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天照 つれづれに書く

1天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/04/19(土) 20:29:38 ID:xEssvLDo0
メインスレとは別につれづれに書いてゆくスレです。
メインスレを多投稿で流さないようにするための1処置です。

2天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/04/27(日) 05:15:14 ID:xEssvLDo0
信者になって教団(教祖)の操作下に有る経験をしたことのない人にはわからない事項かもしれませんが、
信者というものは素直であれば素直なほど教団の指導方針に従ってしまうものです。

また教義は本当の仏教の内容で無いことを知らないが故に沿ってしまう。
例えば本尊に供養するという名目で道場運営のための清掃やら手伝いなどを行う。
それは何もフィルターを通さないで見ればただの教団への奉仕にしかならない。
しかしそれは何も知らない一般人の見方であって、そうではない。
自らの空いた時間を仏様のためにご供養するのであって、奴隷ではないと言われるわけです。
それを鵜呑みにするか、それとも「屁理屈だ」と言って逆らい従わないか、で道は割れます。

で、結果として従わない方が正解であるという皮肉な現象が起きているわけです。
つまりは騙されていることに気がつかない故の結果があるわけです。

騙されている方は騙されているなどと微塵も思いません。
教団の教義に従い行っているだけですから、変だと思わない。
ところがその教義が信者を使いものにするための方便で作られていて釈尊の説いたもので無いとしたらどうか?

本当の意味を知ったら誰もやらないでしょうね。

ですからエセ宗教とは如何に酷いものか、というのを実際に経験しているのでそれを公表しているのです。
人の心も金も物も操作し搾取する。本当に人というものを育て良き方向に向上させる宗教がすることとは思えません。
詐欺宗教やエセ宗教はこうやって人を騙して成り立っているのを、我々は知るべきです。

3天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/04/27(日) 05:29:22 ID:xEssvLDo0
阿含宗は皆さんご存知の通り「仏教教団」を名乗っています。しかも仏教教団というのは世界に沢山有り、
日本でもかなりの数があります。

そういう沢山有る中で「本当の仏教教団である」ということまで宣言しています。
それは仏教の歴史を知ると判りますが、阿含経こそがお釈迦様の言動録であるお経ということが言われています。
それ以外のお経は「創作経典」といわれて本当の言動録ではないと見られています。
そしてその阿含経を依経として奉じているということで内実「阿含宗こそが本当の仏教教団だ」と言っています。

ところがこれが真っ赤な嘘なんですね。
阿含経がお釈迦様の言動録であるということを盾に「本当の仏教教団である」と見せかけ名乗っているだけなのです。
ですから阿含宗は阿含経に書かれているお釈迦様の言動に反することばかりしています。

例えばお釈迦様が禁止した事項、護摩を焚くな、占いをするな、ということを平気で破って行っています。
またお釈迦様が説かないことを言い、信者にそれらを行わせています。
例えば死者供養(死者を成仏させる)ことや因縁解脱という嘘の教えをやったりやらせたりします。

本当に阿含宗がお釈迦様の言動に沿うならば、こういう本末転倒な行動をするでしょうか?
答えは「否」ですね。お釈迦様の言動に従わない教団は仏教とは呼びません。外道と言います。

つまり阿含宗は名前や建前だけで中身は「外道」であり偽仏教であり詐欺宗教なのです。

4天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/09(金) 14:19:15 ID:HxeGAgT60
2chにて「功過格」についてユビさんが語られていますが、ここしたらばでは私の経緯や思うところを書きたいと思います。

実は私は功過格については疎く、知り合いの法友と2chで詳しく知った次第です。
実際的に阿含宗の信仰を20数年もしていながら、ほとんど知らない状態であった私ですが、なぜにこうも「知らなさすきたか」と
思っていたら、ユビさんの説明で納得がいきました。

自分が居た阿含宗の道場内で功過格の話が出たことが法友や先達からも一切無いのです。
なので阿含宗を辞める数年前に東京の法友から聞いたのと2chで功過格のことが出てたのを過去ログから見たり、後はネットで
参照しているPをみて「ああ、あるんだ」と認識するほど疎く遅かった。

だから最初は「何の話?」と思ったほどです。
まあ同じ信仰をする信者同士なので、いきなり横からとんでもない話のようなものを出すわけがない。
おそらく自分が勉強会とかあまり出席できなかったから、見逃したり知らなかっただけだろう。
そのように思っていました。

しかし阿含宗の教学のVTRにも法話にも功過格の話は出てきません。ほとんど皆無と言っていいほどです。
ましてや先達や職員からも功過格の話はゼロです。
私の疎さを正当化するつもりは有りませんが、あまりにも出ない話なのできつねにつままれたに近いものがありました。

ですが先も言いましたようにユビさんの説明で非常に納得がいきましたね。
それですものあまりにも目に入らぬ・頭に残らぬ・話題にも出ないはずです。
密教占星術Ⅰも見ているはずですが、全然素通りしている。私の頭の隅にでも残っていない状態です。
だからネットで功過格表を見たときに逆に新鮮に感じたものですが、でもそういう感慨を感じながら疑問も出た。

5天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/09(金) 14:49:04 ID:HxeGAgT60
功過格が結構大事なら阿含宗でなぜにもっと取り上げてゲイカが言わないか。
また功過格の実践を促しながらも阿含宗流「積徳の大切さ」を説いても良いではないのか、と思ったものです。

まったくと言っていいほど阿含宗に出てこない「功過格」
でも密教占星術Ⅰにある程度書かれていて、説明上では大白身法云々に表を取り入れているとしながら触れないのはかなり異常な状態です。

それともこれは推測ですが功過格に書かれているようなことが積徳行為の何かに引っ掛かりがあり、思わしくなかったので引用しなかった?
引用はパクリにならないはずですから大丈夫なのに、さらっとしか言わずなのはユビさんが言うような「つまり一時的な読書から書いてみた」
といわれても仕方無い所業だと私も思います。

本当に大事で教学にしてもおかしくない、または機軸になりえるものなのにほとんど触れない。
私のような昭和の終わり頃に入信した信者でも疎いのですから、今時の新しい信者さんなら功過格を知らない人は益々多いと思います。

決して「功過格を知っているからエライ」ということではありません。
桐山靖雄という人間は持論というか主張したいことは何度でも著書でも法話でもしつこいほど繰り返す人間です。
信者経験がある人ならこのことは皆強くいえます。

しかし刹那的で一時的であまり気にかけない(興味が無い)ものや都合の悪いものには取り合わず目もくれない。
功過格がそういう代物だとは私は思わないが、あまりにも教祖が触れないのは異常に次ぐ異常さです。
ましてや「千座行」にも関わるわけですし、因縁解脱にも関わる。

袁了凡の話「陰隲録」(いんしつろく)を読むと袁了凡が功過格の実践によって運命を変える経緯による話があります。
これが阿含宗で言うところの「因縁解脱」になるわけですが、ここで気になることが。

袁了凡が成仏法が無い時代にも拘らず、功過格の実践で運命を変えることが出来た、という点です。
阿含宗は伝家の宝刀である「成仏法」が有るにも拘らず「因縁解脱」ができない。
しかし袁了凡は功過格の実践によって運命を変えたというのは誠に皮肉な話です。

6天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/09(金) 15:11:34 ID:q/2u9yoc0
これではアラ探しではないが現実を見ると本末転倒に近いことではないか。
それとも袁了凡はよくあたる占い師のことを信じていただけであって、元々運命は子供も授かるのであろうし、
人生も向上するものであったといいうことであろうか。

まあそこまでは考えるのは今はしませんが、成仏法1つとっても阿含宗はあまりにもお粗末です。
それこそ阿含宗の成仏法があまりにも無能でタワケなら、功過格の実践をしたほうがずっとマシということになろう。

たまたま桐山氏が功過格の実践を教団内であまり言わなかった(ほとんど皆無)わけですが、そのせいで功過格も無能、
という風に見られないで済んだ様だが、成仏法が功過格以下ではないか、ということが浮かぶとは情けない次第です。

また功過格というのをネットで見ると道教の教えだともある。
単なる教えであったものが成仏法を上回る?となれば、成仏法とやらの名称も看板も形無し、である。
尚且つ信者の積んだ積徳の行為を受け取ることに成っている「仏」とやらも非情な存在である。
阿含宗流の積徳が悪いのか。それとも元々架空の存在だからなのか、効力の程がわかりかねるのは大問題である。

袁了凡はジュンテイ尊を信仰していたそうですが、阿含宗も信仰としてはしてはいます。
しかしあまり運命を変えたという人は多くない。
実際私が20数年間阿含宗で見てきたものは、現実的に救われずもがいているか疲弊している信者が大半です。
かくいう自分もその一人であった。

私は辞める少し前に功過格・陰隲録・袁了凡を知ったので功過格を実践する由もなかったが、もしも早めに知ってたら
効果の程を試したかもしれませんね。(今はする気も無いが)

ジュンテイ尊を信仰し、積徳もしたが効果なしの阿含宗。いったいどうなっているのか?と思いますね。

7天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/13(火) 05:46:02 ID:HxeGAgT60
2ch阿含スレ238にて「お手配願い」のことが書かれていますね。少し触れてみます。

ユビさんが言われていることが肝心なのですが、そこに気づかない場合がある。
特に阿含宗の嘘やインチキに気がついていないわけですから騙される。

お手配願いは「モノ」じゃないけど阿含宗側が信者さんが困ったことがあった際に願いが叶うかどうか
わからないが仏様に願いが叶うように導師が祈願せしめるというサービスのようなことです。
本当に緊急に事の成就を願う「特別お手配」そこまで行かないが何卒叶えて欲しい場合は普通の「お手配願い」と分けている。

一見するとこれはとても信者にはありがたい制度のように見えるが、なんてことはない。
ただの集金システムの1つであり、詐欺です。
仏様に事の成就のお取次ぎをするという名目だが、祈願者の願いが叶おうが叶わなかろうがそれは関係ない。
仏様が「駄目だ」といえば駄目ですから幾らお金を積んでも駄目なものは駄目です。
そういう面で言えば祈願料として収める寸志は一定であるべきです。(一律\3000とか)

しかし特別に急いでお助けいただきたいことが人生ではある。例えば病気になって中々治らない。
いよいよ死にそうだ。なので助けて欲しいとか、会社が倒産しそうだなどもあるでしょう。
とにかくその方の急を要する緊急ごとに対してどうか窮地から救って欲しい=お手配をいただけるようにと願う。
だからそういう場合には金額は嵩むが祈願せしめる。また必要に応じては教祖から指導がいただける場合がある。
なので三万円という高額にもかかわらず、毎月相当数が今でも阿含宗に上がっているわけです。
祈願が成就しなくても返金はありませんが、藁をもすがるわけですから「どうかお助けを」と上納せしめる。
人の弱みというか窮地につけ込んで集金できるシステムです。

8天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/13(火) 06:01:22 ID:HxeGAgT60
もちろん申し込む方が申し込まなければ損もしないものですから、一番良いのは「申し込まないこと」です。
しかし「奇跡の阿含宗」とか「お手配願いで助かった」という話を聞けば、通常は申し込まないにしてもいざ何か困った際には
お願いするという人も出てくるでしょう。だから窓口だけ作っておけば黙っていても儲かるものです。
それこそ信者が困りごとがほとんど無くてお手配願いも閉鎖、なんてことになるほど幸せな信者ばかりなら無問題ですが、
そういう奇妙な教団もないのではないかと思ったりします。やはりどこの誰かがいつか申し込むことがあるでしょう。
困ったときの神だのみの如く「いざとなったらお手配願い」と信者も思っている。

だが実際的に効果の程は、とか体験談を聞けば意外と救われた例が思ったほど多くないのがわかります。
これはやはり職員だったり阿含宗の中身に近い情報を得れる人でないと中々わからない。
だから一般信者は「効くだろう」もしくは「効かなかったという人の話も聞くが緊急だからお願いしよう」と申し込む。

それが大半です。だって平素申し込む人などほとんど居ません。
それこそ何か長期で祈願せしめる必要がある方なら別ですが、多くの方は単発な願い事成就のために利用する人が大半です。
私の地域にたまたま病気持ちの方が居てその方が「延命できているのはお手配願いのお陰」と感謝し毎月会費の他に申し込んでいる人がいます。
そういう方は特殊な例でまず毎月継続して申し込んでしかも何年も続けている人はやはり稀です。
大抵は長くて三ヶ月か半年で、一番多いのはやはり一ヶ月だけの単発ですね。そういうのがあります。

ただ全国的にみると相当数になるのでこれは儲けるボロイ商売です。
祈願を請け負ってそれが叶っても叶わなくても「あがり」だけは得れる。
信者がゴタゴタいってもそれに対応できる方便がある。だから「申し込んだ方が負け」なのです。
阿含宗自体が詐欺宗教なのに気づいていないから入信しているわけで、お手配願いだけを詐欺だとは思わない。
よっぽどケチで申し込まないとか、それほど困っていない環境だから申し込まないか、なんとなく胡散臭いから申し込まないぐらいが
関の山でそれ以外は何かあったら申し込んだりするものです。

9天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/13(火) 06:19:05 ID:HxeGAgT60
詐欺宗教の経験がない人には「こういう簡単な詐欺に引っかかって馬鹿だからだよ」という人がいますが言うのは簡単です。
誰だって最初から嘘とわかり詐欺だとわかれば引っかかる人など居ません。無知で信用しすぎるほど人が良すぎたから騙された。
疑って掛かり入り込まなければ餌食になどなりません。

また阿含宗だけでなくどこの宗教でも名前や形態が違うだけで似たものはあるかと思います。
「助かりたかったらお金を用意して真摯に事の成就を願いながらお勤めをせよ」というように促す。
そして事の成就は必ず保障するとは言わない。それは助からなかったり成就しなかったら責任が生じるからです。
賠償まで応じますというような奇特な宗教はありません。だから必ず申し込みの際にその旨を言ってきたりする場合がある。
酷いところは告知しないで後から信者が「返金要求」や「賠償云々」を言ってきても屁理屈やら方便で対応します。
まあうまくいって信者側が得れるとすれば「元本返金」が関の山です。教団としても別に損はない。
ただそれさえもしのげば教団側の利益は得れる。また毎度元本請求に応じてたら儲けシステムも意味がない。
だからあれこれ言って信者を負かす、又は言いくるめて文句を封じるのが常です。
またそういう風に説明できる職員こそが「有能」の証でもあります。いちいち信者に文句を言われて金を戻すなら詐欺など出来ない。
阿含宗で言うなら職員がまず信者の苦情に答えてそれでラチが空かなければ、道場の責任者が来て説明をする。
勝手に返金などは普通の職員はしません。だから信者が勝つには道場の責任者である上の役職の職員に勝つ必要がある。
それ以外はまず返金はありえません。だから申し込んで願いが叶えば「御の字」ですが、叶わなければ「泣き寝入り」が待っています。

だから阿含宗に居る自体も間違いですし、その渦中にあるお手配願いに手を出す自体もアウトなのです。
ただ信者さんは嘘やインチキを知りませんから騙される。偶然手を出さなかったとかが幸いということでしょうね。

10天照 ◆MO30b8Jwoo:2014/05/13(火) 06:34:32 ID:HxeGAgT60
だから本当のお釈迦様の言動を知らないというのは如何に損か、というのがあります。
本当のお釈迦様は阿含宗のようなこういった事項など行いません。
困ったことがあるからと言ってその解決のための祈願を請け負うとかはしません。
尚且つ成就のための供養料を貰うとは何事か、です。

例えば病気平癒のためのことが目標だとしましょう。
するとやはりお釈迦様でも我々と同じく医者に見てもらい治療を勧めます。
そして養生などに努めて回復を目指します。

そういうことだけでそれこそお経を唱えたり祈願のための護摩など焚かない。
まじないの類や何か宗教的なことを用いて治して目標を達成しようなどしません。
ですからもしも治療の甲斐なく亡くなったとしてもそれは「運命」として認識し死者を荼毘に付す。

そこには拝みも祈りもありません。ひたすら一般人と同じように治療に尽力し頑張る。それだけです。
結果が駄目であってもそれは因果応報であり、仕方なかったと割り切るしかない。それだけです。

勿論治って回復したら「よかったね」と喜ぶかもしれませんが、すぐに平静に戻ります。
頑張って治療した結果報いとして回復が得られた。それだけだけからです。
またそれに対して何か祈りわけでもないから御礼も見返りも要求しません。実にサラリとしている。

それこそ「治療のための示唆をしたのだから何かくれ」といったらまるで乞食です。
托鉢の際の乞食では無くて「貧しくて食い物を請う方」の乞食です。

以前何かの本で見ましたがお釈迦様はサンガで弟子たちが病気になった際、治療に励んだという話を見たことがあります。
それこそ阿含宗のような形であったらお釈迦様は弟子たちの回復は神通力か祈祷で治しているでしょう。
しかしそのような記述はありませんでした。栄養不足な信者には栄養摂取をさせたとあります。
オカルト要素など微塵もありませんでした。そしてそれが「当たり前の姿」でありましょう。祈祷などで治すほうが異常なのです。


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