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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】

13日本ソード:2005/10/05(水) 01:15:21 ID:J5disbVA
【質問】縁起と因果について
【属性】一般
【内容】

皆さんからの回答を頂き、僕は、縁起についての考えが浅かったと感じました。そこで、縁起について、もっと深く考えてみようと思いました。僕の考え方は、自分の理解できる範囲からしか結論を出さない、という傾向があるように思います。宗教に対するスタンスとしては良いのか悪いのかと思いますが、そのスタンスで考えてみました。

「誰かが(何かが)、あることをした」ということのすべてが、縁になる。その縁によって、多くのものが、時間的、空間的に相互作用している。つまり物事は、縁によって起きる。これが、今僕が考えている縁起です。これをもとに、いくつかのことを考えてみました。

「運命」について。
僕が次になにを思うのか、ということも、何かの縁(生まれてから今までの無数の縁)から起きている、と考えることができます。この考え方でいくと、世界が生まれてから今までのすべての(それこそ無数の)縁を把握していれば、次の瞬間世界がどうなるのかが解かるということになります。人間には知る由も無いが、自分が次に何をするか、世界がどうなるかが、すでに確定している。縁起の法が、数学のようなものであるならば、そう考えることができます。しかし僕は、運命は確定しないと考えます。僕は「偶然」も真理だと考えるからです。量子力学などを勉強していて、そう思いました。高い確率で実現することでも絶対ということはありません。生まれた縁はもう消すことはできないが、それでなにが起こるかは、絶対ではない。つまり、人は、縁起というものに大いに支配されているが、運命は確定しない。偶然論でも運命論でもない位置です。

「因果、業」について。
因果、業という考え方も、縁起から来ていると思います。僕の印象ですが、縁起よりも因果の方が、善悪の色が強いと感じます。因果応報。良い種をまけば、良い結果が訪れる。悪い種をまけば、悪い結果が訪れる。そして、種をまくこと、また、まいた種が持つ力のことを「業」と呼んでいるようです。しかし因果応報がシステムだとは考えにくいと思います。100に値する悪いことをしたら、それがどこかに記録されていて、いつか100に値する悲劇が起こるというのは、ちがうと思います。やはり、因果応報も縁起によっていると思います。ならば、その人を取り巻く状況によって、結果も変わってくると考えるのが自然です。しかしもちろん、良い種をまけば良い結果を呼ぼうとする縁が生まれるのには違いないと思います。


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