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やまいぬさん歓迎のスレッド
623
:
やまいぬ。
:2009/04/02(木) 00:15:19
粛坊さん。
確かに鬱を抱えている方への御本尊授与さえ、実は極めて慎重になされなければなりませんね。
何故か? 鬱とは自己否定の病であり、つまり「自分の生命そのものと真正面から突然対峙することとなる」
勤行・唱題は、物凄い苦痛と、強烈な、ネガティヴな感情を巻き起こさせるからです。つまり、御不敬のリスクです。
そのくらい、心を病んだ方にとって、宿命転換と大生命力喚起の唱題さえ大変なことですね。
かつて、非常に重度の鬱病の方と縁あってお付き合いしていたことがあります。
信心の話、学会の話、先生の話はしても、決して「やってみようよ」とは長らく云いませんでした。
どれだけのリスクがあるかということを熟知していたからです。
彼女も「私は絶対にやらない」と明言していました。
しかし、毎日毎日様々な出来事や困難があり、地獄のような時間を生きる彼女のことを祈り続ける中で、
ある夜突然彼女は我が家の御本尊の前に単座し、「やまいぬ(仮名)、これ、、どうしたらいいの?」と
数珠を手に掛け、経本を取り上げて、私が彼女の眼の前で当たり前にしていたように、見よう見真似で
突然勤行し出したのです。すぐに彼女の横に付き、勤行から題目に移って数分、彼女は号泣しはじめました。
そして御本尊に叫んでいました。「助けてください・・・お願いです、助けてください・・・!」
「私は絶対にやらない」と云い続けていたひとが、です。
「生命が悲鳴を上げている」
「何年も何年もズタズタになり続け、大苦の限界さえ通り越してきたこの子の魂が悲鳴を上げている」
――本物の「生命(いのち)の悲鳴」というのを、私ははじめて聞いたように思いました。
程なく私も、「今夜、決着させる」と遂に意を決して対話、入会決意に至り数日後、地域の皆様に護られながら、
彼女は無事御本尊を頂き、晴れて女子部となりました。
生命の奥底の宿業、決して簡単に越えられるものではありませんが、薄紙を一枚ずつ剥いでいくように、
ゆっくりと確実に、彼女も成長しています。
少なくとも心を病んでいない健康な方に対して当たり前に通用する考え方ややり方が、心のベクトルが真逆の
病を抱えた方には全く通用しない、ということ、幾らでもありました。
けれど――人間は、当たり前に、「幸福を願う、一個の人間」ですよね。
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