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鬼和尚に聞いてみるスレ part4

886避難民のマジレスさん:2015/01/12(月) 21:11:56 ID:/T06nax.0
数息観が合わないので額に意識を集中する瞑想をやっているのですが、熱が生じている感覚をより強めるほど集中できていると考えてよろしいのでしょうか?
またこの瞑想でチャクラが開いたら魔鏡が見えるようになるから危険と聞いたのですが本当ですか?
よろしくお願いします。

887避難民のマジレスさん:2015/01/12(月) 21:14:51 ID:/T06nax.0
884
すいません間違えて投稿しました。
スルーして下さい。

888避難民のマジレスさん:2015/01/13(火) 17:09:13 ID:AiqHe7aY0
>>885
この段階ですと、鬼和尚が以前山の喩えで書かれたように、やはり集中してひたすら心を観察し続けるしか無いようですね。
ありがとうございました。
覚悟を決めて修練に励み続けます。

889栄進:2015/01/13(火) 20:39:47 ID:3jRGFHJE0
2ちゃんが鯖落ちなので此処で聞きます。
鬼和尚、質問です。

①ワシには自我が無いと言う鬼和尚がどうしてワシこそが真の悟りを開いてると言えてしまうのでしょうか。
智慧があるから言えてしまうのでしょうか。

②智慧とは何ですか。

890鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/13(火) 22:16:08 ID:mQhlK7fM0
>>886 集中した時とそうでない時で違いが無いか試してみるのじゃ。
 集中が本当に強くなれば眉間と自分が一体化した感覚が起こるのじゃ。
 それがサマーデイなのじゃ。

 どこに集中していても執着から離れられないものには魔が出るのじゃ。
 執着が無ければどこに集中しても大丈夫なのじゃ。
 魔が出た時にも原因となる執着から離れれば消えるのじゃ。

>>888 そうじゃ、ただひたすら実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>889 ① 自我とは観念に過ぎないのじゃ。
 それに気づけばむしろ自我の観念が無いことが本来の状態とわかるのじゃ。
 自我が無ければ智恵があり、真の知識があり、真の自由意志があるのじゃ。
 そしてその本来の状態に至る事こそが悟りであると智恵によって示されるのじゃ。

 ② 智恵とは本来誰もが持っている、己を含む環境をありのままに観る事のできる能力なのじゃ。
 自我があれば自我の観念にゆがめられて独りよがりになる思考が、自我が無いことによって全てを平等に考察できる平等性智となるのじゃ。
 その他、記憶や観念によつてゆがめられていた観察力や把握力も妙観察智や大円鏡智などとして発揮されるのじゃ。

891避難民のマジレスさん:2015/01/14(水) 14:51:39 ID:I30uh0DE0
鬼和尚が真に悟りを開いているなら、悟りを開いてから既に30年近く経っていると思われるので
実社会で鬼和尚と接してる人の中にも何か感じる人が居て、質問をされたりする事も有りそうな
ものですが、そういう事は有りますか?
またそういう人達が何人か集まって実際の仏教勉強会を開いてくれと要請してきたら
勉強会を開いても良いと思いますか?

892そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/14(水) 21:46:28 ID:hw5NmCB20
鬼和尚
悟った後も娑婆世界と接するためには自我が必要でしょうか。

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/14(水) 22:00:24 ID:Uetd9HGw0
>>891 無いのじゃ。
 無いからしないのじゃ。
 わしに会えるのは真に悟りを求める者たちだけなのじゃ。
 いずれおぬしには会うかもしれないのじゃ。

>>892 不要なのじゃ。
 あるふりをするだけでよいのじゃ。
 あるふりだけで人と話せるのじゃ。

894そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/14(水) 22:25:00 ID:hw5NmCB20
>>893
ありがとうございます。
心置きなく自我の滅に励みます。

895素人A:2015/01/15(木) 07:45:33 ID:gOqWUDAs0
私には観られて居るカラー 無いと思える事は
みる処空(から)観れば我々は内で絵多さきに身得る絵画化
でも今は鉄今日いまは浜で今此処で無理しなく有る苦だけです
さあとりあえずはまあよいかで

896避難民のマジレスさん:2015/01/15(木) 12:43:59 ID:I30uh0DE0
>>893
このスレには実際に会って直に指導して貰いたいと思ってる人は結構居ますよね。
いずれと言わずそろそろ直接指導して貰える場を設けても良いのでは無いでしょうか。

897886:2015/01/15(木) 21:42:16 ID:CMFHiRxQ0
>>890
レスありがとうございます。
集中できた時のことを意識しつつ、魔境は気にせず頑張りたいと思います。

898鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/15(木) 22:24:58 ID:mQhlK7fM0
>>894 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>896 真摯に求めればいずれ会うじゃろう。
 それまで自らの心に己を求めるのじゃ。
 そうすれば指導しても速やかに悟りに至れるのじゃ。

>>897 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

899避難民のマジレスさん:2015/01/17(土) 18:51:47 ID:Hn2OuLzE0
静止したものについて考えていたら「五大に響きあり」と空海の言葉が浮かびました。
静止したそれそのものが振動しているのが五蘊、世界という理解でよろしいでしょうか?

ラーマクリシュナも同じ事を言っているようです。
「ブラフマンとシャクティ、真実在とこの世界は、火と燃える力のようなもの、蛇とうねる動きのようなもの、
どちらかだけであることはできない」

900鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/17(土) 22:30:21 ID:HElrJPz60
>>899 そのような事もただ観念であるのみなのじゃ。
  思考や観念を追い続ければいつまでもきりがなく迷い続けるのみなのじゃ。

 今ここにあり、観察できることだけを観察するのじゃ。
 今ここに心身の働きはあり、確実に観察できるじゃろう。
 それを観察し続けるのじゃ。

901避難民のマジレスさん:2015/01/17(土) 23:32:08 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
今、↓こんな感じです。
サマディや観照などの何等かの認識の変容(?)らしきものは未だ未体験ですが、
1)無思考状態の深まりが実感される。
2)その無思考状態を観察している意識も希薄である
3)入眠状態による意識の希薄化ではないという自覚はある。(入眠に近い感じではある)
4)無思考そのものには、なんの感情も伴わない。

特に(2)は、集中を介さずにいきなり無思考をイメージすることにより、最近得た実感である。

こんな感じですヽ(・(∀)・)ノ

902鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/18(日) 22:24:11 ID:HElrJPz60
>>901 かなり進歩したのじゃ。
 それだけ心をコントロールできれば観察によって変容を起こすことも容易じゃろう。
 ただ単に肉体をくわしく観察するだけでも肉体からの厭離が経験できるじゃろう。
 肉体のもたらす刺激に囚われず、執着することも無いからそれを原因とする苦もなくなるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

903避難民のマジレスさん:2015/01/19(月) 20:32:53 ID:LC3de7YgO
>>902
鬼和尚、ありがとうございます。ヽ(・(∀)・)ノ

>観察によって変容を起こすことも容易・・・という域にはまだ到っておりません。
しかし、呼吸に集中するという意思を離れ、いきなり無思考をイメージするようにしたことにより、結果的に、「集中」することに向けられていた「意思」が希薄化し、同時に、五感とりわけこの時期体感温度などの皮膚感覚が鋭敏になり、自然と肉体の観察に向かう傾向があります。そのことによるのかもしれませんが、通常、意識の存在は明瞭に肉体を起点として感じられていますが、何かフワッと胸の辺りを中心に「意識」が肉体から浮かび上がり、少しだけ肉体の外に拡大するような感覚を感じます。
これが、鬼和尚の仰る、
>ただ単に体をくわしく観察するだけでも肉体からの厭離が経験できる
 肉体のもたらす刺激に囚われず、執着することも無いからそれを原因とする苦もなくなる

ということのあらわれでしょうか?

904鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/19(月) 21:31:00 ID:kNmK6HOM0
>>903 そのように心身の働きを観察していけばよいのじゃ。
 さらに変化していく認識に気づくじゃろう。
 肉体も心の働きも自分ではないとわかっていくのじゃ。
 さらに精進あるのみなのじゃ。

905避難民のマジレスさん:2015/01/19(月) 21:35:06 ID:ozF4yASU0
空の場合でも集中力の養成が必要なんでしょうか?
また空は一度体得してしまえば、後はそれを当てはめるだけにみえるので、観察より楽そうに感じます。
なぜ空よりも観察の方を主に鬼和尚は語るのでしょうか?
よろしくお願いします。

906避難民のマジレスさん:2015/01/19(月) 22:44:26 ID:LC3de7YgO
>>904
鬼和尚ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
昨年末の、マハムドラの解説を参考に、いきなり無思考をイメージして瞑想してみたところ、予想以上に容易く無思考状態に入ることができただけでなく、邪魔に感じはじめていた集中する「意思」からも解放され、一歩前進できたように思えます。
しかし、これも、集中による雑念の炙り出しと受け流しによる消去が身に付いて、無思考の具体的状態を実感できていたからこそ、マハムドラ=「空」の行が実感できたのではないかと思います。
以前、鬼和尚ブログの「空の行」の解説を読んだ時は、ちんぷんかんぷんでした。

>さらに変化していく認識に気づく
 ことができるように
 精進するであります。

907鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/20(火) 22:04:10 ID:fy0MPBXU0
>>905 空と観想するにもやはり集中力が必要なのじゃ。
 雑念に囚われていては修行も進まないのじゃ。

 空と観想するにしてもやはり自分とは何か、知らなくてはならんのじゃ。
 それを知るにはやはり観察によるしかないのじゃ。
 結局は何をしても観察によることになるのじゃ。
 それ故に観察が一番の近道なのじゃ。

>>906 良かったのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

908避難民のマジレスさん:2015/01/20(火) 23:42:14 ID:T2T86c5w0
>>907
ありがとうございます。
引き続き、瞑想がんばりたいと思います。
ですが、結局観察が必要なら、なぜ空などというものがあるのでしょうか?

909そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/21(水) 18:50:23 ID:L0pOmFww0
鬼和尚
最近は仕事がどうでもよくなってきました。
どうでもいいと言っても、手を抜くとかやりたくないとか辞めたいとか、そういうことではありません。
仕事とそれらとの結びつきが薄れてきました。
薄れてきたことによって、今まではそれらと結びついていたことがわかりました。

また、以前は仕事のアイデアを出す時、考えに考えを重ねて捻り出す感じでした。
家に帰っても、あの仕事はどうしようかとよく考えていました。
しかし今は、課題と条件を頭に入れると、考えなくても必要な時に降ったように湧いてくるようになりました。

910避難民のマジレスさん:2015/01/21(水) 20:50:42 ID:VyqQ..rM0
仕事の手があいたり、座ってちょっと静かになるとすぐに沈黙に引き込まれ没入するようになりました。
その間は体中が心地よさでいっぱいです。
何かをしだすと薄まっていきます。
一日中そんな感じ。
こういうものですか?

911鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/21(水) 21:51:30 ID:UEdcjEGI0
>>908 それは観察も拒むような苦や煩悩が人にはあったりするからなのじゃ。
 あまりにも苦しい記憶は観察する事も恐れてしまい、観れないのじゃ。
 そのようなものには空と観想して恐れも消すことが近道となるのじゃ。
 修行の妨げとなる煩悩を消すために体質や性質によっては空を使うほうが良いことも有るのじゃ。
 そのために創られたのじゃ。

>>909 良かったのじゃ。
 執着が無くなり、智恵の働かせ方が判ってきたのじゃ。
 智恵は必死に考えるより、心を無にしたときのほうが良く働くものじゃ。
 定による智恵がわかってきたのじゃ。

>>910 そのようなものじゃ。
 快が生じているのじゃ。
 瞑想を楽しむことが出来れば進歩も早いのじゃ。

912そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/21(水) 23:43:08 ID:hw5NmCB20
>>911
ありがとうございました。

913避難民のマジレスさん:2015/01/22(木) 18:49:06 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚、自分と他人に対する執着が強過ぎるので四念処をやってみたいと思いました
四念処は非常に重要な修行法なのに現代ではあまり行われていないのは何故でしょうか?

914鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/22(木) 21:28:28 ID:VnYNsnjs0
>>912 どういたしまして、またおいでなさい。

>>913 本当の観察がよくわかっておらず、効果も無いからじゃろう。
 本当は身受心法についてありのままに観察する方法なのじゃ。
 そのように観察すれば悟りにも至れるのじゃ。

 あらかじめ不浄とか無常とかの結論があってそれをあてはめるのではないのじゃ。
 それならば観察ではなく、観想になってしまうのじゃ。
 何が見えてもありのままに受け入れるのが本当の観察なのじゃ。
 おぬしは真の四念処の観察すると良いのじゃ。
 そうすれば大きな効果があるじゃろう。

915避難民のマジレスさん:2015/01/22(木) 21:33:20 ID:6p4ETLTs0
鬼和尚、
テーリーガーターとテーラガーターを読んでみたのですが、三つの明知(宿命通・天眼通・漏尽通)を体得してから悟りを得られる方が多かったようです。
宿命通は前世を知る能力、漏尽通は苦を滅する能力であるというようなことを以前書かれており、それらを体得する具体的な方法についても教えて下さっていますが、天眼通についてもお教えくださいますでしょうか?

また、なぜ上記の三つの明知を経て悟りを得る人が多かったのでしょうか?

916避難民のマジレスさん:2015/01/23(金) 11:42:21 ID:SlB5RJYc0
>>914
ありがとうごさいます

917避難民のマジレスさん:2015/01/23(金) 16:40:51 ID:T2l6Rsvo0
>>911
ありがとうございます
空は観察を助けるための一種の道具みたいなもので、直接観察できるものには必要ないという解釈でよろしいでしょうか?
これからは止観の行に励みたいと思います。

918鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/23(金) 22:37:15 ID:L2e50PvU0
>>915 それは眉間などに集中していれば頭の中に映像として見えてくるものなのじゃ。
 人によっては後頭部の方から見るとか、頭の中心に集中すると見えるのじゃ。

 集中力が身に付けば、智恵も通力も身に付くからなのじゃ。
 ヨーガスートラに詳しく書いて有るのじゃ。
 集中とその結果として生じた智恵も力も自分を観察するためなのじゃ。
 そればかりに囚われれば執着になり、逆に修行の妨げになるものじゃ。
 気をつけるのじゃ。

>>916 どういたしまして、またおいでなさい。

>>917 そうじゃ、人の性質によって法も違うのじゃ。
 観察が出来るものは観察をするのが近道なのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

919避難民のマジレスさん:2015/01/24(土) 08:38:37 ID:7rD9T5220
>>918
自分の観察ができるのでしたら、通力は脇道ですね。
真っ直ぐに自分の観察に励みます。
ありがとうございました。

920鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/24(土) 20:59:11 ID:K1tObT/o0
>>919 そうじゃ、囚われずに進むのじゃ。
 またおいでなさい。

921避難民のマジレスさん:2015/01/25(日) 19:19:49 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、今晩は。

悟りに急速に達する強力な修行方は何かないですかねぇ?

冬場の水ごりとか、断食に近い食事制限とかなら、チョピッと試したことあります。
多少ハードでもよいのでおすすめがありましたら、いうまでもなく自己責任で試してみたいたいので、ご教示ください。
長時間の座禅とかは有効でしょうか?

922鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/25(日) 22:32:09 ID:K1tObT/o0
>>921 長く座るのも有効じゃろう。
 一番良いのは自分の心を観ることじゃ。
 自分とは何か?
 どのような心身の働きが起こる時、最も自分を感じるのか?
 深く追求し、観察してみるのじゃ。

923避難民のマジレスさん:2015/01/26(月) 09:55:02 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、ありがとうございます。

雑念少なく、座って呼吸や皮膚感覚等を五感で観察していると、観察している意識そのものが、まさに自我だと感じ、いったんそう感じてしまうと、「観察する意識がなければ自我はないと感じるか」 と縁起の法に持ち込むのはチョピッとむずかしくなりますが、その感覚を振り払い、いきなり無思考をイメージするようにすると、観察する意識が薄らぐ気がする。

ただ、観察する意識を自我だと感じる実感を潜り抜けて(?)、五感が直接感受する感覚そのものを観察していると、無意識に放置すれば、直に具体的記憶に基づく感情や雑念に転化して行くけど、五感そのものの観察に意識的にとどまろうとしているときに感じる、「観察する意識」=記憶による照合を受ける前の感覚を観察しようとする意識は、もしかすると「自我」の意識と多少異なるものなのかなと感じたりもしますが、果たしてこの先に道は開けるのか、錯覚なのか?
こんな感じであります。

以上要するに、観察する意識=自我 と感じることを縁起の法により乗り越えることに取り組むべきか、
記憶に基づく観念(=自我)による照合を受ける前の五感を観察する意識の存在を自我の意識にあらざる「意識」として、無我の実感に連なる可能性のあるものとして追求してみるべきかという感じであります。

924鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/26(月) 22:07:09 ID:bz1AwbfM0
>>923 あくまでも自我を追求するのじゃ。
 自分と感じるものをよりくわしく確かに感じるのじゃ。
 そしてそれが何なのか見極めるのじゃ。
 それが思考だと感じるのならばそれを観察するのじゃ。
 それが記憶と感じるならばそれを観察するのじゃ。
 より詳しく確かに観ることができるほど、悟りは近づいてくるじゃろう。

925避難民のマジレスさん:2015/01/27(火) 19:57:56 ID:IJ1xbrcA0
鬼和尚、
昨晩、何を自分と認識しているのかをしつこく追及してみたところ、世界が揺れるような奇妙な感覚があり、続けていると軽い吐き気が起きました。
集中力が続かなかったためか、元に戻ってしまいましたが、これは自我の観照が近づいている吉兆と捉えて良いのでしょうか?

926避難民のマジレスさん:2015/01/27(火) 21:24:03 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚、眉間に集中する瞑想はただ集中するだけでいいのでしょうか?
それとも何か光りをイメージするなどしたほうがいいのでしょうか?

927そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/27(火) 21:31:58 ID:lk1MMNPI0
鬼和尚
日々観察を続けていますが、感情と思考と記憶について、少しばかり見えるものがありました。

初めは過去の記憶(何かの出来事。遠い昔のことでも、最近のことでも。)を思い出し、それを手のひらの上でもてあそぶようにしています。
そのうち、徐々に思考が始まっていきます。
記憶を何度かくりかえして再生しているうちに、それを元にした思考が整っていきます。
この時思考は既に、私の気付かないところで、後のことまで見通していて準備万端です。
そして、思考は他者の存在を作り上げ、私に認識させます。
他者は、人であったり、世の中全体であったりします。
その他者は私を攻撃し始めます。
攻撃といっても、悪口を言ったり、暴力を振るうわけではありません。
私が不安になることをしてくるのです。
してくるといっても、私の思考が既にそのように計画していたことです。
私は攻撃に対して怒ったり、憤りを感じたり、反撃(反論、言い訳)したり、悲観したりします。
思考が他者の存在を作ったとき、同時に私は「我」の存在を生みます。
このように、記憶を元に、無いはずの他者を作り、同時に守るべき我を作り、感情を起こし、苦につながっていきます。

上記のようなことは、期限の決められた仕事で、期限までに完成できるかどうかわからないときに、顕著に起こっていました。
いわゆるストレスです。
しかし、それが仕事を完成させるためには何の役にもたたないことも分かります。

928鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/27(火) 22:43:04 ID:bz1AwbfM0
>>925 そうかもしれん。
 自分が消える恐れによるストレスが強くて吐き気がしたのじゃろう。
 それにこりずに追求していけば自分も見えるじゃろう。
 精進在るのみなのじゃ。

929避難民のマジレスさん:2015/01/28(水) 03:03:58 ID:yBsj9SuA0
私達は単なる現象、反応なのですか?
例えればろうそくに付けた火のように様々な縁が組み合わさって
出来ているだけのように思えます。
火自体には決まった形もなく縁が無くなれば消えて終わります。
我々は火が自分だと思い込んでるけど本当はろうそくや空気のほうが
本来の自分、いわゆる不変な意識に近いのでしょうか?

930避難民のマジレスさん:2015/01/28(水) 12:17:43 ID:xQpSahzw0
>>928
世界が心によってつくり出されているということの片鱗を見た感じです。
自分が消える恐れの原因を観てみます。
また、結果はお任せして、自我の追求に励み続けます。
ありがとうございました。

931鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/28(水) 22:35:59 ID:bz1AwbfM0
>>926 それは自分のやり易い方法でよいのじゃ。
 何もせずに集中するだけが良いならそれでよいのじゃ。
 光とか神仏などをイメージしたほうが良いならばそうするとよいのじゃ。
 神仏を信じるものならばそれをイメージすることで集中力も高まるからなのじゃ。
 いろいろ試して自分にとって一番良い方法でやるのじゃ。

>>927 それもおぬしの心の中に在る条件付けの一つなのじゃろう。
 原因を観察すればそれも消えるじゃろう。
 大抵は親などから教えられたり、習慣として為されたものであるがのう。
 さらに深く観察してみるのじゃ。

>>929 自分と思っているものはそうなのじゃ。
 本当は実体がなく、記憶からの反応なのじゃ。
 それを観察して気付けば自分という観念から自由になるのじゃ。

>>930 そうじゃ、精進在るのみじゃ。
 またおいでなさい。

932避難民のマジレスさん:2015/01/28(水) 23:23:26 ID:SlB5RJYc0
>>931
ありがとうございます

933そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/29(木) 12:31:28 ID:gTqwEa360
>>931
ありがとうございます。
おそらく、これまでに読んできた本のうち、特に熱心に読んだものの内容が反映されていたのだと思います。

ところで、仕事中でも食事中でも何をしていても一日中気持ちいいときがあるのですが、もしもそのまま死んでしまったら気持ちいいままなのでしょうか。

934素人A:2015/01/29(木) 22:23:48 ID:R04/xEPU0
鬼おしょうさん時間が無ければ永遠不滅という変らない此処路なのか
時間の中では全て永遠が無いとおもいました。諸行無常の風が吹く
時間とは何ですか?過去はすぐ死んでいくし未来はまだ生まれていない
今はいつまでもいまで過ぎる事はないし?永遠の今?

935鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/29(木) 22:28:58 ID:BOCnrZnE0
>>932 どういたしまして、またおいでなさい。

>>933 そのままではないのじゃ。
 生きている時の行いによってふさわしいところへ行くのじゃ。
 誰も自らのお粉による報いから逃れられないのじゃ。

>>934 時間とは観念に過ぎないのじゃ。
 変化していく物事を説明するために作られた観念なのじゃ。
 本来はないものじゃ。
 全ては永遠の意識なのじゃ。

936そらいろ ◆EHlCk/f57s:2015/01/29(木) 22:57:47 ID:lk1MMNPI0
>>935
ありがとうございました。

937避難民のマジレスさん:2015/01/30(金) 12:42:51 ID:W9x6FqRY0
鬼和尚、
自我の追求について、もう少し詳しくお教えください。
この追求は言葉無しで、ただただ自分と感じるものを観つづけるので良いのでしょうか?

自分と感じるものは観察の最中にも、座面の接触を感じる主体であったり、思考している主体であったり、観察している主体であったりと同時に複数存在し、それぞれが強くなったり弱くなったり、いつの間にか無くなったり存在したりしています。
私の感覚では思考が最も自分自身だと感じるのですが、思考を特に気をつけて観察するのでしょうか?
それとも、自分と感じられるものを複数同時にただ観察しつづけるのでしょうか?

938鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/01/30(金) 22:13:58 ID:Er6CYI2Y0
>>936 どういたしまして、またおいでなさい。

>>937 お釈迦様はそれらについて縁によって起こるものとして観察する事を教えているのじゃ。

 思考が起こる時に自分を感じるならば、思考が起これば自分が起こると観察するのじゃ。
 そして思考が無ければ、自分が起こらないとも観察するのじゃ。

 さらに自分という認識から感触が在ると観察し、その主体として又自分が起こると観察するのじゃ。
 自分という観念が無ければ自分の感触は無く、主体という観念も無いと観察するのじゃ。
 常に縁によって自動的に起こるものとして観察してみるのじゃ。

939龍華:2015/02/01(日) 01:40:07 ID:kl1CR23s0
倩女離魂について教えてください。
倩女は[肉体]と[魂]が別々となり其々が違う人生を過ごしたとありますが、この物語は設定がおかしい気がします。
分身の術で[倩女Aの肉体及び魂]と[倩女A´の肉体及び魂]とに分かれて其々が違う人生を過ごたと書かなければ
[本物はどちらか?]という質問が成立しないと思うのですが、どうなのでしょうか?
    
あと分身の術どうやるのか教えてください!
片方が修業して片方は遊んで暮らします

940鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/01(日) 20:53:09 ID:MwO44iSQ0
>>939 肉体と魂という区分が在ればそう思えるのじゃ。
 魂が実体と思うからのう。
 昔の人は肉体も実体と思っていたのじゃ。

 もう一人の自分の姿をイメージしていれば見えるようになるのじゃ。
 他人にも見えるようになるのじゃ。
 強い集中力があれば可能なのじゃ。

941避難民のマジレスさん:2015/02/01(日) 21:36:21 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚
もし神通力によって実際に仏様の居る世界に行ってきたとして、それで仏への信が生まれて
死後は必ず善い処に生まれられるということはあるのでしょうか?

942避難民のマジレスさん:2015/02/01(日) 21:47:03 ID:SlB5RJYc0
>死後は必ず善い処に生まれられる
二度と三悪道には堕ちないに訂正させて下さい

943避難民のマジレスさん:2015/02/02(月) 00:02:11 ID:kjsnS1Rk0
>>931

>>929 自分と思っているものはそうなのじゃ。
 本当は実体がなく、記憶からの反応なのじゃ。
 それを観察して気付けば自分という観念から自由になるのじゃ。

お答え有り難うございます。

名称と形態→肉体 が自分ではないとわかるにはやはり悟りしかないのですか?
名称と形態にとらわれなければ二度と肉体に生まれることもないと
最近読んでいるスッタニパータに書いてありました。
スッタニパータもお釈迦様の言葉そのものと考えていいのでしょうか?

また実は我々は死への執着があるからこそ肉体に生まれるのでしょうか?

944素人A:2015/02/02(月) 10:19:36 ID:gOqWUDAs0
鬼おしょさん 日本語凄い 例えば海。生み出すつまり環境も生み出す海だす
まあ外に色々あるけど駄洒落でも馬鹿にできない我 画 環境 観今日?
でも感つまり観が悪いと目の前に身得でも見えないあさってで。掴むはッ感だ
頭に無駄な考えが残っていると感が悪くなるし

945避難民のマジレスさん:2015/02/02(月) 12:20:19 ID:IJ1xbrcA0
>>938 ありがとうございます。
縁によって起こるものとして観察するというのは、漫然と心の動きを観察しつづけるのではなく、観察対象の因果関係に気をつけて観察するということでしょうか?
それとも、認識の変わり目に気をつけて観察するということでしょうか?

その場で気をつけようとすると、その心の動きが生じるのですが、かまわずに観察しつづければ良いでしょうか?

946鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/02(月) 22:12:32 ID:MwO44iSQ0
>>941>>942 あるかもしれん。
 しかし人には自由意志があるから何でも自分の意志によって決められるゆえに、
 そうならないこともあるじゃろう。
 本人次第なのじゃ。

>>943 そうじゃ、悟りを得た者には、もはや肉体も己ではなく己のものでもないとわかるのじゃ。

 そう考えてよいのじゃ。

 個我があると思えば死への執着もあるじゃろう。
 自ら死ぬものも多いからのう。
 
>>944 そうかもしれん。
 しかし日本語にも囚われずに進むのじゃ。

>>945 そのように因果関係に気をつけて観察するというようなことじゃ。
 心を観察してみれば実際に縁によって起こることがわかるじゃろう。

 気をつけようとすると、心の動きが生じるというのも縁によって起こった心の働きなのじゃ。
 それも観察すると良いのじゃ。
 今ここで起こる全てを観察し続けるのじゃ。

947避難民のマジレスさん:2015/02/02(月) 22:30:58 ID:SlB5RJYc0
>>946
ありがとうございます

948避難民のマジレスさん:2015/02/03(火) 20:54:43 ID:zymYeoR20
>>946 ありがとうございます。
因果関係に気をつけて観察をしてみました。
確かに縁によって次々と心の働きが起こるのは観えるのですが、どうしても思考が起こるとそれに巻き込まれがちです。
また、2つ3つの因果関係はなんとか観察しながら把握できるのですが、それ以上になると言葉で追認しないと何がどうなっているのか分からなくなってしまいます。
もしかして、縁によって次々に自動的に起こるのを観れば良く、起こったことは覚えていなくとも良いのでしょうか?
以上のことも含めまして、何かアドバイスをいただけますとありがたいです。

949龍華:2015/02/03(火) 21:02:57 ID:kl1CR23s0
>>940
見えるようになる、 とは見えるだけの虚像なのでしょうか
お互いにどつき合ったり囲碁将棋を打ったりできないのですか

950鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/03(火) 23:06:23 ID:FOt16PP20
>>947 どういたしまして、またおいでなさい。

>>948 数息観などの集中力を養う瞑想をして、雑念を流せるようになれば思考にも巻き込まれないようになるじゃろう。
 それまで精進なのじゃ。

 それを記憶しておく必要は無いのじゃ。
 知識を集めるためではないからのう。
 次々に起こっては消えるその縁起を観察していけばよいのじゃ。
 その観察が、観察対象を厭離させる気づきをもたらすのじゃ。

>>949 おぬしには見えるようになり、上達すれば他人にも見えるようになるのじゃ。
 おぬしが考えることは何でも出来るようになるのじゃ。
 それも含めて現世は全て観念に過ぎないのであるからのう。
 それらに余り囚われないほうが良いのじゃ。

951避難民のマジレスさん:2015/02/04(水) 21:59:33 ID:TkQxuahg0
和尚、こんにちは。

和尚は氣の存在についてたまに触れていますが、
相手の氣によってこちら側が影響を受けることはあるとお考えでしょうか。

相手の性格をあらかじめ知っている場合ではなく、
例えば、内心が嫉妬や妬みで渦巻いている人に触れられたり、一緒にいたりしていた場合などにです。

仙道とかだと邪気をもらうなどと言ったりしますが、
実際に目に見えないエネルギーの移動のようなものはあるのでしょうか。

952避難民のマジレスさん:2015/02/04(水) 22:13:24 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚
毎日仏壇で手を合わせていますが仏への信が足りません
どうすればより仏を信じれるようになりますか?
仏の持つ偉大な徳を信じるとかすればいいでしょうか?

953素人A:2015/02/05(木) 08:42:40 ID:gOqWUDAs0
この世うもあの世うも観念だと明らめて現実も幻実も拘らずに
仲善き道を歩けば色即是空は空即是色になる。みんな真っ直ぐ
歩いている?なのに真っ直ぐが解らないと.でも真っ直ぐは真っ直ぐ
歩いている野鴨

954避難民のマジレスさん:2015/02/05(木) 19:21:10 ID:zymYeoR20
>>950 ありがとうございます。
数息観で雑念を流すことはできるのですが、雑念を見守ろうとすると、3回に1回くらいは巻き込まれてしまうようです。
さらに集中の瞑想にも精進します。

縁起の観察で、複数の心の動きを同時に観察している場合には、それぞれの縁起を観るようにすれば良いのでしょうか?
例えば、耳から聞こえた音に対して生じる思考と、喉に生じた違和感から生じる思考がそれぞれあったとします。
その場合、片方に集中したりせずに2通りの縁起、すなわち耳識→思考と、喉の感覚→思考とを観察していけば良いのですか?

955龍華:2015/02/05(木) 20:09:06 ID:kl1CR23s0
>>950
ありがとうございました。
あまり囚われてはいないのですが、少しは囚われたい
お手頃な釣り餌とか手近な目標みたいなのが何かない物かと。
分身の術はちょっと遠すぎた梯ですが。

956避難民のマジレスさん:2015/02/05(木) 20:57:47 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚
私は死後善い処に生まれたいので仏への疑いを完全に無くしたいのですが
疑いなく信じることは可能なのでしょうか?

957鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/05(木) 22:56:44 ID:Dnw.DIk60
>>951 気に対して非常に敏感ならば影響を受けることも在るじゃろう。
 大抵の者はそこまで敏感ではないから影響は受けないのじゃ。
 敏感なものはラジオの電波が受信できるようなものじゃ。
 感じなければ影響はないのじゃ。

>>952 今の信で十分なのじゃ。
 大事なのは善事や修行を実践することなのじゃ。
 それが信仰も生むのじゃ。
 信じるとは未だ真実かどうかわからないことを真実とみなすことなのじゃ。
 実践して真実を体現すればもはや信じる事よりも確実な効果が有るのじゃ。

>>953 自らの実践によって確かめたことを事実として進んでいくが良いのじゃ。
 それがまっすぐな道なのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

958鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/05(木) 23:02:12 ID:Dnw.DIk60
>>954 そうじゃ、心の働きが二つに分かれれば、それをありのままに観察すればよいのじゃ。
 それも集中力があれば出来ることなのじゃ。
 心に現れたことは何であろうとありのままに観るのが観察なのじゃ。
 そけが出来れば観察対象の心は厭離され、それが己ではなく、己のものでもないと気付くことも出来るのじゃ。

>>955 いろいろ試してみると良いのじゃ。
 失敗しても何かがわかるじゃろう。
 実践が全てなのじゃ。

>>956 疑ってよいのじゃ。
 信じていても人を苦しませる悪いことをしていれば悪いところにいくじゃろう。
 信じなくとも人を喜ばせる善い事をすれば善い所にいくじゃろう。
 人は行いによってふさわしい所に行くのじゃ。

959避難民のマジレスさん:2015/02/06(金) 01:06:18 ID:SlB5RJYc0
>>958
2つの回答ありがとうございます

960避難民のマジレスさん:2015/02/06(金) 07:51:06 ID:7iY4VAKQ0
鬼和尚は何か楽しいことありますか。悟るとみんな楽しめますか。

961避難民のマジレスさん:2015/02/06(金) 09:42:48 ID:TkQxuahg0
>>957
和尚、お返事ありがとうございます。

>感じなければ影響はないのじゃ。

なるほど。
ということは、知識があるために生じる思いこみ要素が強そうですね。
あまり気にしないようにします。
ありがとうございました。

引き続き実践に励みます。

962避難民のマジレスさん:2015/02/06(金) 12:10:19 ID:.h3KCDlo0
>>958 ありがとうございます。
縁起の観察をしているのですが、確かに心の動きは自動的に起こっているようです。
自我の生起の瞬間はまだ捉えられていないのですが、常に思考、感情、感覚の後に現れます。自我自体は何もしていないようです。
また、悟りを得るのを阻んでいることとして、実際に観察したことに対してさえ、それが本当かどうかを疑っているというのもあるのではないかと気づきました。

この疑いの心は苦滅によって厭離して良いと思うのですが、できれば手放したくないという気持ちです。今すぐに手放しても良いのでしょうか?

また、もし全てが縁により自動的に起こるのでしたら、何かを選択する時にも、選択をすることとしないことは、(自分の感覚に反して)自動的に行なわれるのでしょうか?
例えば目の前にサイコロがあったとして、それを振るか振らないかは主体なく決まるのではないかと思うのですが、それは、どうやって決まるのでしょうか?
やはり縁なのですか?

963鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/06(金) 22:51:27 ID:Dnw.DIk60
>>959 どういたしまして、またおいでなさい。

>>960 そうじゃ、苦が無ければ全て楽しいのじゃ。
 瞑想も楽しいのじゃ。
 世間の欲に心をすり減らすよりも、むしろ瞑想を楽しんだらよいのじゃ。
 健康にも成れるというのじゃ。

>>961 そうじゃ、まさに気のせいなのじゃ。
 気にしなければ悪影響もないのじゃ。
 
>>962 それに気付いた事で、もうその疑いの効力は無くなりつつあるじゃろう。
 それが気付くことの力なのじゃ。
 手放そうと思うことも無く、ただ観察し続けるのじゃ。
 そうすればより深く自分を知ることが出来るのじゃ。
 観察に身を委ねる事で、観察そのものになるのじゃ。

 条件づけられた習慣によって決まるのじゃ。
 それを縁起として観察する事も出来るのじゃ。
 例えばその行為が賭け事ならば、賭け事を悪いものとして教えられた者は振らないようにするじゃろう。
 そのような条件付けられた習慣によって、大抵の者の意志は決まるのじゃ。

964避難民のマジレスさん:2015/02/07(土) 10:36:51 ID:OdMybscU0
>>963
観察そのものになるのですね。
また、習慣と選択に関してお教えくださりありがとうございます。
これ以上のことは自分で確かめてみます。
ありがとうございました。

965善慧:2015/02/07(土) 20:18:59 ID:G4JyaHHU0
鬼和尚さま、この世界には本当は誰もいないのでしょうか?
かなり混乱しています。怖くなったというのが本心のような気がします。
アドバイスいただけるとうれしいです。

966鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/07(土) 21:08:58 ID:Dnw.DIk60
>>964 そうじゃ、精進在るのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>965 いないのじゃ。
 しかしそれほど気にしなくてよいのじゃ。他人も自分としてあるともいえるのじゃ。
 生活には何の支障もないからのう。
 あくまでも真実を求める修行者以外には意味はないのじゃ。
 
 ただ自分の観察したことを事実として受け止めればよいのじゃ。
 自分が何をしたいのか、自分の心を観察して決めればよいのじゃ。

967避難民のマジレスさん:2015/02/08(日) 09:09:49 ID:ToM741HY0
鬼和尚は悟った時の無とこの有の世界を自由に行き来できるのですか?
無の体験(悟り)は一度で良い。とある悟った人が言っていました。
一度すればもうしなくてよいのですか?

968避難民のマジレスさん:2015/02/08(日) 14:52:29 ID:7y8eTFSM0
動物を食べるという行為はどう思われますか?
私は以前生き物を殺してまで食べるのがどうも嫌で一時期
菜食になっていた時期も長かったです。
ここ何年かはあまり気にせず食べたいものを食べていたのですが
和尚様のブログやここやダンマパダを読んでいるうちに又
自分の食のために殺生するのはどうかなって考えが起こりました。
「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」とダンマパダに書いてありますが
生き物を食べることについてのご意見をお聞かせくださいませ。
和尚様は以前生きるために食べるのは仕方がないが利益や欲のための殺生は
よろしくはないと書いてあったのは覚えていますが。

969善慧:2015/02/08(日) 20:09:10 ID:aP2RwSrA0
真実は峻厳ですが、かぎりないやさしさも感じます。
心の中が涙でいっぱいでまだ前がよく見えませんが、
改めて修行の大切さを知ることができました。
鬼和尚さま、本当にありがとうございます。

970鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/08(日) 23:24:34 ID:M2rBv3mo0
>>967 有も無も無いのじゃ。
 その世界も無いのじゃ。
 ただ自分が在ると思っていたからさまざまな謬見があったと気付くだけなのじゃ。
 一度気付けばもはや二度と妄想には陥らないのじゃ。

>>968 それに囚われないのが一番よいのじゃ。
 食べないですむならば食べなければよいのじゃ。
 人に薦められたら食べてもよいのじゃ。
 食べ物に囚われるより、自らの心を観ることが大事なのじゃ。

>>969 そうじゃ、精進在るのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

971避難民のマジレスさん:2015/02/09(月) 14:32:53 ID:KUaEudG20
>>946のお答えと
>>970

お答え有り難うございました
スッタニパータは最近時間あるごとに読んでいます。

食にかぎらず何事にもとらわれずに心を観察していこうと思います。
人に進められたら頂きます。与えられたものはありがたくいただく ですね。

972鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/09(月) 21:46:33 ID:Dnw.DIk60
>>971 そうじゃ、実践が全てなのじゃ。
 またおいでなさい。

973避難民のマジレスさん:2015/02/09(月) 23:56:10 ID:aNxujPnI0
瞑想をしよう、集中しよう、とした時はあまりうまくいかないです。
何かやっていて眠くなってきたら、すかさず寝ないように瞑想すると、
うまくいくことが多いです。
これは集中ではないのでだめですか?
また、数息観が退屈で続かないので、音楽(バッハ)をかけてやっているのですが
だめですか?

974避難民のマジレスさん:2015/02/10(火) 09:14:33 ID:FqjD2ybs0
和尚、こんにちは。

悟った人は冬の寒い朝とかに布団から出るのが億劫になったりしないのでしょうか。
それとも、そういう思考は生じるものの、ただ生じているだけという感じなのでしょうか。

最近また寒くなったせいか、布団の温もりに対する執着がすごいです。

975鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/10(火) 21:01:45 ID:YQCrrY8.0
>>973 それでよいのじゃ。
 何でもあまり力を入れすぎるより、肩の力を抜いたほうがうまくいくのじゃ。
 力を抜いていても呼吸などに集中しているならばよいのじゃ。

 音楽をかけてもよいのじゃ。
 いずれ静かなほうがよくなったら消してもよいのじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>974 ならないのじゃ。
 熱いとか寒いとかも気にならないのじゃ。

 呼吸法とかをやるとよかろう。
 体が温まるのじゃ。

976避難民のマジレスさん:2015/02/12(木) 00:12:45 ID:FqjD2ybs0
>>975

>熱いとか寒いとかも気にならないのじゃ。

すごい境地ですね。
お返事ありがとうございました。

引き続き実践に励みます。

977避難民のマジレスさん:2015/02/12(木) 15:04:14 ID:BwDSqr2o0
鬼和尚、
ダンマパダ 295の解説をお願いします。

295 (「妄愛」という)母と(「われありという慢心」である)父とをほろぼし、(永久に存在するという見解と滅びて無くなるという見解という)二人の、学問を誇るバラモン王をほろぼし、第五には(「疑い」という)虎をほろぼして、バラモンは汚れなしにおもむく。

978鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/12(木) 21:31:22 ID:x2oWNnO20
>>976 どういたしまして、またおいでなさい。

>>977 それらは世間的な常識による価値観を滅ぼすために言われたのじゃ。
 愛着と我が在るという観念は世間の常識の根本になっているものじゃ。
 それはあたかも人の根本である父と母の存在のようなものじゃ。

 愛する事はあらゆる世間の法で奨励され、個我が在るという観念から一切の社会が生まれるのじゃ。
 それらは真実を求める修行者には生涯であるから滅ぼして進まなければならんのじゃ。
 
 そしてこの世が永遠に続くとか永遠ではないとかの観念による無用な論議をなくすのじゃ。
 いかなる観念も妄想でしかない故に、そのような観念を持つことは生涯でしかないのじゃ。
 
 さらに修行の道への疑いを無くせば、日々修行に励むことが出来るのじゃ。
 そのように世間の常識や観念の論議や疑いなどの五つの障碍を越えて修行に励むのじゃ。

979避難民のマジレスさん:2015/02/13(金) 10:29:51 ID:oPkJVoYw0
↑×生涯
  ○障害

980避難民のマジレスさん:2015/02/13(金) 11:05:38 ID:L0gmLFpo0
スーパーのうずらの卵からコンスタントにうずらが孵るという話を聞き、うずらを飼ってみたくなったのですが
糞のしつけができないために衛生を保つため頻繁に床に敷いた砂を洗う(具体的にどういった作業かも分かりません)必要があると知りました
どうしたらいいのでしょうか

981避難民のマジレスさん:2015/02/13(金) 17:52:28 ID:.h3KCDlo0
>>978
険しい道ですが、進むにつれてこれら五つの障害が弱まっていることも自覚できます。
さらに励みます。
ありがとうございました。

982sage:2015/02/13(金) 18:26:59 ID:Raj5VtbI0
鬼和尚
私はニートで毎日することも、したいこともありません。
瞑想も計一時間くらいしかできません。
誰にも合わず何もしないでただ居ると妄想をしだして気が狂ってきてしまいます。
私は何をすればよいでしょうか。何をすることが健全でしょうか。

983避難民のマジレスさん:2015/02/13(金) 20:47:14 ID:aNxujPnI0
>>975
ありがとうございます。
いまの感じで問題ないみたいなのでこのまま精進します。

984鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/13(金) 21:10:23 ID:x2oWNnO20
>>979 そうじゃ、間違えたのじゃ。
 障害なのじゃ。
 ご苦労さんなのじゃ。

>>980 猫とか犬用の砂で交換したらよいかも知れん。
 新聞紙とかを細かく切ったのでもよいかも知れん。
 外で飼うとよいかもしれん。
 いろいろ調べて試してみるのじゃ。

>>981 そうじゃ、精進在るのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>982 一時間も瞑想をするとはたいしたものじゃ。
 旅に出るとよかろう。

 あるいは体を良くするとよかろう。
 健康になれば意欲も出るものじゃ。
 西式健康法でもやるとよかろう。
 さらに肉体を鍛えるのもよいのじゃ。
 心身を鍛えて意欲を引き出すのじゃ。
 いろいろ試してみるのじゃ。

985鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2015/02/13(金) 21:11:05 ID:x2oWNnO20
>>983 そうじゃ、実践在るのみじゃ。
 またおいでなさい。


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