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御遺文関係は此方で
1
:
管理者
:2003/11/12(水) 21:46
便宜上、このスレッドを立ち上げました。
2
:
管理者
:2003/11/12(水) 21:48
空き缶さんへ。本来は真言宗系に属するものかとは思いますが、独断で、即身成仏のレスの一部を此処に張り付けます。
かつて川蝉さんだと思いますが、某掲示板にて修行僧「蓮長」の卒論的文献として「戒體即身成佛義」を上げておられました。
この「戒體即身成佛義」等は、顕教の戒體より密教の戒體の方が優れているとする結論だと思いますが、この辺からの発想なんでしょうかね?
3
:
川蝉
:2003/11/17(月) 10:05
空き缶さんへ。
冨士門流信徒掲示板には投稿しないようにしていますが、一日おきぐらいに閲覧しています。
空き缶さんが「幽霊」という言葉にかんしてコメントされているのを拝見しました。
弘安三年八月の「内房女房御返事」真無に
「幽霊生存之時」とあり、
また、建治元年四月の「法蓮鈔」真蹟にも
「慈父幽霊第十三年忌辰」
と幽霊と云う言葉があります。
4
:
空き缶
:2003/11/17(月) 11:35
川蝉さん
御教授ありがとうございます。
私はあちらこちらで、臆面も無く恥をさらしている次第です。
5
:
空き缶
:2004/01/03(土) 20:01
管理人さんへ、「類纂 日蓮聖人遺文集」を拝して、御教授願いたいことなどを、今後こちらのスレッドを活用させて戴きたく存じます。
何卒、宜しくお願い申上げます。
「類纂 日蓮聖人遺文集」には、多くの御遺文に「泰堂云く・・・」といった奥書がみられますが、これは「類纂 日蓮聖人遺文集」を編集された、泰堂上人によるものでしょうか。
6
:
管理者
:2004/01/04(日) 09:48
皆さん、お早う御座います。
空き缶さんへ。
>多くの御遺文に「泰堂云く・・・」といった奥書がみられますが、これは「類纂 日蓮聖人遺文集」を編集された、泰堂上人によるものでしょうか。
大聖人滅後二百余年に「五大部」を元として収録をした物を「録内」と称し、其の余の口伝・秘訣等と称して寺院に収蔵相承した物を「録外」として珍蔵してました。その後、諸師が御遺文を刊行しました。
小川泰堂居士、御書を一読して感ずる処ありて帰仰し祖書を拝読す。然し版本誤謬多く、其の版本の校訂を誰も成し遂げていないことを遺憾とする。時に尾張に日明師の稿本、今尚存在すると聞き、嘉永の春にその地に至り相議し、此の遺稿を書写す。
泰堂居士、真跡を一々に拝し、版本の誤謬を訂正し、全財産を御遺文の校訂につぎ込み、完成したのが「高祖遺文録」三十巻です。
類纂の「泰堂云く」とは、御真筆を拝したときの注記として「高祖遺文録」に一々に書かれて居られるのをそのまま載せて在ります。
以上、簡単ですが質問の一端を書きました。
7
:
れんげ
:2004/01/04(日) 16:48
管理人さん、皆さん、こんにちは。でももうすぐ、こんばんわですね。(^^ゞ
私は今日から仕事です。。
いまひと段落ついてコ−ヒ−タイムしています。(^.^)v
管理人さん
某掲示板等へのご遊行、とても嬉しく拝見させていただきました。(*^.^*)
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。m(__)m
本日も護法務ご苦労様でございました。m(__)m 合掌
8
:
れんげ
:2004/01/04(日) 16:52
あれれ(~_~;) 雑談スレッドに書き込みしたつもりが・・・
管理人さん、ごめんなさい。m(__)m お正月ボケからまだ覚めていませんでした。(-_-;)
どうぞ宜しくお願い申し上げます。m(__)m 合掌
9
:
野菊
:2004/01/04(日) 18:47
それでは、スレッドを戻しましょう。
今年はじめて読んだ御遺文は、
「忘持経事御書」
中国の歴史上もの忘れのひどい人は夏の桀王、殷の紂王であることを記され、
ついで仏弟子の中では須梨槃特は自分の名前を忘れるほどであるから、世界一
の忘れん坊で、いまの常忍上人は持経を忘れたのであるから日本第一の忘れん坊
とユーモアいっぱいに書かれ、経は持っていっても心を忘れている者が多くいる
ことを嘆かれています。そして、最後に常忍上人の孝行と日ごろの信仰を褒め、
母子ともども成仏間違いなし!と結ばれていました。
たまたま開いたご遺文でしたが、今年は、この「忘持経事」を忘れずに過ごしたい
と思います。みなさんはどの御遺文を今年のテーマにされますか?すべてでしょうか?
10
:
うらら
:2004/01/04(日) 22:28
みなさん御遺文の研究をしてますか?
私も住職さんのとこで研究してます。
立正大学の日蓮教学研究所の研究員です。
今年は最初に読んだのは唱法華題目鈔の205ページです。
11
:
野菊
:2004/01/04(日) 22:43
うららさんこんにちわ(^○^)
住職さんが、日蓮教学研究所の研究員さんなのですか?
うららさんが、研究員さんなんですか?
>唱法華題目鈔の205
って?
>>故に堕悪道事無疑。同くは法華経を強て説聞せて毒鼓の縁と可成歟。
>>然れば説法華経可結謗縁時節なる事無諍者をや。又法華経の方便品に
>>五千の上慢あり。
というところですか?
忘持経事御書で感激したのはですね。
僕は、会社でよく忘れ物をするんですよ。「行ってきまーす」と言って
出てから、2、3度戻るのはしょっちゅうです。東海一の忘れん坊です。
だから、近親感を覚えたのと、やはり大聖人のやさしさですね。
あとは、形だけ持っていても心で持っていないといけないというところ
また、富木上人の母親に対する親孝行のところを見習いたいと思いました。
研究などとは、私は程遠い者ですが昨年、縁有ってたくさん資料をいただ
いたので少しでも読みたいと思っています。でも正月は映画ばかり見てしまった。爆
ラストサムライとか、マトリックスのDVDとか−−(-_-;)反省
12
:
空き缶
:2004/01/05(月) 00:16
管理人さん、皆さん、こん○○わ。ご丁寧にありがとうございます。
「小川泰堂居士」とありましたが、私は編集の労をとられました「上田泰堂上人」による奥書かと思っていました。
「小川泰堂居士」とは、「居士」といわれるところから在家の方とおみうけしますが、いかがでしょうか。
私はこれまで、大石寺系の御書(御遺文)を中心に拝していましたので、読み下しの段階で違いのある「開目抄」と「観心本尊抄」、また大石寺が僧侶用に出版した「昭和新定日蓮大聖人御書」に唯一掲載をみなかった「日朗御譲状」(但し断簡類や註法華経も不掲載)等をまず最初に拝しています。
「類纂 日蓮聖人遺文集」によりますと、「日朗御譲状」は京都本圀寺に御真筆があるとされています。にもかかわらず、大石寺はなにゆえいずれの遺文集にも掲載をみなかったのか不思議でなりません。
また、「立正安国論(広本)」の奥書にも興味深いものを感じましたが、これ以上は長くなりますので、また後日にします。
13
:
管理者
:2004/01/05(月) 11:11
空き缶さん。
>「上田泰堂上人」による奥書かと思っていました。
そーでしたか、紛らわしいですね。(^_^;
昔、昭和48年頃に御遺文を検索出来るようにと、カードに御遺文を書き取りしてまして、昭和53年に泰堂が生まれました、その時、小川泰堂居士御遺文編纂の偉業を思い付けさせて頂きました。名前負けしてます。(^.^;
>在家の方とおみうけしますが、いかがでしょうか。
はい、在家の方です。藤沢にお墓が在ります。お子様は田中智學大先生に嫁がれ、身内は国柱会の会員です、小川冨士子先生は泰堂居士の系統です。野菊さんが詳しいかと・・・
>「日朗御譲状」は京都本圀寺に御真筆があるとされています。
此の書は、「類纂 日蓮聖人遺文集」では付録的に扱ってます、つまり偽書説が在るからです。現に京都本圀寺所蔵ですが、真筆では無く偽書です。
>「立正安国論(広本)」の奥書にも興味深いものを感じましたが、
またお書き下さい。
14
:
野菊
:2004/01/05(月) 22:15
小川泰堂居士は、智学先生の父と同じ幕末のお医者様でした。ちなみに
智学先生の二人目の奥様(諸事情ありまして)泰子さまは、小川泰堂居士
のお孫さんです。里見岸雄氏の母にあたると思います。メルマガの大橋
冨士子先生は、前妻周子様のご子息、芳谷先生のお子様です。小川姓を
継がれた御血縁の方もいらっしゃいますが、名前は忘れました。でも、
冨士子さんだったかも?確か、国文学に詳しい方だと思いました。
なんせ、一男四女いらっしゃいますので−−(-_-;)
15
:
空き缶
:2004/01/05(月) 22:30
管理人さん、野菊さん、こん○○わ。御返事ありがとうございます。
「日朗御譲状」について、「真筆では無く偽書」との事ですが、興風談所の御書システムでも偽書の部類に入っていましたが、どのような理由で偽書といわれているのでしょうか?筆跡でしょうか?よろしければ御教授下さい。
京都要法寺に伝わった、日目門流の相伝書「具騰本種正法実義本迹勝劣正伝」(百六箇抄)には、「先陣者毎度日興、後陣日朗、其外臆病者、大難悪風吹散彼此たゝすみ、大将の日蓮をも見失けり。日興日朗なくは、某大陣あやうくや見けん。日興先かくれは無辺行菩薩歟、日朗後ひかうれは安立行菩薩歟、日蓮大将なれは上行菩薩歟、日目毎度幡さしなれは浄行菩薩歟。」(大石寺堀日亨師は富士宗学要集にて後加としている個所)というくだりが有り、また日興師には二箇相承(これも偽諸説有り)があることなどから、日興師・日朗師には特別な相伝があったのではないかと思わせる記述があります。そのような意味から、日朗御譲状や二箇相承の偽書説の根拠に強く関心をもっています。どうぞ宜しくお願いします。
16
:
空き缶
:2004/01/05(月) 22:32
スミマセン訂正です。
(これも偽諸説有り)→(これも偽書説有り)
17
:
直人
:2004/01/05(月) 23:28
>>15
空き缶さん、横から失礼します。
「百六箇抄」附文について
まず、この附文は弘安三年庚辰正月十一日の成立と記されていますが、その
附文には「経巻相承直授日蓮」(宗全2−P28)とあって、経巻相承は顕本法華
宗の日什師の立義であり、それは宗祖滅後100年代を待たねばならないことか
ら、「弘安三年庚辰正月十一日」の成立とすることは到底できません。
次に、「六人の遺弟を定むることは表事(中略)直授結要付属は唯授一人」(宗
全2−P27)等として日興正嫡思想が見られるが、二箇相承は宗祖滅後120年代
以降、重須によって偽作された文書であり、先に述べた如く後加文には宗祖滅後
100年代のことが記されていることから、「弘安三年庚辰正月十一日」に記された
と伝えられる文は宗祖滅後120年代以降の偽筆と見るのが正しいのであって、堀
師が後加文としたことは当然です。
詳細はかつて会員制掲示板に投稿したのでここでは記しませんが、「弘安三年庚
辰正月十一日」に記されたと伝えられる文の内容は日教師の思想が所々に見られ
ることから、「弘安三年庚辰正月十一日」の附文の成立時期は恐らく宗祖滅後200
年代でしあろうけれども、宗祖滅後120年代以降に附文が記され、両巻抄を相伝し
た日教師が自著の中にそれを略記したものかもしれない。とすれば、附文の成立
時期は宗祖滅後120年代から宗祖滅後190年代の間であろう。
18
:
空き缶
:2004/01/06(火) 00:04
直人さん、お久しぶりです。本年も宜しくお願いします。また、新HPの開設おめでとうございます。
以前にも、二箇相承は宗祖滅後120年代以降に偽作されたものとおっしゃられていましたが、その根拠となるものを御教授いただければ幸です。
佐渡世尊寺には、日頂上人の「本尊抄得意抄副書」が現存するといわれていますが、この書には日頂上人が「一期弘法抄」を拝した旨が記されています。
この「本尊抄得意抄副書」も日宗全1巻によりますと、疑義有りと見受けられますが。先ほど引用しました百六箇抄後加文部分と同様に「日興は無辺行の再来として・・・」というくだりがあり、「末法本門の教主日蓮」や「具騰本種」等百六箇抄と同様の記述がみられます。
何故か大石寺系の日蓮本仏論で使用される用語が目立つと思うのは、私だけでしょうか。
19
:
直人
:2004/01/06(火) 00:50
空き缶さん、こんばんは。こちらこそよろしくお願いします。
○宗祖滅後120年代成立説の論拠
日時師の『大石記』には日妙師以降の重須には血脈がないことや
日代十二通の譲状(八通の誤りか)のことが記されています。こう
した背景で重須が日順師の血脈思想(興師正嫡思想)を土台とし、
重須流血脈思想の確立手段、また西山(日代置状)への対抗手段
として、重須がこの頃(日時師の時代)に偽作したものであろうと推
考する次第です。そして、それが、宗祖滅後187年に日廣師によって
書写され、以後、日教師・日辰師らに書写されていったものではない
かと考えています。
追記
『大石記』の成立は1417年ですから、厳密には宗祖滅後130年代ですね。
○「本尊抄得意抄副書」について
これは宗祖滅後27年の著述と伝えられていますが、日興上人も日
道師も久遠実成釈尊を本門教主としていましたから、宗祖本仏思想
が見られる「本尊抄得意抄副書」は後代の成立ということになります。
つまり、「本尊抄得意抄副書」がまず成立して「百六箇抄」附文が成
立したのではなく、「百六箇抄」附文の影響を受けて「本尊抄得意抄
副書」が偽作されたと考える方が妥当なわけです。そうすると、「百六
箇抄」附文の成立時期は宗祖滅後宗祖滅後130年代から190年代ま
での間であり、この頃には宗祖本仏思想が成立していたので「本尊抄
得意抄副書」に「末法本門の教主日蓮」として宗祖本仏思想が見られ
てもむしろ当然と言えるわけです。
20
:
直人
:2004/01/06(火) 00:53
[訂正]
>宗祖滅後宗祖滅後130年代から190年代
〔正〕宗祖滅後130年代から190年代
PS.日興上人・日道師の本仏思想
http://www.sincere.ne.jp/~naohito/k001.html
21
:
管理者
:2004/01/06(火) 09:21
直人さん、有り難う御座います。
HPの「大石寺流宗祖本仏論について」の
>彼らはまず宗祖遺文を精読せねばならない。
同感です。御遺文を中心として研鑽をしたならば末書の説に惑わされずに済みます。
22
:
川蝉
:2004/01/06(火) 11:27
朗師御譲状について、
古来
「朗師を六哲の最としても、文体が祖師の筆致でない。かつ後世に論議された本迹問題が、この書において解決せられているのは訝しい、本圀寺門流の偽作であろう」
と云う見解があるそうです。
「日蓮聖人御遺文全集講義第二十六巻」において、北尾日大師が、本文に
「末法相応一閻浮提第一立像釈迦仏一体」と有るについて、釈迦仏一体像を「末法相応一閻浮提第一」と形容することに不審がある。
また、末尾の
「寿量品に云く、我本立誓願、乃至、皆令入仏道。毎自作是念、乃至、速成就仏身。」と有るについて
「我本立誓願、乃至、皆令入仏道。」は寿量品の文でなく方便品の比丘偈二十六行目「 我本立誓願 欲令一切衆 如我等無異 如我昔所願 今者已満足 化一切衆生 皆令入仏道 」
の省略であって、もし真蹟で有るとすれば、日蓮聖人の失念と云うことになろう。と指摘しています。
23
:
空き缶
:2004/01/06(火) 15:39
皆さんこんにちは、川蝉さん本年も色々と御教授ください。
日朗御譲状について、色々とありがとうございます。
「我本立誓願、乃至、皆令入仏道。」について、方便品の御文を引用されながら失念されているところなどは、二箇相承の一つ「池上相承書」の「身延」が「身遠」になっているところと併せて、終末期のために起きた失念とする方もいました。
興風談所の御書システムでは、「末法相応一閻浮提第一立像釈迦仏一体」について、西山本門寺蔵の宗祖御遷化と池上本門寺蔵の御遺物配分事の内容と筆跡を比べ、後者に疑義有りとしながら、この御遺物配分事の内容とリンクする日朗御譲状(冒頭部分)に疑義を呈しています。
日朗御譲状が「日蓮聖人真蹟集成」に掲載をみなかったのは、京都本圀寺蔵の伝真筆が偽書であるということがほぼ定説となっている為でしょうか。
24
:
空き缶
:2004/01/07(水) 10:13
皆さんおはようございます。早速ですが、昨日のカキコの訂正です。(スミマセン!!)
興風談所の御書システムでは→興風談所の御書システムや日興上人全集では
宗祖御遷化→宗祖御遷化記録
25
:
うらら
:2004/01/09(金) 19:48
川蝉さんへ!お晩でございます。
>「日蓮聖人は、誓願はされたけれど、祈願はされなかった。」
川蝉さんは、なぜそんなこと言われたのですか?
「日蓮聖人も教化の一助として、時に応じ祈祷を行っておられます。たとえば、伊豆流罪の折に地頭伊東八郎左衛門の病悩を祈祷したり、母のために病気平癒の祈祷をしたりしておられます。」
って、でんでん和尚さんは言っておられましたけど・・・
26
:
川蝉
:2004/01/09(金) 20:43
うららさん今晩は。
「>「日蓮聖人は、誓願はされたけれど、祈願はされなかった。」
川蝉さんは、なぜそんなこと言われたのですか?」
尼僧喫茶の管理人さんのお師匠さんが
「日蓮聖人は、誓願はされたけれど、祈願はされなかった。」
と云われているというコメントでしたね。
私は桃青さんの師匠でありませんので、私が言っている事ではありません。
うららさんは、私が桃青さんの師匠であると勘違いされたようですね。
私も
「日蓮聖人も教化の一助として、時に応じ祈祷を行っておられます。たとえば、伊豆流罪の折に地頭伊東八郎左衛門の病悩を祈祷したり、母のために病気平癒の祈祷をしたりしておられます。」
と云う見方をしています。
27
:
ご本人の希望により削除しました
:ご本人の希望により削除しました
ご本人の希望により削除しました
28
:
ご本人の希望により削除しました
:ご本人の希望により削除しました
ご本人の希望により削除しました
29
:
慎之輔(野菊)
:2004/01/10(土) 09:33
管理人さんへ上記27、28削除してください。下記の内容に訂正いたします。
>某掲示板にて桃青さんが川蝉さんが師匠ですと言われたのはWEB上で
>いつも助言を頂いているよ。という話で、彼女の実際の師匠筋はスライドショー
>にも登場されている○○寺の上人様のことだと思います。
>祈願は他力本願的なイメージですが、誓願というのは自力、自分の責任で何
>とかしようという意思を表現しようとされたのではないでしょうか?
30
:
うらら
:2004/01/11(日) 18:32
川蝉さん慎之輔さんごめんなさい(^^;)
私、勘違いしていましたようでした。
>私は桃青さんの師匠でありませんので、私が言っている事ではありません。
あーー良かった!・・ホッ・・・
31
:
空き缶
:2004/01/15(木) 16:26
皆さん、こん○○わ。お久しぶりです。
チョッと教えてください。
1、日蓮聖人は他門からはなんと呼ばれているのでしょうか。
たとえば、「法然上人」は「法然房源空」、「極楽寺良観」は「良観房忍性」等とよばれますが、日蓮聖人は「是聖房日蓮」でいいのでしょうか?
2、真筆遺文「三部経肝心要文」とは断簡のことでしょうか?手持ちの御書・御遺文を検索しましたがみつかりません。別名があれば教えてください。また断簡であれば番号を教えてください。
32
:
慎之輔(野菊)
:2004/01/15(木) 18:06
空き缶さんこんばんわ!「三部経肝心要文」って、何が書いてあるのですか?
探したけど、私もわかりませんでした。
33
:
空き缶
:2004/01/15(木) 18:34
慎之輔(野菊)さん、こんばんわ。
→「三部経肝心要文」って、何が書いてあるのですか?
内容は私もわかりませんが、正信会(恐らく興風談所)の山上師の説によりますと、宗祖が「天台沙門 日蓮」と名乗られている唯一の直筆遺文といわれています。
立正安国論日興写本(玉沢本)も主題の下に「天台沙門日蓮勘之」と書かれているそうで、佐渡已前の日蓮聖人の御立場を拝する上で参考にさせていただいています。
34
:
慎之輔(野菊)
:2004/01/15(木) 18:53
参考までに
『法華題目鈔』では「根本大師門人日蓮」(定三九一頁)
根本大師とは比叡山を開創した日本天台宗の祖伝教大師最澄である。
その最澄の直弟と表明されたことは、当時の天台教学に対する批判が
あったからにほかならない。(日蓮宗事典より)
立正安国論以外では、「天台沙門日蓮」は探せませんでした。
35
:
管理者
:2004/01/16(金) 09:09
空き缶さんへ。
>日蓮聖人は他門からはなんと呼ばれているのでしょうか。
私の聴く範囲では「日蓮聖人」と他宗門の方々は話されます。
>真筆遺文「三部経肝心要文」とは断簡のことでしょうか?
此は要文と在りますように、法華三部経の経文を抜き書きした物です。が、今大聖人門下の目録を調べましたら、在りません。但し富士門流の事は分かりません。
御書の中には、○○要文等のご遺文が多々在ります。「三部経肝心要文」も在っても可笑しくはありません、何故なら「天台要文」「○○経要文」等が残されているからです。
36
:
川蝉
:2004/01/16(金) 09:44
空き缶さんへ。
「三部経肝心要文」の事、私も知りません。
日蓮聖人は、経・論の抜き書き(要文集)をされていたようですから、真言三部経の抜き書きかも知れませんね。
日蓮聖人の述作でないので、もし真蹟であっても、御遺文集に収録されてないのでしょうね。
文永八年七月の「行敏御返事」に、
行敏初度の難状の文面が記されています。それを見ると
行敏は宛書きを「日蓮聖人阿闍梨御房」としていますので、当時の人は正式には「日蓮聖人阿闍梨御房」と呼んでいたようですね。
また宗学全集の第二巻に、興門の日大上人と天台の大学匠の直兼大和尚との問答記「日大直兼台当問答記」(1363年・祖滅81年)が収録されています。
直兼は、敬称を付けずに「日蓮」と呼んでいる事がわかります。
他宗は批判されるので、内々では敬称を付けないで「日蓮」と呼んでいたのでしょうね。
37
:
川蝉
:2004/01/16(金) 13:28
変換間違いをしました。
文中に「日蓮聖人阿闍梨御房」とあるのは、正しくは
「日蓮阿闍梨御房」です。
訂正してお読み願います。
38
:
空き缶
:2004/01/16(金) 23:02
川蝉さん、管理人さん、慎之輔(野菊)さん、皆さんこん○○わ。
様々な御教授ありがとうございます。三部経・・の件は、私が数年前の夏に「日蓮聖人の世界展」(正信会共催)に参加した時に購入した、「図録日蓮聖人の世界」P88に出ているコラムを読んでの疑問でした。
「日蓮阿闍梨御房」との事、ありがとうございます。「蓮長」から「日蓮」と改めた時点で「是聖房」という名乗りもされなくなったということですね。
39
:
愚鈍凡夫
:2004/01/18(日) 13:56
横レス失礼します。皆さんこんにちは。
手元に資料があるわけではないのですが、確か、「蓮長別人説」というのがあったと思います。
というのは六老僧の一人、日興師の弟子の中に「甲斐公蓮長」という人がいたそうです。
この名からみて、はたして日興師が諱といえど、尊敬する師匠の名を弟子に使うだろうかとの疑問が湧いてきます。
このことから逆に考えて、「蓮長」というのは別人ではないかとする説です。
40
:
慎之輔(野菊)
:2004/01/19(月) 09:40
おはようございます。
蓮長別人説→高木豊「日興とその門弟」『研究年報日蓮とその教団』第四集
の出典だと要傳寺のHPにありました。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/index.html
でも、私の母は日舞をやっていますが田舎にいくと
家元に近いようなすごい名前を名乗っている舞踊家もいますから
意外と知らずに同じ名を名乗っていったような気がしますけど?
特にその方がスポンサーであったりすると−−。(-_-;)
41
:
空き缶
:2004/01/20(火) 00:46
愚鈍凡夫さん、お久しぶりです。
「蓮長」を興風談所の御書システムにて検索してみると、「戒体即身成仏義」「戒法門」「産湯相承事」の三つが該当しました。日蓮聖人の御真筆には「蓮長」は出てきませんね。
「戒体即身成仏義」と「戒法門」(ほぼ偽書と断定されている)は著者名として出ているにすぎず、本文中に出てくるのは、かの疑わしき富士方の相伝書である「産湯相承事」のみです。
また、門下最古の史伝書といわれる、大石寺第四祖日道師による「三師御伝土代」にも「蓮長」の名は出てきません。
いわれてみれば、不思議なことですね。
42
:
川蝉
:2004/01/20(火) 10:05
日祐目録に「戒体即身成仏義」の名があります。
日祐上人は(祖滅16年後の生まれ)中山法華経寺第三世貫首で、 身延山三世貫首日進との深い親交があった人です。
「日蓮聖人御遺文辞典歴史編」の「戒躰即身成仏義」の項には、特別に真偽論を述べていません。
「蓮長 」と云う名は身延11世の日朝上人著述の「元祖化導記」
に初めて出てくるそうですが、「戒躰即身成仏義」に「蓮長」とあることを根拠にしたかも知れませんね。
ただし「録内本」には「安房国清澄山住人日蓮撰」とあるそうです。
開宗前の作であることは間違いないとのことですから、「録内本」の「日蓮撰」とあるのは間違いという事になりますね。
43
:
川蝉
:2004/01/20(火) 11:16
追補です。
「元祖化導記」には
《 五、得名のこと
或る記に云く、童体をば薬王丸と号すなり。御出家の初めの仮り名は是生なり。実名は蓮長なり。後これを改め日蓮と号し奉るなり。委しくは別紙にあり。 》
とありました。
「或る記」とは何か正確には分からないそうですが、原本・写本とも現存しないのですが、身延二世の日向上人の日蓮聖人の一代記『高祖一期行状日記』があったと伝えられています。その『高祖一期行状日記』を「或る記」と指しているのであろうと云う見解もあるそうです。
とすると「元祖化導記」は「戒躰即身成仏義」の「蓮長」に依るので無く、「或る記」すなわち『高祖一期行状日記』によったかも知れません。
44
:
空き缶
:2004/01/20(火) 12:18
川蝉さん、こんにちわ。いつも色々と教えていただきありがとうございます。
「始めは是生実名は蓮長と申し奉る後には日蓮と御名乗り有る御事」これが「産湯相承事」上の文です。
行学院日朝上人の「元祖化導記」は、ここ ↓ にデジタル化されたものがありましたので、ご紹介します。
http://www.ginpa.com/karagura/ronbun.html
現在、時間をみつけては「国立国会図書館」のHPより「高祖遺文録」(全30巻)をダウンロードしています。
この「高祖遺文録」は手書きによる編纂と見受けられますが、いかがなものでしょうか。
↓ここから「高祖遺文録」と入力して検索すると出てきます。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BISmplSrchWindow.cgi
その他「伝教大師全集」や「妙宗先哲本尊鑑」等なかなかよい資料が閲覧・ダウンロードできます。
但し画像としてのダウンロードになりますので、チョッと大変です。
45
:
愚鈍凡夫
:2004/01/20(火) 12:55
皆さんこんにちは。
慎之輔(野菊)さん、空き缶さん、川蝉さん、レス有り難うございました。お手数を掛けてしまったようですね。 m(_ _;)m ゴメン!!
>>43
:川蝉さんのレスにある、
> 「元祖化導記」には
>
> 《 五、得名のこと
> 或る記に云く、童体をば薬王丸と号すなり。御出家の初めの仮り名は是生なり。実名は蓮長なり。後これを改め日蓮と号し奉るなり。委しくは別紙にあり。 》
>
> とありました。
> 「或る記」とは何か正確には分からないそうですが、原本・写本とも現存しないのですが、身延二世の日向上人の日蓮聖人の一代記『高祖一期行状日記』があったと伝えられています。その『高祖一期行状日記』を「或る記」と指しているのであろうと云う見解もあるそうです。
の「或る記(高祖一期行状日記)」と、「産湯相承事」とが何か関連性がありそうで面白いですね。
「産湯相承事」の冒頭に、
「御名乗りの事、始めは是生、実名は蓮長と申し奉る。後には日蓮と御名乗り有る御事は、悲母梅菊女〈童女の御名なり〉平の畠山殿の一類にて御座す云云。」(産湯相承事)
とありますから。
しかし、「高祖一期行状日記」と「産湯相承事」、どちらが引用したのでしょうか。
もう一つ、
「録内本」に「安房国清澄山住人日蓮撰」とあるのに、昭和定本では「安房国清澄山住人蓮長撰」としたのでしょうか。
46
:
愚鈍凡夫
:2004/01/20(火) 13:00
あっ・・・・・、空き缶さんに先を越されてしまった。 (^▽^;)
47
:
管理者
:2004/01/20(火) 13:30
空き缶さん。
貴重なサイトを有り難う御座います。
此を観るためにインストールしたのですが今一(^.^;不明・・・手順を教えて下さい。
48
:
管理者
:2004/01/20(火) 13:32
追伸、
観られました。(^.^;
49
:
川蝉
:2004/01/20(火) 14:25
愚鈍凡夫さん今日は。
化導記の「御出家の初めの仮り名は是生なり。実名は蓮長なり。後これを改め日蓮と号し奉るなり。」
の部分は、たしかし「産湯相承事」の初行の部分と似ていますね。
しかし、「産湯相承事」には、「童体(幼名)薬王丸」がないですね。
化導記は「ある記」にある父親名を挙げていますが、「産湯相承事」の父親名と違いますね。
どちらが参考にしたのか、あるいはしなかったのか私にはちょっとわかりません。
化導記の「ある記」は、すべて同一資料かどうか分かりませんが、もし同一資料だとすると、日蓮聖人の御生涯全般にわたって相当くわしく記してあった文献のようですね。
とすると「ある記」は「産湯相承事」でないと云う事になるのでしょうか。
録内本の「日蓮」を「蓮長」としたのは小川泰堂居士編纂の遺文録からのようです。
50
:
愚鈍凡夫
:2004/01/20(火) 19:54
川蝉さん、いつもながらのご丁寧な御教示、有り難うございます。 m(_ _)m
今調べてみたのですが、大石寺版昭和新定の「戒体即身成仏義」も「安房国清澄住人蓮長撰」となっています。「昭和定本」とネタ元が同じということでしょうね。
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