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御遺文関係は此方で
19
:
直人
:2004/01/06(火) 00:50
空き缶さん、こんばんは。こちらこそよろしくお願いします。
○宗祖滅後120年代成立説の論拠
日時師の『大石記』には日妙師以降の重須には血脈がないことや
日代十二通の譲状(八通の誤りか)のことが記されています。こう
した背景で重須が日順師の血脈思想(興師正嫡思想)を土台とし、
重須流血脈思想の確立手段、また西山(日代置状)への対抗手段
として、重須がこの頃(日時師の時代)に偽作したものであろうと推
考する次第です。そして、それが、宗祖滅後187年に日廣師によって
書写され、以後、日教師・日辰師らに書写されていったものではない
かと考えています。
追記
『大石記』の成立は1417年ですから、厳密には宗祖滅後130年代ですね。
○「本尊抄得意抄副書」について
これは宗祖滅後27年の著述と伝えられていますが、日興上人も日
道師も久遠実成釈尊を本門教主としていましたから、宗祖本仏思想
が見られる「本尊抄得意抄副書」は後代の成立ということになります。
つまり、「本尊抄得意抄副書」がまず成立して「百六箇抄」附文が成
立したのではなく、「百六箇抄」附文の影響を受けて「本尊抄得意抄
副書」が偽作されたと考える方が妥当なわけです。そうすると、「百六
箇抄」附文の成立時期は宗祖滅後宗祖滅後130年代から190年代ま
での間であり、この頃には宗祖本仏思想が成立していたので「本尊抄
得意抄副書」に「末法本門の教主日蓮」として宗祖本仏思想が見られ
てもむしろ当然と言えるわけです。
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