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やまいぬさん歓迎のスレッド
1
:
祖道の回復同盟
:2008/10/31(金) 10:10:23
若鷹で呼びかけた者でございます。祈祷師さんご指名であります。
お越しでしたら一言、恐縮ですが書き込みをお願いします。
599
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/03/31(火) 18:34:45
リーチ♪(アラシじゃないよo(^-^)o!)
600
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/03/31(火) 18:39:32
ロンo(^-^)o♪(←キリ番ゲットの意=偶然にみたら、○98だったもんで(^_^;)。オレの目の前に二つ残すと食いつくジョー矢吹じょーo(^-^)o♪)
今から、『いぬ。さんの悟り』を読んでみますo(^-^)o♪!。
感動するかしないかは、我が一念にあり!ってネo(^-^)o♪
601
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/03/31(火) 19:06:34
連投のいぬ。さんへ。
今、読みました。途中で挫折しました(^_^;)。読みたくなくなったのが正直なところです(面倒くさくて(-.-;)。ゴメンなさいm(__)m。)
今日はお休みですか?。
昼のひと時に書いたんですか?。
貴方の体験は、素晴らしいと思います。
(ある意味、神童です。10歳の貴方が体験なさった事を読めば)
でも、過去の体験です。
『功徳を頂いたから終わり』ではないのです。
貴方は常々、功徳モリモリだと豪語しておりました。
それを書いたほうが宜しいかと思います。
『10歳で悟りテキな感覚』を得た人が、今は風邪を引いても休めない……。忙しくて、二ヶ月に一度が休みの取れない……。であのようなアホな書き込みに終始する……。
見ていて疑いたくもなりますよ(-.-;)。
まさか、貴方も縁に触れて、自らが左右されてしまう信心だった……ワケではないですよね、誰かさんみたいに……。
いぬ。さん!
貴方の”悟りの書き込み”には敬意を表します。
しかし!現当二世です。【今この瞬間から!!】が仏法ではないのですか?。
どうせヤルなら、【今を】語ってください。
602
:
鯖
:2009/03/31(火) 19:25:49
>>601
この体験は、そもそも私の別の所での質問が契機となり、ひでき君がやまいぬさんにお願いしてくれた事だ。
忙しい中、書いてくれた文章だ。
また、誰も貴方に批評をお願いしていない。更に、全文を読まずに批評する精神が信じられん。
しっかし、これしきの短文を途中で挫折する人ははじめてみたよ(笑)
私の「わかりやすい」文章もそのまま読めず終いだったな(笑)
まさか、先生のスピーチとか、人間革命も読んでないんじゃないか?
あるいは、読解に支障が起きる何か特段の理由があるのか?なら仕方あるまい。
それならそうと正直に言って欲しい。
603
:
プリン
:2009/03/31(火) 19:32:55
>>599-601
いや……、ホントに……、情けなくて涙が出てくるわ……。
やまいぬ。さま
本当にありがとうございます。
一言、御礼を申し上げさせてください。
ROMする人によって受け取り方が様々であることを、十分に承知の上でおカキコミをされたのだと思います……。
その勇気に、最大の敬意を申し上げさせてください。
やまいぬ。さんのおっしゃっておられることは、『真実』です。
誰がどんなに批判をしようが、その『実感』は、消え去ることはないのです。
だから、たとえどんな状況になったとしても、最後は必ず御本尊の前に戻ることができるし、師匠と共に闘うことができるのだと思います。
かつて、若干、やまいぬ。さんと(ネット上で)体験を話す機会を得ましたが、私にとっても、『原点』を真摯に見つめ直す機会を得ることができました。
ありがとうございます!
私も頑張ります!!(笑)
604
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/03/31(火) 20:43:31
斧板の常連さんが感動なさっておられる……。
いぬ。さん。よかったな。
今の体験で感動させてください。
ワタシは、貴方の10歳時の体験は否定致しません。
子供の感受性は大人より強いんです。
素晴らしい事だと思います。
普通であれば、悶々とするものです。苦しい位に、哀しい位に悶々とすると思うんです。
しかし!いぬ。さんは、それを乗り越え、悟りを開いた。
これは、ワタシから見て、スゴイ事だと、
素直に思うんです。
だから、現在の功徳の話を聞きたいのです。
モリモリと出るという功徳に、興味があるのです。
重ねてワタシは、いぬ。さんの幼少の頃の体験は否定しませんし、信じています。
だからこそ、神童だった幼少のいぬ。さん【過去】と、今のいぬ。さん【現在】に非常に興味が涌くのです。
605
:
日々朗らか(大勝利)
:2009/03/31(火) 20:46:29
>>603
涙はふいてくださいね、プリンさん(T-T)。
606
:
説教オヤジ
:2009/03/31(火) 21:07:34
やまいぬ殿
なんと言っていいのか。
その生命の奥底の覚知を言葉にて表現することが、
いかに至難な事であるか。
同様に、その感想を言葉に現すことも又、至難なことでもあります。
ただただ、余人と同じように‘感動’という表現しか出来得ない己が情けない。
信心とは‘師弟不二’
どこまでも師を求める生命からの叫びが、祈りとなった時に、
我が生命仏なり、と悟ることが可能になる。
しかし、それはあくまでも、‘可能になる’という条件であって、
現実に悟る事を得た、御貴殿の愚直な信心に賛辞を贈ると共に、
我もまた、更に精進せん事を決意する。
煩悩即菩提の即とは、師弟不二の一念と実践の異名なるか。
やまいぬ殿、本当にありがとうございました。
607
:
京阪
◆AIo1qlmVDI
:2009/03/31(火) 21:08:32
>現当二世です。【今この瞬間から!!】が仏法ではないのですか?。
無条件で“過去”を否定していると思っているのなら、その君の仏法観は誤りだ。
ちょうど今回の大白、座談会御書は『報恩抄』だ。
しょーもないレスして、どんどん自分を落としてゆく時間があるなら読みなさい。
何が「リーチ」や。アホか。
608
:
鯖
:2009/03/31(火) 21:49:16
>>604
> 今の体験で感動させてください。
多忙な中、時間を削って書いてくれた文章を読みもせず、よくそうやって要求できたもんだな。
まずは読解力を得るよう勉強したらどうなんだ。
609
:
鯖
:2009/03/31(火) 21:57:45
ちなみに、
>神童だった幼少のいぬ
などというが、とんでもない。神格化したらこのすごさはわからないよ!
610
:
ぜんまい忍者
:2009/03/31(火) 21:58:04
>>592-595
・596
やまいぬ。さん、貴重な体験談ありがとうございます!
611
:
鯖
:2009/03/31(火) 22:01:46
>>604
> 斧板の常連さんが感動なさっておられる……。
そういえば日々氏も斧板にいたことあったっけな(笑)
613
:
粛坊
:2009/03/31(火) 23:17:44
>>604
ヒビ君は本当にお・ば・か。この御仁を救う手立ては果たしてあるのか…。やまいぬ。さんのスレ汚しである。
ともかく、宿題忘れんなよ!今度わざと忘れたら、久々の「お仕置きコーナー」復活だからね。
あのテラオさんでさえ(笑)一度も仕置きされてないのに…。たちが悪すぎだ。
>>611
ヒビが斧板に?その頃やつはいったい、何を書き込んでいたのですか。あの斧さんがよく我慢していましたね(笑)。
614
:
やまいぬ。
:2009/03/31(火) 23:36:34
>今、読みました。途中で挫折しました(^_^;)。読みたくなくなったのが正直なところです(面倒くさくて(-.-;)。ゴメンなさいm(__)m。)
佐藤克己くん、以前同様の内容の書き込みをした時、きみの貧困極まるボキャブラリーの、その限りを尽くして
絶賛したものを、いまそのようにしか「書けない」ところに、今日までのきみの転落があります。
私の書いた内容がどう、という意味ではありません。沖浦のコバンザメをやって、書くことの文証・根拠一つ挙げられず、
必死の「軽み」を演出する体裁だけの、何の意味もないスカスカの書き込みだけを殴り書きし続けて来た
きみの凋落です。可哀想に。
>でも、過去の体験です。『功徳を頂いたから終わり』ではないのです。貴方は常々、功徳モリモリだと豪語しておりました。
>それを書いたほうが宜しいかと思います。
相変わらずにほんごが読めないようですね? 私の書き込みの最初の6行くらい「読める」ようになりなさい。(^^)
>『10歳で悟りテキな感覚』を得た人が、今は風邪を引いても休めない……。忙しくて、二ヶ月に一度が休みの
>取れない……。
それが功徳だということが、怠け者のあなたには理解出来ないだけですよ、佐藤克己くん。(>_<)(^o^)
私の居る「世界」でいきなり組織のトップとして迎えられ、高額のギャランティまで頂くならば、まず己の介護能力を
現場で示すことが第1に必要です。
次に、想像を絶する過酷極まる日常を、ある一定期間堪え切ることが必要です。
何故それが必要なのか? 強靭極まる体力と、この仕事に賭けるずば抜けた覚悟・精神力を示すことで、
「こいつは凄い!」「自分たちもこんなに過酷な仕事をしているが、こいつの足許にも及ばない」
「その過酷極まる仕事を、こいつは平気で笑って楽しんでいる・・・何故だ?」という動執生疑が必要だからです。(^^)
過酷な状況とは、「学会員の学会員たる真骨頂を示す」、最大のチャンスなのです。(^^)
どれだけ有難いことか!(^o^) そんな簡単なことがあなたには解らない。何故か? その過酷さを「信心で」
超えて来た体験があなたにない、だからその「意義」が解からないのです。
可哀想に、佐藤克己くん。(^^)
>今の体験で感動させてください。
全然解っていませんね、佐藤克己くん。
「あなたが」、自分の体験で、誰か一人でも勇気を与え、力を与え、励ましを贈ることです。
いつまでも中身のなんにもない、面白さのカケラもないダジャレにすらなっていない子供のような書き込みを
垂れ流している場合ではありません。人間の生きている時間は、有限です。
615
:
やまいぬ。
:2009/03/31(火) 23:44:18
>煩悩即菩提の即とは、師弟不二の一念と実践の異名なるか。
まさに、まさに! 説教オヤジさん、私が言葉に出来ないことを、実に的確に
見事に表現してくださって感謝致します。m(_ _)m
616
:
プリン
:2009/03/31(火) 23:50:37
>>604-605
ホントに……、呆れ果てますな……。
何年、信心やってるんだよ。
感受性???
何言ってんだ???
命の底では、信心を、御本尊を、舐め切ってるんじゃないのか??
「仏界」は、御本尊を命の底から信じきれるかどうか、それだけなんですよ。
命の底の底から、素直になりきって、御本尊に向かえるかどうか、それだけなんですよ。
実は、これがどれほど難しいか……。
どうしても「観念」で御本尊に向き合おうとし、力んで何かを「得よう」としてしまいがちですが、それではダメなんですよ。
全てを失って、本当に御本尊に、素の素の自身で向き合うしかないんですよ……。
我々が生きているのは、究極的には、「仏界」を得るためです。
“それだけ”だと言ってもいいくらいだ。
それは、一度でも仏界を『『『実感』』』すれば、他の全てを失ってもいいという心境に、命の底からなるからなんですよ。
これが、本当の意味での『功徳』なんです。
池田先生の「闘い」というのも、皆にどうしてもわからせたい、その一点なんだと私は思います。
617
:
鯖
:2009/03/31(火) 23:56:27
>>614
> 「あなたが」、自分の体験で、誰か一人でも勇気を与え、力を与え、励ましを贈ることです。
そういえば、日々氏の書き込みで勇気をもらったとか力をもらったとかいう奴いるのかな(笑)
いたら教えて欲しい。
あ、励まされることはある。俺もバカだがここまではない、と安堵したり(笑)
618
:
Kasshini
:2009/04/01(水) 02:08:27
他板で書いたので説明は省きますが、今日から心を新たにこのHNでよろしくお願い致します。
(一応書きますと、HNひできから、Kasshini(カッシーニ)に変更しました)
>>617
F板を見始めた頃(2006年12月頃)、ダジャレが鼻がつきすぎたものの、2007年3-4月頃の天城氏のやりとりから、この人なりに考えているのだろうと、見る目を改めたことがありました。
>>614
のやまいぬ。さんが以前(去年の7月頃であったと思います)書いて下さった時、阿法華以外歓喜していました。
その中には日々少年君もいました。この板の方であれば、説教オヤジさんも御存知だと思います。
話が、脱線しましたが、そっかこの人こういう良いところもあるんだなと思っても、勇気をもらったとか力をもらったことはありません。
あの今でも記憶に残っている天城氏との対話は、身読とは何かと、日々少年君が質問をし、天城氏が答えて、それに日々少年君が納得していたのでした。
あれすら歪曲して覚えていたのかな、と今は思います。
エピソードがとても微笑ましく、私が学会系BBSに対して前向きな見方を始めた出来事の1つです。
619
:
Kasshini
:2009/04/01(水) 02:11:46
>>611
法華経の智慧に、神格化が起きたことで、師弟の道が断たれたとのことが書かれていましたね。
(明日中には、引用したいと思います)
やはり、平気でこうしたことを書けることが、ものの見方がおかしいと考えざるをえませんね。
620
:
鯖
:2009/04/01(水) 03:01:24
あ、そうだ!
やまいぬさんの少年体験を読んで書きたかったこと。…くだらない輩の難癖に憤慨して忘れてた(これも魔に紛動の姿か。反省!)
幾つかDV被害の本を読んで感じたことですが、少年・少女の心は純粋無垢であるが故に、虐待を受けてもそれが「親が悪い」「社会的におかしい」
と思えないんですね。なんと、「自分が悪い子だからいけない」と思い込んでしまう。従って、やまいぬ少年のように、「僕に生きていていいよなんて言ってくれる人、いないんだ」と勘違いする子が多い。
やまいぬ氏の姿を見てわかるように、その少年の行く先には、どんなに素晴らしい人生が待ち受けていることか。どんなに大きな使命があることか。
いかなる御仏智か、少年は幸運にも4行の師の言葉に出会った。
しかし、出会えない子もいるでしょう。今現在も、苦しみながら「ボクが悪いんだ」と思っている子もいるかも知れない。
地域の学会員にはDVなど無いと信じたいですが、広い世界、何があるかわかったもんじゃない。
もし、落ち込んでいる少年・少女をみかけたら、存在の全てを受け入れる大きな度量をもって、声をかけ、接してあげたい。
もしかしたら、その一言で、救われる命もあるかもしれない。
そう思い、決意した次第。
621
:
風凛
◆hKNf63Dksg
:2009/04/01(水) 06:59:47
やまいぬさん、おはようございます。
私の仏界湧現の「初めての」経験は、3歳でした。
信心に疑いも何も持たずに初めて御本尊様とお会いし、ただただ「すごい」と生命で分かり…仏界湧現を経験しました。それがわたしが信心始める事になった大本の因でした。
>(中には3週間
ほぼ切れ目なく、ずーっと仏界のまんま! というのもあります。(^^; )
● 私も3週間出っぱなしの事がありました。
「この時も」世の中の全てが光り輝いていました。
「なぜ3週間弱続いたのに、1ヶ月間続かなかったんだろう」と、この時に思いました。
「次に経験する時には、もっと長い期間になるのだろうか」と。
やまいぬさんがおっしゃる「師弟無しで仏界湧現は無い」というのは私も同意です。
「3歳児に師弟分かるのか?」と思われそうですが、「素直に御本尊様の前に座り、信心を学会でやって行く」=師弟へ結びつきます。
私が最初のもの以外で仏界湧現経験した時もやはり、師弟抜きではあり得ませんでした。
やまいぬさん。
仏界湧現の体験談は特に、言葉で表現する事が難しいです。
やまいぬさんの体験談を書いて下さり、ありがとうございました。
やまいぬさんに話をふって下さったカシーニさんも、ありがとうございました。再度やまいぬさんの体験談拝見出来ました。
622
:
粛坊
:2009/04/01(水) 16:00:44
改めてやまいぬ。さんの仏界涌現の体験談を読んで、感動しました。
「わが胸中の御本尊」という凡智では計り知れない不可思議(妙)な仏の教え
を具体的事例で教示してくださいました。ありがとうございます。
私は次元が違いますがこの病を患って題目があげれない時期がありました。辛くて泣きながら
題目をあげたときも正直ありました。
この病は徹底的に自己を責め、自分の価値がない事を悟る(自己否定)病気です。
題目をあげることは実は強い生命力が必要なんです。(無明を法性に変えるのですからね)ですので「うつ」患者さんは無理にあげる
必要はありません。しかし「学会員としての自覚」が何とかあげようという心と反目する部分でもあり、
で、更に悩む。私は体調が少し良くなってきた段階で少しずつ題目に挑戦し出しました。
続けられるようになって一週間すぎたころだったと思います。本当に突然でしたが「御本尊にお題目を唱えられる事」に物凄い、感謝の想いが湧き起こり、
そのまま歓喜の生命に一瞬にして転換したのです。瞬間、涙がとめどなく溢れました。先生、家族、同志の思いが伝わってくるようでした。
「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」身読させていただいた瞬間でした。
ですので正しき師匠・なき法華員や沖毒に侵された似非会員には到底、その境智は理解できないでしょう。
おすがり信仰では本当の功徳(法味ともいいます)がわからないし、頂くことも出来ないのです。
623
:
やまいぬ。
:2009/04/02(木) 00:15:19
粛坊さん。
確かに鬱を抱えている方への御本尊授与さえ、実は極めて慎重になされなければなりませんね。
何故か? 鬱とは自己否定の病であり、つまり「自分の生命そのものと真正面から突然対峙することとなる」
勤行・唱題は、物凄い苦痛と、強烈な、ネガティヴな感情を巻き起こさせるからです。つまり、御不敬のリスクです。
そのくらい、心を病んだ方にとって、宿命転換と大生命力喚起の唱題さえ大変なことですね。
かつて、非常に重度の鬱病の方と縁あってお付き合いしていたことがあります。
信心の話、学会の話、先生の話はしても、決して「やってみようよ」とは長らく云いませんでした。
どれだけのリスクがあるかということを熟知していたからです。
彼女も「私は絶対にやらない」と明言していました。
しかし、毎日毎日様々な出来事や困難があり、地獄のような時間を生きる彼女のことを祈り続ける中で、
ある夜突然彼女は我が家の御本尊の前に単座し、「やまいぬ(仮名)、これ、、どうしたらいいの?」と
数珠を手に掛け、経本を取り上げて、私が彼女の眼の前で当たり前にしていたように、見よう見真似で
突然勤行し出したのです。すぐに彼女の横に付き、勤行から題目に移って数分、彼女は号泣しはじめました。
そして御本尊に叫んでいました。「助けてください・・・お願いです、助けてください・・・!」
「私は絶対にやらない」と云い続けていたひとが、です。
「生命が悲鳴を上げている」
「何年も何年もズタズタになり続け、大苦の限界さえ通り越してきたこの子の魂が悲鳴を上げている」
――本物の「生命(いのち)の悲鳴」というのを、私ははじめて聞いたように思いました。
程なく私も、「今夜、決着させる」と遂に意を決して対話、入会決意に至り数日後、地域の皆様に護られながら、
彼女は無事御本尊を頂き、晴れて女子部となりました。
生命の奥底の宿業、決して簡単に越えられるものではありませんが、薄紙を一枚ずつ剥いでいくように、
ゆっくりと確実に、彼女も成長しています。
少なくとも心を病んでいない健康な方に対して当たり前に通用する考え方ややり方が、心のベクトルが真逆の
病を抱えた方には全く通用しない、ということ、幾らでもありました。
けれど――人間は、当たり前に、「幸福を願う、一個の人間」ですよね。
624
:
粛坊
:2009/04/04(土) 17:14:17
>>623
やまいぬ。さん
読んでいて辛かったあの時を思い出して泣けました。
正に、当時の自分と同じ心境ですね。正常だったころは勤行・唱題の辛さというのは単に「面倒くさい」「足がしびれた」とかいう類ですが
「心が悲鳴をあげる」までに既にズタズタの状態ですから。最後の命からの叫びだったと自分も思います。
今年度も自殺者が三万人を超えたそうです。異常事態ですね。何らかのサインが絶対あるはずなのですが
健常者は身近にその苦しみを抱えている患者さんをどうか見落とさないように、少しでもこの病気の仕組みを理解してほしいと思います。
625
:
しげきょん
:2009/04/06(月) 23:41:58
鬱の人には脅迫観念になりやすい 強くて気持ちを添えていない指導とかは厳禁だと思います
自分にとって生命維持に必要なゆとり感情をなんらかの心の障害で持ちにくい
のでそこの認識と配慮が出来る人が鬱の人の環境にとって必要だと思います
特に一人の時間(孤独に悩む時間)を解消してあげる環境つくりが大切です
頑張る自分を最高の自分と思わず自身や他人を労わる自分の自己形成が大切です
例えこう僕が書いたことも楽な気持ちで読んで欲しい
誰も固い約束ごとのようには読まなくていい
626
:
しげきょん
:2009/04/06(月) 23:51:02
学会指導でも相反するような矛盾はそれにこだわらない、様に題目をあげるとか
要は考えをとるか心をとるかなど、自分の心の方を大切にすると言った要にする
考え、思想が偉いのではない心が大切である心が幸福の為に信心がある学会がある
627
:
やまいぬ。
:2009/04/07(火) 11:26:49
粛坊さん。
>読んでいて辛かったあの時を思い出して泣けました。
辛いことを思い出させてしまったようです、お詫び致します。
>今年度も自殺者が三万人を超えたそうです。等々
この国の異常さを端的に表していますね。人間が年間3万人も自殺する――いまだにこの国の人間の
「生命の奥底」に沈む念仏の害毒でしょうか?
以前、ある先輩と話していた時に教えてくれました。
「やまいぬ。くん、昔学会は“貧乏人と病人の集まり”と云われてきたろう? そしてその方々に希望を与え、
その方々と先輩や折伏した人間が自分の脚を縛りつけるようにして、一緒に先生だけを求めて二人三脚で
宿命転換を成し遂げて来たから学会は今のようになったんだ。
今また未曾有の大不況と、形の違う“病人”、心を病んだ、あるいは希望を持てない社会があって、もう一度
学会が爆発的に、もう一層の広宣流布を進められる大チャンスなんだよ」、と。
学会の思想、先生の思想、生きる希望を求めている方々は、今まさに我々の眼前にいる――
本当にそう思えます。
今年、絶対に私は折伏を決めようと決意しています。必ずご報告させて頂きます。
628
:
やまいぬ。
:2009/04/07(火) 11:27:45
連投失礼。
しげきょんさん、こんにちは。暫しご無沙汰しております。
>鬱の人には脅迫観念になりやすい 強くて気持ちを添えていない指導とかは厳禁だと思います
そうですね。「斯くあらねばならない」は厳禁です。
「信仰は義務ではない、権利である」、徹底してこのスタンスが必要ですね。
何故ならば「幸福になることは義務ではない、万人に与えられた権利」だからです。そして「万人が幸福に
なるためにこそ、蓮祖仏法は存在する」からです。
>学会指導でも相反するような矛盾はそれにこだわらない、様に題目をあげるとか要は考えをとるか心をとるかなど、
>自分の心の方を大切にすると言った要にする考え、思想が偉いのではない心が大切である心が幸福の為に
>信心がある学会がある
まさしくその通りだと思います。
そして私が他板にて、捏造歪曲された邪義とその捏造邪師を叩き続けるのは、上記まさしくしげきょんさんが
書いてくださったことを「摩り替えて」、一見似通って見分けのつきにくい、しかし我見に満ち満ちた邪義を
放置しないためです。
629
:
しげきょん
:2009/04/07(火) 17:16:17
>そして私が他板にて、捏造歪曲された邪義とその捏造邪師を叩き続けるのは、上記まさしくしげきょんさんが
>書いてくださったことを「摩り替えて」、一見似通って見分けのつきにくい、しかし我見に満ち満ちた邪義を
>放置しないためです
やまいぬさん こちらこそ ご無沙汰です
御書や学会指導は相手に打ち負かす為ではなく互いに人間的幸福を追求する為です
明らかに人様の為でないものは打ち破ることも必要ですが
弘教の精神は勧持品不軽品ですが、、方法は安楽行品でと、法華経の智恵にあるように
ここを知らなくて 悩んでいたのが 目が覚める思いの言葉にはっとしました
631
:
エキステラオ
:2009/05/02(土) 16:29:43
しげちゃんさぁ〜 だけど・自分が我見の塊の人はどうすんのかな??
違うと思うのは勝手だけど・・自分の事って意外とわかんないんだよね
・
632
:
やまいぬ。
:2009/05/06(水) 23:38:44
他板にも書きましたが、また一つ体験を積ませて頂きました。嬉しいので少し書かせて頂きます。
先日、この連休中に、実家の母から連絡があり、父が急遽入院したとのことでした。
もともと病気がちなひとであり、今も頭に動脈瘤を持っていますが、これも実は見事過ぎる御本尊のお計らいで「持ったまま」であることで、初めて父は発心出来たというものでもあるのですが、今度は一過性の脳梗塞だったようです。
風邪による熱発と重なって体調を壊し、身体の自由を一時的に失って、しかし連休中ということもあり、さてどうしたものかと母は思いあぐねていたところ、同じ組織の中に、父母と非常に懇意にしてくださっている、近くの大きな病院の婦長さんをしておられる御婦人がおられて、その方が急ぎ来てくださって、あっという間に様々手配をしてくださったお陰で、一命を取り留めるどころか、これもあっという間の回復で、明日もう退院の運びとなりました。(^o^)
詳細を書くと長くなるので割愛しますが、その大学病院で最高の医師が「たまたま」運び込んだその時おられたこと、その病院で普通に検査を待てば半年待ちだそうなMRI検査をその時即座に行ってくださったこと、等々、数え上げればキリがないほどの「偶然に見える必然」が重なっての回復となりました。
「最低2週間は安静」と云っていた病院でもすでに、「・・・どうなってんの?」とみな驚いておられるそうです。(^o^)v
私も介護に携わる身として、数え切れないお客様と接してきましたが、電話で聞いた詳細を考えれば、半身麻痺くらいは当たり前に起り得る状態だったことが解りました。それが一切何の後遺症も麻痺もなく、元気過ぎて退屈しているほどの回復を見せたのは、これはもう御本尊様に護られたとしか云いようがありません。
633
:
やまいぬ。
:2009/05/06(水) 23:39:23
かつて、数十年も前の話ですが、この信心に反対して、酒を浴びては連夜家族に暴力をふるっていたひとが、今や毎日数時間の唱題を欠かさぬひととなりました。
70を過ぎた母も、日頃の学会活動はもちろん、支援活動のたびに関西中を走り回って闘ってくれています。
そして今回のことも、私が改めて決意して、日々の題目と家庭訪問と新聞啓蒙に挑戦する!と決意して数日後のことであり、新聞啓蒙を決めたあとのことでした。
蓮祖曰く、「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」
ここには「病気にならない」とは仰せではありません。「障りにならぬ」と仰せです。
父もまた、新たに信仰体験を積むことが出来ました。私や家族も同様です。
愚直なまでに真っ直ぐに、先生と御本尊を求めることを叩きこんでくれた母に改めて感謝しつつ、歓び勇んでまた新たな闘いを始めようと思っています。
追:退院の決まった父に歓びの短い手紙を書く前と後に、沖浦を叩いてみたものを、あの発狂の老残は、「私が書き込んだら10分で言い訳書いてます。 」などと自意識丸出しのくだらんイチャモン。
学会諸兄に大掃除されて、何一つ書けることが無くなった無慚な老醜が泣き喚く間に、こちらは現実に大歓喜の体験を「また」積ませて頂いた。現実における「天地ほどの差」、身に沁みてまた悔しがるがいい。(^^)
634
:
説教オヤジ
:2009/05/07(木) 02:47:37
やまいぬ殿
新たな、ご本尊への確信溢れる、功徳の体験。
ありがとう。
まさしく「弟子の勝利が師匠の勝利」です。
お父上の猛反対の中、貴方の母上は、どんな思いで、この信心を貫いて来られたでしょう。
ワシの母もそうじゃった。
急な山坂を、街灯も疎らな暗い道を、毎日毎日・・・・
家に残した幼子が、気懸かりであったろうに、
先生の言葉を信じて、御本尊を、ひたすらに信じて。
ただ「絶対に幸せになれるんだ」との思い一つで
貴方の母上や、ワシの母は、すべてを乗り越えて来たのです。
その「母」の労苦を、我々は絶対に無駄にしてはならぬ。
母よ、いつまでも、お元気でいて下さい。
我が母達よ、もっともっと、長生きをして下さい。
貴方達の為に、祈ります。
やまいぬ殿
本当に本当に良かったね。
そして、本当にありがとう。
635
:
正勝
:2009/05/07(木) 03:40:20
やまいぬ。様 説教オヤジ様 粛々坊様 皆様 はじめまして。
やまいぬ。様の体験を拝見しまして大変感動しました。
我が家も亡き母の愚直な信心にて現在があります。尊き創価の母に感謝あるのみです。
皆様の御活躍を心よりお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
636
:
説教オヤジ
:2009/05/07(木) 03:48:20
正勝殿
わざわざの書き込み、ありがとう。
御貴殿の母上の更なる健康と、ご長寿、ご祈念いたします。
また、御貴殿ご自身の、成長と、御健闘も、重ねて祈ります。
共々に、精進して参りましょう。
637
:
正勝
:2009/05/07(木) 04:33:16
>>636
説教オヤジ様 真心からの激励に感謝します。
不定期の不定時間の仕事故にやっと、交流に出掛けます。先乗りの女房に負けぬ様にがんばります。ありがとうございました。
638
:
やまいぬ。
:2009/05/07(木) 09:34:12
「お父上の猛反対の中、貴方の母上は、どんな思いで、この信心を貫いて来られたでしょう。
ワシの母もそうじゃった。急な山坂を、街灯も疎らな暗い道を、毎日毎日・・・・家に残した幼子が、気懸かりで
あったろうに、先生の言葉を信じて、御本尊を、ひたすらに信じて。
ただ「絶対に幸せになれるんだ」との思い一つで貴方の母上や、ワシの母は、すべてを乗り越えて来たのです。
その「母」の労苦を、我々は絶対に無駄にしてはならぬ。」
「我が家も亡き母の愚直な信心にて現在があります。尊き創価の母に感謝あるのみです。」
説教オヤジさん、正勝さん、拙文にわざわざのレス、誠に有難うございます。
まさしくその通りと考えます。
『ただ「絶対に幸せになれるんだ」との思い一つ』――まさに!
全国みなそうでしょうが、関西の母などはみな、まさにそうでした。
「この信心やったら幸せになれるでぇ!」
たったこの一言、確信に満ち、「救わずにおくものか」という同志の大慈悲に満ちた、たったこの一言に触れて、
それを信じて始めたのです。
そしてそれを云ってくれた方々はみな、池田先生から激励され、先んじて絶対幸福への道を歩み始めていたのです。
何故私が「学会内叛逆者」「邪義捏造者」を叩き続けるのか?――健気に、地道に闘い続けるその母達を軽んじ、
舐め切り、あろうことか大迷惑まで掛けておきながら何一つ反省もなく、自己弁護と己の装飾に必死となり、
先生の指導を歪曲して、まだ確信なき、あるいは苦難の中で動揺するような方が万が一にも邪師の言葉に
なお揺れるようなことがないようにと思うからです。
ただ蓮祖に、3代に歓んで頂けるよう、現実の広宣流布を、ただ地道に一歩一歩進めてまいる所存です。
639
:
河内平野
:2009/05/07(木) 11:53:21
やまいぬ。さん、こんにちは いつもご苦労様です。
功徳の体験を読ませて頂いて、感動もし、
また、私も自分の両親のことを思い出しました。
私の母も脳梗塞で倒れ、その3ヵ月後、父が末期癌であることが判明。
両親を引き取り、足掛け5年。介護をして参りました。
私の両親も関西の無名のいち戦士でした。
>何故私が「学会内叛逆者」「邪義捏造者」を叩き続けるのか?
>――健気に、地道に闘い続けるその母達を軽んじ、舐め切り、
>あろうことか大迷惑まで掛けておきながら何一つ反省もなく、
>自己弁護と己の装飾に必死となり、先生の指導を歪曲して、
>まだ確信なき、あるいは苦難の中で動揺するような方が万が一にも
>邪師の言葉になお揺れるようなことがないようにと思うからです。
まったく、同感です。
父は、亡くなる前日まで、杖をついて一歩一歩、持てる力を振り絞るように
歩きながら家庭訪問を止めませんでした。 まさに、死ぬまで家庭訪問の鬼でした。
翌日、病院の一室で朝日を浴びながら、霊山へ旅立ちました。
目立たぬ、庶民のいち風景です。
しかし、杖を持って部員さんの家に向かう父のうしろ姿は
私にとっては「師弟共戦」の一幅の名画に映りました。
その間、母は私たち家族に、介護する家族の大変さ、辛さ、苦しさ
を体に叩き込め ! といわんばかりに私たちを訓練し(笑)、
今後、その介護者家族の人たちを激励していくんだよ。
これがあなたたちに教える、おかあちゃんの最後の訓練だよ。
と、いわんばかりの劇を演じ、父が亡くなってから一年後・・・
安らかに、次の生へと母も旅立ちました。
これも目立たぬ、無名の庶民のいち風景です。
こんな目立たぬ無名の庶民たちが、先生とともに
地道に築き上げてきた錦州城が、今の創価学会です。
その偉大な学会が推進している数々の学会活動は、一体なんのためにあるのか ?
誰のためにあるのか ? それをわかるには、地道な学会活動に徹するしかないと思います。
それをしていない、まして54年から退転している沖浦などが
今頃になって、ネットで学会云々するなど百万年早い。。まずは、学会基本の活動から
開始するべきだろう。。
私もさらに、今より「無名の父母」たちが地道に築いてきた学会を守れる、
人材になるため、日々精進をして参ります。
640
:
粛々坊
:2009/05/07(木) 14:19:56
>>635
正勝様、こんにちわ。今後も大いに健筆を揮ってください。
641
:
やまいぬ。
:2009/05/07(木) 22:30:28
お知らせを一つ。
『やまいぬ。(仮名。本文は当然実名) 様
こんにちは、富士宮市_福祉企画○○(役職名)の ○○○○(お名前)です。
日頃、富士宮市政へのご理解ご協力ありがとうございます。
当課へのメールありがとうございました。いただいたメールの件について以
下のとおり、回答させていただきます。
富士宮市と大石寺では、今月末に海外の方を招いて開催される集会の件につき
ましては、新型インフルエンザ発生当時から、情報交換をしておりました。
本日、大石寺から、新型インフルエンザ感染予防のため、行事の開催を延期
し、開催時期については今後の新型インフルエンザの動向を見て決定するとい
う回答をいただきましたので、報告させていただきます。
また、貴重なご意見ご要望をお寄せください。
■担当:保健福祉部 福祉企画課 ○○(役職名) ○○○○(お名前)』
さあて、今月あるという大石寺の会合の行方を見守ってやりたいと思います。(>_<)(^o^)v
642
:
粛々坊
:2009/05/08(金) 00:03:58
>>641
さすがです…。脱帽 <(_ _)>
645
:
やまいぬ。
:2009/05/16(土) 21:55:00
座談会から戻りました。
昨夜、参加を約してくださった、新たに越されてきた方も約束通り御参加くださいました。
一言活動報告で、新聞啓蒙や家庭訪問、父の罹病とあっという間の回復等を報告すると、それまで
皆さんの支援活動の報告で盛り上がっていたものがさらに大盛り上がり、次いでその流れのまま
今日初参加の方を御紹介すると、もう皆さん大喜びしてくださいました。
支援活動の闘いは、下手をするとまだ思い通りに闘えていない方などが、「俺、出来てないしなぁ・・・」と
疎外感を抱いてしまう恐れもゼロではありません。
が、支援の闘いのたびにきっちりと丁寧に、「これはどこまでも信心の闘いであり、師の理想、先生の
思われる広宣流布の闘いそのものである」ことを、信心の歓び、体験や功徳とともに語ることで、
「よし、信心の闘いならば俺もやってみよう!」と一気に波動します。
体験や功徳に何故因果が必要なのか? 先生の仰せ通り闘えば、このように苦難を乗り越えられる、
御書に仰せの通り闘えば、必ずや広宣流布が一歩拓けるということを伝える必要があるからです。
そしてその先頭に誰かが立てば、「よし、自分も!」と必ずや後に続く方が現れます。これが更なる
大功徳を生みます。故に先生は、徹底的に戸田先生との師弟を語り、教えてくださる。
故に先生は、「同志と共に、師匠と共に、前へ、前へ、勇気の一歩を踏み出していくことだ」と仰せになる。
対して沖浦如き学会活動から逃亡し続ける邪師が、自分を大きく見せようと必死で「功徳」「功徳」と
並べても、師の仰せ通り闘ったという因果無き故に、例えばネットで連日書き殴るニセ功徳などを
会合で万一話したとすれば、「はぁん。だから・・・?」で終わってしまう。(^o^) 誰にも波動せず、誰も
先生との師弟に生きようなどとも思わない。師との因果無き故です。
先生に期待されての弟子の闘い。今日よりまた、闘って断固勝ちます!(^^)
646
:
粛々坊
:2009/05/18(月) 13:51:52
>>645
>支援活動の闘いは、下手をするとまだ思い通りに闘えていない方などが、「俺、出来てないしなぁ・・・」と
疎外感を抱いてしまう恐れもゼロではありません。
そうですね。「話下手」のかたや、初めての支援活動に挑戦するかたなどは二の足を踏んでしまう方もいるかと思います。
>が、支援の闘いのたびにきっちりと丁寧に、「これはどこまでも信心の闘いであり、師の理想、先生の
思われる広宣流布の闘いそのものである」ことを、信心の歓び、体験や功徳とともに語ることで、
「よし、信心の闘いならば俺もやってみよう!」と一気に波動します。
自分がはじめて、支援活動に挑戦したころのことを思い出します。20歳になって先輩の男子部から激励され最初の支援依頼。
ドキドキしました(笑)。でお願いしたのがアパートの隣人のおばあちゃんでした。
快く引き受けてくださり、何よりも最初の壁を突破でき、「歓喜の生命」で喜び勇んで、座談会・○活で発表しました。
紛れも無く後押ししてくれたのは先輩・同志の激励です。それで勇気の一歩を踏み出すことが出来ました。
功徳はもちろんあとからついてきました(笑)。
沖裏某の功徳話にはもう飽きましたね(笑)。師弟共戦だから功徳もあるのです。誰も騙されてはいけないと思います。
648
:
怖くて名乗れません<m(__)m>
:2010/11/10(水) 12:19:24
キチガイのくまへ
始まります。
来年五月。
スーパー地区部長・清
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