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minglingましょう

141暇人:2012/01/16(月) 17:51:45
中世思想原典集成3と4が到着。

3も4も金額がはるが、圧倒的なボリューム。
3はp975に及び、4はp1287もある。

ニュッサ氏は全訳ではないと言われていたが勘違いではないだろうか。
ちらっと見た限りでは書簡集は抄訳だったが、
大説教は全訳のようだった。

しかもこのマカリオス文書の大雑把な解説も興味深いものであった。

さて、まったりと目を通して、後日紹介します。

142山谷真少佐:2012/01/16(月) 18:37:08
"Through transformation the very essence of the Triune God is mingled with our soul, our very self." (Witness Lee, The Economy of God, chapter 13)

「変革を通して、三一の神の本質そのものが、われわれの魂、すなわち、われわれの自我そのものと混合される」

神の本質と信者の混合ですね。

143暇人:2012/01/16(月) 20:14:18
>>141
失礼 抄訳の方でした。

>SPCKが1921年に出したアーサー・ジェイムズ・メイスン訳『偽マカリオス大書簡』(五十説教集)がWebarchivesで無償公開されとります。
>いわゆる「神性と人性のmingling」がホントに講述されてんのかどうか、精査しましょう。

144暇人:2012/01/17(火) 08:32:36
>>142
これはニュッサさんの批判(言ってないことを言ったという批判)に対するものでしょうし
その限りでは、山谷氏の証拠提出の意義はありますが
我々のテーマとしては
魂とのmiglingですと、振り出しに戻るのではないでしょうか。
>>4においても
「聖なる性質とキリスト者の魂を混ぜ合わせ」が確認されております。

中世思想原典集成3 p249
「偽マカリオス 説教20」2-(3)にも
「それというのも、魂を天上の聖霊と混ぜ合わせ、
地上的なものと天上的なものとの混合(μιζισ※シグマは語尾の奴だが代用)
・混交(χοινωνια)をあらしめんがためであり、
ひいてはわれわれが互いに愛し合い、神を信仰せんがためである」
とあります。

我々はリーの
「変革を通して、三一の神の本質そのものが、われわれの魂、すなわち、われわれの自我そのものと混合される」

マカリオスの
「ご自身の聖なる性質とキリスト者の魂を混ぜ合わせた」
「魂を天上の聖霊と混ぜ合わせ」
とを引き続き考究する必要がありそうです。

145山谷真少佐:2012/01/17(火) 09:38:50
もうひとつ。

"His substance is increased in us and mingled with us."
(Witness Lee, The Experience of Life, p.162)

「神の本質がわれわれの内に増大し、われわれと混合する」

神の本質と信者の混合についてリーがsubstanceを使っている例です。

146暇人:2012/01/18(水) 22:16:43
中世思想原典集成3 p250
「偽マカリオス 説教21キリストを土台とした霊的構築」
1キリストを土台とした教会の構築-(1)

われわれの主イエス・キリストは、そもそも彼自身が(建物の)土台(1コリ3:11)であり、
満ち溢れる完成であり、要石(エフェ2:20)であられる。それというのも、主が天地とを
自らの出自とされているからである。実際、主は神として天から来たり、地から人間を
取り上げ、人間と一つに混ざり合われた。とりわけ「天から」、「地から」、「土台」、
「要石」という点に注目せよ、主はそのように働こうと心に決められたからこそ、
地から生まれた人々に天から聖霊をもたらされたのである。それはまさに上方からの
者たちと下方からの者たちとが、神性と人性が混ぜ合わされながら一つの教会(エレクシア)を
作らんがためにである。

偽マカリオスで「神性と人性が混ぜ合わさせ」を確認しました。

147暇人:2012/01/18(水) 23:13:04
「ニュッサのグレゴリオスと擬マカリオス」
『エイコーン』第28号(2003年、東方キリスト教学会)掲載 土橋 茂樹

ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/gyoseki.article22.html
ご参考に

148暇人:2012/01/19(木) 06:01:44
474 :ぱるるん ◆SuSYjvNEBI :2012/01/17(火) 10:20:51.60 ID:QwL3cRlk
>>470人間は神の似姿として創られてるけど、堕罪の状態にある。
そんなわたしが主イエスの十字架と復活の恵みにあずかり、神の似姿を完全回
復できたとしたら、どんなもんだろうかというのが、リーとかニーとか、神秘
主義クリスチャンの関心でしょ。

中世思想原典集成3 「偽マカリオス 説教」を読了。
全体的な感想は、ぱるぱるの言う
「神の似姿を完全回復できたとしたら、どんなもんだろうか」という方向性だった。
しかし善悪二元論、現世否定など質的なものはビオラ神学と同質であった。

また解説を読むと異端ではないと結論されていたが
異端のメッサリア派文書を砂漠修道士の大マカリオスの名を冠することで
ロンダリングして正統派文書にし、もつぱら東方正教の中で大切にされて
きたようだ。

149ニュッサ:2012/01/19(木) 14:32:27
書かないと思っていたが、ひとつだけ。

>偽マカリオスで「神性と人性が混ぜ合わさせ」を確認しました。

いみじくも、暇人さん自身が確認したのであれば、マカリオスのテキストの神化及びminglingの例示
としての役目は、果たされたのである。

つまり、マカリオス自身が、神性と人性のminglingを言うのであれば、それはリーのものと構成におい
て、異なるにしても、同方向、同質の共通性を持っていることになる。

>異端のメッサリア派文書を砂漠修道士の大マカリオスの名を冠することで
ロンダリングして正統派文書にし、もつぱら東方正教の中で大切にされて
きたようだ。

さらに、このマカリオスの文書を異端とするのは無理がある。
土橋氏のカトリック神学院の講義で(ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/lec02lec-mat1.html)
、「そうした異端の運動体であったメッサリア派と非常に近い存在であったため、異端として排斥
されることを恐れた修道者たちが、エジプトの修道院活動の父とも言うべき聖マカリオスという人
の名前をわざとその書物につけて、つまり、おそらくは本当はシメオンという名前のシリア人なの
に、マカリオスという偽名をつけて、その書物を守りました。あのお偉いマカリオス様のご本なら大
丈夫だ、という効果を狙ったわけです。確かに彼の書物が異端のメッサリア派のいわば霊的指導
書の役割を果たしたのは事実なのですが、彼自身の主張に異端的要素はありません。」
と言っている。

カトリック神学院(つまり神学校)で「異端的要素はありません」と断言しているのだから、何をどうし
ようとも、偽マカリオスは異端ではない。

しかも、偽マカリオス自体が、正教やカトリックだけでなく、聖公会などプロテスタントの
一部においてさえ、霊的書物として読まれてきたのであって、あのウェスレーにも影響を
与えた書物として言われているのである。

決して異端のロンダリングなどでないことは、それは上記の土橋氏の言葉からも明らか
である。

メッサリア派の霊的書物として使われたがために、異端の嫌疑を免れるために、「マカリオス」
の名前を冠したのである。内容的には、異端では全くない。むしろ、東西霊性において貴重な
書物であった。

さらに、メッサリア派の異端について、その異端断罪の理由は、上記にも多少あらわれている
が、彼らが、祈りだけで足りるとして、洗礼やミサなどの聖礼典を無視したことが大きいのであ
る。これは、特定の視点からの異端という味方であって、同じことならば、当然、クエィカーも、
やはり聖礼典を持たないのであるから、異端ということになる。

150ニュッサ:2012/01/19(木) 14:37:29
であるから、偽マカリオスが異端でないなら、同方向、同質の共通性を持つリーも
異端でないことになる。

リーを異端にするなら、同方向、同質の共通性を持つ偽マカリオスも異端である。

しかし、偽マカリオスを、その内実をもって異端であるという人は、今までの歴史上で
存在しなかったのである。

とすれば、偽マカリオスもリーも異端であることは難しい。

151ニュッサ:2012/01/19(木) 14:47:28
さらに、


>しかし(偽マカリオスは)善悪二元論、現世否定など質的なものはビオラ神学と同質であった。

この言葉には、内容的には、私も賛成する。
なぜなら、私が主張しているのは、神化の神学ではなく、受肉の神学だからだ。
ただ、だからと言って、神化の神学を異端だととは思っていないところが異なる。

ここは、正確に言い直させていただければ、ビオラ神学と同質なのではなく、
ニーと同質なのである。

なぜなら、ビオラ神学は、内容的に、ニーと異なるものがあるわけではなく、
ご自身、ニーに忠実であることを言っておられる。

だから、暇人さんご自身の口で、実は、偽マカリオスは、ニーと同質であると告白
されていることになる。

すると、どうなるのであろうか?

偽マカリオスは、リーと同質、同方向の共通性を持っており、
また、偽マカリオスは、ニーとも同質、同方向性の共通性を持っている。

そうであるならば、当然、ニーとリーは、同質、同方向性の共通性を持っている
ことになる。

つまり、当初の私の主張通り、ニーとリーは内的に連関しているという私の主張が
、この迂回路を通って、証明されたことになるのである。

以上が、この議論から、私が思うところの結論である。

152山谷真少佐:2012/01/20(金) 11:49:00
乃公の考えは、こうです。

1.メッサリア派は「神の本質と信者の混合」を説いて異端定罪された。

2.隠修士はメッサリア派異端定罪の巻き添えを食うのを恐れて「神性と人性の混合」の教えを偽マカリオス文書に避難させた。

3.リーは「神の本質と信者の混合」を説くんだから、現代メッサリア派とみなされる。

4.偽マカリオス文書に「神性と人性の混合」という表現があっても、メッサリア派異端定罪の事実は覆らない。何故なら、メッサリア派が異端定罪されたからこそ隠修士は偽マカリオスに避難したんだから。

5.同様に、偽マカリオス文書に「神性と人性の混合」という表現があっても、リー派が現代メッサリア派である事実は覆らない。

以上が乃公の考えです。

153名無しの神学さん:2012/01/20(金) 13:19:52
日曜日午前10時30分から始まる聖別会の直前も直前になってインターネットの掲示板に書き込みを行なわれたことについて、
山谷少佐のお考えをお聞かせ下さい。

140 :山谷真少佐:2012/01/15(日) 10:26:02

154名無しの神学さん:2012/01/20(金) 14:04:05
ttp://www.affcrit.com/acpress/index.html
ttp://www.affcrit.com/acpress/pdfs/Diviniz-Intro.pdf

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Perichoresis
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Theosis
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%90_(%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A)

155ニュッサ:2012/01/20(金) 14:43:25
>>152

別に、あなたの考えがどうであっても構わないが、根拠がなければ有効な考えと
はみなされない。

メッサリア派が異端とされたのは、「自分たちが聖霊に満たされていて、そ
のしるしを身体的・感覚的にわかり、秘蹟の有効性を否定した」(つまり、現代の
聖霊派に似ている)と言われているのだが、
「神の本質と信者の混合」を説いて異端とされたという根拠は何か?
文書を示してください。

156ニュッサ:2012/01/20(金) 15:07:29
例えば、カトリック百科事典のメッサリアの項目
(ttp://www.newadvent.org/cathen/10212a.htm)を読んでも、

彼らが「神の本質と信者の混合」を説いて異端とされたとは書いていない。

そうではなく、秘蹟の有効性を否定した静寂主義ということを中心に書いてある。

秘蹟の有効性を否定した静寂主義が異端ということならば、
同じく、静寂主義ということで異端とされた、がイオン夫人の流れを汲むニーも
異端ということになってしまうだろう。

ニーとリーは、表現は違っているが、その内的連関は外せない。

リーが異端ならば、ニーも異端だろう。

ニーが異端でないならば、リーも異端でない。

157ニュッサ:2012/01/20(金) 15:08:51
失礼、ガイオン夫人です。

158ニュッサ:2012/01/20(金) 15:13:16
繰り返し、言うが、私はリー派でもなければ、個人的に、彼の神学に賛成するもの
でもない。むしろ、反対の神学に立つものである。

しかし、人を大した根拠もなしに異端だということはおかしいと思う。

何をどう捻じ曲げても、リー派を異端にしようというおぞましさをあなたがたに
感じるのだが、

私は、そのような、誰かを異端にしようということ自体を根源的な罪だと思って
いる。

159ニュッサ:2012/01/20(金) 15:28:24
Sacraments they held to be useless, though harmless, the only spiritual
power being prayer, by which one drove out the evil spirit which baptism
had not expelled, received the indwelling of the Holy Ghost, and arrived
at union with God, becoming so perfect that the passions ceased to trouble.
(カトリック百科事典より、メッサリア派の項目)

「秘跡を、無害だが、役に立たないものだと考え、祈りこそが唯一の霊的な力だと
考えた。人は、祈りによって、洗礼が追い払うことのできない悪霊を追い払い、
聖霊の内住を受け、神との一致に達し、感情がわずらわされることのないほど
完全になると考えたのである。」

中心点は、どう考えても、洗礼や聖体拝領などの秘蹟の有効性を否定した静寂主義
にある。

160ニュッサ:2012/01/20(金) 15:32:23
「祈りによって、洗礼が追い払うことのできない悪霊を追い払い、
聖霊の内住を受け、神との一致に達し、感情がわずらわされることのないほど
完全になると考えたのである。」

という部分は、むしろ、ウェスレーやその後のペンテコステ派や聖霊派に似ているではない
か?

だからと言って、ウェスレーやペンテコステ派や聖霊派を、私は異端だとは全く思わないが。

とにかく、リーを「現代のメッサリア派」だと言って異端にしようと言うのは、
全くの言いがかりであり、

何が何でも異端にしようという思いだけが透けて見えるだけである。

161名無しの神学さん:2012/01/20(金) 15:37:57
※救世軍はウェスレー派です。

162ニュッサ:2012/01/20(金) 15:48:22
しかも、救世軍は、洗礼(入隊式が洗礼に当たるとされているが)も聖餐もなく、
いわば、秘蹟もかろんじられているわけだから、
むしろ、当てはまると言えば、救世軍も現代のメッサリア派ということになって
しまうではないか?

私はそうは全然思わないが。

163ニュッサ:2012/01/20(金) 15:53:21
だから、メッサリア派が異端であることを利用して、リーを異端であるということは
根本的に無理があるのです。

「剣を持つものは、剣によって滅びる」というが、
返す刀が自分に返ってきてしまう。

メッサリア派が異端であることを用いて、
リーが異端であると言おうとするならば、

記述されている特徴にもっとよく当てはまる救世軍は、なおさら、異端ということ
になってしまうのだ。

私が異端にしているのではない、間違いのないように。

自分で自分の教派を異端ということにしてしまっているのだ。

164ニュッサ:2012/01/20(金) 16:10:18
ttp://orthodoxwiki.org/Messalianism

正教による「メッサリア派」についての解説。

ここでも、「神の本質と信者の混合」を説いたから異端などとはどこにも書いて
いない。

論旨は、カトリックのページと同じである。

秘蹟が恵みを与えることを否定し、祈りだけが聖霊を受けさせるものだというこ
とが、異端の根拠である。

165暇人:2012/01/20(金) 22:44:22
岩波キリスト教辞典p1104「メッサリア派」の項
担当の久松英二は竜大教授
ttp://jglobal.jst.go.jp/public/20090422/200901013982725936

「メソポタミアに起こり、シリアや小アジアなどに普及した敬虔主義的分派。
エフェソス公会議(431)で異端として断罪されたにもかかわらず7世紀まで
存続した。メッサリアとは「祈る人々」を意味するシリア語のギリシア語音訳で
その意味を取って「エウキタイ派」(Euchitai)とも呼ばれる。
人間の心には悪魔が巣くっているため、これを撃退するためにひたすら祈ることの
必要性のみを強調し、その代わりに教会的組織や秘跡を否定もしくは無視した。
特に秘跡の否定に関して、霊的体験と五感体験を同一視するあまり、恵みの有効性は
それが感覚されうるかどうかにかかっていると主張した」

久松の論文レジュメ
ttp://www.bun.kyoto-u.ac.jp/mdvphil/ksmp/rejume04.html
「動詞plerophoreo(pleres:充満した+phoreo:繰り返し運び・持つ)および名詞plerophoriaは、
元来、量的な規定を与える世俗的な言葉であったが、新約聖書においては、
霊的実在がもたらす「充溢、完全性、確実性」、また主観的な「確信」を表現するために、
ルカ、パウロなどによって用いられたギリシア語固有の術語である。
今回の発表では、(1)この術語を東方教父の中で際立って多用したバシレイオスと擬マカリオスの用法を比較することによって、
さらに(2)擬マカリオス『大書簡』と体系的な類似を示すニュッサのグレゴリオス『キリスト教綱要』の当該語にかかわる
平行箇所の考察によって、擬マカリオスが(他の二人に比して)この語によっていかに力動的な信仰概念を語り得たかを跡付け、
その上で(3)そのような革新的な信仰概念がメッサリア派という異端へと即反転せざるを得なかった所以を、
「感覚主義」という観点から考えてみたい。
その際、人間の知性把握を超絶した「語り得ぬ神」を、こともあろうに「感覚する」という逆説(およびその逆説の文脈)の
哲学的解明がポイントとなるはずである」

166ニュッサ:2012/01/20(金) 23:11:36
暇人さんの引用は、結局、感覚主義による秘蹟の否定であり、

この感覚主義は、現代のペンテコステ、聖霊派にもある。

しかし、山谷さんの言う、「神の本質と信者の混合」を説いたがゆえの異端という
ことはどこにも現れていない。

秘蹟よりもむしろ、祈りによって「聖霊を5感で感じられる」ことを重視したのが
メッサリア派ならば、
メッサリア派は、祈りによって、本人が感じられる形で聖霊のバプテスマを受ける
ことができると説く、ウェスレー以降の、メソジスト、ホーリネス、救世軍、ペンテコステ
、聖霊派に近いことになる。

167ニュッサ:2012/01/20(金) 23:52:14
結論:正教やカトリックにとって、秘蹟は教会の根幹であり、
メッサリア派を異端にしたのは、その秘蹟を否定もしくは無視したことによる。

決して、メッサリア派が「神の本質と信者の混合」を説いたから異端とされたの
ではない。

従って、>>152の山谷さんの主張は、根拠がない。

結局、>>149から151の私の結論は、未だ、有効である。

168ニュッサ:2012/01/20(金) 23:54:30
付加

「従って、従って、>>152の山谷さんの主張は、根拠がない。」
→「従って、>>152の山谷さんの主張は、根拠がなく、単に、リーをどうしても
異端にしようというための、こじつけにすぎないことが判明した。」

169暇人:2012/01/21(土) 09:15:03
アンリ・イレネ・マルー  上智大学中世思想研究所 訳・監修
「平凡社ライブラリー168 キリスト教史2 教父時代」P310-312

異端ではあるが最も意義深いものは、メッサリア派あるいは<祈祷派>(エウケータイ)の
謬説である。(この二つは前者が古典シリア語、後者がギリシア語で、いづれも
<祈りの人>の意味がある)。というのはこれらの謬説の思弁的な謬説さえも
苦行や神秘生活と堅く結ばれているからである。メッサリア派は390年頃、
カッパドギアの綺羅星のごとき偉大な教父らのなかのより小さな星であるイコニオンの
アンフィロキオスに攻撃され、エフェソス公会議で排斥されたが、五世紀以降にも
ローマ帝国の東部諸州とササン朝王国のネストリオス派のなかに勢力をふるった。
この派のなかの主要人物としては、メソポタミア出身のシメオン(4c後半)の
ような人物があげられる。

170暇人:2012/01/21(土) 09:16:09
この説の出発点にはきわめて遺憾な体験的事実がある。すなわち、人間は洗礼の
後でも、自分の内に罪の方へ押し流されていく悪い傾きを認める。西方では
一般にひろく認められている原罪と肉欲との区別を、メッサリア派は持たないために
この傾きを悪魔が人間の魂に住んでいるために起こるものと表現している。
そして悪魔を追放し、情欲に完全に打ち勝って至福の境地<アパティア>(不動心)に
達するためには厳格な禁欲生活に、特に祈りに、聖パウロが勧めている<絶えまない祈り>
(1テサ5:17)に頼らなければならないとする。悪が情欲おいて感覚的に体験される
のと同様に、聖霊が魂の中に入り、それを燃え立せ、清めて神化する事実も
彼らには同じように感覚を通して感じられ、それは光の現象、または恍惚の状態を
ともなうのである。そこからこの派対して<狂信者><歌う人>(あるいは<踊る人>)
という侮蔑的な呼称が起こっている。反対派は彼らに対して怠情、精神的緩み、
痛飲乱舞の宴などという非難とともにこの呼称を乱発している。しかしこの非難の中に
偽の神秘主義に特有の偏向と彼らの思想上の原理から事実に関係なく論理的に
引き出された中傷とを識別することは困難である。
 メッサリア派の思想と習慣は慎重に緩和され、不安を与えないような形で、
教父たちの権威借りて東方の霊性の上にひろく行き渡った。すなわちその影響は
7世紀(649年頃)、シナイ山に没した聖ヨアンネス・クリマクス(570-649)とともに
現れ後年アトス山で発展する神秘的<神秘主義>(ヘシュカズム)の進展の中に
特に感じられる。それにしても神秘主義が存在論的なものから心理的なものに
滑り落ち、感覚的な錯覚に堕落するのは危険である

171暇人:2012/01/21(土) 09:44:53
>>149
土橋氏は擬マカリオス文書の本当の著者を
「シメオンという名前のシリア人」と推定されておられるが
(これは登塔者聖シメオンのことか?)
>>169アンリ・イレネ・マルーの論考によると、このシメオンは
メッサリア派の代表者であるメソポタミアのシメオンと断定されている。

土橋氏の論考「ニュッサのグレゴリオスと擬マカリオス」の註12)によると
ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/gyoseki.article22.html
「メッサリア派の中では、デリース(H. D嗷ries)以降、メソポタミアのシメオンが
マカリオス文書の真の著者(すなわち擬マカリオス)として最有力視されている。
メソポタミアのシメオンとは、反メッサリア派文書が挙げるメッサリア派リスト
(テオドーレートス〔Hist. eccl. 4, 11,2〕)の中に見出される名であり、
さらに『五十の霊的講話集』のいくつかの写本がその著者として掲げる名でもある。
シメオンの生涯については多くの部分が不明であるが、
おそらく三八〇年から四三〇年の間に小アジアあるいはシリア、メソポタミアで活動していたと思われる。
エジプトの誉れ高き霊的指導者マカリオスの名を冠し、彼の福音的霊性に満たされながらも、
シリア起源の「カルディア心の霊性」によってそれを一層深め、何らかのかたちでメッサリア派とも繋がる
メソポタミアのシメオン、このいわば霊的複合体、デリースの表現を借りれば「マカリオス/シメオン」こそが、
擬マカリオスの正体と言い得るのかもしれない。」

つまり「擬マカリオス」の著者の最有力説は
異端のメッサリア派のメソポタミアのシメオンである。
マルーは、神秘主義を危険視するカトリック的バイオスから議論しているきらいがあり
土橋氏は、対話を重視する第二バチカン会義視点から書いている差があるのではと思う。

172暇人:2012/01/21(土) 10:04:56
土橋は、なぜか
「確かに彼の書物が異端のメッサリア派のいわば霊的指導書の役割を果たしたのは事実なのですが、
彼自身の主張に異端的要素はありません。」
と言われるのであるが、カルケドンに抵触する「神性と人性の混じり合い」があるにもかかわらず
そのことについて一切触れずに「異端的要素は無い」と断定されても
土橋なぜそう主張できるか、私には理解できない。

但し、このスレッド的には、正教が大切にしているテキストであるから
無条件に正統派文書ということにしないと議論の前提が崩れることとなると思う。

スレッド的には場外に属するのであるが
事実の探求の観点からは
1.マカリオス文書は異端メッサリア派の代表者メソポタミアのシメオンが作成し
2.大マカリオスの名を冠してロンダリングして
3.正統派文書として東方で大切にされ
4.慎重に危険性が取り除かれて
5.東方の霊性そのものとなった
という事実はとても興味深い

173ニュッサ:2012/01/21(土) 10:44:53
暇人さんは、どうしてこうも我田引水的に資料を探して来て、ご自分の推定を
主張されるのかわかりません。

まず、アンリ・イレネ・マルーによる「メッサリア派の思想と習慣は慎重に緩和され、不安を与えないような形で、
教父たちの権威借りて東方の霊性の上にひろく行き渡った。すなわちその影響は
7世紀(649年頃)、シナイ山に没した聖ヨアンネス・クリマクス(570-649)とともに
現れ後年アトス山で発展する神秘的<神秘主義>(ヘシュカズム)の進展の中に
特に感じられる。」
という部分ですが、

この言い方は、東方の中心的な霊性であるアトスのヘシュカズムの否定となって
います。

実は、トマス神学とパラマス神学は相容れないのであって、現在のカトリックでも
ごりごりのトマス神学に立つどちらかと言えば保守派の人たちは、正教の霊性を認め
ません。

しかし、それはとりもなおさず、正教を否定することになります。

なぜなら、アトス山は正教の中心であって、さらに、ヘシュカズムはアトス山の根本的
な霊性だからです。

そういう流れに立って、メソポタミアのシメオンが異端メッサリア派の指導者
だと断じているわけです。

ですから、メソポタミアのシメオンが異端メッサリア派の指導者だと断じる事
は、正教に対するカトリック優位の偏向した考えであって、それを事実だと言う
ことは無理があります。

174暇人:2012/01/21(土) 10:52:09
>>173
私は冷静に
「マルーは、神秘主義を危険視するカトリック的バイオスから議論しているきらいがあり」
と解説しています。

正教の友人からヘシュカズムに否定的なカトリックの立場についてのレクチャーを
受けております。

175ニュッサ:2012/01/21(土) 10:52:41
土橋氏の論考によると、

「エジプトの誉れ高き霊的指導者マカリオスの名を冠し、彼の福音的霊性に満たされながらも、
シリア起源の「カルディア心の霊性」によってそれを一層深め、何らかのかたちでメッサリア派とも繋がる
メソポタミアのシメオン、このいわば霊的複合体、デリースの表現を借りれば「マカリオス/シメオン」こそが、
擬マカリオスの正体と言い得るのかもしれない。」

と書いてあるわけです。


正確に読むならば、

「何らかのかたちでメッサリア派と繋がる」と書いているわけで、
メッサリア派の代表者とはどこにも断じていません。

176暇人:2012/01/21(土) 10:57:10
>>171を確認して頂きますとわかりますように
対話主義立場に依って、正教に理解のある土橋氏の論考の註12を確認
した上で、その中の
1.反メッサリア派文書が挙げるメッサリア派リスト
2.『五十の霊的講話集』のいくつかの写本
という点から、なるほど
メソポタミアのシメオンが最有力説なのだと納得しているわけです。

メソポタミアのシメオンがメッサリア派なのは、土橋氏も資料も認めるところです。
つまりマローの説だけではなく裏を取ってます

177ニュッサ:2012/01/21(土) 10:58:44
つまり、ここまでで、暫定的な結論を申し上げると、

アンリ・イレネ・マルーのような、保守的なトマス主義者から見るならば、
そもそも、トマス神学からは、神化などは成立せず、正教の中心的霊性である
ヘシュカズムは間違いと言うことになるのです。

そのようなアンリ・イレネ・マルーの著書を持ってきて、メソポタミアのシメオン
がメッサリア派の代表者だと言ったところで、それは疑わしいと言うことです。

178暇人:2012/01/21(土) 11:02:38
「メッサリア派の代表者」という表現は、>>169
マルーの
「この派のなかの主要人物としては、メソポタミア出身のシメオン(4c後半)の
ような人物があげられる。」から暇人が翻訳した語です。

これと土橋氏の
「何らかのかたちでメッサリア派とも繋がるメソポタミアのシメオン」は矛盾しません。

なんとか土橋氏はマカリオス文書の正当化をしたいのですが
さの土橋に依ってもメッサリアとの関係を否定できないということです。
その種の配慮の気持ちの無いマルーはずばり異端と言っているわけです。

179ニュッサ:2012/01/21(土) 11:04:41
>>176

たとえ、メッサリア派のリストに挙げられており、メソポタミアのシメオンが
写本の著者だということが事実だとしても、

メソポタミアのシメオンが、メッサリア派の代表者ということにはなりません。

まず、メッサリア派リストにあるからと言って、それがメッサリア派であるという
確定的な証拠にはならない。

だから、土橋氏は、メソポタミアのシメオンが著者だとしつつも、
「メッサリア派と何らかの繋がりがある」と慎重に言っておられる訳です。

180ニュッサ:2012/01/21(土) 11:15:15
>>178

マルーの本は、単なる教会史ですよ。その教会史の本によって、偽マカリオスの
専門家の意見を修正するのは、無理があると思います。

しかも、今、異端とまで言い換えている。

偽マカリオスの文書の内容をはっきり異端だと言う人は、今までいないわけです。
そこは揺るがない。

それなのに、あなたはどうしても異端だと言いたいために、
異端が書いたんだから、異端なのだという循環論証の詭弁に持ち込もうとしている。

しかし、それは、今、論じているように、前提が成立するかどうかもわからないし、
ましてや、前提が成立しても、循環論証の詭弁な訳です。

なぜなら、異端かどうかは、内実によって判断される訳で。
今まで、偽マカリオスの文書を異端だと言う専門家はいなかったし、ましてや、
正教で正統的なものとして読み継がれ、カトリックやプロテスタントの一部でも
読まれてきたわけです。

正当な論理としては、内容が異端でないのだから、著者も異端では
ないということが正当な論理であって、

著書が異端だから内容も異端だとは、単に、循環論証にすぎないわけです。

181ニュッサ:2012/01/21(土) 11:36:56
また、

「カルケドンに抵触する『神性と人性の混じり合い』があるにもかかわらず
そのことについて一切触れずに『異端的要素は無い』と断定されても
土橋なぜそう主張できるか、私には理解できない。」

と暇人さんは言っているが、

当たり前です。

なぜなら、偽マカリオスの言う「神性と人性の混合」の混合と
カルケドンの言う「神性と人性は混合せず」の混合は
意味が全く違うのですから。

カルケドンの言っている混合は、二性が混合して、新しい第3の性質が生じること、
これは、エウティケスに対する否定です。

ところが、偽マカリオスは、二性が混合して、新しい第3の性質が生じるなど
とは、言っていない。混合しても、神性は神性のまま、人性は人性のままなのです。
だから、カルケドンに抵触などしていない。

それは、リーの混ざり合いでも同じことです。

あなたがたが挙げたttp://localchurch.web.fc2.com/part2/mingling.html
の文章をよくよく読んでください。

182暇人:2012/01/21(土) 11:43:03
>>179-180
事実はこういうことです

1.メッサリア派は、エフェソス公会議(431)で異端として断罪された
2.「反メッサリア派文書が挙げるメッサリア派リスト」にメソポタミアのシメオンの名が
 挙げられている
3.『五十の霊的講話集』のいくつかの写本がメソポタミアのシメオンを著者としている
4a.リベラルなキリスト教史の権威マルーは、メソポタミアのシメオンをメッサリア派の
 主要人物としている。根拠は反メッサリア文書がそう書いているからだ
4b.マカリオス文書を正当化したい土橋でさえ、古代資料からメッサリア派と
 メソポタミアのシメオンの関係を否定できない。

異端と言いたいわけではなく、事実探求です。
事実、異端文書がロンダリングされたのです。
誤解を避けるために事前に私は>>172
「但し、このスレッド的には、正教が大切にしているテキストであるから
無条件に正統派文書ということにしないと議論の前提が崩れることとなると思う」
と書いております。

183ニュッサ:2012/01/21(土) 11:45:16
とにかく、

あなたがたの議論は議論になっておらず、詭弁だらけです。

それは、最初から「リーは異端である」という結論が決まっていて、
異端であるという証拠を後付けで探しているからです。

なぜ、そんなに、地方教会を異端にしたいのでしょうか?

なぜ、そんなに、誰かを異端にしたくてたまらないのでしょうか?

もし、この異端にするということが神から出ているならば、
誰かを異端にするということは、悲しむべき痛みを伴うことではありませんか?
また、当然、人に「アナテマ(呪われよ)」ということが異端宣告なわけだから
慎重にも慎重を期した上でのことであるはずです。

ところが、あなたがたには、悲しみも痛みも、慎重さも感じられない。

あなたがたはリーを危険だと言うが、あなたがたは、実際のところ、自分たちを
神の位置において人を判断しようと言うのは、むしろ危険なのはあなたがたの方
ではありませんか?

184ニュッサ:2012/01/21(土) 11:49:35
しかも、暇人さんに至っては、自分がキリスト者でないことを認めておられる。
仏教徒だと言っていますね。

どうして、仏教徒のあなたが、キリスト教の中の異端問題を扱うのかわけがわかりません。

あなたが異端として採用しておられる基準を、仏教に当てはめれば、当然、仏教は異端と
いうことになってしまうでしょう。

だから、キリスト教徒でもないあなたが、地方教会が異端などと言うのは、明らかに、
おかしなことなのです。
議論から外れていただきたい。

185ニュッサ:2012/01/21(土) 11:58:00
>>182

だから、事実ではなく、推測です。しかも、権威論証による詭弁です。
マルーがリベラルとは到底、思えませんが、むしろトマス主義者であれば、保守
でしょうが、そんなことに関係なく、
専門家でもない人間の意見を、専門家の意見よりもどうして重視するのでしょうか?

それは、単に、あなたの意見に合うからでしょう。

その時点で、正当な論理から外れています。

しかも、正当な論理から外れている詭弁でしかない推測を事実と言うことなど、
単なる印象操作ではありませんか?

以前、私の意見を主観、狂気の沙汰と言いましたが、
これを主観、狂気の沙汰と言う以外、何と言えばいいのでしょうか?

ご自分でも、ご自分の詭弁を真実と思い込んでいらっしゃるのですか?

186暇人:2012/01/21(土) 12:11:38
>>181
ttp://localchurch.web.fc2.com/part2/mingling.html
このリーの詭弁と
>>146の「神性と人性が混ぜ合わされながら一つの教会(エレクシア)を
作らんがためにである。」
の同質性と差異についての考究が必要ですね

私は「リーが結合の言い換えだ」というのであれば、
「なぜ聖句の結合を不完全と見なして、minglingが完全と考えたのか」と
問いたい。

187暇人:2012/01/21(土) 12:15:46
1.メッサリア派は、エフェソス公会議(431)で異端として断罪された
2.「反メッサリア派文書が挙げるメッサリア派リスト」にメソポタミアのシメオンの名が
 挙げられている
3.『五十の霊的講話集』のいくつかの写本がメソポタミアのシメオンを著者としている
4a.リベラルなキリスト教史の権威マルーは、メソポタミアのシメオンをメッサリア派の
 主要人物としている。根拠は反メッサリア文書がそう書いているからだ
4b.マカリオス文書を正当化したい土橋でさえ、古代資料からメッサリア派と
 メソポタミアのシメオンの関係を否定できない。

推測は一切なく「事実」のみですよ
これのどこを推測と思われておられるのですか?

暇人が仏教徒と言った覚えはないですよ。
仮に言ったとしてもスレッドと何の関係もないのでは?
マルーは専門家ですよ。なんで専門家ではないと思われているのですか?

188ニュッサ:2012/01/21(土) 12:21:23
>>186

リーの詭弁というが、そう言ったら、あの文章のどこが詭弁なのか示さなければ
なりません。

そうでなければ、印象操作の詭弁になってしまいますよ。

>私は「リーが結合の言い換えだ」というのであれば、
>「なぜ聖句の結合を不完全と見なして、minglingが完全と考えたのか」と
>問いたい。

呑み込みが悪すぎます。
何ども言っているではありませんか?

神化を言うために決まっているでしょう?

それなら、パラマスだって、わざわざ、自分の理論を持ち出さなかったでしょう?
神化を言うために、パラマスはエネルゲイアを持ち出し、リーは混ざりあいを
持ち出したのです。

189暇人:2012/01/21(土) 12:25:15
アンリ・イレネ・マルー

古代史家・教父学者。
マルセイユに生まれる。パリ高等師範学校、ローマのフランス学院に学んだ後に、
カイロ大学、リヨン大学、パリ大学ほかで教授を歴任した。
古代教会史研究の第一人者としてつとに知られ、古典古代の文化、
アウグスティヌス研究、歴史哲学など幅広い分野で優れた業績を残した

190暇人:2012/01/21(土) 12:31:16
>>188

パラマスは、ある聖句を不完全と批判して、「完全な語」を創出されて
言い換えられたのでしょうか?

そうそう中世原典集成3には、ちょうど
グレゴリオスパラマス『聖なるヘシュカスト(静寂主義者)のための弁護』『講話集』も掲載されています。
マカリオスを読了後、確認してみます。

まつたりとお待ちくださいませ

191ニュッサ:2012/01/21(土) 12:33:34
>>187

暇人さん、頭悪すぎです。頭悪すぎか、わざとやっているのか。
たぶん、わざとやっているのでしょうが。

すり替えの詭弁ばかりで本当に嫌になります。

いいですか?

マルーは教会史の専門家であって、偽マカリオスの専門家ではないのです。
しかも、そこには、カトリック保守派の護教的な見地から書かれていることが
濃厚だ。

比べて、土橋氏は、偽マカリオスの専門家なのです。

専門家の意見を重視すると言った場合、どちらの意見を重視すべきか明らかでしょう。

しかも、
あなたは事実というが、事実は、メソポタミアのシメオンが反メッサリア派の
文書のメッサリア派のリストに載っているというだけで、

他に、彼がメッサリア派かどうか、確定的な証拠はないのです。

しかも、主要人物だと載っているわけでもないわけです。

大体、それなら、ウェスレーや救世軍のウィリアムブースも、反フリーメーソンの
フリーメーソンのリストに載っているから、

ウェスレーやブースもフリーメーソンということが確定ということになりますよ。

同じことです。

詭弁です。

192ニュッサ:2012/01/21(土) 12:39:13
>>187

いや、少なくとも、キリスト者ではないのですよね?

キリスト者ではないものが、誰か、あるいは教派を異端かどうかという判断をする
資格があるでしょうか?

常識的に考えて、私はないと思います。

193ニュッサ:2012/01/21(土) 12:45:30
>>186,190

あと、ストローマンの詭弁をまた用いておりますね。

いったい、どこで、リーは「なぜ聖句の結合を不完全と見なして、minglingが完全と考えた」
とか、
「ある聖句を不完全と批判して、『完全な語』を創出」したとか言っているのでしょうか?

根拠をお示しください。

もう、あなたがたの詭弁だらけなのにはほとほと嫌になりました。

194ニュッサ:2012/01/21(土) 12:51:14
失礼、

193「なぜ聖句の結合を不完全と見なして、minglingが完全と考えた」
→「聖句の結合を不完全と見なして、minglingが完全と考えた」

195ニュッサ:2012/01/21(土) 13:01:55
もうすでに、あなたがたの反則負けは決まっているのです。

なぜなら、あなたがたが今までこのスレッドで主張されていることで、
詭弁でないことがあったでしょうか?

ことごとく、詭弁です。

正当な論理を用いてなされた主張など全くない。

はっきり言って、お話になりません。

しかも、それらの詭弁をやめようとする気配は微塵もありません。

私も無限に時間があるわけではありませんから、適当なところで切り上げたく
思っております。

196ニュッサ:2012/01/21(土) 13:15:46
結論:山谷氏は、メッサリア派が「神の本質と信者の混合」を説いたために異端と
   されたという根拠を示せない。
   暇人氏は、詭弁の多用により、そもそも議論になっていない。
   
   2人とも、149から151に対する有効な反証は何ひとつあげられておりません。

   ですので、議論は終わりにします。

   なお、反証、ご自分たちの主張の根拠が提出された場合は、
   再び、議論することもあるかもしれませんが、
   それがなお、詭弁の場合は、詭弁の分析をして終わりにさせていただきます。

197ニュッサ:2012/01/21(土) 13:42:56
付加:あるいは、詭弁ということがありありと見て取れる場合は無視するかも
   しれません。

198暇人:2012/01/21(土) 17:52:00
詭弁はニュッサさんですね
マルーは、古代教父の専門家で、テキスト編集もされた方です。
ttp://fr.wikipedia.org/wiki/Henri-Ir%C3%A9n%C3%A9e_Marrou

さてニュッサの詭弁の本体です。
ニュッサさんが専門家だとする土橋氏自身が
>>171 註12で
1.メソポタミアのシメオンが、マカリオス文書の真の著者として最有力視されている
2.メソポタミアのシメオンこのいわば霊的複合体、デリースの表現を借りれば「マカリオス/シメオン」こそが、
擬マカリオスの正体と言い得るのかもしれない
と結論づけられております。
つまり専門家たちの中ではほぼ確定しており、土橋氏もこの最有力説に従われているのです。

そして
Aメソポタミアのシメオンとは、反メッサリア派文書が挙げるメッサリア派リストに挙げられている人物であり
B『五十の霊的講話集』のいくつかの写本の著者
です。
マルーを使わなくても
擬マカリオステキストが異端メッサリアのメソポタミアのシメオンが書いたという
最有力説は微塵も動かない事実なのです。

そして古代教会史の専門家であり権威であるマルーが
メソポタミアのシメオンを異端メッサリアの主要人物としているわけです。

以上が事実です。暇人は具体的資料を挙げ立証しました。
ニュッサさんは有効な反論をできずに人格攻撃に堕されているので
この項については有効な反論(実証)が無い限りスルーします。

199ニュッサ:2012/01/21(土) 18:03:20
>>198

だから、何度も言わせないで欲しいが、
土橋氏がどこで、メソポタミアのシメオンがメッサリア派の主要人物だと言っているのですか?

メソポタミアのシメオンが著者だとしても、
そのシメオンが反メッサリア派の文書が挙げるメッサリア派リストに挙げられている
人物だというだけでは、

シメオンがメッサリア派だということは確定できないではありませんか。

200暇人:2012/01/21(土) 18:06:24
マカリオスが聖霊派に似ているというニュッサ氏のご意見に私も賛同します。
私は
「ある種の聖霊派運動はマカリオスと霊性において類似を感じます」。

マカリオスに限らずですが、古代教父の悪魔の多用、
殊に驚いたのは、「霊的戦い」という概念がマカリオス文書にありました。
正教の教会内で安全に扱われると修道の中で静寂主義という祈りとなるが
一般信徒向けにマカリオスを制限なく宣伝すれば教会成長論などに
悪用される危険性があるのではないかという感想を持ちつつ読み進んでおります。

201ニュッサ:2012/01/21(土) 18:08:57
そのことは、ウェスレーやブースが、反フリーメーソンの挙げるフリーメーソンの
リストに挙げられているからと言って、
フリーメーソンと確定できないのと同じです。

それとも、あなたはウェスレーやブースがフリーメーソンだとでも言うのですか?

あなたの使っている詭弁のロジックを平等に当てはめればそういうことになるのですよ?

202ニュッサ:2012/01/21(土) 18:14:06
だからこそ、土橋氏は、「メッサリア派と何らかの繋がりがある」という
言い方をしているわけです。

メッサリア派だと断定はどこにもしていない。

結局、偽マカリオスが異端か、また同じように、ウェスレーやブースがメーソンか
どうかは、内容において判断すべきことだと言うことです。

そして、内容において偽マカリオスが異端だと言う人はいないし、ウェスレーや
ブースがメーソンと言う人もいない。

203山谷真少佐:2012/01/21(土) 18:15:46
ウェスレーとブースがフリーメーソンで、その影響が彼らの教えに見て取れる、と主張している教会史家は一人もいませんよ。

204ニュッサ:2012/01/21(土) 18:17:31
>>198

あと、マルーは古代教父、教会史の専門家かもしれないが、
少なくとも、偽マカリオスの専門家でもないし、東方の霊性についての専門家でも
ないわけです。

205ニュッサ:2012/01/21(土) 18:21:42
>>203

そうでしょう。山谷さん自身が、暇人さんの詭弁のロジックを見破ってくださったことに
なります。

反フリーメーソンの挙げるフリーメーソンのリストに、
ウェスレーやブースが載っているからと言って、
彼らがフリーメーソンでないならば、

反メッサリア文書の挙げるメッサリア派のリストに、
シメオンが載っているからと言って、
シメオンがメッサリア派とは言えないということになるのです。

206ニュッサ:2012/01/21(土) 18:28:33
>>200

しかし、もし、現代の聖霊派の一部に似ているから、危険で異端というならば、
ジェシーペンルイスやウォッチマンニーはもっとそうだということになります。

なにせ、「霊の戦い」という考え方は、ペンルイスの「聖徒と戦い」また、
ニーの「霊の人」の後半部分で、初めてはっきりと示されたものだからです。

207ニュッサ:2012/01/21(土) 18:33:03
205の続き

つまり、ウェスレーやブースがメーソンかどうかは、その内容により判断されるのであって
教会史家は誰もそんなことを肯定していない

のと全く同じように、

偽マカリオスが異端かどうかは、その内容により判断されるのであって、
土橋氏は異端的要素はないと断言し、またその内容を異端だと言った学者もないのです。

全く、同じロジックではありませんか?どこが詭弁ですか?

208山谷真少佐:2012/01/21(土) 19:08:24
反メッサリア派というのは、4世紀の主教たちでしょう。

現代の匿名ネット市民と主教を同列に置いて論じるのはどうかと思います。

主教が礼拝を導くとき、その場に宇宙教会が現臨する、と信じられているのですから。

209ニュッサ:2012/01/21(土) 19:25:31
>>208

1 反メッサリア派の文書を書いたのが4世紀の主教たちを指していると言うのは
根拠がありますか?
2 1の根拠があるとして、主教が書いたからと言って、その情報がどうして確か
だと言えますか?

210ニュッサ:2012/01/21(土) 19:27:23
ちなみに
「主教が礼拝を導くとき、その場に宇宙教会が現臨する、と信じられているのですから。」
は、だから、情報が確かなことには全くならない。

211ニュッサ:2012/01/21(土) 19:42:06
>>208

むしろ、ネット社会では、情報の流通度が古代社会よりも高いから、その分、正確
とも言えるのである。

だから、208で山谷氏が述べていることは、私が205、207で述べているロジックを
根本的に覆すものとはならない。

212ニュッサ:2012/01/21(土) 20:01:03
更に、偽マカリオスが誰かということは、すでに確定した問題ではない。
そんなことをこの議論で取り上げること自体、おかしなことである。

以上、私はすべきことは全て果たし、相変わらず、私の結論に対する反証も、
詭弁でない議論も見られないので、

私はこの議論を降りることにする。

詭弁だらけのこの議論は明らかに時間の無駄である。

213ニュッサ:2012/01/21(土) 20:10:08
おそらく、彼らは、この後、どういう詭弁を用いても、偽マカリオスは異端だと
言い出し、
それと同方向、同質性を持つリーを異端であると言い出すのであろう。

もう、すでにシナリオは決まっていて、そのシナリオ通りの道筋を得るために、
資料をあさっているだけなのである。

だから、私がひとつひとつ、論理的矛盾を指摘したところで、
彼らは、自分のシナリオを裏書するために、また新たな詭弁をこねくり回すだけ
だろう。

まさにイタチごっこである。

そんなに、異端断罪ごっこをやりたければ、やるのを止めることはできない。

どうぞ、おやりなさい。

ただし、異端断罪というのは、遊びにしては、まことに罪が重い遊びだと自覚して
やるべきである。

なぜなら、それは自分を神の位置に置くものだからである。

以上、この議論をここまで、お読みいただければ、一体、どちらに論理性があるか
わかる人にはわかるだろう。

それで十分なのである。

私は去る、彼らのえんえんと続く詭弁に付き合う人生の時間はもう残されていないから。

どうぞ、ご自由に。

214山谷真少佐:2012/01/21(土) 20:24:58
アレキサンドリアのキュリロス、アンティオキアのフラウィアヌス、アンティオキアのテオドトゥス、メリテアのレトイウス、イコニウムのアンフィロキウス。

いずれも主教です。

当時の主教は、逸脱した信仰と実行に走る信者に関心を向け、近隣の主教に注意を喚起するため主教文書を回覧しました。

危機感を持った主教が390年にパンフィリアのシデで教会会議を開催し、逸脱した信者たちを「メッサリア派」として排斥しました。

しかし、メッサリア派の勢いは留まることなく、その後も数百年にわたって教会会議で何度も排斥されました。

神の本質を人間が肉体的器官で認識し得るという謬説に対して付けられた「メッサリア派」というレッテルは、14世紀にカラブリアのバルラアムによって、アトス山の修道士たちに貼り付けられました。

アトスの修道士たちは、神を肉体的器官で認識し得るという「ヘシュキスム」を実践していたからです。

メッサリア派のレッテルを貼られた「ヘシュキスム」を防衛するため、グレゴリオ・パラマスが論陣を展開し、ウーシアとエネルギアを峻別したテオーシスを弁証しました。

パラマスはメッサリア派として断罪され、免職、拘束されたこともありましたが、パラマスの弁証は徐々に受け入れられ、正教神学の本流として擁立されるに至りました。

すなわち「信者は、神のウーシアを認識し得ないが、神のエネルゲイアを認識し得る」という教理の確立。

この間、4世紀から14世紀まで千年にわたる主教たち、執事たち、長老(司祭)たちの労苦は、すべて「羊の群れを守る」ためでありました。

羊の群れを守るために、主教は主教杖を携えております。

リーの「神の本質が信者と混合する。その結果が団体のキリストである。団体のキリストはローカルチャーチだけだ。諸教会はすべて背教のバビロンである」という主張は、主教たちの千年の労苦を無にするものです。

215ニュッサ:2012/01/21(土) 21:17:19
そうすると、山谷さん、あなたは偽マカリオスはメッサリア派の文書として
断じるわけですね。

ウェスレーにも影響を与えたこの東方霊性の精華とも言われるこの文書を。

その内容について、誰も異端と言ったことがなく、その著者問題にも確定した
答えなど出ていないこの文書を。

もう、そうであれば、言うことはないです。

あなたがたは、自分のシナリオを突き進まれるだけだ。

私がいくら論理矛盾を示そうが、あなたがたの結論は決まっている、
「私たちが異端だと言ったら、異端なのです」というトートロジーでしょう。

それには、馬鹿馬鹿しくて付き合ってはいられません。

なぜなら、理性を用いて論理では到底、納得することのできないものだからです。

どうぞ、ご自由にしてください。

216ニュッサ:2012/01/21(土) 21:23:01
ただ、もうあなたにはいくら言ってもむだでしょうが、

また、すり替えとストローマンの詭弁をしておられますよ。

「神の本質を人間が肉体的器官で認識し得るという謬説に対して付けられた『メッサリア派』」

メッサリア派の断罪理由は、明らかに違います。

それは、何度も言うように、「祈りを唯一の恵みを得る手段とし、秘蹟を無視したため」です。

あなたはどうして、言っていないことを言ったことにし、勝手に自分の主張に合わせようとする
のですか?

217ニュッサ:2012/01/21(土) 21:32:27
しかも、アトス山の修道者たちが、「メッサリア派」のレッテルを貼られたなんて
珍説中の珍説ですよ。

アトス山の修道者たちは、秘蹟を軽視されていなかったのだから、別に「メッサリア派」
のレッテルを貼られたわけではない。

そうではなく、それは、根本的には、トマス主義の神学と、東方の霊性との激突だった
わけです。

あなたの詭弁と、我田引水的な根拠なき推論には、ほとほと呆れ果てます。

もう、付き合っていられませんので、

どうぞ、ご自由に妄説、珍説をここでご開陳ください。

218ニュッサ:2012/01/21(土) 21:42:41
失礼。

「秘蹟を軽視されて」→「秘蹟を軽視して」

219ニュッサ:2012/01/21(土) 22:10:24
本当に、最後に、

ここでの議論と、私が地方教会のある兄弟とした議論を比べて見てください。
いったい、どちらが知的に誠実な議論なのか、百聞は一見にしかずです。

地方教会の兄弟とした議論→ttp://mimizun.com/log/2ch/psy/1107014205/

220山谷真少佐:2012/01/22(日) 00:17:59
カラブリアのバルラアムがアトス山のヘシュキストたちを「メッサリア派」と論難したので、アトス山を防戦するため立てられたのがグレゴリオ・パラマスです。

議論の争点は、ヘシュキストが「神のウーシアと信者の混合」を説くメッサリア派に相当するか否か、でした。

バルラアムとパラマスの三次に及ぶ論戦は「メッサリア論争」と呼ばれています。

221暇人:2012/01/23(月) 07:40:09
ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/gyoseki.article22.html
土橋氏の論考について、なぜニュッサ氏は冷静に読めないのであろうか。
自分の都合の良い土橋氏の一言に依拠し、その後は妄想と詭弁で
事実を見ない。前置きはともかく、
土橋氏の論考「ニュッサのグレゴリオスと擬マカリオス」からコピーする

「ところで、アンティオキアおよびシデの教会会議でのメッサリア派非難は、
何であれ書き物に対してなされたものではなかった。それに対し、異端と断
罪されたエフェソス公会議(四三一年)においては、メッサリア派の修道者
たちが携えていた書物自体に非難が向けられていた(だからこそ、そうした
メッサリア派的な文言の数々が記録されることになったのである)。もし、
三八〇年から三九〇年当時はまだ全体として無学であったメッサリア派の中
に、何らかの形で霊的指導書や修道手引書のようなものが入り込み、それが
四三一年の断罪に繋がったと仮定できるなら、そうした書物こそ擬マカリオ
スの説教集であり『大書簡』だったのではあるまいか。そうした仮定に立ち、
しかもイェーガー説に従う限り、『大書簡』の執筆年代は、ほぼ五世紀前半
ということになるだろう。しかし、そうなるとメッサリア派と擬マカリオス
との関係というものも極めて曖昧なものとなる。確かに、イェーガーのよう
にメッサリア派の実体をグレゴリオス修道思想の亜流へと解消することも、
擬マカリオスをメッサリア派とは一切無関係とみなすことも、多くの資料が
整った現在においては極めて困難ではある。しかし、だからと言って擬マカ
リオスを「改革的メッサリア派」(H・デリース)とか「萌芽的メッサリア
主義」(D・グリボモン)などと呼んで異端色の希薄化を図っても、実質的
な解決には決して到らないだろう。
 このようにメッサリア派問題では必ずしも説得的ではなかったものの、
イェーガー説は、『綱要』『大書簡』両書のまったく新しい校訂版の威力を
存分に発揮することによってこの両書に関する研究史を一挙に書き換え、い
わゆる「マカリオス問題」もほぼ解決されたかのような印象を強く与えるも
のであった32)。しかし、一九六〇年代の後半以降になると、イェーガー説を
真っ向から否定する研究が次々に登場し始め、現在においてもそうした動向
に対する有力な論駁は一つもなされていない。それは一体どのようなことを
意味しているのだろうか。もっとも精力的な活動で擬マカリオス研究をリー
ドするR・シュターツに即して考察してみたい。」

222暇人:2012/01/23(月) 07:44:09
(六)シュターツ説
 イェーガーの『大書簡』暫定的校訂版が刊行されてからちょうど十年後の
一九六四年、H・デリースからの委託を受け『大書簡』の批判校訂という労
多き仕事を引き継いだR・シュターツは、同年、ゲッティンゲン大学神学部
に提出した学位論文に基づいた『ニュッサのグレゴリオスとメッサリア派』
と題する著書をさらにその四年後に上梓した33)。「本質から逸れた押し付け
がましい仮説の一切を振り捨て、グレゴリオスの『綱要』と擬マカリオスの
『大書簡』の間で常々議論の絶えることのなかった、どちらが他に先行しそ
の原本となるかという問題を、能う限り厳密に文献学的原理に則って解くこ
と」34)を主眼とした同書において、ほぼ時を同じくしてイェーガー説への疑
念を表明したJ・グリボモン35)やM・カネヴェ36)らの主張を纏める形でシ
ュターツは以下のような明瞭な解釈を展開した。
まず、擬マカリオスの『大書簡』の方がより先にオリジナルとしてあった。
したがって、通常グレゴリオスに帰される『綱要』の方は、『大書簡』にお
いて擬マカリオス(ないしメソポタミアのシメオン)の説く修道生活に関わ
る様々な教説を、その表現方式に到るまで文字通り手本としつつ、哲学的語
彙を用いたより洗練された形に書きかえようとした試みに他ならない。その
ような『綱要』の企ての目的は、『大書簡』に含まれるメッサリア派的な表
現を和らげ、当時のギリシア語を解する知識人層により受容可能なように、
彼らに馴染みのある哲学的概念を『大書簡』の表現に溶け込ませるためであ
った。おおよそ以上のような解釈がシュターツら反イェーガー陣営の主張す
なわち『大書簡』オリジナル説である。この立場はその後、擬マカリオスの
テクスト集成としては現在もっともテクスト上の問題が少なく信頼できると
見られる第三集成の最新校訂版37)編者V・デプレの参入を得てますます勢
いを増し、さらにはシュターツ自身のほぼライフワークとさえ言い得る
『大書簡』の批判校訂版38)(彼自身による『綱要』の最新校訂版も見開きで
並置)が一九八四年についに完成するに到って、解釈上の大勢をほぼ決した観がある。」

223暇人:2012/01/23(月) 08:07:11
土橋氏に依ると擬マカリオスについて学者から

1.イェーガー説
2.メッサリアと無関係説
3.「改革的メッサリア派」(H・デリース)
4.「萌芽的メッサリア主義」(D・グリボモン)
など、擬マカリオスを異端メッサリア派と無関係としたり、
異端性の希薄化を図る説は資料が充実した現在では説得力が無い。
現在の最有力説であり土橋氏が支持されているのは
5.シュターツ説…擬マカリオスの『大書簡』がオリジナルであり、
        ニュッサのグレゴリオスに帰される『綱要』はマカリオスを下敷きにして
        『大書簡』に含まれるメッサリア派的な表現を和らげ、
        当時のギリシア語を解する知識人層により受容可能なように、
         彼らに馴染みのある哲学的概念を『大書簡』の表現に溶け込ませた。

つまり土橋氏は、マカリオス文書自体に異端メッサリア派的表現があるとの認識に立たれている
あるいは、シュターツの指摘を知悉されているのです。
にもかからわず土橋氏は説明なく擬マカリオスに異端的要素は無いとされていて
ニュッサ氏はその一言に依拠されているのだが、土橋氏の論考を読むと
甚だ疑問が残る。
むしろ土橋氏の論考に依っても擬マカリオス文書に異端メッサリア要素は明確なのだ。

224暇人:2012/01/23(月) 08:26:58
以上は余談。

本論はあくまでニュッサ氏の提起通り
マカリオスにminglingがあった。
マカリオスは、正教で大切にしている文書なのであるから
マカリオスのminglingとリーのminglingの比較検討が必要となってくると思う。

ニュッサ氏の立場を代弁すれば
「古代と現代なのであるから表現や内容は違うが
同じ言葉が使われている。だからリーは正統なのだ」

私は同じ語だとしても内容が同質か異質なのかが大切であるので
ニュッサ氏の立場を支持できない。中味の検討が必要だ、です。

山谷氏はこの件についてどういう見解を持たれていますか?

225山谷真少佐:2012/01/23(月) 17:43:04
偽マカリオス文書がメッサリア派との関わりの中で成立した文書であること。

これが学問的見解の前提のようですね。その上で「関わり」の程度がどうか、諸説が現在進行形で議論されている、と。

乃公は偽マカリオス文書を、こう扱います。

1 偽マカリオス文書は砂漠の隠修士の「祈りの生活」の指導書として書かれた。ゆえにわれわれは同書を祈りの導きのために読むべきで、組織神学書、教理書、信仰箇条、教会論として読むべきではない。

2 砂漠の隠修士の「孤住型」の祈りの生活は不具合が多かったので、東西の教会で「共住型」の修道院が発展した。ゆえにわれわれは同書を教会の交わりの中で読むべきで、自分単独で読むべきではない。

3 砂漠の隠修士とその追従者に見られた熱狂的・体験主義的なメッサリア派は、数百年にわたって主教たちと教会会議の憂慮するところとなった。ゆえにわれわれは同書を主教たちの監督のもとで読むべきで、監督の権威が軽んじられ無視されている環境で読むべきではない。

4 偽マカリオスを祈りの導き手とするアトスの修道士たちの「神人合一」の経験は、その表現方法をめぐって第14世紀の東西の主教たちの憂慮するところとなった。これについてバルラアムとパラマスが「メッサリア論争」を行い、その結果「神のウーシアとエネルギアを峻別したテオーシス」の教義が、教会の交わりの中で確立された。ゆえにわれわれが同書を、祈りの導きのために、教会の交わりの中で、主教たちの監督のもとで読むとは、「神のウーシアとエネルギアを峻別したテオーシス」の線を越えずに読むということである。

5 リーは、地方にあって合一の立場の教会だけが宇宙教会たる「団体のキリスト」だと主張し、諸教会を背教のバビロンと断じて、教会の交わりを否定し、主教たちの監督を軽んじる。そのようなリーが説く「神の本質と信者の混合」の教説のために偽マカリオスを引用して正当化することは、危険な試みであって、乃公には到底受け容れられない。

6 なお、主教たちは教会史の中で、信仰と実行のあり方、特に義認論と教会論と聖餐論を巡って見解を異にし、その結果として歴史的諸信条と諸教会が形成された。乃公は、歴史的諸信条と諸教会に敬意を払うと共に、自分の属するメソジスト・ホーリネス・後期ホーリネスの信仰と生活に最大の敬意を払う。この立場の上で乃公は偽マカリオス文書を読む。

226名無しの神学さん:2012/01/24(火) 09:26:19
[乃公;だいこう]

漢文や日本語の場合には、
自分のことを指す一人称(書き言葉)です。

「乃(=汝、お前)」の「公(=主君)」ということで、
「俺様」とか「我が輩」といったニュアンスがあります。
偉そうな威張った言い方です。
普通、目上が目下に向かって使う言葉です。

「乃公出(いで)ずんば」で、「俺様が出ないで、他の者に何ができる
ものか→俺様が出てやることにしよう」の意味です。自信を表すときの
言い方です。

227山谷真少佐:2012/01/24(火) 10:16:02
ブログでは「小生」
2ちゃんでは「乃公」
と使いわけをしています。

2ちゃんの一人称代名詞は広く慣例的に「俺」となっていますけれど、それをそのまま使うのはシャクなので、「俺」の当て字である「乃公」を使っています。

書きながら、心の中では「ノコ」と発音しています。

228朝子:2012/01/24(火) 14:36:21
女子高生とあぶー、ばぶーと赤ちゃんプレイに耽溺する神学者ってかなりシュールと思われ。

229名無しの神学さん:2012/02/11(土) 21:04:31
ニュッサさんはもう来ないよ。
”掃き溜めに鶴”はそうは舞い降りて来ない。

230名無しの神学さん:2012/02/12(日) 11:18:13
ぷっ、鶴にも変態がいるのかい?

231名無しの神学さん:2012/02/13(月) 07:18:14
>>230 おめえは掃き溜めの変態だよWwwww

232名無しの神学さん:2012/03/17(土) 19:19:28
一応、正教の最も権威的な神学者であるメイエンドルフによる見解。
やはり、マカリオスとメッサリア派をつなげるのは無理がある。それはマカリオス
を貶めたい、そもそも神化などないと考える一部の学者によるものだと言ってよい。

「人間の心の中における神とサタンの共在という観念と、恵みの自覚的体験への
呼びかけとは、現代の歴史家の何人かに、マカリオスの『講話集]とメッサリア主義
の指導者の文書とを同一視させることになった。

もしこの非難が正しいとしたら、それはマカリオスだけでなく、マカリオスが
疑問の余地のない権威を享受し、彼の思想、とりわけ自覚的な神体験という
観念が支配的でありつづけたビザンティンのその後の修道的霊性の多くを、
その非難に巻き込むことになろう。

しかし、メッサリア主義が意味することが実際には何であるかについての厳密
な定義と、メッサリア主義の基本的な立場のいくつかー例えば、反サクラメント
主義がマカリオスに存在しないことは、この仮説を非常に疑わしいものにする。」
(ビザンティン神学 p.112)

233ニュッサ:2012/03/17(土) 19:20:05
失礼、232はニュッサです。

234誰かを異端にしようとしてやまない人たち:2012/03/23(金) 08:08:01
ttp://megalodon.jp/2012-0314-1822-47/blog.livedoor.jp/gregoryofnyssa/lite/archives/51692438.html しばらく、論争に明け暮れていた。
今、考えると、実に愚かなことをしたものだと思う。
私が論争した人たちは、ある教派を異端と考えている。
私は、自分が直接、その教派に関係したことはないが、知り合いがその教派におり、
また、その教派を異端と考える理由は薄弱であり、
一番大切なことは、誰かを異端と言うことが許せないために、彼らと論争したのである。

初めは、彼らも話せばわかる人たちだろうと思っていた。
しかし、私は、それは自分の見込み違いであることを知らされた。
彼らは、詭弁を多用し、その教派の人たちを、何が何でも異端にしようという熱意に燃えていたのだ。
私は、彼らの詭弁の論理矛盾を指摘したが、彼らは、何度そうしようと引き下がらない。
もう、彼らのなかでは、その人たちが異端であることは決まっており、ただ、その結論に向けて、
自分たちに有利だと思える情報をかきあつめているだけだとわかった。

だが、しかし、人を異端にすることは、人に、「アナテマ(呪われよ)」ということであり、
その人を、もう人間ではなく、裁いて滅ぼしても構わないモノにすることである。
何とおぞましいことなのか、私はそこに感じられる巨大なマイナスエネルギーにぞっと背筋が凍り、吐き気さえももよおした。
もし、それが神という愛から出ているならば、痛みがあり、悲しみがあり、また異端という判断に対する慎重さがあるはずだが、
そのようなものは一片も感じられない。
むしろ、ある種の情熱があり、喜びさえあり、少しでも異端という判断を助けるものなら、ハイエナのように飛びつくのである。
人を異端と宣告することは、中世においては、即、死を意味した。
実際、アルビジョワ十字軍によって、カタリ派は、女も子供もすべて、殲滅されたのである。
今も、それは、相手に対する究極的な生殺与奪の暴力であることは変わらない。

相手を「神になる」という教えを持って異端と断じているが、
自分たちは、この相手を異端に断じるという究極の暴力をもって、彼ら自身が神になっているのである。
いったい、彼らがイエスを信じたとき、彼らは誰かを異端として究極の暴力を振るうために信じたのか?
まさに、宗教はおぞましい。宗教こそは、人間を悪魔に変えてしまう洗脳装置であると言わざるを得ない。

235万人救済主義の異端:2012/03/26(月) 08:53:52
大体”異端”とか”正統”とか言うのが、時代錯誤じゃねえの?
随分前に本掲示板で、
「クリスチャンはなぜ”異端”という言葉を使って他人を差別するんでしょう?」
という疑問を呈した人がいて、ノンクリのTさんが、
「いやいや、”異端”は”正統の部分否定”という意味の分類語であって、
決して差別語ではない。差別語だからと言って使用を禁じたならば、
キリスト教の教理史が語れなくなってしまう。」
と言われて納得したもんだったが・・・・

236万人救済主義の異端:2012/03/26(月) 09:07:08
しっかし現実の教会では、”異端”はしっかり差別語として使われていて、
「ウチは正統、よそは異端!」「いやウチこそ正統!ああいうとこは異端!」
などと不毛な議論をしておるわな。

「全地公会議で、三位一体説のアタナシウス派が”正統とされ”
キリストを”限りなく神に近いが人であるホモ・イ・ウーシオス”」
と唱えたアリウス派が”異端とされた”」

・・・これは歴史的事実であるが、神ならぬ人間の開いた公会議で決まったことが、
それも何千年も前に決まったことを現代に持ち込む感覚がわからん!
だからクリスチャンはわが国では、”変わり者”なんだな。

自分とこの教理を”正統”、色々理屈をつけて他者を”異端”と言い張る人々には、
職業宗教者のイヤらしさを感じる。

万人救済主義・・・大いに結構じゃんか?なぜ万人救済が”異端”?
キリスト教はケツの穴が小さいね?
「クリスチャン以外は地獄に落ちる!」
って教えたいわけ???

歴史的事実として”異端審問”受けた人が、悪とは限らないよ。
ジョン・ウィクリフ、ヤン・フス、マルチン・ルター、ツヴィングリ、
カルヴァンetc.・・・

万人救済主義を異端という人は、どういう人が救われて、どういう人が裁かれるか?
どんな基準持ってるの?どうせ手前勝手な我田引水のリクツでしょ?

カルト教会を批判して自分が正義感ぶって、他を異端呼ばわりする人がいるけど、
そういう人自信がカルト思考に陥ってるんだよ。
偉大な宗教改革者マルチン・ルターが、ユダヤ人を虐殺したり、魔女裁判で
無実の人々を大勢殺したようにね・・・・

237万人救済主義の異端:2012/03/26(月) 09:11:39
だから”キリスト教の正統”が、なんぼのもんじゃい!ってことだわな。
”自分が正統、他が異端”などと言ってる人は、
それこそクリスチャンにあるべき”謙遜さ”を忘れてるんだよ。

238名無しの神学さん:2012/04/11(水) 18:40:05
「異端カルトと非難するやつこそ異端カルトだ!」と言うやつはだいたい異端カルトだよ。

239名無しの神学さん:2012/04/12(木) 06:39:43
>>238 異端とカルトは違うぞ
その違いがわかってから能書きたれろ

240名無しの神学さん:2017/05/27(土) 12:48:43
性なるかな 性なるかな 性なるかな アホ卜し
昔、8○3今、卜し
永遠に騙す主を騙り

     ■■■■■
   ■       ■ヽ、ヽ
   |ii \,, ,,/ ii  ♪ コソコソ 一人で 掲示板覗いてぇー
   | _\  ./_ |    〜♪怒りを 募らせるぅー♪そして〜 (オモテでは)おぉーっ、感謝しまーす あ〜晴れるやー 
   ___   ||  ___〉   ___〉           
   | |   ● ●   | 〜♪ そんな 卜しにぃー 
    \   Д.  /  |    ♪ そんな 卜しにぃー なってしまいました〜 
   _/       \    ♪(でも内心は)おぉーっ、悔しいー、あ〜、悔しいー、今に見ていろ〜糞どもが〜
  / ̄  (:::::)   ̄\
/  ■炭,-| |、.■炭   ヽ  ♪サタンが従順なオレさま卜しを攻撃してるだけさー
 | ィ ■  / ,ミ).■゜  r |  
|  \/ /    ´´| |     ♪♪瓜学歴を賛美せよ  逆らう者は8○3を使って口封じ〜
 \    _/      .| |       ♪♪(リピート)
   | ̄ ̄        ノ |
   /\_____/|v、、)
   |.    ■■    | ' ̄
   |   ヽミ■■ミノ |   ←生霊の盾(○ール入り)?? ? ? ? ? ? 禁ちゃん
   ト,.  ■■■■■ |   
   |    ノ  .i


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