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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】

140:2007/03/10(土) 22:50:32 ID:mzS/6h5c
【回答】139
【属性】信者
【お答え】

>信仰の形態として「エル・カンターレは本当に至高神なのだろうか?」というのもあり得るということですか?

「エル・カンターレは本当に至高神なのだろうか?」という疑問は、信仰に入る以前の方がもつ考えだと思います。「疑」があれば信仰が成立しませんので、信仰形態として「疑」はありえません。
私が「真理探究」と言ったのは、決して「不信」の観点から疑問を追及するようなことではなく、まず「信仰心」をたて、「経験」「気づき」「理解」「悟り」などを通して、仏の限りなき高さ、限りなき広さを探求することであります。
しいて例えるならば、「徒歩で旅をして地球の広さを実感する」ようなものです。

>真理へと向かって歩む道に「正しい」「正しくない」があるとすればそこにはすでに人間意識の価値判断が入り込んでいるように思えますが。

私の「信仰」に限って言えば、信仰の「是非」についての価値判断する余地というものは、すでに私の心の中にはありません。
ただ、日常における「人間意識の価値判断」は当然ございます。

>まさに神の属性は神のみぞ知る

仏神はまったく明らかなる存在です。おそらく誰でも主観的には仏神を知っていると私は思います。ただ、その程度に個人差があるということではないでしょうか。
私たちはやがて霊界へ帰るわけですが、少なくても天国へ帰ることができれば、「仏神の属性」はその人に応じたレベルで正確に知りえると私は思います。


規範は神から来たものか、価値中立なものか、ということに関して私なりの思うところを申します。(あくまでも「僧」の私見としてご理解下さい。)

ユダヤ教の十戒は、ヤハウェからきた規範であるとされています。当然「神聖化」されており、もしこれを「価値中立的なものだ」と言えば、ユダヤ社会では許されないでしょう
十戒は殺人を禁じています。しかし、実際にはイスラエル人は戦争をしましたし、その中で殺人もありました。これは矛盾しているようですが、十戒を授けたのもヤハウェであり、戦争もヤハウェの命令だと考えれば、彼らにとって矛盾はないのです。
なぜなら、「善」とは神が決めるものだからです。
この観点から言えば、神にとって規範は価値中立的なものであります。
ただ、神の言葉を聞く術がもはや無く、明文化された律法を遵守するしか為すすべがないために、現代のユダヤ教徒たちの社会は停滞しているのではないか、と私は思います。
それに比べると、民主主義社会は自分たちでルールを決め自治するために、イノベーションが繰り返し起こりやすく、進歩、発展がめざましいのです。これは停滞した社会と違って人間が幸福を求めやすく、仏の御心にも適っているのです。
ただ、科学万能主義と唯物論、無神論の台頭により、民主主義は愚民制に堕してきています。
それゆえ、現代において宗教界にイノベーションが起こるのは必然の流れと申せましょう。
新しく説かれる「教え」はただ規範をもたらすのではなく、人間が主体的に生き、自らの「愛」と「知」と「反省」によって「発展」していき、その結果として理想のユートピアを築く、そういう教えなのです。
幸福の科学の立脚点はここにあります。


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