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スポーツ総合スレッド

1小説吉田学校読者:2006/05/31(水) 23:09:24
雑談スレを見直してみて、芸能ネタの次に多いのがスポーツネタ。
ドイツW杯ももうすぐだし、こういうスレを立ててみました。

1946とはずがたり:2016/08/22(月) 18:21:47
>発想や創造力を育てるのが個性教育ではない。個性は頭の中には存在しない。個性はすべて身体にしか宿らない。残念ながら個性教育によって「発想の奇抜さ」や「新しい創造力」が伸びるわけではない。個性教育はアスリートの数を増やす可能性はあるが、芸術家を増やすものではないのだ。

2016年08月21日(日) 堀井 憲一郎
リオ五輪日本代表の"躍進"は「ゆとり教育」のおかげだった!?競泳ニッポンの盛衰をたどる
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49505

競泳メダル数のふしぎな盛衰

リオ五輪の〝日本メダルラッシュ〟は水泳と柔道の躍進から始まった。
水泳は、なぜかここのところ「日本人が得意な競技」となってきた。いつもメダルが期待される種目になっている。

* * *

オリンピックでの競泳は、ほとんどメダルが取れない時代があった。そのもっと昔には、水泳王国と呼ばれる栄光の時代があった。

オリンピック水泳メダル数で日本を見直すと、ふしぎな盛衰がある。

1924年のパリオリンピックより競泳に参加した日本は、1928年のアムステルダムオリンピックで鶴田義行が平泳ぎ200mで金メダルを取る。ほかにも銀1銅1という好成績を残した。

ついで1932年のロサンゼルス大会で、日本水泳陣は大活躍する。金5銀5銅2と競泳だけで12のメダルを獲った。これはいまだに日本競泳陣のメダル最高成績である。

そのまま1936年、ヒトラー旗下のベルリン大会でも活躍は続き、金4銀2銅5とメダル11を獲得した。(前畑ガンバレで有名な前畑秀子が女性初の金メダルを獲得。)

1930年代はまさに〝競泳王国の日本〟だった。

1940年と1944年のオリンピックは戦争のために中止、1948年ロンドン大会は日本はまだ独立国ではなかったので(敗戦国だったので)参加できなかった。

ただ1948年は〝フジヤマのトビウオ〟と称された古橋広之進の全盛期であり、参加すれば複数のメダルを確実に取れていたはずである。(オリンピックと同時期に水泳日本選手権が開かれ、古橋は五輪優勝者よりも早いタイムで優勝した。1980年モスクワ五輪マラソンの瀬古利彦と並んで〝参加していれば絶対取れていた金メダル〟であり、いまだに不参加が惜しまれている大会である。)

その後も着実に活躍している。

1952年ヘルシンキでは銀が3つ。
1956年メルボルンでは金1銀4。
1960年ローマでは銀3銅2。

水泳は日本にとって「オリンピックでメダルを取れる種目」であり続けたのである。

ただ1964年の東京オリンピックから状況が変わる。日本の水泳は弱くなっていく。

日本競泳界、冬の時代

このときとくに印象に残っているのは「水泳ではとにかくアメリカばかりが勝ち、日本はとても弱い」ということ(だった)。
水泳競技のほうは、最後の最後(おそらく最終種目だったとおもう)の「男子自由形200×4リレー」で何とか3位に入り、銅メダルをもらった。

東京五輪の水泳のメダルはこの1つだけである。

東京のあと、メダルをほとんど取れなくなる。

1947とはずがたり:2016/08/22(月) 18:21:58

1968年メキシコ。メダル0。
1972年ミュンヘン。田口信教が平泳ぎで金と銅。青木まゆみがバタフライで金。
1976年モントリオール。メダル0。
1980年モスクワ不参加。
1984年ロサンゼルス。メダル0。
1988年ソウル。鈴木大地が背泳ぎで金。その1つだけ。
1992年バルセロナ。岩崎恭子が平泳ぎで金。その1つだけ。
1996年アトランタ。メダル0。

つまり「田口信教、青木まゆみ、鈴木大地、岩崎恭子」という突然あらわれた天才スイマー以外は、この30年間メダルを取れなかったのである。この4人とも金メダリストだというところに、4人の特異性が見られる。彼らはどんな状況でも水泳で抜きん出て、世界一になれる特殊な人だったのだろう。

ところが、2000年以降、日本競泳陣は復活する。

メダリストの生年に「偏り」がある

2000年シドニー。金0銀2銅2。
2004年アテネ。金3銀1銅4。
2008年北京。金2銀0銅3。
2012年ロンドン。金0銀3銅8。
2016年リオデジャネイロ。金2銀2銅3。

不思議な回帰である。水泳はオリンピックでメダルを期待できる種目に戻った。(このうち金4つが北島康介のものなので、彼の存在がとても大きいのはたしかである。)

1930年代に全盛期があり、1970年代からどん底に落ち、またふたたび2000年代から活躍している。世代によって強かったり弱かったりする種目なのだ。社会の何かを反映しているのだろう。

オリンピック水泳でメダルを取った選手を世代別に集計してみる。学齢で集計していく。つまり1904年4月生まれから1905年3月生まれまでを「1904年度生まれ」として数えていく。

メダリストの生年には偏りがある。

日本の水泳メダリストを多く生んでいる世代は以下の4つの集団である。

「1903年から1906年生まれ」
「1911年から1918年生まれ」
「1932年から1942年生まれ」
「1978年生まれ以降(現在は1995年生まれ坂井聖人まで)」

逆に言うと「1943年から1977年生まれの世代は、世界に通用する水泳選手をほとんど出てこなかった」ということになる。いろんな点で示唆的だ。30年以上にわたり才能ある選手がまったくいなかった、とは考えにくい。

おそらく社会が求めていたものが違っていたのだとおもう。

「世界のトップには立てなくても2位3位に食い込める選手」を多く輩出するには、社会の力が重要である。子供のときに始めないと一流アスリートになれない種目が多いのだから、メダリストを生み出すのと「社会の教育方針」は密接につながっているはずだ。

ゆとり教育の背景

「ゆとり教育」の問題でもある。

戦後の詰め込み教育をもとにした厳しい受験戦争は、子供のためによくないのではないかとされ、「憶える知識重視の教育」から「考える力を養う教育」へと転換した。それが、〝ゆとり教育〟である。

ただ、その〝ゆとり〟がいきすぎ、日本人の知識レベルが下がったと懸念され、のちにゆとり教育を脱し、学習量を増やしつつある。いまはその「脱ゆとり」の時代である。

1948とはずがたり:2016/08/22(月) 18:22:13

ゆとり教育の背景にあったのは、お母さんの「子供がかわいそう」という当時の気分だと、わたしはおもっている。

知識の詰め込みばかりやらされていてかわいそうだ、という気分は、自分の子はほかの子とちがって特別である、という親らしい思い込みと連動して、「それぞれの子供たちの個性を大事にする」というかなりむずかしい教育方針に転換することになった。1980年代から見直しが始まり、平成年間に入り、本格的に「ゆとり教育」となった。

「ゆとり世代」は、揶揄されることが多い。

ただ実際に「ゆとり世代」と接してみて、私はけっこう心地いい世代だな、とおもっている。あまり尖っていない。豊かな国の、ゆとりある環境で育てば、人はやさしくなるものだ、とちょっと感心する。

彼ら彼女らの印象をひとこと言えば「お母さんの言うことをきちんと守る世代」に見える。礼儀正しいし、人にやさしい。一緒に遊んでいるぶんには、とても気持ちいい存在である。一緒に戦うときの仲間としては、どうなのかはわからない。

結果として「身体性」が伸ばされた

教育は、人数が多いと画一的にならざるを得ない。いちいち、個別対応しきれないからだ。敗戦後しばらくは、子供が多く大変だった。細かい教育が行き届かない。しかたがない。社会もそれでよしとしていた。

それが少し世の中が落ち着くと、より個人を大事にする教育に変わっていく。結果として「身体性」が伸ばされる。

個性教育は「個別の身体性」がうまく伸ばされていくときにのみ、うまくいく。

発想や創造力を育てるのが個性教育ではない。個性は頭の中には存在しない。個性はすべて身体にしか宿らない。残念ながら個性教育によって「発想の奇抜さ」や「新しい創造力」が伸びるわけではない。個性教育はアスリートの数を増やす可能性はあるが、芸術家を増やすものではないのだ。

新しいものの考え方や知識というものは、すでに人類の叡智として蓄積されている知恵や情報を身体にどれだけ取り入れているかというのが前提になっていて、つまり「大量の知識をどれだけ記憶しているか」というのが問われてくる。知識を持たない者は新しい発想も持てない。そういうことになっている。ショートカットはない。

教育は、発想部分ではなく、基礎の知識部分だけでいいのではないか、というのがゆとり以前の〝詰め込み教育〟の発想であり、ゆとり教育が批判揶揄されるポイントでもある。どちらが正解だということはないだろう。社会が、そのつど、選んでいくしかない。

ただ、個性は身体性に拠る。身体は一代限りのものである。個性とは身体差を指すものだと考えたほうがいい。

個性を伸ばす教育が実際に押し進められると、「個体としての自分の特殊さ」をそれぞれが発見していくしかない。

当然、ぬきんでた身体的な才能のある子は早くから発見されやすく、それを伸ばす環境へ進みやすい。

このことと、オリンピックのメダルが増えたことが関係してる、と私はおもう。

ここ十数年のオリンピック水泳のメダリストが、すべて〝ゆとり世代〟というわけではないが、ただ日本社会が戦後初めて〝余裕〟を感じていた1980年以降の教育で育っている世代ではある。

敗戦後の教育に求められたもの

オリンピック競泳でメダリストをほぼ生んでない世代「1943年から1977年生まれ」というのは「敗戦後の教育」の世代である。

1949とはずがたり:2016/08/22(月) 18:22:34

敗戦後の日本の命題は、このぼろぼろになった国をとにかく建て直すことにあった。国力をつけるしかない。教育の主眼も「できない子たちも、何とかなるまで底上げする」ことになる。とにかく社会で役立つ者へと急ぎ育てることが課題であった。

下に合わせると、上は伸ばしてもらえない。貧しい者を減らすための教育だ。優れた者は、とびぬけて優秀なエリアへと進ませるのではなく、その集団内でもっとも優れた地位で落ち着くように要請される。そういう教育であり社会であった。だって敗戦国だから。とにかく普通レベルに戻すのが大事だったから。
>>1946-1949
それが「みんなを幸せにする」と信じられて進められてきた。実際、みな、そこそこには幸せになったとおもう。

当時の日本人に、世界で日本が何番目くらいの国かと聞いたら、おそらくいまのサッカーランキング(FIFAランキング)くらいの数字を言うとおもう。すごくよいと20位、悪いと50位くらい、だいたい30位から40位あたり、それが、1960年代から70年代の、日本人が自覚する世界でのランクであった。

それが豊かな国になり、1980年代は〝世界ランキング10位以内〟と言われてもそんなものだろう、とおもえるようになった。

ちなみに1910年から1920年代の日本は、ロシアに勝って世界五大強国の仲間入りした時代である。大正年間は、その前後に比べると、やや余裕のある社会だった。戦前のメダリストたちは、その時期に育ってる者たちが多いようだ。

水泳が強くなった理由

個性を大事にする教育に舵を切ると、身体的能力に秀でた人たちを世に送り出しやすくなる。言い方を換えると、才能ある人はどんどん伸ばしてもらえる社会になる。一部の才能あるものはどんどん成功するが、さほどの才能ない者にはどんどんつらくなる社会である。

「才能ない人はいない」という前提を取ってるから、みんな才能は伸ばしてもらっているのだけれど、「それだけで社会を生き抜く力はない才能」を伸ばしてもらったところで、結局、社会的弱者を生み出すばかりである。

でも、好んでそういう社会を作ったのだからしかたがない。

1970年代には日本は総中流と言われていた。日本人の多くは自分たちは中流である、とおもって生きていたのである。

それがどこかでいやになって、やめてしまった。でも、おもいかえすと、そのへんがいちばんいいバランスだったような気がする。いまさら言ってもしかたないんだけど。

ただ、「みんなが中流」とおもってる時代は、オリンピック水泳でメダルは取れなかった。

才能ある人たちが認められる教育によって、水泳は強くなった。

社会がそう動いてるのだ。だから、しばらくは水泳ニッポンは続きそうである。メダルがたくさん取れる社会を作ってきたのだ。それはそれでいいとおもう。

2020年代後半から2030年代にかけて、また弱くなるかもしれない。そのときは、ニッポンはなにか別のところが幸せなのだ、と考えるのがいいとおもう。

堀井 憲一郎(ほりい けんいちろう)
1958年生まれ。京都市出身。コラムニスト。著書に『若者殺しの時代』『落語論』『落語の国からのぞいてみれば』『江戸の気分』『いつだって大変な時 代』(以上、講談社現代新書)、『かつて誰も調べなかった100の謎』(文藝春秋)、『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)、『ねじれの国、日本』 (新潮新書)、『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)などがある。


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