したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚に聞いてみるスレ part4

1sage:2014/08/05(火) 19:29:50 ID:QMklRI/Y0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/

453鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/10(金) 21:55:00 ID:bqm170V20
>>444 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>445 かなり集中力が強くなったのじゃ。
 無意識に集中力が出てしまうのじゃ。
 筋トレで力が強くなってものをこわしたりするようなものじゃ。
 これからは日常ではあまり強く集中しないようにするのじゃ。
 今までより軽く心を注意させるのじゃ。

 座って修行中以外はあまり集中力を発揮しないように努めるのじゃ。
 修行の事も思い出さないようにするのじゃ。
 条件反射で集中してしまうからのう。
 修行中と日常の区別をはっきりつけるのじゃ。 
 ちゃんと目を覚まして修行を終えるとかするのじゃ。
 そのように気をつけていればコントロールできるようになるじゃろう。

>>446 人の世の仕組みも色々試してみるのじゃ。
 自ら試した事だけが他人に教えられるのであるからのう。
 経済についての知識も体験して学ぶのじゃ。

454鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/10(金) 23:03:02 ID:G8sAj0xk0
>>447 そういうものじゃ。
 スポーツでも調子の良いときと悪いときがあるが、日々練習していれば力は付いて行くものじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

 水晶とか、綺麗な石等を凝視すると集中力が身につくのじゃ。
 見つめながら100秒数えるのじゃ。ヨーガのトラータカなのじゃ。
 あまり睨むと目つきが悪くなるのじゃ。
 笑顔で見つめるのじゃ。

>>448 哲学やインド思想が専門だったからじゃろう。
 学問は広すぎると深くならなかったりするのじゃ。
 大縁方便経とか多くの経典を読みこなさなければ、四諦の本質と実践は理解し難いのじゃ。
 原始経典でさえもかなりの数があるものじゃ。
 他の教えを見ていては目覚めた者でもそこまで辿り付けないのじゃ。
 ヨーガの研究はたいしたものであるがのう。
 
>>449>>450 そうじゃ、悟りを得ることは自らの努力に縁るのじゃ。
 何もしなければ何もならないのじゃ。
 集中力を養い、自らの本心を隙間無く観察することが出来たならば、悟りも向こうから訪れるのじゃ。
  
>>452 大悟していたようじゃ。
 不生の仏心を観たのじゃ。

455避難民のマジレスさん:2014/10/10(金) 23:03:37 ID:.9n0xq960
なるほど。私利私欲のためではなかったのですね。
納得しました。失礼な質問をしてしまいすいません。

456445:2014/10/11(土) 03:00:06 ID:9sYlO8Bs0
>>453
お答えありがとうございます。
そうですか、これはきちんとコントロールできるし、コントロールしていくものなのですね。
いただいたアドバイスを参考に、やっていきたいと思います。
ありがとうございました。

457避難民のマジレスさん:2014/10/11(土) 08:33:48 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん

このような縁によって導かれたことに心から感謝致します。
さらに努めます。

458避難民のマジレスさん:2014/10/11(土) 10:49:17 ID:qYQvs9ck0
>>454
お釈迦様の真の教えが失われて2000年来、幾人かの目覚めた方が居たようですが、今ようやく、その本来の教えが復興されたということでしょうか。
2000年間生を受けてきた衆生の中でも、その教えを実践できる者は最も幸運ですね。
この幸運を逃さず勤め励み、苦を滅し、自我を滅し、認識を滅しようと思います。
お答えくださり、ありがとうございました。

459避難民のマジレスさん:2014/10/11(土) 16:28:09 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
金剛般若経は左側のページは全部読んだので、1日2〜3行づつ暗記してゆきます。
今朝読んでから座り感じたことであります。
まずは集中力を高める。記憶を呼び起こし、感情が生じ、苦が起きる。意思により集中対象に戻る。苦が消える。
ここにおいて、記憶も、感情も、意思も自我である。集中対象も自分の呼吸や気である。全部自我である。
自我で自我を観察だとこんがらがるので整理するため視点を変える。
自我でないのは外界である。外界の音や、においや、気温を五感で感知して、うるさいなとか、腹ペコだとか、寒いとかの感情や思考が生じる。
感知し、感情や思考が生じる瞬間が自我が生じる瞬間であったとしても、その外界の新情報を感知する以前から自我がある点はとりあえず保留するとしても、自我とは、連続性のあるものベースにあるもののように感じているが、実はそうではないらしい。次から次へ断続的に記憶に基づき引き起こされるものらしい。
だとしとも、感受した情報から思考や感情が起こる一瞬前の知覚そのものをとらえなければ、自我はとらえられないのだろうか?
感情にとらわれ一体化し苦しむことがあるのだから、感覚に集中し一体化し思考や感情が生じる一瞬前の感覚そのものになるようなことも可能なのだろうか?
もしそれらが可能なら、当然それは外界のことに限らず、自我の観察集中にも適用できる。
無我夢中に集中を高め、その集中力で感情が生じる瞬間をとらえることが必要なのだろうか?
あるいは、無我夢中に集中した状態から、我にかえる瞬間をとらえる必要があるのだろうか?
そのどちらもすごく難しそうだけど、可能なのだろうか?

今一つ、外界と認識の関係についても何かチョピっと違う関係性があるような気がした。

てなことを感じました。

ん…ん、いつも以上にまとまりが悪い文になってしまったであります。

460<削除>:<削除>
<削除>

461<削除>:<削除>
<削除>

462鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/11(土) 22:37:11 ID:G8sAj0xk0
>>455 そうじゃ、経済にも正しい道があり、外道に陥れば長くは無いのじゃ。
 人の世の道理も仏の道に通じるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>456 そうじゃ、進歩していく道の途中にはあることなのじゃ。
 注意すれば容易にコントロールできるじゃろう。
 またおいでなさい。

>>457 良いことじゃ。精進あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/11(土) 22:53:02 ID:G8sAj0xk0
>>458 そうじゃ、真の四諦が正に今現前しているのじゃ。
 これこそ盲亀の浮木ともいうべき稀な機会なのじゃ。
 この機会に大いに精進して苦を滅し、悟りを得るがよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>459 少々考えすぎのようじゃ。
 やはり思考が自我の多くを占めているようじゃ。
 思考のための思考になっているのじゃ。
 それでまとまらなくとも考えつづけるのじゃろう。
 時には無思考の境地に遊ぶが良いのじゃ。
 またおいでなさい。

464<削除>:<削除>
<削除>

465<削除>:<削除>
<削除>

466避難民のマジレスさん:2014/10/12(日) 05:24:14 ID:LC3de7YgO
>>463
鬼和尚、ありがとうございます(´・(ェ)・`)ゞ龍明であります。
で、ありますよね。

なんか自分ではいいとこまでせまれたような気がしたのでありますか、錯覚でありました。
チョピッとガッカリであります。

467避難民のマジレスさん:2014/10/12(日) 13:50:56 ID:lbuPWhfI0
>>454
和尚、ありがとうございました。

調子は日によりけりなのですね。平均して上がっていくことを目指します。

またトラータカというのを調べたところ、1点を凝視する方法だと知りました。
こちらも試してみます。
ありがとうございました。

468そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/10/12(日) 19:17:38 ID:e/vfP5kY0
鬼和尚
私はこれまで、仕事、人間関係、住まいなど
様々なことについて、
何か選択したり決断したりするときは、
自分の直感に従って来ました。
直感が否ということについては、
理屈で考えることは出来ますが、
やろうという気になりませんし、できません。
それは、悪く言えば自分の選択肢を狭めることになりましたが、
良く言えば自己を灯明としてきたと言えますが、
これでいいのでしょうか。

新しいことを始めるとき、
それが自分ひとりでやることならいいのですが、
誰か他人も関係する場合や、
自分の意志とは関係なく状況が変化する場合、
いつ自分の直感が否を発動して、
周りを困らせたり、
あらゆるものを破壊してしまうかもしれない、
というおそれがあります。

このおそれが、自己を灯明としつつも、
気がすっきりと晴れず、いつも暗雲が立ちこめている
原因のような気がします。

469鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/12(日) 21:38:29 ID:nSkmzBy.0
>>466 行は進んでいるのじゃ。
 進歩は本人には判らないものじゃ。
 思考を多くすれば、自我もまた盛んになるのじゃ。
 集中によって思考より無思考の意識を目指すのじゃ。
 思考がなくとも意識は在ると気付くじゃろう。

>>467 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>468 自分の判断で進むのは良いことじゃ。
 それこそ自灯明なのじゃ。

 そこに迷いが在るならば、それを詳細に観察するのじゃ。
 観察が完全になれば迷いは滅するのじゃ。
 迷いが無くなれば、進めるようになるじゃろう。

470避難民のマジレスさん:2014/10/12(日) 22:14:20 ID:LC3de7YgO
>>469
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
金剛般若経を読んでると、裏とか逆じゃなくて、般若心経を具体的に、だけど無説明に述べるような、山があることが山のないということ…みたいな、公案のようなことばかり書いてあるので、 考えて結論のでることではないと承知していても、思考が巡ってしまったような気もします。
集中し、無思考の意識を探求します。
暗記も続けます。

471避難民のマジレスさん:2014/10/12(日) 22:30:24 ID:lbuPWhfI0
和尚、こんにちは。

以下のリンク先の話は、おそらく禅定状態に入ったものと思われるのですが、
どの段階くらいでの体験になるのでしょうか。

またこういったことは集中と観察の瞑想をしていても起こるものなのでしょうか。
(あくまで体験主が変な妄想に囚われる前までの体験についてです)

http://world-fusigi.net/archives/7221891.html

472そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/10/13(月) 17:55:17 ID:RgG3.PdM0
>>469
ありがとうございます。
観察に励みます。

473避難民のマジレスさん:2014/10/13(月) 20:40:13 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚
何故、自我のようなものが存在するのですか?何かの役に立っているのでしょうか?
役に立たないものだとしたら、なぜ存在するのですか?
自我が形成される必然性のようなものはあるのでしょうか?
或いは自我はあってもいいが執着がまずいのでしょうか?

474避難民のマジレスさん:2014/10/13(月) 21:38:39 ID:QMm34KcU0
悟りを開くと、時として仏像の光背のような後光が出ると言われて
いますが、鬼和尚さんも 「あなたは輝いていますね」 と言われた
ことが何度もあるのでしょうか?

475鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/13(月) 21:57:35 ID:EsQtb4vg0
>>470 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>471 それは空無辺定と呼ばれる境地じゃな。
 集中していれば起こるのじゃ。
 元々意識は肉体に限定されたものではないからのう。
 世間の常識で肉体が自己と認識して居るだけなのじゃ。
 常識外の経験をして怖くなって妄想に入ってしまったようじゃ。
 修行して少しずつ意識の広がりを経験していれば何でもないのじゃ。
 囚われれば障害になるだけなのじゃ。

>>472 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>473 意志を起こすためなのじゃ。
 仮初では在っても多少は自由な意志が在るのじゃ。
 苦を観じて自我が苦から逃れたいと意志を起こせば、納得して悟りに向かう事も出来るのじゃ。

 自我が原因で執着も起きるが、その苦を知ってこの世から逃れようとする意欲も起こるのじゃ。

476鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/13(月) 21:58:35 ID:EsQtb4vg0
>>474 無いのじゃ。
 それは気の行をすると出るのじゃ。
 悟りとは関係無いのじゃ。

477<削除>:<削除>
<削除>

478避難民のマジレスさん:2014/10/14(火) 10:59:21 ID:NTsosVwo0
>>475
和尚、お返事ありがとうございました。

>それは空無辺定と呼ばれる境地じゃな。

なるほど、これがそうなのですか。なにやらすごい境地ですね。
これでもまだ悟りに至るまでの折り返し地点だと思うと、
道のりは遠く感じてしまう反面、ワクワク感を覚えたりもしています。
いっそう行に励む気持ちになれました。

しかし何も修行をしていない人が、いきなりこの境地に至ることってままあることなのでしょうか。
目指しても達せられない人がいることを思えば、なんとも言えない気分になります。
やはり過去世でかなりの行を積んでいたのでしょうか。

479避難民のマジレスさん:2014/10/14(火) 16:04:33 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、ある仕事を達成しようと頑張っていた途中で、
病気や不慮の事故の為に亡くなった場合、本人はあの世
で残念に思うのですか?

480避難民のマジレスさん:2014/10/14(火) 17:33:38 ID:LC3de7YgO
>>475
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。

>>445さんや >>471さんに対するお返事かたいへん参考になります。
私は、タントウ功をしたり、気の行で陽気が鳩尾辺りに上がって来た時に、体の外側に物理的とも思われる気の存在を実感します。
そこでこの感覚を拡張し、>471さんが引用しているサイトの人のように、意識(=気の実感)を拡張してみようとするは試みは、有効でしょうか?
実は以前試みたましたが、うまく行きませんでした。

やっと金剛般若経1ページ暗記できました。しかし、何で日本のサイトには読み方もほとんどなく、読経のYouTube等もないのでしょうか?
残念であります。

481避難民のマジレスさん:2014/10/14(火) 20:51:11 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚、
日常の過ごし方についてお聞きしたいことがございます。
現在、できるだけ心の動きや感覚を観察するようにしているのですが、思考が生じている時間が長く、またどうしても思考については巻き込まれやすい状況です。

集中することで思考を抑えることができるのですが、日常でもある程度集中して、思考は抑えておいたほうが良いのでしょうか?
それとも、思考はそのまま生じるに任せて、その思考を観察することに励んだほうが良いのでしょうか?
あるいは他に、お勧めの過ごし方はございますか?

482鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/14(火) 22:13:37 ID:EsQtb4vg0
>>478 元々肉体の境界は記憶による認識によって作られたものでしかないのじゃ。
 子供はそのような感覚を持っていたりするのじゃ。
 記憶が固定されると失うのじゃ。
 おぬしも本当は味わっていた事もあるじゃろう。
 眠る時も肉体の境界はなくなるのであるからのう。
 それを記憶してあらわすことができるだけなのじゃ。

>>479 そのような事もあるじゃろう。
 来世に精進したら良いのじゃ。

>>480 それも続ければできるじゃろう。
 ヨーガにも手足や肉体をどんどん広くしていくイメージを観想する法があるのじゃ。
 何でも試してみると良いのじゃ。

>>481 思考はそのままにして観察したらよいのじゃ。
 そうすれば思考が起こり、消えていくことを観察できるじゃろう。
 試してみるのじゃ。

483避難民のマジレスさん:2014/10/14(火) 23:20:13 ID:LC3de7YgO
>>482
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
続けてみます。

484避難民のマジレスさん:2014/10/15(水) 09:50:23 ID:lbuPWhfI0
>>482

>元々肉体の境界は記憶による認識によって作られたものでしかないのじゃ。

なんと…そうなのですか。
よく言われる自分で自分を縛りつけているという言葉の意味が少し理解できた気がします。
PCの中を流れる電気が、おれはパソコンだと思っているような感じかもしれませんね。

すべては記憶によるものですか。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

485避難民のマジレスさん:2014/10/15(水) 12:25:26 ID:UYcPypl60
>>482 ありがとうございます。
思考はそのままにして観察ですね。
思考の観察には、得意技を封じられているような感覚があり、他の対象の観察よりも忍耐が要ります。

今のところ、思考は記憶の想起から起こることが観察できています。
その思考を観察した時に「思考している」と思考してしまうこともあるのですが、その場合も、"「思考している」と思考した" と観察すれば良いのでしょうか?

あと、時々、思考を観察しているのか、思考をした記憶を想起して観察しているのかが判らなくなるときがあります。もし、双方を見分ける方法がありましたら、お教えください。

また、稀に思考が消えていくところまで観察することができる時もあります。
ひたすら思考の観察に励めば、毎回思考の起こりから消えるところまで観察できるようになるのでしょうか?

486<削除>:<削除>
<削除>

487避難民のマジレスさん:2014/10/15(水) 19:45:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。

金剛般若経のCD、あるいはできたらネットで聞けるサイトをご存知ないでしょうか?

488避難民のマジレスさん:2014/10/15(水) 20:46:42 ID:jfWCoXjM0
空の法や逆観は、対象を無とできるイメージ力が必須ですか?

489鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/15(水) 21:59:28 ID:EsQtb4vg0
>>483 そうじゃ、続けるのじゃ。
 精進あるのみじゃ。
 
>>484 どういたしまして、またおいでなさい。

>>485 思考を自分と感じていればそのようにも思えるじゃろう。
 しかしいずれは思考が己ではないと気づくものじゃ。
 そうすれば思考のもたらす苦から離れられるのじゃ。

 思考したと思うのでは無いのじゃ。
 ただ眺めるだけで良いのじゃ。
 思考が起きては消えていく様を眺めるのじゃ。

 それらを見分けなくて良いのじゃ。
 今の段階では認識しているのはいずれにしても記憶であるのじゃ。
 ただ起こっては消えていく思考を眺めるのじゃ。

 日々続けるならばいずれは思考が起こっては消えていくのが観察出来るようになるじゃろう。
 それまで精進あるのみなのじゃ。

>>487 知らんのじゃ。
 自分で作ったらよいのじゃ。
 役に立つじゃろう。

>>488 必要じゃろう。
 日々続けていればそのような力もつくのじゃ。
 毎日精進あるのみじゃ。

490避難民のマジレスさん:2014/10/16(木) 04:34:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。
はい。全部暗記したら、ブログでも作って正確な読み方を、書きたいと思います。
どっかに読経が聞けるお寺さんはないかも探してみます。

491避難民のマジレスさん:2014/10/16(木) 09:30:33 ID:lbuPWhfI0
>>490
youtubeで「金剛般若経」と検索すればいくつか出てきませんか?
詳しくないのでわからないのですが、2つほど読経らしきものがありましたよ。
まぁひとつはイミーウーイさんのやつなので、サンスクリット語(?)の歌でしたけど(-_-;)

492避難民のマジレスさん:2014/10/16(木) 11:49:05 ID:LC3de7YgO
>>491
ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
私も思い付く限りの言葉で検索してみましたが、見つかりませんでした。中国語のは出てきます。
屋外での大般若経の読経会(?)みたいのはありましたが、音が割れてて聞き取れませんでした。

493避難民のマジレスさん:2014/10/16(木) 12:44:32 ID:lbuPWhfI0
>>492
そうでしたか。
私もCDとかないか調べてみたのですが、
般若心経は多々ありますが金剛般若経となると見当たりませんでした。
お力になれずすいません(-_-;)

494避難民のマジレスさん:2014/10/16(木) 12:50:41 ID:F3Uh0Ekk0
>>489 ありがとうございます。
改めて思考の観察をしてみました。
妄想ではなく、確かに思考が観察できていると、何によって判るかお教えください。

私の感覚ですと、思考が観察できている時には、同時に他の感覚や感情などの心の動きも観察できています。
逆に思考が観察できていない時には、心の中が思考のみで占められている感覚があります。
これらの感覚で正しいのでしょうか?
あるいは他に思考が正しく観察できているか確かめる方法はありますか?

495鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/16(木) 21:36:48 ID:am.H03fw0
>>490 そうじゃ、どんどんやったらよいのじゃ。
 何でも試してみるのじゃ。

>>494 それでよいのじゃ。
 自らの感覚を頼りに進むのじゃ。

 観察が出来ていれば常に何か新しい発見や気付きがあるじゃろう。
 そのように他の感覚も観察できるとかのう。
 それが観察の出来ている徴なのじゃ。
 思考ならば新しいことは何も無く、記憶の繰り返しだけなのじゃ。

496避難民のマジレスさん:2014/10/17(金) 00:31:07 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんは、よく 「自分の本心を観察してみるのじゃ」 と言われて
いますが、自分というものは本来無いものなのに、本来はないものの
本心というのがよく分かりません。本心というものが状況によって変化
していて、これが本心だというものをつかむことができません。

497避難民のマジレスさん:2014/10/17(金) 15:04:30 ID:GoxQhzng0
鬼和尚、オレンジ・ブックの中でお勧めの瞑想をいくつか教えてください。

498避難民のマジレスさん:2014/10/17(金) 15:11:15 ID:HF1Z5IZA0
>>495
観察により、常に何か新しい発見や気づきがあるのですね。
自分の感覚を頼りに、しばらく思考の観察に重点的に励もうと思います。
ありがとうございました。

499避難民のマジレスさん:2014/10/17(金) 21:19:55 ID:NpBkhqbI0
「人生における問題の本質、原因、結果を観察してみるのじゃ」とアドバイスを頂いた者です。

私の人生の問題は

①自分の好きな仕事に就けない(仕事を嫌々やっている)というのが大きな問題になっています。

その原因としては、子供のころから好きでもないことを一生懸命努力してやってきたカルマがあると思います。
その結果、未来においても、無意識に、好きでもないことを嫌々選択してしまう。
結果、能率が上がらず、情熱もわかず、疲労ばかりが蓄積される。

その他の問題もありますが、最大の問題が上記で、上記の問題の本質が解消されれば、すべて解消されそうな気もします。

500鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/17(金) 21:54:36 ID:TjlWsuug0
>>496 無いというのはそのように教え込まれた知識に過ぎないのじゃ。
 本当に無いと実感しているならばそもそもそのような疑問も起こらないじゃろう。
 自らを偽らず、今の実感を観察する事が本心を観察する事なのじゃ。

>>497 トラータカなどをすると良いのじゃ。
 集中力が増すじゃろう。
 睨むと目つきが悪くなるから笑顔でやると良いのじゃ。

>>498 そうじゃ、観察すれば小さな事でも常に発見があるじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

501避難民のマジレスさん:2014/10/17(金) 22:00:19 ID:NpBkhqbI0
そういえばお釈迦様は毒矢経で、原因を探すより、その矢を抜きなさいと言ったそうですが、
人生の問題において「矢」とは何にあたるでしょうか?
そしてその矢はどうやったら抜けるものでしょうか?
原因を探すなといいますが、矢自体が(苦しみの)原因でもありますよね。
やっぱり原因を探して、それを避けよという教えなのでしょうか

502避難民のマジレスさん:2014/10/18(土) 08:52:01 ID:GoxQhzng0
>>500
ありがとうございます。
オレンジ・ブックだとトラタッカというものですね。
やってみます。

503避難民のマジレスさん:2014/10/18(土) 14:47:30 ID:QMm34KcU0
>>496 に関連しての質問ですが、一般の人は別として、悟っている
鬼和尚さんには特に 「本心」 のようなものはないのですか?

504避難民のマジレスさん:2014/10/18(土) 21:01:58 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、ラジニーシOSHO が「自分がある時に真理はない」
「自分がない時に真理がある」 と言っていましたが、
「自分がない時に真理がある」 のを観る者は何者ですか? 
「真理が真理を観ている」 のですか? それとも、我に返った時
に思い起こして分かることなのですか?

505鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/18(土) 23:07:16 ID:DUSQIrbM0
>>499 それがわかったならばさらにその問題の本質を探してみるのじゃ。
 嫌な仕事をなぜしているのか?
 好きな仕事をしてはいけないのか?
 なぜそのように思うのか?
 深く自分の本心を追及してみるのじゃ。

>>501 毒矢とは本来自分とは何の関係も無い事を、延々と考える妄想なのじゃ。
 多くの人間はそのような思考にとらわれているものじゃ。
 親に社会的に成功しろとか、見栄えの悪い事はやめろとか、そのようなことを言われて従っていたりするのじゃ。
 社会など無いのに自ら観念妄想に囚われるのじゃ。

 自らの本心を観察して、それが観念妄想だと判ればその瞬間に楽になるのじゃ。
 例えば旅の商人が多くの荷物を抱えて、遠い目的地に行かなければならないとか思っているとしよう。
 しかし旅の途中で良く考えれば、そんなに遠くに行かなくても良かったと気付けは、その瞬間に荷物を降ろして楽になるじゃろう。
 そのように今の自分の心に気付き、観念妄想に囚われていたと気付けば不要な行いを全て放棄して楽になるのじゃ。

>>502 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

506鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/18(土) 23:19:03 ID:DUSQIrbM0
>>503 本心とは日頃の世俗の行いで自らの感情や考えを抑制している者が、隠している心なのじゃ。
 心を隠す事が無ければ現れている心がそのまま本心なのじゃ。
 
>>504 そこに者は無いのじゃ。
 主体が無ければそこに真理があるのじゃ。
 自我が無くとも認識はあるものじゃ。
 自我が認識を持っているのではなく、認識されているものが自我なのであるからのう。

507素人A:2014/10/19(日) 08:57:21 ID:gOqWUDAs0
修行する人は禁欲しなければいけないと?私は禁欲しないから○で◎に成れないのか?今の時代禁欲なんてでも本写すだけだ
からネタないし写すか。ラーマクリシュナの場合は精をもらさずだし。インドの光 ・・・この全く肉欲を離れた夫婦関係は.
一般の人々からみれば不可能と思われるかも知れない。しかしインドの宗教家の考えによれば.精神力を発揮するために第一
の必要条件は.禁欲である。ラーマクリシュナは「もし人が十二年間絶対の禁欲を守るならば.超人間的な偉力を獲得する」
とも.「もし神を体得しようと思うならば.絶対の禁欲を守らなければならない」とも言っている。この思想は仏教その他に
おいても同様である。たとえば仏教でも戒.定.彗の三学という考えの基調は生活様式の限定制限(戒)を予備条件として
(定)を完成し.これによつて宗教認識(彗)を得るという意味でこの中.戒の重要項目であることはいうまでもない。
??つまり我々はこの世うからあの用に生きたく無いのか?さあとりあえずまあ善いか悟り何のヨウガあるのか?
なかなか金は無くても心は錦庭成れないあれも星意是も星意心は散舞です

508素人A:2014/10/19(日) 09:02:52 ID:7bX9RRzY0
また何も考えていないから貼り間違いました。避難所へ張りなおします。
とにかく私は間違いく間違いが多い 少しは考えます。言うだけで実行
するかどうか

509避難民のマジレスさん:2014/10/19(日) 15:08:39 ID:NBfb1I5I0
何もかも忘れて物事に没頭出来れば、ゾーンに入れると思う。
体の重みすら感じなく、純粋に楽しいのだ。

510避難民のマジレスさん:2014/10/19(日) 18:09:06 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、 >>496 >>503 に続く質問ですが、何かに腹を立てていても
怒っていないように見せる必要がある場合がありますよね。
その場合、「腹を立てていない」 のは見せかけで、「腹を立てている」 のが
本心であると考えられます。しかし、深く自分の心を見つめると、小さな自分
にこだわっているから腹が立つので、見方を変えると 「腹が立っていない」
のが本当の本心であることに気が付く場合もあります。つまり、本心というもの
も一つだけ存在するのではなく、見方や洞察の深まりによってどんどん変化する
ものなので、本当には捕まえようがないものだと思えるのですが、どうでしょうか?

511鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/19(日) 21:54:33 ID:8Upa.Guk0
>>507 したくなければしなくてよいのじゃ。
 異性を遠ざけても心の中で思っていては無意味であるからのう。

>>510 捕らえどころが無くとも観察しつづけるが良いのじゃ。
 観察は知識を得るためではないのじゃ。
 気付きを促し、厭離を起こすためなのじゃ。
 捕らえどころがあっても無くても続けるだけなのじゃ。

512避難民のマジレスさん:2014/10/20(月) 05:05:37 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、おはようございますヽ(・(∀)・)ノ龍明であります。

金剛般若経は3ページ目に入りました。
今朝40分座し、感じたことです。
まず、集中力を振り絞り、丹田の気に意識を張り付け、思考が流込む隙間を塞ぐ。思考は起こらない。
5分くらいして少しずつその張り付ける意識を緩め、普通に集中する。思考はすぐにはわいてこない。自分的には、その集中する意識も日常の意識なのだが、何か厳重に思考が封印されていることを「自我」が警戒し、記憶の倉庫から雑念の種を取り出す機会をうかがってるように感じられた。
そしたら、思考がわいてきた。自分は瞑想に対する期待が非常に強いと言う思考。それは執着だろという思考。

ピタッと張り付けたり、ちょびっと緩めたり、こんな感じのことを繰り返してました。気を緩めるとすぐにあっさり巻き込まれる。

意外と張り付けっぱなしにしてもそんなに疲れないのかなと・・・今さらながら思ったりしました。
今さらながらであります。

513素人A:2014/10/20(月) 07:45:33 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん 如来とは? 未来という言葉に似ている?詰まり未来の時間が内
先我無いひとで真ぬ一歩手前のひとで?過去の思い出の中に眺めれば一つも
間違いない過去が存在するあたりまえか。我々もこの世うに着た過去は歴史
で間違いなく過去で?ほんとは間違いなく未来いや如来の内?仕事で着たのか
観光できたのか未来からみれば一つも間違いない。でも今に夢中であーだこうだ
でまあ良いかに納得出来ない要になつている。解らないのも辛いし解りすぎる
のも面白く無いし中途半端な位置が一番なのですか?解っているひとは是いっちや
不味いので言葉かりで沈黙する辛い立場なのですか 。

514避難民のマジレスさん:2014/10/20(月) 19:30:28 ID:jfWCoXjM0
四苦八苦を解説してもらえませんか?

515鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/20(月) 22:22:48 ID:afACYryI0
>>512 善い事じゃ。
 日々精進あるのみなのじゃ。

>>513 来るが如し、去るが如しなのじゃ。
 そのように観念を超越した存在を如来と呼ぶのじゃ。

>>514  生老病死の四苦と、愛する者と離れる愛別離苦、憎んでいる者と会せねばならない怨憎会苦
 欲する物が求めても得られない求不得苦、身心の五蘊をコントロールできない五蘊盛苦なのじゃ。

 生とは生きものという観念による苦なのじゃ。
 己が生あるものであり個体であると思うことから孤独や寂しさが生まれるのじゃ。
 老いて行く事も、病になる事も、死ぬ事も人は恐れ苦しむのじゃ。

 さらに日常でも愛するものとはなれなければならん苦とか、憎い者とも一緒に暮らしたり、仕事をしたりしなければならん苦や、
 ほしいものも得られない苦や、身心がコントロールできない苦などもあるのじゃ。
 正に一切がみんな苦なのじゃ。
 
 なぜそのような苦をわざわざ説くのかといえば、それもまた観察するための指標なのじゃ。
 今の己の苦がどのような苦であるのか、可能な限り客観的に観察し、原因を探すために四苦八苦を表すのじゃ。

 大方の苦の原因は己があるという思いによる無明であり、そこから起こる執着であるのじゃ。
 そのような原因を探し観察によって滅するために、四苦八苦という分類があるのじゃ。

516避難民のマジレスさん:2014/10/21(火) 19:57:30 ID:jfWCoXjM0
>>515
解説ありがとうございます。

五蘊盛苦について詳しく解説してもらえませんか?

517避難民のマジレスさん:2014/10/21(火) 20:50:15 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんに質問です。
仮に、の話ですが、もし鬼和尚さんが子供の頃非常に貧しくて
飢え死にしそうだった時に、二人の修行者が目の前を通った
とします。一人は 「自分の修行が一番大切だから」 と言って
鬼和尚さんを無視して通り過ぎ、もう一人は自分の修行を一時
休んで、食べ物やお金を集めるために奔走してくれたとします。
鬼和尚さんは、どちらの修行者が立派だと思われますか?

518鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/21(火) 22:19:22 ID:pbYcR2wo0
>>516 五蘊とは肉体、感覚、思考、分別、記憶などの身心の要素なのじゃ。
 それが苦に繋がるのは執着があるからなのじゃ。

 自らの肉体に対する執着、感覚の喜びや、苦痛を避ける事への執着、思想信条等に対する執着、
 認識したあらゆるものへの執着、過去の記憶や記憶の対象への執着、などが苦を起こすのじゃ。

 五蘊そのものは目覚めた者にもあるものじゃ。
 いきなり肉体が消えるわけではないようにのう。
 それらが即ち苦なのではなく、それらに対する執着が苦を起こすのじゃ。
 それが五蘊盛苦なのじゃ。

>>517 どちらも偉いのじゃ。
 優劣は無いのじゃ。
 修行を先にするか、慈悲を優先するかの違いだけなのじゃ。

519避難民のマジレスさん:2014/10/22(水) 13:08:46 ID:1/XG4j0Q0
鬼和尚、
自他の境を観察しようとしています。
観察対象とは関係なく、結局自分と認識すれば自分となり、自分と認識しなければ他となるようですが、これは正しい観察でしょうか?

転がっているペンも、自分のものだと思えば、人に勝手に使われると感情が生じますが、自分のものだと思わなければ、感情は動きません。
自分の体や心に関しても、同様なのだろうと思っていますが、未だ観察により習慣が断ち切られていないので、その実感は湧きません。
瞑想でそれらの一部を一旦厭離できても、しばらくするといつの間にかまた習慣化され、元に戻ってしまいます。
これは、厭離が不完全だからでしょうか?

520避難民のマジレスさん:2014/10/22(水) 21:59:49 ID:jfWCoXjM0
>>518
肉体が滅びた後に、目覚めたものはずっと無認識になるんでしょうか?
目覚めていないものは、肉体が滅びた後も認識は続いていくんですか?

521鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/22(水) 22:19:29 ID:DUSQIrbM0
>>519 それで正しいのじゃ。
 更に続けるのじゃ。

 まだ肉体を厭離する覚悟が出来ていないようじゃ。
 今一度自らの本心を確かめるのじゃ。
 すでに厭離は起こって居るのじゃ。
 何度も行えば気付きが起こり、厭離も完全になるのじゃ。
 
>>520 そうじゃ、もはお者という認識も無いのじゃ。
 目覚めていなければ認識はあるじゃろう。
 個我もいずれ起こり、続いていくと思うのじゃ。

522<削除>:<削除>
<削除>

523避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 11:13:16 ID:WL2yRwjAO
本心を観ると言うのは、本心をさらに厭離すると言うことですよね?
本心が滅却され無になることを目的としているのでしょうか?

524避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 11:30:58 ID:GoxQhzng0
1 名前:1[] 投稿日:2013/07/27(土) 08:52:37 ID:WL2yRwjAO [1/253]
鬼和尚限定の質問スレです。

上はこのスレのpart1なんだけど、そこだけでもあなたは253も書き込んでるんだよね。
その中には質問以外のレスも有るだろうけど、あなたの場合はもう質問しないで
過去の自分の質問と鬼和尚の答えを何度も見返した方が良いんじゃないかな。
ただ思い立ったことを質問してるだけじゃ進歩は無いと思うよ。

525避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 13:13:44 ID:WL2yRwjAO
ご意見を有り難くうけたまわりますが
他人よりまずは自分の書き込みの数を数える方が賢明でしょう。

526避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 13:36:13 ID:GoxQhzng0
数は専ブラが勝手に付けてくれるので、あなたのレス数を私がわざわざ数えた訳じゃ無いですよ。

確かにあなたに進歩が見られなくても私には関係ない事でした。
どうぞ気の済むまで同じような質問をし続けて下さい。

527避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 13:48:46 ID:WL2yRwjAO
ありがとうございます。

貴方の修行が進む事を願っております。

528<削除>:<削除>
<削除>

529避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 21:25:51 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さんから見て、東南アジアの南伝仏教の指導者で
本当に悟った僧侶は存在していると思われますか?

530避難民のマジレスさん:2014/10/23(木) 21:35:14 ID:wzaF4XgM0
>>521 ありがとうございます。
未だ、自我に対する愛というか執着が残っているようです。
地道に自我の解体を続けようと思います。

それでさしあたり、下らないウェブサイトを見る習慣を厭離しようとしたのですが、今ひとつ、見たくなる原因が判りません。
このように、縁起の連鎖の原因が分からない場合に、それを見つけるコツなどがありましたら、お教え下さい。

531鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/23(木) 21:47:17 ID:f/4hp5tM0
>>523 そうじゃ、本心も滅するために観るのじゃ。
 例えば本当は悟りたくも無いのに修行する振りをしていたらいつまでも悟れないのじゃ。
 本当は何がしたいのか、自分自身に明かさなければ進歩は無いのじゃ。
 自分を誤魔化していれば苦を滅する原因も見つからないのじゃ。
 自らの本心を観て始めて苦は滅し、進歩して行くのじゃ。

>>529 いないのじゃ。
 習慣的な修行に囚われすぎているようじゃ。
 今ここにある自分の心を観察するべきであるのに、経文の通りにすればよいと思っている居るからじゃろう。

>>530 そのような習慣は大抵は孤独感や寂しさから逃れるためなのじゃ。
 孤独から不安が起こり、他人の事も気になるのじゃ。
 いろいろと見たりいらない情報を探す事で慰めを得ているのじゃ。
 そのような心境が無いか本心を観察してみるのじゃ。

532避難民のマジレスさん:2014/10/24(金) 12:50:31 ID:wH0JIS760
>>531 ありがとうございます。
どうやら、為すべきことからの逃避が原因のようですが、他にも原因がありそうです。
さらに本心を観察してみます。

ところで、ダンマパダ(中村元訳)を読んでいるのですが、修行が進むにつれ、お釈迦様の言葉が少しずつ実感できるようになって来ました。
それで、いくつかは現代の日本人に合わなかったり、間違って伝わったりした部分があるのではないかと思います。修行が不十分で、まだ理解できていないだけかもしれませんが。
もし、鬼和尚から見て、ダンマパダで訂正したほうが良いと判断される部分がありましたら、お教えください。

533鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/24(金) 22:00:40 ID:f/4hp5tM0
>>532 特に無いのじゃ。
 今はそぐわないと思う言葉もいずれ意味が判ってくるじゃろう。
 それも老病死を超えるためには必要な事なのじゃ。
 わかるまで学びに努めるが良いのじゃ。

534避難民のマジレスさん:2014/10/24(金) 22:32:58 ID:Y5LPInQE0
鬼和尚さん

心を観察するのは何故ですか?
今日、観察していて、観察すると心が静かになるのですが、苦しくもなってきて
究極的には、心を観察することでどうなれば良いんですか?

535<削除>:<削除>
<削除>

536避難民のマジレスさん:2014/10/25(土) 10:30:24 ID:wH0JIS760
>>533
訂正は特に無いのですね。
ダンマパダをよく読み、今の自分にそぐわないと思ったり、ひっかかったりする部分は、なぜそのように思うのか、本心を観察してみようと思います。
お答えくださり、ありがとうございました。

537<削除>:<削除>
<削除>

538避難民のマジレスさん:2014/10/25(土) 18:04:14 ID:N1eXEuss0
和尚様
禅定に入って諸仏から法を聞き直接指導を受けることは出来るのですか?
今自分は何をすべきか何の修行をすればいいか聞きたいのです

539そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/10/25(土) 18:15:06 ID:Wjp1HTcs0
鬼和尚
瞑想中は集中していて、
以前より「我」の感覚が随分減ってきています。

瞑想をしていない時、
自分の観察をずっと続けていますが、
「我あり」という感覚がとても見えます。
また、やらなければならないことがあるのですが、
それは「我」に反することであり、
それから逃避ばかりしているのが見えて苦しいです。

540鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/25(土) 22:25:42 ID:NRafpKAg0
>>534 心によって認識されている自分というものを厭離するためじゃ。
 そして認識をも厭離すれば真の悟りが得られるのじゃ。

 心によって認識される自分は観念だけの存在であり、実在はしないのじゃ。
 それを実在と認識する事によって苦が起こるのじゃ。
 それが無くなれば自分という観念による苦が起こることもないのじゃ。
 そして認識をも滅すればもはやその観念が二度と起こることもなくなるのじゃ。
 それが永遠の安らぎである不死の境地なのじゃ。

>>536 どういたしまして、またおいでなさい。

>>538 それは可能であるが、その仏はおぬしの心から起こる観念なのじゃ。
 いつでも自らの本心を観察する事が真の修行なのじゃ。
 進歩が無いと想うのならば、今一度自分が本当に本心を観察しているのか、
 或いは自分を騙したり誤魔化しているのではないか、点検してみるのじゃ。
 本心が観られれば必ず気付きがあり、進歩があるものじゃ。

>>539 なぜ苦しいのか原因を探してみるのじゃ。
 原因が判れば苦もなくなるのじゃ。
 常に基本に戻って深く自分の本心を観るのじゃ。

541<削除>:<削除>
<削除>

542避難民のマジレスさん:2014/10/26(日) 11:55:13 ID:N1eXEuss0
>>540
ありがとうございます

543鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/26(日) 21:32:06 ID:IEv2XpwQ0
>>542 どういたしまして、またおいでなさい。

544避難民のマジレスさん:2014/10/27(月) 18:40:18 ID:QMm34KcU0
鬼和尚さん、他のスレで以下のような書き込みを見つけました。

「俺が発作で救急車で運ばれた時、前後の記憶はまったくなかった。
店で支払いをしていたと思ったら知らない場所のベットにいた。
何を言ってるのかわからねえと思うが、俺も何を言っているのかわからねえ。
説明を受けてここが病院であるという事がわかったが、なんで病院にいるのか
がさっぱり理解できなかった。
意識を失ったらもう記憶もクソもねえと思うわ。」

↑ この人はこの体験をもとに死後は意識が消えることを主張しているのですが、
この人の記憶がなかった間((意識を失っていた間)、本来の意識はどうしていた
のですか? 鬼和尚さんはこの人の体験が「死後に意識は消える」ことの根拠に
なり得ると思われますか?

545<削除>:<削除>
<削除>

546避難民のマジレスさん:2014/10/27(月) 21:03:41 ID:jfWCoXjM0
2014年って崩壊の序章みたいな感じを受けます。
鬼和尚の妙観察智では、これからの世界ってどう観えますか?

547鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/27(月) 22:03:05 ID:YGevnPV.0
>>544 それが記憶についての話であることをよく観察するのじゃ。
 記憶が無かったから、意識も無くなったと想っているのじゃ。
 記憶が意識と想っているだけなのじゃ。
 何かについての記憶があればそれが意識であり、記憶が無ければ意識がないと考えているのじゃ。

 実際には意識そのものは常にあるのじゃ。
 それが無ければ肉体も機能を停止しているのじゃ。
 記憶が出来なかった時でも意識はあり、肉体を維持していたのじゃ。
 
 そのような時には肉体の外に意識を感じたりする者も居るのじゃ。
 記憶できなかっただけでは意識が無い事の根拠にはならないのじゃ。

>>546 人の世は常に闘争と修好の間を行き来しているものじゃ。
 関わりあえばきりがないものじゃ。
 これからも闘争したり仲良くなったりするじゃろう。
  
 おぬしの世界はいつか必ず崩壊するじゃろう。
 おぬしの自身の老病死によっておぬしの世界も崩壊するのじゃ。
 おぬしの世界はおぬしの心が作っているのであるからのう。
 2014年に世界を崩壊させようとおぬしが思うのならば、そうする事が出来るじゃろう。
 やはり2014年には世界を繁栄させようと想うならば、おぬしにはそうする事が出来るじゃろう。
 全てはおぬし次第なのじゃ。

548避難民のマジレスさん:2014/10/27(月) 22:11:40 ID:f6yHi5Eg0
鬼和尚さま、以前こちらで相談をして、励ましのアドバイスを頂いたものです。
おかげさまで少しずつ心も落ち着いてきました。
当時は自殺も考えていましたが、今は本当の心を逃げずに見つめて
最悪な時も、最期の時でも不安や恐怖におびえるだけじゃなく、
学びに繋げられれば、この人生が無駄になることはないと、
思えるようになりました。本当にありがとうこざいます。
鬼和尚さま、この機会に恐縮ですが、名前をいただければ勇気百倍です。
よろしくお願いします。

549<削除>:<削除>
<削除>

550避難民のマジレスさん:2014/10/28(火) 09:52:38 ID:hjP5qw.20
和尚、こんにちは。

思考が頭の中で声となってしまうのはどうしてなのでしょうか。
脳内音読でググってみると、分野こそ違えど苦労されてる方もいるようです。

私の場合は思考が浮かんだとき、それを誰かに説明するかのような設定で脳内チャットが開始されてしまいます。
しかも会話速度が日常通りのためか、我にかえった時かなりの時間を割いていたことに気づいて嫌になります。
当然、その間は目の前のことが見えておりません。

慈悲瞑想においても気づくと脳内で声に出して呟いているようになり、
なぜか脳内なのに言葉が噛んでしまい中段してしまうことがあります。

思考が作り上げたロジックを脳内で答え合わせしているように思えるのですが、
これを止めてしまっても実生活に問題はないのでしょうか。
もし問題ない場合、これを止めるよい訓練法などがありましたら教えていただきたく思います。

551避難民のマジレスさん:2014/10/28(火) 20:36:26 ID:jfWCoXjM0
>>547
ありがとうございます。修行と布施を続けていきます。

552鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/10/28(火) 22:23:02 ID:BFQxsfRE0
>>548 良かったのじゃ。
 おぬしの名前は善く真理を慧る善慧(ぜんけい)なのじゃ。
 善慧よ、更に学びに努めて衆生をも安らげるのじゃ。

>>550 それはおぬしが言葉による思考を習慣としているからじゃろう。
 止めても良いのじゃ。
 集中の瞑想により、思考を眺められるようになれば自然に止まるのを観察できるじゃろう。
 思考も意識を向けなければ自然に止まるのじゃ。
 思考の無い意識を経験し、思考が己ではないと気付くが良いのじゃ。

>>551 そうじゃ、精進あるのじゃ。
 またおいでなさい。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板