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神と科学は共存できるか

1 地下に眠るM :2007/11/12(月) 20:22:48 ID:yb0RBWTc
管理人のブログ記事
ttp://d.hatena.ne.jp/NATROM/20071105/
のコメント欄におけるやりとりの続編スレですにゃ

346 地下に眠るM :2008/02/13(水) 19:05:49 ID:Y80wH3GM
>ちょちょんまげ

各個人は価値中立を要請されるわけではにゃーんだ。
イデオロギーが問題となるのは「党派」においてですからにゃ。

最初にいっていた通り「馬鹿を禁止すること」はできにゃー。
だから、人種差別主義者であろうと性差別主義者であろうと、個人のもつ非合理な主義とか思想を禁止することはできにゃーよね。ちゅうか、国家権力がシステマティックに洗脳でもしにゃーかぎりは禁止しようがにゃーし。
個人が何らかのイデオロギーに染まっているなんて、アタリマエもいいところだし、それは何ら責められるべきようなことではにゃーわけだ。馬鹿なイデオロギーを奉じていても、馬鹿であることそのものを責めてはならにゃー。

問題は、価値中立が要請されるべき領域で特定価値の押し付けがなされることだにゃ。価値中立が要請されてしかるべき領域とは、司法・立法・行政などの公権力の発動、あるいは教育や医療などにゃんね。たとえば公教育における特定宗教の押し付けは基本的人権のコア中のコアである良心の自由の侵害だにゃ。公的領域においては、馬鹿が許容されてはならにゃーのはもちろん、特定のイデオロギーに偏ることはダメダメだにゃ。少なくとも自由民主主義政体においては。
で、
自然科学という社会資源にも、やはり価値中立が要請されてしかるべきだと僕は思う。自然科学の価値中立とは、自然科学のもつ属性というだけでなく、社会的に要請されるものでもあるのですにゃ。

ドーキンスのまずいところは、自然科学(進化生物学)の看板を背負って宗教否定をしているところだと思うにゃ。ドーキンスは自然科学(進化生物学)を、自分好みの特定の政治的党派にしてしまっているにゃんね。
宗教が気にくわにゃーのなら、自然科学の看板なんて背負わにゃーで、個人として反宗教の活動をすればいいと思うにゃ。自らの専門領域とは別個に、自らの良心にしたがって政治的な活動をする科学者はいくらでもいるにゃ。これはまったく問題にゃーのよ。ただ、専門領域に関連して政治的な発言をする場面においては、何よりも価値中立が要請されなければならにゃーはず。

あ、いっとくけど、個人に価値中立が要請されないというタテマエはタテマエとして、友人や家族に、自らの人格をかけて特定の価値を要請するというのはもちろんアリ。親の判断でガキに洗礼をすることを僕は否定できにゃーです。

347 地下に眠るM :2008/02/13(水) 19:39:26 ID:Y80wH3GM
ちょっとまとめなおすと

自然科学が特定宗教と同列にあるイデオロギーのひとつであるとすると、
「仏教の見地から言って聖書はまちがい」
「共産主義の見地からいって聖書はまちがい」
「自然科学の見地からいって聖書はまちがい」
これらの言明は、各党派の言い分としてすべてなりたつ。

自然科学が特定のイデオロギーではなく、価値中立を要請されるいわばメタレベルの何かであるのなら
「自然科学の見地から」特定のイデオロギーを批判することは失当になるにゃ。

自然科学においては、思考節約の原理から神(=超自然的存在)の存在を措定していにゃーだけであり、神の存在を否定しているわけではにゃー。
だから、自然科学の名において神(=超自然的存在)を否定するということは論理的に失当であるだけでなく、無神論という特定のイデオロギーを支持する発言となり、価値中立が成立しなくなってしまうにゃ。

さらにいいかえると
神を否定しないときのみ、自然科学はメタレベルの存在でいられるわけだにゃ。

つまり、
神との共存は自然科学に対して要請されるべき立場だということだにゃ。

この結論はNOMA原理とはだいぶことなるものにゃんね。NOMA原理においては宗教と科学は対等にゃんが、この「価値中立の要請」の理屈では、自然科学をメタレベルに位置づけているものですからにゃ。

348 地下に眠るM :2008/02/13(水) 19:46:03 ID:Y80wH3GM
あ、わすれてた
>>343

僕はウソいってないもーん

349 NAN :2008/02/13(水) 20:12:11 ID:G81kGdtk
>>345
>・信仰そのものの否定を発言すれば科学主義者
>・信仰そのものを拒否する理由がその否定を含んでいるならば、発言しなくても科学主義者

「自然科学を利用して(=欺瞞)」というフレーズが頭につくかどうか、と、主張を行う発言者の社会的ニッチによって左右されることなんだろうね、多分。学者や研究者などが自身の成果をベースにして「…ゆえに宗教を否定する」と述べればまさに悪しき科学主義者の出来上がり。そういうことじゃぁないかな。

>それでも、「拒否」する理由は当然あるわけで、そこで「拒否」する理由を述べたら(私なんかの場合は)どうしても「否定」になっちゃうと思うんです。

その辺が「ニンゲン社会」のムツカシイ有様なんでしょうね。「私」が「私自身」の主義信条を選択するにあたって、他者への害をもたらすものでないのであればどこの誰にも遠慮や謙譲など必要ないはずですが、その「意思」をひとたび発言した途端に党派を生む契機となり得る。そこまで想像できるまともなイマジネーションを持つヒトはいろいろと悩むのでしょう。また、そういう「悩み」があることに、実はヒトとして生きる意義があるのではないでしょうか。

また「すべての宗教は否定(批判)の対象である」とするのか、個別に、しらみつぶしに否定していった結果「90%かそれ以上の宗教は否定の対象となるけれど、残り10%以下については熟慮と検討の余地がある」という(以前にも出てきたフレーズですが)フェイルセーフを心に持つという、知的なゆとりにこそ相互理解の契機が隠されている気がします。要するに『不当な一般化→イクナイ!』ってことですが(笑。ちなみにこれは、真っ当な科学的探究心そのものだ、と思います。

350 NAN :2008/02/13(水) 20:20:30 ID:G81kGdtk
>>347

参った(苦笑。素直に納得してしまった。地下猫氏を褒めることはしたくないのだが…(笑。
少なくともNOMA原理というチンプンカンプンな理屈よりも、科学が科学たる所以を的確に述べているなぁ。

>神を否定しないときのみ、自然科学はメタレベルの存在でいられるわけだにゃ。

なるほどね。言葉にはなってなかったんだけど、そういうモヤモヤした発想が私の頭の中のどっかに常にあったので、NOMAとか宗教議論に対して「なんか違うんだよね、基本的に」という思いが吹っ切れなかったらしい。

351 AH1 :2008/02/14(木) 15:03:11 ID:sNMJ1V0Y
>>345
>それでも、「拒否」する理由は当然あるわけで、そこで「拒否」する理由を述べたら(私なんかの場合は)どうしても「否定」になっちゃうと思うんです。

あれこれ言っておいてなんなんですが(笑)、ちょちょんまげさんが「自分は宗教なんか否定したいね」と仰るのなら、それもやはり「ああ、そうですか」と言うべきものなんだろうと思います。
あとは・・・仰っていたフェイルセーフの感覚という奴で、自問してゆくよりないのではないでしょうか。余人があれこれ問いただしたり、ズカズカと批判するのも(それもまた自由ではあるのでしょうが)、大きなお世話であり野暮であるような気がします。
いや、こういう場で対話や議論をする場合には、言ったり聞いたりしないと始まんないんですけどね。あくまで普段の話。

352 地下に眠るM :2008/02/15(金) 12:22:15 ID:Zuuc0PyM
>>347を補足

特定宗教と自然科学が同一レベルにあるイデオロギーであるのなら(つまり価値中立が要請されないのなら)、「神が存在すると主張する側に証明義務がある」という言明は正当だにゃ。
しかし
自然科学が価値中立を要請されるメタレベルにある知識体系であるとするのであれば、自然科学の側が特定宗教の教義を否定する場合はあくまで事実にもとづいて証明を行なう必要があるだろにゃ。つまり、神の不在証明をおこなう責任が自然科学の側にあることになるにゃんね。

自然科学が本当に価値中立といえるのかについては、いろいろと議論がありますにゃ。
ただ、ここで僕はその体系の属性として価値中立なのか否かではなく、価値中立が要請されるか否かという観点を導入いたしましたにゃ。
自然科学が価値中立を要請されることを是認したのなら、専守防衛に徹しなければならにゃーということも理解されるはずですにゃ。

353 :2008/02/19(火) 07:25:26 ID:QpQGFxc6
既に撤収モードの様相で、今更ぶり返すのも気が引けるのですが、地下猫氏、NAN氏からスルーを激しく咎められ、レスを要求されています。
即レスが出来なかったことを詫びると共に(しばらくゲンナリして書き込む気にさえならなかった)、極力スルーの無いよう逐条的に対応してみようと思います。
おかげでえらく長くなってしまいました。その点も悪しからずご了承下さい(ホントに長くなりました。でも2人分ですし、勘弁して下さい)。

RE 地下猫氏

>>(「自然科学的に「実在」しないものを対象にした研究に意味はない、という白痴的言明(>>219;)」…と言う地下猫氏のご指摘に、「そんなこたあ言って居ないよ」として、上記冒頭の解答をしただけです。後出しのすり替え話みたいなことを言われても、返答のしようが有りません。

>言ってんだよ>馬鹿
僕の論点は、その(自然科学的な)実在を信じていようが信じていなかろうが関係にゃーというところだにゃ。チミのような馬鹿を相手に、「後出しのすり替え」をする必要なんてあるわけにゃーだろが>馬鹿
>そもそも
「空想上のものという前提だろうが、実在していると妄想していようが、それはその学問的価値には直結しにゃーのだよ。僕はもともと、研究者の世界観や信念と学問的価値が直結するのは「イズム」であるという文脈で話していたにゃんぞ。」
という話は華麗にスルーにゃんな。もうこれでこの話を書くのは4回目にゃんがな。

論より証拠、「自然科学的に『実在』しないものを対象にした研究に意味はない」等という、そんな「白痴的言明」が、若し有ると言うなら私の書き込みの中から提示してみて下さいな。
言っていないことを「言っていない」と事実関係を返しただけのこと。
「学問的価値には直結しにゃー」だの「研究者の世界観や信念と学問的価値が直結するのは『イズム』である」だのと、猫氏の特異な「論点」を持ち出せば、私の言ってもいないことが言ったことになるらしい。

こちらこそ同じことを何度も言わせないで下さい。


>だからカントの物自体概念が、完全に論駁され尽くしたことを根拠をもって示してみろよ>馬鹿

私は(>>230;)で、kaさんの「よろしければソースください」へのコメントとして、
>>不可知論にしても、その反論にしてもそれぞれの哲学的主張であって、神の実在と同じく賛否両方ありますので、例えば自然科学における、「ニュートリノ振動が『実証』された」と言う形で決着が付く訳では有りません。ですから特に客観的なソースと言うものがある訳では有りません。
>>「完膚なきまでに論駁されている」と言うのは、私はそう思っている、と言うことです。現実に不可知論は広範に生き残っていますから、そうでない人たちも大勢居るということですね。

…と、小学生にも分かるように明確に書いておきました。「客観的なソースと言うものがある訳では有りません」とね。
更に「『完膚なきまでに論駁されている』と言うのは、私はそう思っている、と言うことです」と付け加えながら。
しかもわざわざ「不可知論にしても、その反論にしてもそれぞれの哲学的主張であって、神の実在と同じく賛否両方ありますので」と、猫氏のような立場への配慮も忘れていません。

これ以上どう書けば良いんですか? ここでは自分の意見や判断を主張として述べることさえ出来ないのですか? クワバラクワバラ。

354 :2008/02/19(火) 07:25:57 ID:QpQGFxc6
>>ウィキ等を引用したり、「科学者」を引っ張り出して余計な回り道をする必要なく、いっぺんで本筋の決着が着きますよ。きちんとした反論が出来ればね。
>もうすでにNANが反論してるだろ。字が読めにゃー野か?>馬鹿

NANさんの「反論」が猫さんの反論の代用になるとは、初めて知りました。麗しき隣人愛ですが、だったら最初からそう言って下さいよ。ホントに。

猫氏は関係ないとして、NANさんの「反論」も、哲学と実証科学である物理学との混同が有るのですが、しかしそれでもNANさんの物理学的「反論」は気になってはいました。
同じような問題意識からだと思うのですが、(>>280;)の、diamonds8888x:さんの問題提起は、より興味深く受け止めていました。

>「存在するか?」と言われると、何か形のある物体的実在物の存在だけを思い浮かべがちな人が多いかも知れませんが、形のない現象というものも立派な【自然科学的な意味で】の存在です。その意味では、燃焼も心も意識も戦争も会社も国家も存在しています。まあ学問の対象とするためには人文・社会科学であれ自然科学であれ、厳密な定義も必要でしょうけど。
 生物種とか万有引力の法則とかの抽象概念となると、【自然科学的な意味で】の存在と言っていいのかどうか・・
>雄さん231のヘーゲルの言ったことは、つまり以上のようなことなんでしょうか? (>>280;diamonds8888xさん)。

哲学と自然科学との関係は、私にとっても面白そうなテーマでした。
diamonds8888xさんは(>>279;)で、燃焼を例にとってフロギストン説を紹介されています。
同じように、モレスコットやビュヒナー、フォークトなど、俗流唯物論者による「肝臓が胆汁を分泌するように、脳髄は意識を分泌する」とする説が主張されたこともあり、これが「タダモノ論」として、唯物論の面目を多いに失墜させた時期が有った訳です。

不可知論を巡る環境も、私の印象では19世紀までと20世紀では大きく変わったような気がします。
いわゆる「観測問題」「不確定性原理」「からみ合い」或いは、「観測の地平」「ブラックホールの内側」「宇宙誕生以前」「他世界宇宙」等など。
本当はこれらのことについて、diamonds8888xさんなどからもお知恵を拝借しながら、どのように考えてゆけばいいのか、と言うのは私にとっても大きな興味でした。

しかし如何せん、「愛」の問題だけでもこれだけ物議をかもしており、更にこの上トピズレになるようなこの問題を提起することに多いに躊躇が有った訳です。かと言って中途半端な形で論じたくもないし。
…と言うことでこの件は、NANさんからの反論も含めスルーしたままです。それは率直に認めます。

355 :2008/02/19(火) 07:27:23 ID:QpQGFxc6
>どこの世界に「現象を全て知る」者がいるんだ?>馬鹿
「現象を全て知る」ってなんのことだ?>馬鹿
逃げずに答えろよ>馬鹿

哲学的な認識論、つまり「考え方」の問題と、実証科学である、主に物理学での物質理解の混同に過ぎません。それと単に猫氏が理解できなかったに過ぎません。私が逃げていた訳では有りません。

猫氏お得意のWikipediaによれば(「イマヌエル・カント」の項)、
「意識は、その二種の形式(感性と悟性)に従ってのみ物事を認識する。この認識が物の経験である。他方、この形式に適合しない理性理念は原理的に人間には認識できないが少なくとも課題として必要とされる概念とされる。理性推理による理念は、いわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である。神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体(Ding an sich)と呼ぶ。」とされています。

この「感性と悟性」によって認識されるものが、現象とか性質であると理解するのに何の不思議も有りません。それ以外に感性と悟性が何を認識するのですか?
そしてそれによって認識されない「理性的理念」をカントは『物自体』と呼んだのです。
この理解は元々猫氏が最初に持ち出したカント自身の主張ですよ。Wikiによってもね。これが哲学的立場の違いを超えたカントの「物自体」解釈です。

「僕がチミよりテツガクの知識が少ないということはにゃーから安心しろ>馬鹿」とする猫氏の、Wikiとは違う「物自体」解釈をお聞きしたいものです。
そしてヘーゲルはカントの主張を受けて、「若し現象を全て知ることが出来たら、」と問題を建てたのです。ここに哲学上何の問題が有りますか?
自然科学でもよくやるでしょうよ、思考実験というのを。「若し、光の速さで走ったらどうなるだろうか?」って言うアインシュタインの思考実験は、実際に光の速さで走らなければ成り立たないのですか?


>>「愛」は精神的なものです。その意味で「愛」そのものは形も無いし、いわゆる実体では有りません。だからといって「愛」が科学の対象にならない訳では有りません。
>だからな>馬鹿
>僕は自然科学的な意味で実在するかと聞いたんだにゃ>馬鹿

猫氏が引用してくれた部分に、既にチャンと書いて有るじゃないですか。「その意味で『愛』そのものは形も無いし、いわゆる実体では有りません」と。この件、おしまい。

356 :2008/02/19(火) 07:27:58 ID:QpQGFxc6
>科学の対象になるかなんて聞いてにゃーだろが>馬鹿

『重要な問い』に対し、科学は応えられるか否か? と言うのはそもそもこのスレッドの最初の頃からの中心テーマの一つだった筈ですよ。
猫氏自身(>>21;)で、
>科学は「重要な問い」については直接的にはノータッチ(判断の材料を提供するという意味では無関係とはいえない)であり、自らに判断の資格があるともみなしてにゃーわけだ。
>宗教は「重要な問い」に答えられるか否か
について、科学は判断できないし、してはならにゃーのよ。もしそれを行ったら、それこそNOMA違反だろ?

……と述べて、自分の判断を示しています。「科学は………ノータッチであり」と言っているのは猫氏自身ですよ。
私は「そうじゃないだろう。決してノータッチではないだろう」と言う立場で、重要な問いの一つとして想定されている「愛」について、進化人類学と言うアプローチを借りて見解を述べただけです。愛は猫氏のクイズにも題材として使われていますしね。

>ちゅうわけで、愛を「自然科学」で説明する雄ダイセンセイのおっしゃりようは、僕の質問とは関係にゃーです。

私の科学観「広く科学を捉えている云々」についての、「チミの科学の範囲は広大無辺にゃんなあ、ぶわっはっはっはっはっはー」と言う猫氏からの揶揄に対し、その釈明の教材として述べたもので、私も猫氏のクイズと直接関係にゃーと既に述べています。単なるひとつの例としてです。一体どこが問題なんですか?
揶揄に対する反論でさえ、どこかで述べられている「僕の質問」の内容から一歩でも外れると、叱られる訳ですか?


>それと、NOMA原理が不可知論だとしたら、NOMA原理を支持する信仰者は不可知論者ということになるけど、そんなはずにゃーことはチミのような馬鹿にはわかんにゃーのかな? 科学者としてグールドは不可知論の立場を表明するけど、信仰者にその立場を強制してるわけではにゃーんだよ。

私のどこにそんな書き込みが有りました? わら人形はもういい加減にして下さい。

NOMAが、科学と神の間に「重複しない」と言う形で明確な線引きをし、その片方に「教導権が及ばない」とする点で、カントの物自体と同じだとする私の判断に、何の不自然が有るのですか? しかもグールド自身が自分のことを「不可知論者」だと、積極的に表明している、非常に強力な傍証もあってのことです。

不同意ならその内容に沿って、猫氏自身の見解を述べればそれでいいことじゃないですか?
猫氏は議論の中身には殆ど立ち入ることが出来ないのに、外形的なアレコレに重箱の隅的なクレームだけはお達者だ。しかしその殆どはわら人形、良くて見解の相違に過ぎない。

「NOMA原理を支持する信仰者は不可知論者ということになる」「グールドは不可知論の立場を表明するけど、信仰者にその立場を強制してる」等と、私は述べていないけれども、グールドが強制していようがいまいが、その線で書かれた著作を読んで支持する人は、当然その一定の影響力を受けるだろうことは、考えて分かりません?

私が考えるNOMAの一番の問題は、繰り返し述べているように、霊感商法やマスコミでの心霊現象、スピリチュアル等の取り上げに対する、科学の側からの批判の躊躇です。或いはマスコミや「霊能者」の開き直りの根拠としてです。
だからこそ私は(>>218;)で「グールドの晩節を汚す一冊にならなければ良いが」と書いたのです。グールドを惜しめばこそです。

357 :2008/02/19(火) 07:29:45 ID:QpQGFxc6
>とにかく、確認しよう
雄ダイセンセイの科学の定義では
・王様は裸じゃないか!
・ごめんなさい、あなた。この子はあなたの子じゃないの
・勘違いしてんじゃねーよ、このブス
・はっきりいうけど、おまえ、臭いよ
といった言明は科学だにゃ。

私の方からも確認しましょう。
「王様」「あなたの子」「ブスの女性」「おまえの臭い」等など、実在的な事象に対し、ある問題が建てられ、それに対して何らかの判断が下されるとき、それを科学と言わない猫氏の感覚を逆に疑います。
その時「科学」と意識するかどうかの、要するに単純か複雑かと言った、或いは先人達の「科学的」業績による知見が有って、既に日常的な常識となっている、それだけの問題に過ぎないでしょう。単純だから科学でない訳では有りません。

○王様が裸であるかどうか、普通「見て」「判断」します。そこにいちいち「俺は科学している」などと意識はしないでしょう。でもね「見る」或いは「判断」と言う現象がどう言うことか、少し立ち入ってみれば立派な科学現象だと言うことが直ぐ分かりますよ。

長くなるので関係するであろう「科学的な」概念だけ列挙してみます。
太陽・月、或いは人工照明からの電磁波、そのごく僅かな領域である可視光線、対象(この場合王様)を形成している物質の吸収・反射特性、対象から反射された電磁波、センサーである視細胞、特に特定の波長に特異的に感応する三種類の錐体、ロドプシンの化学的な変性、それらの情報を演算処理する脳、等など。

そしてこの「見る」と言う現象は、考え方としてラザフォードのα線(粒子)照射による原子核の発見、或いは粒子加速器での様々な観測と同じことです。
ただ違うのは対象の大きさと、それに伴う照射の波長の短さ、つまりはエネルギーの大きさ、及びセンサーとしての網膜と、写真乾板、或いは霧箱などの違いだけです。
その対象の大きさ(小ささと言うべきか)と照射エネルギーの大きさの問題が、量子論の不確定性問題に関わって来るんでしょうけどね。

又、対象が王様であるかどうか、裸か着物を着ているかの判断も、それまでの脳内の記憶との検証でしょう。

○子供が猫氏の子供であるかどうか、若し問題になった場合、今ではDNA検診などで多分簡単に特定できる筈です。
私は幸いそう言うややこしい問題に巻き込まれたことがないので、詳しいことは知りませんが、これって科学じゃないんですか?

○嗅覚は充分に生化学的な問題でしょう。これもいちいちその過程に科学を意識しないだけです。
最近自分の臭いを気にする人が増えているようです。深刻に悩む人はお医者さんに相談するでしょうね。本当に臭いかどうか?、それはどう言う原因か?、対策は? 等など。
医学を含めた科学以外に一体何が対応できるのですか? おまじないですか?

○順序が前後しましたが、ブスか美人か、ぶ男かハンサムかは進化生物学の適応にも絡む問題だと思うので少し立ち入ってみます。

猫氏が或る女性に対し「ブス」だと感じるとき、そもそもどう言う判断基準でそう思うのですか? 個人個人の嗜好の問題も有るでしょう。これにも色々な科学が関与できるとは思いますがその前に、ブスとか美人とか言った場合、大方の(人種や時代によって基準は異なるにしても)人類で共通の判断基準がほぼ確立されています。猫氏が美人だと思う女性は、多分私も美人だと思うでしょう。

私が思うにこの判断基準はおそらく人類の歴史の中で形成された適応的なものでしょう。つまりはダーウィンが提唱し、トリヴァースなどが拡張した「性淘汰」が基礎になっている筈です。
足の長さやその真っ直ぐさ加減、顔や体のプロポーション、シンメトリーの程度、皮膚の滑らかさ等は、その個体や血統が、充分な栄養を確保できるだけの狩猟能力を持っていること、ウイルスや寄生虫などのパラサイトに強いこと、或いは相手がメスで有った場合、多産系であるかどうか、等などのシグナルとなった筈です。
遺伝子DNAそのものは見えないが、目に見える判断基準として配偶相手に示す指標としての機能を果たして来たのでしょう。

そしてそう言う配偶相手を選択したものが、結局はより多く子孫を残し、その子孫にその遺伝子を残すことが出来たのでしょう。その子供は同じような判断基準を親から受け継いで来ただろうし、我々はその子孫で有る訳です。
今、その歴史的な経過をいちいち意識することはないが、相手を見て直ぐに美人かどうか、ハンサムかどうかを判断するその基礎に、おそらく長い生物と人類の歴史が横たわっているのでしょうね。

358 :2008/02/19(火) 07:31:12 ID:QpQGFxc6
私の考えが絶対正しいなどと断言する積もりは毛頭有りません。色々な考えが有るでしょう。
しかし、進化論掲示板の常連である猫氏に、こう言った適応的な視点が若し全く無いとしたら、そのこと自体私には信じられない驚きです。
他人に対し「科学主義の病状」などと揶揄するのも結構ですが、私の心配は猫氏の「非科学的蒙昧」です。


えーと、ここで猫氏の批判については一応逐条的に対応したことになるのかな。
まあ、正解かどうかは各位の世界観や問題意識にも拠ることだし、私はその部分にまで「教導権」を発揮する積もりは有りません。つまり「正しさを独占」する積もりは有りません。全て私の考えに過ぎません。
そうでない考え方について「それはそれで、いいんじゃないの」と思うだけです。猫氏がどのように思おうがそれはカラス、じゃ無くて猫氏の勝手です。

359 :2008/02/19(火) 07:31:46 ID:QpQGFxc6
RE NAN氏

NAN氏との一番の問題は「人間の『愛』の感情」についてです。この件は最後にまとめておきます。その前に………、

>神の「自然科学的な実在」なんかとうの昔に聖職者が否定してるよ。
>まっとうな信仰を持つヒトはね、神の存在証明なんかしねぇよ。だって、彼らにとって神はいつでもそこにあるんだから、証明する必要なんかないの。

私は「自然科学的な実在」などとは言ってない筈ですがね。単に「神の実在は、」でした。
その意味で今の聖職者が「神の実在」を否定しているかどうか、それは多いに疑問です。
第一、教会が最初からそんなに物分りが良かった訳ではない。西暦の2000年間を通してみただけでもつい最近のことですよ。地動説を認めたり、かっての宗教裁判を自己批判したりしたのは。

およそ1000年間に及ぶ中世と呼ばれるヨーロッパで、何十万人もの人が、一方的な「魔女裁判」によって、考えられる限りの残酷な刑が処されましたが、それを躊躇しなかったのは、そこに神の実在と悪魔の実在を信じていたからじゃないですか? 或いはそれを煽った陣営が。
そうでなかったらとてもじゃないがそんなことを、普通の人が出来る訳がない、と私は逆に信じたいんですがね。

ガリレオの宗教裁判、ジョルダーノ・ブルーノの火刑もそんな遠い昔じゃないですよ。
そもそもダーウィンが「種の起源」の発表を延ばしたのは何故ですか? 教会への配慮でしょ?
そして今でさえアメリカ南部などでは、IDに姿を変えた「創造論」を、教育に持ち込もうとしている人が現実に大勢いるじゃないですか。

トマス・アクィナスの一生を知ってますか。
猫氏お得意のWikiに拠れば「カトリック教会と聖公会では聖人、カトリック教会の33人の教会博士のうちの1人」だそうです。至って「まっとうな信仰を持つヒト」ですが、彼の一生は神の実在証明に捧げたものでした。その他大勢の賢人がそれに携わったんですよ。

今はね、そんな努力をしても報われないことが分かっちゃったんでしょうね。「まっとうな信仰を持つヒト」は。神の存在証明なんか諦めて、科学との折り合いをつけることを自覚しているだけです。
かと言ってその人たちも「実在しない」と断言する訳には勿論行かない。そのギリギリの「折り合い」の付け所として、不可知論が機能する訳です。「本当のところは分からない」として。
私はそう思っています。

360 :2008/02/19(火) 07:32:13 ID:QpQGFxc6
>>若し「神は実在するがその証明は出来ないものなのだ」と主張する人は、同じ理由でスパモンの実在も認めなければなりません(>>314;)。
>あのね、私は「自然科学的な意味における実在」と「ある個人または集団内における経験としての実在」を分けて考えろ、と何度も何度も書いてるだろう。無論、スパゲティモンスターが実在すると主張するヒトにとってそれは実在するんだよ。

元々はNAN氏の「妖精はいる、いないに付いての、どちらの主張も等価」に対する、私の異議申し立ての中で述べたものです。
神は反証できないし、スパモンも同じです。「自然科学的な意味における実在」であれ「ある個人または集団内における経験としての実在」であれ、その点でも両者は等価(NANさんお得意の)なんですよ。

予め言って置きますが、NANさんがどんな理屈を捏ねようと、神とスパモン、或いは空飛ぶティーポット、そして最近私が見た「化け猫に跨って空を飛ぶ生ゴミ妖精」の区別は出来ませんよ。
神もスパモンも、信者にとって「いつでもそこにあるんだから、証明する必要なんかないの。」と言う点で等価なんですよ。

現在スパモン教(FSM教)の信者は1000万人に上るそうです。私も最近入信しました。何しろ洗礼も会費も要らない。天国にはビール火山とストリッパー工場が有るそうです。祈りの言葉は私の大好物「ラーメン」ですし。
私はスパゲッティモンスターの実在性を、少なくとも神よりは根拠を持って説明できます。


>>それでも神が実在するとするなら、それは「事実」ではなく信仰です。信仰は思想・信条の自由として、科学の側も尊重すべきでしょう。

>どんなまとめだよ(ゲラゲラ。事実の矮小化を勝手にすんな

私の言う通りでしょうよ。
私は「神の不在証明」を宗教の側に向かって声高に叫んでいる訳では有りません。「私には必要ない」と言っているだけです。
私が神や宗教に対し容赦無いことを言うのは、ここが「科学系」の場だからです。宗教の座敷に上がり込んでこんな出しゃばりはしません。それは多いに失敬なことですからね。
私は科学の側に物申したいだけです。

逆に、意見の違いに対してさえ、あたかもヤクザの出入りを彷彿させるような言い回しで、血相変えて対応される御仁に、本当に「思想・信条の自由」の尊重を期待できるかどうか、私は大いに疑問です。

361 :2008/02/19(火) 07:32:45 ID:QpQGFxc6
次に繰り返し問題になっている「愛」の問題です。

最初に事実関係だけ確認しておきます。私が論じているのは「人間の『愛の感情』の起源」の問題です。「人間の」「愛の感情の」「起源」です。308,313,319,321,327,330を見て貰えば分かりますが、このことは一貫しています。

既に繰り返し繰り返し述べていて、NAN氏との間でも殆ど水掛け論になっています。私はNAN氏がどのように主張されようとそれは「それでいいんじゃないの」と思っていますので、ここで特に争う積もりも有りません。
「自己愛」だか「親子の愛」だか知りませんが、そう言うものに突き動かされて大腸菌やゾウリムシが細胞分裂し、カビが胞子を作り、竹がタケノコをはやし、杉が花粉をばら撒くと理解されても、それはそれで結構です。
私はそんなものを持ち込まなくても、そのこと自体生物の本質、自然現象で、いわば利己的な遺伝子の仕業として解釈しています。

哺乳類はその定義上、全て例外なく母親の子育てが見られます。ネズミやコウモリの授乳に「母子の愛」の感情が有るかどうか、私は知りませんが、そんな感情が仮に無かったとしても、哺乳類なら必ず見られる、いわば生物としての「自然現象」です。

ゴリラやチンパンジー、ボノボに「母子の愛」の感情が有るかどうか、それは難しい問題です。しかし若しそう言う感情が有ったとしてたら、ゴリラとチンプ、ボノボでは、全く違った内容である筈です。
ゴリラはハーレムを作り、しばしばその主(ボス)が交代します。ボスの交代によって頻繁に「子殺し」が見られ、ある報告では新生児の37㌫がオスによる子殺しだとの観察が有るそうです。
ボスに子供を殺され授乳が途絶えたメスは途端に発情し、子供の仇であるオスを受け入れます。「母子の愛」が先行、優先していたら考えにくい現象です。いい悪いは別としてこれはゴリラの自然現象です。

チンプやボノボ、特にボノボは乱婚によって、子供の父親の特定が難しいでしょう。そもそも父性を混乱させて子殺しを防ぐことを目的に、メスは乱婚を発達させたと言う説が有る訳です。そしてそれに対応した「愛の感情」になる筈です。
ゴリラにしてもボノボにしても、その配偶関係は、それぞれ置かれた環境による自然的な適応であって、「母子の愛」「親子の愛」の感情が有るか無いかとは又別の問題です。

ヒトは直立二足歩行と脳の増大により、メスの難産、新生児の無力化、その後の長い子育てが必要となり、メスだけでの子育てが困難になりました。
適応上、ゴリラやチンプと又違う感情が発達したと考えるのは当然でしょう。そう言う「人間の『愛』の感情」を私は論じていたのです。
ペアボンド仮説と言うのが有って、ヒトの配偶関係とその絆の起源を、私の言うように説明する説と、もう一つ、メスだけでいるとオスからの暴力に晒されるので、特定のオスとペアを組むと言う説の二つが有るようです(「進化と人間行動」長谷川寿一・長谷川真理子−220ページ)。

本来、一夫一妻制はそれ程普通に見られる配偶関係と言う訳ではなく、どちらかと言うと特殊な形です。鳥に良く見られますが、それも抱卵、給餌、空を飛んで餌をとる訓練などなど、メスだけでの子育てが困難だからこそです。

繰り返しになりますので、これ以上は述べません。
配偶関係の研究は純粋に進化生物学的な分野だし、その中で「愛」の感情の起源を考えることは純粋に適応的考察です。
私に対し「メスを犯したくて仕方ないから」「ヤらせてくれたら育児に参加するし外敵から守るぜ」「素晴らしいエレクチオン肯定理論だ」などと揶揄するのは勝手ですが、私からするとゲスのかんぐりとしか言いようが有りません。

362 :2008/02/19(火) 07:33:11 ID:QpQGFxc6
次にNAN氏から執拗に求められている「愛」の定義です。
大昔、仲間と恋愛論などをたたかわせていた頃は「相手を独占したいと思う持続的な感情」等と理解していました。
今なら、そうですね、ヒトだけでなく広く一般的な定義としては、例えば次のように言えるかも知れません。
○肉親への愛は「遺伝子を共有する対象への、適応度最大化に寄与するあらゆる感情」。
○配偶相手への愛は「遺伝子を折半する対象への、適応度最大化に寄与するあらゆる感情」。尤もこれだと、オランウータンなどに見られるレイプすら「愛」になってしまって………、中々難しいですね。
その他、犬に対する愛、モノに対する愛など、幾らでも有るでしょう。

人によっても解釈は違うだろうし、(>>327;)でも述べたように、既にここまで発達した人間の「愛の感情」は複雑多岐に渡っていて、それを全て定義しつくすことは私にも出来ません。
NAN氏が(>>338;)で述べている「子育ての経験や出産の経験や育児の経験や子供に死なれたり成長した子供を巣立たせた経験は?オムツにべったりついたウンチを処理した経験は?それが愛なんだろ?」これらも、確かに愛の発露でしょう。

問題はそれらの感情が、最初からヒトに備わっていた訳ではない、と言うことです。私はその芽生え「起源」を論じていたのです。
そしてその元々は漠然としたものから発達したであろう「愛の感情」の起源を考えるのに、現在の高度に複雑化し多岐に渡っている「愛」の全てを定義しつくさなければならないなどと言うことは有りません。
尤もNANさんが、それら愛を全て定義しつくした上で、自己愛なり親子の愛なりの起源を論じるのであれば、それはそれで結構なことです。


>>段々正体がバレてじわじわ包囲されてきたのに気付いてないんだろうな。 (>>338;)

包囲? 何か勘違いしていませんか? 私は別に勝ち負けでここに書き込んできた訳じゃ有りません。
NAN氏の「包囲」は殆ど参考になりませんでしたが、私の主張に対し、間違いを指摘してくれたり、教えてくれる「包囲」であれば、それは多いに歓迎するところです。その分自分の間違いを正し、利口になれることですからね。
「ヒト起源について」の中で、私の「前適応」についての間違いを地下猫氏、NAN氏から指摘してもらいました。私は自分の勘違いに気がついた時点で、直ぐに指摘を受け入れ、自説を撤回し、迷惑を謝罪した筈です。
私は勝ち負けや面子に拘って、間違いや勘違いしたまま突っぱねようとは思っていませんからね。

しかしいずれにしても既に水掛け論の様相であり、私も同じことの繰り返しです。
全体としても撤収モードのようでも有るし、ぶり返した私がこんなことを言うのもなんですが、今後同じことのやり取りは対応しかねる場合が有ります。勿論必要に応じてのコメントはしないでも有りませんが。

363 NAN :2008/02/19(火) 19:59:04 ID:G81kGdtk
せっかく長々と書いたようなので、レス差し上げましょう>雄クン。

さて、ギャラリーにとっても水掛け論に見えるであろう部分は、必要に迫られるまで置いておいて、私から見てキミが決定的に間違っている、もしくは、間違い始めたポイントから指摘しよう。それは>>356が明確だ。

>『重要な問い』に対し、科学は応えられるか否か? と言うのはそもそもこのスレッドの最初の頃からの中心テーマの一つだった筈ですよ。

重要な問いとは、云うまでもなくヒトがアイデンティティを確立したり失ったりという、人生において重要な岐路となるであろう様々な「問いかけ」を指すものだろう。こうした様々な問いかけは幾億通りも考えられるけれど、その代表的なものとして『私は、ヒトとして、正しく生きているだろうか?』というのがある。これは自己に問うだけではなく、社会からも常に問いかけられる。また、その答えも決して「正しいor間違っている」ではないだろう。視点、立場、思想信条、行為や動機、さまざまな状況によって変化するものでもある。

私が例示した「問いかけ」に同意しようがしまいが、それは構わない。ただ、重要な問いはおおよそ似たようなものであろう、と思う。
こうした問いに対し、科学がもしなにか答えるのだとしたら、その時点でそれは科学と云えるのだろうか?

>私は「そうじゃないだろう。決してノータッチではないだろう」と言う立場で、重要な問いの一つとして想定されている「愛」について、進化人類学と言うアプローチを借りて見解を述べただけです。愛は猫氏のクイズにも題材として使われていますしね。

つまりこれだね。
偉大なる雄クンは、愛の起源を科学的に解明した、と抜かしている。だがもしも万が一、それが一方的に雄クンによる正しい説明であったのだとしても、それが「問い」に答えたことになるのだろうか?「どっちの自動車を買うべきだろう?あの自動車の方が燃費もいいし価格も安いからこっちにしようか」くらいの「判断の材料」にはなる。またそれは地下猫氏も認めていることだし、私も認める。
いいかね?「判断の材料」になることくらいなら、誰もが最初から認めているのだ。ヒトの問いがすべてにおいて、いわゆる「合理」に従うのであれば、その判断材料の意義も大きいものになる「ことがある」かも知れない。しかしヒトは、すべてにおいて合理に従ったりしないし、時にはまったく勝ち目のない勝負にさえ打って出る。それは「間違い」だろうか?負けても、全力を尽くしたのであればそれで満足、という価値観だって尊重すべきだろう。これら「価値観」に対して科学はほとんど無力だ。また、無力であるべきものなのだ。(そう、その勝負にはきっと負けるだろう、という分析の手助けくらいにはなる。それだけのことだ)

364 NAN :2008/02/19(火) 19:59:35 ID:G81kGdtk
■ポイント1:愛という価値観について
そして次に、再び「ヒトの愛の起源」について論じてくれたわけだけれど、私は>>311でも述べているが「ヒトは愛を持っているのか?それさえも疑問だ」と述べている。これも重要な問いだが、なにか雄クンは有効な判断材料を私にくれただろうか?雄クンが愛であると主張する情緒について、「血縁者を差別的に優遇したり配偶者を庇護したりする情緒的正当化であって愛ではない。ただしそれが適応的であることは認める」と私は述べているのだが、これにはどう答えるのだ?科学がなにか有効な知識を与えてくれるのか?「そんなの愛じゃないよ」という『価値観』を持つ相手に「愛の起源の科学的説明」をしたところで「それも価値観でしょ?」で終わりではないのか?さらに、愛はなぜ「他者に対しての感情」でなければならないのだ?

■ポイント2:愛の定義について
>>362
>○肉親への愛は「遺伝子を共有する対象への、適応度最大化に寄与するあらゆる感情」。
>○配偶相手への愛は「遺伝子を折半する対象への、適応度最大化に寄与するあらゆる感情」。

科学がもしもこれらを定義し、それを「正しい」と主張するのであれば、それはすでに科学ではない。なぜなら科学は思想や信条ではないのだから。しかしそれは「雄クンの価値観における愛」ではあるのかも知れない。であるのなら、雄クンは、自らの価値観を「科学的に正しい」と主張している。これは悪しき科学万能主義そのものではないのか?

■ポイント3:そうした情緒の起源にまつわる科学的説明について

それが「愛であるかどうか?」はペンディングしたとしよう。そこで、とにかく好意的な情緒や感情の起源を探るのだとして、なぜそれを「自己愛」に求めないのか、私にはいまだにさっぱり分からない。ヒトが最も苦しめられる感情は、他者に対してのものではない。自分に対してのものであることを雄クンは知らないのだろうか?所有欲や繁殖独占欲を愛だなんていわないよな?無論、それらは適応的だが、暴力の芽になる。それが愛か?

また、今では複雑多岐に亘った「愛と云う情動」の漠然とした起源を辿るのであれば、どんなに辿っても構わないはずだが、なぜそれはゴリラやチンプで留まらなければならないのだ?その科学的根拠はどこにあるのだ?また「今では愛として複雑に広がったが、それ以前の漠然としたもの」であるのならば、ただの好感情で良いのではないのか?情動・感情・情緒、どれも似たようなものだが、それらが「好悪」に大別されることは科学的に説明がつく。たとえば適温下に飼育される幼獣は好感情を発現する。飢えと満腹も想像がつくだろう。つまり生理的要求と基本的な情動は密接に相関していて、個体の生存本能を表現している。それはヒトだって同じことだが、こうした情動が「漠然とした好感情の起源ではない」という説明になにか少しでも説得力があるのか?

少なくとも私は「それを愛と宣言すること」に甚だしく慎重なのだよ。私にとっての愛は、他者にとってはまったく違うものかも知れない。また、それで良いと思う。雄クンの偏狭な愛について、私がひどく憤慨しているように見えるかい?違うよ。バカを無視できない自分の在り様に苦しんでいるのだよ。つまりそれが自己愛さ。

365 AH1 :2008/02/20(水) 18:31:51 ID:sNMJ1V0Y
またもKYなレスをば。

雄さんが愛の生物学的基盤を理由に科学的アプローチがあり得る、というのであれば、
妖精を見たという主張や、妖精の羽を何色とするか(何色に見えたか、何色がそれらしいと思うかetc.)についても脳科学的なアプローチはでもできるわけで・・

しかしそういう話じゃなかったと思うのですね。

366 GB :2008/02/20(水) 22:28:29 ID:FIGS80us
>重要な問いとは、云うまでもなくヒトがアイデンティティを確立したり失ったりという、人生において重要な岐路となるであろう様々な「問いかけ」を指すものだろう。

で、それについてはサイエンスは直には口ださねーよっていうのがNOMAだと理解してますが。

367 :2008/02/20(水) 23:41:59 ID:sUQ1SW32
RE AH1さん

>雄さんが愛の生物学的基盤を理由に科学的アプローチがあり得る、というのであれば、
>妖精を見たという主張や、妖精の羽を何色とするか(何色に見えたか、何色がそれらしいと思うかetc.)についても脳科学的なアプローチはでもできるわけで・・

まあ、後はAH1さんご自身がどう思うのか? と言う問題なんでしょうね。


「私は先日『化け猫に跨った生ゴミ妖精』を見ました。羽根はしょぼくれて今にも落ちそうでした。羽根の色はドドメ色でした。ホントですよ」

この私の、妖精を見たと言う主張に対する「脳科学的なアプローチ」と、人間の愛の感情の起源に対する「進化人類学的アプローチ」が、科学的考察として同等だとAH1さんが言われるなら、AH1さんの言う「そういう話」になるんでしょうね。

でもそう言うことになると、今度は………、
まっ、それはAH1さんのコメントが有ってから考えることにしましょうか。

368 NAN :2008/02/21(木) 05:10:05 ID:Th2gBHro
さてさて、夕べは書きかけだったので、もう少し詰めておこうかな。
論点を戻そう。

>>『重要な問い』に対し、科学は応えられるか否か? と言うのはそもそもこのスレッドの最初の頃からの中心テーマの一つだった筈ですよ。

昨日も書いたことだけれど、この「文脈の誤解and or曲解」が雄クンのステキな文章理解力を如実に表している。
>>3
>「では、科学に答えられない問い(それも人間にとってとても大切な問い)に、我々はどのように答えれば・向き合えば良いのか」

これが、本スレッドにおける最大の論点なんだよね。「科学に答えられるか?」ではないのだ。
また、さらに、

>でも、これまで人類全体の学んできたことの蓄積と、それらの敷衍状況を鑑みれば、十分な理性と知性・教養を持った健全な人間ならば、もう、そんなモノに頼る必要もないだろう。

という後悔と懺悔さんの提示した主張に対して、私は反論したり考察したりしている。他の参加者も同様だと思う。

これほど簡単な読み違え、もしくは「本論のすり替え」を行い、自説を詭弁ではないと言い張れる心証というものを、私はまったく理解できない。これが分からないような論者を相手に礼儀など尽くす必要はない、というのが私の判断なのだ。そう「問い」は最初から「科学には答えられない問い(それも人間にとってとても大切な問い)」であるのに、いや科学は答えられるand orノータッチではない!と言い張る雄クンの馬鹿脳ぶりにはまったく感服する。

つまり、雄クンの中心主張は「科学は重要な問いに答えられる」ということだよね。しかし、科学に答えられない問いに答えた段階でそれは科学と云えるのか?「私はどのような愛を信じ、思い描き、自らに課すのだろう?」というような問いかけに、適応的意義を説くという暴力的啓蒙主義(もしくは話にならない科学万能主義)を信奉する屑脳を相手に、もっと明確に簡潔に「屑さ加減」を指摘できない私は、自分の文章力にうんざりしている。あるいは知的限界の低さにね。

369 NAN :2008/02/21(木) 05:14:56 ID:Th2gBHro
もしかしたら…雄クンはこんなことも分かっていない可能性が(如実に)あるので一応指摘しておこう。

科学が「価値中立」を放棄し、「価値に対する問いかけ」に答えるのであれば、それはもう科学ではなく思想や主義である。
きっと分かっていないんだろうな。

370 :2008/02/21(木) 09:28:31 ID:sUQ1SW32
>>『重要な問い』に対し、科学は応えられるか否か? と言うのはそもそもこのスレッドの最初の頃からの中心テーマの一つだった筈ですよ。

>昨日も書いたことだけれど、この「文脈の誤解and or曲解」が雄クンのステキな文章理解力を如実に表している。
>「では、科学に答えられない問い(それも人間にとってとても大切な問い)に、我々はどのように答えれば・向き合えば良いのか」
>これが、本スレッドにおける最大の論点なんだよね。「科学に答えられるか?」ではないのだ。

その文句は(>>21;)猫氏に言ってチョ。

「科学は「重要な問い」については直接的にはノータッチ(判断の材料を提供するという意味では無関係とはいえない)であり、自らに判断の資格があるともみなしてにゃーわけだ。
>宗教は「重要な問い」に答えられるか否か
について、科学は判断できないし、してはならにゃーのよ。もしそれを行ったら、それこそNOMA違反だろ?(>>21;地下猫氏)」

それにそもそも私は私の科学観に対する猫氏の揶揄に応対しただけ。わざわざ(>>3;)に立ち返って直接それに見解を述べた訳じゃない。
自分でレスを求めておいて、その反論の内容がどこかで述べた自分の枠組みに当て嵌まらないからと文句を付ける。
ここにも「議論の中身には殆ど立ち入ることが出来ないのに、外形的なアレコレに重箱の隅的なクレームだけはお達者」な方が、約1名、いらっしゃるようだ。


>科学が「価値中立」を放棄し、「価値に対する問いかけ」に答えるのであれば、それはもう科学ではなく思想や主義である。

上記の主張が科学に対する特定のイズムだと「こんなことも分かっていない可能性が(如実に)ある」御仁が、ここでも約2名いらっしゃるようだ。

「価値中立」を放棄するかしないか? 「価値に対する問いかけ」に答えるか否か? そもそもその時そこに「価値」が有るかどうかの、その「価値判断」は一体何時、何がするんですか? 神ですか? それともそれは先見的に、或いは生得的に人類に備わっていたモノですか? ん? NANさん。

この主張によれば科学が対象の「問いかけ」に答えるとき、まずそこに「価値」が有るか無いかの価値判断が事前に必要になってくる。そうでなかったら「価値中立」の放棄もなにも論理上成り立たない。ところがその「価値に対する問いかけ」に科学は答えてはいけないそうだ。

自分で科学の定義に「価値」を織り込んでおいて、「『価値に対する問いかけ』に答えるのであれば、それはもう科学ではなく思想や主義である。」とする主張が、「それはもう科学ではなく思想や主義である」と言うことになってしまうことに、どうして分からないのか?
そんな論理矛盾の無力な「科学」だから、「王様」「誰の子」「ブスの女性」「臭い」、こんなことに対してさえ解答不能となってしまう。


科学が、対象に対する有りのままの像を意識に反映することと、そこに価値が有るかどうかは、全く次元の違うことなのに。
「この子」が猫氏の子供であるか、別の誰かの子供であるかは、純粋に事実関係の問題だ。それによってどんな悲喜劇が発生するか、それは又別の問題だ。


このような、毎度毎度のNAN氏のスコラ的アレコレに、逐一のお付き合いは致しかねるので、NAN氏がどのように思い、私を評価なさろうと「それはそれでいいんじゃないの」とだけ申し上げて置きます。
だんだん「おたっしゃでー」の世界になって来たようだ。

371 ちょちょんまげ :2008/02/21(木) 11:50:10 ID:vUxNW.gI
えーっと、まず基本的に私は、雄さんの「どんな対象を考え、述べるに当たっても裏を取ろうとする態度」(証拠を求めたり合理的に考えようとすること、かな)に好意を持っています。(果たして的確に表現できたかどうかちょっと自信がないです。違ってたらごめんなさい。)
また、猫さんやNANさんが罵倒、侮蔑モードに入ってしまうことに批判的で、あまりうれしくありません。というのは、ここには私も末席を汚す他の参加者や恐らくギャラリーもいらしてる。そして、誰かが罵倒、侮蔑モードに入ってしまうと、おっそろしくて口も出せなくなってしまうからです。(特に私のように、ここで発言することに敷居の高さを感じているものには。)
批判は批判でかまいませんが、「ここがこう間違っとる!」にとどめてもらいたいなぁと、思っています。
私は、雄さんのご意見を読むのは楽しみですし、得るところも多いと思っていますので、雄さんが書き込みなさらなくなったら、やはり寂しく思います。

で、今回の書き込みなのですが、私の理解不足ゆえかも知れませんが、ちょっとよくわからないところがあったので、ご説明いただけたら幸いです。

>この主張によれば科学が対象の「問いかけ」に答えるとき、まずそこに「価値」が有るか無いかの価値判断が事前に必要になってくる。
>そうでなかったら「価値中立」の放棄もなにも論理上成り立たない。ところがその「価値に対する問いかけ」に科学は答えてはいけないそうだ。

NANさんがおっしゃっている「価値」とは「人生の意義とはなんぞや」とか、「A女とB女では、俺に取ってはB女がよりセクシーである」とか、「俺はあの音楽よりこれのが好きや」ってなことですよね?そこで、それに対する科学的なアプローチは、私はありうるとは思っており、どうしてそういう価値観が生まれてくるのか、という説明はいずれ可能になるかも知れませんが、「じゃぁ、客観的にはどっちが価値があるのか?」には答えられないと思うのです。
その上で、後悔と懺悔さんとか私とかは、「科学は個人個人の価値観には立ち入れない」というところでは同意はするものの、「あまりにもエキセントリックで危険に思える宗教・信仰という価値観」の根拠薄弱性を指摘しようとしているんだと思うんですよね。「根拠薄弱性」そのものを指摘することは、「立ち入る」とは違うと私は考えています。
ですから、科学は「価値観の由来」みたいなことはいずれ説明可能にしちゃうかも知れませんけど、その説明とこのスレッドの話はちょっと違うように思えるのです。
科学は「価値」の一側面については何かしらの解答が出来るかもしれませんが、「価値」は科学が解答不能の側面も持ち、それに解答できるとしたならば「科学」ではない、ということではないでしょうか。

蛇足ながら、「中立」については、科学以前に人が信じてきたことを、科学は多かれすくなかれ、好む好まざるに関わらず否定してきちゃってると思うので、私にはある意味疑問符ではあります。(まぁ、あえて中立を破るかどうかの話ではあるのでしょうが。)
雄さんの本意を理解していないマヌケな書き込みであったなら、容赦なくご批判ください。

あと、これがよくわかりませんでした。

>自分で科学の定義に「価値」を織り込んでおいて、

上記のような意味の「価値」を「科学の定義に織り込んだ」書き込みがどれのことだかわかりません。おせーてください。

372 AH1 :2008/02/21(木) 11:55:17 ID:sNMJ1V0Y
>「私は先日『化け猫に跨った生ゴミ妖精』を見ました。羽根はしょぼくれて今にも落ちそうでした。羽根の色はドドメ色でした。ホントですよ」

さて、この言明については様々なアプローチが可能かと思います。
幻覚であった可能性が高いと考え、脳が幻覚を見せる機序と進化的基盤を考えることもできましょう。脳科学がまさにこれをやるでしょう。未知のレセプターが作用すると、天使が見えたり宇宙人が見えたりゾンビが見えたりする・・・までいくとSFですが(ブレイン・ヴァレーですね)。
何故生ゴミ?何故化け猫?といった点については、「最近、猫と関わりがあったのか」「猫は何かのメタファーか」といった心理学的な考察も可能でしょう。「しょぼくれて落ちそうなドドメ色の羽」は何かの錯覚?雄さんの心理的な状態の投影?雄さんの育った文化の影響?個人的な経験によるイメージを視覚化したもの?
また、生ゴミ妖精の目撃談を科学的事実として扱う場合、「現在の科学では到底考えられないが、そういう証言がある以上は実在の可能性もゼロとは言えない」以上の事は言えないでしょう。前に何度も書いてますが、「まずあり得ないことは重々わかってるがゼロじゃない、自分は存在する可能性に賭けてみる」という人は必ずしも「イッちゃってる人」じゃありませんよ。

こういうように、様々な考察は可能だと思います。
しかしながら、元の話題はこういう話だったのでしょうか?私は違うと思うんですが。

例えばもっと文化史的に、「妖精を見たとする例」を集めるだけでも意味はあるんじゃないですか?例えば「宇宙人と出会った」という証言がアメリカに多く、かつ近年はみんなリトル・グレイみたいな姿である事についても、妖怪談のような「ある集団に共有される恐怖の対象の姿」という歴史・文化的な解釈も可能ですね(これもブレイン・ヴァレーですがね)。宇宙人の実在は関係ないし、生物学的基盤を直接考えなくても可能でしょう。
またこれが妖精という存在になると、歴史的な自然観、宗教観、土俗宗教との関連などなど、様々な分野において解釈可能であり、それぞれが「歴史学」「宗教学」「民族学」たり得るものでしょう。
そして、最初の問い・・自称妖精学者に聞くことは馬鹿げているか?についてですが、彼が「妖精学者」と言われるくらい妖精に入れ込んだ民俗学者であった場合、全く問題はないでしょう。もし自称「妖精学者」でありかつビリーバーであったとしても、その事「そのもの」に即座に問題がありましょうか?要は役に立つ情報を与えてくれれば良いわけでしょう。

ちなみに一番最初に戻って、妖精の羽の色を知りたいとします。雄さんの見た「生ゴミ妖精」は、その一般性の位置付けができてきるのであれば使える情報でしょう。一例しかないのでは妖精一般の羽の色かどうかわかりません。
(ビリーバーさん・・というか困った自称専門家がいるとすれば、「ワシの見たのはこうだった、だからそれが全てだ!」とか言い出す場合でしょうね)

373 AH1 :2008/02/21(木) 13:06:14 ID:sNMJ1V0Y
連続ですいませんが補足します。
なお、歴史学、民俗学などいかなる**学であれ、ヒトという生物が行うことですから、生物学的基盤を求めることは恐らく可能でしょう。その事について異論はありません。しかし、その事「だけ」をもって全てが科学の対象である、と述べるのは違和感を覚えます。
言ってみれば「生物体は化学物質でできており、化学反応によって作動するのだから生物の振るまいは化学によって記述できる。よって化学だ。」「生物体は物質でできており、その動きは物理法則に従うのだから物理学的に記述できる。よって物理学だ。」というような感じでしょうか。
そういうアプローチがあるのは当然だけど、他のアプローチだってあるじゃん、という事ですし、もともと議論されていたのは「他のアプローチもあるんじゃね?」の部分だったのではないかと思うのですが。

374 NAN :2008/02/21(木) 16:43:11 ID:7MCnS5sU
>>371

悪い、ごめんね。
私は私の「善性」を否定しているのです。私は悪しきモノだし、自分に絶望している。それはこの議論で述べてきたような意味においての絶望なんだけど、私が罵倒することによって、私自身が無数の読者から罵倒されているのだ、ということを承知しています。まぁこれは私の主義信条のひとつで、決して自分の善性を肯定してはいけない、というルールを自分に与えている、ということかな。かといって無闇に誰でも彼でも侮蔑しませんが(笑。相手は慎重に選んでいます。

まだ地下猫氏から発言がないので指摘を保留していることもあります。実はそこが根本なんだけれど、私が先に云うべき事象ではないだろう、ということですかね。さてさて、そのうえで…

>蛇足ながら、「中立」については、科学以前に人が信じてきたことを、科学は多かれすくなかれ、好む好まざるに関わらず否定してきちゃってると思うので、私にはある意味疑問符ではあります。(まぁ、あえて中立を破るかどうかの話ではあるのでしょうが。)

これは一段階メタな議論です。つまり、科学とは倫理に代表される価値観を左右するものではない(=価値に対して中立)、というコンセンサスが通じるか通じないか、という話です。
アインシュタインが物質とエネルギーの基本原理を導き、原子爆弾のアイディアが生まれ、ヒロシマとナガサキに投下されたことについて、理論そのものを非難すべきかどうか?という点に繋がります。アインシュタインを非難することも、フォン・ノイマンを非難することも、オッペンハイマーを非難することも「アリ」と私は思いますが、E=mc^2を非難することは意味のないことだ、と思います。この数式は「物質は恐ろしいほどのエネルギーに変換できる」ことを示唆し、重要な判断材料として有効ですが、それを使用したらどうなるのか?その「有用性や倫理の判定」を科学に求めることは妥当なのかどうか?ということです。

もし科学が価値中立を守らない、あるいは価値判定を行い、なんらかの「重要な問いかけ」に対する答えそのものを支持したりするのであれば、優生学なども科学は支持していることになります。よくある進化論への誤解で、「より進化した個体は優れている」とか、そういう価値判断の支持を行うのが科学でしょうか?これは特定条件化における有利・不利という科学的示唆を、そのまま価値に当てはめた例ですが、妥当でしょうか?

375 地下に眠るM :2008/02/22(金) 04:57:57 ID:QQh34wwI
>NAN
思っているところが同じかどうかはわかんにゃーけど、お好きに言っちゃってくださいにゃー。
雄くんの文を読むと頭が痛くなるので、ひまーな時にレスを返すつもりですにゃ。
しかしさ、ほとんど反論する必要はなさそうなんだけどね。


>ちょちょんまげ
えとさ、「はっきりいって、おまえ、くさいよ」といってしまうことが科学だと思うのかい?
僕は馬鹿以外を馬鹿にしたことはにゃーぜ。



ああ、そうそう、雄くんによれば以下の言明も科学だよねシリーズに追加
・「なぜ、ガルマ・ザビは死ななければならなかったのか?」(←重要な問い) 「坊やだからさ」

376 :2008/02/22(金) 09:17:09 ID:sUQ1SW32
RE ちょちょんまげさん


>………雄さんのご意見を読むのは楽しみですし、得るところも多いと思っていますので、雄さんが書き込みなさらなくなったら、やはり寂しく思います。

どうもこの掲示板では珍しく好意的な評価を頂き、慣れないことで逆にすこし勝手が違って………。
私も出来れば、見解の違いは違いとして、自分と違う視点も参考にさせてもらい、少しばかり背伸びしたところでの知的興奮を味わいたいものだと、まあそう言う思いも有って書き込みに参加するのですが、どうもいつも袋叩きです。
でもおかげで最近は、議論の中身での知的興奮でなく、その人となりが透けて見えると言う「知的(痴的?遅的?恥的?蜘的?稚的?血的?乳的?)興奮」を味わっています。


RE 猫氏
>雄くんの文を読むと頭が痛くなるので、
…でしょうね。
健康の為お酒の飲みすぎには注意しましょう。


>ああ、そうそう、雄くんによれば以下の言明も科学だよねシリーズに追加
>・「なぜ、ガルマ・ザビは死ななければならなかったのか?」(←重要な問い)「坊やだからさ」
私には全然重要でも何でも無いのですが、(>>357;)で私は次のように述べています。
>>実在的な事象に対し、ある問題が建てられ、それに対して何らかの判断が下されるとき、それを科学と言わない猫氏の感覚を逆に疑います。
「実在的な事象に対し」とね、ハッキリ書いていますよ。
ガルマ・ザビが実在していて(そう言う名前の人も、世界には実際居るでしょうね)、不自然な死に方をしたら、当然検死の対象になるでしょう。「なぜ死ななければならなかったのか?」と。

でもホントーにこんなことも考えられなかったんですか? 信じられません。
ん? いやー若しかしたらマゾっけが有るのかな? 最初はサドか知らん?と思ったことも有ったんですが。
…って、あっ、ちょっと乳的になってしまいました。失言です。

>しかしさ、ほとんど反論する必要はなさそうなんだけどね。
出来ましたら、是非このまま捨て置いて下さいな。私ももういい加減に痴的、血的興奮からは開放されたいと思っている「今日この頃」。


実は今日から3日程、ネットから離れます。
ちょちょんまげさん、AH1さんへのコメントは、又帰ってからの仕切りなおしと言うことで、宜しくお願いします。

377 ちょちょんまげ :2008/02/22(金) 10:43:40 ID:vUxNW.gI
>NANさん
こちらこそ恐縮です。これからもよろしくです。

>まぁこれは私の主義信条のひとつで、決して自分の善性を肯定してはいけない、というルールを自分に与えている、

ゴルゴ13みたいな方ですね。(笑 そういうハードボイルドの主人公を思わせる姿勢は、自分がなかなかできないだけに私もあこがれます。

>これは特定条件化における有利・不利という科学的示唆を、そのまま価値に当てはめた例ですが、妥当でしょうか?

無論、妥当だとは思いません。E=mc^2の例も「有用性や倫理の判定」を科学に求めることは妥当ではないと思います。
NANさんは私が何が言いたかったかお解りだと思いますが、これについてはまた改めて投稿してみます。

378 ちょちょんまげ :2008/02/22(金) 10:49:48 ID:vUxNW.gI
>猫さん

>僕は馬鹿以外を馬鹿にしたことはにゃーぜ。
いや〜、私も「馬鹿」じゃ人後に落ちないので、猫さんに罵倒されたらトラウマになりそうでこわいんだもん。(笑)

379 ちょちょんまげ :2008/02/22(金) 10:53:12 ID:vUxNW.gI
レス前後しますが、
>AH1さん

>ちょちょんまげさんが「自分は宗教なんか否定したいね」と仰るのなら、それもやはり「ああ、そうですか」と言うべきものなんだろうと思います。

そう言われっちゃうと、今度はなにやらさみしいんですよね。(笑)

380 NAN :2008/02/22(金) 20:34:55 ID:tkzlrik6
ん〜、地下猫氏の書き込みもあったので、私もさらりと書いておこう。

繰り返しになるんだけどここ。
>>217:雄クン
>この掲示板でも例えば「音楽や絵画への評価・好みの問題」「道徳とか倫理」「どう生きるべきか」など『重要な問い』について、それは科学が口出し>できる領域ではない、或いは口出しすべき領域ではないと言うことを、何となく当然の前提として議論がなされているように感じます。
>しかし本当にそうだろうか?と言う疑問が私には有ります。科学は関与できないのだろうか?

上記の疑義を持ち出しているのはやはり雄クンなのだヨ。記憶に無いのか?
「科学に答えられない問い(しかも人にとって大切な問い)」=「重要な問いに科学は関与しない」などとは、誰も述べていない。この「どんなバカにも分かる甚だしい曲解」が雄クンの間抜け議論の始点にある。

それを>>370で恥ずかしげもなく
>その文句は(>>21;)猫氏に言ってチョ。

どういうすり替えなんだ?これは。
無論、口出しとか関与という言葉にも多義性がある。また、言語自体が情報として冗長性に富んでいるのでさまざまな理解や解釈が可能だよ。だがしかし、本スレッドの冒頭で「(重要な問いに対して)科学が判断の材料を提供できる」ことはとっくに宣言されているし、もしその程度の知識を私やほかの参加者が共有していないと雄クンが考えているならば、それはとんでもない侮蔑だ、ということさ。そう文字通り一切「重要な問いに対して科学はどんな干渉もしてはならない」なんてことは、誰も考えていないんだよ。

能天気な擬似科学万能主義のカタブツ君に問おう。
・夫婦に子供が生まれようとしている。しかし、出産の事前に胎児には身体的な欠損があることが分かっていた。だがそれは、致命的であるかどうかは分からない。可能性としては4割程度の確率ですぐに死亡し、7割程度の確率で無事に生まれても障害が出るであろうことが予想される。

このようなケースを科学的に想定したとき、夫婦は医師から告げられたEBMに基づき、インフォームド・コンセントを持たねばならない。さて、夫婦は生むべきか、生まざるべきか?
これこそまさに「ヒトとしてのアイデンティティに関わる重要な問いかけ」の代表なんだが、科学は十分に口出ししているよな?賢明な医師は科学的示唆として「生むことはリスクだ」と告げるだろう。夫婦はこの科学的言明について深く思い悩み、考えに考える。だがそれでもなお、実際の結論は「自由意志」に委ねられるべきだ、ということなのだが、もし科学「だけが」重要なのであれば、夫婦は決して生むという選択肢を持てないだろう。

上記のような「問いかけ」は常に私の中にある。恐らく、他の参加者の皆さんも同じだろう。まさかこういう想定ができないほど愚かな論者はいないだろう、と私はこの場を信頼している。だから礼儀を保つことができる。だがそれがかなわないときには、それこそ「議論とは関係ない重箱の隅突きに終始するウザいハエ」に対して、礼儀なんか保つのはバカらしい。

381 NAN :2008/02/22(金) 20:35:40 ID:tkzlrik6
次。
>>354から>>355にかけて、主に哲学議論についていつもの逃げ口上を書き連ねる雄クンだが、>>231の原文によると
>○現象を全て知り尽くし、属性を全て汲みつくした後に、なおかつ残ると言う「物自体」とはどんなものか? それは単にそのものが我々の意識の外に存在していると言う、抽象的な事実だけではないか。と言う訳です。

「現象をすべて知り尽くし、すべて汲みつくした」んであれば、論理的になにも残るわけないだろ?トートロジーじゃんか、これ。最初からそう思ってたんだが、まぁ雄クンだって(当時は)書き損じもするだろうし、私は哲学にさっぱり興味がないし、と放置していたのだが…猫氏がこれを指摘しても撤回どころか訂正の気配さえないのはどういうことなんだ?いまだラプラスの魔が有効だったような時代にはあり得る議論かも知れないが、こんな能天気な議論が高尚な哲学なわけないだろうな、と私は思っていたのだ。だがもしも万が一、ヘーゲルがこんなことを本気で述べたというソースがあるのなら、どうしようもないバカだってことになる。物質の存在自体が「現象」であることが知られていなかった時代の話だ、というなら譲歩できなくもないが、ならば雄クンの提示したヘーゲル(が云ったことになっている)の主張は現代において無意味だな。

>>355
>哲学的な認識論、つまり「考え方」の問題と、実証科学である、主に物理学での物質理解の混同に過ぎません。

あら、じゃぁ哲学なんか必要ないね。少なくとも雄クンの哲学はここでの議論にまったく有効性を発揮していないようだし。つぅかこぉいう卑怯極まりない逃げ口上を述べるのが哲学なのか?物について言及しておきながら、物理学じゃないからいいじゃん!ってんならそれこそ「不可侵原則」に守られた教条主義そのものだね。それともある種の宗教なのか?哲学って。ならそれは経典だな。

さて、話は哲学でも愛の起源でもない。
何度でも問おう。

・ここにスポーツ選手がいる。40代になった彼は定期診断で自分の脚に悪性の腫瘍があることを知らされる。生存を望むのであれば、右足を膝から切断するしかない、と医師から告げられた。数週間後、彼は自殺を遂げた。

こういう話だって想定できる。先と同様に科学は十分に関与し、彼の人生に口出ししているが、彼の自殺はどういう風に科学が価値判断するのだ?
無論彼は、医師に応じて脚を切断することもできた。あるいは、他の医師を探し別の治療法を見つけることだってできたかも知れない。彼の死に家族は悲しみ、苦しんだことだろう。また、死を決断した彼自身も、ひどく苦しみ悩んだことだろう。

科学万能主義全開こそ至上の道であるなら、彼の自殺は絶対にあり得ない。苦しむことも悩むこともない。それが雄クンの主張なんだよな?科学が倫理を左右するのであれば、彼の自殺は絶対悪だ。それでいいんだよな。同情の余地なんか少しもないよな。

382 e10go :2008/02/22(金) 22:47:49 ID:5/V6R9W6
雄さん、もう答えてくれないかもしれないけど、地下ネコさんの質問に便乗して、また質問させてもらいます。

・王様は裸じゃないか!
質問.見間違いまたは勘違いの可能性はないの。
・ごめんなさい、あなた。この子はあなたの子じゃないの
質問.DNA判定も血液型判定も拒む女が言った事を、どうやって証明するの。
・勘違いしてんじゃねーよ、このブス
質問.沢尻エリカの事を、その様に書き込んだ掲示板を見た事があるけど、これは科学的に正しいの。
・はっきりいうけど、おまえ、臭いよ
質問.他の人が、「臭わない」と言ったら、どっちが正しいの。(しかも後から確かめようがなければ)

この質問は、現実にありえる(ある)事を想定しています。回答は期待してませんが、気が向いたらで良いです。

383 diamonds8888x :2008/02/24(日) 06:09:00 ID:jcR/Lf4.
ちょちょんまげさんの発言(>>371)で、ふと思いつきました。

> ですから、科学は「価値観の由来」みたいなことはいずれ説明可能にしちゃうかも知れませんけど、
>その説明とこのスレッドの話はちょっと違うように思えるのです。

 価値観の由来の説明というと、自然科学じゃなくて社会学や民族学の最大のテーマのような。普段われわれが当然と思っている何気ない行動や慣習の中に、実はジェンダーが隠れていた、とかいう問題など。
 価値観との相克のきわどさでは社会科学はとっても厳しそう。確かに教科書検定でも世間で話題が大きくなるのは歴史や倫理社会の教科書ですからね。

384 NAN :2008/02/24(日) 12:49:57 ID:CTE40lKg
>>377
>ゴルゴ13みたいな方ですね。(笑 そういうハードボイルドの主人公を思わせる姿勢は、自分がなかなかできないだけに私もあこがれます

ゴ、ゴルゴか…(涙。
極論するとそういうキャラ被りかも知れないんだけど、掲示板で発言していると、その弊害として「NANは信頼に値するまともな人物だ」と思われることがあります。しかし実像はあまりにも違う。フリーランスで働いているので、利害に対して比較的自由ではあるけれど、そういうことにさえ敏感にならざるを得ない局面は多々あります。(特定のクライアントを批判することができない、など)
ですので、恐らくそれは誰にでもある実像との乖離を「恥ずかしい」と感じる私の無節操な抵抗でしょう。むしろ、暴言、乱暴こそ私の実像そのものなので、恥ずかしげなく受け容れられるということでしょうか。

>無論、妥当だとは思いません。E=mc^2の例も「有用性や倫理の判定」を科学に求めることは妥当ではないと思います。

もっと分かりやすい喩えとして「生命は大切なものである」という倫理の根底を成す(と思われる)言明があります。倫理価値として得られる論理的解は「生命を大切にしない=悪」ですし「生命を大切にする=善」ということになります。しかし科学はそれをいささかも担保してくれません。生命とはどんなものか?地球上の生物だけが生命なのか?生命にはどんな定義が妥当なのか?生命の起源はなんだ?みたいな疑問に対してなら、著しく有効な科学なのに、それが「大切かどうか?」には答えない。せいぜいが「個体の生命を守るのは、その個体にとって適応的である」という示唆が得られる程度であって、善悪を判断する材料にさえならないでしょう。思考節約の原理に基づくとしたら、善悪の科学的考察を何百フレームにもわたって繰り返すよりも、直接的に立法や個別社会における道徳知識に従う方がずっとシンプルです。(メタな議論を個別事象に当てはめることの不適格さ)

あらゆる対象を採取し、それを吟味し、理解するためのツールが科学である、と私は思います。先に出た議論と同様に、包丁や切り出しナイフやバイクや銃と同様のものです。「なにかを大切とする倫理価値観の起源やシステム」を理解することは、知識として有効です。それはバイクやナイフのマニュアルが有効であることと同様です。しかし、バイクの行き先はマニュアルに書いてありません。また、書き記すべきでもないでしょう。

385 NAN :2008/02/24(日) 12:50:33 ID:CTE40lKg
つづき…
先の議論に戻ると、「生命を無闇に滅ぼし続ければ、食物連鎖の鎖が途切れてしまい、すべての生命が途絶えてしまう可能性がある」という科学的示唆は求められます。これは倫理に対する起源の答えのひとつとして有効でしょう。しかしヒトは「それでも生命を根絶やしにしたい」とさえ考えることがあります。それが行使されるかされないかに関わらず、ヒトの思考や要求は本質的に自由であって、自らに不利益であるはずの行為でさえいくらでも選択可能なのです。また現実に、そうした行為はいくらでも観察できます。

こうしたヒトのもつ本質的な自由意志、奔放な行動力に対して抑制を司るのが倫理や道徳であるとするなら、無論、宗教にその教導権を一方的に委ねることになんら根拠の正当性はないでしょう。しかしそれが「まったくない」と主張するのも大変です。おそらく不可能でしょう。それはこれまでの議論にもあるように、倫理や道徳はそれぞれの社会が持つ歴史や文化に基づく知識ですから、宗教的歴史や民俗的歴史という「知識」との分離が甚だ難しいことに由来します。さらに、自由民主主義の原則に従うのだとしたら、特定の主義主張を無視したり排除することの正当性をどこかから導く必要性にも繋がり「発言権を一切認めない」わけにはどうしてもいかないわけです。これは「神の存在証明」だとか「経典の蒙昧さ」の議論とは本質的に異なる次元の議論です。また、本スレッドの本論を考えるときに重視すべきは、むしろこの面であり、特定宗教・教団の妄言をいくら指摘したところで、それらが存在し一定の「層」を形成している以上、発言力として無視するわけにはいかない原則が社会にある、ということです。

「ダーウィンが進化論の発表を見合わせていたのは宗教に遠慮したからだ」という主張は正しいものですが、当時の時代背景と照らし合わせれば妥当な判断です。また、これをもって「宗教の弊害」と主張し、今の宗教を批判することは明確に間違っています。なぜなら「昔はそうだが、今はそうではない」という歴史的変遷を無視したものだからです。これは過去の犯罪歴を繰り返し処罰できない原則に通じます。
ある学派の中心的主張もしくは指導者の利害に対して、その学派に所属する者が革新的理論を提唱することは、利害の不一致によって揉み消されたり、発表を遅延させられることがあるのは、時代背景に関わらずいつでもあり得る話です。大阪で阪神タイガースを批判することの弊害や、広島でカープを批判することにより生じる軋轢があるからと云って、プロ野球ファン全体を批判したり、球団を批判することは「間違った一般化」ですが、利害と利害が一致しないことによってなんらかの軋轢が生じるという事象は、さまざまな社会的属性に対して当てはめて考えることが可能です。

少し雑になりますが、無神論者と信仰者の問題も、マイノリティとマジョリティの問題と云えるでしょう。アメリカと日本では、両者の立場が逆転している、ということです。また、利害の不一致に敏感な社会と穏健な社会というセンシビティにも由来しているかも知れません。平等を原則とする社会でマイノリティに不利益があることは正しからぬことですが、残念ながら人間社会は理想にはほど遠いものです。だからといって改善を求めることは間違いではありませんが、対象を否定し敵視したような方法論では、議論(ディベート)で勝つことはできても、それがために反感を生んだり思いもよらぬ障害を生むことだって予測できてしまう。この問題(集団利害への言及)を適切に行うのは実に難しい問題ですね。

こうした考察を科学的に行うことの意義は大いにあるだろう、と私は思います。それは(たとえば)宗教の無根拠さや蒙昧さを指摘するためのものではなく、さまざまな「境界問題」がなぜ起きるのか?という大テーマを扱うのに有効だ、という意味です。また、それでもなお、結局ヒトはなにをするか分からないのですが、だからといって諦める必要はありませんね。

386 AH1 :2008/02/26(火) 13:45:25 ID:sNMJ1V0Y
ちょちょんまげさん
>そう言われっちゃうと、今度はなにやらさみしいんですよね。(笑)

あはは。いやまあ、私としてもそう言わないとダブスタなわけでして・・
でも全く放っておくつもりなら、ここで発言させてもらう事もないでしょうから。

387 junsaan :2008/03/02(日) 16:35:44 ID:JxbYVj9s
はじめまして。
ほかの掲示板で書いたことでもあるのですが、科学に、神という存在を認めてしまうと「すべては神の御業」で終わってしまうと思います。
だから、なんというか、「この世」のしくみを詳しく解明するには、クリスチャンであろうとなかろうと、神の存在をストレートに導入してないのは、仕方ないのでは…

388 junsaan :2008/03/02(日) 16:36:33 ID:JxbYVj9s
はじめまして。
ほかの掲示板で書いたことでもあるのですが、科学に、神という存在を認めてしまうと「すべては神の御業」で終わってしまうと思います。
だから、なんというか、「この世」のしくみを詳しく解明するには、クリスチャンであろうとなかろうと、神の存在をストレートに導入してないのは、仕方ないのでは…

389 NAN :2008/03/03(月) 02:57:50 ID:CTE40lKg
>>383
『オッカムの剃刀(かみそり)』をご存知ですか?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80

思考節約の原理と云う場合もありますが、説明に不要なことは扱わない、という科学的方法論で広く浸透しています。
力学現象も宇宙創成も生物進化も「神の御業」である可能性はあります。しかし、立証の手立てがありません。立証の手立てがないということは、反証も出来ないということです。だったらそれは保留でいいじゃないか、ということです。

>「この世」のしくみを詳しく解明するには、クリスチャンであろうとなかろうと、神の存在をストレートに導入してないのは、仕方ないのでは…

この部分については、どこに、あるいは、誰に書かれたのでしょう?
ちょっとスレッドの内容とはズレているように見受けられます。

390 junsaan :2008/03/03(月) 18:57:03 ID:SoFKphIY
>ちょっとスレッドの内容とはズレているように見受けられます。
たしかにそうでした。
題名見ただけで投稿してしまいました。すいません。

391 ちょちょんまげ :2008/04/04(金) 13:18:05 ID:vUxNW.gI
NATROMさん、もう「親子丼」の#988じぃく氏の書き込み
      ↓
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/2092/1204816736/988
は、読まれたと思います。

あの人たちは、もうダメだ。
俺、もうちょっと人間信じてたんだけど。
ドーキンスはやっぱり間違ってるわ。理を尽くしたところで、わからんやつは、ほんとにわからんのですね。
NANさん、「科学と神」の議論、俺、白旗です。

392 ちょちょんまげ :2008/04/04(金) 13:24:50 ID:vUxNW.gI
って、俺なんか読んでただけだけど、ずーっとつきあってた、NATROMさんのがよっぽど脱力ですよね。
お疲れ様でした。

393 NAN :2008/04/05(土) 20:46:26 ID:QrHs74qA
>>391
なぜ私に「白旗宣言」を出されるのかは良く分かりませんが(笑。
ダブスタであることを立脚点にしている論者との議論は、自身がダブスタを知ろうとしない限り、永遠に水掛け論です。
また、当然のことですが、自身に対する批判を持つこともないでしょうね。

でもそれって、普通の世の中ですよ。

394 名無しさん :2008/04/28(月) 12:36:43 ID:D2PZoWjk
燃料投下(笑)
「米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望」
ttp://macska.org/article/224

macska女史のページですが、反響が大きいようです。
結構この話題、興味がある人が多いんですかね?


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