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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1091よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/19(水) 22:49:11 ID:tk0qVwd60
少しずつ少しずつ着実に古代の大阪が明らかになっていく。
それは今までの想像以上に大きくて素晴らしい都市であったようだ。
大阪を知らずして日本を語るべからず。日本国の母なる大地は大阪なり。


大阪・難波京の南に大規模建物群 5棟整然、範囲拡大も
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/12/2012121901001478.htm

 大阪市天王寺区の北河堀町所在遺跡で、7〜8世紀ごろとみられる5棟の大規模な建物跡が見つかり、大阪市教育委員会と大阪市博物館協会大阪文化財研究所が19日発表した。これまで想定されていた難波京(東西約1・6キロ、南北約4・2キロ)のすぐ南側で、京の範囲がさらに南に広がる可能性もあるという。
 同市教委などによると、中心にある建物は東西6・3メートル、南北14・3メートル。柱の直径は30センチ。この建物を囲むようにほかの4棟が整然と配置されていた。担当者は「建物は難波宮内のものと比べても遜色のない大きさ」としており、有力者の邸宅か役所とみている。


難波宮と同時代の建物跡発見
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20121219/4269221.html?t=1355922279671

大阪に置かれた、古代の都「難波宮」と同じ時期に築かれたとみられる建物の跡が、大阪・天王寺区で、見つかりました。
「難波宮」の周囲にあったとされる都市については、その範囲など、不明な点も多く、今回の発見は、都市の実態に迫る貴重な資料として注目を集めそうです。
大阪の中心部にある「難波宮」は、7世紀と8世紀の2度にわたって宮殿が築かれた場所です。
この「難波宮」から、南に約3キロ離れた天王寺区で、大阪文化財研究所などがことし9月から発掘調査を進めたところ「難波宮」と同じ時代に築かれたとみられる建物の跡が、計5棟分みつかりました。
これらは「難波宮」の中にあった役所などの建物に匹敵する規模で、最も大きなものは幅が16メートル、奥行きが5メートルほどあるほか、方角をそろえて、規則正しく建てられていることなどから、大阪文化財研究所によりますと、貴族など有力者の邸宅か役所の可能性が高いとみられるということです。
「難波宮」の周囲にあったとされる都市については、その範囲など、不明な点も多く、今回の発見は、都市の実態に迫る貴重な資料として注目を集めそうです。
研究所の学芸員、市川創さんは「難波宮の周囲で整然と立てられた建物の跡が5棟も見つかるのは今回が初めてだ。今回の発見は、当時の都市の実態を把握するうえで大きな意味がある」と話しています。

12月19日 19時42分

1092よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/20(木) 06:49:45 ID:OE5eL5eQ0
難波京:大規模な建物跡見つかる 7〜8世紀、貴族邸宅か
毎日新聞 2012年12月19日 21時21分(最終更新 12月19日 21時57分)
http://mainichi.jp/select/news/20121220k0000m040052000c.html

 大阪市天王寺区の難波京(なにわきょう)跡(北河堀町所在遺跡)で、7〜8世紀の大規模な建物跡5棟が見つかり、19日、大阪文化財研究所が発表した。格式の高い1棟(南北約18メートル、東西約10メートル)を囲むように他の4棟が規則的に配置され、2500平方メートル以上の広大な敷地を有していた。同研究所は位の高い貴族の邸宅か役所だったと見ており、「古代大阪の都市構造や京の実態解明につながる重要な手がかりだ」と指摘している。

 難波京は宮殿(難波宮10+件<なにわのみや>)の周囲に存在した都市域。民間の土地開発に伴い、同研究所が9月から調査していた。現場はJR天王寺駅の北約250メートル、四天王寺の南約500メートルで、想定される京(東西約1.6キロ、南北約4.2キロ)の南端にあたる。

 建物群は、ひさしがあって最も規模の大きい建物を中心に、東西南北に1棟ずつ見つかった。北側の建物は2番目に大きく、東西約16メートル、南北約5メートル。最も小さい南側の建物は、東西約8メートル、南北約5メートルで、倉庫か門だったとみられる。柱の直径は最大約30センチ、最も高い建物は推定3〜7メートルで、これまで難波宮跡で見つかった建物に匹敵する規模だった。

 調査した市川創・学芸員は、「調査地は宮や難波津(港)に近く、北に四天王寺、南に阿倍寺の塔を望む風光明媚(めいび)な場所だっただろう。従来より京域が南に広がる可能性も出てきた」と話す。続日本紀(しょくにほんぎ)は744年ごろ、元正上皇が難波京に左大臣・橘諸兄(たちばなのもろえ)の邸宅を訪ねたと伝えるが、この邸宅が京内のどこにあったかはわかっていない。

 現地説明会は22日午後1時〜同3時半。少雨決行。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)。【林由紀子】

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1093よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/20(木) 06:51:02 ID:OE5eL5eQ0
情報プラザ:シンポジウム『大阪上町台地から都市を考える』第5回「難波宮下層遺跡と都市−難波宮誕生前夜」 /大阪
毎日新聞 2012年12月15日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20121215ddlk27040399000c.html

 23日(日・祝)10時〜16時20分、大阪市中央区大手前4の大阪歴史博物館4階講堂(地下鉄谷町四丁目駅4号・9号出口)。難波宮の港や交通路、外交、交易に関する資料と研究成果から、日本列島の都市の成立と成長過程を明らかにする。講師は大阪文化財研究所の南秀雄さんら。事前申し込み不要。当日9時半から先着250人。参加無料。同博物館(06・6946・5728)。

1094よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/20(木) 21:24:10 ID:z7eC5e020
観客下回れば人件費補助せず
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20121220/4187061.html?t=1356005834484

文楽の運営団体への補助金の支給額を来年度は、観客数に応じて決めるとしている大阪市は、人件費などにあてる2900万円は、大阪での公演の年間の観客数が、9万人以下の場合には支給しない方針を固めました。
大阪の伝統芸能、文楽を運営する「文楽協会」への補助金をめぐっては、来年度から、観客数に応じて支給額を決めるという大阪市の方針を協会が受け入れたことから、その具体的な対応を市が検討していました。
そして、きょう、市は、来年度の予算編成を前に、協会への補助金をめぐる考え方を橋下市長に説明しました。
それによりますと、来年度の協会への補助金はこれまでと同じ、3900万円としたうえで、このうち、1000万円は文楽の演じ手の技芸員が三味線や衣装などを買ったり、修理したりする際の補助にあてる方針です。
一方、残る2900万円は、人件費などの補助として支給するとしていますが、支給額は観客数と連動させるとしています。具体的には大阪での公演の年間の観客数が9万人以下の場合は、補助金は支給しない一方で、10万5000人以上の場合は、2900万円満額を支給する方針です。また、9万人を超え、10万5000人に満たない場合は、観客数の割合で、支給額を決定するとしています。市によりますと、平成15年度以降、観客数は、毎年、9万人を超えているということで、市では、「来年度以降、9万人以下になるようなら、協会の対応は評価できない」と話しています。

12月20日 18時51分

1095よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/21(金) 06:43:17 ID:nCADNnHs0
神様に感謝の爆笑奉納 枚岡神社「お笑い神事」
2012年12月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121220/20121220020.html

 天照大神の「天岩戸開き」にたずさわった神の一人、天児屋根命(あめのやねのみこと)を主祭神とする枚岡神社(東大阪市)では毎年12月25日、同故事にならって「笑い」を再認識し、神様に感謝をささげる神事「注連縄掛神事(通称お笑い神事)」が行われている。今年は初めて、関西演芸協会が行う「笑納演芸会」とあわせたイベントを企画。一般市民の参加を呼び掛けている。

 初代天皇の神武天皇が即位する3年前に創祀(そうし)したとされる歴史の長い同神社。この故事にならった「お笑い神事」は、同市の無形民族文化財で、神様の前で20分間笑い続け、1年を感謝で締めくくる。これまで「神事は神聖なもの」として宣伝してこなかったが、「せっかくいい神事なので多くの市民に参加してもらいたい」(山根眞人禰宜(ねぎ))と企画した。

 趣旨に賛同した同協会は、1949年の設立。落語、漫才だけでなく奇術、講談、浪曲、歌謡曲など演芸全般にわたって事務所の垣根を越え、250人以上の芸人が所属する。一事務所ならかなわない層の厚さや歴史などが信頼につながり、神事への参加が決まった。

 同協会の桂福團治会長は「ただ笑ってスッと終わるだけでなく、そのシーンを思い出して心からよみがえる笑いを身につけられるよう、協会員一丸となって頑張りたい」と話している。

 20分笑い続ける「お笑い神事」は午前10時から、参加無料。演芸会は午前11時、午後1時、同3時、同6時半の4回、木戸銭千円〜。問い合わせは電話072(981)4177、同神社へ。

1096よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/21(金) 06:45:35 ID:nCADNnHs0
「薬の町」に歴史の証人 「杏雨書屋」が移転へ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20121221-OYT8T00095.htm

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町(どしょうまち)に、薬に関する資料館「杏雨書屋(きょううしょおく)」(大阪市淀川区)が来秋、移転することになった。これまでは研究者が中心に利用する施設だったが、移転後は一般向け展示も予定。製薬各社の転出が続いて様変わりする道修町の歴史に触れる場になりそうだ。(山村英隆)

 資料館は、1923年の関東大震災で貴重な文献が失われたと聞き、武田薬品工業の創業家・武田家が、医薬の資料を集め始めたのが始まり。武田家から文献3万点12万冊の寄贈を受けた「武田科学振興財団」が78年、淀川区の同社大阪工場の一角に杏雨書屋(3階建て、約1000平方メートル)を整備した。

 収蔵品には、平安時代に中国の医学の古典を再編集した「黄帝内経太素(こうていないけいたいそ)」(国の重要文化財)や、江戸期に刷られた日本初の本格的西洋医学の翻訳書「解体新書」など貴重なものが含まれる。近年、資料の寄贈が相次ぎ、計4万点15万冊を所蔵し、手狭になっていた。

 同財団が来秋、設立50周年を迎えることもあり、同社の前身・武田長兵衛商店があった地に立つ同社旧本社ビル(5階建て)に資料館を移転することに。新資料館は約1400平方メートルで、これまで一般公開は年2回だったが、常設展示も行う。淀川区の杏雨書屋は移転準備のため、来年1〜9月はいったん休館とする。

 道修町周辺に集まっていた製薬、医療関係の企業は90年代後半頃から、本社機能を東京に移転させる所が増加。東京と道修町の2本社体制を維持する武田薬品工業も2007年4月、広報・IR部門を東京に集約した。同財団の横山巖理事長は「育ててもらった創業の地に杏雨書屋が移るのは感慨深い。みなさんに広く知ってもらいたい」と話す。

 大阪の歴史や文化に親しむ「船場大阪を語る会」会長で、道修町で生まれ育った三島佑一・四天王寺大名誉教授(84)は「製薬各社が東京に移転するのをさみしい思いで見てきた。研究成果も新資料館で公開すれば、道修町の歴史を学ぶ人が増えるだろう」と期待している。

<道修町> 江戸時代に薬専門の株仲間が集まり、第1次世界大戦前後に西洋の薬を扱う店が増えた。武田薬品工業、塩野義製薬、田辺製薬(現・田辺三菱製薬)が道修町御三家と呼ばれ、町内には薬の神様をまつる少彦名(すくなひこな)神社もある。同神社に併設されている「くすりの道修町資料館」によると、周辺の製薬、医療関係の企業は80年代には300社近くあったが、現在は200社を切るほどだという。

(2012年12月21日 読売新聞)

1097よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/21(金) 21:03:22 ID:ILSi5zz.0
大阪大に半世紀前の発掘映像 野中古墳、HPで公開
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201212210152.html

 1964年に大量の鉄製甲冑かっちゅうが出土した野中のなか古墳(大阪府藤井寺市)の発掘の様子を撮影したカラー8ミリフィルムが見つかり、21日、大阪大が発表した。15分間の映像を考古学研究室のホームページで公開している。

 古墳は、世界遺産登録を目指す「百舌鳥もず・古市ふるいち古墳群」の一つで、国史跡。福永伸哉ふくなが・しんや教授は「当時の発掘映像は珍しいだけでなく、出土状況も詳しく分かり貴重だ」としている。

 2009年に文学研究科の収蔵室から2巻が見つかった。学生らが発掘する様子や、遺物を取り上げる場面など計21分の映像があった。

 野中古墳は5世紀半ばに造られた1辺37メートルの方墳。64年3〜7月、大阪大が発掘。鉄製の甲冑や武器、鉄の地金、陶質土器など朝鮮半島南部との交流を物語る多数の副葬品が出土した。

1098<削除>:<削除>
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1099よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/22(土) 21:25:43 ID:DoM.PU9I0
「400歳の街」なぜニュータウンの真ん中に 大阪・千里
2012/12/22
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH1200K_T11C12A2AA2P00/
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH1200K_T11C12A2AA2P00/?df=2

大阪府の吹田市と豊中市にまたがる日本初の大規模ニュータウン「千里ニュータウン」の街開きから今秋で50年。高層団地や道路が計画的に配置され、整然とした街並みのど真ん中に開発されずに残った豊中市上新田地区がある。いったい、どんな経緯があったのだろう。

 ニュータウンの中心、北大阪急行の千里中央駅から南へ約5分歩くと上新田天神社の鎮守の森だ。辺りには家紋入りの瓦ぶきの屋根と白壁の住宅。周囲を団地群に囲まれた上新田1〜4丁目の約100ヘクタールは開発の「除外地」と呼ばれる。

               ◇            ◇

 千里ニュータウンは広さ1160ヘクタール、住居数約4万戸、人口約9万人。1958年の計画決定で「1320ヘクタールの土地買収」とし、上新田も含まれていた。

 買収地の大半は森林や田畑だったが、府によると上新田地区には当時、約1000人が居住。7割が農家で、古文書「新田由来記」によると、17世紀前半に新田の開発が始まった。400年前のニュータウンなのだ。1873年開校の新田小学校の旧校舎(1900年建築)は当時では珍しい純和風の建築で府の指定文化財だ。

 ニュータウンの用地買収は難航した。「60年安保」の時代で、農業者は労働組合と手を結ぶ「労農提携」で対抗。府は「府民の住宅確保」の錦の御旗を掲げた。府職員として開発を担った片寄俊秀・大阪人間科学大学教授は「街開きの式典の周りで『土地取り上げ反対』のむしろ旗が翻っていた」と振り返る。

 上新田でも反対の声が上がり、府は1960年5月、専門家会合で、同地区のニュータウン開発を断念。7月には用地買収対象を「既存集落周辺を除いた1155ヘクタール」に縮小、同地区を「除外地」とした。府の試算では住宅は当時、18万戸不足し、待ったなし。片寄教授は「府にとってニュータウン開業は最優先課題。人が生活する上新田を無理に開発するのは時間がかかりすぎ、困難だった」と話す。

1100よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/22(土) 21:26:41 ID:DoM.PU9I0
>>1099

「取り残された街」とも言われた上新田。今どうなっているのか。11月の日曜日、上新田天神社は七五三を祝う親子でにぎわっていた。初詣にはニュータウンから約2万人の参拝客が訪れるという。千里中央駅からの参道は参拝客でごった返す。

 千里ニュータウンではコミュニティー形成が課題とされる。天神社の中村暢晃宮司は「人は人とのかかわり合いの中でしか生きられない。天神社がニュータウンの人にとって、コミュニティーの場所としての役割を果たしている」と強調する。上新田に古くから住む氏子総代会会長の山田昭治さんは「若い人は天神社を『パワースポット』と呼ぶ。非日常の空間がうらやましいのでは」と話す。

 天神社では毎年1月、無病息災を願う火たきの行事「とんど祭り」がある。8メートル超の松を100本の竹で支える準備作業は「旧村」と呼ばれる昔ながらの地区の自治会9班が順番に担当。来年は8班だ。自治会のほぼ全戸にあたる約160戸が氏子。地区内に相次ぎ建設されたマンションの住人との交流も進み、伝統の秋祭りでは、みこしに乗る小学校4年生8人の「乗り子」は近年、マンションの子らが占める。

 上新田はニュータウン開発による鉄道・道路網の整備で恩恵を受けた。地価は上昇、住人は1万8000人を超えた。一方、ニュータウンの住民は天神社や地区の自然に癒やしを求める。片寄教授は「千里ニュータウンは上新田に救われた面もある」と指摘する。400年前のニュータウンの上新田と、50歳を迎えた千里ニュータウンがお互いを補い合いながら未来へ向かっている。

(大阪地方部 泉延喜)

1101よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 20:13:16 ID:yLsBMtPQ0
なんで「住吉大社」と書かないのですかね、疑問です。


住よし大社で縁起物の準備進む
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20121226/4397401.html?t=1356520191468

毎年200万を超える人が初詣に訪れる大阪・住吉区の住よし大社では、みこたちが参拝者に手渡す縁起物の準備を進めています。
「すみよっさん」の愛称で親しまれている住よし大社では子供たちが神事で奉納する踊り「住よし踊」の縁起物を作る作業が、きょうから本格的に始まりました。
この縁起物は軒先に飾ると五穀豊穣や無病息災などの御利益があるとされていて、きょうは6人のみこたちが踊りをかたどったミニチュアを、1つずつ笹に取り付けて完成させていきました。
みこの野内優里さんは「境内の迎春の準備も整ったので、すがすがしい気持ちでお参りいただけるようにお待ちしています」と話していました。
住よし大社によりますと、来年の正月3が日は、あわせて250万人の参拝者を見込んでいるということです。

12月26日 19時33分

1102よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 20:19:12 ID:yLsBMtPQ0
松井知事に「涙」の訴え? 文楽人形遣いの桐竹さんに大阪文化賞
2012.12.26 19:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121226/waf12122619580033-n1.htm

 今年度の大阪文化賞に選ばれた人形浄瑠璃文楽の人形遣い、桐竹勘十郎さん(59)への贈呈式が26日、大阪市公館で行われた。今年は大阪市が文楽協会への補助金を一時凍結する問題があっただけに、松井一郎知事は「心配をおかけしました」と陳謝。桐竹さんは「おかげさまで(入場者数が)昨年の1・6倍になりました」と笑顔を見せつつ、人形で泣くしぐさを披露する一幕もあった。

 松井知事は府と大阪市が協調して文楽の継承に取り組む姿勢を示す一方、大阪市が来年度、年間有料入場者数が9万人以下なら協会への補助金をゼロにする方針を打ち出したことに触れ、「橋下徹市長がハードルを設けるのは、切磋琢磨しながら文楽を守り、発展させるため」と述べた。

 桐竹さんは「大きな宿題をいただいた」と表情を引き締め、実際に人形で泣いたり、歩いたりするしぐさも披露した。

 一方、松井知事には文楽観賞経験がなく、「子供たちに見せるバージョンは短いですか」などと公演時間の長さなどを質問。桐竹さんは「子供たちに人形を見せると、目をキラキラさせる。浄瑠璃の文句が分からなくても、そういうところで伝わる」と文楽の魅力をアピールしていた。

1103よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 21:18:19 ID:yLsBMtPQ0
ヘビ年 迎春準備本格化…大阪市・住吉大社
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121226-OYO1T00747.htm?from=newslist

 大阪市住吉区の住吉大社で26日、赤いはかま姿の神楽女(かぐらめ)6人が縁起物の飾り付けなどを行い、迎春準備が本格化した。

 この日は、古くから同大社に伝わる踊りでかぶるかさのわら細工やお札をササにくくりつけた縁起物「住吉おどり」2000点を用意。ほかに、ご神矢やお守りなどの準備が31日まで続く。

 同大社では、正月三が日の人出を今年と同じ250万人と見込んでおり、出村大光・権禰宜(ごんねぎ)は「干支(えと)のヘビのように、多くの人に末永く幸せが続くよう願って作業を続けます」と話していた。

(2012年12月26日 読売新聞)

1104よっさん ◆AXS9VRCTCU:2012/12/26(水) 21:19:18 ID:yLsBMtPQ0
迎春準備 華やぐ 国立文楽劇場に「にらみ鯛」
2012年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121226/20121226011.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場で25日、伝統の正月飾り「にらみ鯛(だい)」の取り付けが行われた。3日からの新春公演の準備が進む中、真っ赤な張り子(全長約3メートル、重さ約15キロ)の2尾が向かい合わせに舞台上部に吊り上げられると、劇場内は一足早く華やいだ迎春ムードに包まれた。

 「にらみ鯛」は新春を祝う縁起物として、戦前は上方各地の劇場で飾られていた。時代の流れとともに戦後は途絶えていたが、同劇場が開業して最初の正月を迎えた1985年に復活させた。

 向かい合う「にらみ鯛」の間には、大神(おおみわ)神社(奈良県桜井市)の鈴木寛治宮司の揮毫(きごう)による来年のえと「巳」文字の「大凧(たこ)」も掲げられた。

 3日の新春公演初日には、黒門市場から本物のタイが届けられるほか、文楽人形による鏡開きで来場者へたる酒が振る舞われるなど初芝居を盛り上げる。

1105よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 19:15:37 ID:CZYL1RUQ0
瓦や坪を市文化財指定 大阪・四條畷、千光寺跡で出土
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201212260195.html

 【荻原千明】四條畷市教委は、田原城主一族の墓と菩提(ぼだい)寺である千光寺跡から出土した甕(かめ)など計9点を一括して市指定有形文化財とした、と発表した。

 田原城は、大和と河内の国境に位置し、戦国時代末期に三好長慶が飯盛山城に入った頃、田原氏も三好氏に属したとみられる。

1106よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 19:21:23 ID:CZYL1RUQ0
迎春 清らかに 住吉大社で煤払式
2012年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121227/20121227017.html

 年の瀬を控え住吉大社(大阪市住吉区、真弓常忠宮司)で26日、1年間にたまったほこりを払い新年を迎える行事、「煤払(すすはらい)式」が行われた。神職らが長さ約5メートルの竹ぼうきを手に、境内にある国宝の四棟の本殿の屋根を払う所作をして、“1年の汚れ”を落とした。

 午後から行われた式では第一本宮から順に神事を行い、訪れた参拝者らが見守る中、2人の神職らが竹ぼうきでゆっくりと屋根の上のほこりを払っていった。

 同大社は例年、正月三が日は約250万人の参拝者が訪れる。境内では参拝者に授与する縁起物の準備が進むほか、この日、午前中には自衛消防隊による歳末恒例の消防訓練も実施された。

1107よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 23:33:09 ID:CZYL1RUQ0
大阪市天王寺区・難波京南端に大型建物跡
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121220-OYO1T00627.htm?from=main3

 古代の都・難波京(なにわきょう)の南端と推定される大阪市天王寺区悲田院町で、7〜8世紀の5棟の大型建物跡が見つかり、市教委と市博物館協会大阪文化財研究所が19日発表した。都の中心・難波宮の役所跡にも匹敵する規模の建物群で、同研究所は「重要な建物だった可能性が高い」と説明、京の南端も推定より延びる可能性があるとしている。

 出土したのはJR天王寺駅北側の「北河堀町所在遺跡」と呼ばれる区域。住宅建設に伴い約2100平方メートルを発掘し、十字形に整然と並ぶ5棟の建物跡を確認した。真ん中の建物跡(南北14・3メートル、東西6・3メートル)が最大で、柱の直径は約30センチだったとみられる。

 同研究所によると、都の重要施設は北側の一等地に集まるが、南端でこれほど大規模な建物群が見つかるのは異例。この周辺で力を持っていた有力貴族の邸宅か、都を南へ拡張するために置かれた役所などが考えられるという。現在推定される京域は南北約4・2キロ、東西約1・6キロで、今後広がる可能性がある。

 難波京は7、8世紀の2度にわたって置かれた宮殿(前期、後期難波宮)の周囲にあったとされる都市域。現在は市街地のため発掘が進まず、広範囲の調査は珍しい。

 現地説明会は22日午後1時〜3時半。問い合わせは同研究所(06・6943・6836)。

 中尾芳治・元帝塚山学院大教授(歴史考古学)の話「高位の人の住居と思われるが、都の端にこれほどの規模の建物があるとは驚いた。難波京は未解明な部分が多く、今後、発掘が進めば、我々が想像する以上に壮大な都だったことがわかるかもしれない」

(2012年12月20日 読売新聞)

1108よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 07:02:20 ID:Ewisjoe20
「巳」の巨大絵馬登場 堺・開口神社
2012.12.28 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121228/osk12122802010004-n1.htm

 堺市堺区甲斐町東の開口(あぐち)神社の本殿脇に、来年のえとの「巳」を描いたジャンボ絵馬が登場。かわいらしい表情のヘビが迎春ムードを盛り上げている。

 堺市西区の画家、岩本かずえさん(64)が描いた。絵馬は縦1・8メートル、横2・3メートルで、とぐろを巻いた白いヘビが描かれている。

 「動きを抑えて、じっくりと世の中を見る様子を描きました」という岩本さんは、「かわいらしい表情にした」とも。「来年は争いごとの少ないおだやかな年になってほしい」と話していた。

1109よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 14:37:56 ID:7qS510ug0
文枝さん“つき”呼びまっせ…繁昌亭もちつき
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121228-OYO1T00720.htm?from=newslist

 上方落語の定席、天満天神繁昌亭(大阪市北区)で28日、歳末恒例のもちつきがあり、今夏、大名跡を襲名した上方落語協会の桂文枝会長(69)らが景気よくもちを振る舞った。

 落語家や寄席囃子(ばやし)の三味線方ら総勢約50人が参加。太鼓や三味線のお囃子がにぎやかに響く中、「よいしょ」の掛け声にあわせて勢いよくきねを振るった。約40キロのもち米をつきあげると、ぜんざいなどにして集まった人々に配っていた。

 「不景気を“つき”飛ばそう」と始まって今年で4回目。「来年も引き続き、ごひいき賜りたい」とあいさつした文枝会長は、「襲名で大変だったけれど、60代最後の年が思い出深いものになった」と、この一年を振り返っていた。

(2012年12月28日 読売新聞)

1110よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 14:53:52 ID:7qS510ug0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

人々の願いと感謝で架けた「鯨の骨橋」

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年12月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121228/20121228036.html

瑞光寺(大阪市東淀川区)

 捕鯨について、様々(さまざま)な意見があるが、日本人にとって捕鯨は、古来より生活に根づいてきたものであることをあらためて記したい。日本人は昔から漁で得たものは神様からの賜物(たまもの)として、魚や鯨など、食べた後も様々に工夫し、何ひとつ残さないように、余すところなくいただいてきた。これは、日本人の「食べる」ことを通じた自然に対する美しい作法である。特に鯨は食べたいと思う所だけ食べて、他は捨てるというのではなく、全てを生活に活用する。これは日本人の鯨に対する思いやりでもある。

 そういう意味で、大阪市東淀川区にある瑞光寺は、日本人の鯨に対する思いを、あらためて感じることのできるお寺だ。境内にある弘済池(こうさいち)には、なんと鯨の骨でできた「雪鯨橋(せつげいきょう)」が架かっている。おそらく世界でも、ここだけの橋だろう。

 寺は聖徳太子の創建で、雪鯨橋ができたのは、第4世住職、潭住禅師(たんじゅうぜんし)が宝暦6(1756)年に、紀伊の国を行脚していたときのこと。太地浦(たいちうら)(現在の和歌山県太地町)の漁師から「村は鯨が捕れず飢えに苦しんでいます。豊漁祈願を、なにとぞ、お願いいたします」と涙ながらに訴えられた。

 しかし、仏の道には生き物を殺すことを禁ずる教えがあると言い聞かせ、何度も断るのだが、実際に村人が苦しんでいる姿を見かねて、ついに潭住は豊漁祈願を決意する。

 やがて満願の日の朝、願いが通じたのか鯨の大群が現れ、村人は大いに喜んだ。そして、潭住禅師にお礼にと、金30両と鯨骨18本が贈られた。潭住は鯨を手厚く供養し、生き物の命をすべて大切にしようという思いを込めて、雪鯨橋を造った。名前に雪の文字があるのは、雪のように白く美しい骨という意味である。

 現在の雪鯨橋は6代目で、平成16(2004)年に、鯨類捕獲調査で捕獲されたイワシクジラの骨を譲り受け、脂抜きのために境内近くの地中に2年間寝かし、ようやく平成18年に完成したもの。

 橋は浪花の名橋50選に選定され、日本百名橋の番外にも選ばれている。

 この橋は、人々の願いと感謝の思いで架けられたものだ。鯨もきっと後世にまで役立ち、人に喜ばれることを、うれしく思っていることだろう。捕鯨の是非を論議する前に、我々(われわれ)日本人の暮らしと鯨の関係を、あらためて思い返し考えたい。

1111よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/28(金) 15:48:38 ID:7qS510ug0
新春に大地を鎮め 五穀豊穣を祈願
大阪市住吉区・住吉大社
2013年1月4日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2427

 国屈指の初詣スポットとして知られる住吉大社。お参りの人々で賑わう新年の1月4日、神職や神楽女(かぐらめ)による古式ゆかしい「踏歌神事(とうかしんじ)」が斎行される。これは春の始めに大地を踏んで土地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈願する儀式とされており、毎年約10万人の参拝客が訪れる。

 住吉大社禰宜(ねぎ)の富澤昇さんによると、

 「“踏歌”は、古くは“アラレバシリ”と読み、中国の唐から伝わった宮廷行事として『日本書紀』にも記されています。踏歌神事は、元来日本にあった農耕の予祝行事が踏歌によって潤色されたものと考えられており、平安時代には“踏歌節会(せちえ)” と称して盛んに催されていました」

 その後、宮廷行事としての踏歌節会は平安中期に廃絶、神社において神事として継承されてきた。現在でも残るのは熱田神宮と住吉大社だけといわれ、貴重な行事となっている。

 当日は午後1時より第一本宮において神事が始まる。斎主の祝詞(のりと)奏上に続き、烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着用した所役(しょやく)2名が、それぞれ梅の楉(すばえ)(小枝)、小餅の入った袋を持って向かい合い、梅の楉の所役が「ふくろもちー」と呼び掛けると、袋持の所役が「おーともよー」と応え、各3歩ずつ進む。これを3度繰り返し、両所役が行き違って位置を変える。袋持が神前で袋の中の小餅を取り出し、「ひ・ふ・み・よ・ご・と」と数えて、「万歳楽(まんざいらく)」と3度唱え、拝礼して退く。

 引き続き神楽女による白拍子舞と熊野舞の奉納があり、神事の終わりには4つの本宮において餅まきが実施される。この餅は紅白の“福の餅”で2500個、餅米にして4斗分(約60キロ)を用意するそうだ。

 「1年の幸福を祈り“福の餅”を授かるのも楽しいですが、踏歌神事の所作の中に、中国の唐の文化と平安の宮廷文化が現代に継承されていることを思い、悠久の歴史を感じてみるのも面白いのではないでしょうか」

 いにしえの宮廷文化に思いを巡らすのもお正月ならではの風流だ。

踏歌神事
<開催日>2013年1月4日
<会場>大阪市住吉区・住吉大社(南海本線住吉大社駅下車)
<問>☎06(6672)0753
http://www.sumiyoshitaisha.net/

1112よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/29(土) 06:44:27 ID:nhcHNQRQ0
「神宮」と「大社」の違いは? 神宮は天皇を祀る神社が多い
2012.12.25 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20121225_161978.html

  新年を迎え神社に初詣に出かける人も多いだろう。神社の名前に付けられる社号は「神宮」「大神宮」「宮」「大社」「神社」「社」の6種類。厳格な基準はないが、神社の規模や格式などで決まる。

「神宮」は、明治神宮の御祭神が明治天皇であるように天皇を祀る神社が多い。天満宮などの「宮」は、特別な由緒を認められた神社に与えられる。

 戦前、「大社」は出雲大社だけだったが、住吉大社など地域信仰の中心となる大神社に与えられた。

1113よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/29(土) 20:51:02 ID:9FP6Q45s0
太閤なにわの夢募金 大阪城秀吉の石垣発掘支援
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20121229-OYO1T00205.htm?from=newslist

 大阪市は28日、国の特別史跡・大阪城(大阪市中央区)地下に眠る豊臣秀吉時代の大坂城の石垣を発掘、公開するための資金を募るプロジェクト名が「太閤なにわの夢募金」に決まったと発表した。大坂夏の陣から400年を迎える2015年の公開を目指し、読売新聞大阪本社と共同で来年4月から募金を始める。2年間で5億円を目標とし、事業費の一部に充てる。

 秀吉が安土桃山時代に築いた初代大坂城は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣(1615年)で落城後、徳川幕府が埋め、その上に新しい城を築いた。現在の大阪城は市民の寄付で1931年、復元された。

 秀吉時代の石垣は読売新聞が参加した1959年の学術調査で、本丸地下から一部を発見。さらに84年の調査で本丸の別の場所で大規模な石垣が見つかった。

 プロジェクトでは、84年の調査後、埋め戻した石垣を再び発掘し、公開施設を整備する。事業を応援し、寄付を呼びかけるサポーターには、「プリンセス・トヨトミ」などの著書がある作家の万城目(まきめ)学氏、大阪在住のミステリー作家、有栖川有栖(ありすがわありす)氏らが就任した。

 8月から募集したプロジェクト名には全国から183件の応募があり、大阪市西区の会社員吉田康彦さん(36)の案が選ばれた。

(2012年12月29日 読売新聞)

1114よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:40:29 ID:7qS510ug0
真田幸村ゆかりの火縄銃 大阪に“里帰り”
2012年12月31日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/121231/20121231018.html

 大坂夏の陣(1615年)で豊臣方として奮戦した信州上田の武将真田幸村が、茶臼山の徳川軍を襲った際、目前の家康を狙撃する寸前、馬上から落としたと伝わる8連発の最新火縄銃「馬上宿許筒(しゅくしゃづつ)」がこのほど大阪市内で公開された。敗軍の将ゆえに現存する幸村ゆかりの品は極めて少ないことから貴重な歴史的遺物に注目が集まっている。

 公開したのは「堺鉄砲研究会」を主宰し、テレビのお宝鑑定番組の鑑定人としても知られる研究家澤田平さん(同市東成区)。澤田さんは当該の銃が和歌山・紀州藩の記録書「南紀徳川史」に図解入りで「神祖(家康)を狙撃し奉りしもの」と記されていることから、長年にわたって銃の所在を調査。その中で紀州徳川家から家臣で砲術家の勝野家へ預けられていたが、戦後、日本に駐留したGHQ(連合国軍総司令部)による武装解除に紛れて米国に持ち帰られていたことが分かった。

 堺の鉄砲鍛冶(かじ)・芝辻が手掛けた作品で、発射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填(そうてん)するなど一般の火縄銃と比べて5倍以上の連射速度を誇る半自動機構を持つ。澤田さんは2年前、米国の銃器研究家ロバート・キンブロー氏の著書を頼りに、元GHQだった所有者がオレゴン州在住であることを突きとめて渡米。「日本の文化財だけでなく世界の文化財」と熱を込めて説得を続けた後、ようやく譲り受け“里帰り”の運びとなった。

 帰国した銃は今年の7〜9月に幸村の故郷、長野県上田市にある真田氏歴史館の特別展で初公開。銃にとっての故郷大阪では、澤田さんが講師を務める大阪府高齢者大学校のカリキュラム「戦国武将から生き方を学ぶ」の中で披露された。受講生は「歴史に『もし』はないが、この銃が家康に向けて火を噴いていたら戦況が大きく変わっていたかもしれない」という解説に興味深く耳を傾け歴史ロマンに思いをはせていた。

 澤田さんは「『歴史的遺物から史実を知る』をテーマに掲げて幸村公の人物象に迫りたい」と意気込みを語り、さらに研究意欲を燃やしている。

1115よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:45:42 ID:7qS510ug0
大阪・お初天神、大阪天満宮、成田山不動尊、枚岡神社など 
2012.12.31 08:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n2.htm

大阪市内

 ◇お初天神=露天神社(JR大阪駅、阪急・阪神梅田駅などから徒歩2〜8分) 1日午前0時から参拝者に「厄除けお神酒」を無料授与。4日には恒例の「お初天神蚤(のみ)の市」が開かれる。

 ◇大阪天満宮(JR大阪天満宮駅、地下鉄南森町駅から徒歩5分) 1日午前0時〜2時に白酒が振る舞われる。1〜3日の午前10時〜午後4時には新春書き初め大会が行われ、幼稚園児から高校生までが自由に参加できる。

 ◇玉造稲荷神社(JR森ノ宮、玉造駅などから徒歩7分) 1日午前11時から歳旦祭。1〜3日にはお神酒がふるまわれる。勾玉(まがたま)の上にえとをのせた名物の土鈴も販売される。

 ◇四天王寺(地下鉄四天王寺前夕陽ケ丘駅から徒歩5分) 除夜の鐘は境内3カ所で31日午後11時半から。定員各108人(午後11時から整理券配布)。午後11時半から先着千人に甘酒をふるまう。1日午前0〜3時には「開運の鐘」(北鐘堂)と「招福の鐘」(太鼓楼)を自由につくことができる。

◇今宮戎神社(南海今宮戎駅から徒歩2分) 1日午前0時から先着千人に無料で絵馬を授与。「十日戎」は9〜11日。10日の本戎には「鯛の朝一」や宝恵かご行列があり、関連行事として7日午前11時から福娘による「餅まき」、8日午後2時から舞楽奉納なども。

 ◇住吉大社(南海住吉大社駅から徒歩3分) 4日午後1時から五穀豊穣を祈る儀式の踏歌神事があり、最後に福の餅がまかれる。

北摂

 ◇茨木神社(阪急茨木市駅から徒歩10分) 1日午前0時から越年祭。神酒や祝いもちをふるまう。午前10時から歳旦祭。

 ◇片山神社(JR吹田駅から徒歩10分) 1日午前0時から神酒をふるまう。

 ◇総持寺(阪急総持寺駅から徒歩5分) 31日午後11時に開門。参拝者が除夜の鐘をつくことができる。三が日は厄除け祈願として「牛王宝印」を希望者の額に押す。

 ◇三輪神社(阪急富田駅から徒歩10分) 1日午前0時から太鼓の合図で参拝客を受け入れる。午前6時から歳旦祭。午前10時からふるまい酒。

 ◇水無瀬神宮(阪急水無瀬駅から徒歩10分) 1日午前0時から除夜祭で先着500人に福銭を授与。歳旦祭は同6時から。1、2日午後1時から「初夢札」300枚を授与する。

1116よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:47:36 ID:7qS510ug0
>>1115

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n4.htm

 ◇勝尾寺(大阪モノレール彩都西駅からタクシーで10分) 31日午後11時開門。新年柴燈大護摩祈願は1日の午前0時半と午後2時。2、3の両日は午後2時から。

 ◇服部天神宮(阪急服部駅すぐ) 1日は午前0時から、2、3の両日は午前9時から樽神酒をふるまう。3日午前10時から謡曲と尺八の奉納演奏。

 ◇原田神社(阪急岡町駅すぐ) 1日午前0時から神酒をふるまい、3日夕方までかがり火をたく。

 ◇帝釈寺(阪急バス新家バス停か外院バス停) 31日午後11時開門。11時半から先着108人が除夜の鐘をつくことができる。甘酒のふるまいも。えとの土鈴、お年玉袋(小学生以下対象)を授与する。各500個。

 ◇瀧安寺(阪急箕面駅から徒歩15分) 1日午前0時から弁天堂を開く。3日まで。

 ◇五社神社(阪急池田駅から徒歩20分) 31日午後11時から国重文の十三重塔をライトアップ。同11時半から境内で福火をたき、神酒をふるまう。

 ◇呉服神社(阪急池田駅から徒歩3分) 31日午後11時半から除夜祭、1日午前0時から福火がたかれ神酒がふるまわれる。3日まで。

河内

 ◇成田山不動尊(京阪香里園駅から徒歩15分) 「新年護摩祈祷」と「新年お車安全祈祷」の申込者にオリジナル一筆箋セットを贈呈。

 ◇枚岡神社(近鉄枚岡駅から徒歩2分) 1日午前6時から歳旦祭。午前0時と9時の2回、参拝者に神酒が、2、3日の午前10時からは甘酒がふるまわれる。

 ◇瓢箪山稲荷神社(近鉄瓢箪山駅から徒歩3分) 「辻占い」で有名。1日午前7時から歳旦祭。1〜5日に「大とんど」がたかれる。

 ◇石切劔箭(つるぎや)神社(近鉄新石切駅から徒歩10分) 1日午前0時から年頭修祓式、午前6時から歳旦祭。

 ◇常光寺(近鉄八尾駅から徒歩5分) 31日午後10時半から「とんど」。午後11時半から約1時間にわたり参拝者が鐘をつける。

 ◇誉田八幡宮(近鉄古市駅から徒歩15分) 31日深夜、境内でかがり火をたき、参拝者に神酒をふるまう。1日には神前で神楽が奉納される。

 ◇大津神社(近鉄高鷲駅から徒歩3分) 1日午前0時から本殿で尺八を演奏する。

1117よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:50:25 ID:7qS510ug0
>>1115>>1116

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n5.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n6.htm

 ◇瀧谷不動明王寺(近鉄滝谷不動駅から徒歩15分) 1日午前0時から護摩祈祷。1〜3日に「新年よろこぶ茶」の接待がある。

 ◇金剛寺(南海・近鉄河内長野駅からバスで20分) 除夜の鐘をついた先着108人にえとのしゃもじを授与。3日午前11時から修正会。

 ◇観心寺(南海・近鉄河内長野駅からバスで15分) 除夜の鐘をついた先着108人に厄除けのしゃもじとカヤの実を授与。三が日は新春開運厄除け大祈祷会。

 ◇辛国神社(近鉄藤井寺駅から徒歩3分) 31日深夜から参拝者の名前を書いた灯籠400基を境内に並べる「万燈籠(まんとうろう)」がある。

泉州

 ◇百舌鳥八幡宮(南海百舌鳥八幡駅、JR百舌鳥駅から徒歩10分) 1日午前0時から越年祭。初太鼓を合図に参拝者を迎える。午前8時から本殿で歳旦祭。2日午前11時から、特設射場で60メートル先の的に矢を放つ古式弓道射初式。3日午後1時からは絵馬殿で堺市内の珠算教室の生徒たちが上達を願う珠算はじき初め式がある。1〜3日は厄除け開運祈願祭もある。

 ◇開口神社(南海堺駅、堺東駅から徒歩10分) 1日午前0時に太鼓の音で参拝開始。境内でかがり火がたかれる。1〜3日は神酒の無料接待がある。

 ◇菅原神社(南海堺駅、堺東駅から徒歩10分) 1日午前0時から歳旦祭。参拝者に神酒と甘酒をふるまう。

 ◇家原寺(JR津久野駅から徒歩10分) 31日午後11時45分から除夜の鐘。先着108人に「ご守護カード」授与がある。

 ◇水間寺(水間鉄道水間観音駅から徒歩5分) 31日深夜の年明け前に住職の法話があり、1日午前1時まで一般参拝者が先着順で除夜の鐘つき。2、3日は午前10時から本堂横で「千本づき餅つき」、午後2時から第2駐車場で景品付きの「利生の銭」入り餅まきがある。

 ◇泉州航空神社(南海井原里駅から徒歩10分) 31日午後11時45分から除夜祭。1日午前0時から授与品を授かった先着30人に航空カレンダー贈呈。午前6時から歳旦祭。三が日は振るまい酒があり、航空神社博物館も無料開放される。

1118よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:52:09 ID:7qS510ug0
>>1115>>1116>>1117

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n7.htm

大みそか〜元旦の終夜運転

 ◇JR

 京都線・神戸線=京都−大阪−西明石30分間隔▽大阪環状線=天王寺−京橋−大阪−西九条15分間隔、西九条−天王寺30分間隔▽ゆめ咲線=西九条−桜島15分間隔▽大和路線=難波−奈良30分間隔▽学研都市線・東西線・宝塚線=京田辺−四条畷60分間隔、四条畷−宝塚30分間隔▽阪和線=天王寺−鳳30〜40分間隔

 ◇大阪市営地下鉄

 南港ポートタウン線=15分間隔、午前2時半ごろまで10分間隔▽他路線=30分間隔(ただし御堂筋線中津−天王寺は午前2時半ごろまで15分間隔)

 ◇京阪電気鉄道

 京阪本線・鴨東線=急行、普通それぞれ20〜30分間隔▽中之島線=普通20〜40分間隔▽交野線・宇治線=普通20分間隔

 ◇南海電気鉄道

 南海線=難波−住ノ江15分間隔、住ノ江−羽倉崎30分間隔▽高野線=難波−北野田、難波−河内長野40〜60分間隔(ただし北野田−河内長野は午前3、4時台の運転はなし)

 ◇泉北高速鉄道

 中百舌鳥−和泉中央40〜60分間隔

1119よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 20:53:07 ID:7qS510ug0
>>1115>>1116>>1117>>1118

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121231/wlf12123108000000-n8.htm

 ◇近畿日本鉄道

 大阪線=(特急)大阪難波・大阪上本町−宇治山田・鳥羽30〜70分間隔(快速急行、急行)大阪上本町−宇治山田・五十鈴川、大阪上本町−名張・青山町60分間隔(普通、区間準急)大阪上本町−榛原・名張30分間隔▽奈良線=(普通、区間準急)大阪難波−石切・大和西大寺・近鉄奈良15〜30分間隔▽けいはんな線=学研奈良登美ケ丘−長田30分間隔▽信貴線=河内山本−信貴山口30分間隔▽南大阪線=(特急)大阪阿部野橋−橿原神宮前60分間隔(普通)大阪阿部野橋−河内天美・古市・河内長野・橿原神宮前・吉野30分間隔▽道明寺線=道明寺−柏原30分間隔▽長野線=古市−河内長野30〜40分間隔▽西信貴ケーブル=信貴山口−高安山15〜40分間隔

 ◇大阪高速鉄道

 大阪モノレール線=午前1時半ごろまで▽彩都線=午前1時10分ごろまで

 ◇能勢電鉄

 妙見線=川西能勢口−妙見口25分間隔

 ◇阪急電鉄

 神戸線・宝塚線・京都線(快速、普通など)=30分間隔

 ◇阪神電鉄

 阪神本線=梅田−高速神戸、なんば線=尼崎−近鉄奈良とも15〜30分間隔

 ◇水間鉄道

 貝塚−水間観音60分間隔

1120よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/31(月) 21:02:52 ID:7qS510ug0
役場文書からわかる、各時代の暮らしぶり 泉佐野で特別展 大阪
2012.12.31 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121231/osk12123102000001-n1.htm

 泉佐野市の「歴史館いずみさの」で、所蔵する江戸時代から昭和初期にかけての公文書や地図など30点を集めた特別展「役場文書から何がわかるか?」が開かれている。神社の祭礼記録や住民の願書なども展示され、訪れた人たちの注目を集めている。

 脈々と続く人々の生活や営みに関心を持ってもらおうと、市ができる以前の旧町村の役場時代からの公文書を特別に公開した。

 展示されているのは、天保11(1840)年、坂口町の住民が倹約することを確認した「坂口町倹約申し合わせの定め」や、寺院や宗派を記した幕末の帳簿「佐野村の宗旨改帳」など。また、明治35(1902)年に佐野村の有志総代が公衆電話の開設を願い出た「公衆電話開設請願書」など、当時の人々の暮らしぶりがうかがえる資料も多い。

 同展は、1月20日まで。月曜と年末年始は休館。問い合わせは、歴史館いずみさの((電)072・469・7140)。

1121よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 00:06:49 ID:UkHm/Wcw0
人間国宝の桂米朝、新年あいさつ登場に、弟子ざこば号泣
2013.1.2 18:25
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130102/wlf13010218250015-n1.htm

 落語家で人間国宝の桂米朝(87)が2日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで行われた新春恒例の「米朝一門会」に出演。米寿を超えながらも、元気なところを見せた。

 米朝は、冒頭の「米朝一門新年ごあいさつ」に黒紋付き姿で車イスに座って登場。隣に座った弟子の桂ざこば(65)が、今春も師匠と同席できたうれしさからか、「この人がいてはらへんかったら…まあ、いてはらへんようになっても頑張りますが…」と感極まって泣き出すと、米朝は「私もなんか泣きとうなりますわ」とホロリ。

 長男の桂米團治(54)が「(涙もろい)ざこば兄さんはほっといて、何かしゃべって下さい」と促し、会場の笑いを誘うと、米朝は「明けましておめでとうを言わなあかん。お客さんにいっぱい来ていただいて、それだけでもう胸がいっぱいで、気の利いたことが言われへん。お正月が来たら、こんな同じようなことばっかり言うています」と述べると、万雷の拍手。孫弟子の桂南光(61)らと鏡開きで新年を祝った。

 昨年8月、自宅で転んで第4腰椎を圧迫骨折し心配されたが、最近はレギュラーのラジオ番組もこなすなど元気な様子。米團治も「寄る年波からか、歩く時間はだんだん少なくなって車イスに頼っているが、生番組に出るぐらいだし元気にしている」と話している。

1122よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 00:10:50 ID:UkHm/Wcw0
募金名称が決定 初代大坂城石垣復活事業
2013年1月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130101/20130101065.html

 大坂夏の陣から400年目の2015年度に一般公開が予定されている、初代大坂城の石垣復活事業費の募金名が決まった。ことし4月1日から約2年間で、見学のための施設整備費など5億円を集める。

 名称は「太閤なにわの夢募金」。昨年8月に名前を募集し、全国から応募があった183件から親しみやすさや事業趣旨にふさわしいかを考慮。市内在住の会社員、吉田康彦さん(36)が考えた名前に決めた。

 さらに担当する市ゆとりとみどり振興局によると、事業を盛り上げるために、大阪市出身の作家、有栖川有栖氏や映画「プリンセス・トヨトミ」の原作者の万城目学氏など19人の大阪城ゆかりの著名人らを募金のサポーターに任命。今後人数を増やしながら募金の協力を広く呼び掛けていくという。

 公開予定の石垣は、1984年に「金蔵」の東側、1.1メートルの地下で見つかり、高さ約7メートル、延長約5メートル。国の補助金と市民らからの募金で施設整備を目指しており、橋下徹大阪市長は「大阪のシンボルであり外すことのできないスポット。しっかり整備して観光拠点ともしていきたい」と話している。

1123よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 15:10:04 ID:7qS510ug0
大阪天満宮で「はじき初め」
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130103/4414211.html

大阪・北区の大阪天満宮でことし1年のそろばんの技能の上達を願ってはじき初めが行われました。はじき初めは大阪天満宮にまつられた学問の神様、菅原道真にあやかろうと、毎年この日、行われています。
大阪府内のそろばん教室に通う小学生と中学生およそ1000人が参加しました。
境内には、通常使うそろばんのおよそ6倍の長さの1メートル80センチ、127桁あるそろばんが6つ並べられ、子どもたちはお
はらいをうけた後、はじき初めをしました。
ことしにちなんだ「2013」や日付の平成25年1月3日にかけた「2513」が答えになる問題が読み上げられると、子どもたちは真剣な表情でそろばんの玉をはじいていました。
参加した11歳の男の子は「間違えないように緊張して臨みました。ことしはそろばんの検定試験に合格できるようにがんばりたいです」と話していました。

01月03日 12時26分

1124よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 16:01:17 ID:7qS510ug0
初詣客にぎわう 住吉大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130102-OYT8T00736.htm

 府内の神社などは年明けから初詣客でにぎわい、住吉大社(大阪市住吉区)でも2日、景気回復などを願う参拝者が詰めかけた。この日は大阪市の最高気温が12・5度と、平年(10・3度)よりやや高く、家族連れらが、にこやかな表情でお参り。富田林市の木下昭彦さん(70)は「孫たちのために、安全で暮らしよい日本になってほしいと願いました」と話していた。同大社によると、参拝者は1日が152万人、2日が43万人。前年同期で計16万人少なかったという。

(2013年1月3日 読売新聞)

1125よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 22:00:55 ID:8.i1gJMQ0
父子初共演で幕開け 松竹座「寿初春大歌舞伎」
2013年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130103/20130103019.html

 大阪市中央区道頓堀の松竹座で歌舞伎の“浪花の初芝居”として50年ぶりの元日初日の幕を開けた「寿初春大歌舞伎」で、二代目市川猿翁さんと九代目市川中車さんの親子初共演が実現した。2日は猿翁さんが体調不良のため休演。襲名披露公演として出演中の四代目市川猿之助さんが代役を務めた。

 1日は昼の部のトリ「桜門五三桐」で色鮮やかな南禅寺の舞台で石川五右衛門の中車さんと対峙(たいじ)する場面で、真柴久吉の猿翁さんが登場。その後に行われたカーテンコールで中央に立つ猿翁さんに中車さんが寄り添い膝を折って最敬礼をすると「ご両人!」という満員のファンの温かい声援が飛び交っていた。

 3日からの猿翁さんの出演は未定。公演は26日まで。

1126よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 22:06:59 ID:8.i1gJMQ0
史実と違う?神話に秘められた意外な真実 「天孫降臨」「神武東遷」考古学から分析
2013.1.3 18:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n2.htm

 高天原(たかまがはら)の神々が地上世界に降り立った「天孫降臨(てんそんこうりん)」。初代・神武天皇が九州・高千穂宮から大和へ遷った「神武東遷(とうせん)」。今も日本人の心に根ざした神話だ。なぜこうした説話が生まれたのか。考古学からアプローチしてみると、その裏側に秘められた意外な事実が見えてきた。神武東遷ではなく「西遷」だった? 天孫降臨は、日向を取り込もうとしたヤマト王権の巧妙な政略? 地中に埋もれた歴史の“証言者”が語りかけてくるものとは−。

(小畑三秋)

日向の権力あなどれず

 天孫降臨の舞台である高千穂峰、後の神武天皇が東遷を決断した高千穂宮は、いずれも現在の日向(宮崎県)とされる。

 100年前の大正元(1912)年、神話の舞台を学術的に証明しようと西都原(せいとばる)古墳群(同県西都市)の発掘調査が行われた。ただ、神話の時代に結びつく成果はなく、関係者をがっかりさせたという。

 しかし宮崎県には、九州最大の前方後円墳で宮内庁が陵墓参考地として管理する男狭穂(おさほ)塚古墳(全長175メートル)や女狭穂(めさほ)塚古墳(同180メートル)が存在するなど、神話との結びつきを思わせる重要な遺跡が多い。

 宮崎や鹿児島など南九州の考古学研究は、この10年ほどで飛躍的に進み、ヤマト王権との関係がしだいに明らかになってきた。

 特に女狭穂塚古墳については、古墳の形が応神天皇の后の仲姫(なかつひめ)皇后陵(大阪府藤井寺市、全長290メートル)と築造企画が類似。築造も、4〜5世紀に大阪の古市・百舌鳥古墳群に巨大古墳が次々と築造された時期だった。当時のヤマト王権と日向勢力との密接な関係が浮かび上がった。

 さらに、宮崎市の生目(いきめ)3号墳は発掘調査の結果、古墳時代前期の4世紀中ごろの前方後円墳で、全長143メートルと判明。当時の大王とまではいかなくても、大和(奈良)の中枢人物の古墳に引けを取らない規模で、権力の大きさを見せつけた。

 古墳時代、日向から鹿児島東部の大隅半島一帯には、全長100メートルクラスの大型前方後円墳が次々に築かれ、一大勢力が君臨していたことも分かってきた。

畿内VS北部九州

 ヤマト王権と日向の関係について、考古学的に検証を試みるのが大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長だ。二つの関係を見ていくと、そこには弥生から邪馬台国の時代、さらに古墳時代につながる古代国家誕生のダイナミックな歴史の流れが見事に重なる。

 ヤマトを中心とした政権は、3世紀半ばごろ、畿内を中心に九州〜東海・関東一帯の勢力が連合して確立されたとされる。

 それ以前の弥生時代は北部九州が中心で、権力掌握に欠かせない鉄資源や鏡など中国や朝鮮半島の最先端の技術や文物は北部九州の勢力が独占し、畿内を圧倒していた。畿内は当時、後進国だった。

1127よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/03(木) 22:10:31 ID:8.i1gJMQ0
>>1126

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010318010009-n4.htm

 しかし、弥生時代末の2世紀ごろになると、畿内や吉備など瀬戸内沿岸の勢力が、鉄の輸入ルートを北部九州から奪おうと連合。2世紀末ごろ、この連合勢力が北部九州と衝突して勝利し、畿内を中心とする邪馬台国連合となり、ヤマト政権へ発展していったという。

神武「西遷」?

 ここで問題となるのが、古事記や日本書紀に記された「神武東遷」説話だ。

 「どこの地なら、安らかに天下の政(まつりごと)を執り行うことができるだろう。東の方に都の地を求めて行こうと思う」

 神武天皇はこのように決断し、日向の高千穂宮から東進。福岡や瀬戸内を経て奈良の橿原宮で即位したと古事記は記す。

 この記述は、日本列島の文化や政治の中心が弥生時代の北部九州から、古墳時代に畿内に移っという考古学的事実と見事に合致するようにみえる。しかし、一筋縄ではいかないのが歴史の奥深さ。西日本各地の遺跡の状況を調べると、実は“真逆”の結果になるという。

 ちょうど邪馬台国の時代と重なる2〜3世紀。各遺跡の土器の出土状況を調べると、畿内や吉備地方などの土器が、北部九州の遺跡で数多く出土していることが分かった。一方、北部九州の土器は畿内や瀬戸内などではほとんど見られないという。

 土器はそれぞれの土地の人たちが持ち運んだとみられ、人の流れをそのまま反映している。そのため、畿内や瀬戸内の人々が北部九州にどんどん移動したことは示すものの、北部九州から畿内に大挙して移った事実は見られないという。白石氏は「考古学的には東遷説にみられる『九州から畿内へ』という動きは見られない」と指摘する。

 畿内や九州の弥生時代に詳しい西谷正・九州大名誉教授も「文化の流れは、弥生時代の中心・九州から東(畿内)へという考えが、東遷説に結びついたのかもしれない」としながらも「九州勢力が畿内を支配したという状況は、考古学的には見られない」と話す。

神々はなぜ日向に降臨した?

 もう一つの神話、天孫降臨についても、謎が多い。高天原の神々ははぜ、王権の中心だった大和(奈良)ではなく、はるか西方の日向に降臨したのか。これについても白石氏は、遺跡の状況から推測する。

 弥生時代末に畿内・瀬戸内連合が北部九州を制圧して以降、それまで絶対的な地位を占めた北部九州は一気に没落。権力を示す大型前方後円墳はほとんど見られなくなった。

 ただし、ヤマト王権にとっては、かつての巨大王国・北部九州は脅威であることに変わりなく、「北部九州を牽制するために南九州を重視した」という。

 そのため、ヤマト王権はいち早く南九州勢力と連携。宮崎の生目古墳群のような大型前方後円墳が古墳時代初めから出現し、日向から大隅半島にかけても次々と大型前方後円墳が築かれ、一大勢力を築いた。

 天孫降臨の舞台として日向が選ばれたことについて白石氏は、古墳時代当初からヤマト王権が重視した日向勢力の意向が働いたのではないかとみる。

 「生目古墳群から眺めると、高千穂峰や霧島連峰が実に見事な姿をみせる。古代人たちもこの風景を神聖なものとし、神々が降りてきたと考えたのではないか」と白石氏。日向という地理的な重要性が、天孫降臨の舞台に結びついたのかもしれない。

 高千穂峰の雄大さと歴史のダイナミズムは、今も人々の心を揺さぶり続ける。

1128よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 13:11:47 ID:7qS510ug0
「鏡開き」華やかに 国立文楽劇場 新春公演開幕
2013年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130104/20130104022.html

 大阪市中央区の国立文楽劇場で3日、新春公演の幕開けを記念した初日鏡開きが同劇場前で行われ、美しく着飾った文楽人形によるたる酒の振る舞いに、多くのファンや地元住民らが列をなした。

 正月の鏡開きは、同劇場が開場した翌年の1985年以降、毎年行われている新春の風物詩。鏡開きに先立ち、近くの黒門市場から縁起物の「にらみ鯛(だい)」2尾が届くと、一帯は一気に新春ムードに包まれた。

 鏡開きには、新春公演「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」に「出演」する2体の人形が登場し、詰めかけた大勢の文楽ファンや地元住民らに酒を振る舞った。

 神戸市から訪れた「大の文楽ファン」という女性は「今日は一部と二部を通しで見るので楽しみ」と話していた。日本芸術文化振興会の同劇場担当、水野英二理事は「昨年はいろいろあったが文楽振興のため、駅で広報活動をするなど新しい取り組みも行った。巳(み)年にふさわしく、まいた種が実る年にしたい」と話していた。


文楽の人間国宝、竹本住大夫さんが復帰 脳梗塞で休養、半年ぶり
2013.1.3 22:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130103/wlf13010322080013-n1.htm

 脳梗塞で療養していた文楽太夫の人間国宝、竹本住大夫さん(88)が3日、大阪市中央区の国立文楽劇場で開幕した「文楽初春公演」で、7月の「文楽素浄瑠璃の会」(同劇場)以来、半年ぶりに舞台に復帰した。「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」で翁役の住大夫さんが登場すると、満員の客席から「住大夫!」の掛け声と拍手が起こり、住大夫さんは病気前と変わらぬ力強い語りで観客を魅了した。

 住大夫さんは昨年7月、文楽補助金問題の最中に軽い脳梗塞で入院。10月に退院してからは復帰に向けてリハビリに努めていた。本公演の出演は昨年5月の東京公演以来。

 この日、天下泰平・五穀豊穣を祈る寿式三番叟で、「それ豊秋津州(とよあきつす)の大日本…」と語り始めた住大夫さん。場内は静まり返り、語り終えると同時に、復帰を祝う盛大な拍手がわき起こった。

 住大夫さんは「お客さまの万雷の拍手に胸が詰まりました。今後もリハビリを続け、よりよい舞台を勤められるように努力することが、ご恩返しになることと思う」とコメントした。

 開演前には劇場玄関前で文楽人形らによる鏡開きが行われ、華やかな新春ムードにつつまれた。

1129よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 13:19:05 ID:7qS510ug0
合格祈願 思い込め 四天王寺・元三大師法要
2013年1月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130104/20130104029.html

 「元三(がんざん)大師合格祈願法要」が3日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で営まれた。訪れた受験生やその家族らが、燃え上がる護摩木の炎に合格への思いを込めた。

 第18代天台座主の良源は、985(寛和元)年1月3日が命日のため、元三大師と尊称される。学業成就や合格祈願であつく信仰され、大師に祈れば知恵を授かるとされている。

 大師を祭る元三大師堂では、奥田管長による護摩祈祷(きとう)がなされた。参詣者は、堂前に設けられた知恵の輪をくぐって入堂し、僧侶から錫杖(しゃくじょう)の加持を授かりながら手を合わせた。

 堂前の2本の柱を回る「お百度廻り」で熱心に心願成就を祈る人たちの姿も見られた。

 高校受験を来月に控える和泉市の加藤樹君(15)は「法要の雰囲気に緊張した。勉強を頑張りたい」と気を引き締めた。

 同法要は、各月の3日午前10時から行われる。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺へ。

1130よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 13:27:45 ID:7qS510ug0
きょう「福の餅神事」 新春の住吉大社で縁起よく 大阪
2013.1.4 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130104/osk13010402010001-n1.htm

■7日には「白馬神事」

 毎年大勢の初詣客が訪れる住吉大社(大阪市住吉区)で4日午後1時から、餅まきなどが行われる「踏歌(とうか)神事」(福の餅神事)が営まれる。

 五穀豊穣(ほうじょう)を願って神前に福の餅をささげるなどしたあと、最後に福の餅が参拝客らにまかれる行事。福の餅を授かると幸運が訪れるとされており、大勢の参拝客らでにぎわうという。

 このほか、7日午前11時から、白馬が境内などを駆け巡る「白馬(あおうま)神事」。正月に白馬を見ると、無病息災でその一年を過ごすことができるとされ、縁起の良いものとして知られている。

※詳しい説明

新春に大地を鎮め 五穀豊穣を祈願
大阪市住吉区・住吉大社
2013年1月4日
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2427

 国屈指の初詣スポットとして知られる住吉大社。お参りの人々で賑わう新年の1月4日、神職や神楽女(かぐらめ)による古式ゆかしい「踏歌神事(とうかしんじ)」が斎行される。これは春の始めに大地を踏んで土地の精霊を鎮め、除厄と招福を祈願する儀式とされており、毎年約10万人の参拝客が訪れる。

 住吉大社禰宜(ねぎ)の富澤昇さんによると、

 「“踏歌”は、古くは“アラレバシリ”と読み、中国の唐から伝わった宮廷行事として『日本書紀』にも記されています。踏歌神事は、元来日本にあった農耕の予祝行事が踏歌によって潤色されたものと考えられており、平安時代には“踏歌節会(せちえ)” と称して盛んに催されていました」

 その後、宮廷行事としての踏歌節会は平安中期に廃絶、神社において神事として継承されてきた。現在でも残るのは熱田神宮と住吉大社だけといわれ、貴重な行事となっている。

 当日は午後1時より第一本宮において神事が始まる。斎主の祝詞(のりと)奏上に続き、烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着用した所役(しょやく)2名が、それぞれ梅の楉(すばえ)(小枝)、小餅の入った袋を持って向かい合い、梅の楉の所役が「ふくろもちー」と呼び掛けると、袋持の所役が「おーともよー」と応え、各3歩ずつ進む。これを3度繰り返し、両所役が行き違って位置を変える。袋持が神前で袋の中の小餅を取り出し、「ひ・ふ・み・よ・ご・と」と数えて、「万歳楽(まんざいらく)」と3度唱え、拝礼して退く。

 引き続き神楽女による白拍子舞と熊野舞の奉納があり、神事の終わりには4つの本宮において餅まきが実施される。この餅は紅白の“福の餅”で2500個、餅米にして4斗分(約60キロ)を用意するそうだ。

 「1年の幸福を祈り“福の餅”を授かるのも楽しいですが、踏歌神事の所作の中に、中国の唐の文化と平安の宮廷文化が現代に継承されていることを思い、悠久の歴史を感じてみるのも面白いのではないでしょうか」

 いにしえの宮廷文化に思いを巡らすのもお正月ならではの風流だ。

踏歌神事
<開催日>2013年1月4日
<会場>大阪市住吉区・住吉大社(南海本線住吉大社駅下車)
<問>☎06(6672)0753
http://www.sumiyoshitaisha.net/

1131よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 23:54:25 ID:keqaW2ro0
大阪・住吉大社で「踏歌神事」
2013.1.4 21:32
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130104/wlf13010421350019-n1.htm

 大阪市住吉区の住吉大社で4日、五穀豊穣(ほうじょう)などを祈願する踏歌(とうか)神事が営まれ、「福の餅まき」では、1年の福を授かろうと約3千人の参拝客でにぎわった。

 踏歌神事は、日本書紀にも記されている行事。神前に福の餅をささげるなどした後、境内で神職約10人が、かけ声をかけながら約2千400個(計60キロ)の紅白の餅をまくと、参拝客らは「こっちにちょうだい」と手を伸ばしていた。

 堺市の会社員、北田真由子さん(27)は「今年も幸せに過ごせたら」と話していた。

1132よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/04(金) 23:58:34 ID:keqaW2ro0
4月に竹本義太夫300回忌追善公演、収益で供養塔修復へ
2013.1.4 20:50 [文楽]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130104/wlf13010420520018-n1.htm

 人形浄瑠璃文楽の語り芸「義太夫節」の祖、竹本義太夫(1651〜1714年)の300回忌を追善する特別公演が4月5日、大阪・国立文楽劇場で開催される。文楽の技芸員全員が企画した珍しい自主公演で、収益金は四天王寺(大阪市天王寺区)にある竹本義太夫の供養塔の修復にあてる。

 竹本義太夫は江戸時代、大坂・道頓堀に人形浄瑠璃の芝居小屋「竹本座」を創設。近松門左衛門と組んで「曽根崎心中」をはじめ多くの名作を送り出した。

 現在、四天王寺には、義太夫ら人形浄瑠璃の歴代名人の供養塔が多くあるが、いずれも損傷が激しく修復が急務という。

 追善演目は、近松作の「用明天王職人鑑(ようめいてんのうしょくにんかがみ)」。豊竹呂勢大夫さん(47)は「今年は自分たちの源流ともいえる義太夫師の節目の年。公演を成功させ、供養塔や墓石の修復管理も行いたい」と話している。

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1134よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/05(土) 21:04:44 ID:dEE7udmk0
文楽運営補助 26年度で終了 大阪市検討 PRで収益化促す
2013.1.5 14:54
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515020019-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515020019-n2.htm

 大阪市が財団法人・文楽協会の運営資金を支援する目的で支給している補助金を平成26年度で打ち切る方向で検討していることが5日、分かった。27年度以降は、協会が国立文楽劇場(同市中央区)の主催事業のPRに参画し、その対価として公演収入の一部を受け取り運営資金に充てることを想定。だが、実現には劇場を運営する独立行政法人「日本芸術文化振興会」と協会との協力が必要で、曲折も予想される。

 橋下徹市長が示す、補助金の支給目的を運営資金の支援から、個別の事業(公演)ごとの支援へと切り替える方針に沿った計画。来年度の当初予算編成に際し担当部局が提示する。

 25〜26年度の補助金支給額の算定は従来の定額方式ではなく、劇場の年間有料入場者数に連動させて増減させる予定。9万人以下ならゼロ、10万5千人以上で満額の2900万円を年度末に後払いする方式を検討中で、協会に対し、劇場主催の大阪公演や文楽鑑賞教室をPRするよう促している。

 一方で、PRの謝礼として劇場が公演収入の一部を協会に支払う仕組みの構築を働きかけ、26年度を最後に、運営資金の支援を目的とした支給は打ち切る方針。

 市の想定では、協会は27年度以降、個別の公演ごとに、市と大阪府が今年4月に設置する有識者による芸術評価機関「アーツカウンシル」へ事業計画を提案し補助金の獲得をめざす。

 大阪公演と文楽鑑賞教室の昨年度の有料入場者数は9万1420人。過去10年間で最も多かったのは16年度の10万6687人。

 市の担当者は「国立文楽劇場の興行収入を文楽協会に分配できるような仕組みづくりを両者に働きかけ、文楽の振興を図りたい」と話している。

1135よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/05(土) 21:09:53 ID:dEE7udmk0
文楽協会への補助 27年度以降、公演ごと支援
2013.1.5 15:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515120020-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130105/waf13010515120020-n2.htm

 昨年、橋下徹大阪市長の補助金凍結宣言に揺れた文楽協会。公開面談を経て今年度分3900万円の支給が決まったが、市は26年度を最後に運営支援を終える方向で、協会は27年度以降は公演ごとの補助金の獲得を目指すことになる。

 協会が国立文楽劇場の事業をPRし、対価として公演収入の一部を受け取るという市の想定について、協会の三田進一事務局長は「実現には劇場側との契約が必要だが応じてくれるかどうか。補助金が打ち切られるだけの結果を招く可能性もある」と慨嘆した。

 劇場の桜井弘支配人も「劇場は協会とは別の団体で市の意図が分からない」と困惑の表情を浮かべた。

 協会にとっては、来年度の劇場主催の大阪公演と文楽鑑賞教室の有料入場者数に連動して市の補助金支給額が増減する方式も悩みの種だ。

 今年度は過去10年間の最多水準の10万5千人に迫る勢いで好調だが、補助金凍結宣言で注目された影響が大きいとみられ、来年度の見通しは「明るくない」(桜井支配人)という。

 9万人以下なら来年度の補助金はゼロになる見込みで、三田事務局長は「大変厳しい。存立の危機だ」と焦燥感を募らせている。

1136よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/06(日) 00:32:57 ID:dEE7udmk0
※記事より一部抜粋

巡って楽しい七福神ランキング 1位は「大阪」
2012/12/30 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50072900X21C12A2000000/
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO50072900X21C12A2000000/?df=2

家内安全や健康長寿、商売繁盛など1年の福運を願う七福神巡り。専門家にお勧めを聞いたところ、東西の歴史ある七福神巡りが挙がった。


1位 大阪七福神(大阪) 420ポイント
 大阪を代表する繁華街、ミナミを散策しながら大阪の魅力を味わう。毎年1月10日の今宮戎(えびす)神社の十日戎(写真)が有名だ。「関西の多くの人が御利益が大きいと信じている七福神」(高木桂蔵さん)、「商売繁盛のえびす神や大黒天、弁財天の人気が高い」(久慈力さん)、「今宮戎神社は今や福娘のイベントで有名」(三条杜夫さん)
 えびす/今宮戎神社、大黒天/大国主神社、毘沙門天/大乗坊(電)06・6643・4078、弁財天/法案寺、福禄寿/長久寺、寿老人/三光神社、布袋尊/四天王寺布袋堂。南海本線の今宮戎駅などを起点に徒歩3〜4時間

巳年、弁財天にぎわいそう

 七福神は鎌倉時代、漁労や商売の守り神である日本古来のえびす神の信仰に、インドから中国を経て伝わった大黒天や弁財天の信仰が加わった。室町時代に毘沙門天、福禄寿、布袋尊、寿老神が加わり、成立したといわれる。

 東日本大震災の被災地では奥州仙台七福神(仙台市)、いわき七福神(福島県いわき市)が挙がり「復興支援で巡拝したい」という選者もいた。1カ所で七福神すべてにお参りできるところもある。例えば大師寺(滋賀県彦根市)の彦根一箇所七福神。境内には石像の七福神が横一列に並ぶ。

 2013年は巳(み)年。蛇は古代インドで弁財天の使いといわれ、弁天様が守護する年となることから、天河大弁財天社(奈良県天川村)や宮島の大願寺(広島県廿日市市)など、有名な弁財天の人気が高まりそうだ。

  ◇  ◇  ◇  

表の見方 数字は選者の評価を点数化したもの。下段に七福神をまつる社寺と事務局を務める社寺または業者の連絡先、最寄り駅、所要時間などを記載した。

調査の方法 七福神巡りに詳しい東西の専門家に、歴史の古い七福神から新設の七福神まで、楽しみながら巡れる七福神を選んでもらい、おすすめの度合いで順位をつけた。選者は次の通り(敬称略、五十音順)

 板倉あつし(旅行ライター)▽岩井宏實(民俗学者)▽加藤健司(鶴岡八幡宮教学研究所所長)▽木原秀和(日本旅行経営管理部広報室)▽久慈力(ノンフィクション作家)▽小島一博(木耳社編集部)▽三条杜夫(フリーアナウンサー、放送作家、活性化講師)▽高木桂蔵(静岡県立大学名誉教授)▽月岡祐紀子(瞽女歌三味線演奏家)▽内藤勝俊(旅行愛好家)▽春野草結(巡礼ライター)

1137よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/09(水) 05:24:20 ID:TZ62Pqcc0
来てね「十日戎」 福娘らPR
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/MTW1301082800001.html

 9日から始まる「十日戎(えびす)」をPRしようと、今宮戎神社(大阪市浪速区)の福娘らが7日、大阪市北区中之島2丁目の朝日新聞大阪本社を訪れた。

 訪れたのは、昨年12月に選ばれた第61代福娘50人のうち13人で、「なでしこ色」というピンクの着物に白の千早を羽織り、金の烏帽子(えぼし)をかぶったそろいの衣装で、「打ちましょ」と「上方締め」を披露した。福娘は9〜11日の十日戎の期間中、参拝客らに縁起物を授ける。10日の本戎にある「宝恵駕(ほえかご)行列」にも参加する。かごは貴乃花親方や市川猿之助さん、中車さんらを乗せて練り歩く。

 福娘のひとり、大阪樟蔭女子大3年の中川瑞さん(21)は「福娘に選ばれて、とても幸せです。みなさまに笑顔で帰っていただけるよう、ご奉仕いたします」と話した。問い合わせは今宮戎神社(06・6643・0150)。

     ◇

 大阪市福島区の野田恵美須神社の福娘らも7日、十日戎のPRに本社を訪れた。恵美須神社の福娘は、区花の「のだふじ」にちなみ、藤の花をあしらったかんざしをつけ、十日戎では14人の福娘が参拝客を迎える。大阪音大1年の山崎さやかさん(19)は「下町らしい十日戎にも、ぜひいらして下さい」。境内では、「鯛鉾(たいほこ)」や「地車」を特別展示する。問い合わせは野田恵美須神社(06・6441・7084)。

1138よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/09(水) 21:10:32 ID:76u4H/wk0
えべっさんに景気回復を祈願 今宮戎の「十日戎」始まる
2013.1.9 20:09
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130109/wlf13010920090013-n1.htm

 商売繁盛の神様として知られる大阪市浪速区の今宮戎神社の「十日戎」が9日、宵戎で幕を開けた。同神社には朝から大勢の参拝客が詰めかけ、「えべっさん」に景気回復を祈願していた。

 境内では「商売繁盛で笹持ってこい」の景気のいいお囃子(はやし)が響く中、米俵や大判を模した縁起物が飛ぶように売れ、授与所の福娘が参拝客の持つ福笹に次々と結びつけていた。

 大阪市天王寺区の喫茶店経営、福田幸司さん(46)は「不況の影響で年々お客が減っているので、何とか今年は盛り返せるようお願いしました」と話していた。十日戎は11日の「残り福」

1139よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/10(木) 20:18:14 ID:isHK5GsU0
十日戎で宝恵駕籠行列
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130110/4578861.html?t=1357813378125

商売繁盛を願う大阪の今宮戎神社の十日戎は本えびすの10日、芸妓さんらが豪華なかごに乗って神社にお参りに向かう、「宝恵駕籠行列」が行われました。
大阪・浪速区にある今宮戎神社の宝恵駕籠行列は江戸時代に料亭の旦那衆や芸妓さんたちが十日戎にあわせて豪華なかごに乗って神社にお参りしたのが始まりとされる恒例の行事です。
今年は芸妓さんとともに、去年、師匠の名跡を襲名した落語家の桂文枝さんやNHKの朝の連続テレビ小説、「純と愛」でヒロインを演じる夏菜さんも紅白のかごに乗り込み、神社まで約2時間かけてミナミの街を練り歩きました。
担ぎ手は「ほえかご、ほえかご」と威勢のよいかけ声を上げながら進み、夏菜さんたちは沿道に詰めかけた大勢の見物客に手を振って応えていました。
夏菜さんは「子供からお年寄りまで沿道の多くの人たちに『純ちゃん』と声を掛けられてうれしかったです。東京とは違う大阪ならではの活気が感じられてよかったです」と話していました。
また、今宮戎神社の境内も参拝に訪れた大勢の人たちでごった返し、福笹と呼ばれる竹の枝に、それぞれ縁起物のお札などを飾りつけて持ち帰っていました。

01月10日 15時18分

1140よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/11(金) 06:37:31 ID:isHK5GsU0
にぎやかに入場者歓迎 文楽劇場前で「錣」演奏
2013年1月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130110/20130110040.html

 大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場は、上方演芸特選会初日の9日、「錣(しころ)」と呼ばれる大阪独自のお囃子(はやし)で入場者を出迎えた。

 劇場玄関前で、上方落語協会寄席囃子連中の5人が、ことし一年がいい年になるようにと願いを込め、太鼓や三味線、双盤を打ち鳴らして景気付けた。

 演奏の合間には、公演でトリを務める漫才師の羽田たか志さんが、ことしのえと「巳(み)」にちなんで「ことしも劇場に足を運んでいただき、長蛇の列をなしてください」と駄じゃれ交じりにあいさつし、集まった人らとともに大阪締めを行った。

 この日、入場客らにぜんざいが振る舞われ、知人と訪れた住吉区の遠藤俊子さん(75)は「演奏を聴いて、ぜんざいを食べ、公演で笑わせていただくなんて、正月からいいことばかり」と笑顔で話した。

1141よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/11(金) 21:10:12 ID:kwq6piN.0
河口慧海の直筆文書見つかる 大阪
1月11日 4時42分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130111/k10014729581000.html

堺市で生まれ育ち、明治時代、仏教の経典を求めて、日本人として初めてチベットに渡った僧侶・河口慧海の直筆の日記帳などが大阪府内で見つかりました。

堺市文化財課によりますと、河口慧海は、1866年、今の堺市堺区に生まれ、明治時代に仏教の経典を手に入れようと、ヒマラヤを越えて、当時厳しい鎖国政策をとっていたチベットに日本人として初めて入りました。
この慧海の活動を支えた親友で堺市の実業家、肥下徳十郎の子孫の家から、慧海が肥下氏に宛てた直筆の手紙やインドで撮影されたとみられる慧海の写真、それに当時の日記帳などが見つかりました。
このうち日記帳は、チベットに向かう際に肥下氏に送った遺書などを入れた箱の鍵を隠すため、後半部分から、縦7センチ、横5点7センチにわたってくり抜かれています。
また、肥下氏の死にあたって送った弔文には、「唯一無二の親友」、「父母だけでなく姉弟の世話もしてくれた」などと、感謝の気持ちがつづられています。
慧海の研究を進める高野山大学の奥山直司教授は、「肥下徳十郎が慧海の活動を物心ともに支え、非常に重要な人物だったことが分かる貴重な資料だ」と話しています。
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1142よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/11(金) 21:49:49 ID:kwq6piN.0
「福餅」に行列 浜村さんら2000個配る
2013年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130111/20130111032.html

 菅原道真公の足の痛みを治したとのいい伝えから「足の神様」として知られる大阪府豊中市の服部天神宮(加藤芳哉宮司)では10日、豊中えびす祭本戎が行われた。

 “えべっさんが誕生日のダブル淳ちゃん”としてすっかりおなじみになった毎日放送パーソナリティー・浜村淳さんとフリーアナウンサー・梅田淳さんコンビをはじめ、日本サッカー協会・釜本邦茂顧問や“ミスタートラ”ことパーソナリティー・唐渡吉則さんら約20人が『福男』となり、約30分掛け用意された紅白の福餅2千個を手渡しで配った。

 冬空ながら風がほとんどなかったこの日は、宝恵かごに乗り込んだ宝塚歌劇団研究科1年の暁千星(ちせい)さんと遥羽(はるは)ららさんを先頭に、浅利敬一郎同市長や地元選出の国、府、市の議会議員らが参道を掛け声とともに練り歩きながら宮入り。

 十日戎の餅まきは関西各地にあるが、子供連れ女性や年配者らに配慮し、ゆっくり安全にと手渡しするのが特徴。午前中から約300人が行列をつくって待ち受け、餅を受け取る際も握手や写真撮影などを一緒に行うなど和気あいあい。

 浜村さんは「もう20年くらいになりますかね、タカラジェンヌとも毎年ご一緒しますが、これに参加されたお嬢さんがスターになって下さると、ホントに“えべっさんの福”を感じうれしくなります」と、終始笑顔で参拝客と応対していた。

1143よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/12(土) 21:39:35 ID:AM4CXlks0
ハンカチに合格願い、家原寺 大阪・堺市
(大阪府)
http://news24.jp/nnn/news8896157.html

大阪・堺市の家原寺では多くの受験生が訪れ、合格祈願の白いハンカチを本堂に貼り付け、一面が真っ白になっている。「智恵の文殊さん」として知られる堺市西区の家原寺は毎年この時期、受験生が白いハンカチに合格祈願を書き込み本堂に貼り付けていく。以前は受験生がチョークで直接本堂に書いていたため、「落書き寺」とも呼ばれていたが、30年前からハンカチに書いてもらうようになった。受験生らは志望校などを書き込んで、柱や壁にハンカチを留め合格を祈願していた。

1144よっさん ◆UAHWXqKr/M:2013/01/14(月) 19:27:36 ID:CLMkl4Ho0
歴史ロマン道案内 百舌鳥・古市古墳群ウォーキングマップ
2013年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130114/20130114024.html

 世界文化遺産登録の早期実現を目指している百舌鳥・古市古墳群を紹介する「百舌鳥・古市古墳群ウォーキング・マップ−歩いて知る いにしえのロマン・謎・神秘−」が昨年12月に完成し、府外からも問い合わせが寄せられるなど話題となっている。

 古墳群を訪れたことのない人たちにその魅力を知ってもらい、興味を持ってもらおうと、大阪府と堺市、羽曳野市、藤井寺市で構成する、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議が作成した。

 マップは持ち運びに便利なポケットサイズで、百舌鳥古墳群と古市古墳群を裏表に掲載、地図とさまざまな周辺情報を収録。堺、羽曳野、藤井寺各市の市役所や観光案内所、図書館などに設置されている。

 所要時間と目的別に「健脚向け(3時間)」「クイック(1・5時間)」、写真を撮りながらビューポイントを巡る「撮っておき!(3時間)」の3種類のウオーキングコースを設定。またマップ内に記す「ビューポイント」から撮った四季折々の写真、古墳関連展示施設や古墳めぐりに便利なレンタサイクルの情報なども掲載している。

 同推進会議では現在、マップを活用して巡り撮影した古墳の写真コンテストを開催、作品を募集している。応募は、2Lサイズの作品の裏に必要事項を記入した応募票を貼り付け郵送する。送付先は〒540−0012、大阪市中央区谷町1の6の4、オフィスオルタナティブ内古墳写真コンテスト受付係。締め切りは2月18日(消印有効)。

 百舌鳥古墳群は堺市内にある約100基の古墳群で、世界最大級の墳墓、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など4世紀後半から5世紀後半に造られた40基以上が現存する。古市古墳群は羽曳野、藤井寺の両市を中心に4世紀末から6世紀前半までに造られた123基の古墳群で、古墳総面積世界一の誉田御廟山古墳(伝応神陵)など87基が現存している。

 世界遺産登録に向けては、2006年4月設置の堺市歴史文化都市有識者会議で課題検討が開始された。10年11月に世界遺産暫定一覧表に記載されたことを受け、翌11年5月には4自治体が連携して推進本部会議を設置。最速で15年の世界遺産登録を目指して情報発信や機運醸成を図るとともに、ユネスコに提出する推薦書(案)の作成を進めている。

1145よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/14(月) 20:46:40 ID:CLMkl4Ho0
戦国武将と出会う上町台地周遊マップ 人気で増刷
2013年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130114/20130114029.html

 大阪市天王寺区役所が昨年作成した「戦国武将と出会う上町台地周遊マップ」が人気を集め、このほど1万部が増刷された。

 マップは近年の“歴女”にみられる歴史ブームを背景に、「戦国武将と出会う」をコンセプトに、天王寺区に限定せず、大阪城がある中央区、東成区にまたがり神社仏閣や史跡など約100カ所を掲載している。地図上に真田幸村、豊臣秀吉(秀頼)らの家紋をそれぞれの関係箇所に記したほか、表紙に真田幸村ら戦国武将のイラストを描いたのも、「女の子でも手に取りやすい」と人気の要因だ。

 昨年4月に1万部発行し、区役所や大阪市のサービスカウンターに設置したところ最初の1カ月で4千部がなくなり、10月には底をついた。増刷分では新たに大阪城の総囲いをラインで明記し、より時空を超えた歴史探訪が楽しめそう。

 2年後の2015年には「大坂の陣」から400年を迎える。同区担当者は「マップの人気を弾みにしたい」と地域発掘イベントに力を注ぎたい考え。

1146よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/14(月) 20:48:21 ID:CLMkl4Ho0
天下泰平や除魔招福を祈願 住吉大社「お弓神事」
2013年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130114/20130114027.html

 一年の天下泰平や除魔招福を祈願し、神前にささげられた矢で的を射る毎年恒例の「御結鎮(みけち)神事」が13日、大阪市住吉区の住吉大社で行われ、大阪府弓道連盟(中野英夫会長)の有志9人が、厳かな雰囲気の中、弓を引き、矢を放った。

 同神事は別名「お弓神事」とも呼ばれている同大社の伝統行事。年の初めに、農事に災いをもたらす悪霊を退散させることを目的に、1680年ごろ始まったと言われている。

 「射手(いて)」と呼ばれる参加者は、境内に設けられた会場に烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)の正装で登場。35メートル先に設置された的に向け、無病息災などの願いを込め、神妙な面持ちで矢を放った。見事に的を射ると、カメラを構えた参拝客などから歓声や拍手がわいた。

 京田辺市から来た夫婦は「約20年前まですぐ近所に住んでいたが、こういった行事があることを知らなかったので見に来てみた。厳かで迫力があった」と話していた。

1147よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/15(火) 05:29:32 ID:VDBDVOfw0
上がる火柱に無病息災祈願 豊中「大阪とんど祭」
2013.1.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130115/osk13011502000000-n1.htm

 新年の無病息災を祈る「大阪とんど祭」が14日夜、「千里の天神さん」で知られる豊中市の上新田天神社で行われた。

 家内安全や火伏せなどを祈る神事が本殿で行われた後、松明(たいまつ)奉仕員に選ばれた氏子4人が神火を神主から受けた。

 4人は高さ9メートル以上の巨大な円錐(えんすい)形の「とんど櫓(やぐら)」の前で伊勢音頭を歌いながらそれぞれに点火。次第に燃え上がり、とんど櫓全体が大きな火柱に包まれた。

 青竹がはじけ、納められた書き初め、旧年のお札やしめ縄などの正月飾りも焼かれ、とんど櫓を見上げながら市民らが手を合わせていた。

1148よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/15(火) 05:31:11 ID:VDBDVOfw0
「福」呼ぶ小切手も 今宮戎神社でさい銭勘定
2013年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130113/20130113020.html

 大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で12日、新春の祭礼「十日えびす」(9〜11日)で集まったさい銭の勘定が始まった。今月末まで集計作業が行われ、総額は例年並みの約4600万円となる見込み。

 大にぎわいの十日えびすから一夜明けた境内では、神前に勘定開始を告げる「賽物勘定始奉告祭」を斎行。拝殿に参集した池田泉州銀行の行員約10人が神職からお払いを受けた後、無数の紙幣や硬貨を机に広げ、慣れた手つきで仕分け作業に取り組んだ。

 さい銭の中には板垣退助の肖像が描かれた100円札や、米ドル、ユーロ、人民元といった外国紙幣も見られ、小切手では「4129(よい福)」「2951(福来い)」などユニークな語呂合わせの額面が目を引いた。

 ことしの3日間の参拝者数は昨年より約1万1千人多い94万9千人を数えた。同神社では「期間中が平日だったため、勤め帰りにお参りされた方など人出が順調に推移した。福ザサに取り付けられる縁起物の数も増えており、景気回復の期待の高まりが表れたのでは」と話していた。

1149よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/15(火) 23:55:44 ID:ue09MpLA0
ふんどし一丁、護符手に紅潮 四天王寺で「どやどや」
2013年1月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130115/20130115019.html

 ふんどしと鉢巻き姿の男たちが魔よけの護符を奪い合う伝統行事「どやどや」が14日、和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区)の六時堂で執り行われた。吹きすさぶ寒空の下、力水を浴び全身から湯気を立ち上らせた中高生ら約780人は宙に舞う数少ない護符を奪おうと必死に手を伸ばしていた。

 天下泰平と五穀豊穣(ほうじょう)を祈願するために元日から14日間行われている修正会(しゅしょうえ)の結願日の祭り。六時堂に「どやどや」と群衆することからその名が付いたとされている。

 気温6度という寒空の下、参拝者やアマチュアカメラマンらが多数見守る中、近くの幼稚園児らのほか、四天王寺羽曳野中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校が紅白に分かれ、「わっしょい」との掛け声とともに境内を練り歩き入場すると、天井からひらひらと舞い落ちてくる護符を奪おうと必死の形相で体のぶつけ合いを展開。熱気で湯気が立ち上る中、護符を手にした生徒らは「取った取った」「うおー」など気勢を上げていた。

1150よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/16(水) 18:39:55 ID:vw8hEvIE0
正月締めくくる 生國魂神社で「左義長神事」
2013年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130116/20130116025.html

 正月行事を締めくくる火祭り「とんど」が15日、大阪各地の神社などで執り行われ、大勢の参拝者が松飾りやしめ縄を手に境内へ足を運んだ。

 このうち大阪市天王寺区生玉町の生國魂神社(中山幸彦宮司)では伝統行事の「左義長(さぎちょう)神事」を斎行。早朝の火入れ式では神職によって本殿から御神火が運ばれ、境内の一画に積まれた縁起物に移されると高く燃え上がった。見守る参拝者は火にあたりながら手を合わせていた。

 地元で生まれ育った玉谷静枝さん(94)は、持参したしめ縄を火の中に投じて、「幼いころから“いくたまさん”に参拝しており、これでようやく正月が終わったという気持ち。澄んだ一年になってほしい」と笑顔で話していた。

 この日の境内は参拝者が途切れることなく訪れ、中には厄よけとして灰を持ち帰る人の姿も見られた。

1151よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/17(木) 23:04:57 ID:4oETnL8A0
大数珠に願い 大阪・大念佛寺「百万遍会」
2013年1月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130117/20130117023.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺(倍巌良舜法主)で16日、伝統行事「百万遍会(え)」が盛大に行われ、大勢の参詣者が巨大な数珠を繰りながら厄よけなど所願成就を祈願した。

 1人の念仏の功徳が千人、万人と融通し壮大な功徳を生むという教えを表す行事。“億百万遍会”とも呼ばれ、1、5、9月の16日に行われている。

 本殿(登録有形文化財)内では、ケヤキの玉(直径約7センチ)5400個をつなげた大数珠が上部からゆっくりと床に下され、四隅に数珠用の滑車を設置。四辺に連座した参詣者が念仏を唱(とな)えながら一様に玉を繰っていった。

 同寺・畳講の講元を務める坂上治作さん(81)は「毎回参加しているが、年の最初の百万遍会は格別な思い」と、はつらつと話していた。参詣者は数珠繰りの後、倍巌法主から身体堅固の祈とうを受け、お札を授かった。

1152よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/18(金) 05:55:35 ID:4oETnL8A0
回廊の土台? 難波宮跡で出土 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130117-OYT8T00092.htm

 大阪文化財研究所などは16日、2009年度から行っている難波宮(なにわのみや)跡(大阪市中央区)の発掘調査で、後期難波宮(726〜784年)の区画施設の土台にあたる「土壇」が出土したと発表した。

 区画施設は敷地を囲んで内外を仕切るもので、出土した土壇は区画の南面にあたり、南北の幅8・9メートル、東西の長さ3・1メートル、高さ0・3メートル。これまでの調査から、東西方向へ約85メートル続いていたとみられる。周辺から多数の瓦も見つかった。

 規模が大きく、瓦も発掘されたことから、同研究所では、この区画施設が格式の高い瓦ぶきの回廊だったとみている。続日本紀に孝謙天皇が756年に訪れたと記されている「東南新宮(とうなんしんきゅう)」か、そのほかの重要な役所の一部だった可能性があるとしている。

 2009〜11年度の調査では、今回の土壇の南側にある別区画で建物の土台や瓦が見つかり、土台の規模が東西約19・5メートル、南北約14メートルと判明。今回の発見と合わせて、格式の高い大規模な建築物がある区画が二つあったことになる。

 現地説明会は20日午後1時半〜3時半に行われる。問い合わせは同研究所難波宮調査事務所(06・6943・6836)へ。

(2013年1月17日 読売新聞)

1153よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/18(金) 20:39:13 ID:1GuGn1xk0
3月に月亭文都襲名披露
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130118/4835531.html?t=1358509014125

上方落語の大名跡、「月亭文都」を月亭一門の月亭八天さんが113年ぶりに襲名することになり3月に襲名披露公演が行われることになりました。
「月亭文都」は、上方落語の大名跡で「浪花三友派」として活躍した初代・文都が明治33年に亡くなって以降、空席のままとなっていました。
今回、113年ぶりに「月亭文都」を襲名することになった月亭八天さんは、きょう大阪・中央区で会見し、「初代の月亭文都は、バイタリティーや意気込みがすごかったと思う。モチベーションを高め、平成の『浪花三友派』を実現していきたい」と意気込みを語りました。
月亭八天さんは大阪市出身の52歳、月亭八方さんの弟子で、古典落語だけでなく、創作落語にも挑戦し、活躍の場を広げています。月亭八天さんの「月亭文都」襲名披露の公演は、3月19日に大阪で、3月30日に東京で行われるということです。

01月18日 19時14分

1154よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/19(土) 22:26:47 ID:0bGMUZfk0
三好の居城研究を紹介 「大阪春秋」新年号発刊
2013年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130119/20130119039.html

 大阪の歴史と文化産業を発信する雑誌「大阪春秋」新年号(通巻149号)=写真=がこのほど新風書房(大阪市天王寺区)から発刊された。今号の特集は「飯盛山城と戦国おおさか」。生駒山地の北端に位置し、織田信長よりも以前に近畿を支配した三好長慶が居城とした飯盛山城の研究成果をはじめ、城を生かしたまちづくりへの取り組みなどを紹介している。

 「城郭史の舞台 おおさか」では、高槻市立しろあと歴史館の中西裕樹氏が千早城、飯盛城、大坂城など大阪の城郭の変遷について図解と写真を交えて紹介。このほか▽飯盛山城とまちづくり▽飯盛山城の構造と歴史的位置▽天上の飯盛山城〜視界270度の世界▽探訪飯盛山城跡−など。

 巻頭対談は橋爪紳也氏(大阪府立大教授)と中立公平氏(演出家、俳優、ミュージシャン)。付録は「芥川山城跡縄張り図」「飯盛山城跡縄張り図」「烏帽子形城跡縄張り図」。定価1050円。問い合わせは06(6768)4600、新風書房へ。

1155よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/20(日) 22:21:54 ID:OhiyoPF.0
着物扮装で厄落とせ 節分当日に浪速お化髪会
2013年1月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130120/20130120022.html

 扮装(ふんそう)して厄を落とす節分の日の風習「お化髪(ばけ)」を楽しむ「浪速お化髪会」(同会主催、樋口陽子代表)が2月3日、大阪市天王寺区で行われる。着物をそれぞれ自由に着こなして練り歩き、生國魂神社で厄よけの祈祷(きとう)を行う。樋口代表は「5回目のことしは初めて節分当日に開催できる。多くの人と大阪の街から元気いっぱいに厄を追い払いたい」と張り切っている。

 お化髪は、節分の日に普段と異なる服装で参拝すれば鬼を追い払えるとする風習で、江戸時代末期から盛んに行われていたという。現在は京都・祇園や大阪・北新地などで継承されており、樋口代表は北新地のホステスらが節分の日に花魁(おいらん)や舞妓(まいこ)姿で練り歩いているのを見てその風習を知ったという。

 「『もう振り袖は着られない』とタンスの奥にしまわれているような着物がたくさんある。たとえば母や祖母世代がまたそういった着物をまとえる日を作れば、こんなに楽しいことはない」と同会を企画。ドレスコードは「着物」だが、細かな着物のルールは取っ払い、それぞれが自由に“仮装”を楽しんでもらおうと参加者を募った。

 2009年の第1回には20〜60代の男女18人が集まり、日本髪や白塗りなどを施してきれいに“化けて”パーティーを開いた。第2回は参加者が約70人に増え、華やかな着物を着る喜びを感じたり、しまいこんだ着物にもう一度袖を通す機会としたり、どうやって皆をびっくりさせようかと試行錯誤したりと皆それぞれに楽しんだ。

 第3回には初めて生國魂神社までの練り歩きと厄よけ祈祷が実現。60代の女性が「バカ殿様」に扮するなど、少々奇抜な人も交じった行列だが、「厄よけという意味を持つことで、皆真剣にふざける。真剣にふざければ、面白いことも完成度が高くて美しい。アート作品のよう」と樋口代表。

 ことしも、行列と祈祷、そして趣向を凝らしたパーティーを予定している。「イベントを続けてこられたのは、着物の魅力のおかげ。お化髪の風習、そして着物がもっと身近な存在になっていくよう発信役となれれば」と話している。

 老若男女誰でも参加可。参加費8500円(行列のみ参加は2千円)。申し込みは1月末日まで。受け付けメールアドレスは次の通り。naniwaobake@gmail.com

1156よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/25(金) 22:05:42 ID:nfuMXIhg0
罪滅ぼしと招福祈願 大阪天満宮で「うそ替え神事」
2013年1月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130125/20130125027.html

 菅原道真を祭る大阪天満宮(大阪市北区、寺井種伯宮司)で24日、恒例の「うそ替え神事」が盛大に執り行われた。平素のうそを清めようと大勢の参拝者がお守り入りの封筒を交換し合った。

 “正直の神”としても知られる道真公の愛鳥「鷽(うそ)」に託して罪滅ぼしと招福を祈願する神事。参拝者のほかに神職やみこも参加し「うそを真(まこと)に替えましょう」と唱えながら、目の前の人と代わる代わる封筒を交換した。10分以上も続けられ、参拝者は最後に手元に来た封を開け、うそ鳥が描かれたお守りを大事そうに持ち帰った。一部のお守りの裏には木や土製、金、銀色のうそ鳥が授与される印があり、見事金のうそ鳥を受け取った原園真弓さん(53)=兵庫県西宮市=は「初めて参加したのに金が巡ってきて驚いた。とてもうれしい」と笑顔を浮かべていた。

 同神事は25日も午後1時から行われるほか、境内では「初天神梅花祭」に併せて、福玉まき(午前11時、午後4時)などの行事が催される。

1157よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/26(土) 20:36:41 ID:OzPOk.TY0
末期がんの笑福亭松喬さん、住吉大社で落語奉納 「誰かが受け継いでくれたらうれしい」
2013.1.26 20:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130126/wlf13012620060028-n1.htm

 末期の肝臓がんを宣告されながら芸能活動を続ける上方落語の笑福亭松喬(しょきょう)さん(61)が26日、大阪市住吉区の住吉大社で、落語「住吉詣(まい)り」を奉納し、初披露した。

 堅物の若だんなが参詣中にほうき売りの娘に恋をする「住吉詣り」は、久しく途絶えていた古典の大作「箒屋(ほうきや)娘」を上方落語協会会長の桂文枝さん(69)が練り直した作品。文枝さんが昨年秋、闘病中も積極的に落語会を開く松喬さんへ“激励”の意味を込めて演じることを勧めた。

 神殿で玉ぐしをささげた後、約170人の前で披露した松喬さんは「お客さんの反応もよく、すばらしい作品になった。さらに練って、誰かが受け継いでくれたらうれしい」と話していた。

1158よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/26(土) 20:39:18 ID:OzPOk.TY0
「続日本紀」記載の東南新宮か 難波宮跡で現地説明会
2013年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130126/20130126047.html

 大阪市教育委員会と大阪文化財研究所・大阪歴史博物館は20日、昨年11月初旬から実施してきた中央区法円坂の難波宮跡での発掘調査の成果を広く市民に公開するため現地説明会を開いた。参加者は瓦や礎石を伴う40メートルにわたって連続する土壇に熱心に見入っていた。

 今回の発掘調査地は後期難波宮の大極殿東方。難波宮の発掘調査が開始されて間もないころに見つかった東西に長く延びる土壇と瓦の堆積の続きが発見され、その概要が明らかになった。

 土壇は赤褐色の地山土を積み上げたもので、東西方向に延びている。土壇の北端部には礎石とみられる花こう岩が据えられ、北・南端部は丸みをおびた傾斜面となっていてその傾斜部から外側では瓦の破片が密集して出土した。

 調査結果から複廊や築地などで囲まれた格式の高い大規模な区画が二つあり、いずれも後期難波宮の中でも新しい時期に造営されたといえるという。また、格式の高い施設であることから、「続日本紀」に記載のある「東南新宮」にあたる可能性も考えられている。

 説明会では調査成果の解説がなされ、出土遺物の展示も行われた。担当者は「熱心な方たちが多数参加してくれた。これを機会に難波宮ファンが増えてくれれば。今後も調査を進めて明らかにしていきたい」と話していた。

1159よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/28(月) 21:04:29 ID:KJIEjllY0
大阪の文楽補助金、「満額条件」に足りなかった
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20130128-OYT1T00672.htm?from=ylist

  大阪・国立文楽劇場は28日、今年度の文楽公演入場者数の集計結果を発表した。

 前年度比13・5%増の10万3793人で、大阪市が来年度以降の補助金の指標に掲げる「10万5000人」には届かず、ハードルの高さを浮き彫りにした。

 同劇場が制作・開催した計4回の本公演と鑑賞教室の入場者の総計。10万人を超えたのは開場25周年の記念公演が開かれた2009年度以来3年ぶりで、歴代11位となる。

 橋下徹市長が文楽協会への補助金凍結を表明した6月以降、夏休み公演、11月公演、初春公演で好成績だったものの、4月公演、鑑賞教室で前年度を下回ったことが影響した。

 市は、協会の運営補助金2900万円について、同劇場の観客数に連動するインセンティブ(意欲刺激)方式の導入を決めており、年間10万5000人以上で満額、動員が減るごとに減額され、9万人以下なら支給されない。反映されるのは来年度の入場者数から。

(2013年1月28日13時46分 読売新聞)

1160よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/01/30(水) 18:41:25 ID:xolkK5jY0
歴史都市・大阪らしい話題です。


大阪 発掘調査の出土品を展示
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130130/5139841.html?t=1359538734171

大阪府内の遺跡から発掘調査で見つかった出土品などを一堂に集めた展示会が、大阪・河南町で開かれています。
この展示会は大阪の歴史についてもっと知ってもらおうと、河南町の近つ飛鳥博物館が開いているもので、府内の41の遺跡から見つかった土器や写真パネルなど計380点が展示されています。
このうち大阪・北区の佐賀藩の蔵屋敷の跡から見つかった鍋島焼の皿や杯は江戸時代に藩主が大阪に立ち寄った際に使ったものとみられています。
また、東大阪市にある室町時代の集落の遺跡から見つかった1万5千枚を超える銅銭は現在の価値にすると約150万円で当時の人が貯蓄のために地面に埋めていたとみられるということです。
博物館の飯田浩光学芸員は「発掘調査によって、土の中から様々な物が見つかっています。実物をみることで、大阪の魅力を再発見してほしい」と話していました。
この展示会は3月24日まで開かれています。

01月30日 12時23分

1161よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/03(日) 06:38:54 ID:OVnbLZn.0
旧家の誇り、かなわぬ恋 歌人 石上露子 大阪・富田林の旧杉山家住宅
2013.2.2 14:40
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n2.htm

 朝方の大雨が、道に沿って連なる民家の白壁を洗っていった。

 江戸や明治の古い町並みが残る大阪府富田林市の寺内町(じないまち)。4層の屋根がひときわ立派な旧杉山家住宅は、当時の面影をそのまま映す美しい日本家屋である。

 清楚な美貌とあふれる才気で流麗な歌を詠み、「白菊の君」と謳われた明星派の女流歌人、石上露子(いそのかみ・つゆこ)(本名、杉山タカ)は明治15(1882)年この家に生まれ、昭和34(1959)年この家で亡くなった。

 富田林きっての旧家の跡取りに生まれ、家を継ぐため愛する人との結婚をあきらめた露子は、かなわぬ恋の思いを歌に詠み続けた。その生きざまは同時代に生きた与謝野晶子の奔放さと対比される。

 〈君ならぬ車つれなう門すぎてこの日も暮れぬ南河内に〉

 愛する人の訪れを富田林のわが家で終日待ち続け、むなしく日が暮れていったと嘆く露子の切ない恋心が綴られている。

 いまも残る若き日の写真。きゃしゃな着物姿だが、じっとこちらを見つめる黒い瞳には強い意志の力が感じられる。

               □

  その美しい歌人の名は久しく忘れ去られていた。

 明治後期、『明星』誌上に哀愁漂う短歌を発表し、明治41年、忽然と姿を消した石上露子。再び文壇に登場したのは昭和6年だった。彼女の身に一体何があったのか。

 南河内の大地主の跡取り娘として生まれ育った露子。何不自由のない暮らし、才能にも美貌にも恵まれながら彼女の歌には悲しみが溢れている。

 最大の原因は初恋の人、長田正平との恋の破綻。露子は杉山家の長女、正平も長田家の長男。当時、旧家の相続人同士の結婚は非常に困難な時代であった。

 明治40年、露子は意に染まぬ結婚をする。彼女が筆を折ったのはその翌年。夫が露子の文筆活動を望まなかったという。

1162よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/03(日) 06:41:01 ID:OVnbLZn.0
>>1161

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130202/wlf13020214400016-n4.htm

 近鉄富田林駅から南に徒歩約10分。現代の町並みが突然、明治時代にタイムスリップしたように変貌した。

 瓦屋根の日本家屋が連なる情緒ある町並。民家には明かりとりの「虫籠(むしこ)窓」など江戸や明治の暮らしの痕跡が見える。戦国時代に誕生した寺内町である。

 旧杉山家住宅として、現在一般にも公開されている杉山家は、寺内町設立にも関わった名家。露子が生まれた頃は造り酒屋で、家屋の後ろには酒蔵がずらりと建ち並んでいたという。

 近代文学が専門の元四天王寺大学教授、宮本正章さん(75)は「露子は当時、神山薫という進歩的な家庭教師の引率で東北や東京に旅行もしている。旧家の誇りと近代的自我の両方を持ち合わせていた人だったのではないか」。

 正平とは、東京旅行の際、神山の紹介で知り合った。正平も明治33年には杉山家を訪問している。

 しかし結局、露子は家のため、別の男性と結婚する。その苦悩は絶唱となって歌に昇華された。

 〈黒髪の千すぢのみだれ風さかひあゝ焦熱の火中をぞ行く〉 

 露子の生き方は、意志を貫き、与謝野鉄幹との恋に走った同時代の歌人、与謝野晶子とは対照的だ。

 宮本さんはいう。「露子は開明的な思想もあったが実践に移せなかった。そこが、堺という開かれた町の商家に生まれ育った晶子との違いではないか」

 旧杉山家住宅には露子が愛したアールヌーボー様式の螺旋階段が残されている。西洋式な小さな飴色の階段は純和風家屋にあって奇妙な調和を保っていた。

 それは、旧家の誇りと自分を解放する恋のはざまで苦悩しながら生きた露子の思いの結晶にも見えた。

(文・亀岡典子、写真・岡本義彦)

      ◇

【旧杉山家住宅】 大阪府富田林市の寺内町にある旧家。寺内町とは真宗の寺院を中心に堀などで防御した町をいい、富田林の寺内町は16世紀中頃に誕生した。旧杉山家は、土間部分が17世紀中頃に建てられ、その後、座敷や2階を増築、延享4(1747)年頃にはほぼ現在の姿となった。女流歌人、石上露子の生家として知られ、蔵には遺品が展示されている。昭和58年に重要文化財に指定。

1163よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/04(月) 19:53:06 ID:tGVu5w2k0
宙乗りで鬼は外! 大阪松竹座で片岡愛之助さん
2013年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130204/20130204018.html

  大阪市中央区道頓堀の大阪松竹座で3日午後、「二月花形歌舞伎」で昼夜別演目に主演して奮闘中の片岡愛之助さんが「鬼は外!」と、恒例の豆まき行事を行った。昼の部「新八犬伝」終演後では一人四役に挑んでいる愛之助さんと中村壱太郎さんら「八犬士」の面々が、場内のお客さんに袋入りの豆を手渡すなどスキンシップを図った。

 宙乗りで豆をまき観客をびっくりさせた片岡愛之助=3日午後、大阪市中央区

 夜の部では「GOEMON 石川五右衛門」上演中に、五右衛門の愛之助さんが宙乗りになって豆をまく一幕があって、「松嶋屋!」と観客席を沸かせた。同公演は片岡秀太郎さん、中村翫雀さんも参加し上方歌舞伎の若手俳優と競演しパワーあふれるにぎやかな舞台を繰り広げている。26日まで。

1164よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/05(火) 05:46:30 ID:tGVu5w2k0
利休の“料理”味わう 大阪城特別講座第1弾
2013.2.5 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130205/osk13020502060001-n1.htm

 産経新聞グループの愛読者組織「ウェーブ産経」が主催する「大阪城特別講座〜歴史を味わう〜」の第1弾「秀吉と利休」が4日、大阪市天王寺区のシェラトン都ホテル大阪で開かれた。大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さんが豊臣秀吉と千利休の関係を解説。利休が秀吉を接待した献立などをアレンジした「秀吉おもてなし料理」を味わった。

 会員80人が参加。北川さんは「秀吉懇意の利休が頭角を現すと、秀吉の弟の秀長と並ぶ豊臣政権の両輪的存在となった」と指摘。2人の決裂については「黄金茶室は2人でつくったもの。価値観の対立ではないと思う」と、派手な秀吉と美意識で対立したとの説を疑問視し、秀長死後に若手側近が利休の追い落としを図ったとの説を紹介した。

 料理は、同ホテルの日本料理店「うえまち」の茅ケ迫(かやがさこ)正治料理長が「利休百会記」などを基に接待料理を現代風に仕立てた。参加した会員らは古風さが漂う味わいに浸っていた。

1165よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/05(火) 05:48:59 ID:tGVu5w2k0
福つかめ 岸和田・高見観音節分祭 大阪
2013.2.4 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130204/osk13020402020001-n1.htm

 岸和田市五軒屋町の高見観音(観蔵院)で3日、恒例の節分祭が営まれた。豆やもちがまかれたほか、縁起物のヒイラギの販売などがあり、大勢の参拝者でにぎわった。

 高見観音は、岸和田城の鬼門守護寺院として建てられ、節分に合わせた祭事が毎年行われている。

 境内では、訪れた家族連れらが昨年買ったヒイラギの枝木を返納。無病息災や家内安全などを祈って参拝し、新しいヒイラギを買い求めるなどしていた。参拝後には、「七福湯」と呼ばれるあめ湯のふるまいを受け、味わったり、水筒に入れてもらって持ち帰ったりしていた。一方、豆まき、もちまきも人気で、大勢の参拝者たちが「福」をつかもうと手を伸ばしていた。

1166よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/06(水) 22:02:59 ID:.Vn42cj60
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪速詰方日記
2013年2月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130206/20130206037.html

大阪赴任で連日接待

 バブル景気のころのサラリーマンの接待もこんな感じだったのだろうか。

 天保11(1840)年、福岡藩蔵元奉行兼勘定奉行として大阪に赴任した不惑の大岡克俊は、3月17日の到着以来、ひと月で19回の宴席をこなした。

 「酒は飲め飲め」の黒田武士でも、さすがに4月18日の日記には「少々不快につき今日より薬用いたす」と記した。

 大阪の蔵屋敷を管理する商人などに誘われ、曽根崎の茶屋「河佐(かわさ)」には12回(別に同僚と4回)、他に天満天神、住吉宮、鴻池別荘、桜ノ宮や心斎橋見物、難波新地の曲馬、能興行などの遊山に出かけている。

 これでは疲れないほうがどうかしている。彼の「浪速詰方日記」を読むと、蔵屋敷の役人の「苦労」が見えてくる。

 大岡は4度大阪に来て、3度分の「詰方日記」を残した。天保11年は初めての大阪滞在だから、最初の1カ月はあいさつ回りや顔合わせの意味で付き合いも多かろうが、結局在阪400余日中73回も前述の茶屋に行っている。

 福岡藩は享保(1716〜36年)の大飢饉(ききん)などで財政は悪化する一方で、天保年間には、担保も不足し返済も滞った。天保4(1833)年には藩主斉清(なりきよ)が藩政改革を開始し、大量の藩札を発行、家臣や領民に貸し付けてその返済分を借銀返済に充てようとした。

 また、大阪の借銀の返済を一方的に凍結し、生蝋(きろう)や石炭などの専売制を強化して収入を拡大しようとした。

 ところが、藩札の発行高は天保5年だけでも銀3万8457貫余りで、その価値は発行後3カ月余りで半分以下に下落。斉清後の藩主長溥(ながひろ)が、大阪の鴻池ら蔵元に謝罪した。

 こんな状況では福岡藩蔵屋敷が蔵元や銀主を接待するのが当然だと思うが、逆に商人のほうが大阪見物に連れて行き、茶屋で接待をしているのだ。

 それでも、4度目、文久元(1861)年の在阪の際には、手土産に特産物の鶏卵を贈ったり、蔵屋敷内の歳暮の集まりは中止にし、蔵元との付き合いもうなぎ会を催したり謡の御稽古会に出席するなど、落ち着いたものになった。生蝋の専売に力を入れ、それを扱う商人との付き合いが増えた。大岡も60歳。河佐へは、10月の着任後12月に出かけ、そのあと10回行き、6月6日の離阪前日が最後になった。

 (大阪商業大学商業史博物館専門学芸員・岡村良子)

1167よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/09(土) 07:07:33 ID:0H/azHCA0
感謝込め針供養 大阪天満宮
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130209-OYT8T00095.htm

 大阪天満宮(大阪市北区)内の吉備社で8日、「針供養」が行われ、晴れ着姿の女性ら約1500人が、裁縫の上達を願った。

 中国から裁縫技術を持ち帰ったとされる吉備真備をまつる吉備社で大正時代から続く行事。大阪和服裁縫協同組合(浪速区)などが主催し、和裁所で働いたり、裁縫を学んだりしている女性たちが、曲がったり折れたりした針を、社の前に設けられた軟らかいコンニャクに1本ずつ刺して供養していた。

 孫に振り袖や訪問着などを贈るために和裁の稽古をしているという吹田市の主婦、奥田京子さん(69)は「この1年で何十本もの針を折ってしまった。頑張ってくれた針には感謝の気持ちでいっぱい」と話していた。

(2013年2月9日 読売新聞)

1168よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/09(土) 07:08:12 ID:0H/azHCA0
巨大屋敷の堀?出土 楠葉中之芝遺跡
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130208-OYT8T00125.htm

 枚方市楠葉中之芝の楠葉中之芝遺跡から、鎌倉時代前半(13世紀前半)の屋敷の堀とみられる溝が出土し、市教委が発表した。摂関家として君臨した藤原氏の所領「楠葉御牧(みまき)」があったとされる場所で、市教委は「藤原氏に通じる有力者の屋敷の可能性もある。当時の集落の様子を知るうえで、重要な手がかり」としている。

 市教委は昨年11月から、土地区画整理事業に伴って発掘調査を実施。出土した溝は、幅約2・3〜3・1メートル、深さ約1メートル。東西約14メートル、南北約11・2メートルのL字形で、市内でこれまでみつかった屋敷の堀跡では、最大の規模になる。

 溝に囲まれた場所からは、大型の井戸(直径約4・6メートル)も出土。溝の中から、土器の「土師器(はじき)」の皿や、「瓦器(がき)」の器、木製の箸などの生活用品が大量に発掘されており、堀に囲まれた巨大な屋敷があったと推定される。

 遺跡の周辺は、良質な土器の生産拠点としても有名で、近くに流れる淀川は、重要な輸送ルートだったことから、市教委は「有力者は、水運や手工業生産の利権を手にしたのではないか」とみている。

 現地説明会は、9日午後1時30分、同2時15分、同3時の計3回。小雨決行で、駐車場はない。問い合わせは市教委文化財課(050・7105・8058)へ。

(2013年2月8日 読売新聞)

1169よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/10(日) 18:43:25 ID:0Qq6rt0c0
早春告げる盆梅展 大阪天満宮
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130210-OYT8T00094.htm

◇華やか香り うっとり

 学問の神様・菅原道真をまつる大阪天満宮(大阪市北区)で大盆梅展が開かれ、梅の盆栽が訪れる人を楽しませている=写真=。3月10日まで。

 天満宮によると、左遷された菅原道真が都を去る際、「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠むなど、梅との関わりは深い。

 会場の参集殿には、淡いピンクや白い花びらの約60鉢が展示され、甘い香りが漂う。樹齢約200年の梅や、梅と松を背景に配した天神像の掛け軸などもある。天満宮の担当者は「まだ冬の寒さが厳しいが、一足早い春の気分を味わって」と話している。

 中学生以上500円、小学生300円。問い合わせは、大阪天満宮社務所(06・6353・0025)。

◇新名物いかが 「梅亀天神餅」

 盆梅展の期間中、大阪天満宮境内では土産物店などの屋台が立ち、昨年11月に天満宮にちなんで発売された和菓子「梅亀天神餅」=写真=も並ぶ。

 梅亀天神餅は、外食チェーン会社「フジオフードシステム」(大阪市北区)が運営する「梅亀庵」(同区天神橋2)で製造販売。国産のもち米に境内の梅にあやかってシソを入れて作った餅に、北海道産の小豆を練り上げたこしあんを、亀の甲羅に見立てて載せている。

 社長の藤尾政弘さん(57)は天神橋筋商店街の食堂を営む親の元で生まれ育った。昨春、「天満宮の名物を作り、地元に恩返ししたい」と天満宮に打診したところ、了解が得られた。1月12日に天満宮に奉納された。

 天満宮の寺井種治権宮司(49)は「参拝客のお土産として定着すれば」と期待し、藤尾さんは「末永く愛されるお菓子になるように育てていきたい」と話す。2個入り210円から販売。問い合わせは梅亀庵(06・6882・0871)。

(2013年2月10日 読売新聞)

1170よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/10(日) 18:46:35 ID:0Qq6rt0c0
文楽の魅力体験 来月開催へ
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130210/5343821.html?t=1360489529250

大阪発祥の伝統芸能「文楽」の魅力を知ってもらうことで、観客の増加につなげようと、運営団体の文楽協会は、人形の操作などを直接体験してもらう催しを来月、開くことにしています。
大阪の国立文楽劇場で行われた文楽の公演の観客数は、今年度、約10万4000人で、3年ぶりに10万人を超え、運営団体の文楽協会は、演じ手の技芸員とともに観客をさらに増やすための取り組みを検討しています。
この一環として、文楽協会は、大阪府などの協力を得て、来月10日と12日の2日間国立文楽劇場で、「文楽」の魅力を幅広く知ってもらう催しを開くことになりました。
催しでは、文楽の人形の操作を体験してもらうほか、語り手の「太夫」や「三味線」、それに「人形遣い」の3つの役割の解説や文楽のミニ公演などが行われることになっています。
文楽協会では「参加費は無料なので、文楽をよく知らない人にも気軽に参加してもらいたい。こうした取り組みを続けて少しでも観客を増やしていきたい」と話しています。
申し込みの期限は、今月22日で、往復はがきや府のホームページから申し込むことができるということです。

02月10日 07時04分

1171よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/10(日) 19:59:53 ID:0Qq6rt0c0
四天王寺 フリマでにぎわう 「わっか市」
2013年2月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130210/20130210026.html

 手作り雑貨などを集めた「わっか市(いち)」(同実行委員会主催)が、大阪市天王寺区四天王寺1丁目の和宗総本山四天王寺境内の西重門前広場で、毎月第1日曜日に開かれている。手作り雑貨や無農薬・無添加食品など安全な食品を求める家族連れや友達同士、カップルらに人気を呼んでいる。

 この市は東京や関西でフリーマーケットを開いている中川誼美さん(吉水経営)や雑貨店「キャラメル・ママ」(八尾市)経営、森川弘子さんらが中心になって昨年4月から毎月開催している。

 和宗総本山の「和」、人の「輪」、食べ物の「輪」など全ての「わ」をイメージして「わっか市」と命名された。

 3日に開かれた市では、衣料・服飾雑貨をはじめ古道具、革のかばん、陶芸品、無農薬野菜、手作りにこだわったキムチ、ソーセージ、ジャム、パンなどを販売する約70ブースが出展された。参拝客を含め多くの人たちが訪れ思い思いの商品を手に取り、店主らと会話を楽しみながら購入する光景が見られた。

 市ではパントマイムショー「『ウッチー&ぴんきー』のいっぷくしあたー」(ちんどん通信社所属)や絵本の読み聞かせ会(クレヨンの会主宰)など、楽しいイベントも行われた。

 実行委員長の中川さんは「四天王寺さんが協力的で感謝している。こだわりの店がいっぱいで店主とのおしゃべりも楽しんでいただきたい」と話し、キャラメル・ママ代表の森川さんは「こだわりのお店のオーナーさんには出展していただきたい」と呼び掛けていた。

 次回開催は3月3日。午前9時〜午後3時。

1172よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/11(月) 06:40:27 ID:seBLmPhg0
敵を集め一網打尽 岸和田城の「犬走り」解説 大阪
2013.2.10 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130210/osk13021002070001-n1.htm

 岸和田市にある「岸和田城」の石垣を調べている市と市教委は9日、市民説明会を開き、担当職員らが本丸の東と南西側に位置する「犬走り」と呼ばれる石垣の段差について「敵を集めて攻撃するためとおもわれる」などと解説した。

 市では、1月下旬から今月にかけて岸和田城の内堀の水を抜き、石垣の老朽化などについて調査を進めている。犬走りについては、これまでも存在は確認されていたが、今回水を抜いたことで、その全容が姿を現し、特徴的な段差がみられるようになったとして、特別に説明会を開催したという。

 担当職員らによると、通常の城の石垣の場合、敵の足場となるような段差は設置されないことが多いとする一方、岸和田城にみられる長さ約200メートルにわたる犬走りについては「上陸した敵を1カ所にまとめて迎え撃つ利点があるとされ、他県の城(彦根城、今治城など)でも確認されている」などと説明した。

 このほか、石垣に残されている刻印などについても詳しく紹介。参加した市民らは、興味深そうに聞き入っていた。

1173よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/11(月) 18:58:05 ID:/YnYSKGM0
履中天皇陵(上) 被葬者は幻の天皇!? 築造順位“真逆”の謎 
2013.2.11 13:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021113000012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021113000012-n2.htm

 第15代・応神天皇、16代・仁徳天皇、17代・履中天皇−。4世紀末から5世紀にかけて絶大な権力で国内を統治し、「倭の五王」ともされる3天皇は、それぞれ国内ベスト3の巨大前方後円墳に葬られたという。

 最大の仁徳天皇陵(堺市堺区、全長486メートル)と2位の応神天皇陵(大阪府羽曳野市、同425メートル)は被葬者に矛盾はないとされるが、3位の履中天皇陵(堺市西区、同365メートル)については、研究者の多くが疑問を抱く。

 履中天皇陵の築造時期が、3天皇の即位順と全く一致しないからだ。3天皇陵の築造順位は、墳丘出土の埴輪(はにわ)などから、(1)履中天皇陵(2)応神天皇陵(3)仁徳天皇陵−と判明。第17代で最も新しいはずの履中天皇陵が考古学的には最も古いという“真逆”の結果になった。「履中天皇陵をそのまま履中天皇の墓とするのは難しい」と堺市世界文化遺産推進室の白神典之主幹。

 それでは、履中天皇陵はいったい誰の墓なのか。応神天皇より前となると、14代・仲哀(ちゅうあい)天皇になるが、同天皇は河内に葬られたと日本書紀は記し、宮内庁が指定する仲哀天皇陵(大阪府藤井寺市、同242メートル)もある。

 「日本書紀があくまで正しいとすれば、履中天皇陵に該当する天皇がいなくなる」と白神氏。日本書紀に記されていない“幻の天皇”が葬られたのだろうか。

 さらに、履中天皇自身の古墳も「所在不明」となる。仁徳天皇陵より新しい古墳は、約2キロ東の土師ニサンザイ古墳(堺市北区、同300メートル)があるが、反正天皇の墓ともいわれる。

 全長が365メートルというのもあやしいという。墳丘の周濠(しゅうごう)は満々と水をたたえているが、宮内庁が作成した古墳の測量図をよく見ると、墳丘1段目がほとんど水面に隠れている。白神氏は「水面下の分も合わせると全長は400メートル近くになるのでは」という。知られているようで意外と謎めいた巨大古墳である。

1174よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/11(月) 19:14:42 ID:/YnYSKGM0
履中天皇陵(下) 盗掘被害に室戸台風…御難続きも地域見守り 
2013.2.11 15:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021115000016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130211/wlf13021115000016-n2.htm

 「履中天皇陵、大学生らが盗掘」。昭和61年12月、新聞でショッキングな窃盗事件が報道された。天皇陵の幅約30メートルの周濠(しゅうごう)をゴムボートで渡り、墳丘に埋まっていた埴輪(はにわ)などを盗んだとして逮捕された。

 学生らは歴史に興味があったというが、このときの盗掘品が昨年秋、大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)で、宮内庁が調査した他の天皇陵などの埴輪とともに公開された。履中天皇陵で盗掘された埴輪のうち、矢を入れる容器を模した靭(ゆき)形埴輪は、全体を復元すると高さ1・5メートル近くになり、被葬者の権力の大きさをうかがわせた。

 同天皇陵は、盗掘だけでなく、台風など御難続きだった。明治31年には、被葬者を納めた石室のある墳丘後円部が直径6メートル、深さ2メートルにわたって大規模に陥没。昭和9年9月には、死者・行方不明者約3千人をだした室戸台風で墳丘の木々がなぎ倒された。

 堺市史によると、倒木は松や杉など約900本。なかでも、墳丘にそびえ、古くから大阪湾を航行する船に針路を指し示していた名松「傘の松」が折れたという。「市民の痛惜のまととなった」。市史は無念の思いをこう表現した。

 それでも地元の人たちは「御陵さん」と親しみをもって見守り続ける。かつては周濠の水が農業用水として人々の生活を支え、現在はボランティアで清掃活動などが行われている。

 都市部にある履中天皇陵はフェンスで囲まれているが、住宅がすぐそばまでせまり、裏庭が天皇陵というぜいたくな家も多い。フェンスに洗濯物を干すおおらかな光景もみられ、数十年前までは周濠から金魚の水をとるなど子供たちのひそかな遊び場だったことも。

 堺市世界文化遺産推進室の白神典之主幹は「周辺開発の恐れもあるが、地域に根ざした御陵だからこそ大切に守られてきた」と話す。

1175よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 09:57:09 ID:QVpRrk3c0
大阪ロマン紀行

芸の神様になった芝右衛門狸

今回の案内人 亀井 澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年2月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130215/20130215053.html

生國魂神社(天王寺区生玉町)

 日本の三大狸(タヌキ)といえば、佐渡の団三郎狸、香川屋島の禿(はげ)狸、淡路洲本の芝右衛門狸である。

 この芝右衛門狸は無類の芝居好き。江戸時代の初め頃、淡路から芝居でにぎわう道頓堀へとやってきた。芝居小屋の「中座」へ通うようになったが、係の者が毎日の売上金に木の葉が交じっているのを不審に思い、犬を入り口に置いてみた。いつものように芝右衛門が小屋へやって来ると、狸の苦手な犬がいる。なんとか通り過ぎようとしたが、隙をついて芝右衛門に犬がガブリ。狸の正体を現して、さんざん追い回され、ついには殴り殺された。

 この話は淡路島にも届き、最近、芝右衛門の腹鼓が聞こえないのはそのためかと、仲の良かった人々は芝右衛門の死を悼んだ。それから奇怪なことに、中座の興行成績がガタリと落ちた。これは狸の祟(たた)りに違いないと、初代の片岡仁左衛門が中座の奈落に芝右衛門狸を八兵衛大明神として祀(まつ)ったところ、客がまた来るようになった。以来、八兵衛大明神の祠(ほこら)は芸道の神様として、役者たちがお参りするようになったのである。

 さて、ここからが本題。平成11年の中座閉館にともない、大阪最古の神社である生國魂神社と淡路洲本八幡神社に八兵衛大明神の分霊が遷(うつ)されることになった。平成11年11月1日に八兵衛大明神遷座合祀祭(せんざごうしさい)が行われ、生國魂神社の摂社(せっしゃ)である源九郎稲荷(いなり)神社に合祀された。

 源九郎稲荷とは奈良県吉野の源九郎稲荷の分祠(ぶんし)であるから、狐(キツネ)と狸が祀られていることになる。では、どうして分霊したのかと言うと、350年以上も続いた芸道の神、八兵衛大明神はすでに大阪の文化としてしっかり根付いていたからである。

 大阪の芸の神はやはり、大阪に鎮座するのがよかろうと私も思う。この芝右衛門狸の伝説を知っている人は、芝右衛門としてお参りすると思うが、大阪では八兵衛大明神の名前が一般的だろう。

 また、文楽の物故者を祭神として祀る浄瑠璃神社や、生國魂神社で4千句を矢数俳諧(やかずはいかい)した井原西鶴の像や、彦八まつりで有名な上方落語の祖、米沢彦八の顕彰碑など、大阪の文化を境内のあちこちに見ることができる。

 生國魂神社は、何度も焼失や損壊の憂き目に遭っているが、その都度、民間人が私財を投じて再建してきた。空襲で焼けたときなどは、日本人の団結の力を最も恐れるGHQを尻目に、大阪人は力を合わせて、自分の家より先に大阪文化の象徴、生國魂神社を再建してしまった。

 だから小さく見えても、文化の継承を守るという意味で、八兵衛大明神をそのまま還(かえ)さず生國魂神社に分霊したことは、いかにも大阪らしいと思えるのだ。

1176よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 10:13:53 ID:QVpRrk3c0
天満天神梅酒大会、開催迫る−大阪天満宮で奉告祭
http://umeda.keizai.biz/headline/1521/

 2月16日〜24日に開催される「第7回天満天神梅酒大会」を目前に控えた15日、会場となる大阪天満宮(大阪市北区天神橋2)で同大会の成功を祈願する開催奉告祭が執り行われた。

 梅に縁のある菅原道真を祭る大阪天満宮で、地域活性化と梅酒市場の拡大を目指して開かれる同イベント。全国の蔵元から自慢の梅酒が集められ、一般参加者の投票と専門有識者のブラインドテイスティングにより、優勝銘柄に「天下御免」の称号を授与する。運営は大学生らボランティアスタッフが行い、今年は160人のボランティアスタッフが参加。

 大会の認知度は年々上がり、昨年は2〜3時間の入場待ちができる日もあったが、今年は大阪天満宮の協力で会場を拡大したり日時指定のファストパスを発行したりするなど、混雑緩和の対策にも取り組む。大会期間中は周辺の飲食店にも人が流れるなど、地域活性の効果も見せている。

 今年は梅酒308銘柄、リキュール165銘柄が出品。参加者は700円のチケット購入で制限時間内は自由に試飲でき、1人5銘柄に投票できる。女性や主婦など普段お酒にあまり接しない人や、飲食店経営で仕入れの参考にする人、商品企画の参考にする蔵元の人など、「それぞれの立場で楽しんでいるよう」と実行委員長の上田久雄さん。会場では試飲のほか販売も行い、天神橋筋商店街の店主らが街路樹として植えた梅の実で作った「天満梅酒」も会場限定で販売する。

 今年の梅酒やリキュールは「90ミリリットルの小瓶の商品やゼリー状のもの、炭酸が入ったものなどバラエティー豊か。特産果汁を使ったものなど、それぞれの地域や蔵元の特徴が出ている」と上田さん。多彩な商品の背景には「若い世代のアルコール離れ」があるといい、「アルコールを飲むきっかけとなるような商品作りがされているのでは」と話す。期間中1万5000人の来場を見込む。

 開催時間は10時〜16時。今月24日まで。結果発表と授賞式は3月9日に行われる。

1177よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 20:14:22 ID:5CkDbxVc0
造幣局が生んだ? 大阪の一大ガラス産地
2013/2/16 6:30
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH06006_X00C13A2AA2P00/

大阪天満宮(大阪市北区)に詣でた際、門前に「大阪ガラス発祥之地」という碑があるのに気づいた。確か天満かいわいにはガラス関連企業が幾つかあるが、大阪にガラスとそれほど深い関わりがあったのだろうか。街の歴史をひもといた。


天神橋筋商店連合会会長の土居年樹さん(75)に聞いた。今はマンションなどが立ち並ぶが「この辺りには戦前、数え切れないほどガラス関連工場があり、前を通ると炉の熱気を感じたものです」と話してくれた。

 「かいわいは旭硝子や東洋ガラスの発祥の地。工房は江戸時代からあったそうですが、産業として本格的に発展したのは明治以降です」と土居さん。旭硝子の社史を調べると、ルーツは1906年、初代社長が天満付近に設立した合資会社。「当時の最新式ガラス工場」だったという。アサヒグループホールディングスも、山本為三郎・初代社長がかつて、天満周辺のガラス瓶メーカー社長を務めていた。自著に「瓶の製造が縁でサイダーに関係し、ビールに関係することになった」とある。

 大阪市の資料では、第1次世界大戦で欧州向けにガラス製品の輸出が急増。終戦後の1919年、大阪府には全国のガラス関連工場の約7割に当たる882工場が集積していた。

 ガラス産業が発展した背景について、ガラスアーティストで大阪工業大客員教授の岡本覚さん(57)が説明してくれた。「ガラスの量産には、原料のケイ砂や燃料の石炭を運ぶ交通網が欠かせません。水利が発達していた大阪は、ガラス産業が育つ要素がそろっていたのです」

1178よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/16(土) 20:16:27 ID:5CkDbxVc0
>>1177

http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH06006_X00C13A2AA2P00/?df=2

 しかし天満で近代ガラス産業が芽吹く契機は何だったのか。大阪市史料調査会を訪ねた。「明治維新直後、様々な官営工場が大阪城周辺に建設されました。中でもガラス産業は、造幣局の存在が大きかったといえます」。調査員の古川武志さん(41)が答えてくれた。

 造幣局は明治維新から間もない1871年、大阪・天満の大川(旧淀川)沿いに設立された。「造幣局は当時、国内最新鋭の総合工場。金属精錬に必要な硫酸や燃料に使う石炭ガスなどを自前で製造してたんですよ」と古川さん。その一つがガラスの原材料となるソーダ灰(炭酸ナトリウム)で「明治政府の殖産興業政策で、余剰生産分は民間に安く供給されたのです」。

 造幣局は幕末期の混乱した幣制を立て直す国の一大プロジェクトの結晶だった。幕末期に英国に密航留学し近代技術を学んだ長州藩(山口県)出身の5人の志士のうち、井上馨や伊藤博文ら4人が造幣局長を歴任。設立に関わったメンバーには五代友厚、寺島宗則、大隈重信など、そうそうたる名前が並ぶ。

 そもそもなぜ、造幣局が大阪に設置されたのか。広報室によると、「維新に貢献した大阪の町衆に配慮した」「大久保利通が唱えた大阪遷都論が影響した」「東京の治安への懸念」「大阪が経済の中心地だったため」など諸説あるが、「はっきりした理由は分からない」そうだ。

 第2次大戦後は市街の発展とともに、公害問題から郊外に移転したり、後継者難などで廃業する企業が相次ぎ、大阪のガラス産業は急速に衰退した。

 そんな中で1970年、逆に同市中央区から天満に本社を移したのが象印マホービンだ。同社まほうびん記念館の山口己年男館長(60)は、「理由は定かではないですが、天満がガラス発祥の地ということが当時の経営陣の念頭にあったのかもしれません」と想像を巡らせる。

 造幣局がなければ、街は現在の姿とは違う発展をしていただろう。大阪と造幣局に不思議なご縁(円)があったということか。

(大阪社会部 榎本行浩)

1179よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/17(日) 05:34:07 ID:1SeL2I/A0
吹田の旧家で「ひな祭り」 大阪
2013.2.17 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130217/osk13021702060000-n1.htm

 吹田市の吹田文化創造交流館(旧西尾家住宅)で16日、「ひな祭り」が始まった。豪華に飾られたひな人形の数々に、来場者らもうっとりと見入っていた。3月3日まで。

 西尾家は江戸時代、吹田村で上皇の所領地である仙洞御料方の庄屋を務めた旧家。広い敷地に玄関棟や居住棟、茶室、離れ、米蔵など江戸後期から大正にかけての和風住宅建築群が残っており、ひな祭りはその屋敷で伝統文化に親しんでもらう催し。

 主屋(しゅおく)の座敷に、男びな、女びなや三人官女らが京都の御所を模した御殿に座る豪華な「御殿飾り雛(ひな)」や段飾り、立ち雛などが飾られ、訪れた家族連れがボランティアの説明を聞きながら、興味深そうにひな人形をのぞきこんでいた。最終日の3日は、こども着物着付けや折り紙教室などの「ひな祭りイベント」が行われる。

1180名無しさん:2013/02/17(日) 15:29:10 ID:7qUqXZ120
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130217/20130217029.html
音楽に合わせ梅満開 大阪天満宮「水墨画奉納式」
2013年2月17日
 てんま天神梅まつりが開かれている大阪市北区の大阪天満宮で16日、水墨画奉納式が開かれた。小雪がちらつく境内で多くの参拝者らが足を止め、梅の木を主題にしたライブペインティングと、大正琴や朝鮮半島の民族楽器による生演奏の競演に見入っていた。

 梅を描いたのは水墨画家の李鴻儒(リコウジュ)さん。毎年梅まつり期間中に琴伝流大正琴の前垣友紀さんらとともに境内の特設ステージでパフォーマンスを披露している。

 10回目となる今年は、前垣さんらが「交響曲第9番」や「美しく青きドナウ」などのクラシックに日本の「赤とんぼ」や韓国の「アリラン」を交えた国籍にとらわれないプログラムを用意。李さんは巧みに筆を走らせ、約20分で縦約1・8メートル×横3・6メートルに梅の花が満開の水墨画をかき上げた。

 李さんは「雪も降り、まさに寒梅となった。今年もいい一年になりそうだ。おおきに」と笑顔。前垣さんは「さまざまな文化のコラボレーションということで、世界が平和と愛であふれることを願い演奏した」と話していた。

 水墨画は、李さんが明日まで境内で制作を続け、横10メートルの大作にして大阪天満宮に奉納する予定。

1181よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/18(月) 22:17:46 ID:aFTlbeEo0
「言葉難しいけど面白い」 子どもたちが能と狂言
2013年2月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130218/20130218023.html

 子どもたちに日本の伝統芸能である能と狂言に親しんでもらうイベント「こどもとたのしむ能狂言」が17日開催され、能が大阪能楽会館(大阪市北区中崎西)、狂言が大槻能楽堂(同中央区上町)で行われた。それぞれ舞台を鑑賞した後、能面体験やお囃子(はやし)ワークショップに参加し、日ごろ接する機会の少ない伝統芸能に触れていた。

 狂言が行われた大槻能楽堂は子ども約160人とその保護者らでにぎわった。参加者らは「仏師」と「附子」を鑑賞。「仏師」の田舎者と仏師と偽った詐欺師が仏像をめぐってやりとりする場面では、子どもたちも大きな笑い声を上げて楽しんでいた。

 お囃子ワークショップは笛、太鼓、小鼓、大鼓をそれぞれの指導者の下で挑戦していた。

 祖母の園田瑞穂さん(71)に「一度、体験してみれば」と誘われて参加した純平君(12)は「日本の昔の言葉で難しかったが、面白かった」と話していた。

1182よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/19(火) 22:24:46 ID:AbyIS1/g0
全国の梅酒が大集合=大阪〔地域〕 .
http://jp.wsj.com/article/JJ11194491127056024402517174038083411837867.html

 大阪市北区の大阪天満宮で、梅酒の日本一を決める「天満天神梅酒大会」が開催中だ。今年で7回目で、酒造メーカーは過去最多の227社が参加。梅酒部門に308銘柄、ユズやシークワーサーなどの果実酒を含むリキュール部門に165銘柄出品している。

 来場者が試飲し、各部門でおいしいと思う5銘柄を投票。上位10銘柄は、ソムリエや酒販店店主ら約20人が行う最終審査に進み、3月9日に各部門の日本一が発表される。

 大会実行委員で同志社大4回生の大江雄仁さん(22)は「日本各地の梅酒を知ってもらい、梅酒文化を発展させると共に、地域活性化を図りたい」と話す。

 大会は24日まで。入場料は700円で、制限時間内に好きなだけ試飲できる。

1183よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/20(水) 19:12:30 ID:4587/SvM0
浪華紙魚百景 

大商大商業史博だより

油方御改革ニ付御触書之写
2013年2月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130220/20130220037.html

将軍家御膝元の灯油供給

 昨年の夏は原発稼働が問題となり、計画停電が取り沙汰された。実際に関西で停電はなかったものの、電力危機に肝を冷やした方々も多かったことと思う。

 片や電気がなかった江戸時代、人々は灯明で明かりをとった。その灯明の油は菜種や綿実を原料とした。特に、幕府が置かれた大都市江戸では、都市の繁栄とともに夜間の生活に灯油は必需品となった。

 明治初年代の商業者に対して大阪商法会議所が行った聞き取り調査の記録には、「燈油(とうゆ)の如(ごと)き、江戸の需要欠乏するや、江戸商賈(しょうこ)は憤然として曰(いわ)く、将軍家の膝下(しっか)をして暗黒にするを欲するや」云々(うんぬん)という記述がある。これは、将軍を頂点とした武家社会においては、そのお膝元である江戸の灯火需要が最優先されるべきものであったことを物語っている。

 そこで、幕府は商品流通の中心都市であった大阪の油商人に特権的地位を与え、大阪の油市場から江戸への「下り油」の安定供給に心を砕いた。これによって江戸への灯油供給は「下り油」に依存することになる。

 特に「下り油」の生産管理が政治的に強化されたのは明和年間(1764〜72年)で、幕府は油生産機能を大阪に一極集中させようとしたが、灘目などでの絞油業の台頭を看過しえず、結局これらを容認し政治支配の中に組み入れることによって、末端商品である搾油レベルでの大阪への廻着総量の増加を図る。

 しかし一方で、地方の無許可での絞油業者の出現が、大阪への菜種や綿実集荷減少の原因となる。さらに、大阪周辺の菜種や木綿の生産農民からは、大阪の問屋の集荷独占による製油原料の買いたたきと販売独占による油小売価格の高騰に対する反対運動が起こる。

 行きつ戻りつしながら、幕府は次第に市場開放を行う方向で政策転換をしてゆく。そして、その行政改革の終着点が天保3(1832)年に出されたこの御触書であった。この改革では、大阪の内本町橋詰町に統一的な油寄所を設置した。また、江戸にも霊岸島に新たに取引のための油寄所を設置して、「下り油」のみならず、この時期台頭してきた関東周辺での製油の集荷も行った。

 しかし、江戸への灯油供給は依然として「下り油」への依存が見られ、先述の明治初年代の聞き取り調査の記述は、「町奉行は之を審査して大坂町奉行に移牒(いちょう)し、速やかに貨物の輸送あらんことを告ぐ。依(よっ)て大坂油商は之を決して猶豫(ゆうよ)するを得ず、百方周旋して積み送る事なり」と続けている。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員 池田治司)

1184よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/21(木) 22:08:27 ID:oh/YA7BM0
被葬者の棺を運んだ橋? 墳丘周濠から柱穴 堺・ニサンザイ古墳
2013.2.21 17:22
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130221/wlf13022117330018-n1.htm

 17代・履中(りちゅう)天皇や18代・反正(はんぜい)天皇の墓ともいわれる国内8番目の大きさの前方後円墳、堺市北区のニサンザイ古墳(全長約300メートル、5世紀後半)で、後円部東側の周濠(しゅうごう)から、橋脚か舞台の跡ともみられる多数の柱穴が見つかり、21日、市文化財課が発表した。

 周濠からこうした施設が見つかるのは全国で初めて。柱穴は、墳丘から周濠を渡るように長さ34メートル分が確認され、被葬者の遺体を運ぶための特別な橋か、葬送儀礼の舞台との見方も浮上し、天皇陵クラスの古墳祭祀(さいし)を考えるうえで貴重な資料になりそうだ。

 調査は、墳丘を囲む周濠のうち墳丘の中心線と一致する後円部東側で行われた。墳丘に接する部分で、幅12メートル、長さ4メートルの範囲に約20本分の柱穴が整然と並んでいるのが見つかり、舞台のような構造になっていた。さらに、舞台の中央部分から周濠をまたぐように、幅2メートル、長さ30メートルにわたって柱穴が橋のように並んでいるのが確認された。

 墳丘に接する部分だけ大きな舞台のようになっていたともみられるが、調査範囲が限られていることから、幅12メートルの大規模な橋だった可能性もあるという。市文化財課は「こうした構造物は前例がなく、将来的に全体像が解明できれば」としている。

1185よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/23(土) 07:06:46 ID:avopk44Q0
窯跡に大量の須恵器 豊中・桜井谷
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130223-OYT8T00095.htm

 古墳〜奈良時代(5世紀後半〜8世紀前半)の須恵器の生産地とされる豊中市の桜井谷窯跡群で、大量の須恵器が詰まった窯跡が見つかり、市教委が22日、発表した。窯跡は天井部が破損、何らかの理由で加熱中に崩れ、そのまま放置されたとみられる。専門家らは「壊れた窯を使い捨てできるほど周囲に多くの窯があったといえる。当時の一帯の生産規模を裏付ける」としている。

 調査は、昨年7月から同市宮山町の約1000平方メートルで実施。その結果、傾斜地で全長約10メートル、幅1〜2メートル、高さ1・4〜1・6メートルのトンネル状の窯跡が見つかった。中からは杯身(つきみ)、杯蓋(つきぶた)と呼ばれる丸い器(直径12〜16センチ)など、須恵器約120点が発見された。

 窯跡には、壁面や天井の破損を補修する粘土を塗りつけた指の跡などがあったが、天井が崩壊する大きな不具合があったため、この窯で焼くのをあきらめ、中の須恵器も取り出さずに放置したとみられるという。

 大阪大の福永伸哉教授(考古学)は「破損した窯の放置から一帯の窯業の規模の大きさが推測できる。継体天皇が国家的な生産地として育て、王権の基盤を充実させるのに使った場所だったのでは」と話している。

 現地説明会は3月2、3両日の午前10時〜午後3時。問い合わせは、平日に市教委地域教育振興室(06・6858・2581)へ。

(2013年2月23日 読売新聞)

1186よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/24(日) 16:54:00 ID:FYGl./F60
燃える炎 息災祈る 四天王寺「初庚申」
2013年2月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130224/20130224029.html

 えとの組み合わせで、約2カ月ごとに巡る庚申(かのえさる)の日にちなんだ信仰行事「庚申(こうしん)まいり」のうち、ことし最初の「初庚申」が23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)庚申堂で執り行われた。建設中の日本一の超高層ビル「あべのハルカス」を望む境内では、初庚申恒例の柴灯(さいとう)大護摩供も盛大に行われ、朝から無病息災などを祈願する参詣者らであふれた。

 同寺庚申堂は日本の庚申信仰発祥の地として知られ、本尊として除災無病の霊験を持つ「青面(しょうめん)金剛童子」が祭られている。

 護摩供では同寺僧侶のほか奈良県大峯山の修験行者らが奉仕した。丸木を組んだ大きな護摩壇の周囲には結界が設けられ、法弓や法剣といった清めの前作法に続いて点火。「病気平癒」「厄除開運」など、さまざまな願いが記された護摩木が高く燃え上がると、参詣者らは一様に手を合わせて所願成就を祈っていた。

1187よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/24(日) 19:18:48 ID:FYGl./F60
槍で突き倒し討ち取った…幸村の最期「新説」
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130223-OYO1T00612.htm?from=newslist

 大坂夏の陣(1615年)で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。同家の家臣と槍(やり)で戦って討ち取られたと記されており、戦わずして自ら首を差し出したとの定説を真っ向から否定する「新説」だ。幸村の最期は他にも諸説があり、専門家は「400年たっても、謎が解けないのがいかにも幸村らしい」と関心を寄せる。

 覚書は大坂の陣に徳川方として参戦したのちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。

 文面では、幸村を討ち取った人物としてよく知られるのちの福井藩士、西尾仁左衛門が登場する。

 〈西尾が馬で敵中に入り、少し高い所に上がった時に「よき敵」と遭遇。互いに馬から下りて槍で戦い、突き倒し、討ち取った〉と記述。さらに〈夕方に(幸村の顔を知る)越前松平家の家臣、花形市左衛門兄弟が陣中見舞いに来て、討ち取った首が幸村のものとわかった〉とつづっている。

 当時は一騎打ちで名乗り合うことが多かったとされるが、身分が違う場合や相手が複数の場合は名乗らないこともあったという。

 幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、西尾仁左衛門に自ら首を差し出したとする逸話が最も知られており、徳川幕府の史料にも残る。

 大坂の陣に詳しい大阪城天守閣の北川央(ひろし)・研究主幹は「福井藩として、正々堂々と戦って討った首だと主張したかったのだろう。幸村には影武者がおり、大坂の陣では首が三つ見つかったとされる。さらに異説が出る可能性もあり、真相は今も謎だ」と話している。

 真田幸村 1567〜1615年。大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫り、家康を窮地に追い込んだとされ、「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた。家紋は「六文銭」。幸村を題材にした物語は多く、大正期には忍者・猿飛佐助ら「真田十勇士」を従え、家康に挑んだとする少年向けの読み物が人気を博した。池波正太郎の歴史小説「真田太平記」は今も読み継がれるロングセラー。

(2013年2月23日 読売新聞)

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1189よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/25(月) 23:47:51 ID:JSyEk74o0
ひな人形ずらり 古民家彩る
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130225-OYT8T00060.htm

. 泉佐野市の市指定文化財「旧新川家住宅」(同市本町)で、「古民家のひな祭り」が開かれ、市民らから寄贈されたひな人形が展示されている=写真=。3月3日まで(月曜休館)の午前10時〜午後4時。無料。

 「季節の風物詩を楽しんでもらおう」と、NPO法人泉州佐野にぎわい本舗などが企画。今年は、市指定文化財「旧向井家住宅」(同市土丸)でも展示している(3月10日まで、月曜休館)。

 旧新川家住宅の会場には、江戸末期以降のひな人形約20組を展示。同NPOは「趣のある建物にずらりと並んだひな人形は圧巻。ぜひ見に来て」と呼びかけている。問い合わせは、同住宅(072・469・5673)。

(2013年2月25日 読売新聞)

1190よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/02/27(水) 20:24:10 ID:3ByVhhd.0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪速詰方日記
2013年2月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130227/20130227041.html

蔵屋敷が信仰の対象

 今回は第61回の続きとして、もう少し『浪速詰方日記』を紹介しよう。茶屋通いだけを取り上げられては、執筆者の大岡克俊も浮かばれまいから。

 江戸時代によらず、寺社参詣は楽しい遊山の一つである。大岡も大阪天満宮で流鏑馬(やぶさめ)を見たり、蔵屋敷出入りの商人たちを招いて船で天神祭の神幸を見物したり、御霊社の人形芝居を見物したりしている。

 そんな中、滞坂中必ず2、3度参詣するのが、「高松屋敷金毘羅(こんぴら)宮」だ。これは大阪の高松藩の蔵屋敷内に勧請されている金毘羅宮のことで、縁日は9、10日だが、参詣人は日ごろから絶えなかったという。

 『町史ことひら』第2巻によると、大阪蔵屋敷の金毘羅権現については、宝暦2(1753)年の記録があり、明和4(1767)年の記録には、もともとは「お蔵屋敷鎮守」のため建立されたものだが、参詣人は増え、そのうち百度参りなどをする者などで、「場所柄ゆへ以来外に障る」ようになり、ほこらは取り払われたとある。が、また天明6(1786)年に再建された。江戸上屋敷にも同様の御札守所があった。蔵屋敷自体が信仰や遊山の対象でもあったわけだ。

 福岡から大阪まで、大岡は下関を通って船で瀬戸内海をやってくる。その途上でいつも本宮の金毘羅さんへ参詣している。

 特に2度目の来阪、嘉永3(1850)年のときには、多度津で、風雨が激しくなり、港に繋留(けいりゅう)できなくなった。風のために船が石垣に押しつけられ、船頭や多度津の人々大勢で、石垣と船の間に大丸太を数本差し入れ、船を引っ張ってやっとのことで山の陰に繋留することができた。

 大岡は、これも兼ねてから象頭山に参詣しているおかげで、今回何事もなかったのは、「誠ニ神力之冥助いつれも有か(が)たく奉仰事」と書き記している。

 福岡から大阪に米を運ぶ場合でも難船はつきもので、航行の無事を祈れば、自然に信仰は篤(あつ)くなる。高松藩以外にも、丸亀藩にも金毘羅宮があり、広島藩蔵屋敷には厳島神社、宇和島藩蔵屋敷には和霊神社、大岡自身の福岡藩の蔵屋敷内にも大宰府天神があった。久留米藩蔵屋敷には水天宮があったが、その様子は「久留米藩大阪蔵屋敷絵図」(大阪歴史博物館寄託。現在同館で展示中)に見ることができる。

 ちなみに、高松藩蔵屋敷は現在のリーガロイヤルホテルあたりに、福岡藩のは阪神高速中之島入口辺にあった。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)


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