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鬼和尚に聞いてみるスレ part8

759進路探訪者:2017/04/30(日) 00:09:03 ID:DIiPmWc60
>>754

ご回答ありがとうございました。

桜井さんを尊敬しているので少しショックでした。

しかし、悟っていないからいつも自分とは何か追及する歌詞を
書き続けてくださってるので、逆にその方が良かったです。

桜井さんはいつまでも若々しいけど、そろそろ壮年になってきた
ことですし、桜井さんが仏縁をつかむことを祈っております。

760としぼっくり:2017/04/30(日) 00:27:24 ID:e3FcqxaA0
ありがとうございます。
実践して行きます。

761避難民のマジレスさん:2017/04/30(日) 19:00:20 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

自分の中に浮かぶ考えを否定する働きがあります。否定する心の働きが起こっている事を観察して、否定しようとする心に巻き込まれない事が肝要でしょうか?

そこから今ひとつ進歩が無いのですが、どうすれば良いでしょうか?

よろしくお願いします。

762鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/04/30(日) 21:28:58 ID:1d4drIFg0
>>759 そうじゃ、悟っていなくともよい歌を創り、歌えるものじゃ。
 歌手として尊敬するとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>760 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>761 そうじゃ、否定する心の働きも自分のものとはせずにただ観察するだけにするのじゃ。
 そのようにただ雑念を流していれば、いずれ自然に思考が止まる時が来るじゃろう。
 それに気付けば座るたびに自然に思考が止まる境地にまでいけるようになるのじゃ。
 しかし自分でとめようとかしないようにするのじゃ。
 ただひたすら集中するだけでそれは起こるのであるからのう。
 そのような次の段階に至るまでただひたすらに集中あるのみなのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2017/04/30(日) 22:51:48 ID:Y5LPInQE0
>>762
レスありがとうございます。
ただひたすら集中して観察すれば、思考が止まる時が訪れるのですね。
頑張ります。

764蓮恵:2017/05/01(月) 18:13:49 ID:AlNqYyjs0
和尚さま 
 空間��(space) とは何ですか?

765進路探訪者:2017/05/01(月) 20:11:47 ID:mcxPUZkg0
>>762

鬼和尚さん。

ひたすら集中して観察するといいますが、それは観察ができる段階にまで座禅の修行が進んでからですよね。

しかし、鬼和尚さんがいったように、座禅で悟るのは鋼鉄の扉を手で開けるのに等しいように、座禅とは才能を非常に要するので、観察できる段階にまで座禅の修行を進める時点ですでに大きな才能が必要なのではないですか?

766鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/01(月) 21:07:19 ID:1d4drIFg0
>>763 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>764 それも観念であるのみなのじゃ。
 実際は全て同じものなのじゃ。
 物とも別に空間があるわけではないのじゃ。
 物がないことを空間と呼ぶだけなのじゃ。

>>765 雑念を流せるようになればすでに観察も出来るじゃろう。
 雑念が観察中にわいても流せるからのう。
 それまでは誰でもできることなのじゃ。
 自分を観察すれば瞑想もまた深まるように修正できるのじゃ。
 止観は互いに補い合って未熟な者も習熟できるのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2017/05/02(火) 15:33:05 ID:Kw.THjSg0
食料として犠牲になった生き物は来世はいいとこに生まれますか?
それとも身をもつものとして生まれた以上食料となることはデフォルトで
しょうがないことなのでしょうか?だとすると特に来世に影響ないですか?

768としぼっくり:2017/05/02(火) 17:26:23 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さん質問ですが、
苦を観察する時は、自分の本心を観察して
、苦を観察した方がよろしいのでしょうか?

769進路探訪者:2017/05/02(火) 19:31:29 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、こんにちは。

思竜庵というサイトで、「本物っぽい偽者、偽者っぽい本物」
というタイトルで、止観法を練り直した思想を主張し、ネット掲示板
で毎日人生相談をすることでネット教団の成立に成功した
ネット・グルについての記事がありました。

明らかにこの掲示板(群)を念頭に置いていますが、私にはどちらが
正しいか、理屈としては正直区別できません。

このサイトについて詳しくレビューしてくださらないでしょうか。

(ttp://seidaku.seesaa.net/category/6005780-2.html)

770鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/02(火) 21:27:44 ID:1d4drIFg0
>>767 少しはよくなるじゃろう。
 少しずつ向上していくのじゃ。
 慈悲の行いによって人にもなれるのじゃ。

>>768 そうじゃ、本心を観察するのじゃ。
 苦があるならば苦があると観察するのじゃ。
 それが本心を観察することなのじゃ。
 苦があるのに苦しくは無いと偽ればそれは本心ではなく、苦がなくなることもないのじゃ。
 苦のある本心を観察し、苦の原因をも見れば苦はなくなるのじゃ。
 苦は無いとすればその原因を観ることも無く、苦が無くなることもないのじゃ。
 そのように苦があれば苦があると偽らない心で観察するのじゃ。

>>769 それはおぬし次第なのじゃ。
 おぬしの心に苦があればわしが教えたとおりに観察して苦を滅することも出来るじゃろう。
 そして誰の言葉が正しいかわかるじゃろう。
 実践によって自ら確めるのじゃ。

771としぼっくり:2017/05/03(水) 03:01:08 ID:jQQie9cY0
ありがとうございます。
苦のある本心を観察して、苦の原因を観れば、苦が無くなると言う事ですね。
実践して行こうと思います。

772進路探訪者:2017/05/03(水) 15:14:48 ID:n5LGt6wU0
>>770

それならば、思竜庵では、鬼和尚は空性と空観を混同し、空性を真理でなく修行法であるといっている批判は正しいですか。

また、苦の因縁の観察は単なる観察をいうのではなく、本来面目に気づいたときの最終手引きにしかならないというのはどうでしょうか。

また、弟子の自己申告で悟り判定はできないというのはどう考えますか。

最後に、OSHOが教団を率いて失敗したように、誰彼構わず修行を勧めるのは失敗であるという批判はどう考えられますか。

たくさんの質問申し訳ありません。

773避難民のマジレスさん:2017/05/03(水) 19:40:43 ID:NrQyrS9A0
>>770
>>767 少しはよくなるじゃろう。
 少しずつ向上していくのじゃ。
 慈悲の行いによって人にもなれるのじゃ。

ありがとうございます 食べなきゃ皆死んじゃいますもんね

ところで死後に自分の体を病気の人に提供したり検体として医学の糧に使ってもらおうと
するのは慈悲になりますか?死後なのであまり関係もないでしょうか?

774鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/03(水) 20:54:53 ID:1d4drIFg0
>>771 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>772 それはおぬしが何を目的とするかによって違うのじゃ。
 観念の世界では客観的な真実は無い故に、おぬし自身の目的によって正しさも変るのじゃ。
 空性が真理とはぽったんと名乗るものも言っていたのじゃ。
 おぬしが真理を知っているといいながら他人に論破されて反論できず酒に逃避する人間になりたいならば、空性を真理と思うがよいのじゃ。
 因縁の観察が最終手引きとか語るのは麻原彰晃なども唱えていたのじゃ。
 おぬしが正しい修行法も知らずに多くの者を欺いて死刑囚になりたいというのならばそれを真実と想うがよいのじゃ。
 お釈迦様は弟子の語ることで悟りの判定をしていたものじゃ。
 悟りを求める者に修行法を薦めないならば、法慳貪の咎に当たるのじゃ。
 
 おぬしが執着を厭離して苦から逃れたいならば全ては空であると観想するがよいのじゃ。
 苦を原因から滅して二度と煩わされないようになりたいならば因縁を観察するとよいのじゃ。
 苦から逃れたい者に法を薦めるならば、自らの理解もまた進み善を行うことにもなるじゃろう。
 苦を滅して安楽と喜びの境地に至れば自ら何が正しいのかを知ることもできるのじゃ。

>>773 それは本当に苦しんでいる人を助けようとする動機からするならば慈悲であり善になるのじゃ。
 どうせいらないからとか思えばごみを捨てるのと変わりないのじゃ。
 人の役には立つから少しはよいことであるがのう。
 苦しむ他人を哀れみ、助けようとする心が慈悲なのじゃ。
 そのように自らの本心を観察して見極めるのじゃ。

775としぼっくり:2017/05/04(木) 08:39:28 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さん基本的な事がわからなくてすいません。
質問ですが、
縁起とは一体何なのでしょうか。

776避難民のマジレスさん:2017/05/04(木) 11:56:18 ID:xRMgGpgo0
>>774
おっしゃるとおりどうせ捨てるものだからあげようという気持ちがあります。
生きているうちにもっと慈悲を施すほうがいいですね。
募金などは気が付くたびにしていますが他も実践しようと思います。ありがとうございます。

777鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/04(木) 21:01:18 ID:1d4drIFg0
>>775 縁起とはお釈迦様が説いた心の観察法なのじゃ。
 人の心は刺激から起こる連想を根本の働きとしているのじゃ。
 例えばりんごを見れば、すっぱい味を思い出すというようにのう。
 りんごを見るのが縁として、すっぱい味の連想が起こったのじゃ。
 さらにその思い出したことを縁として、すきとかきらいという感情も起こるじゃろう。
 そのように次々と縁によって起こる心の働きが続くことを観察する方法なのじゃ。

>>776 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

778進路探訪者:2017/05/04(木) 21:04:05 ID:DIiPmWc60
>>774

では、思竜庵のサイト主は他に酒と武道を愛しているようですが、
このサイト主はぽったん氏でしょうか。

779としぼっくり:2017/05/04(木) 21:30:55 ID:jGbOOhtA0
ありがとうございます。
縁によって起こる心の働きが続く事を観察する方法なんですね。無知な者で大変勉強になりました。理解を深めつつ実践に取り入れさせてもらいます。

780鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/05(金) 21:30:32 ID:1d4drIFg0
>>778 そうかもしれん。
 ちがうかもしれん。
 いずれにしても主張することはおなじなのじゃ。
 同程度の者じゃな。

>>779 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

781避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 12:15:22 ID:czRftzgI0
ダメ押しの確認をさせてください
ニュースを見て浮かぶ何の感情の反応も伴わない自分の意見程度の考えは自動で起きているから流し、頭に浮かぶ過去の記憶も機械的の生じているから流す。
記憶または感覚を契機として現れた考えによって胸のあたりに反応(要するに感情を伴うこと)が起きた時、その考えと感情を止観の観察対象にする。
結論:観察対象にするかどうかは感情の反応を基準にする。

これでいいですか?

782避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 12:49:12 ID:czRftzgI0
まさか止観中に頭に浮かぶ考え全てを観察するわけじゃないですよね

783進路探訪者:2017/05/06(土) 19:09:32 ID:DIiPmWc60
>>780

ご回答ありがとうございました。

止観法をがんばって取り組もうと思います。

784避難民のマジレスさん:2017/05/06(土) 20:11:45 ID:e1blP17Y0
ヨガナンダの本に出てくるババジという不老不死の人物は実在すると思いますか?
クリヤヨガを広めるために作られた架空の存在なのでしょうか?

785鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/06(土) 20:20:13 ID:1d4drIFg0
>>781 それは感情を観察するための法なのじゃ。
 刺激による縁で図らずも起きてしまう苦に有効なのじゃ。
 何か苦があるならばそれをやるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>782 考えは観察しなくてよいのじゃ。
 全て雑念として流してよいのじゃ。
 思考は過去の記憶によるものであるからのう。
 今思考しているとだけ観察するのじゃ。
 今ここにある心身を観察するのじゃ。

>>783 そうじや、実践する者だけが進んでいくのじゃ。
 またおいでなさい。

>>784 いないのじゃ。
 観念の中であれば誰でも不老不死であるがのう。
 そうじゃ、宣伝マンなのじゃ。

786としぼっくり:2017/05/06(土) 21:52:47 ID:53Clfc.A0
鬼和尚さん質問ですが、
観察とは一体何なのでしょうか?

787避難民のマジレスさん:2017/05/07(日) 06:03:26 ID:czRftzgI0
>>731
HPを改めて読んでみて、私は止観を思い違いしてたようです。
もっと修行してきます

788鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/07(日) 20:33:10 ID:1d4drIFg0
>>786 観察とは今ここにあるものごとをありのままに感じ、認識することなのじゃ。
 否定することも肯定することもなく解釈することも無くありのままに受け入れるのじゃ。
 それによって観察対象が自分ではなく、自分のものではないという気付きが生まれ、厭離が起こるのじゃ。

>>787 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

789としぼっくり:2017/05/07(日) 21:19:15 ID:jGbOOhtA0
ありがとうございます。
修行に励もうと思います。助かります。

790入り口の人:2017/05/07(日) 21:33:55 ID:dFAk.kvU0
疲れてしもうて数息観ができん…
というか手応えが感じられんのです

791鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/08(月) 21:13:35 ID:1d4drIFg0
>>789 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>790 そのような者には丹田に集中するのがよいかもしれん。
 腹式呼吸をしながら、下腹へそ下三寸の中にある丹田に集中するのじゃ。
 元気が出るじゃろう。
 熱が出たり反応があれば手ごたえもあるとわかるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

792としぼっくり:2017/05/09(火) 10:08:26 ID:IOMLtO8.0
鬼和尚さん質問ですが、
修行が楽しいのですが、楽しんでいいのでしょうか?

793避難民のマジレスさん:2017/05/09(火) 11:10:16 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

様々な思いが湧き起こるせいか、思考停止のような状態に良く陥ります
その状態は苦しく、鬼和尚さんが言われている思考が止まる境地とは別のように思います
思考をどうにかしたくて、どうにも出来なくて、でもどうにかしようとする思考が、
そのどうにかしたいという欲求を満たせず、無力なまま立ち尽くしている…
そんな風に感じます

どうしたら良いのでしょうか?

794避難民のマジレスさん:2017/05/09(火) 13:39:27 ID:uTiUxAqg0
鬼和尚さん

苦を観察していたら、自分には価値がないという気持ちがあることがわかってきました。
それで、いつも自分を特別に思ってくれる人や、逆に自分とは違って価値がありそうな人に依存してしまいます。
この苦の原因は、特別でなければ価値がないと思っている親に育てられたからだと思うのですが、その原因がない状態が想像できません。
生きているだけでいいとか、そのままで価値があるとか、言葉では聞きますが、そういう考えの親に育てられていたらと思っても、まったく想像できず心の変化が実感できません。
どうしたら良いでしょうか?
特別な存在じゃなくても幸せでいられる気持ちになれる方法はありますか?

795避難民のマジレスさん:2017/05/09(火) 19:56:11 ID:Cm9Ixf0Q0
鬼和尚様

このサイトの方は悟っておられますか。

http://breath-awake.com/index.html

796蓮恵:2017/05/09(火) 20:12:03 ID:P0oV4erc0
和尚さま

人間は根本から変わらないといけませんね
人間は観念遊びのため頭と思考だけが発達していますが、根本的なものは何一つ成長していないのではないかと思います

797鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/09(火) 22:00:47 ID:1d4drIFg0
>>792 よいのじゃ。
 善いことじゃ。
 お釈迦様も欲に囚われるぐらいならば、むしろ瞑想に安楽を見出すようにといっているのじゃ。
 どんどん楽しむとよいのじゃ。

>>793 思考をどうにかしなくてよいのじゃ。
 ただ流れるままにしておくのじゃ。
 そうすれば自然に止まるのじゃ。
 何もしないことで逆にコントロールしているのじゃ。
 なれれば直ぐにできるようになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>794 親はどのような気持ちでそのようなたわごとを言っていたのか、考えてみるとよいのじゃ。
 子供は親を絶対的な者として見ているが、実は大抵の親は知性も浅いものじゃ。
 今のおぬしならばその親の言動の目論見や浅薄な考えがどのようなものか正確に推測できるじゃろう。
 それを詳しく観察すればその価値観も壊れるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>795 悟っていないのじゃ。
 悟りは知性で捉えられないといいながら自分だけは知性で捉えたつもりなのじゃ。
 自己矛盾しているのもわからないのじゃ。
 
>>796 そうじや、自分の本性が少しでも見られれば根本から変るじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

798としぼっくり:2017/05/10(水) 00:16:25 ID:2FIMjd/k0
ありがとうございます。楽しませてもらいます。

続けて質問申し訳ないですが、
仏教における法、ダンマとは何を指しているのでしょうか?
無知な者ですいません。

799795:2017/05/10(水) 06:20:40 ID:oMua/RsM0
ご回答、ありがとうございます。

800進路探訪者:2017/05/10(水) 19:26:48 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さん、いつもお世話になります。

鬼和尚さんに>>673で確認を取ったうえで行っている、
あえて思考モードに入ったうえで自我を観察する方法を実践しています。

しかし、やっていて分かったのは、鬼和尚さんがおっしゃる通り、人間の
思考とその意識への投射で生ずる自我は光速であり、捉え続けることが
できません。

定石として止観を行おうとしても、サマタ瞑想をした時点ですでに思考は
なくなっており、したがってヴィパッサナーの時点では観察対象の思考
による自我はすでに存在すらしておりません。

思考を雑念として流して修行するならそれでよいのかもしれませんが、
私の実践法はあえて思考モードに入ることです。

そこで、本来ならば苦滅の道に逆行するかもしれませんが、思考モード
に入って今ある思考を出現させることから一歩進めようと思います。

つまり、あえて思考を行い続けて思考を徹底的に追及して自我をとことん
肥大化させながら、その自我の観察を同時並行により行おうと思います。

こうすれば自我を無理やり固定することができて観察ができると思うのです
が、この方法でよろしいでしょうか。

801進路探訪者:2017/05/10(水) 19:36:42 ID:DIiPmWc60
>>800の追記です。

つまり、自分が持つ思考を出現させるだけでなく、思考を増殖させて
いくということです。

802避難民のマジレスさん:2017/05/10(水) 20:52:45 ID:4nJZYcxk0
>>797
鬼和尚さん、ありがとうございます。
親の気持ちについて観察するのですね。
確かに、少しずつ効果が現れてきた気がします。
劣等感と依存心が薄れてきたかもしれないです。
苦が消えるまでもう少し続けてみます。
どうしたら良いのかわからなかったので、とても助かりました。
ありがとうございます。

803鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/10(水) 20:56:45 ID:1d4drIFg0
>>798 仏教における法とは悟りを得るための方法を指しているのじゃ。
 止観も四諦も因縁も全て悟りを得るための方法なのじゃ。
 方法であるから悟りを得るために最後には捨てられるのじゃ。
 そのように理解するとよいのじゃ。

>>799 どういたしまして、またおいでなさい。

>>800 そのような方法でも極めれば自我も見えるじゃろう。
 一つの方法を極め尽くせば悟りも向こうからやってくるのじゃ。
 どこまでも精進していくとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

804鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/10(水) 20:57:48 ID:1d4drIFg0
>>802 よかったのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

805n:2017/05/10(水) 23:01:08 ID:MNGiAyAk0
鬼和尚様

以前大変お世話になりました。
2chのほうでは遠隔操作による妨害がひどいようで、おそらく集団ストーカーの仕業でしょうが、仏法を妨げるのは6大罪のひとつ、その報いや計り知れないのに、大悪に気が付かないのは恐ろしいことです。
そこで久しぶりに質問させていただきたいのですが、誰かが臨終のとき

1.縁の深かった人のところへ虫の知らせが来る現象がよく報告されてますが、これは臨終のときアーラヤ識が肉体を離れるためだとすれば理解できますが、よくその時着ていた服やその他の状態までそのままに現れると聞きます。
身近な人から聞いた実話では、戦争中お父さんが遥か遠くシナの戦場で戦死したちょうどその日、内地の自宅の家族の元にそのお父さんが帰ってきて玄関を開けたそうです。その時、軍服を着て全身びしょぬれだったのだそうですが、後日分かったのはシナの戦場の川で最期を遂げられたのだったそうです。
このとき身や心だけでなく「服」まで空間を超えてついてくるのは、どういう仕組みなのでしょうか?

2.臨終時になると、それまでに作った「元の業の何万倍もの感覚が現れる」とのことで、そのまま化生したのが天界や餓鬼地獄道の生命になるのでしょうが、
その楽や苦が人間の想像を絶するものなのも、このためと思います。ですが、どうしてアーラヤ識が肉体を離れると「元の業の何万倍もの感覚が現れる」のでしょうか。

806n:2017/05/10(水) 23:04:15 ID:MNGiAyAk0
参照1
 松永ミルクパーラーの美喜子さん(当時十五歳)は、原町飛行場関係者のことを、当時の日記をもとにしながら『いのち  ―  戦時下の一少女の日記』にまとめている・・・

 
さびしい。今夜はどうしたわけかさびしくてしかたがない。にぎやかに皆で話していながらも。ああだれか、久木元さんか、斉藤さんか、寺田さんか、決行されたのじゃないだろう……。


 二十年一月八日の日記だが、実はこの日、寺田伍長(当時一九歳)は[単機、敵輸送船に突入し]リンガエン湾に散っていた。一九年八月から九月まで、少年飛行兵一三期の人々は原町で過ごした。同期二七人のうち戦士二〇人。当時、松永牛乳店はほそぼそとながら牛乳やアイスクリームの店をひらいていた。喫茶店などない田舎町である。彼ら少年[飛行兵]たちの外出日は、店は満員で椅子のあくことがなかった。寺田さんのグループもよくこられ、縁側に回って茶を飲みながら弁当をひらいたりしたこともあった……。(p.38)

『嗚呼 原町陸軍飛行場』

807n:2017/05/10(水) 23:07:14 ID:MNGiAyAk0
参照2

誰でも死ぬ瞬間は、身体は壊れてしまい、関係ないのです。それで、意門が直接、見たり、聞いたりする。ですから、死ぬ瞬間の現象というのは、並みの現象ではありません。ものすごく強烈なインパクトで迫ってきます。再現とか追体験などというものではなく、元の業の何万倍もの迫力で、ありありと体験してしまうのです。(p.p.318-319)

アルボムッレ・スマナサーラ 『アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉業(カルマ)と輪廻の分析―ブッダの実践心理学』

808蓮恵:2017/05/10(水) 23:09:02 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

最近は何も集中せず思考は放っておいて、五感は五感のままで放っておいて座っているのですが、これは止の行になるのでしょうか
やることがあるとすれば呼吸で、思考や欲から入ってくる影響を抜いて落ち着かせるぐらいです。
呼吸が深まると思考も少なくなって五感がダイレクトに来るようになります。

809としぼっくり:2017/05/11(木) 14:33:10 ID:8NYbNbgo0
ありがとうございます。勉強になりました。
またまた続けて質問申し訳無いですが、
言葉の無い観察が出来る様になるには、言葉を使わずに観察していれば良いのでしょうか?

810進路探訪者:2017/05/11(木) 21:20:23 ID:DIiPmWc60
>>803

ありがとうございます。

今後も思考に呑まれないようにしながら、思考している自分の観察に
努めたいと思います。

811鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/11(木) 21:29:06 ID:1d4drIFg0
>>805 1 それもまた観念の創るものであるからなのじゃ。
 死ぬ本人の観念が相手に届くのじゃ。
 そうであるから服も一緒にでるのじゃ。
 
 2 そのようなことはないのじゃ。
   眠る時にそれがないようにのう。
   よほど悪い事をしたものならば苦が迫ってくるような気になるかもしれん。
   そうでないものには安らかなものなのじゃ。
   他人の言葉を鵜呑みにしてはいかんのじゃ。

>>808 感覚も少なくするのじゃ。
  感覚が制御されれば更に深い瞑想に入るのじゃ。
  感覚にも囚われないようにするのじゃ。

>>809 そうじゃ、言葉の無い観察をするのじゃ。
 みたものを頭の中で言葉にせずにそのままに認識するのじゃ。
 思考を集中にょって制御できるならば簡単にできるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

812としぼっくり:2017/05/11(木) 21:41:25 ID:e3FcqxaA0
ありがとうございます。
言葉の無い観察をして行こうと思います。

813n:2017/05/11(木) 23:11:17 ID:wGsb3Xgs0
>>811
早速のご教示ありがとうございました。
確かに多くの人の臨終を観察している医師やホスピス関係者も、病気などで苦しんでても臨終の最期の最後の瞬間は安らかな顔になるケースのほうが一般的には多いそうですね。
ただアーラヤ識が肉体を離れるときは安らかでも、それが、そのあとに善いところに生まれることを意味するんでしょうか?
というのはウダーナヴァルガ26-8には次のように説かれていますがいかがでしょうか。

「善い領域(=天)におもむく人々は少ない。 悪い領域(=地獄など)におもむく人々は多い。 このことわりをあるがままに知ったならば、 安らぎ(ニルヴァーナ) に専念するものとなるであろう。」

814n:2017/05/11(木) 23:12:49 ID:wGsb3Xgs0
<参考>
・・40代のTさんという男性患者さんのことも、忘れらません。がんが全身に転移し、食事も自力では食べられなくなり、いよいよ最期のときが近づいていました。・・体調が急変し、ゆっくりと絞り出すような声で私にこう言ったのです。
「・・今まで好き勝手に生きてきたツケが回ってきたんだ。俺の人生はいったい何だったんだ?・・」・・Tさんが今までどんな人生を歩んできたのか詳しいことは知りませんが、なにかを悔いていることだけは伝わってきました。その日の深夜、Tさんは目をカッと見開いたまま亡くなりました。その顔は苦悩に満ちたTさんの生涯を物語るような険しいものでした。

中下大樹『悲しむ力』

*******************

臨終時表情調査というものがある。末期癌は最後の最後まで
苦しみ続けると言われるが癌患者の臨終時の表情が
どうなったか調査をしたら最後はいい表情になる人もいるが
苦しんだまま、すさまじい形相のままで悶絶死したという
のもあり、苦しそうな顔の人は全体の10数パーセントいる。

(『生、死、神秘体験』立花隆対話編)

815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/12(金) 20:45:53 ID:1d4drIFg0
>>810 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>812 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>813 臨終が安らかであれば死後もよいところにいくじゃろう。
 昔のインドではそのような者は少なかったのじゃ。
 悪い事をしなければ食べられなかったものも多かったじゃろう。
 山賊も居り、カースト制度もあったから差別も普通にしていたのじゃ。
 今のこの地域に住むものはそのようなことがないから善い所にいく者も多いのじゃ。

816n:2017/05/12(金) 23:31:37 ID:gwlcOSnw0
>>815
日頃の疑問が氷解いたしました。重ねてお礼申し上げます。

十数年前インドを旅して人間が同じ人間として扱われないことが当たり前のカースト制の現実を目の当たりにしたときを思い出しました。確かにあれに比べれば「今ここ」は何と恵まれていることかと・・。

しかし人の欲とは本当におぞましいもので衣食住足りているのに、まだカネや権力や性欲をむさぼり求めて多くの老若男女が集団ストーカーなるものにマインドコントロールされ覗き見やストーカーなど変態をやっているのが現実です。
つい先ほど午後10時50分頃にもあったのですが、毎日当方がトイレに座るのに合わせ、すぐ近くで車を動かし、のぞき見していることを仄めかす変態を近所が飽きもせず繰り返しています。自宅に不法侵入され金品を盗まれ壊され工作されするのも毎日のことですが、この「便所ストーカー」にしてもアメリカ滞在時現地の集団ストーカーらがやっていたのと全く同じ手口のパクリで、人間の欲を肯定し煽るのが文化のアメリカ人にマインドコントロールされているのがよくわかります。わざわざ地震大国日本に原発を作らせたのもアメリカ人ですし。

この集団ストーカーの目的は、原発反対者など罪なき被害者に極度のストレスを毎日何年でも与え続けて自暴自棄にさせ、自殺させたり、死刑になるような犯罪に走らせたりすることで殺し、非白人種の人口を減らすことだそうです。しかも自分らは手を汚さず例えば同じアジア人同士をマインドコントロールして憎み合わせ殺し合わせるのを常套手段にしています。そんな現実を鑑みれば釈尊の時代のネパール、インドも「今ここ」もたいして変わらない気も致します。

817n:2017/05/13(土) 15:37:03 ID:rE4IZw860
>>816 続き

他にも人工地震・津波・放射能汚染などで自然災害を装いながら大量殺戮、人口削減も行われていることが世界の「非白人」各国で指摘されていますが、これを公表する者を物的証拠が残りにくい手段で拷問迫害し自殺させたり精神病者の妄想の如く吹聴するのが集団ストーカーの役目です。

このように卑劣な人殺しの片棒を担いでいる者の多くはごくふつうの一般大衆で私の身近の知り合いにもたくさんいますが、自分らは「集団ストーカーに協力しなければ生きていけない」と思い込むよう一様にマインドコントロールされています。実は当のアメリカ人にしても大衆は同じようなもので彼らもまたマス・マインドコントロールされてやっているだけです。
私ども家族は集団ストーカーの拷問を数十年受け、父親を殺され、生活を破壊・妨害され、平均年収も集団ストーカーをやってる大衆の半分以下くらいですが、さして悪いこともせずちゃんと生きているのですが(笑)。

権力者による暗殺・虐殺犯罪は白色テロと呼ばれ古くから前例も多くオウム真理教のテロも実は公安犯罪者が関与し仕組まれたものだったことが心理学者苫米地英人などによって明らかにされています。麻原彰晃も死刑を待つ独房で「俺は騙されていただけなんだー!」と悲痛な叫びを繰り返していたと読売新聞の記事にも載っていたのを読んだことがあります。
ユダヤ人虐殺を指揮したナチス高官もニュールンベルグ裁判で「私は(ヒトラーの)命令に従っただけだ(だから罪はない)」と有名な言い訳をしています。いっぽうそのような命令をする側もまた「自分はそう言っただけで、実際にやってないから罪はない」と心中で言い訳していることは容易に想像できます。この心理は有名なミルグラム実験で実証されています。

そこで鬼和尚様にお尋ねしたいのですが、罪なき人を自殺、事故死、病死、災害死させる集団ストーカーに、マインドコントロールされて幇助した者もまた人殺しの報いは避けられず、一種の共業のようなものだと思うのですがいかがでしょうか。

818n:2017/05/13(土) 15:40:23 ID:rE4IZw860
>>817 続き

また集団マインドコントロールには非公開の脳科学技術も多々悪用され、脳波と共鳴するHAARP周波を大衆に照射し感覚・感情・思考を権力者に都合よく操ったり、本人の声を人工的に捏造しVoice to Skull(V2K)という技術で脳の聴覚細胞に直接送信して、それがまるで「自分の考え」のように思い込ませながら行動を操る手口などが使われていことが既に海外で報道されています。

さてこのような時代にマインドコントロールを予防するにも、鬼和尚様の説かれる法(Dharma)は大変有効だと感じ、このような報告をいたしている次第です。有効だからこそ鬼和尚様の説法を激しく妨害する者もしつこいのでしょうが、大事なのは、すなわち唯識でいう所取(思考感情感覚を通した環境)だけでなく能取(自我)もまた虚仮(観念にすぎないもの)であることを観察せよ、という教えだと理解していますが、これでよろしいでしょうか。

また以前、「マインドコントロールに罹るのは欲のせいだから、欲をかかなければ、そのような悪も取りつく島もない」と教えていただきましたが、他によき教訓などあればご教示願えませんでしょうか。

819n:2017/05/13(土) 15:45:19 ID:rE4IZw860
参照

ジョン・ホール医師は、オバマ大統領が2011年に開いたOrganized Stalkers(集団ストーカー犯罪)に関する公聴会にも列席し、被害者の訴えを医師として代弁している(Report of the U.S. Presidential Commission for Bioethical Issues )。

集団ストーカー組織によりマインドコントロールを受け、Sex Slave(性奴隷)にされたテキサス州のある被害者少女をホール医師が診た際に驚くべきことがわかった。脳の聴覚細胞をマイクロ波で刺激し人工的に幻聴を起こさせる、米空軍開発・特許登録のマインドコントロール凶器や同じく米陸軍の「Voice to Skull(通称V2K)」、 米海兵隊のMedusa作戦(マイクロ波で脳内に音を発生させる兵器『MEDUSA』)が、イラク戦争で実際に使われ、捏造された「アッラーの声」など幻聴を聞いたイラク兵士を混乱させるのに成功したことは既に報道されているが、ホール医師の診た被害者少女にも、このV2Kが使用されていることが判明した。

ホール医師が驚いたのは、マインドコントロールにV2Kを使うその手法で、脳に直接聞かせるのは、なんと機械で合成し人工的に作った「本人の声」だった。被害者はそれを「自分の考え」と思い込み、捏造された「自分の声」のとおりに行動するようになったという。 

http://cointelpromkultra.blog.fc2.com/blog-date-201702.html

820鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/13(土) 21:30:27 ID:1d4drIFg0
>>816 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>817 そうじゃろう。
 そのようなものにひっかかるのは自分も攻撃欲があるからなのじゃ。
 攻撃欲を発揮する大義名分を与えられて行うのであるから悪い報いは避けられないのじゃ。

>>818 それでよいのじゃ。
 言葉やイメージに出来るものは全て観念なのじゃ。

 常に自分を客観的に観察していれば、何かおかしなことがあれば直ぐに気づくのじゃ。
 それは修行にもなるものじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

821としぼっくり:2017/05/13(土) 22:17:34 ID:jQQie9cY0
鬼和尚さん質問ですが、
言葉の無い観察をすると言う事は、観照が起こる時は言葉は無いと言う事ですか?

822としぼっくり:2017/05/14(日) 11:06:19 ID:IOMLtO8.0
続けて質問申し訳無いですが、
言葉無い観察をすると気付きが起こる時は、言葉は無いと言うことですか?

823鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/14(日) 21:46:33 ID:1d4drIFg0
>>821>>822 そうじゃ、全ての観察は言葉がなく行われているのじゃ。
 観照もまた言葉がない観察によって起こるのじゃ。
 言葉にされるのは観察が記憶になった後なのじゃ。
 
 観察による気付きを自分や他人に説明しようとすると言葉にする働きが起こるのじゃ。
 その過程も観察してみるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

824としぼっくり:2017/05/14(日) 22:03:13 ID:8NYbNbgo0
鬼和尚さんありがとうございます。
観察による気付きを説明しようとすると、確かに言葉にする働きが起こると思いました。
言葉にされるのは観察が記憶になってからと言うことを踏まえつつ実践して行こうとおもいます。

825避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 16:20:18 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

自殺した者は、自殺した後も苦しむというお話でしたが、どういう苦しみなのでしょうか?
病苦が辛くて自殺した人が居たとして、肉体はもうないわけなのですが、何故苦しいのでしょうか?

826避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 16:24:45 ID:Y5LPInQE0
>>797
思考に対して何もしなくて良いのですね、やってみます。
ありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。

827進路探訪者:2017/05/15(月) 19:05:49 ID:DIiPmWc60
鬼和尚さんこんばんは。

先日、恐怖を観察したくて夜明かりを消してリングを見ました。

リングはリングで怖かったのですが、その後に、恐怖をより
観察したくて怖いブラクラで有名な、jeff the killerという
のっぺらぼうのお化けの画像を検索し、鳥肌が立ちました。

その後、ヴィパッサナーを続けると、jeff the killerを思い出すと、
思考や感情なしに(おそらく無意識?)条件反射的に鳥肌が
立つのが分かりました。

やはり、私の場合、体への執着が恐怖という感情を生じさせて
いると感じました。

なお、jeff the killerの観想は、よほど怖いのか何度でも何度でも
できるほど集中できておりました。

どうでしょうか。

828避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 20:42:58 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

いつも変わりたい、変わりたいと思ってきました。でも結局変われなかったです。

>>797
>そうじや、自分の本性が少しでも見られれば根本から変るじゃろう。

と仰っていますが、どうして根本から変わるのでしょうか?

829鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/15(月) 21:20:43 ID:1d4drIFg0
>>824 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>825 それは観念の苦なのじゃ。
 自らの行いを悔やんだり、失ったものに執着するために苦が起こるのじゃ。
 苦があるから自殺しても観念の苦はやはりあるものじゃ。
 肉体の痛みなどの苦も実は痛みがいつまで続くのかとか、なぜ自分がこのように苦しむのかとか、、
 想っているために起こる観念による苦が大きいのじゃ。
 自ら観察してみるのじゃ。

>>826 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

830鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/15(月) 21:31:03 ID:1d4drIFg0
>>827 そのような観察でよいのじゃ。
 更に実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>828 それは観察して気付くことによって間違った自己認識がなくなるからなのじゃ。
 例えば自分を臆病者と想っている者が居たとして、車の音がするたびに怯えるから自分は臆病だと認識していたりするのじゃ。
 しかし、それが過去に車に轢かれそうになった事が原因で今も肉体を守ろうとしていただけであると気付けば、自分は臆病ではなかったとわかるのじゃ。
 そして車もそれほど気にしなくてもよいと知るじゃろう。
 それによって自分のイメージや行動も変るじゃろう。
 そのように観察によって自分の行いの原因に気付けば根本から変るのじゃ。

 おぬしも自分を否定的なイメージでみているのじゃろう。
 それがどのようなものであり、どのような原因があるのか一つ一つ観察してみるのじゃ。
 そうすれば否定的なイメージが一つ一つなくなり、根本から変っていくのじゃ。

 否定的な自己イメージを持っている者は、大抵卑小な自分を確認したくないと逃避して自分を観ないようにするものじゃ。
 そのような逃避も観察して滅していけば自分のイメージを観られるようになるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

831n (817):2017/05/15(月) 22:05:36 ID:mHPh7VzQ0
>>820 鬼和尚様

まさにベストセラー『他人を攻撃せずにいられない人』の生きた標本みたいですね、集団ストーカー犯罪をやる者は。これを書いている今日も部屋に不法侵入がありました。
これまでいろんなものを壊され盗まれ細工されて、行くところすべてにストーカーがつきまといますが、彼らは手向かうことのない無辜の民の生活を破壊し精神的・肉体的拷問を加え、告発されても「被害妄想だ」と嘘を吐いて人を騙し、逮捕されないように逃げ回っている臆病者であり、テロリストの典型ですね。テロリストのやるテロが、兵士が闘う戦争と違うのは、まさにテロリストが「臆病」で「弱い」人間だから、無関係の市民を殺したりストーカーや泥棒、強姦魔のような「卑怯」な変態に走ったりする点にあります。まともに勝負したら、まっとうな人間に勝てないからですね。
さてその彼ら変態の攻撃欲の原因は何であるかの観察も、既に2010年に鬼和尚様が喝破されておられましたね。
このベストセラー本書いた精神科医も鬼和尚ブログを読んでいるのでしょうか(笑

「劣等感が心の中にあると、他人の言葉が全て自分を批判するように思えたり、自分の観念に固執して離れられず、真実が見えなくなったりするものじゃ。
それも己の弱さを隠そうと防御する反応から来るものじゃ。

そして自らを弱いと思う事も認めず、強く見せかけるために、他人への攻撃をえんえんと繰り返したりする。
実際は弱いと言う感覚さえも、謬見ではあるが。
偽りでしかない弱さを隠すために観念にしがみつき、観念を守るためにさらに攻撃を繰り返す。」
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-85.html

聖書の「黙示録」にも地獄に堕ちる者の条件がリストされていますが、その中に「嘘つき」と並んで「臆病者」が入っているのが興味深いですね。

我々も臆病で卑怯な集団ストーカーみたいに地獄に堕ちないよう、しっかり己を観察しつづけ精進したいと思います。
では、皆さまもどうぞよい悟りを!そしてよい死後を!

832避難民のマジレスさん:2017/05/15(月) 22:45:06 ID:Y5LPInQE0
>>829
鬼和尚さん、レスありがとうございます。
もし、病苦が原因で自殺してしまった場合、死後も観念の苦を観察するよう修行に励めば、死後でも苦から解放されるのでしょうか?

833避難民のマジレスさん:2017/05/16(火) 06:03:19 ID:eAIt472s0
いつもありがとうございます。
今年に入ってから、毎朝20分座ることを習慣にしていますが、
一向に本心が開陳されないので質問させていただきたいと思います。
ギャンブラーは、自我はお金を儲けたいと思っていても、
本心は破滅を望んでいる可能性があると聞きました。
このギャンブラーは本心を知ることで、破滅を回避できますか?
また、本心では本心のことなど知りたくないという人がいることはあり得ますか?
その場合、その人は本心を知ることは、どのように努力しても無理ですか?

834そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/16(火) 07:48:24 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画では、生まれ変わりや自殺すると苦しむということが語られていますが、本当でしょうか。

【不思議な体験】死後の世界について記憶あるけど何か質問ある?
https://www.youtube.com/watch?v=cw0ZHYEQgUg

835n:2017/05/16(火) 19:44:25 ID:7SKackZ.0
>>831 参照

おくびょうな者、....すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである(黙示録21:8)

Sutta Nipata 661
嘘を言う人は地獄に堕ちる。
また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。
両者ともに行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受け地獄に堕ちる。

836n:2017/05/16(火) 19:47:15 ID:7SKackZ.0
>>831 参照
加害者による内部告発(殺人)
2ちゃんねる掲示板に「自殺を促す仕事に関与した私の懺悔」という加害者と思われる書き込みがありました・・・

「情報収集の結果・・・・我々工作員はこの2つの情報から以下の工作を行うことにしました。・・・・ターゲットは、その後ビルの屋上から飛び降り自ら命を絶ったそうです。運悪く最後にターゲットに不幸を働きかけたのはこの私だったのです。この人を殺したという罪の意識にさいなまれここ(2ちゃねんる)へ書き込みました。多くの人達、特に若者達にこの事実を記憶の片隅にでも置いて頂いて、 殺人などの不幸を助長する仕事に手を染める悲劇を未然に防ぐ事だと 気付いたので生硬ではありますがこの文章を書きました。 この文章が官僚の目に留まり国に働きかけてこのような悲惨極まりない仕事を日本から追放してくれることを心から願っています。」

安倍幾多郎 『集団ストーカー認知・撲滅』


直接、殺害に関わっていないだけで、その背景は他殺に等しいのである・・・「勝手に自殺したんだ」「自分には関係ない」などという言い逃れは許されるべきではない。

上野正彦『自殺の9割は他殺である』

http://gangstalking-crime-databease.blogspot.jp/2016/02/p.html

837鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/16(火) 21:29:05 ID:1d4drIFg0
>>831 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>832 死後はもはや意志も弱く修行ができないのじゃ。
 ただ苦しいという観念があるのみなのじゃ。
 生きているうちに修業するのが一番なのじゃ。

>>833 回避できるじゃろう。
 あるじゃろう。
 今まで自分を偽ってきたためにもはや本心には戻れないと想っているのじゃ。
 しかし、いずれ死ぬときには本心を観るしかなくなるゆえに後悔するばかりなのじゃ。
 死を想えば本心は明らかになるものじゃ。
 全てが消え去るのに自分を偽っていても意味が無いからのう。
 おぬしも今自分が死ぬ時であるとイメージしてみるのじゃ。
 全ての偽りが消えて本心を観るしかなくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>836 本当じゃろう。
 少し観念による見解が入っているがのう。

838避難民のマジレスさん:2017/05/16(火) 22:01:16 ID:Y5LPInQE0
>>837
ご回答ありがとうございます。
生きているうちに修行しようと決意しても
大して進歩できぬまま、事故か何か(自殺以外)で
死んでしまった場合、病苦のある人は、どうなるのでしょうか?

839避難民のマジレスさん:2017/05/17(水) 12:50:53 ID:Y5LPInQE0
>>830
レスありがとうございます。

私は、若い頃、不良やヤクザ連中と付き合った事が無く、当然彼らと喧嘩して勝った事もありません。
そういう理由で不良やヤクザが怖いのですが、どうすれば不良に対して恐怖を抱かずに居られるでしょうか?

彼らが間違いを犯している現場に居合わせたら、それを止めさせるのが正義であると思いますが、
自分の身を守る必要も感じるので、などと言えば格好いいかもしれませんが、要は我が身が可愛いので、
悪を見過ごす気がします。

どうすれば、我が身が滅びようと善事を成せるようになりますか?
また、そこまでする必要は、あるのでしょうか?

840としぼっくり:2017/05/17(水) 19:41:18 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分に気付けばいいのか、自分は無いと気付けばいいのか、どちらなのでしょうか?

841鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/17(水) 20:58:32 ID:1d4drIFg0
>>838 死んだら病苦はなくなるじゃろう。
 善い事をしていれば善い所に生まれるじゃろう。
 安心して修業に励めばよいのじゃ。
 自分のしたこととしなかったことをらみるのじゃ。

>>839 そのような恐れも自分の心の中に原因があるものじゃ。
 原因から観察されればその恐れも消えるのじゃ。
 
 そのように強く決意すればできるじゃろう。
 する必要はないのじゃ。
 おまわりさんを呼ぶとよいのじゃ。
 なぜ自分がそこまで考えるのか、その原因を心の中に探してみるのじゃ。
 そして原因からその観念が起こることに気付けば囚われることもなくなるのじゃ。
 
>>840 自分に気付けば善いのじゃ。
 そうすればそれが観念であり、実際にあるものではなかったとわかるのじゃ。
 無理に自分が無いものと気付こうとしても観念を追うことになるのじゃ。
 今ここにあるものごとをありのままに観るのじゃ。

842としぼっくり:2017/05/17(水) 21:25:17 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
精進して行きます。

843進路探訪者:2017/05/18(木) 00:45:53 ID:DIiPmWc60
>>830

ありがとうございます、恐怖と向き合い実践いたします。

844避難民のマジレスさん:2017/05/18(木) 08:38:04 ID:Y5LPInQE0
>>841
ありがとうございます。

以前も原因を見るように言われたのですが、それらしき原因が思い浮かびませんでした。
いえ、思い浮かんだ原因は、書物で、ある人物がそのように言っていたから、としか思えなかったのですが、
鬼和尚さんは親や友達が原因となることを言ったとおっしゃいました。

親や友達に言われると原因になって、影響力のある人物が書物に書いた事は、原因とならないのでしょうか?

また、苦の原因を見つける事と自分に気づく事とどちらが重要でしょうか?

845避難民のマジレスさん:2017/05/18(木) 08:39:58 ID:Y5LPInQE0
>>841
>死んだら病苦はなくなるじゃろう。
>善い事をしていれば善い所に生まれるじゃろう。

自殺してしまった場合、生まれ変われないのでしょうか?

846鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/18(木) 20:51:36 ID:1d4drIFg0
>>842 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>843 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>844 その者を信じていたのならば原因になることもあるじゃろう。
 苦の根本原因は自分が゛あるという想いなのじゃ。
 それを無明というのじゃ。
 苦の原因をどこまでも求めていけば自分に気付くじゃろう。
 どこまでも自分の本心を見ていくがよいのじゃ。

>>845 生まれ変れるじゃろう。
 長く苦しんだ後に自ら破壊した肉体そのままに悪い所に生まれるじゃろう。
 それも自ら望んだ故なのじゃ。
 今生きて苦を滅したほうが何倍もよいのじゃ。

847避難民のマジレスさん:2017/05/19(金) 12:16:20 ID:Y5LPInQE0
>>846
ご回答ありがとうございます。

自分が無いのに、自ら望むとはどういう事なのでしょうか?いつもこの辺りで混乱します…。

生まれ変わる自分ではない自分とは?

848避難民のマジレスさん:2017/05/19(金) 12:46:23 ID:Y5LPInQE0
>>846
>苦の根本原因は自分が゛あるという想いなのじゃ。

これは、言い換えると、自分の問題だからという思いが苦しくさせているということでしょうか?
他人の問題だったら、ここまで苦しまないと思うので。

849そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/19(金) 18:42:53 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
死んで生まれ変わる時に、パラレルワールドに生まれ変わることはあるのでしょうか。
様々なパラレルワールドの中から、その時の自分に相応しい所に。

850鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/19(金) 21:08:12 ID:1d4drIFg0
>>847 自分があると想っている仮想の上で自ら望むということもありえるのじゃ。
 苦を無くすつもりで自分を殺せばむしろ大きな苦を重ねてしまうのじゃ。
 無明の上に無知を重ね、苦の上に苦を重ねてしまうのじゃ。
 生きているうちに苦を除く道を行くものこそ賢いものといえるのじゃ。
 
 仮想の自分が生まれかわるという幻想もそれによって起こるのじゃ。

>>848 それもあるじゃろう。
 自分があれば自分の好みがあり、好むことに執着すれば苦は起こるのじゃ。
 そのような苦の縁起を観察してみるのじゃ。

>>849 そのようなこともあるじゃろう。
  人の想いの数だけ世界はあるものじゃ。
 それもまたパラレルワールドと言えるのじゃ。
 おぬしはおぬしの世界に生まれているのじゃ。

851避難民のマジレスさん:2017/05/20(土) 08:42:37 ID:czRftzgI0
サマーディは丹田の気が上に上がるのをイメージすればできるようになるのでしょか?
止観が十分に進むとサマーディになるのですか?
止観とサマーディに入るのを両方試みていいのでしょうか?

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/20(土) 20:33:09 ID:1d4drIFg0
>>851 イメージだけでは無理なのじゃ。
 正しい姿勢で丹田に圧力がかかるようにしないと、気も発生しないのじゃ。
 姿勢が大事なのじゃ。

 集中が進めばサマーディに入れるのじゃ。
 観察は要らないのじゃ。
 姿勢を正すのに役に立つこともあるがのう。

 何でも試してよいのじゃ。
 努力は無駄にはならないじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

853避難民のマジレスさん:2017/05/20(土) 21:27:29 ID:czRftzgI0
丹田に圧力は、前から背中に向けて腹筋で呼吸に合わせて押すという意味ですか?

854としぼっくり:2017/05/20(土) 21:59:43 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
心が主とは、自分の心が主と言う事でしょうか?

855n:2017/05/20(土) 22:03:39 ID:DsIwk1oU0
鬼和尚様

このような青年が鬼和尚様を尋ね夜を徹し悟りを求めたらどのようにお導きになりますでしょうか。

…原町市南町の東本願寺別院や浪江町幾世橋の大聖寺をしばしば訪問した[廣森達郎]中尉は、戦いのなかの死とはなにかを問い続け、悟りを得ようと努力に努力を重ねた。

[血書]

我、今、宿善の助クルニヨリ、己二受ケ難キ人身ヲ受ケタルノミアラズ、生死ノ中ノ景勝ナルベシ。
水ずくも燃ゆるも何をか悔いざらむ
君に捧げし命なりせば
[…]
吾人罪業深キ人間ナレバ之ガ中核ハ我執ニ依リ覆ワレアリ
サレド一度大悲願ニ接センカ我執ノ我ハ御民我トナリ本体ハ確然タリ
[…]
昭和十八年十月二十日 記 於別院 達郎
(注=この血書は、飛行学校所在の原町東本願寺別院の北上上人を尋ね、夜を徹して問答し、ある心境に達して、自らの指先を切って認めたものである。)(p.p.251-252)

856n:2017/05/20(土) 22:07:30 ID:DsIwk1oU0
>>855 <参考>

廣森達郎 原町在住日記[昭和十八年]

十月三十一日
浪江ノ青田ノ家ニ至ル。大洋ノナガメハ各別ナリ。返シテハ寄セ、寄セテハ返ス浪、コノ現象ハ神代ヨリ続キナオ無限ニ続カン。ナンゾ瞬時ノ人生ニ迷ワン


また大聖寺にあてた手紙は次のとおり。
「…西のほうに向かって大きくうたってください。耳をすまして聞きます。私の忘れられない歌は次のものです。
 うさぎ追いし かの山 こぶな釣りしかの川 夢は今も めぐりて 忘れがたき故郷……。さようなら 廣森」(p.42)

[神中佐の手記より]
…説明終わると、廣森中尉は全員を集めて話をした。
「いよいよ明朝、特攻だ。いつものようにオレについてきてほしい。次のことだけは約束しよう。こんど生まれ変わったら、そして、それがウジ虫であろうと、国を愛する心だけは失わないようにしよう」(p.41)

857n:2017/05/20(土) 22:15:35 ID:DsIwk1oU0
>>855 追加の質問

同血書の冒頭には「破邪絶忠」とありましたが、どのような思いを込められた言葉でしょうか

858としぼっくり:2017/05/21(日) 00:19:26 ID:DAY232aw0
連投すいません。
調べていたら、お釈迦様は
心に従わず 心の主となれと仰っていたみたいですが、心が主なのか、心の主になるのかよく分かりません。どう言うことでしょうか?

859避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 05:50:48 ID:eAIt472s0
>>837
ご教授ありがとうございました。
真剣に切迫感を持って、今自分が死ぬときであるとイメージするのに、
よいやりかたはありますでしょうか?
たしかに全ての人は100%死ぬことは、頭では分かっているのですが
実際死が、自分の身に降りかかることになることをなぜか想像できません。

860避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 08:36:58 ID:LrkdpKD60
仕事で人物金の制約の中、やれることは決まっています。日々の段取りの中、どうにもならない事態がよく起こります。
内観すると出世のためにやっているというより、職責の全うとお客さんの納期を守る視点で仕事をしているのですが、あまりに色々なことがありすぎて心が苦しいです。
どうしていけばいいのでしょうか?

861避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 10:50:30 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

病苦が辛いので、本当にもう首を吊ろうかと思って
目覚めた朝がありましたが、特に何も変わりませんでした。
本心とは何でしょうか?私がその時思ったのは…
もう良く思い出せなくなりましたが、もうちょっと
頑張ってみようと思ったことは覚えています。

私は、あの時、本心を見る事が出来たのでしょうか?
何か思ったことは確かですが、そんな大した事でも
なかった気がします。本心とは何でしょうか?また死のうと
その内思うはずなので、その時、どうすれば良いのか教えてください。

どうすればって本心を見れば良いのですよね?確かにあの時も
自分の心を見ようとしたはず…もしかしてまだ辛くても体は
動くのに勿体無い、死ぬのは、とかだったかもしれません。
でも、そんな事が分かっても何も変わりません。
もう一度、「もう死ぬか」と思ったときどうすれば良いのか教えてください。

862そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/21(日) 11:53:30 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
病気や障害のため安楽死するのは自殺と同様に悪いことですか?

863避難民のマジレスさん:2017/05/21(日) 17:42:20 ID:Y5LPInQE0
>>850
>自分があると想っている仮想の上で自ら望むということもありえるのじゃ。

仮想の上で自ら望む自分とは何ですか?

>仮想の自分が生まれかわるという幻想もそれによって起こるのじゃ。

仮想の自分が生まれ変わると言うのは、どういうことでしょうか?実際は生まれ変わる自分は居ないということですか?

864鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/21(日) 21:06:53 ID:1d4drIFg0
>>853 呼吸は自然のままでよいのじゃ。
  姿勢が真に正しければ上体の重みが自然に丹田にかかるのじゃ。
 それによってサマーディも自ずから訪れるのじゃ。

>>854>>858 心の主人となるのじゃ。
 心を主人としてはいかんのじゃ。
 心をコントロールせよということじゃな。
 例えば感情の怒りが起こったならばそれに従えば、人を傷つけたりするじゃろう。
 感情をコントロールして従わせればそのようなこともおこらないのじゃ。

>>855 自らの本心を観るように言うのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>857 邪を破り絶対的な忠誠をたもつということじゃな。
 
>>859 それは心に死の恐れがあるから、考えることも避けているのじゃろう。
 おぬしが年をとってもはや死が逃れられなくなり、死の床に居ることを想像するのじゃ。
 それは確実にやってくることであるからのう。
 ただの想像ではないのじゃ。
 やがて起こることの予測として真剣に想像してみるのじゃ。

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/21(日) 21:18:18 ID:1d4drIFg0
>>860 自分の力でどうにもならないことはもはや捨てるがよいのじゃ。
 それについて悩むのは無意味なのじゃ。
 頭を下げなければならないところは下げるが良いのじゃ。
 そしてそれについてもはや悩むことは無くすのじゃ。
 もはや自分の手を離れた仕事について悩むことがないようにのう。
 それもまた社会で身に付けるべき仕事のための技の一部といえるじゃろう。
 自分自身のためのストレスマネジメントが必要なのじゃ。

>>861 本心とは自分の偽らない心なのじゃ。
 頑張ってみようと想ったのも本心じゃろう。
 怒ったときは怒った心が本心なのじゃ。
 怒っていないと思おうとすれば本心ではなくなるのじゃ。
 
 なぜ死のうかとか思えるのか、自分の偽らない心を見てみるのじゃ。
 苦が原因ならば、その苦の原因をみれば苦は無くなり、死のうという思いもなくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。
 
>>862 同じようなものじゃ。
 生きて苦を滅したらよいのじや。

>>863 自分とは観念なのじゃ。

 居ないのじゃ。
 自分の本心を観察して確めるのじゃ。

866としぼっくり:2017/05/21(日) 22:10:07 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
心の主となって、心をコントロールして行こうと思います。

867避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 06:06:28 ID:Y5LPInQE0
>>865
実際は生まれ変わる自分など居ないのならば、
>>846のこの説明はどういう事ですか?

>生まれ変れるじゃろう。
長く苦しんだ後に自ら破壊した肉体そのままに悪い所に生まれるじゃろう。
それも自ら望んだ故なのじゃ。
今生きて苦を滅したほうが何倍もよいのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 12:14:29 ID:Y5LPInQE0
自殺すると酷い状況の自分に生まれ変わるという話と生まれ変わる自分など居ないという説明が食い違っているように感じます。

869避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 12:30:37 ID:Y5LPInQE0
>>865
>>865
>苦が原因ならば、その苦の原因をみれば苦は無くなり、死のうという思いもなくなるじゃろう。

私は、心身両面病んでいるのですが、それが理由です。
原因を見ても、死のうという思いは無くなりません。

870避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 18:31:18 ID:czRftzgI0
>>853
どうも今までのやり方は正しくなかったようで(背中が曲がっていた)、ご指導の通り丹田圧を意識したら、姿勢が安定しました。さらに集中までの時間も短くなりました。どうもありがとうございました。

871避難民のマジレスさん:2017/05/22(月) 18:37:22 ID:czRftzgI0
どうも今までのやり方は正しくなかったようで(背中が曲がっていた)、ご指導の通り丹田圧を意識したら、姿勢が安定しました。さらに集中までの時間も短くなりました。どうもありがとうございました。

872としぼっくり:2017/05/22(月) 20:38:09 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
八正道で始めに正見せよとありますが、観察が基本にあると言うことでしょうか?

873鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/22(月) 21:00:48 ID:1d4drIFg0
>>866 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>867>>868 実際には無いが自分があると認識しているものには生があり、生まれかわりもあるのじゃ。
 おぬしも自分が無いと実際に感じていないじゃろう。
 ただわしがいう知識として記憶しているだけじゃ。
 そのような者には生があり、生まれかわりも続くのじゃ。

>>869 理由を見ても無くならないのじゃ。
 原因から観察するのじゃ。
 心の病の原因を観察し、肉体の病の原因を観察するのじゃ。
 それが消えれば生きていてよかったとか想ったりするのじゃ。

>>871 善かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>872 そうじゃ、正しく観察することが基本なのじゃ。
 観察から正しい厭離も起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

874としぼっくり:2017/05/22(月) 22:06:45 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
正しく観察する事が基本にあるようにしたいと思います。

875避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 02:15:42 ID:Y5LPInQE0
>>873
心の病の原因なんて知らんですよ。物心つく頃から始まったんですからね。
生まれつきじゃないんですか?

肉体の病の原因を観察するとは、どうすれば良いのでしょうか?

876としぼっくり:2017/05/23(火) 10:07:36 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、正しい観察が基本と言う事でしょうか?

877避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 12:54:58 ID:qyLdY/BE0
鬼和尚、
自我への執着の原因としては、例えばどのようなものがありますか?
だいぶ自我が見られるようになって来ているのですが、主体の生成の瞬間が見られません。

878避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 18:36:00 ID:czRftzgI0
丹田は臍下といいますが、そこのお腹の皮にあるのか背骨あたりにあるのかどこですか?

879避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 19:07:41 ID:Y5LPInQE0
>>873
良くわかりません。鬼和尚さんが言われる生まれ変わりとはどういう事なのでしょうか?

前世の自我が次の肉体に宿るという事でしょうか?でも自我は誰にも無いのだから、そんなはずないですよね?

880鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/23(火) 21:59:05 ID:1d4drIFg0
>>874 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>875 幼少からの心の病は親の言動とかが原因の場合が多いのじゃ。
 或いは命に関わる病や事件があったとかなのじゃ。
 
 肉体をよく観察するのじゃ。
 どこが痛むのかとか、そこ以外に痛んだり凝っていたりするところはないかとか、
 いろいろ観察してみるのじゃ。
 意外なところに原因があるかもしれんのじゃ。
 
>>876 言葉はどちらでもよいのじゃ。
 実践によって確めるのじゃ。
 実践がすべてなのじゃ。

881鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/23(火) 22:04:48 ID:1d4drIFg0
>>877 自我が自分を守るものであるとか、自我が無ければ死ぬとか、他人に操られるとかなのじゃ。
 人にょって違うじゃろう。
 自らの本心を観察して確めるのじゃ。

>>878 筋肉の下の辺りなのじゃ。
 そこに集中すれば気が発生するのじゃ。
 熱の気なのじゃ。

>>879 自我は観念でしかないから生まれかわらないのじゃ。
  おぬしの自我は生まれたときにはなかったじゃろう。
 成長すると自我も創られてくるのじゃ。
 成長と共に創られていくのがおぬしにも感じられたじゃろう。
 
 本来言葉に出来ないが、言うならば個我があるという想いを持つ意識が、別の肉体に宿るのじゃ。
 肉体も意識の表れであるがのう。
 全ては意識なのじゃ。

882避難民のマジレスさん:2017/05/23(火) 22:10:07 ID:Y5LPInQE0
>>880
幼少期の原因となった出来事を思い出せば、心の病は治るのでしょうか?でも、とても思い出せそうにありません。

肉体を観察して痛むところ、凝ったところを見つければ、肉体の病の原因が分かるんですか?それは、どうしてですか?
風邪の時、体を観察しても、だるいとか熱があるとか分かるくらいで原因は分からないと思いますが…。

883としぼっくり:2017/05/23(火) 22:45:55 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
正しい観察が基本にある様にして行こうと思います。

884蓮恵:2017/05/24(水) 08:25:08 ID:P0oV4erc0
和尚さま

分別のない心とはボケーっとしたものなのでしょうか
逆に明敏なんでしょうか

885481:2017/05/24(水) 09:23:43 ID:oLpe4ETY0
鬼和尚、ご無沙汰しております。

以前も書いたかもしれませんが、観察が明確になってきたかもしれません。

今まで物や風景などを見て阿頼耶識の機能を観察しようとしていましたが、私という観念を観察するようにしてみました。

私に意識を向けると、
自分の外見や経験、過去に思ったこと等、一瞬にして記憶として立ち上がります。
これが自我ではないかと感じました。

私という経験はすでに消え去ったものでありますが、今この瞬間では記憶としてだけ実態があるように思えます。
しかしこの記憶もすぐに消え去ってしまいます。

そう言った意味で私に実態などなく、次々と流れ消え去るものを記憶として甦らせ、私としてしまっているのだなと感じました。

これを観察したところ、スッと安心を感じたところです。
今のところこのような進捗ですが、より観察を深めて行きたいと思います。

886鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/24(水) 21:42:00 ID:1d4drIFg0
>>882 おぬしの心はそれを知っておる。
 それ故に今も反応があり続けるのじゃ。
 数息観などの集中の瞑想をして、心を観察すれば次第にわかってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

 筋肉や骨の周辺に凝っている処があれば、そこで血行が悪くなり病の原因ともなるのじゃ。
 風邪の時はわしは喉や胸の筋肉に痛みやコリがあると観察したのじゃ。
 それをマッサージして治すと風邪も治ったのじゃ。
 そのように現代の医学でも原因がわからない病でも、自ら観察して治すことが出来るのじゃ。
 心臓や喘息の病なども喉や胸の辺りの凝りをとれば治ったという話もあるのじゃ。
 うつ病も首の後ろの筋肉の凝りをとれば多くが治るというのじゃ。
 おぬしの病が何か知らんが、痛みの周辺に凝りが無いか探してみるとよいのじゃ。
 無駄にはならないじゃろう。

>>883 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>884 心は無為でも、肉体は明敏じゃろう。
 危険が迫ったりすれば肉体が自然に反応したりするのじゃ。
 無為にして万能になるのじゃ。

>>885 善いことじゃ。
 かなり自我に迫っているのう。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 観照も向こうからやってくるじゃろう。
 またおいでなさい。

887416:2017/05/24(水) 22:22:49 ID:ep2Vij3g0
鬼和尚、ありがとうございます。
たぶん>>885の考えも囚われであり、ここにとどまると先に行けないのかなと思いました。

実生活が苦しくなると観察が進みます。
苦が原動力になってますね。
さらに精進致します。

888481:2017/05/24(水) 22:24:44 ID:ep2Vij3g0
>>887は481のまちがいです。
すみませんでした。

889蓮恵:2017/05/25(木) 00:13:56 ID:2PcDrMdY0
>>886
和尚さま、ありがとうございます。
>>心は無為でも、肉体は明敏じゃろう。
>>危険が迫ったりすれば肉体が自然に反応したりするのじゃ。
>>無為にして万能になるのじゃ。

そのようなものだと感じておりました。
外形は明敏な働きをなして、内面は無為自然のままが、高い境地かもと思っておりました。

これを行に取り入れるとちょうど思考や感覚を敏感に察知しながら、自身はボケーっとしているような感じですがこれで正しいでしょうか。

890避難民のマジレスさん:2017/05/25(木) 05:54:31 ID:eAIt472s0
>>864
ご教授ありがとうございました。
死を真剣に想像するのは瞑想中でしょうか?
瞑想中は真剣に想像するといった能動的なことが、瞑想と両立しないように感じます。
止は呼吸を意識するだけですし、観はただ観るだけだからです。

一方、本心を見ることができないのは、幼少時の親からの抑圧が原因のひとつという気がしました。
こちらからも攻めてみたいのですが、どうすればよいでしょうか?

891そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/25(木) 18:36:35 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
職場のことで相談です。
私のやっている業務で、今年4月から新しく人員が一人増えました。
仮にAさんとします。
私はベテランで、Aさんはほぼビギナーです。
座席は私の隣です。
これでこの業務をやるのは会社内では私とAさんの二人になりました。
Aさんの態度はフレンドリーな感じでした。
よく質問してきたり、雑談してきたりしました。
私は業務に関する質問に答えたり、業務上必要と思うことを伝えたりしました。
雑談は適当にスルーして相手にしませんでした。
一週間くらい過ぎたころから、Aさんの態度は変わりました。
よそよそしくして、なるべく私と関わらないようにしています。
業務に関する質問は、他にも聞ける人がいるので専らその人にしています。フレンドリーな態度で。
おそらく、質問に対する私の答えがAさんの期待するものと違っていたり、雑談が相手にされなかったからだと思います。
業務は基本的に個別の作業ですので、私とその人が関わらなくても普段困ることはありませんが、それでも関わることは出てきますので、この先うまくいかないことも起こり得ると思います。
私は悪いことをしたのでしょうか。

892避難民のマジレスさん:2017/05/25(木) 18:54:17 ID:tHj0j65Y0
気というものは何でしょう?
電気みたいなものでしょうか?
輪廻転生もこれがプラマイゼロにならないことから続くのではないかなどと妄想しておりますがいかがでしょうか。

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/25(木) 21:30:43 ID:1d4drIFg0
>>887 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>889 思考や感覚に注意を向けなくてよいのじゃ。
 ただ一つの対象に集中するのじゃ。
 それができたら自然にできるものじゃ。
 ただひたすらに集中するがよいのじゃ。

>>890 普段から考えているとよいのじゃ。
 常に死を想うのじゃ。
 
 その原因から本心からの逃避があり、原因が無かったら逃避も無いと観察するのじゃ。
 そうすれば本心もみえるようになるじゃろう。

>>891 よくは無いが悪いことでもないのじゃ。
 相手は優しくないと感じたかもしれん。
 やさしくしてやるとよいのじゃ。

>>892 エネルギーなのじゃ。
 熱にも電気にもなるものじゃ。
 妄想とわかって居たらよいのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。

894避難民のマジレスさん:2017/05/25(木) 21:34:41 ID:czRftzgI0
サマーディを求めるときは、無念無想がいいのか何かに集中した方がいいのかどちらでしょう?
もし集中する方なら、具体的に何に集中するのですか?

895そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/25(木) 22:57:44 ID:ohctFj6.0
>>893
このほかの行動ができるなら初めからそうしていたと思いますし、
今後あえてしようとするなら自分の方がおかしくなると思いますし、
悪くないと教えていただきましたのでこれで終わりにします。
ありがとうございました。

896避難民のマジレスさん:2017/05/26(金) 04:15:45 ID:tHj0j65Y0
>>893
ありがとうございます。そのようにいたします。

897避難民のマジレスさん:2017/05/26(金) 11:56:19 ID:QoQZrmNc0
鬼和尚さん

昨日、自分が死ぬところをリアルに想像してみました。
死ぬときには自分というものはなかったのと同じで、そして、自分というものはもう必要ないのだと思いました。
でも、そのあと、自分というものがなくなるのは残念だなあと思っていました。
自分というものがあるうちにやっておくことがあったような気がするのです。
なぜなら、このまま自分がなくなってしまうのが、寄る辺ない感じで心もとないからです。

・・・こんな感じで自分は生まれ変わってきたような気がしました。

ところで、このとき、自我を見るためには、この「自分というものがなくなるのが残念だなあと思っている気持ち」をじっと観察すれば良いのでしょうか?
観察でこの部分も自分ではないことに気づくことはできるのですか?

それから、死ぬときは、この残念だなあと感じている部分も消えていくのですか?

898としぼっくり:2017/05/26(金) 17:37:33 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を観察するのも、自分とは何か観察するのも、正しく観察する事が基本なのでしょうか?
何度もしつこく聞いてすいません。

899鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/26(金) 21:18:19 ID:1d4drIFg0
>>894 集中したほうがよいじゃろう。
 呼吸とか胸の真ん中とか眉間などに集中するのじゃ。
 眉間に集中するときはあまり目に力をいれないようにするのじゃ。
 
>>895 よかったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>896 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>897 それは感情であり、自我ではないのじゃ。
 そう想っている主体を観るのじゃ。
 それは自分ではないと気付くじやろう。
 その思いも消えるじゃろう。
 観察してみるのじゃ。

>>898 そうじゃ、正しく観察することが基本なのじゃ。
 何度でも訊くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

900避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 05:25:05 ID:czRftzgI0
集中するときは何かのイメージを思い浮かべるのではなく無心でするのですか?

901避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 05:54:16 ID:eAIt472s0
>>893
ご教授ありがとうございました。
私にとってはなのですが、今日死んでしまう、とか、むかし親に抑圧を受けていなかった、とか
過去の記憶と矛盾する状態をイメージすることは、とても難しく感じます。
まず、イメージする力を付けるにはどうすればよいのでしょうか?

902蓮恵:2017/05/27(土) 12:06:03 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

和尚さまの仰る本心は、全ての観念を離れた所の心のことでしょうか。
修行とは観念を離れて、本心を見つけるために行うものでしょうか。

全ての観念に依存しない自己を見つける、ということでしょうか。
観念を離れるにはただ独りで座って、観察するのが良いのでしょうか

903としぼっくり:2017/05/27(土) 12:55:02 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、全てを正しく観察する事でしょうか?

904避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 12:55:45 ID:ep2Vij3g0
質問です。

鬼和尚の言う自我とは、「ただひとつの意識」から切り離された分離感覚のことをおっしゃっているのでしょうか?

これは私のもので、これは私以外という感覚。
本当は私も私以外もなく、ただひとつの意識に現れているもの。

それとも、五感と思考を観ている「観ているもの」のことでしょうか?
大いなる存在とか、すべて観ている視点とか言われているものです。
普段の感覚の自分ではありません。
これが自我なのでしょうか?

905としぼっくり:2017/05/27(土) 19:40:45 ID:DAY232aw0
>>903スルーして下さい。すいません。
正しく観察する事を基本に置こうと思います。ありがとうございます。

906避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 21:15:56 ID:Daf3Ag0M0
>>899
鬼和尚さん、ありがとうございます。

なるほど、感情の方ではなく主体を観察するのですね。
死ぬのを想像する時に、そのように客観的になるためには、ふと我に返る感じなのでしょうか?

じつは、昨日は死ぬのが怖かったのでうまく観察できませんでした。
死ぬことを想像すると、すべてが真っ暗になるように思えて、恐怖心が襲ってきました。
そうやって感情に飲まれてしまう時も、ふと我に返ると良いのでしょうか?

907鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/27(土) 21:23:02 ID:1d4drIFg0
>>900 イメージを思い浮かべて集中する方法もあるのじゃ。
 例えば太陽とか月とかを体内にイメージするのじゃ。
 太陽は下丹田、月は頭頂にイメージするのじゃ。
 そのような集中はイメージを思い浮かべるのじゃ。
 イメージを使わない方法はただ呼吸とか体の一部に集中するのじゃ。

>>901 集中力が身につけばそれも容易になるじゃろう。
 イメージする集中法を実践してみるのじゃ。
 いま自分が海辺に居るとか、草原に居るとかをイメージするのじゃ。
 気分もよくなるじゃろう。
 上手くなれば自然にウミネコの声が聞こえたり、草のにおいがするとかするのじゃ。
 それまで実践あるのみなのじゃ。

>>902 本心も観念なのじゃ。
 ただ自分の今の想いをそのまま認め、受け入れて現すのじゃ。
 怒ったならば、怒った心が本心なのじゃ。
 自分は怒っていないと無理に誤魔化したりするのは本心ではないのじゃ。

 自己も観念なのじゃ。
 観察し続ければ観念も滅するじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/27(土) 21:33:01 ID:1d4drIFg0
>>904 おぬしがその分離感覚が自分であり、主体であると認識しているならばそれが自我なのじゃ。
 そうでないならばそれは自我ではないのじゃ。
 観ているものが自分であり、主体であると認識しているならばそれがおぬしの自我なのじゃ。
 何を自分であり、主体であると認識するかは人によって違うのじゃ。
 それ故に人は自らの自我を各自で観察しなければいかんのじゃ。

 それが自分と想っているものであったとはっきり気付いたならば、観照が起こるじゃろう。
 自我と想うものがそれかもしれないとするならば詳しく観察してみるのじゃ。
 そうすれば厭離も起こり、無我もやってくるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>905 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>906 そのような感じなのじゃ。
 恐れている自分を観るのじゃ。
 恐怖心が襲ってくるのはよいことなのじゃ。
 ちゃんと死がイメージできていることであるからのう。
 そのようなときも恐れている自分を観るとよいのじゃ。

909避難民のマジレスさん:2017/05/27(土) 21:57:53 ID:H5Bsi8Hk0
>>908
ありがとうございます。

人それぞれ自我と思っている場所が違う…すごくガツンときました。

以前私は、肉体と思考は私ではないとわかりましたが、「それらを観ている者」「大いなる存在」という概念に自我が移っただけということがわかりました。
今度はそのような自我を持ってしまっているということですね。
観照目指して観察続けてみます。

910としぼっくり:2017/05/27(土) 22:22:41 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
念処経で観察する法とは、どの様な法なのでしょうか?

911避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 05:57:09 ID:eAIt472s0
>>907
ご教授ありがとうございました。
イメージする集中を実践していきます。
イメージする光景は、実際や写真などでみたことのある過去の記憶からのものがよいのか、
できるかぎり想像的なものがよいのか、どちらでしょうか?
こまかい質問で恐縮です。

912避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 06:42:34 ID:czRftzgI0
>>900
わかりました、精進します

913避難民のマジレスさん:2017/05/28(日) 12:42:59 ID:Y5LPInQE0
>>886
鬼和尚さん、お返事ありがとうございます。

私も体の凝りが原因なのだろうかと思って、難病治療に効果を上げているというマッサージ師の
治療を受けた事がありますが、無駄でした。

数息観などの瞑想を続けて、心を観察することで、心の病から解放されたと鬼和尚さんに報告しに来た人は居ますか?

914としぼっくり:2017/05/28(日) 14:58:03 ID:DAY232aw0
連投すいません。スルーして貰ったのにすいません。
質問ですが、
正しく観察する事が基本とは、どういう事でしょうか?

915鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/28(日) 20:41:46 ID:1d4drIFg0
>>909 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>910 自分を身受心法を通して観察する方法なのじゃ。
 身とは肉体なのじゃ。
 受とは感覚なのじゃ。
 心とは心の働きなのじゃ。
 法とは四諦とか因縁の法なのじゃ。
 それらを通して自らを観察すればやがて無我にも至るのじゃ。

>>911 できれば実際に行ったところがよいじゃろう。
 なければ写真やイメージでもよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>912 そうじや、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

916鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/28(日) 20:55:03 ID:1d4drIFg0
>>913 正確な原因がわからなければ無意味なのじゃ。
 自分で原因を探すしかないのじゃ。
 相談のスレで何人も報告しているのじゃ。
 何もしなければいつまでもそのままなのじゃ。
 
>>914 不正に観察しても何も起こらないのじゃ。
 手があるのに無いとか観察しても不正であるから何も起こらないのじゃ。
 手がそこにあるならは゛手があると見るのが正しい観察なのじゃ。
 全ての観察はそのように正しくなければ無意味なのじゃ。

917としぼっくり:2017/05/28(日) 21:37:45 ID:DAY232aw0
2つ質問お答え頂きありがとうございます。身受心法の教えは大変勉強になりました。ありがとうございます。
正しく観察する事を心掛けて行こうとと思います。
毎回質問に答えて頂き本当にありがとうございます。

918481:2017/05/29(月) 02:02:06 ID:Zf/J12A.0
鬼和尚、
観照と無我の違いは何でしょうか。

自我を観ている状態が観照で、ただ映像が流れている状態が無我でしょうか。

私は、ただ映像が流れている状態に簡単に入れるようになってきております。

まるで、深夜の人気のない、誰も見る者のいない山奥の自然の姿を見てしまったかのような感覚です。

919避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 10:50:52 ID:Y5LPInQE0
>>916
ありがとうございます。

>相談のスレで何人も報告しているのじゃ。

URLを教えて頂けないでしょうか?

920そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/29(月) 18:55:35 ID:ohctFj6.0
>>919
たぶんここのことじゃないでしょうか
違ってたらごめんなさい

悟りを開いた人に聞いてみるスレ【人生相談】57 [無断転載禁止]
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1494198815/

921避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 19:42:51 ID:kV7xIwD.0
>>908
鬼和尚さん、ありがとうございます。
まだ上手く行きませんが、死を恐れている自分を観るようにします。
何度も挑戦していれば、恐れている自分を観ることができますか?

ところで、死ぬ時のことを想像していて思ったのですが、私は何となく輪廻転生を信じていて、そのせいで自分がなくなるということを普段はあまり実感しないでいるみたいです。
それはそれで必要なことだと思いますが、ただ、やはり死というものはそんなに都合の良いものではないはずだという気もします。
これはつまり、輪廻転生という観念が死からの逃避に上手く使われているということなんでしょうか?
想像していると、実際の死というのは、輪廻転生のように連なるものではなくて、むしろ突然すべてが断ち切られるようなもののように感じてきたのですが、どうでしょうか?

922避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 20:30:58 ID:RB87rmAY0
鬼和尚
ニサルガの私は在るという意識に集中する瞑想(ニサルガヨガ)をする場合、
数息観も併用してやってもいいでしょうか?
ニサルガヨガを単独でやるよりも
数息観で集中力を高めたあとでニサルガヨガをした方が効果があるような
気がしますがどうでしょうか?

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/29(月) 20:53:54 ID:1d4drIFg0
>>917 どういたしまして、またおいでなさい。

>>917 それは無我ではないのじゃ。
 自我は自分と思っているものなのじゃ。
 それが観られるのが観照なのじゃ。
 観照が起これば無我になり、日常でも無我の状態でいられるのじゃ。
 自分とか私とかそのような観念から考えることすらなくなるのじゃ。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>919 >>920なのじゃ。

>>920 ご苦労さんなのじゃ。

924避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 20:55:58 ID:czRftzgI0
止観中の思考の観察は、思考の内容をじっくり観察するのか内容に踏み込まず思考が起きていることを観察するのかどちらですか?

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/29(月) 21:08:21 ID:1d4drIFg0
>>921 観られるじゃろう。
 意志によって恐れも克服できるのじゃ。
 
 そのように言えるじゃろう。
 全てが断ち切られるようなものでよいのじゃ。
 そのような恐れも克服できたならば、もはやこの世で恐れることはないのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>922 よいのじゃ。
 そのほうが効果はあるじゃろう。
 それが本来の止観とも言えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 21:18:19 ID:Y5LPInQE0
>>920
>>923
ありがとうございます。
このスレの何番に報告がありますか?

927としぼっくり:2017/05/29(月) 21:32:35 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
仏教で言う因縁とは何なのでしょうか?
縁起と因縁は違うものなのでしょうか?

928避難民のマジレスさん:2017/05/29(月) 22:07:45 ID:Y5LPInQE0
紹介のスレをザーッと読んでみましたが、心の病が良くなったなんて報告は一つもありませんでした。

929481:2017/05/29(月) 22:27:03 ID:j2IV6FWs0
>>925
鬼和尚、ありがとうございます。

観照の起きた状態が無我であるのかなと理解しました。
しかし私のこれは無我ではないのが残念です。

今のところ音を聞いた時、「音を聞いている私」のイメージが起きているということ。
また音と私の間の距離感もイメージであること。
ここまでは観察しております。
このイメージが自我なのか?と思っていましたが、無我が起きていないということはまだ観るべき自我があるということですね。
より精進して参ります。

930避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 00:03:13 ID:...Cb81Q0
>>928 横レス、長文、失礼します。
私は親からの暴力やモラハラで、生きる意欲もなく自殺を考えていました。
自殺未遂も経験しています。毎日が苦しくて、不幸のどん底だったので
死ぬ前にダメ元で、数息観や苦滅の法を始めました。
1年程たったある日、夢の中で近づいてきた幽霊のようなものを
手で払いのけた瞬間、爆発が起こりました。
何が起こったのか、今でもよくわかりませんが、目覚めると
心が本当に静かになっていて、過去の記憶と苦しみを結んでいた回路が
ちぎれたように無くなっていました。トラウマからも解放されていました。
信じられない気持ちはよくわかります。私もそうでした。
でも心は本当に変わりたいを思ったときに劇的に変わります。
鬼和尚様に教わることができるこの機会を大切にしていただきたいです。

931そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/30(火) 01:06:43 ID:ohctFj6.0
>>928

参考までに、前スレの919から似たようなレスがあります。

鬼和尚に聞いてみるスレ part7
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1463059357/

私はあれからさらに症状が減りました。

932避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 01:46:29 ID:Y5LPInQE0
>>930
>>931
ありがとうございます。

私の症状の一つなのですが、文字とか言葉というものに非常に苦痛を感じます。
今も、脚を痛めたので、医者に行く為に、医者にどう説明しようか考えていた所、
スネの骨が痛いというべきだろうが、スネの骨とは何だろう?スネと骨との関係を
表しているであろう「の」とは何だろう?とか思考が始まってしまい、
身動きがとれなくなるのです。

こんな症状が本当に原因に気づくことで治るのでしょうか?

933避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 01:48:03 ID:Y5LPInQE0
皆さんが出してくれた例は明確に原因を認識されている場合ばかりですよね?

私には、原因なんて思い当たらないのです。生まれつきとしか思えません。
そういう状態から良くなった例はありませんか?

934そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/30(火) 02:36:21 ID:ohctFj6.0
>>933の質問に対する直接の回答ではありませんが参考までに。

鬼和尚はよく「原因を探せ」「原因がわかれば解消する」などと言っていますが、
私のことについて言えば、原因がわかって解消した、と明確に言えるものはありません。
例にあげた症状のことも、特に書き込みをしていないその他のことも、
修行する前より楽になったことは幾つもありますが、そのどれもがそうです。
ただありのままを観察しようと日々努めてきましたが、
観察による気付きによって変化していったのではないかと思います。

あと、鬼和尚は「原因がなければそれは起こらないと観察するのじゃ」などと言いますが、
私の場合、無理矢理原因をあてはめて、それは起こらないと観察しました。
原因がわからないのでそういう方法をとりました。
今、その事例を思い出そうとしているのですが、思い出せません。
観察によって滅してしまったものを思い出すことは難しいです。
もう思い出す必要がないからだと思います。
だから、大事なのはそのように観察するという行為であって、実は原因はどうでもいいのかもしれません。
観察という行為によって、本来の原因と結果の連鎖が止まればいい、ということではないでしょうか。

ついでに書きますが、「観察」という言葉についてですが、これはあくまで私の解釈ですが、
鬼和尚は「観察」という言葉を二種類の行為(意味)に使っていると思います。
一つは、ありのままを観察すること、言葉によらない観察をすることです。
これは文字通りの観察です。
もう一つは、原因がなければそれは起こらない、の場合の観察です。
これは「そのように思う」「そのようにイメージする」ということだと思います。

935避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 05:48:57 ID:EVX9bf.A0
寝ているときにみる夢は、自我があるからと観ました。夢はアラヤシキの機能でしょうか?

936避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 12:09:48 ID:Y5LPInQE0
>>934
ありがとうございます。

私の「原因」という言葉の捉え方がおかしいのでしょうか?

そらいろさんや他の方の場合、思い出したくない事、トラウマなどの苦(の原因)が存在し、
自分にはそういった事は特に思い当たらないので、原因が無いと書きました。

私の思考能力が劣っているせいで、妙な事を言って、混乱させてしまっていたらすみません。

いずれにしろ観察することで、観察対象と距離が出来、是が非でも変えなければいけないのに
変えられないという苦悩が若干薄らいだようには感じています。それほどまでに苦悩して
成し遂げないとならない事なのだろうか?と思うようにはなりました。

937避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 12:35:29 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

丹田の位置は、下の画像の通りでしょうか?

http://丹田鍛え方.com/wp-content/uploads/2015/07/丹田.jpg

938としぼっくり:2017/05/30(火) 12:50:14 ID:DAY232aw0
連投すいません。
質問ですが、正しく観察する事が基本とは、正しく観察して行けば良いと言う事でしょうか?

939避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 19:08:07 ID:4r9Nyxn.0
>>925
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自分が死ぬことの恐怖とできるだけ向き合ってみます。

今までは、自分がいつかなくなるということを考えてみたことがなかったのですが、実際に考えてみると新たな発見もありました。

私は四六時中ずっと雑念が出ている方なのですが、それらはすべて自分がなくなることと向き合うのを無意識のうちに避けるためだったように思えてきました。
自分がなくなることと向き合って見ると、今まで自分がそれを避けるために莫大なエネルギーを消費していた気がしてきました。
今はまだ、すぐに今までの思考に戻ってしまいますが、自分がなくなることと常に向き合えるようになったら、なんだか人生観も変わりそうです。

そして、鬼和尚さんの言うように、この世で恐れることがなくなったら安心できるので、さらに試してみようと思います。
ありがとうございました。

940鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/30(火) 21:26:10 ID:1d4drIFg0
>>927 因縁とは原因のことなのじゃ。
 直接の原因を因といい、間接的な原因を縁と呼ぶのじゃ。
 
 縁起はものごとが縁によって起こる状態なのじゃ。
 因縁によって起こるということもできるのじゃ。
 そのような違いがあるのじゃ。

>>929 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>932 原因は観察を完全にするために必要なだけなのじゃ。 
 今ここにある反応だけでも観察は出来るのじゃ。
 そのようなことが起きたら今自分は思考によって身動きが取れなくなると観察するのじゃ。
 思考が無ければ身動きが取れると観察するのじゃ。
 そのように症状だけでも観察していけばよくなっていくじゃろう。
 心が落ち着けば真の原因も見出せるようになるのじゃ。

 大抵は親が虐待したり、支離滅裂な言動をしていたりするせいなのじゃ。
 混乱を乗り越えて進むのじゃ。

>>935 そうともいえるのじゃ。
 観念があるからのう。
 観念が無くなれば夢も見ないのじゃ。

>>937 少し違うのじゃ。
 自ら作り出すものなのじゃ。

941鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/30(火) 21:27:53 ID:1d4drIFg0
>>938 そうじゃ、正しく観察していけばよいのじゃ。
 正しく観察できれば変容は訪れるのじゃ。
 何も変化が無いのは正しく観察できていないからなのじゃ。

>>939 善いことじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

942としぼっくり:2017/05/30(火) 21:48:24 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。大変勉強になります。
正しく観察して行こうと思います。
いつも沢山の質問お答え頂きありがとうございます。

943避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 23:04:00 ID:u2BbO1ug0
>>940
それは観念がなくなれば、アラヤシキも機能しないということですよね?

944避難民のマジレスさん:2017/05/30(火) 23:41:53 ID:Y5LPInQE0
>>940
鬼和尚さん

確かに親の支離滅裂さは感じて居たようにも思います。
ただそのことを今思い出そうとすると思考がブロックされて
思い出せないというのは、何が原因なのでしょうか?

この事だけでなく、あるときは、思い出そうとも思わずに
意識上に上がってくるのに、意識して思い出そうとすると
ブロックされるような感じで思い出せなくなるのです。

症状の観察方法を教えていただき、ありがとうございます。
そのように努めます。

945避難民のマジレスさん:2017/05/31(水) 05:00:46 ID:czRftzgI0
和尚さん>>924をお願いします

946避難民のマジレスさん:2017/05/31(水) 19:35:07 ID:czRftzgI0
私は思考に自己を投影していることに気付きました。思考を観察して自分が考えていないと思うことがどうしてもできません
根気よくやるしかないのでしょうか

947鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/05/31(水) 21:34:47 ID:1d4drIFg0
>>942 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 何度でも訊くとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>943 そう言えるじゃろう。
 阿頼耶識も観念によって総てを認識しているのであるからのう。
 実践によって確めるのじゃ。

>>944 それは思い出すと苦が起こるから無意識に逃避しているのじゃ。
 しかし、いつまでも避けられる訳ではないから時々思い出してしまうのじゃ。
 数息観により心を鎮め、少しずつ探求していくのじゃ。
 そうすればよくなっていくのじゃ。
 親も無知と無力によってそのような言動をしていたと気付く時、心の病もかなりよくなっているじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>945 最初は思考が起きているとだけ観るとよいのじゃ。
 思考に自己同一化しないでいられるようになったら思考の内容も観察してみるのじゃ。
 詳しく観察できる程、思考が自分ではなく自分のものではないと気付くことになるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>946 何も想わなくてよいのじゃ。
 ただひたすらに観察していれば厭離は自然に起きるのじゃ。
 余計な想いがあれば逆に気付きは遠ざかるのじゃ。
 思考を初めてみるもののように、ただありのままに観るがよいのじゃ。

948そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/31(水) 22:09:45 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画によりますと、現在の日本人の死因は、
若いころは自殺が多く、歳をとってくるとガンが増えるとなっています。
ガンは自分が死にたいと思うから、自分の細胞の一部がガン化して死ぬ、とのことです。
ガンで死ぬのは自殺と同じでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=kijvK_bI384
【永久保存版★武田邦彦】 「〜人の死に方〜」

動画は10分40秒以降は同じ内容の繰り返しになっています。

949としぼっくり:2017/05/31(水) 23:26:39 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
苦を滅するためには、自分の本心を観察して、苦があると観察して、苦の原因を観察すれば良いのでしょうか?

950としぼっくり:2017/05/31(水) 23:38:05 ID:DAY232aw0
>>949追記です。
苦があると観察して、苦の原因を追求した方がよろしいのでしょうか?

951蓮恵:2017/05/31(水) 23:42:11 ID:2PcDrMdY0
和尚さま

自我とは、ただの一連の現象に対して名前をつけたものであると見えました。

952そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/05/31(水) 23:50:01 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
瞑想中に人の形をした影のようなものが見えました。
まさしく人形で、人形自体に何かをする力はありません。
これが私の自我というものでしょうか。
それとも単にイメージを投射しただけでしょうか。
自我ならば、これがもっと明らかにはっきりと見えるようになればいいのでしょうか。

953そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 00:16:32 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私は、自分が被害者であるとずっと思っていた、と気付きましたが、これは正しいですか。

954そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 00:20:29 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
他人に説法することと、
他人のしたこととしなかったことを見たことに基づいて他人に何か言うことはまたは説法することは、
同じですか、違いますか。
そして、それはなぜですか。

他人のしたこととしなかったことを見たことに基づかないで説法することはできますか。
それはどうやるのですか。

955そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 01:11:20 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
ブッダのことば(岩波文庫)で、
五の堅固なものの解説で、

事物のうちに堅固なものを見出さない、というのは、つまり〈空〉であるいうことである。〈空〉の思想は、最初期にまでたどることができるのである。

とあります。
私の理解では、空は思想ではなく、空観という悟るための技法ですが、空は思想ですか?

堅固なものを見出さない、というのは、確たるものはないのだからそれを探そうとはしない、というような意味かと思いますが、どうでしょうか。

956避難民のマジレスさん:2017/06/01(木) 06:27:43 ID:czRftzgI0
>>945
はい、ありがとうございました

957そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/01(木) 20:11:07 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
昨年書き込んだことで、職場に嫌な人がいたけれどもだんだんと気にならなくなってきた人のことですが、
あれからその人は私の仕事ぶりを勝ってくれたり職場環境について様々な配慮をしてくれたりするようになり、
私にとってはとてもありがたい存在になりました。
しかし、その人が異動で私とは別の部署に変わりましたので、これまでのような関わりはなくなりました。
このような出来事は、私の試しが一つ終わったようなものでしょうか。

958鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/01(木) 21:33:29 ID:1d4drIFg0
>>948 嘘なのじゃ。
 ストレスが多かったり、生活が荒れていればがんになるものじゃ。
 自殺と同じではないのじゃ。

>>949>>950 そこに苦があるならば、苦があると観察するのじゃ。
 そして原因を追求するとよいのじゃ。
 苦が無ければ苦がないと観察するがよいのじゃ。
 今ここにあるものだけをありのままに観察するのじゃ。

>>951 それも一つの気付きなのじゃ。
 それにも囚われずに進むのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>952 それはただのイメージなのじゃ。
 雑念なのじゃ。
 囚われずに捨ててしまうがよいのじゃ。
 今ここにある心身をありのままに観察するがよいのじゃ。

>>953 それによって苦が無くなったのならば正しいのじゃ。
 苦があるままならば正しくないのじゃ。
 自分だけがそれを知れるのじゃ。

>>954 説法としては同じじゃろう。
 説法であるから同じなのじゃ。
 
 出来ると思えば出来るじゃろう。
 出来ると思うことで出来るのじゃ。

>>955 思想ではないのじゃ。
 学者には思想としか捉えようが無いのじゃ。

 そのような意味でよいのじゃ。

959鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/01(木) 21:34:40 ID:1d4drIFg0
>>956 どういたしまして、またおいでなさい。
 
>>957 そうじゃろう。
 更に善事を重ねるとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

960としぼっくり:2017/06/01(木) 21:52:56 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
質問ですが、原因を追求して苦の原因に気付けば苦はなくなるのでしょうか?

961481:2017/06/01(木) 22:15:24 ID:j2IV6FWs0
鬼和尚、
自我とは言葉ではないでしょうか?
そして言葉とは記憶から。

私に意識を向けると、瞬間的に私というイメージが起こります。
私を私としているのは、言葉です。

などと言ってはいますが、未だ無我にはなっておりません。
ただの理解なんでしょうね。
観察で実際に観ようと思います。

962としぼっくり:2017/06/01(木) 22:32:02 ID:DAY232aw0
>>960追記です。
原因を追求して苦の原因が判ったら、順逆に観察したらよろしいのでしょうか?

963避難民のマジレスさん:2017/06/01(木) 23:32:29 ID:Em5yagvA0
仕事の苦しみを観ていく中、その原因は想定外の色々な問題が発生し、自分のイメージの通りにいかないことが多く、落ち着けないためと観ました。
原因を観ましたが、解決は一筋縄ではいきません。ここから何を観察するといいのでしょうか?

964そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/02(金) 01:05:21 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
他人のしたこととしなかったことを見たことに基づいて他人に説法することは
善いことですかそれとも悪いことですか。

他人のしたこととしなかったことを見たことに基づかないで他人に説法することは
善いことですかそれとも悪いことですか。

金剛経(中公文庫)に、
「この法門の中の、たとえ四句からなる詩頌(しじゅ)1つだけでも、(自ら学んで)把握し、他の人々にも詳しく示し、説明するとしよう。(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より大きな功徳の集積、はかりしれない無数の(功徳の集積)を生み出すことになろう。」
とありますが、これは他人に説法すると善い、ということですか。

965避難民のマジレスさん:2017/06/02(金) 12:45:59 ID:SaY5JPM20
>>881
ありがとうございます。
自我への執着の原因を探してみました。
どうやら、これまで本心では本当だと信じている世界が、全て嘘であることを知ることが怖いようです。
これを苦滅の要領で滅しようとしたのですが、うまくいきません。

瞑想が深まり主体の感覚が薄まると、反射的に自我を取り戻そうとする働きがあることから、
自我への執着は未だあると思います。
また、自我を追求していると吐き気のような気持ち悪い感覚が生じることからも、正しい道を進んでいるだろうということも判ります。

何か助言をいただけますでしょうか。
自我を滅する障害になるものを取り除きたいです。

966そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/02(金) 18:52:07 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
私が他人に対して
「自殺すると死んだ後も苦しみ、より悪い所に生まれ変わる。これは真実だ。だから自殺はしない方がよい。」
と言った場合、私は嘘をついていることになりますか、それとも正しいことを言っていることになりますか。

967鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/02(金) 21:47:09 ID:1d4drIFg0
>>960>>962 そうじゃ。
原因に気付いた後に原因から苦が起こる事を観察し、原因がなければ苦が起きないことを観察するのじゃ。
 観察が完全に出来れば苦は消えるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>961 言葉もあるが、イメージもあるじゃろう。
 言葉以前にイメージが自我を構成しているのじゃ。
 それ故に言葉によっては自我は観えないのじゃ。
 言葉に囚われずに進むのじゃ。

>>963 自分のイメージ通りに行かないとなぜ落ち着けず、苦が起こるのか原因を心の中に探すのじゃ。
 ものごとが思い通りにいかないことはよくあることじゃ。
 それが苦になるのは原因があるからなのじゃ。
 原因からその苦が起こる事を観察するのじゃ。

>>964 そのことに善悪は無いのじゃ。
 慈悲の心で説法するならは゛善なのじゃ。
 怒りとか攻撃欲で説法するのは悪なのじゃ。
 そのような違いがあるとしるがよいのじゃ。

 その経を説法留守とよいというのじゃ。

>>965 更にその原因を心の中に探してみるのじゃ。
 それは自分があくまでもあるという観念からかもしれん。
 自我の前に自分があるとはどのような状態なのか観察して見るとよいのじゃ。
 何があるとき、自分はあると感じるのか、
 何がないと自分はないと感じるのか
 観察にょって明らかにするのじゃ。

968鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/02(金) 21:48:51 ID:1d4drIFg0
>>966 おぬしがそれを真実と知っていれば正しいことじゃろう。
 嘘でも慈悲にょって言うならば善事なのじゃ。
 想いが善悪を決めるのじゃ。

969龍氣:2017/06/02(金) 21:52:01 ID:JrW3ee6Q0
すみません、鬼和尚、
もう適当なことは言いません。
名はお返しいたします。

970としぼっくり:2017/06/02(金) 22:12:47 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行きます。

971避難民のマジレスさん:2017/06/02(金) 23:14:06 ID:q6NCKTlA0
963です。
その原因は家族を護らなければいけないこと、
そのためには仕事できちんとした結果を残さなければならないこと、それをさらに深堀すると自身のキャリアを傷つけたくないこと、保身がキーワードのような気がします。ここからは何を観察するとよいでしょうか?

972481:2017/06/03(土) 00:29:55 ID:bSLl/kTY0
鬼和尚、ありがとうございます。
まず、ある映像が起き、それに言葉で名を付けているということですね。
例えば「私」とか。

言葉を捨てて観察してみようと思います。

973としぼっくり:2017/06/03(土) 01:01:46 ID:DAY232aw0
お礼に続けて申し訳ないです。
質問ですが、鬼和尚さんは、自分の本心を観たからこそ、自我、自分に気付いたのでしょうか?

974避難民のマジレスさん:2017/06/03(土) 13:03:36 ID:BVPIT6kM0
>>967 ありがとうございます。
自分があくまでもあるという観念ですが、確かに心の中にありました。
自分を実在として前提し、物事を見ていることがわかりました。
さらに詳しく観察してみます。

> 自我の前に自分があるとはどのような状態なのか観察して見るとよいのじゃ。
> 何があるとき、自分はあると感じるのか、
> 何がないと自分はないと感じるのか

とありますが、少し詳しく教えてください。
ここでの自我は、例えば座っている自分のイメージとかで、自分があるというのが、「自分」が座っている
という主体の感覚ということでしょうか。
そして、主体の感覚の有無や強弱を縁起によって詳しく観察するということでしょうか?

自分のイメージはイメージとして見られるのですが、主体は今の所イメージとしては見られず、実在する感覚として知覚されています。

975避難民のマジレスさん:2017/06/03(土) 20:00:22 ID:kV7xIwD.0
鬼和尚さん

先ほど自分の行動を観察していたら、自分を守ろうとしているつもりで、自分だと思っていたイメージ?のようなものを守ろうとしていたことに気づきました。
これは、自分の一部が観念だったと気づいたことになりますか?
もし似たようなことを続けたら、自分というものは、減っていくと思うのですがどうなのでしょうか?

それから、自我を観察してそれが観念に過ぎないことに気づくのも、これと似たようなものですか?
それとも、もう少し違う感じのことですか?

976鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/03(土) 21:16:51 ID:1d4drIFg0
>>969 返さないでよいのじゃ。
 ただひたすらに己の本心を観るのじゃ。
 それはこれから死ぬまで続ける作業なのじゃ。
 一時の感情でやめたりするべきものではないのじゃ。
 絶望を超えて進むのじゃ。

>>970 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>971 更に本心を観察するのじゃ。
 本当はもっと楽にしても家族は守れるじゃろう。
 欲に取り付かれた心が更なる執着を生み、苦を起こすのじゃ。
 そのような働きが無いか観察して観るのじゃ。

>>972 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>973 そう言えるじゃろう。
 本心を観なければ変容は起こらないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

977鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/03(土) 21:34:05 ID:1d4drIFg0
>>974 それは言わば自分の定義なのじゃ。
 例えば肉体が自分と定義する者は肉体があればもう自分はあると認識するじゃろう。
 感覚や感情や思考が無くとも肉体があれば自分はあると認識するのじゃ。
 肉体が無ければ自分はないと想うのじゃ。
 そのような定義から自分というものを追求していけば自我も見やすくなるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>975 気付いたことになるじゃろう。
 減らないのじゃ。
 観念が観念と気付いただけであるからのう。
 そのような恐れが生じることで自我も見えてきているとわかるのじゃ。
 似たような気づきが増えていけば自我も滅するじゃろう。
 恐れずに進むのじゃ。

978蓮恵:2017/06/03(土) 21:50:09 ID:F4cyaZX20
和尚さま
人としてどのように生きるかという問題があります。いわゆる善悪、幸福、道徳、功利の問題です。全ての人間が求めてやまないものです。

しかしながら、それらよりも根本的な問題が存在するものと存じます。
うまく説明できませんが、己という存在そのものに対する向き合い方といいますか、受け止め方といいますか。

ここが足らないと、全ての行動が逃避で終わってしまうようなそんな気がするのです。

979としぼっくり:2017/06/04(日) 01:03:15 ID:DAY232aw0
ありがとうございます。
実践して行きます。

980としぼっくり:2017/06/04(日) 02:02:40 ID:DAY232aw0
またお礼続けてすいません。
質問ですが、自分の本心を観察する事によって、自分とは何か観察出来たり、心身を観察出来たり、苦を滅っしたり出来るのでしょうか?

981としぼっくり:2017/06/04(日) 07:26:44 ID:DAY232aw0
>>980スルーしてください。すいません。
ありがとうございます。

982避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 12:56:31 ID:QoQZrmNc0
>>977
鬼和尚さん、ありがとうございます。

苦を滅する時に、その原因が無意味な観念だったと気づくことは多いのですが、
今回は、それがまさに自分という観念の一部だったので、これが自我なら自我の仕組みが少し実感できた気がします。
でも、自分が減らないのは意外でした。

じつはこの気づきは、自分が無意識のうちに死を避けようとして何かを守っていることに気づき、さらにそれを守っても死は避けられないから、それは自分ではないと気づきました。
こういう観察ができるから、死を思うことは修行には良いということなのでしょうか?

ただ、どうも私は常に死を避けようとしているので、観察方法としては曖昧でキリがないかもしれません。
というか、自我が漠然としていて曖昧な感じです。
自我を滅するには、自我が限定されたはっきりとしたものになっている必要があると思うのですが、どうでしょうか?
そのために気づきを増やして自我の幻想を減らしていく必要があるということですか?

983そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 13:43:40 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記の動画の中の【超能力を使い過ぎてしまったせいで】という話しで、
(話しの長さは動画の初めから約2分間です)
「知っているのは理解しながら、それが誰だか分からなくなっている。」
「音としては聞こえているのに、言語として意味を理解できない。」
とあるのですが、これは、記憶による認識が止まり、観念が浮かばなくなった、ということでしょうか。

このような状態なら苦は起こり得ないでしょうか。

悟る時はこのような状態を経るのでしょうか。

不思議な話 忍び寄る不思議な力
https://www.youtube.com/watch?v=8wzwipT3wV4&lc=z134f3y4wkezxnofm235epmgqp2kgrj1j

984そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 14:51:41 ID:ohctFj6.0
>>983
すみません。念のため。

オカルト注意

です。

985蓮恵:2017/06/04(日) 16:13:32 ID:AlNqYyjs0
和尚さま
根本的な問題と向き合わずに、仏道に精進しても天地の開きが生じると思います。
仏道は何かを得るとか、身に付けるプロセスではないでしょう。
滅することで本来の生が得られるといいましょうか。

986そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 16:29:41 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
毎朝起きるたびに、私とはこういうものだ、というのを作り上げていて、
それをいつのころからか、毎日毎日その都度続けている、という気がします。

987避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 18:00:09 ID:czRftzgI0
大乗仏教は間違いが多いという持論の和尚さんは、法然を悟ってないとお考えでしょうか?

988そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/04(日) 20:01:10 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
下記のまとめサイトで(オカルト注意)

妖怪退治の仕事してるけど、何か質問ある?
http://world-fusigi.net/archives/6972808.html?p=9
――――――――――――――――――――――――――――――
265: 1 ◆cvtbcmEgcY 2013/07/17(水) 21:54:06.00 ID:vVAg8PUK0
最初のほうにいったけど、式神とかを今実際に使える人はいないと思う。

表現しずらい点が多くて、俺も理解できてない部分も多いけど
とりあえず先生に聞かされたこと

なぜ使えないかというと、現代日本に住む人間なら無理な可能性が高いからだ。

入道とか道行うんぬんって話覚えているよね。
道行ってのはそのまま道を行くって感じで理解していいと思う。
つまり、実際に道を行って、その体感とか、世界に対する理解とか
そういう口では説明できないものを実感して、そして入道に至るみたいな感じかな?

しかし、その入道を一番邪魔をするもの。それは何かというと文字なんだ。

266: 1 ◆cvtbcmEgcY 2013/07/17(水) 21:54:07.00 ID:vVAg8PUK0
まぁ、あと言葉もそうかな?
すごい抽象的で申し訳ないんだけど
例えば「一」って漢字があるじゃん。
これは一を表現していて、これをみると「あ、一だ。」
みたいな感じになるんだけど。実際の「いち」って概念はこんな「一」という
文字では表せない。一個とか、一枚とかいろいろあるんだけど

でも、俺たちがその一という字を知ってしって。
そうすると、俺たちは一という言葉というかそういうもので自分の見解を縛ってしまって
本当の意味で「いち」を理解することを阻害してしまう。

昔の力持ちたい人とかは、小さいころから決して文字の勉強はしなかったとか。
――――――――――――――――――――――――――――――

とあるのですが、これは、言葉とイメージによる観念に囚われてしまうことを防ごうとしているのでしょうか。
文字、言葉によらず、実践あるのみ、ということでしょうか。

989避難民のマジレスさん:2017/06/04(日) 20:37:27 ID:fuOAkotI0
>>977
定義から自分というものを追求するのですね。
実践してみます。
ありがとうございました。

990鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/04(日) 21:09:31 ID:1d4drIFg0
>>978>>985 それが何なのか観察によって明らかにするのじゃ。
 自ら気付かなければ他人に話すことも出来ないのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>979>>981 どういたしまして、またおいでなさい。

>>982 それもあるのじゃ。
 老病死は常に人の壁となり、修行を推進する追い風ともなるものじゃ。
 
 そうじゃ、既に少しは幻想が減っているじゃろう。
 たまねぎの皮をむくように芯に何もないと気付くまで観察し続けるのじゃ。
 悟りも自ずから起こるじゃろう。

>>983 それは脳が疲れて外部からの刺激を認識しなくなったのじゃ。
 苦はまだあるのじゃ。
 自我もあるからのう。

991鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/04(日) 21:13:47 ID:1d4drIFg0
>>986 そうじゃ、自我は毎朝毎刹那起こるものじゃ。
 朝は自我を思い出すのじゃ。
 一日の中でも何度か自我を忘れたりしているものじゃ。

>>987 悟っていないのじゃ。
 悟りを目指してもいなかったじゃろう。
 浄土を目指していたのじゃ。

>>988 そうじゃろう。
 実践によってのみ心は変るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>989 そうじゃ、常日頃意識していないが自分の定義は誰にでもあるものじゃ。
 参考にして実践するとよいのじゃ。
 またおいでなさい。

992としぼっくり:2017/06/04(日) 22:43:32 ID:DAY232aw0
鬼和尚さん質問ですが、
自分の本心を観察する事を元にして、自分とは何か観察したり、心身観察したり、苦を滅して行けば良いのでしょうか?

993としぼっくり:2017/06/05(月) 00:36:28 ID:DAY232aw0
>>992
苦を滅したり、して行けばです。

994そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 00:48:46 ID:ohctFj6.0
鬼和尚
>>987に関連して
浄土宗は、南無阿弥陀仏を口に出して唱えれば、浄土に生まれることができる、ということであり、
それは悟りを目指したわけではなく、南無阿弥陀仏を口に出して唱えても悟れない、ということですね。

浄土はあると思えばあり、ないと思えばないのでしょうか。

995そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 00:49:44 ID:ohctFj6.0
偽和尚
すみませんが、そろそろ次スレを用意していただけませんでしょうか。

996偽和尚★:2017/06/05(月) 00:58:46 ID:???0
次スレ作っておきました。

鬼和尚に聞いてみるスレ part9
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1496591715/

しかしこの板のスレは設定で2000まで大丈夫なようになっているのでまだストップさせません。
切りのいいところまで書かれてからストップさせます。

997そらいろ ◆EHlCk/f57s:2017/06/05(月) 01:07:06 ID:ohctFj6.0
>>996
ありがとうございました。

998避難民のマジレスさん:2017/06/05(月) 15:41:39 ID:t8PlW.qA0
>>990
鬼和尚さん、ありがとうございます。
とにかく観察して、自我の幻想を減らしていこうと思います。
できるだけ自我の幻想を減らしていけば、それが起こる瞬間を捕らえられる気がしてきました。
またわからなくなったら教えてください。

それから、以前はよくわかっていなかったのですが、最近は鬼和尚さんに出会えたことの幸運の大きさがわかってきました。
こんなにいつも質問に答えてくださって、感謝しています。
いつもありがとうございます。

999避難民のマジレスさん:2017/06/05(月) 18:08:22 ID:rIFRVnQI0
先日このスレの存在を知りました。
鬼和尚様、ここの皆様、管理人様、心より感謝申し上げます。

「私の主体」を探していたのですが、「主体」とは、複合的な感覚から生じた観念(感覚?)でしょうか?
物心ついてから漠然とあると感じていた「主体」とか「自分」という感じ、この「感じそのもの」でしょうか?

「感じ」があるだけで、実際に主体があるわけではないと言いますか…
少しそれがわかった気がしたのですが、この観察(理解?)は正しいでしょうか?

普段、ことある事に生じる「私」という感じ、その感覚がどのようなものか、どのように生じているか、詳細に観察していくことが、
自己の観察となりますでしょうか?

1000鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2017/06/05(月) 21:16:40 ID:1d4drIFg0
>>992>>993 そうじゃ、本心を観察することが基本なのじゃ。
 偽りの心を観察しても何も起きないのじゃ。
 本心を観察してこそ変容も自ずから起こるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>994 そうじゃ、それは悟りを求める法ではないのじゃ。
 サマーディにまではいけるがのう。
 
 浄土もあると思う者の心の中にのみあるものじゃ。

>>996 いつもご苦労さんなのじゃ。

>>998 何度でも聞くとよいのじゃ。
 どういたしまして、またおいでなさい。

>>999 それはおぬしがそう気付いたならばそうなのじゃ。
 おぬしの気付きによるものなのじゃ。
 肉体が主体と認識していた者には肉体であり、感覚が主体と認識していた者には感覚になるのじゃ。
 自分という観念の素となるものじゃ。
 完全に気付いたならば変容が起こり、それとわかるものじゃ。
 自ら判断するべきものなのじゃ。

 それも観察になるじゃろう。
 普段から行えばやがて観察も神妙の域に達するものじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

1001偽和尚★:2017/06/05(月) 22:01:37 ID:???0
それではこちらのスレはストップします。


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