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科学と疑似科学とを判別する(2)
604
:
ゲジゲジ
:2024/09/23(月) 23:27:44 ID:VAzlgnjs
さて、Ken様の投稿から、別の例も見てみましょう。
>[
>>570
]
>例えば、政治家同士の論争にあっては、野党が政府のやり方を攻撃するだけではだめで、
>自分たちならどうするという対案を出さねば、無責任と批判を受けます。
>要求されるのは「政策」です。
政治家同士の論争において「対立候補の否定だけではダメだ」という命題が何を要求しているか? ですね。
もし仮に、「自分は容姿端麗だから正しい」と主張する政治家がいたとしましょう。
政治家の主張が正しいか否かに、容姿は関係ないと思います。そもそも、その人物が本当に容姿端麗なのかどうかも分かりません。しかし「容姿端麗だから正しい」という主張がなされているのであれば、それは「対立候補の否定」ではないのです。
もし、「自分は容姿端麗だから正しい」と主張する政治家に対して、「対立候補の否定だけではダメだ」という批判をしたら、どうなるでしょうか?
「『対立候補の否定だけ』ではない」主張を「『対立候補の否定だけ』ではダメだ」と批判するという自己矛盾に陥るのです。
つまり「(政治において)対立候補の否定だけではダメだ」と言った場合、対立候補の否定以外に何らかの主張がなされていれば、それは何でもよい、という事になります。政治に何が求められるのかは関係ないのです。
「対立候補の否定だけではダメだ」という命題は、「政治に必要なもの」を要求していません。「対立候補の否定だけではダメだ」としか言っていないのです。
余談ですが、少し前の東京都知事選において、「私はかわいい」というような主張した女性候補者がいたと記憶しています。私自身は東京都民ではないし、特に興味もないので詳しくは知りませんが。
また、このコメントを書いている時点で、自民党の総裁選が行われています。街頭インタビューで某候補者に対して「爽やかなイメージだから支持する」と言っていた人がいました。
政治において要求されるのは必ずしも「政策」ではないようですね。
>[
>>570
]
>宗教者の間では、対立する宗教をいくら批判しても、その人自身が宗教者であることにはなりません。
>肝心なのは、その人がどういう神を信じているのか、つまり「信仰」です。
宗教において「対立する宗教の批判だけではダメだ」という命題が何を要求しているか?
例えば、「うちの宗教の神様はホンモノだから正しい」という主張があったとしましょう。
あるいは、「うちの宗教教団の会館にあるレストランの食事は美味しいから、うちの宗教は正しい」という主張。
いずれも「対立する宗教の批判」ではないですから、「対立する宗教の批判だけではダメだ」という批判はできませんね。「対立する宗教の批判だけではダメだ」と言った場合、対立する宗教の批判以外の主張がなされているのであれば、それは何でもよいのです。
「対立する宗教の批判だけではダメだ」という命題は、「宗教に必要なもの」を要求していません。
これも余談ですが、「うちの宗教は神を否定しているから正しい」という主張を聞いた事があります。宗教とは必ずしも神を信仰するものではないのですね。
>[570]
>芸術家同士なら。相手の作品にケチをつけるのは自由でしょうが、
>自分自身が何の作品も作れないなら、芸術家を名乗る資格がありません。要求されるのは「作品」です。
芸術において「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」という命題が何を要求しているか?
これも例えば「私は容姿端麗だから、作品を作った事はないが、私の作品は素晴らしい」という主張があったとしましょう。
あるいは、「私は歌が上手いから、絵を描いた事はないが、私の絵は素晴らしい」という主張があったらどうでしょうか?
いずれも「相手の作品にケチをつけるだけ」ではありませんから、「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」という批判はできませんね。
「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」という命題は、芸術家に必要なものを要求していません。
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