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スポーツ総合スレッド
1949
:
とはずがたり
:2016/08/22(月) 18:22:34
敗戦後の日本の命題は、このぼろぼろになった国をとにかく建て直すことにあった。国力をつけるしかない。教育の主眼も「できない子たちも、何とかなるまで底上げする」ことになる。とにかく社会で役立つ者へと急ぎ育てることが課題であった。
下に合わせると、上は伸ばしてもらえない。貧しい者を減らすための教育だ。優れた者は、とびぬけて優秀なエリアへと進ませるのではなく、その集団内でもっとも優れた地位で落ち着くように要請される。そういう教育であり社会であった。だって敗戦国だから。とにかく普通レベルに戻すのが大事だったから。
>>1946-1949
それが「みんなを幸せにする」と信じられて進められてきた。実際、みな、そこそこには幸せになったとおもう。
当時の日本人に、世界で日本が何番目くらいの国かと聞いたら、おそらくいまのサッカーランキング(FIFAランキング)くらいの数字を言うとおもう。すごくよいと20位、悪いと50位くらい、だいたい30位から40位あたり、それが、1960年代から70年代の、日本人が自覚する世界でのランクであった。
それが豊かな国になり、1980年代は〝世界ランキング10位以内〟と言われてもそんなものだろう、とおもえるようになった。
ちなみに1910年から1920年代の日本は、ロシアに勝って世界五大強国の仲間入りした時代である。大正年間は、その前後に比べると、やや余裕のある社会だった。戦前のメダリストたちは、その時期に育ってる者たちが多いようだ。
水泳が強くなった理由
個性を大事にする教育に舵を切ると、身体的能力に秀でた人たちを世に送り出しやすくなる。言い方を換えると、才能ある人はどんどん伸ばしてもらえる社会になる。一部の才能あるものはどんどん成功するが、さほどの才能ない者にはどんどんつらくなる社会である。
「才能ない人はいない」という前提を取ってるから、みんな才能は伸ばしてもらっているのだけれど、「それだけで社会を生き抜く力はない才能」を伸ばしてもらったところで、結局、社会的弱者を生み出すばかりである。
でも、好んでそういう社会を作ったのだからしかたがない。
1970年代には日本は総中流と言われていた。日本人の多くは自分たちは中流である、とおもって生きていたのである。
それがどこかでいやになって、やめてしまった。でも、おもいかえすと、そのへんがいちばんいいバランスだったような気がする。いまさら言ってもしかたないんだけど。
ただ、「みんなが中流」とおもってる時代は、オリンピック水泳でメダルは取れなかった。
才能ある人たちが認められる教育によって、水泳は強くなった。
社会がそう動いてるのだ。だから、しばらくは水泳ニッポンは続きそうである。メダルがたくさん取れる社会を作ってきたのだ。それはそれでいいとおもう。
2020年代後半から2030年代にかけて、また弱くなるかもしれない。そのときは、ニッポンはなにか別のところが幸せなのだ、と考えるのがいいとおもう。
堀井 憲一郎(ほりい けんいちろう)
1958年生まれ。京都市出身。コラムニスト。著書に『若者殺しの時代』『落語論』『落語の国からのぞいてみれば』『江戸の気分』『いつだって大変な時 代』(以上、講談社現代新書)、『かつて誰も調べなかった100の謎』(文藝春秋)、『東京ディズニーリゾート便利帖』(新潮社)、『ねじれの国、日本』 (新潮新書)、『いますぐ書け、の文章法』(ちくま新書)などがある。
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