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鬼和尚に聞いてみるスレ part4
1
:
sage
:2014/08/05(火) 19:29:50 ID:QMklRI/Y0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/
65
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/15(金) 20:07:23 ID:RwIoastI0
鬼和尚。感覚、思考、身体、そしてそれらを見るものを見るようにしているが、悟れない。
悟ろうともせず、悟ろうとしている自分を含めて、淡々と観察していればいいのだろうか?
66
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/15(金) 22:02:16 ID:HYc4RqWk0
>>62
どういたしまして、またおいでなさい。
>>64
そうじゃ、励むのじゃ。
またおいでなさい。
>>65
それらを観察するのはつまる所、自分と言うものを観察するためなのじゃ。
自分とは何か?
何が自分なのか?
何を感じる時に自分と言うものを感じるのか?
何を考える時、自分というものを考えているのか?
それらを深く追求するのじゃ。
今まで観察してきた事もその追求の助けになるじゃろう。
恐れを乗り越えて追求し続けるならば悟りはやってくるじゃろう。
67
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/16(土) 02:56:01 ID:LC3de7YgO
鬼和尚 こんばんは(*^(ェ)^*)/
瞑想中にわく雑念、そのぼーっと考えている主体は自我に相違ないと思いますが、雑念に気付き集中対象に戻る瞬間を観察してみると、一瞬前まで明瞭に浮かんでいたことがらが、すーっと跡形もなく消える。夢から覚める時に似て、とどめようと意識しないとどんな雑念かも思い出せなくなる。
ということは、自我とは夢のようなものなのかな…と思いました。
ところで、ケッカフザにもすっかりなれ、足の痺れが瞑想の邪魔をすることはほとんどなくなりました。股関節や足首の柔軟性が増し身体が慣れたというのは間違いないのですが、多少痺れがある時でも、それが=邪魔=苦に繋がらなくなっているように感じます。
以前、ケッカフザができるようになって、まだ痺れと悪戦苦闘しているときでしたが、2週間ほどの期間、痺れが抜歯時の麻酔をしているときのように全く感じなくなったことがありました。このての瞑想中に経験する自分にはまだ早すぎるだろうと思われる経験は、案の定しばらくの間で消えますが、あの麻酔をしているときのような感じが、厭離なのでしょうか?
今感じてる、痺れがあってもそれが邪魔にならない感じも厭離と言えるのでしょうか?
68
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/16(土) 10:15:10 ID:YXJjgr6A0
鬼和尚、
パパジも悟りを得ているのでしょうか?
https://www.youtube.com/watch?v=-ZKOcT9rRo8
では、時々眼が動いているように見えますが。
69
:
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70
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71
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/16(土) 21:53:38 ID:3LAmjuRw0
>>67
それも厭離と言えるじゃろう。
感覚と感覚の認識をも厭離したのじゃ。
感覚を認識すれば肉体はどうかしようと動くからのう。
それをも厭離すれば動きはなくなるのじゃ。
>>68
悟りを得ているのじゃ。
話す時は人に合わせて動くのじゃ。
死人のように止まる時があるのを観察するのじゃ。
その時、心の働きも止まっているのじゃ。
よく観察すればわかるじゃろう。
72
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73
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74
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 10:05:48 ID:LC3de7YgO
>>71
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
痺れがチョピッと厭離できて、集中力がチョピッとついてきたら、今まで覚悟を決めて心の奥底まで観察し尽くしてやろうと挑んでも、表層しか見えなかったものが、瞑想している時以外の時に、突然顔をのぞかせるようになって来た気がします。
心の奥底に沈殿した不安、悲しみ、恐怖、怒り、劣等感その他もろもろを洗い出して総決算したいのですが、なかなか難しいです。
75
:
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76
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 17:05:13 ID:soTtGdp20
鬼和尚
世界は我々の本質である唯一の意識から生じている
この書き込みも、書き込んでいる主体があるから存在する。
この主体は、書き込み、質問し、眠り、走り、歩き、笑うとき、常に、先行して存在する。
それがあるから、書き込みがあるし、質問があるし、生活もある。
しかし何故、我々は、その意識と共にあることに満足できないのでしょうか?
何故、質問し、生活し、働き、考えたり、感じたりする方に意識が向い、根本意識が忘れ去られるのでしょうか?
77
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 17:18:47 ID:cOc9qv.Q0
根本意識にとどまることが、それほどまでに、素晴らしいことであれば
どうして人々は、それを忘れたかのように振舞うのでしょうか?
それに、根本意識が実体で、あらゆる現象が影であるとしたら、どうして影を実体として見る倒錯が
そもそも起こり得るのでしょうか?
全現象は本質(である唯一の意識)の影である。と賢者は口をそろえて言います。
全現象が虚構だということを受け入れます。しかし本質が現れることもありません。
「全現象は虚構だ」という思考があるだけです。
この思考を消すには、思考しない、思考しないこともしない、あるがまま、あらわれるまま、と言う態度しかないでしょう
しかし、それは、感覚や思考がとりとめも無く生じては消える世界であり、月はいまだ姿を現さないです
78
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 21:21:16 ID:1/XG4j0Q0
>>71
確かに時々、時間が止まったかのように動きが止まる時があります。
他にも覚者のいろいろな動画を観察してみます。
ありがとうございました。
79
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 21:49:44 ID:MFVM1ArA0
確かにプンジャジは、話の途中で、ふっと一時停止するよね。
一休さんの「一休み一休み」みたいに、一瞬無になって、おのずから智慧や言葉がわいてくるのを待つみたいな。
80
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 21:56:31 ID:F0lYHkKQ0
行為を真我に任せると言うことを、普通中々出来ませんが、出来る限り
プンジャジや一休さんのように、静けさを保ち、なるべく自我の活動を弱めるように
勤めるべきでしょうか?
81
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 22:00:40 ID:fb9.7IYY0
静けさを保ち、自然に行為が生じるのを待つ。
プンジャジの動画を見ると、万事においてそんな感じがします。
鬼和尚はどうでしょうか? 例えば、配達で迷ったときや、2chで書き込みをするときなど
瞑想などを通して自我の働きを無くすようにした方がよいのでしょうか?
「よい」が何を意味するかは不明でありますが、真我は選択において何を志向するのでしょうか?
82
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/17(日) 22:15:44 ID:FGqBj7Ig0
>>74
良い事じゃ。
何度も実践すれば可能になるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
>>76
>>77
認識能力が記憶に依存しているからなのじゃ。
そうであると過去の記憶を延々と繰り返すだけで意識には気づけないのじゃ。
過去の記憶が今の人生に成ってしまうのじゃ。
実際に忘れているといっても良いのじゃ。
記憶を見れば倒錯も起こるのじゃ。
>>78
そうじゃ、グルジェフも止まっているじゃろう。
心が止まれば体も止まるのじゃ。
いろいろ観察してみると良いのじゃ。
83
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/17(日) 22:27:50 ID:FGqBj7Ig0
>>80
日常も静かにしたほうが良いのじゃ。
寺や修行場はそのためにあるのじゃ。
社会では難しい事では在るがのう。
>>81
わしも時々止まるのじゃ。
瞑想によるのが良かろう。
真我は無の修行のための観念であるから何も志向しないのじゃ。
ただ無によってのみ表されるだけなのじゃ。
84
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/17(日) 23:07:23 ID:F9rXfBIY0
記憶を焼き尽くすには?
85
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/18(月) 14:21:39 ID:ZneemYIM0
しかし、マハリシ、マハラジ、プンジャジ、釈迦(釈迦は諸説あるが)、鬼和尚は、恐ろしいほど、目指すところが同じですよね。
(釈迦は別として)皆、マハリシの弟子や孫弟子だから?
それとも単純に、それが「真理」だからと言うべきでしょうか?
アンチの人は、「鬼和尚は真似をしてるだけだ」みたいなことを言うでしょうが、真似にしては、修行体系に独自なものがあります。
明らかに自力で目的地まで切り開いていった人特有の自信や確信が彼らの発言からは感じられます。
マハラジ・マハリシ・プンジャジ・鬼和尚はまったく同じ地点から、修行者にアドバイスをしています。
同一人物が別の切り口から話しているようにすら見えます。
この四人のうち誰の本や発言から学んでも、同じように悟りに到達するように思われます。
86
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/18(月) 16:49:17 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は焼身自殺もやらないだけで全然苦にならないし楽しいくらいだみたいなお話でしたが、
痛みをコントロール出来るのでしょうか?
以前、苦は厭離出来るが、痛み自体はあるのじゃみたいな話しもありましたが、火に包まれたら相当痛いと思うので、ある程度、痛みも消す事が出来ないとやってられないと思うのですが
どうなのでしょうか?
87
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/18(月) 21:15:37 ID:1mQKjCa60
>>84
観察すると良かろう。
さらに希望する記憶が焼けたとイメージすると良かろう。
焼けたと思うじゃろう。
>>85
お釈迦様の教えなのじゃ。
経を読めば全て書いて居るのじゃ。
>>86
痛みをコントロールするのは簡単なのじゃ。
おぬしも例えば右手が傷ついたならば、反対の左手に集中したりしてみるのじゃ。
痛みが遠ざかるじゃろう。
更に強く集中するならば痛みもなくなるのじゃ。
ヨーガでもやっているのじゃ。
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:
避難民のマジレスさん
:2014/08/18(月) 23:34:41 ID:Q4ca3lsg0
鬼和尚さん、こんにちは。
久しぶりにまた質問させてください。
最近、国際ニュースなどで戦争や内戦などの話を聞くと、とてもうんざりして重い気持ちになってしまいます。
この重い気持ちというのも、苦なのでしょうか?
もし苦であるのならば、お釈迦様の教えで、それがあった場合と、なかった場合の心の変化を観察するという方法で、この苦を滅することができるようになるのでしょうか?
でも、何度もやってみましたが、なかなか苦は消えません。
自分がその苦を観察しても、戦争の原因は消えないし、戦争がなくならないという気持ちがあるからだと思います。
それでも、この方法をさらに繰り返すことで重い気持ちを消すことができるようになると考えていいのでしょうか?
それとも、もっと別の方法や考え方がありますか?
91
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92
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/19(火) 10:24:10 ID:LC3de7YgO
>>82
鬼和尚、ありがとうございます。さて、(´・(エ)・`)?
無我を知るとは、自他の別なく、快不快、善悪、生死の別もない。全ては幻想であり、時間すらない・・と言う理解でよいのでしょうか?
悟るとそれらの簡単にはに了解できないことが実感できるのでしょうか?ん?実感ではなく、そうであるということに気づくとでもいうのでしょうか?
あるいは修行が成就したさいに全く違う悟り方をすることもあり得るのでしょうか?
善悪をとりあえず分別するのは、修行を支障なく進めるための便宜に過ぎないのでしょうか?
悪よりも善を求めるのでべきであるということは、便宜以外に導かれないのでしょうか?
ひたすら個人が苦から免れ救われるための技法を説いたのがブッタであり、そもそも幻想である外界のことには関わらないのをよしとするのでしょうか?
93
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/19(火) 21:32:36 ID:T.czC.tY0
>>90
おぬしが苦であると思えば苦なのじゃ。
そのような外の現象などが原因ではないのじゃ。
原因は常におぬしの心の中にあるのじゃ。
そのように感じる原因をおぬしの心の中に探すのじゃ。
昔戦争で悲惨な話を聞かされたからかも知れん。
そのような原因を心の中に探すのじゃ。
>>92
無我は知るものではなく体感するものなのじゃ。
悟りに入る以前でも無我は感じられるのじゃ。
おぬしも寝ている時や起きて直ぐの時には無我なのじゃ。
それを良く観察してみるのじゃ。
善悪は人々を教化するためでもあるのじゃ。
実際に悪事をしていれば身は滅び、善事をしていれば栄えるのじゃ。
この世の全ては心によって作られているのであるからのう。
他人を害すれば己が滅び、他人を喜ばせれば自分がさかえるのじゃ。
外界も自らの心の表れなのじゃ。
己の心を整えれば世界も整うのじゃ。
94
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/19(火) 23:25:51 ID:nLaH1F/E0
仏道のみで大成しない場合、他の宗教とセットでやる方がいいのでしょうか?
また、その時はどの宗教とセットでやるのがオススメでしょうか。その場合にはその理由も知りたいです
この質問の回答を鵜呑みにするつもりはありませんが、一理あることを仰ることの多い鬼和尚ですので、一応と思いまして
95
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/20(水) 13:01:18 ID:bPo10ZV60
>>93
鬼和尚さん、ありがとうございます。
鬼和尚さんに質問して、答えていただいたおかげで、少しずつ自分の心がわかってきました。
自分の心を観察してみた結果、なぜ戦争などの報道で不快になってしまうかというと、そうなることが、自分を防衛するために必要だと無意識に思っているからのようです。
戦争の話を聞いても心が平気になってしまったら、戦争から自分を防衛したり、戦争を防いだりできなくなってしまう気がしているのです。
それがわかって、ニュースを聞いても心が動揺しないでいられるような気がしてきました。
ありがとうございます。
ただ、戦争など遠くの話なら、冷静になることが逆に自分の身を守ることになると何となくわかるのですが、それがさらに身近なことになると、そう考えられない場合があります。
たとえば、自分が本屋の店員だとして、不審な客を見ても平気な顔をしていたら、本を万引きされてしまうのではないか、と考えてしまうような場合です。
不審な客を見たら不快になることが、自分の身を守ることになるように思ってしまいます。
こういう場合はどう考えたら良いでしょうか?
同じように駅のホームで人にぶつかられた時など、すぐにイライラしてしまいます。
そういうのも結局は自分の身を守りたいからだと思います。
自分の身を守りつつ、苦をなくしたり、不動心を身につけるには、どうしたら良いのでしょうか?
鬼和尚さんはどう考えたら良いと思われますか?
96
:
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97
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/20(水) 15:53:24 ID:LC3de7YgO
>>93
鬼和尚、ありがとうございます。
私はいろいろ混同しておりまして、無我とは、意識と無意識のはざま、意識の空白地帯みたいなものでありますか?
>自他の別なく、快不快、善悪、生死の別もない。全ては幻想であり、時間すらない・・
とは、悟りの境地の説明でありましょうか?
全ては、心が作り出したものと言う思想は潔く、清々しく感じます。全責任は自分にあり、得たいもの全ては既にここにありということでありましょうか?これが悟りの境地でありましょうか?
チョピッとづつしか進みませんが、目標達成に向け邁進しますヽ(・(∀)・)ノ
98
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99
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/20(水) 22:28:15 ID:SWqJzPrs0
>>94
オショーとか、クリシュナムルティなどを参考にすると良かろう。
マハリシも良いのじゃ。
人類に普遍的な悟りという現象を知る事が出来るじゃろう。
>>95
考えるのではなく観察してみるのじゃ。
身辺を警戒するのも不快にならずにできることがわかるじゃろう。
不快に成るのは自分のイメージを守るためである事も多いのじゃ。
自分のイメージが盗みや人にぶつかられた事で損なわれたりするのが原因かも知れん。
それを自分の心の中に観察してみるのじゃ。
何のイメージも無ければ身を守りながら、苦を滅し、不動心もみにつけられるじゃろう。
>>97
悟りの境地は言葉によって現されるものではないのじゃ。
言葉にすれば全ては嘘になるじゃろう。
忘我によるサマーディも悟りと勘違いする事もあるじゃろう。
いかなる言葉もイメージも表現できない境地が悟りの境地なのじゃ。
自ら実践して知る以外に無いのじゃ。
100
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 00:39:57 ID:zBaYOPCo0
>>99
鬼和尚さん、ありがとうございます。
不快にならずに身を守ることができるというのは、何となくわかってきた気がします。
でも、鬼和尚さんの言われた、自己イメージについて、よくわからなくなってしまいました。
不快になるときは自己イメージを守ろうとしているのではないか、ということなのですが、これは観察せずとも、まさにその通りなのです。
自分を守りたいという場合の自分には、自己イメージも含まれているのです。
というのも、私は、その人の自己イメージは大切にしてあげるべきだという価値観を持っているからです。
たとえば、小さな女の子が、自分は可愛くて誰からも大切にされる存在なんだ、と思っていたら、そのイメージを大切にするように教えたいし、そのイメージを壊そうとする人がいたら、その人から身を守りなさいと教えると思うのです。
同じように、自分の自己イメージを守ることは大切だと思っているのです。
でも、こういう考え方は間違っているのでしょうか?
自己イメージがない人生というのは、具体的にはどういうものなのでしょうか?
どんなときに、どう振る舞っているのでしょうか?
101
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 01:51:55 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は睡眠時毎回意識がありますか?
それとも意識が消える事がありますか?
意識がありながら熟睡できますか?
102
:
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103
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 03:38:19 ID:ccOlWqU60
鬼和尚さま
身体や心の反応の話が上であがっていますが、
悟っている人(完全に厭離できてる人)の場合、例えば急にワッと声などかけられて驚かされた場合、
どうなるのでしょうか?
あるいは手に触れたヤカンが熱かった場合、熱ッと一瞬の反応、驚きはあるのでしょうか。
驚く
驚く反応を示すがそれを厭離して観てる
驚かない
それ以外
心の反応はないとしても身体の反応はあるのでしょうか。
驚くというような反射に近い反応は、人間の原始的な反応のようにも思いましたが、
一切に執着なく、驚く必要もないなら、反応もせず驚かないのかもなあと思いました。
そうなると、悟ると何も反応しなくなる(反応が自在になる)のでしょうか。
観察によって心や身体が自分でないとわかっていくとどの様になるのか、
お聞きしたいです。
104
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 03:54:07 ID:LC3de7YgO
>>99
鬼和尚、ありがとうございます。
>自他の別なく、快不快、善悪、生死の別もない。全ては幻想であり、時間すらない・・
>この世の全ては心によって作り出されている
とは、唯心論の説明でありますか(´・(エ)・`)?
さて、これからすわります。
105
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 10:11:08 ID:LC3de7YgO
>>104
訂正; 唯心論 → 唯識論 の説明ですか?
106
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 11:57:41 ID:nLaH1F/E0
>>99
94ですが、ありがとうございます
クリシュナムルティの言葉に耳をかたむけてみました
彼の言葉は文学的でとても含蓄がありますね。参考になります。ありがとうございます
107
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108
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109
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 16:37:51 ID:zXulYfnQ0
鬼和尚、
自分が自分であると認識しているときにある感覚と、自分の名前などを思い浮かべた時に生ずる自分のイメージは、私の観察では同一のものには観えません。
前者はイメージというよりは、体に生じる感覚に近いものであり、後者は、感覚というよりは映像を伴った雰囲気といった感じです。
それらは別々のものなのでしょうか?
それとも、観察が不十分なために違うように感じられるだけでしょうか?
あるいは、そもそも観察対象が間違っているのでしょうか?
110
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 18:22:27 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚
鬼和尚の昔の書き込みで読んだんですけど
集中力をつければ本当に
・自他の前世が見える!
・幽体離脱できる!
・宇宙人と話ができる!
といったことが可能になるのでしょうか??
111
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 18:28:18 ID:jfWCoXjM0
それと何で集中力をつけたら
上記のことができるようになるのかも
教えてくれませんか??
よろしくお願いします。
112
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 19:35:24 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚の世間での武勇伝(逸話)を聞きたい。
どうやって、頓智で切り抜けたとか。こうやって調停したとか。
世間で悟った人の智慧がどのように発揮されているのかをお教えください。
113
:
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114
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/21(木) 22:16:14 ID:7.u595ig0
>>100
考えに間違いも正解も無いのじゃ。
ただ囚われれば苦になるだけなのじゃ。
自己イメージが無いことが本来の状態なのじゃ。
自己イメージを己そのものと思っている事が謬見なのじゃ。
自己イメージが無ければ正しい認識があり、智慧が起こり、臨機応変に振舞えるのじゃ。
直ぐにその境地を目指さなくとも、瞑想をして目指すと良いのじゃ。
>>101
意識は常に在るのじゃ。
肉体が熟睡していても意識は在るのじゃ。
本当は誰にでも在るのじゃ。
>>103
驚かないのじゃ。
その場に応じた適切な行動を取るじゃろう。
肉体が自然に反応するのじゃ。
>>104
>>105
それは実感であり、論ではないじゃろう。
思想も思考も無いのであるからのう。
言葉も無ければ説くことも無いのじゃ。
ただ実践在るのみなのじゃ。
>>109
それで良いのじゃ。
同一と思っている自我が別々に投射されている事がわかったのじゃ。
例えば人は意志によってダイエットしようとするが、直ぐに感情や感覚で多く食べたりする。
そのような投射する対象によって分裂的な性質があるものじゃ。
投射するという仕組みは変わらないが、対象によって性質が変化するのじゃ。
そのように別々のものとして感じるものが本当に主体であり、己であると言えるのであろうか?
それを良く観察してみるのじゃ。
>>110
>>111
出来るじゃろう。
常識や恐れによって見ようとしなかった事が見られるようになるからなのじゃ。
不安や恐怖や条件付けによっておさえられていた本来の能力が、集中によって発揮できるのじゃ。
試してみるのじゃ。
>>112
ある日 道を歩いていたのじゃ。
横で何か音がしたと思ったら体が勝手に後ろに動いたのじゃ。
そこに車がやってきたのじゃ。
わしの体と5センチも離れていないところでとまったのじゃ。
そのままでいたら轢かれるところだったのじゃ。
体が危険に勝手に反応したのじゃ。
115
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 22:53:49 ID:LC3de7YgO
>>114
鬼和尚、ありがとうございます。
>自他の別なく、快不快、善悪、生死の別もない。全ては幻想であり、時間すらない・・
>この世の全ては心によって作り出されている
とは、言葉で表現できない悟りの境地をあえて表現した「実感」でしょうか(´・(エ)・`)?
116
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/21(木) 23:14:44 ID:cUE805gA0
和尚、こんにちは。
心の自動反応についてご教示ください。
たとえば道を歩いている時に綺麗な女の人とすれ違って、
①うほ、いい女。
と思ったとします。しかしすぐに、
②おっと、いかんいかん。違うことに集中して考えないようにしなければ。
と思い直したとします。
①の場合は女の人を認識して過去の記憶から自動的にデータを拾い上げてきた思考だと思います。
しかし②の場合はどのような回路を辿ってきた思考なのでしょうか。
女の人を見て「いい女だ」と思った。
その思ったことに対して、「いかんいかん」という記憶データにリンクしたのでしょうか?
もしそうなら、「いかん」という自制もまた記憶の参照ということになります。
であるなら、「いかん」と思うのと「もっとお近づきになりたい」と思う分岐点は何が決めているのでしょうか?
蓄積した記憶データの容量によって決まるのかなと思ったのですが、どうもそれが決め手ではないような気がします。
和尚はどのようにお考えでしょうか。
117
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 01:43:07 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚ありがとうございます。
体の自動反応によって車に轢かれずに済んだのですね。
では心の自動反応のエピソードは無いでしょうか?
ちなみに自動反応は記憶の条件反射の場合も多く、現実に則さないネガティブな結果になる場合も多いですよね。
悟りを開いた人は記憶に依存していないので
心の自動反応もその瞬間に応じた適切なものになるのでしょうか
具体的なエピソードがあったら教えてください。
118
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 07:15:06 ID:JJovXCcM0
鬼和尚
行動をしているとき、「誰が行為しているのか」と問う。
(たとえば食事しているときなら)
歯が私か?胃袋が私か?体が私か?・・あるいは思考作用が私か?
気力や生命力が私か? 身体の動きに気づいている私が居る、思考に気づいている私が居る。
生命力に気づいている私が居る・・このように一つ一つ、「私ならざるもの」を確認し、
概念ではない意識を探っていますが、どうしてそれは、確信を持って見つからないのでしょうか?
それに気が付いたときは、気が付いたとわかるものでしょうか?
探している自分が、「それ」なのであるから、探すこと自体が矛盾ともいえますが。
119
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 07:22:08 ID:GkGPK7uM0
探っている意識を見ている意識があることを意識していますが
かといって、悟りを開いたという感じはしません。
これが悟りならば、そんなに大した話でもないような気もします。
いまだ概念を意識と見違えているのでしょうか?
120
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 12:31:09 ID:Ixi5VWxw0
>>114
ありがとうございます。
自我は、これまでの経験によって記憶された言葉とイメージに過ぎないので、投射する対象が変われば想起されるイメージも変わるということでしょうか?
ということは、逆に対象が同一なら、想起されるイメージも同じとなり、それが、いつもと同じ自分という認識を生じさせるということですか?
それでふと思ったのですが、観想や、自分に向かって言葉を使う事などによって、自分が実際には対象となる行動や認知を行っていなくとも、その対象に投射されるはずの自我イメージを想起・認識することはできるのでしょうか?
例えば、実際に頭を掻いている時に、「頭を掻いている自分」という自我イメージが投射されるとすると、言葉で「私は頭を掻いている」などと思うことで、頭を掻いていなくとも、その同一の自我イメージを想起し、それが認識されるというように。
自分の観察では、体の感覚でやろうとするとできるように思うのですが、思考でやろうとすると、混乱してしまいます。
121
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 13:06:54 ID:gEQ1ylXs0
>>114
鬼和尚さん、ありがとうございます。
自己イメージについて観察してみましたが、たしかに、自己イメージに囚われることによって、苦が生じていることは多い気がします。
自己イメージは、自分が成長するのには必要だと思うのですが、それに捕らわれてしまうと、不動心は得られないと思いました。
とくに、他人からこう思われたい、という欲求が生まれる時がいちばん苦が生じていると思いました。
ただ、あまりに一瞬の内に生じている欲求なので、どうしたらいいのかわかりません。
鬼和尚さんは瞑想をすると良いとのことですが、どうしたら、この欲求と、それと同時に生じている自己イメージとをなくせるのでしょうか?
心をさらに観察して、欲求の生じる原因を探っていけば徐々に欲求が起こらなくなっていくのでしょうか?
122
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 13:45:41 ID:nLaH1F/E0
クリシュナムルティは霊媒体質で、彼の教えと彼自身の言動が一致しない場合があると聞きました
これが本当ならクリシュナムルティは憑依してきた霊的な何かの言葉をそのまま言って、更にクリシュナムルティ本人はその言葉に従わないことがあったということになります
この場合、彼の言葉は信用できないと思うのですが、どうでしょうか?
123
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 14:15:19 ID:nLaH1F/E0
それと、クリシュナムルティの話題とは別にもう一つ
私は周りとの関係性によって作られていった人格なのだと「観察」を通して気づきました
そして、その人格は私にとっては無理があるもので、とても苦痛でした
周りとの関係性が続く限り、私はその人格でいることを強いられます
その反動でいまは「本来の自己(ありのままの自分)」に回帰しようとしています
ありのままに戻るということは自らにある美も醜も受け入れて理解していくことかと思っています
そしてここからが本題でありまして
その過程、ありのままに戻るという変化を望んだ時、変化しようとするわけですが
その変化の機会はいつも理不尽さを伴って訪れるのです
その結果、変化はきちんと完了します
そしてそのたびに心に傷を負っていくのです
むしろ、その暴力的なまでの理不尽さがあったからこそ望む方向に変化できたのかもしれないとは思いますが
これは傷つかなければありのままの自分には回帰できないということなのでしょうか?
それとも、まだ理想的な自分になろうという慾を心のどこかで棄てきれていないということなのでしょうか?
痛みがなければ人は変化しないというのは真理かもしれませんが、ありのままの自分に回帰するような時にもあり得るものなのでしょうか?
124
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125
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 18:07:27 ID:bGlIZLtM0
体感的に、「体は私ではない、心は私ではない、思考は私ではない・・・それらを見ている意識がある」と言う瞑想をしていくと
割と、スムーズに仕事などが出来るような気もします。
プラセボかもしれませんが。
まだ、《意識》を捕らえられないで居ますが、方向としては間違っていないでしょうか?
126
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/08/22(金) 19:02:32 ID:6u8D78pg0
鬼和尚
記憶が厭離されたかもしれません。
目を閉じて、その瞬間を見ていました。
不思議な感覚でした。
127
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/22(金) 21:56:27 ID:nzrQJU8U0
>>106
どういたしまして、またおいでなさい。
>>115
それもまた気づきと言えるじゃろう。
しかしそれにも囚われずに進むのじゃ。
囚われれば記憶になり、障害になり、苦にもなるのじゃ。
一切を捨ててさらに進むのじゃ。
>>116
それは自分をみはり、律しようとする心の働きじゃろう。
常に心掛けていればそのように適時に起こる働きなのじゃ。
普段は意識しないだけで、常に働いている心がけなのじゃ。
>>117
それもまた心によって感知して肉体を動かした反応なのじゃ。
全ては心によって動くのであるからのう。
前に書いたのが記憶に因らない適切な行動と言えるのじゃ。
もし車の音などを聞いて横に逃げれば良いと記憶に因って動いていたならば、轢かれていたかも知れんからのう。
>>118
未だそれを観るのに不安や恐れがあるからじゃろう。
自分に見せないようにしている心の働きも観察して観るのじゃ。
例えば手を見れば手を見たと判るように、気付きは明白に判るのじゃ。
判らないと言う事はありえないのじゃ。
文字通り気付く事であるからのう。
>>119
悟りは自分だと思っているものが観念であり、己ではないと気付く事から始まるのじゃ。
そして認識をも滅して大悟徹底するのじゃ。
意識を観ているだけならば、止の行に止まっているだけなのじゃ。
むしろ観察によって悟りは開かれるのじゃ。
その意識から自我が記憶から思い出され、起こるのを観察してみるのじゃ。
上手く行けば観照が起こり、自我は厭離されるじゃろう。
128
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 22:07:45 ID:fYj0mFGQ0
> 意識を観ているだけならば、止の行に止まっているだけなのじゃ。
> むしろ観察によって悟りは開かれるのじゃ。
これがよくわからない。
自我を滅するのは、目的ではなく「意識」に帰する為の手段なのでは?
永遠の意識の実在を知ることが悟りではないのですか?
129
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 22:21:59 ID:fYj0mFGQ0
要するに、静的な理解ではなく、動的な理解が必要と言うことでしょうか?
ただ、意識から自我が生まれるということを観察で見切ったとしても
意識の永遠性とは関係がないと思うのですがいかがでしょうか?
自我が意識から生まれるとしても、永遠性とは関係が無い。
意識が恒常的であると言う為には、何を持ってそれを知るのですか?
意識よりも長生きして観察しなくては、意識が永遠かどうかわからないが
すると矛盾が生じる。論理的に考えると、永遠の意識を証明するのは無理です。
130
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/22(金) 22:33:04 ID:nzrQJU8U0
>>120
そうじゃ、そのような作用もあるのじゃ。
人はいつもの環境から、いつもの自分と言う感覚を起こすものじゃ。
環境が変わるとイメージも変わり、人が変わったという印象になるのじゃ。
観察してみるのじゃ。
そのような事もやれば出来るじゃろう。
いろいろ試してみるのじゃ。
>>121
まずは原因を探すのじゃ。
そして原因から欲求が起こり、原因が無ければ欲求も起こらないと観察するのじゃ。
そうすれば欲求も消えるじゃろう。
>>122
そのような事は無いじゃのじゃ。
クリシュナムルティは確かに悟っているのじゃ。
あくりょうとか無いのじゃ。
安心して読むが良いのじゃ。
>>123
そのように感じるのはおぬし自身に変わることに対する恐れや抵抗があるからじゃろう。
恐れや抵抗が傷つくように導くのじゃ。
全てはおぬしの心が作り出しているのであるからのう。
理想の自分を目指して良いのじゃ。
そして心の中に抵抗が無いか探してみるのじゃ。
分裂した心が作り出す状況を観察によって滅するのじゃ。
131
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 22:35:02 ID:fYj0mFGQ0
https://www.youtube.com/watch?v=oGOAFWZGwm4
鬼和尚。↑この動画の赤いシャツを着た男性は悟ったのでしょうか?
132
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/22(金) 22:41:28 ID:nzrQJU8U0
>>125
そのような瞑想を習慣的にしていてはいかんのじゃ。
常に新しく今ここに起こる自分を捕らえるのじゃ。
仕事のためだけにやるのならば良いがのう。
悟りを目指すには自分を追及しなくてはいかんのじゃ。
>>126
それも気付きといえるじゃろう。
記憶もまた己ではないからのう。
さらに精進あるのみなのじゃ。
133
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 22:52:43 ID:fYj0mFGQ0
>>125
そのような瞑想を習慣的にしていてはいかんのじゃ。
体は私ではない、心は私ではないと一つ一つ確かめていく方法は、よくないということでしょうか?
134
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 22:56:47 ID:fYj0mFGQ0
> 悟りを目指すには自分を追及しなくてはいかんのじゃ。
「習慣的に」或いは「概念的に」なっているということでしょうか?
いまここの自分を追及していくと、キーボードを打っている指先は自分ではない、
何を書こうかと考えている思考も自分ではない・・このように見ていくことは「自分を追及していること」とは違うのでしょうか?
135
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/22(金) 23:03:00 ID:LC3de7YgO
>>127
鬼和尚、ありがとうございます。
そうでありますね。海を見たことのない私はにいくら言葉で説明されても決して正しく理解できない。野を超え山越え海に辿り着き、飛び込んで全身で感じとるしかないのでありましょうヽ(・(∀)・)ノ
今朝やってみたのは、気に集中し、その集中していることを意識したら、意識したことに気づき・・・と、どんどん意識をラップでくるんでゆくみたいなことを、あ〜ぁ…と思うまでやってみる。それを何度かやってみる。 あまり効率良くないみたいです。
呼吸は過剰に意識を向けると、乱れますが、気は意識を向けても向けなくてもそこにあるものと感じられるので、集中対象として適しておりますね。
137
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 01:33:28 ID:G.k9jJCg0
>>130
鬼和尚さん、ありがとうございます。
>>121
です。
ようやく、観察の仕方が本当にわかってきました。
不動心を身につけたり、苦をなくす道が見えてきました。
何度も質問に答えてくださり、ありがとうございました。
138
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139
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/08/23(土) 10:57:06 ID:6u8D78pg0
>>132
ありがとうございました。
140
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 12:19:36 ID:nLaH1F/E0
>>130
>>122-123
です。返答ありがとうございます
“Lives in the Shadow With J. Krishnamurti”by Radha Rajagopal Slossという本にクリシュナムルティの不倫や浮気話など書かれてあったというので、色々思うところありましたが、あまりこだわらないでおくとします
よしんばクリシュナムルティの身体に何かが降りてきていたとしても、それは悪霊ではなくて、マイトレーヤのはずでしょうから。盲目は好きませんので、しっかり吟味して認識のバランスをとっていこうと思います
そして、理想の自分を目指して良い、ですか……
クリシュナムルティは「あるがままのもの」を説いていたそうですが……彼自身が彼自身の発した言葉に対してきちんと疑問を持って探求するようにと勧めていますので、やはり鵜呑みにするのも違うのでしょうか
変化への恐れや抵抗がもとになって変化に痛みが伴ってしまう、というお話は腑に落ちました。一理あります
141
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 13:05:48 ID:cUE805gA0
>>127
ご返答ありがとうございます。
>普段は意識しないだけで、常に働いている心がけ
なるほど、バックグラウンドで動いているプログラムのようなものですね。
欲が薄くなるにつれ、そちらの方のCPU使用率が上がるような感じでしょうか。
なんとなく腑に落ちました。
ありがとうございました。
142
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144
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偽和尚★
:2014/08/23(土) 18:04:07 ID:???0
>>41
でお願いをしましたが相変わらずこのスレに無関係な邪魔な書き込みがされていますので
そろそろ削除をしようかと思います。尚、削除される書き込みはこの板のローカルルールの通り、
こちらの独断で勝手に決めます。間違いで関係する書き込みも削除してしまう可能性もあるため
このスレの内容を保存しておきたい方は自分で日々バックアップを取ってください。
削除の実行はなるべく今から24時間以内は行わないようにしますが、約束はしません。
気が変わったらすぐやります。
また、削除を何度しても相変わらず同様な無関係な書き込みが行われた場合は規制を行います。
その際 IP アドレスやプロバイダなどは晒すかも知れません。
145
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 19:29:38 ID:WjNAd/8g0
>>130
どうやら本当に、自我は記憶の想起に過ぎないのではないかと思ってきています。
実際に自分で観察して確かめたいです。
さらにいろいろ試して精進します。
お答えくださり、ありがとうございました。
146
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:
避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 20:44:24 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚説法集をいずれ紙の書籍としても入手できるように、電子書籍版をbccksにアップロードしました。
http://bccks.jp/bcck/126651/info
前回鬼和尚のブログを電子書籍化しましたので、今回はブログと重複する説法を除き、したらばでの説法を加えました。
校正が済んだら、紙の書籍も発行する予定です。一週間後くらいを予定しています。
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鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/23(土) 22:03:21 ID:SWqJzPrs0
>>128
>>129
何かを知ったり、一時的に体感する事が悟りではないのじゃ。
本来の状態にたどり着く変化を起こすのが悟りなのじゃ。
それには自我を滅する過程が欠かせないのじゃ。
その意識を一時的に感じたり、知ったりする事はサマーディによる忘我でも起こるのじゃ。
しかしサマーディが終ると元の自我が戻ってしまうじゃろう。
自我を滅するのも手段であるが、それを通らずには悟りへは至れないのじゃ。
意識から自我は生まれないのじゃ。
ただの観念が己であり、主体であると誤って見られているだけなのじゃ。
歪んだ眼鏡を通してみれば世界も歪んで見られるように、観念を己であり、主体であると認識していれば全ては誤ってみる事しか出来ないのじゃ。
時間もまた観念に過ぎないと知れば、永遠に気付くのじゃ。
全ては時間が無く変化も固有の特徴もなく、同じ平等の本質を持ち永遠であると言えるのじゃ。
言葉通りではないがのう。
自我の謬見を去ればそれが常に如実に感じられるのじゃ。
それが自我を滅し認識をも滅して至る真の悟りなのじゃ。
>>131
悟っていないのじゃ。
知識はあるようであるがのう。
気付きがあったようじゃ。
>>133
>>134
それが習慣となり、慣例としてやっていてはいかんのじゃ。
特に仕事などで効率を求めれば、仕事の為に習慣化が進んでしまうじゃろう。
手は自分ではないと思い、本当に厭離が起きれば手は止まるじゃろう。
それが起きないように効率化の習慣が出来てしまえば、方法が逆に罠になるのじゃ。
習慣ではなく、注意深い観察によって刹那の今ここにある心の働きを観るべきなのじゃ。
>>135
そうじゃ、言葉に囚われず、自らの観察を深くするのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
152
:
避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 22:16:53 ID:NpBkhqbI0
>ただの観念が己であり、主体であると誤って見られているだけなのじゃ。
誰が誤ってみているのでしょうか?
意識ではないですか? 意識以外のものでなければなんでしょうか
観念が観念を誤ってみているのですか?観念ごときに惑わされる意識とはなんでしょうか?
153
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/23(土) 22:22:43 ID:SWqJzPrs0
>>137
良かったのじゃ。
実践が全てじゃ。
またおいでなさい。
>>139
どういたしまして、またおいでなさい。
>>140
そうじゃ、それも参考にして自分の道を行くが良いのじゃ。
それが結局は近道であり、唯一無二の道であるのじゃ。
>>141
そのようなものじゃ。良く観察すれば気付くじゃろう。
またおいでなさい。
>>145
どういたしまして、またおいでなさい。
154
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2014/08/23(土) 22:24:05 ID:SWqJzPrs0
>>144
ご苦労さんじゃ。正に明王の如しじゃ。
>>147
ご苦労さんじゃ。正に菩薩の行いじゃ。
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避難民のマジレスさん
:2014/08/23(土) 23:30:45 ID:LC3de7YgO
>>151
鬼和尚、ありがとうございます。
集中力もイマイチ一進一退なのでありますが、観察も始めています。
どっちか一方にしないと何をやってるのか分からなくなるとのことでありますので、陽気を感じなから、ぼぉ〜っと雑念がわくのを待ち、時に雑念に巻き込まれながらできるだけ早く気付き、その瞬間をとらえることに挑戦してみました。・・・うまく行きませんヽ(;(へ);)ノ
シナリを作り、「自分の死について」とか「卑しさについて」とかテーマを決めシナリオの大枠を決めてその事を思い起こし、観察した方が良いのでしょうか?
その事により、自我の究極の恐怖や苦を見つめ直した上で、それも「止」の行で「夢」のように感じた「雑念」と同じようなものだと実感する方が良いのでしょうか?
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そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2014/08/24(日) 10:55:12 ID:6u8D78pg0
鬼和尚
朝、目が覚めて、記憶を思い出すまで、しばらく間がありました。
その間、目に入った形が記憶と照合され、
イメージが浮かぶというプロセスが行われていることがわかりました。
例えば、自分の腕の体毛を見て、そこに虫がいると思いました。
そのようなプロセスが瞬間的に連続して絶え間なく行われているとわかりました。
記憶が徐々に思い出されて、昨日との連続性が回復され、それに基づいて、
今日は何をするつもりだった、何をしなければならない、
あれをしよう、これをしよう、などと思考が始まります。
記憶がなければ、あるいは、記憶があってもそれに基づかなければ、
思考や行為が起きないとわかりました。
しかし、常時記憶に基づかなければ、
どうなるのだろうか、どうすればいいのだろうか、
という不安もあります。
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