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科学と疑似科学とを判別する(2)
608
:
ゲジゲジ
:2024/09/23(月) 23:30:11 ID:VAzlgnjs
今度はもう少し、別の角度から検証してみます。
命題「Xはダメ」の対偶を考えます。
「Xはダメ」の対偶は「ダメではないのはXではない事だ」となります。「ダメではない」とは則ち「よい」事ですから、「よいのはXではない事だ」となります。
つまり「Xはダメ」の対偶を、語順を入れ替えて表現を変えると「Xでなければよい」となります。
「水だけではダメだ」の対偶は「よいのは水だけではない事だ」となります。
水の他に何かがあれば「水だけ」ではないのだから、結局「水以外の何かがあれば何でもよい」という事になります。
つまり、「人間の生存には水だけではダメだ」と言った場合、「水以外の条件がなにか1つでもあれば、それはなんでもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれる、という事もできます。逆に言うと、元の命題の対偶なのだから、そこに帰結するしかないのだ、という事もできるでしょう。
同様に、政治家同士の論争において「対立候補の否定だけではダメだ」と言った場合、「対立候補の否定以外に何らかの主張がなされていればそれは何でもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれます。
宗教者の間で「対立する宗教の批判だけではダメだ」と言った場合、「対立する宗教の批判以外の主張がなされていればそれは何でもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれます。
芸術家の間で「相手の作品にケチをつけるだけではダメだ」と言った場合、「相手の作品にケチをつける以外の主張がなされていればそれは何でもよい」という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれます。
サッカーで「手を使ってはダメだ」の対偶は「よいのは手を使わない事だ」となります。
要求されるのは「手を使わない」事であって、具体的な身体の部位を使う事は要求していないという結論は、元の命題の対偶から導かれるのです。
刑法で「人を殺してはダメだ」の対偶は「よいのは人を殺さない事だ」となります。
人を殺しさえしなければ何をしても殺人罪には問われないという結論は、元の命題の対偶から導かれます。
さて、科学において「対立仮説の否定だけではダメだ」と言った場合、対立仮説の他に何かがあればよい、という論理的帰結は、元の命題の対偶から導かれている、という事ができます。逆に言うと、元の命題の対偶なのだから、そこに帰結するしかないのだ、という事もできるでしょう。
また別の見方をしましょう。
「対立仮設の否定だけではダメ」という命題は具体的には何も要求していないし、要求できません。
なぜなら「対立仮説の否定だけ」と、ダメな条件が具体的に明示されているのです。
ダメな条件が命題として具体的に明示されているのだから、その対偶は抽象になります。ですから要求されるのは「対立仮説の否定以外の何か」という抽象概念になります。
対立仮説の否定以外に何かがあれば、それは何であってもよいというのは、「対立仮説の否定以外の何か」という抽象概念に当てはまるから、と言う事もできます。
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