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科学と疑似科学とを判別する(2)

590ゲジゲジ:2023/12/28(木) 17:43:38 ID:u32djkAI
589のご回答は、ほぼこちらの想像通りです。

 >もし神の言葉があれば、創造論は進化論の否定だけではないと、認められるのなら、
 >それが要求されるはずです。

要求されるはず、というのが根本的な間違いです。



さて、色々な周辺情報を述べたために却って解り難くなってしまった面もあるかと思います。
改めて仕切り直しましょう。
私の主張は実のところ非常にシンプルで、以下の通りです。


1.世間が言葉を字義通りに解釈しているのは大原則である。
  従って、世間が言葉を字義通りに解釈している証拠は不要であるし、通常はあり得ない。

2.「対立仮説の否定だけではダメ」という命題・文章は、ダメな条件を明確に提示している。
  則ち「対立仮説の否定」だけがあって、他に何もない状態はダメであると。
  そしてこの命題・文章は、ダメではない条件、則ち何が必要なのかを特定していない。

3.世間が「対立仮説の否定だけではダメ」という命題・文章を字義通りに解釈していないという証拠はない。

4.1〜3より、世間は「対立仮設の否定だけではダメ」といった場合に何が必要なのか特定していない。



それぞれについて補足が必要でしょう。

まず1.です。
科学の仮説であれ、政治の主張であれ、宗教の教義であれ、あるいは飲食店の評判であれ、全ては言葉によって語られます。
そしてそれらに対する批判も言葉によってなされ、その批判に対する反論もまた、言葉によってなされます。
世間が言葉を字義通りに解釈するという前提がなければ、これらは成立しません。

例えば「炬燵に入ってみかんを食べるとおいしい」という文章があったとします。
世間が「炬燵」とは炬燵のことだと解釈している証拠など不要です。
世間が「みかん」とはみかんのことだと考えている証拠として「みかんとはみかんのことである」という世に知られた文章を出せ、と要求するのはナンセンスです。
世間は「炬燵に入ってみかんを食べるとおいしい」という文章は「炬燵に入ってみかんを食べるとおいしい」という意味だと解釈しています。
これは問答無用で正しいと言えます。

同様に、世間は「対立仮説の否定だけではダメ」という命題・文章を字義通りに解釈するのが大原則です。その証拠は必要ありません。



次に2.です。
上記の通り、「対立仮説の否定だけではダメ」という命題・文章を字義通りに解釈すれば、何が必要なのかを特定していません。
特定していないのだから、何でもよいのです。
本人が根拠だと思うことを言えばいいし、それは神の言葉でも教祖の言葉でも、あるいは自分の思い付きでも構いません。
唯一ダメなのが「対立仮説の否定だけ」であることです。

言い換えると、「対立仮説の否定だけではダメだ」という批判を避けるために必要とされるものは、「対立仮設の否定以外の何か」という抽象概念なのです。



さて、3.です。
1.が大原則ではありますが、世間は言葉を字義通りに解釈しない場合もあります。
例えば京都の飲食店で「ぶぶ漬け(お茶漬け)などいかがですか?」と言ったら「もう閉店だから帰れ」という意味だったりする場合です。
調べてみると、そういう「都市伝説」があるだけで、実際に京都の人たちはそんな言葉の使い方はしていないようですね。しかし1.の原則と異なる解釈だからこそ、ネット上に解説が載っています。

「お茶漬けなどいかがですか?」と言ったら世間は「お茶漬けを食べませんか?」と勧めている意味だと解釈する証拠など、普通はありません。それが当たり前だからです。

世間が言葉を字義通りに解釈していない、言葉の字義とは別の解釈をしている、という証拠がない限り、世間は言葉を字義通りに解釈しているのです。


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