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:
山谷真少佐
:2012/01/21(土) 20:24:58
アレキサンドリアのキュリロス、アンティオキアのフラウィアヌス、アンティオキアのテオドトゥス、メリテアのレトイウス、イコニウムのアンフィロキウス。
いずれも主教です。
当時の主教は、逸脱した信仰と実行に走る信者に関心を向け、近隣の主教に注意を喚起するため主教文書を回覧しました。
危機感を持った主教が390年にパンフィリアのシデで教会会議を開催し、逸脱した信者たちを「メッサリア派」として排斥しました。
しかし、メッサリア派の勢いは留まることなく、その後も数百年にわたって教会会議で何度も排斥されました。
神の本質を人間が肉体的器官で認識し得るという謬説に対して付けられた「メッサリア派」というレッテルは、14世紀にカラブリアのバルラアムによって、アトス山の修道士たちに貼り付けられました。
アトスの修道士たちは、神を肉体的器官で認識し得るという「ヘシュキスム」を実践していたからです。
メッサリア派のレッテルを貼られた「ヘシュキスム」を防衛するため、グレゴリオ・パラマスが論陣を展開し、ウーシアとエネルギアを峻別したテオーシスを弁証しました。
パラマスはメッサリア派として断罪され、免職、拘束されたこともありましたが、パラマスの弁証は徐々に受け入れられ、正教神学の本流として擁立されるに至りました。
すなわち「信者は、神のウーシアを認識し得ないが、神のエネルゲイアを認識し得る」という教理の確立。
この間、4世紀から14世紀まで千年にわたる主教たち、執事たち、長老(司祭)たちの労苦は、すべて「羊の群れを守る」ためでありました。
羊の群れを守るために、主教は主教杖を携えております。
リーの「神の本質が信者と混合する。その結果が団体のキリストである。団体のキリストはローカルチャーチだけだ。諸教会はすべて背教のバビロンである」という主張は、主教たちの千年の労苦を無にするものです。
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