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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】

24たまご:2005/10/05(水) 20:14:54 ID:erffCev2
【追加】
【属性】信者
【内容】業、そのほか
実はソードさんの思索の過程そのものが、出ている経典があります。
『釈迦の本心』(第5章)、参考のため各節テーマを書きます。
1.縁の思想 2.因果の理法 3.業とは何か
4.運命論について 5.自由意志の本質 6.地獄の思想
7.地獄の実体 8.天国の思想 9.天国の実体 10.仏国土建設の本義 以上が第5章の各節テーマです。

ソードさんの流れと一致していて面白いので書きました。
≫14“前世の業によって苦しむという考えを否定したのが仏陀”とありますが、
平等知…全ての人は仏性を持ち等しく尊い価値を秘めたる存在である。
差別知…転生輪廻を繰り返し、積み重なった業があるゆえに、個々の魂としての違いが現出してくる。

業を否定的な面からとらえるのではなく、業=魂の傾向性として解説いただいています。善なる面も修正が必要な面も含まれての傾向性が、転生の過程において形作られていて、人生のさまざまな場面での選択において、その傾向性に基づき判断が成されていく。それによって、また新たな苦となる場合あり、功徳となって善なる業としてつみかさなる場合あり、ということです。
確かに、現在の苦しみの原因を過去世に遡って探ることは普通はしないでしょうし、過去世自体考えも及ばない人もいると思います。
しかし、自己判断の傾向性とその過ちを探り出し、それを改めていくことによって、今世の魂の修行を一段と進めていこうという意図を持ったときに、“業(魂の傾向性)での苦しみ”を悟りという幸福に変化させる機会となるのでは。
生まれつきの肉体のことについて、過去世から原因を引っ張ってくるのは厳しい面ではあります。肉体的ハンディのある方をそのような目で見たら、とても失礼なことです。ですから、人は全て忘れて生まれてくるのでしょう。
同じくゼロからスタートはするけれど、過去から積み上げている努力の過程、質は一律ではないので、差別知としての魂の段階差、もしくは認識力の差が生じ、それは即ち、縁起の理法、因果の理法による“公平なる姿”となるのです。
ですから、この世とあの世、死後の生命についての正しい見解が無ければ、業も縁起もそもそも成立しない思想だと考えられます。


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