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鬼和尚に聞いてみるスレ part4
923
:
避難民のマジレスさん
:2015/01/26(月) 09:55:02 ID:LC3de7YgO
(´・(ェ)・`)/鬼和尚、ありがとうございます。
雑念少なく、座って呼吸や皮膚感覚等を五感で観察していると、観察している意識そのものが、まさに自我だと感じ、いったんそう感じてしまうと、「観察する意識がなければ自我はないと感じるか」 と縁起の法に持ち込むのはチョピッとむずかしくなりますが、その感覚を振り払い、いきなり無思考をイメージするようにすると、観察する意識が薄らぐ気がする。
ただ、観察する意識を自我だと感じる実感を潜り抜けて(?)、五感が直接感受する感覚そのものを観察していると、無意識に放置すれば、直に具体的記憶に基づく感情や雑念に転化して行くけど、五感そのものの観察に意識的にとどまろうとしているときに感じる、「観察する意識」=記憶による照合を受ける前の感覚を観察しようとする意識は、もしかすると「自我」の意識と多少異なるものなのかなと感じたりもしますが、果たしてこの先に道は開けるのか、錯覚なのか?
こんな感じであります。
以上要するに、観察する意識=自我 と感じることを縁起の法により乗り越えることに取り組むべきか、
記憶に基づく観念(=自我)による照合を受ける前の五感を観察する意識の存在を自我の意識にあらざる「意識」として、無我の実感に連なる可能性のあるものとして追求してみるべきかという感じであります。
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