『正義という名の洗脳』(苫米地英人 大和書房 2012年 \1400)-2/2
法律に不備があっても、悪いことはしないということを、法の精神から学ぶことができる(P.156)
【それが法の精神ということか。悪いことはしないまでも、その不備のある法律によって不利益を受けている場合はどうすればいいかという問題がある。例えば高速道路の速度制限とか。】
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「君は間違っている」は違う。人格やその考え、発想を否定するようなことは、誰であっても言えないはずです。/ですから、学校で教えるべきことは、「自分以外の人に対して、一切評価してはいけない」ということ。正しかろうが、間違っていようが、すべて自己責任なのです。(P.158)
【やや納得しがたい理屈なのだが、それが意見の違う他人を尊重するということか。】
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子どもたちを公平に、平等に扱うのは当然のことですが、教師自身に序列があるのは間違いなのです。/校則も不要です。(P.159)
【一般の人たちには通用しない考え方の一つだろう。序列があるのが当たり前と洗脳されてしまっているので。】
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今の日本の教育は軍国主義の延長線でしかないのです。(P.162)
【体育一つとってもわかるし、授業の開始・終了時の起立・礼もそうだ。】
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日本では、生徒全員がわかるようになるまで教えることを公平だと勘違いしている人がいますが、それは公平でもなんでもありません。/みな同じような人間をつくるという意味では、確かに公平かもしれませんが、それは奴隷をつくるための教育です。(P.164)
【公平でなければならないのは教育を受ける機会であって、その意味では一切学費・授業料が掛かってはいけないのだ。生徒全員が分かるか分からないかは、それこそ生徒一人ひとりに違いがあるのだから、当然出てくる。そのあたりの勘違いにも現場の教師は苦労している。】
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知識を持ち、自分で自由に選択して、自分で責任を取れるようにするのが、本当の意味での公平なのです。(P.165)
【これに尽きるだろう、教育の目的は。そして私たち教師の役割は。】
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大学受験のために、高校の授業も「ひとつの正しい答えを暗記する」ことに重きを置いている。/そのような授業は、何も意味がありません。思考のトレーニングにもなりませんし、正義という幻想が存在するということを教えてしまうことにもなります。/だから、大学受験は必要ないのです。(P.172)
【諸悪の根源は、大学入試である。精神的にも経済面でも。】
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「まとめ」から
法律で決めた正義は妥協の産物
正義という言葉を使う人を疑う
正義の裏側には、必ず権力者がいる
宗教は、洗脳のツールとして利用されてきた
正義は「法のもとの平等」と言える
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