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鬼和尚に聞いてみるスレ part6

303鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/12/28(月) 19:30:42 ID:l76zhUeo0
>>302 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

304素人A:2015/12/31(木) 08:41:38 ID:5HhSqYgE0
鬼和尚さん大仏さんに宿つた魂は楽なんだろうか物理の法則と時守るだけ
その他のエネルギー思い切り座禅や瞑想して百八の煩悩しらず鐘聞いても
跡は知知ん年とクール んん動物より植物の方が高い今日地になれる木がする?
でも色々ある煩悩は楽しくあそびまわれるし今は植物はいいや?来年は百位で移行
やつぱ以心伝心柱にはかなわないけどまあ良いか

305避難民のマジレスさん:2015/12/31(木) 13:22:54 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちは(´・(ェ)・`)
鬼和尚のブログ>価値基準を自ら創るのじゃ。

に関してなのですが、生きるためにする仕事が、社会的公正さや道義に反する疑いがある場合、自分の生存のために、その「疑い」にめを瞑ることはやはり許されないでしょうか?
どのような業種でも、突き詰めて考えるとそのような疑問がわく場面に出くわすことはよくあることでしょうが、苦しんでおります。

やっとの思いで見つけた職なので失いたくないのですが・・・・

306<削除>:<削除>
<削除>

307避難民のマジレスさん:2015/12/31(木) 19:06:06 ID:trSPLap.0
鬼和尚、偽和尚
今年もありがとうございました。
良いお年を!

308鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/12/31(木) 21:05:20 ID:l76zhUeo0
>>304 個我の観念があれば楽ではないじゃろう。
 個我の観念が無ければ楽じゃろう。
 もはや観念も無ければ永遠に安楽なのじゃ。
 一切が一つである境地を楽しむのみなのじゃ。

>>305 どんな会社も少しは公正ではなかったりするものじゃ。
 それでも存続するのは、どこかで役に立っているからじゃろう。
 会社全ての方針を決められるのではない限り、気に病むことは無いのじゃ。

 自分に悪意があってやるのでなければ、悪ではないのじゃ。
 どんな仕事にも慈悲を以って行えば善になるのじゃ。
 動機が肝心なのじゃ。
 日々の仕事を慈悲を以って行う事を心がけるのじゃ。

>>307 おぬしもありがとうなのじゃ。
 良いお年をなのじゃ。

309避難民のマジレスさん:2015/12/31(木) 21:40:09 ID:LC3de7YgO
>>308
鬼和尚、ありがとうございます。(´・(∀)・`)/
>自分に悪意があってやるのでなければ、悪ではない
>どんな仕事にも慈悲を以って行えば善になる
>動機が肝心
 
肝に銘じて精進します。

鬼和尚、多くのことを教えていただきありがとうございます。

良いお年をお迎え下さい。

龍明

310龍昇:2016/01/01(金) 00:07:13 ID:JnfTiuQY0
本年も宜しくお願いします。
皆様にとって良い一年でありますように。

311避難民のマジレスさん:2016/01/01(金) 00:13:28 ID:9wy.xAyQ0
和尚さま

あけましておめでとうございます。

昨年はご説法くださり本当にありがとうございました。
今年もいろいろと質問させて頂くことになると思いますが、
なにとぞよろしくお願いします。

312素人A:2016/01/01(金) 06:44:19 ID:5HhSqYgE0
英雄とは生成中のものの庇護者であって生成し終わったものの庇護者でないのは、かれが常に現在のうちに存在しているからで
ある。「アブラハムが存在する以前に、わたしは存在している」。英雄とは永遠なる存在と時間におけるうわべの無変化をとを
けつして取り違えたりせず、またつぎのようなる瞬間(ないしは「べつなるもの」)をその変化〔の要素〕によって永遠を損なう
ものとして恐れたりはしない。「いかなる事物といえども、その形体を何時までも保持しているわけでは無い。万物を絶えず更
新する自然は、一つの形から新しい形を創り出す。まことにこの世界中に、滅び去るものは何一つないのだ。全ては流転し、そ
の形を変えるだけである」。こうして次なる瞬間が実現を許されるー「永遠という名の王子」が「世界という名の王女」に唇を
かさねると、かの女の抵抗はしずまつた。「かのおんなはぱつちりと目をあけた。そして眠りから醒めて、よにもなつかしそう
に王子を眺めた。二人はつれだつて塔をおりた。すると王が目を醒まし、王妃が目をさまし、それから家臣すべて目をさまして
、みんなおおきい目をしてお互いを眺あった。広場にいた馬が起きあがつてぶるぶると胴震いすれば、猟犬は飛びあがつて尻尾
を振る・・・料理番は小僧の横面を張り飛ばしたので小僧は大声で泣きわめき、下女は鶏の毛をむしり終わったのだつた。」
Oわりーからもう端松田O眼出塔

313避難民のマジレスさん:2016/01/01(金) 08:29:32 ID:rjrCqQY20
全ては潜在的に存在していたのでしょうか…?

あけましておめでとう御座います。
今年もよろしくお願い致します。

314避難民のマジレスさん:2016/01/01(金) 09:13:17 ID:zlP30I.E0
鬼和尚さん、明けましておめでとうございます。
昨年もいろいろ教えていただいて、ありがとうございました。
今年もまた教えていただきたくなることがあると思います。
よろしくお願いいたします。
鬼和尚さんも健康に一年を過ごしてくださいm(__)m

315鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/01(金) 19:48:01 ID:l76zhUeo0
>>309 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 あけおめことよろなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>310 あけおめことよろなのじゃ。
 今年も多くの善を行い福楽を付き従えるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>311 こちらこそよろしくなのじゃ。
 あけおめことよろなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>313 全ては記憶に支えられた観念として存在していたのじゃ。
 記憶に無いものは存在しない事になるのじゃ。
 記憶にあるものが全てなのじゃ。

 あけおめことよろなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>314 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしも体に気をつけて健康に過ごすのじゃ。
 またおいでなさい。

316避難民のマジレスさん:2016/01/02(土) 00:04:48 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さんに重ねて質問させていただきます。

全てが記憶に支えられた観念として存在していたのだとすれば、記憶するためには時間という観念も必要ということになりますが
そして時間の観念が生まれるためには自他の観念も必要だったことになりますが
逆算すれば私は無から観念を生み出したことになるのでしょうか?

317避難民のマジレスさん:2016/01/02(土) 08:18:57 ID:rjrCqQY20
ただ一つの意識(数も観念なのでしょうが)はただ空っぽの入れ物だったと…?

318そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/01/02(土) 20:21:05 ID:lbmIxAaQ0
鬼和尚
日常、ぼーっとしてるのではないけど
止まっている感覚になるときがあります

319鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/02(土) 20:23:06 ID:l76zhUeo0
>>316 無も観念なのじゃ。
 それは有る事の対象として生み出されただけの観念なのじゃ。
 無があって有を生み出したということも無いのじゃ。
 全ては観念の遊戯なのじゃ。
 有るという仮設された観念があれば無いという観念も生み出さなければ成らなかったのじゃ。
 無から何かが有るようになったのではなく、仮設された有るという観念があるだけなのじゃ。
 
>>317 意志はそのように観念によって思考されるものではないのじゃ。
 観念にはイメージがあり、名称があるのじゃ。
 イメージと言葉を超えたものはイメージと言葉によって表されないのじゃ。
 わしは衆生に説くために、仮にそのように意識といっているだけなのじゃ。

 観念によって思考し続けても、真実はわからないのじゃ。
 それは記憶によって成立している故に、何度考えても記憶にしたがって同じ事を繰り返し思うことになるからのう。
 結論もまた記憶の中にある事だけになるのじゃ。
 それが観念遊戯と呼ばれるのじゃ。

 真実は観察によって明らかになるのじゃ。
 科学も観察と実験によって進歩してきたのじゃ。
 観念遊戯を捨てて観察によって真実を明らかにするのじゃ。

320避難民のマジレスさん:2016/01/02(土) 21:06:05 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、どう足掻いても観察による実践でしか真実にたどり着けないということですね。
観念遊戯から抜け出すことは容易ではなさそうです。
まだまだ観察以前の問題で進歩が遅いことがわかりました。
お答えをいただき有難うございました。

321避難民のマジレスさん:2016/01/03(日) 10:29:26 ID:RKrUXRoI0
観念遊戯についてもう少し具体例で教えて下さい。

例えば万有引力という現象において、現代物理学でも、現象の観察の結果、
現象に対する方程式は導き出しましたが、ではなぜ質量のあるもの同士が引き合うのか、
その理由まではわかっていません。
観察と思考によってでは、理由まではわからないからなのだと思います。
そのような理由まで求めることが、観念遊戯ということになるのでしょうか。

例えば去年のレスで意思の98%は、主体なく縁によって生じるとの説明がありました。
残り2%は自由意志であるとのことですが、自由意志とは主体なく縁もなく生じるものなのだと想像されます。
このように聞くと、では自由意志は如何にして生じるのか、そして、そもそもなぜ縁という現象が存在するのか、
などといった理由を求めたくなりますが、これが観念遊戯なのでしょうか。

322鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/03(日) 20:11:32 ID:l76zhUeo0
>>318 思考が止まっているのじゃろう。
 そのような時間は誰にでもあるものじゃ。
 ただ集中力や観察力がないと意識できないのじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>320 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>321 その理由がわかるとおぬしは不死の境地に至るのじゃろうか?
 死という限界のある人間が全ての法則の理由をつきとめるまでに、死んでしまうじゃろう。
 自らの老病死という限界を越えられぬ知識は、どれほど集めても無意味なのじゃ。
 自らの老病死を超える道こそ、人が求めて得られるものなのじゃ。
 これがお釈迦様が世界の永遠と破断を語らなかった理由なのじゃ。
 実践すべき不死の境地が得られる法を修めてこそ人は悔い無き不死の境地に至るのじゃ。

323避難民のマジレスさん:2016/01/03(日) 22:09:57 ID:RKrUXRoI0
ご指導ありがとうございました。
心を修めて無用の好奇心を抱かないよう努めます。

324避難民のマジレスさん:2016/01/04(月) 13:46:07 ID:PgjJFrbk0
鬼和尚様

このブログで紹介されている方は悟っていますか?
(動画あり)

http://zazen.blog.jp/

325鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/04(月) 20:31:23 ID:l76zhUeo0
>>323 そうじゃ、当然のように思える理由や知識を求めるのも、囚われれば執着になるものじゃ。
 自らの心を観る事こそが真実を知ることなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>324 悟って居ないのじゃ。
 そのブログの途中はぎえんの言葉と混ざっているのじゃ。
 言葉の意味も判らず載せているようじゃ。

326324:2016/01/04(月) 20:51:10 ID:i4hG3CFI0
>>325

ご回答ありがとうございました。

327鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/05(火) 20:23:37 ID:l76zhUeo0
>>326 どういたしまして、またおいでなさい。

328避難民のマジレスさん:2016/01/06(水) 19:12:40 ID:2xi//3xs0
観念遊戯をしていると、仕事中でもケアレスミスが増える気がします。
観察することとは思考を捨てて感じることでしょうか?抽象的ですが、
思考も含めてエネルギー的なものを感じることで、幸せへの感度も
上がるような気がします。

329鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/06(水) 20:38:14 ID:l76zhUeo0
>>328 そうじゃ、感覚を思考より優先させるのじゃ。
 そうすれば思考に惑わされずに観察する事が出来るのじゃ。
 思考に自己同一化している者には難しいかも知れんがのう。
 思考を超えた意識があることがわかるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

330避難民のマジレスさん:2016/01/06(水) 20:53:05 ID:2xi//3xs0
>>329
鬼和尚様、有難うございます。
今までは「観察するとはどういうこと??」とあれこれ考えてましたが、、、
そういう迷いとか悩みも思考エネルギーの一つでしかないなぁと雑事中に気付き、
それからはトラブルが起きても観念遊戯に逃避せず、常に呼吸や心を感じることで
より現実と対峙できるようになりました。人生が好転していくと嬉しいです。

331避難民のマジレスさん:2016/01/06(水) 23:04:21 ID:GPLs6Lx.0
和尚さま

便乗質問となりますが、
感覚で観察するというのはどのような感じでしょうか。

例えば目の前に赤色のボールペンがあるとして、
これは赤色であり、芯とケースがあり、先端にボールがあり、どこにもボールペンなるものはない。
という順を追った考えは思考であるため観察にならないということでしょうか。

であるなら、

赤と思考せずに赤と感じ、芯やケースという思考なしに芯やケースを感じ、
結果ボールペンなるものはないということを体験するということでしょうか。

もしそうなら、それはどのように心がけてボールペンを見ればよいのでしょうか。
ただ雑念をなくし、集中して観ておれば勝手に起きるものなのでしょうか。

なにとぞご教授いただきたく思います。

332鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/07(木) 20:11:03 ID:l76zhUeo0
>>330 良かったのじゃ。
 更に心を整えると良いのじゃ。
 安楽に成るじゃろう。
 またおいでなさい。

>>331 そのように観るのも一つの法なのじゃ。
 空と観想するのと同じなのじゃ。
 ありのままに見る観察とは違うのじゃ。

 ありのままに心の働きだけを観察するのじゃ。
 考える事も思うことも、考えた、思ったとありのままに観るのじゃ。
 何かを見たならば見たと観察し、それを気づくのじゃ。
 そうすればやがて思考の邪魔が無い状態で、認識にも気づく事も出来るのじゃ。
 そのような最後の目的が判れば今やるべき事も分かるのじゃ。

333避難民のマジレスさん:2016/01/08(金) 12:50:00 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん

観念遊戯をやめれば座禅の目的は達成されたと言えるのでしょうか?
(目的なく座るとはいいますが…)
更にその先を観察することが悟りに導かれる方法でしょうか?
それともそういう目的意識そのものも又、観念遊戯にすぎないのでしょうか?

334避難民のマジレスさん:2016/01/08(金) 14:01:41 ID:Ts/9KtG60
>>332
和尚さま、ありがとうございました。

一口に観察といってもいろいろあるのですね。
心の働きに対する観察を洗練すべく精進いたします。

335避難民のマジレスさん:2016/01/08(金) 15:58:29 ID:WWQkaV3A0
鬼和尚さん、相談スレが落ちてしまいました。
新スレを立てたので来てください。↓

 http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1452216075/

336鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/08(金) 21:08:09 ID:gOITHD3.0
>>333 一切の観念が無くなれば瞑想の目的は果たされたのじゃ。
 観念が無ければもはや観察するものも、されるものも無いのじゃ。
 目的意識はあって良いのじゃ。
 観察はそのような事に左右されるものではないのじゃ。

 集中には不要であるからそう教えるだけなのじゃ。
 全ての注意力を一つに向けるのであるからのう。
 目的とかを考ていれば一つではないのじゃ。
 そうであるから目的も忘れて一つに集中せよと教えるのじゃ。

>>334 そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>335 ご苦労さんなのじゃ。
 行ってみるのじゃ。

337避難民のマジレスさん:2016/01/08(金) 22:26:06 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、一切の観念が無くなれば瞑想の目的は果たされたとすれば
それを悟りの境地と捉えても良いのでしょうか?
(勿論悟ればそれと分かるとは思いますが)
それともそれは単に瞑想の目的を果たしたにすぎないということでしょうか?
飲み込みが悪くてすみません。

338避難民のマジレスさん:2016/01/08(金) 23:43:11 ID:QZjWADYU0
和尚さま
以前呼吸について質問したものです。
ご返信ありがとうございました。
姿勢と呼吸の関係は奥が深いと得心しましたのでその様に修行します。

和尚さまは過去世で釈尊の弟子だったことがあるらしいのですが、釈尊は人間の良心について何か語っておられましたか

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340鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/09(土) 20:31:14 ID:UGwlSoj.0
>>337 そうじゃ、一切の観念が無くなれば悟ったといえるじゃろう。
 それを現す事も、現すものも居らんからのう。
 想像する事も出来ない境地なのじゃ。

>>338 お釈迦様はこのように言っているのじゃ。

 240 、 鉄から起った錆が、それから起ったのに、鉄自身を損なうように、悪をなしたならば、自分の業が罪を犯した人を悪いところ(地獄)にみちびく。

 両親とは少し違うが悪い事をすれば、業が悪い所に導くといっているのじゃ。
 よく読んでみるのじゃ。

341避難民のマジレスさん:2016/01/09(土) 20:54:23 ID:WWQkaV3A0
×両親 ○良心

342避難民のマジレスさん:2016/01/09(土) 21:09:35 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん、御回答くださり有難うございました。

343避難民のマジレスさん:2016/01/10(日) 17:00:25 ID:dYDN.FYU0
鬼和尚、
自我観照からの逃避により、自己同一化の対象が変わるかどうかについて教えてください。

例えば自分を思考だと思っていた人が思考を観察して、自我観照が起こりかけたとします。
ところが恐れによって逃避してしまい、思考は自分ではないと分かりつつも無我になれなかったとします。
その場合その人の自己同一化の対象は思考ではなく、他のもの、例えば認識などに変わったりするのでしょうか?

344鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/10(日) 20:19:02 ID:UGwlSoj.0
>>341 そうじゃ、良心なのじゃ。
 ご苦労さんなのじゃ。

>>342 どういたしまして、またおいでなさい。

>>343 それは人によって違うじゃろう。
 あくまでも思考が自分と認識する者も居るじゃろう。
 他のものが自分とする者も居るじゃろう。

 一瞥でも多少は自己同一化の有り方が変化するじゃろう。
 それにどのように対処するかは人によって違うのじゃ。
 真摯に本心を観察すれば見極める事が出来るじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

345避難民のマジレスさん:2016/01/11(月) 00:37:31 ID:/c3kLEmg0
心がすべての基づきならばよく言われるように
恐れや不安はやはり恐れや不安の現実を作るのですか?
私は劣等感罪悪感マイナス思考なのでやはり恐れや不安の現実を過ごしております。
マイナス思考の原因はなかなかつかめておりません。

のでなかなかプラス思考、明るく楽しく考えることができません。
今の現実を無視してもプラス思考でいればいつかそのようになるのでしょうか?
またプラスな思考をするにはどうすればいいのでしょうか?

346避難民のマジレスさん:2016/01/11(月) 11:59:16 ID:Vrd9T/mQ0
初めて質問します。鬼和尚は海外に住んだことはありますか?
国内をあちこち旅行して、見て歩いたことはありますか?
見聞を広めることは、その人を精神的に成長させると思いますか?
1つの場所にとどまることは、何らかの弊害を生むと思いますか?
修行を行う上で、望ましい環境とそうでない環境があると思いますか?
今の日本は、精神的な成熟を得るために、望ましい環境といえるでしょうか?
もし、そうでないとしたら、どのような活動が、精神的な成長にとって、
もっとも助けになるだろう、とお考えでしょうか?

少し難しい質問ですが、お答えできる範囲でよろしくお願いします。

347tukuyomi:2016/01/11(月) 15:37:41 ID:/xI3jDuQ0
何か会話できることはありますか。

348鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/11(月) 20:17:13 ID:UGwlSoj.0
>>345 そうなるじゃろう。
 しかし、そのような者も実は全てがマイナス思考ではないのじゃ。
 自分の好きなことや得意な事はプラス思考でやっていたりするのじゃ。
 無理に自分をプラス思考にするより、そのような時の自分を観察して思い浮かべるのじゃ。
 そうすれば自然にプラス思考になるのじゃ。
 そして今までの自分の記憶もそのような観点から見直すのじゃ。
 そうすればプラス思考の者にもなるのじゃ。

>>346 海外にはいって居ないのじゃ。
 国内は見たのじゃ。
 旅に出れば自分について気づく事もあるものじゃ。
 今までの自分の環境を離れて見られるからのう。
 静かな環境ならば何処でも修行に向いているといえるじやろう。
 この国にもそのようなところはあるじゃろう。

 止観を行えば最も成長するじやろう。
 心を止めて自分の心を見るのじゃ。
 旅に出るのも良いのじゃ。
 良い友と一緒に修行するのも良いのじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>347 何でも書いてみると良いのじゃ。
 何か得られるものがあるじゃろう。

349346:2016/01/11(月) 20:45:54 ID:Vrd9T/mQ0
ご回答ありがとうございます。

心を止めて見ようとしても、なかなか落ち着かず、日々の不安で
心が押しつぶされそうなときは、どうすればよいですか?

家族が日々の生活に干渉してくるため、なかなか落ち着いて自分の心を
見ることができません。かといって、家族から離れると、自分がいなくなったあと、
家がどういうことになるだろうか、と不安になり、なかなか離れることもできません。

色々な所を旅して、きれいな景色を直に見てみたいという欲求が常にあるのですが、
結局、その辺をいつもうろうろするだけで、終わってしまいます。

結局、自分の心を見ることによって変えられるのは、自分の心だけですよね。
他人の心を変える方法というのは、存在していないのでしょうか?

350避難民のマジレスさん:2016/01/11(月) 22:21:09 ID:uKFv7ITk0
いつもおしえていただき、ありがとうございます。

ダンマパダ84は、訳者によって日本語訳が違うようです。
自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。(中村元訳)
自分のためにも、他人のためにも、子のためにも悪事を働いてはならない。(今枝由郎訳など)
どちらが、原文に、より忠実なのでしょうか?
前者だと、社会的な道徳観に反するという意見があるようです。

351偽和尚★:2016/01/12(火) 01:40:10 ID:???0
以前鬼和尚が書かれていたことなので書いておきます。

>>350
ダンマパダ84は鬼和尚が「鬼和尚に聞いてみるスレ part4」で質問されて解説している書き込みがある。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1407234590/585-586

原文に近い言葉の並びは前者だけど意味的には後者だろうね。
このページにパーリ語との対訳と解説が書いてある。
http://76263383.at.webry.info/201205/article_29.html
na が英語の not や no と同じ意味のようだな。
語順は英語や漢文みたいに所々ひっくり返すと日本語的になる。

352避難民のマジレスさん:2016/01/12(火) 12:45:04 ID:pEe1v5Oo0
>>344
人によって違うのですね。
ひたすらに本心を観察しようと思います。
ありがとうございました。

353避難民のマジレスさん:2016/01/12(火) 17:36:13 ID:fgAdqroE0
>>348
過去の記憶から楽しかったことをなるべくいつも思い出すようにします。
無理にプラス思考としなくても良いのですね。
ありがちとうございます。

354避難民のマジレスさん:2016/01/12(火) 19:50:35 ID:RKrUXRoI0
>>351
ご指摘ありがとうございました。
過去ログは目を通したつもりでしたが、見落としたか、
忘れてしまっていたようです。
再度ログを見直して、質問が重複しないよう気をつけます。

355鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/12(火) 20:41:24 ID:TVF6Vhbs0
>>349 他人の心も言葉によって変えられるじゃろう。
 その前に自分の心を観るとよいのじや。
 そのように思う心には未だ家族への執着が多くあるのじゃ。
 家族もいずれは別れなければ成らないものである事を想うのじゃ。
 家族への執着が少なくなれば、自然に家族について悩む事もなくなるのじゃ。
 執着が無ければ環境も静かに出来るようになり、心も観られるようになるのじゃ。
 自ら決意して家族への執着を離れるようにするのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>350 文脈からすると執着によって邪なやり方でいろいろなものを望んではならぬという意味なのじゃ。
 下が正しいのに近いのじゃ。
 
 >>351の通りなのじゃ。
 ご苦労さんなのじゃ。

>>352 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>353 そうじゃ、プラス思考の元も自分の心の中にあるのじゃ。
 今まで生きてきたのであるからのう。
 またおいでなさい。

356346:2016/01/12(火) 21:15:15 ID:Vrd9T/mQ0
ご回答ありがとうございます。

家族への執着は、すでにほとんど断ち切っていると思うのですが、
経済的な事情で、なかなか家族から離れられずにいます。

自ら生計を立てることができれば、これほど深く思い悩むことも無いのでしょうが、
今の日本経済は、明らかに異常だと思います。
まじめに働いても、自分の身一つ養うことさえ難しい状況になりつつあるのです。

鬼和尚は、それなりに日本のありようを観察してこられたのではないかと思うのですが、
日本の行く末について、どのようなことを考えておられますか?
日本人の精神性の変化について、何かお感じになっていることはないでしょうか。

僕が思うに、今の日本人は、「お金」というものに執着しすぎではないでしょうか。
社会の「落ちこぼれ」にならないために、子供のころは学習塾に通わされ、
大人になってからは会社に入り、寝る間も惜しんで必死に働かされます。
ある程度お金を持っている老人は、社会奉仕するかと思えばそうではなく、
孫子(まごこ)のために、あるいは、自分たちの老後のために、
持っている資産を「投資」で増やそうと、日夜躍起になって経済情報を
にらみつけているのです。

「止観」とやらが、精神を成長させるとのことですが、止観を行うためには、
もう少しゆったりとした環境を必要とするのではありませんか?
このような状態で、日本人が高い精神性を維持することは、果たして可能なのでしょうか。

日本人は、「仕事」というものに執着しすぎているのかもしれません。
鬼和尚は、仕事について、どのようにお考えでしょうか?

357避難民のマジレスさん:2016/01/13(水) 09:56:50 ID:shOvb9Lg0
和尚さま

例えばトランプカードを積み上げていくような集中力と、
瞑想時の集中力とはまた違ったものなのでしょうか。

前者の集中は終わったあとに疲労感があります。
またトラタカ瞑想などにおいても、没頭するような集中をすると頭が痛くなることがあります。

かといって力を抜いて笑顔で集中というと、これがなかなか上手くできず意識が散漫してしまいます。
これらは慣れの問題であって、単に今まで力を抜いて集中することがなかったからやりにくいだけでしょうか。

358鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/13(水) 21:02:14 ID:TVF6Vhbs0
>>356 わしは何も考えないのじゃ。
 一日五分でも瞑想をすれば変わっていくじゃろう。
 実践する事で人は進歩していくのじゃ。
 仕事は身を養う手段に過ぎないのじゃ。
 それができれば自らの心を整えることに専念すると良いのじゃ。
 世界とか日本とかは観念であり、自分の心の状態でよく見えたり悪く見えたりするものじゃ。
 実践によって自らの心を整えた者だけが安楽に成るのじゃ。

>>357 極めれば同じと判るのじゃ。
 初めのうちは違って見えるのじゃ。
 目的があると肩に力が入ったりして疲れるのじゃ。
 リラックスしてやると却って上手く行くのじゃ。
 いろいろ試してみるのじゃ。

359346:2016/01/13(水) 21:55:26 ID:Vrd9T/mQ0
ご回答ありがとうございます。

失礼ながら、「何も考えない」というお言葉には語弊があるように思います。
鬼和尚はこうして、ここで人々の質問にお答えになっているわけですから、
何らかの思惑があってしかるべきではないでしょうか。正確にいうならば、
「その手の質問には、興味がない」ということではないですか?

瞑想は、20代の頃にずいぶんやったのですが、(僕は今30代なのですが)
いつのまにか、まったくやらなくなってしまいました。

「仕事は身を養う手段にすぎない」とのことですが、問題は、その仕事が、
「身を養う手段」でさえなくなりつつあるという現実です。ニュースによると、
今から10年後には、人工知能がかなり発達して、世の中の半分の職業は不要になるそうです。
それは、労働者の立場がさらに危うくなっていく、ということを意味しています。

我々の「労働」に対する意識自体が変わっていかなければ、
未来はかなり危ういのではないでしょうか。

しかし、和尚はこういったことにはご興味が無いようですので、対話はあきらめます。
ありがとうございました。お元気でがんばってください。

360避難民のマジレスさん:2016/01/14(木) 14:40:11 ID:iU8KcD060
>>358
和尚さま

同じ集中力なのですね。
リラックスしてやっていくことを心掛けます。
ありがとうございました。

361鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/14(木) 20:45:36 ID:TVF6Vhbs0
>>359 考えない事は考える事より簡単なのじゃ。
 やらないことであるからのう。
 考えてしまうのが苦の元にもなるのじゃ。
 今の環境が悪いのならばそれを利用する事も出来るのじゃ。
 その智慧を探すのじゃ。
 瞑想が助けになってくれるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>360 どういたしまして、またおいでなさい。

362避難民のマジレスさん:2016/01/15(金) 16:43:45 ID:xGbZIpVg0
鬼和尚さん
自分の部屋がなく、瞑想にふさわしい静かな空間を
なかなか作ることができないのですが、
家族の生活音・テレビなどの雑音の中でも
集中力さえあれば瞑想できるものなのでしょうか?

363鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/15(金) 20:39:27 ID:TVF6Vhbs0
>>362 瞑想に熟達すればそのような環境でもできるじゃろう。
 初心者には難しいものじゃ。
 家族が寝静まった夜とか、早朝にするとよかろう。
 あるいは外の公園とか図書館とかでもできるじゃろう。
 少しの間、静かに座っていられるところならば何処でも出来るじゃろう。
 そのようにして熟達すればうるさくともできるようになるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

364避難民のマジレスさん:2016/01/15(金) 22:29:56 ID:xGbZIpVg0
>>363 ありがとうございます
静かになったところを寝ながら瞑想してたのですが
アパートなので、今度は他の家から聞こえてくる
ドンドンドンの一定音がなって止むを繰り返す音が
どうしても気になり捉われて、中断しました;
やはり初心者には難しいのですね><
少しの間、静かに座っていられるところ」を見つけて再度、挑戦してみます

365鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/16(土) 19:31:15 ID:TVF6Vhbs0
>>364 そうじゃ、続けてみるのじゃ。
 必ず役に立つじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

366避難民のマジレスさん:2016/01/16(土) 22:30:01 ID:xGbZIpVg0
>>365 はい!精進します!
 ありがとうございました。

367避難民のマジレスさん:2016/01/17(日) 11:37:37 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚、2つ質問があります
・過去のすべての感情は体に蓄積されているのでしょうか?
・四随観の具体的修行方法が分かりません、どうやればいいのでしょうか?観瞑想のほうです。
それによって心の病を治したいと考えています。

368避難民のマジレスさん:2016/01/17(日) 18:01:28 ID:juUyMDn60
嗜好品は慎んだほうがいいのでしょうか?

パパジはアイスクリームとかコーラをとっていたし

ニサルガダッタはヘビースモーカーだったようです。

これらは本来肉体が要求しているものではありませんよね?

ということは自我の要求なのでしょうか?

悟った人もその要求に従うのでしょうか?

修行者は慎んだほうがいいけど悟ったら関係ないのでしょうか?

よくわからなくなってきましたがよろしくお願いします。

369鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/17(日) 20:27:24 ID:TVF6Vhbs0
>>366 どういたしまして、またおいでなさい。

>>367 全てではないのじゃ。
 よほど強い感情だけなのじゃ。

 ただ観察するのじゃ。
 例えば手を観察してしわがあると気づくのが観察による気づきなのじゃ。
 そのように身体、感覚と感情の反応、思考や認識の作用をありのままに観察するのじゃ。
 心の病を治すならば、法に随って観察するのじゃ。
 今、自らの心にある苦の原因を探すのじゃ。
 原因がわかればその原因から苦が起こり、原因が無ければ苦がないことを心に観察するのじゃ。
 それが縁起の観察なのじゃ。
 詳しくはわしのブログなどを参考にするのじゃ。

>>368 健康の為には慎んだほうが良いのじゃ。
 特に健康に注意しなければとってもよいのじゃ。
 囚われれば執着になるのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

370そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/01/17(日) 22:42:57 ID:dCFkZ32w0
鬼和尚
見たり聞いたりしたことに対して何かを思ったり考えたり、
何かある出来事を何度も思い返して何かを思ったり考えたり、
ということが減ってきました。

371避難民のマジレスさん:2016/01/17(日) 23:25:57 ID:RKrUXRoI0
数息観の初歩の段階について2点ご教授お願いします。
1.数字を数え、呼吸を意識していると、行為が単純なためか、飽きてしまい心が別にさまよってしまいます。
そうした雑念は流すとよいとのことですが、その感覚はまだ体得できていないようです。
数字の代わりに般若心経を繰り返し心に唱えると、雑念はあまり沸かないようですが、
呼吸への意識に加え、唱えることにも意識を割くため、一点集中ではないとも感じます。
最初は、力ずくでも呼吸一点に意識を注ぐ、という意志力を重視すべきでしょうか。
2.呼吸に意識を置く、とは、呼吸の感覚などを観察する、とは意味が別で、
自分が呼吸をしていることだけを、ただ意識するということでしょうか。

372避難民のマジレスさん:2016/01/18(月) 06:52:18 ID:V7QCtwwo0
>>369
ありがとうございます
実践できるようがんばりたいです

373避難民のマジレスさん:2016/01/18(月) 12:13:51 ID:O.gY7K/I0
和尚さま、こんにちは。
便乗質問させてください。

>例えば手を観察してしわがあると気づくのが観察による気づきなのじゃ。
>そのように身体、感覚と感情の反応、思考や認識の作用をありのままに観察するのじゃ。

実際に手のしわを見ていて、しわがあると思ったのちに、どこか地図で見る川みたいだぞと思ったりしたのですが、
この場合、川みたいに思ったということをそのまま観察しておればよいということでしょうか。

また続けていくと手のひらに感覚が生じることで、これは気かもしれないということを思ったりしたのですが、
この場合も、その感覚と気があるのかもしれないと思っていることを観察しておればよいということでしょうか。

しかしそうこうしていると、手の観察からはずいぶんとかけ離れてしまうため、果たしてこれでいいのかと思ってしまいます。
そもそもただ思考が散漫して集中できていないだけなのではと残念な気分になります。
その場合も、それらの気分や思考を観察しておればよいということでしょうか。


また別の質問となるのですが、
体調を崩して頭がガンガン痛んだり、嘔吐などをしている時などでも、
悟った人は苦しい、辛いとは思わないのでしょうか。

なにとぞご教授いただければと思います。

374避難民のマジレスさん:2016/01/18(月) 16:10:51 ID:G1GOyA0U0
和尚さま

とある武術をやっていてその極意が
誰にも影響されない場所に立つというものです。
肉体的な面だけでなく、精神的な執着や恐怖に対しても影響されない状態をキープするように言われています。武術自体には仏教の影響はありませんが、仏教の叡智に通ずると思うのですがどうでしょうか。

375鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/18(月) 20:28:50 ID:TVF6Vhbs0
>>370 善いことじゃ。
 囚われが少なくなってきたのじゃ。
 囚われが少なくなれば苦も少なくなるものじゃ。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>371 1 そうじゃ、呼吸に集中するのじゃ。
 集中していればいずれ雑念も流せるようになるのじゃ。
 心をコントロールする力が身につくのじゃ。
 それまでひたすら集中有るのみなのじゃ。

 2 そうじゃ、集中する時は集中だけをするのじゃ。
   観察する時は観察だけを行うのじゃ。
   そうでなければ今何をしているかわからなくなって混乱してしまうのじゃ。
   
>>372 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>373 身体を観察する時は、身体の観察だけを行うのじゃ。
 そこから何か連想しても、雑念として流していくのじゃ。
 心の働きを観察するのは、心を観察している時だけなのじゃ。
 感覚を観察するのは、感覚を観察している時だけなのじゃ。
 そのようにはっきり分けなければ混乱してしまうのじゃ。
 心は形が無く捉え難いものであるから、混乱しないように自らはっきり区別しなければならんのじゃ。

376<削除>:<削除>
<削除>

377避難民のマジレスさん:2016/01/19(火) 00:18:55 ID:b7agDo.U0
>>376
こらこらw

378避難民のマジレスさん:2016/01/19(火) 04:07:12 ID:ObI.o8W.0
質問じゃないけど観察はしっかり分けてやるんだな
適当に漠然と見てた

379避難民のマジレスさん:2016/01/19(火) 10:56:15 ID:iU8KcD060
>>375
なるほど、カテゴリー分けして行わなければならないということですね。
確かにこれだと混乱せずに行えそうです。
とても参考になるご教授、ありがとうございました。

またよろしければもう一つの質問もお聞かせ願えないでしょうか。
というのは数日前に風邪を引いてしまい、とても苦しい思いをしたのですが、
こういう時、覚者はどのように捉えるのだろうと気になった所存であります。

>また別の質問となるのですが、
>体調を崩して頭がガンガン痛んだり、嘔吐などをしている時などでも、
>悟った人は苦しい、辛いとは思わないのでしょうか。

よろしくお願いします。

380鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/19(火) 21:20:11 ID:TVF6Vhbs0
>>374 そうかもしれん。
 制感の行に似ているのじゃ。
 執着を離れる法にもなるじゃろう。
 集中力を養うのにも役立つじゃろう。
 続けてみると良いのじゃ。

>>378 そうじゃ、身受心法にわけてやるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>379 そのような時は五分ぐらいでよいのじゃ。
 続けていなければ集中力や観察力は落ちるが、一日五分でもやれば衰えないのじゃ。
 目覚めていればもはや苦ではないのじゃ。
 肉体の反応をただ観るだけなのじゃ。
 必要ならば安静にしたりするのじゃ。

381避難民のマジレスさん:2016/01/20(水) 19:48:57 ID:RKrUXRoI0
>>375
ご指導いただきありがとうございました。
実践あるのみであるところ、質問ばかりして申し訳ありません。

1.心をコントロールし、呼吸に集中する、を
ブログにおける心の模式図に照らして言い換える場合、
縁により生じている、感覚、思考、感情からの刺激のうち、
呼吸感覚の刺激のみを選択的に認識する、ということで、
その選択を行うのが意志力である、という理解でよいのでしょうか。
自分の中で、まだ集中という言葉の定義がはっきりしません。

2.仕事中にもできる集中力を高める修行に、呼吸に集中する、というものがあるとのことですが、
呼吸に集中しようとすると、仕事が止まってしまいます。
なにかコツのようなものがあるのでしょうか。

382避難民のマジレスさん:2016/01/20(水) 20:05:59 ID:oqrlJiqo0
>>380
ありがとうございます。
やはり目覚めていれば苦はないのですね。
はやくその境地に至れるよう精進いたします。

あと、身受心法にわける方法ですが、
これは各カテゴリーを均等に修行していった方がよいのでしょうか。
個人的に心の観察がやりやすいと思っているのですが、
心なら心に特化して行っていても大丈夫でしょうか。

383鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/20(水) 20:18:46 ID:ZUoPNntY0
>>381 1 それでよいのじゃ。
 なにがあってもただひたすら呼吸のみを認識し続けるのじゃ。
 そうすれば集中力が身につき、心をコントロールできるようになってくるのじゃ。

 2 それは初心者には難しいのじゃ。
  集中力を身に付け、瞑想に熟達してきたらやると良いのじゃ。
  熟達してきたら、最初は七割仕事に集中し、呼吸に三割ぐらい集中するのじゃ。
 仕事が止まらない位の集中がどのくらいか、自分で確かめながら実践するのじゃ。
  更に熟達すれば五割ずつ集中するとか、仕事に三割、呼吸に七割集中する事も出来るようになるのじゃ。
   
>>382 それは本人の執着の度合いなどで変わるのじゃ。
 身体に強く執着しているならば身体の観察を長く行い、厭離するとよいのじゃ。
 感覚に強く囚われているならば、感覚の観察を行うべきなのじゃ。
 どこにも囚われが無いならば、もはややらなくてもよいものなのじゃ。
 自分の今の状態をよく観察して深く理解し、最適な法を修行するのじゃ。

384そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/01/21(木) 00:22:11 ID:nXU9L4RQ0
鬼和尚
個人の感覚や考えや感情などや、社会や世間の価値観や思想や習慣などは、
観察の対象としてのみ存在し得るのではないでしょうか。
それらを観察できれば、囚われることがないということでしょうか。
言葉ではうまく表せませんが…

385避難民のマジレスさん:2016/01/21(木) 09:16:07 ID:oqrlJiqo0
>>383
なるほど、まずは自分が何に囚われているかを知ることですね。
そのように最適な法を見つけ精進していきたいと思います。

ご教授、ありがとうございました。

386鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/21(木) 20:42:05 ID:UDzaewgU0
>>384 修行者にとってはそうなのじゃ。
 世の人々にとっては安楽に見えるのじゃ。
 一切の囚われを観察によって滅すれば真の安楽が訪れるのじゃ。
 それまで精進有るのみなのじゃ。

>>385 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

387避難民のマジレスさん:2016/01/21(木) 21:19:24 ID:RKrUXRoI0
>>383
教えていただきありがとうございました。
例えば、歩いて移動中だとか習慣でできる簡単な作業をしているときに、
別途、集中するでもなく自分の呼吸に意識をおいておくことは、
集中の訓練の足しになりえるでしょうか。

388善慧:2016/01/22(金) 00:03:36 ID:IMvK3srE0
鬼和尚さま、お釈迦様の『感興のことば』について解説をお願いできますか?
第27章 観察 六 
この世は虚妄の束縛を受けていて、未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。
愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。
(かれらには)無が有であるかのごとくに見られている。
真理を見る人には何ものも存在しない。

未来に変化する……見られる、の訳注では漢訳は「但見衆色変」とあります。
何となく意味はわかるのですが、このところ未来に期待してはがっかりする愚かな自分を
実感しているだけに、すごくひっかかるものを感じてしまいます。
わかりやすく教えてくださるとうれしいです。

389そらいろ ◆EHlCk/f57s:2016/01/22(金) 19:52:35 ID:27rUw.2.0
鬼和尚
最近は仕事中ほとんど思考しなくなりました。
思考しなくても仕事は進み、いつの間にか出来上がります。
無思考でした仕事を、意識して思考を使い、
よく考えて、もっと良くできないかと思ってやり直してみたのですが、
結局無思考でやったものの方がよかったです。
初めに答えが出ていました。

390鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/22(金) 21:13:38 ID:UDzaewgU0
>>387 なるじゃろう。
 二つの仕事を一度に意識して出来る事がわかるじゃろう。
 実践して見るのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

>>388 衆生は色身が変化していくと見るのじゃ。
 変化する事によって生滅があると見ているのじゃ。
 実には色身があるというのも観念なのじゃ。
 観念に囚われれば生滅があり、そのために苦も起こるのじゃ。

 囚われればそれによって苦も起こるのじゃ。
 なにものにも囚われずに進むのじゃ。

>>389 善いことじゃ。
 無思考の作為ができているのじゃ。
 思考が無いほうが物事は上手く行くのじゃ。
 肉体が最善の作業をしてくれるからのう。
 更に精進あるのみなのじゃ。

391避難民のマジレスさん:2016/01/22(金) 22:24:49 ID:RKrUXRoI0
>>390
日常でもなるべく呼吸を意識する時間を増やすようにやってみます。
ご指導ありがとうございました。

392避難民のマジレスさん:2016/01/22(金) 23:39:04 ID:ObI.o8W.0
いつも教えてくれてありがとうございます。質問をお願いします。
過去の出来事を思い出すと(さっきバイトに落ちた)憂鬱な気分になる。
未来の出来事を思うと(これからどうしよう)憂鬱な気分になる。
忘れてれば問題ないのだけれど、思い出すと憂鬱。「明日は月曜日か・・・」の発想のように。
カレンダーの曜日は確定されてるように、私のダメさも間違いのない事です。バイトに落ちたなどの数々の証拠。
ダメさの原因はダメだという裏付けにしか繋がらないような気がします。止観もまだまだ甘いです。
漠然としてますが、どうすればいいでしょう。長々とすいません。

393善慧:2016/01/23(土) 00:24:46 ID:M9jQuB.o0
鬼和尚さま、ありがとうございます。続く七、八との繋がりがよくわかりました。
観念に囚われていることが、身に刺さった矢なのですね…。
今はただすべてが苦しくて悲しいです。
進むことも引き返すこともできなくなって、途方にくれています。
鬼和尚さま、申し訳ありません。何だか色んなことが重なって、弱気になってます。
そらいろさまを見習って、あまり考えないようにしてもう少しがんばってみます。

394鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/23(土) 20:37:20 ID:UDzaewgU0
>>391 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ・
 またおいでなさい。

>>392 そのように思うのも自己イメージがだめな自分となっているからなのじゃ。
 そうであるから自分がだめな証拠を数え みつけようとする心理が働くのじゃ。
 自己イメージをよくするのじゃ。
 神仏との合一をイメージするとか、自分が尊敬できる人間の真似をするとかするとよいのじゃ。
 そして自分がうまくやったことや絶好調だった時のことを思い浮かべるのじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>393 苦があるならばそこに何か執着があるじゃろう。
 自らの本心を観察し

395鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/23(土) 20:40:09 ID:9gKVPfeU0
>>393 苦があるならばそこに何か執着があるじゃろう。
 自らの本心を観察し原因となる執着に気づくのじゃ。
 そうすれば苦は消えるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

396避難民のマジレスさん:2016/01/23(土) 22:42:21 ID:ObI.o8W.0
392ですありがとうございました。

397避難民のマジレスさん:2016/01/24(日) 18:25:34 ID:zRw4EXLs0
338 たとえ樹を切っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹が再び成長するように、妄執(渇愛)の根源となる潜勢力をほろぼさないならば、この苦しみはくりかえし現われ出る。

具体的には、どうやって妄執(渇愛)の根源となる潜勢力をほろぼすのですか?

398鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/24(日) 20:54:16 ID:UDzaewgU0
>>396 どういたしまして、またおいでなさい。

>>397 それは自分の本心を真摯に観察するしかないのじゃ。
 最終的には自分があるという観念になるがのう。
 自分があるという観念から、その名前とイメージをよくしようとする欲や執着が起こるのであるからのう。
 自分があるという観念が無明と呼ばれるのじゃ。
 無明が無くなれば囚われもなくなるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

399避難民のマジレスさん:2016/01/25(月) 18:13:27 ID:ei/K2OvM0
>>398
ありがとうございます。

自分があるという観念は、生まれたときからもっているのでしょうか?
それとも成長する過程で、どこかで作り上げたものでしょうか?

400鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/25(月) 20:19:14 ID:UDzaewgU0
>>399 個我の観念は種子としてあるのじゃ。
 自分という観念に発展するのは生まれて成長してからなのじや。
 特に幼少期に作られるのじゃ。

401避難民のマジレスさん:2016/01/26(火) 18:04:07 ID:1O9PXXKk0
>>400
個我の観念とはどのようなものですか?睡眠中や死後に、種子としてあるのでしょうか?
自分という観念を滅ぼしても、個我の観念は生き続けるのでしょうか?
そうだとしたら、個我の観念を滅ぼすにはどうしたらよいのでしょうか?

402鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2016/01/26(火) 21:11:53 ID:UDzaewgU0
>>401 主客を分ける観念なのじゃ。
 見るものと見られるものを分別しているのじゃ。
 それは寝ていても有るじゃろう。
 自覚できなくとも夢の中でもものを認識している事でわかるじゃろう。
 悟りを得ない者が死んでもあるじゃ。
 自分の観念がなくとも個我の観念はあり、やがて個体として生じる事となるのじゃ。
 認識をも観察して滅すればそれも滅するのじゃ。


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