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鬼和尚に聞いてみるスレ part4

1sage:2014/08/05(火) 19:29:50 ID:QMklRI/Y0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/

553避難民のマジレスさん:2014/10/28(火) 23:13:48 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん、ご回答ありがとうございました。
まだ良くわかりませんが、繰り返し拝見して、その意味するところを何となくでもつかみたいと思います。

>>552
>思考を眺められるようになれば自然に止まるのを観察できるじゃろう。
 >思考も意識を向けなければ自然に止まるのじゃ。

思考を眺めるのと思考に意識を向けないのは相反する方法に思えるのですが違うのでしょうか?
今、思考に意識を向けないとき、思考が止まるを体験できた気がしました。
思考を眺めるときも思考が止まる感覚があります。

554避難民のマジレスさん:2014/10/29(水) 08:41:39 ID:kwnmsK0s0
鬼和尚、
思考を観察していたのですが、自我が投射されている場合とされていない場合の違いがはっきりと判ったように思います。

思考が勝手に生じて、遠くにあるように感じられる場合が自我が投射されておらず、「自分が思考している」という主体の感覚があるのが、自我が投射されているという観察なのですが、これは正しい観察でしょうか?

555避難民のマジレスさん:2014/10/29(水) 09:31:29 ID:hjP5qw.20
>>552
和尚、お返事ありがとうございます。

これは習慣だったのですか。
止めようとすれば何となく気持ち悪くなってくるのですが、
言われてみれば習慣との戦いである禁欲に似た気持ち悪さがありました。
しかしそうとわかれば止める方向に力を向けたいと思います。
ありがとうございました。

>>553
上記返答の場合、思考を眺めて止まるのは脳内チャットのことを指していると思われます。

556そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/10/29(水) 17:27:09 ID:bmOqVn6w0
鬼和尚
瞑想中の事ですが、

ある記憶を思い出し、
これをしなければならないと考え、
でも、できないかもしれないと思い、
そこから、できなかったらどうしよう、どうなるのだろう、
という不安の感情が起こる

という様子が、一瞬の事でしたが見えました。

557避難民のマジレスさん:2014/10/29(水) 20:29:50 ID:Dals81lQ0
鬼和尚さま、とても立派な名前をありがとうございます。
まずはちゃんと名前が漢字が書けるように練習します。
こんな学の無い自分ですが、いつか善慧という名前にふさわしい人間になって、
お世話になった方々や自然に少しでも恩返しができるようになりたいです。
また、こちらに集われる皆さま、管理してくださる偽和尚さま、
鬼和尚さまとの出会いと学びの場を設けてくださったことに心から感謝しています。
どうか、これからもよろしくお願いします。

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559鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/29(水) 22:37:56 ID:lOh8l5nA0
>>553 それは自己同一化があるかないかの違いなのじゃ。
 意識を向ければ自己同一化が起こり、思考は止めどなく続いていくのじゃ。

 眺めるだけにすれば自己同一化は起こらず、やがて思考は止まるのじゃ。
 ↓のレスなども参考になるじゃろう。

>>554 それで正しいのじゃ。
 自己同一化が無いときには遠く感じられ、自己同一化があれば主体の感覚もあるのじゃ。
 ↑のレスも参考になるじゃろう。
 シンクロニシティじゃな。

>>555 そうじゃ、習慣なのじゃ。
 修行すれば自ら止まるのがわかるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>556 それで良いのじゃ。
 集中力と観察力がついてきたようなのじゃ。
 さらに精進あるのみなのじゃ。

>>557 良かったのじゃ。
  またおいでなさい。

560そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/10/29(水) 23:00:31 ID:yxB0la9U0
>>559
ありがとうございました。

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562避難民のマジレスさん:2014/10/30(木) 05:12:29 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、おはようございます。ヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
金剛般若経はもう少しで5ページです。
今朝の瞑想で気づいたこと。
まず、丹田にペッタリ集中して、思考を排除。5分くらいしたら少しずつ集中を緩め、記憶のおもちゃ箱から雑念がわき上がるのをまつ。
記憶がわき上がる→感情が生じる。悔しいとか不安とかいった分かりやすい感情だと観察しやすい。
その感情を感じてる(=投射されてる?)のが自我と認識する。
すぐに、集中を強めて感情を消すのではなく、縁起の法をやる。
記憶→感情の縁起を順逆で確認、消える様を確認する。
また、静かになったところで、今度はわざと、記憶を思い起こし、感情に繋がるか試してみる。
繋がらないヽ(・(∀)・)ノ

こんなことをやってみました。

563避難民のマジレスさん:2014/10/30(木) 21:00:36 ID:hjP5qw.20
和尚、こんにちは。

子供(高一)があまりにも遊び呆けているので、
一日30分くらいは勉強したらどうかとか言ったら、
あまりにもふざけた態度で接してきたのでキレて暴れてしまいました。

聞く耳もたない相手をうまく諭す方法はないものでしょうか。
他人なら放っておけばいいのですが、子供となるとそういうわけにもいきません。
転がりはじめたらどこまでも行ってしまうことは、
身を持って体験しているだけに余計にです。

よき智慧を教えてください。

564鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/30(木) 22:14:05 ID:kOI4WN2k0
>>560 どういたしまして、またおいでなさい。

>>562 そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。
 試しているうちに自分にあった方法もわかるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>563 人にだけ勉強をやらせようとすると反抗してやらないのじゃ。
 自分もやれば良いのじゃ。
 おぬしも勉強して教科書などに書いてある事がどのような意味かとか息子に聞くと良いのじゃ。
 人に教えるのは気分がよく、叉教えるほうも記憶を強化して学びになるものじゃ。
 数学でも国語でもどんどん自ら学んで息子に教わると良いのじゃ。

565避難民のマジレスさん:2014/10/30(木) 22:44:40 ID:hjP5qw.20
>>564
小中学生の頃はそのようにしてやっていたのですが、
これくらいになると聞いても「自分で考えれば?」といった態度で、
もう勉強に関しては会話にもなりません。

質問が変わるのですが、
たとえば崖に向かって走っている人がいたとします。
「その先は崖で危ないぞ」と言葉で伝えても、
その人は坂道を走ることが刺激的らしく聞く耳もちません。
それどころか言われたことに腹を立てたのか、ますますスピードを上げていきます。

その人をどうしても止めなければならない場合、和尚だとどのようにしますか。
私はとりあえずぶん殴るしか方法が見つからなかったのですが、
時としてそういう方法もありだと思いますか。

566鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/31(金) 22:44:43 ID:03LP31lY0
>>565 2ちゃんねるでよく使われる技ではあるが、わざと間違った答えを言うのがあるのじゃ。
 2たす2は5じゃな、とか間違った事を言うと直したくなるのじゃ。
 本人も本気で学ぶ気にならなくてはいかんのじゃ。
 やらせるためにという演技をしていると見抜かれるのじゃ。

 本人が好きな物事に関連して学ばせる技もあるのじゃ。
 野球が好きならばバットとボールの当る力を物理学で測るとか、野球場の免責を割り出すとかなのじゃ。
 ゲームが好きならばプログラミングを学んでみるとかするのじゃ。
 それが将来の役に立つ事もあるじゃろう。
 何かの役割があれば知識も増やそうという気になるのじゃ。

 その者が好きな事で誘導するのじゃ。
 女子が大きな胸を晒しているとか言えば男は来るのじゃ。
 女子ならばイケメンが二人脱いでいるとか言うとくるのじゃ。

 殴るのは無意味なのじゃ。
 暴力は禁じるのじゃ。
 暴力は最終的に自らの死か、他人を殺害するに至る道なのじゃ。

567避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 05:43:56 ID:WL2yRwjAO
個人的な意見だけど、学校の勉強が出来ても、社会に出てから大して良いこともない場合も多いので、好きなことを追求させると言うのは良い案かと思う。
暴走族とかですら意外にその大好きな運転技術で将来食べていけるものかと。
(社会に出ると運転がうまいだけでも重宝される)
人の価値評価とは本当にあてにならない。

568避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 10:20:59 ID:rjrCqQY20
親に無理強いされて失敗すると責任転嫁してしまいがちですが
大人が自分の好きな道を後押し、応援してあげると、失敗しても責任転嫁しないし
むしろ応援に応えようと頑張って這い上がろうとする。
子供とはいじらしいものだと思います。

569避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 11:29:33 ID:hjP5qw.20
>>566
和尚、助言の方ありがとうございます。

>やらせるためにという演技をしていると見抜かれるのじゃ。
確かにそれはあるかもしれません。
小中学生の頃と違い、高校生にもなってくると白々しいことに気づくのも道理ですね。
いつまでも同じというわけにはいかないようです。

その他の助言も参考にさせて頂きます。
私自身が学歴なく坂道を転がり落ちていた人間なので、
子供の成績などは正直どうでもよいのです。
ただ怠け心を極力少なくし、何かに興味を持って打ちこむという姿勢は必要だと思っているので、
一日のうち30分でもそういう時間を作れという意味合いで話していたのですが、
忍耐至らずこういう結果になってしまいました。
”何かの役割”というのを子供がうまく見つけられるように、私自身が精進したいと思います。

>暴力は禁じるのじゃ
数年ぶりに怒気をはらんで気づいたのですが、
かなりのエネルギーを消耗することが身に染みてわかりました。
また瞑想もうまくいかず、事あるごとに思考が瞋りの関連データにアクセスしてしまいます。
いま性的思考を完全に遮断する禁欲を行っているのですが、
一度怒ってしまえばそれよりも制御するのが難しいことがわかりました。
当然、しばらくは家の中もギスギス状態でした。
正直ここまで精神が乱れるものかと驚いております。
これを戒めとし、今後は力で訴えることをなくすよう精進しようと思っております。

ありがとうございました。

570避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 12:05:55 ID:hjP5qw.20
>>567
>好きなことを追求させると言うのは良い案かと思う。
それは私も賛同です。
何か打ち込めるものがあれば、それを懸命にしてくれたらいいと思っています。
ですが現状、子供自身が「自分の好きなことがわからない」という状態であったりします。
こういう子供はけっこう多いと思います。

ただ周りがやっているから、自分も何となくやる。難しくなってくるとやらなくなる。
やりたいことはと聞けばわかりませんと答える。
和尚が仰られているように役割があれば、その方向にエネルギーが向いてくれるのですが、
それが見つからなければ楽して遊ぶという刺激に抗えず、
精進する心が少なくなり怠け心が肥大するといった悪循環に陥ってしまいます。
ここから這い上がるのはけっこう大変だということは体験済みなので、
そうなる前に役割的なものを見つけてくれることを願う次第です。

アドバイスありがとうございました。

>>568
私自身が子供のころ勉強を無理強いされて机に向かうことが嫌いになったので、
自分の子供は可能な範囲で放任していたました。
ですがやっぱり勉強嫌いになったなようです(笑。

これを言ったら始まりませんが「学校の勉強=テストの点数」という感覚が強いので、
興味を持てないのも無理がないかなと思っています。
テスト方式を紙での問題ではなく、
五感を通した問題とすれば自分は何に興味があるのか気づきやすいと思うのですが。
まぁただの願望です。
何かに興味を持ったおりには応援してやろうと思います。

アドバイスありがとうございました。


※俗世的な悩みを質問してしまい、スレの趣旨から外れてしまったことをお詫びいたします。
私自身も精進を重ね、自己探求の道を進めていきたいと思います。

ありがとうございました。

571避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 17:10:49 ID:KG30mGlo0
和尚様

ブログの運気向上法のカテゴリーで人に親切に優しくすると運気が開けてくるとありますが
なぜそうなるのかお教え下さいませ。

私的にはすべての形態において自他の区別は存在しないためそうなるのかと考えました。
命あるものに対する自分の行為は自分にやっているのと等価である。ということでよろしいのでしょうか?

また無生物に対する行為もひょっとして同じなのですか?
物を大切にする行為はやはり得となるのでしょうか?

572避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 19:32:06 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
ここのところ、記憶と感情の切り離しが急速に進んでいることが実感されます。もう少しで自動的に切り離されてしまいそうな気がします。
その反動なのか、今までなら、ワクワクドキドキ((o(^(∇)^)o))するようなことが起こっても、そのような感情がわかず、むしろそれが押さえ込まれているような、苦痛とは異なるものなのですが、生理的、肉体的に、ある種の負担・圧迫感みたいなものを感じます。
一過性のものでしょうか?あるいは気のせいでしょうか?

573鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/01(土) 22:20:27 ID:.sHXjcvY0
>>569 そうじゃ、我が子ならばなおさら慈悲を持って向き合うのじゃ。
 またおいでなさい。

>>571 そうじゃ、誰の心にもある平等性智は自他の区別が無い故に、他人に施した事は自分に施した事になるのじゃ。
 無生物にあっても同じなのじゃ。
 無意味な浪費は運をも浪費する事になるのじゃ。
 大事に貯めればお金も答えるものじゃ。
 試してみるのじゃ。

>>572 進んでいるのじゃ。
 もはや感情の満足を求めなくなったのじゃ。
 一時的なわくわく感などはなくなったが、そのために執着し、苦を生むことは無いのじゃ。
 もはや感情に囚われない安楽があるようになるじゃろう。
 恐れずに進んで行くのじゃ。

574避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 23:19:11 ID:/ywz4F460
>>573
なるほど。では何かひとつのものを大事にすることは、慈悲の心を育てることにつながりそうですね?
むかし、便所掃除をして悟った釈迦の高弟が居たそうですが、便所を大事にして綺麗にする事は、心を大事にして綺麗にすることと等価だということでしょうか?
であるならば、一生懸命頑張って、プラモデルを作ったり、作曲をしたりと言うことも、創造性を育てる教育にもなりますよね。

575避難民のマジレスさん:2014/11/01(土) 23:45:54 ID:KG30mGlo0
>>573
お答え有り難うございます。
人に優しくが好きな人には出来ますが嫌いな人にはなかなか難しいです。
好き嫌いがあるということはホントは無い自我をあると思わせる反応になるのでしょうね。。
無関心であるほうが嫌いになるよりは良さそうですね。

どうせ使い捨てればいいやって思って安いものを買って大事にしないことは
やはりよろしくはないのですね。私はまだ物持ちはいいほうだとは思いますが
無生物もお金も執着してはいけないが大切にする気持ちを心がけます。

又質問ですが過去名だたる武将たちはやはり多くのものを殺めたと思いますが
どんな理由があるにせよ又それが世のため人のため絶対正義だと思っていたとしても
それに対する結果は次の生で必ず受けるのでしょうか?

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577鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/02(日) 22:17:37 ID:.sHXjcvY0
>>574 そうじゃ、何ものに対しても平等な心で居れば平等になるじゃろう。
 集中力や観察力も養えるじゃろう。
 ものよりも他のものに対する態度が心の状態を左右するのじゃ。
 心が荒れれば物を扱うのにも失敗が多くなるようにのう。
 ものに集中すれば心も鎮まるのじゃ。

>>575 そうじゃ、正義や規則のために他人を苦しめれば、正義や規則のために苦しめられる事になるじゃろう。
 正義や規則がどれほど厳重であろうと、慈悲を示す機会はあるものじゃ。
 今の法律でさえそのような運用もあるものじゃ。
 正義と慈悲は相反するものでもないが、全く同じでもないのじゃ。
 良く考えてみると良いのじゃ。

578避難民のマジレスさん:2014/11/02(日) 23:51:04 ID:KG30mGlo0
>>577
お答え有り難うございます。
やはりどんな理由があるにせよ人を苦しめると結局自分もいつか
苦しむことになるのですね。
どんなに困難な状況にあっても何とか皆が苦しまない選択肢を
選ばないといけませんね。
>>
正義と慈悲は相反するものでもないが、全く同じでもないのじゃ。

正義は心がなくても振りかざせますが慈悲は心がないと行えませんよね。
この程度の考えでは浅いかな。もっとよく考えてみます。

最近夜時間あるときにダンマパダを読んでいるのですが
ひょっとしてこれは読んでいるだけで幸いなことが起こるのですか?
最近色々と物事がうまくいくようになってきて少し不思議な感じがします。
アファメーションのような効果があるのかとも思いましたがそれまでが
かなり不運続きでしたので反動なのかな。。とも。

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/03(月) 21:40:53 ID:.sHXjcvY0
>>578 そうじゃ、報いがあるじゃろう。
 善事を心掛けるのじゃ。

 慈悲も経験や行いによって理解できるようになるじゃろう。
 常に心掛けていれば実際に行うときが来るものじゃ。

 心が世界を作るのであるから、聖典を読んで心が清められれば良い事が起こるようにもなるじゃろう。
 ダンマパダの最初の章にも書いてあるのじゃ。
 清い心で居れば幸運も付き従うのじゃ。

580避難民のマジレスさん:2014/11/04(火) 13:22:56 ID:KG30mGlo0
>>579
お答え有り難うございます。

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」
ですよね。すごく心に残る言葉です。
「他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。」
これもいつも心に留めるように心がけています。

私は昔から植物がなぜ脳がないのにこの世界を私達と同じように
見えているような感じを受けるのかすごく不思議で。
まるである特定の虫や動物に合わせて実をつけ背丈さえ変えているような。

そもそも心(意識)が初めで世界が作られているからと言われた時は
なるほどなあと関心しました。
下手をすれば世界も私も他人も私の脳の幻想で私が死ねば
すべて消えるものかもしれないと思ったりもしてましたので。

意識が初めで世界があるということは私は死んでも次もまだあるんだということが
知識の上ではありますが知ることが出来てよかったです。

又お答えお願い致します和尚様。

581そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/11/04(火) 20:40:22 ID:yxB0la9U0
鬼和尚
瞑想中の事ですが、>>556と同じように、自分が怒りを創る様子を見ました。

それは、自分が知っていることを元にして、
自分と他人が会話する場面を想像し、
相手が言ったことに対して自分が怒りをぶつける、
というものです。
怒りは世間に対する絶望や、自己憐憫へともつながっていきました。

このように感情が起こる様子を見ることができたのですが、
それ以降、その感情はあまり起こらなくなりました。

582鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/04(火) 21:53:45 ID:.sHXjcvY0
>>580 そうじゃ、学びに努めるのじゃ。
 学んだ分だけ進歩できるじゃろう。
 またおいでなさい。

>>581 よく観察できたのじゃ。
 その観察によって厭離が起こったのじゃ。
 もはやその想いとの自己同一化が薄れ、起こりにくくなったのじゃ。
 更に観察を続ければ完全に消えてしまうじゃろう。
 その時おぬしは観察による厭離を実践し、体得した事になるのじゃ。

583そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/11/04(火) 23:22:37 ID:yxB0la9U0
>>582
ありがとうございました。さらに続けます。

584避難民のマジレスさん:2014/11/05(水) 01:17:33 ID:5Jns2bLw0
どの程度修行が進んでいるのか、客観的にわかる指標みたいなものはありませんか?

585避難民のマジレスさん:2014/11/05(水) 06:44:24 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚、
ダンマパダ84の解説をお願いします。

84 自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。
財をも国をも望んではならぬ。
邪なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。
(道にかなった)行いあり、明らかな知慧あり、真理にしたがっておれ。

586鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/05(水) 21:49:22 ID:.sHXjcvY0
>>583 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>584 それは何度か書いたことがあるのじゃ。
 過去レスを色々探してみると良いのじゃ。

>>585 それは執着によって子供や財や国を欲してはいかんということなのじゃ。
 自分や人の執着や欲によってそれらを望めば、争いとか競争が耐えぬものじゃ。

 それらに熱中すればする程、お互いに汚い策略なども使うようになり、人も死んだりするじゃろう。
 そして他人の怨みも多くかう事になり、長くは保てないのじゃ。

 執着によってそれらのものを欲すれば、そのように多くの悪も成し、身を滅ぼすも事になるのじゃ。
 正しい行いによって真理に従い、自ら得られるのならば良いのじゃ。
 
 そうすれば他人の怨みをかうことも無く、長く保てるのじゃ。
 それが正しい道なのじゃ。

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589避難民のマジレスさん:2014/11/07(金) 14:10:29 ID:W9x6FqRY0
>>586 
執着によって欲してはいかんということだったのですね。
第2句と第3句のつながりが分からなかったのですが、ようやく理解できました。
お釈迦様の正しい教えを今、分かり易く伝えてくださり、ありがとうございます。

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591避難民のマジレスさん:2014/11/07(金) 19:28:32 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
最近、瞑想中に何かしたいという思い、例えば、電話を留守電にしたか確認したいとか、首にすれるシャツの襟を直したいとか、ほんの些細な思いが突然わいた際に、そのことを我慢するとか、雑念として受け流すというのではなく、そのように感じてる自我を意識が客観的にとらえるだけで、その思い自体がさぁーっと消えて行きます。
この自我の思いを客観的に意識する意識は、アラヤシキなのでしょうか?
何かそんな高度なものではなく、日常の意識で単に自分の意識を分析しなおしてるだけのような気もしますが、そのことにより、欲求がさぁーっと消える感じは、不思議でもあります。
考え過ぎでありましょうか?
金剛般若経は5ページで停滞中であります。4ページまでは適当な節回し()?で抑揚をつけ、調子よく暗記が進んだのですが、5ページの読みにうまく抑揚がのらず停滞しております。
お寺さんとかにお願いすれば唱えかたとか教えてくれるものなのでしょうか?で

592鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/07(金) 21:35:14 ID:.sHXjcvY0
>>589 どういたしまして、またおいでなさい。

>>591 観察が出来ているのじゃ。
 それはまだ、まな識辺りなのじゃ。
 分別があるからのう。

 無理に唱えなくとも良いのじゃ。
 意味が判らなくては何の効果も無いからのう。
 現代文で読めば良いのじゃ。

593避難民のマジレスさん:2014/11/07(金) 23:12:34 ID:LC3de7YgO
>>592
鬼和尚、ありがとうございますヽ(*・(∀)・*)ノ ちょびっと興奮気味の龍明であります。
まな識でありますか!!
早速調べてみるであります。

日常の意識からチョピッと前へ進めたのでありますね!
嬉しいであります♪

金剛般若経は、解説も全部読んでおりますが、より一層しっかり読むであります!

ただ、ボケ防止と集中力強化のため、暗記も続けたいと思います。

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595避難民のマジレスさん:2014/11/08(土) 06:57:39 ID:EO4mNeKg0
鬼和尚、
ダンマパダの210と211の解説をお願いします。ダンマパダの84と同様に、人に執着するなということでしょうか?

210 愛する人と会うな。愛しない人とも会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。

211 それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。

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597避難民のマジレスさん:2014/11/08(土) 19:09:23 ID:OSlXvtzA0
善慧です。鬼和尚さま、昔のことですが心の整理のために質問させてください。
子供の頃、手の感覚が大きなグローブのように、巨大化して感じられたり、
怒っているの顔だけが大きく目の前に迫ってきたりすることがよくありました。
誰にも相談できず、気が狂っているのではないかと、とても怖かった記憶があります。
気のせいではなくリアルな感覚でしたので、ずっと不思議だったのですが、
昨夜瞑想中、手が広がる懐かしい感覚を体験し、当時のことが蘇ってきました。
何かアドバイスをいただければ、当時の自分も救われると思います。
どうかよろしくお願いします。

598鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/08(土) 22:57:07 ID:.sHXjcvY0
>>590 そうじゃ、進んでいるのじゃ。
 もはや心を観察する事が出来ているのじゃ。
 さらに学び精進するのじゃ。

>>595 そうじゃ、愛着なのじゃ。
 愛し執着する事を諌めているのじゃ。

 愛するものと離れるのは愛別離苦なのじゃ。
 愛さない人と会うのは怨憎会苦なのじゃ。

 愛する者に会いたいという執着が愛別離苦を起こし、
 愛さない者と会いたくないという執着が怨憎会苦を起こすのじゃ。

 愛し執着する事がないならばそれらの苦もなくなるのじゃ。
 全ての人に平等な慈悲を持つ平等心こそ苦を滅した境地なのじゃ。

 なかなか難しい事ではあるがのう。
 アナンダでさえお釈迦様への執着から修行が進まなかったと言うからのう。
 悟りを得るまで去りがたい執着を離れたならば、苦も無いのじゃ。
 
>>598 ご苦労さんじゃ。正に菩薩の行いじゃ。
 
>>597 それは意識が広がっているからなのじゃ。
 瞑想だけでなく催眠状態でもよく感じられたりするものじゃ。
 意識は本来肉体に限定されるものではないのじゃ。
 肉体よりも広く意識は広がっているのじゃ。
 悟りを得れば全てが意識であるとさえ感じられるのじゃ。

 やがて肉体の外に意識が広がり、肉体を抜けたとか感じられるのじゃ。
 意志による体、意生身とか幽体離脱とか脱身とか言ったりするのじゃ。

 空間にも広がったとか感じられるのじゃ。
 その境地を空無辺定とか識無辺定と呼ぶのじゃ。

 知覚も鋭敏になったりするのじゃ。
 それは集中力が増した事による能力と知覚の拡大したものであるから囚われずに進むのじゃ。

599避難民のマジレスさん:2014/11/09(日) 09:35:08 ID:LC3de7YgO
>>598
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
>観察が出来ている・・・が、しかし、
>それはまだ、まな識辺り・・・なぜなら、
>分別があるから

ということは、分別のない状態=日常の意識での「思い」が自動的、無意識にわかない状態を目指すのですね。 これはまた高いハードルではありますが、がんばりますo(`(^)´*)

例えば、かつてあんなにも瞑想の邪魔をした足のしびれが、いまや全く苦にならなくなったような感じで、思いがわいても気にならない、程度ではダメなのでしょうか?
潜在意識の自動的な表出自体を完全に封じ込め(?)るというか、そもそもわいてこない状態になるのでしょうか?

600避難民のマジレスさん:2014/11/09(日) 09:56:25 ID:KYsRskK20
はじめに自己紹介をしてる人達は、名前欄にコテハンを入れておけば
自己紹介の手間が省けると思うんだけど、何故そうしないんだろう?

自分から名前を付けて欲しいと頼んだのに、コテハンにしない
理由がよく分からない。

601避難民のマジレスさん:2014/11/09(日) 10:23:09 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんは 「完全な悟り」 を開かれているので、たとえ
「眼病で失明しても問題ではない」 と言えるのでしょうね。

しかし、今されている配達の仕事は出来なくなりますよね。
お母上様のお世話も出来なくなりますよね。 それでも
「困る事は無い」 「問題ではない」 と言えるでしょうか?

やはり、この世で生きている以上、「完全な悟り」 というもの
はないように思うのですが、鬼和尚さんはどう思われますか?

602善慧:2014/11/09(日) 19:39:00 ID:pjVQwsrk0
鬼和尚さま、ありがとうございます。
小学生の頃、暴力を受ける度に体と意識の乖離を願って、
「自分は身体では無い」と呪文のように心の中で必死に唱えていたことを思い出しました。
まさに物事は心に基づき、心を主とし、心によって作り出される…ですね。
自分が自分の囚われる原因を作り出していたことに、やっと気付くことができました。
本当に愚かでした。
正直かなりショックですが、貴重な体験だったと思います。

>>600 ご指摘ありがとうございます。
名前を頂いたのは、飽きっぽい自分が修行を続けるためのモチベーションを向上させる目的でした。
実は掲示板への書き込みは初めてで、書き込み時は心拍数が極度に上がる小心者なのです。
コテハンとして利用することに全く気がつかす、申し訳ありませんでした。
これからはちゃんと名前を入力しますので、よろしくお願いします。

603避難民のマジレスさん:2014/11/09(日) 21:43:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
自分はいかに善人のつもりでも、いかに不義理を繰り返してきたことか、いかに恥多き人生であるか…と言う思いが、最近少し薄らいできました。
反省しつつも、今に生きるしかないのでありますね。

>>600
ここはシタラバなのでコテ無しでも、端末変えなきゃ一緒でありましょう。
人のしたことしなかったことを気にするよりも、自分のそれを気にしたいであります。
by 龍明ヽ(・(∀)・)ノ

604鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/09(日) 21:47:03 ID:uLBoB1cw0
>>599 完全に集中した状態ならば肉体も思考も感情も感じなくなり、意識だけがあるようになるのじゃ。
 それには集中しただけでは長くかかる故に、自我を観察して滅する法なども必要になるのじゃ。
 無我になれば必然的に我を感じる事もないから深く集中できるのじゃ。
 それが近道なのじゃ。

>>601 眼が見えなければ年金などももらえたりするのじゃ。
 良い事じゃ。
 死ぬべき時には抗わず素直に死ぬが良いのじゃ。
 その覚悟があれば常に完全なのじゃ。

>>602 良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

605避難民のマジレスさん:2014/11/09(日) 22:01:33 ID:NpBkhqbI0
>アナンダでさえお釈迦様への執着から修行が進まなかったと言うからのう。

私は鬼和尚への執着から修業が進みません。
この愛着も断ち切らねばなりませんか?

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/09(日) 22:32:22 ID:j1756nk.0
2ちゃんねるがなにやら規制のようじゃ。

607避難民のマジレスさん:2014/11/10(月) 04:18:44 ID:LoicJ7Tc0
>>598 ありがとうございます。
アナンダは苦滅の法を知りながら、お釈迦様への執着を厭離しなかったのでしょうか?

私自身、悟りの障害となっているのは、家族と自我への愛着だと感じています。
これらは完全に厭離しなくとも悟りは得られるものなのでしょうか?

鬼和尚が悟りを得た時には、家族への愛着は残っていましたか?

608避難民のマジレスさん:2014/11/10(月) 09:28:04 ID:KYsRskK20
>>603
そういうことじゃ無くて一回コテハンに名前を書き込めば
「ヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。」とか書き込む手間が省けると言ってるだけでしょ。

君が言うようにここはIDが変わらないから誰だと認識出来ると言うなら
その自己紹介も要らないって事になるよね。

609鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/10(月) 21:30:14 ID:HogqPWDY0
>>603 そうじゃ、ただひたすら進むしかないのじゃ。
 またおいでなさい。

>>605 そうじゃ、執着があれば苦も起こるじゃろう。
 悟りへの執着以外の全ての執着を捨てて進むのじゃ。
 最後には悟りへの執着も消えた時に悟りが訪れるのじゃ。

>>607 そうじゃ、一番多く教えを聞いていたから当然知っていたのじゃ。
 しかしわざと厭離しなかったのじゃ。

 深い瞑想の中で観照の瞬間が訪れたならば厭離しなくとも悟れるじゃろう。
 
 わしは自らの死を超える事で必死であったから家族の事も考えなかったのじゃ。
 自分が死ねば家族ともあえないと想っていたからのう。

610避難民のマジレスさん:2014/11/11(火) 17:57:56 ID:EIvcNESg0
お釈迦様に出会ったばかりのキサーゴータミーは、本当に愛別離苦を観察出来たのでしょうか?
観察は自分があると出来なくないですか?かなり難易度高くないですか?

611避難民のマジレスさん:2014/11/11(火) 20:14:57 ID:7rD9T5220
>>609
家族にしても自我にしても、結局は記憶によって起こる言葉とイメージに執着していると、知識では分かっています。
確かに自分が死ねば、愛着しているすべての物事も失われますね。

自分の本心を再度確かめたところ、死ぬより前に悟りを得て本当のことを知りたいという思いが最も強く、次いで自我への愛着、家族への愛着となっています。
止観にさらに励み、もし進めないようなら、愛着の厭離をする意志を起こそうと思います。
お答えくださり、ありがとうございました。

612鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/11(火) 21:14:15 ID:tHugDETI0
>>610 出来たのじゃ。
 それ故にもはや我が子を生き返らせようとは想わなくなったのじゃ。
 それは自分の執着であり、真に子を想っての事ではなかったと気づいたからのう。

 自分が在っても観察はできるのじゃ。
 学者が研究対象を観察して新しい発見をするのも同じ観察なのじゃ。
 自分の心を観察して今まで知らなかったことに気付くのが修行者の観察なのじゃ。
 対象が違うだけで行いは同じなのじゃ。

 日々練習すれば容易になるのじゃ。

>>611 良かったのじゃ。
 本心に気付いたのじゃな。
 さらに実践あるのみじゃ。

613610:2014/11/11(火) 22:27:56 ID:EIvcNESg0
鬼さまお答えありがとうございます。ぼけーっとしてる時に一つの執着が流れていくのを観たと思うんですけどね。

614避難民のマジレスさん:2014/11/12(水) 09:57:14 ID:z17ZvuWQ0
和尚様公案です スズちゃんにおっぱいはありますか?

615避難民のマジレスさん:2014/11/12(水) 14:52:51 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちはヽ(・(∀)・)ノ
最近、集中して意識のエアポケットみたいな無思考な状態を形成できる時間が少しずつ長くなってきました。

感情を伴う思考が雑念としてわいた際に、そのポケット内で、鬼和尚に仰っていただいたマナシキが察知すると、たちどころに消え去るようなことがよくあります。
しかし、日常においてはそこまで簡単に行きません。
観照とか悟りといったものは、ある日ある時突然壁が破れ視界が広がるような体験なのかと想像しているのですが、筋トレのように徐々に段階を踏み到達するという側面も大きいものなのでしょうか?
瞑想中の雑念処理と同じような状態に、日常においてもなって行くのでしょうか?
何か、そんな気配をチョピッと感じる今日この頃でたります。

616避難民のマジレスさん:2014/11/12(水) 20:49:15 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。本日二度目であります。
今日座っていて、自分が他人に冷淡であった時の思いが突然わき上がりました。
瞑想時に限らずよみがえる負の感情を伴う記憶の多くは、他人からされたことや理不尽だと思うこと等自分が被害者的立場のものがほとんどですが、自分が加害者的立場の感情を伴う記憶が連鎖的に激しくわき上がったのは初めてかもしれません。
以前何度か、心の深奥を観察してみようと試み、色々試してみましたが、単発的にあらわれることはあっても、ほとんどは表面的なものでした。
今日突然それができちゃったのですが、自分が加害者であり、簡単にできる他人に対する優しさを示すことができなかったこと、ずるさ、卑怯さ、愚劣さ等々の自己のマイナス評価・・・劣等感の根拠みたいなものが、堰を切ったように吹き出しました。
もしかしたら、瞑想時にそれが起きたのではなく、一つの記憶を契機に連鎖的に類似の記憶がよみがえったのかもしれません。
以前、やろうとしてうまく行かなかった心の深奥の探求とは、まさにそういった側面をも含めて自分のありのままの姿を見つめ直してみようとしたのですが、その一部が突然できちゃった感じです。
自分が加害者的立場の感情は、いつもの雑念処理と勝手が異なり、頑として居座り消えませんでした。変な話ですが、それが光輝くような感じで存在を主張しているようにも感じられました。
相当に苦しく、短時間、多分10分くらいで今日は打ち切ってしまいました。
今後は、覚悟を決めて、苦しくてもそれらを観察して行こうと思います。
受け身的な記憶と主体的な記憶の質や強さの違いがよくわかりましたが、結局それらの記憶も観念にすぎず、乗り越えられるものなのでしょうが、まずは洗いざらい深奥をほじくり返してみようかと思います。
このようなことは、もしかしたら、無意味でしょうか?
これは、以前読んだbrownさんという人のコメントを参考にした自分なりの内観法みたいな感じなのですが、観照や悟りに近づくために役立つことであるなら頑張って続けてみようと思います。(´・(ェ)・`)

617鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/12(水) 22:26:17 ID:tHugDETI0
>>613 それで良いのじゃ。
 そこに気付きもあるのじゃ。
 執着が自分ではないと気付いているのじゃ。
 そのように進んで行くのじゃ。

>>614 無じゃ。

>>615 そうじゃ、気付きは一瞬にして訪れるが、それには少しずつ進歩していく事も必要なのじゃ。
 自分の本心に気づくには時間も掛かるものじゃ。
 世間で頑張って暮らしていくうちに、自分に嘘をついたり誤魔化したりして本心が判らなくなるのじゃ。
 本心が見えてこそ観察が出来て気付きも起こり、悟りは訪れるのじゃ。

>>616 本心が見えてきたのじゃ。
 それも観念によるものなのじゃ。
 消そうとか操作しようとせずに静かに観察するだけにするのじゃ。
 そうすればそれに囚われているものに気づくのじゃ。
 それも己なのじゃ。

618避難民のマジレスさん:2014/11/13(木) 00:23:59 ID:QMm34KcU0
イエス・キリストの悟りの深さは、仏教で言えばどのぐらいですか?

619避難民のマジレスさん:2014/11/13(木) 06:03:37 ID:LC3de7YgO
>>617
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
>気付きは一瞬にして訪れる
 自分の本心に気づくには時間も掛かる
>自分に嘘をついたり誤魔化したりして本心が判らなくなる
 本心が見えてこそ観察が出来て気付きも起こり、悟りは訪れるの
→その訪れる一瞬に向けがんばります。
わからなくなった本心が潜在意識の底からあらわれると、それはかなり苦しいものであろうことは、端から想定内でありますが、自分の本心を探ることがこんなに困難だということは、想定外でありました。
ある程度修行が進み、精神がそれに耐えられるようになるまで、自我さんが蓋をしてくれてたのでしょうか?
今朝は、集中し、エアポケットを作ってから昨晩と同じ契機となる記憶を想起しても、何等の感情もわきませんでした。
なぜかはわかりませんが、まさか昨夜一瞬にして、燃え上がり厭離されてしまったわけでもあるまいし…自我の観察は一筋縄ではゆきませんですね。

620避難民のマジレスさん:2014/11/13(木) 11:15:56 ID:PafroR2U0
>>617
悟れそうな気がします!ありがとうございました!

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/13(木) 20:40:32 ID:1DYWkec60
>>918 神と合一したサマーディにまでは達していたような記述があるのじゃ。
 神から離れられなければそこまでなのじゃ。 
 神もまた乗り越えて進まなければ真の悟りは訪れないのじゃ。

>>619 そうじゃ、苦しいから見ないようにしていたのじゃ。
 しかしそれを超えれば楽になるものじゃ。

 すでに少し滅したようじゃ。
 囚われずに進むのじゃ。

>>620 どういたしまして、またおいでなさい。

622避難民のマジレスさん:2014/11/14(金) 02:33:37 ID:QMm34KcU0
鬼和尚は神社仏閣に参詣されることはありますか?
合掌したり、拍手を打ったりされますか?

623避難民のマジレスさん:2014/11/14(金) 14:00:59 ID:LC3de7YgO
>>621
鬼和尚、ありがとうございます。
ちょびっといつもとちがうアプローチをしてみたら、壁にぶつかってしまいました。

まず、自分は今あると言う実感を感じてみる。(なんかこんな書名の本がありましたですね。)
この実感は当たり前に簡単に感じる。
今あるという実感、一瞬前も、昨日も、10年前も、生まれてから今この瞬間までずっとあったという実感は確かなものとして揺るがない。
しかし、その実感は一瞬前の記憶に支えられている。
観念にすぎない記憶に支えられている。
いつもの雑念なら、その観念から離れ集中に戻れば、雑念は消える。(消そうとするのではなく、結果的に消える。)
その雑念が何らかの強い感情を伴うものである場合でも、原因である雑念が消えれば、感情もきえる。
観念に過ぎないものに実体はないという感じがわかりかけてきていたのに、「私はある」という記憶の確からしさは、同じ観念に過ぎない記憶でも、実体があるように感じられる。
うぅぅ…へんなことを思い付きでやってしまった。
アプローチ方法を間違えてしまったのでしょうか?
「私はある」という観念を観察してると、ますますその確からしさが強まるような気がしました。
これも、観察し続ければ、記憶は観念に過ぎない、実体はない・・・と言う実感に繋がって行くものなのでしょうが、けっこうしぶとい感じです。
(・(ェ)・)ゞ

624避難民のマジレスさん:2014/11/14(金) 16:41:53 ID:pcrSfcf60
和尚、こんにちは。

>>615で龍明さんが意識のエアポケットと言っていますが、
最近は私もそのような状態に入ることが多くなりました。

ですが、そこから先がどのようにすればよいかわからないため、
このあたりでいつも中断してしまいます。

おそらくは、ただそこに居続ければいいと推測はしているのですが、
推測である以上は「疑」が生じ、思考が暴れはじめてしまうのです。

エアポケット(プチ無思考?)に入った状態になったあと、
どのような心持ちを保っていればよいか教えて頂けないでしょうか。

625避難民のマジレスさん:2014/11/14(金) 21:52:29 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ
さっきの書き込みをしてから検索してみたら、『私は在る』(マハラジ)というのがありました。彼は真我を前提とするヒンデゥー教の立場(?)で悟りを解説してるのかなと思いました。
折角無我に接近しつつあるので、私なりの「私はある」も観察により是非見切ってやりたいと思いました。

626鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/14(金) 22:11:05 ID:ATEs0xlc0
>>622 無いのじゃ。
 
>>623 その実感が原因から起こることを観察するのじゃ。
 今既に観察するほどますます確かになると感じると言うのじゃ。
 その観察する行為が無ければ、実感も減るかも知れん。
 それを観察するのじゃ。

>>624 そこからさらに力を抜くのじゃ。
 思考が無くとも未だ自我があり、己を守ろうとする慣習の力は残っているものじゃ。
 さらに力を抜いて何もかも棄てて、身を任せれば更に深い境地には入れるのじゃ。
 そのようにして瞑想は甚だ深く微妙な段階に入っていくのじゃ。

 深くなるほど難しいが快も大きく確かになるものじゃ。
 実践してみるのじゃ。

627鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/14(金) 22:11:50 ID:ATEs0xlc0
>>625 何でも試してみると良いのじゃ。
 実践あるのみじゃ。

628避難民のマジレスさん:2014/11/14(金) 22:25:31 ID:LC3de7YgO
>>626
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
>その実感が原因から起こることを観察する
>観察する行為が無ければ、実感も減るかも知れん。
>それを観察する

おー!!まさに目から鱗・・・であります!

今夜、やってみます!

629避難民のマジレスさん:2014/11/15(土) 02:30:02 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんの家には仏壇はありますか?
ご先祖の位牌はありますか?
鬼和尚さんはご先祖の位牌や形見に
手を合わせたりすることはありますか?

630避難民のマジレスさん:2014/11/15(土) 15:36:35 ID:sdxsOZmw0
>>626
和尚、アドバイスありがとうございます。

>思考が無くとも未だ自我があり、己を守ろうとする慣習の力は残っているものじゃ。

なるほど。生じている「疑」も自我が作り出しているトラップかもしれませんね。
また深くなるほど難しいとのことですが、それを聞いて逆に安心感ができました。

より力を抜き、さらに深く入れるよう精進します。
ありがとうございました。

631素人A:2014/11/15(土) 17:39:45 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん私は公案力はあるが考案力はまるで才能無い皆が出きる
ああやっらこうなるの常識的計算の思考しいうか左脳の力不足を
感じる。まあ人それぞれ良いところも苦手な所もあるかで力を付けるには
努力といか訓練すれば半人前が一人前にはなると思います。何時も思考が
すっ飛び過ぎて分裂するでも統合失調症ではない。相手にもされない友達も少ない
でもまあ良いかで.なるようになるで

632避難民のマジレスさん:2014/11/15(土) 18:12:25 ID:1i3yO3Jw0
鬼和尚さま、私は無を愛し信仰しています。
どうぞ私を無に引き込んでください!
よろしくお願いいたします。

633鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/15(土) 21:46:29 ID:BS2Fn79w0
>>628 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 観がたい心の働きを観るために、お釈迦様は原因から起こる連鎖を観察することを教えたのじゃ。
 それが法なのじゃ。

>>629 無いのじゃ。
 位牌も無いのじゃ。
 手を合わせることも無いのじゃ。
 本当に故人を想う心だけが大事なのじゃ。
 
>>630 そうじゃ、力を抜くほどに瞑想は深くなってくるものじゃ。
 体のバランスを保ちつつ、力を限界まで抜けばサマーデイも近いのじゃ。
 人の感じられる限界を超えた喜びを味わうのじゃ。

>>631 考案力も使う事で発達していくものじゃ。
 日々考案し、言葉の使い方も学べば考案力も身につくじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>632 既に一切が無なのじゃ。
 おぬしの名前もイメージも無なのじゃ。
 名前もイメージもあると想っているだけで本当は無なのじゃ。
 肉体も無なのじゃ。
 感覚も無なのじゃ。
 感情も無なのじゃ。
 思考も無なのじゃ。
 分別も無なのじゃ。
 記憶も無なのじゃ。
 あると想う心も無なのじゃ。
 無であると想う事も無なのじゃ。
 もはや何も言うべき言葉も無いと想うのも無なのじゃ。

634避難民のマジレスさん:2014/11/16(日) 18:26:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
あの「自分はある」の確からしさはなんだったんだろう?
鬼和尚に言われた通り、観察するのをやめ、ただ意識が静まったところで「自分はある」という思考を想起し、放置してみた。先日の確からしさの強い思いも混乱も起こらず、記憶に基づく観念の一つとして意識されるのみだった。
先日の強い実在感とのコントラストを感じてると、スゥーッと身体の実体感も薄らぎ、丹田の陽気のみがつよく感じらるた。
まだ、サマディとまでは行きませんが、それに近づいてるのかも知れないのかな…と思いました。

635避難民のマジレスさん:2014/11/16(日) 18:58:19 ID:23AF/Pqg0
>>633
和尚さま
>本当に故人を想う心だけが大事なのじゃ。
とのことですが、
大事に想う心というのは万物に対する慈悲心のことですか?

それとも特に自分に縁のある故人に対して想うことも大事なのでしょうか?

仏教的には分別せず、特定の相手に対する感情やこだわりは捨てたほうがよいような気もするのですが、
そういう想いは想いとして持っていてもいい(むしろ大事?)のでしょうかね。
そういう想いを捨てようというほうがへんなこだわりなのでしょうか。

そのときそのときが在るだけで、故人を想うときは故人を想え、
現われる感情をいちいちどうこうしようとするなってことなんでしょうかねえ。

そういう自分に現われる心も、よくない心はもちろん生じないほうがよいのでしょうが、
どれもまた捨てていくのがいいのか、持っていてもいいのか、
修行がすすむと、心(想い、感情)は生じないというような話も聞きますし、
あるいは、心が生じるのは当然でそれに執着しなければいいという意見も聞きますが、
そのあたりどうなのでしょうか?

636鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/16(日) 21:32:15 ID:NIt2rEm60
>>634 良かったのじゃ。
 我を想起しなければサマーディも近いのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>635 個人へのものでも自然に沸き起こる思いを滅しようとか想わなくて良いのじゃ。
 強く執着して修行への妨げにならないならば、放って置いてよいのじゃ。
 無理に滅しようとすれば本心を隠す事にもなるからのう。
 修行とは心を変えようとすることではなく、あるがままの心の姿を観察して変容を自ずから起こるようにする事なのじゃ。
 想いを無理に起こす事も滅する事も無く、自ら観られたならば変化するままにしておくのじゃ。
 そうすれば深い境地にも至れるのじゃ。

637635:2014/11/17(月) 04:17:17 ID:23AF/Pqg0
>>636
なるほど
何事もあるがままにして観察して変わっていくにまかせることですね。

そう思うと、ちゃんと悟りきった方は少なそうで、すごく修行してる方も多いのになあとよく思っていましたが、
そういう方は無理に修行しようとしていたのがよくなかったのかもしれませんね。

修行でなかなか目に見えた結果があらわれなくても、自分でもわからないような深みで内面の整理のようなものが進み、
やがて機が熟し、ささいなきっかけからそれらが結果として現われることも多いような気もします。

お言葉を参考に実践していきたいと思います。
ありがとうござざいました。

638鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/17(月) 22:21:35 ID:NIt2rEm60
>>635 そうじゃ、なかなか難しい事ではあるが試してみるのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

639避難民のマジレスさん:2014/11/18(火) 01:03:04 ID:0bsJOsOA0
和尚様、ダンマパダを読んでいてわからないことがあったのでお教え下さいますか?

195、196 すでに虚妄な論議をのりこえ、憂いと苦しみをわたり、何ものをも恐れず、安らぎに帰した、
拝むにふさわしいそのような人々、もろもろのブッダまたその弟子たちを供養するならば、この功徳はいかなる人でも
それを計ることができない。

ここにある供養とは具体的にどのようなことなのでしょうか?
拝むこと?とは又違う気がするのですが。

640避難民のマジレスさん:2014/11/18(火) 11:08:26 ID:LC3de7YgO
>>636
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
>我を想起しなければサマーディも近い

これだけ聞いたのなら、どうしたらいいか戸惑ってしまうところですが、私は最近意識が静まってきたところで、わざと思考や感情を想起しそれを観察するみたいなことをやっていたので、その実験をやめればいいだけでしたので、簡単でした。
まだ、サマディには到達できませんが、思考、感情=自我の想起をやめるだけで、あっと言う間に安楽な瞑想状態になり、夜寝る前にやると、ぐっすりと良質な睡眠がとれる気がしました。
精進します。

641避難民のマジレスさん:2014/11/18(火) 15:54:08 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚、
止観を続けているのですが、たまに止観に疲れて行を休みたい日があります。
このような日には、止観を自分で決めた最低限にして、ダンマパダなどの経を少し読み、あとは欲に流される日を送ってしまったりします。

大抵次の日には、やる気が復活するのですが、心の汚れも増えているように思います。
このような行をしたくない日の、より良い過ごし方がありましたら、お教えください。

642避難民のマジレスさん:2014/11/18(火) 15:55:05 ID:Q7u.yQUU0
2chで勝つための戦法はありますか?

643避難民のマジレスさん:2014/11/18(火) 18:58:41 ID:QMm34KcU0
鬼和尚は病気になっても西洋医学の治療は受けないのですか?
例えば、癌らしい病状になっても抗癌剤などは服用せずに、念力
などによって自力で治そうとするのですか?

644鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/18(火) 22:35:36 ID:NIt2rEm60
>>639 それは食べ物や服などを布施する事なのじゃ。
 この国では死人に供物を上げる事になっているが、本来は目覚めた者や修行者に布施をする事なのじゃ。
 修行者は布施が頼りであるから供えれば養う事にもなるのじゃ。

>>640 そうじゃ、何でも試してみるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。
 
>>641 近所の公園などに行って自然を観察してみると良いのじゃ。
 木や草の葉一枚でも観察力がついた目で見れば、記憶とは違っている事がわかるのじゃ。
 自然に親しめば健康にもなるのじゃ。
 試してみるのじゃ。

>>642 何も書かない事じゃ。
 いずれ消え去るのじゃ。
 2ちゃんも消えるじゃろう。
 心を鎮めていた者が勝ちなのじゃ。

>>648 受けないのじゃ。
 念力ではないのじゃ。
 西式健康法とかヨーガとか気功とか呼吸法とか天真療法とかいろいろともつとよい治療があるのじゃ。
 手術などをするとむしろ寿命が縮まるというのじゃ。自然な療法が良いのじゃ。

645避難民のマジレスさん:2014/11/19(水) 12:14:49 ID:dREx977M0
>>644

>>639 それは食べ物や服などを布施する事なのじゃ。
 この国では死人に供物を上げる事になっているが、本来は目覚めた者や修行者に布施をする事なのじゃ。
 修行者は布施が頼りであるから供えれば養う事にもなるのじゃ。

理解出来ました。ありがとうございます。

646避難民のマジレスさん:2014/11/19(水) 12:56:35 ID:Ixi5VWxw0
>>644
最近内側の観察ばかりしていて、気づきませんでした。
自然を観察してみました。美しくて驚きました。
また、欲に流されようとするのは、結局は逃避の表れであることにも気づけました。
ほぼいつでもあり、どこまでも広がっている自我に圧倒されかかっていたのですが、肩の力が抜けました。
今後も苦滅の意志を奮い起こせない時などに、さらに試してみます。
ありがとうございました。

647避難民のマジレスさん:2014/11/19(水) 18:56:34 ID:ZYMyGpV20
長くて気が引けますが、お時間のあるときにでも
信心銘の鬼和尚訳をお願いできませんか?

648鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/19(水) 21:42:56 ID:NIt2rEm60
>>645 どういたしまして、またおいでなさい。

>>646 善い事じゃ。
 一休み一休みしながら続ければよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>647 それも善い事じゃ。
 しかし本が無いのじゃ。
 信心銘が無料で公開されているサイトなどを探してみるのじゃ。

649避難民のマジレスさん:2014/11/19(水) 22:24:44 ID:/Tir5mUE0
瞑想を初めて4ヶ月ぐらいたつんだけど
最近なんだか視界がおかしいんだよね
透明なノイズみたいなのがサーサーしてる
点滅しているように見えたり、流れているように見えたりする
おかしなだけで不便とかではない。はっきり見えないし気のせいかね

650避難民のマジレスさん:2014/11/19(水) 22:50:00 ID:jfWCoXjM0
>>648
了解です。まずwikiからのコピペです。

至道無難 唯嫌揀擇 但莫憎愛 洞然明白 毫釐有差 天地懸隔

欲得現前 莫存順逆 違順相爭 是為心病 不識玄旨 徒勞念靜

圓同太虛 無欠無餘 良由取捨 所以不如 莫逐有緣 勿住空忍

一種平懷 泯然自盡 止動歸止 止更彌動 唯滯兩邊 寧知一種

一種不通 兩處失功 遣有沒有 從空背空 多言多慮 轉不相應

絕言絕慮 無處不通 歸根得旨 隨照失宗 須臾返照 勝卻前空

前空轉變 皆由妄見 不用求真 唯須息見 二見不住 慎勿追尋

纔有是非 紛然失心 二由一有 一亦莫守 一心不生 萬法無咎

無咎無法 不生不心 能隨境滅 境逐能沉 境由能境 能由境能

欲知兩段 元是一空 一空同兩 齊含萬象 不見精麤 寧有偏黨

大道體𥶡 無易無難 小見狐疑 轉急轉遲 執之失度 必入邪路

放之自然 體無去住 任性合道 逍遙絕惱 繫念乖真 昏沉不好

不好勞神 何用疏親 欲取一乘 勿惡六塵 六塵不惡 還同正覺

智者無為 愚人自縛 法無異法 妄自愛著 將心用心 豈非大錯

迷生寂亂 悟無好惡 一切二邊 良由斟酌 夢幻空華 何勞把捉

得失是非 一時放卻 眼若不眠 諸夢自除 心若不異 萬法一如

一如體玄 兀爾忘緣 萬法齊觀 歸復自然 泯其所以 不可方比

止動無動 動止無止 兩既不成 一何有爾 究竟窮極 不存軌則

契心平等 所作俱息 狐疑淨盡 正信調直 一切不留 無可記憶

虛明自照 不勞心力 非思量處 識情難測 真如法界 無他無自

要急相應 唯言不二 不二皆同 無不包容 十方智者 皆入此宗

宗非促延 一念萬年 無在不在 十方目前 極小同大 忘絕境界

極大同小 不見邊表 有即是無 無即是有 若不如是 必不須守

一即一切 一切即一 但能如是 何慮不畢 信心不二 不二信心

言語道斷 非去來今

651善聖 ◆rgBot67fe.:2014/11/19(水) 22:57:10 ID:4hgKdDEo0
想起される言葉によって感情が誘導されるのを観察しました。

人は悪い言葉によって悪く、良い言葉によって良くなるのかも知れませんね。
日頃から言葉は慎まなければならないと思いました。

652避難民のマジレスさん:2014/11/19(水) 23:17:25 ID:jfWCoXjM0
>>648 読み下し文です。

01至道無難 唯嫌揀択 但莫憎愛 洞然明白

至道(しどう)無難(ぶなん)、唯揀(ゆいけん)択嫌(けんじゃく)。但(た)だ憎愛(ぞうあい)莫(な)ければ、洞然(とうねん)として明白(めいはく)なり 。


02毫釐有差 天地懸隔 欲得現前 莫存順逆

毫釐(ごうり)も差(しゃ)有(あ)れば、天地(てんち)懸(はる)かに隔(へだ)たる。現前(げんぜん)を得(え)んと欲(ほっ)せば、順逆(じゅんぎゃく)を存(ぞん)すること莫(なか)れ。


03違順相争 是為心病 不識玄旨 徒労念静

違順(いじゅん)相争(あいあらそ)う、是(これを)心病(しんびょう)と為(な)す。玄旨(げんし)を識(し)らぞれば、徒(いたず)らに念静(ねんじょう)に労(ろう)す。


04円同大虚 無欠無余 良由取捨 所以不如
 
円(まど)かなること大虚(たいきょ)に同(おな)じ、欠(か)くること無く余(あま)るこし無し。良(まこと)に取捨(しゅしゃ)に由(よ)る、所以(ゆえ)に不如(ふにょ)なり。


05莫逐有縁 勿住空忍 一種平懐 泯然自尽

有縁(うえん)を逐(お)うこと莫(なか)れ、空忍(くうにん)に住(じゅう)すること勿(なか)れ。一種平懐(いっしゅへいかい)なれば、泯然(みんねん)として自(おの)ずから尽(つ)く。


06止動帰止 止更弥動 唯滞両辺 寧知一種 

動(どう)を止(や)めて止(し)に帰(き)すれば、止(し)更(さら)に弥(いよい)よ動す。唯(ただ)両辺(両辺)に滞(とどこお)らば、寧(なん)ぞ一種(いっしゅ)を知らんや。


07一種不通 両処失功 遣有没有 従空背空

一種(いっしゅ)通ざれば、両処(りょうしょ)功(こう)を失(しっ)す。有(う)を遣(や)れば有を没(ぼっ)し、空(くう)に従えば空に背(そむ)く。


08多言多慮 転不相応 絶言絶慮 無処不通

多言多慮 (たごんたりょ)、転(うた)相応(そうおう)せず。絶言絶慮(ぜつごんぜつじょ)、処(ところとして)通ぜずということ無し。


09帰根得旨 随照失宗 須臾返照 勝却前空

根(こん)に帰(き)すれば旨(し)を得(え)、照(しょう)に随えば宗(しゅう)を失す。須臾(しゅゆ)も返照(へんしょう)すれば、前空(ぜんくう)に勝却(しょうきゃく)す。


10前空転変 皆由妄見 不用求真 唯須息見

前空(ぜんくう)の転変(てんぺん)は、皆(みな)妄見(もうけん)に由(よ)る。真(しん)を求むること用(もち)いざれ、唯須(ただすべか)らく見(けん)を息(や)むべし。


11二見不住 慎忽追尋 纔有是非 紛然失心

二見(にけん)に住(じゅう)せず、慎(つつし)んで追尋(ついじん)すること勿(なか)れ。纔(わず)かに是非(ぜひ)あれば、紛然(ふんねん)として心(しん)を失(しっ)す。


12二由一有 一亦莫守 一心不生 万法無咎

二は一に由(よ)って有(あ)り、一も亦(また)守ること莫(なか)れ。一心(いっしん)生(しょう)ぜざれば、万法咎(とが)無し。


13無咎無法 不生不心 能随境滅 境逐能沈

咎(とが)無ければ法(ほう)無し、生(しょう)ぜざれば心(しん)ならず。能(のう)は境(きょう)に随(したが)って滅し、境は能を逐(お)うて沈む。


14境由能境 能由境能 欲知両段 元是一空

境は能に由って境たり、能は境に由って能たり。両段を知らんと欲せば、元(もと)是(これ)一空(いっくう)。


15一空同両 斉含万象 不見精粗 寧有偏党

一空(いっくう)両(りょう)に同じ、斉(ひと)しく万象(ばんぞう)を含む。精粗(せいそ)を見ざれば、寧(いずくん)ぞ偏党(へんとう)有らんや。


16大道体寛 無難無易 小見狐疑 転急転遅

大道大寛(だいどうたいかん)なり、難無(なんな)く易(い)無し。小見(しょうけん)は狐疑(こぎ)す、転(うた)た急(きゅう)なれば転た遅(おそ)し。


17執之失度 必入邪路 放之自然 体無去住

之を執(しゅう)すれば度(ど)を失(しっ)し、必ず邪路(じゃろ)に入る。之を放てば自然(じねん)にり、体(たい)、去住(きょじゅう)無し。


18任性合道 逍遥絶悩 繋念乖真 昏沈不好

性(しょう)に任(にん)ずれは道(どう)に合(がっ)す、逍遥(しょうよう)として悩(のう)を絶(ぜっ)す。繋念(けねん)は真に乖(そむ)く、昏沈(こんちん)は不好(ふこう)なり。


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