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疫学とは何か

1diamonds8888x:2009/08/30(日) 14:15:42 ID:jC5pDkG6
 NATROMさんの日記で疫学とは何か、といった趣旨の記事とコメントがありました。いささか思うところがあったのですが、長くなりそうですのでこちらに書くことにしました。
ttp://d.hatena.ne.jp/NATROM/20090821

 上記記事でも推奨されているような疫学自体のテキストは読んでいないことは断っておきますが、私の現時点でのイメージは、疫学の基本的方法論は統計学に基礎をおくもので、通常の実験(特に生物学や医学薬学の実験)でも心得ておくべき方法論だというものです。また社会調査などの結論が科学的に妥当かどうかという検証にも必要な方法論とも言えるでしょう。ですので、『「特定の曝露がヒトの健康に対して与える影響」以外のものに、「疫学研究」という医学的な術語を当てはめること』への違和感というものは全くありません。シュリンク問題での介入実験を「疫学」と呼ぶのは全く自然だというのが私の感覚です。

 狭義には「疫学」は医学的対象に適用される方法で、そこで基本的方法論に付け加えられるものは当然あるでしょう。データ構造由来の数学的方法とか、その分野で妥当とされる論理とか。

 さらに他分野にも通用するはずの「疫学の基本的方法論」というのは単なる数式計算法とかテクニックだけではなくて、科学的な記述には常に確からしさがついてまわるのだ、という根本的な哲学も含むはずです。NATROMさんが「ロスマンの疫学―科学的思考への誘い」から引用していた、「疫学は見かけのいい統計分析をはるかに超えたものです」という記載はたぶんこのことも含んでいるのでしょう。統計学的そのものだって出発点はこのような基本的哲学を含んでいると思うので、「疫学研究者にとって、統計学的手法は重要な道具ではありますが、基盤となるものではありません。」というのは、疫学研究者を実験生物学者や社会学者や、さらには物理化学者に当てはめても心得るべき言葉なのだと思っています。そもそも科学的命題の正しさというのは完璧にゼロか1かというのではなくて、ゼロ〜1の確からしさが言えるだけである、という基本があって、その確からしさを定量的に計算してみる技術が統計学的手法なのです。

 しかし「疫学」という言葉に対する一種のネガキャンを張る人々がいるのは残念なことで、それを正そうとしてNATROMさんがあえて「疫学研究によって」とした趣旨は十二分に理解できました。

 確かに、充分に理化学的教育を受けたはずの人でも「実験室の結果は確実だが、疫学の結果には誤差がある」と単純に即断する人もいるようです。「実験室でのマウス10匹の結果と野外の1万人規模の疫学調査結果では後者の方が精度が高いだろ」というのが私の感覚ですが。もちろん後者では条件コントロールは前者よりも難しいですけどね。

2diamonds8888x:2009/08/30(日) 14:16:28 ID:jC5pDkG6
 「疫学入門」で本をサーチしたら「免疫学入門」がどどっと引っかかります。それに比べると「社会調査」だと選択に困るほどヒットしますね。やはり需要の違いでしょうか。

3diamonds8888x:2009/08/30(日) 14:21:19 ID:jC5pDkG6
 研究者ではない人間にとって大切な力は、疫学なり実験なりで得られた結果の確からしさを評価する力でしょう。ここでゼロか1かの呪縛に捕らわれないことがまず基本的に、そして極めて大切なことですが、1であることが10%の水準でとか、確からしさが0.5近辺とかいう場合は悩ましくなるでしょう。これはむしろ実例にいくつもぶつかることでしか実感できないようにも思えます。

 さて疫学の初歩に関して以下のサイトのHill基準の図がわかりやすそうです。疫学的手法として、いわゆるコホート研究しか例示してはいませんが。
ttp://www.energia.co.jp/energy/emf/emfc2.html

 中国電力のサイトなのでタバコは危険だけど電磁界は危険じゃないよ、と言いたいらしくて2つを例にしているのでしょう。

 タバコと肺ガンの疫学について色々と間違い探しのできる文章があって、
ttp://cruel.org/other/kenen.html

 「タバコの煙<b>だけ</b>でガンが発生する」なんて誰も言ってないだろ! と一人で突っ込んでいましたら、・・・それがいました。
ttp://www.anti-smoke-jp.com/canser/hatsugan.htm

 いやー、極端に走る人はいるものだ。

4diamonds8888x:2009/08/30(日) 15:31:58 ID:jC5pDkG6
 タバコと肺ガンについての疫学研究結果としてウェブ上でまとまっているものは以下でしょうか。
ttp://homepage1.nifty.com/k/tabako012.htm

 新しい結果は以下で、日本人と欧米人との差や男女差についても述べられています。
ttp://epi.ncc.go.jp/can_prev/outcome/outcome03.html

 いずれにせよ、これだけ強い相関が示されていたらタバコが肺ガンの危険因子であることは否定しようがありません。それに比べて受動喫煙となると相関はかなり弱くなり、次のような騒動も起きる原因になっています。

ttp://www.nosmoke55.jp/action/0611press.html
ttp://www.nosmoke55.jp/data/0611IARC_matuzaki.html

 無理矢理扇情的なニュースを作りだそうとするマスコミの存在というのは洋の東西を問いませんね。

5diamonds8888x:2009/08/30(日) 15:37:43 ID:jC5pDkG6
 タバコと肺ガンについての定説は間違っている、という主張にはいくつか典型的パターンがあるようですが、そのひとつが以下の論理。アクロバティックですねえ。なお数値は記事により違うので仮のものと考えて下さい。

ttp://www.sizen-kankyo.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=98725
喫煙者の肺がんで死ぬ確率が1000人に1人、非喫煙者の肺がんで死ぬ確率が5000人に1人。そう書くのが正しい統計の表現である。

ttp://siroari.blog.so-net.ne.jp/archive/20081007
 14倍は公表しても93%は隠微。 もし93%が肺ガンだったなら絶対公表していたでしょうね。 これが疫学の都合のいいとこ。

ttp://cruel.org/other/kenen.html
たとえば、1:1.3というような比率のもつ有意性が統計学的には「喫煙者が肺ガンにかかる確率は非喫煙者の5倍から10倍」というように翻訳されているのです。つまり、百人中0.1人と0.13人の差を「多い」と思うか、「たいしたことない」と思うかという「解釈の違い」の中にしか、「タバコの害」の根拠は存在していないのです。


 最後の文章なんて意図的に数字をいじってるよ(^_^) 1:1.3だったら1.3倍とか3割り増しとか翻訳するでしょ普通。
 そりゃあ、あなた個人が「5000人に1人と1000人に1人の差なんて大した違いじゃない」、もしくは「その程度の危険率は甘受しても喫煙のメリットの方が大きい」と主観的に考えて喫煙を選択するのは自由ですよ。でも危険率が5倍というのは厳然たる事実。そして社会全体では肺ガンにかかる人数が5倍になるのですから、大した違いなんですよ。

 ちなみに最後の著者は本まで出してます。
室井尚 『タバコ狩り (平凡社新書)』平凡社 (2009/06)

6att460:2009/08/30(日) 16:50:48 ID:???
>最後の文章なんて意図的に数字をいじってるよ(^_^)

元々の数字の出自が異なるためのようです。

前者:受動喫煙

後者:能動喫煙

ネタ元
室井尚のタネ明かし(3)
ttp://winefs.net/tabakome/muroi/muroi3.html

7diamonds8888x:2009/09/02(水) 06:06:11 ID:jC5pDkG6
att460さん
 日記のコメント欄でのリンク訂正ありがとうございました。
 室井尚のタネ明かしを読みましたが、いやー、あごがガクンと落ちました。室井さんて数値に全く無頓着なんですね。

8diamonds8888x:2009/09/05(土) 16:06:15 ID:jC5pDkG6
 NATROMさんの日記の議論で一点気になったのが、分野外の人間が疫学データを正しく評価しようすとるきに要求される能力(疫学リテラシーとでも言いますか)はどんなレベルのものか? という点です。逆から言うと、専門家が分野外の人間にも正しく理解できるように説明しようとするときに、相手にはどんなレベルの事前理解まで要求できるものなのか? ということにもなります。まあ、日本語とか四則演算の事前理解は確実に要求できると思いますが、それ以上どこまでなのか。
 データを作る側と同程度の能力は無理として、どうしても「疫学」とタイトルのある本で勉強しなきゃならんのか? 「実験○○」とか「統計学」とタイトルのある本だけじゃ不十分なのか? 
 私は、疫学データを正しく評価するためのリテラシーとしては「疫学固有」とされることよりも「疫学」「統計学」「生物実験」「社会調査」といったものに共通のことの方が重要と考えていて、「疫学固有」を強調することは無駄に敷居を高くすることではないかと危惧しているのです。

 むろん共通のことの理解のために「疫学」を事例としてもいいのだし、そこで学んだことは「生物実験」や「社会調査」にも通用するでしょう。

 ということで「疫学入門」を読んでしまって後出しになる前に、共通のこといくつかを書き出しておきましょう。

1.世の中0と1だけじゃない
 ・正しさには誤差がある
 ・因果は確率的である

  (>>1)で指摘したことですが、特に第二点目は結構根が深くて確率的理論も科学的だと広く認められたのは18世紀以降のことらしい。

2.母集団は何か、分母は何か、と注意する
3.相関と因果の区別に注意する
4.対象と測定による諸々のバイアス
 ・野外ゆえに。生物ゆえに。人間ゆえに。

  これは個別に色々あるが、例えば次の本などに例がある。

  ダレル・ハフ「統計で嘘をつく法」講談社(1968/07)
  (日記のコメントでも紹介されていたが今や古典)
  谷岡一郎「データはウソをつく」筑摩書房 (2007/05)
  (事例には疫学に入りそうな例が多数ある)

5.測定対象の定義は明確か
  不明確な可能性があることを頭において、後は経験と練習

6.データの出典ははっきりしているか。そしてしっかりしているか。

  本当は一番最初に来るべきかもしれないけど、どういう出典ならしっかりしているかという知識は分野限定のことも多いから。

9diamonds8888x:2009/09/05(土) 16:09:26 ID:jC5pDkG6
 上で紹介した谷岡一郎は『「社会調査」のウソ』文藝春秋(2000/06)という本も出していますが、「データはウソをつく」の方が系統立っている分だけお勧めです。事例と主張には2つの本で重なりもあります。「演繹」と「帰納」と「セレンディピティー」の使い方が私自身の普段の使い方とずれているので戸惑いますが、一貫しているので翻訳して理解すればいいだけの話。あっ、「自然科学」の範囲もずれていた。

 ただ、こういう本で統計のウソの存在を知ったのはいいが、生兵法でまともな結果までゴミと即断してしまう人もいるかも知れません。(>>5)の例など、「統計のウソを見破ったぞ」という体裁で言ってますからね。

10diamonds8888x:2009/09/13(日) 15:01:34 ID:jC5pDkG6
Ref.1) 中村好一「基礎から学ぶ楽しい疫学」医学書院(2005/12)
Ref.2) 津田敏秀「市民のための疫学入門―医学ニュースから環境裁判まで」緑風出版 (2003/10)
Ref.3) 内井惣七「科学哲学入門―科学の方法・科学の目的」世界思想社(1995)

 Ref.1とRef.2をざっと読みました。Ref.1は疫学を学ぼうとする学生向けの標準的な良い教科書と見ました。しかし、分野外の人間が疫学リテラシーを身につけることを求めて読むにはRef.2が圧倒的に優れていました。分野外の人間の私が言うのだから間違いありません キッパリ。

 1〜4章で実例から入る導入が非常にうまく初心者に優しいです。それでいて11章に渡り多様な観点からのポイントを押さえた解説があり、これ一冊をしっかり読み込めば必要なだけの疫学リテラシーは身に付くでしょう。初心者向けにこれほどしっかりとしかも読みやすく書かれた教科書は他の分野でもあまり見たことがありません。

 「疫学の結果は統計的相関だけで確実じゃない」といったネガキャンには古典的な0か1かのみの科学理論観があるのですが、その克服の難しさをサリドマイド事件を例に取り示しているのが説得力があります。導入部の水俣病やカネミ油症の初動対策遅れにも、この克服の難しさが指摘されています。近代的な確率的因果関係の論理は具体的に例示されればわかる人にはわかるのですが、まとめて一般的に説明しようとすると科学哲学の成果に頼るのがやりやすいのです。著者がそこもしっかり心得ていることは文章のそこかしこに現れており、7〜10章ではもろに科学哲学的解説が入っています。10章の「因果関係の判断基準」はまさにデジャ・ビュー、Ref.3の2.6に書かれているJ.S.ミルの「5つのカノン」ですね。少し項目に違いはありますが。

 コラムと5章では疫学の歴史と発展にも筆が割かれていて、なかなかに感動的です。

11diamonds8888x:2009/09/13(日) 15:02:20 ID:jC5pDkG6
 最新の疫学ニュースを発信している人がいますね。これは参考になりそう。
ttp://metamedica.web.fc2.com/ 旧HP
ttp://blog.livedoor.jp/ytsubono/ ブログ

12diamonds8888x:2009/09/23(水) 15:23:36 ID:jC5pDkG6
 Ref.1の2章に「観察している指標が割合か,比か,率かを常に意識する」というポイントがありましたので、「よっしゃ、読む前に定義を当てよう」と思って下記の解答をしました。

割合; 部分集合の量(個数)÷全体集合の量(個数)
比; 次元が同じ量同士の割り算の結果
率; 次元が違う量同士の割り算の結果

 Ref.1での定義は、
割合; 全体の中で特定の特徴をもつ者が占める部分の大きさ
比; 異なるもの同士を割り算で比較したもの。例えば性比。
率; 比の特殊な形で,分母が時間になったもの。事象が生じる速さを示す。

 なるほど、指標一般の分類ではなく「頻度」特に「疾病頻度」の分類なのでした。「異なるもの同士」とは「異なる集団に関する量同士」という意味で、割り算する2つの量の次元はどちらも「個体数」で同じです。率の分母が時間限定なのは、時間以外の量が分母に来る指標が、ここでは対象にないからでしょう。暴露量が絡んでくる半数致死量とか線量当たりの発癌率とかだと時間以外の次元の量が計算に入りますが、ここでは直接的頻度だけが対象ですから。

 観察する空間を数学的に抽象化すると、時間軸と他方の軸の2つの軸で表せますが、他方の軸の各点には各個体が当てはまり、これらの点の間には順序も距離もなく、これは単なる名義尺度と言えます。各点は時間軸に沿って始点も終点もそれぞれに時間的位置が異なる有限の長さを持ち、その中に暴露なり罹患なりのイベントを点として持ちます。そして対象となるのは同じ時間位置で切った断面内での各点を分類したときの頻度です。名義尺度である他方の軸の値(各個体そのもの)ではありません。

 実用的にはごく普通に使われる空間だけど、数学的空間としては数学分野にあまり出てこないような気がする。ちょっとおもしろい気づきでした。


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