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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】
1
:
片山第弐BBSイケイケ共同管理隊(*^o^)/\(^-^)/\(`д`)★
:2005/09/24(土) 21:04:57 ID:Pe0Ja0rU
「おもに一般さん(&信者さん)がKK仏法真理についての疑問などを提示し、おもに信者諸氏が回答するスレッド」です。古参ネット信者ヴァイオラさんのリクエストによってスレ立てとなりました。
このスレでは幸福の科学やその教えについて知りたい一般の人、被伝道対象中な人、新参信者さんとかの素朴な疑問、「ここが知りたい!!」などに、ネット界隈のKK信者さんが答えてくれる、というスレです。
「おしえて、そもさん!!」「せっぱ(説破)!」 ・・・イメージとしてはOKWEBのような感じですが、ネット伝道を推奨されていないというKKにおいて、その信者さんがいったいどこまで答えてくれるのか見物ですね。
KKアンチ、KK退会者、中立など、信者以外の皆さん。このスレの問答への批判、反論は【ザKK7・法論スレ】から存分に榴弾攻撃してくださって結構です。あるいは反論や疑問を、直接この「問答スレ」に書きこまれてもいいですが、【テンプレ書式】には従ってください。
〔問答スレ・ルールとテンプレ〕
・Q&Aの【テンプレ書式】を提示しますので、投稿者(質問者、回答者、そのた野次者ふくむ)は書式に従っての投稿をお願いします。
・アラシ行為を禁じます。テンプレを守らないものや、単なるAAカキコなども禁です。
・故意に書式に従わない投稿は、管理人が移動や削除。そのほか質問や回答の体をなしていないものなども、移送または削除の対象になる場合があります。
*******〔質問者テンプレート〕*******
【質問】
【属性】
【内容】
*******〔回答者テンプレート〕*******
【回答】
>>13
【属性】
【お答え】
*******〔その他レステンプレート〕*******
【物言い】【ちょっと待った!】【批判】【反論】【苦情】【お礼】【解決】【継続】【追加】【便乗】
>>24
【属性】
【内容】
〔天婦羅説明と凡例など〕
◎1行目→ 質問の場合は→【質問】と明示します。その後は空白でもいいしタイトルっぽくしてもOKです。例:【質問】愛kk無罪ってなんですか? 回答の場合は→【回答】
>>13
のように、>>に続けて質問NOを明示します。半角英数です。その他レスの場合は→【物言い】【お礼】
>>24
のようにやはり番号をつけてテンプレ例にしたがってね。
◎2行目→ 【属性】 このあとに「一般 アンチ シンパ 退会者 信者 幽霊会員」など発言者の属性や簡単な説明を明記してください。例:【属性】一般(親が会員)
◎3行目→ 【内容】or【お答え】 このあとに質問、疑問、回答、その他の本文をどぞー。
137
:
僧
:2007/03/06(火) 01:50:18 ID:Hpy1NZwE
【回答】136
【属性】信者
【前説】先に私の前言134について少し説明させてください
エートスさん。はじめまして。幸福の科学信者の「僧」と申します。よろしくお願い致します。【テンプレ使用】の件、大変失礼致しました。以後気をつけますので、どうぞお許し下さい。
はじめに、私が唐突に書き込みいたしました134について申し上げます。この文章はかつてのソドム氏の108「ソドムkk問答1」に対する、私なりの回答でした。この問答には既に他の信者さんが立派にお答えなさっているのに、いまさら私が答えを述べるのも蛇足ではないかと思いましたが、信者側からの回答が多ければ、より全体像がつかみやすいのではないかと考え、お答えさせていただきました。
まず私が申し上げました“「固定化」することも「非固定化」することもない”という発言についてご説明いたします。この文は「問答1」にあった「大川(総裁)の価値観によって固定化」という言葉に対して発したものであります。私はソドム氏の言う「固定化」に対して「固定化」ではないと否定し、同時に「非固定化」と結論するのも違うと言いたかったのです。仏の悟りは融通無碍であり、「法(仏法真理)」の観点から真実を明らかにし、各「文明」を収束することができます。つまり真実が明らかになることによって「法」による秩序が復活し、文明間の対立、争いを解決することができるということを申し上げたのです。
次に、“「真理そのもの」を悟らんとしている”についてですが、私自身「真理そのもの」を悟っているわけではなく、「真理そのもの」を提示することは出来ません。私は「真理」とは探究するものであり、「真理探究」の過程にて副次的に「悟り」を高めていくプロセスなのだと考えています。そして「真理探究」の普遍的メソッドこそ「四正道」や「正しき心の探求」であり、それこそがすべての人が「真理」へ向かって正しく歩むことが出来る「大道」であると申し上げたかったわけであります。
【お答え】「善悪の価値判断は人の意識に属するものであり、それにより諸々の規範は価値中立ではあるのだがTPOにより善悪の両面を持つ」について
わたしは百式さんとエートスさんの議論の流れの全体像がつかめていませんので、的確にできる自信はありませんが答えさせて頂きます。
まず“善悪の価値判断は人の意識に属する”についてですが、私は人の意識には「法則性」が働いていると思います。人間が死後どの次元に還り、どういうあり方をするかを決定する「原理」があるということです。そして当会の書籍で様々な著名人の霊界における境涯について学び、堕地獄した方の世間一般の評価との乖離などを見るにつけ、何か奥深いものを感じずにはおれません。それぞれの方達は生前自らの価値判断に則って生き、その結果天国地獄各次元世界に振り分けられたわけですから、法則性の存在は否めないと思います。
つぎに“諸々の規範は価値中立ではあるのだがTPOにより善悪の両面を持つ”というお考えについてですが、大川隆法総裁も「『人・時・所』の三つの視点から他人との衝突が起き、妨害や不愉快、迷惑などを惹起して、そこに悪が生じます。」と言われています。それと同時に、「これはあくまでもこの世的な説明に限った善悪である、という面はいなめないかもしれません。」とも仰っています。結局神の属性としての「善」と、たとえば交通ルールを遵守するといった「善」では文字は等しくても「理念」としては違うものなのではないかと思われます。
【追伸】
わたしには仕事能力と時間の両方が不足しており、お返事が遅れることがありますのでご了承下さいませ。
138
:
僧
:2007/03/06(火) 01:57:14 ID:Hpy1NZwE
前項、改行が不適切で見苦しくなりました。お詫び申し上げます。
139
:
エートス
:2007/03/07(水) 00:09:29 ID:MtanZhaQ
【質問】【継続】
>>137
【属性】 一般人
【内容】 規範の源泉について継続
僧氏、御丁寧なお答えをありがとうございます。
かなり抽象的な話なのでもう少し当方の理解が進むまで質問させて下さい。
>“「真理そのもの」を悟らんとしている”についてですが、私自身「真理そのもの」を悟っているわけではなく、「真理そのもの」を提示することは出来ません。
「エルカンターレは地球の最高位に位置する神であり_人類の生みの親である」というのは信者さんにとっては「真理そのもの」だと思うのですが_これを探究することが悟りを高めることにつながる_とすれば、信仰の形態として「エルカンターレは本当に至高神なのだろうか?」というのもあり得るということですか?
これを信者さんは「疑」といってひどく嫌っているようなんですが。
>それこそがすべての人が「真理」へ向かって正しく歩むことが出来る「大道」であると申し上げたかったわけであります。
それがどんなものであろうと、少なくとも真理に向かうのを「よし」とすることはできますネ。
しかし、真理へと向かって歩む道に「正しい」「正しくない」があるとすればそこにはすでに人間意識の価値判断が入り込んでいるように思えますが。
>結局神の属性としての「善」と、たとえば交通ルールを遵守するといった「善」では文字は等しくても「理念」としては違うものなのではないかと思われます。
わたしは規範そのものが価値中立説なので、逆説的ですが、それを教える時には「ダメなものはダメ」というように理屈抜きでなければ無理だろうと思っています。
「殺してはいけない」といっても特定の社会環境では殺人行為が肯定されたり認められていることもありますから理由を持ち出したらきりがない。
もちろん規範を示す方にも示す責任は伴います。それが大人の責務でしょうね。
神の属性としての「善」と書かれていますが、「真理そのものを提示することはできない」というあなたの立場からだと、これも断言はできないわけですね。
まさに神の属性は神のみぞ知る_ということなんですから。
ただし、理念としての「善」があり得る_というのはよく理解できます。理念は神からもたらされたものと考えてもいい。
理念としては「愛」「秩序」「自由」「平等」「正義」などなどあるわけですが、その理念が善悪どちらに転ぶかはやはり人の領域に属する問題になるだろうと思います。
例えばKKでいえば「奪う愛」、一般的にいわれる「悪平等」などですね。
140
:
僧
:2007/03/10(土) 22:50:32 ID:mzS/6h5c
【回答】139
【属性】信者
【お答え】
>信仰の形態として「エル・カンターレは本当に至高神なのだろうか?」というのもあり得るということですか?
「エル・カンターレは本当に至高神なのだろうか?」という疑問は、信仰に入る以前の方がもつ考えだと思います。「疑」があれば信仰が成立しませんので、信仰形態として「疑」はありえません。
私が「真理探究」と言ったのは、決して「不信」の観点から疑問を追及するようなことではなく、まず「信仰心」をたて、「経験」「気づき」「理解」「悟り」などを通して、仏の限りなき高さ、限りなき広さを探求することであります。
しいて例えるならば、「徒歩で旅をして地球の広さを実感する」ようなものです。
>真理へと向かって歩む道に「正しい」「正しくない」があるとすればそこにはすでに人間意識の価値判断が入り込んでいるように思えますが。
私の「信仰」に限って言えば、信仰の「是非」についての価値判断する余地というものは、すでに私の心の中にはありません。
ただ、日常における「人間意識の価値判断」は当然ございます。
>まさに神の属性は神のみぞ知る
仏神はまったく明らかなる存在です。おそらく誰でも主観的には仏神を知っていると私は思います。ただ、その程度に個人差があるということではないでしょうか。
私たちはやがて霊界へ帰るわけですが、少なくても天国へ帰ることができれば、「仏神の属性」はその人に応じたレベルで正確に知りえると私は思います。
規範は神から来たものか、価値中立なものか、ということに関して私なりの思うところを申します。(あくまでも「僧」の私見としてご理解下さい。)
ユダヤ教の十戒は、ヤハウェからきた規範であるとされています。当然「神聖化」されており、もしこれを「価値中立的なものだ」と言えば、ユダヤ社会では許されないでしょう
十戒は殺人を禁じています。しかし、実際にはイスラエル人は戦争をしましたし、その中で殺人もありました。これは矛盾しているようですが、十戒を授けたのもヤハウェであり、戦争もヤハウェの命令だと考えれば、彼らにとって矛盾はないのです。
なぜなら、「善」とは神が決めるものだからです。
この観点から言えば、神にとって規範は価値中立的なものであります。
ただ、神の言葉を聞く術がもはや無く、明文化された律法を遵守するしか為すすべがないために、現代のユダヤ教徒たちの社会は停滞しているのではないか、と私は思います。
それに比べると、民主主義社会は自分たちでルールを決め自治するために、イノベーションが繰り返し起こりやすく、進歩、発展がめざましいのです。これは停滞した社会と違って人間が幸福を求めやすく、仏の御心にも適っているのです。
ただ、科学万能主義と唯物論、無神論の台頭により、民主主義は愚民制に堕してきています。
それゆえ、現代において宗教界にイノベーションが起こるのは必然の流れと申せましょう。
新しく説かれる「教え」はただ規範をもたらすのではなく、人間が主体的に生き、自らの「愛」と「知」と「反省」によって「発展」していき、その結果として理想のユートピアを築く、そういう教えなのです。
幸福の科学の立脚点はここにあります。
141
:
エートス
:2007/03/21(水) 10:00:48 ID:QXv1COBE
【継続】140
【属性】一般人
【内容】レスが遅くなり申し訳ありませんでした。疑問点を書いたのでよろしくお願いします。
>「エル・カンターレは本当に至高神なのだろうか?」という疑問は、信仰に入る以前の方がもつ考えだと思います。
>「疑」があれば信仰が成立しませんので、信仰形態として「疑」はありえません。
>私が「真理探究」と言ったのは、決して「不信」の観点から疑問を追及するようなことではなく、まず「信仰心」をたて、「経験」「気づき」「理解」「悟り」などを通して、仏の限りなき高さ、限りなき広さを探求することであります。
>しいて例えるならば、「徒歩で旅をして地球の広さを実感する」ようなものです。
わたしは疑問を持つ態度と不信は異なる感覚だろうと思うのです。
神を信じることなしには神を知ることはできないとすれば信仰がない人は永遠に神とは無縁ということになりませんか?
また、もう一点、以下の記述「主観的に仏神を知っている」とは信仰という意味だろうと思うのですが、
「先ず信仰をたててから真理探究が始まる」という上記の記述とは矛盾しませんか?
>仏神はまったく明らかなる存在です。おそらく誰でも主観的には仏神を知っていると私は思います。ただ、その程度に個人差があるということではないでしょうか。
以下はあなたのご意見だということなのでそれを前提に
>ユダヤ教の十戒は、ヤハウェからきた規範であるとされています。当然「神聖化」されており、もしこれを「価値中立的なものだ」と言えば、ユダヤ社会では許されないでしょう
>十戒は殺人を禁じています。しかし、実際にはイスラエル人は戦争をしましたし、その中で殺人もありました。これは矛盾しているようですが、十戒を授けたのもヤハウェであり、戦争もヤハウェの命令だと考えれば、彼らにとって矛盾はないのです。
>なぜなら、「善」とは神が決めるものだからです。
>この観点から言えば、神にとって規範は価値中立的なものであります。
人にとって規範は価値中立ではないが神にとっては価値中立である。そして人は神にとって価値中立であることを認めて受け入れているということですよね。
自分が与えた規範を守ろうと守るまいとそれは神の胸先三寸ということですね。
そうすると100式氏が書かれたように、規範が善であるという前提だとヤハウェは善も悪も併せ持つ存在ということですね。
KKはこのあたりをどう見ているんでしょうか?
>ただ、神の言葉を聞く術がもはや無く、明文化された律法を遵守するしか為すすべがないために、現代のユダヤ教徒たちの社会は停滞しているのではないか、と私は思います。
>それに比べると、民主主義社会は自分たちでルールを決め自治するために、イノベーションが繰り返し起こりやすく、進歩、発展がめざましいのです。これは停滞した社会と違って人間が幸福を求めやすく、仏の御心にも適っているのです。
>ただ、科学万能主義と唯物論、無神論の台頭により、民主主義は愚民制に堕してきています。
ユダヤ教が大きな影響を持つ社会の中で最大のコミュニティーはアメリカだと思うのですが、ここは全く停滞はしていませんよね。
もちろん民主主義社会でもあるわけですが、その民主主義のバックグラウンドはプロテスタンティズムですよね。
そうすると唯物論や無神論が台頭した結果、民主主義が愚民制に堕するという関係は簡単には片付かない。このあたりをもう少し分析していただけますか?
>それゆえ、現代において宗教界にイノベーションが起こるのは必然の流れと申せましょう。
>新しく説かれる「教え」はただ規範をもたらすのではなく、人間が主体的に生き、自らの「愛」と「知」と「反省」によって「発展」していき、その結果として理想のユートピアを築く、そういう教えなのです。
>幸福の科学の立脚点はここにあります。
「それゆえ」というのが前半のどのような内容を示しているかよくわからないので申し訳ありませんがもうすこしご説明いただけますか?
最後に、現代における宗教のイノベーションは、宗教間の対立をどう乗り越えるかが課題であると思います。
つまり、新しく説かれる宗教が必要なのではなく、それぞれの宗教内で、他宗教をどう見るかのイノベーションが先ず必要だろうと思います。
142
:
僧
:2007/04/02(月) 21:21:10 ID:q2wbfmpk
【回答】
>>141
【属性】信者
【お答え】回答が遅くなり申し訳ありません
>神を信じることなしには神を知ることはできないとすれば信仰がない人は永遠に神とは無縁ということになりませんか?
「信仰」をもたなくても人間の魂はある程度まで向上できますが、ある段階からは信仰というものが不可欠となります。「自ら仏神を求める心」が必要になるのです。
「永遠に」「信仰がない人」というのは考えられません。仏神こそが大宇宙を在らしめているのであり、仏神から隔絶した人など存在しないからです。
すべての人が「信仰の道」へ誘われているのです。
>「仏神はまったく明らかなる存在です。おそらく誰でも主観的には仏神を知っていると私は思います。ただ、その程度に個人差があるということではないでしょうか。」
>「先ず信仰をたててから真理探究が始まる」という上記の記述とは矛盾しませんか?
「個人差はあれども、誰でも主観的に仏神を知っている」という言い方は、「仏神を知る」ということをかなり広義的に解釈した表現であり、正確性に欠ける面があったと思います。本来ならば「誰でも仏神を知る可能性をもっている」とするべきでした。
ただ、「仏神を知る」ということを「知る」「知らない」の二通りに単純化して理解することが果たして可能だろうかという思いもあります。むしろ「すべての人類はよりよく仏神を知る為の魂修行の過程にある」と考えるのが妥当なのではないでしょうか。「仏神を知る」ということも終わりなき「探求の道」であると私は思うのです。
>人にとって規範は価値中立ではないが神にとっては価値中立である。そして人は神にとって価値中立であることを認めて受け入れているということですよね。
>自分が与えた規範を守ろうと守るまいとそれは神の胸先三寸ということですね。
そうすると100式氏が書かれたように、規範が善であるという前提だとヤハウェは善も悪も併せ持つ存在ということですね。
>KKはこのあたりをどう見ているんでしょうか?
「ヤハウェ」の話はともかくとして、「規範」とは本来「人間が過ちを犯して不幸になることがないように」という「愛の観点」からつくられたものであります。
そして「規範が善である」ことは「仏法真理」、「仏の御心」に基づいていることをもって「是」とされるのです。
ただ、エートスさんが言われたように「規範を教える時には『ダメなものはダメ』というように理屈抜き」での指導が必要な場合もあります。世の中には善悪の判断が充分に出来ない人も多数おり、そういう方に対しては「規範の理念」を教育すると同時に、強制力をもって行動を規制する必要があるのです。
>ユダヤ教が大きな影響を持つ社会の中で最大のコミュニティーはアメリカだと思うのですが、ここは全く停滞はしていませんよね。
>もちろん民主主義社会でもあるわけですが、その民主主義のバックグラウンドはプロテスタンティズムですよね。
>そうすると唯物論や無神論が台頭した結果、民主主義が愚民制に堕するという関係は簡単には片付かない。このあたりをもう少し分析していただけますか?
「ユダヤ教がアメリカにおいて大きな影響力を持っているのか?」と正直思いますが、この件に関して私も特に詳しいわけではありませんし、ここでのテーマからも外れていますのでこれ以上言及は致しません。
「民主主義の概念」は歴史的に変化し続けており、これからも「民主主義」は論じ続けられてゆくでしょう。「民主主義」のバックグラウンドはプロテスタンティズムでありますが、その一方で「唯物論者」が民主主義者を標榜していることも事実です。
古来より言われているように今なお民主主義は「社会秩序の崩壊」に陥る危険性を内包しており、「仏法真理」に基づいた社会の確立は必須です。
この世の「理想の姿」、「あるべき姿」の原型は既に霊界にあり、私たちはそれを地上世界に実現することによって、ユートピアを築くことができるのです。
>現代における宗教のイノベーションは、宗教間の対立をどう乗り越えるかが課題であると思います。
>つまり、新しく説かれる宗教が必要なのではなく、それぞれの宗教内で、他宗教をどう見るかのイノベーションが先ず必要だろうと思います。
「宗教間の対立」を乗る超えることは宗教界の重要なテーマであります。しかし既存の宗教にはその為の思想的な「原理」がもともとなく、至高神「エル・カンターレ」が説かれる「教え」のみがそれを成し遂げることができるのです。
143
:
僧
:2007/04/02(月) 21:28:54 ID:q2wbfmpk
【お願い】
【属性】信者
【内容】
このところ「仕事」に「信仰」に「家庭」のことに忙殺され続けており、正直なところご質問に誠実にお答えし続けることが困難になってきております。「僧」に対するご質問にお答えしないケースもありえますので、ご了承の程お願い申し上げます。
幸福の科学には「僧」よりも悟りが高い方々が多数居られますし、広く全国書店にて販売されている書籍を紐解いて頂ければ、そこにすべてが書き著されている万人に対して開かれた教えでありますので、ぜひお読みいただき更に深く探求していただければ幸いであります。
144
:
エートス
:2007/04/03(火) 19:57:59 ID:6saAS3Ig
【お礼】
>>142
【属性】一般人
【内容】感想など
>このところ「仕事」に「信仰」に「家庭」のことに忙殺され続けており、正直なところご質>問に誠実にお答えし続けることが困難になってきております。「僧」に対するご質問にお答>えしないケースもありえますので、ご了承の程お願い申し上げます。
いつも誠実に回答していただいてありがとうございます。お答えいただくのは義務でもなんでもありませんので、あまり気になさらないでください。
>>ユダヤ教が大きな影響を持つ社会の中で最大のコミュニティーはアメリカだと思うのですが、ここは全く停滞はしていませんよね。
>「ユダヤ教がアメリカにおいて大きな影響力を持っているのか?」と正直思いますが、この件に関して私も特に詳しいわけではありませんし、ここでのテーマからも外れていますのでこれ以上言及は致しません。
これはわたしの表現が悪かったかもしれません。[ユダヤ人が大きな影響力を持つ社会に中での最大のコミュニティー]ならお分かりになると思います。
>「宗教間の対立」を乗る超えることは宗教界の重要なテーマであります。しかし既存の宗教にはその為の思想的な「原理」がもともとなく、至高神「エル・カンターレ」が説かれる「教え」のみがそれを成し遂げることができるのです。
>幸福の科学には「僧」よりも悟りが高い方々が多数居られますし、広く全国書店にて販売さ>れている書籍を紐解いて頂ければ、そこにすべてが書き著されている万人に対して開かれた>教えでありますので、ぜひお読みいただき更に深く探求していただければ幸いであります。
私見だという断り書きがありましたので、そのつもりで対応しましたが、これへのお答えが書籍を読んでほしいというのはおかしな話ではありませんか。
もちろん書籍が多く出版されているのは存じています。また何冊かは頂戴して読ませていただきました。
内容は霊的な部分を除いては確かに万人向きだと言えなくはありません。
しかし、現在のわたしの理解は、他掲示板などでネットに信者と名乗って書き込まれる方々を見ていて、どのような教えであれ、それを解釈し運用するのはそれぞれの人格次第であり、
けっして教えそのもののすばらしさが悟りへと導くものではないという結論に至るようになりました。
つまり、既存の宗教に対立を乗り越える「原理」がないのではなく、そこまでに至るわれわれの人格に至らざるものがあるのではないかということです。
その意味では、もし信者さんのKKへの認識が、ひたすら人格の向上を目指す教えであるというなら肯定できますが、
他にはない統一原理を持って宗教にイノベーションを起こすということでは既存の宗教の轍を踏むことになるでしょう。
145
:
僧
:2007/04/12(木) 23:41:11 ID:uYWsrMPg
【回答】>> 144
【属性】信者
【お答え】最後にもう一言だけ申し上げます。
ご指摘の通り、教えの素晴らしさを生かすも無駄にするも、学ぶ者の心がけ次第でありましょう。もし私たち信者の行状が一般の方に誤解を与え、幸福の科学に対する評価を落とすようなことがあれば、それは極めて残念なことであります。
しかし信者が精進し続けていることは紛れもない事実です。以前エートスさんは「徳」について発言していらっしゃいましたが、すでに信者の中には偉大な徳を積まれた方々がおられます。それが周知の事実となるまでには時間がかかるかもしれませんが、必ず皆さんに分かっていただける日が来るでしょう。
「他にはない統一原理を持って宗教にイノベーションを起こすということでは既存の宗教の轍を踏むことになるでしょう」というエートスさんの言葉は、歴史経験からいえば当たっているようにも感じられます。しかし「エル・カンターレを頂点として世界は存在し、その世界に集いたる神々のもとで人類が魂修行をしている」という厳然たる「真実」があるのです。神々も人々も動植物もすべて「仏法」によって秩序づけられるべき存在であり、私たちはそれを実現しようとしているだけなのです。
もちろん伝道には困難がともなうでしょうが、困難があるからこそ、伝道に価値があるともいえるのです。仏道修行には無意味なものなどないのです。
「世界平和」や「ひとつの地球」などといったスローガンのもとに、人類の対立を収束させようとする人達がおりますが、「真実」を知らずにやっているのであれば結実はしないでしょう。
「宗教」は画一化されるべきではないし、「思想」や「価値観」が統一されるべきでもありません。そういうものには多様性があったほうが、世界は豊かになるのです。ただ、真実とは何であるか、何が善であって何が悪なのか、それはどうしてなのか、ということは明らかにされなくてはなりません。それが宗教の「責務」というものでありましょう。
「ベールの向こう側の世界」が明かされる、稀有なる時代に生きている私たちは、千載一遇のこの機会を生かし、最大限の学びを得たいものです。神々の素顔、神々の役割の多様性、霊格の違い、霊界の次元構造など、霊界の真実の姿を学ぶのは今だからこそ出来ることなのです。
「規範」について、エートスさんが満足するような回答は出来なかったかもしれませんが、今回をもちまして最後の回答とさせていただきます。
ご質問頂きありがとうございました。またいつか回答者としてこちらでお答えさせていただければ幸いです。
146
:
エートス
:2007/04/13(金) 20:13:01 ID:4BKZR87w
【お礼】>> 145 僧氏
【属性】一般人
お忙しいのにレスいただいて恐縮です。
内容に関しては、いずれ機会ができたときにコメントさせていただきます。
大切なのは、個人の世界観の違いに答えを出すことではなくこうした対話が成立し継続することだと考えていますので、あなたのご回答には感謝しております。
なお、こちらには他にも雑談などの肩のこらないスレッドもありますので、どうぞお気軽に書き込んでいただければと思います。
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