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科学と疑似科学とを判別する(2)

600ゲジゲジ:2024/01/18(木) 06:54:36 ID:7mD6oGls
ちょっと、想定以上に忙しくなっており、もう暫く書き込む時間が取れそうにありません。
待っている方がいらっしゃるかどうか分かりませんが、今週末〜来週あたりで少し落ち着くと思うので、それから総括を書き込ませて頂きます。

総括とはいえ、そもそもKen様との議論が続いていれば、やろうとしていた事です。
つまり検証ですね。

予定としては、以下の通り検証を進めて行こうと考えています。

1.「対立仮設の否定だけではダメ」という命題は具体的な要求をしているか否か?

2.世間は「対立仮設の否定だけではダメ」という命題を具体的な要求をしていると解釈しているのか否か?

 以上は[>>590] [>>591]のコメントの再検証となります。

3.ドーキンスは「対立仮設の否定だけではダメ」と言って「映像記録」を要求しているのか否か?

4.ドーキンスは進化論に化石を要求しているのか否か?

5.要求される具体例が「映像記録」と化石しかなかった場合、世間が「物証」を要求している事になるのか否か?

6.天地創造論は「聖書が神の言葉である」事が根拠であると主張しているか否か?

7.世間の言葉に対する解釈を確認する上で、辞書を参照するのと具体的な発言例を参照するのと、どちらがより世間の解釈に近づけるのか?

8.その他


取り敢えずはこんなところですかね。
なるべく早く、始めたいとは思います。

601ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:24:31 ID:VAzlgnjs
総括をすると言いながら、その後に想定以上に忙しくなってしまって・・・
更にパソコンが故障してインターネットに接続できなくなるというアクシデントもあり・・・
そうこうしているうちに、私自身がこの掲示板へのモチベーションを失ってしまったこともあり・・・


もし、私の総括をお待ちになっていた方がいらっしゃったとしたら申し訳ありません。
(恐らくいないだろうと想定したからこそ、放置してしまった、というのもあります。)


さて、今更ですが、総括すると宣言したわけですから、総括させて頂きます。
とはいえ、改めて過去の自分の投稿を読み返すと、当時の論点で言うべき事は、ほとんど言っているのですね。
総括とはいっても、結局はこれまでに述べた事を別の角度から、あるいは言い回しを変えて述べる事になります。


一応、[600]で挙げた順番で進めますが、その前にこれまでの議論の成り行きを振り返ってみます。

かつてdiamonds8888x様が挙げられた「科学と疑似科学とを判別する基準」を以下のように整理しました。
基準1:反証可能性の有無
基準2:理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
基準3:矛盾との関係
基準4:根拠にならないことを根拠と主張する(これはdiamonds8888x様が挙げたものではない)


このうち基準2から議論を始めました。
基準2を言い換えると「対立仮説の否定だけではダメだ」という事です。

まず論点になったのは、世間がこの「対立仮説の否定だけではダメだ」という命題をもって何を要求しているか? でした。

Ken様
世間は「対立仮説の否定だけではダメだ」といった場合、物証を要求している。
その証拠はドーキンスの寄稿文である。

ゲジゲジ
ドーキンスの寄稿文は証拠にならない。
世間が「対立仮説の否定だけではダメだ」といった場合に何かを要求している証拠はないので、世間は具体的には何も要求していない。要求していないのだから、例えば「神の言葉」でもよい。

Ken様
世間が「神の言葉」を要求している証拠を出せ!

ゲジゲジ
世間は「神の言葉」を要求していないのだから、要求している証拠はない。

Ken様
世間が「神の言葉」を要求している証拠を出さなければ議論を打ち切る!


まぁ、ポイントだけ大まかに纏めると以上でしょう。
Ken様がいかにめちゃくちゃな主張をしているのか、ご本人以外にはよくお分かりになるかと思います。

そういうわけで彼は議論から逃げ出しました。


さて、上記論点から派生した論点が無数にあるのですが、もう一つポイントとなる論点が、そもそも「対立仮説の否定だけではダメだ」という命題が論理的に何を要求しているか? でした。

Ken様
論理的に「対立仮説の否定だけではダメだ」という命題は物証を要求している。
だから物証がなければならない。

ゲジゲジ
論理的に「対立仮説の否定だけではダメだ」という命題は「対立仮説の否定以外の何か」を要求している。
だから対立仮説の否定以外なら何でもよい。


Ken様が提示した議論のルールとして、複数の論点を同時に論じない、というものがありました。
私の反省点として、論点を「対立仮説の否定だけではダメだ」を世間がどう解釈しているか? にまず絞ったのは失敗だったと思います。先にこの命題が論理的に何を要求しているのか? を扱うべきでした。

なぜなら論理的な結論を固めた上で世間の解釈について議論すれば、世間が論理的帰結に従っているのか、あるいは逆らっているのか、という観点を検証に用いる事ができたからです。しかし先に世間の解釈を論点にしたために、この観点の検証が使えませんでした。

602ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:25:25 ID:VAzlgnjs
さて、では [601] の最後で述べた反省を踏まえて、[600] で予告した順番に沿って総括を始めます。

1.「対立仮設の否定だけではダメ」という命題は具体的な要求をしているか否か?

直接ここを論じるよりも、Ken様が挙げた例を用いた方が説明しやすいし理解もしやすいでしょう。

 >[>>491]
 >「人間の生存には、水が必要だが、水だけではダメだ」
 >とします。では水以外になにが必要でしょうか?
 >水以外の条件が何か1つでもあれば、それはなんでもよいという結論になりますか?
 >なりませんよね。

水以外の条件がなにか1つでもあれば、それはなんでもよいという結論になります。
まずはここから説明しましょう。「人間の生存には水だけではダメだ」が何を要求しているのか?


もし、水の他に「木」があったとしたらどうでしょう?
水の他に木があるのですから、「水だけ」ではないのです。「水だけ」ではないのだから、「水だけではダメだ」とは言えなくなります。「水と木だけではダメだ」と言わねばならなくなります。

もし、水の他に木があるのに、「水だけではダメだ」という指摘や批判をしたらどうなるでしょうか?
「『水だけ』ではない」状態を「『水だけ』ではダメだ」と批判するという自己矛盾に陥るのです。


もし、水の他に「金」があったらどうでしょう?
一般的に「金」には「きん」「かね」という2つの読み方があって、それぞれ英語で言うところの「gold」「money」の意味になります。しかし今の論点にとってはどちらでも構いません。

水の他に「gold」があったら、それは「水だけ」ではないのです。
水の他に「money」があったら、紙幣であっても硬貨であっても、あるいは電子マネーであっても、それは「水だけ」ではないのです。
「水だけ」ではないのだから、「水だけではダメだ」とは言えなくなります。

水の他に「土」があったらどうでしょう? それは「水だけ」ではないのです。

水の他に「太陽(日)」があったら?
水の他に「月」があったら?
これらの場合は手元にあるという事ではなく、空に見えるという事になるでしょうが、いずれにしても「水だけ」ではないのです。

あるいはまた、水の他に「愛」「夢」「生き甲斐」といった実体のない概念があったら?
やはりそれは「水だけ」ではないのです。


結局、水以外の条件がなにか1つでもあれば、「人間の生存には水だけではダメだ」という指摘や批判はできなくなるのです。

603ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:26:48 ID:VAzlgnjs
ちょっと微妙なのは、水の他に「氷」がある場合、または水の他に「水蒸気」がある場合ですね。
一般的には「水」とは液体の水を指すと思われますので、「氷」や「水蒸気」があれば「水だけ」ではないと解せます。しかし「水」を「水分子からなる物質」と捉えれば、これらがあっても「水だけ」です。
実際には「水だけではダメだ」という言動が行われた文脈から判断するしかありません。


もっと微妙なのは、水の他に「お湯」がある場合です。
日本語では「湯」と表記しているのですから、「水」とはやや違う概念とも言えます。
しかし例えば英語では「hot water」ですから「water」の概念に含まれるでしょう。
使用言語によって判断が変わり得るのです。

更に言うと、日本語で「お湯」とは何℃以上なのか? 「水」とは何℃以下なのか?
実際のところ「水」と「お湯」の境界はグレーなので、人によって解釈が分かれる可能性があります。


まぁ、実際のところ、ここまで微妙な判断が必要とされるケースはほとんどあり得ないでしょう。
結論として、水以外の条件がなにか1つでもあれば、それは「水だけ」ではないのです。


さて改めて・・・
 >[>>491]
 >空気、食料、生息地などが、すべてそろわねば、人間は生きられません。
 >「水だけではダメだ」といって、水以外のなにかを1つ、たとえば空気だけを追加しても、生存できません。

そもそも人間の生存に必要なものが何なのかは関係ないのです。
「人間の生存には水だけではダメだ」という命題は、「人間の生存に必要なもの」を要求していません。「水だけではダメだ」としか言っていないのです。
水の他にたとえば空気だけが追加されたなら、「水と空気だけではダメだ」と言わねばならなくなります。「水だけではダメだ」とは言えなくなるのです。

604ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:27:44 ID:VAzlgnjs
さて、Ken様の投稿から、別の例も見てみましょう。
 >[>>570]
 >例えば、政治家同士の論争にあっては、野党が政府のやり方を攻撃するだけではだめで、
 >自分たちならどうするという対案を出さねば、無責任と批判を受けます。
 >要求されるのは「政策」です。

政治家同士の論争において「対立候補の否定だけではダメだ」という命題が何を要求しているか? ですね。

もし仮に、「自分は容姿端麗だから正しい」と主張する政治家がいたとしましょう。
政治家の主張が正しいか否かに、容姿は関係ないと思います。そもそも、その人物が本当に容姿端麗なのかどうかも分かりません。しかし「容姿端麗だから正しい」という主張がなされているのであれば、それは「対立候補の否定」ではないのです。

もし、「自分は容姿端麗だから正しい」と主張する政治家に対して、「対立候補の否定だけではダメだ」という批判をしたら、どうなるでしょうか?
「『対立候補の否定だけ』ではない」主張を「『対立候補の否定だけ』ではダメだ」と批判するという自己矛盾に陥るのです。

つまり「(政治において)対立候補の否定だけではダメだ」と言った場合、対立候補の否定以外に何らかの主張がなされていれば、それは何でもよい、という事になります。政治に何が求められるのかは関係ないのです。
「対立候補の否定だけではダメだ」という命題は、「政治に必要なもの」を要求していません。「対立候補の否定だけではダメだ」としか言っていないのです。


余談ですが、少し前の東京都知事選において、「私はかわいい」というような主張した女性候補者がいたと記憶しています。私自身は東京都民ではないし、特に興味もないので詳しくは知りませんが。
また、このコメントを書いている時点で、自民党の総裁選が行われています。街頭インタビューで某候補者に対して「爽やかなイメージだから支持する」と言っていた人がいました。
政治において要求されるのは必ずしも「政策」ではないようですね。



 >[>>570]
 >宗教者の間では、対立する宗教をいくら批判しても、その人自身が宗教者であることにはなりません。
 >肝心なのは、その人がどういう神を信じているのか、つまり「信仰」です。

宗教において「対立する宗教の批判だけではダメだ」という命題が何を要求しているか?

例えば、「うちの宗教の神様はホンモノだから正しい」という主張があったとしましょう。
あるいは、「うちの宗教教団の会館にあるレストランの食事は美味しいから、うちの宗教は正しい」という主張。

いずれも「対立する宗教の批判」ではないですから、「対立する宗教の批判だけではダメだ」という批判はできませんね。「対立する宗教の批判だけではダメだ」と言った場合、対立する宗教の批判以外の主張がなされているのであれば、それは何でもよいのです。
「対立する宗教の批判だけではダメだ」という命題は、「宗教に必要なもの」を要求していません。


これも余談ですが、「うちの宗教は神を否定しているから正しい」という主張を聞いた事があります。宗教とは必ずしも神を信仰するものではないのですね。




 >[570]
 >芸術家同士なら。相手の作品にケチをつけるのは自由でしょうが、
 >自分自身が何の作品も作れないなら、芸術家を名乗る資格がありません。要求されるのは「作品」です。

芸術において「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」という命題が何を要求しているか?

これも例えば「私は容姿端麗だから、作品を作った事はないが、私の作品は素晴らしい」という主張があったとしましょう。
あるいは、「私は歌が上手いから、絵を描いた事はないが、私の絵は素晴らしい」という主張があったらどうでしょうか?

いずれも「相手の作品にケチをつけるだけ」ではありませんから、「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」という批判はできませんね。
「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」という命題は、芸術家に必要なものを要求していません。

605ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:28:25 ID:VAzlgnjs
さて、命題を一般化するために、もう少し別の例を挙げましょう。


サッカーに「ハンド」という反則があります。
ゴールキーパー以外の選手が試合中に手を使ってボールを操作すると、この反則を取られます。つまり「手を使ってはダメ」なわけです。

では、この「手を使ってはダメ」は何を要求しているでしょうか?

例えば、「手を使ってはダメ」が足を使ってボールを操作する事を要求していると想定すると、どうなるでしょうか?

この場合、選手がヘディングしたり胸でボールをトラップしたりした場合に「ハンド」の反則を取る事になりますね。つまり「足を使わなかった」という理由で「手を使ってはダメ」という反則を取るという滅茶苦茶な事になります。

もし審判がそんな判定をしたら大ブーイングでしょうし、実際には勿論、プロの試合だけでなく小学生の草サッカーレベルでも、そんな判定はあり得ません。


もう一歩、思考実験を進めてみましょう。
もし仮に、超能力を使える選手がいて、「念力」でボールを操作したとしたら、どうなるでしょうか?

サッカーというゲームの特性からして、念力でボールを操作するというのは反則のように思えます。但しルールブックは恐らく念力を使える選手がいる事は想定していないので、念力を使うと反則とは書かれていないと思います。

さて今の論点でのポイントは、選手が念力を使ったとして、少なくとも「ハンド」の反則は取られないという事です。なぜなら使ったのは「念力」であって「手」ではないからです。
つまり「手を使ってはダメ」という命題が要求しているのは「手を使わない」事であって、具体的な身体の部位を使う事は要求していないのです。




更にもう1つ、別の例を挙げましょう。

刑法に殺人罪という犯罪が規定されています。「人を殺してはダメ」という事です。
では「人を殺してはダメ」という命題は何を要求しているでしょう?

もし仮に、強盗や、窃盗や、詐欺をはたらいたとしても、「殺人罪」に問われる事はありません。なぜなら人を殺してはいないからですね。

つまり「人を殺してはダメ」という命題が要求しているのは「人を殺さない事」であって、その他の犯罪を行わない事や社会のルールを守る事などは要求していません。

実際には強盗は強盗罪、窃盗は窃盗罪、詐欺は詐欺罪と、それぞれ刑法には別の条文で規定されています。また刑法以外に様々な法律や条例があり、社会のルールを守る事が要求されています。
刑法の殺人罪、「人を殺してはダメ」という命題がこれらを要求しているわけではないのです。

606ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:29:01 ID:VAzlgnjs
さて、命題を一般化しましょう。
「Xはダメ」という命題は「Xではない」事を要求しているのであって、具体的には何も要求していないという事ですね。AでもBでもCでも、とにかくXでなければ何でもよいのです。

Xでなければ何でもよい、という解釈でないと、おかしな事になります。
例えば「Xはダメ」が具体的には「A」を要求していると解釈して、実際に「B」があったとしたら?
「B」は「X」ではないわけです。
この状態を「Xはダメ」と批判したら、「Xではない状態」を「Xはダメ」と批判するという自己矛盾に陥るのです。


X=「水だけ」
「(人間が生きるのに)『水だけ』ではダメ」と言った場合、要求されるのは「『水だけ』ではない」事です。
水以外の何かがあれば、それは「水だけ」ではありませんから、水以外の何かがあれば何でもよいのです。

X=「対立候補の否定だけ」
「(政治家が)『対立候補の否定だけ』ではダメ」と言った場合、要求されるのは「『対立候補の否定だけ』ではない」事です。
対立候補の否定の他に何らかの主張があれば、それは「対立候補の否定だけ」ではありませんから、対立候補の否定以外の何かがあれば何でもよいのです。

X=「対立する宗教の批判だけ」
「(宗教において)『対立する宗教の批判だけ』ではダメ」と言った場合、要求されるのは「『対立する宗教の批判だけ』ではない」事です。
対立する宗教の批判の他に何らかの主張があれば、それは「対立する宗教の批判だけ」ではありませんから、対立する宗教の批判以外の何かがあれば何でもよいのです。

X=「相手の作品にケチをつけるだけ」
「(芸術家が)『相手の作品にケチをつけるだけ』ではダメ」と言った場合、要求されるのは「『相手の作品にケチをつけるだけ』ではない」事です。
相手の作品にケチをつける以外に何らかの主張があれば、それは「相手の作品にケチをつけるだけ」ではありませんから、相手の作品にケチをつける以外の何かがあれば何でもよいのです。

X=「手を使う」
「(サッカーで)手を使ってはダメ」と言った場合、要求されるのは「手を使わない」事です。
手を使わなければ、それは「手を使った」事にはなりませんから、手を使う以外の何をしても、あるいは何もしなくてもよいのです。

X=「人を殺す」
「(刑法の殺人罪の規定で)人を殺してはダメ」と言った場合、要求されるのは「人を殺さない」事です。
人を殺さなければ、それは「人を殺した」事にはなりませんから、人を殺す以外の何をしても、あるいは何もしなくてもよいのです。(人を殺す以外の何をしても殺人罪にはならない、という意味です。念のため。)

607ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:29:41 ID:VAzlgnjs
さてさて、ではいよいよ本命の「対立仮説の否定だけではダメだ」を上の「X」に当てはめてみましょう。

X=「対立仮説の否定だけ」
「(科学において)『対立仮説の否定だけ』ではダメ」と言った場合、要求されるのは「『対立仮説の否定だけ』ではない」事です。
対立仮説の否定の他に何らかの主張があれば、それは「対立仮説の否定だけ」ではありませんから、対立仮説の否定の他に何らかの主張があれば、それは何でもよいのです。


もし仮に、「自分は容姿端麗だから、自分が主張する仮説は正しい」と主張する人物がいたとしましょう。
仮説の正しさに、提唱者の容姿など関係ありません。しかし「容姿端麗だから正しい」という主張がなされているのであれば、それは「対立仮説の否定だけ」ではないのです。
もし、「自分は容姿端麗だから」という主張がなされているのに、「対立仮説の否定だけではダメだ」という指摘や批判をしたらどうなるでしょうか?
「『対立仮説の否定だけ』ではない」状態を「『対立仮説の否定だけ』ではダメだ」と批判するという自己矛盾に陥るのです。


次は過去の議論で実際に提示した例です。
もし「聖書は神の言葉だから、聖書の文字通りの記述に従って世界が創られたとする仮説は正しい」という主張があったとしましょう。
「聖書は神の言葉だから」が科学の仮説の根拠になり得るかどうかは、この際関係ありません。「神の言葉だから正しい」という主張がなされているのであれば、それは「対立仮説の否定だけ」ではないのです。


もし仮に、「木の精霊が生物を高所に誘うから、鳥の進化の樹上仮説は正しい」という主張があったとしましょう。
「木の精霊が生物を高所に誘うから」が科学の仮説の根拠になり得るかどうかは、この際関係ありません。「木の精霊が生物を高所に誘うから正しい」という主張がなされているのであれば、それは「対立仮説(地上説)の否定だけ」ではないのです。


実際に、「力学的に合理的だから、鳥の進化の樹上仮説は正しい」という主張があります。「力学的に合理的だから正しい」という主張がなされているのだから、それは「対立仮説(地上説)の否定だけ」ではないのです。


実際に、「シンプルに説明できるから、地動説は正しい」という主張がありました。「シンプルに説明できるから正しい」という主張がなされているのだから、それは「対立仮説(天動説)の否定だけ」ではないのです。



結局、科学において「対立仮説の否定だけではダメだ」と言った場合、対立仮説の否定以外に提唱者が自説を正しいと考える理由が述べられているのであれば、それはなんでもよいという事になります。
そうでなければ「『対立仮説の否定だけ』ではない」主張を「『対立仮説の否定だけ』ではダメだ」と批判するという自己矛盾に陥ってしまうのです。
なぜなら、どんな理由であろうと(それが科学仮説の根拠になろうとならなかろうと)、何かが述べられてさえいるのであれば、それは「対立仮説の否定だけ」ではないからです。

608ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:30:11 ID:VAzlgnjs
今度はもう少し、別の角度から検証してみます。

命題「Xはダメ」の対偶を考えます。
「Xはダメ」の対偶は「ダメではないのはXではない事だ」となります。「ダメではない」とは則ち「よい」事ですから、「よいのはXではない事だ」となります。
つまり「Xはダメ」の対偶を、語順を入れ替えて表現を変えると「Xでなければよい」となります。


「水だけではダメだ」の対偶は「よいのは水だけではない事だ」となります。
水の他に何かがあれば「水だけ」ではないのだから、結局「水以外の何かがあれば何でもよい」という事になります。
つまり、「人間の生存には水だけではダメだ」と言った場合、「水以外の条件がなにか1つでもあれば、それはなんでもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれる、という事もできます。逆に言うと、元の命題の対偶なのだから、そこに帰結するしかないのだ、という事もできるでしょう。


同様に、政治家同士の論争において「対立候補の否定だけではダメだ」と言った場合、「対立候補の否定以外に何らかの主張がなされていればそれは何でもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれます。

宗教者の間で「対立する宗教の批判だけではダメだ」と言った場合、「対立する宗教の批判以外の主張がなされていればそれは何でもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれます。

芸術家の間で「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」と言った場合、「相手の作品にケチをつける以外の主張がなされていればそれは何でもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれます。

サッカーで「手を使ってはダメだ」の対偶は「よいのは手を使わない事だ」となります。
要求されるのは「手を使わない」事であって、具体的な身体の部位を使う事は要求していないという結論は、元の命題の対偶から導かれるのです。

刑法で「人を殺してはダメだ」の対偶は「よいのは人を殺さない事だ」となります。
人を殺しさえしなければ何をしても殺人罪には問われないという結論は、元の命題の対偶から導かれます。


さて、科学において「対立仮説の否定だけではダメだ」と言った場合、対立仮説の他に何かがあればよい、という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれている、という事ができます。逆に言うと、元の命題の対偶なのだから、そこに帰結するしかないのだ、という事もできるでしょう。


また別の見方をしましょう。
「対立仮設の否定だけではダメ」という命題は具体的には何も要求していないし、要求できません。
なぜなら「対立仮説の否定だけ」と、ダメな条件が具体的に明示されているのです。

ダメな条件が命題として具体的に明示されているのだから、その対偶は抽象になります。ですから要求されるのは「対立仮説の否定以外の何か」という抽象概念になります。
対立仮説の否定以外に何かがあれば、それは何であってもよいというのは、「対立仮説の否定以外の何か」という抽象概念に当てはまるから、と言う事もできます。

609ゲジゲジ:2024/09/23(月) 23:30:40 ID:VAzlgnjs
ここまでの結論を纏めます。

1.「対立仮設の否定だけではダメ」という命題は具体的な要求をしているか否か?

具体的な要求をしていないし、してはいけない。できない。
なぜなら具体的な要求をしてしまうと、「『対立仮説の否定だけ』ではない」状態を「『対立仮説の否定だけ』ではダメだ」と批判するという自己矛盾に陥るから。
対立仮説の否定以外の何かがあればそれは何でもよい。要求されるのは「対立仮説の否定以外の何か」という抽象概念である。



関連して・・・

「(人間が生きるのに)水だけではダメ」と言った場合、水以外の何かがあれば何でもよい。要求されるのは「水以外の何か」という抽象概念。

「(政治家が)対立候補の否定だけではダメ」と言った場合、対立候補の否定以外の何かがあれば何でもよい。要求されるのは「対立候補の否定以外の何か」という抽象概念。

「(宗教において)対立する宗教の批判だけではダメ」と言った場合、対立する宗教の批判以外の何かがあれば何でもよい。要求されるのは「対立する宗教の批判以外の何か」という抽象概念。

「(芸術家が)相手の作品にケチをつけるだけではダメ」と言った場合、相手の作品にケチをつける以外の何かがあれば何でもよい。要求されるのは「相手の作品にケチをつける以外の何か」という抽象概念。

「(サッカーで)手を使ってはダメ」と言った場合、手を使う以外の何をしても、あるいは何もしなくてもよい。要求されるのは手を使わない事であって、具体的な行動は何も要求していない。

「(刑法の殺人罪の規定で)人を殺してはダメ」と言った場合、人を殺す以外の何をしても、あるいは何もしなくても殺人罪にはならない。要求されるのは人を殺すという行為をしない事であって、具体的に何らかの行為を行う事を要求していない。




さて、改めてですがKen様からの反論があれば受け付けます。
議論から逃げ出した相手とはいえ、こちらが一方的に「結論」を述べて、反論の機会を与えないのはフェアではないと考えるからです。
また他の方で、私の誤りや説明が分かりにくい箇所などがありましたら、ご指摘を頂けるとありがたいです。

また忙しくなりそうなので、暫くは放置になると思います。まぁ、差し当たっては議論相手もいないので、ゆっくりぼちぼち書き込みます。
Ken様からの反論または他の方からのコメントがあれば、それに応じます。
なければ次は暫く時間を空けてから、[>>600]で提示した予定通り、
2.世間は「対立仮設の否定だけではダメ」という命題を具体的な要求をしていると解釈しているのか否か?
について論じます。

610Ken:2024/09/24(火) 00:18:51 ID:S3LmXsMs
きわめて単純な話です。

ドーキンスのように、対立説の否定だけではダメという人が、神の行為の記録映像のような物証ではないものを、要求している実例を出されたらよいのです。

もっとも、私は、同時に複数を相手に議論はやりません。
なにより、論者としてのあなたを、見放しております。
また、今ははるかに重要な論題で議論をしております。

どうぞ、1人で続けたければ、続けてください。

前に言ったように、あなたに同意する人(そんな人がいるとしてですが)と「Kenはバカなやつだ」と言い合って、気勢を上げておられたらよろしいでしょう。

それで、あなたが幸福になれるのなら、結構なことです。

611Lurker:2024/09/24(火) 00:46:33 ID:???
私への的外れな当て擦りをしてきたときもそうですが、Kenさんは自ら定めたルールを都合良く適用したりしなかったりするんですね

612ゲジゲジ:2024/09/25(水) 23:05:27 ID:W5F12qm2
これは反論のおつもりなのでしょうか?

 >きわめて単純な話です。
 >(略)対立説の否定だけではダメという人が、神の行為の記録映像のような物証ではないものを、
 >要求している実例を出されたらよいのです。

一応、回答しますね。

きわめて単純な話です。
要求していないから、要求している実例がないのです。

尤も、何度も何度も繰り返し述べている事ですが・・・


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