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神と科学は共存できるか

218 :2008/01/23(水) 23:08:42 ID:QpQGFxc6
……と、ここまで書いてきて「NOMAって不可知論、それも(天真爛漫な)ヒューム型不可知論じゃないか」と思うに至りました。
急遽グールド著の「神は科学と両立できるか(原著=Rocks of Ages)」に当たってみました。冒頭の『前口上』16ページに「私は、T・H・ハクスリーが用いた、賢明な意味においての不可知論者である。」と言う告白が有り、又しばしば「ユダヤ人の不可知論者」と自認していたらしい。むべなるかな、と思った次第です。
うーん、グールドの晩節を汚す一冊にならなければ良いが。


第二

私が思うに、天上と地上をキチンと区分けすることが出来れば、確かに神と科学の領分が重複することも無いし、NOMA原理も問題なく成り立つんでしょうね。

しかし残念ながら、神(?)もその使徒も、実際には全て地上におわします。有神論者は否定するでしょうが無神論者である私はそう断言し、話しを進めます。
「神」と言えども地上の自然科学の支配を免れる訳には行かないし、浮世の経済の制約から自由で居られる訳ではありません。超越的な神は、教義と信者の頭の中にしか存在しません。

科学の側は特に天上の世界を必要としません。この現実の世界そのものの中に、存在と連関の有り様を探求する営為です。

そう言う意味でNOMAなどと言ってみても、所詮片手落ちにならざるを得ないと私は思う訳です。科学にとって神のお慈悲を必要とすることは何も無いが、神にとって科学への依存・浸透を免れることは1日たりとも出来ないでしょう。

そう言う舞台裏がバレバレであるにもかかわらず、何でわざわざ科学の側からNOMAなどと、現実世界から超越しているかのごとく神にお墨付きを与えるグールドを、ドーキンスは、「犬のように仰向けにひっくり返ってご機嫌をとるという芸当を見せている(86P)」と見えたんでしょうね。

言葉のきつさは兎も角として、私もNOMAには、現実からかけ離れた神への「過剰な敬意」美化が含まれると思います。
カッパにしろ妖精にしろ、水木シゲルの妖怪にしろ、頭の中で空想上のこととして扱い、論じる分には何も罪は無いと思います。

「重複することの無い教導権」なるものも、単にグールドの頭の中で(議論として)アレコレ想定されている分には特に弊害は無いかも知れませんが、実際に地上の世界に引き下ろして具体的に適用されたとき、(>>213;ちょちょんまげさん)の錬金術や妖精やカッパのような、現実の弊害が表面化するのではないでしょうか。

一つの例が「霊感商法」或いは「霊能師」などです。
彼らが頻繁に持ち出す商売道具に「前世」「来世」「霊」等が有ります。これは科学の及ぶところでは無いらしく、彼らに言わせれば「重複しない神の教導権」の範疇です。

「重複しない」とは、言葉を変えれば「立ち入るな」と言うことであり「口出し無用」と言うことです。
彼ら(或いは宗教一般)を行政権力で押さえつけることには、思想・信条の自由からも慎重でなければならないと私も思います。しかし彼らの言い分を科学の立場から理論的に批判し、理性ベースで一般国民の頭の中から非科学的妄想を駆逐することは必要でしょう。
その批判を手控えさせ或いは傍観させることに、若し「重複することの無い教導権」的躊躇が働いたとしたら、NOMAの罪は大きいと思います。

マスコミが「霊媒師」なるものの提灯持ちをし、心霊写真だの水子霊だのと騒ぐのはひとえに、雑誌の売上や視聴率の為でしょう。
しかしそう言う非科学的で愚にも付かないことを、女性誌や公共放送が垂れ流すことを躊躇させない要因として、或いは批判されたときの言い訳として、若しNOMA的心理が背景に有るとしたら、それも大きな罪です。
そして私にはそう言うことが絶対にないとは言えない様な気がします。


NANさんがNo-215の最後で仰っているように、全体的には良心的な宗教者が圧倒的なのだと思います。宗教的良心に基づく平和運動、人権擁護運動などに献身されている人も多いでしょう。
宗教は現実の世界にその精神的基盤を持っている訳ですから(私はそう考えています)、世界観の違いは違いとして、一致する行動で連帯すれば良いのだと思っているところです。


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