。

「おまえの方がつえーみてーだな。だけどいいのか? あたしだけに気を取られてて。
 三神獣がいなくなった今、あたしの仲間は全員フリーになってんだぜ!」

 アンテクリストの攻撃に、
今度は叩き込んだ左拳を腕ごとへし折られながら、そんな風に祈が宣う。
 敢えて仲間の存在を示唆したのは、アンテクリストの動揺を誘うためであった。
 祈が視界の端に捉えたところ、今、仲間たちはノエルによって武器を授けられている最中だ。
神獣たちを下した東京ブリーチャーズが強化されるのを厄介と思えば、そちらを攻撃しようと気を削がれる。
逆に、東京ブリーチャーズが集結していない今こそ祈を屠るチャンスと思えば、気が焦る。
 どのみち付け入るだけの隙が生まれるのだ。
 完全体となったアンテクリストの強さは、祈を遥かに凌駕する。
しかし信頼する仲間が集ったなら勝機はあると、祈は信じて疑わない。
だからこそ、仲間たちが強化されるまでの僅かな時間、どのような手を使ってでも持ちこたえる必要があった。

>「祈!!」

 精神的に負けていないとはいえ、
両腕がおしゃかになった祈は、見た目に完全に圧されている。
ズタボロで戦う祈に向けて、さすがにレディベアの心配そうな声が飛んだ。

「っ、あたしは大丈夫! そんなことより時間稼ぐぞ、モノ! 加勢頼んだ!」

 そう言いながら祈は、心配させまいと、砕けた両腕を瞬く間に再生させて見せた。
『そうあれかし』の黄金の光と、龍脈の力を過剰に引き出すオーバーロードの相乗効果だった。
 祈の呼びかけに応じて、レディベアがサポートに入る。
 祈はアンテクリストに劣るとはいえ、それに次ぐ強さと、
肉体の損傷を瞬間的に再生するほどの高い回復力を備えている。
そんな祈がアタッカーをこなし、
瞳術とブリガドーン空間による回復能力を有したレディベアが祈のサポートに回るなら、
一糸乱れぬコンビネーションもあり、そう易々とは負けることはない。
 実際には祈の回復能力は有限であったし、
レディベアが狙われれば終わりという、綱渡りの戦いではあったものの。
どうにか二人は、仲間たちが戦線に戻ってくるまでの僅かな時間を稼ぐことができた。

 先に戻ったのは、ノエルだった。

「お?」

 打ち合いの最中、どうにかアンテクリストから距離を取った祈。
その元へとノエルが現れ、祈の拳を両手で包んだ。

「御幸!」

突如出現したノエルに、アンテクリストが警戒の色を示し、その場に留まった。

>「知ってる? ノエルって救世主の生誕をお祝いする日なんだ。僕の救世主は……君だ。
>聞こえたよ、将来の夢。君ならなれるよ、名探偵!」

 ノエルが祈の手を離すと、
祈の両手には氷で作られた手甲――呪氷のガントレットが装着されていた。
 これ以上傷付かないように、少しでも戦いが楽になるようにと。
 言いたいことはいくつも浮かんで、祈は言葉に詰まった。
ノエルが救世主の生誕を祝う日を意味する単語であり、祈を救世主であるといったことに対し、
『つまりあたしの誕生日祝いに来てくれるってこと? むしろ誕生日教えろ。祝いにいくから』とか。
名探偵になれると言ってくれたことに対し、
『ちょうど、名探偵の助手役が空いてんだけど?』だとか。
 
「……情報量が多いんだっつの。とりあえず、助けられてばっかなのはあたしの方だよ。ガントレットありがと」

 そんな中で祈が言葉にできたのは、呪氷のガントレットをくれたことに対するお礼であった。
素直になりきれない性格も手伝って、言いたいことは戦いが終わってからでも十分言えるからと、色々後回しにしたのである。

406多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:08:56
>「好きだ……君と出会ったこの街が。みんなと出会ったこの星が」

 そこにきて、格好よくアンテクリストへ向き直りながらの、ノエルの宣言である。
 シンプルに考えればどうということはない、戦う理由を明らかにしたに過ぎない。
 だが深読みをすれば意味が変わってくる。
例えば『おいしいプリンを置いている、あの店が好き』という文では
おいしいプリンを置いているという条件を満たしていなければ、あの店は好きとはいえないわけで。
この街が好きというのは、君という存在あってこその文であって。
 君、即ち祈に対する遠回しな告白とも捉えられなくもなく――。

「バカ!! あたしを今混乱させんな!!
ターボフォームは維持すんのに結構集中力要んだから!」

 わーぎゃー騒ぐ祈。そんな祈とノエルを見て、
ノエルが加わったところで脅威足りえないと感じ取ったらしく、
アンテクリストが炎の翼を広げ、再び祈へと迫る。

「それに今は最終決戦の――」

 再度振るわれるアンテクリストの右拳。

>「ギシャアアアアアアアアアアア――――――――――――ッ!!!!」

「――途中だろうが!!」

 それを今度は、踏み込んで両拳を突き出して、祈は受け止める。
 拳二つに威力を分散したから、という言葉では説明できない。
頑強な呪氷のガントレットによって、祈の拳は砕けることがなかった。
ぶつかり合いによって生まれた暴風が、髪の毛を激しく嬲っていっただけだ。
霊的な攻撃力も高まっているのか、アンテクリストの右腕を逆に押し返してもいる。

 とはいえ、アンテクリストの攻撃はそれだけ終わりではなかった。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスの尾が、身体の影から槍のように伸びる。

 祈がこの場面で拳も使う戦闘スタイルに切り替えているのは、
手数の不足を理由としているところが大きい。両手両足を自在に攻防に使うアンテクリストに対し、
攻撃を足、防御を手に頼る祈の攻撃方法では、手数に劣る。
隙が生まれやすく、読まれやすいという側面もあった。
 故に、単純に両手を使うことで手数を増やし、
アンテクリストの4つの攻撃手段、両手両足に対応できるようにしておこうという算段だった。
そこにきて尾は5つ目。意識外という死角からの一撃だ。
 視界に捉えた時には既に防御が間に合わず、焦る祈だが、
ノエルの傘から鎖が伸び、レビヤタンの尾を絡めとって軌道を反らした。

>「……ちいい……!」

「おー! ナイス!」

>「みんな! 力を貸して! 雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》!」

 ついで、畳みかけるように、ノエルが技を放った。
半透明な雪ん娘や雪女の幻影が無数現れて、アンテクリストに攻撃を加える。
優美さのある舞、だが苛烈にアンテクリストを攻め立てていった。

407多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:12:50
>「邪魔だ――消え失せろ!!」

 だがアンテクリストは取り囲む彼女たちを、背の炎の翼を広げて迎え撃った。
あまりの高温に雪女たちが怯み、圧される。
 さらに高温の炎を吐き散らかして一蹴すると、
アンテクリストは苛立たし気に自らの尾を切り落とした。
鎖による呪縛を解くよりも、千切った方が早いと判断したのだろう。

>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

 そして再び祈へと向かってくる。
 ジズを喰らったことで生やした鋭い爪で、祈の胸を貫こうとする。
伸ばした腕が祈に突き刺さり、ドッ、と音がするが。

>「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」

 貫いたのは本物の祈ではない。

>「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

 それを阻むのは黒尾王。即ち、尾弐と橘音であった。
 アンテクリストが貫いたと思ったもの。
それは、ノエルが授け、黒尾王が放った氷の盾であった。
ノエルが放った雪華の舞《スノウプリンセス・ダンスパーティー》が
アンテクリストの目を逸らしているうちに、祈の眼前に放ったのである。
 氷の盾に映る祈の虚像は、橘音が幻術で本物の実感を与えたもの。
まんまと騙され、貫いてしまったというわけである。

>「『反転・幻想発勁』」

 そして、尾弐が氷の盾に仕込んだ技が炸裂する。

>「ッ!!ぐお……」

 その技は氷の盾に打ち込んだアンテクリストの攻撃の威力をそっくりそのまま返したらしく、
アンテクリストは大きく吹き飛ばされ、祈との間に大きな距離が開いた。

「尾弐のおっさん! 橘音! 助かった!」

 黒尾王が放った氷の盾は、アンテクリストへの騙し討ちだけでなく、
高温の炎に晒される祈とノエルを守ることにも一役買っていただろう。

>「チッ、やっぱし足りねぇか……」

 黒尾王の中から尾弐が言うように、攻撃を返すだけでは致命の一撃にはなりえないらしかった。
 肉体に損傷を与えているが、即座に回復されてしまう。

>「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
>消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

 黒尾王を忌々しげに見て、圧縮された妖気の砲弾を飛ばすアンテクリスト。
仲間たちが続々と集い始めて、祈だけでなく、黒尾王にも気を散らし始めた。
相変わらず祈を狙うのは変わらないが、祈の負担が減り、格段に戦いやすくなっている。
 そこへさらに。

>『狼獄』

 ポチの声が、ヘリポートのさまざまなところから聞こえたかと思えば、
黒尾王に気を散らしたアンテクリストに、無数の攻撃が加えられた。
ヘリポートには既に、ポチが血を撒き散らしたことで縄張りが築き上げられていた。
ポチはこの縄張りのどこにでもいるし、どこにもいない、ということができるようである。
 だからこそ可能な、一瞬に百発もの攻撃を加える『狼獄』。
縄張り内にはシロもいるようだから、実際には百発以上の攻撃となっているであろう。
しかも二人もノエルに武器を授けられ、強化されている状態にある。
 意識の外から喰らわされる絶技。その威力に、アンテクリストは圧される。

「ポチもシロもやるじゃん!」

 これで東京ブリーチャーズが全員揃った。
みんなでかかればアンテクリストなんて倒してしまえるのだと。
祈はそう思い、歓喜の声を上げた。

408多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:19:44
 しかし。
『雪華の舞』、『反転・幻想発勁』、『狼獄』。
アンテクリストは数々の必殺技を受けて、僅かに圧されることがあっても、
何事もなく回復するだけの力を持っていた。
 加えて。

>「弾け飛べ!!!!」

 東京ブリーチャーズが揃って尚、アンテクリストの強さの方が上回っていた。
 アンテクリストが、神気を周囲に迸らせる。
まるで核が爆ぜたような、メルトダウンでも起きたような、激しい神気の爆風。
 吹き飛ばされる東京ブリーチャーズの面々。
 このままではジリ貧。攻撃を加え続けても埒が明かないと、誰もが攻めあぐねていた。

「くそっ――。まともに喰らっちまっ――がはっ」

 そして祈はといえば、はいつくばった状態にあった。
 神気の爆発は、アンテクリストの背後に回った祈が、蹴りを叩きこもうとした瞬間に放たれている。
爆心地でまともに神気を喰らった祈は、細胞組織からズタズタに引き裂かれたのである。
 回復力も徐々に弱まりつつあった。

 そんな中、活路を開いたのはシロだった。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
>こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

 おそらく東京ブリーチャーズの中で、最も力不足なのはシロだろう。
だが、そのシロが、打ちのめされながらも立ち上がって言うのだ。

>「私……嬉しいです。
>今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
>ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」

 呼吸も乱れ、足元もおぼつかない様子のシロ。明らかに限界だった。
 祈のような回復能力があるわけでもない。
下がらせるべきだというのに。そんな風に言われたら、下がれなんて言えない。
 祈の目には、シロの背に己の役目に殉じるローランの姿が重なってみえていた。

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
>私がここにいることを、無意味と思われないように……。
>私は……私の役目を!果たします!!」

 そして、シロが構える。

>「役目だと!
>笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

 そんなシロを標的にして、アンテクリストが拳を振るう。
音速を超えて熱を帯びる右拳を、寸でのところで掻い潜り、懐へ潜り込んだシロ。
そこに合わせるようにポチが『狼獄』を再度発動させる。
二人が狙っているのは、アンテクリストの右膝だった。
 翼から放たれる業火を、尾から放たれる激流を躱しながら、右膝を狙い続けるシロとポチ。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

 業を煮やしたアンテクリストが、凝縮した妖気を炸裂させ、波動として放つ。
神気が爆発したときも、狼獄は解除され、ポチもシロも吹き飛ばされていた。
素早く捕えにくい相手をいちいち狙うよりも、そうした方が手っ取り早いと判断したのだろう。
しかもその波動は、先程の神気よりもあるいは強力で――。
 破壊の奔流が大地と空を揺らし、世界を歪ませる。
それでも二人の狼は、攻撃を止める気配はない。
 歪んでいく世界の中で、
>「……勝とうね、祈ちゃん」祈は気のせいか、そんな声が聞こえたような気がした。

「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

 どうにか肉体を動かせる程度に回復した祈が、その光景に絶叫しながら立ち上がる。
危険だから逃げてほしいという気持ちはあったが、
二人に負けてほしくない、二人なら勝てるという気持ちの方が勝ったゆえの叫びだった。
 そして、破壊の奔流が収まり、視界が戻ったとき。

 ガオン!!!

 膝をついていたのは、アンテクリストの方だった。
その右膝は大きく抉れている。

>「この私が、転倒しただと……?
>ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

 瞬く間に破壊された右膝を回復させ、何事もなかったかのように立ち上がるアンテクリスト。
決死の攻撃にすら、まるで意味がなかったかのように吐き捨てて。

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
>それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

 だが、無意味ではないと。 黒尾王の中から橘音が言う。

>「何だと……?」

 アンテクリストが黒尾王を睨むように目を歪めた。

>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
>作戦は――『ありません』!!
>後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

 もう攻撃は効くのだと。作戦なんてなくても、みんなで攻撃すれば倒せるのだと。
そう橘音は言うのだった。

409多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 00:34:38
>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
>この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
>世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
>舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

 激昂し、再び向かってくるアンテクリストへ。

「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

 ちら、とレディベアを見遣った後、先に向かって行ったのは祈だった。
 祈が見るアンテクリストの動きは、
先程と比べると緩慢で、そして隙だらけに見えた。
橘音が言う通り、アンテクリストは自身の無敵を支える『そうあれかし』を失ったのだろう。
そして今までと違って攻撃が効くのだとすれば。ここが使い時なのかもしれなかった。
――己の命の。

 加速する思考の中、祈は考える。己が何を選択すべきかを。
 ここまで戦って、祈はアンテクリストの精神力の強靭さを嫌というほど思い知った。
数千年もの悲願に裏打ちされた精神力は、祈以上に諦めが悪い。
 おそらく優位性が失われたのも一時のことだ。
唯一神の『そうあれかし』を失っても立ち上がってきたように、必ずなんらかの策を用いて復活してくるだろう。
 万策尽きていたとしても油断はならない。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスには、三神獣を喰らって獲得した驚異のタフネスがある。
東京ブリーチャーズの総攻撃で倒しきれないことも当然の想定の範囲内だ。
 そして倒せなかったとき、赤マントの時に獲得した結界破りの移動能力や、
賦魂の法など、あらゆる手で強引に逃げられてしまうかもしれない。
 そうすれば振り出しだ。
祈から奪った龍脈の因子も持ったままであるし、いずれ再起を図られてしまうだろう。
しかも今度は、より入念に準備をした上で。結果としてより多くの人の血を流すことになるだろう。
 それを防ぐためにも、ここで確実に倒しきらなければならない。
そのためには『運命変転の力』で、その運命を固定してしまうのが手っ取り早いのだ。

(だからあたしは……今、ここで使う――!)

 運命変転は可能性を代償とする。しかも使えてあと1度。
使えば己の死すら考えられる。
 生を捨てるように戦ってきた祈でも、死は怖い。これから先の未来を夢見てきたから。
 だが、祈は知っている。
 『運命なんてものは、自分でいくらでも変えられるもの』だと。
これまでの戦いが、友達が、仲間が、敵だった存在が教えてくれた。
 ここで運命変転を使って命が尽きるなら、その運命そのものを変えてやればいい。
 そう思うからこそ、迷わない。
脳裏に蘇るのは、これまでのアンテクリストの戦い方だった。

 踏み込み、アンテクリストに駆けた――ように見えた祈。
その姿は瞬間的に完全に消え、課と思えば次の瞬間にはアンテクリストの眼前に迫っている。
 ターボババアの都市伝説。
その中には、ターボババアは瞬間移動能力を備えているというものがある。
龍脈によって強化された祈だからこそ、ターボババアのその能力をもフルに使うことができているのだ。
必殺の一撃を当てるために、温存していた技の一つである。
 そうして、不意打ち同然に繰り出した、空中で回し蹴り。
しかしアンテクリストは、脅威の反射神経で対応して見せた。
祈の右脚がトップスピードに乗る前に左手で掴んで止めようとしている。
 攻撃が効くように弱体化したにも関わらず――。

「風火輪! 形態変化!」

 祈の呼びかけに応じ、風火輪のウィールがチェーンソーの如く変化する。
 これも、温存していた技の一つ。
 風火輪は大陸産。
日本に渡ってきてからも長い年月を経ており、とっくに付喪神化していた。
 多甫颯はそれにいち早く気付き、協力関係を築いたからこそ、並の妖怪以上にその力を引き出して戦えたのである。
 風火輪は、意思が弱く自己主張に乏しいが、認めた主人の命令は良く聞き、支えてくれる。
本来の主人である??太子が、斉天大聖を幾度も助け、支えたように。
祈は意思があることすら気付かず、認められたのはごく最近である。
 チェーンソーと化したウィールがアンテクリストの左手の指を切断する。
そして阻むものがなくなった空中で、祈はさらに回転を加えた音速の蹴りを放ち、

「だぁあああああッッ!!!」

 アンテクリストの頭を打ち砕いた。
 同時に祈は、己の内側で何かが砕け散った音を聞く。
それは、紛れもなく己の可能性を失う音。運命変転の力で相手の運命を捻じ曲げた音。

410多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/05/21(金) 01:03:54
 そしてその音は。
――アンテクリストの内側からも響いていた。

 バギバギバギィッ!!

 たたらを踏み、半壊した頭を再生しながら、
アンテクリストは自身の内側で何かが砕けていった音を聞くだろう。

「――おかしいと思ってたんだよな。ミサイル消したり攻撃無効化したり。
あれ、あたしと同じ『運命変転』だろ。なのに、まるで何も消費がねーみてーだった」

 着地しながら祈は言う。
 理と法則を捻じ曲げる現実改変能力、『運命変転』は、本来どうあっても己の運命を代償とする。
だが――。

「ブリガドーン空間の中だからか? それとも自分がなんでもできるって『そうあれかし』があったからか?
おまえは、相手の可能性を奪って『運命変転』を使ってたんだ。
……ま、あたしみてーな半妖じゃ、マネできても一回が限界だな」

 想いが実現し、現実へと成り代わるブリガドーン空間の中で、
自身ならなんでもできるという強い想い込みを持ったなら、可能なのだ。
相手の可能性を奪っての運命変転も。
 それなら自身の可能性を消費しても、相手から補充できるから痛くも痒くもない。
元々神の右腕と称される天使であり、唯一神と呼べるほどに高みに上がった、
アンテクリストのような存在でもなければ使えない大技なのだろう。
死ぬ気で生にしがみつき、己を信じた祈でも、できたのは偶然に過ぎない。この一度が限界だった。

「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

 だが、それで?ぎ取った結果は大きい。
この場からアンテクリストを逃がさず、必ず倒せるように算段を付けられたのだから。
 悪魔の行う契約のように、拡大解釈すれば抜け道も探せるかもしれないし、
アンテクリストはまだ龍脈の因子を持っている。
運命変転でさらに強引に運命を変えるだとかできたりするかもしれない。
 しかしどうあれ。
 ポチとシロが決死の覚悟で切り開いた勝利への道。
それをより確実に勝てるように祈は舗装した。
 あとは、倒しきるだけだ。

411御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:38:09
>「ったく、お前さんは相変わらず自由だな――悪ぃがその約束は守れねぇぜ色男。橘音には嬉し泣きして貰うって野望があるんでな」
>「――――勝つぞ、ノエル」

>「当然!幸せになるに決まってるじゃないですか!
 名探偵の物語は、ハッピーエンドって相場が決まってるんだ!見事、この難事件を解決して――
 物語を締め括ってみせますよ!!」

>「僕は、僕が――僕らが幸せな未来を掴むよ。大事なのは、それだけだ」
>「……いいね、これ」

>「……はい。必ず……。
 私の未来は、狼の王と共に」

>「……ふふ。楽しみにしておりますわ」

仲間達は、それぞれの反応を示しながらノエルの加護を受け取っていった。
その内容は様々だが、全てに共通しているのは、未来への希望。
いかにも最終決戦といった言葉を返してみせた他の仲間達とは違い、祈だけは言葉に詰まった様子で。

>「……情報量が多いんだっつの。とりあえず、助けられてばっかなのはあたしの方だよ。ガントレットありがと」

最終的に言葉として出てきたのは、一見いつも通りの調子のお礼。
その裏にある様々な想いを知ってか知らずか、いきなり(解釈次第では)爆弾発言をするノエル。
もちろん自分が爆弾発言をしたことには気付いていない。

>「バカ!! あたしを今混乱させんな!!
ターボフォームは維持すんのに結構集中力要んだから!」

「混乱……? えっ、あれ!?」

何故か祈が焦っている。ノエルとて、自分が間接的に祈を好きと表明したことになるのは分からないわけではない。
が、別に今までノエルが祈を嫌っている様子はなかったわけで、今更好きと表明されたところで動揺するだろうか。
例えば先ほど、みゆきが橘音に直球で最高のともだちと伝えて、橘音も直球で応えた。
何故祈とはそうはならないのだろうか。
一瞬何かに気付きかけた気がしたが、今はそれどころではなかった。

>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」
>「それに今は最終決戦の――」
>「――途中だろうが!!」

再びぶつかり合う拳と拳。
今度は祈の拳は砕けずに、アンテクリストの拳を見事受け止めて見せた。
が、アンテクリストもさるもので、ノエルの拘束を尾を自切することで逃れると、鋭い爪で祈を貫かんとする。

412御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:41:19
>「死ね!多甫祈ィィィィィィィィィィィィ―――――――――ッ!!!!」

>「おめでとさん。大ハズレだ――――『幻装白景』」
>「……祈ちゃんには指一本触れさせませんよ。師匠」

が、貫いたのは氷の盾。
黒尾王が、先ほどノエルが授けた加護を見事に使い、アンテクリストを出し抜いて見せた。
それだけにとどまらず、そのまま攻撃に転じる。

>「『反転・幻想発勁』」

>「ッ!!ぐお……」

自らの攻撃を返され、ひるむアンテクリスト。

>「羽虫どもが……どこまでも神の行く手を塞ぎに来る!
 消え失せろと言ったぞ、ゴミども!!!」

アンテクリストは妖気を収束され、黒尾王に向けて呪詛の砲弾を撃ち放つ。
予備動作の長い遠距離攻撃となれば、当然ノエルが放ってはおかない。
放たれた呪詛の砲弾の前に何層もの氷のバリアーが現れてゆく手を阻むが、バリアーを砕け散らせながら砲弾が突破していく。

「そんな……!?」

黒尾王が回収した氷の盾でなんとか凌いだのを見て、ひとまず胸をなでおろす。
が、連発されたらどうなるかは分からない。

>『狼獄』

ポチにより、アンテクリストに無数の攻撃が加えられる。
しかし、いくらダメージを与えても瞬時に治癒してしまうのだった。
更にアンテクリストは、膨大な神気を放出し、一同を圧倒する。
祈はアンテクリストの背後に回って蹴りを叩き込もうとしているところだった。

>「弾け飛べ!!!!」

「祈ちゃん!」

氷の盾の生成も至近距離過ぎて間に合わず、祈はうつぶせに地面に叩きつけられた。
一方の後衛組では、危険を察知したハクトが防御妖術を展開する。

「危ないッ!! 月暈《ムーンヘイロー》!」

光のバリアーが現れたのは、ハクトではなく祈の援護のために少し離れていたレディベアの前。
ハクト自身は、ヘリポートの縁まで吹っ飛ばされてボロ雑巾のように転がった。
いくらノエルに怒られても玉兎の性質は抜けないようだが、戦略的にも間違ってはいない。
ブリガドーン空間の器として膨大な力を秘めているレディベアを失うわけにはいかないのだ。

「……乃恵瑠が言ってた。君は祈ちゃんと幸せにならなきゃいけないって……。
だから君に何かあったら困るんだ……」

別に間違ってはいないのだがこの言い回しは祈に言わせると若干ニュアンスが違うらしいが、
ハクトは乃恵瑠の忠実なペットなのでノエルの言ったことを素直に受け止めているのであった。

413御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:44:16
>「くそっ――。まともに喰らっちまっ――がはっ」

「レディベアちゃん……! 祈ちゃんの回復を!」

祈は龍脈の力による回復力も落ちているようだった。
ノエルは辛うじて致命傷を逃れているレディベアに回復を要請する。
そう言うノエルはというとノイズが走ったように姿が消えかかっている。
膨大な神気の爆発により、冷気そのものである存在を吹き散らされそうになっているのだ。
今畳みかけられたら、消滅してしまうだろう。

>「ぅ……ぐ……ッ」

シロもまた、大きく吹き飛ばされて大ダメージを受けていた。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

「シロちゃん!?」

シロが立ち上がっている。とても立ち上がれそうな状況ではないというのに。

>「私……嬉しいです。
 今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
 ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」
>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
 私がここにいることを、無意味と思われないように……。
 私は……私の役目を!果たします!!」

>「はああああああッ!!!」

アンテクリストの下肢に一点集中で攻撃するシロ。
そこに再び『狼獄』を発動したポチが加わる。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが二人に向かって神気を爆発させる。
それでも二人は立ち上がり、果敢に向かっていく。

>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

先ほどまで倒れ伏していた祈が立ち上がっていた。
ノエルも姿が安定している。なんとか存在を繋ぎとめたようだ。
永遠とも思える攻防の末、ついにアンテクリストが膝を突いた。
そう、下肢を一点集中で攻撃されて転んだだけで、戦闘不能になったわけでも何でもないのだが……。

414御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:46:51
>「この私が、転倒しただと……?
 ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
 それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」
>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
 作戦は――『ありません』!!
 後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

これまで様々な策を駆使して強敵との戦いを勝利に導いてきた橘音が、作戦は無いと言い放つ。
作戦が無いのが作戦――小難しいことは考えずに全力攻撃する方が良い結果になるということであろう。

>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
 この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
 世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
 舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

祈は音速の蹴りに乗せて、運命変転の力をアンテクリストの頭部に叩き込んだ。

>「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

「運命変転の力を使ったの……!?」

もちろんノエルは、これが命にかかわる最後の1回、などということは知らない。
が、歴代の龍脈の神子が破滅に至ってきたのは、変革を急ぐあまり力を使い過ぎたからと考えられる。
ノエルは都庁に突入してから祈が運命変転の力を使う現場を直接には見ていないが、
立て続けに使ったのだろうということは想像に難くない。
何しろ赤マントの洗脳を受けていたというレディベアが正気を取り戻したり、
どうやっても意識不明だったのが目覚めた上に進化したりしているのだ。
ノエルは祈の身を案じると同時に、小さな違和感を感じた。
これまで運命変転の力は、絶対の宿命を覆したり、流れを決定的に変えるために使われてきた。
すでに出来た流れを確実にするために使われたのを見たのは初めてだ。
“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”
もちろんその言葉の通りかもしれないが、もしかしたらそれ以上の何かがあるのでは――

415御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/05/23(日) 21:50:10
「ま、いいか。お前を倒して奪われた分の因子を取り戻せばいい!」

アンテクリストを倒して現在奪われている分の神子の因子を取り戻せば、破滅までの残り回数のようなものが増えるのではないかと思い至った。
そうだとしたら猶更、倒すしかない。

「返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!」

ノエルの姿が掻き消え、傘がアンテクリストの目の前に付き立つ。
正真正銘の全力攻撃のため、イメージ映像を維持する力すら惜しい、ということだろう。

――絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

どこからともなく声が響き、傘を中心に凄まじい吹雪が巻き起こる。
領域内のあらゆるものの運動性を奪い停止の世界を作り上げる、絶対零度の結界術――
結果的には時間停止にも等しい技だが、アンテクリストは恐るべき精神力でもって未だに動いていた。
が、その動作は目に見えて緩慢になっている。まるで超高粘度の液体の中に放り込まれたように感じていることだろう。

「ふーん、この中でまだ動いてるなんてやるじゃん……でもッ!」

イメージ映像すら消してしまったノエルの代理のように、ハクトが不敵に笑いながら立ち上がる。
先刻まではボロ雑巾だったが、レディべアに回復してもらったのだろうか。
ところでこちらは絶対零度の領域内で、何故普通に動けているのか――
先ほどノエルが全員に加護を付与した意味は、単なる強化だけではない。
祈が雪山に修行に行った際に雪の女王に施されたのと同じ、冷気の影響を受けない秘術が込められているのだ。
これにより仲間達は、恐るべき停止の世界の中でも、自由に動くことが出来るだろう。

「やあっ!!」

ハクトが跳躍して戦槌を横薙ぎにアンテクリストの翼に当てると、翼は砂が風化するように崩れ去った。
別にハクトが特別なことをしたわけではなく、絶対零度の結界に捕らわれた時点で、炎の翼は存在を維持できなくなっていたのだ。

「炎って水や大地と違って物質じゃないんだって。
燃焼という極めて動的な現象が目に見えているだけのものらしいよ」

いかに本体は気合で動こうとも、動的な現象そのものである炎の翼は流石に存在し続けることはできなかったということらしい。
アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力の源たる三神獣――その無敵の加護の一角が削ぎ落された。

416尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:00:39

戦いは一進一退を繰り返している。
――けれどその拮抗は偽り。
このまま戦い続ければ何れ敗北するであろう事を、尾弐黒雄の勝負勘は正確に認識していた。

現状のアンテクリストの状態を言い表すのであれば

『無敵』

その言葉が相応しいだろう。
東京ブリーチャーズの猛攻をものともしない超硬度と超再生。
そして、一撃与えれば即座に相手を叩き潰すであろう超攻撃力。それらは脅威という他ない。
それに対する東京ブリーチャーズの戦力は有限。
連携と技巧によって無敵相手に同等の戦いを繰り広げているものの、戦いが長引けば消耗し倒れる事は明白だ。

有限では無限を打ち破れない。
最強では無敵に届かない。

それは、絶対の法則だ。
……それでも、尾弐達は大物食いを果たなければならない。己が未来の為に。
無敵を、無限を打ち倒さなければならないのだ。
此処でアンテクリストを倒さねば、僅かに灯った希望の灯は掻き消え、残るのは絶望のみ。
その為に求められる行動。それは、奇跡を待つ事でもなければ神に願う事でもない

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
>私がここにいることを、無意味と思われないように……。
>私は……私の役目を!果たします!!」

必要なのは、泥臭い程の執念。
喰らい付き離さないという覚悟。

無敵と戦う為に無敵になる必要はない。
無限と戦う為に無限になる必要はない。
敵が天上に居るのであれば、そこから引き摺り下ろしてやればいい。

無敵を強者へと零落させよ
無限を有限で上書きせよ

敵の盤上を叩き壊して、別の盤面を押し付ける。それこそ勝利への布石。
そして、今この場でその役目を最も上手く果たせるのが――――ポチとシロ。弐匹の獣。

あらゆる罠を食い破りあらゆる悪意を掻い潜った偉大なる狼王ロボ。
その顛末を知る彼らは、高みから引きずり落とす事の恐ろしさ(つよさ)を最も良く知っている。
そして、新しい世代の彼等だからこそ、その強さを乗り越え――使いこなす事が出来る。

>あの子にも、君にも、巡り会えた。きっとソイツも見つけ出して……転ばせてやるさ
>「……愛しいあなた。私の狼王。
>あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
>だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

アンテクリストの放つ、神罰とも体現出来る威力を程る妖力の波動。
それは黒尾王ですら介入が出来ぬ恐るべき一撃であったが、それを受け尚倒れず。
弐匹の獣は、未来の為にその心を燃やす。

「――――負けるな、ポチ!シロ嬢ッ!!」
>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」

そして吼える様な祈の叫びと同時に、弐匹の獣の執念が偽神を撃ち――――アンテクリストは、地にその膝を付かされた。

絶対たる神が、唯一たる神が、全知全能たる神が
たった弐匹の獣相手に、転ばされたのである

417尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:01:36
>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
>それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」
>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
>作戦は――『ありません』!!
>後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」

そうあれかしは、万能に見えるがその実極めて不安定な力である。
それは、その根底が『想い』から生まれる力であるが故の事。
アンテクリストは、これまでその力を上手く利用してきた。
恐怖を植え付け絶対を演出し、自身が万象を超越した神であると世界に認識させ、ただでさえ膨大であった力を『絶対』の域に昇華させた。
恐らく、これまでの歴史において最も『そうあれかし』を使った存在であると言えるだろう。
だが……アンテクリストの恐怖に屈さなかった人間達が居た様に、その力を完全に支配する事など出来ない。
ポチとシロの攻撃によって転ばされた。ただそれだけの事だが、それこそが神を騙るアンテクリストにとっての致命傷となる。
真実を突きつける探偵が如く、橘音が叩きつけた言葉の通り。

アンテクリストは失った。
『獣』の牙が届くという事を自ら証明した事で
絶対、唯一、無敵、完全――――神。その概念の全てを失ったのだ。

>「……これは、クロオさんの。クロオさんだけの縁(えにし)です。
>ボクがしゃしゃり出ていいものじゃない……。であるのなら、やっぱり。黒尾王の姿じゃいけません」

「ああ、分かってる。随分昔に手前が売られた喧嘩だ――――なら、ケリを付けるのはテメェの拳じゃねぇとな」

今こそが好機。ポチが死力を尽くして上げた大金星に答えなければ嘘になる。
黒尾王から元の姿へと戻った尾弐は、己が因縁を果たすべく拳を握る。

>「さあ……行ってきてください、クロオさん。
>千年間の因縁に、ケリをつけてきてください。
>新しい未来を、ボクと一緒に。創っていくために――」

「―――あいよ」

笑みを浮かべる橘音の瞳に微笑を返してから、尾弐黒雄は橘音の方をポンと叩いて歩を進める。
一言に万感の思いを乗せて。それでも足りない言葉は、また後で沢山話そうと。そう思いながら。

418尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:02:38
>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
>この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
>世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
>舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

絶対性を失っても尚、アンテクリストは強大な力を持つ。
だが、それだけだ。もはや凶星は地に堕ち、人の手が届くものとなっている。
荒れ狂う暴威の前にまず立ち向かったのは多甫 祈であった。

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」
>「風火輪! 形態変化!」

祈はこれまでの戦いを共に戦い抜いてきた相棒とも言える風火輪を繰り、都市伝説を由来とする瞬間移動を以ってアンテクリストへの強襲を行う。
チェーンソーが如きウィールはもはや無敵ではないアンテクリストの指を刈り取り、次いで、加速した蹴りがアンテクリストの頭を撃ち抜いた。
それは完璧な打撃で――――それ以上の意味を秘めた攻撃であった。

>「アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
>“おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな」

そう、祈は『運命変転』の力を用いて、アンテクリストの運命を捻じ曲げて見せたのだ。
恐らく、赤マントとしての謀略はこの場で敗北しても、逃げ永らえる手段を有していたのだろう。
アンテクリストの妄執に果てなど無い。何れ再起し、必ずまた野望へと手を伸ばす。
それを防ぐ為に、祈は運命を変える力で、アンテクリストが手札として持っていた運命を破壊してみせたのだ。
無論、そんな神の如き芸当が何の対価も無く行えるわけがない。彼女は、己が有していた大切な物を支払った。
だが、祈本人が語らない以上、尾弐を含めた東京ブリーチャーズ達にその対価を知る術は無い。

>「返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!」
>――絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

けれど、ノエルはその可能性に辿り着いた。
直観か、或いは自然霊に近いその在り方か。
それとも多甫祈という少女を、ずっと慈しみ眺めてきたが故の帰結か
普段は緩やかなその精神性を氷柱が如く尖らせ、文字通り渾身の一撃を――――生命の存在を許さぬ絶対零度の領域を創りだす。
其れはアンテクリストをして逃れえぬ程の御業であり、ある種の到達点と言っても良いだろう。

祈が退路を塞ぎ、ノエルは羽を捥ぎ取った。
ならば――――次は尾弐の番だ。

419尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/05/30(日) 18:05:19
極寒の中を加護を纏い尾弐は歩を進める。
一歩進むごとに闘気と妖気を練り上げていく尾弐のその様はあまりにあからさまで、当然、アンテクリストもその接近には気付く。
運命を破壊され、動きを阻害されたとはいえ、されど唯一神を名乗った存在。
莫大な妖力は健在であり、身体が動かなくともそれらを術に変えて尾弐へと放つ。

複数の目玉の付いた槍が放たれる。
赤色の雷が空間を迸る。
多数の強酸の鞭が翻る。
具現化した呪詛の弾丸が掃射される。

それらは全て物質ではなく概念に寄った攻撃。
故に、絶対零度の静止の中でも動きを止める事無く、尾弐へと叩きつけられていく。
槍は尾弐の胸を貫き、雷が臓腑を焼き、酸の鞭が肉を溶かし、呪詛は肉体に孔を明ける。

致命傷――――その筈なのに、尾弐の歩みは止まらない。
纏う妖力はその強さをどんどんと増していく。

そうして、満身創痍の様子で尾弐黒雄はアンテクリストの前へ立ち、その口を開く。

「よう、赤マント。こうやって近くから面合わせるのは初めてか?」
「テメェに会ったら色々と言ってやりてぇ事もあったんだがなぁ……考えてみたら、言葉で言い表せるモンじゃねぇんだよな。この気持ちは」

尾弐の言葉を聞く様子も無く振り抜かれたアンテクリストの腕が、尾弐の左肩から胸の半ばまで食い込む。
その一撃に尾弐は口から血を吐くが、それでも一向に倒れる様子は無い。

「そうだよなぁ。外道丸と俺にした事への恨み、橘音への仕打ちへの憎しみ、祈の嬢ちゃんの両親やノエルの姉への行為」
「テメェが無辜の人間達に与え続けた悪意に対する感想が、言葉一つで伝えられる訳がねぇよなぁ?」
「だから――――テメェに全部の気持ちが伝わるように、一つの言語を用意したんだ」

尾弐は左腕で力任せにアンテクリストの手刀をはぎ取ると、凄絶な笑みを浮かべる。
書に綴られるバベルの塔。それが齎した言語喪失以前の共通言語――――それよりも更に昔から存在する、最古の意志疎通手段。

「因果応報――――復讐するは我に有り」
「他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!」

尾弐の右拳が、先ほど祈が蹴りつけた頬を撃ち抜く。
下からの蹴り上げが股下を叩きつけ、返す勢いでの踵落としが肩に叩きつけられる。
更に、掌打は眼球に放たれ、脇腹に回し蹴り、鼻面に頭突き――――

それは止まらぬ嵐だった。
もっとも原始的な暴力に対し、アンテクリストも迎撃を行うが、怯む様子すら無い。
そして、恐るべきは――――尾弐が攻撃を行う度に、その身に負った傷が回復し、攻撃の威力が上がっていく事だ。
始めは然程の痛痒も覚えていなかったアンテクリストであったが、やがてその威力は彼が脅威を覚える程にまで上昇していく。

復讐と暴力。
神より古いその言語は、尾弐が受けた傷と痛みをアンテクリストに押し付ける。
勿論、本来であれば単純である復讐という呪いにそこまでの力は無い。それを可能にしているのは――――

「よう、見えてきたか? テメェに挨拶してェって連中の姿が!!!!」

アンテクリストが今まで利用し、殺してきた人間や妖怪達。
彼らがこの地上に遺した恨みつらみ呪い――――負の想念。
悲劇の中で積み上げられてきた無数の憎悪は地上をさまよい続け、今このブリガドーン空間の中で形を成した。
彼らが望むのは、アンテクリストの死。

おぞましいこの力。負のそうあれかしは、けれど尾弐黒雄にこそ力を貸す。
それは尾弐が人の世の悪を具現化した存在。同じ憎しみを抱く悪鬼であるが故。
詰まる所――――アンテクリストは、世界の正負の両面を敵に回したのだ。

「……さぁて、それじゃあ仕上げと行くかね」

暴力の嵐を一度止めた尾弐は、右手を大きく振りかぶる。
外装を纏うその右腕には、先ほどまで宙を漂っていた負の想念が吸い込まれていき、やがてその形を変える。
その姿を例えるならば――――竜。即ち、神の敵。

構えも無い。技術もない。
弓を放つように打ち出された力任せの一撃は


「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」


アンテクリストの迎撃を正面から破砕し、その鳩尾を撃ち抜いた。

死を願う負の想念。おおよそ正義とは言えない一撃が齎すのは、即ち『不治』の呪い。
命を弄んできた対価が如く、アンテクリストの超再生能力は阻害される。
偽神を守る盾が、また一つ剥がされた。

420ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:45:09
アンテクリストの周囲に血霧の結界を展開。
一瞬の間に百の打撃を打ち込む。
結界が晴れる、或いは破られる。
反撃を躱し、息継ぎをして――再び結界を展開。

その繰り返し。
僅かな動作のぶれ、反応の遅れが死を招く、綱渡り。
失血と過剰な運動量から来る疲労、消耗が募っていく。

そんな緊張の中で、ポチとシロの動きは完璧だった。
息継ぎのタイミング一つでさえ獣の本能によって最適化された、一糸乱れぬ連携。

>「弾け飛べ!!!!」

その連携が――単なる無軌道な神気の爆発によって吹き飛ばされた。
アンテクリストはただ、その無限にも思えるほどの神気を全身から放出しただけ。
たったそれだけでポチの結界は掻き消され、更にはポチ自身も宙へと跳ね上げられる。

「がっ……」

結界と一瞬百撃の乱用により積み重なった消耗。
そこに叩き込まれた極大の反撃。
摩耗した思考回路を、全身を打ち付ける衝撃が塗り潰す。
痛みを感じる事すら出来ない。

ほんの一呼吸ほどの時間だが――ポチの意識は飛んでいた。
気がつけば、ポチはヘリポートを見上げていた。
そして一瞬遅れて気づく。自分が今、頭から真っ逆さまに落下している事に。

「くっ……!」

次に空中で体をよじろうとして、全身が恐ろしく痛む事に気づく。
牙を食い縛り、なんとか不完全ながら受け身を取る。
すぐに体勢を整え、立ち上がり――どことなく、だが確かに、据わりの悪さを感じた。
獣の本能が告げていた。自分が今、不完全な状態にあると。

何だ。何がおかしい。体は痛む――それだけだ。
骨が何本かヒビが入ったり折れたりしているかもしれない。
だがその程度の負傷はもう慣れっこだ。動きが鈍ったりしない。

そして――気づいた。
己の最愛のつがい――その気配が在るべき場所に、己の隣にない。
振り返る。シロはヘリポートの端で膝を突いていた。立ち上がれていない。

当然と言えば当然の事だ。
『獣』の甲冑を纏ったポチですら一瞬、意識の飛ぶほどの攻撃を受けたのだ。

ポチの心臓が動揺によって、強く跳ねる。
だが――ポチは何も言わない。その場から動かない。
ただ、シロが立ち上がるのを待っている。

>「……まだ……、まだ……やれます……!
 こんなところで……弱音なんて、吐いていられない……!!」

今更つがいの覚悟を見誤るポチではない。

421ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:45:29
>「私……嬉しいです。
  今この場に、すべての決着をつける戦いの場に、あなたたちと……仲間たちといられるのが……。
  ここにいてもいいと、皆さんに思って頂けたことが……」

>「であるのなら――私は皆さんの気持ちに応えなければならない。
  私がここにいることを、無意味と思われないように……。
  私は……私の役目を!果たします!!」

「……それさ。少しだけ、違うよ」

極度の失血、全身に負った打撲と骨折――ポチの体はぼろぼろだった。
だが、そのぼろぼろの体の奥底から沸々と力が湧いてくるのを、ポチは感じていた。

「いてもいい、じゃないよ」

この戦いに、この戦場に、逃げ道はない。
自分が死ねば、シロも死ぬ。どこか遠くへ逃げ延びてくれるなんて事はあり得ない。
やれるだけやった、なんて思える時は絶対に来ない。

「少しだけ……だけど、全然違うんだ」

だからこそ、強く思う事が出来る。
絶対に生き残ってみせる。勝ち残ってみせる――シロと一緒に。
その決意が、かくあれかしが、ポチの力になる。

「君が、ここにいてくれて良かった」

そう言ってポチは笑った。
戦場にはおよそ似つかわしくない、晴れやかな微笑みだった。

>「役目だと!
 笑わせるな、貴様らに役目などない!貴様らは所詮、私の手のひらの上で踊る木偶人形に過ぎんのだ!!」

アンテクリストが怒声を上げる。
振りかぶった右拳が伸長し、摩擦熱から生じた炎を纏い、唸る。
ポチとシロをまとめて打ち砕かんとする偽神の拳。
それが己の無防備な後頭部を叩き割る、その直前――ポチはこの世から姿を消した。

そしてアンテクリストの懐へ潜り込む。ポチの姿が再びこの世に現れる。
展開される血霧の結界。先行したシロの後詰を務める形。
一瞬の間に放たれる百の打撃が、アンテクリストの頭部を――

>「はああああああッ!!!」

捉えなかった。
シロが拳を叩き込んだ先はアンテクリストの頭部ではなく、右膝だった。

「え……」

それは、ポチにとっては予想外の出来事だった。
アンテクリストの再生能力を前に、狩人の戦技は通じない。
なのに何故――戸惑っていたのは、ほんの一瞬。
だが、アンテクリストの繰り出す必殺がポチの行く手を阻むには、一瞬あれば十分過ぎた。

シロを狙って放たれた業火と激流。
しかしそれらは余波だけでも十分にポチを殺め得る。
必然、ポチは一手遅れを取る。

>「クズめ!こざかしい!!」

眩い紅蓮に、荒ぶる飛沫に、シロの後ろ姿が塗り潰される。
辛うじて直撃はしていない。だが完全に避けきれてもいない。
命を削るような超至近距離。シロは執拗にアンテクリストの右膝を狙い続ける。

422ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:03
>「あなた……!!」

シロが己の名を呼ぶ。
彼女が何をしようとしているのか、ポチにはもう分かった。
シロは――アンテクリストを転ばせようとしている。

それは単にアンテクリストの思考を阻害するよりも、遥かに困難な試みだった。
アンテクリストには無尽蔵の再生能力がある。
どんな手傷を負わせても一瞬の内に塞がってしまう。
一瞬の内に百を超える打撃を浴びせても、次の瞬間には傷一つ残っていない。

だが――ポチはそんな事は、考えもしなかった。
シロが己の名を呼んだのだ。
どんな事実も、最早惑う理由にはならなかった。

「……いいよ。やろう、シロ」

アンテクリストの懐、その奥深くへとポチは飛び込む。
血霧の結界が広がる。一瞬百撃――狙いは、アンテクリストの右脚。
ただの打撃音が炸裂と化して幾度となく響く。
そのリズムが――徐々に、早まっていく。

傷つき、血を流し、全ての力を振り絞ろうとしているからこそ――ポチの動きを、野生の本能が研ぎ澄ます。
疲労が動作から思考を削ぎ落とす。狩猟本能と生存本能だけがポチを衝き動かす。
無意識のままに身を躱し、視界が霞んでいく中で打撃は鋭さと正確さを増していく。

>「死ね、犬ころども!!!!!」

アンテクリストが両手を突き出す。神罰の如き妖力の波動がポチを襲う。
宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
それでも――どこかにはいる。

妖力の波動が血霧の結界を塗り潰す。
結界もろともポチの全身を灼き尽くす。
『獣』の甲冑のあちこちから、鮮血が噴き出す。
おかげで、かえって血霧の結界が破れる事はなかったが。

とは言え――それも、いつまで持つかは分からない。
アンテクリストの妖力は底なしだ。
いつかは、ポチの血が底を突く。

朦朧としつつある意識で、ポチは考えていた。
一度この場から退くべきだと。
戦いが始まった直後、ヘリポートのあちこちに振り撒いた血痕。
偏在化の力で自分とシロがそちら側にいる事にして、妖力の波動から身を守らなくては。
それが己の能力を活かした、安全で合理的な判断。

>「く、あ、あ、ああああああああ……!!」

にもかかわらず――シロは妖力の波動に塗り潰されながら、更に一歩前に出た。
ポチもそうだった。頭では一度退くべきだと考えている。
しかし何故だか、獣の本能はむしろポチの足を前へと運ぶ。
シロの隣に並び立つように。

半ば無意識のまま、左手を視界の外へと伸ばす。
根拠はない――だがシロも同じ事をしている確信があった。
指と指が触れ合う。絡め合う。互いに引き寄せ、握り締める。

左手が伸びるその先へと振り向く――シロの、満月のような金眼と目があった。

423ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:24
>「……愛しいあなた。私の狼王。
 あなたと一緒に戦えて、私……幸せです。
 だから……最後まで。一緒に、やらせてくださいね」

穏やかな声、微笑み。ポチがシロを見上げるように首を傾げて、目を細めて笑った。

「……僕も今、すっごく幸せ。だから……ずっと、一緒にいてね」

シロと繋いだ左手から、力が湧き立つ。
散々に痛めつけられた肉体は、痛みにもう慣れてしまった。
それでいて全身には力が漲る。ロボ、アザゼル――彼らの、獣たちの未来を願う、「そうあれかし」が。
朧げな意識を、愛と、誇りだけが満たしていく。
肉体と精神に活力が溢れる。

>「やっちまえ! シロ! ポチぃぃッ!!」
>「――――負けるな、ポチ!シロ嬢ッ!!」

すぐ近くにいるはずのアンテクリストの咆哮が、遥か遠くに聞こえる。
それでいて仲間たちの声援は、波動に掻き消される事もなく耳に届く。
今、ここには在るべきものだけがある。

「行こう」

ポチはゆっくりと、前へ踏み出した。
獣の本能がそうさせた――鋭い踏み込みを選ばなかった。

獣の本能はもう気づいていた。ポチの全身に刻み込まれた事実に。
アンテクリストの力は無限でありながら、しかし完全なる無限ではないと。
もし正真正銘、アンテクリストの力が無限ならば、この戦いはとうに終わっている。
アンテクリストが無尽蔵の力を自由自在に扱えるなら、ポチはとっくに死んでいる。
そうでなくてはおかしい。

つまり――偽神の「そうあれかし」は無限の力を秘めているかもしれない。
だが――アンテクリストという器は、その無限の全てを汲み取れる訳ではない。

故に、ポチの歩みは緩やかだ。待っているのだ。
アンテクリストの放つ波動が更に、最大限激化する、その瞬間を。
そして――

「ここ」

ポチとシロの姿が消えた。
宵闇の中、ポチの意識はもう何も見えていない。何も聞こえない。
自分の矮躯にどれほどの体力、妖力が残されているのかも鑑みない。

ただ眼前の敵を転ばせる為だけに研ぎ澄まされた、無我の境地。
響く、一際大きな炸裂音。破砕音――ポチの意識がそこでやっと、一つの感覚を認識する。
己の拳が、何かを打ち砕いた感覚を。

「……げはは」

一瞬の間に放たれた千の打撃が、アンテクリストの右膝を跡形もなく粉砕していた。
アンテクリストが膝を突く。傾くその巨体を右手で支える。
そして血霧が晴れる。ポチは――アンテクリストからやや離れた位置で、仰向けに倒れていた。
自身の一瞬千撃が生む反動に、踏みとどまる事が出来なかったのだ。

それだけなら、まだしも――ポチはそのまま動かなかった。

ポチは狼の化生だ。妖怪でありつつも、血肉を持った生物でもある。
故にポチは生物に付き纏う「そうあれかし」から逃れられない。
この場合は――どんな怪物も、血を流すなら殺せる、死ぬ――そんな「そうあれかし」から。

424ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:47:48
>「この私が、転倒しただと……?
  ふん!だからどうした!下等な犬ころ風情に転ばされたところで、ダメージなど――」

アンテクリストの右脚は既に再生した。
一方でポチは――未だに、立ち上がれないまま。
いつも相手を転ばせた時に身に纏うような、爆発的な妖力の上昇はまるで見られない。
転ばせた者を獲物として殺める送り狼の「そうあれかし」が、満足に機能していない。

それどころか『獣』の甲冑も液状化して、体内へと戻ってしまった。
これ以上滅びの傷を開けたままにしていては死に至ると、『獣』が判断したのだ。

ポチは、その場から動かなかった。
もう戦えるだけの力が残っていないのは明白。
なのにアンテクリストの間合いから逃げようとする素振りをまるで見せない。

だが、その口元には牙を剥くような笑みがあった。

>「いいえ……、それでいい!大金星です、ポチさん!」

頭上から聞こえる橘音の声――そうだ。獣の本能は言っている。
自分の仕事は、もう終わった。自分はやり遂げたのだと。

>「アナタが『転ばされた』……、それが大切なんですよ、師匠!
  それはアナタが格下の妖に一本取られたということの確かな証拠だ、ボクたちの攻撃が効くってことの裏付けなんだ!」

「あー……そう、そういう事さ。お前は僕にまんまとしてやられたんだ……げはは」

ポチが戯言を抜かす。今のポチに出来る事はそれくらいだった。

>「何かいい作戦はないかと考えていましたが、撤回します!
  作戦は――『ありません』!!
  後は、なんにも考えず!ただ皆さんの心にあるありったけの想いを込めて、アンテクリストを攻撃するだけです!!」
 
ポチは倒れたまま、なんとか顔だけを持ち上げて、周囲を見渡す。
シロは己のすぐ傍にいた。深い手傷も負っていない。安堵の溜息が零れる。

>「ふざけるな……、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァァァァァァァァァァァァァッ!!!!
  この私が!新世紀の神が!!貴様ら虫けらどもに一本取られただと?攻撃が効くだと?
  世迷言を!貴様らの攻撃など――すべて!踏みつぶし、蹴散らし、粉砕してやる――アンテクリスト・ペルフェクトゥスの力を!
  舐めるなァァァァァァァァァァァァァァ―――――――ッ!!!!!」

絶叫が聞こえる。

「……まーだ、そんな事言ってるのかよ」

あれほど憎かったアンテクリストの、赤マントの声が心地よかった。

「やっちゃえ、みんな」

そう言って、ポチはヘリポートに頭を預けた。

>「――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな」

半分以上が空に占められた視界に、炎が踊る。
その紅蓮の幕の向こうに祈が見えた。
アンテクリストの間近に飛び込んで、その頭部を強烈に蹴りつける。

「……祈ちゃん」

ポチの意識は朦朧としている。思考の取り留めが緩んでいる。
戦場に在りながら、戦闘に不要な記憶ばかりが脳裏に蘇る。

425ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:48:32
祈がいなければ今のポチはなかった。
ロボの時も、陰陽寮の時だって、祈がいたからポチは今に向かって進んでくる事が出来た。
ポチだけじゃない。祈は自分と関わる全ての者にそうしてきた。
そのくせ、祈はいつだってそれを自分のおかげだとは思わない。
思わないだけならまだしも、そう伝えても認めてくれないのだ。
それが祈の良さだと納得はしている――それでも、

「……今度は、伝わるといいけどなぁ」

ポチが殆ど無意識にそう呟いて――ふと、周囲が急激に吹雪き始める。
ノエルの妖術だという事は分かる。
だが今のポチにはそれがどういった術なのかを考察する事までは出来なかった。

ただ視界は真っ白で、風は心地よい涼しさ。
ポチは戦いの最中だというのについ、早く帰りたいな、なんて事を思った。
テーブル席の下で寝転んで、傍を通った誰かの脛をこする、いつもの日常に。

そんなポチの視界の中で、影が揺れる。
その視覚への刺激がポチの意識を今に呼び戻す。
影は一歩、また一歩と、ゆっくりとアンテクリストへと詰め寄っていく。

「……わお。今までで一番、おっかないかも」

尾弐だ。尾弐がアンテクリストを、赤マントを己の拳の間合いに捉えた。
ポチは――自分がこれから起こる事にわくわくしている事に気づいた。

>「因果応報――――復讐するは我に有り」
>「他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!」

尾弐の拳が、蹴りが、頭突きが――思いつく限りの打撃がアンテクリストを打ちのめす。
いっそ、このままアンテクリストにとどめを刺してしまうんじゃないかと思うほどの暴力だった。
実際には、アンテクリストはそんな柔ではない。
それでも、そう思ってしまったのは――ポチにとって尾弐がいつも、頼りになる存在だったからだ。
尾弐の過去を知って、自分が『獣』の力を使いこなせるようになった今でも、それは変わらない。

>「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」

尾弐の渾身の一撃がアンテクリストの鳩尾を撃ち抜く。

「……それは、困るよ尾弐っち」

そして――ポチが立ち上がった。

「まだ、僕の番が残ってんだからさ」

ついさっきまで、ポチは死にかけていた。
それこそ走馬灯めいた幻覚を見るくらいには。
それでも――この機を逃す事は出来ない。

皆が戦っている間、横になって、微睡み、夢心地でいたのだ。
体力は僅かにだが回復した。
肉体が死の淵から脱した事で――機能不全を起こしていた送り狼の悪性がやっと目を覚ます。
妖力が溢れる。ポチが再び『獣』の甲冑を纏う。

「シロ」

ポチがつがいの名を呼び、そちらへ振り向く。

「やろう。これで最後だよ」

もう一度、手を握ってと左手を差し出す。

「見せてやろうよ。アイツに……ううん、みんなに。僕らの力を」

426ポチ ◆CDuTShoToA:2021/06/08(火) 05:54:55
周囲に渦巻く吹雪に、赤が混じる。ポチの血と妖力が。
血が渦巻き、円を描く。縄張りを成す。
送り狼の縄張りという概念が、周囲を薄暗く塗り替える。
ポチの姿がその場から消えて、

「一瞬千撃」

声だけがどこからともなく響く。

「……なんて生ぬるい事、言ってやらないぜ。お前には」

宵闇の中、ポチはどこにでもいて、どこにもいない。
故に一瞬の内に百でも、千でも、同時に打撃を放つ事が出来る。

「『無間』」

その気になれば――つまり多重同時打撃の反動と消耗を度外視すれば、それ以上でも。

「『狼獄』」

狼獄の中。ポチは一瞬の間に何発もの攻撃を繰り出す事が出来る。
だが、どこにでもいてどこにもいない肉体をどう動かして、一瞬の間に千の打撃を放つのか。
そのからくりは獣の本能にある。本能的な動作制御。つまりポチ自身も分かっていない。
だから――この無間狼獄もそうだ。
ポチは今から、自分が何発の打撃の繰り出すのか分かっていない。

「がお似合いだ……なんてね」

分かっているのは、ただ一つ。
自分がこれから力の限り、アンテクリストを殴り続けるという事だけ。

直後――雷鳴のような、無数に重なった打撃音が響いた。

ポチの後ろ回し蹴りがアンテクリストの顔面を再三、破壊する。
右手が大振りの弧を描く。牙を模した甲冑の指先がアンテクリストの喉を引き裂く。
閃く、両手で同時に放つ五本貫手。肋骨の隙間から肺を貫き、指先で抉る。
無数の打撃がアンテクリストの急所を襲う。

そして、一瞬が過ぎた。

辺りを包む薄暗闇が砕け散る。暗闇の破片が宙に舞い、現実に溶けて消える。
結界が破れた。アンテクリストの反撃によってではない。
一瞬の中に圧縮された無間の連打の反動に、ポチ自身の結界が耐えかねたのだ。

「――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?」

暗闇が完全に晴れると、アンテクリストは血塗れだった。
全身の急所を貫かれ、引き裂かれ――更には両脚を完全に砕かれ、その場に膝を突いている。
その状態から倒れる事を拒みたければ、手を突いて体を支える他ない。
ちょうど、王の御前でそうするように。

「まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ」

嘘だ。単に、もうパンチ一発放つほどの体力も残っていないだけだ。
『獣』の甲冑は再び体内に戻ってしまったし、
送り狼の悪性から溢れる妖力も、無間狼獄によって使い果たした。

それに――仮にまだ余力があったとしても、やはりポチはこれ以上アンテクリストを攻撃しないだろう。

かつてロボと戦った時、ポチは彼を終わらせるのは自分の役目だと思った。
あの時と同じ感覚だった。
アンテクリスト――赤マントにどんな結末を与えるにしても、それを為すのは自分じゃない。
それは、あの子の役目だ――何の根拠もないが、きっと間違いないと確信があった。

427那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:05:27
ポチとシロ決死の攻勢がアンテクリストの右膝を破壊し、終世主は転倒した。
格下の妖怪でも、死力を尽くせば無敵の偽神に有効打を与えることが可能だと、ポチとシロが実証したのだ。
何者も絶対神を打倒することはできない――アンテクリストの纏っていた『そうあれかし』を、
東京ブリーチャーズの『そうあれかし』が打ち破った、それは証明だった。

「ガアアアアアアアアアアッ!!!!」

しかし、アンテクリストはまだ無尽蔵の体力と憎悪、憤怒をその身に纏っている。
仮に無敵という特性をポチたちに奪われたとしても、無力化とは程遠い。

>――んじゃ、あたしから行かせてもらおうかな

そんな咆哮を上げながら突進してくるアンテクリストの前に最初に立ちはだかったのは、祈だった。

「死ねエエエエエエエエエッ!!!!」

アンテクリストが紅蓮の焔に包まれた右拳を振りかぶる。無敵の特性を喪おうとも、その攻撃力・破壊力には僅かの衰えもない。
まともに喰らえば祈の肉体は砕け、即死は避けられない。
が、当たらない。祈はアンテクリストの真正面数十メートル先から忽然と姿を消したかと思うと、
次の瞬間には両者の間にあった距離を無かったものとし、その眼前に出現していた。
祈が空中で回し蹴りを繰り出そうと身体を最大限に捻る。
常人であれば成す術もなく喰らっているだろう。しかし、アンテクリストは常人ではない。
この世界において最高の身体能力、感覚、そして妖力を有した、ありとあらゆる生物の頂点に君臨する存在なのだ。
アンテクリストには祈の動きがまるでコマ送りのように見える。
だから、祈が繰り出そうとしている蹴り足が最大限加速するその前に掴んでしまおうとした。
後は祈をコンクリートの床に叩きつけるなりすればいい、簡単な話だ――

>風火輪! 形態変化!

キュィィィィィィィィィン!!!

祈の言葉に反応し、風火輪が急激に変化してゆく。バシャッ!と音を立てて靴裏が一瞬開き、
内部から細かくパーツ分けされた装甲が展開してウィールとその固定具を覆ってゆく。
4つのウィールに戦車の無限軌道めいた鎖鋸が装着され、甲高い音を立てて回転を始める。
複雑な変形機構を経て形態を変えるその様子は、まるで車や飛行機が人型ロボットに変形して戦う映画のCGのようだった。
祈がこれまでの戦いにおいて絆を結んだのはレディベアやコトリバコ、姦姦蛇羅たちばかりではない。
富嶽がかつて母親の使っていたものだと祈に譲渡した妖具・風火輪。
対ロボ戦以来ずっと一緒に戦ってきた妖具もまた、祈の心に感応してその真の姿を解き放っていた。
風火輪の高速回転する刃が、アンテクリストの左手の指をまるでソーセージか何かのように斬り飛ばす。

「な……」

バラバラになって宙に散らばる自身の指を見て、アンテクリストは瞠目した。
祈の攻撃はまだ終わらない。さらに祈は空中で自身に回転を加え、強力無比な蹴りを偽神の頭頂に叩き込んだ。

>だぁあああああッッ!!!

ひどくスローモーションな空気の中、祈の爪先がアンテクリストの頭部を粉砕する。
頭蓋が陥没し、眼底が砕ける。頭を半分以上胴体にめり込ませ、偽神は巨体を大きく仰け反らせると、よろよろと後退した。

「ゴ、バ……」

今までにない痛み。感じることのなかった衝撃。
だが、アンテクリストの感じたのはそんな肉体表層のダメージだけではなかった。

>――おかしいと思ってたんだよな。ミサイル消したり攻撃無効化したり。
 あれ、あたしと同じ『運命変転』だろ。なのに、まるで何も消費がねーみてーだった
>ブリガドーン空間の中だからか? それとも自分がなんでもできるって『そうあれかし』があったからか?
 おまえは、相手の可能性を奪って『運命変転』を使ってたんだ。
 ……ま、あたしみてーな半妖じゃ、マネできても一回が限界だな

着地した祈が告げる。
そうだ。それが今まで敵対する者すべてを圧倒的な力で捻じ伏せ、無力化させてきた唯一神の力のからくりだった。
祈から龍脈の神子の因子を掠め取り、レディベアからブリガドーン空間の支配権を奪い取ることによって、
アンテクリストは他者の運命に干渉し、それを改変するという唯一無二の力を手に入れていた。
しかし――祈の使った最後の運命変転の力とアンテクリストの運命変転の力が相殺することで、
もう偽神がこれ以上他者の運命を弄び、自儘に変転させることはできなくなった。

>アンテクリスト。おまえはもうあたしに運命を変えられた。
 “おまえはここであたしらに倒されるし、逃げられもしない”。もう諦めんだな

「ゴボッ……、莫迦な、莫迦な……莫迦な……ッ!
 この!この神が……神になるべき私が!なぜ、力を奪われる……万能の力を喪わねばならん……!
 間違いだ……、こんなことは!何かの間違いだ……!!
 ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――――――――――ッ!!!!!」

ゴボゴボと血泡を噴き出しながら、アンテクリストが頭部を復元させる。
が、その獣じみた表情に絶対神、唯一神たる余裕はない。
運命を変えたという祈の言葉が単なる強がりの虚言ではないと理解したのだろう。
自らの中にあった『神の力』が祈の干渉によって確かに砕け散ったのを、アンテクリストは感じていた。
ただし、それは同時に祈が龍脈の神子としての力を使い切ったことの証でもある。
この後祈の身に何が起こるのかは、誰にも分からない。

428那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:08:57
「まだだ……!まだ、私はやられてはいない……!
 神が下等な妖怪どもに敗北するなど、あってはならない……!そんなはずはあり得ない……!!
 貴様らさえ……貴様らさえ、殺せば……!私はまた、絶対的な……力、を……!!」

祈の渾身の一撃によって自身を神と定義づける最大の要素を喪ったにも拘らず、アンテクリストの心はまだ折れてはいなかった。
どころか、なおも東京ブリーチャーズを殲滅しようと全身に禍々しい妖気を充溢させる。
アンテクリストの最も恐るべき力とは、他の追随を許さない莫大な妖力でも。他者の運命を変転させる力でも。
世界最高最悪と言われる智謀でもなく――その執念にあるのかもしれなかった。
二千年の刻を超え、自らの悲願をどんな手を使ってでも結実させようとする、強い想い。
それがアンテクリストの力を支えている。『そうあれかし』となっている――。

しかし。

どれほど強い願いであろうとも、それが当人以外に不幸を齎すのならば、挫く以外に選択肢はない。
今まで多くの者たちと戦い、多くの想いに、『そうあれかし』に触れてきた東京ブリーチャーズだからこそ。
偽神の野望は、完全に粉砕しなければならないのだ。

「ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

アンテクリストの巨大な炎の翼が一度羽搏く。水で構成された長大な尾が蠢く。
取り込んだ三神獣の力は、まだまだ健在ということだ。
鋼の棒が幾重にも絡み合って構成されているような、強靭な四肢に力が籠もる。
運命変転の力を使い切ってしまった祈には、アンテクリストの攻撃を避けるのは難しいだろう。
が、それは祈がひとりで戦っていたとしたら――だ。
祈は孤独ではない。その周囲には、何より頼れる仲間たちがいる。

>返してもらうよ。みんなの……祈ちゃんの未来を!
  
次に飛び出したのはノエルだった。今にも祈へ飛び掛かろうとするアンテクリストの前に、大きな傘が立ち塞がる。
そこから猛烈な風雪が迸ったかと思うと、瞬く間に偽神の巨躯を覆い尽くす。

>絶対零度領域(アブソリュートゼロサイト)!!

「小賢しい……!こんな、雪妖の妖術ごときが……!!」

アンテクリストが抵抗する。万物を瞬間的に凍結させる絶対零度の吹雪さえ、
偽神の行動を完全に停止させることはできない。
が、その肉体は冷気に覆われ、動きが急速に鈍ってゆく。

「ぐ、ぉ……!
 わ……忘れていた……、こいつは……アスタロトが死んだとき……力を暴走させた、災厄の……魔物……!
 こいつも……もっと早くに、殺しておきさえすれば……。
 私があの子狐に目を付けたとき、さっさと……始末しておいたなら……!
 こんな、こと……には……!!」

吹雪によって体表を凍り付かせながら、アンテクリストは呻いた。
かつて、ごんの憎しみや怨念に凝り固まった魂を腹心の回復に利用しようと画策した赤マントは、
ごんの墓に縋りついて泣くノエル――みゆきの姿を確認していた。
ごんの魂を手に入れたい赤マントとしては、墓に取りすがって何日も泣き叫ぶみゆきをさっさと排除してもよかったのだが、
妖力を暴走させ村を氷雪に閉ざすみゆきの姿を見て、面白いと敢えて放置していたのだ。
親友を喪った絶望の慟哭が、吹雪によって死んでゆく村人たちの怨嗟が、心地いいと感じたから。
自身の目的よりも、目先の快楽を優先してしまったから――。
その結果が百年以上の時間を経過し、今。巡り巡って我が身に降りかかっている。
二千年来の計画を挫く脅威のひとつとして。

>ふーん、この中でまだ動いてるなんてやるじゃん……でもッ!

吹雪の中、それでもノエルの大傘に攻撃を加えようと紅蓮の焔を右腕に纏わせたアンテクリストであったが、
その偽神の目の前に小さな白い影が現れる。
白い影、ハクトは身軽に跳ねると、アンテクリストの燃え盛る翼へ戦鎚を叩きつけた。
途端、それまで勢いよく噴き出していた翼の炎がその形を失い、ザラザラと砂のように崩れて消えた。

「ぐ、ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!!!」

>炎って水や大地と違って物質じゃないんだって。
 燃焼という極めて動的な現象が目に見えているだけのものらしいよ

三神獣の力のうち一つを打ち消され、アンテクリストは絶叫した。
吹雪は依然周囲に荒れ狂っており、まともに身体を動かすことが出来ない。
それでも、自らの絶対性を信じることによって前に進む。
恐るべき執念の力で、東京ブリーチャーズを根絶しようとする。

だが――そんな唯一神の前に、今度は尾弐が立った。

429那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:12:37
荒れ狂う猛吹雪の中、尾弐がゆっくりとアンテクリストへ向けて歩を進める。
全身には膨大な闘気と妖力が満ち、それは尾弐が偽神へと距離を詰めるごとに鋭く、強く研ぎ澄まされてゆく。

「次は……貴様か……!
 ……はは!私は貴様のことをなんでも知っているぞ……!忘れたか!?
 私が外道丸を妖壊に堕とし!貴様を嵌めて牢獄に捕え――酒呑童子の!外道丸の心臓を啖わせ!
 貴様に千年の呪いを施してやったことをな……!
 私にはわかる!貴様の恐れるものも、苦手とするものも――!!!」

ぎゅばっ!!!!

哄笑するアンテクリストの全身から、悍ましい妖力の凶器たちが放たれる。
それらは槍の、雷霆の、鞭の、弾丸の姿を取った『概念』であった。
『当たれば腐る』『受ければ死ぬ』そんな呪詛そのものの攻撃が、尾弐の肉体に容赦なく命中する。
むろん、普通の妖怪に受け切れるものではない。待っているのは死、ただそれだけだ。
アンテクリストは獣面をにやり……と笑みに歪めた。
かつて運命を弄び、呪い、一匹の悪鬼に変容させてやった尾弐ならば、祈やノエルと違って与しやすいと思ったのだろう。

だというのに――

「な……、なぜ死なん……!私の呪いを、神罰を受けて、何故貴様は生きている……!?
 どうして平然としているのだ……!!!」

尾弐は死なない。肉体を穿たれ、臓腑を侵され、魂にさえダメージを負っているはずなのに。
アンテクリストは驚愕した。

>よう、赤マント。こうやって近くから面合わせるのは初めてか?
 テメェに会ったら色々と言ってやりてぇ事もあったんだがなぁ……考えてみたら、
 言葉で言い表せるモンじゃねぇんだよな。この気持ちは

「黙れ!!」

びゅおっ!!と音を立て、偽神が間近に到達した尾弐へ右の手刀を袈裟に叩きつける。尾弐の左鎖骨から胸骨がへし折れる。
まず間違いなく即死級の一撃だ。しかし、それでも尾弐は斃れない。平然と言葉を紡ぐ。
 
>そうだよなぁ。外道丸と俺にした事への恨み、橘音への仕打ちへの憎しみ、祈の嬢ちゃんの両親やノエルの姉への行為
 テメェが無辜の人間達に与え続けた悪意に対する感想が、言葉一つで伝えられる訳がねぇよなぁ?
 だから――――テメェに全部の気持ちが伝わるように、一つの言語を用意したんだ

「ヒッ……」

尾弐の背で、何かが陽炎のようにぼんやりと蠢く。唯一神は一瞬、喉に物の詰まったような引き攣った声をあげた。
まるで、大津波が押し寄せてくる前触れのような。大地震の予兆のような、恐るべき力の到来を感じる。
そして。
まさしく悪鬼と言わんばかりの兇悪な笑みを浮かべると、尾弐は千年の怨恨をぶつけるかのように攻撃を始めた。

>因果応報――――復讐するは我に有り
 他の連中にさせられねぇ分まで、俺が存分に語ってやるよ。暴力って言語をなぁ!!!!

それはまさに暴力の嵐と言っていい乱打だった。
今まで尾弐が激戦の中で開眼し、会得し、身に着けた闘争技術のすべてを結集し、復讐の名の許に叩きつける攻撃の暴風。
ただし、それも神の力の前には微風に等しい。

「ハハ!ハハハハハハハハ!!
 それが貴様の全力か!?下らん!実に下らんな―――!!
 この程度の攻撃!どれほど受けようと、この神の肉体に……は……!?」

そう。神の肉体の前には、尾弐がどれほど全力を振り絞ろうと無力――のはずだった。
だというのに、尾弐が攻撃を続けるたび、その一打が重くなってゆく。神の肉体に、その臓腑に響く。
いつしか満身創痍であったはずの尾弐の肉体は完全に回復していた。
左頬を鉄拳で殴り抜かれ、牙が数本纏めてへし折れる。上顎と下顎の噛み合わせがずれ、よろりと巨体が傾く。

「……な……に……?」

尾弐の攻撃は止まらない。その拳が、脚が、削岩機よろしく偽神の無敵であるはずの肉体を削り取ってゆく。

「ギ……ギャアアアアアアア――――――――――ッ!!!!」

堪らず偽神は絶叫した。

>よう、見えてきたか? テメェに挨拶してェって連中の姿が!!!!

尾弐が吼える。
そして、アンテクリストは確かに見た。今までは陽炎のようにぼんやりとしか見えなかった、尾弐の背に蠢く何か。
その正体を――今まで自分が為してきた悪逆の犠牲となった無数の存在達が抱く、怒りと憎しみの『そうあれかし』を。

「そ、そんな……そんなはずがない……!
 私は、貴様の何もかもを……知って……。なのに、こんな……お、怨念だと……?
 こんな虫ケラどもの恨みなど、何千何万集まったところで、なんの痛痒もないはず……!
 なのに……なんだ、この力は……こんな、こんな力は知らない……分からない……!!」

>……さぁて、それじゃあ仕上げと行くかね

尾弐の右腕に怨念が集まってゆき、鋭い爪を備えた何かの腕を形作ってゆく。
かつて天魔ヴァサゴの尾を一撃で刈り取った異形の腕、その何百倍もの力を秘めたそれは――竜の腕。

「お……おのれ、おのれ……おのれェェェェェ――――――ッ!!!!
 貴様、ごときがァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

アンテクリストもまた右腕を繰り出す。目にも止まらない速度で撃ち出される、神の鉄槌。
が、尾弐の竜腕と真正面から激突した瞬間、偽神の右腕はその上腕までヒビが入ったかと思うと粉々に爆裂した。

>―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!

尾弐の、そして今まで赤マントの犠牲となった者たちの念が籠もった拳が、アンテクリストの鳩尾を痛撃する。
そして、その瞬間。
神を構成する不死性、その要素はアンテクリストの肉体から跡形もなく揮発していた。

430那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/06/12(土) 16:17:46
「ご……ェェェェ……」

尾弐の竜腕に鳩尾を穿たれ、血ヘドを吐いたアンテクリストは3メートル近い巨躯を深い『く』の字に折り曲げて悶絶した。
祈によって運命変転の力を奪われ、ノエルの手で背の翼ジズの力をもぎ取られ、
尾弐の拳でレビヤタン由来の超回復能力を揮発させられた。
しかし、まだアンテクリストは無力化してはいない。
だから――

>……それは、困るよ尾弐っち
>まだ、僕の番が残ってんだからさ

次は、ポチの番だった。
瀕死の重傷であったはずのポチの肉体が、再度獣の甲冑を纏う。つがいの名を呼ぶ。

>シロ
>やろう。これで最後だよ」
>見せてやろうよ。アイツに……ううん、みんなに。僕らの力を

「……はい、あなた」

ふたりの手が繋がれる。
深い愛情で結ばれたその行為は、しかし。狩りの符丁、処刑の合図だった。

>一瞬千撃

血に染まった吹雪が赤黒く縄張りという名の結界を構築する中、ポチの声がどこからともなく響く。
ポチの縄張りの中では、ポチはどこにもいないと同時にどこにでもいる――ゆえに、その攻撃は不可避。
アンテクリストはいわば、ポチの腹の中に落ちたも同然であった。

>『無間』
>『狼獄』
>がお似合いだ……なんてね

無間狼獄。狼獄を超えた、それは究極の狩りの姿。
そして、そんなポチの結界の中で一筋の光が眩く輝く。
シロだ。シロは夫が攻撃を繰り出すのに合わせ、ブリガドーン空間の中でのみ可能な自らの奥義を繰り出そうとしていた。

「絶技―――真氣狼(しんきろう)!!!!」

ぶあっ!!!

ポチの縄張り内に、百体以上のシロが現れる。
今までのシロは十一体の影狼を出現させるのが精一杯であったが、
ブリガドーン空間と愛する夫の縄張りの中では、自分の限界以上の力を発動させることが可能であるらしい。
そして――結界内に耳を劈く轟音が鳴り響くと同時、ポチの攻撃がアンテクリストへと叩きつけられた。
その拳が、蹴りが、アンテクリストの巨体へ吸い決まれるように突き刺さる。
と同時、ポチのラッシュに追い打ちをかけるように、百体以上のシロが全方位からの突進を仕掛ける。
アンテクリストは成す術もなくすべての攻撃を喰らい、悲鳴を上げることさえ許されずか細い呻きを漏らした。

「ぁ……が……」

アンテクリスト――赤マントにとって東京ブリーチャーズは最初から脅威たりえない、玩具のような存在であったが、
中でもポチは欠片ほども興味を引かない存在であった。
直弟子である橘音や親の代から因縁のある祈、千年前に呪いを与えた尾弐。
手駒のひとりクリスの妹であったノエルなどと違い、赤マントとポチの関わりは薄い。
偶々そこにいるだけの、なんの価値もないちっぽけな送り狼の仔。それが赤マントの評価であったのだ。
そんな矮小な獣がまさか狼王ロボや山羊の王アザゼルといった錚々たる獣の王たちを斃し、未来を託されるなど思いもよらなかった。
ポチにロボやアザゼルを焚き付けたのは、紛れもなく自分だ。赤マント自身がポチの成長する余地を与えてしまった。
赤マントは完全に読み違えた。ポチを侮り、軽んじすぎた。
そのツケが、今回ってきている。

「そん……、な……。
 私が……間違えた……?私は……どこで……どのあたりから、道を……間違えた、のだ……?」

つがいの狼たちの攻撃は一瞬。だが、その一瞬の間に圧縮された無間がある。
ふたりの攻撃の前に耐久値を超え、結界がガラスのように砕け散る。
そこにはポチとシロ、そしてそのふたりの前に両手をついた血まみれの偽神の姿があった。
それはあたかも、王前で民がこうべを垂れるような――。

>――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?

甲冑を解除したポチが告げる。
シロがその小さな身体を支えるように傍らに寄り添う。

>まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ

そう言うと、ポチとシロはアンテクリストの前から退いた。
ポチとしてはガス欠を誤魔化す減らず口に過ぎなかったかもしれないが、アンテクリストからすれば情けをかけられたも同然だ。
ベヘモットを由来とするアンテクリストの頑健な肉体は、狼たちの攻撃によって今や見る影もなく朽ちかけている。
ボロボロと土くれか何かのように肉が崩れ落ち、獣じみた面貌の中から元のアンテクリストの顔が覗く。
肩で大きく息を吐き、アンテクリストは東京ブリーチャーズをねめつけた。

「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
 わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
 私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」
 
完全に砕かれた両脚に、ぐ、ぐ、と力を込める。
偽神は尚も立ち上がろうとしていた。

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432多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:22:48
 アンテクリストとの最終戦。ポチとシロが開いた血路。
それに続き、祈は打ち下ろすような縦回転の蹴りで頭蓋を砕き、運命変転の力で敗北の運命を与えた。
 ノエルは凄まじい吹雪で動きを止め、ハクトとの連携で、ジズの与えた炎の翼を奪う。
 尾弐は連打と強烈な呪いを込めた一撃で、レビヤタンの与えた不死性を失わせた。
ポチとシロが放った『無間狼獄』と『絶技真氣狼』が、ベヘモットの与えた強靭な肉体を打ちのめした。
 両手と膝をつき、ボロボロのアンテクリスト。
 完全な、アンテクリストの敗北だった。

>「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
>わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
>私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」

 だがそれでも。アンテクリストの心は折れなかった。

>「グ……、グォォォォォォォォ……!!」

 打ち砕かれた肉体を立ち上がらせようと、砕かれた膝を再生させて、ボロボロの肉体に力を込めていく。
アンテクリストの体表で血がボコボコと泡立ち、アンテクリストの体を紡ぐ。

「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

 二千年もの間抱き続けたという執念は曲がることはない。
 その根源に何があるから立ち上がるのか、
唯一神になってこの世界を悪に染め上げることがなぜ彼の悲願となったのか。
そんな疑問が祈の脳裏をよぎった。
 こちらの言葉など聞こえていないように、敗北の運命を与えても倒せない怪物は、体を起こし終えた。
敗北したところでそれが終わりではないとでも、示すかのように。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
>私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

 ただ。その肉体は、無理やり再生させたからなのか、酷くバランスに欠けていた。
目の前の敵を上回ろうとした結果なのだろう。
 失った炎の翼の代わりにノエルの冷気を取り込む算段か――樹氷を背に生やしたが、
ノエルに対抗できる熱の力を失っているし、精霊のノエルほどの冷気を扱えるかどうか。
 ポチやシロに転ばされまいと、下半身を血や筋繊維、血管などでできたものへと変えたようだが、
機動力は完全に削がれただろう。
 尾弐を腕力で上回るべく肥大化したであろう右腕は、魔人か竜かという爪をも備え、
当たればすべてを破壊し切り裂くに違いなかった。
しかしそれを支える肝心の下半身があの不安定な有様では、その拳と爪を当てることはできまい。
 体長はさらに数メートル延びつつあるが。それはまるで。
 破れかぶれのでたらめだった。

>「……これが、二千年の間求め続けた願いの果て……。
>多くの人々を、妖怪を、生きとし生ける者たちを不幸にしてまで手に入れた力の結果なのですわね……」

 レディベアが、憐みに似た視線をアンテクリストへと向けながらそう呟いた。

 深刻なダメージ。精神への負荷。妄執。無理やりに再生させた肉体。
さまざまな要素が絡み合い、アンテクリストはもはや理性を失い、暴走状態にあった。
 眼もまともに見えていないようで、ブリーチャーズの幻影を倒そうとがむしゃらに振り回す右腕は、
周囲を破壊はしても、祈たちに届くことはない。
 いっそ哀れにすら思える有様だが、ある意味この暴走状態こそが、
アンテクリストにとっては最善手と言えるのかもしれなかった。
 このブリガドーン空間において、【自分が最強無敵の神であると思い込んだ狂人】ほど危険なものはない。
目の前の現実を受け入れず、精神の殻に籠ったアンテクリストは、
こちらの行動や言葉の影響を受けない。
肉体的なダメージも通らないのなら、文字通りの無敵だ。
 ノエルが放った「絶対零度領域《アブソリュートゼロサイト》」によって、成長速度は遅くなっているが、
自身のそうあれかしで自己強化を続ければ、今度こそ手の付けられない状態にまで成長してしまうだろう。
 そして最後の、世界を終わらせるほどに強力な必殺技も一発分残していたと思われる。
いつ爆ぜるともわからない巨大な爆弾のようなものなのだ。
 かえって追い詰められたのは、ブリーチャーズの方なのかもしれなかった。
 だが、これだけの攻撃を浴びせて完全に倒しきれない相手をどうすればと、祈が思案していると。

433多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:26:10
>「祈。次の攻撃が、きっと最後となるでしょう。
>今までの、長い長い戦い……そのすべてに。あらゆる宿命に、因縁に、決着をつける終焉の一撃――。
>一緒にやりましょう。あなたと、わたくしと……ふたりの力を合わせて」

 レディベアが祈に、そう言葉をかけるのだった。
それはつまり。

「っ! 龍脈とブリガドーン空間の力の融合……そのやり方がわかったってことか!?」

 ポチが提案した、アンテクリストのやり方を模し、首を絞める作戦。
それを実行するには、二つの力の融合が必要不可欠だった。
 運命変転さえも叶える莫大な星のエネルギー『龍脈の力』と、
そうあれかしをダイレクトに影響させ、想像をも実現できてしまえる『ブリガドーン空間の力』。
それらを融合させれば、アンテクリスト同様に、全知全能のごとき力を発揮できただろう。
だが結局、そのやり方がわからないために、祈とレディベアでは実行できなかったのだ。
 このブリガドーン空間にあっても、二人が意思を一つにするだけでは足りなかった。
 レディベアの言葉は、そのやり方がわかったと、暗にそう告げていた。
 そういえば、「今なら攻撃が効く」といって、アンテクリストへの集中攻撃の号令をかけた橘音が、
アンテクリストへの攻撃に参加していない。
 このままではアンテクリストを倒しえないと見て、
皆が攻撃を加えている隙に、策をレディベアに授けたのかもしれなかった。

>「それなら、コイツを使いな」

 祈にとっては聞きなれた声と――ひゅんひゅんという風切り音。
風切り音はやがて、ドッという、東京都庁屋上のヘリポートに突き立つ固い音へと変わる。
 そこに突き立っていたのは、柄から切っ先までが鉄でできた、旧い片刃の直剣。
 神剣――天羽々斬。
 そしてそれを運んできたのは。

「ばーちゃん!!?」

 多甫菊乃であった。ヘリポートの非常階段から上ってきたらしく、その脇に佇んでいる。
祈はそちらに目を遣って、驚きの声を上げた。
 橘音はもしかしたら、再び東京都庁を上る前には既に菊乃に話をつけており、
必殺のタイミングで呼び出せるように手配していたのかもしれない。
 祈は、天羽々斬に視線を落とし、呟く。

「……そうか。二人の力を合わせるって、“そのままの意味”なんだ」

 天羽々斬をはじめ、神剣や妖具といった類のものは、
使用の際に必ず生命力や妖力といった力を込めなくてはならない。
 祈が天羽々斬を使おうとすれば、祈を通じて龍脈の力が天羽々斬に流れ込む。
レディベアが使おうとしても、ブリガドーン空間の力が取り込まれるだろう。
つまり二人で使えば、天羽々斬の内側で、『二つの強大な力が混ざり合う』。
 祈とレディベアは半妖で、未熟な器。
どちらかに妖力を預けても、その強大な力に耐えきれず致死もありうる。
 神の右腕として創造されたベリアルだからこそ、
掛け合わせれば無限にも成りうる二つの力を、その体に同居させて使えたのだろう。
 だが神話の時代から語り継がれる神剣・天羽々斬なら、
龍脈とブリガドーン空間の力を受け止める器となり得る。
 二つの力を組み合わせて使うことができる。

>「使い方は覚えてるだろうね、祈?
>戦いの決着にゃお誂えの武器だろう、最後の最後だ……思いっきりやってやんな」

 それに、祈が使い方を知っている数少ない神剣。この場においてこれ以上に適した武器はない。

「――わかった!」

 祈は天羽々斬に駆け寄り、床から引き抜く。
握った柄の硬い感触に懐かしいものを覚えながら、
同じように駆け寄ってきたレディベアにも掴ませ、二人で構えた。

434多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 17:32:02
>「ゴオオオオオオオオオッ!!!!!
>多甫……祈ィィィィィィィ!!!!レディベアアアアアアアッ!!!!」

 狂気を帯びたアンテクリストの眼が、偶然にも幻覚でなく、
本物の祈とレディベアを捉えた。
 あるいはこちらの攻撃の意思を読み取ったのか。
血だまりと化した下半身をうねらせながら、祈とレディベアへと向かってくる。
 それを見たレディベアが、祈の手を軽く握った。
恐怖からではない。
 祈がレディベアを見ると、温かい気持ちの込められた隻眼と目が合う。

>「温かな手。優しいぬくもり。冷え切っていたわたくしの心は、魂は、祈……あなたのこの手に救われました。
>わたくしはこれからも、ずっとずっとあなたと一緒にいたい……ふたりで未来を歩いてゆきたい。
>大好きな祈、わたくしの大切なおともだち……。
>この手をずっと、離さないでいて下さいましね」

 そんな言葉を放つレディベアに、祈も微笑み返した。

「……あたしらはニコイチ。ずっと変わんねーよ。心配しなくてもな」

 なにせ、祈が運命変転の力を使えたのは、レディベアを信じていたからだ。
 アンテクリストを逃がさずに確実に倒すためには、
アンテクリストの運命を敗北で固定する必要があると思われたが、
自身に残された可能性を使うのは祈も惜しい。
 祈の中には、
『アンテクリストは、相手の可能性を利用することで運命変転の力を代償なしに使っているのだろう。
自分も同じことができれば死ぬことはないはずだ』という仮説があったが、確証はなかった。
それでも命を賭けられたのは、ここがブリガドーン空間で、レディベアがいたからだ。
 この空間で『そうあれかし』と自分を信じればなんとかなる、
どうにかならなくてもレディベアがきっと自分を助けてくれるだろうと、そう思ったのだ。
 実際に仮説が当たっていたのか。アンテクリストから可能性を奪いきれたか。
そして奪った可能性を自身に充てて、代償なしに運命変転の力を使えたのかはわからない。
祈が無事と思っているだけで、実は可能性は消費されていて、いっそ運命変転の力を失っている可能性すらある。
 だが、祈の命は少なくともここにまだ残されている。
それはきっとレディベアが祈との未来を望んでくれているからというのも大きいだろう。
 それに、この賭けに出たことでわかったことがある。
 それは、“可能性を分けてくれる人がいれば、再び運命変転の力を使えるかもしれない”ということだ。

「あたしとおまえならアイツを消し去れる。
でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?」

 それは、この世界から跡形もなくアンテクリストを消滅させるのではなく。
たとえば、『意図的に誰かを害することができない約束と、
自分が殺した数と同じだけの人を救わない限り解けない封印を施された、
喋るしか能がない赤い布の付喪神に生まれ変わらせる』だとか。
 救った人数をカウントするのは所有者となった者なので、ズルはできず、
力を取り戻すためには地道に人を救い続けるしかない。
 あるいは、アンテクリストとしてのすべての記憶と力をなくし、無害な人間に生まれ変わらせるだとか。
 そういう提案だった。運命変転の力が失われていればもちろんできはしないが。
 悪しきものとはいえ、憎き敵とはいえ、祈にとってはこの世界に生きるものの一人。
そしてレディベアにとっては、自分を育てた父でもあるから。
 祈はレディベアの返答を聞いた。

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436多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/06/20(日) 18:07:45
 東京の街は半壊し、人々は大いに傷付いた。
首都がこの有様なのだから、日本はこれから長い間、酷い停滞期を迎えるだろう。
オリンピックなんて考えられないほどに。
 祈は寝転がったまま、レディベアが展開した目の一つに顔を向けて、視線を合わせた。

「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」

 さて、これは蛇足だ。
尾弐がかつて抱いていた願いから着想を得た、単なる悪あがきだ。
 祈はその目の先で、こちらを見ているであろう誰かへ声をかける。

「タマちゃん」

 タマちゃんこと、玉藻御前に。
 おそらく現状で、この東京を元通りにできる可能性のある、唯一の人物に。
 かつて尾弐が御前に望んだものは、別の世界線への移動だった。
御前の駒として働く代わりに、
『外道丸が酒呑童子にならなかった世界線に移動し、自身の存在ごと消去すること』。
それが尾弐の望みであり、御前はそれを叶える約束をしていたという。
 五大妖とはいえ、たった一人の妖怪にそういう力があるというなら。

「なー。タマちゃんならこの世界を、
『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

 世界線の移動により、東京を元通りにすることも可能なのではないかと祈は考える。
 スカイツリー内での尾弐の口ぶりでは、
世界線を移動させるためには茨木童子や酒呑童子の部下たちを殺す必要があったようだった。
おそらく世界線を移動するにあたり、消したい事柄の根幹に関わる者を消すことは不可欠なのだろう。
その存在が楔となって、世界線の移動ができないのだと思われた。
だとすれば、アンテクリストという楔をこの世界から消した今なら、それが叶う。
 力が足りないというなら、ここには「そうあれかし」が集っているから、それを使えばいい。
 御前に頼ることはできれば避けたかったが、祈もレディベアも力を使い果たしている。
だとすれば、一番交渉してはならない存在とでも、交渉するしかなかった。

「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」

 祈は少し悪い笑みを浮かべていった。

「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

 御前はこの世のバランスを保つ立場にあると、祈は聞いていた。
 今回の事件で、偽神や悪魔といった存在が表に出た。
 さらに人類を守る側に立っている祈が、
悪魔や妖怪、神、陰陽師といった存在を暴露したことで完全に認識を補強してしまったのである。
 幻想でしかなかったはずの存在がいるという事実は、
今まで科学を信奉してきたこの世界の在り方を変えるだろう。
妖怪を不可思議な力を持った隣人として受け入れ、共存できればいいが、
危険なものとして排斥される未来もあり得る。
 世界のバランスが大きく崩れるのが簡単に予見できる。
だからこそ、世界のバランスを保つ立場にある御前は、祈の要求を呑まざるを得ないはずだ。

 世界線が移動してアンテクリストの引き起こした事件がなかったことになれば、
偽神や悪魔が現れたことも、祈の発言も当然チャラだ。
アンテクリストに深く関わった者ぐらいしか、世界線が移動前の出来事は覚えていないだろう。
 祈たちはもはや世界中に顔も名前も知られているので、普段の生活になんて戻りようもないし、
世界線の移動で、記憶も記録も全て消してしまった方が都合も良い。
 祈が配信者に向けてわざわざ妖怪やらの存在を明かしたのは、
人々の協力を仰ぐためだけでなく、いざとなったときにこの要求を御前に通すためでもあった。
 この要求を通したところで、世界を救った祈たちを罰することなどできない……と思いたいが、
御前のことだからまた何か無茶な要求を突き付けてくるかもしれない。
 それはそのときに考えるしかないだろう。

「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

 そう言い終えて、祈は少し目を閉じた。
 祈は不良と蔑まれても、路地裏や暗がりをパトロールし、困っている人や妖怪を助けてきた。
そういった面を見て、心優しい少女だ、いい子だと思うものもいるだろう。
 だが祈は、決していい子なだけの少女ではない。
誰かの命を救うためなら、アンテクリストを倒したように暴力だって辞さないし、
御前に要求を呑ませるべく、そうせざるを得ない状況だって作り出そうとする、悪の側面もある。

 きっとその側面は、祈のことを見てきた教師たちがよく知っているだろう。
『私も手を焼いているんですよ。あの悪童には。ほら、路地裏からよく出てくる……』
『ああ、路地裏の!あの悪童ですな!いくら注意しても聞かない』などといった文脈で使われる二つ名。

(忘れたなら教えてやるよ。あたしの二つ名……ってね)

――『路地裏の悪童』。それが、祈のもう一つの名前なのだ。

437御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:49:01
>「―――― く た ば り や が れ ッ ッ !!!!!!」

>「『無間』」
>「『狼獄』」

>「絶技―――真氣狼(しんきろう)!!!!」

「これは流石に終わりでしょ……と思いたいけど……」

自身の飼い主とは対照的に肉体派な必殺技を繰り出す面々にハクトは感嘆しつつも
警戒を怠らずアンテクリストの方を見遣る。

「まだみたい……」

>「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

>「ハァ――――……、ハァッ、ハ……ハァ……。
 わ……私は……神だ……絶対の……神となる、存在なのだ……!
 私よりも……強い存在など……いては、ならない……あるはずがない、のだ……!」

敗北の運命を決定づけられ、三神獣の加護を全てはぎ取られたアンテクリスト。
だが、まだ終わらない。身長5メートルにも及ぶ次なる形態に変化する。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
 私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

その外見は見るからにアンバランスだが、その脅威は決して減衰したわけではない。
どころか、更に危険度が増したとも言えるだろう。
そんな中で、レディベアが力強く宣言する。

>「祈。次の攻撃が、きっと最後となるでしょう。
 今までの、長い長い戦い……そのすべてに。あらゆる宿命に、因縁に、決着をつける終焉の一撃――。
 一緒にやりましょう。あなたと、わたくしと……ふたりの力を合わせて」

>「っ! 龍脈とブリガドーン空間の力の融合……そのやり方がわかったってことか!?」

驚いて問い返す祈。そこでタイミングを見計らったかのように、菊乃が現れる。
地面に突き立ったのは、天羽々斬。

>「それなら、コイツを使いな」

>「……そうか。二人の力を合わせるって、“そのままの意味”なんだ」

>「ゴオオオオオオオオオッ!!!!!
 多甫……祈ィィィィィィィ!!!!レディベアアアアアアアッ!!!!」

怒り狂ったアンテクリストが、二人に突進してくる。

>「温かな手。優しいぬくもり。冷え切っていたわたくしの心は、魂は、祈……あなたのこの手に救われました。
 わたくしはこれからも、ずっとずっとあなたと一緒にいたい……ふたりで未来を歩いてゆきたい。
 大好きな祈、わたくしの大切なおともだち……。
 この手をずっと、離さないでいて下さいましね」

438御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:51:52
>「……あたしらはニコイチ。ずっと変わんねーよ。心配しなくてもな」
>「あたしとおまえならアイツを消し去れる。
でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?」

レディベアはどう答えただろうか。
どちらにしても祈に、耳元で囁くような、あるいは直接頭の中に響くような声が聞こえてくる。

『君達はずっと一緒にいなきゃ……だからあの契約は終わり』

それは極限の結界術のために今は姿を消しているノエルの声。
頭に付けた髪飾りが受信装置となっているのかもしれない。
祈にはレディベアという唯一無理の一番の相手がいるから、身を引くという意味だろうか。
――いや、違う。

『今この時をもって更新するよ。苦しいときも、死の淵に瀕した時も――未来永劫、君”達”の味方だ!』

二人が決して離れないのなら、二人まとめての味方になればいいというあまりにも単純明快な結論。
思い返してみればノエルはずっと前からとっくに、二人の味方だったのだ。
学校に潜入して、どう見ても敵組織のリーダーに祈が篭絡されているとも取れる状況を目の当たりにしても、
そっくりさんと思い込むことにして黙って見守っていた。
祈がレディベアを助けてほしいと仲間達に頼んだ際には、一緒に頭を下げた。
レディベアが祈によって救出された際は、そこにいるのが当然とでもいうように自然に受け入れていた。
フリーダム過ぎる精神性を持つノエルと、数多の縁を繋いできた祈の性質を考えると、こうなるのは必然だったのかもしれない。
更に、姦姦蛇螺の中で祈に与えた時と同じように、レディベアの頭に祈とお揃いの髪飾りが現れる。

『あげる。お守りだと思ってつけていって』

天羽々斬を使っての八岐大蛇退治にあやかった櫛型の髪飾り――
今は戦闘域全部ノエルのため、このようなことも出来るのだろう。
もちろん理由は単に祈とペアルックにしてみてみたかったから、等ではない。
これで二人は、冷気の影響を受けない加護を、二重に受けていることになる。
たとえ至近距離で絶対の停止の余波を受けようとも、決して動きが阻害されることはないだろう。

『大丈夫、僕達がついてる』

2人は冷気の風に、背中をそっと押されたような気がしたかもしれない。

>「征きましょう――祈!!」

>「ああ!!」

床を蹴る祈とレディベア。ついに決着の時が訪れるのだ。
さて、ノエルは先ほど「僕が付いてる」ではなく「僕”達”が付いてる」と言った。
ハクトは地面に突き刺さっている傘を引っこ抜いて回収し、アンテクリストに向けながら言った。

439御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:54:21
「2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!」

ハクトは身も蓋もなく言い放った。このウサギ率直すぎである。

「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

そもそもそういう結界術の術中であるが、気合が足りないために完全には効果が出ていない状態。
ここはブリガドーン空間内であり、使っているのは戦闘域全部ノエルな術。
よって応援する側に妖術の素養などなくても、気合で後押ししてやればどうにかなるという理屈らしい。
ハクトも分かっている。別に自分達が何もせずとも祈とレディベアは必ずややってくれるだろう。
だから、これはただの保険。ウサギは用心深いのだ。
傘を持つハクトの手に、何人の手が重なっただろうか――膨大な妖力が収束していく。
眩い光を散らしながら、呪詛の弾丸や氷の礫を掻い潜りアンテクリストに迫る祈とレディベア。
ついに剣が届く距離に肉薄せんとしたとき、その巨大な右腕を振り降ろし二人を叩き潰そうとする。

「――絶対漂白領域《アブソリュートブリーチワールド》!!」

ハクトの持つ傘から特大の冷気の矢のようなものが放たれ、アンテクリストに命中した。
その瞬間、アンテクリストの動きが完全に停止――時が止まった。
祈とレディベアも、もしかしたらアンテクリスト自身もそのことに気付かなかったかもしれない。
何故なら止まっていた時間はほんの一瞬。
しかし再び彼の時が動き出した時には――二人の少女が持つ剣の切っ先はすでにアンテクリストの胸に到達していた。

>「これで終わりだっ!!」

凄まじい光の奔流が、偽りの神を飲み込む――
その奔流がおさまったとき、アンテクリストの姿は跡形もなく消え去っていた。

――ヒトが神に勝とうなど最初から不可能なこと――なだめすかして鎮めるしか道は無いのだ

――いくら人の振りをしたところで人と共に歩むことなどできぬ。
――我々はこの世で最も人の考えが及ばぬ者として定義されているのだから。

これはかつて姦姦蛇螺の中で深雪、つまりノエル自身が言った言葉。
しかし、人の子である祈が見事に神を打ち倒すのを目の当たりにし、前者の言葉は覆された。
ならば、後者も覆えせるのだろうか。
きっとこれで東京は平和を取り戻し、東京ブリーチャーズの仕事は終わりなのだろう。
今までずっと先延ばしにしてきたけど、今度こそ雪山に帰って、雪の女王を継がなければならないのだろう。
だけど、もしかしたらずっと、人の都にいられる未来もあるのだろうか……

440御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:55:28
>「やった……勝った……」

天を仰いで呟く祈には、青空が見えている。
ということは、ノエルも結界術を解除したらしく、姿を現す。
祈が、何かに向かって語りかける。

>「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
>「タマちゃん」
>「なー。タマちゃんならこの世界を、
『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

「ちょっと!?」

ノエルはタマちゃんに対して、第一印象が第一印象なので、苦手意識がある。
が、殺されかけた祈張本人がこうして積極的に話しかけているのであった。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

「ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
あまりに影響が大きすぎない?
例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……」

祈の提案に対して、異論を唱えるノエル。
太古の昔から暗躍していたアンテクリストが世界に及ぼしてきた被害、
つまり影響を無かったことにするのはリスクが大きすぎるのではないかと。

「だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……」

これは異論というより補足というべきか。
結局のところ14歳の祈が言う”アンテクリストの被害に遭わなかった世界線”とはこういう意味なのかもしれない。

441御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/06/21(月) 00:57:42
>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
メリットもいっぱいあんだぜ。
東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

そう言って笑う祈は、龍脈の神子というよりも、路地裏の悪童だった。

>「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

疲れたのだろう祈は、目を閉じた。ふと、重大なことに気付いたハクトがノエルに尋ねる。

「ところでそれ……元に戻れるの?」

打倒アンテクリストのために実体を捨てて真の力を解放する技を使ったノエルは、まだ実体ではないのであった。

「さあ……戻り方が分からないんだけど」

「さあって……!」

元より死と隣り合わせの危険な大技である。
それってブリガドーン空間が終了したら消えてなくなるのではないか、
それなのに何故に本人はこんなに能天気そうにしているんだろうか、とハクトは頭を抱えた。

442尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:14:43
例えるのであれば、戦艦の主砲が正面衝突でもしたかの様な。
或いは遥か空の向こうから神の杖が墜ちてきたかの如く。

黒より尚暗い光映さぬ龍鱗を纏った尾弐の右腕と、超常の魔力を纏った唯一神を名乗る男の右腕は此処に激突した。

ノエルの張り巡らせた絶対零度の中にあるにも関わらず、衝突の余波にって二人の足元の地面は数メートルに渡り陥没し、辺りに転がっていた巨大な瓦礫さえも粉々に砕け散った。
悪鬼と偽神。
原初の時代に謳われる神と大悪魔の激突をすら凌駕する凄絶な拳の撃ち合いの結果は

>「お……おのれ、おのれ……おのれェェェェェ――――――ッ!!!!
>貴様、ごときがァァァァァァァァァァァァ!!!!!」

今回は、悪鬼(ダークヒーロー)に軍配が挙がった。
竜腕はアンテクリストの拳を文字通り破砕し、肉の上から心臓を撃ち抜き――神の永遠(ぜったい)を殺し切ったのである。

>「ご……ェェェェ……」

だがしかし――尾弐の拳を受けて尚、アンテクリストは倒れない。どころか、戦意の炎はより激しく燃え盛って行く。
それは、尾弐が殺したのは神としての不朽であり、アンテクリストの命そのものにまでは届かなかったからだ。
撃ち抜いた尾弐の竜腕は濃縮した怨念と絶大なる負のそうあれかしにより焼かれ黒い煙を挙げており、暫くの間使用する事は出来ない。
仮にアンテクリストが勢いのままに尾弐に逆襲を仕掛ければ、尾弐は危機に陥った事であろう。

――けれど、そうはならない。
そうはならない事を、とうの昔に尾弐は知っていた。

>……それは、困るよ尾弐っち
>まだ、僕の番が残ってんだからさ

東京ブリーチャーズにはまだ彼がいる。
誰よりも気高く勇敢で……そして優しい、獣の王とその番。

「カカ、そりゃあ悪かった――――それじゃあ改めまして、お二人さんの出番だぜ」

ポチとシロ。
2匹の獣が尾弐の横を通り直ぎ、アンテクリストの前へと立ちふさがる。


>『無間』
>『狼獄』
>――よう。なかなか良い眺めじゃないか。え?
>まだ、少し頭が高いけど……これくらいで勘弁しといてやるよ

それは嵐の様な。或いは大波の様な。
無限の様な刹那の中。
ポチとシロ。弐匹の獣の『狩り』が、圧倒的な暴威を以てアンテクリストを裂き砕いた。

443尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:15:32
もはや偽神は脚をも砕かれ、かつての不遜な姿は見る影もなくその両膝を地に付けている。
敗北だ。誰が見ても間違いようも無く敗北だ。哀れで惨めで、無様な敗者の姿だ。
なのに。だというのに。

>「ギィィ……、ギィィィィィィオオオオオオオオオオオオオ……!!!
>私は……私ハ……神……!最強無敵、世界最高の……すべての頂点に立ツ……カ、ミィィィィイ……!」

それでもアンテクリストは諦めない。
失ったモノを埋める様に氷の翼を生やし、尾弐の模造品の様な巨腕を生やし、砕けた脚を血液で無理やり固め。
神の如きであった知性を狂気で焼いて尚、東京ブリーチャーズ達に立ちん向かわんとする。

>「……これが、二千年の間求め続けた願いの果て……。
>多くの人々を、妖怪を、生きとし生ける者たちを不幸にしてまで手に入れた力の結果なのですわね……」 
>「……どっから来るんだその執念。しつけーにもほどがあんだろ!」

何かを願って願って願って願って願って――――成り果てた。
その『何か』の正体を尾弐は知らないし、知るつもりもない。
アンテクリスト。赤マント。べリアル。
名を変え顔を変えて来た彼は尾弐にとって憎むべき敵で、滅ぼすべき悪で、討ち砕くべき宿命だ。
それはこれまでも、これからもずっと変わらぬ事実。
……けれど此処に至り尾弐はアンテクリストに初めての感情を抱いた

それは――――哀憫。

或いは……もしも自分が那須野橘音という存在と出会わなければ。
出会わないままに願いを追い続ければ……遠い未来の果て、願いに呑みこまれ、今のアンテクリストの様になっていたのだろうか。
そんな考えが尾弐の脳裏をよぎった。
非業の死を遂げた者達のそうあれかしと共に憎悪の拳をアンテクリストへ叩きこんだからこそ、僅かに晴れた感情の隙間に生まれた思考。

「……は。俺らしくもねぇ」

しかし尾弐は直ぐに首を振る。
詮無き事だ。全ては尾弐の妄想に過ぎない。
アンテクリストの過去がどうであれ、己が――自分達が為すべきことは一つ。

>「それなら、コイツを使いな」
>「征きましょう――祈!!」
>「ああ!!」

駆け付けた菊乃と、彼女が持ってきた天羽々斬。
それを手に持った祈とレディベア。
今、守りたい者達に尾弐は視線を向ける。

>「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
>みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

「応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ」
「その僅かな残りも鬼の瘴気と負のそうあれかしで呪いみたいになっててなぁ……多分、ノエルに直接渡せば腹痛起こすだろうぜ」

最後の一押しをするべく支援を求めたハクトへ無情にもそう告げる尾弐だが、しかしその口元には微笑が浮かんでいる。
那須野橘音の居る方へと歩みを進め、左手を彼女の頭に乗せてから尾弐は告げる。

「だから――――俺の残りの妖力は橘音に預ける。こんな俺の力でも工夫して使いこなせるのは、帝都一の名探偵くらいだろうからな」
「橘音。悪いがお前さん経由で色男に俺の力を貸してやってくれねぇか。それから」

そこで尾弐は、那須野橘音だけに聞こえるように小さく言葉を掛ける。

444尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:16:18


「アンテクリスト……いや、べリアルに何か言ってやれるのは、きっとこれで最後だ」
「俺にとっちゃ、不幸をばら撒いた最低最悪の敵だが……一応は、アスタロトにとっての師匠だった男だ」
「恨み節でも、罵倒でも、親愛でも、友愛でも。興味がねぇなら挨拶だけでも良い。何か言葉を掛けた方が良いと思うぜ」
「奴さんにどれだけの理性が残ってるかは知らねぇが、それでも何も言わずに別れちまえば、それは必ず心残りになる」
「もしそれで辛い思いをしても……俺が存分に甘やかして慰めてやる。だから、想い切ってみたらどうだ?」

半ば無理やりに妖気を受け渡し終わった尾弐は、那須野に一方的に言葉を掛けてから数歩後ろに下がり、腕を組み静かに結末を見届ける姿勢を固める。
……余計なお世話だったのかもしれない。要らぬ気遣いだったのかもしれない。
幾ら尾弐が橘音を想っているとはいえ、那須野橘音の心が全て判る筈はないのだから。
だから、つまる所これはエゴなのだろう。
尾弐黒雄という男が那須野橘音という女に出会えたという事に対しての、ただ一点だけある赤マントへの貸しを返すというエゴだ。
そうして、自身に出来る事を全てやり遂げた尾弐の視線の向こうで。


「ああ――――本当に、綺麗だ」


祈とレディベア。
二人の少女が辿り着いた光(答え)が、虹を纏って闇を貫いた。


―――――――――

445尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/06/28(月) 23:21:43
―――――――――

戦いを終えた祈の元に尾弐は歩を進める。
どんな言葉を掛ければ良いかは判らないが、とにかくその努力を誉めてあげたくて。良くやったと言ってあげたくて。
そう思いながら歩いていた尾弐の耳に、声が届いた。

>「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
>「タマちゃん」
>「なー。タマちゃんならこの世界を、
>『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

尾弐の歩みが止まる。
祈が口にした事――――『無かった事にする』。
それは、かつて尾弐黒雄という男が抱いた願いに他ならなかったからだ。
己の無力によって親しい者を酒呑童子という怪物にさせてしまった事を悔い、己を含めた全てを呪い。
そうして最後には疲れ果て――歴史から酒呑童子の伝承を抹消する事で、己と外道丸という存在そのものを無かった事にしようとした。
今でこそ、東京ブリーチャーズの皆と過ごして来た時間の中でその願いよりも輝くものを見つける事が出来たが、そうであったが故に尾弐は危惧をする。
祈が、自分と同じ間違った道を進もうと考えているのではないかと――――けれど。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
>メリットもいっぱいあんだぜ。
>東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
>「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

祈に対して、そんな心配は無用であった。
彼女の願いは、自分の為と――それから沢山の誰かの為に。
英雄的な評価と称賛よりも、誰にも知られぬ平穏を。
きっと、正義や倫理という側面から見れば祈は良い子ではないのかもしれない。
だけど、赤子の頃から尾弐がその成長を見てきた少女は……とても優しい子だった。
だからこそ、尾弐は額に手を置いてから一度息を吐いて告げる。

「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」
「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」
「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

尾弐は、険しい表情で学校の教師の様に昏々と淡々と正論を述べていき……最後に。

「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」
「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

そう言って笑みを浮かべた尾弐は、拳と掌を合わせて包拳礼の姿勢を取ると中空に向かって声を掛ける。
「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!」
「しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!」
「つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!」
「そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」

どこかで聞いているであろう御前に堂々とそう言ってから、口元を邪悪に歪める。

「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!」

綺麗なモノを尊ぶ御前にとって、自身が不快な者とされるのは……数多の人間からそんなそうあれかしを擦り付けられるのは、堪えがたい事だろう。
祈が悪童を示すなら、尾弐は大人の汚さを示そう。

「帳尻合わせついては心配すんなよノエル。あの大妖怪は、キレェ好きで凝り性なんだ」

小声でノエルにそう言った尾弐は、何処か清々しそうに差し込む陽光を見つめるのであった。

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447ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:54:13
>「2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
  乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
  時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!」

>「だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
  みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!」

>「応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ」

「……ノエっちは元気だなぁ。僕はもう、あと一滴でも血を流したらそのまま死んじゃいそうだよ」

ヘリポートに倒れ込んだまま、ポチはぼやいた。

「残念だけど……僕に出来るのはもう、信じる事だけさ」

ポチが頭を床に預ける。

「……だけど、僕らにはそれだけで十分だ。でしょ?」

その口元には穏やかな――やれる事はもう全てやったと言いたげな笑み。
そうだ。ポチは死力を尽くした。持てる全ての力を出し尽くした。

これ以上、パンチ一発とて繰り出す事は叶わない。
これ以上、僅か一滴でも血を流せば意識を失う。
正真正銘、ポチは死の寸前まで力を振り絞った。

それでもまだ、ポチに出来る事があるとすれば――それは、信じる事。

「そうさ……祈ちゃん。レディベア。二人なら、きっとやれる」

それはつまり――祈とレディベアに望みを託すという事。
祈とレディベアに、「そうあれかし」と願うという事。
戦いの最中、ロボとアザゼルに獣達の未来を託され、ポチとシロが力を得たように。
ポチもまた自分の未来を祈とレディベアに託した。
ただ信じるだけ――だが、それこそが妖怪にとって最も重要な力の根源。

>「これで終わりだっ!!」

白金色の光がポチの視界を塗り潰す。
眩しい。何も見えない――それでも不安はなかった。
そして、その光が徐々に薄れ、収まると――アンテクリストの姿はどこにもなかった。

ポチは少しだけ体を起こして、周囲を見回す。
祈の事だから、赤マントの力だけを奪って赤い布切れの付喪神にするとか、そんな結末を望んだんじゃないか。
はたまた何かの小動物にされたりしているかもしれない。
そんな事を考えたのだが――見当たらない。

それでも、少なくとも赤マントの気配はもうどこにも感じ取れなかった。

>「やった……勝った……」

祈の声が聞こえる――ポチが倒れたまま安堵の溜息を零す。

「……あー、疲れた」

ポチが隣のシロを見つめる。

「当分の間は、のんびりしたいね。一緒に」

戦いは終わった――しかし、ポチは一向に立ち上がろうとしない。
立ち上がれないのだ。もう本当に指一本動かせる気がしない。

448ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:54:26
「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」

仕方がないから尾弐に手を貸してもらうか、橘音が仙丹を残していないかなどと考えていると、ふと祈が声を上げた。

>「タマちゃん」

「……祈ちゃん?」

>「なー。タマちゃんならこの世界を、
  『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?」

「……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?」

それは――多分、良い事なんだろうなとポチは思った。

>「できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
  メリットもいっぱいあんだぜ。
  東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――」
 「――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

壊れた物が元通りになる。死んだ人が帰ってくる。
それは良い事に決まっている。とても、良い事のはずだ。

>「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

なのに何故だか――ポチは奇妙な違和感、据わりの悪さを感じていた。

>「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」
>「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」

違和感の正体はすぐに分かった。

>「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
>「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

結局のところ、生きていれば辛く苦しく、悲しい事は何度でもある。
アンテクリストが悪さをしなくても人は死ぬ。日常の中で、いとも簡単に。
その全てを無かった事にする事は出来ない。
それでも一度その願いが叶ってしまえば――次が欲しくなるかもしれない。
一度限りの救済が、その後の生全てを侵す毒になるかもしれない。

>「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」

「……ま、結局はそこだよねー」

そしてポチは自分が抱いていた違和感を、くしゃくしゃに丸めて頭の外に放り捨てた。
なんて馬鹿馬鹿しい事を考えていたんだ、と。
祈なら、もし二度目が欲しくなる時が来ても、その時々の正解を見つけていけるに違いない。
それにもし何か勘違いをしてしまったとしても、祈の傍には橘音が、ノエルが、尾弐が、数え切れない親しい人達が――ついでに、自分もいる。
何も心配する事なんてなかったのだ。

>「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

「……わー、そりゃすごいや。全然気づかなかったなー」

ポチはくつくつ嗤って、嘯いた。

449ポチ ◆CDuTShoToA:2021/07/05(月) 07:56:29
>「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!」
 「しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!」
 「つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!」
 「そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」
>「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!」

「オッケー。そういう感じね」

尾弐の嘆願を聞いたポチが、悪戯っぽく笑う。

>「帳尻合わせついては心配すんなよノエル。あの大妖怪は、キレェ好きで凝り性なんだ」

「綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?」

ポチが空を見上げて、首を傾げ、人差し指を唇に添える。

「こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー」

ポチは『獣(ベート)』だ。災厄の魔物だ。送り狼という名の、闇への恐怖の象徴でもある。
その存在には、良くない発想を生み出す為の思考回路が深く根付いている。
良くない発想とは例えば――悪魔どもに殺された人間に成り代わる形でなら、妖怪達は今なら簡単に、深く人間社会へと潜り込めるとか、そういう事だ。
ようやっと東京漂白を成し遂げたというのに、再び、今度は目に見えない穢れがあちこちに散らばるのは、御前にとっても好ましくないはず。
要するにこれは――どうせ御前にとっても必要な事なんだから、あの時みたいなぼったくりは勘弁してよね、という値引き交渉だった。
加えるなら、あの時の意趣返しがてら御前を困らせてやりたいという気持ちも多分にあった。

450那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:41:35
極端に肥大化した右腕を闇雲に振り回しながら、アンテクリストが祈とレディベアのふたりへと迫る。
至高の神であったもの。悪魔の長であったもの。今や神でも、悪魔でもなくなってしまったもの。
アンテクリストはもはや正気を失い、完全な暴走状態にある。
ただ自分の計画を滅茶苦茶にしたふたりの少女を憎悪するだけの、狂ってしまった何か――

しかし、今更そんな化け物に怯む少女たちではない。

>あたしとおまえならアイツを消し去れる。
 でも、もしあたしに運命変転の力が欠片でも残ってて、モノが可能性を分けてくれるんなら。
 モノがそう願うなら。きっとアイツの命だけは救ってやれる。
 やるかどうかは任せるし、できるかどうかも確証はないけど……やるか?

「……わたくしの想いは、あなたと同じ。
 わたくしたちの運命を狂わせ、多くの人々を欺き、たくさんの妖怪たちを不幸にしてきた憎い相手ではありますけれど。
 それでも。彼もまた、この地球に生きる生命のひとつ……なのですから」

祈の提案に、その顔を見つめるレディベアは小さく、しかしはっきりと頷いた。
アンテクリストは――ベリアルは絶対悪だ、更生不可能な罪人だ、滅ぼしてしまった方がいい。そう言う者もいるだろう。
けれども、ふたりの意見は違う。
どんな悪人であっても、憎い仇であっても、命を奪ってしまいたくはない。
それを偽善と蔑まれようと。綺麗事だと罵られたとしても。
ふたりはそれが正しいことだと信じた。

>君達はずっと一緒にいなきゃ……だからあの契約は終わり

どこからか、ノエルの声が聞こえる。

>今この時をもって更新するよ。苦しいときも、死の淵に瀕した時も――未来永劫、君”達”の味方だ!
>あげる。お守りだと思ってつけていって

ふわりと雪華を纏ってレディベアの髪に現れたのは、祈のものとお揃いの髪飾り。
ノエルからの贈り物だ。それは単純な妖術による強化にとどまらず、それ以上の意味を持つ。
それはふたりの絆を、結びつきを永遠不変のものにする証。
髪飾りにそっと触れると、レディベアは花の綻ぶように笑った。

「ありがとうございます。……ストラップの他に、もうひとつ。お揃いが増えましたわね、祈」

今でも大切に持っている、鎌鼬のストラップ。ふたりの絆の原点。
それを思い出して、嬉しそうに微笑む。
大切に大切に育んできた、培ってきた、ふたりの友情。
これからもずっと、それを慈しんでゆくために。未来へと繋げてゆくために。

今、偽神を討つ。

>2人にチャンスを作らなきゃ……! みんな聞いて!
 乃恵瑠が使ってるこの技は本当は敵の動きを鈍らせるなんてもんじゃない。
 時間停止といっていい技だ。つまりまだアイツが動いてるのは乃恵瑠がヘタレだからだ!
>だからもう一押し……ほんのもう一押しあれば必ず止まる! 
 みんなもう全力出しきったのは分かってる……だけどお願い! 力を貸して!

ハクトがそう叫び、ブリーチャーズに協力を要請する。
確かにそうなのだろう。アンテクリストに完膚なきまでのとどめを刺すためには、
きっと少女たち以外のメンバーもさらにもう一歩力を尽くす必要があるのだろう。
しかし。

>応、って言いたいとこなんだが……いやすまねぇ。生憎、オジサンの妖力はさっきので殆ど残ってねェんだ
 その僅かな残りも鬼の瘴気と負のそうあれかしで呪いみたいになっててなぁ……多分、ノエルに直接渡せば腹痛起こすだろうぜ

尾弐は、その要請に応じなかった。

>……ノエっちは元気だなぁ。僕はもう、あと一滴でも血を流したらそのまま死んじゃいそうだよ
>残念だけど……僕に出来るのはもう、信じる事だけさ

ヘリポートの砕けた床に仰向けに倒れているポチもまた、尾弐に同調する。
ポチの傍らで跪くように寄り添っているシロも、無言でかぶりを振る。夫と意見は同じだというように。

>……だけど、僕らにはそれだけで十分だ。でしょ?

「ま……ハクト君の気持ちは分かりますがね」

橘音が軽く肩を竦めて笑う。
もう既に、自分たちは託したのだ。この戦いの決着を、世界の趨勢を、未来の行く末を。
ならば、今更横槍を入れるなどという行為は蛇足以外の何物でもないだろう。
ポチの言うとおり、自分たちに今できることがあるとするならば――それは信じること、それだけだった。
腕力に物を言わせなくても。牙や爪を振りかざさなくても。妖術を発動させなくても。
『そうあれかし』。祈とレディベアの勝利を願う、それが何よりの力となる。

「ここは彼女たちふたりの見せ場。野暮は言いっこなしですよ?」

そう言うと、橘音は茶目っ気たっぷりに白手袋に包んだ右手の人差し指を口許に添え、ウインクしてみせた。

451那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:42:21
と、思ったが。
尾弐の言葉はただ、ハクトの協力要請を断るだけでは終わらなかった。

>だから――――俺の残りの妖力は橘音に預ける。
 こんな俺の力でも工夫して使いこなせるのは、帝都一の名探偵くらいだろうからな
 橘音。悪いがお前さん経由で色男に俺の力を貸してやってくれねぇか。それから

尾弐が大きくてぶ厚い手のひらをぽふん、と学帽の上に乗せる。
不思議そうに、橘音はその顔を振り仰いだ。

「……クロオさん?」

無骨な手のひらが触れたところから、尾弐の妖力が流れ込んでくる。
それは尾弐の言うとおり、確かに鬼の瘴気と負のそうあれかしによって澱み穢れた呪詛めいた妖力だった。
どろどろと濁ったコールタールのような、ヘドロのような妖力。
そんな妖力をまともに受ければ、ノエルでなくとも汚染され戦力増強どころの騒ぎではないだろう。
禍々しい呪詛を力に変えられる者がいるとしたら、それはこの場に橘音しかいない。

>アンテクリスト……いや、べリアルに何か言ってやれるのは、きっとこれで最後だ
 俺にとっちゃ、不幸をばら撒いた最低最悪の敵だが……一応は、アスタロトにとっての師匠だった男だ
 恨み節でも、罵倒でも、親愛でも、友愛でも。興味がねぇなら挨拶だけでも良い。何か言葉を掛けた方が良いと思うぜ
 奴さんにどれだけの理性が残ってるかは知らねぇが、それでも何も言わずに別れちまえば、それは必ず心残りになる
 もしそれで辛い思いをしても……俺が存分に甘やかして慰めてやる。だから、想い切ってみたらどうだ?

「…………」

尾弐が囁く。
きっと、尾弐にとってはノエルに力を貸すことよりもこちらの方が本命であったのだろう。
その声を聞き、橘音は顔を前に戻すと学帽のふちに軽く手をかけ、軽く俯いた。

――まったく、敵わないなぁ。
  このひとったら、なんでもお見通しなんだ。ボクの気持ちも、ボクの隠していることも。
  ボクがもう無理なんだって、すっかり諦めてしまったことさえも――。

尾弐にとってアンテクリスト、否ベリアルは千年来の仇敵だ。殺しても殺し足りない、不倶戴天の怨敵のはずだ。
当然、那須野橘音――アスタロトとベリアルの特別な関係についても、好ましいものではないだろう。
だというのに、話をしてこいという。
きちんとけじめをつけて来いと。このまま、何も伝えられない有耶無耶の別離を果たすなと。
ふたりの関係において心残りのないようにしろと、そう言っている。

「……そう、ですね。
 じゃあ……お言葉に甘えて。そうさせて頂きます」
 
ほんの僅かな逡巡の後、橘音は顔を上げ晴れやかな笑顔でそう言った。

「でもね。辛い思いなんて、しやしませんよ。
 ずっとずっと前から覚悟はしていたことです。いつか必ず訪れると分かっていた刻が、今やってきた。
 ただそれだけの話ですから……。
 なので。辛い思いをしなくても、いっぱい甘やかして。愛してくださいね」

尾弐が離れると同時に、橘音もまたマントを翻して前を向く。

「それじゃ……ボクたちの新しい、千と一年目の未来のために。
 ちょっと行ってきます、クロオさん!」

そう良く通る声で言い放つと、橘音はかつての師へと一歩を踏み出した。

「ギィィィィィィィオオオオオオオオオオッ!!!!
 死ネ……死ネェェェェェェェェェェェェェェェ―――――――ッ!!!!」

骨組みだけしかない氷の巨翼を羽搏かせ、どろどろに溶けた血だまりと化した下肢をうねらせながら、
アンテクリストが最後の抵抗とばかりに暴れ狂う。
龍脈の神子とブリガドーンの申し子が共に天羽々斬を握りしめ、
手に手を取って流星のように白く輝く尾を引いて突進してゆく。
ハクトが床に刺さっていた傘を引き抜き、アンテクリストへと翳す。
そして、祈とレディベアが偽神の懐へ到達し、天羽々斬の切っ先がその胸元へと迫ったとき。

>――絶対漂白領域《アブソリュートブリーチワールド》!!

ハクトとノエルの妖術が発動し、時間が停止した。
それは一秒にも満たない、ほんのコンマ数秒ほどの時間であったかもしれない。
だが祈とレディベア、そして橘音には――それだけで充分であったのだ。

452アンテクリスト ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:42:53
神である。

私は、神である。絶対無比にして永劫普遍の神である。
至善である。合法である。不滅である――正しき者である。

誰もが私を崇拝し、誰もが私に拝跪し、誰もが私の齎す救済を望む。
私を価値ある者、尊貴なる者、いと高き者と評価する。

だというのに。
我が前の、この小さき者どもは何故唯一神たる私に刃向かう?何故惑星の頂点たる私を害さんとする?

何故私は、この小さき者どもに敗北しようとしている……?

何故。
何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。何故。
何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故―――

「……それはね。アナタが強すぎたからですよ、師匠」

誰だ……?

「いやだなぁ、そんなことも忘れちゃったんですか?アナタの可愛い弟子、アスタロトですよ。
 尤も、今は狐面探偵・那須野橘音ですがね」

……アス……タロト……?
ナスノ……キツネ……。

「神の隣に座す者。神の長子。天魔七十二将の首魁。
 すべての天使の兄にして、すべての悪魔の先達……“無価値な者”ベリアル。
 師匠、そう――アナタはあまりに強すぎた。それが、すべての歪みの始まりだったんです」

強いことの何が悪い?
そうだ、私は強い!何者をもこの私の上を行く者はおらぬ!
私は最強だ、私は誰にも負けない!智慧も、膂力も、妖力も、何もかも!!

「ええ。アナタは紛れもなく最強の妖怪だ。主神クラスと言われる大妖怪たちだって、アナタには敵わないでしょう。
 だから――だからこそ、歪みが生じてしまった。
 アナタにとって自分以外の存在はすべて格下。肩を並べる価値もない、取るに足らない存在ばかりだ。
 だから……誰の声にも耳を傾けることができなかった。
 アナタの過ちを諫められる者がいなかった。それがいけなかった」

私の過ちを……諫める、だと……?

「そして、それはボクたちの罪でもある。
 ボクたちにもっと力があれば。アナタの強さにもっと近付くことができていれば。
 アナタの過ちを正すことができたはずなのに」

黙れ!
私は過ちを犯してなどいない!誤ってなどいない!
絶対的な正義なのだ、私は!私は決して歪んでなど――!

「……そうですね。ここだけの話、ボクはアナタもある意味で被害者だと思っているんです。
 神が信者獲得のため、アナタに悪役を押し付けさえしなければ。不善を成せと言わなければ。
 もしくはアナタ以外の、アナタよりももっと格下の天使にそれを命じていれば、こんなことにはならなかった。
 神の長子はずっと神の隣で、尊敬される英雄として君臨できていたはずなんだ。
 アナタは純粋すぎた、誰よりも忠実に神の命令に従ったからこそ――
 この世界で一番の悪になってしまった」

……私、は……。

「思えばルシファーさんも、そんなアナタに同情して神に叛逆したのかもしれませんね。
 他の天魔たちだってそうだ。アナタのことを兄と思えばこそ。憐憫の情を催したからこそ。
 ほんの少しでも、神の摂理を覆そうとしたのかも……。
 結果は伴いませんでしたけれど。でもね――
 みんな、本当にアナタのことが大好きだったんですよ?誇るべき長兄と。尊敬すべき方だと思っていたんです。
 彼ら自身さえ忘れてしまった、大昔の話ですが」

…………。

「そして、それはボクも同じです。
 いいえ……他の天魔たちはみんな忘れてしまっても、ボクはまだ覚えてる。
 アナタへの想いは、今もここに。ボクの胸の中にある。
 アナタのお陰で、ボクは此処に在る。
 心から信頼する仲間と、愛するひとと。希望に溢れた未来を歩いてゆくことができる……。
 これは、不肖の弟子からの。アナタへ贈る、たったひとつの感謝の印です」
 
な……、何をする……!

「ちょっとしたおまじないですよ、害を加える訳じゃない。
 もしも、この世界に神の手さえ届かない運命の導きというものがあるのなら。
 ……またお会いしましょう。今は……一先ずおさらばです、ベリアル。我が揺籃の師よ――」
 
ま、待て!待てッ……!


待て―――アスタロト……!!

453那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 20:43:59
瞬きよりも短い時間、止まった刻の中で、アンテクリストは橘音と会話をした。
そして、ふたたび刻が動き出す。

「がああああああ!!!」

天羽々斬を携えた祈とレディベアが眩い白色の輝きを纏いながら、アンテクリストの胸元めがけて真っ直ぐに突進してゆく。
アンテクリストは苦し紛れに右腕を振り下ろしたが、遅い。
そして――偽神の胸に、神剣が深々と突き刺さった。

>これで終わりだっ!!

祈が叫ぶ。なけなしの勇気、ありったけの愛、皆から貰った希望――それらを結集し、浄化の光として撃ち放つ。
アンテクリストの異形と化した体内で、龍脈の力とブリガドーンの力が弾ける。

「お……!
 お……ご……ォォォォォォォ……!!」

アンテクリストの全身、その各所から光が溢れてゆく。
ありとあらゆる妖壊、真闇に染まった偽神さえも白く漂白する、浄化の光。
しかし、驚くべきことにアンテクリストはまだ力を失ってはいなかった。

「……ま……、まだ……だ……!
 わた、し、には……まだ、最後の……温存していた、第三の……御業が……ある……!
 『大洪水(ザ・デリュージ)』……私が、死ぬと同時……我が神力が……龍脈を暴走させる……!
 ひとりでは……死なん……滅ぶなら……貴様らも……この世界も、道連れだ……!
 残念だったな、龍脈の御子……貴様らに守れるものなど、何ひとつ……ありは、しない……!
 さあ……、私と一緒に死ね!この惑星もろともな!
 ……はは……ははは……ははははははははははははははは……!!」

神剣によって貫かれ、体内を圧倒的な浄化の力によって灼かれながら、アンテクリストが嗤う。
第三の御業『大洪水(ザ・デリュージ)』。それはただひとり神よりの啓示を受けたノアとその家族、
そしてあらゆる動物の一つがいだけが生き残ることを許されたという、神による大粛清。地上の一切を覆う大洪水。
アンテクリストは自身が死ぬと同時に己の最後の神力によって龍脈を刺激し、
それによって世界各地の龍脈を暴走させ、この星を破壊するという保険を掛けていたらしい。
折角ここまで追い詰めたというのに、このままでは相討ちだ。

しかし。

「……な……、なに……!?
 わ、我が神力が……発動、しない……?
 なぜだ、なぜ……私の術式は完璧のはず、そんな、ことが……」

身体のほとんどを漂白されながら、アンテクリストが狼狽する。
自爆の妖術と言っていい『大洪水(ザ・デリュージ)』が発動しない。
アンテクリストほどの術者が妖術の仕掛けをしくじるなどということは有り得ない。
正真、アンテクリストは万一のため皆を道連れにする術を自らに施していたのだろう。
けれど――偽神はついに気付かなかった。
祈が先程、アンテクリストに使用した『運命変転の力』。
それが、具体的に何に対して作用していたのか。アンテクリストの中の何を変容させ、敗北の運命を決定付けたのか。
それは東京ブリーチャーズの攻撃が通るようになったということでもなければ、
祈とレディベアがここまで漕ぎつける、というような内容でもなかった。
そう。『運命変転の力』は――
アンテクリスト最後の攻撃。それを機能不全にするという形で、その運命を不可避の敗北へと変質させていたのである。

「バ……、バカ……な……。
 この、私が……絶対神、アンテ……クリスト、が……」

顔に亀裂が入り、そこから光が溢れる。頭部から、米神から、口から、浄化の光が漏れ出してゆく。
己の敗北をなおも認められない、偽りの神が――神の成り損ないが呻く。
祈とレディベアのふたりが、さらに渾身の力を籠めてアンテクリストを刺し穿つ。

「私は……!私は、神ぞ……!
 神は負けぬ……!神は滅びぬ……!か、神……わ、たし、は、私は……!!」

アンテクリストの眼窩から、光が溢れ出す。

「私は!!神ぞォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ―――――――――――――ッ!!!!!!」


カッ!!!!!


迸る光の奔流。膨大な量の『そうあれかし』が力となってアンテクリストを覆い尽くし、輝く柱となって立ち昇る。
漂白の光輝が偽神の野望も、怨念も、妄執も、何もかもを呑み込み、消し去ってゆく。
どれほどの時間が経っただろうか、やがて光の柱が徐々に薄らいでゆき、天羽々斬の力の放出が終わったとき――。
ヘリポートの上であれほど猛威を振るっていた仇敵の姿と気配は、完全に感じられなくなっていた。
多甫祈とレディベア、ふたりの少女の絆の力による完全敗北。
それが、二千年もの間悪の化身として暗躍し続けた男。

ベリアルの――赤マントの最期だった。

454那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:05:12
>はぁ……はぁ、はぁ……

「ふぅっ……ふぅぅっ……」

天羽々斬を突き出したままの体勢で、祈とレディベアが荒い息を繰り返す。
ふたりの体力と精神力は、もうとっくに限界を超えている。
それでも身体を奮い立たせ、気力を振り絞った。アンテクリストへと放ったのは、文字通り全力の一撃だった。
今度こそ繰り出す力の枯渇したふたりが天羽々斬を手放し、その場にくずおれる。

>やった……勝った……

力尽きて仰向けに四肢を投げ出した祈が呟く。
ふたりの放った白色の光によって、それまで東京一帯に満ちていた黒雲や極彩色の空は残らず消滅し、
美しく澄んだ青空がどこまでも広がっている。

「……ええ……祈。
 わたくしたちの勝ちですわ」

祈のすぐ傍でぺたんと尻餅をついて座り込むレディベアが、視線を合わせて小さく微笑む。

「そ……、そんな……。アンテクリスト様が……絶対神が負けるなんて……」

「ヒィィッ!に、逃げろ!退却だ!神をも屠るような妖怪どもに勝てるはずがない!」

「逃げろッ!命が惜しかったら逃げろ―――…」

それまで帝都で暴虐の限りを尽くしていた悪魔たちが、アンテクリストの敗北に気付いて一斉に撤退を始める。
元々アンテクリストの圧倒的な力に惹かれて集まっていた者たちだ。首魁がいなくなった今、統制など取れるはずもない。
皆、先を争って蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。
もはや悪魔たちが東京侵攻を企てることは二度とないだろう。

>……あー、疲れた
>当分の間は、のんびりしたいね。一緒に

「はい。しばらく迷い家で温泉に浸かって、戦塵を落とすのがよいと思います。
 ……お背中。お流ししますね」

寝ころんだままのポチの提案に、シロが嬉しそうに頷く。
ノエルが術を解いてヘリポートに姿を現し、橘音が祈とレディベアのところへ小走りに駆けてゆく。
尾弐がゆっくりと歩を進める――

>ところで……さ。なぁ。見てんだろ――
>タマちゃん

そんなとき、祈は何を思ったかレディベアの展開した無数の目のひとつに語り掛けた。
瞳を通して此方のことをモニターしているであろう、タマちゃん――東京ブリーチャーズのオーナー、世界的な大妖怪。
白面金毛九尾の妖狐、玉藻御前へと。

《んっふっふふ〜、やっぱワカってた?
 まぁそりゃそーだよネー。いやいやっ、いやいやいや!いーもの見せてもらっちゃったよ、イノリン!
 アスタロトもオニクローも、ワンちゃんも!ノエルちゃんもシロぴもおっつー☆》

祈の呼びかけに答えるように目のひとつが突如として膨れ上がり、宙に浮かぶ大きなモニターに変化する。
モニターに大写しになった御前は愉快げに笑いながらぱちぱちと拍手してみせた。

《で……、なんの用かなー?
 わらわちゃんを呼び出すってことは、何か用件があるってことでショ?》

御前が問う。
祈は華陽宮で御前相手に噛みついた過去がある。御前のことを決してよくは思っていなかったはずだ。
というのに、呼びつけた。そこには何か深い考えがあるに違いない。
そして――祈が御前に対して言った提案は、その場にいる誰もが予想だにしないものだった。

>なー。タマちゃんならこの世界を、
 『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』、できるんじゃねーの?

>ちょっと!?

>……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?

ノエルとポチが戸惑いの声をあげる。
アンテクリスト、ベリアルの野望に巻き込まれ、今まで大勢の人々が不幸になった。死んでいった。
東京はもうボロボロだ。都心部はビルが崩れ、アスファルトは砕け、未曽有の災害に遭ったのと変わらないほど破壊されてしまった。
これから東京が復興し元の活気を取り戻すには、きっと長い年月が必要となることだろう。
だが。

もしもこの破壊を、死を、なかったことにできたなら――

>できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
 メリットもいっぱいあんだぜ。
 東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。それに――
>――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?

祈はそう言うと、悪戯っぽい表情を浮かべて笑った。

455那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:11:02
《ぬぁぁぁぁぁにィィィィィ〜〜〜〜〜?》

祈の突拍子ないにも程がある提案に、御前は思わず素でドスの利いた声をあげた。
だが、祈はまるで悪びれない。言いたいことは全部言ったとばかり、眼を閉じる。

>ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし

「もう、祈ったら。とんでもないことを考えるものですわ。
 でも……ええ。それが一番いいと、わたくしも思います。素敵なアイデアですわ」

レディベアが祈に賛同し、淡く微笑む。
仰向けに転がったままの祈の右手に自身の手を伸ばすと、そっと指を絡める。

>ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
 あまりに影響が大きすぎない?
 例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
 もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……

>……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ
 人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ
 どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ
 過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ

祈の提案に対してノエルと尾弐が異を唱える。
ノエルは自然の体現である災厄の魔物だ。自然の摂理を捻じ曲げかねない遣り方に懸念を抱くのは当然だろう。
尾弐もまた、千年の生のうちに多くの死と別れを経てきた男である。
導き出された現在、最善を目指して辿り着いた今という結果を強引に歪めてしまうことはできないと思うのが自然だ。

けれど。

>だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
 出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……

>よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ
 ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ

共に死線を潜り抜けてきた仲間だからこそ。強い絆で結ばれた戦友だからこそ。
ふたりとも、祈の優しい心を決して無碍にはしない。
尾弐が貴人へ接する際の礼を取り、御前へと語り掛ける。

>――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!
 しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!
 つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!
 そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!

それは、自分とその仲間たちが成した大業への報酬の要求。
偽神討伐はまさに世界を救う偉業であり、尾弐と御前の間に結ばれた契約を満了してなお余りある。
その差額分を、祈の願いを叶えるために使って欲しい――。そう交渉しているのだ。

《はぁぁぁぁぁ!?
 ナニ言っちゃってんの、ソレとコレとは話が別――》

>もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!

《ぶっふ!?》

吹いた。
YouTuberとして活動している御前にとって、マイナス評価は致命的である。
もし提案を呑まなければ、尾弐は本当にレディベアの目を通して全世界に御前のチャンネルのマイナス評価を呼び掛けるだろう。
となれば、ここまで頑張った東京ブリーチャーズに対してなんの褒美も与えなかったとして、御前のチャンネルは大炎上必至。
結果として御前自身への精神的ダメージは計り知れない。
その上。

>オッケー。そういう感じね

ポチがくつくつと悪い笑みを零す。

>綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー

《……何が言いたいのさ》

モニター越しに胡乱な眼差しでポチを一瞥し、腕組みする。
ポチの目論見など、もちろん御前は瞬時に理解している。そして、それが新たな火種になりかねないということも。
妖怪にとって変化術は初歩の妖術である。人間で言うなら自転車に乗る程度の技術と言えばいいだろうか。
この世界において、妖怪は一部を除いて人間の社会に関わってはならないというルールがある。
今回の被害で東京では多くの人間が死んだ。それまで誰かが座っていた椅子が、沢山空いた。
少し目端の利く妖怪であれば、そうして空いた椅子へ人間の代わりに自分が座ってしまうなど造作もないことだろう。
それはこの世界の理を歪める、御前にとっては許されざる行いに他ならなかった。

《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

ノエル、尾弐、ポチ。
東京ブリーチャーズのメンバーに痛いところを突かれ、御前は呻いた。

456那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:15:48
そして。

「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

最後に、橘音がモニターを見上げて口を開く。

「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
 ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
 世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

《アスタロト、そなたちゃんまで――》

「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
 ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
 世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
 ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

駄目押しのような橘音の煽りに御前はしばらく顔を赤くしたり青くしたりしていたが、
ややあって諦めたのか、それとも自分の中で折り合いがついたのか、ふーっと大きく息を吐き、

《……わかったよ》

と、言った。

《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
 特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
 もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

モニターの向こうで、御前が困ったように眉を下げて微笑む。

《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
 キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
 いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

御前は右手を前に突き出すと、大の字に寝そべったままの祈を指差す。

《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
 短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
 運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
 そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
 ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

厳然と、拒絶や否定を許さぬ態度で告げる。
ひとりの妖怪の身には余る、地球の生命力そのものを行使する龍脈の神子の力。
その永久的な喪失と引き換えに、御前は祈の願いを叶えると宣言した。
ただのターボババアの半妖に戻ってしまえば、祈はもうこの最終決戦で使っていた能力の大半を使用できなくなってしまうだろう。
けれども、それでも何の問題もないに違いない。
祈の戦闘経験はそのまま残るし、すっかり相棒となった風火輪も力を貸してくれる。
橘音にノエル、尾弐、ポチ。シロたち東京ブリーチャーズの仲間たちもいるし、何より。
何よりも強い力である、愛と勇気。それが今も祈の中には確かに息衝いているのだから。

《じゃっ、そーゆーコトで!
 これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
 世界の改変時期については追って沙汰する!
 おつかれちゃーん☆》

ぱっと表情をいつもの明るく能天気なものに戻すと、軽く右手を振って御前は姿を消した。
同時に目も巨大なモニターから元に戻る。

「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」

御前との交渉が成功に終わり、橘音がほっと息をつく。
と、バサバサと翼の音を立てながら西洋甲冑を纏った天使が上空から舞い降りてきた。
配下の天使たちを率いて悪魔の軍勢に抗っていたミカエルだ。

「終わったようだな」

ミカエルは東京ブリーチャーズに歩み寄ると、深く頭を下げた。

「今回のことでは、とても世話になった。
 天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
 我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
 本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

橘音が鷹揚に頷いたのを見て、レディベアがおずおずと口を開く。
アンテクリストとの決着の際、祈とレディベアはベリアルを殺さないという意見で一致し、討伐の際にそう願った。
だというのに、周囲にはベリアルの姿も、妖気もない。
姦姦蛇羅のように無害な姿に転生したという訳でもない。本当に、この場にベリアルの痕跡は何ひとつなかった。

457那須野橘音 ◆TIr/ZhnrYI:2021/07/15(木) 21:23:24
「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

そっと左手を胸元に添え、レディベアが言葉を紡ぐ。
最後の一撃を加える際、もうふたりの中から運命変転の力やブリガドーン空間を操る力は、
すっかり枯渇してしまっていたということなのだろうか?
そう、思ったが。

「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」

橘音がレディベアの顔を見遣って答えた。

「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
 それがどういう意味か。分かりますよね?」

ベリアルは死んだ。
だが『滅びてはいない』。
妖怪にとって、死とはすべての終焉ではない。滅びていない限り、妖怪はいつの日か必ず復活する。蘇る。
……だから。

「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
 そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
 ……『またお会いしましょう』ってね」

橘音はそう言うと、ぱちりとウインクしてみせた。
『絶対漂白領域(アブソリュートブリーチワールド)』によって時間が停止した際、
橘音は己の力と尾弐から託された力のすべてを滅びゆく師へと分け与えた。
通常、死した妖怪の復活には長い年月がかかる。強大な力を持つ妖怪ならば尚更だ、ベリアルほどの妖怪ならば、
その復活と再生にかかる年月は千年、二千年では済むまい。
しかし、誰かが妖力を分け与えるならば話は別だ。その分だけ復活に要する時間は短縮できる。
橘音が尾弐から譲り受けた力の使い道が、それだった。
そのため橘音は華陽宮にて修行の末に得た五尾としての力を喪失し、元の三尾に戻ってしまったが、後悔はしていない。
天羽々斬によって完全に漂白されたベリアルが、どのような姿で復活するかは誰にも分からない。
けれども、きっと悪い結果にはならないだろう。
祈とレディベアが使った最後の『そうあれかし』が、ベリアルの未来の幸福を願っていたのなら――必ず。

「さて――みんなが下で待ってます。
 そろそろ帰りましょうか!」

戦いは終わった。悪魔の軍勢は東京から完全に姿を消した。
であるなら、この場にいる必要はない。東京ブリーチャーズは全員が生きているのも不思議なほどボロボロの状態だ。
一刻も早く治療しなければならないし――地上では安倍晴朧ら陰陽寮の人間や、
富嶽たち妖怪の面々が結果報告を心待ちにしていることだろう。
マントを翻し、橘音は仲間たちを促すと先陣を切ってヘリポートから去ろうと踵を返した――が。

「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
 あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

突然、橘音は半狐面を両手で押さえると苦しげに身悶えし始めた。
その苦しみ方は尋常ではない。まるで顔面に濃硫酸でも浴びせかけられたかのようだ。
だが、それは誰かの攻撃を受けたとか、そういう話ではなくて。
むしろ、真逆の事態だった。
カラン――と乾いた音を立て、橘音の顔から半狐面が外れて床に転がる。

「……ぁ……?」

橘音は呆然と声を漏らした。
かつて、橘音は子狐ごんであった頃、猟師の兵十に鉄砲で右眼窩を撃たれて絶命した。
その際に負った傷が、今もなお残っている。その醜さを隠すため、橘音は片時も外すことなく半狐面を被っていたのだ。
けれども今、外れた仮面の中から現れた橘音の素顔に、悍ましい傷はなかった。
砕けた眼窩も、濁った眼球も、すべては存在せず。傷ひとつない綺麗な顔貌がそこにあった。

「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

ぺたぺたと自身の顔に触れ、さらに召怪銘板の自撮りモードで傷がすっかり消えていることを確かめて、
橘音は歓喜の声をあげる。さらに尾弐の許へと走ってゆくと、今までずっと隠さざるを得なかった素顔を見てほしいとばかり、
彼の顔を見上げる。

「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
 ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
 ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

白濁し腐敗した右眼ではない、美しく輝く黒い瞳に大粒の涙を浮かべ、橘音は言った。
ベリアルが死んだことで、ベリアル由来の呪詛に近かったその傷も消滅したということなのだろうか。
それとも、御前が早くも世界線の改変に着手したということなのだろうか。正確な理由は分からないが――
兎も角、橘音の心と身体を長い間蝕んでいた傷は跡形もなく消え去った。

「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
 仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

橘音は嬉しそうに両腕を尾弐の首に伸ばすと、勢いよく抱きついた。




東京ブリーチャーズと東京ドミネーターズの抗争に端を発し、天魔七十二将の介入を経て、
最終的に東京二十三区のすべてを巻き込んでの大乱戦となった、対アンテクリスト――赤マントことベリアルとの決戦は、
こうして幕を閉じた。

458多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:11:55
 ノエル&ハクトコンビによる僅かな時間の停止、ポチの『そうあれかし』の後押し。
それにより祈とレディベアは、天羽々斬と龍脈、ブリガドーン空間、
全ての力を合わせた最大威力の攻撃を、アンテクリストにぶち当てることができた。
 アンテクリストは最後の足掻きとして、
第三の御業『大洪水(ザ・デリュージ)』で世界を道連れにしようとしたようだが、それもどういう訳か不発に終わった。
 結果的に祈たちは、辛くもアンテクリストを倒すことに成功する。
だが東京は壊滅状態にあり、祈にとっては全てが終わったとは言い難かった。
 だからこそ祈は提案する。
最も交渉をしてはいけない妖怪に、世界のリメイクを――。

 役目を終えた氷の籠手も溶け、ターボフォームから通常状態へ。
赤髪、金眼、黒衣からすっかり元の姿に戻った祈は、倒れたまま玉藻御前に呼び掛ける。

「ところで……さ。なぁ。見てんだろ――」
「タマちゃん」

 祈の呼び掛けに応じて、レディベアが展開させた目が変化する。
目を大きく見開いたかと思うと、巨大な四角いモニターのようになった。
その空中に浮かぶ平面のモニターには、楽しそうな様子の玉藻御前が映し出されている。
 やはり見ていた。

>《んっふっふふ〜、やっぱワカってた?
>まぁそりゃそーだよネー。いやいやっ、いやいやいや!いーもの見せてもらっちゃったよ、イノリン!
>アスタロトもオニクローも、ワンちゃんも!ノエルちゃんもシロぴもおっつー☆》

 パリピっぽい服装の御前は、愛らしい笑顔と拍手とでブリーチャーズの面々を労った。

>《で……、なんの用かなー?
>わらわちゃんを呼び出すってことは、何か用件があるってことでショ?》

 小首をかしげて可愛らしく問う御前に対し、
祈が提案したのは、『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』だった。

>「ちょっと!?」

 それを聞いて大きな声を上げるノエル。

「ま、相談しなかったのは悪かったなーって思ってるよ」

 祈が頼んだのは世界の改変だ。
御前にそれが可能だとして、祈が勝手に頼んで良いものではないのは確かだ。
だが、変えたい事象が過去になればなるほど、改変が難しくなることは予想できた。
救えるかもしれない命が救えなくなる可能性があるからこそ、相談する時間も惜しい。
今、交渉を持ちかける必要があったのだ。
 ノエルが声を上げたのは、御前に対する印象が、祈と同様に良くないこともあるかもしれない。
『最低最悪のクソ上司だわ!』とはノエルの言である。
世界でも指折りの力を持ち、頭が切れて弁が立ち、反りも合わない。
そして自分の主張を押し通す我の強さ。
世界のバランスを保つ立場にあるという枷がなければ、
理不尽が服を着て歩いているようなものだろう。
そんな妖怪に交渉を持ちかけたことにも、ノエルは驚いたのかもしれなかった。

>「……ええと。アンテクリストのした事を、なかった事にするって事?」

 祈の意図を確認すべく、ポチがそう問う。

「そう。前にタマちゃん、尾弐のおっさんと『過去を変える』って契約してただろ?
尾弐のおっさんが今を選んでくれたからその話はナシになったけど……、
妖怪はできない契約はしないから、タマちゃんにはできるんだよ。
アンテクリストのしたことを、なかったことにすんのが」

 祈はそう説明する。祈とレディベアが力を合わせて、
滅びかけた街も死んだ人も元通りに……なんてことができれば良かったかもしれないが、
そんなことができるほどの力は残っていなかった。

「つーわけで、タマちゃん。
できるんなら頼むよ。あたしら世界救うためにがんばったんだし、そのくらいのご褒美はあってもいいだろ?
「メリットもいっぱいあんだぜ。
 東京の壊れた街が元通りになるし、アンテクリストや悪魔に殺された人もいなくなるし。
それに――――『あたしが妖怪のこと暴露したのもなかったことになる』しさ?」

>《ぬぁぁぁぁぁにィィィィィ〜〜〜〜〜?》

 先程までの可愛らしい声と表情をドスの利いたものに変えて、御前は祈に問い返す。
祈は意地悪く笑って、

「ま、考えておいてよ。これを聞いてる人たちも、タマちゃんに期待してると思うし」

 そういって目を閉じた。
目を閉じたのは、単に疲れたからというのもあるが、“瞳術にかからないように備えたから”である。
幻を見せ、人を操る瞳術を、五尾たる橘音も得意としている。
その上位たる九尾、玉藻御前なら、この画面越しにもどれほどの技が使えようか。
 直接術をかけなくても、光情報だけで相手を操れるなら、ここで祈を操って前言撤回させることも、
レディベアの目越しに見ている者全員の記憶を失わせることも意のままだろう。
それを警戒したのである。

459多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:16:40
>「もう、祈ったら。とんでもないことを考えるものですわ。
>でも……ええ。それが一番いいと、わたくしも思います。素敵なアイデアですわ」

 祈とお揃いの髪飾りを付けたレディベアが、
祈と同様に疲れた声で言う。

「このままじゃ終われねーだろって思ってさ。
モノは知らないかもだけど、あたしら東京ブリーチャーズの任務は、赤マントを倒すことじゃない。
東京を守り抜くこと“だった”んだから」

 祈は目を閉じたまま、そう答えた。
 そう。アンテクリストを倒すのはあくまでも、東京を守るための手段に過ぎない。
オリンピック開催時期に最大となる龍脈の力。
それを奪われることを防ぎ、東京を守ることを目的に掲げて結成されたのが東京ブリーチャーズだ。
 だが結果はどうだ。
アンテクリストを倒しはしたが、東京は、東京の人々はボロボロに傷ついている。
 都庁の屋上からは、東京の様々な場所が見える。
祈の学校がある場所だってきっとズタボロで、クラスメイトや教師、知り合いだって死んだかもしれない。
 任務失敗のままでは、東京の人々を、愛する世界が傷付いたままでは終われない。
それに、レディベアが悲しむ姿は見たくなかった。
 現状を回復させる手段があるのなら、是が非でも食らいつかねばならないと祈は思ったのだ。

>「ちょーっと待った! アンテクリストって人類の歴史の最初から影響を及ぼしてきたわけだよね?
>あまりに影響が大きすぎない?
>例えば、昔アンテクリストのせいで死ぬはずだった人達が死ななくなったら
>もしかしたら今いる人達の殆どが最初から生まれてなかったことになる、かもしれない……」
>「だから、間を取ってこの最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線、とか
>出来ればもうちょっと遡ってここ最近のアンテクリストに起因する騒動が起きる前に倒された世界線とか……無理かな……」

 その言葉に、祈は「ん?」と首をひねる。
そして、目を開けてノエルの方を向いた。

「あれ? あたしが言ってんのと御幸が言ってるやつ、ほとんどおんなじだよ。
今日の最終決戦が始まる前に、戦いが終わる感じ」

 そしてそう補足した。
 祈が望んだのは、『アンテクリストの被害に遭わなかった世界線に移動させること』だ。
 アンテクリストとは今日この日に誕生した終世主の名で、
その被害に遭わなかった世界線への移動ということは即ち、
アンテクリストが誕生した瞬間から滅びる瞬間までに与えた被害が喪失するということ。
 例えば、【赤マントは龍脈の神子の因子を発動させたが、その力を制御できずに自壊してしまった】
というような結末に塗り替えることによって。
つまりノエルがいう【最終決戦が起きる前にアンテクリストが倒された世界線】と大体同じ意味となるのだ。
 祈は国家の名前のように、ベリアル時代、赤マント時代、アンテクリスト時代といった形で、
名前によって時期を分けて考えたために、言葉選びがああなった。
だがノエルはベリアル=赤マント=アンテクリストという同一存在として捉えていたため、
祈の言葉が正しく伝わらなかったが、どちらも間違いではない。
 結局、二人の指すところは同じなのだ。
 祈とて、ベリアル時代から数えて数万や数億ともなるであろう被害者が生きていたら、
歴史がぐちゃぐちゃになることぐらいわかる。
 本来結婚したはずの人が結婚しなかったり、結婚しなかったはずの人が結婚したり。
生まれるはずの命が生まれず、生まれなかったはずの命が生まれたりするだろう。
良くも悪くも大きく歴史が大きく変わる。
 そのぐらいは祈も分かってはいた。
 とはいえ。

>「……祈の嬢ちゃん。そりゃあ悪い奴が出す答えだぜ」

 尾弐は言う。

>「人は死ぬ。理不尽は隣人で、さよならだけが人生だ」
>「どれだけ痛みと苦しみを与えられても、それを受け入れて歯を食いしばって生きて行かなきゃならねぇ」
>「過去は戻らないし、そこから逃げるなんてのは、臆病で弱い奴の選択だ」

 そして、諭すようにいう尾弐の言葉は、正しい。
過去の改変なんてものは、やってはいけないことなのだろう。
それは今を必死に生きる人々を踏み躙るようなものだ。
誰かを失ったり、とんでもない失敗をやらかしたりしても、人は生きていかなきゃならない。
 なかったことにできるなんて、そんなことはあり得ないから。
簡単に死ぬことなどできないから。

「でも――」

 祈は咄嗟に、尾弐を説得するための言葉を紡ごうとしたが、口が止まった。
尾弐がこんなときにどう言葉を続けるのか、なんとなくわかった気がしたからだ。

>「よく聞け嬢ちゃん。だから俺は――――多甫祈の出した答えを支持するよ」
>「ずっと隠してたんだがな、実はオジサンは悪い奴で、弱くて臆病で……優しい奴の味方なんだ」

 そう。尾弐とは、こういう男なのだ。

>「……わー、そりゃすごいや。全然気づかなかったなー」

 ポチが笑いながら、そんな言葉を棒読みで言う。

「あははっ。あたしも気付かなかった。尾弐のおっさんこそ知ってた?
あたしも実は相当な不良なんだって」

 祈は、尾弐を弱いとは思わない。
ただ一人、外道丸を救えなかった自分と事実が許せずに、
全てをなかったことにしようと願ったのは、弱いというよりはあまりにも己に厳しい。
そして歴史を変えて外道丸を救うため、千年もの時を傷だらけで生きる背中は、あまりにも強く見えた。
 悪と血に塗れても誰かの幸福のために生きる、ダークヒーローそのままの尾弐の生き様。
それは祈に大いに影響を与える、尊敬すべき大人の姿そのものだった。
 幸せな人が増えるなら、自分が悪だとか弱いだとか臆病だとか。
そんなものはどうだっていいように思えてしまう。

460多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:20:41
 そして尾弐は、御前のモニターへと向き直ると、

>「――――御前!尾弐黒雄、嘗て御身より賜りました帝都守護の任、此処に確かに果たして見せました!
>しかしながら!天魔及び偽神の討滅は御身への願いや恩賞と比べても尚、荷が勝ちすぎているのはご存じの通り!
>つきましては……摂理と均衡に基づき、未払いの給金及び残業代と特別賞与を支給する事を要求したい!!
>そして、その全てを多甫祈の願いの対価の足しとする事を求めます!!」

 こんな風に御前へと求めてくれた。

>《はぁぁぁぁぁ!?
>ナニ言っちゃってんの、ソレとコレとは話が別――》

>「もしもそれが叶わぬ場合は――――御身のチャンネルにマイナス評価をするよう全世界に呼びかける所存でございやがります!!

>《ぶっふ!?》

 そういえば御前は、『DJタマモとおひめちゃん』というコンビ名で、
Youtubeにチャンネルを持っているらしい。
 低評価がつきまくるのは、炎上商法としてはある意味成功ともいえるだろう。
一時的に再生数は爆上がりし、名前も売れるだろう。
だがYoutuberは人気商売だと聞く。
その後さまざまな活動に支障が出てくるので、長い目で見ればマイナスに違いなく、
短期的にも精神的なダメージは計り知れないだろう。
 迷うことなくチャンネルを人質に取る尾弐の『悪さ』に、祈は思わず笑ってしまった。

>「オッケー。そういう感じね」

 それを聞いたポチも悪い表情になり、

>「綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー」

 そう加勢してくれる。

>《……何が言いたいのさ》

 と、問いかけておきながら、腕組みをして、胡乱な目でポチをねめつけている様子を見るに、
御前はポチの意図を理解しているようだった。
 おそらくポチの考えることも含め、悪い妖怪によるさまざまな悪行を考慮しているのだろう。
 祈にはポチの考える、悪い妖怪が閃くことが何かは想像するしかない。

(『妖怪の存在が公になったことだし、百鬼夜行しようぜ!』って言いだすやつが出るとか?
それとも鬼が国を作ろうとしてたみたいに、
『東京が弱ってる今がチャンス!乗っ取って妖怪の国を作ろうぜ!』みたいなやつが出てくるとか?)

 とか考えていた。
 なんであれ、御前にはその脅しだけで十分に効いたらしい。

>《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

 と、いかにも追い詰められているような、悔し気な声を出す。

>「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

 とどめを刺したのは橘音だ。

>「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
>ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
>世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

>《アスタロト、そなたちゃんまで――》

 部下の裏切りと煽りに、精神的に更に追いつめられているらしい御前。

>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
>ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
>世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
>ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

 畳みかける。

>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

 橘音の言葉に精神を揺さぶられながらも、頭の中でおそろしい速さで計算をしているのだろう、
 しばらく表情を忙しなく変えながら呻いていた御前だが、やがて。

>《……わかったよ》

 と諦めたように呟いた。
その答えを出すまでに吐いた溜め息は、あまりに長かった。

461多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:25:24
「ほんと!? ありがとタマちゃん! ありがとみんな!」

 祈は元気になり、仰向けに寝転がった状態から、がばっと上体を起こした。

>《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
>特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
>もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

 胡坐をかいて座りながら、祈は記憶を辿る。
 祈も一生懸命だったので感想を抱くだけの余裕はなかったが、
そういえば天羽々斬の剣先から放った光は、今まで見たことがない綺麗な光だった気がした。
空を裂いて、果たしてどこまで飛んだのか。
途中で消えているならいいが、宇宙まで行って星に激突してたりしないといいな、とか今さらになって思う。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
>キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
>いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

「や、やっぱりなんかあんの!?」

 一瞬嫌そうな顔をして、ごくり、と祈は喉を鳴らす。
 御前のことだからどんな無茶を頼んでくるのかわからないと、身構えた。

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
>短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
>運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
>そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
>ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

 龍脈の力は、まさに神のごとき力だ。
特に運命変転の力はおそろしく、使いこなせば今後どのような未来だって選び放題だ。
他人の可能性を使っての運命変転をも覚えてしまった祈なら、
もはや願い事など叶え放題、人も助け放題かもしれない。
 だが。

「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

 祈はあっさりと承諾した。
 龍脈の力を使える資格は有益だが、あくまでも借り物の力。
巨大な流れが、自分を一時その資格者に選んだに過ぎない。
世界の維持や誰かの命を救うという目的のために使うためのものであって、己の私利私欲に使うものではない。
それと引き換えに東京を元通りにできるなら、安いものだった。

「ほら」

 祈は右手の甲を、御前が映るモニターに向けて翳した。
 未来は自分の手で切り開くべきもの。龍脈の力がなくても、誰かを助けるのなら自分でやる。
足りなければまた仲間や風火輪や友達の手を借りたり、その場で知恵を絞ったりすればいい。
 普通の人間と同じように。
 とはいえ。

(今までありがとな……龍脈)

 祈の右手に刻まれた龍紋が剥がれ、光の欠片となってモニターに吸い込まれて消えていく。
 きっと生まれた頃から祈に宿っていた資格。
 それが宿っていたからこそ、ターボババアは危険な戦いも許可してくれた。
かけがえのない友と出会い、母を救い、父に会い、愛する街を脅かす敵を倒せた。
……多くのものを齎し、祈の無茶を支えてきてくれたであろうそれ。
完全に消える前に、祈は感謝を捧げ、届くようにと祈った。

>《じゃっ、そーゆーコトで!
>これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
>世界の改変時期については追って沙汰する!
>おつかれちゃーん☆》

 そして龍脈の力を手にした御前は、モニターを閉じた。
きっと世界の改変作業の支度に取り掛かったのだろう。

「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」

 祈は、両腕を上に挙げて大きく伸びをする。

>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
 
 橘音も、どこかほっとしたような口調で言う。
御前との交渉はそれだけ気を遣ったのだろう。
橘音もノリ良く煽ってはいたが、それが逆に御前の気分を損ねる可能性もあったのだから。

462多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 17:29:30
 一息ついていると、バサバサ、大きな羽音を立てて人影が下りてくる。

>「終わったようだな」

「あ、ミッシェル……」

 背に翼を生やした、美しい女性。
大天使ミカエル。今回は天軍を率いて助太刀してくれていた。
悪魔たちが撤退したので、こちらの様子を見に来てくれたのだろう。
 ミカエルは口を開き、

>「今回のことでは、とても世話になった。
>天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
>我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
>本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

 という。
 その表情を見て、祈は複雑な表情になる。
確かミカエルにとって、ベリアルは恋人のような特別な存在だったはずだ。
その表情はベリアルの死を悲しんでいるようにも見えたし、
その言葉には、自分で決着を付けたかったという悔しさが滲んでいるようにも思えた。
 アンテクリストを直接倒した祈は、どう答えていいかわからず、言葉は出てこない。

>「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

 ブリーチャーズを代表してそのお礼の言葉を受け取ったのは、橘音だった。
橘音にとっても、ベリアルは師匠という特別な存在。ゆえの、一瞬の沈黙だったのだろうか。
 ベリアルと特別な関係にあった二人が作る空気に、何も言葉を発することができない祈だが、

>「……そういえば。
>ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

 レディベアは違う。
レディベアにとっても、ベリアルは育ての父という特別な存在だった。
 だからこそ、この二人の間に入って質問できたのだろう。
ベリアルの迎えた最期について。

>「わたくしは、最後に願ったのです。
>もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
>もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
>歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

 祈は、レディベアの可能性を使って、最後の一撃に運命変転の力を込めた。
 『レディベアの望みが叶いますように』と願って発動させたつもりだが、
姦姦蛇羅の時のように、本当に転生したかどうかとか、そういうことを祈は感知できない。
 故に答えようもない。
 しかし、橘音は答える。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
>それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
>そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
>……『またお会いしましょう』ってね」

 その言葉の意味を祈は理解し、安堵する。
 それはつまり、妖怪は死なないゲゲゲのゲ、ということで。
その心に力を渡してきたということは、きっと再会は早いだろう、ということだ。
 そしてその時こそ、ベリアルは心穏やかに、レディベアと話をしてくれるのだろう。
ミカエルとも、きっと。

463多甫 祈 ◆MJjxToab/g:2021/07/23(金) 18:26:19
>「さて――みんなが下で待ってます。
>そろそろ帰りましょうか!」

 踵を返し、ヘリポートから去ろうとする橘音。
 黒尾王に変化して大立ち回りを演じた割に、意外に元気である。
ノエルだって半透明だし、ポチももはや一歩も歩けないほどに消耗しているようだというのに。
事実、>「当分の間は、のんびりしたいね。一緒に」とシロに言った前後から、一歩も動いていない。
 祈にしても無理やり治して繋いだ体は限界だ。もはや全身が悲鳴を上げている。
 それでも、いつまでもここにいるわけにはいかないのだろう。
 世界が改変されれば、人が戻ってくる。
この不可思議な集団を目撃される。速やかに退散すべきだといえた。

「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」

 そうぶつくさ言いながらも、祈はがくがく震える膝を抑えながら立ち上がり、
転がっている天羽々斬をひょいと持ち上げた。
 祖母も孫も、揃って神剣に対する扱いが雑である。
 レディベアがふらついているのなら、手やら肩やら貸して、そうして祈が橘音に続こうとしたとき。
 橘音が急に、

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
>あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

 顔を押さえて呻きだした。

「橘音!?」

 アンテクリストの心に触れたとき、最後に呪いの類でも貰ったのかと、祈は勘繰る。
だが、カラン、と転がった半孤面。それに隠れていたはずの顔には。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

 橘音の記憶の世界に入り込まなかった祈は直接目にしていないが、
本来橘音の顔の右側には、眼窩から髪の生え際まで伸びた、銃で撃たれた傷があったらしい。
 だが傷なんてものはそこにはなかった。
まるで元々、何もなかったかのように。
 橘音は自分の顔の状態を、召怪銘板に映して確認した後、尾弐の許へ駆けていき、

>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
>ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
>ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

 傷一つない顔を見せた。
 橘音がずっと隠し続けてきたコンプレックスの元だった傷。
それがなくなったことに、橘音は涙を流して喜んだ。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
>仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

 橘音は尾弐の首に手を回して抱き着いている。
テンション上がって、このままキスでもしそうな雰囲気だ。

(案外、アンテクリストからのお返しだったりして)

 祈は二人から視線を逸らして、空を仰ぎながら、そう思った。
 アンテクリストの心に触れたとき、尾弐と橘音は贈り物をしたという。
そのとき、アンテクリストがお返しとして、呪いごと持って行ってくれたのだとすれば。
 あり得ないことだが、そんな風に祈は思いたくなったのだ。

 ともあれ、これで戦いは完全に決着したと見ていい。
これできっと、ハッピーエンドだ。
 と思ったが。

>「ところでそれ……元に戻れるの?」

 ハクトが、ノエルの方を見て、ふとそう問うた。
 あまりにも自然にその場に半透明で突っ立っているものだから、大丈夫なものだと祈は思っていたし、
本人が辛そうではないので、冷気の妖怪や概念的な妖怪としてランクアップでもしたのかと思いきや。

>「さあ……戻り方が分からないんだけど」

 とノエルは能天気に返し、

>「さあって……!」

 その返答にハクトは頭を抱えていた。

「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

 その様子を見てノエルの危機を察した祈は、ハクトに問い、回答を得た。
 祈も頭が痛くなるやら、眩暈を覚えるやら、
危機感を覚えるやら、能天気なノエルに脱力させられるやらである。
 今までの戦いは、誰も彼もが死んでばかりで、
今回こそはまたとないハッピーエンドの機会だと思っていたのに。
 ハッピーエンドはいまだ遠く。

「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

 祈はそんな風に叫ぶ。
 今まで祈を支えてくれたノエルのことを、祈は悪からず思っていた。
それに寂しげな表情をしていたノエルを見たのも手伝って、戦いが終わったら仲を深める提案でもしようかと考えていた。
 具体的には、『これからはノエルって呼んでいいか?』とかなんとか言おうと思っていたのであるが、
そういった話はもう少し後のことになりそうである。

464御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:50:29
尾弐、ポチ、極めつけには橘音にまで畳みかけられ、ついに押し切られたタマちゃん。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
 キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
 いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

>「や、やっぱりなんかあんの!?」

タマちゃんは願いを聞いてくれるらしいものの、交換条件があるという。
またとんでもないことを言い出すんじゃないだろうな!?と警戒するノエル。

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
 短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
 運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
 そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
 ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

>「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

祈はあまりにもあっさり了承したが、ノエルは内心複雑だった。
その内訳は、とりあえず命や体の一部をよこせとか言い出さなくて良かった、という安堵が三分の一。
祈なら必ず世の中をいい方向に変えていくのにその力を使えるはずだったと残念に思うのが三分の一。
が、そんな力を持ったままなら、またいつその力を利用しようとする奴らの陰謀に巻き込まれるか分からない。
だからこれで良かったのだとほっとしたのが三分の一だ。

>《じゃっ、そーゆーコトで!
 これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
 世界の改変時期については追って沙汰する!
 おつかれちゃーん☆》

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」

>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」

>「終わったようだな」
>「今回のことでは、とても世話になった。
 天界を代表し、心から礼を言わせて貰おう……東京ブリーチャーズ。
 我々ではベリアル様を討伐することはできなかった、何もかも、貴公らにやらせてしまったな。
 本当にすまなかった。そして……ありがとう。感謝する」

>「ええ……ミカエルさん。アナタも、お疲れさまでした」

ミカエルとアスタロト、ベリアルと浅からぬ縁があった者同士が言葉を交わす。
その短いやり取りの中には、ベリアルの憎き敵以外の顔を知らない他の者達には分からない万感の想いが込められているのだろう。

>「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

いや、ベリアルが単なる敵ではなかった者がもう一人いた。
自らの策略のためだったとはいえ、レディベアにとってベリアルは育ての親だったことには変わりはない。

465御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:52:04
>「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
 それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
 そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
 ……『またお会いしましょう』ってね」

「そっか……最後まで頑張ってよかったよ。でもあの一瞬で!? やっぱりすごいや、橘音くん」

橘音の言葉を聞き、ノエルもまた胸をなでおろす。
ノエルとハクトが何もせずとも、レディベアと祈の最後の一撃自体は成功していたと思われるが、まさかそんな形で役に立ったとは。
ベリアルはノエルにとっては敵でしかなかったが、橘音にとっては敬愛する師匠で、レディベアにとっては育ての親だ。
そして祈は、たとえ親の仇であろうが転生を願ってしまう心の持ち主なのだ。

>「さて――みんなが下で待ってます。
 そろそろ帰りましょうか!」

「あれ、橘音くん。尻尾が三本に戻ってるけど大丈夫!? ポチ君、立てる……!?」

橘音は平然を装ってはいるが、しれっと尻尾の本数が減っている。
ポチに至ってはハクトが協力要請をしたときにはすでに少しも動けないという様子だった。
まだ動ける者が動けない者を支えたり抱えたりしつつ、撤退にとりかかる一同。
そんな時、突如として橘音が苦しみだした。

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
 あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

「橘音くん!?」

半孤面が外れ落ちると――以前精神世界で目にした通りの、美貌が現れる。
が、そこにあったはずの痛ましい傷は、もうない。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」
>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
 ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
 ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」
>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
 仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

「良かったねきっちゃん……。
兵十の家に食べ物を持っていくように勧めたの、間違いじゃなかったって、やっと思える……」

466御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:53:43
尾弐に抱き着く橘音をしみじみと見ていたノエルは、ハクトに元に戻れるのかと聞かれ、危機感の薄い言葉を返す。
それを聞いていた祈が、ハクトに問いかける。

>「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

「実体を手放して真の力を解放する技を使ったんだけど……すごく危険な技だったんだ。
雪女は仮初の肉体をよすがに存在を認識されている妖怪だから……」

二人の深刻そうな会話を聞いて、ようやく本人も危機感を覚え始める。

「えぇっ、もしかしてヤバいかな!? どうしよう!」

>「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

「それは困る! ちょっと待って、気合で戻るから!」

騒いでいると、何故か深雪(半透明)が現れた。ノエルと二人(?)同時にイメージ映像が投影されている。
今は実体ではないので、姿が二人分出てくる事自体は在り得るのかもしれないが……問題は姿ではなく人格の分離の方だ。
最近は統合されていたはずの深雪が、分離している。

「戻り方が分からない? そりゃあここでは戻れぬぞ。再構築は雪山になる」

「そうなんだ? 帰ってくるの面倒だなぁ。あれ? 久々に人格が分離してる……?」

「クククク……あーはっはっはっはっは!! 待っておったぞこの時を……。
隙あらば乗っ取ると言ったであろう! 馬鹿め……すっかり手懐けたと思って油断したな!」

理想的なフォルムの悪役のような哄笑をあげる深雪。
肉体再構築のどさくさに紛れて主導権を乗っ取る算段らしい。

(でも! 運命変転の力で性質を変えられたんじゃないの!?)

《我が人類の味方へと転化した理由は知っておるだろう。
ならば祈殿が龍脈の力を手放した今、どうなるか――分かるな?》

(そんな……)

《祈殿は今や普通のターボババアの妖怪だ。我の猛威に晒されでもしたら只では済まぬだろうな》

「……」

どうやら深雪としては、祈が龍脈の力を手放したのが、お気に召さなかったらしい。
人の世で生きていく未来も一瞬夢見たが、やはり人の立ち入ること許されぬ冷厳なる領域を守る定めのようだ。
「君達を傷つけるわけにはいかないから一緒にはいられない」なんて言ったら、祈は必ず力尽くでも引き留めようとする。
そこでノエルは、ぞっとするほど涼やかな声音で告げる。

467御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:56:02
「心配しないでいい。すぐに雪山で再構築される。
でも……もう社会見学は終わりだ。王位を次いで雪妖界の恐るべき頂点として君臨するんだ」

妖怪は嘘はつけない仕様だが、誤解を招く発言は得意技だ。
そこで嘘ではない範疇で、出来得る限り嫌われるように言葉を紡ぐ。

「こうなってしまったなら仕方ないね。
僕は、大局的な世界の存続という目的達成のために龍脈の神子である君に取り入ったんだ」

これは実際に、深雪つまりノエルが人類の味方へと転化した理由あるいは口実であるので、別に嘘ではない。

「龍脈の力を手放してしまった君なんて、もう(ただの)好きじゃない」

「乃恵瑠……」

()内は霊的聴力を持つハクトにしか聞こえないであろう、微かな声。
人間界の契約書で、都合の悪いことをわざと超小さい文字で書くのと同じような手法だ。
これは、『何のためらいもなく龍脈の力を手放してしまった君が、ただの好きなんかじゃなくて大好き』という意味だ。

「もう、君(だけ)の味方なんかじゃないっ!」

これも、ついさっき“君の味方”じゃなくて”君達の味方”になったという意味だ。
もう時間切れらしく、ノエルの姿が消えていく。ついに音声すらも再生不可能になった。

(離れていても、ずっと、味方だから――
ハクト、もう耳も消せるでしょ? 僕の代わりに学校に潜入よろしく)

ゆえに、幸か不幸か――最後の言葉は、祈に届くことはなかった。

「よく言った我が器よ!
残念だったな元龍脈の神子……
おそらく以前貴様が修行をした辺りで再構築されるであろうがゆめゆめ連れ戻そうなどと思うでないぞ。
次に再構築された際には我が主導権を握っておる。今や単なる半端者の貴様など我の手にかかれば一捻りよ!
それに道中で遭難したりシロクマに襲われても只では済まぬからな! くれぐれも気を付けるのだぞ」

続いて深雪も妙に説明的な捨て台詞を残し、冷気の風となって掻き消えた。
……どう聞いても“来るなよ? 絶対来るなよ?”だった。
ハクトは暫し呆然とした後、悶えながら地面をごろごろ転がった。
ノエルと挙動が似ているのは、ノエルのペットだから仕方がない。

468御幸 乃恵瑠 ◆4fQkd8JTfc:2021/07/27(火) 01:58:05
「もう! 君って妖怪は本当に……! なんでそうなるの!
ぼく、便利な使い魔じゃなくて単なる愛玩動物だよ!?
それにシロクマが出るのは雪山じゃなくて北極圏だから!」

ひとしきり転げまわると起き上がり、祈に申し訳なさげに告げる。

「祈ちゃん、ごめんね……。愛想尽かしたよね……。ぼくも愛想尽かしたよ。
もう乃恵瑠なんて知らない! 放置プレイしてやる―――――ッ!」

再び取り乱しかけたが気を取り直して続ける。

「……と言いたいところなんだけど飼い主の面倒を見るのはペットの責任だから。
乃恵瑠を連れ戻しに行こうと思うんだ。でも、ぼくだけじゃ力不足かもしれない。
それで、本当に申し訳ないんだけど……」

そこで何故か原型に戻るハクト。
単にタイミング良く力尽きたのか、作戦なのかは分からないが、白いモフモフのウサギがつぶらな瞳で祈を見つめる。

「祈ちゃん、前にお礼するって言ってくれたの、覚えてる……?
学校が休みの時にでも、一緒に来てほしいんだ」

いつぞやの姦姦蛇螺との戦いの時に置いてきぼりをくらった祈に、皆の居場所を教えたことの対価――
しおらしい態度で、しれっと切り札を切るハクト。
このウサギ、毛皮は白くても中身は真っ黒である。
妖怪にとって約束は絶対で、祈もクオーターとはいえ妖怪なのだ。

――ところで、深雪は本当に人類の敵に戻ってしまったのだろうか。
運命変転の力によって一度変えられた深雪の性質は、祈がその力を失ってもそのまま継続する、と考える方が自然な気もする。
よって、ハクトが乗ってくるのを見越した深雪による、なんらかの目的のための狂言誘拐という疑惑がここに浮上する。
深雪とノエルは同一存在なので、単なる家出とも言うかもしれない。
そんなものに強制的に巻き込まれた祈はたまったものではない。
しかし、ハクトは知らない。
以前ノエルの人格が消えようとしたとき、祈に
『あたしに断りなくまた勝手に消えようとしたら、次はこんなもんじゃ済まさねーから』
つまり言外に『次はボコボコにしてやる』と言われていることを!

469尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:00:21
>綺麗好きねえ。だったら尚更、ぜーんぶ無かった事にしちゃった方がいいんじゃない?ねえ、御前?
>こんな事があった後だとさ、僕みたいなわるーい妖怪は色々閃いちゃうと思うんだよねー
>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
>ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
>世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
>ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」
>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》
>《……わかったよ》

祈、尾弐、ポチ、橘音。
文字通り死力を尽くして力を行使したノエルを除く東京ブリーチャーズの面々によって畳み掛けるように行われた脅迫(こうしょう)と懐柔(せっとく)。
それによって御前はとうとう折れた。少なくとも、折れた様に見せてくれた。
実の所……御前は尾弐が何も言わずとも祈の願いを叶えてくれたと、そう尾弐は考えている。
高みから人妖を見下ろし享楽的な態度を見せる大妖怪ではあるが、根本的な所で善性に焦がれている事を長い間配下で働いてきた尾弐は知っているからだ。
無理を言われた事も無茶を命じられた事も数知れず。
しかしそれでも、絶死の捨て駒として扱われた事は一度として無かった。
だからきっと、最後には今と同じように

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。

こう言って願いを飲んでくれたのだと思う。
では、それを知っていて何故脅すような事を言ったのかと言えば
一つは、いつか今回の件で問題が起きた際に『ああ言われたから仕方なかった』と言い訳が出来るよう、御前の立場と面子を守る為。
そしてもう一つは――――長きに渡るブラックな職場環境への個人的な意趣返しであったりもする。

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」
>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
「いや、流石に落着してもらわねぇと困るぜ。もう妖力どころかまもとな腕力すら残ってねぇからな」

そうして、御前との交渉が終わるのを見届けてから、尾弐は疲れたように息を吐く。
願いに対し祈の『龍脈の神子』としてのをが対価として求められた事については、惜しむ気持ちこそあれ納得はしている。
願いと対価の関係というものは、多すぎても少なすぎても災いを齎す。
尾弐と外道丸。ただ二人の過去に対する願いですら多大なる労力が必要としたのだ。
短い期間とはいえ世界規模の過去を操作するのであれば、それこそ運命を司る龍脈の神子の資格でもなければ釣り合わないのは自明の理だろう。

それに……子供は成長していく中で、いつかその背中に持っていた翼を失くすものだ。
そうして、自分の足で大地を踏みしめて歩いて行くのだ。

(……祈の嬢ちゃんは歩を進めたってのに、俺はこの後に及んでまだ割り切れねぇなんざ、笑い草だな)

470尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:01:00
僅かに視線だけを動かし、やってきたミカエルの相手を務める橘音を眺め見る。
尾弐は橘音に対して彼女自身のベリアルとの決着を求めた。
その事自体は間違ってはいないと思っているし、そうすべきであったと信じている。
だが……正しさと優しさは別の物だ。
きっと。最後に語らず、何も決着を付けさせなければ可能性は残った。
例えば、ベリアルがその心の奥深くでは弟子としてのアスタロトを愛し慈しんでいたという可能性。
或いは、神が定めた運命に縛られ仕方なく悪を為していたのだという可能性。
けれど尾弐は、そんな優しさに満ちた可能性を摘み取った。橘音の/自分の為に。
そこに後悔は無い。けれど未練は有る。
もしもこの事が橘音の心に傷として残っていたら、自分はどの様にその痛みと向き合おうか。

しかし、そんな事を――――過ぎてしまった事を後ろ向きに考えていた尾弐の耳に、レディベアとミカエル。そして橘音の会話が届いた。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
>それがどういう意味か。分かりますよね?」
>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
>そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
>……『またお会いしましょう』ってね」

「――――っ」

思わず漏れ出しそうになったソレを、尾弐は無理やり抑え付ける。
抑え付けたものは、笑い声。自身の矮小さを笑う声。

(ハ……馬鹿か俺は。橘音が前を向いてるってのに、ウダウダと情けねぇ。ああそうだ。そうだった)

確かに正しさと優しさは違う。
だが、優しさと甘さもまた違うのだ。
那須野橘音が正しい道を歩ききって、前を向き答えを出したというのに。
その背中を押した自分が迷ってどうする。

「……ま、アレだ。次見かけた時にまだ調子に乗ってやがったら、今度は原型が判らなくなるまで頬でもを引っ叩いてやるとするかね」

肩を竦め、困ったような笑みを浮かべ。自身と再会する事が無い事を祈りつつ――――けれど再会する未来も認めつつ。

>「さて――みんなが下で待ってます。
>そろそろ帰りましょうか!」
>「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」
「あいよ、大将。あと、エレベーターは諦めろ祈の嬢ちゃん。どう見ても電気が通ってねぇ…………オジサンの腰、下まで持つか……?」

尾弐黒雄は前へ前へと歩を進める。
これは、一人一人の今を生きる者達がが手を伸ばして勝ち得た必然のハッピーエンド。

471尾弐 黒雄 ◆pNqNUIlvYE:2021/08/04(水) 00:10:30




だからこそ


>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
>あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

「な――!!? 橘音ッ!!!!」

尾弐は突如として蹲り叫び声を上げた那須野橘音に対して驚愕の声を上げた。
奪われて奪われて奪われて奪われて
理不尽に失い続けるだけの生を送ってきたからこそ、突然の出来事に真っ白になった思考の片隅で尾弐は思ってしまう。
また、大切な存在を――――掛け替えのない者を奪われるのかと。
背筋に這い寄る絶望を振り払うように、焦燥にまみれた表情で橘音へと手を伸ばし

>「……ぁ……?」

そして、カランという乾いた音が響くと同時に目を見開き、その手がピタリと止まった。
それは恐怖でも絶望でもなく――――純粋な驚愕によって。

尾弐黒雄は知っている。
狐面探偵、那須野橘音の仮面の下に刻まれている傷の存在を。
複雑に絡んだ因果の果てか、類まれなる呪詛が故か。
野狐から妖狐へと変性しても尚残されていた、顔と心に刻まれた深い深い傷。

その傷が――――消えていた。まるで、傷自体が漂白されたかの様に。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」
>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
>ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
>ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

「……」

何故、という疑問。不可思議な現象に対する警戒。
尾弐黒雄と言う男の人格を考えれば、本来、驚愕の次に訪れる感情はそういった類のものであってしかるべきなのだろう。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
>仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」
「……ああ……良かった。お前さんの傷が治って本当に……本当に良かった!」

けれど、尾弐黒雄が抱いた感情は、尾弐自身ですら意外な事に――――喜びであった。

那須野橘音の傷が治って嬉しい。
那須野橘音の心の重荷が消えて嬉しい。
那須野橘音が笑っていて嬉しい。
那須野橘音が未来に希望を持ってくれて嬉しい。

千年掛けて積み重ねてきた猜疑心や捻くれた大人の矜持は、橘音の笑顔を前にして単純にも霧散していた。
だがしかし。湧き上がる喜びの感情を抱きながらも、尾弐は言葉を続ける。
それは本心で、一人の男としての矜持で、今最も言わなければならない大切な言葉。

「……けどな、橘音。今のお前さんも綺麗だが――――俺にとって那須野橘音は、いつだって綺麗だったんだぜ?
 俺は、過去も今も今も全部引っくるめてお前を……那須野橘音を愛してるんだ。それはこれからもずっと。永遠に、だ」

勢いよく抱きついてきた橘音を、尾弐はまともに動く左腕で残った力を籠めて抱きしめ返す。
その表情は、みっともないくらいに優しい泣き笑い。
未来の話をすると鬼が笑う。鬼の目にも涙とは良く言ったものだ。

こうして、どんな強大な敵にも立ち向かい戦い続け、邪悪なそうあれかしすら統べて見せた悪鬼は、
愛する女に起きた奇跡に……那須野橘音の笑顔の前に、とうとう敗北したのである。



そして、二人の世界に入った男女が周囲の状況に気付かぬのは常の事
思考の片隅で、何やら大変な事になっているノエルと祈に対し謝りながらも、その腕はもう二度と離さないとばかりに、橘音を抱きしめる力を一層強くするのであった。

472ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:13:52
>《ぐぬぬぬぬぬぬ……》

「なーにを迷う事があるのさ?僕ら、東京を舞台に人狼ゲームなんてしたくないんだけどな〜?」

いつぞやのお返しとばかりに、ポチが笑う。

>「……御前。どうやら、ここは御前の負けのようですよ?」

更には橘音も、祈の願いを聞き入れてもらえるよう口を開く。

>「何も、千年前からの因縁を一切合切なかったものにして欲しいって言ってるわけじゃありません。
  ノエルさんが言ったように、ここ最近の騒動を収束する形で世界を改変してくれればいいんです。
  世界でも五指に入る力を持つ御前なら、そんなのお茶の子さいさい!朝飯前ってやつですよね?」

>「そ・れ・に!御前、今こそ評価爆上げのチャンスですよ?
  ここでボクたちの願いを叶えれば、心が広くて寛容なデキる上司!ってことで、みんな感謝すること間違いなし!
  世界の調和も保たれますし、八方丸く収まるってもんでしょう!
  ホラホラ、善は急げですよぉ〜!」

>《ぬぐぐぐぐぐぐ……》

御前が呻き声を上げる――それから、ふと大きく息を吐いた。

>《……わかったよ》
>「ほんと!? ありがとタマちゃん! ありがとみんな!」

「……言い出しっぺは祈ちゃんでしょ。お礼を言うのは僕らの方だってば」

>《正直な話……そなたちゃんたちには、いっぱいいっぱいキレイなものを見せてもらったよ。
  特に最後の、イノリンとベアちの放った天羽々斬の光。あれは……とってもキレイだった。
  もうウン百万年も妖怪やってるわらわちゃんですら初めて見る、あれは……うん。サイコーにエモい輝きだった》

御前はいっそ吹っ切れたのか、なんだか清々しそうな語り口だった。

>《あんなにキレイな光が見られるなら、まだまだこの世界も捨てたモンじゃない。
  キレイな光を放つそなたちゃんたちの期待には、応えなくちゃならない。それがわらわちゃんの義務なんだ。
  いいよ、願いは叶える。ただし――ひとつだけ条件がある》

>「や、やっぱりなんかあんの!?」

「ちょっと……またそうやって後出しで――」

>《イノリンの『龍脈の神子』の資格を貰うよ。
  短い期間が範囲とはいえ、さすがにわらわちゃんも世界をまるっと改変するのは骨が折れるからね。
  運命変転の力を使って世界線を変えなくちゃいけない。だから――
  そなたちゃんは龍脈の神子じゃなくなる。もう二度と運命変転の力は使えなくなる。
  ただのターボババアの妖怪に戻るんだ。……いいね》

有無を言わせない口調――ポチが歯噛みする。
前回とは比べ物にならないとは言え、今回の代償もまたひどく大きなものになった。

>「……え? いいけど、そんなもんでいいの?」

「祈ちゃんも、そんな事も無げに……」

運命変転の力が失われるのは――危険なんじゃないか。
祈はこれから先も、きっとこれまでと同じように戦って、なるべく多くの誰かを救おうとし続ける。
そうしている内にまた、運命変転の力が必要な時が来るんじゃないのか。
そんな事を考えていた自分がバカらしくに思えて、ポチはもう一度溜息を零した。

473ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:15:12
>《じゃっ、そーゆーコトで!
  これから支度するんで、忙しくなっから一旦回線切るね!
  世界の改変時期については追って沙汰する!
  おつかれちゃーん☆》

ともあれ、これで戦いの後始末の目処も付いた。

>「……あ“ーーー。今度こそ終わった! なんとかなった!」
>「やれやれ……これにて一件落着、って感じですかね?」
>「いや、流石に落着してもらわねぇと困るぜ。もう妖力どころかまもとな腕力すら残ってねぇからな」

「ええー、そりゃ不味いよ尾弐っち。尾弐っちの腕力なしに、僕らどうやってここから事務所まで帰るのさ」

冗談めかした口調。だが実際のところポチは本気でこう言っていた。
アンテクリストとの戦いは文字通りの出血大サービスだった。
体力、妖力は勿論、血液さえ足りていないのだ。
立ち上がるどころか、指一本動かす事さえ大変なのがポチの現状だった。

>「終わったようだな」

「あー……アンタも無事だったんだ。良かった。色んな意味で」

少なくとも、これで屋上から歩かず降りる事が叶うかもしれない。
それに、ミカエルはこの戦いに臨むに当たって強い使命感を抱いているように見えた。
危うさすら感じるほどに――それに関しては、今振り返るとポチに言えた事ではないのだが。
とにかく、そんな彼女が無事でいてくれてポチは嬉しかった。

>「……そういえば。
 ベリアルはどうなったのでしょうか……?」

ふと、レディベアが呟く。

>「わたくしは、最後に願ったのです。
 もし叶うのなら、いつか。悪意だとか、憎しみだとか、野望だとか。そんなことをすべて抜きにして、
 もう一度お話しがしたいと。穏やかに語り合うことができたなら、それはどんなにか素敵なことでしょう?
 歪んでしまう前のベリアルと。かつてすべての天使の兄と、神の長子と言われていた彼と――」

そうだ。レディベアは、そして祈も間違いなく、ベリアルがただ終わる事を望まなかったはずだ。
だが――ポチが鼻を鳴らす。ベリアル、或いは赤マントのにおいは嗅ぎ取れない。

>「師匠は。……ベリアルは死にましたよ。間違いなく」
>「彼は死にました。そう――『死んだ』のです。祈ちゃんとレディの攻撃によって。
  それがどういう意味か。分かりますよね?」

>「ハクト君が時間を停めたとき、ボクは師匠の心に触れました。
  そして、おまじないをひとつ彼に施してきたんです。ボクの五尾の妖力と、クロオさんから貰った妖力を使って。
  ……『またお会いしましょう』ってね」

「……そっか」

ポチはそう呟いて、目を閉じる。
ポチの中にある賢しらな部分が、首を傾げる。
あのベリアルの性根が、一回死んだくらいで治るのだろうかと。

「うん……僕らにボコボコにされて、いっぺん死んで。
 死ぬ間際にまた会う約束まで取り付けられた訳だ。
 いい落としどころなんじゃない?」

だが、そんな事は口には出さない。
代わりに、くすくすと笑いながら、そう言った。
ベリアルとは本当に色々あったが――もう全部過ぎた事だと。

>「……ま、アレだ。次見かけた時にまだ調子に乗ってやがったら、今度は原型が判らなくなるまで頬でもを引っ叩いてやるとするかね」

「あ、その時は僕も呼んでよね。追いかけ回して怖がらせるのは僕の仕事なんだから」

474ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:15:45
>「さて――みんなが下で待ってます。
  そろそろ帰りましょうか!」
>「……せめてエレベーター直ってねーかな? あたしもう歩くのもしんどい……」
「あいよ、大将。あと、エレベーターは諦めろ祈の嬢ちゃん。どう見ても電気が通ってねぇ…………オジサンの腰、下まで持つか……?」

「嘘でしょ尾弐っち。尾弐っちが手を貸してくれなきゃ、僕はどうやって立ち上がればいいのさ」

なんて事を言いつつも、ポチはどうにか体を起こそうとした――その時だった。

>「……ぅ……、ぁ、ぐ……ゥッ……!
> あ……、熱い……!顔が……顔が、焼けるように……うあああああああッ!!」

不意に、橘音が悲鳴を上げた。

「橘音ちゃん!?」

ポチは咄嗟に駆け寄ろうとして、しかし立ち上がれずに倒れ込む。
せめて橘音を見上げる。彼女は半狐面を両手で押さえて、ひどく苦しんでいた。
何が起きているのか、何をすればいいのかもポチには分からない。
そして――橘音の半狐面が外れて、落ちる。

>「……ぁ……?」

「……あ」

半狐面の外れた橘音の顔から、あの傷跡がなくなっていた。
橘音の命を奪った傷。その存在に刻み込まれた醜悪な傷が――どこにもない。

>「あ、あああ……!ボクの顔!ボクの右眼!ボクの……ボクの傷が……!なくなってる……!!」

それは、どんな理由でそうなったにしろ驚くべき事だった。
だが――ポチは、何も言わない。
喜びに打ち震える橘音に、何か言葉をかけようとはしない。

>「クロオさん……!クロオさん!見て!見て下さい……!
  ボクの顔……!ボクの眼、ボクの傷が……もう、影も形もないんです!
  ああ……なんてことだ!こんなの、夢みたいだ……!」

けれども――無反応を決め込んでいるという訳でもなかった。
涙を浮かべて、しかし嬉しげに尾弐を振り返る橘音は、幸せそうだった――綺麗だった。
言葉も出ないほどに。

>「嬉しい……!これで、なんの心配もなく堂々とクロオさんに愛して貰える!
  仮面なんかで隠さなくても、ありのままのボクで触れ合える……!」

決して、断じて見惚れている訳ではない。
が、そこには単なる美貌とはまた違った美しさと、尊さがあった。

476ポチ ◆CDuTShoToA:2021/08/11(水) 20:34:57
>「……ああ……良かった。お前さんの傷が治って本当に……本当に良かった!」
>「……けどな、橘音。今のお前さんも綺麗だが――――俺にとって那須野橘音は、いつだって綺麗だったんだぜ?
 俺は、過去も今も今も全部引っくるめてお前を……那須野橘音を愛してるんだ。それはこれからもずっと。永遠に、だ」

橘音が尾弐に抱きつく。尾弐がそれを抱き返す。

「……良かったね、二人とも」

ポチが小さく呟いた。

「さて……これで、僕らが立つ為に手を貸してくれる唯一の候補者がいなくなった訳だけど」

それから少し声を抑えたまま、もう一度床に全身を預ける。全身の力を抜く。

「……ま、いいよね。もう焦るような事は何もないし。忙しいのも、これで終わり」

目を閉じる。

「それに……隣には君がいてくれる。もう暫くこうやって、のんびりしてても――」

>「は? もしかして御幸、死ぬかどうかの瀬戸際なの……?」

ふと、祈の声が聞こえてきた。ポチの眉間に小さくシワが寄る。

「……あー、前言撤回」

>「『未来永劫、君”達”の味方だ!』とかカッコつけといて……なに勝手に死にかかってんだバカァ!
  カッパ先生の軟膏は……塗れるわけねーか。
  橘音は……尾弐のおっさんと良い雰囲気だから邪魔できねーし。あーもう! 勝手に死んだら蹴るからな!」

「……それ、さんせー。勝手に死んでなくても、蹴りに行こうよ。やぁーっと、僕らもふたりでのんびり出来ると思ったのに」

ポチが気怠さに包まれた体を無理矢理起こす。シロに手を貸す。
ポチは、狼だ――犬ではない。
やっと掴んだはずだった望んだ未来をお預けされても、尻尾を振っているような犬ではない。
ポチは、もううんざりと言った口調とは裏腹に少しだけ楽しそうだった。
狼として、当然と言えば当然の事だった――なにせ、次の獲物が決まったのだから。


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