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神と科学は共存できるか

311 NAN :2008/02/09(土) 19:41:37 ID:G81kGdtk
枝葉が長ぇなぁ…まぁいいけど。

>>306
>それが間違いだと言うことではないかも知れないが、既に確立されている「生物」「生物の行動」を、殊更「自己愛」に置き換えて理解する必要は無いでしょう。

キミがヒトの生態を愛に置き換えているのとどう違うんだ?

>少なくとも「愛」の起源を「自己愛」に求めるのは無理が有ります。

自己を自己と意識する必要?キミは情緒における自己と個体認識としての自己を混同しているでしょう。愛の発現を生物学的に解明しようというのであれば、ヒトを見るよりもまず、その他の生物に普遍的に見られる行動的特徴から、我々が「愛してるっぽい」と感じる行為をピックアップし、それがどうヒトに共有され、変化したのか?を探るべきだよね。なぜなら、愛がヒトだけのものでなくてはならない理由などないのだから。
カメムシが自分の子供を背負っているのを見て、我々ジンルイは「母は子供を愛しているのだなぁ」とか云う。無論、カメムシが私たちヒトと同じ情緒的な意味で「子供を愛している」などと私は思わない。いやむしろ、子孫を守ろうとする激烈な行為の発現に於いては、彼らのそれの方が遥かにヒトを上回るだろう、と私は思う。

それでは、なぜそれほど激烈に親は子孫を守るのか?それは自分の遺伝子を守るためにほかならない。
雄クンがなにをもって「愛」と述べているのか、私にはいささかも理解できないけれど、愛という情緒の発現として最も顕著な客観的行動のひとつは「なにかを保護したり、時には自己犠牲を厭わず他者を守ろうとする行動」である、と私は理解している。そう、なるほどヒトは複雑な情緒を持ち、さまざまな性癖を持っているけれど、なにかを守ろうとする激烈さに於いては、他の生物種に一歩も二歩も行動としては劣る。この点について私は、愛、と呼ばれる「なにか」の本来的な要求から、ヒトはむしろ離れているとさえ考えている。

さて、もう一歩議論に踏み込む前に、私から「愛」を定義してみよう。無論、私の個人的な定義なので反論も異議もあるだろう、と思う。
1:愛は平等なものである。
2:愛とは与えるものである。
3:愛は寛容である。
4:愛は普遍的なものである。

実はヒトほど「愛」からかけ離れている存在はないだろう、と私は思う。たとえば「男女間の愛」について述べるなら、ヒトは性行為を経済行為として「商品化」し、これを古代から受け継いでいる。また、所有する財産や社会的地位によってさえ、繁殖・婚姻の機会が大幅に変動し、差別的である。これは他の社会性動物にも云えないことではないが、ヒトの顕著さは目を見張るばかりだろう。これらによって「男女の愛はまやかしに過ぎない」とまで私は述べないけれど、愛に対する誠実さ・切実さに於いて、ヒトは他の動物種より劣る、と考えている。


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