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辻
12
:
辻
:2016/03/19(土) 22:04:18
正しさやより良い幸を説くもののその実態は何であろうか
お寺の班の方と一緒に、折伏の活動に参加をした。〈正しい宗教は一つだけ、そうでないと幸せになれない…〉一緒に回った厚い信心を持つ女性の言葉が心に残っている。お寺の活動には時折、参加して外部との接点を多少持てば良いだろう。
積徳の布教の後の夕げにと油ののった豚肉を食う
朝からお寺のの行事に参加して、その日は座談会へ出て、街折に出て、夕方の勤行にも参加をした。途中、コンビニにてカップ・ラーメンを食ったが、帰宅するとぐったりであった。帰り道駅のスーパーで買った値下げされた豚肉を食べながら、その日一日の宗教的な行為が水の泡になった様な気がした。
大勢の唱題の声に紛れ込みぼんやり仰ぐ妙の一文字
夕方の勤行まで、多少無理をして出たのはその後半月は出る、参詣が出来ないだろうから、当分来ないからという気持ちがあった。その時には、人に向けてコメントして話をWeb上でしていたが、それは余り自分を良い方向へは持って行かなかった。
信仰は人それぞれで構わないただ自らが属す居場所か
日蓮の本仏論は、一見整合性を感じさせるものの自分には受け入れ難い事だった。日蓮自身が考えていた事、結局日興が作り上げた事であったのだろうと想像する。そもそも、末法以後日蓮が只一人の仏であり続けるという事は有り得ない。
仏とは影の称号みたいだと本仏論の自賛に嫌気
なので学会その他の正宗から分裂した方に対しては、戻った方が良いのではとは思うが、別に何か他に信仰をしていて安心を得ているのなら、それで構わない気がするのである。〈神、神様〉と似て、信心…それぞれの人の心の中の問題であろう。
お寺へと足を運ぶは声出しとより良い音を求めんがため
大本も正宗も…いいや、禅寺へ時折行けばと考えていたが、三か月をおいて京都へ行く事になった。その直前お寺へと行事に二度参加した。信仰に関しては心のもやは未だ晴れないままであるが、先ず自分の生活のリズムを掴む事が大事だ。
親族に近寄り過ぎてお寺へと逃げ出しただけそういうことだ
心身共に不調なまま、年初めは金欠だったし、親族に頼る事、お金の事が多かった。その反動でお寺へ行って、それ以外の触れ合いを求めた。確かに、大本よりも気楽にお金の憂い、引け目を感じないで活動に参加出来る。農業体験だけを、時折息抜きで参加すると良い。
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