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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】

141エートス:2007/03/21(水) 10:00:48 ID:QXv1COBE
【継続】140 
【属性】一般人
【内容】レスが遅くなり申し訳ありませんでした。疑問点を書いたのでよろしくお願いします。

>「エル・カンターレは本当に至高神なのだろうか?」という疑問は、信仰に入る以前の方がもつ考えだと思います。
>「疑」があれば信仰が成立しませんので、信仰形態として「疑」はありえません。
>私が「真理探究」と言ったのは、決して「不信」の観点から疑問を追及するようなことではなく、まず「信仰心」をたて、「経験」「気づき」「理解」「悟り」などを通して、仏の限りなき高さ、限りなき広さを探求することであります。
>しいて例えるならば、「徒歩で旅をして地球の広さを実感する」ようなものです。

わたしは疑問を持つ態度と不信は異なる感覚だろうと思うのです。
神を信じることなしには神を知ることはできないとすれば信仰がない人は永遠に神とは無縁ということになりませんか?
また、もう一点、以下の記述「主観的に仏神を知っている」とは信仰という意味だろうと思うのですが、
「先ず信仰をたててから真理探究が始まる」という上記の記述とは矛盾しませんか?

>仏神はまったく明らかなる存在です。おそらく誰でも主観的には仏神を知っていると私は思います。ただ、その程度に個人差があるということではないでしょうか。

以下はあなたのご意見だということなのでそれを前提に

>ユダヤ教の十戒は、ヤハウェからきた規範であるとされています。当然「神聖化」されており、もしこれを「価値中立的なものだ」と言えば、ユダヤ社会では許されないでしょう
>十戒は殺人を禁じています。しかし、実際にはイスラエル人は戦争をしましたし、その中で殺人もありました。これは矛盾しているようですが、十戒を授けたのもヤハウェであり、戦争もヤハウェの命令だと考えれば、彼らにとって矛盾はないのです。
>なぜなら、「善」とは神が決めるものだからです。
>この観点から言えば、神にとって規範は価値中立的なものであります。

人にとって規範は価値中立ではないが神にとっては価値中立である。そして人は神にとって価値中立であることを認めて受け入れているということですよね。
自分が与えた規範を守ろうと守るまいとそれは神の胸先三寸ということですね。
そうすると100式氏が書かれたように、規範が善であるという前提だとヤハウェは善も悪も併せ持つ存在ということですね。
KKはこのあたりをどう見ているんでしょうか?

>ただ、神の言葉を聞く術がもはや無く、明文化された律法を遵守するしか為すすべがないために、現代のユダヤ教徒たちの社会は停滞しているのではないか、と私は思います。
>それに比べると、民主主義社会は自分たちでルールを決め自治するために、イノベーションが繰り返し起こりやすく、進歩、発展がめざましいのです。これは停滞した社会と違って人間が幸福を求めやすく、仏の御心にも適っているのです。
>ただ、科学万能主義と唯物論、無神論の台頭により、民主主義は愚民制に堕してきています。

ユダヤ教が大きな影響を持つ社会の中で最大のコミュニティーはアメリカだと思うのですが、ここは全く停滞はしていませんよね。
もちろん民主主義社会でもあるわけですが、その民主主義のバックグラウンドはプロテスタンティズムですよね。
そうすると唯物論や無神論が台頭した結果、民主主義が愚民制に堕するという関係は簡単には片付かない。このあたりをもう少し分析していただけますか?

>それゆえ、現代において宗教界にイノベーションが起こるのは必然の流れと申せましょう。
>新しく説かれる「教え」はただ規範をもたらすのではなく、人間が主体的に生き、自らの「愛」と「知」と「反省」によって「発展」していき、その結果として理想のユートピアを築く、そういう教えなのです。
>幸福の科学の立脚点はここにあります。

「それゆえ」というのが前半のどのような内容を示しているかよくわからないので申し訳ありませんがもうすこしご説明いただけますか?

最後に、現代における宗教のイノベーションは、宗教間の対立をどう乗り越えるかが課題であると思います。
つまり、新しく説かれる宗教が必要なのではなく、それぞれの宗教内で、他宗教をどう見るかのイノベーションが先ず必要だろうと思います。


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