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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

195よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/26(木) 23:01:05 ID:g4i3Ym2s0
邦画活況の中でもっと大阪文学の映画化を 高橋 俊郎
オダサク倶楽部・図書館司書 2011年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/110520/20110520033.html

 今、至る所で関西を舞台にした小説の映画化ポスターが目に入る。4月23日に「阪急電車−片道15分の奇蹟−」、5月28日には「プリンセストヨトミ」と立て続けに公開となった。有川浩著『阪急電車』は阪急今津線の話なので兵庫県ではあるが、万城目学著『プリンセス・トヨトミ』は空堀、大阪城を中心に、北は梅田から南は通天閣まで、まんま大阪が舞台である。

 原作が刊行された時も、その破天荒な設定に驚きながらもそこかしこに虚実とりまぜた大阪が満載で、わくわくしながら一気に読んだ。映画公開に先んじて発売された文庫本のあとがきでも、著者が中学生時代まで住んだ大阪に大変な愛着を持っていることがよく分かる。

 私はこれまで天王寺区・阿倍野区・住吉区など多くの区で大阪文学の講座や文学散歩を行ってきたが、そこでは必ず映画化されたものや、その小説にまつわる音楽を取り上げて紹介してきた。その作品に込められた豊かな世界を味わってもらいたいからであり、それは「街の記憶」に他ならないからである。

 5月4日に新しい大阪駅が公開され、近辺の阪急百貨店も来年の全面開業を目指して改装中であるが、阪急梅田駅からターミナルビルに続く今は失われたコンコースを思い出す人も多いだろう。

 高い天井に美しいステンドグラス、壁の格調高い透かし彫りなど、ここを歩くたびにこのような文化的な通路が他にあるだろうかと誇らしい思いすら感じたものである。このコンコースも今や1989年のリドリー・スコット監督「ブラックレイン」でしか見ることはできなくなった。この映画には同じく今は失われた戎橋のキリンプラザ大阪の外観も収められていて、映画にはその時代の文化を記憶する役割もあることを痛感する。

 2006年に日本映画の興行収入が外国映画を上回るようになってから、邦画活況の時代と言われているが、かつて映画が娯楽の王者であった頃は、文芸路線と呼ばれた文学原作の名画が数多くあった。

 大阪でロケされたものに限っても、戦前では昭和19年の織田作之助原作『還って来た男』が天王寺区上汐。戦後昭和26年林芙美子原作『めし』が西成区天神の森。同29年水上瀧太郎『大阪の宿』が西区土佐堀。同30年『夫婦善哉』が中央区法善寺横丁。(法善寺はセットで復元)同31年『わが町』が天王寺区細工谷。『わが町』は当初、大阪が戦災で壊滅したため、京都に舞台を置き換えて構想されたが、やっぱり織田作之助のわが町は大阪だと、焼け残った細工谷、安堂寺町などで撮影された。

 一昨年、太宰治の生誕100年では『斜陽』『パンドラの匣』『ヴィヨンの妻』『人間失格』と、原作映画が4本も製作された。これらは暗いと評されているが、同じ時代を生きた織田作之助は明るい。時代は明るさとバイタリティーを求めている。

 さて、織田作之助の生誕100年となる2013年にも、その作品や人生を映画化してほしいものである。その時にはぜひとも、大阪でロケをしてもらいたい。織田作之助がこよなく愛した大阪がスクリーンの中でよみがえるなら、その時こそ大阪発ルネサンスとも言えるのではないか。

 (たかはし・としろう 大阪市西区)

196よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 01:36:27 ID:nJEnJiF60
2011年5月28日
三好一族由来の品々 堺市博物館で展示
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/28/20110528-053341.php

 戦国時代に堺一帯で勢力を誇った三好一族由来の品々などを紹介する展示「堺の寺社と戦国三好一族」が、堺市堺区百舌鳥夕雲町の市博物館で開かれ=写真、歴史ファンらの注目を集めている。

 会場には、長慶の書状や実弟・三好義賢(実休)の画像など計15点と説明のパネルなどを展示。このうち「妙國寺」所蔵で僧侶が筆記した行状記録「己行記」は近年の修復に伴う調査で、三好一族の家臣から送られた手紙などの裏を再利用していたことが確認された貴重な史料とされている。

 7月3日まで。入館料は一般200円など。

197よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 02:08:46 ID:nJEnJiF60
住吉大社の御文庫 修復終える 大阪最古の図書館
2011年5月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110528/20110528028.html

 大阪最古の図書館とされる住吉大社(大阪市住吉区)の御文庫(おぶんこ)の全面修復作業が終わり27日、関係者に公開された。御文庫の全面修復は1723年の創建以来初めて。

 今年の住吉大社鎮座1800年に合わせ、全面修復を進めていた。

 御文庫は土蔵造りで、約1万冊の書籍を所蔵している。この日、大阪書林御文庫講のメンバーらによる書籍の虫干し「曝書(ばくしょ)」が予定されていたが、天候不良のため中止になった。集まった約30人が、輝きを取り戻した外観や新たに設置された石造りの説明文などに見入り、収められている書籍を確認した。

 同文庫講の世話人を務める藤波優さん(66)は「虫干しは年に1度の機会なのでやりたかった。御文庫は傷みが目立っていたが、見違えるようになった」と話していた。

198よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 06:19:22 ID:nJEnJiF60
新世界・天王寺動物園「百年祭」委員会、阪神・別府航路100周年式典に参加
http://abeno.keizai.biz/headline/77/

 新世界&天王寺動物園百年祭協働委員会が5月27日、南港ATC(住之江区)で開かれた阪神・別府航路開設が来年で100周年を迎える「フェリーさんふらわあ」の記念式典に参加した。

 同委員会は、2012年に「新世界・通天閣」、2015年に「天王寺動物園」が、それぞれ100周年を迎えるのを前に昨年12月、平松邦男大阪市長が委員長となり立ち上げられた。

 式典には平松市長や関係者が出席したほか、百年祭に関連するキャラクターが勢ぞろいした。集まったキャラクターは「ビリケンくん」「通天閣ロボ」(通天閣観光)、「ラピートくん」「ラピートちゃん」(南海電気鉄道)、「でんのすけ」(日本橋筋商店街振興組合、でんでんタウン協栄会)、「地球戦士ゼロス」(ジャングル)、「くしたん」(新世界援隊、新世界串かつ振興会)。

 当日は、東日本大震災の犠牲者を追悼する黙とうで始まり、関係者のあいさつが述べられた後、百周年を祝うくす球が割られた。

 式典後には、同委員会の代表団30人とキャラクターは「フェリーさんふらわあ」に乗り込み、別府に向かった。同市では阪神・別府航路開設記念事業実行委員会主催の歓迎式や交流イベントなどを予定している。

199よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 06:47:16 ID:nJEnJiF60
大阪検定の集団受検、12企業・団体が表明 大商会頭、1級挑戦
2011.5.29 02:09
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110529/osk11052902100000-n1.htm

 「第3回なにわなんでも大阪検定」申し込み締め切りの6月1日を前に、12の企業・団体が団体受検を表明した。

 アシスト、大阪市、大阪市信用金庫、大阪信用金庫、府、北新地社交料飲協会、京阪電鉄、摂津水都信用金庫、阪神阪急ホテルズ、阪和興業、ホテルニューオータニ大阪、ロイヤルホテル(五十音順)−で、それぞれ10〜350人規模で受検する。府は今年度から職員の昇格(主事から副主査)の際の加点要素として大阪検定3級合格を加える。

 佐藤茂雄・大阪商工会議所会頭は今年も1級に挑戦する。

 検定日は7月10日。申し込みはホームページ(http://www.osaka−kentei.com/)または主要書店にある案内書で。

200よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 08:42:15 ID:x92AXqQ.0
七夕伝説の枚方 居酒屋婚活「ひらコン」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110528-OYT8T00105.htm

数軒に200人 60分めど別の店に
 七夕伝説にゆかりがある枚方市で7月、200人の男女に出会いの場を提供し、地域活性化も狙った婚活企画「ひらコン」が初めて行われる。京阪枚方市駅周辺の複数の飲食店を参加者が移動しながら気の合う相手を見つけるというユニークな内容。主催の枚方婚活推進実行委員会は「枚方の街も出会いも両方楽しんで」と市内外からの参加を呼び掛けている。

 市民らが実行委を作って企画。枚方市や隣接する交野市には天野川が流れるなど、一帯は七夕伝説発祥の地と伝えられていることから、「星の数ほど出逢いがある街ひらかた」をテーマにした。

 7月2日午後7時〜同11時30分に開催。独身で20歳以上の男性100人、女性100人に参加してもらい、同駅前の居酒屋やバーなど5〜8軒に参加者を割り振り、飲食をしながら出会いを楽しんでもらう。

 60分をめどに次の店に移動するのがルール。「男性は左の店へ、女性は右の店へ」など、男女が逆方向に移動することで全員に会える可能性を作る一方、最短5分で店を移ることができるため、複数の店を回ってもらうことで街の活性化にもつなげる。

 実行委では今後、京阪樟葉駅前など、市内で場所を替えながら、年3回ほど実施していきたい考え。松尾勝代実行委員長は「ひらコンをきっかけに結婚したカップルが、枚方に住んでもらうなどで、枚方ファンを増やしていきたい」と期待している。

 参加費は飲食代込みで男女とも6000円。年齢の上限はなく、肩ひじをはらずに気軽に楽しめる場としたいため、同性2人以上での参加を求めている。インターネットのホームページ(http://www.putiputi.com/hirakon/)か、申込書に必要事項を記入してファクス(072・850・4180)で申し込む。問い合わせは実行委(090・6733・0148)へ。

     ◇

 枚方市では、関大政策創造学部のゼミと市、京阪電鉄による、ひらかたパークなどで結婚式を挙げる「ひら婚♪」も昨年から実施、今年も6月11日に同パークで、11月12日に枚方宿鍵屋資料館で式が行われる。

(2011年5月28日 読売新聞)

201よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 11:27:13 ID:2jy6gY5w0
JR大阪駅がリニューアル! 大阪ステーションシティ近くのラブラブデート❤パワースポット
http://www.myspiritual.jp/2011/05/jr.html

30年ぶりにリニューアルオープンしたJR大阪駅2 件。5月4日には「大阪ステーションシティ」もグランドオープンしました。

1番の目玉は「JR大阪三越伊勢丹」が大阪に初進出! 今まで阪急、阪神の両百貨店や大丸梅田店も大幅な増床や建て替えに着手して、大阪駅はすっかり全国屈指の百貨店激戦区となりました。

その他にも、売り場面積2万平方メートルという商業施設「LUCUA(ルクア)」、シネマコンプレックスなどもオープン!

大阪ステーションシティには、有料音声ガイドやガイドさんによるツアーも実施されていて、特徴的な8つの広場を回ったりできるなど、新たな観光スポットとして注目されています。

さて、そんな大阪駅2 件がある大阪・梅田は、現在映画でも注目を集めている阪急電車をはじめ、たくさんの電車が走る大阪の中心地。

この場所にパワースポットがない訳がありません。

202よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/29(日) 11:30:08 ID:2jy6gY5w0
>>201の続き

というわけで、今回は「大阪ステーションシティ」の近くにあるパワースポット、特に恋愛のパワースポットとして人気を集める場所を紹介したいと思います!


■ 「露 天神社」

大阪駅から徒歩10分。「露 天神社」(つゆのてんじんしゃ)は、通称「お初天神」と言って、地元の人に愛されている場所です。

「お初」というのは、実際の出来事を題材にして近松門左衛門によって書かれた、人形浄瑠璃「曽根崎心中」の主人公。

天満屋の遊女・お初が平野屋の手代である徳兵衛と恋に落ち、最後はこの神社の境内で心中してしまうという悲恋の物語なのです。

この境内では、お初と徳兵衛のブロンズ像が静かに寄り添っています。

現在ではお初と徳兵衛の愛を添い遂げた場所として注目され、恋の成就を願う人たちが訪れるパワースポットとして人気がある場所です。


■ 「綱敷天神社」

「綱敷天神社」は、明治7年に大阪駅が開業して以降、「梅田キタの氏神様」と言われ地元の人に愛され続けています。

この綱敷天神社は、大阪駅がある大阪市北区に3ヶ所の場所に社殿が分かれています。

神山町にある御本社をはじめ、茶屋町の御旅社と角田町の歯神社がありますが、茶屋町の御旅社内の末社としてお祀りされている「玉姫稲荷神社」は恋愛パワースポットとして、カップルや、女性同士のお参りが多い場所です。

ご祭神の「玉姫様」は茶屋町の産土神として御茶屋で働く女性の守り神様として崇敬されていて、梅田の縁結びの神さまとして若者を中心に慕われています。

今回紹介した、2つのパワースポットのように、新しくなった「大阪ステーションシティ」も愛され続ける事を願います。

203名無しさん:2011/05/29(日) 13:25:36 ID:5wqXoTns0
>1番の目玉は「JR大阪三越伊勢丹」が大阪に初進出!
>2つのパワースポットのように、新しくなった「大阪ステーションシティ」も愛され続ける事を願います。

うーん、ライターは関東人なんかな。
まあ良く紹介しているからいいけど。

204よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/31(火) 02:12:24 ID:3N7CXFho0
継承する適塾の精神 きょうから特別展示 大阪
2011.5.31 01:49
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110531/osk11053101490000-n1.htm

 大阪・北浜の史跡・重要文化財「適塾」(大阪市中央区)の特別展示「継承する適塾の精神−大阪大学創立80周年にあたって」が31日から始まる。6月12日まで。

 江戸時代末期に塾を開いた緒方洪庵の著作や手紙の展示のほか、今年創立80周年を迎えた阪大の研究活動、洪庵・適塾顕彰活動などを紹介する。

 「適塾」は明治政府の教育制度整備とともに発展解消し、大阪医学校、府立医科大学と改称したあと昭和6年に大阪帝国大学が設立された。大阪大学に改称したのは昭和22年。

 特別展示の開館時間は午前10時〜午後4時。月曜休館。入場料一般250円、学生130円、高校生以下無料。問い合わせは、適塾((電)06・6231・1970)へ。

205よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/31(火) 02:13:30 ID:3N7CXFho0
半世紀ぶり奇祭「鯨まつり」 海神・住吉大社1800年で安全祈願
2011.5.30 14:37
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110530/osk11053016160008-n1.htm

大阪・堺の伝統行事「鯨まつり」が今夏、57年ぶりに復活する。巨大なクジラ山車(だし)をひいて住吉大社(大阪市住吉区)へ奉納する勇壮な行事で、地元住民が中心となってクジラ山車の復元に取り組んだ。地元住民は「今年は東日本大震災の津波で多くの犠牲者が出ており、海の安全を祈願したい」と話している。

 祭りの起源は鎌倉時代末期とされ、クジラを捕り逃した漁師を慰めるために踊ったのが始まりと伝わっている。堺の奇祭として、明治以降は約20〜30年に1回のペースで開催。漁師らが竹と布で作った全長27メートルものクジラの山車をひき、伝承の「鯨(くじら)音頭」や「鯨踊り」とともに練り歩いた。もともと不定期に開催されていたため昭和29年を最後に忘れ去られていたという。

 今回の復活は、同市堺区出島町の郷土史研究家、鎌苅一身さん(63)が呼びかけ、地元の自治会などとともに実行委を結成して実現した。写真資料や、昭和29年当時の参加者に聞き取り調査してクジラ山車を設計。大阪市内の竹材店に依頼して制作を進め、骨組み(全長12メートル)が完成した。中に人間が入る構造で、口を開け閉めするほか、尾びれを動かしたり、潮を噴かせたりする。

 鎌苅さんは、「今年は住吉大社の鎮座1800年記念の年でもあり、復活できてうれしい。鯨まつりを知らない世代が増えたが、ぜひ昔の漁師たちの活気や息づかいを楽しんでほしい」と話している。7月24日に住吉大社の境内、8月1日に住吉大社から堺市内に向けて練り歩く予定。

206よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/31(火) 20:43:52 ID:RcNSPZBk0
老舗銭湯、惜しまれ幕 感謝込め住民掃除
2011年5月31日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110531/20110531021.html

 「ありがとう千成湯」−。明治時代から100年を超える歴史を持ち、25日に閉店した大阪市福島区野田2丁目の銭湯「千成湯」に27、28の両日、地元関係者が集まり、風呂場を清掃するなどして、まちの社交場だった名湯との別れを惜しんだ。

 千成湯は、現在の竹内義勝さん(70)、早苗さん(67)夫妻で3代目。戦災を免れた長屋が連なる野田地区の中にあり、内風呂が当たり前になった今も、まちのコミュニティーとして多くの人が訪れていた。しかし、地下の配管の不備が見つかり大規模改修が迫られたこともあって、廃業の道を選んだ。

 感謝イベントは、野田地区を中心にまちづくり活動をしている西江幸久さん(32)が企画。風呂掃除には約20人が参加したほか、洗い場をステージにしたコンサート、バナナのたたき売り、銭湯についてのトークライブなどが行われた。

 近くに住む女性(62)は、お風呂掃除に娘と孫2人で参加。「孫も『大きなお風呂に入れる』と、銭湯が大好きだった。ふれあいの場所でもあったのでさみしい」と名残を惜しんでいた。早苗さんは「最後まで使ってくれて風呂屋として最高の幸せ。お風呂も喜んでいるでしょうね」と目を細めていた。

207よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/31(火) 20:51:08 ID:RcNSPZBk0
創設140年の大阪・真田山墓地、墓石の風化で危機に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110531-OYO1T00737.htm?from=newslist

今年創設140年の真田山旧陸軍墓地(大阪市天王寺区)で、多くの墓石が風化して剥落が進んでいる。かつて全国にあった旧陸軍墓地で最も古く、歴史的変遷も見て取れるが、墓地という性質上、行政からの支援が得にくく、保存に取り組む関係者らは「大阪の文化遺産として残すべきだと思うのだが……」と頭を悩ませている。

 大阪城公園の南約1キロにある墓地は、住宅や学校に囲まれた小高い丘の上にある。サッカーコート2面分に当たる約1万5000平方メートルの広大な敷地に、約5100基の墓石が整然と並ぶ。多くはもろい砂岩で、65%が壊れかけ、剥離片が周りに散乱。うち約500基が崩壊寸前だ。

 明治維新後、攻撃を受けやすい首都から遠い大阪を中心に陸軍関係機関が創設された。軍関係の死者を弔う場所が必要になり、1871年、日本最初の陸軍墓地が真田山に誕生した。

 西南戦争(1877年)や日清戦争(1894〜95年)で亡くなった兵士や軍役夫の墓が多い。このころは、墓石に、個人名や出身地、経歴が刻まれた。

 日露戦争(1904〜05年)で戦死者が急増すると、個人の墓は減り、合葬墓が増えていく。先の大戦中の43年にできた納骨堂には、約8000人分の遺骨や位牌(いはい)が納められている。埋葬方法の変遷がよくわかり、研究者らは歴史的に価値が高いとする。

 墓石も含め墓地は国有。戦後は大阪市に管理を任せ、有志で設立した財団法人「真田山陸軍墓地維持会」が、寄付金などを募り、3回にわたり、墓石の修復を実施したが、風化のスピードには追いつけない。維持会の吉川秀隆理事長(61)は「このままでは壊滅する。有志だけで維持をしていくのは難しい」と話す。

 大阪市は「個人が埋葬されている墓地という性格もある。財政難の市が特定個人の墓石を修復するのは難しい」というスタンスだ。

 2001年には、研究者や住民らが「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」を設立して、大阪市などに対し、史跡や文化財の指定を求めてきた。定期的に勉強会や案内会を開催して「歴史的な重要性を知って」とPRしている。

 考える会理事長の小田康徳・大阪電気通信大学教授(日本近代史)は「大阪で陸軍が創設され、各地から多くの人が集められたことが、現存する墓から確認でき、歴史的に貴重な墓地だ。今こそ多少の費用がかさんでも修復すべきだ」と、行政の支援の必要を訴える。

全国に80か所
 明治維新後、軍隊を創設した政府は、国として戦病没者を弔うため、全国80か所余りの墓地を造った。戦後は、政教分離の原則から、国が祭礼を行うことができず、維持管理は各自治体が受け皿となり、祭礼は遺族会や宗教団体が行う方式になった。保存されている墓地もあるが、取り壊しや敷地が整理されるなどし、原形をとどめていない所も多いという。

(2011年5月31日 読売新聞)

208よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/05/31(火) 21:36:44 ID:RcNSPZBk0
2011年5月31日
文化財ビルの屋上。ベトナム屋台料理のビアガーデンが期間限定オープン
http://www.sankei-kansai.com/2011/05/31/20110531-053429.php

昨年、Twitterの口コミなどで人気を呼び、約2000人が来場した登録有形文化財「芝川ビル」の屋上ビアガーデン、「ラグナグ」が今年も6月1日より期間限定オープンする。

昭和2年建築の歴史ある文化財ビルでヘルシーなベトナム屋台料理とお酒を楽しめるとあって、昨年は来場者の約7割が20〜40代を中心とした女性。

ビジネス街である淀屋橋は会社帰りの懇親会などにも利用されやすく、昨年は期間半ばで予約が取れなくなったため、今年は3週間開催期間を延長する。

開催期間は6月1日から10月28日までの水・木・金曜日。ハノイ風揚げ春巻き、カボチャのココナッツミルク煮、ベトナム風オムレツ、スルメイカのココナッツカレー炒めなどビュッフェスタイルでベトナム屋台料理が味わえる。

問い合わせはレストラン リヴゴーシュ(電話06・6202・2202)
関連ホームページ:http://shibakawa-bld.net/story/2011/04/post_83.html

209よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/01(水) 21:22:39 ID:Tz2ykITc0
2011年6月 1日
古代米栽培いかが 泉大津イベント参加者募集
http://www.sankei-kansai.com/2011/06/01/20110601-053463.php

 「古代米の栽培を田植えから稲刈りまで体験してみませんか」。大阪府泉大津市の池上曽根史跡公園協会は、同公園内の水田で行う「弥生村の米作り」と「こだい米クラブ」の参加者を募集している。

 池上曽根遺跡は和泉市と泉大津市にまたがる弥生時代の環濠集落として知られる。公園内にある水田(約330平方メートル)で古くから栽培されていたとされる古代米品種「朝紫」を育てる。

 「弥生村の米作り」は、6月に田植え、9月に稲刈り、11月に炊飯試食を行うコース。毎年親子連れの参加が多いのが特徴だ。田植えは古代の衣装「貫頭衣」を着用して行い、弥生人になった気分も体験できる。定員は100人で、参加費は千円。「こだい米クラブ」は、小学生が対象で、田植えなどのほか、かかし作りや土器作りなど、11月にかけて7回のイベントが予定されている。小学4〜6年生対象で定員30人。参加費は2千円。

 申し込みは、往復はがきかファクスで、参加希望のイベント名を書き、参加者全員の住所、氏名、年齢、電話番号を明記のうえ、〒595−0004 泉大津市千原町2の12の45 池上曽根史跡公園協会(FAX0725・20・1866)。締め切りは3日必着。

210よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/02(木) 19:25:47 ID:LTo/lI7I0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/209 農人橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110602ddlk27070455000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇対の欄干、泣き別れ 中央大通の南北に
 前回は川から橋の裏をのぞいたが、陸地に戻って大阪案内人の西俣稔さんと歩を進めることにする。本町の曲がりを過ぎて南へ下ると、繊維問屋が軒を連ねる船場センタービルが現れる。1970年の大阪万博に合わせてオープンした。1〜10号館まであって、飲食店も充実しているので、昼時ともなればサラリーマンで大にぎわいとなる。

 改めて外から眺めると、ビルの上で阪神高速の環状線と東大阪線が交差し、上へ上へと伸びていた時代がうかがえる。「センタービルは地下鉄あり、商店あり、貸しオフィスあり、上に高速道路。同じ敷地で一石五鳥」と西俣さんが笑う。

 続けて「新御堂筋を北へ行ったら、箕面に箕面船場という地名があります。こっちから移った船場商人の誇りですね」。話は北浜の地名の由来にまで広がる。「北浜は梅田から見たら南やから、南浜と付けそうなもんやけど、船場から見て北やから北浜です。どこが中心で地名が付いてるかがわかります」

 船場を東西に横切る中央大通が船場センタービルの北と南に分かれて走る。俗に「上を下への大騒ぎ」と言うが、ここは上は高速道路、下は幹線道路で車だらけだ。

 中央大通の西行き車線に沿って東へ、中央区役所の前を通ってしばらく行くと、農人(のうにん)橋だ。江戸時代初めまで、この辺りは田畑が多く、農民が耕作に通った橋だったからこの名が付いたという。

 大坂城に通じる要路だったので幕府が管理する公儀橋となり、その後、この地が発展して擬宝珠(ぎぼし)が設けられた。そんな由緒ある橋だが、今は緑色のペンキがはげちょろけ、排ガスのせいか黒ずんで、みすぼらしくさえある。東詰めには木製の橋名表示と由緒が記された説明板が建っているのだが……。

 しばらく橋の写真を撮っていて、「あれ?」と思った。普通、橋は左右対称だが、反対側の歩道と欄干が見当たらないのだ。だいたい、中央大通は西行き、東行きとも4車線もあり、さらに両車線の真ん中、船場センタービルの東側は高速道路への上がり口と降り口があるので、合わせて幅員が約80メートルもあって向こう側が見渡せない。なんせ、高速の高架がやたらくねくね曲がったり、上がったり下がったりしている。

 で、中央大通を渡る陸橋に上がって、反対の北側を見渡すと、同じようなはげちょろけた緑色の欄干と歩道があった。つまり、高速道路を挟んで中央大通の東行きと西行きの二つの橋が農人橋ということになる。昔はもっと小さな橋だったが、万博に合わせて船場センタービルと同時期に中央大通が開通し、農人橋は南北に泣き別れたのだ。

 車の喧騒(けんそう)を避けるように南へ歩く。西俣さんが町名表示板を指す。材木町とある。その名の通り、材木商が並ぶ町だった。「東横堀川を利用して材木を運搬してたんです」と西俣さん。今は少なくなったが、「木材住建 今九」という昔からこの地にありそうな材木商の軒先に、たくさんの材木が立てかけられていて、地名の由来をしのぶことができる。【松井宏員】

211よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/03(金) 06:05:41 ID:LTo/lI7I0
http://www.kuidaore-osaka.com/jp/starting_point/senba/
船場料理の12ヶ月

6月「夏の日常食」

江戸時代、大坂の町の中にあった氏神さんの夏祭りは、旧暦6月に集中していました。明治5年に新暦(太陽暦)が採用されてからは、はじめのうちは毎年、旧暦の祭礼日に合わせて、祭りの日を決めていましたが、そのうちにエイヤッと1ヶ月ずらせて、6月の祭礼を7月に行うようになり、それ以来現在に至るまで、7月が大阪の祭り月となっています。したがって、水落家の「行事帳」の6月に記載されている夏祭礼の献立は、来月にご紹介することにします。この連載をはじめて、ちょうど半年になりますので、今月は船場の日常食を取りあげてみました。水落静さんに、大正末〜昭和のはじめ頃、夏6月ごろのふだんの食事についてお聞きしました。

朝:お茶漬、きゅうりやおなすの浅漬(ぬかみそ漬)、お香々
昼:おぬくのごはん、お番菜(おなすとしろうりのうすくず仕立)、浅漬、お香々
夜:お冷やのごはん、たちうおの塩焼、浅漬、お香々

朝のお茶漬(ぶぶ漬)は、夏にかぎらず、年がら年中そうでした。船場の商家では、ごはんを炊くのは、一日一回だけでした。お家(うち)によって、昼に炊くところと、晩に炊くところがありました。水落家では、昼に炊いておられました。どち らの場合も朝は必ずお冷やのごはんになり、熱いお茶をかけていただきます。おかずはお漬物だけ。夏の間の楽しみは、きゅうりやおなすの浅漬です。きゅうり は、白くて太くて種の多い半白きゅうりです。これがおいしかった。けれど、水落家では、浅漬はお上(主人家族)だけが食べるもので、女中さんらは、年中お香々だけでした。このお香々は冬期に何樽も漬け込んであるもので、夏時分になると、だんだん塩辛いものになります。

212よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/03(金) 06:06:34 ID:LTo/lI7I0
>>211

船場では、「朝はお茶漬」のお家が多かったようですが、年がら年中、「朝はお粥(かい)さん」のところもありました。また、いつもは朝はお茶漬ですが、冬にさつまいもが手に入ったりするとおいものお粥さんにするお家もありました。

昼は、お番菜とお漬物。お番菜とは、野菜を中心としたふだんのおかずのことです。夏ですから、ここではおなすと越瓜(しろうり)のうすくず仕立にしました。 種々のお番菜こそ、船場の日常食を代表するものです。大根とあげさんのたいたんやら、しろな(大阪白菜)とあげさんのたいたんやら、粕汁やらのっぺい汁や ら、お汁とも、煮込みとも区別がつかないような、具がたっぷり入ったおついです。このお番菜のおかげで、船場の食事の評判が悪いのです。たしかに大量に出 まわる旬のお野菜中心の始末な料理にはちがいありませんが、大きなお鍋でたくさんの量をつくりますからおいしいですし、それを何杯もおかわりするとそれだけでおなかがいっぱいになります。ちゃんと昆布とだしじゃこやら鰹節でお出しをとりますし、油揚げを大量に入れたりしますので、栄養面からもそんなに貧弱 なものではないと私は思っています。

水落家では、 毎日晩ごはんにに魚を食べておられますが、船場の商家では、赤ごはん(小豆ごはん)に魚がつくのは、毎月お朔日と15日だけで、それ以外の日は昼も晩もお番菜がふつうでした。水落家でも、毎朝魚屋の「魚留」が持ってくる上等の魚はお上用で、女中さんらは、骨屋町の市場へ安価な魚を買いに行き、晩ご飯のおかずにしたそうです。

以上は大正末から昭和初期の船場の日常食ですが、細かいところは違っても、「朝はお茶漬」に「昼と晩はお番菜」というパターンは江戸時代からずっと受け継がれてきたものでしょう。

大正末、昭和のはじめ頃、食事のとき、水落家では、すでにひとりひとり箱膳で食べるということはなくなっており、「お部屋」と呼ばれる6畳の部屋が食事室 で、一閑張(いっかんばり)(注1)の机を二つならべて、家族が囲んで座って食事をされたということです。お茶碗とお箸(塗りの箸箱へ入る)は銘々専用の もので、お茶碗は必ず蓋付(ふたつき)のもの。お漬物は、大きな鉢に盛りつけて卓上に出され、お茶碗の蓋に取っていただきます。

213よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/03(金) 06:07:31 ID:LTo/lI7I0
>>211>>212

6月の御菓子 「みなづき」

みなづき(水無月)はもともと京都の御菓子です。しかし、水落静さんが「6月晦日にいただきました」と言われますので、取り上げてみました。

古代律令制の時代に、6月・12月の晦日に大臣以下百官が朱雀門に会集して大祓(おおはらえ)が行われました。しかし、それは次第に行われなくなり、応仁の乱で中絶してしまいました。逆に、民間では6月・12月の祓は発達しました。とくに旧暦6月晦日の祓は、夏越祓(なごしのはらえ)、あるいは水無月祓(みなづきのはらえ)といわれ、ちょうど暑い時季で、悪疫を除去し、夏を無事に乗り切る願いをこめて、神社に参詣し、茅輪(ちのわ)をくぐり、紙の人形(ひとがた)を川に流したりします。

御菓子のみなづきは、水無月祓にちなんだもので、三角形に切った外郎(ういろう)製、または小麦粉を主体にしたもの、あるいは本葛製のものがあります。それに疱瘡よけの力があるとされる赤い色、小豆を載せて、夏らしくあっさりとした味にした優雅な御菓子です(注2)。みなづきの三角形は、氷室(ひむろ)の氷に見立てたとも 言われています。

注1漆器の一種。江戸時代初期、明人の飛来一閑が伝えたもの。淀屋橋の近くに一閑張の店があった。
注2御菓子みなづきについては、「鶴屋八幡」の岩橋義春氏にご教示いただきました。

214よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/03(金) 23:32:41 ID:F.YrhFCM0
大阪歴史博物館で「懐かしい市電とバスのある風景」展−ジオラマ大会も
http://kyobashi.keizai.biz/headline/931/

 大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で現在、特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」が開催されている。

 大阪での市電の歴史は1903(明治36)年9月、日本初の公営路面電車として花園橋から築港桟橋までを開業したのが始まり。大正時代には営業距離も50キロを超え、市民の足として定着した。市営バスは、1927(昭和2)年に阿倍野橋から平野間を市営バスの営業が開始。車体の色から「銀バス」という呼び名も生まれた。地下鉄は、1933(昭和8)年に登場。梅田から心斎橋を結び、新しい都市交通として発展してきた。

 これらの大阪の交通機関の歴史を明治30年代〜昭和40年代を中心に振り返り、懐かしい街の風景を感じてもらおうと企画された同展。大阪市交通局が所蔵する市電、バスなどの写真約40点をメーンに、地下鉄が開通した当時のポスターや市バス関連のグッズなども展示している。入場者は年配者が多く、展示物を見ながら昔を振り返り当時の話に花を咲かせている姿も見受けられるという。

 25日・26日には「鉄道模型ジオラマ大会」も開催予定。地下鉄御堂筋線をはじめ、谷町線、中央線などの地下鉄車両や、地下鉄に乗り入れている阪急電車・近鉄電車などのジオラマ車両が展示走行する。

 同館学芸員・船越幹央さんは「20〜30代の当時を知らない世代にも、市電がどういう形で市民の足として活躍していたかを知っていただけたら」と話す。

 開館時間は9時30分〜17時。火曜休館。入館料は、大人=600円、大学生・高校生=400円、中学生以下無料。7月4日まで。

215よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/05(日) 05:59:41 ID:wlfIlFFQ0
大阪市文化財に錦影絵の幻灯器
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110605-OYT8T00092.htm

大阪市教委は、日本のアニメーションの原点とされる「錦影絵」の上映に必要な装置=写真=や、難波宮跡から出土した最古の万葉仮名文木簡など16件を市指定文化財に選んだ。

 錦影絵は、「風呂」と呼ばれる木製幻灯器に絵を描いたガラスの「種板」を組み込み、和紙のスクリーンに映像を投影する。幕末から明治期に人気を博したが、映画の普及で廃れた。選定を受けた、大阪歴史博物館が所蔵する種板は820点に上り、チャンバラや怪談など40超の演目があり、国内最大級のコレクションを誇る。

 難波宮跡から出土した木簡は、「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」という和歌の一部が万葉仮名で記されている。出土した地層から、従来、7世紀末とされた万葉仮名の表記法の成立時期が数十年ほどさかのぼることがわかり、学術資料として評価された。

 他の指定は次の通り。

(2011年6月5日 読売新聞)

216よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/06(月) 05:56:13 ID:.iwLOIO60
天守閣再建80周年 ウエディング
http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html

今年で大阪城の天守閣が再建されて80年を迎えます。
大阪城公園では80周年の記念イベントとして結婚式が行われました。

大阪城公園で行われた結婚式では普段は公園内に入ることができない人力車で、新郎新婦が優雅に登場しました。
この結婚式は1665年に落雷で焼失した天守閣が昭和6年に市民の寄付で再建され今年で80年を迎えることを記念して行われました。
式には大阪市の平松市長もお祝いに訪れました。
このイベントAPECの首脳会談が行われた大阪迎賓館の会議室で披露宴ができるとあってすでに7件の予約が入っているということです。

平松邦夫大阪市長に人力車の乗り心地をきかれた新婦は
「優雅で女優になった気分で嬉しかった」と話しました。

大阪市は、今年の12月31日まで、募集を行っています。

【大阪城公園迎賓館ウエディング80】
問い合わせ
06−6949−3210
(大阪城天守閣復興80周年記念プロジェクト委員会

217よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/06(月) 05:57:33 ID:.iwLOIO60
大阪城のジューン・ブライド
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110605-OYT8T00833.htm

大阪城天守閣の再建80周年を記念し、大阪市などが企画した大阪城公園を会場にした結婚式の1組目のカップルが5日挙式し、平松邦夫市長が参加して記念イベントが開かれた。

 結婚式は、市や大阪商工会議所などが80組限定で募集しており、アジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が催された大阪迎賓館での披露宴が目玉だ。

 この日、新郎新婦は公園内の豊国神社で挙式し、人力車に乗って天守閣前広場に到着。出迎えた平松市長は「お二人の未来が幸せなものになりますように」と門出を祝った。新郎新婦は人力車で披露宴会場に移り、居合わせた観光客らから「おめでとう」と祝福を受けていた。

(2011年6月6日 読売新聞)

218よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/06(月) 06:12:56 ID:.iwLOIO60
「適塾」の精神振り返る 阪大創立80年記念特別展
2011年6月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110605/20110605024.htm

 国の史跡・重要文化財「適塾」(大阪市中央区北浜)で特別展示「継承する適塾の精神」が開かれている。緒方洪庵直筆の手紙や、福沢諭吉の直筆掛け軸「七言絶句」など、普段は一般公開されていない資料約60点を展示している。12日まで。

 適塾は日本近代医学の祖・緒方洪庵(1810〜1863)が開いた私塾で、大村益次郎や福沢諭吉らを輩出した。その源流をくむ大阪大が今年創立80周年を迎えたことを記念して特別展示を開催。

 同大は今年4月、適塾の研究機関として「適塾記念センター」を設立した。これまで、適塾記念会などボランティア的な活動で行ってきた研究を公的に引き継いでいる。同センターの廣川和花准教授(33)は「80周年を機に、適塾の“科学的精神”に立ち返り、適塾の精神をどのように大事にし、引き継いできたのかを振り返る内容になっている」と話している。

 一般250円、学生130円。午前10時〜午後4時。月曜休館。問い合わせは電話06(6231)1970、適塾へ。

219yu-min:2011/06/06(月) 10:22:10 ID:kbNVcVdc0
6月5日(日)大阪市西区土佐堀の川の駅「ポンポン船船着場」近くにて作家宮本輝氏の代表作「泥の河」の文学碑の除幕式が行われた。
「泥の河」は、宮本輝氏が幼少のころ住んでおられた中之島の西端から西区江戸堀の土佐堀川周辺を舞台とし、戦争の傷跡を残す昭和30年の大阪、安治川の畔に住む少年と廓舟に暮らす姉弟との短い交友を描いた名作。
この作品で第13回太宰治賞を受賞し作家デビューを果たし、1981年には映画化され日本アカデミー賞を初め国内外の数々の映画賞を受賞している。
文学碑は小説「泥の河」の舞台となった場所であるとともに宮本氏の幼少のころの思い出に残っている地ということから場所が決定され、中之島西部の様子が描かれた一節が碑に刻まれている
除幕式終了後には、作品にゆかりのある土佐堀川クルーズがおこなわれた。
少し曇っていたが暑くも寒くもなく小説の舞台になった場所を辿りながら水都大阪の素晴らしさを十分堪能することができた。

220名無しさん:2011/06/06(月) 15:59:31 ID:rpDEow8U0
桂こごろうさん二代目「南天」襲名へ 40年ぶり復活 
2011年6月6日
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201106060033.html
 落語家の桂こごろうさん(43)が来年4月に二代目桂南天(なんてん)を襲名すると、所属の米朝事務所が6日、発表した。人間国宝の桂米朝さん(85)もネタを受け継いだ故・南天は「諸芸十八般」と称した多芸家で、40年ぶりの復活となる。披露公演を大阪、京都、東京、名古屋などで開く。

 1972年に亡くなった南天は「アニメのルーツ」とも呼ばれる錦影絵や滑稽手品、寄席の踊り「ずぼら」などの珍しい芸を持ち、60年代にはテレビ番組にも出演。錦影絵は米朝一門の若手らが継承している。こごろうさんは大阪府枚方市出身で91年に南光さん(59)に弟子入り、工夫の光る高座で注目株の一人だ。「優しさや、人をうれしくさせる気持ちを継いでいきたい」。米朝さんはひ孫弟子の襲名について、「(初代は)誠に欲のない、飄々(ひょうひょう)という言葉がぴったりの人でした。もう、継ぐ人はおらんやろと思ってた」と笑顔で話した。(篠塚健一)

221よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/07(火) 20:19:21 ID:q4a.jvw.0
来月25日に奉納花火 被災地「力強く支える」
2011年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110607/20110607021.html

 日本三大祭りの一つとして大阪の夏を彩る「天神祭」の委員総会が6日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。同祭渡御行事保存協賛会の会員ら約130人が出席し、7月24日に宵宮祭、同25日に本宮祭、陸渡御、船渡御、奉納花火などを実施することが正式に承認された。

 会合では同祭実行委員会の京極俊明実行委員長が、東日本大震災からの被災地復興支援に向け「大阪のバイタリティーを日本全国に示そう」、大阪商工会議所会頭で同協賛会の佐藤茂雄会長も「西日本が力強く支えないと」と、それぞれ天神祭の意義を強調した。

 このほか昨年度の決算報告や本年度の行事計画が承認された。奉納花火は25日に大川沿いの造幣局と対岸の桜宮公園の2カ所で実施し、約3千発の花火が打ち上げられる。

222よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/07(火) 20:42:26 ID:q4a.jvw.0
大阪企業家ミュージアムが開館10周年 7〜11日は無料
2011.6.6 22:28
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110606/osk11060622370018-n1.htm

 大阪にゆかりのある企業家を紹介する大阪企業家ミュージアム(大阪市中央区)が開館10周年を迎え、7〜11日は記念に入館料を無料にする。来館者数は延べ約13万5千人(5月14日現在)に上り、近年は経営者や起業家だけでなく、キャリア教育の場として中学・高校生、大学生が訪れるなど幅広い層に支持されている。

 ミュージアムは企業家精神の高揚・伝承を通じ、次代を担う人材を育成しようと、平成13年6月5日に大阪商工会議所が開設した。パナソニック創業者の松下幸之助氏や日清食品創業者の安藤百福(ももふく)氏ら近代大阪で活躍した企業家105人をパネルとゆかりの品で紹介。ガイド付きツアーは、企業家の裏話も聞けるとあって人気が高い。

 近年は漫画冊子シリーズ「企業家の人生に学ぶ」の製作や、館内展示パネルの中国語・韓国語への翻訳など、子供や外国人にも企業家精神を分かりやすく伝える取り組みに力を入れている。事務局長の興津厚志さんはミュージアムが支持されてきた理由について、「企業家の困難に立ち向かうストーリーやチャレンジスピリットに共感する来館者が多いからではないか」とみている。

 開館は火〜土曜日の午前10時〜午後5時(水曜のみ午後8時まで)。入館料は大人300円、中学・高校生と大学生は100円。

 14日〜7月29日には10周年記念事業として、薩摩藩出身の実業家で“鉱山王”と呼ばれ、大阪商工会議所の初代会頭を務めた五代友厚の功績を紹介する特別展を開催する。

223よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/07(火) 21:40:06 ID:q4a.jvw.0
来月25日に奉納花火 被災地「力強く支える」
2011年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110607/20110607021.html

 日本三大祭りの一つとして大阪の夏を彩る「天神祭」の委員総会が6日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。同祭渡御行事保存協賛会の会員ら約130人が出席し、7月24日に宵宮祭、同25日に本宮祭、陸渡御、船渡御、奉納花火などを実施することが正式に承認された。

 会合では同祭実行委員会の京極俊明実行委員長が、東日本大震災からの被災地復興支援に向け「大阪のバイタリティーを日本全国に示そう」、大阪商工会議所会頭で同協賛会の佐藤茂雄会長も「西日本が力強く支えないと」と、それぞれ天神祭の意義を強調した。

 このほか昨年度の決算報告や本年度の行事計画が承認された。奉納花火は25日に大川沿いの造幣局と対岸の桜宮公園の2カ所で実施し、約3千発の花火が打ち上げられる。

224よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/08(水) 18:50:03 ID:GeOZMGrI0
平和への誓い新た 大阪大空襲66年慰霊法要
2011年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110608/20110608021.html

 太平洋戦争末期の1945年6月7日、米軍の爆撃機約400機と戦闘機約140機が大阪市北東部に襲来、市街地を焼き尽くし、多くの市民が犠牲となった。この「第3次大阪大空襲」からちょうど66年となる7日、惨事の現場となった大阪市北区の長柄橋南詰めや同市旭区の常宣寺で慰霊法要が執り行われ、遺族らが静かに手を合わせ、平和への誓いを新たにした。

225よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/08(水) 20:02:56 ID:GeOZMGrI0
淀殿魅了したハギ見頃 豊中の曹洞宗・東光院 大阪
2011.6.8 01:57
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110608/osk11060801570002-n1.htm

 初夏に花をつけることから「ナツハギ」の別名で知られるミヤギノハギが豊中市南桜塚の曹洞宗・東光院(村山廣甫住職)で見頃を迎えている。

 “萩(はぎ)の寺”として親しまれている同院境内には、約2千株のハギが植えてある。この時期に花をつけるのは、豊臣秀吉の側室、淀殿も魅せられたというナツハギ。山門から本堂までの参道に沿って植えられた約30株が、大人の背丈ほどに枝葉を伸ばし、1.5センチぐらいの小さな濃いピンク色の花が咲き競っている。

 今月中旬までかれんな姿を見せ、一度散ったあと秋には、また花を咲かせるという。

226よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/08(水) 20:25:05 ID:GeOZMGrI0
大阪の郷土料理再発見 谷 福江 田辺大根ふやしたろう会世話人 
2011年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/110607/20110607024.html

 「どちらのご出身ですか?」。知り合って話が盛り上がると、つい自他とも認める食いしん坊の私は、「そちらの名物は?」と聞いてしまいます。名物を送っていただいたり、郷土食を届けていただきビックリします。例えば阿波徳島出身の方から「甘くない金時豆入りちらし寿司(ずし)」を頂き、目からウロコ!です。

 また、なにわ伝統野菜田邊大根(たなべだいこん)の普及活動で知り合った生産の方の野菜への愛情と地元に伝わる調理法を教えていただき、野菜のおいしさに目覚めました。田邊大根の生産地だった東住吉区田辺では、田邊大根の衰退と一緒に、田邊大根料理を作る人もなくなりました。子どもの頃、明治生まれの祖母が作っていた自慢の「だいこだき」(大根・金時人参(にんじん)・小芋・鯨(くじら)のコロの煮物)など私も忘れてしまった味です。このようにして郷土食は、忘れ去られたり、作られなくなったりしていくのだと思います。

 このような大阪の郷土食を再発見し、次世代に伝えていきたいと、大阪料理研究科の上野修三さんの監修・NPO法人浪速魚菜の会の事務局・日本の伝統食を守る会の協力で、「大阪御数料理会」が発足しました。

 もともと、日本人の主食はごはんです。副食(御菜または総菜)を大阪では「おかず」と呼びます。大阪は気候温暖で、四季折々の食材に恵まれ、天下の台所と言われたように、全国からいろいろな食べ物が集まってきました。数々の食材を合わせて採る。つまり「お数」だとか。

 同会では、郷土料理を、大阪市内・摂津を北摂地区・河内の大和川の北を東大阪地区・大和川の南を南河内地区・泉州地区と五つに分けて、地域の産物を生かした郷土料理を取り上げています。郷土料理に造詣の深い方たちの、旬の食材タップリの家庭料理を試食しながら勉強し交流を深めています。

 第1回は、3月上旬に開催され、まだ寒さ残る北摂地方は、昨年夏に収穫し保存された(干しずいき)を使った「やさい巻き寿司おまき」三島独活とコンニャク菜の花の白和(あ)え、東大阪地区で春の訪れと言われる八尾の若ごぼうの炒め煮、大阪地区のバラ寿司、南河内地区の田邊大根の切り干しの酢和え(富田林市の河南町で田邊大根が作られています)、そして泉州地区のじゃこごうこ(水茄子(なす)の古漬けと海老(えび)ジャコの煮物)。

 学生の頃岸和田の知人宅で、一口しかいただけなかったお料理も、今は美味(おい)しくいただけました。まだ他にも何品もいただきましたが、同じ3月でも地域により旬の食材の違いを再認識しました。

 この会には、東京・岡山・京都など他府県からの参加も多く、郷土料理への興味の深さを感じます。ちなみに、第2回の5月上旬のメニューを少々。食材はまさに春爛漫(らんまん)。北摂の山菜おこわ。クレソン、セリの胡麻(ごま)あえの食べ比べ。東大阪のしんかい(お盆のお供え料理)。大阪市のしがらき(もち米うるち米を使った蒸し菓子)。泉州の新玉ねぎとアサリの煮物他。

 どれも、それぞれの暮らしに沿った食べ物で、伝えていきたいと思います。あなたの出身地の郷土料理は?

 (たに・ふくえ 大阪市東住吉区)

227よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/08(水) 20:31:51 ID:GeOZMGrI0
大阪ええトコ再発見
狭山池 2011年6月5日利水に治水、そして憩いの場
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/eetoko/110605/20110605027.html

 瑠璃色から黄金色に…。湖のように水をたたえ、空や太陽に呼応して美しい表情を見せる大阪狭山市の「狭山池」。大阪府の史跡名勝1号に指定され、風光明媚(めいび)な地として知られる。1400年にわたって地域住民の暮らしを守る日本最古のため池だ。

 かつては水利に恵まれなかった府東南部で狭山池が造られたのは7世紀前半。葉の付いた枝を土の中に入れて堤を丈夫にする「敷葉(しきは)工法」が用いられ、その名は日本書紀や古事記にも登場する。

 国家の土地開発政策と深く結び付きつつ、奈良時代にはため池の規模は2倍に。その後も各時代の先端技術が駆使され、機能強化やかんがいのルールが整備されてきた。かんがい地域は12キロ先の現・大阪市平野区にまで及び、約80の村に水の恵みをもたらしたという。

 狭山池の歴史や土木事業の意義を伝える府立狭山池博物館の小山田宏一学芸員は「人間の英知が込められている」と語る。

 平成に入って完成した改修によって、洪水調整機能を備えた新しいダム式のため池として生まれ変わった。

 周辺には約千本の早咲きの桜、コシノヒガンが植えられ、府内で最も早く花見が楽しめる場所としてPRされる。池の周囲に整備された約3キロの周遊路では、散歩などを楽しむ地域住民の姿が絶えない。利水に治水、憩いの場として狭山池は新たな歴史を刻んでいる。

 隣接する同博物館では、堤の断面などで過去の姿も知ることができ、小山田学芸員は、池と施設を見学すれば「時空を超えた楽しみ方ができる」と来訪を呼び掛けている。

 【メモ】大阪狭山市岩室1402。南海高野線「大阪狭山市駅」下車、西へ数百メートル。

228よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/09(木) 19:08:14 ID:SHBEBgQw0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/210 太閤下水 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110609ddlk27070446000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇「都市プランナー」秀吉の遺構 今も現役、計20キロ
 材木町から東へ歩く。市立南大江小学校(農人橋1)の西側に、なにやら地中をのぞける窓がある。のぞいてみると、溝を濁った水が流れている。「秀吉の時代からある下水で、太閤下水といいます。今も現役」と大阪案内人の西俣稔さん。

 豊臣秀吉は1583年に始めた大坂城築城に伴って、市中のインフラ整備を進め、城下町をつくった。下水溝もこの時に巡らされた。秀吉はすぐれた都市プランナーでもあったのだ。いま、話題の映画「プリンセス・トヨトミ」には、秀吉の血筋のプリンセスを守る大阪国が出てくるが、太閤下水はまさに秀吉の遺産。「大坂のまちが整備されてたことを示す貴重な遺構」と西俣さんが言うのもうなずける。

 西俣さんが、下水が流れていく西を指す。家やビルが背を向けて建ち並んでいるすき間を縫うように、細い道が延びている。「建物が背中合わせになってるところに下水溝が造られてるので、背割下水ともいうんです」。その道をたどると、東横堀川に行き当たる。「昔は東横堀川に下水を流してたんです」。もちろん、いまはそんなことはなく、松屋町筋の地下を流れる下水道から、西成区の津守下水処理場へ送られている。

 それにしても、400年以上たつ今も現役とは恐れ入る。中も見学できるらしいので、後日、大阪市の外郭団体「都市技術センター」(旧・大阪市下水道技術協会)の小南郁夫さんに案内してもらった。

 のぞき窓の脇に、見学用の下水溝への降り口がある。1985年にできたものだ。ちなみに、のぞき窓は太閤下水が市の文化財に指定されたのを受けて、06年に設けられた。

 プーンと下水がにおう。「ましな方ですよ」と小南さん。地上から約2メートル下、幅約2メートルの下水溝の両脇には石垣が積まれている。「最初は石積みはなかったんです。素掘りでしたが、江戸時代中期から後期にかけて石積みがされ、その後改良されて、明治19年と23年のコレラの大流行で、溝の底をコンクリートにし、石積みのすき間を埋めました」。下水が浸透したり、石積みのすき間から漏れるのを防ぐためだ。その溝は緑色にこけむしている。

 この下水溝は大阪医療センターから東横堀川の手前まで、約800メートル続いている。江戸時代、下水溝の掃除も補修も町衆の役目だったという。橋と同じだ。

 太閤下水は中央区や西区、北区などに計約20キロ残っている。市内の下水の総延長4867キロの243分の1にあたる。線でつながってるわけではなく、上の図のように部分部分が残っている。このうち将来も使用可能な7キロが市の文化財になっている。

 「なにせ家と家との間を通っているので、維持管理が非常に難しいんです。付け替えを進めましたが、建物の建て替えがない、影響がない所を残してるんです」と小南さんが説明してくれる。例えば、ここは小学校のグラウンドの下を流れてるので残ってるわけだ。

 見学できるので、ぜひトヨトミの遺産を見てほしい。申し込みは都市技術センター(06・4963・2092)へ。【松井宏員】

229よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/09(木) 19:16:42 ID:SHBEBgQw0
隠れキリシタンの宗教画公開 大阪・茨木の史料館
2011年6月9日
http://mytown.asahi.com/areanews/osaka/OSK201106080127.html
 隠れキリシタンの里として知られる大阪府茨木市北部の民家で見つかった江戸時代の宗教画「マリア十五玄義図」(府有形文化財)が、同市千提寺の市立キリシタン遺物史料館で特別公開されている。市が初の修復を施し、鮮やかな色彩がよみがえった。

 マリア十五玄義図は縦82.7センチ、横65.4センチ。17世紀に長崎のセミナリオ(神学校)で描かれたとみられ、聖母マリアとキリストの生涯の15の出来事が描かれている。同市千提寺の民家で1920年、屋根の棟木にくくりつけられた木箱の中から見つかった。

 同史料館で2005年まで展示していたが、06年に府が有形文化財に指定。劣化を防ぐために、表面の汚れを落として絵の具のはがれ止めを施し、しわを伸ばして裏打ち補強するなどの修復を昨年10月から今年3月にかけて実施した。

 茨木市北部はキリシタン大名の高山右近が治めたこともあってキリシタンの一大中心地だった。徳川幕府が禁教令を出してからも、信者たちは隠れて信仰を続けたとみられる。

 マリア十五玄義図を所有する東満理亜さん(61)によると、江戸末期には10軒くらいの家で輪番を作り毎週日曜に集まって拝んでおり、十五玄義図はその時使われていたと推測されるという。東さんは「修復でぼんやりしていた赤色が鮮やかになった。キリスト教の歴史と、先祖が苦労してこの絵を残したということを知ってもらいたい」と話している。

 13日まで。入場無料。問い合わせは同史料館(072・649・3443)へ。(石田貴子)

230よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/09(木) 19:19:45 ID:SHBEBgQw0
行ってみよっと:アサヒビール吹田工場と旧吹田村 歴史、文化の香りもプーン /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110609ddlk27040426000c.html

 ◇恵まれた水運に人と物資が往来
 国内で2番目にできたビール工場、アサヒビール吹田工場の見学に行く。JR吹田駅前にどーんと構える。甲子園4個分という敷地(約16万平方メートル)の周りをたどりながら、正門まで約1キロ。

 この道がいい。ツツジ、ツゲ、ヒノキ、シラカシ……緑のオンパレード。それぞれの木が名札をぶらさげ、「よろしく」と言っているよう。木々と仲良くなりながら、まもなくプーンと甘くて香ばしい匂いがしてきた。工場で活動中の小麦たちの匂いらしい。

 同工場は1891(明治24)年にアサヒビールの第1号の工場として誕生した。ちなみに国内第1号は、キリンビールの横浜の醸造所。

 なぜ吹田だった? 工場見学の案内担当、影浦ちひろさんの説明が始まる。まず、神崎川を利用した水運とすぐ脇を走る国鉄により運搬に好都合だったこと。また、近くで湧き水が出た。その水をビールの本場ドイツに送ると「適している」とお墨付きをもらえた−−これが立地の背景。ちなみに湧き水は、今は枯れて、近所の泉殿宮(いづどのぐう)に跡がある。

 見学コースから、ガラス越しに工場内を見下ろせる。ややこしく張り巡らされたベルトコンベヤー。その道を瓶ビールが滑る!カーブもこけずにうまく滑走。クライマックスは缶に、ビールが注入されるシーン。速過ぎて目で追えない。このラインだけで1分間に350ミリリットル缶が1500本も誕生しているとか。そんなに急がないといけないとは、日本人ってホントにビール好き。

 見学に訪れる人は、なんと年間12万人。家族連れからデートコース、修学旅行など名目はさまざま。確かに、ナマの現場は面白い。無料というのも大いなる魅力。

 JR吹田駅の南側、旧吹田村も歩く。ここからは吹田まち案内人の瓢風(ひさかぜ)正男さん(68)に案内していただく。商店街が何本もつながる繁華街。「500店舗ぐらいあります」。シャッターがおりたままの店もあるけれど、このご時世仕方ない。

 かつては亀岡街道や吹田街道が通り、さらに神崎川の水運で、江戸時代から栄えた。古い家や蔵がちらほら残り、建築ウオッチも楽しい。

 江戸時代の庄屋を整備した「浜屋敷」に立ち寄る。高さ5メートル以上あるソテツが出迎えてくれる。観光案内所も兼ねていて、一息つくのにありがたい。敷地に、だんじりの展示庫がある。「鍵を開けてもらいましょう」。これ、取材への特別扱いではない。声をかければ、気軽に開けてくれる、懐が深い施設なのだ。だんじりを間近に見た。実に細かな彫刻が施され、見事な伝統芸術だ。「この図柄には物語があるんですよ。私はよう語れんのですが」(瓢風さん)。嘉永7(1854)年製の川面町地車(かわづらちょうだんじり)。ご老体なのに、今も毎年、吹田まつりで活躍するバリバリの“現役”だ。

 すぐ近くの安威川に出ると、「吹田の渡(わたし)」跡がある。江戸時代、大阪と丹波を結ぶ亀岡街道の渡しで、いわば吹田の玄関口。人と物資が往来し、にぎわったのだろう。川が、この町に果たした役割は大きい。今、目の前の川辺には、ウオーキングする人が1人いるだけだけど。【三角真理】

==============

 アサヒビール吹田工場=06・6388・1943。見学は要予約▽浜屋敷=見学は無料。土日は喫茶もある。06・4860・9731▽吹田まち案内人=案内人1人につき10人まで(1000円)。連絡は浜屋敷(06・4860・9731)。

231よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/10(金) 19:42:43 ID:ZUECP7WI0
2011年6月10日
彦星と織姫 200人「合コン」 応募殺到 枚方
http://www.sankei-kansai.com/2011/06/10/20110610-053886.php

 大阪府枚方市で7月2日夜、男女200人の「巨大合コン」が行われる。市民の有志が地元に残る七夕伝説にちなんで企画したもので、募集からわずか2週間で定員を満たす人気ぶり。主催する「枚方婚活推進実行委員会」の松尾勝代委員長(46)は「気が合う人を見つけたら、七夕の日に枚方で再会する約束をして」と話し、ロマンチックな出会いの創造とともに街の活性化を願う。

「星の数ほど出逢い」

 参加者は20歳以上の独身男女各100人。会場は京阪枚方市駅周辺にある飲食店約10軒で、参加者には午後7時から午後11時半の間、店を順番に回ってもらう。1軒の店にいられるのは最長1時間。参加者には多くの出会いを楽しんでもらうと同時に、駅周辺の魅力をPRする考えだ。

 同市内には「天野川」が流れ、七夕や星にまつわる地名も残る。平安時代には七夕伝説の舞台として、数多くの和歌に詠まれた。

 ただ、読み方を「まいかた」と間違えられたり、京都府と勘違いされたりすることもあり知名度はいまいち。そこで同市の市民らが実行委を結成、七夕伝説にちなんで「星の数ほど出逢いがある街」をキャッチフレーズに、「ひらコン」と銘打った巨大合コンを編み出した。

 5月下旬からホームページやチラシで募集を始めたところ、申し込みが殺到。堺市や大阪府藤井寺市、兵庫県からの参加もあり、定員の200人は2週間で埋まった。「ロマンチックな出会いを求める若者たちの思いが表れたのかも」と実行委。「街をアピールし、枚方ファンを増やす絶好の場になるはず」と、早くも手応えを感じている。

 キャンセル待ちの参加希望者も若干名受け付ける。問い合わせは実行委(電話090・6733・0148)。

232よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/11(土) 20:04:32 ID:gw5NimoM0
津堂城山古墳出土「斜縁神獣鏡」と関大博所蔵破片一致
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110611-OYO1T00239.htm?from=newslist

 大阪府藤井寺市の津堂城山古墳(4世紀後半)で1912年に出土した銅鏡の欠けた部分に、どこで出土したのか不明だった関西大博物館(大阪府吹田市)所蔵の銅鏡の破片が合致することが、宮内庁などの調査でわかった。3次元計測した立体画像によって、出土から約100年を経て原形に近づいた。11、12両日、茨城県つくば市の筑波大で開かれる日本文化財科学会で発表される。

 同古墳は百舌鳥(もず)・古市古墳群で最初に築かれた大王墓とされ、宮内庁が後円部頂上を陵墓参考地に指定している。

 破片と接合する鏡は、後円部から様々な副葬品とともに見つかった銅鏡8面のうち2面(各直径18センチ)。ともに斜縁神獣鏡(しゃえんしんじゅうきょう)と呼ばれ、割れているため残存するのは全体の5〜7割で、同庁書陵部が所蔵していた。

 一方、同博物館にあるのは破片3点(大きさ3〜6センチ)。「本山コレクション」(登録有形文化財)の一部だが、出土地不明だった。最近、研究者が宮内庁の鏡との類似に気づいたという。

 昨秋から奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)が調査を実施。鏡2面と破片3点をそれぞれ別々に3次元計測し、立体的に再現した画像同士を合わせたところ、凹凸や文様、断面などがすべて一致した。

 宮内庁陵墓課の徳田誠志・首席研究官は「鏡と破片の現物が接合することが、離れていながら判明したのは、新しい技術の成果。今後、他の文化財調査にも役立つだろう」と話している。 大阪府藤井寺市の津堂城山古墳(4世紀後半)で1912年に出土した銅鏡の欠けた部分に、どこで出土したのか不明だった関西大博物館(大阪府吹田市)所蔵の銅鏡の破片が合致することが、宮内庁などの調査でわかった。3次元計測した立体画像によって、出土から約100年を経て原形に近づいた。11、12両日、茨城県つくば市の筑波大で開かれる日本文化財科学会で発表される。

 同古墳は百舌鳥(もず)・古市古墳群で最初に築かれた大王墓とされ、宮内庁が後円部頂上を陵墓参考地に指定している。

 破片と接合する鏡は、後円部から様々な副葬品とともに見つかった銅鏡8面のうち2面(各直径18センチ)。ともに斜縁神獣鏡(しゃえんしんじゅうきょう)と呼ばれ、割れているため残存するのは全体の5〜7割で、同庁書陵部が所蔵していた。

 一方、同博物館にあるのは破片3点(大きさ3〜6センチ)。「本山コレクション」(登録有形文化財)の一部だが、出土地不明だった。最近、研究者が宮内庁の鏡との類似に気づいたという。

 昨秋から奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)が調査を実施。鏡2面と破片3点をそれぞれ別々に3次元計測し、立体的に再現した画像同士を合わせたところ、凹凸や文様、断面などがすべて一致した。

 宮内庁陵墓課の徳田誠志・首席研究官は「鏡と破片の現物が接合することが、離れていながら判明したのは、新しい技術の成果。今後、他の文化財調査にも役立つだろう」と話している。

(2011年6月11日 読売新聞)

233よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/11(土) 20:06:49 ID:gw5NimoM0
本山コレクション:鏡の破片、大阪・津堂城山古墳出土の鏡と合体−−パソコン画面で
http://mainichi.jp/kansai/news/20110611ddn041040006000c.html

◇100年ぶり合体
 考古資料「本山コレクション」の鏡の破片が、明治末年に大阪府藤井寺市の津堂城山(つどうしろやま)古墳で出土した宮内庁所蔵の斜縁(しゃえん)二神四獣鏡の一部と分かった。別々に保管され泣き別れになっていた鏡が、徳田誠志(まさし)・宮内庁書陵部首席研究官(日本考古学)らの三次元デジタル形状計測によって約100年ぶりにパソコンの画面上で合体した。

 鏡の破片は目録に「漢鏡破片 3個 河内国南河内郡津堂村小山古墳」と記され、4世紀末の巨大前方後円墳である津堂城山古墳の出土とみられる。

 この古墳では1912(明治45)年、発掘調査が行われた。当時の宮内省は後円部頂を皇族の墓の可能性がある「陵墓参考地」に追加指定し、副葬品を買い上げた。

 宮内庁所蔵となっている鏡片は8枚分。欠けた部分を樹脂で補ったものもあり、現物を持ち寄っても合わせられないため、奈良県立橿原考古学研究所の奥山誠義・主任研究員(保存科学)が本山コレクションの破片を0・01〜0・03ミリの精度の装置で三次元形状計測した。

 計測データをもとにCGを作成し、計測を終えてデータベース化されている宮内庁の鏡と重ね合わせたところ、2枚の鏡の欠けている部分と、破片の形が平面、断面とも一致した。うち1枚は欠けている部分の銘文の文字「徳」がX線撮影で破片から浮かび上がった。

 11、12日、筑波大学で開かれる日本文化財科学会で発表される。【佐々木泰造】

==============

 ■ことば

◇本山コレクション
 毎日新聞社社長だった本山彦一(1853〜1932年)が収集した考古資料1万8945点。自ら調査隊を組織して1917(大正6)〜19年に大阪府藤井寺市の国府(こう)遺跡を調査した時の出土品などを含み、日本の考古学史を物語る資料と評価されている。今春、国の登録有形文化財になることが決まった。現在、関西大学博物館(大阪府吹田市)に所蔵されている。

234よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/12(日) 15:58:05 ID:Qk55/QBQ0
AKIRA、長澤と交際順調?「江ちゃんとは」とはぐらかす
2011.6.12 15:18
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110612/ent11061215200008-n1.htm

 NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」(日後8・0)に豊臣秀勝役で出演中のEXILEのパフォーマー、AKIRA(29)が11日、秀勝の養父・秀吉を祀る大阪・豊國神社を訪れた。

 ドラマでは女優、上野樹里(25)演じる江の夫となるが、私生活では長澤まさみ(24)と熱愛中。報道陣から「交際は順調?」と質問が飛び出すと、「わからない。江ちゃんとは順調です」とかわしながらも、爽やかな笑顔を絶やさなかった。表情には公私ともに「順調」な雰囲気がバッチリ出ていた。

 7月3日放送分では、江との結婚シーンが登場する。「いつかはこういう形で愛する人と結ばれて、子供をもうけてって言いますけど、1人の人として、愛する心を受け止められるよう成長していけたらと思います」と結婚観も告白した。(サンケイスポーツ)

235よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 19:49:16 ID:HW5vL2E60
「そうらえわれら天神花娘」 10人初顔合わせ
2011年6月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110614/20110614021.html

 天神祭などで活躍する天神橋筋商店連合会のキャンペーンガール「天神天満花娘」に選ばれた今期のメンバーが11日夜、大阪市北区の大阪天満宮で初めて顔合わせし、地元の手打ち「大阪締め」や口上の研修に臨んだ。

 花娘は毎年公募で選出され、大阪天満宮のシンボルの花「紅白の梅」をあしらった華やかな冠をかぶり、天神祭や商店街などのPRに参加。大阪天満宮の天神祭関連行事「星愛七夕まつり」(7月7日)でデビューする。

 研修では、今年の花娘10人が、口上の練習で「そうらえ 聞きそうらえ われら天神花娘」と声を合わせたほか、大阪締めを実践。また、神職から天神祭の起源や歴史についての説明を受けた。

 神社の仕事に憧れていたという香川奈緒子さん(20)は、東日本大震災で続く沈滞ムードを踏まえ「大阪から元気を発信したい」と笑顔。同連合会の土居年樹会長は「皆さんと接することで、大阪に来て良かったと思われる存在になって」とエールを送っていた。

236よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:33:48 ID:HW5vL2E60
天神祭の花火の協賛金、一部は被災地へ 大阪天満宮
2011年6月14日
http://mytown.asahi.com/areanews/osaka/OSK201106130179.html

大阪天満宮(大阪市北区)は、天神祭の船渡御(7月25日)に合わせて打ち上げる奉納花火の協賛金を募っている。協賛金の一部は東日本大震災の復興資金として被災地に贈る。

 今年の花火は昨年より2千発少ない3千発。震災の影響で協賛を見合わせる企業があるためという。

 一般の協賛金は1口5500円。うち5千円を3号玉(直径約10センチ)花火1発分の費用に充て、500円は被災地に贈る。協賛金を寄せた人にはこれまで3号玉のレプリカを贈っていたが、今年は新たに2種類の大型レプリカを用意。10万円以上なら5号玉(直径約15センチ)、30万円以上なら10号玉(直径約30センチ)のレプリカを贈る。締め切りは7月23日。問い合わせは大阪天満宮(06・6353・0025)へ。(八田智代)

237よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:35:37 ID:HW5vL2E60
セントレジス アフィシアナード どんどこ船で体験する「水の都・大阪、天神祭」
http://www.asahi.com/business/pressrelease/PRT201106030035.html

セント レジス ホテル 大阪は、天神祭を堪能するアフィシアナード プログラム「水都・大阪、天神祭」を、7 月25 日(月)に実施いたします。今回のプログラムでは、日本三大祭の一つとして知られる天神祭を、セントレジスのお客様だけがご体験いただける「アフィシアナード」としてご用意いたしました。

 大阪で最もにぎわう天神祭は、全国の天満宮及び天神社で催される祭神の菅原道真の命日にちなんで開催され、大阪府では、大阪天満宮を中心とした大阪市にて行われます。

 この度のアフィシアナードでは、船渡御 (ふなとぎょ)と呼ばれる、繁栄を祈願するために氏地を巡行する道頓堀に入ることが許された数少ない船「どんどこ船」に乗船し、日が沈むころ、大川を渡り夜空に舞う花火を鑑賞するツアーをご提供いたします。好きな柄が選べるセント レジス 特選浴衣とペアの下駄をプレゼントし、お召し替の後、天神祭へお出かけいただきます。
 天神橋から道頓堀、戎橋と、水都・大阪を象徴する場所を巡る船上にて、目の前に広がる花火や、漕ぎ手と一緒に行う「大阪締め」など貴重な体験を心ゆくまでお楽しみいただきます。
 この大阪を感じる旅の余韻を高める演出として、クラシックなデザイン、贅沢な質感と内装が特徴のグランド デラックス スイートにてシャンパンとオードブル、ライトミールをご提供するプライベートディナーをお楽しみいただきます。ご滞在中は、セント レジス バトラーがきめ細やかなおもてなしを24 時間ご提供いたします。

 今後も、大阪というロケーションと日本が誇る文化を生かした、記憶に残る貴重な体験を提案してまいります。


■ アフィシアナード 「水の都・大阪、天神祭」概要
期日: 2011 年7 月25 日(月)
乗船 開始 時間: 17:30
船渡御開始時間: 18:15
船渡御終了時間: 21:30
乗 船 場 所: 中之島剣先公園南側(天神橋東側)
下 船 場 所: 道頓堀川 戎橋東側桟橋
※雨天決行(雨天時には、セント レジス ホテル大阪オリジナルの雨具を貸し出します。)

238よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:36:27 ID:HW5vL2E60
>>237

内容:
大阪にて開催される日本三大祭の一つをお楽しみいただけるプログラムです。セント レジス ホテル 大阪の特選浴衣にお召し替え後、どんどこ船と呼ばれる、道頓堀に入ることが許された数少ない船に乗り、天神橋の麓から道頓堀川戎橋へと向かう船路をお楽しみいただきます。
途中、当日まで秘密のエンターテイメントと共に奉納花火をご鑑賞いただきます。ご夕食には船の上で特製のうな重とビールの飲み放題をお召し上がりください。
また、客室ではルームサービスにて、オードブルとクラブサンドイッチをブーブクリコのシャンパンと共にご用意しております。
※どんどこ船の乗船には、講の袢纏・扇子・手拭・お食事(うな重)・お茶・ビール(飲み放題)が含まれます。

行程:
-7 月25 日
15:00 チェックイン 浴衣にお召し替えください
17:00 ホテルを出発
17:30 中之島剣先公園より乗船
18:15 船渡御開始 約3 時間の船旅をお楽しみください
19:00-21:00 奉納花火をご覧ください
21:30 下船場所の戎橋へ到着 ホテルまでタクシーにてお帰り下さい
22:00 スイートルームにてプライベートディナーをご用意しております
-7 月26 日
6:30 インターナショナルビュッフェまたは和朝食をお楽しみください
(場所:ホテル12 階 イタリア料理 「ラ ベデュータ 」)
14:00 チェックアウト
※状況により時間が変更になる場合がございます。

料金:
お一人様79,000 円(税込・サービス料別/1 室2 名様)
※上記金額には、宿泊料金、夕食、朝食、乗船料、船上での飲食料金、タクシー送迎料金(ホテル-どんどこ船乗降船場所)が含まれます。

客室:
グランド デラックス スイート ※限定3 組様
予約受付期間: 6 月3 日(金)〜7 月23 日(土)
予約・お問い合わせ: 06-6258-3333 (10:00〜20:00)
※キャンセルの際は、実施日の2 週間前までにご連絡をお願いします。
その後はキャンセルチャージを申し受けますので、予めご了承ください。

239よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:37:30 ID:HW5vL2E60
>>237>>238

■ 大阪 天神祭 概要
天神祭とは、全国の天満宮及び天神社で催される祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日です。大阪の「天神祭」は東京・神田祭、京都・祇園祭とともに日本三大祭りとされ、毎年130 万人もの人が訪れる夏の大祭です。また、愛染祭、住吉祭とともに大阪三大夏祭りの一つとも言われております。

天神祭は、大阪市内の天満にある大阪天満宮の氏地を中心に、毎年宵宮が7 月24 日、本宮が翌7 月25 日に定められており、賑やかに開催されます。大阪市内のさらなる繁栄を祈願するために氏地を巡行する陸渡御 (おかとぎょ)と船渡御 (ふなとぎょ)がその代表格として知られております。特に船渡御は千年以上も前に始まり、大阪とともにその古い歴史を歩んできました。天神祭は、水の都大阪を代表するお祭りといえます。

25 日夜には、100 艘余りの船で祭を盛り上げる「船渡御(ふなとぎょ)」が行われます。「どんどこ船」は船渡御の中では「列外船」として扱われ、列から離れて自由に航行ができ、大川を下ります。
中之島から道頓堀までの約3 時間の船渡御にて、道頓堀に入って行くことが出来るのは100 艘のうち、「どんどこ船」「供奉船」「文楽船」「落語船」の4 艘のみとなっています。

・奉納花火
神様にご覧いただくために25 日に打上げるのが「奉納花火」です。船渡御が始まり、日が沈むころ、大川をはさむ川崎公園・桜ノ宮公園の2 箇所にて、打ち上げ花火が開始されます。上げられる花火は、総数5000 発。 そのうち2000 発は花火奉賛会からの奉賛です。

・どんどこ船
天神祭の開催を知らせる「どんどこ船」は、広告塔の役目を担いお祭りに彩を添える天神祭の花形船です。約四十人の漕ぎ手の若々しい掛け声や大阪締め(※)、打ち鳴らす鉦太鼓(かねだいこ)が響き渡り、一斉に櫂を漕いで進
んでいきます。どんどこ船という名前の由来もドンドコと鐘を鳴らすため付けられたとも言われています。
(※)大阪でよく使われる手締めの一種であり、下記スタイルが一般的な手締め。打ちましょ(パン、パン)もひとつ(もうひとつ)せぇ(パン、パン)いおうて(祝うて)三度(パ、パン、パン)

240よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:38:40 ID:HW5vL2E60
>>237>>238>>239

■ 「セント レジス アフィシアナード」について
「セント レジス アフィシアナード」とは、“最高のロケーションで最高の体験を” をコンセプトに世界各国で展開する、セント レジスにご宿泊されるお客様だけに許された、一生に一度の素晴らしい体験と特別なイベントをお楽しみいただくためのプログラムです。

■ セント レジス ホテル&リゾートについて
時代を超えた洗練とモダンな高級感を併せ持つセント レジス ブランドは、たゆまぬ努力によって極上のおもてなしを追求してきました。創業者のジョン・ジェイコブ・アスター4 世が第1 号をニューヨークにオープンしてから、1 世紀以上。いまやセント レジスは、世界中の主要都市で、比類のないラグジュアリーときめ細やかなサービス、そして洗練されたエレガントなホテルとして、その名を知られています。今後は、こうした伝統を受け継ぎながら、さらに世界展開を進め、北米のバイアビーチ、プエルトリコ、バルハーバー、そしてバミューダ諸島のプライベートアイランドに待望のセント レジスがオープンする予定です。南米では、ブエノスアイレスやカナイ リビエラに進出する見通しです。アジアでも、バンコク、成都、クアラルンプール、南京、三亜亜龍湾、天津での開業計画を発表しました。アフリカ・中東では、アブダビ、カイロ、ドーハ、モーリシャスへの展開を進める予定です。セント レジスならではの魅力は、行き届いたサービスと心配り、あこがれのロケーションと豪華なデザインと言えるでしょう。詳しくはwww.stregis.com をご覧ください。

■ セント レジス ホテル 大阪 概要
所在地: 大阪府大阪市本町 三丁目六番十二号
T E L: 06-6258-3333 (代表)
H P : http://www.stregisosaka.co.jp/

241よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:40:19 ID:HW5vL2E60
中之島周辺の橋めぐり
2011年6月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/110614/20110614031.html

随所に八百八橋の面影

 水都・大阪はかつて「浪華八百八橋」とうたわれたほど、今でも多くの橋が架かる。そこで今回は中之島周辺の橋と名所を巡るコースに参加した。北区のガイドボランティア団体、ヤジ馬ヤジ北の代表を務める浜田容子さん(59)と、メンバーの久田健介さん(73)の案内で出発した。

 スタート地点の地下にある京阪「中之島駅」から地上に出ると、目の前には大阪国際会議場。そこから堂島川沿いに歩き、川を越えてたどり着いたのが福沢諭吉の生誕地を記す石碑。福沢諭吉は1835年、大阪の中津藩(大分県)で下級武士の子として生まれた。適塾(中央区)で蘭学を学び、慶応義塾を創立したことで知られる。

 堂島川沿いを進みやがて「大阪で3番目に古い橋」(久田さん)という渡辺橋を過ぎ、土佐堀川に架かる錦橋に着いた。錦橋には古い大阪の橋を描いた絵が飾られている。橋のたもとには大阪の橋の「番付表」が設置されており、浪華八百八橋の面影を感じることができる。

 浜田さんは「かつて江戸には350ほど橋がありましたが、半分くらいは(幕府が直接管理する)公儀橋。大坂には200の橋のうち公儀橋は12だけで、あとは(町会などが造った)町橋」と解説。八百八橋とうたわれた大阪の人たちの心意気を感じた。

 江戸時代の豪商・淀屋によって造られた淀屋橋と、堂島川に架かる大江橋がいずれも国の重要文化財に指定されているとの説明を受け、先を進むと、中之島図書館に着いた。同図書館は1904年に住友家第15代の住友吉左衛門友純の寄付によって建てられ、ルネサンス様式の外観が荘厳な雰囲気を醸し出している。

 大阪市中央公会堂を過ぎ、7月の天神祭の際には鉾(ほこ)流神事が行われる鉾流橋がゴール地点。来月に迫った天神祭を思い浮かべながら今回のまち歩きを終えた。

 (春のコースが終了したため、この連載も次回コースの再開まで休載します)

 ○…中之島を囲むように流れる堂島川と土佐堀川に架かるいくつもの橋と名所を巡る今回のコース。水都・大阪を象徴するような風景の中を歩き、まさに大阪が水の都であることを実感した。

242よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:41:52 ID:HW5vL2E60
提灯舗かわい 上方の明かり守り続け150年
2011.6.8 18:01
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110608/trd11060818020016-n1.htm
 ≪伝統の技 丹精込め一つ一つ手作り≫

 祭りに、仏事に、飲み屋の店先に…と提灯(ちょうちん)の用途は広い。和紙の覆いを通して漏れるほんのりした明かりは情緒があり、どこかホッとした気分にさせられる。そんな提灯だが、作り手は年々減少。大阪では天神祭などで見かける伝統の地張(じばり)提灯の製造元も、ただ1軒になった。天満にある「提灯舗かわい」。江戸末期から150年余にわたり、文字通り伝統の「灯(ひ)」を守ってきた。

 地張という昔ながらの技法で作る提灯は丈夫で長持ち。大きなものも作ることができ、天神祭の陸渡御で掲げられる高張(たかはり)提灯のほか、上方落語の常設寄席「天満天神繁昌亭」(大阪市北区)正面の赤提灯、天神橋二丁目商店街のアーケードにつるされた大提灯も、かわいの製品だ。

■地張職人は1人だけ

 工程は細かい作業の連続。まず竹を細く割ったひごを、提灯の張り型に輪っか状に巻いていく。これを骨掛けという。次に骨に糸を掛け、さらに骨と糸に、はけでまんべんなくのりをつけ、手漉(す)きの和紙を張る。昔は分業だったが、今はここまでを地張職人が1人で担当する。伝統に忠実な作業は手間がかかり、最初の竹割りから始めると、1日に1つ仕上げられるかどうかだという。

243よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/14(火) 20:43:31 ID:HW5vL2E60
>>242

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110608/trd11060818020016-n2.htm
かわいの地張職人はベテランの前任者が退職し、現在はその後を継いだ経験8年の山上惠章(やまうえ・しげのり)さん(40)ただ一人。「(伝統を背負う)プレッシャーはあります。竹は一本一本違い、仕上がりも変わってくる。自然相手の難しい作業です」という。

 仕上げは骨に張った紙に筆で文字や絵を入れるが、ここで書き損じたり字を間違えたりすると、紙は張り替えができないため、最初の工程からやり直しになる。

 「先代からは『利は元に有り』と言われました。提灯は一つ一つ手を抜かず、大事に作り続け、もの作りを大切にせよということだと思っています」。6代目の河合清司社長(58)はそう話す。

■大阪では最後の1軒

 提灯の業者はかつて天満周辺に20軒ほどあった。最後の1軒になったかわいも、昭和50年代初めごろにはオイルショックから廃業を検討。大学生だった清司社長も仕事を継ぐかどうか迷ったというが、旅行先のヨーロッパで日本を紹介した雑誌をたまたま目にしたことが転機になった。「そこには浅草の雷門や道頓堀など提灯のある風景が写っていました。日本のよさ、味わいがあり、提灯も捨てたもんじゃないなと思いました」

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110608/trd11060818020016-n3.htm
その後は提灯の字を書くため自ら習字を習うなどし、弟の浩司専務(50)とともに家業を軌道に乗せた。

 「提灯は明かりをつけたとき、シルエットが美しいかどうかで決まる。時間をかけて割って作った竹骨でも、幅が均等でないものなどは処分し、常にクオリティーの高いものを作ろうと心がけています」

 浩司専務の言葉からは、もの作りへのこだわりと自負が感じられた。(文:高田清彦/撮影:大塚聡彦/SANKEI EXPRESS)

       ◇

■提灯舗かわい 1858(安政5)年、大阪・天満で創業。戦後、有限会社となり、提灯製造卸のほか和洋傘卸で営業を拡大。商標は「やませ」。地張のほか、竹骨をらせん状に巻いた巻(まき)提灯なども扱う。近年は各種デザイナーと交流を深め、新しい「上方の明かり」を提唱。大阪市北区天満3の4の9。(電)06・6351・2174。

244よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/15(水) 06:47:36 ID:bSegP4Ew0
ギャルみこし募集
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110615-OYT8T00086.htm

天神祭の宵宮前日(7月23日)に大阪市北区の天神橋筋商店街を練り歩く恒例の「ギャルみこし」の担ぎ手募集のPRのため、昨年みこしに参加したミス天神橋の原田かおりさん(23)らが14日、読売新聞大阪本社を訪れた=写真=。

 31回目となる今年は「ニッポンわっしょい」をテーマに行うといい、原田さんは「大阪から被災地、日本全国に元気を送れるよう、明るく元気で体力がある人の応募を待っています」と呼びかけた。

 担ぎ手は15歳から30歳まで(中学生不可)の健康な女性なら応募可能。80人を募集している。選考会は、仮装による自己PRと重さ70キロのてんびん棒を担ぐ体力検査が行われる。締め切りは6月30日で、ホームページ(http://www.galmikoshi.com/)から申し込む。問い合わせは天神祭女性御神輿(おみこし)実行委員会(06・6358・0459)へ。

(2011年6月15日 読売新聞)

245よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/15(水) 06:57:11 ID:bSegP4Ew0
5000人見守る中 御田植神事 大阪・住吉大社
2011.6.14 20:14
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110614/osk11061421310015-n1.htm

「すみよっさん」と親しまれ、鎮座(ちんざ)1800年を迎えた住吉大社(大阪市住吉区)で14日、国の重要無形民俗文化財に指定されている「御田植(おたうえ)神事」が営まれ、菅笠(すげがさ)に赤たすき姿の替植女(かえうえめ)らが稲の苗を手植えし、豊作を祈願した=写真(大塚聡彦撮影)。

 この神事は祭神の神功皇后(じんぐうこうごう)が御田を作らせたのが始まりとされ、香取神宮(千葉県)と伊雑宮=いざわのみや=(三重県)とともに日本三大御田植祭のひとつに数えられる。

 御田の中央に設けられた舞台や周辺で、巫女(みこ)による舞や、住吉踊りなどが奉納され、約5千人の参拝者が伝統行事を見守った。堺市堺区の主婦、福田真知子さん(35)は「歴史を感じるとともに神聖な気持ちになります

246よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/15(水) 17:26:38 ID:yPljoSrE0
豊穣祈り手植え 住吉大社で「御田植神事」
2011年6月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110615/20110615024.html

 大阪市住吉区の住吉大社で14日、夏の訪れを告げる伝統行事「御田植(おたうえ)神事」が行われた。境内南側の御田(おんだ)で、古来の装束に身を包んだ「植女(うえめ)」たちが苗を手植えして秋の五穀豊穣(ほうじょう)を祈願した。

 約1800年の歴史を誇り、重要無形民俗文化財指定を受けた同大社の代表的な行事。境内や御田に約5千人が参拝した。

 第一本宮で神職から植女に早苗が授けられ、御田で実際に田植えをする「替(かえ)植女」に引き継ぎ。替植女と奉仕者らが約2300平方メートルの水田に入り、手際よく植えていった。

 田植えの間、舞台上や周囲で風流武者による棒打ち合戦や田植踊、住吉踊などが行われ、神事を盛り上げた。

 吹田市から訪れた主婦、釘宮多美子さん(59)は「昔からの方法で田植えの様子を伝える神事は重要。来年も見たい」と話していた。

247よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/15(水) 23:36:01 ID:yPljoSrE0
「住吉の蔵」を収めたDVD上映会&トークライブ、区内で開催へ
http://abeno.keizai.biz/headline/97/

住吉区役所が企画したDVD「住吉の蔵−未来に語り継ぐ宝物−」の上映会と蔵についてのトークライブが6月25日、住吉区民センター小ホール(住吉区南住吉3)で開催される。

 同区内の住吉大社周辺や帝塚山地域には約80の蔵が現存している。その中で16軒の蔵の内部、外観などの映像や持ち主のインタビューをDVDに収め、歴史や写真なども紹介している。制作は歴史研究家、建築家、映画監督などで構成された「住吉文化事業実行委員会」。同区はビルやマンションなどが次々建設され蔵が減っていく中で、「住吉の蔵」を映像として記録することが重要であると考えたという。

 トークライブでは、蔵の持ち主2人と大阪市内の蔵を調査するなど、住宅史、建築史を専門分野にしている大阪人間科学大学人間科学部環境・建築デザイン学科の植松清志教授が務める。

 開催は14時〜。入場無料(先着順)。

248よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/16(木) 16:49:27 ID:m0PeJbmA0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/211 久宝寺橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110616ddlk27070402000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇移住者が地名の由来 お国さまざま城下町
 東横堀川に沿って南へ歩く。材木町の南に架かる久宝寺橋は、戦前の1939(昭和14)年に完成したコンクリート製のどっしりした構えで、照明灯もレトロで趣がある。江戸時代、橋の東は材木商が並ぶ材木町で、西は新町や道頓堀に近いから、小間物商らが住んでいたという。

 ところで、この辺には北や南、内が付く久宝寺の地名が残る。八尾にも久宝寺という地名があるが……。大阪案内人の西俣稔さんが言うには「秀吉が城下町を造ったときに、河内の久宝寺村から移住させたという説があるんです。城下町はあちこちから人を移動させて造ったわけで、伏見町は京都の伏見から、安土町は滋賀の安土から」。ここからさらに南の東平は、平野郷から移住したからだという。なんで東平が平野か?

 前の地名が東平野町と聞くと納得。

 川沿いを歩いていると、東側が上り坂になっている。上町台地の傾斜だ。すぐ東には、人形や花火などを扱うおもちゃ屋が並ぶ松屋町筋が通っている。「まつやまち」と読むが、大阪人は「まっちゃまち」と呼ぶ。ちゃんと読むのがまどろっこしいのだろう。人形屋のテレビコマーシャルでも「まっちゃまち」と言ってた。

 お次は安堂寺橋。こちらは1967(昭和42)年の架橋で、鉄製のブルーの欄干。まったく興をそそられない。そんな橋を手をつないだ男女が歩いている。その昔は男女が仲よう歩ける所やなかったようで。水運の要路で船着き場があり、船荷の上げ下ろしをする男たちがうろうろしていた。

 そんなころを描いた上方落語が「五人裁き」。女房の病気を治すために高い薬を買わねばならなくなった農家のおやじが、しょうことなく娘を新町の遊郭に身売りする。娘を売った大金を懐に、おやじが安堂寺橋に差し掛かる。ふと見ると酒屋がある。一杯飲まんとやってられん、と居酒、つまりは店先で飲ます立ち飲みはやってまへんと断る酒屋に腰を低うに頼み込む。

 酔うて店を出たところで、金を入れた胴巻きがないのに気付いて、血相変えて店へ取って返す。酒屋の番頭は胴巻きが落ちてるのに気付いて、とりあえず懐に入れてしまってたから、「ない」と言い張る。

 たたき出されたおやじは、西町奉行所へ訴え出る。お奉行は酒屋に「盗っ人が捕まり、大金を店に落としたと言うておる。よく調べよ」とのお達し。それを聞いた番頭は火鉢の中に胴巻きを隠し、それが見つかったと届け出る。一人の罪人も出さずに一件落着の名裁き−−。

 安堂寺の由来だが、元は安曇(あずみ)といった。西俣さんいわく「渡来人の安曇族が住んでいて、安曇の音が変化して安堂になったようです」。ここにあったお寺が安曇寺。西俣さんが続けて「安曇族は海洋族で、同じく安曇に語源を持つ地名に、熱海や渥美半島があります」。「続日本紀」にも「安曇江」が出てくるから、えらく古い地名なわけだ。【松井宏員】

249よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/16(木) 18:39:22 ID:m0PeJbmA0
八軒家浜で船渡御観覧 参加者募集、写真コンも予定
2011年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110616/20110616016.html

 大阪府は、7月25日にある天神祭本宮の船渡御を八軒家浜(大阪市中央区)で観覧する希望者の募集を始めた。約100隻が航行する船渡御を目前に見ることができる。観覧者が撮影した写真のコンクールも予定している。

 八軒家浜は大川左岸に位置する「水辺空間」で、京阪・地下鉄「天満橋」駅に隣接。

 写真コンクールは知事賞、優秀賞、特別賞を設け、受賞作品は9月下旬に八軒家浜内の川の駅「はちけんや」に展示する。

 観覧者の募集定員は約500人。対象は東日本大震災で被災した関西在住者か大阪府民で、1組5人まで。応募多数の場合は抽選となり、当選者に「参加証」を送る。無料。観覧時間は午後6時から同8時半まで。会場で花火の観覧はできない。

 観覧の応募は往復はがきかインターネットで、締め切りは30日必着。問い合わせは電話06(6910)8001、府民お問い合わせセンターへ。

250よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/16(木) 19:31:00 ID:m0PeJbmA0
2011年6月16日
6月16日は「和菓子の日」。
http://www.sankei-kansai.com/2011/06/16/20110616-054110.php

全国和菓子協会が制定した記念日で、この日に合わせてオリジナル商品を販売する和菓子店も少なくない。

堺は茶人である千利休の出生地ということもあり、歴史ある和菓子店が数多く存在する。

式部庵では、この和菓子の日に合わせて開発した新商品「笑わず餅」を販売している。北海道産大納言小豆を使用した葛寄せと和風のゼリーを2層にし、一口サイズの餅とうぐいす豆をのせた創作和菓子。湿度が高く暑くなったこの時期にぴったりの涼しさを感じることができる和菓子だ。1個200円で和菓子の日まで期間限定で販売している。

錦屋は北海道の農家から直接仕入れた小豆を使用した「錦どらやき」の販売に力をいれている。「錦どらやき」は今年4月に堺市優良観光みやげ品として推奨されたことをきっかけに堺の商人や包丁、港をイメージにしたパッケージの刷新を行った。どらやきはひとつひとつ手作りで焼き上げている。価格は10個入りで1250円。同店ホームページで購入ができる。錦屋店長の木野知則さんは「和菓子を通して堺のPRにつなげたい」と意気込みを語る。

問い合わせは式部庵(電話072・285・1659)
同社ホームページ http://www.shikibu-an.com/
問い合わせは錦屋(電話072・271・2015)
同社ホームページ http://shop.nisikiya.org/

251よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/16(木) 19:42:30 ID:m0PeJbmA0
2011年6月16日
棚田の"鏡"青空映す 千早赤阪村
http://www.sankei-kansai.com/2011/06/16/20110616-054087.php

 大阪・千早赤阪村の「下赤阪の棚田」で、田植えが終わったばかりの水田に、梅雨の中休みで現れた青空がまぶしく映しだされている=写真。

 同所は、山の斜面に約250の田んぼが連なり、国の「日本の棚田百選」に選ばれている。室町時代に開墾され、南北朝時代に楠木正成が棚田を見渡せる高台に下赤坂城を築造したとされている。

 田植えに合わせ水が張られ、独特の景観と雰囲気を醸し出している。期間限定の大きな“鏡”は、訪れた人たちの心も晴れやかにしてくれるよう。

252よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/16(木) 19:57:25 ID:m0PeJbmA0
道頓堀で恒例「船乗り込み」開催へ−歌舞伎役者が船で沿道にあいさつ
http://namba.keizai.biz/headline/1878/

 道頓堀の大阪松竹座(大阪市中央区道頓堀1)で7月3日から「七月大歌舞伎」が行われるのを前に、道頓堀川で6月29日、「船乗り込み」が行われる。

 「船乗り込み」は、歌舞伎に出演する俳優が船で川を巡り、川岸のファンらにあいさつを行う伝統行事。もともとは歌舞伎役者が京都や江戸から来阪する際に、川沿いを巡りながら、ひいき客らにあいさつし、道頓堀の芝居小屋へと乗り込んでいたもの。1979(昭和54)年に55年ぶりに復活して以来、毎年7月の大歌舞伎公演を前に夏の恒例行事として行われている。

 当日は、八軒家浜船着き場(京阪天満橋駅北側)で記念式典を行った後、歌舞伎俳優らがのぼりやちょうちんで飾り付けた船に乗り込む。東横堀川を南下し道頓堀川へと進み、15時20分ころに戎橋東側に到着。戎橋やとんぼりリバーウォークに詰めかけた歌舞伎ファンらを前に船上で口上を述べた後、下船し松竹座前に移動、大入り祈願の式典として、口上と公演の紹介、鏡開き、まき手ぬぐい、手締めを行う。

 大阪松竹座では現在、船乗り込みに同乗する一般参加者10組20人を募集している。往復はがきでの応募が必要で、応募者多数の場合は抽選(6月20日必着)。

253よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/16(木) 19:58:32 ID:m0PeJbmA0
大阪三大夏祭りの一つ「愛染まつり」、30日から開催へ−愛染娘もPR
http://abeno.keizai.biz/headline/98/

 大阪三大夏祭りの一つ「愛染まつり」が6月30日〜7月2日、寺院「愛染堂・勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)」(天王寺区夕陽丘町5)で開催される。

 「愛染まつり」は593年に聖徳太子が開いた日本最古の夏祭りといわれ、関西で最初に浴衣を着ることで別名「浴衣まつり」とも呼ばれる。愛染娘12人が宝恵(ほえ)かごに乗って谷町筋を練り歩くのが恒例で、境内で「かご上げ」が盛大に行われる。今年は初日に「あべのキューズモール」3階スカイコートで開会式、重要文化財・多宝塔で大法要が行われる。

 同寺院では期間中、「愛染かつらの花守り」「愛染娘はハローキティ」の販売、フルタ製菓から子どもにお菓子のプレゼント(連日100人)、宝恵かご体験やフラダンスなどの演舞大会、「摂州地車囃子(せっしゅうだんじりばやし)かずら」による蛇踊り付きの囃子などが繰り広げられる。周辺には250以上の夜店が並ぶ。

 愛染娘は、応募者309人から選ばれた19歳〜29歳の10人。留学生枠として清風情報工科学院の学生2人(今年はラオス人と中国人)が加わる。その中から1人を、1日に行われるミス愛染娘コンテストで選ぶ。歴代には現在タレントで活躍している人も多い。採用基準は美人コンテストと異なり、「より多くの人に福と愛を授けられる愛嬌(あいきょう)のある人」。宝恵かごの担ぎ手「愛染女組」「愛染男組」も用意する。

 6月16日9時には、愛染娘がマスコミ各社を訪ねるPR活動に出発した。

254よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/19(日) 12:18:17 ID:d4xk1O3o0
大阪市電とバス懐かしの風景展
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110619-OYT8T00092.htm

 日本で初めて公営の路面電車として開業した大阪市の市電などを紹介する特集展示「懐かしい市電とバスのある風景」が、大阪歴史博物館(大阪市中央区)で開かれている。

 大阪市の市電は1903年、市営バスは27年に営業を始め、市電は69年に全廃された。会場には、明治―昭和の写真やポスターなど約100点が並び、市民の足として利用された当時の様子が分かる。

 60年頃に撮影された写真「四ツ橋を走る市電」=写真、大阪市交通局所蔵=には、まだ埋め立てられていない長堀川や西長堀橋、吉野屋橋などが写り、川に沿って走る市電が確認できる。28年撮影の市営バスや、60年代のトロリーバスなどの写真もあり、背景に写った、現在と大きく異なる街の様子も楽しめる。

 25、26日午前10時30分〜午後4時には「鉄道模型ジオラマ大会」が開かれ、子ども向けの体験運転もある。

 7月4日まで。観覧料は一般600円、高校・大学生400円。火曜日休館。問い合わせは同館(06・6946・5728)。

(2011年6月19日 読売新聞)

255名無しさん:2011/06/19(日) 20:50:57 ID:YbjNa5hw0
YOMIURI ONLINE
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110619-OYO1T00173.htm?from=top

仁徳陵 パノラマ気球を検討…「かぎ穴」見せるアイデア浮上

 世界最大級の墳墓で、巨大過ぎて地上からは一望できない仁徳陵古墳(堺市堺区)の観覧のために、地元・堺市は、気球を浮かべたり、上空からの眺望を映すビデオ装置を周辺に整備したりする案を検討している。世界文化遺産登録に備え、「教科書で見た前方後円墳の〈かぎ穴形〉が想像できない」という観光客らの声に応えるためだ。わかりやすく見てもらうため、市民や専門家の意見を聞き、今年度中に整備方針を決める。

 同古墳は、百舌鳥・古市古墳群の一つとして昨年11月、世界遺産国内暫定リスト入りした。市は最短で2015年の登録を目指しており、そうなれば、国内外からの観光客が増えると見込む。

 しかし、墳丘の長さだけで486メートルと大きく、周辺に樹木が生い茂り、「森にしか見えない」という人が少なくない。

 市は「もっと古墳を知ってほしい」と対策を検討。気球案は、世界遺産近くに大きな構造物を設けるのは好ましくないとの配慮から浮上。隣接する公園などから百数十メートルの高さまで上昇して一望する。カンボジアの世界文化遺産アンコールワットでもやっている観覧方法だ。

 しかし、気象条件に左右される上、「墓を見下ろすのは失礼」との意見もあって、南隣の小さな古墳を復元して展望台代わりにする案も出ている。

 手軽な方法は、案内施設などでビデオを放映する案。鳥のさえずりや風を発生させる装置を組み合わせ、上空から古墳を眺めているよう疑似体験する装置も考えているという。

 阪南大学国際観光学部の吉兼秀夫教授(観光まちづくり論)の話「文化的・歴史的な背景を分かりやすく理解してもらうことが重要で、仁徳陵を核に古墳のある街全体を見てもらう仕組みを工夫してほしい」

(2011年6月19日 読売新聞)

256よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/20(月) 20:03:15 ID:ktpkOdJM0
『安土大坂時代』と正しく呼称される日が来る為の先駆けとなって欲しい。


マザコン豊臣秀頼、実際は1.8メートル精悍な武将 大坂城鎮守社に銅像建立へ
2011.6.20 14:53
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110620/art11062014570003-n1.htm

 関白家の家督を継ぎ、大坂夏の陣を経て自害した豊臣秀頼の復権を図ろうと、大阪城の鎮守神、玉造稲荷(いなり)神社(大阪市中央区)境内に秀頼の銅像が建立されることになり、10月の完成に向けて制作が進められている。一般にはひ弱でマザコンのイメージが強い秀頼だが、専門家の間では「実際は帝王学を学び、人望も厚かった」として再評価を求める声も。2年後に秀頼生誕420年、3年後には大坂冬の陣400年という節目を控える中、関係者は「大阪再興のきっかけにもなれば」と期待している。

 玉造稲荷神社は大阪城の三の丸だった場所にあり、秀頼と母の淀殿も参拝に訪れた。境内には、秀頼を出産した際の淀殿の胞衣塚(えなづか)や秀頼から寄進された鳥居が今も残っている。

 今年は大阪城天守閣復興80周年にも当たることから、神社では、ゆかりの秀頼を顕彰し、太閤時代の大阪のにぎわいを取り戻そうと、銅像の建立を計画。文化勲章受章者の彫刻家、中村晋也さん(84)に制作を依頼したという。

 像は、台座を含めて高さ5・3メートル。衣冠束帯姿の精悍(せいかん)な姿を蘇らせる。中村さんは、鹿児島県のアトリエで制作を進めており、「大阪のみなさんに、親しんでもらえるような秀頼像を作りたい」と意気込む。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110620/art11062014570003-n2.htm

 秀頼は、天下統一を果たして関白の位まで上り詰めた父、秀吉に比べて存在感が薄く、淀殿の強い庇護(かご)があったことからマザコンとみられがちだが、大阪城天守閣の北川央(ひろし)・研究主幹は「秀頼のイメージは、あくまで徳川史観に基づいたものだ」と異論を唱える。

 北川さんによると、実際の秀頼は、身長180センチ以上の堂々とした体格の持ち主で、幼い頃から帝王学を学び、頭脳明晰(めいせき)で人望もあった。史料「小須賀氏聞書(ききがき)」などには、京都・二条城で秀頼と対面した宿敵、徳川家康も、そうした面を認めていたことを示す記述が残っているという。

 「秀吉の像は各地にあるが、秀頼の場合、人生のほとんどを過ごした大阪がふさわしい。豊臣時代を見直す象徴になってほしい」と北川さん。玉造稲荷神社の鈴木一男宮司(63)は「淀殿の陰に隠れてひ弱という悪いイメージを払拭したい。銅像が、再び大阪の街を盛り上げるきっかけになれば」と話している。

257よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/20(月) 20:40:03 ID:ktpkOdJM0
初の同窓会 旧五条国民学校
2011年06月20日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001106200005

 1941年から47年まで旧五条国民学校(大阪市天王寺区)に在籍した人たちの同窓会が19日、母校の大阪市立五条小学校で初めて開かれた。戦後の混乱期で卒業生の名簿がなく、同窓会が開けなかったが、有志が地道に同窓生をさがして開催にこぎつけた。

 この日は旧五条国民学校と同校に46年併合された旧桃丘国民学校の同窓生約40人が参加した。

 冒頭、会を企画した大津市八屋戸、小泉潤さん(76)が「やっとここに帰って来た」とあいさつ。その後参加者たちは持ち寄った当時の写真や通知表を見ながら思い出話に花を咲かせた=写真。腎臓病を抱えながら東京都小平市から参加した嶋村浩二さん(77)は「ここが私の古里だ」と話していた。

 まだ連絡先が分からない同窓生も多く、同窓生は小泉さん(090・3728・9602)に連絡を。

258よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/20(月) 20:45:33 ID:ktpkOdJM0
愛染まつり:元気いっぱい、大阪の夏−−30日から /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110620ddlk27040186000c.html

 四天王寺支院・愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)(大阪市天王寺区)の「愛染まつり」を前に、浴衣姿の愛染娘ら約40人がPRのため、毎日新聞大阪本社(大阪市北区)を訪れた。

 愛染まつりは、天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つで、関西では一番早い夏祭りとして知られる。毎年、縁結びや商売繁盛を願う人々でにぎわい、今年は30日〜7月2日の3日間行われる。

 初日はJR天王寺駅から愛染堂までの道、約1・5キロを宝恵(ほえ)かごに乗った愛染娘らが男組に担がれ練り歩く恒例の「宝恵かご行列」があるほか、7月1日には「ミス愛染娘コンテスト」が午後7時から境内の禅堂で行われる。また、女組と呼ばれる女性8人のグループが、愛染堂の特徴や説明を交えた歌詞にあわせて歌って踊るイベントが開催期間中の3日間ある。午後6時30分〜午後7時。

 今年、新しく女組のメンバーの一人に選ばれた上田早織さん(20)は「元気いっぱい歌って踊りたい。愛染堂の魅力を身近に感じてもらえれば」と話した。【宮武祐希】

259よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/20(月) 21:06:55 ID:ktpkOdJM0
大阪大空襲から66年 “語り継ぎ部”育成が大事
2011年6月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110620/20110620015.html

 太平洋戦争末期の1945年、100機以上の米軍爆撃機による大阪大空襲は3月13日から始まり、終戦前日の8月14日まで計8回に及んだ。特に6月は大阪市内を中心に集中、多くの市民が犠牲となった。今年で66年。当時の様子を語る体験者が高齢となる中、大阪国際平和センター「ピースおおさか」(大阪市中央区)の専門職員、常本一さん(53)に継承の重要性や課題について聞いた。

 ▽「抗戦意思を破壊」

 −大阪の空襲被害は。

 「大阪への空襲は大小すべて合わせ50回を超えるといわれている。大阪府警察局が45年10月に出した統計によると死亡者は約1万2千人。ピースおおさかでは行方不明者3千人も合わせて亡くなった人は約1万5千人と解釈している」

 −大空襲にはどのような意味があったのか。

 「大阪には東洋一の規模を誇った大阪陸軍造兵廠(しょう)、通称砲兵工廠があったのだが、市街地に来た。これは市民の抗戦意思を破壊するため。ミナミは3月だったが6月1日に港湾地区、7日に北部を空襲し、これで市街地はほぼ焼けてしまった。残る工業地帯と造兵廠を狙ったのが6月26日の第5次だった」

 ▽“語り次ぎ部”

 −語り伝えることの意味を。

 「僕らの世代は親が空襲を知っていて、戦時中の苦しさ、貧しさといった基本的なことは普段の生活で学んでいる。しかし今の子どもは広島、長崎(の原子爆弾)はかろうじて知っているが、自分の住んでいる大阪の町が焼け野原になったことをピースおおさかで初めて知った人が結構いる。体験者がいなくなった将来、戦争の選択を迫られたとき、戦争を主張する政治家を容易に支持することになりかねない」

 −体験者は高齢だが、語り部の現状は。

 「最近になってやりたいという人が出てきていると聞く。教師が教えられないから需要があり、今まで黙っていたが人生の終わりに話したいと決意する人もいるようだ。ただ人前で話すことに尻込みする人も依然多い。われわれとしては話せるよう、語り部のサークルなどをつくる方向にもっていきたい」

 −伝承という意味でこれからの課題は。

 「今までは戦争を体験した人としてない人の関係だったが、これからは体験者の話をよく聞いて語り継ぐ“語り継ぎ部”をつくることが大事。語り継ぎ部の養成講座など、工夫しながら次へ伝えるムーブメントを作っていかないといけない」

 ▽写真集で啓発

 −ピースおおさかは「写真で見る大阪空襲」を今年3月に発行した。

 「去年の『写真で見る焦土大阪展』が好評で、1年遅れの図録というような位置付けで出した。伝えるために体験者の記憶を引き出すツールとしても有効。コラムやデータなどもあり平和学習につながる一冊なので、今までは懐かしいからと買い求めるお年寄りの人が多かったが、これからは教育現場などにもしっかり活用してもらえるように働き掛けたい」

 −子どもたちにどのように生かしてほしいか。

 「人災であれ天災であれ、そこにあるのは平和喪失性という一つの暴力。子どもたちにとって焼夷(しょうい)弾が落ちてくるというのはSFの感覚に近いと思うが、大阪大空襲の写真集を開き、知っているさまざまな災害の情景とつなげながら、考えを深めてほしい」

 ピースおおさかは、収蔵品展「焦土大阪II−絵で見る大空襲」を7月10日まで大阪市中央区の同館で開いている。大阪空襲の体験者らが被災状況を描いた絵画を中心に、写真や地図、文字パネルなど約100点を展示。実物資料として爆弾の破片や防空頭巾など約40点も並んでいる。

 午前9時半〜午後5時(入館は同4時半まで)。月曜、祝日の翌日休館(月曜が祝日の場合は、翌日の火曜は開館)。大人250円、高校生150円、中学生以下、65歳以上は無料。問い合わせは電話06(6947)7208、同館へ。

260よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/20(月) 21:15:08 ID:ktpkOdJM0
上田秋成・中井履軒の寄せ書き軸、80年ぶり見つかる
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110620-OYO1T00797.htm?from=newslist

 「雨月物語」の作者、上田秋成(1734〜1809)が、近世大坂を代表する学問所「懐徳堂」の学主で、儒学者の中井履軒(りけん)(1732〜1817)と寄せ書きし、行方不明となっていた軸が、約80年ぶりに大阪府東大阪市内で見つかった。大坂生まれの秋成は随筆で懐徳堂を取り上げているが、両者のつながりを示す物証は他になく、研究者の間で「幻の資料」とされてきた品だ。

 「秋成履軒合賛(がっさん)鶉(うずら)図」(縦52・5センチ、横54・5センチ=絹本着色)で、2羽の鶉を描いた土佐絵風の画(作者未詳)の左に秋成が和歌を、上に履軒が漢詩を書き、それぞれ落款がある。2人の字体などから1800年頃の作品とみられる。

 1934年に郷土研究誌「上方」に写真掲載された後、戦中戦後の混乱で所在不明のままだったが、昨秋、大阪で懐徳堂展が開かれた際、所蔵していた会社経営者から大阪大学内の懐徳堂記念会に連絡があり、このほど同会に寄贈された。

 秋成の実家は堂島の紙油商で、淀屋橋の南(現在の大阪市中央区今橋)にあった懐徳堂で学んだ可能性があるが、直接のつながりを示すものは、この軸以外にない。

 ただ、随筆「胆大小心録」では、「ごくもん所といふわる口を前からいふた。なるほど、ろくな弟子は出来ぬに、皆かねづかひの、しんたいはつぶれゝて若死」(「獄門所」だと以前から悪口を言った。ろくな弟子が来ず、皆金遣いの荒い、放蕩(ほうとう)で若死にするような人ばかり)などと痛烈な悪口をつづっていて、秋成の幽霊話や狐(きつね)つきの話を「癇症(かんしょう)やみの妄想」と否定する履軒に対し、猛反論するくだりもある。

 飯倉洋一・大阪大学教授(近世日本文学)は、「怪異小説を書いた秋成は、合理精神を旨とする懐徳堂とは相いれなかったが、力量を認めた相手だけを、辛辣(しんらつ)に評する側面もあった。仲の良さを示す軸は、その裏付けともなるものだ」と話している。

(2011年6月20日 読売新聞)

261よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/21(火) 20:55:06 ID:EIZ12OVI0
「節電の夏」へ健康祈願 茅の輪くぐり
2011年06月21日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001106210003

 夏を健康で乗り切ることを祈願する「夏越(なご)しの大祓(はらえ)式 茅(ち)の輪(わ)くぐり」が20日、御霊神社(大阪市中央区淡路町4丁目)で始まった=写真。30日まで。


 琵琶湖のヨシを束ねて作った茅の輪は直径2・5メートルで、本殿前につるされ、訪れた人たちは左回り、右回り、左回りに8の字にくぐっていた。同神社の園文夫宮司(61)は「今年の夏は節電できっと例年より暑さが厳しい。健康に過ごすために一度くぐりに来て」と話していた。

262よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/21(火) 21:18:33 ID:EIZ12OVI0
住吉大社で「なんでも鑑定団」収録へ−お宝・観覧者募集
http://abeno.keizai.biz/headline/101/

 住吉区は住吉大社1800年祭記念奉祝「すみ博」のイベントとして8月28日、同神社・吉祥殿で「出張!なんでも鑑定団in住吉」が開催される。

 テレビ東京系の人気バラエティー番組「開運!なんでも鑑定団」の公開収録となる同イベント。収録に先立ち、番組で鑑定する「お宝」(美術品、おもちゃなど)を一般から募集している。申込書は同区役所で配布。選考はテレビ東京の担当スタッフが行う。締め切りは今月30日。併せて、観覧者も募集。申し込みは往復はがきで受け付ける。締め切りは7月28日。

 「すみ博」は住吉区が推進しているイベントの総称で2007年に始まった。帝塚山音楽祭との連携も行っている。「今後は住吉大社周辺、帝塚山地域だけでなく、区内全域で『観光区』のコンセプトに加え、地域の活性化という趣旨をも含め、住吉区の代表的なイベントとして定着させていきたい」と同区担当者。

 詳細は同区のホームページで確認できる。

263よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/23(木) 22:21:27 ID:83SnSaZY0
15年ぶり担ぎ巡行 福島天満宮天神祭の「一番御輿」
2011年6月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110623/20110623025.html

 大阪市福島区の福島天満宮の天神祭(7月24、25日)を控え、福島天満宮八丁目西町会神輿(みこし)講が、宵宮の同24日に氏地を巡行する「一番神輿」の担ぎ手を募集している。担ぎ手の高齢化により長年、神輿を台車に載せて巡行していたが、「神輿は担ぐもの」と、約15年ぶりに担いでの巡行を決めた。

 福島天満宮の天神祭では、同講と隣の町会が交互に一番神輿の巡行を担当してきた。しかし担ぎ手の高齢化に伴い、15年ほど前から神輿を台車に載せるスタイルでの巡行となっていた。

 そんななか、今年同講の総代となった渡部基義さん(62)は「神輿はやっぱり担ぐもの」と、長年途絶えていた従来の巡行の復活を模索。地元の協力を得て、新たに担ぎ手を募集することになった。福島聖天通商店街に担ぎ手を求めるチラシを掲出するなどして、参加を呼び掛けている。

 担ぎ手の参加条件は地元の福島八丁目町会在住か出身の人、または町会に関わりがあり団体行動と安全巡行を約束できる人。申し込みには1人2500円が必要(地下足袋代など含む)。

 当日は午後0時半に上福島小学校に集合。同1時に巡行がスタートし、夕方に福島天満宮に宮入りの予定。かつて神輿を担いだ経験があり、今回の担ぎ手募集に携わる同商店街の米原徹副理事長(67)は「神輿を担いで楽しかったことを、若い人たちにも経験してもらいたい。40人は集めたい」と意気込む。

 渡部総代は「祭りに参加することで世代を超えて地域が一つになれる。次の世代に神輿の伝統を引き継いでいきたい」と参加を訴える。

 担ぎ手についての問い合わせまたは参加の申し込みは30日までに、電話090(3700)1613、米原副理事長へ。

264よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/23(木) 22:35:29 ID:83SnSaZY0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/212 末吉橋 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110623ddlk27070398000c.html

 ◆大阪市中央区

 ◇橋をくぐれば別世界 昭和初期、先進的なデザイン
 東横堀川に沿ってさらに南へ歩く。長堀通に架かる末吉橋をひとくさり、する前に大阪案内人の西俣稔さんが東を指す。松屋町交差点の先で、長堀通が北にクイッと曲がってる。「明治末、長堀通に市電が通って拡張された時、当時の有力者のお屋敷があったんで、通りを曲げさせたらしいです」。本町の曲がりに、この曲がり。いろんな曲がりがあるもんだ。

 さて末吉橋。1927(昭和2)年にできたコンクリート製のなかなかどっしりした橋なのだが、長堀通の交通量が多いせいか、なんだか薄汚れた印象しか残らないのが残念だ。

 しかし、以前にも紹介したが、川を船で走った時に見た橋の裏側は、実に印象深かった。確か鋼鉄でできていて、継ぎ目がびょうで打たれている。それが近未来的でかっこよく、昭和初めの誕生と聞くと、恐れ入りました、と先人に素直に頭を下げたくなる。写真のように、船で橋をくぐると、水面にその裏側が映って、まるでだ円形の窓から向こう側をのぞいているかのよう。ちょっと面白いのだが、向こう側には阪神高速の橋脚が連なっていて、あんまりいい眺めではない。

 その末吉橋、「末吉孫左衛門の別邸が西詰めにあったからです」と西俣さん。末吉孫左衛門は中世に環濠(かんごう)都市として栄えた平野郷(今の平野区平野本町あたり)の豪商。平野郷は、織田信長がいまの大阪城のあたりにあった石山本願寺を攻めたとき、同じ自治都市の堺と手を結んで信長と戦おうとしたほどの自立心旺盛な土地柄だった。

 末吉孫左衛門は、徳川の世に朱印船でフィリピンなどと交易し、末吉家の朱印船は末吉船と呼ばれた。なんとなれば、大坂の陣では豊臣方につかず、戦況有利とみて徳川方についたから。

 大坂のくせに江戸に味方するとはけしからん、などと怒るなかれ。機を見るに敏、先を見通す目があったからこそ、為政者が替わっても巨富を得て、後世に子孫を残すことができたのだ。これぞ商人の本領。今も末吉家は平野郷に続いている。ほかにも徳川方についた商人はいた。

 そもそもは末吉孫左衛門が架けた橋で、孫左衛門橋といったようだ。長堀通は市電を通すために拡張されたのだが、かつては末吉橋通といったそうだ。「平野郷が大坂の中心部を支えてたんです」と西俣さん。前回も少し触れたが、豊臣秀吉が大坂城の城下町を建造したとき、平野郷からも商人たちを移住させた。それが東平(旧町名は東平野町)だ。【松井宏員】

265よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/23(木) 22:37:59 ID:83SnSaZY0
船渡御観覧に被災者優先招待
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110623-OYT8T00103.htm

 天神祭の「船渡御(ふなとぎょ)」をゆっくり楽しんでもらおうと、府は7月25日、大阪市中央区の大川河畔にある八軒家浜(はちけんやはま)に観覧スペースを特設する。今年は東日本大震災の被災地からの避難者や旅行者らを優先的に、一般府民も合わせて計500人を招待する。

 ちょうちんやのぼりで飾った約100隻の船団が、鳴り物を響かせながら行き交う「船渡御」は、天神祭のクライマックス。府の観覧スペースは、船団の出発・折り返し地点の対岸にあたる「特等席」という。

 関西に避難していたり、親類や知人がいたりする人はもちろん、この時期に旅行などで大阪を訪れる被災者も招待の対象。1組5人までのグループで、往復はがきかホームページ(http://www.pref.osaka.jp/toshimiryoku/project2011)から申し込む。締め切りは6月30日(必着)。

 詳細は「府民お問い合せセンター」(06・6910・8001)へ。

(2011年6月23日 読売新聞)

266よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/26(日) 14:15:11 ID:ZBqqIDa20
30日に「宝恵かご」練る ミスコンや演芸大会も
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/hibi100sen/110625/20110625045.html

 大阪に夏の訪れを告げる、愛染(あいぜん)堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区夕陽丘町、山岡武明住職)の「愛染まつり」。天神祭、住吉祭と並ぶ「大阪の三大夏祭り」の一つで、今年も30日から7月2日の3日間、「宝恵(ほえ)かご」のパレード(30日)やミス愛染娘コンテスト(1日)、演芸大会(連日)などでにぎわう。

 同寺院は593年に聖徳太子が建立。同年から夏に向けて健康に過ごせるようにと行われている「夏越のおはらい」を受け継ぐ。本尊の愛染明王は良縁成就や商売繁盛の御利益があるとされ、縁結びなどを願う人が多く訪れる。

 祭りを盛り上げるのが「宝恵かご」のパレード。同院によると、昭和初期に新町の揚屋、茨木屋が江戸時代に芸者がかごに乗ってお参りしていた様子を再現しようと始めた。戦後も市内の芸者で継続していたが、現在はオーディションで選ばれた浴衣姿の愛染娘が乗り込む。

 今年はあべのキューズモールで開会式を行い、午後2時にスタート。地元の有志らでつくる「愛染男組」がかごを担ぎ、JR天王寺駅前−同院の谷町筋約1・5キロを「愛染さんじゃー、べっぴんさんじゃー」と掛け声を響かせながらにぎやかに練り歩く。

 祭り期間中は、かごを境内で一般公開しており、写真撮影などができる。7月1、2日は午後1時、同3時、同5時の3回、男組の担ぐかごに乗る催しも行われる。

267よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/26(日) 14:47:45 ID:ZBqqIDa20
2011年6月26日
奈良〜平安時代のロマンに触れる 池上曽根ウオーク
http://www.sankei-kansai.com/2011/06/26/20110626-054524.php

 大阪府の和泉、泉大津両市でつくる池上曽根史跡公園協会などが主催する歴史散策「弥生以後の池上曽根を歩く」の一環でウオークイベント「都びとゆかりの地を歩く」が25日、両市内で行われた。地名の「和泉」の由来になったとされる「和泉清水」がある泉井上神社(和泉市府中町)を出発点に約5キロを歩き、奈良・平安時代をうかがわせる地域の風景の一端に触れた。

 一行は泉井上神社を歩いたあと、和泉国府が置かれていたとみられ、その跡を示す石碑が建っている和泉市府中町の御舘山児童公園、泉井上神社とともに泉州五社総社として地域を代表する神社に数えられた泉穴師神社(泉大津市豊中町)などをめぐり、地域の歴史にさまざまな思いをはせていた。

268よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/26(日) 15:02:25 ID:ZBqqIDa20
復興祈り人形浄瑠璃 能勢「鹿角座」5周年記念公演 大阪
2011.6.26 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110626/osk11062602030000-n1.htm

 ■東北3県特産品販売も

 浄瑠璃の人形も支援しています−。「能勢人形浄瑠璃鹿角(ろっかく)座」の旗揚げ5周年を記念する公演が25日、能勢町の「浄るりシアター」で始まった。東日本大震災からの復興を支援しようと特産品コーナーも設けられ、一座の人形が来場者たちに協力を呼びかけた。26日まで。

                   ◇

 公演では、男女2体の人形が、能勢町内の名所や祭り、特産品などを織り込んだ浄瑠璃をリズミカルに演じて踊り、地域の発展を祈る「能勢三番叟(さんばそう)」でにぎやかに幕開け。続いて、牛若丸と弁慶が京都・五条橋で出会い、主従の約束を交わす「鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)〜五条橋の段」と、若い恋人のすれ違いの物語「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)〜宿屋の段/大井川の段」が情感豊かに披露された。

 「五条橋の段」は、太夫、三味線、人形遣い、囃子(はやし)のすべてが「こども浄瑠璃」のメンバーで演じられ、約500人のファンから大きな拍手を浴びた。

 玄関ロビー脇に設けられた大震災復興支援のコーナーには、福島、宮城、岩手3県の特産品が並び、人形も駆けつけて「よろしくお願いします」とアピール。一座は、入場券の売り上げの一部などと合わせ、義援金を東日本に送るという。

 「能勢の浄瑠璃」(国の無形民俗文化財)は200年の歴史があるとされ、当初は太夫と三味線による「素(す)浄瑠璃」だった。その後、人形と囃子を加えた人形浄瑠璃になり平成18年、町制施行50周年を記念して劇団「鹿角座」を旗揚げした。座員は主婦とOL、教師、会社員ら大人41人と子供23人。人間国宝の竹本住大夫さんや吉田簑助さんらの指導を受けて練習に励み、出張公演にも飛び回っている。

 問い合わせは「浄るりシアター」((電)072・734・3241)。

269よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/26(日) 19:34:49 ID:ZBqqIDa20
「愛染娘」が駅改札口でお出迎え
http://www.kotsu.city.osaka.jp/news/news/h23/110620aizen-musume.html

 交通局では、駅改札口での「愛染娘」によるお出迎えを実施いたします。

この取り組みは、駅の賑わいを創出するとともに地下鉄のご利用を促進するため、

愛染堂勝鬘院のご協力を得て、試験的に実施するものです。


○場所  四天王寺前夕陽ケ丘駅 南西改札(5号出入口付近)

○日時  平成23年7月1日(金)、2日(土) 17時00分〜18時00分頃


※ 愛染娘は愛染まつり期間中に、マスコミ表敬訪問や
  境内にて愛染まつりをPRする為に結成される浴衣娘。


※ 都合により時間等を変更する場合があります。

270よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/06/27(月) 06:07:46 ID:QK6avfQQ0
陸軍墓地の調査で戦争を学ぶ
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003720581.html

大阪・天王寺区の旧真田山陸軍墓地で、墓碑の調査を通じて戦争について学ぶ大学の授業が開かれました。
この授業は桃山学院大学の非常勤講師、横山篤夫さんが4年前から行っているもので、約50人の学生が集まりました。
教室となった旧真田山陸軍墓地は日本で最初に設置された陸軍の墓地で、西南戦争から太平洋戦争までの間に戦死した兵士ら5000基を超える墓が並びます。
学生たちは階級によって墓の大きさが違うことを聞いたり、納骨堂で行われている調査の様子を見学したりしたあと、墓碑の調査に取りかかりました。
学生たちは墓の前にたって名前や所属部隊、死亡した時の状況などを記録したほか、墓の大きさなどを調べていました。
学生のひとりは「最初は墓場で授業かと心配でしたが、私と同じ年代の人たちが戦争にかり出されて戦死したことがわかりました」と話していました。
授業を担当する横山篤夫さんは、「墓碑には歴史的な価値があり、学生たちに戦争について身近に考えてもらうきっかけにしたい」と話していました。
学生たちは、今後墓碑に書かれた人物や時代背景などを調べたうえで、リポートにまとめるということです。

06月26日 22時08分

271名無しさん:2011/06/27(月) 09:03:53 ID:WLRvktcQ0
大阪ええトコ再発見 初心者のための上方伝統芸能ナイト 

2011年6月26日

ダイジェストで楽しめる
初心者にとって「長くて難解」というイメージの能もコンパクトに楽しめる
来場者が舞台上で体験できるコーナーもあり、上方伝統芸能がますます身近に感じられる

 能、狂言、文楽、上方舞、講談、上方落語、浪曲、お座敷遊び…大阪を代表する伝統芸能でありながら、興味はあっても敷居が高く、鑑賞に踏み出せないという人は多い。そんな上方伝統芸能の魅力を「いいとこどり」で気負うことなく楽しめるのが「初心者のための上方伝統芸能ナイト」だ。

 鑑賞するだけだった能楽を豊臣秀吉が自ら舞い楽しんだことから、見るだけでなく自ら演じて「たしなむ文化」が大阪では醸成されてきた。しかし、時とともにその文化も廃れ「お笑いとたこ焼きだけの街というイメージに成り下がりつつあるのでは」と危惧した山本能楽会が企画を立ち上げ、2008年4月に開始。毎月第1・第3土曜日に山本能楽堂で開催している。

 多彩な上方伝統芸能の面白いハイライト部分だけを15分のダイジェストで楽しめるのが魅力。初心者を対象にしているため、上方伝統芸能に詳しい落語家による司会と解説、来場者の体験コーナーなどを盛り込み、楽しく理解を深められるようにした。伝統芸能に触れた経験の少ない地元の若者が勤め帰りに足を運べるように、軽食を用意するなど細心のもてなしで迎える。

 鑑賞をきっかけに各芸能に興味を持つ人も多い。演者同士でもこれまでになかった横のつながりが生まれ、コラボレーションが行われるなど新たな文化生成につながっている。豊かな文化が集積する「日本で最も文化の香り高いまち」という本来の大阪の姿が、同イベントをきっかけに着実に見えて来つつある。

 【メモ】
 山本能楽堂‥大阪市中央区徳井町1の3の6、電話06(6943)9454
 次回は7月2日午後6時開演。「夏の夜空編」と題し、講談、浪曲、落語、能を上演する。チケットはSエリア4500円、Aエリア4000円、Bエリア3500円。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/eetoko/110626/20110626028.html

272名無しさん:2011/06/28(火) 21:05:55 ID:1dusWSDI0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110628/20110628022.html
7月9日「浪花の映画事始め」 貴重な映像2本上映
2011年6月28日
 大阪市中央区の大阪歴史博物館で7月9日午後2時から「浪花の映画事始め」と題した上映会が行われる。1930年代の懐かしい大阪の街を映した貴重な映像「大阪百景」(30分)と、1933(昭和8)年に大阪で撮影された日活のサイレント映画「僕らの弟」(春原政久監督。56分)を上映。7月23日〜9月2日に大阪・九条のシネ・ヌーヴォで開催される「浪花の映画大特集」を記念しての特別イベント。

 「大阪百景」は大阪駅、御堂筋、中之島、安治川河口、大阪城、道頓堀、通天閣、商工祭、水都祭、カフェー丸玉など昭和初期に撮影された大阪の情景や風物を紹介。モダンな建築、レビュー、カフェーなど経済、文化、芸術が花開いた黄金期「大大阪」を映した映像集だ。大阪芸術大教授の太田米男さんが解説する。

 「僕らの弟」は大阪・四貫島小学校であった実話を基に現地でも撮影敢行。貧困の中でひたむきに生きる子どもたちとそれを支える社会をリアリティー豊かに描く。後に「三等重役」などを撮った名匠・春原政久監督のデビュー作。関西唯一の活動弁士・井上陽一さんの活弁付き。

 入場料=前売り1400円、当日1700円。問い合わせは電話06(6582)1416、シネ・ヌーヴォへ。

273名無しさん:2011/06/30(木) 20:52:53 ID:6sXyerKs0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110630/20110630015.html
にぎやかに「船乗り込み」 大阪夏の風物詩
2011年6月30日
 歌舞伎の人気俳優が大阪市内の河川を巡る大阪夏の風物詩「船乗り込み」が29日、天満橋の八軒家浜から出発し大川−東横堀川−道頓堀川のコースで古式ゆかしくにぎやかに行われた。

 7月3日に開幕する「七月大歌舞伎」(27日まで)の出演者、片岡仁左衛門さん、秀太郎さん、孝太郎さん、愛之助さんらが浴衣姿で乗り込んで「松嶋屋!」の声が歌舞伎ファンの間で飛び交った。

 仁左衛門さんは終点の戎橋のとんぼりリバーウォークで下船し松竹座へ直行。劇場前に詰め掛けたファンに「今年は“関西・歌舞伎を愛する会”の20回記念になる公演。浪速の暑さを吹き飛ばすような楽しい舞台にしますのでぜひお出かけください」とあいさつ。続く中村時蔵さん、坂東三津五郎さんらも「今年の大阪は暑い」と噴き出す汗をぬぐいながら手を振って公演の成功を誓っていた。

274名無しさん:2011/06/30(木) 21:51:05 ID:6sXyerKs0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110630/osk11063021240022-n1.htm
華やか「宝恵かご行列」 大阪で夏告げる「愛染祭」
2011.6.30 21:15

 大阪に夏の訪れを告げる「愛染(あいぜん)祭」が30日、大阪市天王寺区の四天王寺の支院・勝鬘院(しょうまんいん)愛染堂で始まり、公募の愛染娘を乗せた名物「宝恵(ほえ)かご行列」が沿道を練り歩いた。

 6台のかごに浴衣姿の愛染娘が乗り込み、笛や太鼓のリズムに合わせ、担ぎ手らが「愛染さんじゃ」などと声を張り上げながら、JR天王寺駅周辺から愛染堂を目指した。境内到着後は、愛染娘を乗せたままかごを高々とかかげる「かご上げ」が盛大に行われ、祭りを盛り上げた。

 愛染祭は、天神祭、住吉祭と並ぶ大阪の三大夏祭りの一つ。愛染祭を機に女性が浴衣を着始めるため「浴衣まつり」とも呼ばれている。祭りは7月2日まで続き、縁結びや商売繁盛などを願う人でにぎわう。

275名無しさん:2011/07/01(金) 06:36:09 ID:6sXyerKs0
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110701-OYT8T00088.htm
象山の櫓時計 動いた

 幕末の思想家・佐久間象山(1811〜64年)が使ったとされる江戸時代の櫓(やぐら)時計の修理が終わり、30日、再び時を刻み始めた。西洋の時間制に改造された江戸時代の時計は珍しく、保管先の高槻市立しろあと歴史館(城内町)で16日から公開される。

 同市内の美術品愛好家が1990年に市に寄贈。高さ87センチで、おもりが下がる力で歯車を動かし、毎正時や設定した時刻にかねが鳴る。時計の針は24時間で1周し、おもりを手動で上げることで約12時間動き続ける。

 18世紀に作られた和時計を19世紀半ば、西洋にならって24時間制の時計に改造しているという。「午(うま)」など十二支の文字が書かれていたとみられる文字盤を洋数字にし、世界地図を描いた七宝焼も施されている。

 同館によると、佐久間家の家紋が入っているほか、「佐久間象山先生 時計」の貼り紙があることなどから、象山が西洋風に改造させて愛用した時計とみられるという。

 今年になって、和時計研究家の澤田平さん(76)(大阪市東成区)が鑑定したところ、修理すれば動くことがわかった。約120点の部品を分解、おもりのひもを新調したほか、鉄製歯車のゆがみなどを直すと、「カチカチ」と音をたてて動きだした。毎正時に「カーンカーン」というかねをたたく仕掛けもうまく動いた。澤田さんは「時計が動いたことで文化財としての価値も上がり、うれしい」と話していた。公開は8月28日まで。問い合わせは同館(072・673・3987)。

(2011年7月1日 読売新聞)

276名無しさん:2011/07/01(金) 23:20:44 ID:KE4DzwJ60
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110701/20110701020.html
待ってました浴衣美人 愛染まつり始まる
2011年7月1日
 夏祭りの始まりだ!−。大阪の祭りシーズンのトップを飾る「愛染まつり」が30日、大阪市天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)で始まった。祭りに花を添える「愛染娘」らが、宝恵(ほえ)かごから笑顔を振りまき、道行く人に夏到来を告げた。2日まで。

 この祭りから浴衣を下ろすことから「浴衣まつり」などとも呼ばれる大阪三大祭りの一つ。あべのキューズモール(同市阿倍野区)にキャンペーンガールの愛染娘ら12人が黒地にピンクの花模様の浴衣姿で登場した。

 愛染娘らは六つのかごに分乗し、初日恒例の「宝恵かごパレード」へ出発。公募の担ぎ手チーム「愛染女組」「愛染男組」らと「愛染さんじゃ宝恵かご、べっぴんさんじゃ宝恵かご」の掛け声とともに約2キロ先の勝鬘院を目指して谷町筋をにぎやかに練り歩いた。境内では活気に満ちたかご上げが披露された。

 期間中、本堂の秘仏「愛染明王」や多宝塔の「大日大勝金剛尊」が特別開帳されるほか、宝恵かご体験コーナー、浴衣の参詣者へ数珠腕輪プレゼント(各日先着100人)、「ミス愛染娘・愛嬌(あいきょう)コンテスト」(1日午後7時から)などが予定されている。

277名無しさん:2011/07/01(金) 23:27:05 ID:KE4DzwJ60
http://mainichi.jp/kansai/news/20110701ddn041040013000c.html
愛染まつり:夏の風物詩−−大阪

大阪三大夏祭りの一つで、関西で一番早い夏祭りとして知られる「愛染(あいぜん)まつり」が30日、大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)で始まった。2日まで。

 呼び物の「宝恵(ほえ)かご行列」は、JR天王寺駅前から出発し、愛染堂までの約1・5キロを約1時間かけて練り歩いた。宝恵かごに乗った浴衣姿の12人の愛染娘らが、男組らに担がれ「べっぴんさんじゃ」「商売繁盛」などの掛け声と共に見物客らに愛嬌(あいきょう)を振りまいた。到着後、境内で宝恵かごに乗った愛染娘らが高々と担ぎ上げられると、歓声と拍手がわき起こった。【宮武祐希】

278よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:23:29 ID:2romIYFg0
7月「夏祭りのご馳走」
http://www.kuidaore-osaka.com/jp/starting_point/senba/7_2.html

江戸時代、大坂の町、すなわち大坂三郷の、内にあった氏神さんの夏祭りは、6月(現在は7月)に集中していました。旧暦6月は大坂の祭り月でした。

船場安土町の水落家の氏神さんは、現中央区久太郎町4丁目の坐摩神社です。ふつう、「ざまさん」と親しみを込めて呼ばれます。水落家の「行事帳」(文政6年:1823年)から、6月22日坐摩神社御祭礼の献立を見てみましょう

「 六 月
御祭禮  廿二日
右神事、御客仕来りなし、内祝之酒肴、少々手當有、
尤、膳部者四五人前手當、是ハ臺所客ハぜひ有之候故なり
献 立
朝  平  (薄くず)なすび    汁  見斗   めし
昼  鱠  はもかハ、白うり、しそふ    汁  はも摺りながし
平皿  (ゆ)すり身油上ケ、ねき  焼物  (塩やき)あじ」
これによると、水落家では、坐摩さんの夏祭りの日に特別にお客さんを招いて接待するというようなことはなく、内らでお祝いする酒肴を少々用意するだけだったようです。しかし、台所へ伺いに来るお客さんはきっとあるから、お膳は4、5人前用意しておくとあります。献立は、夏祭り、晴れの日ですから、ご馳走です。

朝は、ふだんはお茶漬けとお漬物(おつけもん)のところ、お平とおついがついています。一日に一回、昼に御飯を炊く水落家では、お昼がお祭りの御馳走、は もの料理です。といっても、私たちがすぐ思い浮かべる「はものつけ焼き(照焼き)」は、まだ登場していません。焼き魚は、あじの塩焼きです。

現在、夏祭りの宵宮にあじの塩焼きを、本祭りの日にはもを食べるお家もあります。鱠に、はもの皮の和え物、汁は、はものすり流し、お平には、(はもの)すり身の油揚げ、とはもづくしです。はものすり流しは、はもの身を包丁でたたいてから、すり鉢で充分にすり、お出しでのばして、火にかけます。これは、はも がよっぽど新鮮でないとおいしくないと思われます。雑喉場魚市場がひかえた大坂の町ならではのお料理です。
夜については、記載がありません。夜はふだん通りのお番菜だったのでしょう。

279よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:24:42 ID:2romIYFg0
>>278

水落静さんに、昭和初期の坐摩さんの夏祭りのお話をお聞きしました。坐摩さんの夏祭り(7月21日・22日)の日、家の表には、上が白、下が浅葱(水色)に染め分けられた幕を張ります。上の白い部分に「抱き茗荷」の紋(水落家の家紋)が黒で染めてあります。門口に は、男の子の数だけ子祭の提灯が立てられました。水落家は男の子が二人なので、子祭を2張立てました。子祭の提灯は非常に高価なものだったということです。ふつう、船場で商売をしている商家では、家宝の屏風を店の間に飾るのですが、その当時水落家はすでに商売をやめて、多くの家作と財産で裕福に暮らす仕 舞屋(しもたや)で、表が格子づくりになっていましたから、屏風を飾るということはされなかったそうです。お祭りの日、朝早くに男衆(おとこし)さんが、 献湯料と御膳料を坐摩神社へ奉納しに行きます。坐摩さんでは、朝から「お湯」と言われる献湯神事が行われるからです。家族はそろって夕方からお参りに行き ました。

さて、そのころのお祭りの御馳走は次のようです。

・宵宮の昼(7月21日)
冷やそうめん、お澄まし(白天 越瓜のつらら)
・本祭の昼(7月22日)
「森吉」から、はものつけ焼きをとる

家では、おなま、はもの皮ときゅうりのざくざくを用意する
「森吉」は、安土町の水落家の近くにあった船場屈指の料理屋です。「森吉から取るはものつけ焼きほど、おいしいものはなかった」と、かつて、静さんの御主人九代目水落庄兵衛さんが述懐されました。おなまは、大根のなますのことで、船場の年中行事の日の献立にはかならずつきました。

280よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:25:58 ID:2romIYFg0
>>278>>279

白天とかいわれ菜のおつい

水落家の献立では、白天と越瓜のつらら(注1)のおついとなっていますが、夏祭りの時、船場で一般的に出されるのは、白天と貝割菜のおついです。水落家で も、越瓜のつららをおついに入れるのは、お上(主人家族)だけで、女中さんらはおねぎを一寸ぐらいに切ったのを入れました。これは、お家さん(注2)がお ねぎを嫌われたために、越瓜のつららに替わったそうです。
白天とかいわれ菜のおついは、お澄ましのおついにするお家と、おついがちょっと多めの煮物にするお家があります。

ここで、白天について、考えてみたいと思います。
大阪では、魚のすり身を油で揚げたものを「てんぷら」といいます。いわゆる「薩摩揚げ」のことです。その中で、白い、平べったい円形のてんぷらを白天と呼んでいます。白天の中には、刻んだ木耳が混ぜ込まれています。白天のおいしさと木耳の歯触りが抜群の相性です。この白天は、大阪地方にのみ存在するたべものなのです。京都の祇園祭の御馳走もはも料理ですが、白天とかいわれ菜のおついは出てきません。大阪の蒲鉾屋さん、「大寅」、「北浜ますせん」、「和田八」、などの老舗では、それぞれに工夫をこらした、おいしい白天を販売しておられます。

白天は一体いつごろから、大阪で食べられてきたのでしょうか。なかなか史料が見つかりませんでしたが、上記水落家の「行事帳」の祭礼献立こそ、白天の証拠となると思います。

平皿  (ゆ)すり身油上ケ、ねき

のところです。(ゆ)は柚のことです。ここには「すり身」油揚げとあるだけで、はものすり身であったかどうか分かりません。ところが、幸い、水落家にはもう一冊、さらに古い「文化二年(1805)十二月」と記載のある「行事帳」(注3)が残されており、そこには

平   はもすりみ、 わりねき

と 出ていて、はものすり身であったことがわかります。はものすり身の油揚げなら、まさしく白天です。このお平は、ねぎといっしょに盛りつけされていますか ら、煮物だったかもわかりません。わりねぎとは、勝手な解釈ですが、おねぎを焼いたり煮たりしたとき、白い部分の熱い中身が飛び出して口の中をやけどした りしないように、あらかじめおねぎに切目を入れたのではないでしょうか。

281よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:26:54 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280

『守貞謾稿』(注4)では、京坂では半平の胡麻油揚げをてんぷらというとしています。また、江戸の摘入は京坂には 無いが、鱧肉をすりて、之を制(製)することがあり、常には売らず、多くは自製であったとしています。はものすり身を油で揚げた白天が蒲鉾屋さんの店頭に ならぶようになるのは、もう少し時代が下ってからのことでしょうか。

いつ頃から、白天に木耳を混ぜるようになったのか、また、白天とかいわれ菜がセットになったのか、というような点については、史料が確認できませんでした。しかし、とにかく、白天に木耳を混ぜ込んだ人と、白天の相方にかいわれ菜を考えついた人は、天才です。

白天をはじめ、赤天、牛蒡天、各種野菜や、タコ、イカの入ったてんぷら、など、大阪の「てんぷら」は、大阪人が作って、育んできた、大阪の誇る食の文化財だと思います。

(注1)越瓜のつららとは、越瓜を桂むきをして、くるくる巻いて,小口から切ったもので、氷柱に見立てたのか、あるいは、つらつら(ならびつらなるさま)が約まった言い方なのかもしれません。
(注2)船場では、当主夫妻を「旦那さん、だんさん」、「御寮人さん」と呼び、当主の両親を「親だんさん」、「お家さん」と呼びます。お家さんは、つまっ て、「おえさん」と発音することが多いようです。親だんさんが、隠居すると、「御隠居さん」と呼ばれることもあります。
(注3)水落家の文化2年の帳面は、後に張り混ぜて作り直したものであり、内容も文政6年の「行事帳」の方がくわしいので、「船場の料理 12ヶ月」では、文政6年の「行事帳」をもとにして、話を進めています。
(注4)喜田川守貞が、江戸時代の江戸、京、大坂の風俗について、記した考証的随筆。天保8(1837)年ごろから書き始め、慶応3(1867)年ごろまで、追記、追考を重ねたということです

282よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:28:09 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280>>281

天神祭の歴史

鉾流神事
当宮鎮座の翌々年の天暦5(951)年に鉾流神事が始まったと伝えられます。これは社頭の浜から神鉾を流し、その漂着した地を斎場と定めて、そこに神様を御迎えする神事です。

鉾流神事は、鉾に託して「穢れ」を祓うとともに、年に一度、神様が氏地を巡見されるという意味合いも持っています。この神様のお出ましを奉祝するために「天神祭」が始められたのです。

ところが、寛永21(1644)年の還御後は、常設の斎場(御旅所)が設けられたため、鉾を流す必要がなくなり、神事は途絶えてしまいました。しかし、昭和5(1930)年に至って鉾流神事が復活され、現在も古式ゆかしく斎行されています。

陸渡御
神様に氏地の平安を御覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが陸渡御・船渡御の始まりです。陸渡御列の中心は、神霊を奉安する御鳳輦ですが、この前後を催太鼓や神輿、神具、牛車、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。

かつての氏地各町では、地車(だんじり)を曳いて神様の渡御を悦びましたが、安永9(1780)年には八十四輌もの地車が宮入りした記録があります。現在では、一輌だけ残った三ツ屋根地車が渡御列に御奉仕しています。

船渡御
江戸時代には、氏子・崇敬者の仕立てた数多の船が、舳先に御迎人形を立て、意匠を競って船体を飾りたて、御旅所へ御迎えの船列を整えました。昭和12(1937)年の船渡御列は、二百艘に達したといいますが、現在は警備の都合もあり、約百艘に制限しています。

昭和28(1953)年、地盤沈下により橋桁が下がって船列の航行に支障が生じたために、それまでとは逆方向に大川を遡行するというコースの大変更を行い、現在に至っています。

283よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:29:40 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280>>281>>282

【天神祭祭儀一覧】

二十二日
伏見三十石船献酒祭 午後二時〜三時於本殿
ドラゴンボート国際選手権 午前八時〜四十五分

二十三日
天神祭前夜祭ツイン及びOBP地区 午後五時〜八時
御羽車巡行 午前十一時〜午後三時半於 天二〜天六
包丁式(京繁協友会) 正午於 本殿
ギャル神輿宮入り 午後四時頃

二十四日 宵宮
宵宮祭 午後四時於 境内
午前七時四十五分於 本殿
流し神事(神鉾講) 午前八時五十分於 鉾流橋畔

二十五日 本宮
夏大祭 午後二時於 本殿
神霊移御祭 夏大祭に引き続き本殿にて斎行
陸渡御 午後四時半
船渡御 午後六時 出発
水上祭
帰着 先頭 午後八時
天満宮還御 午後九時五十分
還御祭 午後十時於 本殿
花火 午後七時於 川崎公園於 桜宮公園

天満宮のホームページ

284よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:30:54 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280>>281>>282>>283

天神祭のご馳走

天満宮の参道にあたる西天満の旧家、内藤壽一さんの家では、天神祭には門にちょうちんを出し、家紋の入った幕をはって迎えます。住まいは明治43年(1910)に上棟された大阪の町屋から、いまはビルになっていますが、天神祭のご馳走は変わりません。
壽一さんの妻の芳美さんは、帰省する子どもたちや孫たちのために、毎年お祭りの料理を用意します。芳美さんに内藤家の天神祭のご馳走を披露していただきました。

メニュー
1.鱧ちり
熱湯にくぐらせた鱧を氷水にさらして冷まします。水気をとって盛りつけ。梅肉、ミョウガとともにいただきます。

2.鱧の照り焼き
骨切りした鱧の切り身にタレをつけてじっくり焼き上げます。はじかみショウガが添えられています。

3.小芋の煮物
ぬめりをとった小芋を薄味で炊き、色よくさっと炊かれた絹さやが添えられます。だされる直前には、すりおろした柚子をかけます。

4.タコとキュウリの酢の物
生タコの足をゆでて、薄切り。輪切りキュウリは塩をした後に水にさらしてしぼり、タコとともに合わせ酢で和えます。ミョウガが添えられています。

5.冷やしそうめん
深鉢に氷と青しそがあしらわれ、薬味には、きざみねぎ、椎茸の煮物、錦糸たまご、えび、すりおろした土ショウガが並びます。

6.白天とかいわれ菜のおすまし・きくらげ入りの白天、かいわれを盛りつけた椀にすまし汁を注いでいただきます。

7.枝豆・ゆでた枝豆も、冷えたビールとともに夏には欠かせないメニューです。
あっさりとした味付け、しゃきっとした歯ごたえ。夏にふさわしい食感と、味を引き締める薬味にも気をつかってだされる料理。どれもおいしそうで、食もすすみます。

285よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:37:07 ID:2romIYFg0
天神祭宵宮祭「薪能」を船上から鑑賞−帝国ホテル大阪が企画
http://kyobashi.keizai.biz/headline/940/

帝国ホテル大阪(大阪市北区天満橋1、TEL 06-6881-1111)は現在、「天神祭宵宮祭 奉納水上薪能鑑賞プラン」を販売している。

 天神祭前日の7月24日に大阪天満宮で行われる「天神祭宵宮祭(よみやさい)」に合わせて、OAP港に係留した「天神祭船渡御列・舞台船」の一つである「能船」で「三番叟(さんばそう)」、「羽衣」、半能「石橋(しゃっきょう)・大獅子」などの演目を上演する「奉納水上薪能」。

 「薪能を船上から楽しんでもらおう」と2005年に企画されて以来、今年で6年目となる同プラン。天神祭や天満宮の歴史、天神祭などの背景を解説するボランティア「天満天神御伽(おとぎ)衆」によるセミナーや、中華料理の「ジャスミンガーデン」での夕食会、船上からの薪能鑑賞がセットになっている。併せて宿泊プランも用意する。

 同ホテル1階ロビーでは大阪指定文化財の「御迎人形」「鳳講子供神輿」の展示や、「天神祭写真コンテスト」作品展なども行っている。

 料金は、セミナー・夕食・奉納薪能鑑賞付き=1万8,000円、1泊朝食付き=1室7万円。

286よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 09:05:54 ID:2romIYFg0
四天王寺で「七夕のゆうべ」開催へ−今年は鎮魂と復興を祈願
http://abeno.keizai.biz/headline/111/

 四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1)境内で7月7日〜10日、今年で4回目となる「七夕のゆうべin四天王寺」が開催される。主催は地元商店主などで構成された実行委員会。

 会場では、全長約22メートルのササトンネルとイルミネーションで彩られた天の川、今年は仙台たなばた祭り応援のための吹き流しを設置する。併せて、地下鉄・四天王寺前夕陽ケ丘駅より同寺までの参道でササ飾りを展開。ほか、特製短冊も用意しササに飾りつけできる(7日13時〜10日19時)。今年は東日本大震災の鎮魂と復興を祈願し、「鎮魂のともしび」ろうそくなども用意する。

 七夕当日の7日は19時より「ササトンネルオープニングセレモニー」が始まり、イルミネーションが点灯(24時まで)。「七夕縁日」(17時〜21時)は多数のフードブース、ゲームブース、東北物産展などを用意する(9日まで)。

 9日は、仁王門メーン会場で地元小・中学校やプロ・アマチュアアーティストが参加する「七夕復興祈念コンサート」(16時〜21時)を、東門ステージで大阪スクールオブミュージックの学生が運営する「星空コンサート」(19時〜22時)を、東重門付近で天体望遠鏡数十台を用意する「星空観望会」(19時〜22時)を、それぞれ開く。

 10日は20時より願いが天に届くよう短冊を焼く儀式「お炊き上げ」でフィナーレを迎える。

 今年は「上本町YUFURA」(天王寺区上本町6)新歌舞伎座前野外ステージで、7日17時〜19時と9日15時〜19時、関西で活動するインディーズアーティストのコンサートも行われる。

287よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 12:04:16 ID:2romIYFg0
文学の都大阪と文学碑
高橋 俊郎 オダサク倶楽部・図書館司書
2011年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/110701/20110701025.html

 明日7月2日(土)午後2時から、第32回文学碑記念の集いが夕陽丘の太平寺を会場に開かれる。大阪市の文学碑建立第1号が、1980(昭和55)年に口縄坂の登りつめに建てられた織田作之助『木の都』文学碑であるところから、毎年7月第1土曜日にこの碑の近くの太平寺で開催され、32年目になる。

 今年は、ミナミや新世界を舞台にした小説『通天閣』で2007年織田作之助賞を受賞した西加奈子さんを招いて開かれる。大阪市の文学碑は織田作之助の後、森本薫、三好達治、水上瀧太郎、梶井基次郎、宇野浩二、百田宗治、直木三十五、武田麟太郎、薄田泣菫、谷崎潤一郎、折口信夫、林芙美子、伊東静雄、川端康成と建てられてきた。

 市が建てたもの以外にも東住吉区北田辺には開高健『破れた繭』、中央区道修町には谷崎潤一郎『春琴抄』などもある。この6月5日には、西区湊橋南詰に宮本輝『泥の河』文学碑が建立され、宮本輝さん出席のもとで除幕式が行われた。

 その他にも句碑、歌碑は大阪市内に数多くあるが、織田作之助が「万葉以来、源氏でも西鶴でも近松でも秋成でも、文学は大阪のもんだ」と書いているように、大阪の文学に関わる人材の輩出は現代に至るまで数えきれないほどである。大阪市は文学の都でもある。

 ついせんだって、市民交流センターすみよし北の春講座で「作家の原風景をたどる」をテーマに文学散歩を行った。難波、木津、今宮、日本橋、上汐を結ぶ半径1キロメートル圏内に限っても、折口信夫、司馬遼太郎、高橋和巳、武田麟太郎、織田作之助の生まれた場所がある。もちろんその生家が残っているわけではなく、文学碑についても、鴎町公園に折口信夫生誕の地碑と十日戎の文学碑が建てられているだけである。

 それぞれに生家あたりを記した小説やエッセーを読みながら、今の風景にイメージを重ねて訪ねることになるが、せめて生誕の地碑でもあればと思う。文学碑は作家や作品を今に知らしめ未来に伝えるため、その地域にゆかりの深い作品の一部を石に刻み銅板に彫り遺す。文化は耕さなければ新しいものを生み出すことができない。

 他の都市を見てみれば、金沢市では石川近代文学館をはじめとして室生犀星、泉鏡花、徳田秋声のそれぞれの文学館があり、金沢文芸館には金沢五木寛之文庫が常設され、それぞれ街角には文学碑が建てられている。そこには郷土が生んだ、また郷土にゆかりがある文学者を誇りにしている気持ちがうかがわれる。

 湯村温泉にはかの地が舞台となった早坂暁原作テレビドラマ『夢千代日記』の夢千代像があり、太宰治生誕100年だった一昨年には、故郷の青森県五所川原市に太宰治像が建立された。林芙美子が若き日を過ごした尾道市には林芙美子像が、童謡詩人金子みすゞが生まれた山口県長門市には金子みすゞ像がある。彼女が20歳から亡くなるまでを過ごした下関市には、金子みすゞ詩(うた)%TAこ)%TAち)%TA詩碑や顕彰碑を巡るコースまで開設されている。

 その人物の人となりを伝えようとするには銅像がふさわしい。そこで織田作之助生誕100年の2013年には、織田作之助が戎橋をとんびを着てハットをかぶって闊(かっ)%TA)%TAや、『夫婦善哉』の蝶子柳吉が法善寺に参り道行きする姿を銅像で再現したいと考えている。文学の都大阪には、それこそ辻々に文学碑や銅像が立っていても不思議ではない

 (たかはし・としろう 大阪市西区)

288よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 15:07:10 ID:2romIYFg0
【戦後に5年実在!】「大阪警視庁」ホンマやで
http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK201012010130.html

  「戦後しばらく大阪警視庁があった覚えがあります。どんな経緯で『警視庁』は東京だけになったんですか」。編集部に妙な投稿が届いた。大阪にも警視庁? そんなアホな。でも、投稿主の井上勉さん(72)によると、小学校時代、住んでいた姫路から国鉄で大阪に行くと、車体に「警視庁」とあるパトカーが駅前にいてカッコイイと思ったという。「橋下知事がしきりに『大阪都』や言うてるでしょ。ほんで思い出しまして」

   ◇

 1874(明治7)年に創設された東京の警視庁。大阪の警察も、“西の警視庁”と評されることはあったが、正式に警視庁を名乗れるのは内務省直轄の東京だけ。戦後、好機がきた。1947年、自治体警察を導入する警察法が制定され、警察の名称や組織を市の裁量で決められるように。「大阪のような事件の多い大都会では、善良な一般市民には安心感を、不法分子には重圧感を与える意味で、“警視庁”ほど適切な名称は他にない」。当時の大阪市警察局長で、初代警視総監となる鈴木栄二は自著に思いをつづっている。だが、警視総監の独裁につながる、との批判もあり、「市公安委員会は『警視庁』の名前が官僚的で面白くないと強く反対」(49年8月10日付朝日新聞)するなど紛糾が続いた。最終的に正式名は「大阪市警視庁」で決着したが、「大阪市警察誌」(56年)には、鈴木が「市」抜きの大阪警視庁にこだわった逸話が紹介されている。

   ◇

 府内に住む80代OBは、警視庁時代の辞令を大切に保管する。「ネームバリューは確かにあり、周囲から羨望(せんぼう)と尊敬の眼差(まなざ)しでみてもらった」。「庁」の語感とは裏腹に、大阪警視庁は「O・P・P(OSAKA POLICE POST)」なる連絡箱を設置して市民の声を採り入れたほか、徒歩や自転車でのパトロールに重点配置した英米モデルの警ら制度を全国に先駆け導入。「オイコラ警察」でなく、市民奉仕の「日本一の警察」を目指した。

 だがわずか5年で幕を閉じる。自治体警察と国家地方警察を廃止して都道府県警に一本化されることになり、54年、大阪から警視庁の看板が外された。以来、警視庁は「東京都の警察行政をつかさどる官庁」(広辞苑)となった。

 数少ない名残が大阪城近くに残る。桜田門ならぬ桜門のそば、31年に陸軍第4師団司令部として建てられ、長く市立博物館だった洋館こそ、警視庁時代の本部庁舎だ。「庁」とか「都」とか肩書がどうであれ、市民目線のお役所ならばそれでいい――。戦後の混沌(こんとん)期、試行錯誤の歴史が塗り込まれた厳かな建物を眺めながら、そんな思いを抱いた。(宮崎園子)

■推薦  フリーライター 久保博司さん(69)

いつまでも「市民警察」で

 新宿署や曽根崎署などを密着取材し、1984年に「日本の警察 警視庁VS大阪府警」(講談社)を刊行しました。その頃の大阪府警で上の世代の人は警視庁のことを「東京警視庁」って言っていましたね。どこか対抗意識が残ってたんでしょう。でも、僕は大阪の警察が好きだなあ。内緒で調べ室にも入れてくれたし、開放的です。

 本でも書いたけど、東京は「人を捕らえる」で、大阪は「街を守る」。根本が違う。人情があって飾り気がない。名称はさておき、いつまでも「市民警察」でいてほしいです。

289よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/03(日) 18:36:32 ID:Jps.k3eA0
大阪城起点15キロと6キロ KANSAIウオークに700人
2011.7.3 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110703/osk11070302100000-n1.htm

 関西の歴史にふれながらウオーキングを楽しむイベント「KANSAIウオーク2011」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)が2日、大阪市中央区の大阪城天守閣前広場を発着点に開催された。家族連れら約700人が参加。天守閣が復興80周年を迎え、NHK大河ドラマ「江」や映画「プリンセス トヨトミ」の舞台にもなった大阪城から近隣にある神社仏閣などの名所を巡った。

 3回シリーズの第1回で、この日は「大阪市内エリア」を実施。参加者は体力に合わせて約15キロ、約6キロの2コースに分かれて、同広場を次々に出発した。玉造稲荷神社などを回り、ゴールした人には「完歩証」とライオンの製品詰め合わせが贈られた。

 9月10日に第2回の「奈良エリア」を、11月5日には第3回の「南大阪エリア」を予定している。

290よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/03(日) 19:27:28 ID:Jps.k3eA0
七夕伝説発祥の大阪・枚方で婚カツ合コン 300人集う
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201107030031.html

 天野川(あまのがわ)や鵲橋(かささぎばし)など七夕にちなむ名所がある大阪府枚方市。2日、七夕伝説発祥の地とされる同市に独身男女300人が集い、「婚活合コン」が開かれた。

 市民有志が市中心部のカフェや居酒屋など計14店舗を借り切り。午後7時から4時間半、参加者は店を次々と移動しながら気の合う異性を探した。

 参加者が「ステキな人と会えますように」と書いた短冊を屋外に飾った店も。「七夕伝説のように一夜限りの出会いにしないで」と有志の一人。

291よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/04(月) 22:04:03 ID:IijEAETg0
古市古墳群:世界遺産に適した景観、模型でアピール−−あすから大阪 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110704ddlk27040199000c.html

 世界遺産登録を目指している「古市古墳群」などの歴史遺産に適した景観づくりを提案する展示「藤井寺市を世界遺産のまちへ 緑と歴史の回廊」が5日、NHK大阪ホールアトリウム(大阪市中央区)で始まる。藤井寺市教委と大阪芸術大(河南町)の共催。住宅街や高速道路など都市化した街並みの中で、どうしたら世界遺産にふさわしい姿に近づくか、200分の1サイズの模型で見せる。18日まで。

 市教委によると、古市古墳群は、全長425メートルの応神天皇陵など127基で構成される。百舌鳥古墳群とともに昨年、世界遺産暫定リストに記載された。

 模型は縦約10メートル、横約4・5メートル。航空写真を張り合わせた上に古墳や高速道路、一部の住宅などを造った。視界から古墳を遮る形となっている鉄道沿いの斜面、高速道路、住宅の周囲に木を植えて、奥に見える古墳の緑と結んだり、国道170号を「古墳街道」と命名し、広告規制などをかけて古墳を見やすくしたりするなど、同大環境デザイン学科の3年生17人が出し合ったアイデアを表現した。5日午前11時から提案を発表する。塩崎昌さん(20)は「自分の街を見下ろせる機会はあまりない。巨人になって街の上を歩く感覚で見に来てもらえたら」と話す。

 入場無料。午前10時〜午後8時(18日は午後5時まで)。問い合わせは同学科(0721・93・3781)。【三上健太郎】

292よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/04(月) 22:10:46 ID:IijEAETg0
大阪天満宮で「星愛七夕まつり」−前夜祭でのど自慢大会も
http://umeda.keizai.biz/headline/1098/

 天神橋筋商店連合会は7月7日、大阪天満宮境内(大阪市北区天神橋2)で天神橋筋商店街1・2・3丁目合同イベント「2011星愛(ほしあい)七夕まつり」を開催する。

 当日は16時から、天神橋3丁目「夫婦橋」から子ども織り姫・ひこ星を先頭に、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部、天神天満花娘らが1丁目までパレード。その後大阪天満宮までパレードを行い、17時から境内特設ステージで今年の天神天満花娘10人を初お披露目する。

 境内では、本殿前から星合池まで、「恋愛成就」「学徳向上」「心身健康」「商売繁盛」「厄除」「交通安全」「家内安全」の願いを書いた7つの茅の輪を用意し、それぞれの茅の輪をくぐって祈願。星合池では、昨年から本格実施となった大川の「平成OSAKA天の川伝説」で放流するものと同じLED光源の「いのり星」とお札を奉納金1,000円で販売し、星合池に浮かべ奉納。500円を東日本大震災の義援金として日本赤十字社へ寄付する。「いのり星」は、今月7日まで開催する「星愛七夕セール」抽選会場(りそな銀行前、天三おかげ館前)でも販売。限定300個。

 特設ステージでは17時30分から、「第13回天満・天神街道芸祭」の決勝大会を開催。当日の予選を勝ち抜いた5〜6組がストリートパフォーマンスを繰り広げる。境内では、商店街青年部による屋台も出店し、焼きそば、ポップコーン、フランクフルトなどの飲食屋台やヨーヨー釣り、スーパーボールすくいなどの縁日屋台など、手作り屋台12店が出店する。

 前日の6日には、今年初開催の「星愛七夕まつり前夜祭」も開催。18時からは、予選を通過した8組が昭和の歌を披露する「昭和歌謡ヒットパレード」を開催。ゲスト歌手に大地誠さん、審査員に中村鋭一さんらを招き、のど自慢大会を展開する。19時からは16ミリ映写機で「ガメラ対大魔獣ジャイガー」を上映。会場では「食べながら音楽ショーや映画を楽しんでもらいたい」と、津山ホルモンうどんなどB級グルメも登場する「ふるさと物産展」も開催する。

 「星愛七夕まつり」の開催時間は16時〜21時。入場無料。雨天決行。

293よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/04(月) 22:40:49 ID:IijEAETg0
鯨まつり、57年ぶり復活へ 堺・堺区、20人試し曳き
2011.7.4 03:43
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110704/osk11070403440001-n1.htm

 ■クジラ山車「ずっしり」

 57年ぶりに今夏復活する大阪・堺の伝統行事「鯨まつり」で使われるクジラ山車の骨格が出来上がり、3日、堺市堺区の南海湊駅前で試し曳(び)きが行われた。全長約12メートルという竹製の巨大なクジラ山車。地元住民らが担ぎ具合などをチェックし、本番に向けて決意を新たにしていた。

                  ◇

 試し曳きでは、地元の「出島ふとん太鼓保存会」のメンバーら約20人が担ぎ手として参加。台車に積んだ山車をロープで引っ張って移動させたり、かけ声をかけながら担いで歩いたりして、台車の車輪の強度や担ぎ棒の感触、重みなどを確かめた。今後、黒布で山車を包み、クジラの目などを装飾。24日に住吉大社(大阪市住吉区)の境内、8月1日に住吉大社から堺市内に向けて練り歩くという。

 「鯨まつり」は鎌倉時代末期、クジラを捕り逃がした漁師らを慰めるため踊ったのが始まりと伝えられている。明治以降は約20〜30年に1回のペースで開催されていたが、昭和29年を最後に中断。今年、地元住民で実行委を結成し、復活することになった。

 試し曳きに参加した同保存会会長の鎌苅顕行さん(52)は、「祖父や父もかつて参加した祭りに加わることができて本当にありがたい。担ぐと、思ったよりもずっしりと重かった。本番は全員で息を合わせて頑張りたい」と話していた。

294よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/05(火) 18:53:48 ID:e38fXT1Q0
あべのキューズモールで「スマイル七夕」−安倍晴明神社に奉納
http://abeno.keizai.biz/headline/118/

  「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区阿倍野筋1)3階スカイコートで7月2 日・3日、短冊(ポラロイド写真)に願い事を書きササに取り付けるイベント「スマイル七夕」が開催された。

 スタッフが撮影した顔写真に願い事を書き、ササに飾り付ける同イベント。集まった短冊は安部清明神社(阿倍野元町)に奉納する。ササ・竹は阿倍野神社(北畠3)から提供された。併せて、阿倍野王子神社・安部清明神社が伝えるくす玉も用意。くす玉は5年前から七夕の時期に近隣の小学校・幼稚園・福祉センター・商店街などに飾られている。

 当日は、子どもたちが願い事を書く姿が見られ、中には東日本大震災の復興を祈願した内容もあった。テナント従業員の願い事も事前に集め飾り付けた。

 同イベントは地域貢献を目的に行われている「あべのスマイルプロジェクト」の一環で、グランドオープン時の「スマイルこいのぼり」が始まり。今回が4回目。

 ササ、くす玉の展示は7日まで。


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