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神と科学は共存できるか

219 地下に眠るM :2008/01/24(木) 02:12:36 ID:9YM1mm7M
おそくなっておりますにゃー(ぺこり

>>194  カクレクマノミ

>>無論、妖精(妖怪)が自然科学的な意味で実在していると思って研究している人も、心理的な事実として研究している人もいるだろうけれど、

>この2つを1まとめにするのは無茶でしょう。それこそ、多神教の神と一神教の神を一緒にするよりもずっと無理があるように思います。

現象学的には同じですにゃ。以下はウィキの「現象学」の記述より引用
>フッサールにおける超越論的現象学(げんしょうがく)は、彼の継承者と批判者とによって展開され続けている哲学の一分野である。世界がすでに「ある」とする態度を棚上げ(エポケー、「判断停止」と訳される)して、そのような信念がどのようにして成立するか、そしてそのような「ある」ものとしての世界は、経験からどのように構成されるのかを探求する。エポケーとは古代ギリシアの哲学者であるピュロンにより初めて用いられた。そこでは物の本性を把握するのは不可能でありそれゆえ「判断を差し控えるべき」であるとされ、現象学に通ずるものがある。

とまあ、衒学的に誤魔化しているように思われてもなんなので以下のカクレクマノミの記述を具体的に批判すると

>>200
>妖精ビリーバーが、妖精について「知っている」とは、いったいどういう意味なのでしょう?それははたして、民俗学者が妖精伝承について「知っている」というのと、果たして同じ意味なのでしょうか?
>僕にはこの2つが同義だとはとても思えません。そして、前者は学問的研究とは言いがたいと思います。

つまり、「ビリーバー」の著述は「民俗学」には無意味だということかにゃ?
すると、学問的に価値があるか否かという判断基準は、その学者の信念や世界観に依存するということになるんだけど、カクレクマノミは本当にそういうことをいいたいの? 論文の査読って思想チェックなの?
そもそも、「ビリーバー」の著述やら発言は、「民俗学」にとって無意味なの? 「里の古老(=ビリーバー)」を抜きにして民俗学が成り立つの? あるいは、「ビリーバー」は民俗学者になれにゃーの? どんな信念や世界観をもっていようが、そのガクモンにおける方法論を踏襲している研究は当該ガクモンの研究として成り立つと僕は思っていたんだけど、違うのかにゃ?

これは、ちょちょんまげ とか AH1 にも聞いておきたいところなんだけど、「いっちゃっている」ヒト、つまりある種の信念を強固に抱いているヒトがいるからといって、そのヒトがただちに当該するガクモンの方法論を無視するとかウソをつくとかいうことにはならにゃーだろ?(まあ、「いっちゃっている」ヒトには困ったヒトが多いというのはあるかもしれにゃーが)

研究者の信念や世界観とその業績を直接的にリンクする発想は、本来は馬鹿宗教の側の発想なのではにゃーのかね?
まあ、科学主義はひとつの「イズム」なので、科学主義の立場においては、研究者の世界観とそのガクモン業績はリンクすることになるだろうにゃ。

自然科学的に「実在」しないものを対象にした研究に意味はない、という白痴的言明を指示しているのは、実に分かりやすい科学主義の病状だにゃ。特に 雄 の病状がヒデエ。


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