したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

欧州情勢・西洋事情

1とはずがたり:2014/05/26(月) 18:46:47
平沼騏一郎や福沢諭吉に限らず西洋・欧州・EUその他あの辺綜合スレである。

前スレhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1116784031/l50より欧洲ネタを独立。

歴史ネタは西洋史スレhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1165050511/l50

1299とはずがたり:2016/06/29(水) 09:36:13

離脱派を先導した「英国独立党」の危険な素顔
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160627-00124560-toyo-bus_all
東洋経済オンライン 6月27日(月)6時0分配信

 なぜ、イギリス国民は第2次世界大戦後の欧州統合への動きに「待った」をかける大胆な決断に踏み切ったのだろうか。

 そのカギを握るのは、かつては「変人、狂人、隠れ人種差別主義者の政党」と言われていた英国独立党(United Kingdom Independence Party=UKIP、ユーキップ)の躍進だった。この政党の歩みを振り返ると、今回の大胆な決断の経緯と背景がくっきりと見えてくる。

■ 普通の市民と既存の政界にはギャップ

 「普通の市民が勝った」「独立した国、英国に太陽が昇った」――。離脱派の勝利が確定した6月24日朝、UKIPのナイジェル・ファラージ党首は議会前の広場で熱弁をふるった。

 「私がEU懐疑派運動に参加してから25年が経ちました。最初の下院選では164票しか取れませんでした。今回は1700万以上の票が集まりました」。離脱は「普通の人、まともな人の勝利です。大きな銀行、ビジネス、政界中枢に対する勝利です」。

 ファラージ党首を囲んだ支持者たちの何人かが英国旗を時折揺らす。「いまでも、普通の市民と既存の政界との間には大きなギャップがあります。政治家たちは金持ち過ぎるのです。EU移民の流入によって人々の生活がどんなふうに変わったのかを理解できていない。この移民問題が最後は決め手となりました。勝利を心から喜んでいます」。ファラージ氏の熱弁が続く。

 今回の国民投票で、大きくクローズアップされたのは確かにEUからの移民流入問題だった。

 とはいっても、第2次大戦後、戦争によって不足した労働力を増やすために西インド諸島などから移民を招いた歴史を持つ英国は、決して反移民感情が強い国ではない。大英帝国として世界に君臨していた過去もあり、インド系、パキスタン系、アフリカ系、アジア系など、さまざまな地域からやってきた移民1世、その子孫にあたる世代が住んでいる。見た目だけでは誰が外からやってきた人なのか、あるいは英国籍を持つ人なのかは判断しがたく、肌や目の色が違う人が生活圏にいるのはおなじみの光景だ。

 移民には慣れているはずの英国だったが、ここ数年、問題視されていたのが2004年にEUに加盟した旧東欧諸国などの10カ国からの移民だ。

■ 英国は新規加盟国から制限なしで移民を認めた

 EUは域内での人、モノ、サービスの自由な行き来が原則。ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキアなどの10カ国が新規加入をしたとき、ほかのEU諸国のほとんどが一定の猶予期間を設け、すぐには雇用関係を結べないなどの処置を講じる一方で、英国はこの猶予期間を設けず、制限なしの流入を認めた。国際語となった英語が使える、好景気、旧東欧諸国よりは賃金が高いなどの要素が新移民にとって英国は魅力的だった。

 こうして、新規加盟国からの英国にやってくる移民は年を追うごとに増えた。学校現場、医療サービス、住宅供給、役所のサービスなどに負担がかかるようになってゆく。2008年の世界金融危機以降、政府が緊縮財政策を実行する中で公的サービスの予算が大幅削減され、雇用も打撃を受けた。低い賃金でも働く新移民たちが国内の賃金水準を下げているのではないか、と言う声も出てきた。

 国民投票で離脱を支持した人たちは決して移民の肌や目の色の違いに対して差別的な見方をしていたわけではない。しかし、数が問題なのである。英国民がコントロールできない形で、多くの人がやってくることが。

 人口約6000万人(日本の半分)の英国には2014年時点で、300万人のEU市民が住んでいる。そのうちの200万人が2004年以降やってきた。また、2015年の純移民数(出て行った人とやってきた人の差)は約33万人。そのうちの18万人がEU市民だった。純移民数は年々、増加している。

 「移民が増えて生活が困っているのに、政治家は何もしてくれない」――。そんな国民の不満に既存の政党は十分に耳を貸さなかった。人、モノ、サービスの自由な往来というEUの大原則を崩すわけにはいかず、移民に対してネガティブな声が出る、それ自体が「政治的に正しくない」ことだった。

 既存の政治家は自分の言うことを聞いてくれない――。国民の間にアンチ政府、アンチ「エスタブリッシュメント」(政治家、政府、高級官僚、大企業、大手メディア)の感覚が募った。

1300とはずがたり:2016/06/29(水) 09:36:25

■ UKIPは存在自体が「冗談」と言われていた

 こうした感情を持つ国民(その多くが中高年で、労働者階級、グローバル化した経済に反発心を抱く人)の受け皿となったのは、かつてはその存在自体が「冗談」と言われていたUKIPだった。

 なぜ「冗談」と言われていたのか。それは、移民に対してネガティブな感情を持つというのは、リベラルな思想を持つ人やエスタブリッシュメントからすれば、「多様な価値観を認める英国」から外れた行為だ。そんな思いをまっとうなものとして処理することは想定外である。また、実際にEUに加盟し続ける限り、EU移民の流入は本当には止められない。かつ、好景気が続くほど、英国が仕事や生活水準の向上を求める移民を引き寄せるというジレンマもあって、政治家にとってはEUからの人の流入はどうにもできない事柄だった。

 英国のEUからの脱退を求める政党UKIPの結成は1990年代にさかのぼる。EUの創設を決めたマーストリヒト条約(1991年に協議がまとまり、92年に調印。93年発効)に反対する、「反連邦主義同盟」という形でロンドン・スクール・オブ・エコノミックスのアラン・スキッド教授が立ち上げた(1991年)。93年、名称をUKIPに改めた。

 長年にわたり、UKIPのメンバーは欧州議会や地方議会では議席を得たものの、下院議員選挙では落選に次ぐ落選となる。現在の党首ファラージ氏は1997年、欧州議会選挙で当選。現在までに連続して当選し続けている。

 2006年、ファラージ氏が党首となり、これまでの「EUからの脱退」というシングル・イシューでの戦いの上に、移民の数を減らす、減税など保守政党が持つような政策の実施をアピールするようになった。

 この頃、キャメロン保守党党首はUKIPを「変人、狂人、隠れ人種差別主義者の政党」と呼んだ。「移民数を減らす」=「人種差別主義者」と解釈された。多様な人種が生きる英国で「人種差別主義者」は最も強烈な批判の表現の1つだ。

 キャメロン氏がUKIPを揶揄の対象とするのも無理はなかった。元保守党員であったファラージ氏は保守党右派の支持を受けるようなっていたからだ。泡沫政党と思われていたUKIPはいつしか、保守党のライバルと見なされるようになっていた。

■ 国政よりも地方議会での議席獲得に力点

 いったんは党首を降りたファラージ氏は2010年に復帰する。

 それまでの選挙で分かったのは、UKIPの支持者層は白人で教育程度が低く、ブルーカラー労働者層となる人々であることだった。そこでUKIPはこの層を対象にさらに支持を呼びかけることにし、国政よりも地方議会での議席獲得に力を入れた。

 この層は、今回の国民投票で離脱に投票をした層と重なる。反エスタブリッシュメントという点も共通している。労働者の政党、労働党の従来の支持者でもある。この層がEUからの新移民の流入に最も影響を受けやすい。同時にEU懐疑派が多い保守党の右派(教育程度が高い人、裕福な人も含まれる)にもUKIPの支持者がいた。

 2014年、UKIPは地方議会で163議席を獲得。前回よりも128議席多く獲得し、急成長ぶりを見せた。そして全国的に大きな注目を浴びたのが同年5月の欧州議会選挙。11議席増やして24議席を獲得したが、英国に割り当てられた総議席数73の中で、最多数となった。保守党を抜いて第1党となったのである。

 EUからの脱退を目指す政党が欧州議会で第1党になったのは非常に奇妙だが、英国民の反EUの姿勢はこの時点ではっきりと示されていたともいえるだろう。ただ、当時はまさか英国がEU離脱を決定するとはだれも思っていなかったのだが。

 UKIPの躍進を見て、黙っていられなくなったのは保守党右派の議員たちである。議員2人がUKIPに転向した。

 2015年5月の総選挙。UKIP支持の勢いを感じたファラージ氏は下院議員として立候補する。これまでに数回トライしたが、すべて負けている。今回こそは…という思いがあった。

 英国の総選挙は1票でも多ければ、その候補者が勝つ仕組みを取る。どれほど多くの得票があっても、その地区でトップになったかどうかが勝敗を決める。こうした仕組みの下で、UKIPの候補者は約390万票を集めたが、当選者は1人のみ。ファラージ党首も落選した。

 保守党が得票の37%(総議席数650の中の331を獲得)、労働党が30%(獲得議席数は232)に続く第3位がUKIPで13%を獲得したものの、議席数は1のみ。スコットランド独立党が5%なのに56議席獲得となり、対照的となった。

1301とはずがたり:2016/06/29(水) 09:36:47
>>1299-1301
 ファラージ党首が呼ぶところの「国民の軍隊(People’s army)」がたくさん動員されたにもかかわらず、1議席しか得られない。いかに現在の投票システムが民主的ではないかが明確に示された。支持層の中の反エスタブリッシュメント感に拍車がかかった。

■ 噴火の機会を待っていたUKIP支持者

 ファラージ氏が落選したことで、「なんだ、UKIPはやっぱり大したことはなかったではないか」。大手政党や著名コラムニストらはこんな風にUKIPを評した。

 しかし、390万人超の「エスタブリッシュメントは私たちの声を聞いてくれない」と言う思いは熱いマグマのように生き続け、次の噴火の機会を待っていた。

 なぜ英国でEUの加盟是非についての国民投票が行われるようになったのかについてはすでにさまざまな論評が出ているが、簡潔にまとめれば、国民の側に高まった反EU感情の受け皿となったUKIPが与党保守党の支持者を奪うところまで成長し、「国民投票をするべきだ」という大きな政治的うねりができたためだった。

 国民の側の様々な思いを抗議運動の段階から政治運動にまで発展させたUKIPの功績は保守党支持者や残留支持者も認めざるを得ないだろう。

 しかし、国民投票に向けての熾烈な選挙戦の中で、離脱派と残留派の間できつい言葉の応酬、事実を誇張した数字の利用、差別的表現とも受け取れかねない発言などが飛び交ったが、離脱派(ファラージ氏は公式の離脱派運動「ボート・リーブ」とは別行動をとった)ひいてはUKIPの危うい面も露呈した。

 例えば離脱派は「毎週、3.5億ポンドがEUに支払われている。EUを離脱してこのお金を医療サービスに充てよう」というキャッチフレーズを頻繁に使った。選挙後、ファラージ党首は「3.5億ポンドの数字は正しくなかった」ことを認めた。もしそう思っていながら選挙中に指摘できなかったとすれば、不誠実とも映る。国民は虚偽の情報をもとにして判断したことになりはしないか。

「イスラム教徒で一杯のトルコがEUに加盟する」というUKIPや離脱派の脅しも、今すぐトルコが加盟するかのような印象を与えたが、「加盟は非常に遠い将来」(政府)が実情のようだ。

 離脱派の一部からさえ批判を浴びたのが、ファラージ氏側が作ったあるポスターだ。

 このポスターには、シリア難民が大挙して欧州に向かう写真を大きく使い、「崩壊」という文章が入っている。戦火のシリアから逃げてくる人々で欧州はいっぱいになるぞというメッセージだ。「悪趣味」、「残酷」として批判された。ポスター発表と同じ日に、残留派議員だったジョー・コックス氏が「英国第一」と叫ぶ男性に殺害されている。

 事件の詳細についての捜査は続いているが、「自分の意見以外は認めない」という狭義の見方、憎悪から殺害行為までのエスカレートなどを触発したのはUKIPではないかという批判が残留派から出た。

■ 「反EUの波をほかの欧州の国も広げたい」

 ファラージ党首自身が移民の子孫で、妻はドイツ人。「決して反ヨーロッパではない」と言う同氏だが、以前には「ルーマニア人が大挙して押し寄せるぞ」とけしかけたこともある。

 UKIPの支持者には白人の中高齢者が多い。「既存の政治家がその意をくんでくれない、普通の市民」が支持者であるとUKIPは説明するものの、「他者を寄せ付けない、反移民主義者」との境目は微妙だ。

 英国がEU離脱を決定したことで、UKIPはどの方向に行くのだろうか。ファラージ党首は先の勝利宣言の演説で、「反EUの波をほかの欧州の国にも広げたい」としている。「フランス、イタリア・・・国民投票をしたいという国はほかにもある」。

 EU離脱決定後、キャメロン首相は遅くとも10月の保守党大会までに次の首相を決めるようにしたい、と表明した。ファラージ党首はテレグラフ紙のインタビュー(26日付)の中で、「離脱交渉をする新たな首相の下での保守党政権に何らかの形で協力したい」と述べている。英国の政治中枢において、UKIPがこれまで以上に重要な役割を果たすようになることは間違いない。

小林 恭子


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板