- 1 :常に時代に先駆けて 明日の希望に奮い立つ :2024/09/21(土) 17:23:52
- 京大には二桁合格しています
東大も二桁目指そう
- 241 :日本大学水道橋文化村 :2026/08/07(金) 00:27:41
- 「日本版SKY」東大・早慶卒が上位占める中なぜ日大? 日本の国会議員713人出身大学調査に見る韓国との違い 朝鮮日報
日本の国会議員も、韓国のSKY(スカイ=ソウル大〈S〉・高麗大〈K〉・延世大〈Y〉の3大最難関大学)のような 名門3大学出身者が主流なのだろうか。日本ではよく、東京大・早稲田大・慶応大の3大学が韓国のソウル大・高麗大・延世大と比較される。
日本で最近、韓国の大学修学能力テスト(修能)に当たる大学入学共通テストが実施される中、産経新聞は日本の国会議員713人の 出身大学を調査。予想どおり東京大・早稲田大・慶応大が上位に入った。しかし韓国ではほとんど知られていない「日本大」がトップ5に入っていた。
異例といえるのは日本大だ。実は入学難易度を見ると名門というほどではないのだが、並みいる私立名門や国公立を抑えて5位に入っているのだ。(中略)
日本大は日本の大学の中で最も学生数が多い。在学生はおよそ7万人に上る。実は日本企業の社長の出身大学は日本大が圧倒的1位なのだ。 2023年に東京商工リサーチが実施した調査では、日本企業の社長のうち日本大出身は2万248人に上り、2位の慶応大(1万617人)、 3位の早稲田大(1万420人)を大きく引き離した。
ただし、上場企業の社長に限ってみると、順位が逆転する。2023年基準で慶応大が289人で1位、早稲田大が230人で2位だ。 東京大が213人で3位に入っている。 しかし日本大はここでも104人で4位に食い込み、京都大(102人)を上回った。 成好哲(ソン・ホチョル)東京支局長
日本の5つ星大学 日大☆東大☆早稲田☆慶応☆京都大 https://medaka.5ch.io/test/read.cgi/jsaloon/1785914654/l50 明治政府が制定した旭日旗は素晴らしい https://lavender.5ch.io/test/read.cgi/history2/1546533148/25-125 ◎日大法学部3号館新築 https://www.law.nihon-u.ac.jp/life/facility/3-project/
学校が改革に邁進すれば受験生は付いてきます。 工事で3本切った桜の木を、10本植樹して卒業生の 期待に応えるなんていいな😍😁😘❤️👌
- 242 :日本大学水道橋文化村 :2026/08/07(金) 00:33:33
- 知っている大学ランキング 関東甲信越 リセマム
一位 早稲田大 97,9㌫ 二位 日本大学 97,8 0,1㌫という僅差 三位 東京大学 97,4 東京大学が早稲田、日本大学に抜かれ遂に首位から転落
4位 慶應大学 96,6 5位 明治大学 96,4 6位 青山学院 95,9 7位 駒沢大学 95,1 8位 上智大学 94,6 9位 法政大学 94,3 10位 立教大学 94,0 11位 京都大学 93,0
12位東洋大、13位中央大、14位お茶の水大、15位一橋大、16位日体大、17位帝京大、18位筑波大、19位理科大、20位東海大 ※知名度ランキングと市長数ランキングは似ていると思いました。市長数も例年、日大、早稲田、東大がトップの座を争っています👍😘👍
- 243 :日本大学水道橋文化村 :2026/08/07(金) 00:41:54
- 【男子】
1位:明治大学(12.5%)流石明治😍😘👍 2位:日本大学(9.9%)😁😍😁 日大水道橋文化村が今月8月に完成‼ デラックスなゆ・と・り空間 桜の木を10本植樹🌸 3位:早稲田大学(9.8%) 4位:東洋大学(9.5%) 5位:立教大学(7.4%) 6位:中央大学(7.0%) 6位:法政大学(7.0%) ジリジリと後退中 8位:青山学院大学(6.0%) 9位:慶應義塾大学(5.8%) 10位:東京理科大学(4.7%)
※今までは明治大学と法政大学がセットで捉えられることが多かったんですが これからは日本大学と明治大学がセットで紹介されることが多くなりそうです。
理由は人材が豊富な日本大学に比べるとホウセイさんは見劣りします。小物? 明治大学の縮小版が法政大学さん。。日本大学は医療系も豊富で人材が豊富です😁😍😘😍😁 お隣の国も国会議員数と社長数で日本大学を高く評価しました。
※◎図書館兼本館 日本大学国際関係 https://www.ir.nihon-u.ac.jp/research/library/
学校周辺が整備され、新設校舎が現れれば受験生には注目されます。 改革の姿勢が現れればそりゃぁ受験生は増えます。 日本大学に春が来ました。
- 244 :過激派大学 :2026/08/08(土) 13:57:21
- 国公立推しの焼津中央には私大の宣伝も響かないのではないか。特に教員。
- 245 :名も無き中央生 :2026/08/11(火) 08:53:32
- 明治大学出身の主に難関国公立大学教授 wikiの明治大学人物一覧には載ってない難関国立大学関係者たち
小川 紘一 明治大学大学院博士課程卒業(工学博士)。富士通研究所入社後、研究部長を経て富士通ビジネス部門へ移籍、事業部長・理事。東京大学知的資産経営・総括寄附講座特任教授。2011年より東京大学大学院ものづくり経営研究センター 特任研究員を経て、2013年4月より 東京大学政策ビジョン研究センター シニアー・リサーチャー
加藤晋 国立研究開発法人 産業技術総合研究所 情報・人間工学領域 ヒューマンモビリティ研究センター 主席研究員 (兼)モビリティサービス研究チーム 研究チーム長 (兼)端末交通システム研究ラボ 研究ラボ長 (併任)明治大学・東京工業大学 非常勤講師 東京理科大学・埼玉大学 連携教授 明治大学大学院修了後、筑波大学先端学際領域研究センター等に勤務。 その後、産業技術総合研究所に入所し、フィールドシステム研究グループ長、フィールドロボティクス研究グループ長等を歴任。また、内閣府、国土交通省、経済産業省等の委員会委員も務める。山梨県リニアやまなしビジョン検討会議委員歴任。
吉高まり Mari Yoshitaka. 東京大学教養学部客員教授(Roadto2050)、 慶應義塾大学大学院SFC政策メディア科非常勤講師(博士) 、慶應義塾大学特別招聘教授 著書「グリーンビジネス: 環境をよくして稼ぐ。慶應義塾大学 熱血講義 」 ミシガン大学サステナビリティ大学院(修士) #サステナブル #ファイナンス #気候変動 #バーチュデザイン
中島清隆 北海道大学触媒科学研究所教授、名古屋大学理学部化学科客員教授 https://news.ntv.co.jp/n/stv/category/society/st60e6beb75af14908ab6bb3b64bd0142b
渡邉賢 東北大学大学院工学系研究科教授
斎藤悦子 お茶の水女子大学基幹研究院 人間科学系教授
Mary E.Althaus アルハルト、メアリー E アメリカ オハイオ州生まれ 津田塾大学教授、津田塾大学の国際交流委員会委員長、外国語委員会委員長、Avセンター長、英文科主任を歴任 津田塾大学学長補佐明治大学大学院修士
池田篤史 国立研究開発法人日本原子力研究開発機構最先端基礎研究センター研究主幹
摺河祐彦 京都大学地域連携教育研究推進ユニット特任教授、公益財団法人未来教育研究所副会長に加え、2015(平成27)年にはポーランド共和国名誉領事
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 246 :名も無き中央生 :2026/08/11(火) 08:56:22
- 池田 篤史(いけだ あつし)氏は、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(JAEA)の先端基礎研究センター(ASRC)に所属する研究主幹です。茨城大学大学院理工学研究科の客員教授も兼任しています。
researchmap +1 経歴・所属 現在の所属: 先端基礎研究センターの「耐環境性機能材料科学研究グループ」に籍を置きつつ、2026年7月よりプロモーション・オフィスにも異動・兼務しています。
先端基礎研究センター 主な職歴: JAEAの量子ビーム応用研究部門や廃炉国際共同研究センター(CLADS)を経て現職に至るほか、ドイツのヘルムホルツ研究所(HZDR)でグループリーダー、オーストラリアのアンスト(ANSTO)で共同研究員を務めるなど、豊富な海外研究キャリアを有しています。
J-Global +1
明治大学校友
- 247 :名も無き中央生 :2026/08/11(火) 09:36:02
- 永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7月15日 – 1955年(昭和30年)5月13日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、愛知県会議長、愛知県会議員(4期)などを歴任した。
概要 愛知県碧海郡長瀬村大字橋目字毘沙門(現岡崎市)[1]に永田半兵衛の次男として生まれた。安城農林学校を卒業後、家事の農業に従事していたが、明治大学専門部法律学科に入学した[2]。1917年(大正6年)7月、同大学を卒業。1922年(大正11年)に弁護士試験に合格し弁護士を開業した[3]。1937年(昭和12年)には名古屋弁護士会長に就任した[2][4]。
1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に碧海郡選挙区から立憲民政党公認で出馬し初当選。以後、1947年(昭和22年)1月17日に辞任するまで県議を4期務めた[5]。その間、1937年(昭和12年)11月16日から1939年(昭和14年)9月24日まで県会議長を務めた[6]。土地改良事業、耕地整理事業及び、◉名古屋大学創設や、県下の教育及び産業の振興に尽力し、名古屋相互銀行顧問などの職にも就いた>[7]。県会では不正義に対し厳しい態度で臨み、警察官の不当行為を追及し人権尊重を訴えるなど活発な議会活動を行った[8]。
しかし戦争が進むと、大政翼賛会の愛知県常任委員に選出され翼賛運動に協力。それがために戦後、公職追放を受けた。1951年(昭和26年)に解除され[8]、1952年(昭和27年)10月1日の第25回衆議院議員総選挙に旧愛知4区から改進党公認で出馬するも落選。
1955年(昭和30年)2月27日の第27回衆議院議員総選挙に日本民主党公認で出馬し初当選。しかしその2ヶ月ばかり経ったあとの5月13日、十二指腸潰瘍悪化のため死去[8]。これにより次点だった小林錡が繰り上げ当選した。
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