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つぶやきすれっど2

1管理者:2002/12/15(日) 15:25

つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。

何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!

1279愚鈍凡夫:2005/01/28(金) 13:31:44

>>1270:卞氏さん

> 池田大作という一人の人物を護ることが、一般の人の人権を護ることに通じるのです。

違うでしょう。逆に一般の人の人権を守ることが、池田さんを守ることにでもなるというんですか?
創価学会は人権闘争なんかしていないでしょう。自分たちの主張を通すために他人の人権を踏みにじっているだけです。
池田さんにほんの少しの勇気があれば、証人喚問なんか屁のカッパじゃなかったでしょうか。
証人喚問に出て、池田さん得意の「獅子吼」を全国に轟かせればよかったと思いますよ。

1280大勇者:2005/01/28(金) 13:51:40
つぶやきです。

>ほんのすこしの、心のありようの違いです

まさに信仰にとっての根源的な重要部分である考える。

信仰と人生が直結であるならば、価値が大なのか小なのか?
それが一番の問題だ・・・

1281犀角独歩:2005/01/28(金) 14:21:21

しかし「話し合いの力で」という提言を、手に取って、読まない人間は発言するな、恥をかくだけ…、こんなことを平気で書いて、どこが平和提言、どこが話し合いの力だというのでしょうか。

「雖讃法華経 還死法華心」という釈がありますが、まあ、言い換えれば「雖讃平和提言 還死平和提言心」と言ったところでしょう。

1282一談家:2005/01/28(金) 15:04:36

>1218

それは違うのではないでしょうか?

創価学会は師弟共戦ですから、当掲示板に御参加の創価学会員さん、なかんずく、自ら池田さんとの師弟共戦を声高らかに述べておられる卞氏さんの様な、熱心な学会員さんの有り様に、この池田さんの平和提言の心を読み取るべきであると存じます。「書は意を尽くさず」という事がありますから。

1283一談家:2005/01/28(金) 15:05:41

訂正です。

× >1218

○ >1281

1284祝8郎:2005/01/28(金) 15:56:54
池田さんであろうが庭野さんであろうが久保さんであろうが阿部さんであろうが、特定教団指導者の発言を考えることは良いことだと思います。
ただ、当該教団の所属しているひとが「うちのトップの発言は素晴らしいんだもんね」的に紹介するというのは、特定教団の宣伝とスレスレですから、注意が必要ですね。
池田さんや創価学会の公式発言、つまり聖教や大白などの機関誌紙・書籍で活字になっているものでもどんどん改変されてます。
これは、日蓮正宗や顕正会でも同様ですね。
その、改変について当該教団のひとは、「改訂」「進歩」「進展」などとというのですが、ほとんどの場合、なぜ「改訂」がなされたかの理由については明らかにされません。
御都合主義による「変更」は「改訂」とは言わず、「改変」「改竄」「変質」と言うべきです。
それがトップのものでなくても、当該教団の機関紙誌や書籍出版物に掲載されたものであれば、それは当該教団が認知許容によるものですから、その時点における当該教団の立場と差異が無いものということになります。
池田さんのいわゆる「提言」類は、けっして悪いものではないと思いますが、具体的な行動はこれまでほとんど見られませんね。
むかし「言うだけ番長」といわれたプロレスラーがいましたが、同轍でないことを願います。
ところで池田さんは、各国から叙勲・表彰・顕彰などされているそうですが、他の宗教者や宗教教団から評価されたことはあったのでしょうか。
宗教界から相手にされていないという事実を、創価学会のひとたちはよく考えるべきでしょう。
たんに、他宗教の「嫉妬」「偏見」「無理解」などといったレッテル貼りですますのではなく、事実はどうなのか。
ほんとうに、他宗教の「嫉妬」「偏見」「無理解」などなのか、もしそうであるならば、なぜそうなるのか。
原因をまず自分たちのなかに探って考えてみることから始めてはいがなものかと思うものです。

1285卞氏:2005/01/28(金) 16:41:08
>読まない人間は発言するな、恥をかくだけ…、

まだ言ってる。

そうじゃないでしょ。私の言っていることは。

1286犀角独歩:2005/01/28(金) 16:46:51

一談家さん:

ちょっと、仰っている意味がわからないのですが、もう少し、かみ砕いて書いていただけませんでしょうか。

わたしは「話し合いの力で平和を」という提言である、まあ、ガイダンスから仄聞したわけですが、その平和提言を進める熱心さは、読まないくせに、恥をかくだけ、といった類の、およそ、話し合いの力で平和の力とはかけ離れた対応であるというのが正直な印象です。全然、話し合いの余地などないつまり、「話し合いの力で平和を」という提言を讃めているのに、かえって、その精神は少しもくみ取れない、むしろ、殺してしまっているではないかというのが1281のわたしの投稿の趣旨です。

なにが、一檀家さんは、違うと仰っているわけですか。

1287犀角独歩:2005/01/28(金) 16:48:36

1285 卞氏さん、では、あなたはいったい、なにを言っているのですか。

1288一談家:2005/01/28(金) 17:05:54

犀角独歩さん

この提言をご紹介くださった卞氏は、提言の主、池田さんと師弟共戦の方ですから、卞氏さんは、師匠である池田さんの心を戴して当掲示板でも論戦を張っておられると私は思っています。
ですから、「話し合いの力で平和を」という池田さんの提言の心を、お弟子さん達のお姿に即して拝すれば、それが単なる美辞麗句に過ぎず、もともと、「平和提言の心」なるものは無く、無いものは殺す事すら出来ない。そう思うという意味です。

1289一談家:2005/01/28(金) 17:15:09

訂正です。敬称を抜かしてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。

× この提言をご紹介くださった卞氏は、

○ この提言をご紹介くださった卞氏さんは、

1290犀角独歩:2005/01/28(金) 17:32:18

一談家さん、了解しました。
なかなかシニカルなご意見であると。

ただ、卞氏さんが尖らなければ、こちら側としては話し合う余地はあると思っています。
師弟共戦(話し合い? 平和? で戦?)というのであれば、その話し合いという在り方を積極的にここに開陳してくれれば、それでよいわけです。
まあ、それができないのであれば、まさに一檀家さんの仰るとおり、わたしがまた、絵に画いたもち餅といったところになります。

客観的には、学会員をここにエキジビションしている効果になっているわけで、自ら創価学会員というスタンスをコミットメントしている人は、わたしから見れば、社会に対して、というより、創価学会に対して、池田さんに対して、責任を負っているわけですから、いまのようなエクスポーズで、ほんとにいいんですか? と聞きたいというのも正直な本音です。まあ、わたしが心配するようなことでもないでしょうが。

1291通りすがり:2005/01/28(金) 20:27:56
龍の口と佐渡流罪のハメにさせたのは蓮祖ではなく良観では?

1292一談家:2005/01/28(金) 20:35:40

>龍の口と佐渡流罪のハメにさせたのは蓮祖ではなく良観では?

そういうことですね。そして、それを蓮祖は待ち望んでいた。流罪、死罪に及ぶ事によってしか、法華色読は有り得ないと考えておられたから。云わば、蓮祖の布教活動は、その中に流罪、死罪を予定していたわけです。

1293通りすがり:2005/01/28(金) 20:48:21
そんな予定調和的な読みは後世の発想ですね。あらかじめそんなことを蓮祖が読んでいた文書があるのでしたら教えてください。いずれ自分は流罪死罪に及ぶだろうという文書は聞いた事がありません。

1294無責・任:2005/01/28(金) 21:12:07
池田さんの証人喚問て確か二度話しありましたね?もし二度とも実現してたら、法華経を広めている人で世間の二度晒しものになったわけだから、日蓮に次ぐ受難?他に二度も罷免されたりしてるし。下半身スキャンダルも釈迦と同じく二度。あまつさえ破門されたり。
その都度以前よりパワフルに復活してますなー。何度致命傷受けてんでしょ。

1295通りすがり:2005/01/28(金) 21:38:31
なるほど一談家さんの発想なら証人喚問まで実現していたらそれこそ池田顕本になってしまいそうですね。

1296一談家:2005/01/28(金) 23:43:04

通りすがりさん

>あらかじめそんなことを蓮祖が読んでいた文書があるのでしたら教えてください。いずれ自分は流罪死罪に及ぶだろうという文書は聞いた事がありません。

それはそれは。有りますよ、開目抄に。引用してみますね。

「此に日蓮案じて云はく、世すでに末代に入って二百余年、辺土に生をうく。其の上下賤、其の上、貧道(びんどう)の身なり。輪回六趣(りんねろくしゅ)の間には人天の大王と生まれて、万民をなびかす事、大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず。大小乗経の外凡(げぼん)内凡の大菩薩と修しあがり、一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立て、すでに不退に入りぬべかりし時も、強盛の悪縁におとされて仏にもならず。しらず大通結縁(けちえん)の第三類の在世をもれたるか、久遠(くおん)五百の退転して今に来たるか。法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に、権大乗・実大乗経を極めたるやうなる道綽(どうしゃく)・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあなが(強)ちに下し、理深解微(りじんげみ)と立て、未有一人得者(みういちにんとくしゃ)千中無一等とすかしゝものに、無量生が間、恒河沙(ごうがしゃ)の度(たび)すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句(けっく)は悪道に堕ちけりと深く此をしれり。日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟(しゆい)するに、法華経・涅槃(ねはん)経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競(きそ)ひ起こるべしとし(知)りぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は、退転すべくば一度に思ひ止むべしと且(しばら)くやす(休)らいし程に、宝塔品の六難九易(い)これなり。我等程の小力の者、須弥山(しゅみせん)はな(投)ぐとも、我等程の無通の者、乾草(かれくさ)を負ふて劫火(ごうか)にはやけずとも、我等程の無智の者、恒沙(ごうじゃ)の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるゝはこれなるべし。今度、強盛の菩提心(ぼだいしん)ををこして退転せじと願じぬ。」

1297卞氏:2005/01/29(土) 10:27:09
今の時代日本に住んでいて、聖教新聞が入手困難な人って一体どんな人しょう?

1298愚鈍凡夫:2005/01/29(土) 10:35:27

昔、とある学会員と話した時、彼は
「池田先生は偉大な指導者として世界的に認められている。その証拠が沢山の勲章だ」
と、ぬかしました。

小生が、
「池田はんは、偉大な指導者として認められてるんとちゃう。認められてるんは池田はんの金や。池田はんの出す金が世界的に認められてるんや。綺麗な金も、汚い金も、世間に出回ったら金自体の価値に差はないからな」
とほざいたら、彼は黙って帰ってしまいました。

おそらく帰り道、彼の心中では藁人形に五寸釘が打たれていたのではないでしょうか。
(((( ;゚д゚)))アワワワワ

物・物・物…( ̄。 ̄;)ブツブツブツ

1299犀角独歩:2005/01/29(土) 10:37:07

一般人は、早朝から仕事に出かけ、夜遅く返ります。
その往復で『聖教新聞』なんか、手に入るわけはありません。
キヨスク、駅の書店、公共図書館で入らないような出版物は「入手困難」というのは、当然のご意見です。
だいたい、知り合いに学会員がいても、そんな人に「『聖教新聞』を…」などと声をかけて、妙な期待や、誤解をされるリスキーなことを敢えて避けるのも、一般人。

1300一談家:2005/01/29(土) 10:40:56

>1297 今の時代日本に住んでいて、聖教新聞が入手困難な人って一体どんな人しょう?

答えは簡単です。聖教新聞は創価学会の機関紙で、コンビ二や駅の売店では売っていませんから、「聖教新聞の定期購読者以外の全ての人」が、入手困難な人だと思います。

1301通りすがり:2005/01/29(土) 11:42:18
開目抄は流罪中の文書ですね。つまり後から言っている訳ですね。
龍の口(直前を除く)以前の文書に流罪死罪を予測した文書の存在をお聞きしているのですが…。

1302卞氏:2005/01/29(土) 12:10:46
リスキー。
手に入れようと思えば、容易いことですよ。当人がリスクを避けようとしているだけであって、
入手困難な情況とはいえない。記事が見たいだけの旨を伝えればよいんだ。

コンビニや。
こちらは情況としてはそうかもしれないが、では資料としてコンビニや駅の売店に売っていないものは
全て入手困難と結論できるのだろうか?
販売店に言えば、残部もらえるとおもいますよ。

>一般人は、早朝から仕事に出かけ、夜遅く返ります。
>その往復で『聖教新聞』なんか、手に入るわけはありません。
休日が無く、コンビニや売店ぐらいしかよるところが無く、毎日仕事と寝るだけの人が、
この掲示板をたまたま見て、資料として聖教を手に入れたいと思うかどうか。
そういう人なら、困難と思えるかもしれないですね。
そういうひとは相談してくださいね。色々考えてさしあげましょう。


そうそう、談家さん。先生にはそこで直接行っとくべきだったね。
「何故言い訳なんかばかりするのですか!?みっともないじゃないですか!」ってね。
歴史に若しは無いけれど、そうすれば、今ごろは貴方が学会の中心で時代をリードしていたかもしれない。

1303卞氏:2005/01/29(土) 12:29:31
あちらでは、議論形式が身についている人ばかりなせいか、普通に質問ができそうもないので、こちらでつぶやきがてら、
問いかけをしておきましょう。答えられる人で構いません。談家さんは如何でしょう?
「対話をすることが大事」との観点から中東問題に絞ったお話です。どちらでもよいです。

『宗教団体の長が、イラクやイランの要人と会見する場合、
どのような点に留意したらよいと思いますか?』

『宗教団体の長が、イラクやイランの要人と会見する場合、
どういった方法で会見を実現するとよいと思いますか?』

どこが、下らない質問なのか良く分かりませんが、決して世界に目を向けようという
スレの趣旨を逸脱した質問じゃない。「貴方はどう思うのか?」という単純な質問ですし、
中東情勢などに詳しい人がいらっしゃったら、お願いしたいですね。
また別の観点から、こちらに来られている仏法者の方々のご意見も拝聴したいですね。

1304卞氏:2005/01/29(土) 12:31:18
あ、それから、全文の転載を検討していましたが、当面保留します。

なんだかルール違反の疑義が懸かっているようなので。

1305愚鈍凡夫:2005/01/29(土) 15:05:18

実弾(札束)抱えて訪問すれば、中東の要人も喜んで逢ってくれるでしょう。
それから、神崎さんのように防弾チョッキに身を包みイギリス軍の護衛の下、サマワは戦闘地域ではなかったなんて言うと、学会員には受けるかも・・・・・。 (-。-;)

1306一談家:2005/01/29(土) 15:54:05

>1301 通りすがりさん

勿論ありますよ

『金吾殿御返事』   文永六年一一月二八日  四八歳
 大師講(だいしこう)に鵞目(がもく)五連給(た)び候ひ了(おわ)んぬ。此の大師講三・四年に始めて候が、今年は第一にて候ひつるに候。
 抑(そもそも)此の法門の事、勘文の有無に依りて弘まるべきか、弘まらざるか。去年方々に申して候ひしかども、いなせ(否応)の返事候はず候。今年十一月の比(ころ)、方々へ申して候へば、少々返事あるかたも候。をほかた(大方)人の心もやわらぎて、さもやとをぼしたりげに候。又上のげざん(見参)にも入りて候やらむ。これほどの僻事(ひがごと)申して候へば、流死の二罪の内は一定と存ぜしが、いまゝでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼ(覚)へ候。いたれる道理にて候やらむ。又自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん)の経文も値(あ)ふべきにて候やらむ。山門なんどもいにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給はり候。それならず子細ども候やらん。震旦(しんだん)・高麗(こうらい)すでに禅門・念仏になりて、守護の善神の去るかの間、彼の蒙古に従(したが)ひ候ひぬ。我が朝又此の邪法弘まりて、天台法華宗を忽諸(こつしょ)のゆへに山門安穏ならず、師檀違叛の国と成り候ひぬれば、十が八・九はいかんがとみへ候。
 人身すでにうけぬ。邪師又まぬかれぬ。法華経のゆへに流罪に及びぬ。今死罪に行なはれぬこそ本意ならず候へ。あわれさる事の出来し候へかしとこそはげみ候ひて、方々に強言(ごうげん)をかきて挙げを(置)き候なり。すでに年五十に及びぬ。余命いくばくならず。
 いたずらに曠野(こうや)にすてん身を、同じくは一乗法華のかたになげて、雪山童子・薬王菩薩の跡をお(追)ひ、仙予(せんよ)・有徳(うとく)の名を後代に留めて、法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願ふところなり。南無妙法蓮華経。
十一月二十八日               日蓮花押
御返事

1307吉祥仙人:2005/01/29(土) 16:42:48
 誰に言うでもないツブヤキ 根性無しの壮年部の独り言

 私も過去に何度も陥りかけましたが、

 創価学会員は「学会正義が傷つけられた」と思うと、感情的に議論する傾向があります。
それが多くの方から「独善的」と受け取られるのでしょう。
 「学会正義の旗を高く掲げ」の心意気は信心をつらぬく上で必要です。しかし自己の
正義のみ声高に主張しても「顰蹙」を買うでしょう。
 
 「顔貌(かおばえ)に色を調えて閑(しずか)に言上すべし」と言う御書があった
ように思います。

 「われらは柔らかに法華経をひろむべし」と逃げては、大聖人からお叱りを受ける
ことになりますが。

 この辺がムズカシイですね

1308通りすがり:2005/01/29(土) 17:00:18
干支と年号が無いですね。

1309あわわ:2005/01/29(土) 17:26:37
通りすがり君。今度は偽書扱いか?負け惜しみは見苦しいぞ。

1310単己:2005/01/29(土) 17:28:01
>1303

『宗教団体の長が、イラクやイランの要人と会見する場合、
どのような点に留意したらよいと思いますか?』

『宗教団体の長が、イラクやイランの要人と会見する場合、
どういった方法で会見を実現するとよいと思いますか?』

こういう質問が出るという事は、中東情勢に対して学会ではなんら行動もせず、会見を実現する方法も分からないということですね。つまり、提言だとか対話とか言っても今まで何も実行してこなかったということですね。

1311あわわ:2005/01/29(土) 17:50:16
揚げ足とりっぽいな。

1312一談家:2005/01/29(土) 17:58:02

>1308 干支と年号が無いですね。

そうですね。それが何か?

この書は中山法華経寺に真蹟が現存するそうですから、お疑いなら、筆跡鑑定されたら如何でしょうか?

蓮祖の消息文は、干支・年号が省かれているものが多いですね。

1313あわわ:2005/01/29(土) 18:14:32
そういうことだそうだ。一談家さんの勝ち。もう来るなよ、知ったか坊や。

1314無責・任:2005/01/29(土) 18:45:43
何だか皆さん相手や他人の批判ばかりで仏教者とは程遠い感じがしますね。
それに鎌倉時代と現代の事情を同列に議論している様子を見てると不毛な感じもしますね。少なくとも私は知人や自分の大事な人がいわれもなく晒しものになるのを「堂々と晒されろ」と言える神経は理解できませんね。正直池田さんには逆に見ものかな?と期待しない部分も無い訳ではありませんが、人のそういう光景を望むのって我ながら浅ましいかな?というふうに思います。
仏様って人が晒される事を望む方なのでしょうか?

1315一談家:2005/01/29(土) 18:52:13

無責・任さん

どうも、私が混ぜっ返してしまったようで、申し訳ありません。お呼びが掛かったとき以外は暫く謹慎いたします。見苦しいやりとり、申し訳ありませんでした。

1316れん:2005/01/29(土) 18:54:56
通りすがりさん、金吾殿御返事は蓮師の御真蹟が千葉県法華経寺に現存し、日蓮聖人真蹟集成第二巻に御筆写真が収録されています。但し、現存するのは第五紙までですが、欠文の第六紙と追伸文は、重須本門寺に現存する興師弟子の寂仙房日澄師写本を忠実に書写した南北朝時代の信伝師写本により補うことが出来ます。また、信伝師写本には本書に「法華捨身念願抄」の題号を付しており、当時の富士門においては、本書は‘金吾殿御返事’ではなく‘法華捨身念願抄’と呼ばれていたことが分かりますね。

1317あわわ:2005/01/29(土) 19:17:32
小生は仏様ではないので。地獄に近い愚か者と自覚している。
むしろ正義が嫌いな悪人である。
だから貴方に何と言われようと構わない。
逆に貴方には偽善を感じると申し上げよう。
他の方に関しては知らない。

1318通りすがり:2005/01/29(土) 20:05:08
れんさん。文面的にはどの辺からでしょうか?
あわわさんは泡食っててくださいな。
無責・任さんは悪いけどここには向かないと思います。
一談家さんの博学には脱帽しますが、予測してはいないですね。

1319一談家:2005/01/29(土) 20:22:35

通りすがりさん

>予測してはいないですね。

蓮師の「これほどの僻事(ひがごと)申して候へば、流死の二罪の内は一定と存ぜしが、いまゝでなにと申す事も候はぬは不思議とをぼ(覚)へ候。」との表現からすれば、覚悟し、且つ、そうなる事を願っておられた、と言う事になると思います。通りすがりさんが仰る通り、予測とはニュアンスが違いますね。

1320れん:2005/01/29(土) 20:44:51
1318 通りすがりさん、金吾殿御返事の御真蹟現存部分は本文冒頭の‘大師講’から‘余命いくばくならず’までです。‘いたづらに’から‘御返事’までと、追伸文にあたる‘止観の五’から‘多く本入るべきに申し候’は残念ながら不現存ですが、先程も書きました通り、澄師写本を忠実に書写した信伝師写本(御筆写真が日蓮聖人の世界展制作委員会が編集した「図録 日蓮聖人の世界」107ページに掲載されています)により欠失した部分を補うことが出来ます。以上ご参考まで。

1321真実 探求者:2005/01/29(土) 21:05:01
ドーモします、、、。 先日某記事に「江戸時代の識字率10%位、」かと、在りました。 ぎょっ!! です。 そうならば、日蓮さん時代の鎌倉時代は、、、???  まちがいなく、、10%,、以下でしょう、、? ですから、坐像本尊、?も流れて居るのでしょうか、? でも、小生には、あの達筆な日蓮さんの草書体の真蹟文の99.99%は残念ながら読解不能です、、、、。 この点は日蓮さんは不親切〜余裕不足、、かと、ぞんじますが、、?  識字率アップしたのは明治維新以降の文明開化以後でしょうか、、? 確かに鎌倉時代と同次元での考察は、、???が伴う、かも知れません、、?、、。 問題提起はおおいに歓迎したいです、、が、、。 早々。

1322ペイオフ解禁:2005/01/31(月) 00:28:42
会津坂下町の妙福寺地蔵堂(寺)
小説人間革命に福島の田舎寺に地蔵を安置し、それが発端で檀家が離檀したという
寺がある、妙福寺である
当時の久保川法章師が住職で、人間革命に詳細が描かれているが、その地蔵は今も
妙福寺の境内地に祀られており、地蔵には堀上人の着用の衣が着せられていて、数
珠が首に捲かれていたのが印象的だった。
偶々、町の文化財に地蔵が指定されていた。
http://www.town.aizubange.fukushima.jp/welcome/syoukai/bunkazai25.html
妙福寺の開基は太夫阿日尊上人で、現在の住職は会津若松市の実成寺住職の影山広道
師である、正宗寺院に地蔵像、非常に興味を引く件だと私は考える。
意見を聞かせて下さい。

1323ペイオフ解禁:2005/01/31(月) 10:41:51
 人間革命の何巻にあったかな ?
 お分かりの方いますか

1324彰往考来:2005/01/31(月) 12:31:38

>1323
ペイオフさん、始めまして。

私の記憶では5巻だったと思いますが、今日に夜にでも調べて
正式にお答えいたします。

彰往考来

1325彰往考来:2005/01/31(月) 13:02:08
>1324

失礼しました。ペイオフ解禁さんでした。

併せて

誤:今日に夜に
正:今日の夜に

謹んで訂正いたします。

彰往考来 拝

1326彰往考来:2005/01/31(月) 19:52:27
>1323

池田大作著『人間革命 第七巻』(昭和47年、聖教新聞社)の42〜69頁に記載があります。第五巻と1324で申し上げたのは記憶違いでした。なお、『人間革命 第七巻』では久保川法章師は“久川源章”という仮名で登場しています。

1327ペイオフ解禁:2005/01/31(月) 22:16:44
彰往考来さん
有難うございます。白衣を着用している姿は、宗祖御影像を彷彿させる姿
には興味を惹かれます。
当時の問題は長年の時間が流れ、当時者だった久保川法章師・池田大作氏
も今では蚊帳の外、兼務住職の実成寺住職影山広道師からは沈黙をして
語られる事はありませんでした。
日蓮正宗の古刹寺院には、墓地に地蔵がある寺院が何箇所かありますが
信仰の対象ではないみたいですね。

1328名無し@富士門流:2005/02/05(土) 00:17:44

れんさん、彰往考来さん、さては興風第16号を読み入ってますね。

1329れん:2005/02/05(土) 05:23:20
名無し@富士門流さん。
やっぱり、バレてましたか(笑)。私に関してはお察しの通りです。

1330彰往考来:2005/02/05(土) 13:14:56
>1330
名無し@富士門流さん、

4日、5日と東北地方へ出張してまして、ただ今戻りました。
よって、これから読むところであります。

1331れん:2005/02/05(土) 19:14:18
名無し@富士門流さん、興風第十六号掲載の菅野憲道師の論文「河東一乱と富士門徒」はなかなか参考になります。師は時師が応永九年頃から書写曼陀羅の脇書に「大石寺衆〇〇」等と記して門流の旗幟を鮮明にしたこと等から、「時師を中心とする寺家衆が実質的かつ安定的に大石寺の寺域を支配しつつあったことを物語っていよう」と指摘され、この時期に現在の宗門体制の原型・大石寺門流が形成され門家意識が確立したものと示されています。私も菅野師の論考に賛同します。私の考えとしては、時師は‘三師伝’を作成し、三大秘法や本尊について述べた‘四帖聖教’(現在の石山の唯授一人血脈相承極秘の大事と称する金口の相承やら三口一徹の相承の類の原型が記されていたのではないかと考えます)を著述してますから、教義的にも時師の代に石山門流の基礎が築かれたのではないかと愚考しております。

1332れん:2005/02/05(土) 19:22:27
訂正
誤、(現在の石山の
正、(不現存ゆえ内容はふめいながら有師の聞書にのべられていることから推して現在の石山の

1333名無し@富士門流:2005/02/06(日) 17:08:16

>1330
彰往考来さん、

出張お疲れ様でした。

>1329
>1331
れんさん、

ようやく私の手元にも届きましたので、皆様のアドバイスを参考に拝読させていただこうと思います。

1334名無し@富士門流:2005/02/06(日) 18:36:52

御伝土代の考察については、反論もあるようですね。

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/13695562.html

興門教学研究者のブログです。

以前、別項の内容を愚鈍凡夫さんも引用されていましたね。

1335愚鈍凡夫:2005/02/06(日) 19:03:58

名無し@富士門流さん紹介のHPを読んでみた感想ですが、

> それら書写本尊と池田氏が検証材料とした東大史料編纂所蔵の『御伝土代』影写本を対比してみるとその筆体は根本的に相違しており、まったくの異筆であることが諒解される。

この文章が気になりました。
う〜ん・・・・・。書写漫荼羅と写本を比較して異筆と即断するのはいかがなものでしょうか。「同時期の日時師の筆体と対比」との考えには賛成ですが、対比するのであれば、同時期の書同士で対比するべきだと思います。漫荼羅の場合は独特の筆法があるようですし、書を認める時とは比較にならないほどの緊張感があるのではないでしょうか。
筆跡は精神状態にも大きく左右されるものですから、対比の対象とするのには無理があるのではないのでしょうか。
ふと、そんなことを感じました。
失礼しました。 m(_ _)m

1336名無し@富士門流:2005/02/07(月) 00:04:54

愚鈍凡夫さん、今晩は。

こちらは既にお読みなられましたでしょうか?

http://www.nichiren.com/ronbun.html

学会僧の論文です。

「残〜念!!」といった感想です。

*************************************
現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義
――三大秘法義の理論的公開過程に関する考察を踏まえて――

                                 青年僧侶改革同盟 松岡雄茂            

『東洋哲学研究所紀要』第二〇号(二〇〇四年十二月発刊)掲載。
************************************

1337卞氏:2005/02/07(月) 11:54:01
希望者なしなら、アップは見送りだな。

1338デルトロ:2005/02/08(火) 05:38:12
眠れなくなってしまったのでちょっとつぶやきます。

「21g」という映画があるのですがとてもオススメです。
私のHNであるデルトロはここからいただきました。

デルトロは少年時代から手のつけられない不良で
どうしょもなかったのですが信仰に目覚め、今では
街の不良少年たちにも教えを説いていきます。
だが少年たちは刹那的でデルトロを馬鹿にしています。
そんな時、デルトロはいつもこう話します。
「見ろあの車を。おれは信仰のおかげであの車をくじで当てることが
できたんだ。おまえも真面目に信仰すればきっと神が見ててくださるぞ。
馬鹿馬鹿しい不良の真似事はやめるんだ」
と現世利益を説きます。しかし少年は怪訝な顔をするだけです。
「宗教かぶれが」
そんな表情にもとれます。

デルトロには神のお導きで車が手に入ったことが自慢のようです。
「神はおれに与えてくださった。真面目な信仰のおかげだ」と。
家庭も平和であるし、今よりももっと好条件の仕事も決まっています。
すべてにおいてバラ色。神に感謝します。
ますます信仰心を募らせることでしょう。ああ、神を信じてよかった。
信じれば救われるんだ。

1339デルトロ:2005/02/08(火) 05:39:00
しかしデルトロはひょんなことからその車である家族を
轢き殺してしまいます。
ここから恐ろしいほどの葛藤が始まります。
刑務所に入ることになるのですが、普段見下していたはずの
刑務所仲間が彼に対し、「また戻ってきたか。当然だな」
といった態度で接してきます。
「おまえは信仰ごっこをして少しは立派になったつもりの
ようだが、何も変わっちゃいねえ」そんな態度です。

デルトロは改心して立派に信仰についていたのにも
関わらず、たまたま事故を起こしてしまったため、
信仰心の厚さまでもが否定されるように扱われます。
デルトロは次第にアイディンティティを失っていきます。
「おれに車を与えてくださった神が何故こんなひどい仕打ちを
今までずっと真面目に信仰していたのに」
出所してからも決まるはずだった新しい仕事の口も当然失い。
家族からは距離をおくようになり、自分から破壊するような
行動に出ます。
家で出て、ひどい暮らしがはじまります。
そして…

この映画は他にもみっつの話が入り組んで構成されており、時間軸も
バラバラなので、ちょっと最初はとっつきにくいかもしれません。
しかし、デルトロの話だけでもフィクションとは思えないほど
宗教における葛藤のリアリティを感じました。なんというか、行間に圧倒的
ボリュームがあるのです。
以前見た映画なので内容は正確ではないかもしれません。
しかし、信仰を持つ人間には響いてくる何かを感じました。
未見の人にはオススメです。
ヘビーな気持ちにはなるかもしれませんが、もしこれを
自業自得だというような信仰者がいるのであれば、ちょっと恐怖です

1340名無し@富士門流:2005/02/09(水) 19:54:37

顕正会の櫻川氏も研究書の出版をされるようですね。



http://sanity.at.infoseek.co.jp/

1341吉祥仙人:2005/02/10(木) 09:36:49

 福沢諭吉いわく『この世で一番惨めなことは、教養がないことである』

 教学がないため、かかなくていい恥をかいてしまいました。

 しばらく、おとなしく、していようと思います。

1342真実 探求者:2005/02/10(木) 17:50:26
、、御免下さい、、。 お気持ちはご理解いたしかねますが、、 いろいろと問題提起されましたことは、スッゲー、と存じますが、、。 ドーゾ、こらからも、御遠慮ありませんように、、。 早々。

1343吉祥仙人:2005/02/11(金) 16:46:50
 
 訂正

 しばらく、おとなしく、していようと思います。(誤)

 教学を試されるような書き込みには、しばらく、おとなしく、
していようと思います。(正)

 だって私、昨日のような昔のことは覚えていませんから。残念

(掲示板の品格を落としてすいません。)

 ついでに
 SGIコミュニティーと言う掲示板で(私は厳選創価リンクからアクセスしています。)
 『指導の部屋』があり。千葉の「MY聖教」という聖教新聞の無償配布に対し、かなり
自由な書き込みがされています。

1344愚鈍凡夫:2005/02/17(木) 12:16:27

新聞・書籍・ビデオ、民音チケット・・・・etc。

ノルマ化された「信心」って何なんだろうか? ( ̄ヘ ̄)ウーン
そんなことを思う、今日この頃であった。 

やれやれ、パソコンの虫退治終了。(独り言)

物・物・物…( ̄。 ̄;)ブツブツブツ

1345犀角独歩:2005/02/18(金) 00:07:12

愚鈍凡夫さん、やられましたか。
わたしのところも、こちらの書き込み内容に、相反比例して、たくさんのウイルスメールがどっと来ます。
こういうことをやる連中のまめさ、とあほらしさにいつもウイルスメールの数の増減と因果関係を考えているわたしです。

1346愚鈍凡夫:2005/02/18(金) 09:15:05

犀角独歩さん、どうもです。
今回は、小物のアクセサリー系のソフトをいくつかダウンロードして試していたんですが、どうやらその内のどれかに紛れ込んでいたものと思われます。
それにしても、毎日毎日、ウイルスメールが送られてきますが、マメというか、しつこいというか、他のことにそのエネルギーを向けられないものかと思いますね。
もともと、インターネット自体が米軍が軍事用の通信手段として考え出されたものですから、仲間内で使うものとして、基本的に「性善説」で出来上がってますよね。
だから、その基本的な部分の弱点が、いつまで経っても鼬ごっこの元凶なんでしょうね。

物・物・物…( ̄。 ̄;)ブツブツブツ

1347パンナコッタ:2005/02/18(金) 12:13:44
映画「カナリア」について、主観が入るのでこっちに移動。
3月12日から公開ですね。予定に入れておきます。
ただ『ニルヴァーナ』って名前、自分ぐらいの世代からするとカート・コバーンの
イメージが強すぎて、最後の伏線なのかなと穿ってみてしまいますが。

1348真実 探求者:2005/02/19(土) 18:06:53
春がそこまでひたひたと近づいています、。 一人ツブヤク御無礼をお許し願います。
 時間の散歩がてらネット散策しました。 一応、示唆に富むようなスレッドにも出会いました。 ご紹介します。
http://www.yahoo.co.jp のアドレスに移動して、検索用の書き込み枠内に、近代仏教学、と入力、検索ボタンを左クリック、、。一覧項目が表示されます。
51番目の「、、カミと日本人」、50番目の「書評」、37番目の「ほら貝:文字コード」、26番目「Springer Science」、25番目の「教判論の意味再考」などの細部項目(スレッド)などが、一応参考になりました、、。 失礼します、、。

1349真実 探求者:2005/02/19(土) 18:26:37
失礼しました。 「教判論の意味再考」はなぜか削除でした。こちらの24番目で閲覧可能です、。
http://www.msn.co.jp/home.armx こちらでした。

1350愚鈍凡夫:2005/02/19(土) 19:33:48

横レス失礼します。
真実 探求者さんが仰ってるのは下記のHPですか?
ご紹介有り難うございました。

教判論の意味再考
http://www.1134.com/matsuoka/kyouhan.html

ウイルスデータベースが壊れてしまいました。 (‐_‐)
「修復しなくっちゃ!!」(独り言) (-"-;A ...アセアセ

1351吉祥仙人:2005/02/20(日) 11:15:24
 犀角独歩さんがよく引用されるハッサン師の「マインドコントロールの恐怖」を図書館で見つけ
読んでるうちに、とり残されたようです。まだ読み終わりません。3回読むのに何日かかるやら・・・

1352犀角独歩:2005/02/20(日) 19:54:38

吉祥仙人さん:

『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)、この書は前編を暗記するぐらい読んでも損はない一書です。わたしもかなり頭に入っています。

あと、西田公昭師著『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店)、S・ミルグラム師著『服従の心理』』(河出書房新社)、R・チャルディーニ師著『影響力の武器』(誠信書房)はぜったにお読みになったほうがいいですよ。

さらにお薦めすれば、E・フロム師著『自由からの逃走』(東京創元社)、D・J・ブーアスティン『幻想(イメジ)の時代』(東京創元社)などは社会科学としては、お薦めです。

あと、高橋紳吾師著『超能力と霊能者』(岩波書店)は秀作です。
もちろん、わたしの大好きな岩本裕師の各著述(仏教学圏には頗る評判が悪いですがわたしが影響を受けています)

さらにもちろんのこと執行海秀師著『興門教学の研究』(海秀舎)は絶対の筆読書、さらに、ここで議論されている教学変遷について、まさか同師の『日蓮宗史研究』(平楽寺書店)を読まず、語っている人はいないでしょう。

その他、推薦した異本はたくさん、ありますが、いまはやめておきます。
しかし、本を読んで、本に呑まれないこと、自分の感性を信じること(ただし、自分がいま、何でこのように考えているかという分析が畢っていればですが)です。

1353犀角独歩:2005/02/20(日) 19:56:02

うち間違えました。

筆読書は、もちろん、必読書です。

1354犀角独歩:2005/02/20(日) 19:56:47

もう一カ所。

推薦した異本は、推薦したい本は、です。

1355犀角独歩:2005/02/21(月) 08:57:55

一泊ですが、ちょっと、いまから旅に出てきます。
レスは明晩以降ということで。

皆さんの活発な議論は、明日まとめて読ませていただきます。

1356真実 探求者:2005/02/21(月) 18:42:25
1350 愚鈍 凡夫 さんお手数お掛けしました、。 ドーモです、、。 疑問的なツブヤキ御免下さい、、。
 実は、あの近代ドイツの偉大な哲学者ヘーゲル(1770-1831)時代、当地の仏教文献はパーリー語主体で、梵語の大乗教はいまだ未到着とか、、??
 その後K、ヤスパース(1883-1969、戦争の罪を問う、橋本訳、平凡社)が梵語の大乗仏典読了後「、、竜樹は東洋のヘーゲルだ、、!!、、」と言った、とか、、??
http://www.kosaiji.org/bodhi/log/bodhi_3.htm  (中段の00021/12/28,,,RE:00018)より、、早々、。

1357愚鈍凡夫:2005/02/21(月) 20:27:15


真実 探求者さん、どうもです。
何処に龍樹とヘーゲルとの類似性を感じたんでしょうね。
世親や龍樹は、いわば、大乗教の実質的教祖のような存在ですから、西洋哲学からのアプローチは面白いですね。一度、「空」って何だと思いますかって聞いてみたいですね。
「何ものでもありません。時空の在り方そのものです」なんて言われたりして。

1358吉祥仙人:2005/02/22(火) 21:24:10
 パンドラの箱

 悪しきものが全部出た後に、最後に希望が残っていたとか。

 ギリシャ人も、後世によき結果が生まれると信じたかったのか。

 以上 叱られた子供の言い訳

1359彰往考来:2005/02/23(水) 07:24:47
>1358吉祥仙人さん

たまにはいいこといいますね。
これに懲りず自由に発言していただきたいと思います。

なお、私の心の中のパンドラの箱は開くべくして開いた
のでしょう。決して貴殿のせいではありません。

彰往考来

1360犀角独歩:2005/02/23(水) 09:44:30

骨休めに、伊豆温泉郷に。
驚いたこと。川端康成『伊豆の踊り子』の舞台になった辺りに河津桜と言われる、早咲の種が植樹されていて、もう七分咲きでした。色は染井吉野などより、さらに濃く、しかも八重桜のように葉も一緒に萌え出ていました。梅と桜を同時に観るのはなかなか壮観。

すこし、足を延ばし、ワニとカメの、それぞれの専門動物園に。
両種とも、食餌以外の時は、ゆったりとした動き。檻に捕らわれているのは可哀相と思いながら、興味深く観察もし、和みもしました。

余談ながら、かつて、日本にもワニがいたそうで、その化石が展示されてありました。体長8メートル。人類は誕生以降で、さて、そのころ、先祖たちは日本に来ていたのか? どんな風景であったのか、伊豆の火山弾・溶岩も多い岩場の海岸で澄んだ水に手を浸しながら、そんな物思いに耽ったり。

短いながら、楽しい2日間でした。
個人的な話で失礼しました。つぶやきということでご勘弁を。

1361彰往考来:2005/02/23(水) 12:26:47
>1360

ここ2日ほど静かだなあと思っていたら(失礼!)伊豆でしたか。

福島県に三春町というところがあります。

http://www.town.miharu.fukushima.jp/

「三春」の地名は、桜・桃・梅が同時に咲く場所ということから由来
しているそうです。三つの春が一度に来るという意味です。
いいですねえ、こういう名前は。

1362犀角独歩:2005/02/24(木) 00:45:57

本日は、菅田正昭師の『伊豆諸島における富士派異端(三鳥派、堅樹派…等々)の点と点―伊豆諸島流人志の視点から―』と言う講義を拝聴しました。実に学ぶところ、大でした。

また、終了後、sunyaさん、三学無縁さんと、有意義な語らいが出来ました。
お二人のご賢察を拝聴し、これまた、実に学ぶところ大でした。

1363犀角独歩:2005/02/25(金) 12:20:53

自己レスです。

1360で、紹介した早咲きの河津桜です。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kawaduzakura050222

1364犀角独歩:2005/02/25(金) 12:22:46

ジャンプ咲を間違えました。

河津桜
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kawaduzakura050222.JPG

1365犀角独歩:2005/02/25(金) 12:28:02

ワクの無駄遣い、恐縮です。
1364のジャンプ‘咲’、クリックしても表示されないようです。
アドレスバーにコピペしてください。

1366真実 探求者:2005/02/26(土) 19:11:07
御免下さい、つぶやかせて下さい。 今日16:05よりNHKの特番「地球と進化」に関するドキュメンタリーを観ました。
 地球の年齢が約46億年を一年とした時、人類といえる生き物が登場したのは12月31日の大晦日との言葉には、改めて驚愕した。 まさしく「新参者、、!!!」、、。
 この新参者が困ったことに「大昔の300倍以上/年、ものCO2ガスを生活上での排出・消費中、、」により、一人勝ちの人類の横暴、?にて、他の生き物が「死滅〜絶滅の危機に瀕している、、」という番組には、人間の宗教の役得、が環境破壊との関連を無視不可能な現実を知らされました、、。 こんごは「少欲・知足」という「欲望と環境問題、、」と並行しての難題、? に、、耐えうるか、、?のようでしょうか、?

1367真実 探求者:2005/02/26(土) 19:54:32
御免下さい。現実的には「耐え得るのか、、??」では御座いません、。 「末法〜万年〜尽未来際まで、、?」という観点からも、何らかの「希望的観測、?」が、どこかに御座いましょうか、、?? それが今後も、皆無なら、「日蓮様のご信用は激減」でしょうか、、?

1368真実 探求者:2005/02/26(土) 20:42:28
ドーモです、。 一言追言、。 「他の動物死滅==環境悪化」ですので、、「当然、わが人類も生存は不可能、!」でしょうか、?  絶滅した「恐竜と同じような運命」だけは、何とか避けてほしいが、、??

1369犀角独歩:2005/02/26(土) 23:20:03

真実 探求者さんの、杞憂、大いに賛同します。

立花隆師は、20世紀は「爆発」と評しました。
スピルバーグの『AI』も、あながち単なるSFとも思えません。
人類が永遠、それが幻想に過ぎず、本当にそうしたいなら、それなりの努力が必要でしょう。
さて、地球史上、最大の害虫、その駆除を、考える、神の見えざる手は如何。

ちょっと、真実探求さんの語法を真似てみました。
あまり、似ませんでした。

1371真実 探求者:2005/02/28(月) 18:37:19
ドーモです、、。 恐竜は、他方からの隕石か? 未確認物体のような大きな衝突による、粉塵〜煤塵などの浮遊による太陽光遮断〜減光などに依るという外部的な要因が大きい、と言われています、?。 地球46億年の中、発生した幾多の生き物のほとんどは死滅〜崩壊した、との事です、。 人類の発生も、まさしく先代から
申し送りの奇跡的な発生のようです、、??、、。
 先日某TVで、ある動物の生態を見ました、。 それは、、「面前にオイシーものが、放置された時、なぜか、、強いものが一人占めしようと、必要以上に先を争って確保していました、、」、、まるで「、、コラー!アホンダラー、そこ、ノケー!!」、、「 これは、ワシのモンジャー、、!!」、、」、 「ボケー、、! それもワイのモンジャ、、!!」、、、という怒号の中を連想しました、、。 動物界の獲得戦争を、 わが人類が、回避可能でしょうか、、? 、「、単なる、、少欲・知足、、」の悟り、? だけで、「一人占めしたい、という欲望を、!!、」、、「克服、、??」が可能なものでしょうか、、。 ただハッキリしているのは「今後の人類の行く末は、、??」、、今、現実に生存する我々が手にしている「バトン、、?」を、「激動の中の欲望に自滅するのか、、??」、、「、、今後の燭光的な希望は在るのか、?」、? 在るとすれば、、?? いかにして次の世代に申し送るのか、が、、問われて居るようです、、?

1372パンナコッタ:2005/02/28(月) 23:02:11
つぶやきスレなんで、一寸引用させてもらいます。

 オカルト系の人たちはよく「宇宙の意思と一体化」というようなことを唱える。しかし、
宇宙の意思が個人の願望と一致するなどと考えるのは、ひどい思い上がりではなかろうか。
もし宇宙に普遍的に存在する「○○パワー」なるものが実在したとしても、それが大宇宙の
片隅の地球という星の上に存在するちっぽけな人間という生物に都合よく働くと考えるのは、
あまりにも虫が良すぎる。
 食べ物にカビが生えるのも、動物が果樹園の果物を食い荒らすのも、人間にとっては迷惑な
行為かもしれないが、自然界の側からみればごく正常な現象である。「タキオンパワーでカビ
が防げる」などと唱える人は、地球の生態系を歪めている張本人は自分たちであり、カビの方
が自然な存在であるという事実を、コロッと忘れているのではないだろうか。
 人間は地球の寄生虫に過ぎない―それを認めるのが後ろめたいものだから、
「宇宙の意思」などというものを持ち出して、自分たちの目的が崇高だと思い込もうとしている
のではないだろうか。
   トンデモ本の逆襲 タキオン&オカルト通販生活カタログ  山本弘より引用  

なんだかこの手の怪しいグッズと自分のやっている信仰がさして変わりがないものと考え始めた
きっかけの一つでした。

1373一刀両断:2005/03/01(火) 00:50:33
久しぶりの寄り道レスで一言だけ。
宇宙から見れば、いかにも宇宙の主人公的な考えを持っている地球人など、糞のようなものなんでしょうね。
きっと人類は滅ぶのだと思います。それも近い将来。(これは身勝手な思い込みですが)
次の支配者がその遺跡・史跡を手繰っていくうちに違う未来を見い出す原因にしかなり得ない存在でしかないのかもしれない、今はそんな風に思っています。

1374いつも見てるだけの男:2005/03/01(火) 01:21:42
宇宙と自分との一体化というと確かにオカルトっぽいですが、どうにもこうにも行き詰まって、なお逃げられない時、極端な話「環境に負けては駄目だ。俺が宇宙を動かす」くらいの気合いでかからないとやっていけない(笑)…というか、その位の気持ちでかかった事が案外突破口になったり、例えその場の結果はズダボロでも、後々プラスに転じたり、自分のこやしになることは男の人生って結構ありませんか?特に意地っ張りな奴。今は女の方がそんな手強い手合いが多くて困るやら頼もしいやら。
仏法に通じるかどうかは解りませんが。

1375吉祥仙人:2005/03/01(火) 09:15:00
 オカルト好きな人多いですね

 以上単なる感想をつぶやきました。

1376犀角独歩:2005/03/01(火) 12:08:06

学会を含む大石寺信仰圏では「オカルト」というハードルがずいぶんと低いのでしょうね。

石山のお肉は完璧なオカルトは当然のこと。
精神医学では、ユングですら、オカルト扱いでしょう。

わたしはけっこう面白く読んだ『21世紀の対話』で登場する、「宇宙の背後にある究極の精神的な実在」なども、まあ、オカルトと言わないまでも、首を傾げられるところでしょうね。これは「will」などとも表現されるのでしょうか。

尚更のこと、「宇宙の生命」「宇宙の妙法」もオカルトと取られるでしょうし、輪廻転生、因果応報、「祈願成就」なんかも、その類と取られるでしょうね。

さて、そうなってくると、ここで、信仰とは何かというテーマに戻ることになるのでしょうか。では、信仰とオカルト、そして、カルト、どこで線を引くのでしょうか。

自分の使っているお湯は熱く感じない、自分を点検してみるのには、異文化、異信仰からの視点を学んで客観性を身につけるほかないでしょう。しかし、そこで捨て去るものが多いと、信仰者は後ずさりしてしまうわけです。後ずさりするならまだしも、茹だっていることすら気付かないのが信仰者の実像であるのでしょうね。

1377犀角独歩:2005/03/01(火) 21:59:50

1376、打ち間違えていました。

誤)自分の使っているお湯
正)自分の浸かっているお湯

1378真実 探求者:2005/03/02(水) 17:56:50
、、各諸氏方の貴重なご意見、、ご投稿、、とても勉強になりました、、。  有難う御座います、、。


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