更に今回は第4文型で
It takes the average moterist 317 feet
となっています。
先生のSVOOはgiveの感覚で捉えると
itは317 feetを取り込んで、the average moteristに手渡している。
(結果、317 feetはthe average moteristのもの)
つまり、ここでは317 feetかかるのはthe average moteristが対象、彼らにとってのこと
と、かかる対象を限定する意味合いで置かれていると思います。
上に出た田中先生のhave空間理論だと
itがtakeするのは単なる317 feetではなくthe average moterist <have> 317 feet(という状況)
やはり対象者を限定する意味合いに通じます。
まとめると
>例文:It takes the average moterist 317 feet to stop a car that is going at 55 miles an hour.
it(漠然と頭に浮かんでいる、言葉に言い表わさないその何か)は、317 feetを自分のところに取り込み
平均的ドライバーにそれを負わしめて、〜する車を止めるのに使います。
→時速55マイルで走行する車を止めるのには、平均的ドライバーにとって、317マイルかかります。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
>(訳:平均的ドライバーが時速55マイルで走る車を停めるには317フィート必要である。)
結局for A to doと同じように、the average moteristとto stop a carには意味上の主語述語関係が読み取れるので
このような訳になるんだと思います。
It is no surprise that the most complex features of the Universe, which proved most reluctant to yield to the traditional methods of scientific investigation, should exist on our scale.
最終部に出てくる should についてです。
駿台予備学校が出している「青本」の解説に、
この should は一般に「感情の should」と呼ばれるもので、ここでは主節に surpurise があるために使われている。これは「驚き;遺憾などの主観的判断」を表す主節の後で用いられるもので、「…すべきだ」という義務の意味はない。
とありました。
どうして should に感情の意味があるのかはわかりません(shall=強い意志 の名残?)が今は保留して受け入れることにして、ここに should を置く必然性についてお聞きしたいのです。
「主節に surprise があるために使われている」と解説にありましたが、本文では「no surprise」となっていて、「驚き」が否定されています。
「主節に surprise があるために使われている」が正しいとすれば、本文では surprise ではなく、正反対の no surprise が使われているのだから、should を使う必然性は無いと思います。
この本文と同じように、主節で「no surprise」を使っていても that 節内で should を使っていない例なんて、検索をすればいくらでも出てきます。
あるいは、この解説は、仮定法現在の文(要求・主張の文)に should を入れた文のことを想定しているのかなとも思いましたが、exist は事実を述べているはずなので、また、仮定法現在の文(要求・主張の文)に should を入れた文の should には多少なりとも「〜べき(義務)」の意味が含まれているので、この仮定は完全に否定されます。
そして自分なりに考えてみました。
「宇宙で一番複雑なのは我々人間を含む生物なんだよ。どう?意外だったでしょ?おっどろいたでしょ?こんなに身近なところにあるなんて。」
本文にこういうニュアンスを含めたいから、should を置いて「驚き」や「意外性」を示したかったのでは?と思ったのです。
つまり、主節に surprise があるから、that 節に機械的に should を置くんだよということではなくて、that 節の中身に意外性や驚きのニュアンスを込めたいから should を置いたのではないかということです。