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新・大中華世界的話題
639
:
とはずがたり
:2015/11/18(水) 16:16:17
習近平・馬英九会談 見えない経緯、色濃く残る国民党の「暗黒DNA」
http://m.news.searchina.net/id/1593667
2015-11-09 13:37
中国の習近平国家主席と台湾(中華民国)の馬英九総統が7日、シンガポールで会談した。中国共産党との内戦に敗れた国民党が台湾に逃れてから初の「トップ会談」として注目された。しかし、何が起こってたのか、何が変わるのか。「習馬会談」は、実に奇妙な政治イベントだった。
■ 大陸側の思惑は、比較的簡単に見えてくる
中国側の立場としては、「習馬会談」は比較的分かりやすい。2016年1月に予定されている中華民国総統選挙では、民進党候補の蔡英文同党主席が当選すると考えねばならない。馬英九政権が進めた中台接近政策は、後退すると考えねばならない。
台湾を取り込み「中国統一」を政治目標とする中国としては「痛手」を最小限にしたい。そこで、現職の馬英九総統とのトップ会談を実現させ、「台湾の指導者と大陸の指導者が『ひとつの中国』の原則を認めた」との既成事実を作る。そのことで、台湾における統一推進派に「理論的支柱」を与える。独立志向をできるだけ抑える――。そういった狙いは、すぐに読み取ることができる。
■ 「馬英九政治」に見え隠れする国民党のDNA
ただし、「習馬会談」は台湾にいかなる利益をもたらしたか。この点は、実に心もとない。
まず、「そもそも論」だ。馬英九政権がなぜ、ここまで支持率を落としたのか。政策そのものだけでなく、「政治手法」に対する嫌悪感が原因と考えてよいだろう。
まず、国民党は20世紀初頭の結党時から、「強権体質」が強かった。「亡国の危機」に直面していた祖国を救うには、個人の自由を犠牲にしても「鉄の統制」が必要と考えられたからだ。孫文亡き後に実権を掌握した蒋介石は統制をさらに強化した。台湾では「日本統治時代よりもはるかに独裁的」な支配が続いた。
台湾で人権抑圧の“根拠”となる戒厳が布告されたのは1947年、解除されたのは蒋経国総統時代の末期の1987年だった。蒋経国総統の死去に伴い就任した李登輝総統は民主化を断行。国民党も「その他の政党」と同様に、選挙で「人民の信任」を得なければ、政権を担当できなくなった。
民主制のもとで政治に関与する者には、「説明責任」、「合意形成への努力」が求められる。重要な地位にある者ほど、強く求められる。もちろん、発表できない「機密」も多いが、肝心なのは「基本は情報公開。やむをえない場合には秘密」とするバランス感覚だ。
■ 台湾総統、2期目の「暴走」
馬英九総統にはどうも、情報の扱いや民意を大切にする感覚が欠如しているようだ。台湾で問題になっていた第四原発建設(核四)については、2013年3月に「8月を目途に住民投票を行う」としたが、実施されなかった(工事は凍結)。
中国大陸との貿易を大幅に自由化する「サービス貿易協定」では、制度上の矛盾点を突く形で立法院(国会)で強硬採決し、反発する学生らが14年3月18日から4月10日まで立法院議場を占拠する異常事態が発生した。
政治家が自分の信念を実現すること自体は当然のことだが、手続きや民意の掌握のセンスが見られない。台湾の総統には強大な権限が与えられている。任期4年で3選は不可。そのため、次の選挙を考えなくてよい2期目には「暴走」の危険があるとの指摘がある。馬英九政権はまさに、そうなった。さて、「習馬会談」そのものについては改めて論じてみたい。(編集担当:如月隼人)
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