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minglingましょう
221
:
暇人
:2012/01/23(月) 07:40:09
ttp://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tsuchi/gyoseki.article22.html
土橋氏の論考について、なぜニュッサ氏は冷静に読めないのであろうか。
自分の都合の良い土橋氏の一言に依拠し、その後は妄想と詭弁で
事実を見ない。前置きはともかく、
土橋氏の論考「ニュッサのグレゴリオスと擬マカリオス」からコピーする
「ところで、アンティオキアおよびシデの教会会議でのメッサリア派非難は、
何であれ書き物に対してなされたものではなかった。それに対し、異端と断
罪されたエフェソス公会議(四三一年)においては、メッサリア派の修道者
たちが携えていた書物自体に非難が向けられていた(だからこそ、そうした
メッサリア派的な文言の数々が記録されることになったのである)。もし、
三八〇年から三九〇年当時はまだ全体として無学であったメッサリア派の中
に、何らかの形で霊的指導書や修道手引書のようなものが入り込み、それが
四三一年の断罪に繋がったと仮定できるなら、そうした書物こそ擬マカリオ
スの説教集であり『大書簡』だったのではあるまいか。そうした仮定に立ち、
しかもイェーガー説に従う限り、『大書簡』の執筆年代は、ほぼ五世紀前半
ということになるだろう。しかし、そうなるとメッサリア派と擬マカリオス
との関係というものも極めて曖昧なものとなる。確かに、イェーガーのよう
にメッサリア派の実体をグレゴリオス修道思想の亜流へと解消することも、
擬マカリオスをメッサリア派とは一切無関係とみなすことも、多くの資料が
整った現在においては極めて困難ではある。しかし、だからと言って擬マカ
リオスを「改革的メッサリア派」(H・デリース)とか「萌芽的メッサリア
主義」(D・グリボモン)などと呼んで異端色の希薄化を図っても、実質的
な解決には決して到らないだろう。
このようにメッサリア派問題では必ずしも説得的ではなかったものの、
イェーガー説は、『綱要』『大書簡』両書のまったく新しい校訂版の威力を
存分に発揮することによってこの両書に関する研究史を一挙に書き換え、い
わゆる「マカリオス問題」もほぼ解決されたかのような印象を強く与えるも
のであった32)。しかし、一九六〇年代の後半以降になると、イェーガー説を
真っ向から否定する研究が次々に登場し始め、現在においてもそうした動向
に対する有力な論駁は一つもなされていない。それは一体どのようなことを
意味しているのだろうか。もっとも精力的な活動で擬マカリオス研究をリー
ドするR・シュターツに即して考察してみたい。」
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