- 1 :春日 :2014/11/12(水) 11:12:42
- この何年かの間、夢中になってきた短歌。その短歌自体は個人に対する一枚の葉書でもって頂となり、文字を伴うというより依り処とするから、古語文法というよりは造語に近い作業である。さすがに18文字全てではなくて、今日組まれたものは先ず的があった。的は3音の1字で秋空の上空にまばらに浮いてとどまる雲である。この的を引っ張って古事記伝の水戸神の段の書写をしてあっという間に31音がその大半は組み上がった。漢字は時間があったから、神代文字を使用して大半は合成された文字。季語は秋の暮れである。振り返ると葉書の場合はもう少し明解な筆跡が良いだろうか。今はその内容の出来事について心の内を明らかにしておくことにする。一言でいうと、ある女性から物をもらった。ただそれだけのことが記された歌であった。
- 6 :春日 :2014/11/12(水) 17:13:48
- 私の妹の娘が10才位、それ以上でその芸大生が22才位か、すると年の開きは私の39と比べると芸大生は妹の娘に近い。妹の娘を女性とはそれ程意識して見ないが、22の方は健気で多分私より強い心臓を持っていることだろう。心を奪われまいと心を引き締めてはいたが、妄念とはかくも恐ろしや…。一番初めに見掛けた時よりも、変化を感じる。自分もそうであったが、そういう年頃だろうし同級生らは進学して大学へと進み、はたから見ていると本当に楽しそうに見えたものだ。そういう可能性を秘めたる若さ、生命力を妬む気持ち。でその方が大接客のサービス片付けが終り、荷物をまとめていたら「ハイ」といって何かおみやげの食べ物を渡して呉れた。ただそれを素直に「ありがとう」だけで済まない…思いが歌になったのである。
- 7 :春日 :2014/11/12(水) 17:26:16
- 忘れていたが、谷中に住んでいた時があり、丁度施設を出て、独り暮らしを始めたのが、月三万円程度のアパートで便所は共同であった。二階の隣の隣の部屋は女性の芸大の方がアトリエとして使用していて廊下には私があげて描いて…もらったベーコンチックな顔の絵がある。時々彼氏と一緒に歩いていたり、銭湯へ行く時にすれ違ったものだ。まあ芸大生といっても無数にいるが、自分の美術に対する思い入れから、あるいは男として特に心に残るのであろう。施設を円満に出て、自分は何かをしたいけど、何をすればいいのか分からない状態で陶芸をすすめられて習ったのもその頃であった。
- 8 :春日 :2014/11/15(土) 02:34:22
- 幡ヶ谷のアパートへと移り住み始めたのは、そこにT氏が住んでいたからで、私はそれ以前やっていた仕事を辞め、引越しの時は大きなダンボール一つであった。前日、そして幡ヶ谷に着いた時は薬の酔いが回っていて、出てくる時アダルトビデオを編集したテープを、思い切って捨てた覚えがある。何年か後に、アダルトの制作会社の編集部に勤めた因縁…である。駅前のパチンコ店で三ケ月位働き、その後六本木のSMのショーパブで働くようになる。T氏の彼女が芸大の子で当時私と年令は変わらなかったが、ある夜私のアパートへと訪れて来た。私のアパートは洋服屋、リテイル屋の裏の狭い風呂なしのアパートで、彼女はT氏と別れた、と告げる為にやって来た。私の当時の部屋は照明がなく、夜は真っ暗で彼女とヒソヒソ話をした。そして彼女は、途中トイレへ行って用を足す。木造モルタルの部屋で、音が響く。要するに彼女は「どうぞ食べて下さい」と暗にやって来た。それは、私とT氏がSMパブで一緒にサロンみたいなことを始めたり、近づいた。彼女は具体的に交、行為を口にする。性病…?だったか、ただ私も当時急に彼女が出来たばっかりだったし、私は妄想はひどいが以外と頭だけで、具体的性、加え乱暴は、はっきり一度覚えている。他にもあるだろうが、あの時は相手に、申し訳ないと今でも思うのである。
- 9 :辻 :2015/04/29(水) 10:12:22
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にどねをしてしまいまつりにはさんかができぬがきょうはいけぶくろへといくそしてうつわをだしてつやけしのしらはぎがいいかどうかはできあがりをみてからかんがえるとしてうつわのみつをうけとりいいだばしからきんだいびじゅつかnへといきそしてかなりあるきたいきもちなのであるでんしゃではざっしをよみきるかんじでいきそしてあるきにはこじきでんとのりとをよみあげることだそれでくわえてさくらをひとつよみたいとはおもうのであることたまのかいほうはひとつをぷりんとあうとをしてじたくでいっかげつあたためてしょしゃするよぶnなはんしがあるからそれをりようたんかはめもをたよりにあるていどはできあがるであろうきょうはあちこちあるいてみることだかえってきたらとちゅうとしょかんでうたをまとめあげてよるにこじんへとだせたらかんぺきとはいえるができるはずなのであるけっきょくこのがいどがあればことたまのまなびのさーくるはたちあげることができるのではなかろうかそのようにもおもえるここでかんがえているじかnがあればさーくるをめーるあどれすひょうきでまたつくりまいてそれをしごととすることができるのではなかろうかとかようにおもうものなのであるはいくのあつまりにもきょうみがあるしただぶらぶらとあるいているだけというよりはもしやことたまのまなびにとういつをするのかつじはいつつまでできるであろうがりくりとしてさーくるのちらしづくりをやってみるというのかそれともひとにこmrんとをするときのなまえにするそのためにそれもわるくはなかろうとおもうのであるがいまはとにかくきょうはともかくいけぶくろときんだいびじゅつかんへといくことをするのだ
- 10 :名無しさん :2015/05/09(土) 01:18:05
- iroironakotokaatutakeretoimaikiteirukotokatotusenarikatakuomoetanohamitukaranonamaemoarihuutounohensimonituuninarikokotehanasiwoshitemitukarawototonoerukotokatekirehasorenarinotankainikitakotoninarunotehaarousituhaihashiyoukaitearikousitehanasiwosurukotokatariteinakatutaashitahaesuherantonohukusiyuutoutanokanseiwoshitesouhuwosurukonkaihakiyosumisirakawanitemukaihinisuwatutaonnnasansiyuumitonomononohisatoashitosunetaitonasukaatosorenarinikawaiikuririsiikashiriyouwohisanouetehirakusonosutotukinkuhahatanoirotokamihitoetearuosekisanhamirukotokatekisuanohokuroahatnohahaahakikonsiyatearimusumehutarinikowoharamaserumousoumohuusennoyounihukuramukaasuhashitukarisuwarikehuhasirasetekutusitesimaisuwaresuniaritanotakasikarisuwariutatoesunohukumanahiwosurusoshitehiteowokaesunotaatarutohanankatukarerunotakakarirehaiisaeikahayoukanohukikaenoaruakushiyountokakayoikakonoeikanosekaikaramomousukosinuketasitaikihunnanotehaaruokorekaramouhitotumiteyasumutokinikusuriwohukumiharatetehaketawatashiwoosekisanhatouomoinuretawakemokuwaetanohatetuhanoanokenakenanaasunanota
- 11 :名無しさん :2016/03/07(月) 00:10:37
- ストローの端を二人でくわえ込み副流煙を相手に送る
確か一度目にタイへ行った時、サムイ島のラマイ・ビーチに日本人が集まっていて、M 君を中心に大勢と毎日薬漬けののんびりした時を過ごした。夜中のディスコへ行く前に、ラマ・センというゲスト・ハウスの一室でヤーマーと言う覚せい剤をばっちり決めて行くのだが、その時の事である。皆アンフェタミンをあぶってそれをストローにて吸い込む。その後、口から吐き出される副流煙を再びストローを用いて、別の人にその相手の口中へ送り込む、煙を送るのである。M 君の彼女の女の子はそれ程美人という訳ではなかったが、日本人女性…紅一点という事もあり彼女とは日本の那須の温泉ホテルで知り合ったのだが、その時よりもずっといい女に思えた。ストローを私とその相手の子とで両端を口にくわえ相手の顔が間近になる。肌の白い子だがほっぺが少し赤らんで妙に色っぽい。只キスをするよりもエッチな気分になる。周囲では皆が見ている訳だし…でアンフェタミン(ヤーマー)の最後の煙をストローを通して送るのであった。今から 15 年くらい前の事であろうか。
- 12 :辻 :2016/03/19(土) 22:04:18
- 正しさやより良い幸を説くもののその実態は何であろうか
お寺の班の方と一緒に、折伏の活動に参加をした。〈正しい宗教は一つだけ、そうでないと幸せになれない…〉一緒に回った厚い信心を持つ女性の言葉が心に残っている。お寺の活動には時折、参加して外部との接点を多少持てば良いだろう。
積徳の布教の後の夕げにと油ののった豚肉を食う
朝からお寺のの行事に参加して、その日は座談会へ出て、街折に出て、夕方の勤行にも参加をした。途中、コンビニにてカップ・ラーメンを食ったが、帰宅するとぐったりであった。帰り道駅のスーパーで買った値下げされた豚肉を食べながら、その日一日の宗教的な行為が水の泡になった様な気がした。
大勢の唱題の声に紛れ込みぼんやり仰ぐ妙の一文字
夕方の勤行まで、多少無理をして出たのはその後半月は出る、参詣が出来ないだろうから、当分来ないからという気持ちがあった。その時には、人に向けてコメントして話をWeb上でしていたが、それは余り自分を良い方向へは持って行かなかった。
信仰は人それぞれで構わないただ自らが属す居場所か
日蓮の本仏論は、一見整合性を感じさせるものの自分には受け入れ難い事だった。日蓮自身が考えていた事、結局日興が作り上げた事であったのだろうと想像する。そもそも、末法以後日蓮が只一人の仏であり続けるという事は有り得ない。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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