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【もうひとつの】豊原県スレ【北の果て物語】

1大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/01/28(月) 08:19:44
皆様、こんにちは。大津和敏と申します。
この度、新しく自治体を設定いたしましたので、ご報告します。


豊原県(とよはらけん)

面積:36090.3平方キロメートル(全国2位)

位置:東端 東経144度45分00(北知床岬)
   西端 東経141度12分45(海馬島)
   南端 北緯 45度47分25(二丈岩)
   北端 北緯 50度線

人口:292.3万人(全国12位)

人口密度:81人/km2(全国47位)

県庁所在地:豊原市(人口93万人・1998年4月政令指定都市移行)


お察しの通り…何の変哲もない、南樺太です(^^;)
1945年8月、南樺太に侵攻したソ連軍が
1950年に撤退し、占領地が返還されたという設定で
21世紀の南樺太を想像してみたいと思います。

架空都市というより、仮想都市といった方がいいかもしれませんが…

可能な限り、史実に沿った地名や制度を用いるつもりですが、
知識不足のため、間違いも多々あると思います。
どうぞその辺りは、空想の範囲内と思って頂き、
温かい目で見守ってやってください。


>>千島県知事閣下
この度は、千島県と領域の被る豊島県設立に
快くご了解いただきまして、誠にありがとうございます。
千島県には遥か遠く及ばない辺鄙な県ですが、
どうぞよろしくお願いします。

2大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/01/28(月) 18:56:57
↑「千島県と領域の被る豊島県」

いきなり県名間違えちまった…豊島県ってどこだよorz

3大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/01/29(火) 08:14:29
今回は戦前から戦後に渡っての豊原県成立の経緯について、
簡単に年表にまとめてみました。

1855年 2月 7日 日露和親条約締結。樺太島を日露混住の地とする。

1875年 5月 7日 樺太・千島交換条約締結。樺太全島がロシア領となる。

1905年 9月 5日 ポーツマス条約締結。北緯50度以南の樺太島が日本に割譲される。

1907年 3月15日 南樺太の行政組織として、樺太庁が発足。

1945年 8月 9日 ソ連軍、日ソ中立条約を破棄。南樺太に侵攻する。

  同 8月14日 日本、ポツダム宣言を受諾する。翌日、終戦。

  同 8月28日 南樺太全域がソ連軍の占領下に置かれる。

  同 9月17日 ソ連軍政下の元、南サハリン住民管理局が設置される。

1946年 6月 1日 国家行政組織法の施行により、樺太庁が廃止される。 

1948年 3月 5日 ソ連、スターリン書記長死去。フルシチョフ書記長就任。

  同 3月28日 ソ連軍が南樺太から撤退を決定。

  同 4月 1日 GHQの指導により、南樺太行政執行局設置。

  同 6月 3日 ソ連軍が撤退を完了する。

1951年 9月 8日 サンフランシスコ講和条約調印。
        南樺太を含む日本の内地の領有権が認められる。

1952年 1月28日 南樺太行政執行局が発展的解消。豊原県が発足する。

1956年10月19日 日ソ共同宣言署名。日ソ両国、北緯50度線を国境と確定。


1948年に、スターリンに批判的なフルシチョフが就任したことに伴い、
前政権への反動が大きくなったことと、
北海道侵攻の可能性も大きかったソ連に対し、極東のパワーバランスが崩れることを恐れた
アメリカが牽制したことが原因で、ソ連軍が南樺太から撤兵。
日本は南樺太の支配権を放棄せず、サンフランシスコ講和条約に望んだ…という設定です。
(※実際のスターリンの死去は1953年)

戦後の自治体の名として「樺太県」を使わなかったのは
撤兵したソ連に考慮し、「樺太」という言葉が島全体を指す用語として
全島領有の意思があるという誤解を避けたため…というのはどうでしょうか?
いかにも日本らしい対応の仕方だと思うのですが。

以後、公的には戦前戦中のイメージが強い「樺太」という言葉は使われないようになり、
「南樺(なんか)」「樺州(かしゅう)」という言葉が使われるようになります。

…とまあ、何だか虚実織り交ぜているので、
事例の前後関係などがおかしいところもあるかもしれませんが、
一応はこれを仮設定とします。
それにしても架空歴史スレみたいになってるなここ…

次回は県のシンボル等の詳細について考察してみます。

4石原@光穂市民 ◆lT5OBF00I2:2008/01/29(火) 22:29:52
はじめまして。光穂県の石原と申します。
史実の「if」から導かれた、リアルファンタジーを楽しみにしております。

5大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/01/30(水) 08:27:58
>>石原@光穂市民様
始めまして。ようこそ豊原へ。
美麗なHPをはじめとした、貴県の繁栄振りはとにかく羨ましいの一言です。
貴県の益々のご繁栄を祈ると共に、これを機に、光穂県と豊原県との交流が深まりますよう
お願い申し上げます。
…とりあえず豊原市にもLOVE/LOVE欲しいです(^^;)


さて、今回は県のシンボルと、それにまつわる設定について紹介します。

県花:カワシマコザクラ(サクラソウ科)
  
県木:アカトドマツ(マツ科)

県鳥:シマフクロウ(フクロウ目フクロウ科)

県歌:「豊原県民の歌 〜豊かな心で〜」
   (第44回国民体育大会「北海道・豊原はまゆり国体」開催時に制定)


県花、県木、県鳥は樺太に実在する種類から選びました。
(カワシマコザクラは幻の固有種だそうですが…)

また、県歌の設定に伴い、国体の設定もしてみました。
実際の第44回大会(平成元年)は北海道単独の大会でしたが、
複数の自治体の連合開催も実際にあったので、まあいいかなと。
余裕があれば、いずれこの国体の詳細も考えてみたいです。

ちなみに、この世界(?)の国内の行政区分上では、
「北海道地方」ではなく、北海道と豊原県を含めた「北海地方」となっています。
これ、後々いろんな設定に絡んできますので…

6硝酸@利賀・外尾:2008/01/30(水) 16:19:35
こんにちは。
利賀県と外尾県の硝酸です。
豊原県とは海を挟んで近いのでいろいろとお世話になります^^
そういえば自県の国体って考えてなかったなぁ…

7さぼてん太郎@月形県 ◆vZJTcsyCeY:2008/01/30(水) 16:26:56
初めまして、月形県を作成しておりますさぼてん太郎です。
今後の発展を楽しみにしております。
月形県ともども今後ともよろしくお願いします。

8大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/01/30(水) 17:51:32
>>硝酸様
はじめまして。ようこそ豊原へ!
利賀県も外尾県もいわゆる「北海地方」ですものね。
今後ともよろしくお願いします。

ちなみに、外尾県の県花である「イチイユリ」の別名が「はまゆり」だって知ってました?

しかし、考えてみると北海道周辺は架空都市のメッカですね。
高校野球の全国大会も熾烈になりそうな予感…

豊原県で高校の設定までたどり着くのはいつになる事やら…(-_-;)


>>さぼてん太郎様
はじめまして。ようこそ豊原へ!
おしゃれで先進的な北九州エリアに比べると、随分と辺鄙な豊原ですが、
たまには長閑な気分に浸っていただいて、ごゆるりとご逗留下さい。

豊原県開発も、次は交通網あたりを整備しようとしているのですが、
月形県のJRを始めとするきめ細かい諸設定は、大変参考になります。

今後ともよろしくお願いします。


皆様方の県のスレにもその内お邪魔したいと思っております。
貴県と本県との間に末永い交流が持たれますように。

9宮ちゃん@洲北県:2008/01/30(水) 18:19:09
はじめまして、道東沖で洲北県を作成している宮ちゃんです。
同じ地域なので、いろいろとお世話になりそうです。
今後よろしくお願いします。

10歌@三江県観光課長:2008/01/31(木) 01:04:45
初めまして。近畿と東海の間に割り込む三江県の歌です。
ちょっと遠いですがよろしくお願いします。

11海辺星@南和府:2008/01/31(木) 16:31:33
初めまして、銚子沖の南和府の海辺星と申します。
ifの歴史から生まれた自治体というのはとても興味深いです。
北海道周辺は架空自治体が多いので、ますます北方が賑やかになりますね。
だいぶ離れていますが、何かの折にはよろしくお願い致します。

12大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/01/31(木) 18:21:49
>>宮ちゃん様
はじめまして!ようこそ豊原へ。

洲北県のWikiも拝見しましたが、
県で盛んなスポーツの設定が細かいですね。
うちは全然その辺が手つかずなんで、非常に参考になります。

我が豊原はスポーツ何が盛んなんだろう・・・
やはりウインタースポーツかな?
それ設定するなら樺太に当時幾つスキー場があったか調べなきゃ。
ああ・・・調べることが加速度的に増えていく・・・。

これで、北海道周辺の架空都市がほとんど揃い踏みですね。
あとは御大である千島県知事閣下のご来訪を待つばかりです。


>>歌様
はじめまして!ようこそ豊原へ。

貴県の市町村や教育機関の説明の緻密さには脱帽です。
豊原は面積の割には市町村の数は比較的少ないんですけど、
これくらい一つ一つ丁寧に概要を書いていきたいですね。

あと、グルメ情報を載せているのが、すごく興味深いです。
食というのは、やっぱりその県の文化をと考えていくのに、
切り離すわけにはいきませんものね。
でも豊原では塩分控えめな特産品を考えることにします(^^;)


>>海辺星様
はじめまして!ようこそ豊原へ。

Wiki見ましたが、「清城市周辺地図」が美しすぎる!
あれ、どうやって描いてるのですか?
絵心のない僕には羨ましい限りです。
もし、便利なツールがあったら教えてください。

あと、指定暴力団の設定まであるのが笑ってしまいました。
そう言った「裏」の部分を考えるのも楽しいですね。


皆様方の県のスレにもその内お邪魔しますので、その際にはよろしくお願いします。
貴県と本県との間に末永い交流が持たれますように。


さて、次回は私のHNの由来にもなった豊原県初代知事、
大津敏男氏について考察します。

13マタタビ@狐奈:2008/01/31(木) 18:56:13
初めまして、北海道の西方にある狐奈県のマタタビです。
同じ地域にあるので、なにかとお世話になりそうですね。
その時には宜しくお願い申し上げます。

14データ好き@花前県:2008/01/31(木) 20:33:34
はじめまして、能登半島の東・富山沖にある花前県のデータ好きです。
千島県に負けない発展を願うとともに、花前県をよろしくお願いします。

15参沢府知事:2008/01/31(木) 21:03:31
遅ればせながら、新自治体設立おめでとうございます。
いろいろとお世話になることがあるかと思いますが、その時はよろしくお願いします。

16大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/02/01(金) 08:31:35
>>マタタビ様
はじめまして、ようこそ豊原へ!

他の架空府県と積極的に交流して、さながら「ハブ県」のような様相ですね。孤奈県は。
辺境の小県ですが(まあ面積だけは広いですがw)
我が県も交流の末席に加えていただければ、幸いに思います。

それにしてもマタタビ様のご来訪で「北海道包囲網」が完成しましたね。
だから何だと言われても困るんですが(^^;)


>>データ好き様
はじめまして、ようこそ豊原へ!

「花前県の噂」面白いですね。
「ハワイに行ったら英雄、ヨーロッパに行ったら神扱い」にはお茶吹きましたw
県人口に占める外国人登録者数が全国最低で、外国人アレルギーがあるという
設定は何となくリアルで共感がもてます。

豊原県民もあんまり海外旅行に行かなそうなイメージですけど、
歴史的な背景もあって、県内には韓国・朝鮮人やロシア人などが多数在住し、
結構コスモポリタンな風情なんですよ。


>>参沢府知事様
はじめまして、ようこそ豊原へ!

参沢の由来が、星座から来ているって素敵ですね。

戦前に樺太郷土會という所から出版された「樺太の地名」という本があるんですが、
「豊原」の項目見ても、延々と日露戦争の激戦地としての記述はあるんですが、
由来は結局「不明」ですもん。
多分開拓時に「豊かな地になるように」とか結構安易な理由で
命名されたんじゃないですかねぇ(−_−;)

あと、Wikiのランキングがすごいボリュームがあって、
読み応えがありますね。
「眼鏡所有率日本一」ってのが眼鏡っ子の自分にはツボでした。


皆様方の県のスレにもその内お邪魔しますので、その際にはよろしくお願いします。

貴県と本県との間に末永い交流が持たれますように。

17大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/02/01(金) 09:04:05
さて、今回は豊原市初代知事、大津敏男(おおつ としお)氏について考察していきます。
史実の大津氏は、終戦直前に最後の樺太庁長官を務めた人物として知られていますが、
彼がどのような経緯で初代知事となったのかは、豊原県成立の経緯と密接な関連性があるのです。


大津敏男 略歴

1893年 10月26日 福岡県に生まれる。

1918年      東京大学法学部を卒業し、内務省に入省。

1938年      関東局長官に就任。(〜1941年)

1942年      埼玉県知事に就任。

1943年      第15代樺太庁長官に就任。

1945年 8月 9日 ソ連軍、日ソ中立条約を破棄。南樺太に侵攻する。

 同  8月14日 日本、ポツダム宣言を受諾する。翌日、終戦。

 同  8月28日 南樺太全域がソ連軍の占領下に置かれる。

 同  9月17日 ソ連軍政下の元、南サハリン住民管理局が設置される。

 同  12月30日 ソ連軍によって拘束される。 

1946年 6月 1日 国家行政組織法の施行により、樺太庁が廃止される。
         南サハリン住民管理局補佐官に抜擢。

1948年 3月28日 ソ連軍が南樺太から撤退を決定。
         南サハリン住民管理局補佐官を解任。

 同  4月 1日 GHQの指導により、南樺太行政執行局設置。
         執行局長官に就任。

1952年 1月28日 南樺太行政執行局が発展的解消。豊原県が発足する。
         初代豊原県知事に就任。(〜1956年 1期)

1956年 11月 3日 国会にて、日ソ共同宣言に関して、前豊原県知事として初の意見陳述を行う。

1958年 12月27日 心不全のため死去。享年65歳。


樺太庁長官着任中、1945年8月9日にソ連軍侵攻の報を受けた大津長官は、
樺太を守備していた第88師団と連携しながら、現地住民の北海道への一時疎開を指揮。
8月23日にソ連軍が邦人の島外移動を禁じるまでに、87670名の一時避難を完了させます。
その後も、ソ連占領後残留した樺太住民28万人の生命と安全を守るべく、占領軍と交渉を続けました。
そうした中、南サハリン住民管理局が設置され、ソ連軍の統治体制が確立しつつある中、
官憲の目が大津氏の周囲にも向けられるようになり、同年12月に騒乱罪で一時拘束されてしまいます。

しかしながら、南樺太社会に大きな影響力を及ぼす大津氏を処分した場合の
反動を懸念したソ連軍当局は、彼を住民管理局補佐官に抜擢することで、
速やかな南樺太統治に利用しようとしたのです。

※なお、史実では、1946年6月1日の国家行政組織法の施行により、樺太庁を初めとして市町村も
 全て廃止されてしまうのですが、ここでは南サハリン住民管理局の中に
 日本人による行政機関があったために、戦後も市町村区画がそのまま残った…と設定しています。

その後、1948年のスターリン死去に伴う国内の政情不安でソ連軍の撤退が決定すると、
大津氏も住民管理局を解任され、一時帰国を果たします。
そうして、今度はGHQに南樺太統治の業績と、住民の生命を守る人権的姿勢を認められ、
南樺太行政執行局の長官に就任、そしてさらに1952年の豊原県発足と共に、
初代知事に就任するのです。

このように、戦前日本、ソ連軍、GHQ、戦後日本と、権力の移行と共に
その所属を変遷させていった大津氏を、革命期フランスの変節漢オトランド公に準えて
「樺太のジョゼフ・フーシェ」と揶揄する心無い者もありましたが、
彼の行動理念の中心には、常に樺太の民衆の姿がありました。
現に、豊原県知事に就任した彼がまず初めに行った事業は、
島外に疎開している約87000人の島民の帰還だったのです。

こうして、大津敏男氏の名は、豊原県開闢の英雄として
今も永く、豊原県民に親しまれているのです…。

「人を思い、その命を尊重しようとする限り、豊原は末永く発展していくことでしょう…」
         1956年11月3日 国会にて、日ソ共同宣言に関しての意見陳述より抜粋


何だか「知ってるつもり?!」(懐かしいなぁ)みたいなノリになってしまいましたが(-_-;)
こんな感じで妄想していると、いつまでたっても地理や文化なんかの設定に進めないんだなあ…


というわけで、次回は市町村などの行政区画について、考察します。
でも多分、時々こんな風に歴史方面に遁走すると思いますが、
末永くお付き合いくださいませ。

18海辺星@南和府:2008/02/04(月) 18:50:33
返信遅れてすみません、地図はIBM ホームページビルダー6に付属の
ウェブアートデザイナーというソフトを使用しています。

ただ、AdobeのIllustratorを使用したほうがより地図っぽい地図が
書けると思います。スレ違いの内容失礼しました。

19大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/02/04(月) 20:19:38
>>海辺星様
ありがとうございます!
そうですか、ホームページビルダーですか。
実は持ってるのに、まともに使ったこと無かったです。
ぼちぼちと使い方を勉強してみたいと思います。
まあ、あんなに美麗な地図を作成できるまでは
かなりの時間がかかるでしょうが…(^^;)

さて、自治体の編成が少し手間取っております。
各市町村の人口密度を勘案して合併を進めたいんですが、
手元の資料には、戦前の樺太各市町村の面積が記載されてないんですよね。
豊原市の面積なんて、どれくらいだろう?と思うと作業が止まる…(泣)

昭和10年代に作られた「植民地年鑑」という資料があるらしいんですが、
その中に「樺太年鑑」というのがあるんですね。
どうにか近年再版されたのがあるという情報は掴んだのですが…定価28000円(!)

買おうかどうしようか悩んでるとこです。
図書館での閲覧じゃ埒があかないし…。
こんな風に、架空都市制作してると
貴重な書籍が欲しくなること、ありませんか?

というわけで、市町村考察はしばらくお待ち下さい。
とか言い訳してみるテスト。

20大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/02/15(金) 08:15:55
ご無沙汰しています。
三連休に県立図書館に行って、樺太に関する資料を漁ってきました。
さて、今回は市町村などの行政区画についての考察です。

豊原県の市町村は、史実の樺太庁の市町村区分を下地にしています。
今回は、県発足時から、昭和・平成の大合併期を経ての自治体の変遷を追ってみます。

○豊原県発足時(1945年)1市12郡12町29村4支庁  
 ・豊原支庁  豊原市
        豊栄郡 (豊北村、川上村、落合町、栄浜村、白縫村)
        大泊郡 (大泊町、千歳村、深海村)
        長浜郡 (長浜村、遠淵村、知床村、富内村)
        留多加郡(留多加町、三郷村、能登呂村)
 ・真岡支庁  真岡郡 (真岡町、野田町、広地村、蘭泊村、清水村、小能登呂村)
        本斗郡 (本斗町、内幌村、好仁村、海馬村)
        泊居郡 (泊居町、名寄村、久春内村)
 ・恵須取支庁 恵須取郡(珍内町、恵須取町、塔路町、鵜城村)
        名好郡 (名好村、西柵丹村)
 ・敷香支庁  敷香郡 (敷香町、内路村、泊岸村)
        元泊郡 (元泊村、帆寄村、知取町)
        散江郡 (散江村)

※豊原県は北海道と同じく、支庁制度を導入しており、
 豊原・真岡(まおか)・恵須取(えすとり)・敷香(しすか)の4支庁が存在します。
 県発足時は終戦時の市町村区画とほぼ同じですが、
 戦時中は支庁制度から独立していた豊原市が豊原支庁に属しています。
 これは、北海道と豊原県を開発する目的で1953年に設立された「北海開発庁」の指導の下、
 北海道の札幌市が石狩支庁に属しているのと同じ扱いにしたものです。

 続きます。

21大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/02/15(金) 08:16:39
○昭和の大合併後(1975年)7市11郡27町8村4支庁   
 ・豊原支庁  豊原市
        落合市
        大泊市
        豊栄郡 (豊北町、栄浜町、白縫町)
        長浜郡 (長浜町、遠淵町、知床町、富内町)
        留多加郡(留多加町、三郷町、能登呂町)
 ・真岡支庁  真岡市
        真岡郡 (野田町、広地町、蘭泊町、清水村、小能登呂村)
        本斗郡 (本斗町、内幌町、好仁村、海馬村)
        泊居郡 (泊居町、名寄町、久春内村)
 ・恵須取支庁 恵須取市
        塔路市
        恵須取郡(珍内町、鵜城町)
        名好郡 (名好町、安別町)
 ・敷香支庁  敷香市
        敷香郡 (内路町、泊岸町、古屯町、多来可村)
        元泊郡 (元泊町、帆寄村、知取町)
        散江郡 (散江町、散頃村)

※県発足の10年後、1962年には大幅な人口増加に伴い、大掛かりな市町編成が始まりました。
 その際の大きな特徴として、他の都道府県ではあまり見られなかった、
 分町政策が採られたことが挙げられます。
 元々植民地的性格が強く、人口の少ない辺境の地を開発していった経緯のある豊原県では、
 県土の面積に比して市町村の数が少なく、面積の広すぎる自治体が多くありました。
 特に面積の大きかった敷香支庁で分町が行われ、
 1963年には古屯町と多来可村が、翌1964年には散頃村が誕生しました。
 一方で町村に細かく区切られていた県南地域では合併が進み、
 南北の自治体の面積でのバランスが図られました。
 また、全国的な昭和の大合併の流れを受け、1970年代初頭までに
 新たに6つの自治体が市制を施行しています。
 実はこの頃までに、豊原県を4つの県に分県する構想もあったそうなのですが…
 それについてはまた別の機会に考察します。

 続きます。

22大津和敏 ◆nxeJRz9KX6:2008/02/15(金) 08:20:37
○平成の大合併後(2008年)10市10郡23町3村4支庁   
 ・豊原支庁  豊原市
        豊北市
        落合市
        大泊市
        留多加市
        豊栄郡 (栄浜町、白縫町)
        長浜郡 (長浜町、知床町、富内町)
        留多加郡(三郷町、能登呂町)
 ・真岡支庁  真岡市
        本斗市
        真岡郡 (野田町、清水町、小能登呂町)
        本斗郡 (内幌町、好仁村)
        泊居郡 (泊居町、名寄町、久春内村)
 ・恵須取支庁 恵須取市
        恵須取郡(珍内町、鵜城町)
        名好郡 (名好町、安別町)
 ・敷香支庁  敷香市
        古屯市
        元泊郡 (元泊町、帆寄村、知取町、泊岸町)
        散江郡 (散江町、散頃村、多来可町)

※平成に入り、恵須取市と塔路市が合併し「新」恵須取市となり、
 新たに豊北市・留多加市・本斗市・古屯市が市制を施行しました。
 また、広地町・蘭泊町が真岡市に、海馬島にある海馬村が本斗市に、
 それぞれ編入されました。
 その他には、清水町・小能登呂町・多来可町の3村が町制を施行しています。


…まだまだ細部は変更になりそうな予感ですが、まずはこの辺で。
次回は各市町村の概要について考察する予定です。


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