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新・大中華世界的話題

1とはずがたり:2015/08/21(金) 09:18:27
前スレ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1117295937/l50

639とはずがたり:2015/11/18(水) 16:16:17
習近平・馬英九会談  見えない経緯、色濃く残る国民党の「暗黒DNA」
http://m.news.searchina.net/id/1593667
2015-11-09 13:37

 中国の習近平国家主席と台湾(中華民国)の馬英九総統が7日、シンガポールで会談した。中国共産党との内戦に敗れた国民党が台湾に逃れてから初の「トップ会談」として注目された。しかし、何が起こってたのか、何が変わるのか。「習馬会談」は、実に奇妙な政治イベントだった。

■ 大陸側の思惑は、比較的簡単に見えてくる

 中国側の立場としては、「習馬会談」は比較的分かりやすい。2016年1月に予定されている中華民国総統選挙では、民進党候補の蔡英文同党主席が当選すると考えねばならない。馬英九政権が進めた中台接近政策は、後退すると考えねばならない。

 台湾を取り込み「中国統一」を政治目標とする中国としては「痛手」を最小限にしたい。そこで、現職の馬英九総統とのトップ会談を実現させ、「台湾の指導者と大陸の指導者が『ひとつの中国』の原則を認めた」との既成事実を作る。そのことで、台湾における統一推進派に「理論的支柱」を与える。独立志向をできるだけ抑える――。そういった狙いは、すぐに読み取ることができる。

■ 「馬英九政治」に見え隠れする国民党のDNA

 ただし、「習馬会談」は台湾にいかなる利益をもたらしたか。この点は、実に心もとない。

 まず、「そもそも論」だ。馬英九政権がなぜ、ここまで支持率を落としたのか。政策そのものだけでなく、「政治手法」に対する嫌悪感が原因と考えてよいだろう。

 まず、国民党は20世紀初頭の結党時から、「強権体質」が強かった。「亡国の危機」に直面していた祖国を救うには、個人の自由を犠牲にしても「鉄の統制」が必要と考えられたからだ。孫文亡き後に実権を掌握した蒋介石は統制をさらに強化した。台湾では「日本統治時代よりもはるかに独裁的」な支配が続いた。

 台湾で人権抑圧の“根拠”となる戒厳が布告されたのは1947年、解除されたのは蒋経国総統時代の末期の1987年だった。蒋経国総統の死去に伴い就任した李登輝総統は民主化を断行。国民党も「その他の政党」と同様に、選挙で「人民の信任」を得なければ、政権を担当できなくなった。

 民主制のもとで政治に関与する者には、「説明責任」、「合意形成への努力」が求められる。重要な地位にある者ほど、強く求められる。もちろん、発表できない「機密」も多いが、肝心なのは「基本は情報公開。やむをえない場合には秘密」とするバランス感覚だ。

■ 台湾総統、2期目の「暴走」

 馬英九総統にはどうも、情報の扱いや民意を大切にする感覚が欠如しているようだ。台湾で問題になっていた第四原発建設(核四)については、2013年3月に「8月を目途に住民投票を行う」としたが、実施されなかった(工事は凍結)。

 中国大陸との貿易を大幅に自由化する「サービス貿易協定」では、制度上の矛盾点を突く形で立法院(国会)で強硬採決し、反発する学生らが14年3月18日から4月10日まで立法院議場を占拠する異常事態が発生した。

 政治家が自分の信念を実現すること自体は当然のことだが、手続きや民意の掌握のセンスが見られない。台湾の総統には強大な権限が与えられている。任期4年で3選は不可。そのため、次の選挙を考えなくてよい2期目には「暴走」の危険があるとの指摘がある。馬英九政権はまさに、そうなった。さて、「習馬会談」そのものについては改めて論じてみたい。(編集担当:如月隼人)

640とはずがたり:2015/11/18(水) 16:16:41
>>639-640

習近平・馬英九会談  いったい何が起こったのか? 台湾側に目立つ「不自然」さ
http://news.searchina.net/id/1593681?page=1
2015-11-09 15:13

 <習近平・馬英九会談  見えない経緯、色濃く残る国民党の「暗黒DNA」>に続き、今回は「習馬会談」そのものを論じる。同会談の最大問題は、馬英九総統が政治的には「死に体」であるのに、台湾の未来を左右しかねない大陸指導者との会談を行ったことだ。

■ いわくつきの「九二共識」、自ら課した「最低ライン」も放棄

 まず、馬総統の支持率は10%かそれ以下の状態が長期に渡って続いている。総統離任後の影響力も、はなはだ疑問だ。16年総統選では当初、立法院の洪秀柱副院長が国民党の候補者に選ばれた。馬英九総統が離任後に影響力を行使しやすい人物との見方があったが、「あまりの不人気」ぶりに、国民党でも比較的人気が高い朱立倫主席と交代させられるという「超異常事態」となった。

 馬総統はそんな中で3日、「習馬会談」を発表。台湾メディアの自由時報は、国民党の朱主席も、政府内の大陸に関係する部署も、事前に知らされていなかったと報じた。

 会談では、習・馬の両首脳とも「九二共識(九二コンセンサス)」の堅持を口にした。大陸・台湾の関係改善を主張する際に持ち出される双方の合意事項だが、実はこの「九二共識」が“いわくつき”だ。

 まず、台湾側は“合意内容”について「双方とも『1つの中国』の立場は堅持しつつ、その意味の解釈は各自で異なることを認める(一中各表)」で、大陸側は「双方とも『1つの中国』の立場を堅持する」だ。台湾側は「中華民国こそ中国の正統政権」と主張することで、「中華人民共和国に飲み込まれることは認めない」の立場だが、大陸側は黙殺している格好だ。

 さらに「九二共識」は、中台双方が1992年に香港における交渉の場で合意したとされるが、その存在は、2000年の総統選に民進党の陳水扁候補が勝利した直後に、国民党に所属する蘇起行政院大陸委員会主任が発言したことで知られることになった。ちなみに、1992年に総統職にあった李登輝氏や、92年当時に大陸との交渉を担当した責任者も、「九二共識は存在しない」と否定した。

 馬英九総統は中国大陸側との接近を進めた台湾指導者だが、大陸との適切な距離は保っていると、しばしば説明してきた。その1つが「九二共識」で、大陸側が「1つの中国の意味の解釈は各自で異なる」ことを認めねば、「自分は中国との会談の席につかない」と表明してきた。

 しかし7日の「習馬会談」では、大陸側どころか馬総統も「一中」は表明したが「各表」には触れなかった。

■ 大陸側の「ぶら下げた餌」に飛びついた可能性

 馬総統の大陸政策について「重要なブレーン」とされる亜太和平研究基金会(アジア太平洋平和研究基金会)の趙春山理事長は台湾メディアの取材に対して、馬総統は「習馬会談」での発言の予定原稿に「各表」を入れたが、「間に合わなかった」と説明。つまり、「大陸側の了解を得られなかったので削除」したことを認めた。

 趙理事長はさらに、双方が「刺激的」な文言は使わないことで合意したと説明。大陸側も「台湾独立に反対」、「(台湾海峡の)両岸は1つの中国だ」などの言い方はせず、馬総統側は「中華民国」の言葉も使わない約束だったという。

 趙理事長の説明からは、馬総統が「とにかく会談を実現」することを最優先したことがうかがえる。しかも、発言内容などについての交渉時間は、短かったようだ。馬総統は2014年に北京で開催されたAPEC首脳会議に出席して、習近平主席と会談することを望んだが、中国側から拒否されたいきさつがある。

 「台湾の指導者として初めて、大陸の指導者と会談する」ことは、馬総統にとって“悲願”だったはずだ。大陸側がこの時期になって馬総統との会談に応じる姿勢を示し、馬総統が「飛び乗った」とするならば、馬総統は発言内容などで「まんまとしてやられた」との見方も成立する。

 「習馬会談」終了後の記者会見で、大陸側は台湾事務弁公室の張志軍主任1人が説明を行った。台湾事務弁公室は中国政府で台湾政策を担当する部署で、「主任」は閣僚と同等の地位だ。台湾側は馬英九総統本人が説明した。トップ会談の終了後、片方は「部下」に説明させ、もう片方は「トップ自ら」が語るという、めずらしい光景になった。(編集担当:如月隼人)


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